鉄と鋼
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力学特性
張出し成形した焼戻しマルテンサイト鋼板の水素脆化に及ぼす残留応力の影響
西村 隼杜北條 智彦 味戸 沙耶柴山 由樹小山 元道齋藤 寛之城 鮎美安田 良菖蒲 敬久秋山 英二
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2021 年 107 巻 9 号 p. 760-768

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Abstract

The effects of residual stress on the hydrogen embrittlement behavior of a tempered martensitic steel sheet with 1-GPa-class tensile strength stretch-formed by a hemisphere punch simulating press-formed automotive structural parts were investigated. Cracking on the stretch-formed specimen induced by potentiostatic hydrogen charging was initiated in the foot of the impression of the specimen and propagated to the radial direction both toward the hillside and the plain. The mixture of quasi cleavage and intergranular fractures were observed whole through the fracture surface. Residual stress in the stretch-formed specimens was analyzed by using energy-dispersive X-ray diffraction method utilizing the synchrotron X-ray radiation at SPring-8. In addition, stress and plastic strain distributions in the specimen were analyzed by using Finite Element Method (FEM). These analyses depicted that the high tensile stress in the circumferential direction was in the foot of the impression, corresponding to the direction of the crack growth. The FEM analysis revealed that the high triaxial stress was in the foot suggesting accumulation of hydrogen. It was considered that the preferential crack initiation at the foot was promoted by the high residual stress in the circumferential direction and the hydrogen accumulation due to stress-induced diffusion.

1. 緒言

自動車の衝突安全性の向上や車両重量の軽量化による省エネルギー化,およびCO2ガス排出削減を目的として,自動車のフレームに使用されている鋼板は高強度化されている。近年,980 MPa,および1180 MPa級の高強度鋼板は自動車部品として実用化されている。しかし,引張強度が980 MPaを超えると,水素脆化の発生が問題となる1,2)。水素脆化感受性の評価方法として,定荷重試験(CLT)3,4),低ひずみ速度引張試験(SSRT)5,6),通常速度引張試験(CSRT)710)がある。これまでに高強度鋼板の自動車用構造部材への適用の可能性を評価するために,上記の水素脆化評価法を用いてDual Phase鋼(DP鋼)1113),低合金TRIP鋼1418),および焼戻しマルテンサイト鋼19,20)の水素脆化特性が評価されている。

高強度鋼板はプレス成形後に自動車のフレーム部品に適用されるため,鋼板にはプレス成形による残留応力や塑性ひずみが導入され,組付けにより拘束応力が発生する。そのため,高強度鋼板の水素脆化特性には,それに及ぼす残留応力や塑性ひずみの影響を考慮する必要がある。Tojiら21)は,DP鋼から作製したU曲げ試験片をpH 1,および3の塩酸に浸漬して水素脆化特性を評価し,引張強さ,ひずみ,および水素濃度を考慮した三次元水素脆化破壊マッピングを行った。また,Yoshinoら22)はU曲げ試験片の水素脆化特性に及ぼすせん断端面の影響を調査し,曲げ加工によってせん断端面に導入された微細き裂による応力拡大係数の上昇が水素脆化破壊に及ぼす効果を報告した。また,著者らはこれまでにU曲げ試験片を用いた高強度鋼板の水素脆化評価法を提案している23)。さらに,鋼板のプレス成形性を評価する方法としては,U曲げ加工,張出し加工,深絞り加工,穴拡げ加工が広く用いられており,これらのプレス成形方法を用いて自動車用高強度鋼板のプレス成形性に関する研究が広く行われてきた。

本研究では,球頭パンチを用いて張出し加工を施した引張強さ1000 MPa級の一般的な焼戻しマルテンサイト鋼をプレス成形部品のモデルサンプルとして採用し,その水素脆化特性を評価した。プレス成形品は複雑な残留応力や塑性ひずみ分布をしていることから,水素脆化特性に及ぼすそれらの影響を理解するためには,試験片内の残留応力,塑性ひずみ分布状態を詳細に解析する必要がある。そこで,SPring-8のビームラインBL14B1の放射光を用いたX線回折(X-Ray Diffraction: XRD)法によって張出し試験片の応力分布を解析した。放射光X線は鋼板を透過できるため,材料内部の応力分布を解析することが可能となる。また,張出し試験片の応力分布,および塑性ひずみ分布は有限要素法(FEM)を用いて行った。本研究では,これらの解析手法を用いて,従来の焼戻しマルテンサイト鋼の張出し試験片の水素脆化特性に及ぼす応力,および塑性ひずみ分布の影響を調査した。

2. 実験方法

本研究では直径60 mm,長さ500 mmのSCM435棒鋼(0.35C-0.18Si-0.74Mn-0.0011P-0.0017S-1.15Cr-0.15Mo(mass%))を用いた。この棒鋼を850°C,2 hの焼鈍後,油焼入れした。その後,530°C,3 hで焼戻しを施すことで焼戻しマルテンサイト鋼を作製した。平行部長さ10 mm,幅4 mm,板厚1.0 mmの引張試験片を用いて得られた鋼の機械的特性をTable 1に示す。供試鋼の引張強さは1023 MPaであった。焼戻しされた棒鋼を板厚1 mmの円盤状に切断し,その両面を機械研磨,および電解研磨した。

Table 1. Tensile properties of the tempered martensitic steel used in this study. YS: 0.2% proof stress, TS: tensile strength, UEl: uniform elongation, TEl: total elongation.
YS (MPa)TS (MPa)UEl (%)TEl (%)
71810235.311.2

Fig.1に張出し試験装置の模式図を示す。円盤状試験片を40 mm×40 mmのサイズに切断し,張出し試験治具を用いて張出し加工を行った。球頭パンチと接触する表面には黒鉛系潤滑剤を塗布し,潤滑剤を塗布した面が球頭パンチと接触するように張出し試験治具に取り付けた。円盤状試験片は直径17 mm,球頭半径8.5 mmの球頭パンチを用いて,精密万能試験機によりクロスヘッド速度1 mm/minでパンチと鋼板表面が接触してからのストローク長が4.2 mmとなるまで張出し加工を行った。

Fig. 1.

Schematic view of the stretch-forming test unit used in this study. rp: the radius of the hemisphere punch (8.5 mm), rd: the radius of the shoulder of the die (1 mm), D: the inner diameter of the die’s hole (22 mm), d: the displacement of the punch (4.2 mm). (Online version in color.)

Fig.2に水素脆化試験装置の模式図を示す。水素チャージは陰極チャージ法を用い,水素チャージ溶液には3 wt% NaCl水溶液に20 g/LのNH4SCNを添加した水溶液を用いた。参照電極として銀/塩化銀電極(SSE),対極としてカーボン板を用いた。初期電位を-1.1 V vs. SSEとし,24時間ごとに0.1 Vずつ電位を卑に変化させ,き裂が試験片全体に伝播するまで水素脆化試験を行った。水素脆化試験中,き裂の発生個所と伝播挙動を観察するため,試験片の両面をデジタルカメラで1分ごとに撮影した。さらに,水素脆化試験中のき裂発生時の電流密度の変化を測定するため,データロガーを用いて電流密度を記録した。水素脆化試験後の試験片の破面観察は走査型電子顕微鏡(SEM)を用いて行った。

Fig. 2.

Schematic view of the hydrogen embrittlement test unit. CE, RE and WE are counter, reference and working electrodes, respectively.

上記の水素脆化試験と同様の水素チャージ条件で水素脆化試験を行った張出し試験片の水素分析を行った。Fig.3に示すように,張出し試験片のTop部からPlain部までの4か所から5 mm×5 mmの水素分析用試験片を切り出し,水素分析を行った。各試料中の水素量は四重極型質量分析計を備えた昇温脱離分析装置(Thermal Desorption Spectrometry: TDS)((株)アールデック)を用いて測定した。試料は室温から800°Cまで100°C/h で加熱した。本研究では,室温から300°Cまでに放出された水素量の総量を拡散性水素量として定義した。

Fig. 3.

The positions of samples cut out form a stretch-formed specimen for hydrogen thermal desorption measurements. Note that the photo in this figure is of an as-stretch-formed specimen though the samples were taken from a specimen after hydrogen embrittlement test having cracks. (Online version in color.)

張出し試験片の応力分布測定はSPring-8のビームラインBL14B1にて,白色X線とゲルマニウム半導体検出器を用いた放射光X線回折により測定した。X線は入射側に高さ50 µm,幅300 µmのスリットを設けて整形し,検出器の前には50-200 µmのコリメータと500 µmのスリットを用いて制限した。また,検出器の回折角は10°とした。試験片はXYZステージ上に固定し,張出し試験片の板厚方向の張出し側と押込み側のそれぞれの表面近傍,および板厚方向の中央付近の3ヶ所の回折データを得た。また,張出し試験片内の応力分布をマッピングするため,張出し試験片のTop部からPlain部までの半径方向と円周方向の応力を1 mm間隔で測定した。X線の回折プロファイルより得られたエネルギースペクトルから,αFe321回折面ピークをガウス関数で近似し,各測定点のピークエネルギーを求めた。無ひずみ部のαFe321回折面のピークエネルギーで求めた格子間隔(d0)と張出し加工部の格子間隔(d)を求め,応力は次式で計算されるように格子間隔の変化から得られる弾性ひずみ(εe)を用いて推定した。

  
ee=(dd0)/d0(1)

円周方向,および半径方向の応力は弾性ひずみ(εe)より計算し,応力のマッピングをした。なお,張出し試験片は平面応力状態であると考えられるが,応力は単純化のために鉄のヤング率を用い,フックの法則により推定した。

張出し試験片内の応力,および塑性ひずみ分布の解析を行うため,商用の解析ソフトであるAbaqus CAEを用いて有限要素解析(Finite Element Method: FEM)を行った。FEM解析には2次元軸対象モデルを用いた。FEM解析に用いる材料特性を決定するため,平行部長さ10 mm,幅4 mm,板厚1.0 mmの引張試験片を用いてひずみ速度1.67×10-3/sで引張試験を行った。引張試験時の伸びは非接触式のビデオ伸び計を用いて測定した。引張試験により得られた真応力-真ひずみ線図をFig.4に示す。また,真応力-真ひずみ線図から得られた弾性限,およびヤング率はそれぞれ658 MPa,および189 GPaであった。真応力-真ひずみ線図の塑性変形域はSwift則24)で最小二乗近似した。解析には4接点要素を用い,メッシュサイズ,および要素数はそれぞれ25 µm×25 µm,および24253とした。試験片とパンチ,およびダイの摩擦係数は0.1とした。また,パンチとダイは剛体とした。FEM解析は半径方向と円周方向の応力,静水圧応力,および相当塑性ひずみについて行った。

Fig. 4.

True stress-strain curve of the tempered martensitic steel used in this study.

3. 実験結果および考察

3・1 水素脆化き裂発生および進展挙動

Fig.5にクロスヘッド変位4.2 mmまで張出し加工を施した焼戻しマルテンサイト鋼の水素脆化試験中の分極電位と電流密度の経時変化を,Fig.6にデジタルカメラによるインターバル撮影によって観察したき裂の発生・進展挙動を示す。-1.1 V vs. SSEで24時間の水素チャージを行った場合,電流密度は徐々に低下したが,-1.2 V vs. SSEに電位を変えてから約3時間後には電流密度の低下は一時的に停止した(Fig.5中の縦の点線で示した時間)。インターバル撮影の結果より,Fig.5の電流密度の低下が一時的に停止したとき,張出し試験片のパンチ押込み側の表面にき裂が発生した(Fig.6)。ゆえに,き裂の開口,およびき裂発生によって生じた新生表面が電流密度の変化に影響を及ぼしたと考えられる。Fig.6に示すように,き裂は張出し試験片のFoot部から発生し,半径方向に進展した。また,2つのき裂はほぼ同時に180°対向した位置で発生したことが観察された。Fig.7に水素脆化試験後の張出し加工試験片の外観写真を示す。2つのき裂は半径方向に進展し,Top部付近で合体した。き裂はTop部のパンチ押込み側でつながっていたが,張出し側ではつながらずリガメントが残された。同様の水素脆化試験は4回実施し,面対称位置に2つのき裂がほぼ同時に発生することが再現可能であった。このことから,1つ目のき裂の発生は面対称位置での応力状態に影響し,2つ目のき裂がほぼ同時に発生することを促進したと考えられる。

Fig. 5.

Change in the potential and current density with time during hydrogen embrittlement test under potentiostatic hydrogen charging.

Fig. 6.

Appearances of the crack initiation and propagation on the depression side of a stretch-formed specimen (a) 0, (b) 2, (c) 4 and (d) 6 h after crack initiation. Red arrows indicate positions of the cracks. (Online version in color.)

Fig. 7.

Views of (a) the depression and (b) impression sides of the stretch-formed specimen after the hydrogen embrittlement test. (Online version in color.)

Fig.8に水素脆化試験中の張出し加工試験片をパンチ押込み側から観察したときのき裂の進展挙動を示す。き裂は張出し試験時にダイの肩部と接触していた張出し側のFoot部で面対称の位置で発生し,き裂発生から2時間後までに試験片のTop部,およびPlain部に向かって急速に進展した。その後,き裂はさらにTop部,Plain部に進展し,14時間後にはき裂は張出し試験片を横切ってつながった。Fig.9に破面のSEM観察結果を示す。張出し試験片のいずれの位置の破面も典型的な水素脆化割れ形態である粒界破壊と擬へき開破壊が混在した。

Fig. 8.

(a) Schematic views of the cross section of the stretch-formed specimen and (b) the crack growth with time. The cracks were observed from the depression side of the specimen. The red lines indicate positions where cracks existed. (Online version in color.)

Fig. 9.

(a) An optical image of the fractured specimen and SEM images of the fracture surfaces of the (b) top, (c) foot and (d) plain. (Online version in color.)

3・2 水素分析

Fig.10Fig.3で示した張出し試験片の4カ所から切り出した水素分析用試料の水素放出曲線を示す。張出し試験片は3 wt% NaCl+20 g/L NH4SCN水溶液でき裂が試験片を貫通するまで水素脆化試験を行った後のものを用いた。それぞれの水素分析用試料の水素放出ピークは90°Cから100°C付近に現れ,150°Cまでにほとんどの水素が放出された。水素放出ピークの高さはTop部から離れるにしたがって低下する傾向がみられた。Table 2Fig.10の水素放出曲線から得られた各水素分析用試料の拡散性水素量を示す。拡散性水素量はTop部でもっとも高く,Plain部のおよそ5倍であった。転位は水素トラップサイトとして作用するため,塑性ひずみの導入による転位密度の増加は拡散性水素量を増加させることが報告されている23,25)。したがって,測定位置による拡散性水素量の差は張出し試験片の塑性ひずみ量の差,すなわち水素トラップサイトの密度の違いに起因すると考えられる。FEMを用いて得られた相当塑性ひずみの分布については後述する。

Fig. 10.

Hydrogen evolution curves of the samples taken out form a hydrogen-charged stretch-formed specimen as shown in Fig. 3. (Online version in color.)

Table 2. Diffusible hydrogen content in samples taken from a hydrogen-charged stretch-formed specimen. (weight ppm).
PlainFootHillsideTop
1.893.916.529.82

また,塑性ひずみのない領域(Plain部)の拡散性水素量は1.89 wt ppmであった。本研究では,1000 MPa級鋼板の張出し試験片に水素脆化割れを生じさせるために,水素チャージ液には比較的高濃度のNH4SCNを添加した。一方,大気暴露26,27),および複合サイクル腐食試験27,28)によって腐食された,塑性ひずみのない同様のSCM435鋼の拡散性水素量は0.2 wt ppm以下であった。大気中腐食条件では,NH4SCNを添加した溶液中の水素チャージと比較して水素の侵入量が少ないため,本研究で使用した張出し試験片は大気腐食環境下では水素脆化割れは発生しないと考えられる。

3・3 シンクロトロンXRDを用いた残留応力計測

Fig.11にSPring-8のビームラインBL14B1でシンクロトロンXRDを用いて測定した張出し試験片の半径方向と円周方向の残留応力分布を示す。測定には水素脆化試験前の張出し試験片を用いた。図中の「Center」,「Depression」,および「Impression」はそれぞれ板厚方向の中央付近,パンチ押込み側の表面近傍,および張出し側の表面近傍を表す。Foot部,およびPlain部では,板厚中心,および張出し側に,Hillside部ではパンチ押込み側に半径方向の引張応力が観察されたが,張出し試験時にパンチと接触していたTop部付近では板厚方向全体に圧縮応力が発生し,パンチ押込み側でもっとも高い圧縮応力を示した。一方,Hillside部からFoot部にかけてのすべての板厚方向では,円周方向に比較的高い引張応力を有しており,2つのピークが存在していたが,Top部では圧縮応力が確認された。また,半径方向応力と同様に,もっとも高い円周方向の圧縮応力はパンチ押込み側に存在した。Fig.11の応力の測定結果とFig.8に示したき裂発生位置の観察結果を比較すると,水素脆化き裂発生点は,円周方向に高い引張応力が発生した張出し試験片の張出し側のFoot部に対応していることがわかる。さらに,半径方向へのき裂成長は円周方向の引張応力が支配的であることを示している。張出し試験片のTop部は圧縮応力が支配的であるにもかかわらず,面対称位置に発生した2つのき裂が最終的に結合するまでTop部まで進展した。これはき裂先端の応力状態がき裂の進展にともなって変化したためと考えられる。

Fig. 11.

Distributions of stresses in the (a) radial and (b) circumferential directions in the stretch-formed specimen measured by using synchrotron X-ray diffraction at SPring-8. (Online version in color.)

3・4 FEMによる残留応力と塑性ひずみの解析

Fig.12にFEMによって得られた張出し試験片の円周方向,および半径方向の応力,静水圧応力,および相当塑性ひずみのコンター図を示す。円周方向と半径方向の引張応力はFoot部で最大を示し,Hillside部のパンチ押込み側で高い値を示した。Top部周辺では円周方向,および半径方向の圧縮応力が得られた。また,円周方向応力のほうが半径方向応力よりも大きな値を示した。これらの解析結果は,前述のXRDによって得られた結果とよく対応した。

Fig. 12.

Contour diagrams of (a) radial stress, (b) circumferential stress, (c) hydrostatic stress, and (d) equivalent plastic strain calculated by means of FEM. (Online version in color.)

Fig.12(c)に示すようにFoot部の板厚中央部,およびHillside部のパンチ押込み側の円周方向,および半径方向の比較的高い引張応力に対応して静水圧は負でその絶対値は大きく,すなわち静水圧応力(引張方向の三軸応力)は大きかった。相当塑性ひずみはTop部付近で高い値を示し,張出し側で最大値を示した。また,Foot部には比較的高い相当塑性ひずみが存在することが確認された。

3・5 XRDとFEMによる応力分布の解析結果の比較

Fig.13にSPring-8でのXRD測定とFEM解析によって得られた張出し試験片の板厚方向の中央付近の半径方向応力と円周方向応力分布の比較を行った結果を示す。また,FEMによって得られた静水圧応力分布も示す。これらの図のFEMで得られた応力については,板厚方向中央300 µmの範囲における平均値とした。この範囲で応力を平均化した理由は,板厚方向に幅300 µmの範囲を応力測定の対象領域とした放射光XRDの結果と比較するためである。XRDおよびFEMのいずれも円周方向応力は半径方向応力よりも高いことが確認された。また,XRDで測定された円周方向応力はFEMにより得られた結果とよく一致しており,Foot部とHillside部に2つの引張応力のピークが現れた。ゆえに,少なくとも円周方向応力分布は測定と計算のいずれも妥当であると言える。水素脆化試験で観察されたき裂発生箇所はFEMとXRDの両方で得られた円周方向の引張応力のピーク位置に対応した。また,円周方向および半径方向の最大引張応力を示したFoot部において,FEMによって得られた静水圧は最小値を示した。

Fig. 13.

(a) Radial stress, (b) circumferential stress, and (c) hydrostatic stress of the center in the thickness direction of a stretch-formed specimen. “Measured” and “Calculated” denote that the data were obtained by means of synchrotron X-ray diffraction and FEM, respectively. (Online version in color.)

3・6 水素脆化に及ぼす残留応力と塑性ひずみの影響

Wangら,およびAkiyamaらは水素チャージした1300 MPaおよび1500MPa級高強度鋼の環状切欠付き丸棒試験片の引張試験を実施し1,5,2932),切欠底からわずかに内側の位置が粒界破壊の起点であることを報告した。この破壊の起点は最大主応力がピークとなり,静水圧応力によって水素の集積が生じた33)位置に対応する。本研究ではXRD,およびFEMによって張出し試験片のFoot部で円周方向の引張応力がもっとも高く,引張応力の最大の位置がき裂発生位置と対応したことが確認された。さらに,円周方向応力のほうが半径方向応力よりも大きいことから,主に円周方向応力がき裂進展方向の支配因子であったと考えられる。静水圧応力(引張三軸応力)は水素の応力誘起拡散による水素集積4,21,22,30,31)の要因となることから,三軸応力が高い領域で水素濃度が高かったと考えられる。FEMの結果によると,高い引張三軸応力は円周方向と半径方向に高い引張応力が生じた領域となったFoot部に存在した。そのため,高い引張応力と三軸応力による水素集積がFoot部のき裂発生を決定していることを示したと考えられる。Fig.12(d)のFEMにより得られた相当塑性ひずみ分布より,もっともひずみの大きい領域は張出し試験片のTop部の張出し側であり,Foot部も比較的高い相当塑性ひずみが存在することがわかる。Foot部の最大塑性ひずみの位置は円周方向応力の最大点とは一致していないが,塑性ひずみもき裂発生点の位置を決定することに寄与したことが考えられる。転位は水素トラップサイトとして作用するため,塑性変形した鋼材は転位の増殖によって水素吸蔵量が増加することが知られる。Fig.10,およびTable 2に示すように,水素分析の結果から,拡散性水素量はTop部でもっとも高く,Top部からの距離が離れるにしたがって減少することが確認された。これらの結果は塑性ひずみの大きい領域で拡散性水素量が高いことを示唆する。また,Foot部の比較的大きな塑性ひずみを示した領域では,その領域の体積が小さいために拡散性水素量への影響が小さかったと考えられる。以上のように,張出し試験片中の拡散性水素の分布は張出し加工によって導入された塑性ひずみに依存したが,き裂発生点との直接的な関係は確認できなかった。しかし,一般的に水素脆化感受性は強度が高くなるほど上昇するため,塑性ひずみによる加工硬化がFoot部の水素脆化感受性を上昇させ,き裂の発生を助長した可能性がある。したがって,Foot部での局所的な応力,および水素集積に加えて,比較的高い局所塑性ひずみがき裂の発生を助長した可能性も考えられる。

以上のことから,張出し試験片のFoot部において水素脆化割れが発生した主因子は張出し試験により導入された高い引張残留応力,および静水圧応力による水素の集積であることが示唆される。さらに,張出し加工を施した試験片のFoot部で硬度が上昇するため,塑性ひずみが水素脆化割れ発生に副次的に影響したことも示唆される。

4. 結言

張出し加工を施した焼戻しマルテンサイト鋼の水素脆化特性に及ぼす残留応力と塑性ひずみの影響を調査した。残留応力分布は,SPring-8のBL14B1の白色X線を用いたエネルギー分散XRDによって求めた。さらにFEMを用いて張出し加工後の試験片の残留応力,および塑性ひずみ分布を解析した。これらの結果を以下にまとめる。

(1)水素チャージにより張出し試験片の張出し側のFoot部で,面対称に2つのき裂が発生し,半径方向に伝播した。破面は粒界破壊と擬へき開破壊が混在した。

(2)XRDとFEMにより得られた残留応力分布によると,円周方向の引張応力はFoot部で最大値を示した。この円周方向の最大引張応力が作用した位置はき裂発生位置とよく一致し,応力がき裂発生の要因となっていることが示唆された。円周方向の応力は半径方向応力と比較して高い傾向を示した。このことは半径方向にき裂が発生,進展した原因になったと考えられる。

(3)FEMで得られた静水圧応力はFoot部で最も大きく,拡散性水素の集積を引き起こしたと考えられる。この水素集積もき裂発生の一因と考えられた。

(4)張出し加工により塑性ひずみが最大となったTop部では,拡散性水素量がもっとも高かった。水素分析により測定した拡散性水素量はFEMによって得られた塑性ひずみ量の増加とともに高くなったが,き裂発生位置への直接的な影響はなかった。Foot部での比較的高い塑性ひずみは加工硬化により水素脆化感受性を上昇させ,き裂発生を助長した可能性も考えられる。

謝辞

本研究は文部科学省科学研究費補助事業新学術領域研究「ハイドロジェノミクス」(JP18H05513,JP18H05514)の助成を受けたものです。SPring-8の放射光を用いた残留応力解析は文部科学省委託事業「ナノテクノロジープラットフォーム」事業のQST微細構造解析プラットフォーム課題番号A-17-QS-0024,A-18-QS-0011,A-19-QS-0034の支援を受けて実施しました。また,高輝度光科学研究センター(JASRI)承認のもと,SPring-8のQST(JAEA)ビームラインBL14B1(課題番号2017B3681,2018A3681,2019B3681)にて行われました。また,本研究は日本鉄鋼協会「鉄鋼材料への腐食誘起水素侵入」研究会の助成を受け,材料の提供を受けたものです。ここに感謝申し上げます。

文献
 
© 2021 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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