Tetsu-to-Hagane
Online ISSN : 1883-2954
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ISSN-L : 0021-1575
Special Issue on Toward Optimization of Maintenance for Aging Infrastructures
In-situ Observation of Corrosion Initiation Occurring on NaCl Nanoparticles-deposited Carbon Steel Surfaces
Koji Fushimi Haruka OkuyamaKai OhshimizuSunao ShojiYuichi KitagawaYasuchika Hasegawa
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2021 Volume 107 Issue 12 Pages 1011-1019

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Abstract

Raman micro-spectroscopy was conducted for in-situ observation of atmospheric corrosion occurring on carbon steel surfaces, on which NaCl nanoparticles with a size of < 1 µm were deposited, under the controlled relative humidity at room temperature. Increasing relative humidity induced the formation of amorphous-FeOOH at a micro-droplet of NaCl solution where an NaCl nanoparticle was dissolved on the steel surface, and the initiation time of the corrosion generation decreased with increasing relative humidity. Drying treatment at 100ºC for 600 s resulted in modification of the surface condition of carbon steels and obstructing the corrosion initiation at high humidity conditions but reducing the initiation time at low humidity conditions.

1. 緒言

鋼材の大気腐食の反応場は環境中に含まれる水分や飛来海塩粒子などに由来する水溶液薄膜である。水溶液薄膜に溶け込んだ溶存酸素の還元反応が大気腐食のカソード反応を分担するなどして,大気腐食速度は薄膜の厚さにより変化する1)。すなわち,水溶液薄膜が極めて薄い場合,アノード反応生成物の物質輸送が腐食反応を律速するが,膜厚増加とともにその物質輸送が促進されるため腐食速度は増加する。しかし,およそ1 µmの水溶液薄膜で大気腐食速度は極大となり,それ以上の膜厚になると気相/溶液界面で溶け込む酸素のカソードへの拡散距離が大きくなるため大気腐食速度は減少することが知られている。また,カソード面積がアノード面積に対して大きい場合,アノードの大気腐食は促進する。実際の大気腐食では,さらに環境中から飛来海塩粒子や酸性物質の混入などによる液性の変化や,日周・気象変化による乾燥,湿潤,塩類の洗い流し効果,鋼材の特性や使用方法,履歴など様々な影響が加わり,大気腐食の腐食性(あるいは耐食性)は複雑に変化する。このため鋼材表面に形成する水溶液薄膜に着目して大気腐食の発生や成長について多くの検討がなされてきている。

Shinoharaらは,水薄膜あるいは水溶液薄膜の形成は相対湿度やNaClやMgCl2に代表される飛来海塩により助長されることを理論的に示しており2,3),塩粒子の潮解湿度の前後で膜厚が顕著に変わること3)を報告している。Tsuruらは,塩を溶かし込んだ水滴が付着した鋼材はアノードとカソードに分離しており,水滴はカソード分極あるいはカソード部位の増加により拡大することを指摘した4)。Li and Hiharaは,NaCl粒子を付着させた鋼材の高湿潤環境(>80%RH)における大気腐食について検討し,走査型電子顕微鏡観察から発錆には45 µm以上のNaCl水溶液滴の形成が必要であること5),顕微ラマン分光から発錆は水溶液滴周囲部に発現した皮膜欠陥部周りにおける緑さびgreen rust(GR)の生成から始まること6)を示した。GRはさらに水滴に溶け込む溶存酸素の還元反応による水溶液のアルカリ化により,主にレピドクロサイトγ-FeOOHあるいはマグネタイトFe3O4や非晶質オキシ水酸化鉄amr-FeOOHを形成していくことで進展するとした。さらに厚い錆への成長は温湿度条件や塩供給に大きく依存する。観察の容易な比較的大きなサイズで発錆した腐食生成物の熱力学的議論は古くからなされている。Misawaは,湿潤環境での鋼材腐食生成物の成長と熟成について系統だった整理を行っている7,8)。また,Tamuraは保護性錆の成長モデルについて詳細に述べている9)。しかしながら,鋼材表面はその組成や組織,表面処理により多様な物理化学的性質を示すのが常である。言い換えれば,同一組成であっても表面状態によって鋼材の発錆挙動は大きく異なる可能性があることは周知の事実である。塩の潮解湿度以下でも,あるいは塩の付着なしでも鋼材表面は気相中の水蒸気と平衡状態にあるので極めて薄いが水膜で覆われていると考えなければならない2,3)。速度論的に著しく遅いために,大気腐食が起こらないかのように錯覚される場合でも,熱力学的に(大気)腐食は十分に起こり得る潜在的条件は非常に多いと考えられる。

ここでは,NaCl微粒子の付着した炭素鋼表面が発錆する際の誘導時間について,位置再現性に優れた顕微ラマン分光法を用いて検討を行った。様々な相対湿度下のもと,時間経過とともにラマンスペクトルの変化を追跡しピークの出現から発錆誘導時間を調査した。特にNaClの潮解湿度よりも低い湿度環境下での発錆誘導時間に影響を与える因子(鋼種と乾燥処理)を中心に議論する。

2. 実験方法

試料には,Table 1に示す化学組成を有する2種の炭素鋼を用いた。5 mm×5 mmに切断した両試料片を並べて同一のエポキシ樹脂中に埋め込み,表面を最終的に#4000のSiC研磨紙で鏡面研磨した。試料のいくつかは,100°Cに設定した乾燥機内に600 s間保管した。超音波霧化ユニット(HM-2412, Echo Tech)を用いてゾル化した3 mass% NaCl水溶液に所定時間晒すことにより,試料表面にNaCl微粒子を付着させた。NaCl微粒子の付着量は,白板ガラスに同条件で付着させたNaClを水50 cm3で回収し,ICP-OES(ARCOS FHM22, Spectro)による定量分析から求めた。1 mm厚さの石英光学窓付きのセル底部に試料を設置し,環境試験機(IW223, Yamato)で制御した25°C, 40-90%RHの調湿空気を,小型エアポンプ(CD-8S, Techno Takatsuki)を用いて送り込み,セル内の高精度温湿度センサ(SHT31-DIS, Sensirion)にて温湿度を計測した。顕微ラマン分光測定には共焦点レーザーラマン分光顕微鏡(inVia Qontor, Renishaw)を用いた。長焦点対物レンズ(N Plan L, Leica)ごしに焦点合わせ機能(Live Track, Renishaw)を用いて試料表面上のNaCl微粒子4箇所を約600 sの時間間隔で繰り返し位置制御しながら,波長532 nm,パワー0.3 mWのレーザー光を1 s間露光する操作を100回繰り返して得られる積算スペクトルを取得した。

Table 1. Chemical composition of carbon steels used for specimens. (mass%).
steelCSiMnPSFe
A0.450.20.8≤ 0.03≤ 0.035bal.
B0.391.512.010.010.002bal.

NaCl微粒子付着前の試料表面の水濡れ性は,静的接触角計(DM-CE1, 共和界面科学)を用いて評価した。測定には0.1 µLのMilli-Q水を用い,5回計測して再現性を確認した。また,X線光電子分光装置(XPS: JPS-9200, JEOL)を用いて化学状態を分析した。X線源はAl-Kαであり,2.2×10-8 Paの真空中で行った。

3. 結果と考察

3・1 エアロゾルから形成したNaCl微粒子

Fig.1に白板ガラス表面上に付着させたNaCl微粒子の光学顕微鏡像を示す。送風時間が10 sのとき,岩塩構造由来の立方体粒子が点在して形成することが確認されるが,送風時間が長くなると粒径百µmを超える比較的大きな粒子を取り囲むように鱗片状粒子が析出していた。NaCl量は送風時間とともに増加するが,送風時間10 sのとき平均粒径0.72 µmのNaCl微粒子が再現性よく得られた(Fig.2)。以後,NaCl微粒子の付着は10 sの送風時間で行うこととした。なお,この条件でのICP-OESを用いて求めた単位面積あたりのNaCl微粒子量は3×10-6 kg m-2であった。

Fig. 1.

Optical micrographs of NaCl nanoparticles on glass plates when 3 mass% NaCl aerosol was exposed for (a) 10 and (b) 60 s. (Online version in color.)

Fig. 2.

Distribution of NaCl nanoparticles obtained from SEM image.

3・2 NaCl粒子が付着した鉄表面のラマンスペクトル変化

25°C, 40-80%RHの様々な相対湿度の環境中,NaCl微粒子が付着したA鋼およびB鋼表面局部のラマンスペクトルを600 s毎に連続測定した。Fig.3に25°C, 40%RHの環境中にて測定した2 h毎のラマンスペクトルを示す。試験開始後スペクトルにピークは見られないが,約20 h以降704 cm-1にピーク波数を持つ幅の広いピークが現れる。リファレンススペクトル(Fig.A1)との照合から,このピークはamr-FeOOHに帰属された6,10,11)。amr-FeOOHの出現挙動に鋼種による顕著な違いを見出すことは難しい。なお,Li and Hiharaにより報告されたようなGRに帰属されるピーク(425および501 cm-1)6)が観察されることはなかった。Fig.4にamr-FeOOHピーク強度の時間依存性を示す。ピーク強度は時間の経過とともに大きくなった後,定常値となる傾向がある。これはラマンスペクトル測定箇所において出現した腐食生成物(amr-FeOOH)の成長が頭打ちになることを示しており,後述するように腐食生成物が表面横方向に拡大することに対応している。いずれにせよ,零以上のピーク強度を与える時間は腐食生成物の出現時間を意味するので,これを発錆時間tinと呼ぶことにして以降で論じる。なお,両炭素鋼ともに40-90%RHのいかなる相対湿度においても発錆挙動が観察され,ラマンスペクトルから判明した初期腐食生成物はamr-FeOOHであった。

Fig. 3.

Raman spectra of (a) A and (b) B steel surfaces in air conditioned at 25ºC, 40%RH. (Online version in color.)

Fig. 4.

Peak height at 704 cm–1 in Raman spectra of A and B steel surfaces in air conditioned at 25ºC, 40%RH.

Fig.5にA鋼およびB鋼のtinの環境湿度依存性を示す。両鋼種ともに高湿度において試験開始後直ちに発錆するが,相対湿度の減少とともにtinは指数関数的に増加し,発錆に至るまでには10 h以上の長期間を要することがわかる。これらの関係はおおよそ次のように近似された。

  
tin/h=107.0(RH/%)3.5(1)
Fig. 5.

Relation between the initiation time of amr-FeOOH observed in Raman spectra of A and B steel surfaces as prepared and the relative humidity of the air.

Fig.4の横軸切片にて定義したtinの分解能は使用したラマンスペクトル測定間隔の600 sであるが,高い相対湿度領域におけるtinは短時間となるため相対的な精度は良好とは言えない。また,プロットには含めていないが,実験室内の相対湿度の高かった夏期においてNaCl微粒子付着後,試験開始前に発錆した事例が複数回あったことから,本実験で得られたtinは過大評価される傾向があることに留意しなければならない。

耐候性鋼を除き鋼材が実際に使用される場合,何某かの表面処理が施されるため,本実験のように研磨されたままで使用されることは稀である。板材製造の後工程では連続焼鈍を代表としていくつかの熱処理・乾燥工程が存在するが,その条件・環境などにより種々の酸化物皮膜が板材表面には形成する。また,製造後,保管や輸送,施工や二次製造工程において,鋼材表面に形成した自然酸化膜は熟成すると考えられる。そこで試料研磨後,100°C, 600 s保持という乾燥処理を行った後にNaCl微粒子を付着してから,25°C, 40-80%RHの様々な相対湿度の環境中,ラマンスペクトルを連続測定した。測定開始前の試料表面のラマンスペクトルは研磨ままの乾燥処理なしのものと同様に特徴は見られなかったが,調湿環境に晒すことにより試料表面にはamr-FeOOHに帰属されるピークが出現した。すなわち,ラマンスペクトルの形状はFig.3に示したものと同様であったが,ピーク出現のタイミングが若干異なった。Fig.6にA鋼およびB鋼のtinの環境湿度依存性を示す。高い湿度領域においてtinは零ではなく,約1 hを要する。このことは,乾燥処理済試料は調湿環境中に暴露する前あるいは暴露した途端には発錆せず,誘導期間を経てから発錆することを意味する。しかしながら,低湿度領域では,乾燥処理しなかった試料よりも小さなtinを示す傾向が見て取れた。このことは,高湿度時とは逆に乾燥処理は発錆を促進する効果を示すことを意味する。これらの挙動は両鋼種に共通している。乾燥処理した試料表面にもたらされた何らかの因子が低湿度環境ではNaCl水溶液膜中での発錆を加速する要因になったと示唆される。

Fig. 6.

Relation between the initiation time of amr-FeOOH observed from Raman spectra of A and B steel surfaces heated at 100ºC for 600 s in air.

Fig.7に乾燥処理したB鋼を25°C,80%RHの環境中に晒した際の光学顕微鏡写真を示す。NaCl微粒子が時間経過につれ気相中の水蒸気により溶解して水溶液の液滴を作る。この湿度では1 h後にNaCl水溶液の液滴のいくつかは褐色になり,amr-FeOOHとして腐食生成物を発錆することをFig.6で示した。さらに時間が経過すると,腐食生成物はいびつな形で面積が増加するが,糸状生成物として成長するようになることがわかる。糸状生成物の太さと成長速度は相対湿度とともに増加する傾向があったが,ラマン分光よりこの糸状生成物はamr-FeOOHであることを確認している。試料をラマン顕微鏡用の観察セルから取り出し,飽和塩法により制御したおよそ75%RHの室温環境内で保管したところ,腐食生成物amr-FeOOHの一部はα-FeOOHへと変質したことをラマン分光により確認した(Fig.8)。3ヶ月の保管により,腐食生成物がより安定構造に変質した,すなわち熟成した79)ことが示された。

Fig. 7.

Optical micrographs of B steel surface, which was heated at 100ºC for 600 s, in air conditioned at 25ºC, 80%RH for (a) 0, (b) 1, and (c) 10 h. (Online version in color.)

Fig. 8.

(a) Raman spectra and (b) optical micrograph of B steel surface after keeping at room temperature with 75%RH for 3 months. (Online version in color.)

3・3 乾燥処理の及ぼす表面状態変化

上述より,本実験に供した鋼材試料表面の初期状態は発錆時間tinに大きな影響を与えることが明らかとなった。そこで静的接触角計にて試料表面の水濡れ性を,XPSを用いて試料表面の化学状態を調査した。

Fig.9に静的接触角計測結果を示す。乾燥処理なしの研磨ままのA鋼とB鋼の接触角は28-29°でほぼ同じである。これらを100°C,600 s間の乾燥すると,A鋼は9°,B鋼は16°接触角が増加し,水濡れ性が悪くなる傾向を再現した。これは高湿度での模擬大気腐食実験開始時,研磨ままの鋼材試料表面だと水濡れ性が良好であるために溶解が速やかに進行しNaCl微粒子は観察されないが,乾燥処理した鋼材試料表面ではNaCl微粒子溶解がそれほど進行せずに観察されたことに対応する。すなわち,乾燥処理は鋼材表面に“乾き”を与えNaCl微粒子の溶解を防止する機能を付加したと言える。乾燥処理したB鋼の接触角がA鋼のそれよりも若干大きかったことから,B鋼の水濡れ性抑制効果は潜在的に高いことが示唆される。

Fig. 9.

Results of static contact angles of 0.1-µL pure water on (a) A and (b) B steels as prepared and (c) A and (d) B steels heated at 100ºC for 600 s in air.

A鋼およびB鋼試料表面のXPS測定結果としてFig.10にO 1sおよびFe 2pの光電子スペクトルを示す。O 1sスペクトルの529.6,531.0および532.7 eVのピークはそれぞれ基本的に酸化物,水酸化物および水に帰属される。しかし,特に水のピークにはSi由来の酸化物SiO2のピーク(532.9 eV)も重複するため,A鋼に比べて鋼中濃度の高いB鋼の試料表面に水が多く存在するように見える。一方,Fe 2p3/2スペクトルの706.7,709.6および711.7 eVのピークとFe 2p1/2スペクトルの719.4,723.2および725.3 eVのピークは,それぞれ金属状態の鉄,2価の鉄酸化物および3価の鉄オキシ水酸化物に帰属される。両鋼種ともに乾燥処理なしに比べ乾燥処理済み試料表面では,水や水酸化物に対して酸化物のピーク強度が増え,また金属状態の鉄が減少して鉄酸化物のピーク強度が増加している。したがって,乾燥処理により表面からの水の脱離とともに酸化が若干進行したことが確かめられた。なお,Si 2pの光電子スペクトル上にはFe 3sのピークが大きく重複していたため,Siの酸化状態の正確な議論は難しかった。しかし,オージェ電子分光法などによりA鋼に比べて高濃度なシリコン酸化物がB鋼上の酸化物皮膜中に含まれることがわかっている12)。このシリコン酸化物の存在は乾燥処理したB鋼の水濡れ性改善に影響するものと推定された。

Fig. 10.

X-ray photoelectron spectra of (a) O1s and (b) Fe2p of A and B steel surfaces as prepared and heated.

Misawaによれば7,8),常温の鉄イオン水溶液から出発するamr-FeOOHは酸性の[Fe(II)1OxFe(III)3](11–2x)+あるいは[Fe(OH)3–xx+]nの中性化,または中性のγ-FeOOHが溶解沈殿することにより形成する。本研究において,amr-FeOOHの出現前にγ-FeOOHを確認できなかったことから,どちらかの鉄錯体が中間体である可能性が極めて高い。いずれの鉄錯体もFe2+の空気酸化により形成する。本実験条件で形成する水膜厚さは100 nm以下であり3),腐食反応速度は水膜中のFe2+拡散により律速される1)。このため,低湿度よりも厚い水膜が形成する高湿度でのtinは小さくなることが容易に理解される。しかし,本実験では低湿度の特に初期において,水膜は均一に形成しておらず,NaCl微粒子の溶解によって形成する水滴を含む不均一な形態をとることが光学顕微鏡観察から確認された。ある相対湿度の空気と平衡にある水膜の平均膜厚がその相対湿度に依存して一義的に決まると仮定した場合,不均一構造をとる水膜の局部的に水が多い部位すなわち水滴部位の水膜厚は均一構造の水膜の厚さよりも大きいと推定される。したがって,乾燥処理なしの鋼表面と比べて接触角が若干大きな水滴形成を誘導しやすかった乾燥処理した鋼表面においては水滴中にて比較的Fe2+が拡散しやすいため,NaCl微粒子部位での発錆時間tinが小さくなる傾向を示したと説明される。

3・4 NaCl粒子が付着した炭素鋼表面の模擬大気腐食発生過程

鋼材試料およびNaCl微粒子の表面はそれぞれ大気中の水蒸気と平衡状態にある。試料表面はその化学状態に依存し水膜を形成するが,その膜厚は相対湿度に依存して増加する。NaCl微粒子は,NaClの潮解湿度75%RH以下の場合,水蒸気をNaCl微粒子結晶内に吸収するが,75%RH以上の場合,水蒸気の吸収量が飽和量に到達するとすると結晶の崩壊すなわち潮解が起こり,試料表面上にNaCl水溶液膜を形成する。このNaCl微粒子結晶の潮解が完了するまでの間,試料表面上に形成した水膜と吸湿したNaCl微粒子結晶の界面で,前者から後者への水分子の浸透と後者から前者へのNaClの溶解・拡散も競争して起こり,NaCl水溶液膜を形成する。水蒸気/水膜界面の平衡反応に比べると水溶液膜へのNaCl溶解と生じたイオンの拡散は遅いと考えられることから,水溶液膜中のNaCl濃度はNaCl微粒子近傍で最も高く,NaCl微粒子が完全溶解に至るまでは飽和濃度を保ち,微粒子から離れるほど希薄となると考えられる。したがって,水溶液膜中のNaCl濃度勾配は形成する水溶液の膜厚,すなわち相対湿度に支配される。逆の言い方をすると,水溶液膜の平均膜厚は相対湿度に応じて変わるが,NaCl微粒子のサイズとその分散具合および鋼材表面の化学状態により,水溶液膜には濃度勾配が存在し,水溶液膜は不均一であり膜厚にも分布がある。

このようなNaCl濃度勾配が形成し,膜厚も不均一な水溶液膜に浸漬した鋼材表面で,模擬大気腐食は水溶液に溶存する酸素の還元反応とカップルして起こる。溶存酸素還元反応が腐食速度を支配する非常に厚い水膜までに水溶液が発達していない場合1),酸化反応により発生したFe(II)イオンの水溶液膜内での拡散は,潮解湿度並に高い相対湿度では比較的厚く比較的均一な水溶液膜の形成とともに速やかにamr-FeOOHを出現させるが,潮解湿度よりも低い相対湿度では水薄膜が形成してもイオン拡散が制限されるために発錆には比較的長い時間が必要になる。また,水溶液膜厚の顕著な凹凸である水滴の形成とイオン拡散が相乗効果を示した場合,小面積である水滴内で大面積の水膜よりも早期に発錆するようになる。

本研究ではNaCl微粒子の付着量を固定したが,NaCl付着量とともに形成する水溶液膜厚さは増加する。また,B鋼の発錆時間はA鋼の発錆時間よりも長い傾向が示され,その理由を鋼中成分のSiが多いことに由来する酸化物の特性が発錆抑止に作用しているためと推定した。しかし,発錆時間の差は僅かであり,発錆は主に相対湿度の影響を強く受けることが示された。実際の大気腐食では,日周や気象変化による濡れ乾きと飛来海塩粒子が複雑に作用し合うので,本研究で議論した鋼種間の発錆時間の序列は長期間の大気腐食の優劣と直接関係を為さない可能性がある。次回,機会があればこれらの追跡調査した結果を報告したい。

4. 結論

顕微ラマン分光法を用いてNaCl微粒子を付着させた炭素鋼表面の模擬大気腐食発錆誘導過程についてその場観察を行ったところ,以下が明らかになった。

(1)平均粒子径1 µm以下のNaCl微粒子が付着した鋼表面は,非晶質オキシ水酸化鉄として発錆した。

(2)発錆時間は相対湿度の影響を強く受け,湿度を低下すると指数関数的に増加した。また,発錆時間は乾燥処理により高湿度では増加したが,低湿度では減少する傾向が見られた。

(3)乾燥処理による発錆時間の違いは,NaCl微粒子の溶解によって形成する水溶液滴内のFe(II)イオンの拡散が影響するものとして説明できることを示した。

付録

鉄酸化物およびオキシ水酸化物のラマンスペクトル

本ラマン分光法で測定されたスペクトルの照合のために各種鉄酸化物およびオキシ水酸化物の標準試料として,マグネタイトFe3O4,ヘマタイトα-Fe2O3およびマグへマイトγ-Fe2O3にはIoLiTec Nanomaterialsから,ゲーサイトα-FeOOHにはレアメタリックからそれぞれ購入した試薬をそのまま用いた。また,アカガナイトβ-FeOOHおよびレピドクロサイトγ-FeOOHにはOhtsukaA1)が合成したものを,非晶質オキシ水酸化鉄amr-FeOOHにはKobayashi and Udaの報告A2)に従い調製したものを用いた。これら標準試料のリファレンススペクトルをFig.A1に示す。704 cm−1ピークはamr-FeOOHに帰属される10,11)。このオキシ水酸化物は準安定であり,パワーの大きなレーザー光を照射した場合,安定構造のα-FeOOHまたはα-Fe2O3に変化した。

Fig. A1

Raman spectra of reference samples; Fe3O4, α-FeOOH, α-Fe2O3, γ-FeOOH, γ-Fe2O3, β-FeOOH, and amr-FeOOH. amr-FeOOH was synthesized after Kobayashi and UdaA2). (Online version in color.)

謝辞

本研究は,文部科学省「ナノテクノロジープラットフォーム」事業および国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「革新的新構造材料等研究開発」の助成を受けて実施された。

文献
 
© 2021 The Iron and Steel Institute of Japan

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