鉄と鋼
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鋼/MnS境界部の電気化学特性解明とステンレス鋼の耐孔食性向上技術
武藤 泉 千葉 亜耶東城 雅之菅原 優原 信義
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2019 年 105 巻 2 号 p. 207-214

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Synopsis:

This paper presents an introduction to the electrochemical properties at the boundary between MnS and steel matrix of Type 304 stainless steel. It starts with the information about the corrosion mechanism from trenching to pitting at the boundary. The proposed mechanism is as follows: 1) MnS dissolution leads to the deposition of elemental sulfur on and around the inclusions; 2) the coexistence of S and Cl ions results in the dissolution of the steel matrix side of the boundary, forming the trenches along the periphery of the inclusions, 3) rapid active dissolution occurs locally at the bottom of the trenches, because of the decrease of pH due to the hydrolysis reaction of Cr3+ and the electrode potential decrease at the bottom of the trench due to ohmic drop. The prevention of MnS dissolution is effective to inhibit the pit initiation. The oxide film was found to be generated on the MnS inclusions by the exposure to humidified air for 30 and 90 days, and it was confirmed that the oxide films effectively inhibit the inclusion dissolution and the trench formation at the boundaries, making the inclusions less active as the initiation sites for pitting. The suppression of the active dissolution of the steel matrix is also effective to prevent the pitting. No pit initiation occurred at the MnS inclusions in low-temperature carburized stainless steels. It was clarified that the interstitial carbon sufficiently inhibits the active dissolution rate of the steel matrix.

1. 緒言

ステンレス鋼は,Feに約12 mass%以上のCrを添加したFe基合金であり,産業・社会基盤を支える重要な耐食材料である1)。雨水や化学薬品などに対して,優れた耐孔食性を示す。これは,厚さ数ナノメートル(nm)の不働態皮膜と呼ばれるCrの酸化物もしくは水和オキシ水酸化物を主成分とする保護皮膜が,鋼の表面に形成されるためである。しかし,このような不働態化した状態であっても,塩化物イオン濃度が高い環境では,孔食やすき間腐食などの局部腐食が発生する場合がある。局部腐食のなかでも,孔食は金属表面に孔状の侵食(ピット)が生じる現象であり,最終的にはピットが金属板などを貫通することもあり危険な腐食損傷である。

MnSに代表される硫化物系介在物は,ステンレス鋼の孔食の起点になることが知られている2,3)。しかし,実用ステンレス鋼において,介在物を皆無にすることは経済的にも技術的にも困難である4)。このため,介在物の組成や形態などを制御することで,ステンレス鋼の耐孔食性を向上させることが試みられている。このための基礎研究として,介在物の電気化学特性と耐孔食性との関係解明は,重要である57)

著者らは,2011年10月より4年6か月の間,産学共創基礎基盤研究プログラム「革新的構造用金属材料創製を目指したヘテロ構造制御に基づく新指導原理の構築」に参画し,塩化物水溶液中におけるステンレス鋼を対象に,鋼/MnS介在物ヘテロ界面の電気化学特性解明と高耐食化原理の導出に取り組んだ。本稿では,この研究から得られたMnS介在物を起点とする孔食の発生機構と防止策を紹介すると共に,国内外の最新の研究動向を概観し,残された研究課題と今後の展望を述べたい。

2. MnS介在物起点の孔食発生

2・1 ステンレス鋼本来の耐孔食性

Fig.1aに,298 Kの0.1 M NaCl水溶液中における微量S添加型Fe-18Cr-8Niステンレス鋼(SUS304,S:0.0265 mass%)の動電位アノード分極を示す(M:mol L−1,以下同様)。試験面としては,約200 µm×約300 µmの微小な領域を使用し,試験面内にMnS介在物が存在する場合と存在しない場合の二通りで比較を行った8,9)Fig.1bは,試験前のMnSの光学顕微鏡写真である。介在物が存在する場合の試験では,試験面に存在していたMnSは,ここに示した2個のみであった。Fig.1cと1dは,介在物が存在しない場合の試験前後の試験面全体のようすである。Fig.1aに示すように,いずれの試験面の場合にも,約−0.2 V(電位基準:Ag/AgCl,3.33M KCl,以下同様)から23 mV min−1で電位を高くしていく動電位アノード分極曲線を計測した。開始直後はカソード電流(還元電流)が計測されるが,約−0.1 Vを境にしてアノード電流(酸化電流)が計測された。−0.1 V付近から0.3 Vまでの電流変化は,試験片表面が不働態化していることを示すものである。MnSが存在する場合には,0.3 V付近で若干電流値が増加するが,これはMnSの電気化学的な溶解によるものである1012)。その後,このMnS溶解域内の電位である0.41 Vと0.51 Vにおいて,大きな電流密度の増加が観察された。0.41 Vの際は,上昇した電流密度がすぐに低下した。しかし,0.51 Vの時には,そのような兆候はなく,電流密度は電位と共に急激に上昇を続けた。前者はいったん発生したピットが自然に不働態化し腐食が停止する再不働態化性ピット(metastable pit)であり,後者は成長性ピット(stable pit)の発生に対応した現象である。これに対し,MnSが存在しない領域を試験面とした場合には,電位を高めていっても不働態皮膜の膜厚増加に対応した緩やかな電流増加が現れるのみで孔食は発生しなかった(Fig.1d参照)。この実験の試験片は通常の真空溶解で作製したSUS304であり8,9),特別な製造方法のものではない。すなわち,超高純度化やアモルファス化などの特別な処理を施すまでもなく,ステンレス鋼は非常に優れた耐孔食性を有していることが分かる。なお,炭素鋼においても,MnSを含まない微小領域は常識を越えるレベルの高い耐孔食性を示すことが,Kadowakiらにより報告されている13,14)

Fig. 1.

(a) Micro-scale polarization curves for a small area with and without MnS inclusions of re-sulfurized Type 304 stainless steel measured in 0.1 M NaCl at 298 K8,9). (b) Optical microscopy image of MnS inclusions in the electrode area before polarization8). Optical microscopy images of the electrode area without MnS inclusion (c) before and (d) after polarization. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 159(2012), C341 and J. Electrochem. Soc., 160(2013), C511. Copyright 2012-2013, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

2・2 MnS起点の孔食発生機構

ステンレス鋼が有する優れた耐孔食性を引き出す手段を考案することを最終目的として,多くの研究者によりMnS起点の孔食発生機構の解明が試みられてきた。その結果,中性領域のpHのNaCl水溶液においては,MnS介在物全体が溶出してから,その溶出孔を起点として鋼がピット状に溶解する訳ではないことが明らかにされている。孔食が発生した後もMnSの大部分は残存しており,溶解は鋼/MnS境界部に集中的に起こり溝(trench)が形成される。そして,この溝の部分にピットが生じることが明らかにされている15,16)Fig.2は,先に示したFig.1の実験で生じた再不働態化性と成長性のピットの光学顕微鏡と走査型電子顕微鏡による観察結果である8)。いずれの場合もMnS介在物の表面は溶解しているが,大部分が残存していることが分かる。鋼/MnSの境界部に,幅1 µm以下の溝が形成されており,ピットは鋼と介在物との境界部に生じていることも確認することができる。

Fig. 2.

(a) Optical microscopy image of the electrode surface with MnS inclusions after the polarization shown in Fig.1. SEM images of (b, c) the metastable pit and (d, e) the stable pit. (c, e) The bottom half of the images show the FIB cross-section. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 159(2012), C341. Copyright 2012, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

鋼/MnS境界部での溝形成に関しては,1)境界部にCr欠乏帯などの鋼母地よりも溶解しやすい組成変化領域が存在する17),2)ステンレス鋼の圧延工程で既に空隙(溝)が生じている16),3)MnSの溶解生成物により鋼が溶解して生じる18),などの機構が提案されている。Cr欠乏帯に関しては,2002年にRyanら17)により提案された機構であるが,複数の研究グループにより検証が行われた結果,一般的なメカニズムとは考えにくいことが示されている1921)。2)に関しては今後の検証が必要であるが,潤滑が不足した条件で厳しい伸線加工を行ったためではないかと考えられる。著者らは,3)の機構の立場である。Fig.3は,MnS介在物の半分を樹脂被覆で覆い,残りの部分を0.4 Vで定電位分極した際の鋼/MnS境界部の溶解形態である9)。試験終了後に有機溶剤で樹脂を剥離し,境界部のどちら側が溶解しているのかを調査した。Na2SO4水溶液はNaCl水溶液とほぼ同じpHであるが,塩化物イオンを含まないため孔食を引き起こさない溶液である。Fig.3において,Na2SO4の場合には,MnS表面は溶解しているが鋼は溶解していない。これに対し,NaClの場合には,鋼/MnS境界部の鋼側も溶解している。これらの結果より,MnSの溶解生成物が塩化物イオンと共存すると,鋼を侵食する作用が現れるのではないかと考察される。鋼/MnS境界部から離れた位置では,MnS溶解生成物の濃度が低下する。このため,鋼の溶解(脱不働態化)は境界部に限定され,溝状の侵食になるものと考えられている9)

Fig. 3.

SEM images of the areas with MnS inclusions after potentiostatic anodic polarizations at 0.4 V in (a) 3 M NaCl and (b) 0.1 M Na2SO4. One-side of the inclusions were masked before the polarization with an epoxy resin, and the masking resin was removed after the polarization before then SEM observation. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 160(2013), C511. Copyright 2013, The Electrochemical Society.

MnSの溶解生成物としては,SO42−,HSO3,S2O32−,S,H2S,HSなどが提案されている2229)。著者らもin situレーザーラマン分光光度計を使い分析を行った。その結果,SがMnS表面および鋼/MnS境界部から検出された9)。これは,MnS介在物が

  
2MnS+3H2O2Mn2++S2O32+6H++8e(1)

の反応25)に従って電気化学的に溶解し,生成したS2O32−とH+が,

  
S2O32+2H+S+SO2+H2O(2)
  
S2O32+6H++4e2S+3H2O(3)

などの反応により,Sを生成したものと推察される3032)

Fig.4は,ClイオンとSとの共存が,鋼の脱不働態化を引き起こすか否かを検証した結果である9)。Sは粉末試薬として入手可能であるが,乾燥状態のS粉末を水溶液に懸濁させることは困難である。そこで,NaCl水溶液にNa2S2O3を溶解し,この水溶液のpHをHClの添加により低下させることで,(2)式に基づいてSが懸濁したNaCl水溶液を作製した。そして,試験片としてはS量が低いSUS304(S:0.0002 mass%)の動電位アノード分極曲線を計測した。その結果,S懸濁NaCl水溶液では,pH 3.5であっても低い電位域から大きな電流増加(活性溶解)が観察され,SUS304は自然浸漬状態において脱不働態化が生じていることが示された。一般に,SUS304の脱不働態化pHは298 KにおいてpH 1以下であり,Fig.4に示した脱不働態化はSとClイオンの共存が引き起こしたものと判断される。さらに,このS懸濁NaCl水溶液をメンブレンフィルタで濾過した溶液中では,pHが3.5であっても不働態化することが確認された9)。この結果より,著者らは,MnSは鋼の脱不働態化を促進する化学種の供給源であると捉えている。

Fig. 4.

Macro-scale polarization curves of Type 304 stainless steel in non-filtered 3 M NaCl-1 mM Na2S2O3 at pH 3.5 (sulfur suspension) and in filtered 3 M NaCl-1 mM Na2S2O3 at pH 3.5. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 160(2013), C511. Copyright 2013, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

Fig.5に,著者らが提案しているMnS介在物を起点とする孔食発生機構を示す6,9)。ステンレス鋼の不働態域において,MnS介在物が電気化学的に溶解するとSが生成する。このSはClイオンが存在する水溶液中では,ステンレス鋼に脱不働態化をもたらす。S濃度が高くなりやすい鋼/MnS境界部が特に深く侵食され,溝が形成される。溝はMnSの全周に形成されるが,一般にMnSの形状は不規則なため,溝の深さや幅は場所ごとに異なる。溝内部では,鋼から溶出したCr3+の加水分解によるpH低下と,溶解電流と溶液の電気抵抗による電位低下(オーミックドロップ)が生じる。この二つの要因により,溝の底部には,溝形成の溶解速度よりも大きな速度の活性溶解領域が局部的に発生する。この局部的で大きな溶解速度の活性溶解域が,ピットであると考えられる。

Fig. 5.

Schematic illustration of the pit initiation mechanism at MnS inclusion in stainless steels. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 160(2013), C511. Copyright 2013, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

発生したピットが再不働態化するか,継続的に成長するかは,溝の深さによって決まるものと考えられる。すなわち,浅い溝の底部に発生したピットは,ピットの内部溶液が沖合の水溶液と混ざりやすく,pHの上昇による自発的な再不働態化が起こりやすい。これに対し,深い溝では,内部液の希釈が起こりにくく成長性ピットとなるものと考えられる9)。このように,MnSを起点とする孔食は,塩化物イオンによる不働態皮膜の局部的な破壊による孔食発生33)とは大きく異なる機構で生じているものと考えられる。

以上のように,ステンレス鋼におけるMnS介在物起点の孔食発生は,介在物の溶解生成物が引き起こす現象である。このため,硫化物系介在物の組成を変化させて介在物の溶解を防止したり,溶解生成物に対する母相の耐食性(耐脱不働態化特性)を向上させたりすることにより,耐孔食性を向上させることが可能であると考えられる。

2・3 今後の研究課題

アノード分極下でMnS全体が溶解せずに,大部分が残存する原因は不明である。Lillardらは,鋼中に微量存在しているCuがMnSの溶解に伴ってMnS表面に析出し,MnS表面が不働態化すると考えている16)。著者らは,ステンレス鋼のMnSは約10 at.%のCrを固溶した(Mn,Cr)Sであり34,35),MnSの溶解に伴い介在物の表面付近の組成が(Mn,Cr)SからCrSに変化し,さらにCr酸化物を主成分とする皮膜が介在物表面を覆い,それ以降の溶解を防ぐためであると考えている36)。MnSの大部分が残存する理由には,MnS表面を効率的に不働態化させる化学種や新しい表面改質法に関するヒントが隠されていると思われる。このため,その全容解明が期待される。

ステンレス鋼中のMnS介在物は,p型の半導体であると言われている。一般に,金属と半導体が接触するとフェルミ準位の高い方から低い方に電子が移動する。このため,価電子帯と伝導帯からなるMnSのバンド構造は,鋼/MnS界面において湾曲しているものと思われる。湾曲の状態により,電荷の移動に対してポテンシャル障壁が生じる場合と,障壁が事実上存在しない場合がある37)。これは,鋼/MnS界面の溶解を考えるうえで重要な要因であるが,界面付近の電子状態は不明である。さらに,半導体であるMnSが水溶液に電気化学的に溶解する反応は,本来,バンドギャップの大きさや,フェルミ準位がバンドギャップのどの位置に存在するのかなどの電子論的な観点から考察する必要がある37)。鋼/MnS界面さらにはMnS/水溶液界面の電子エネルギー構造の解明が望まれる。これらは,MnSへの微量元素添加(ドーピング)による溶解防止技術の可能性を探るためにも,重要な研究課題である。また,ステンレス鋼中のMnS介在物の溶解特性は全く同一という訳ではない。ある程度のバラツキがあり,MnSのなかにアノード分極下でも溶けにくいものもある38)。MnS介在物ごとの耐溶解性の差異の原因を詳細に把握することも大切な研究課題である。

塩化物イオンなどのハロゲン化物イオンは,ステンレス鋼に孔食をもたらす有害なイオンである。ピット内のような酸性環境において,塩化物イオン濃度が高い場合,塩化物イオンは純Feの活性溶解を促進することが示されている39)。この際,FeCl+adやFe(OH)Cladなどの吸着中間体が重要な役割を担うと考えられているが40,41),MnSの溶解生成物の影響を含めたFe基合金の活性溶解機構の研究を系統的に行う必要があると思われる。CrやNiに加え,微量元素の効果を解析することで,耐孔食性に優れる革新的な耐食鋼材を開発できる可能性があると思われる。

3. MnS起点の孔食防止技術

3・1 介在物の耐溶解性の改善

Fig.5に示した孔食発生機構に従うと,MnS自体の溶解を抑制しSの生成を抑制することが耐孔食性を高める有効な手段の一つである。著者らは,MnSの表面に酸化皮膜を形成することで,耐孔食性が向上するのではないかと考え研究を行った42)。微量S添加型SUS304(S:0.0215 mss%)を鏡面研磨した後に,相対湿度50%の298 Kの大気中に1日,30日,90日間放置して,表面皮膜の厚さとステンレス鋼の耐孔食性との関係を調査した。Fig.6はオージェ電子分光法とAr+イオンスパッタリングを使用して計測したMnS介在物と鋼の表面酸化皮膜の厚さの経時変化である42)。湿潤大気中で30日以上の曝露を行うと,MnSの表面酸化皮膜は厚さがほぼ2倍になる。Fig.7は,この湿潤大気曝露に伴う耐孔食性の変化を計測した結果である42)。MnS介在物を含む微小領域の3 M NaCl水溶液中での動電位アノード分極曲線と試験前後のMnS介在物のようすである。研磨後1日の場合には,0.35 V付近で成長性ピットが生じる。これに対し,30日後と90日後では再不働態化性ピットは生じるものの成長性ピットは発生しなかった。高温水蒸気による皮膜形成などを検討することで,より高い孔食抑制効果を短時間処理により達成できる可能性もある。

Fig. 6.

Changes in thicknesses of oxide film on MnS inclusion and Type 304 stainless steel matrix as a function of exposure period in air at 298 K and 50% RH42). Reproduced with permission from Elsevier. (Online version in color.)

Fig. 7.

Micro-scale polarization curves of re-sulfurized Type 304 stainless steel exposed to air at 298 K and 50% RH for (a) 1 day, (b) 30 days, and (c) 90 days measured in 3 M NaCl42). Optical microscope images of MnS inclusions in the electrode areas (d-f) before and (g-i) after the polarization; exposure periods were (d, g) 1 day, (e, h) 30 days, and (f, i) 90 days. SEM images of MnS inclusions in the electrode areas after the polarization; exposure periods were (j) 1 day, (k) 30 days, and (l) 90 days. Reproduced with permission from Elsevier. (Online version in color.)

ところで,MnSと同じ硫化物系介在物であっても,CrS,TiS,Ti4C2S2などは介在物起点の孔食が生じにくいことが知られている3,18,43)。この理由は,介在物の表面に形成される酸化皮膜の電気化学特性の違いにより統一的に説明することができる。CrSの表面にはCr2O3が,TiSとTi4C2S2の表面にはTiO2を主成分とする皮膜が形成されていて,これが介在物の溶解を防止している44,45)Fig.8は,動電位アノード分極曲線により介在物起点の孔食発生の電位を比較したものである。MnSの場合,0.2 V付近の比較的低い電位で孔食が発生するが,CrSの場合には,そのような低い電位域では孔食は起こらない。これは,比較的低い電位域でCr2O3が熱力学的に安定なためである。しかし,CrSはステンレス鋼の過不働態域である約1 Vにおいて孔食の起点となる。これは,Cr2O3中のCr成分が6価のイオン種として溶解し,CrSの表面皮膜が溶解・消失するためである。これに対し,TiO2は,このような高い電位域においても溶解しない。このため,TiSとTi4C2S2は広い電位範囲で耐孔食性に優れることになる。この考えに基づくと,MnSとの間に大きな溶解度(固溶限)を有し,熱力学的に安定な酸化皮膜を形成する元素を見出すことができれば,MnSの溶解を防止し耐孔食性を高めることが可能であると思われる。

Fig. 8.

Comparison of micro-scale polarization behavior for a small area with MnS, CrS, or Ti4C2S2 in NaCl solutions at 298 K. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 156(2009), C55. Copyright 2009, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

3・2 MnS溶解生成物に対する鋼の耐溶解性改善

鋼の溶解速度を低減し,鋼/MnS境界の溝状の溶解を防止することも,MnS起点の孔食を防止する方策として効果的である。鋼の溶解速度を低減するためには,NiやMoを多量に添加しステンレス鋼を高合金化することが効果的である。しかし,この手法は省資源化の流れに逆行するものである。そこで,著者らは炭素(C)に着目して研究を行った46)。固溶Cには,ステンレス鋼4752)や炭素鋼14,53)の活性溶解の速度を低減する作用が期待され,耐孔食性向上元素として近年注目されている。

Fig.9は,SUS304(S:0.0002 mass%)に低温ガス浸炭54)を施した場合と未処理材における活性溶解の速度を,S懸濁NaCl溶液中で比較したものである46)。低温ガス浸炭は470°Cで行い,Cr炭化物などが析出していないことは確認している。また,浸炭層の平均C濃度は,2.6 mass%であった46)Fig.10から分かるように,低温ガス浸炭により活性溶解の速度が低減しており,MnS起点の孔食を抑制できる可能性があると考えられる。Cの溶解生成物であるCO32−イオンを溶液に加えても活性溶解速度は低下しない。このことから,固溶Cが鋼の活性溶解を抑制しているものと結論づけられる。

Fig. 9.

Macro-scale polarization curves of (a) untreated and (b) carburized low-sulfur Type 304 stainless steels measured in 3 M NaCl-1 mM Na2S2O2 at pH 3.0 (sulfur suspension). (c) Macro-scale polarization curve of untreated low-sulfur Type 304 stainless steel in 3 M NaCl-1 mM Na2S2O2-0.1 M Na2CO3 at pH 3.0. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 160(2015), C270. Copyright 2015, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

Fig. 10.

Micro-scale polarization behavior for a small area with the MnS inclusion in carburized or untreated re-sulfurized or Type 304 stainless steel measured in 0.1 M NaCl at 298 K. Reproduced with permission from J. Electrochem. Soc., 160(2015), C270. Copyright 2015, The Electrochemical Society. (Online version in color.)

Fig.10は,0.1 M NaCl水溶液中における微量S添加型SUS304(S:0.029 mass%)のMnSを含む微小領域の動電位アノード分極曲線である。いずれの試験片でも,0.3 V付近に,MnSの溶解による小さな電流増加が見られるが,低温ガス浸炭材では成長性の孔食は発生しない。試験後の観察の結果,いずれの試験片でもMnSの表面が溶解し,鋼/MnS境界に溝が形成されていたが,低温ガス浸炭材では溝形成が軽微であることが確認された46)。活性溶解の速度が小さいため,溝があまり深くならず,その結果,成長性ピットが生じなかったものと判断される。このように鋼の活性溶解速度を低下させることにより,MnS起点の耐孔食性が向上することが示されている。最近では,プラズマ低温浸炭と酸洗処理を組み合わせることで,SUS304の耐孔食性を飛躍的に向上させる技術も提案されている52)。ところで,Chibaらは,固溶Cの導入により,鋼を構成している原子間の結合状態が微妙に変化し,活性溶解の速度が低下しているのではないかと考えている53)。著者らも同様の見解であるが,詳細は不明である。今後,第一原理計算などにより,詳細が明らかになることを期待したい。

4. 結言

著者らの研究成果を中心に,国内外の研究例を概観しながら,ステンレス鋼のMnS介在物を起点とする孔食発生機構と防止策についてレビューを行った。なお,MnS介在物起点の孔食の防止策としては,薬液による介在物の除去や,インヒビターの添加も非常に有効である55,56)

ところで,本稿で紹介した著者らの研究成果は,微小な試験面を用いた分極曲線の計測57,58)から得られたものである。2000年以降,水溶液腐食の分野においては,直径100 µmほどの微小領域の電気化学的特性の解析が広く行われるようになってきた。実用材料には非金属介在物,析出物,結晶粒界などの多くの不均一要因が存在しており,これら個々の電気化学特性の把握が材料全体の腐食現象を理解するために有効なためである。さらに,近年,原子間力顕微鏡の走査スピードが格段に高速化し,腐食反応に伴うナノメートルオーダーでの表面形態の変化を,水溶液中で,しかもリアルタイムに近い速度で観察できるようになりつつある5961)。今後数年の間に,腐食現象を解析する視点が,マイクロメートルからナノメートルのレベルへと急速に微小化することが予想される。本稿が,ナノレベルでの腐食現象解析と,それを生かした革新的な耐食鋼開発の一助となれば幸いである。

文献
 
© 2019 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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