p. PosterP11-
1.背景
幾つかの種類のヤドカリは、神奈川県三浦市や三重県志摩市周辺等の一部の地域で刺身や味噌汁として食されている。不思議なことに、ヤドカリの中でもオニヤドカリ(Aniculus miyakei)摂食後、水を飲むと甘味が誘導される現象が知られている。このように水を甘く感じる作用から、オニヤドカリは「あまがに」とも呼ばれている。この現象を引き起こす甘味誘導物質については、水や有機溶媒に可溶な低分子化合物であることが報告されていたが、詳細は未解明であった1)。そこで、この特異な味覚修飾作用に着目し、甘味誘導成分の解明を目的として研究に着手した2)。
2.甘味誘導成分の同定
実験材料として三重県伊勢市にて採取したオニヤドカリを用いた。まず、ヤドカリを身と内臓部分に分けて、水飲用時の甘味誘導を検討したところ、内臓部分(中腸腺)に甘味誘導作用があることが確認できた。摂取直後はほとんど味を感じないが、10秒ほどして徐々に弱い甘味を感じるようになり、水を飲用すると甘味が明確に誘導される。そこで、この水飲用時の甘味誘導作用を指標に、関与成分の探索を行った。凍結乾燥した内臓部分をクロロホルム/メタノールで抽出後、ヘキサンと90%メタノールで分配した。続いて、90%メタノール層をブタノールと水にて再分配し、ブタノール層を得た。得られたブタノール層を、逆相クロマトグラフィーによる精製を繰り返すことで、甘味誘導画分を得た。得られた甘味誘導画分は、クロマトグラム上では複数のピークを示すものの、NMRスペクトル上では、ほぼ単一成分であったため、各種NMRスペクトル解析により、この画分の主成分はオクテニル硫酸エステル(1)であると決定した(Figure 1)。そこで別途合成品を調製し(Scheme 1)、スペクトルを比較したところ、良い一致を示し(Figure 2)、さらに官能評価の結果、甘味誘導画分と同様の水飲用による甘味誘導作用が確認できたことから、オニヤドカリ由来の甘味誘導成分は1であると決定した。なお1は新規化合物であった。
続いて、オニヤドカリ中の1の含有量を調べた。オニヤドカリの内臓部分の抽出液をLC-MS/MS MRMモードにて定量分析したところ、乾燥内臓部分1 gあたり(約1個体分)、50mg以上の1を含有していることがわかった。1はおおよそ数mgの摂取で水飲用時に甘味が誘導されるため、オニヤドカリ中には甘味誘導に十分な1が含まれていることがわかった。また、比較対象として甘味誘導作用を示さない別種のヤドカリ(未同定)についても、その含有量を調べたところ、1が若干量含まれているものの、オニヤドカリと比較してその含有量は1/10程度であった(Figure 3)。この結果から、オニヤドカリ特有の甘味誘導現象は、1の含有量の差が原因であると考えられた。
(View PDFfor the rest of the abstract.)
1.背景
幾つかの種類のヤドカリは、神奈川県三浦市や三重県志摩市周辺等の一部の地域で刺身や味噌汁として食されている。不思議なことに、ヤドカリの中でもオニヤドカリ(Aniculus miyakei)摂食後、水を飲むと甘味が誘導される現象が知られている。このように水を甘く感じる作用から、オニヤドカリは「あまがに」とも呼ばれている。この現象を引き起こす甘味誘導物質については、水や有機溶媒に可溶な低分子化合物であることが報告されていたが、詳細は未解明であった1)。そこで、この特異な味覚修飾作用に着目し、甘味誘導成分の解明を目的として研究に着手した2)。
2.甘味誘導成分の同定
実験材料として三重県伊勢市にて採取したオニヤドカリを用いた。まず、ヤドカリを身と内臓部分に分けて、水飲用時の甘味誘導を検討したところ、内臓部分(中腸腺)に甘味誘導作用があることが確認できた。摂取直後はほとんど味を感じないが、10秒ほどして徐々に弱い甘味を感じるようになり、水を飲用すると甘味が明確に誘導される。そこで、この水飲用時の甘味誘導作用を指標に、関与成分の探索を行った。凍結乾燥した内臓部分をクロロホルム/メタノールで抽出後、ヘキサンと90%メタノールで分配した。続いて、90%メタノール層をブタノールと水にて再分配し、ブタノール層を得た。得られたブタノール層を、逆相クロマトグラフィーによる精製を繰り返すことで、甘味誘導画分を得た。得られた甘味誘導画分は、クロマトグラム上では複数のピークを示すものの、NMRスペクトル上では、ほぼ単一成分であったため、各種NMRスペクトル解析により、この画分の主成分はオクテニル硫酸エステル(1)であると決定した(Figure 1)。そこで別途合成品を調製し(Scheme 1)、スペクトルを比較したところ、良い一致を示し(Figure 2)、さらに官能評価の結果、甘味誘導画分と同様の水飲用による甘味誘導作用が確認できたことから、オニヤドカリ由来の甘味誘導成分は1であると決定した。なお1は新規化合物であった。
続いて、オニヤドカリ中の1の含有量を調べた。オニヤドカリの内臓部分の抽出液をLC-MS/MS MRMモードにて定量分析したところ、乾燥内臓部分1 gあたり(約1個体分)、50mg以上の1を含有していることがわかった。1はおおよそ数mgの摂取で水飲用時に甘味が誘導されるため、オニヤドカリ中には甘味誘導に十分な1が含まれていることがわかった。また、比較対象として甘味誘導作用を示さない別種のヤドカリ(未同定)についても、その含有量を調べたところ、1が若干量含まれているものの、オニヤドカリと比較してその含有量は1/10程度であった(Figure 3)。この結果から、オニヤドカリ特有の甘味誘導現象は、1の含有量の差が原因であると考えられた。
また、ヤドカリ(未同定)の抽出液中には、1と同じ分子量で保持時間の異なる成分Aが検出された(Figure 3)。この成分Aについては、1の二重結合の位置異性体であると推定され、他にも硫酸エステル類縁体が存在している可能性を示唆している。そこで、硫酸エステル類縁体の定性分析を行った。硫酸エステル類はESI MS/MS分析において、共通のプロダクトイオン(HOSO3-, m/z97)を生成する。そのため、プレカーサーイオンスキャンにより、硫酸エステル類縁体の定性分析が行える。両ヤドカリ抽出液のプレカーサーイオンスキャンによるLC-MS分析を行ったと ころ、1とは炭素数などの異なる硫酸エステル由来のイオンを多数検出した(Figure 4)。特に、甘味誘導作用を示さないヤドカリ(未同定)中に多くの類縁体成分が検出された。
多数の硫酸エステル類縁体の存在が示唆されたことや、その構造の単純さから、1の類縁体にも甘味誘導活性があるのか興味が持たれた。そこで、いくつかの類縁体の水飲用時の甘味誘導活性を調べた。1の異性体3、1の還元体4、3位に二重結合を有し鎖長の異なる類縁体5, 6, 7, 8, 9,10について合成品を調製し(Figure 5)、その作用を調べたところ、シス体3は同様に水飲用時の甘味を誘導したが、他の類縁体は甘味を誘導しなかった。
3.オクテニル硫酸エステルの味覚修飾作用
続いて、1の官能評価を実施した。10 mMの溶液を10秒ほど口に含んだ後、吐き出し、30秒間隔で5分間水を摂取し、水飲用時の甘味強度を評価した。その結果、1のみでは甘味を感じないが(0 min時)、水飲用時にショ糖濃度4 wt%相当(甘味強度4)の甘味が誘導された(Figure 6)。また、その甘味誘導作用は1を摂取した後、数分間持続することもわかった。しかしながら、1と甘味料を混合し、同時に摂取すると、甘味料由来の甘味がほぼ完全に抑制された(Figure 7)。水飲用時の甘味誘導作用と甘味料の甘味阻害作用は、一見矛盾するように思われるが、同様の味覚修飾作用を示す物質として人工甘味阻害剤ラクチゾールが知られている3)。甘味は舌上の味細胞に存在するG蛋白質共役受容体の甘味受容体(T1R2-T1R3複合体)で受容される4)。ラクチゾールは受容体に対し、インバースアゴニストとして作用すると考えられている5)。甘味受容体は活性型と不活性型の平衡状態にあり、全体として弱く活性化された状態にあるが、ラクチゾールは積極的に不活性化する。ラクチゾールが受容体より除去されると、もとの弱い活性化状態に戻る際に応答が誘導され、水飲用時の甘味として認識されると考えられている。現在のところ、1に関してもラクチゾールと同様のメカニズムにて甘味受容体へ作用し、甘味を誘導すると推測している。
4.まとめ
オニヤドカリ摂食後、水を飲用すると甘味が誘導される現象に着目し、その甘味誘導成分として1を同定した。官能評価の結果から、1をあらかじめ摂取した後に水を飲用すると甘味が誘導されるが、甘味料と同時に摂取すると甘味料由来の甘味が阻害されることが示された。
5.参考文献
1) 特開平8-107766
2) a) 特開2015-82998 b) The other group, independently of our group, has reported the same compound; Terada, I. Misaka, T. In the 2014 Annual Conference of the Japan Society for Bioscience, Biotechnology and Agrochemistry.
3) Schiffman, S.S. et al., Chem. Senses 1999, 24, 439-447.
4) Nelson, G. et al., Cell, 2001, 106, 381-390.
5) Galindo-Cuspinera, V. et al., Nature 2006, 441, 354-357.