鉄と鋼
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論文
加速器質量分析による日本刀の14C年代と暦年代
永田 和宏松原 章浩國分(齋藤) 陽子中村 俊夫
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2016 年 102 巻 12 号 p. 736-741

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Synopsis:

Steel of Japanese swords has been produced with Tatara process from iron sand and charcoal. Carbon dissolved in steel was absorbed from wooden charcoal fuel during the production of the steel. From the decay of 14C activity in the steel, the 14C age of Japanese sword can be determined. The 14C ages of 4 Japanese swords were measured with accelerator mass spectrometry and calibrated to calendar years. Each 14C age provided plural calendar year periods with definite probabilities, and one of the periods agreed with the production year of each sword that was determined from the sword master’s name cut in the grip of his sword after taking the age range of charcoal used for steel production and usage for several generations of the same names of sword masters into account.

1. 緒言

日本刀は製作年代によって区分されている。奈良時代から平安時代中期の刀は直剣で上古刀と呼ぶ。その後は湾曲刀が主流になり,室町時代までのものを古刀,桃山時代から江戸時代中期までのものを新刀,江戸時代末期のものを新々刀,それ以後のものを現代刀と呼んでいる。

日本刀の茎(なかご)には製作者の銘と制作年が刻印されているものがある。現存する古い日本刀は腐食により刻印が不鮮明になっているものもあり,あるいは摩り上げて刀身を短くしたために刻印がなくなっているものもある。また贋作も多い。本研究では,鋼で作られた日本刀に含まれる炭素の同位体である放射性同位体14C(半減期5730±40年)と安定同位体の12Cと13Cを加速器質量分析計(Accelerator Mass Spectrometry, 以下AMS)により定量した。そして,14Cの放射性壊変による濃度減少を利用した放射性炭素年代法により14C年代を求め,さらに暦年較正により暦年代を決定した。歴年代の範囲は複数あり,刀の茎(なかご)に刻印された作者名から判定される刀の製作年代をそれらの暦年代から検証する。

2. たたら製鉄と小鍛冶

日本刀の材料の鋼はわが国古来の製鉄法であるたたら製鉄で造られた。6世紀後半に朝鮮半島を経由してわが国に赤鉄鉱石を使って製鉄する技術が伝わった。9世紀頃から砂鉄を原料とする製鉄法がわが国独自の技術として開発された。室町時代までは木炭の供給源を求めて移動する「野だたら」と呼ばれた踏鞴を用いた比較的小型の炉で製鉄が行われた。江戸時代に入り効率の良い天秤鞴が開発され,「高殿」と呼ぶ建屋内で同じ場所で操業が行われるようになった。そして江戸時代中期に技術は完成し「永代たたら」と呼ばれた。たたら製鉄による鉄鋼生産は大正12年まで続けられ,その後,一部は昭和19年まで軍刀の材料の生産のために続けられた。昭和52年に島根県出雲横田町に復元されて現在に至っている。

「永代たたら」のたたら製鉄炉は炉高1.2 mの粘土で作られた箱型の炉である。昭和19年までのたたら炉は,12.8トンの砂鉄と13.5トンの木炭を30分毎に挿入し,3日3晩の約72時間で1.5トンの銑(ズク,銑鉄)と2.1トンの鉧(ケラ,鋼塊)を生産した。炉下部の40本の羽口から空気を吹き込んで木炭を燃焼させ,発生する熱と一酸化炭素で砂鉄を加熱し還元した。還元鉄粉は木炭との接触により炭素を吸収して溶融銑鉄,あるいは溶融銑鉄とオーステナイトの共存状態となり,溶融銑鉄は炉外に流出した。銑の炭素濃度は3.0~3.5 mass%で,炉外に流出したものを蜂目銑(ハチメズク),炉底に溜まっているものを裏銑(ウラズク),鉧の下部に付着しているものを鉧銑(ケラズク)と称した。操業の後半では炉壁が溶損し炉底が広がって炉中心部の温度が下がるので鉧を銑と共に製造した。最後に炉壁下部が溶損で薄くなると操業を止め,炉を解体して鉧を取り出し空冷あるいは水冷した1)

炉内の羽口前温度は1350~1400°Cに達し,FeとFeOが平衡する酸素分圧に近い雰囲気下で砂鉄の還元が進行するためSiO2やTiO2など脈石成分は還元されずノロ(ファイヤライト組成に近いスラグ)に溶け込んだ。したがって,銑や鋼の組成は現代の高炉銑鉄と比べ不純物濃度は低くなった。Table 1に銑と鋼の組成を示した2)。浸炭は1154°C以上で還元した砂鉄と木炭との接触で生じる液相を媒介にして高速で進行した。

Table 1.  Chemical compositions of pig iron (Zuku) and steel (Kera, Tamahagane) produced by Tatara furnaces at Ataidani and Tonami in 18912).
Chem. comp (mass%) C Si Mn P S Ti
Pig iron (Ataidani) 3.63 Trace Trace 0.100 0.003 Trace
Steel* (Tonami) 1.33 0.04 Trace 0.014 0.006 Trace

* Tamahagane (Best quality of steel in bloom)

鉧中の炭素濃度が1.0~1.5 mass%でノロなど不純物を噛み込んでいない部分(明治以降は玉鋼と称した)を刀の材料にした。銑および炭素濃度が低く不純物を噛み込んでいる鋼塊は「大鍛冶」で脱炭し,炭素濃度約0.1 mass%の包丁鉄(割鉄とも称した)にした。大鍛冶炉では「左下」とそれに続く「本場」の2工程で,銑鉄塊や鋼塊を木炭の燃焼で加熱し空気を吹付けた。鋼塊の表面では鉄が空気中の酸素で酸化し,その時発生する反応熱で1528°C以上に加熱されてδ鉄との共存状態で鉄を溶解し脱炭した3)

小鍛冶は鋼塊や包丁鉄を用いて刀や包丁などの民生品を作製し,鋳師(イモジ)は銑を鋳造して鍋や釜などを生産した。小鍛冶は,鋼塊を折り返して鍛接する鍛錬を行って,鋼中の炭素濃度分布の濃淡と界面で生成するFeO介在物を微細に分散させた。この鍛接では鋼の表面を鉄の酸化熱で加熱,溶解し,鍛造して界面を溶接した4)

3. 鋼に吸収された炭素

たたら炉や大鍛冶で生産された銑や鋼,包丁鉄などは和鉄と総称される。その中に固溶している炭素はたたら製鉄炉や大鍛冶炉で鉄が溶解する際に用いられた木炭から吸収された5)。その木炭の炭素の同位体比は樹木を伐採した時点での自然環境中の値を基点としており,樹齢は20~25年である。小鍛冶の工程では,鉄の酸化による減量と脱炭が行われるので,刀等の製品鍛造時には木炭の炭素は鉄中に入らない。

4. 実験方法

4・1 測定試料

試料は,①刀:銘奥和泉守忠重(薩摩国,江戸時代),②脇差:銘助宗(駿河国,室町時代末期),③刀:銘河内守藤原國助(摂津国,桃山時代),④刀:銘越前住播磨大掾藤原重高(越前国,江戸時代)の4種類である。これらの刀身部分を切り出し,差込法(鋼の表面模様がそのまま現れる研ぎ方)で研磨した。Fig.1からFig.4にそれらの写真を示した。

Fig. 1.

 Katana(刀):Okuizuminokami Tadashige (Satsuma, Edo period)(銘奥和泉守忠重(薩摩国,江戸時代))

Fig. 2.

 Wakizashi(脇差):Sukemune (suruga, Muromati last period)(銘助宗(駿河国,室町時代末期))

Fig. 3.

 Katana(刀):Kawachinokami Fujiwara Kunisuke (Settsu, Momoyama period)(銘河内守藤原國助(摂津国,桃山時代))

Fig. 4.

 Katana(刀):Echizen-ju Harima Daijo Fujiwara Shigetaka (Echizen, Edo period)(銘越前住播磨大掾藤原重高(越前国,江戸時代))

試料の洗浄および試料中の炭素を二酸化炭素(CO2)として回収する方法はEnamiら6)が報告している方法に拠った。先ず,試料を金属切断機にて水をかけながら数mm3の大きさに切断した。これを60°Cの1.2NNaOH溶液中に1時間浸し,次いで60°Cの1.2NHCl溶液に5~10分間浸した後,蒸留水で濯いだ。試料を乾燥後,アルミナルツボに入れ,助燃剤の鉄小片(LECO-502-231, LECO Corp., USA)1 gを混ぜた。アルミナルツボは表面の炭素汚染を除くため,前もって電気炉中で1000°C,10時間加熱しておいたものを使用した。試料の入ったアルミナルツボを電気炉中で500°C30分間加熱し,試料表面に残存する可能性のある炭素を含んだ汚れを除去した。この試料をアルミナルツボごと高周波溶解炉(HF-10, LECO Corp., USA)で高純度酸素ガス(純度:CO<0.1 ppm,CO2<0.1 ppm,Total hydrocarbon<0.1 ppm)を毎分100 mlで流しながら4分間加熱し,酸化して試料中の炭素をCO2ガスとして抽出した。真空ライン中で液体窒素とメタノール−液体窒素混合(−100°C)を用いて,抽出した燃焼ガスからCO2を精製して捕集した。そのCO2ガスを高純度鉄粉(>99.99%,Aldrich製,USA)を触媒として高純度水素ガス(99.99999%)と10時間640°Cで反応させ,還元してグラファイトとした。黒鉛で覆われた鉄粉は内径1 mmのアルミニウム製カソードに硬く詰めた。これを炭素同位体分析のためのターゲットのカソード電極として用いた。試料前処理の内,試料の乾燥からCO2ガスの抽出までは名古屋大学で,CO2ガスから黒鉛の精製および試料カソードの作製は日本原子力研究開発機構で行った。

4・2 測定方法

炭素同位体の14C/12C比および13C/12C比の測定は,日本原子力研究開発機構バックエンド研究開発部門東濃地科学センターの加速器質量分析計(JAEA-AMS-TONO)を用いた7,8)

標準物質には米国国立標準・技術研究所(National Institute for Standards and Technoligy;NIST)から供給されているシュウ酸(HOxII, SRM-4990C)を用いた。このシュウ酸について測定された14C/12C比に定数を積し,さらに13C/12C比を用いて炭素同位体分別の補正を行った。これは同位体分別効果と呼ばれており,同位体が取り込まれるときその組成は植物や動物の種類によって異なるために起こる効果である。こうして算出された14C/12C比の値は,西暦1950年が14Cで測定した14C年代(BP)の起点年となることを保障する14C濃度に対応している9)

14Cのバックグラウンド計数は,14Cを含まない標準鉄試料(LECO-501-938, LECO Corp., USA)を用い,試料と同様にして回収したCO2から合成した黒鉛を一連の試料ホルダーの中に入れて同じ条件で測定した。

環境中の14Cは宇宙線の作用により大気中で絶えず形成される一方,放射壊変で消滅し,14CO2ガスとして一定濃度で大気中に存在する。現代炭素の安定同位体と放射性同位体の存在比は12C:13C:14C=0.989:0.011:1.2×10−12である。これが植物や動物に取り込まれ,枯死や死亡すると遺体の中に取り込まれた14C濃度は時間の経過に従って規則的に減少する。大気中の14C濃度は一定と仮定して14C年代を算出した後,木の年輪年代(暦年代)等を基にした較正曲線を用いて14C年代を暦年代に較正する。14C年代の暦年較正ではこれらの影響を補正するために,IntCal13データセット10)とOxCal 4.2.4プログラム11)を用いた。

5. 結果

Table 2にそれぞれの試料の14C年代(BP)と標準偏差(±σ)および可能性の高い暦年代(AD)とそれらの確率を示した。この歴年代の確率は14C年代との相関を示している。Fig.5には,試料1bに関する変換方法を較正曲線として示した。縦軸は14C年代(BP)で横軸は暦年代(AD)である。14C年代の確率密度分布は正規分布関数で現され,14C年代を較正曲線へ投影して交わる年として対応する暦年代が決まる。今,14C年代の確率密度分布の幅を±2σとして較正曲線と交わる範囲を採ったのがFig.中の山である。山の縦軸は確率密度であり,その積分値は1になるように規格化してある。ここでは較正曲線の形状に応じて1648年から1950年まで4個の山が存在する。Fig.6には試料1a,1b,2,3および4についての暦年代範囲と確率密度分布を示した。

Table 2.  Calendar year (cal AD) of the samples from 14C age (BP) measured with AMS using IntCal13 data set10) and OxCal 4.2.4 program11).
No. Name of sample 14C age
(BP ± 1σ)
Calendar year
(AD ± 2σ)
AMS ID
JAEA-AMS-TONO Nagoya Univ.
1a Okuizuminokami Tadashige
(刀銘奥和泉守忠重)
133 ± 19 1678-1765 (34.9%)
1773-1776 (0.5%)
1800-1891 (43.9%)
1909-1940 (16.0%)
JAT-9367 SGTD-1
1b 210 ± 21 1648-1682 (31.1%)
1738-1750 (2.8%)
1762-1803 (44.4%)
1937-1950 (17.2%)
JAT-9368 SGTD-2
2 Sukemune
(脇差銘助宗)
404 ± 20 1440-1498 (88.5%)
1601-1616 (6.9%)
JAT-9370 SKMN-1
3 Kawachinokami Fujiwara Kunisuke
(刀銘河内守藤原國助)
390 ± 20 1445-1516 (80.7%)
1597-1618 (14.7%)
JAT-9371 KNSK-1
4 Echizen-ju Harima Daijo Fujiwara Shigetaka
(刀銘越前住播磨大掾藤原重高)
306 ± 19 1514-1600 (71.7%)
1616-1648 (23.7%)
JAT-9372 SGTK-1

σ: Standard deviation

Fig. 5.

 Calibration of calendar year (cal AD) of the sample 1b from14C age (BP) measured with AMS using IntCal13 data set10) and OxCal 4.2.4 program11): (Left side) Normal distribution of BP of the sample, (Lower distribution) Probability density of calendar year within ±2σ of normal distribution of BP of the sample.

Fig. 6.

 Probability density of calendar year within ±2σ of normal distribution of BP of the samples.

6. 考察

6・1 14C年代と暦年代の再現性

1aと1bは銘奥和泉守忠重の刀から別々に取った試料である。江戸時代の刀であるが,14C年代は試料1aが133±19BP,1bは210±21BPであり標準偏差±σの範囲では一致しない。標準偏差を±2σの範囲に取るとそれぞれ133±38BPと210±42BPとなり誤差範囲で一致する。この違いは,試料を調製する際,細心の注意を払っても新しい年代の炭素が混入することがあるためである。また,これらの14C年代から変換した暦年代は,Fig.6に示すように,試料1aでは1678年から1940年まで主に4個の確率の山が存在し,試料1bは1648年から1950年頃まで主に4個の山が存在する。このように複数の暦年代が示されるのは,較正曲線が単調関数でないためである。したがって,それらの歴年代と刀の銘等から推定される製作年とを比較検討することにより製作年を検証することができる。

6・2 銘奥和泉守忠重の刀の制作年代

奥和泉守忠重は薩摩国の住で,宝永(1704~1711年)の頃の鍛冶である。享保5年(1720年)に63歳で没している12)

Fig.1に示した試料について,刃文は広直刃で少しのたれており,沸(にえ)出来である。地は杢目肌(もくめはだ)である。刃区(はまち)近傍の地肌に「水影」と呼ぶ焼入れの跡があり焼き直した「再刃」か2段に焼入れした「二度焼き」の可能性がある。鎬地(しのぎじ)には太い樋(ひ)が茎(なかご)まで入っている。

試料1aの暦年代は,34.9%の確率で1678-1765年,0.5%の確率で1773-1776年,43.9%の確率で1800-1891年,16.0%の確率で1909-1940年となっている。また,試料1bの暦年代は,31.1%の確率で1648-1682年,2.8%の確率で1738-1750年,44.4%の確率で1762-1803年,17.2%の確率で1937-1950年となっている。忠重の生存していた年代と一致する暦年代は試料1bの最初の確率分布の山の1648-1682年である。木炭の樹齢を考慮すると1680年頃の木炭を使って宝永の初め頃作製した刀である。

6・3 銘助宗の脇差の制作年代

助宗は義助と共に島田物を作る駿河の島田鍛冶である。助宗は3代続いており,初代は明応頃(1492~1501年),2代が永禄頃(1558~1570年),3代が弘治頃(1555~1558年)と伝えられているが,2代と3代が前後しており不自然である。室町時代後期の鍛冶であり,その作は実用刀である。古刀期に入る。初代は久左衛門と称した。茎には助宗の銘があるが製作年は銘切りされていないものが多い。脇差の特徴は,ほとんどが平造りで鎬(しのぎ)が無く,寸法に比較して身幅の狭いものが多い13)

Fig.2に示す脇差は平造りで,茎には「助宗作」と彫られている。茎は相州伝に多い「船形」で,茎尻は「栗尻」と呼ばれる形である。刃文は「沸(にえ)出来」であり地沸が入っている。地は杢目肌である。棟側には短い樋(ひ)が入っている。

試料2は銘助宗の脇差である。14C年代は404±20BPである。較正で得られた暦年代は1440年から1500年の間に確率の大きな範囲(88.9%)が存在する。これは初代助宗で明応頃の作と一致する。

6・4 銘河内守藤原國助の刀の制作年代

河内守藤原國助は4代続いているが,初代は小林甚兵衛と称し攝津に住し,寛永(1624~1644年)頃の大坂刀鍛冶の草分けである。京堀川国広門下である。正保4年(1647年)5月30日に没している。2代國助は延宝(1673~1681年)頃の鍛冶である14)

Fig.3に示した試料の刀は鎬造りである。刃文は匂い出きで,地は小杢目肌,鎬地に柾が少し混じっている。茎は比較的長く細身で刃上り栗尻の形である。これらは初代國助の刀の特徴を現している。茎の銘の文字に特徴があり,元和(1615~1624年)の頃,国広に師事していた時期の初期銘と酷似している。

試料3は銘河内守藤原國助の刀である。14C年代は390±20BPである。較正で得られた暦年代は,1445年から1516年の間(確率:81.12%)と1598年から1619年の間(確率:14.3%)の2つの可能性の範囲が存在する。木炭の樹齢を考慮すると元和の初め頃の作製された初代國助の刀で,後者の歴年代に一致する。

6・5 銘越前住播磨大掾藤原重高の刀の制作年代

越前住播磨大掾藤原重高の銘は数代ある。初代は寛永(1624~1644年),2代は寛文(1661~1673年),3代は元禄(1688~1704年),以下数代続く。技量は初代が最も高いが刀は少なく,平造の脇差が比較的多い。茎尻は先が浅い栗尻である。銘振りは一般に堅詰りで太鏨で彫られている。これに対し2代は銘字がやや縦長となって角ばり細鏨のものが多い15)Fig.4に示した試料は,研ぎで刃がほとんどなくなっている。沸出来で,地は板目である。鎬造りの刀で栗尻は浅くない。銘は縦長で細く角ばっており,2代目の作風が強く現れている。

試料4は銘越前住播磨大掾藤原重高の刀である。14C年代は306±19BPである。較正で得られた暦年代は1513年から1601年の間(確率:72.2%)と1616年から1647年の間(確率:22.6%)の2つの可能性の範囲が存在する。木炭の樹齢を考慮し茎尻の形と銘の特徴から本試料は寛文の初め頃の2代目重高の作で,後者の歴年代に一致する。

7. 結言

和鉄では,製鉄を行ったたたら製鉄炉あるいは脱炭を行った大鍛冶炉で,使われた木炭から銑や鋼に炭素が吸収される。したがって,14Cで測定された刀の暦年代は使われた和鉄が製造された年を表わしている。木炭の製造に用いた樹木の樹齢は20~25年なので,14C年代から変換した暦年代は刀の製作年より早い時期でなくてはならない。また,刀の銘は代々続くものがあり,贋作もある。刀の茎に刻まれた作者名などから推定される製作年と暦年代を比較して,その製作年を検証する必要がある。

謝辞

本研究を遂行するにあたり,刀剣試料を提供して頂いた鈴木卓夫氏,研ぎを行って頂いた吉田秀雄氏および刀剣表面の写真を撮影して頂いた藤代興里氏に感謝する。

文献
 
© 2016 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/
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