鉄と鋼
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論文
飛行時間型二次イオン質量分析法を用いた旧オーステナイト粒界におけるホウ素の分布状態測定
石川 恭平 中村 浩史藤岡 政昭星野 学高橋 淳川上 和人
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2020 年 106 巻 6 号 p. 321-330

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Abstract

To understand the effect of Fe23(C,B)6 precipitation on hardenability of boron (B) added low carbon steels, we investigated the distribution of B at prior austenite grain boundaries by the advanced analysis using time-of-flight secondary ion mass spectrometry (ToF-SIMS). The Mo-B combined steel which has no precipitation of Fe23(C,B)6 showed flat intensity profiles of BO2 ions at prior γ grain boundaries, while the B added steel showed the decrease in signal intensities of BO2 ions at the prior γ grain boundary between two Fe23(C,B)6 precipitates. The results suggested that “solute B depleted zone” is formed near the precipitates and the Fe23(C,B)6 precipitation promotes ferrite transformation not only by assisting itself but also by forming the solute B depleted zone.

1. 緒言

ホウ素(以下B)は10 ppm程度の極微量の添加により鋼の焼入性を著しく向上させるため,高強度鋼の製造において有用な元素である1,2)。焼入性向上に寄与するのは変態前のオーステナイト(以下γ)粒界に偏析した固溶B35)であり,BNやFe23(C,B)6といったBの析出物が生成した場合,Bの焼入性向上効果は減少する610)。したがって,Bの焼入性向上効果の活用においてはBの析出物の生成抑制による固溶Bの確保が重要であり,BNの析出抑制のためには,チタン(以下Ti)やアルミニウム(Al)を添加し,鋼中に固溶した窒素(以下N)を化合物として固定する方法が知られている11,12)。一方,Fe23(C,B)6については,モリブデン(以下Mo)やニオブ(以下Nb)の添加がFe23(C,B)6の析出抑制に有効であることが知られているものの,従来は粒界に偏析した固溶元素の定量的な測定が困難であったため,MoやNbがFe23(C,B)6析出に与える影響やFe23(C,B)6析出が変態に与える影響についてはいまだ不明な点が多い10,1315)

近年,三次元アトムプローブ(以下3DAP)1618)や,球面収差補正走査透過型電子顕微鏡(STEM)と電子エネルギー損失分光法(EELS)19)の組み合わせといった測定手法の発展により,粒界に偏析した固溶Bの定量測定が可能となってきている。著者らも前報17)において3DAPによるB添加鋼の粒界偏析元素の測定を実施し,Mo添加によってFe23(C,B)6析出が抑制されている場合の焼入性は,粒界に偏析した固溶B量およびMo量で整理できることを明らかにした。一方前報17)では,Fe23(C,B)6が析出した場合には,粒界に偏析した固溶B量から推定されるよりもさらに焼入性が低下する現象が観察され,Fe23(C,B)6による変態促進効果の存在が示唆された。Fe23(C,B)6による変態促進効果としては,これまでFe23(C,B)6γの非整合界面8,20)やC欠乏層の生成8,9)によってFe23(C,B)6自体が変態核として機能している可能性が指摘されている。しかしながら,Fe23(C,B)6の析出数密度の低い析出初期においても,γ/α変態の抑制効果が著しく低下するとの報告10)もあり,Fe23(C,B)6が変態核として機能する以外に,析出に伴って粒界に偏析する固溶Bが枯渇あるいは大きく減少している可能性がある。

Fe23(C,B)6析出に伴う粒界に偏析した固溶Bの枯渇や減少を観察し,定量化するためには,変態前のγ粒を複数個含むような広い測定視野内のBの分布状態を測定する必要があり,局所的な測定手法である3DAPは不向きである。そこで本研究では,電子線後方散乱回折(以下EBSD)によって,変態後の金属組織から変態前γの粒界であった位置(以下旧γ粒界)を推定し,旧γ粒界を複数含む広範囲にわたって飛行時間型二次イオン質量分析(以下ToF-SIMS)によるBの分布状態を測定し,Fe23(C,B)6の析出に伴う粒界偏析Bの存在状態と焼入性(変態挙動)の関係を調査した。

2. 実験方法

2・1 供試鋼

本研究の供試鋼は著者らが前報17)において3DAP測定に用いたものと同一の試料である。供試鋼は,Table 1に示す化学成分の鋼を真空溶解により作製した。Fe-0.15C-1.3Mn(%)を基本成分とし,Bを約10 ppm添加した10B鋼,0.5%のMoと10 ppmのBを複合添加した05Mo10B鋼の2鋼種である。本論文では,断りが無い限り濃度は質量濃度で表記する。いずれもBNの析出を抑制するためにTiを添加して固溶NをTiNとして固定している。いずれの供試鋼も50 kgインゴットに鋳造し,1250°C×3600 s加熱後に板厚35 mmまで熱間圧延を行い,空冷後に8 mmφ×12 mmの試料を採取した。試料は1200°C×600 sでの溶体化処理後に,950°C×20 sで再加熱した後,5°C/sで冷却し,650°CからHeガスにより急冷した。これにより650°CにおけるBの偏析・析出状態を調査できると考えており,このような熱履歴を経た供試鋼の状態について,これまでの著者らの研究で調査した結果17,21)を次節で述べる。

Table 1. Chemical composition of test steels.
(mass%, *mass ppm)
No.CSiMnP*S*AlTiMoB*N*O*
10B0.150.271.32<20180.0190.018107<10
05Mo10B0.150.281.28<20210.0180.0200.5097<10

2・2 熱履歴を経た10B鋼と05B10B鋼の状態

本研究で用いた試料の冷却条件の位置付けを明確化するために,これまでの著者らの研究で調査した本供試鋼の変態挙動をFig.1に,650°Cから急冷した場合のBの固溶・析出状態をTable 2に示す17,21)Fig.1の変態挙動は加工フォーマスタ試験機により測定した。8 mmφ×12 mmの試料を950°C×20 s加熱後に各冷却速度で室温まで冷却した時の10%変態開始温度(以下変態温度)を測定した。Fig.1中には比較のために,基本成分が10B鋼,05Mo10B鋼と共通で,B,Moともに非添加のベース鋼(Base),およびベース鋼に0.5%Moを添加した05Mo鋼の変態温度も記載している21)Fig.1(a)はMo非添加(Mo-free)の場合の変態挙動に与えるBの効果を示している。10B鋼の変態温度は冷却速度の低下に伴って著しく上昇し,0.5°C/s以下の冷却速度ではベース鋼の変態温度とほぼ一致している。すなわち固溶Bによる焼入性向上効果は冷却速度の低下に伴い消失する。一方,Fig.1(b)はMo添加(0.5%Mo)の場合の変態挙動に与えるBの効果を示しているが,05Mo10B鋼では冷却速度が低下した場合でも05Mo鋼と比べて変態温度は顕著に低い。これは,Mo非添加(Mo-free)と異なり,Mo添加(0.5%Mo)材では固溶Bによる焼入性向上効果は冷却速度が低下した場合でも消失しにくいことを意味する。

Fig. 1.

Transformation start temperature21). (a) Base and 10B steels, (b) 05Mo and 05Mo10B steels.

Table 2. Observation results of precipitation and interfacial excesses of B segregating at the prior austenite grain boundaries17,21).
MaterialCooling rate (ºC/s)Amount of B precipitated (ppm)Precipitated phases at grain boundariesAmount of interfacial excess B (/nm2)
10B300.5Fe23(C,B)6
(Size: 0.1~0.5 μm)
5.3
50.9Fe23(C,B)6
(Size: 0.3~1.5 μm)
4.4
05MoB10300.4No boride5.7
50.3No boride7.3

Table 2には650°Cまで30°C/sと5°C/sで冷却し,急冷した場合の10B鋼と05B10B鋼のB析出量,B析出物の種類,および粒界に偏析した固溶B量を示す。ここで,B析出量は電解抽出残渣,B析出物種の同定はTEM,粒界に偏析した固溶B量(interfacial excess)は3DAPで測定している。10B鋼では30°C/sから5°C/sへの冷却速度の低下に伴いFe23(C,B)6の析出量が0.5 ppmから0.9 ppmへ増加し,3DAPで測定した粒界に偏析した固溶B量が5.3/nm2から4.4/nm2に減少するのに対し,05Mo10B鋼では30°C/s材,5°C/s材いずれにおいてもFe23(C,B)6は析出しておらず,冷却速度の低下に伴って偏析量は5.7/nm2から7.3/nm2にむしろ増加した。本研究で用いた試料は5°C/s材であるため,10B鋼ではFe23(C,B)6の析出に伴って粒界に偏析した固溶B量が減少しているのに対して,05Mo10B鋼ではFe23(C,B)6は析出しておらず,粒界の固溶B量が10B鋼に対して高い状態といえる。

Fe23(C,B)6の変態促進効果を定量的に示すために,Table 2の数値を元に粒界に偏析した固溶B量と変態温度の関係を図示したものがFig.2である。Fig.2の縦軸はベース鋼の変態温度と各鋼種の変態温度の差である。Fig.2(b)に示す05Mo10B鋼の場合,3DAPで測定した粒界に偏析した固溶B量の増加に伴ってBの変態抑制効果は増加した。単位偏析量当たりの固溶Bの変態抑制効果は,Fig.2(b)中に示した05Mo鋼と05Mo10B鋼の点を結ぶ直線の傾きに相当するとみなすと,冷却速度が30°C/sの場合と5°C/sの場合でいずれも約27°C/(/nm2)である。10B鋼では,Fe23(C,B)6析出の少ない30°C/s材から推定される単位偏析量当たりの固溶Bの変態抑制効果は44°C/(/nm2)である。しかしながら,10B鋼の5°C/s材の変態抑制効果は50°C程度であり,粒界に偏析した固溶B量4.4/nm2から推定される194°C程度(=4.4/nm2×44°C/(/nm2))の変態抑制効果に対しては著しく低く,3DAPで測定した局所的な粒界の偏析固溶B量だけでは変態挙動が説明できないことがわかる。そこで今回はFe23(C,B)6が析出した状態の粒界のBの分布状態を詳細に調査するために5°C/sで冷却した場合の10B鋼と05Mo10B鋼についてToF-SIMSによりBの旧γ粒界におけるマクロなBの固溶・析出状態を統計的に調査し,変態挙動との関係を調査することとした。

Fig. 2.

The relation between effect of boron on hardenability and amount of boron at the prior austenite grain boundaries. (a) 10B steel and (b) 05Mo10B steel.

2・3 旧γ粒界上のBの存在状態の調査方法

EBSD測定結果から,ベイナイト,マルテンサイト組織のバリアント自動解析プログラム22)を用いて,変態前のγの結晶方位を再構築し,旧γ粒界を求めた。次に,同一観察視野にてToF-SIMS測定を実施した。なお,EBSDおよびToF-SIMS測定位置は,Table 2に記載の3DAP測定位置17)と同一箇所である。ToF-SIMS測定はION-TOF社製のTOF. SIMS5を用い,一次イオンとしてBi+を使用し,Bを含む二次イオンとしてBO2-(質量電荷比m/z=43)を検出した2326)。一次イオンのビーム径は0.1 µmであり,測定前に試料表面の汚染層をCsイオンビームでスパッタリング除去した。300 µm×300 µm視野を2048×2048画素でToF-SIMS測定し,得られたマップデータを256×256画素にビニングした。EBSDのγの結晶方位の再構築像から推定されるγ粒界の形態をもとに,旧γ粒界に対応する位置におけるToF-SIMS測定の数値データを読み取ることで,旧γ粒界上のBの存在状態を調査した。測定対象としては平均γ粒径約30 µmに対して十分な旧γ粒界の長さとして300 µm,γの結晶方位の組み合わせとして20種類程度の粒界を測定した。これらの旧γ粒界から信号強度を抽出し,10B鋼と05Mo10B鋼で信号強度分布を比較した。

3. 実験結果

3・1 EBSDとToF-SIMSの同視野測定による旧γ粒界上のB存在状態の調査

Fig.3にToF-SIMS 測定によって得られた10B鋼と05Mo10B鋼のBO2-イオンマップを示す。10B鋼ではγ粒界に偏析した固溶Bに対応する線状の箇所に加え,Fe23(C,B)6に対応する粒状の箇所が多数確認された。Fe23(C,B)6に対応する粒状の箇所については代表例をFig.3中に矢印で示した。05Mo10B鋼の場合,粒界に偏析する固溶Bに対応する線の輝度はより明瞭であり,Fe23(C,B)6からの信号と思われる粒状の信号は10B鋼と比較して少なかった。この結果はTable 2で示した他の手法での調査結果と定性的に一致した。

Fig. 3.

ToF-SIMS BO2 ion maps of (a) 10B and (b) 05Mo10B steel at the cooling rate of 5ºC/s. (Arrows indicate precipitates.)

同視野測定を行ったEBSD像とToF-SIMS測定で得られたBO2-イオンマップ像を対応させた例をFig.4に示す。Fig.4中の「IQ(BCC)」像,「IPF(BCC)」像はそれぞれ,EBSD測定によって得られた変態後の金属組織のイメージクオリティ(IQ)マップ,および変態後の金属組織の逆極点図(IPF)マップである。「IPF(FCC)」像は,「IPF(BCC)」像の測定データから,ベイナイト,マルテンサイト組織のバリアント自動解析プログラム22)により変態前のγの結晶方位を再構築して得られた変態前γ相の逆極点図(IPF)マップである。05Mo10B鋼の場合,EBSDのγ逆解析によるγ粒界とToF-SIMSによるBO2-イオンの位置はかなり良い一致を見せた。一方,10B鋼の場合,γ粒界とBO2-イオンの位置はおおよそ一致するものの,一部の粒界において,粒界が存在する位置であるにもかかわらず,BO2-イオンの強度が著しく低下している領域が確認された。このような領域の近傍にはFe23(C,B)6に対応する粒状の箇所が存在していたことから,Fe23(C,B)6によって粒界に偏析した固溶Bが局所的に減少していると推定された。

Fig. 4.

EBSD (IQ and IPF: BCC, FCC) image maps and ToF-SIMS BO2 ion maps of (a) 10B and (b) 05Mo10B steel measured at the same region. IPF (FCC) map was reconstructed from IPF (BCC) map’s data.

3・2 旧γ粒界上のToF-SIMS信号強度分布

次に,旧γ粒界上のBの分布状態を定量化するために旧γ粒界上でのToF-SIMSのBO2-イオンの信号強度分布を解析した。一般に,固溶Bが偏析した粒界やB析出物の位置ではBの凝集が顕著であるために,BO2-の信号強度が強くなる。粒界幅は2.3原子層17)(5.8×10-4 µm)と考えると,ビニング後の画素サイズ(1.2 µm×1.2 µm)よりも十分小さい。一方,10B鋼で確認されている粒界に析出したFe23(C,B)6のサイズは0.3~1.5 µmであり,ビニング後の画素サイズ(1.2 µm×1.2 µm)と同程度であるため,1画素あたりの信号強度は粒界に偏析した固溶B由来の信号強度よりもFe23(C,B)6からの信号強度の方が大きくなると考えらえる。Fig.5は粒界長さ300 µm分の旧γ粒界上のBO2-イオンの信号強度分布である。10B鋼において,Fig.4でFe23(C,B)6と示しているような粒状の領域におけるBO2-イオン信号強度を調査したところ,信号強度範囲は250以上であり,粒界偏析した固溶B由来の線状の部分のBO2-イオン信号強度は250未満であった。そこで,BO2-イオン強度250以上を「Fe23(C,B)6」,250未満を「粒界に偏析した固溶B」由来の信号と定義した。

Fig. 5.

Histogram of ToF-SIMS BO2 ion signal intensities along prior austenite grain boundaries of (a) 10B and (b) 05Mo10B steel. The threshold of BO2 ion signal intensity corresponding to Fe23(C,B)6 in Fig.5(b) is corrected by intragranular average of BO2 ion signal intensities (246=250–59+55).

また,今回の測定においては10B鋼と05Mo10B鋼で旧γ粒内のBO2-の平均信号強度が異なったため,以下に述べる方法でその補正を行った。10B鋼の旧γ粒内におけるBO2-の平均信号強度は59,標準偏差は15,05Mo10B鋼の旧γ粒内におけるBO2-の平均信号強度は55,標準偏差は13であったが,有意水準5%のt検定から10B鋼と05Mo10B鋼の粒内の信号強度は有意な差と判定された。この粒内の平均信号強度の差分は,母相のB濃度に加え,母相の他の元素の濃度の違いや,測定位置の結晶方位の影響,さらには質量電荷比の近いAlO-およびC2H3O-由来25,26)のバックグラウンドの信号強度の影響に由来する。特に今回の試料については,10B鋼と05Mo10B鋼の母相のB濃度差は1 ppmであること,および今回10種類程度の異なるBCCの結晶方位を含む領域から粒内平均信号強度を算出していることを考慮すると,母相のB濃度違いや,測定位置の結晶方位の影響は小さく,母相Mo濃度の違いやバックグラウンドの信号強度の影響が主体であると推定される。なお,バックグラウンドの信号強度に相当すると推定されるベース鋼の平均信号強度は35程度であった。そこで,05Mo10B鋼における「Fe23(C,B)6」の分類基準として,粒内平均信号強度分を補正した246(=250-59+55)以上を「Fe23(C,B)6」,246未満を「粒界に偏析した固溶B」由来の信号と定義した。上記の定義により分類すると,「Fe23(C,B)6」由来の信号強度の頻度が05Mo10B鋼よりも10B鋼の方が高いことがわかる。これはFe23(C,B)6の析出量が10B鋼の方が多いという抽出残渣やTEMの結果17,21)と符合する。また,「粒界に偏析した固溶B」由来の信号強度については低信号強度側(<100)では10B鋼の頻度が高く,高信号強度側(150>)については05Mo10B鋼の方が高くなっていた。これは3DAPで観察された粒界に偏析したB量の増加に対応すると推定されるが,粒界偏析量の定量的な比較については考察4・1節で述べる。

Fig.6に旧γ粒界に沿ったBO2-イオンの信号強度の抽出例を示す。10B鋼では旧γ粒界上のBO2-イオンの信号強度は場所ごとに大きく変化していたが,05Mo10B鋼では10B鋼より旧γ粒界上のBO2-イオンの信号強度の変化は小さく,ほぼ均一な信号強度分布であった。10B鋼では,特にFig.6(a)のG.B.1の始点からの距離が27 µm~35 µmの位置の粒界において,粒内の平均信号強度付近まで信号強度が低下している領域が観測された。これは,粒界上の始点からの距離が25 µmおよび40 µm付近に析出しているFe23(C,B)6によってBが消費され,粒界に偏析した固溶Bが枯渇していると推定される。

Fig. 6.

ToF-SIMS BO2 ion signal intensities along prior austenite grain boundaries of (a) 10B and (b) 05Mo10B steel. (Online version in color.)

4. 考察

4・1 粒界偏析した固溶B濃度の定量評価

一般的にToF-SIMSの測定においては,測定結果の絶対値の定量性は保証されないとされているが,本研究で観察された「粒界に偏析した固溶B」由来の信号強度については3DAPで測定された粒界に偏析した固溶B量の増加との相関が示唆された。そこで,定量性は保証されていないがToF-SIMSのBO2-イオンの信号強度から粒界の固溶B量を試算した。10B鋼では「粒界に偏析した固溶B」由来のBO2-イオンの信号強度(信号強度範囲250未満)の平均値は130であり,05Mo10B鋼の「粒界に偏析した固溶B」由来の信号強度(信号強度範囲246未満)の平均値は139であった。これらの信号強度は3・2節で述べたように,BO2-に加え,質量電荷比の近いAlO-およびC2H3O-由来25,26)のバックグラウンドの信号強度等の影響を含んでいるため,ここでは旧γ粒内におけるm/z=43の平均信号強度(それぞれ59および55)はBO2-からの信号を含まずAlO-およびC2H3O-の信号のみを含むと仮定し,それらをベース信号強度として差し引いた信号強度(それぞれ71および84)が粒界の固溶B濃度に対応すると考えた。これらの値を3DAPによって測定された粒界に偏析した固溶B量と比較したものがFig.7である。粒界の固溶B量として算出したToF-SIMSのBO2-イオン信号強度は,3DAPによって測定された粒界偏析量と同様に10B鋼よりも05Mo10B鋼の方が高く,ToF-SIMSのBO2-イオン信号強度は粒界の固溶B濃度の大小関係を反映しているといえる。しかしながら,2点の測定値を結ぶ直線は原点を通らないことから,単純な比例関係にはないと推定されるため,本検討のみからはToF-SIMSによる定量化は難しい。ToF-SIMSを用いた粒界に偏析した固溶B濃度の定量化については,広い濃度範囲でのToF-SIMSのBO2-イオン信号強度と3DAPによって測定された粒界偏析量との比較,さらにはバックグラウンドやマトリクス効果の影響の詳細調査が必要であり,今後の課題である。

Fig. 7.

The relation between average intensities of BO2 ion (ToF-SIMS) from segregated solute B and interfacial excess (3DAP) in 10B and 05Mo10B steel at the cooling rate of 5ºC/s. (Online version in color.)

4・2 粒界偏析したBの存在状態

10B鋼において観察されたFe23(C,B)6析出に伴う旧γ粒界に偏析した固溶Bの減少や枯渇は,γ粒界からのα生成挙動に大きく影響すると推定されるため,3・2節での「Fe23(C,B)6」,「粒界に偏析した固溶B」の分類の定義に加え,「粒界に偏析した固溶Bの減少領域」を以下のように定義し,それぞれの粒界占有率を算出した。「粒界に偏析した固溶Bの減少領域」は粒界に偏析した固溶B由来の平均信号強度の20%以下となっている領域とし,05Mo10B鋼において粒界の固溶B濃度として算出した信号強度84の20%(84×0.2=17)をベース信号強度55に加えた値72を05Mo10B鋼の「粒界に偏析した固溶Bの減少領域」の閾値とした。McLeanの式27)によると母相濃度が十分に小さいときの粒界偏析濃度は近似的に母相濃度に比例するため,添加B量約10 ppmの本供試鋼における「固溶B由来の平均信号強度の20%以下の粒界」は,B濃度が2 ppm以下の鋼の粒界と同程度の低い焼入性となっていることを意味する。10B鋼については,ベース信号強度分を補正した76(=17+59)を閾値とした。以上の定義により分類した結果がFig.8である。10B鋼では旧γ粒界の86.6%は固溶Bで占有されているが,7.3%はFe23(C,B)6で占有されており,さらに旧γ粒界の6.1%で固溶Bが650°Cにおける平衡偏析量の2割以下に減少していたことになる。一方,05Mo10B鋼では97.7%が粒界に偏析した固溶Bであり,変態促進効果をもつと想定しているFe23(C,B)6は1.9%,「粒界に偏析した固溶Bの減少領域」は0.4%程度であった。すなわち,Fe23(C,B)6の析出数密度の低い析出の初期においても,B添加鋼ではγ/α変態の抑制効果が著しく低下する現象は,Fe23(C,B)6析出に伴い,Fe23(C,B)6自体が占有する粒界長さの倍程度の粒界の固溶Bを著しく減少させることが原因となる可能性が見いだされた。これは,Fe23(C,B)6の変態促進効果として従来から提唱されていたFe23(C,B)6γの非整合界面8,20)やC欠乏層の生成8,9)の効果に加え,「粒界偏析した固溶Bの減少領域」の影響を考慮する必要があることを意味する。Fe23(C,B)6の析出数密度,「粒界偏析した固溶B減少領域」の長さ,およびB添加鋼の変態温度を体系的に調査することが今後の課題である。また,「粒界偏析した固溶B減少領域」の生成量を定量的に予測するためにはFe23(C,B)6析出時のγ粒界上のBの拡散を考慮する必要があるため,Bの粒界拡散係数の調査も今後の課題である。

Fig. 8.

Fraction of each state of B along grain boundaries.

4・3 粒界偏析したBが添加B量に占める割合

本研究により,EBSDで同定した旧γ粒界に沿ったToF-SIMSのBO2-イオン信号強度を抽出することで,粒界上のFe23(C,B)6と固溶Bの存在割合を定量化できることが分かった。本研究で観察した旧γ粒界上に偏析した固溶BおよびFe23(C,B)6として消費されているBが,供試鋼の添加B量約10 ppmに対してどれくらいを占めるかを以下の方法で推定した。まず,粒界体積率fgbは結晶粒径2rおよび粒界層の厚みδを用いてfgb=3δ/2rと表せる28)。05Mo10B鋼のEBSDのγ逆解析像のエリア平均の粒径として2r=29 µm,および粒界幅として2.3原子層分17)δ=5.8×10-4 µmを用いると,粒界体積率はfgb=3.0×10-5となる。粒界偏析した固溶B濃度としてMcLeanの式27)で求めた650°Cにおける平衡偏析量2.9%を最大値として,粒界に偏析した固溶Bの総量を求めると05Mo10B鋼では0.9 ppm程度となった。なお,10B鋼では一部αの生成によりEBSDによるγ逆解析が正確に実行されなかった領域があったため,γ粒径の算出を行わなかった。また,Fe23(C,B)6として消費されているBの総量は,抽出残渣の結果17,23)から10B鋼と05Mo10B鋼のそれぞれ0.9 ppm,0.3 ppm程度である。以上より,本研究で評価した旧γ粒界上のBの総量は粒界に偏析した固溶BとFe23(C,B)6として消費されているB濃度を合わせても添加B量約10 ppmに対して1.8~1.2 ppm程度(=「粒界に偏析した固溶Bの総量:0.9 ppm」+「Fe23(C,B)6として消費されているBの総量:0.9~0.3 ppm」)であるといえる。このような微量なB濃度の存在状態の違いを,本手法を活用することで定量的に取り扱うことができるようになるため,本手法はBが変態挙動に与える影響を理解してゆく上で有効な手法である。

5. 結論

本研究では,Fe-0.15C-1.3Mn(%)を基本成分としたB添加鋼(10B鋼),Mo-B添加鋼(05Mo10B鋼)を用いて,EBSDによる旧γ粒界の同定,およびToF-SIMSによる旧γ粒界上のBの存在状態の調査を行った。主な結果は以下の通りである。

(1)旧γ粒界に沿ってToF-SIMSのBO2-イオン信号を抽出し,信号強度から旧γ粒界上のB固溶偏析・析出状態を区別することで粒界上のBの存在状態を定量的に評価しうることを示した。本手法により,変態前のγ粒界うち10B鋼では86.6%,05Mo10B鋼では97.7%が固溶Bで占有されて変態抑制効果の高い粒界であったが,10B鋼の7.3%,05Mo10B鋼の1.9%はFe23(C,B)6で占有されて焼入性が低い粒界となっていたことがわかった。

(2)Fe23(C,B)6近傍において粒界上のBO2-イオン信号強度の低下が観察され,Fe23(C,B)6析出に伴って固溶Bが局所的に減少あるいは枯渇する領域が生成することが明らかになった。固溶Bが局所的に減少した粒界は,γ粒界のうちFe23(C,B)6析出の多い10B鋼では6.1%,Fe23(C,B)6析出の少ない05Mo10B鋼では0.4%を占めていた。すなわち,Fe23(C,B)6の変態促進効果として,従来から提唱されていたFe23(C,B)6γの非整合界面やC欠乏層の生成効果に加え,粒界偏析した固溶Bの減少領域が影響している可能性を示した。

(3)本研究で観察した旧γ粒界上のBの総量をB濃度に換算すると,供試鋼の添加B量約10 ppmに対して1.8~1.2 ppm程度である。本手法は非常に微量なB濃度の存在状態の違いを,定量的に取り扱うことができるため,Bが変態挙動に与える影響を理解してゆく上で有効な手法である。

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