鉄と鋼
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論文
高温でオーステナイト化したボロン鋼の焼入性と析出物状態に与えるモリブデン添加量の影響
石川 恭平 藤岡 政昭星野 学高橋 淳本間 竜一潮田 浩作
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2023 年 109 巻 1 号 p. 62-75

詳細
Abstract

The effect of molybdenum (Mo) contents on hardenability and precipitation behaviors in Mo-B simultaneously added steels were investigated placing a focus on high austenitizing temperature. The hardenability of 0.5% Mo - 11 ppm B steel austenitized at 1150°C was decreased compared with that austenitized at 950 °C, whereas 1.0% Mo - 10 ppm B and 1.5% Mo - 9 ppm B steels were less affected by high austenitizing temperature than 0.5% Mo - 11 ppm B steel. The Fe23(C, B)6 precipitation by increasing austenitizing temperature was also revealed to be suppressed in 1.5% Mo – 9 ppm B steel. These results indicate that the improved effect of the Mo addition on hardenability by retarding the precipitation of Fe23(C, B)6 still appear in B-added steels austenitized at high temperature. Furthermore, Fe23(C, B)6 precipitation start temperature was increased in Mo-B added steels austenitized at 1150 °C. This result implies that non-equilibrium B segregation mechanism during cooling from high austenitizing temperature enhances the amount of segregated B on grain boundaries leading to the promotion of the borides precipitation at high temperature austenitizing region. However, Mo is presumed to fix a part of thermal vacancies as Mo-V complex resulting in the suppression of non-equilibrium B segregation to grain boundaries during cooling, which is speculated to inhibit the Fe23(C, B)6 precipitation. Thus, the effect of Mo-B combined addition on hardenability was presumably maintained even in high austenitizing temperature region.

1. 緒言

ホウ素(以下B)は10 mass ppm(以降,断らない限り ppmと略記)程度の極微量の添加により鋼の焼入性を著しく向上させるため,高強度鋼の製造において有用な元素である1,2)。焼入性向上に寄与するのは変態前のオーステナイト(以下γ)粒界に偏析した固溶B35)であり,Fe23(C,B)6などのホウ化物が焼入れ時の変態前に析出した場合にはBの焼き入れ性向上効果が減少する。そのため,特に厚手材の板厚中心部のような焼き入れ時の冷却速度が低くなる条件下でBの焼入性向上効果を活用するためには,冷却中のFe23(C,B)6の析出を抑制する効果を有するモリブデン(以下Mo)をBと複合添加(Mo-B複合添加)2,6,7)することが有効であることが知られている。

一方,焼入れ前のγ化温度が高い場合にはMoの効果が十分に得られない場合がある。例えばAsahiは0.5 mass% Mo -13 ppm B(以降,断らない限り%と略記)を含む鋼の焼入性に対するγ化温度の影響を報告しており6),γ化温度が1000°CまではMo-B複合添加による焼入性向上効果が得られるものの,1100°C以上ではB単独添加の場合とMo-B複合添加の場合でBの効果に大きな差はないと報告している。また,このときの析出物を観察し,950°Cでγ化した場合には冷却後に析出物が存在しないのに対し,1250°Cでγ化した場合にはFe23(C,B)6が析出することを確認している。このようなγ化温度の高温化に伴うFe23(C,B)6の析出促進現象は,高温からの冷却時にBの粒界偏析量が固溶限以上に増加してしまうためと考えられており,Bが過剰空孔と対をつくることで高速拡散するという非平衡偏析のモデル813)によって説明されてきた。従来Bの粒界偏析量の定量的な測定は難しかったため,非平衡偏析モデルの妥当性には議論が残るものの,近年Miyamotoら14)は3DAP(Three Dimensional Atom Probe)によるBの粒界偏析量の測定により,1050°Cと1150°Cの焼入温度の場合,Bの粒界偏析量が拡散律速の場合の平衡偏析量の計算値よりも増加することを実験的に示しており,高温からの冷却中にBの偏析量が増加する現象の存在は確からしいといえる。

以上のような従来知見を踏まえると,Moは高温でγ化したB鋼における非平衡偏析に起因したFe23(C,B)6の析出促進現象に対しても何らかの影響を与えうると考えられるが,高温でγ化した場合のB鋼の焼入性と析出状態に対するMoの添加量の影響は明らかになっていない。Asahi6)も,0.5% MoまでのMo添加量の範囲でγ化温度の影響を調査している。しかし,0.5% Mo以上の添加量領域においてもFe23(C,B)6の析出促進現象が生じるのかについての報告はない。また,著者らは950°Cの加熱温度において0~1.5% Moの範囲でB鋼の焼入性と析出物状態を調査し,Mo添加量が0.75%以上かつB添加量が12 ppmの高Mo,高B添加量の領域ではMo2FeB2が析出し,Mo-B複合添加効果が飽和することを知見している15)。しかし,高温でγ化してMo2FeB2を溶体化した場合の焼入性の変化や,Mo2FeB2を溶体後の冷却過程でFe23(C,B)6が優先的に析出するかについては不明である。そこで本研究では,高温でγ化したB添加鋼における焼入性のMo-B複合添加効果に対するMoの添加量の影響,およびその機構を明らかにすることを目的として,MoおよびBの添加量を変化させた鋼の焼入性と析出物状態の関係を調査することとした。

2. 実験方法

2・1 供試鋼

本研究の供試鋼は著者らが前報1518)において焼入性評価,析出物状態調査,3DAP測定に用いたものと同一の試料である。供試鋼は,Table 1に示す化学成分の鋼を真空溶解により作製した。Fe-0.15C-1.3Mn(%)を基本成分とし,Bを無添加から25 ppm,Moを無添加から0.5%の範囲で変化させている。以下では,0.5% Mo添加でBは無添加の鋼をM5B0鋼,0.5% Mo添加でBを5 ppm添加した鋼をM5B5鋼のように表記する。なお,いずれの鋼種もBNの析出を抑制するためにTiを0.02%添加してほぼ全量のNをTiNとして析出させている。50 kgインゴットに鋳造した後,1250°Cで3600 s保持してγ化後に板厚35 mmまで仕上温度950°Cで熱間圧延を行い,空冷後に焼入性評価用および析出物観察用の試料を採取した。

Table 1. Chemical compositions of test steels. (mass%, *ppm)
No. C Si Mn P* S* Ti Al Mo B* N* O*
(0, 10, 20)B 0.15 0.27 1.31 <20 19 0.020 0.020 <0.01 <3, 10, 20 7 <10
M5(0, 5, 9, 11, 14, 16, 20, 25)B 0.14 0.27 1.29 <20 20 0.020 0.017 0.50 <3, 5, 9, 11, 14, 16, 20, 22 8 <10
M7(0, 10,20)B 0.14 0.27 1.28 <20 20 0.020 0.017 0.76 <3, 10, 20 8 <10
M10(0, 5, 10, 12, 14, 17, 25)B 0.14 0.28 1.27 <20 20 0.020 0.017 1.01 <3, 5, 10, 12, 14, 17, 25 13 <10
M15(0, 4, 9, 11, 14, 16, 20, 23)B 0.14 0.28 1.26 <20 20 0.020 0.017 1.52 <3, 4, 9, 11, 14, 16, 20, 23 18 <10

2・2 焼入性と変態開始温度の評価

焼入性はジョミニ試験によって評価した。試験片のサイズは25 mmϕ×100 mmとし,試験片をAr雰囲気の加熱炉で1150°Cで保持した後,試験片を一端焼入れした。焼入れ後の試験片の側面を1 mm研削し,焼入れ端からの硬度の変化をロックウェル硬度測定によって評価した。本研究では前報告15)と同様に,Ueno and Itoh2)が提唱した90%マルテンサイト組織が得られる臨界冷却速度Vc-90(°C/s)を焼入性の指標とした。なお,Fig.1に示すMo添加量依存性の調査に用いたB無添加鋼とB添加量10,20 ppmの鋼のみ1150°Cでの保持時間を2700 sとした。Fig.2に示すB量依存性の調査は,特にB添加量の少ない鋼種での脱B19)の影響を最小限にとどめるために1150°Cでの保持時間を600 sとした。このような実験条件下では焼入性に対して脱Bの影響はほぼないものと考えている。

Fig. 1.

Effect of Mo content on hardenability (Vc-90) of B-free steels and B-added steels, which are austenitized at (a) 950°C and (b) 1150°C. Dashed line was calculated by using Ueno’s prediction formula of hardenability2). (Online version in color.)

Fig. 2.

Effect of B content on hardenability (Vc-90) influenced by Mo content, which are austenitized at (a) 950°C and (b) 1150°C. (Online version in color.)

変態温度の測定は3 mmϕ×10 mmの試験片で実施した。フォーマスタ試験機(富士電波工機社製)を用いて1150°C×20 sでγ化し,γ化後の冷却速度を0.5~30°C/sで変化させて室温まで冷却した際の温度変化に対する長さ方向の線膨張変化を測定し,変態膨張量の変化から10%変態率となる温度を算出し,その温度を変態温度と定義した。

2・3 Bの析出物状態の評価

圧延材から採取した3 mmϕ×10 mmの試験片をフォーマスタ試験機(富士電波工機社製)を用いて1150°C×20 sでγ化後,1~5°C/sで冷却し,650°CからHeガスにより急冷する熱処理を与え,析出物状態の評価用の試料とした。なお,ガス急冷温度よりも高温側でベイナイト変態が生じると焼入性に寄与しているγ粒界上のBの偏析・析出状態に影響を及ぼす可能性があるため,Steven and Haynes20)が提案した実験的な経験式からBs点を計算し,M5Bx鋼で631°C,M10Bx鋼で590°C,M15Bx鋼で548°Cであったことから,いずれの鋼種でも確実にベイナイト変態温度より高温側となる温度として650°Cを選定した。Heガス急冷時の冷却速度は100°C/s以上であり,このような熱処理により焼入性に寄与しているγ粒界上のBの偏析・析出状態を室温まで凍結できていると考えている。Bの分布状態の調査のため,熱処理後の試験片の中心部の断面200 μm×200 μmの領域について,飛行時間型二次イオン質量分析法(ToF-SIMS: Time of Flight-Secondary Ion Mass Spectrometry)を用いて観察した。前報17)と同様にToF-SIMS測定はION-TOF社製のTOF. SIMS5を用い,一次イオンとしてBi+を使用し,Bを含む二次イオンとしてBO2-(質量電荷比m/z=43)を検出した2123)。また,熱処理後の試験片をSPEED(Selective Potentiostatic Etching by Electrolytic Dissolution)法によりエッチングした後に抽出レプリカ観察用の試料を作製し,微小領域の観察,分析が可能な日本電子社製の200kV-電界放出型透過電子顕微鏡鏡(TEM: Transmission Electron Microscope)を用いてBの析出物の観察と同定のための解析を行った。

なお,Fe23(C,B)6の析出開始温度を調査する目的で,M7B20鋼についてのみ8 mmϕ×12 mmの試験片を用いて,一旦1200°C×600 sで溶体化処理を実施してFe23(C,B)6を完全に溶体化させたのちに1150°C×20 sで再度γ化し,その後の冷却中の急冷開始温度を変化させた熱処理を与えた試料の析出物状態を調査した。1150°C×20 sのγ化直後にHeガスで急冷する水準,および850°C,650°Cまで10°C/sで冷却した後にHeガスで急冷する水準の3種類の熱処理を与えた試料を用いてTEM観察し,析出物状態を調査した。

3. 実験結果

3・1 B鋼の焼入性に対するMo添加量の影響

3・1・1 ジョミニ試験

Fig.1にB無添加鋼およびB添加量10 ppm,20 ppmの鋼(以下,それぞれMxB0鋼,MxB10鋼,MxB20鋼と表記する。xは添加量を表す。)のVc-90に対するMo添加量の影響について,950°Cでγ化した試料(以下950°C材)と1150°Cでγ化した試料(以下1150°C材)を比較して示す。なお,950°C材および1150°C材のB=0 ppmおよび20 ppmを含む鋼は前報の結果15,18)であるが比較のために引用した。Fig.1(a)に示す950°C材の場合,MxB10鋼ではMo添加量の増加に伴いMo添加量が1.5%以下の領域ではVc-90が低下し続けるが,MxB20鋼ではMo添加量が0.75%以上の領域でVc-90が一定値となる。前報15)では,このMxB20鋼のVc-90が一定値となる領域ではMo2FeB2が950°Cの加熱温度付近で析出することを確認した。Vc-90が一定値となるのは,Mo添加量の増加に伴う固溶Moによる焼入性の向上とMo2FeB2の析出量の増加による固溶B量の減少による焼入性の低下がつりあったものと推定される。Fig.1(b)に1150°C材のVc-90に対するMo添加量の影響を示す。950°C材ではVc-90が一定値となっていたMxB20鋼のMo添加量が0.75%以上の領域において,1150°C材ではM7B20鋼とM15B20鋼で明確にVc-90の値に差が認められ,Mo添加量の増加によって焼入性が向上した。すわなち,950°C材でB鋼に対するMoの効果の飽和要因となっていたMo2FeB2を1150°Cの高温で溶体化した結果,Mo添加量の増加に伴ってVc-90が一定値となることはなくなり,Mo添加量が1.5%までVc-90はほぼ線形に低下することがわかった。一方で,Vc-90の値は1150°C材の方が大きく,γ化温度の高温化に伴っていずれのMxB20鋼においても焼入性は低下した。これはMo2FeB2を1150°Cの高温で溶体化し,その後焼入れを行っても焼入性の改善効果は得られないことを意味している。また,MxB10鋼においてもMxB20鋼と同様に950°C材よりも1150°C材の方が焼入性の低下が認められたことも踏まえると,Mo添加量が0.5%以上の領域においても,高温γ化からの冷却中のBの高速拡散によりBの粒界偏析が進行してFe23(C,B)6の析出を早める効果,すなわち前述した非平衡偏析の影響により焼入性の低下が生じていると推定される。これらについては,4章で考察する。

Fig.2にB鋼の焼入性指標Vc-90に与えるB量の影響をMo添加量毎に示す。Fig.2(a)は950°C材の測定結果であり,前報15)の結果を比較のために引用した。950°C材の場合,M5Bx鋼(xは添加量を表す。)ではBの効果が最大となるB添加量が11 ppm付近であった。Ueno and Itoh2)はMo無添加鋼ではB添加量が5 ppm以上の領域ではFe23(C,B)6の析出によってVc-90が一定値となると報告しているため,M5Bx鋼の結果はAsahi6)が報告しているMoによるFe23(C,B)6析出抑制による焼入性向上効果が発現していると考えられる。950°C材の場合,Mo添加量を1.0%,1.5%と増加させてもBの効果が最大となるB添加量は顕著に増加せず,B添加量が12 ppm以上の領域ではMo添加量を増加させても焼入性が向上しない。これはFig.1(a)でMxB20鋼の0.75%以上の領域で,Vc-90が一定値となったことに対応する。Fig.1(b)は1150°C材の測定結果である。M5Bx鋼においてBの焼入性効果が最大となるのは950°C材が10 ppm程度であったのに対して,1150°C材では 5 ppm付近に低下しており,これはAsahi6)の1250°C材の従来知見と同様の結果であり,Fe23(C,B)6の析出がより低いB添加量で生じたことに対応する。これに対し,M10Bx鋼,M15Bx鋼ではいずれもB添加量が10 ppm付近までB添加量の増加に伴ってVc-90が減少し,焼入性が向上したが,それ以上のB添加量では焼入性は顕著に向上せず,Vc-90は一定かやや低下した。これはM5Bx鋼と異なりFe23(C,B)6の顕著な生成が無かったことを示唆している。また,1150°C材の特徴として,950°C材と異なりB添加量が12 ppm以上の領域でもM10Bx鋼,M15Bx鋼の焼入性に差がある点があげられる。これは特にM10Bx鋼においてMo2FeB2の析出が無かったことを示唆する結果である。

3・1・2 変態挙動の変化

3・1・1で確認されたγ化温度の高温化に伴う焼入性の低下現象において,γ化温度がFe23(C,B)6の析出挙動に与える影響を推定するために,950°C材でB析出が生じないと考えている10 ppm程度のBを含むM5B11鋼,M10B10鋼,M15B9鋼を用いて各冷却速度の変態温度に与えるγ化温度の影響を調査した。Fig.3(a)-(c)にフォーマスタ試験機によって測定した各鋼種の変態開始温度を示す。なお,Fig.3(a)-(c)には変態温度から変態の種類を推定するためにSteven and Haynes20)が提案した実験的な経験式からBs点とMs点を計算し,値を記載した。Ms点以下の変態温度の測定点は焼入れ温度が変態温度に与える影響が小さいのに対し,Bs点からMs点の間の温度領域の測定点は焼入れ温度が変態温度に与える影響が大きい。これは熱力学的な影響ではなく,γ粒界上の固溶B量が減少することによってベイナイト変態の核生成頻度が上昇するといった速度論的な影響によって焼入れ性が変化していることを示唆する。次に,γ化温度の違いによる変態開始温度への影響について述べる。M5B11鋼では,10°C/s以下の冷却速度域でγ化温度の高温化に伴う変態温度の上昇が顕著に認められた。一方,M10B10鋼,M15B9鋼でも同様に低冷却速度域で変態温度の増加が認められたが,γ化温度の高温化に伴う変態温度の上昇が顕著に認められる冷却速度はそれぞれ5°C/s,3°C/s付近とM5B11鋼よりも低冷却速度域へ移行した。このようなγ化温度の高温化に伴う変態温度の上昇は,焼入性の低下を示しており,ジョミニ試験の結果と矛盾しない。また,この変態温度の変化はFe23(C,B)6の析出による偏析B量の減少によるものと推定されるため,以下ではそれぞれの鋼の析出物状態を調査した結果について述べる。

Fig. 3.

Effect of austenitizing temperature on transformation start temperature. (a) 05Mo12B steel, (b) 10Mo10B steel, and (c) 15Mo10B steel.

3・2 Bの析出物状態

3・2・1 1150°Cでγ化されたM5B11,M10B(5, 10),M15B(4, 9)鋼の析出状態

各鋼種のVc-90に近い冷却速度域において変態前の析出物状態を調査するために,1150°Cから650°Cの冷却速度をM10B10鋼では3°C/s, M15B9鋼では1°C/sとし,650°C以下をHeガスで急冷した試料についてSIMS測定を実施した。Fig.4はSIMSによって測定したM10B10鋼,M15B9鋼のBO2-イオンマップである。線状に輝度が上昇している部分はγ中で粒界に偏析した固溶Bに,粒状に輝度が高い部分はBの析出物に対応する。M10B10鋼,M15B9鋼のいずれも粒界偏析した固溶Bが存在していることがわかる。一方,Fig.4(a)に示すM10B10鋼のBO2-イオンマップでは,図中に矢印で例示しているような析出物が認められるのに対し,M15B9鋼のBO2-イオンマップではM10B10鋼で認められたような析出物に対応すると考えられる明確な輝度差を示す粒状の部分は観察されなかった。

Fig. 4.

SIMS BO2 ion maps. Arrows indicate precipitates. (a) M10B10 steel cooled from 1150°C to 650°C at 3°C/s. (b) M15B9 steel cooled from 1150°C to 650°C at 1°C/s. (Online version in color.)

Table 2にM5B11,M10B(5, 10),M15B(4, 9)のTEM観察による析出物の同定結果を示す。TEM測定に用いた試料もSIMS同様の熱処理を付与しており,1150°Cからの冷却速度もTable 2内に記載している。M5B11鋼,M10B10鋼ではFe23(C,B)6が析出していた。Fig.5にM10B10鋼で析出していたFe23(C,B)6の一例を示す。一方,M15B9鋼ではBの析出物は認められなかった。すなわち,10 ppm程度のB添加量の領域では,1.5%のMo添加によってγ化温度の高温化に伴うFe23(C,B)6の析出は抑制しうるといえる。また,M15B4鋼,M10B5鋼ではBの析出物は認められず,B添加量が5 ppm程度の場合はMo添加量が1.0%であってもγ化温度の高温化に伴うFe23(C,B)6の析出を抑制できることがわかる。

Table 2. Observation results of precipitated borides in M5B11, M10B(5, 10), M15B(4, 9) steels austenitized at 1150°C.
Material Mo(%) B(ppm) Cooling rate from 1150°C to quenching temperature (°C/s) Precipitated borides
M10B5 1 5 3 No boride
M15B4 1.5 4 1 No boride
M5B11 0.5 11 5 Fe23(C,B)6
M10B10 1.0 10 3 Fe23(C,B)6
M15B9 1.5 9 1 No boride
Fig. 5.

Extraction replica TEM photograph, electron diffraction pattern and EDS spectrum of borides in M10B10 steel cooled from 1150°C to 650°C at 3°C/s. (Online version in color.)

3・2・2 1150°Cでγ化されたM7B20,M10B25,M15B(14, 23)鋼の析出状態

950°Cでγ化した場合にMo2FeB2が析出する領域において1150°Cでのγ化の影響について調査するために,M7B20,M10B25,M15B(14, 23)鋼についてもTEM観察によるB析出物の同定を実施した。Table 3は各鋼種の観察結果である。M15B4鋼ではB析出(Mo2FeB2)が認められなかったが,M15B14鋼とM15B23鋼では950°C材と同様に,1150°Cでγ化した場合にもMo2FeB2の析出が認められた。Fig.6にM15B23鋼で認められたMo2FeB2の例を示す。一方,950°C材ではMo2FeB2が析出する領域であるM7B20,M10B25鋼では,1150°Cでγ化した場合にはFe23(C,B)6が析出していた。これは950°C のγ化でMo2FeB2が析出しうる成分系であっても,1150°C加熱時にMo2FeB2が溶体化される場合には高温からの冷却中にFe23(C,B)6が優先的に析出しうることを示唆する。これについても,第4章で考察する。

Table 3. Observation results of precipitated borides in M7B20, M10B25, M15B(14, 23) steels austenitized at 1150°C.
Material Mo(%) B(ppm) Cooling rate from 1150°C to quenching temperature (°C/s) Precipitated borides
M7B20 0.75 20 10 Fe23(C,B)6
M10B25 1.0 25 3 Fe23(C,B)6
M15B14 1.5 14 1 Mo2FeB2
M15B23 1.5 23 1 Mo2FeB2
Fig. 6.

Extraction replica TEM photograph, electron diffraction pattern and EDS spectrum of borides of M15B23 steel cooled from 1150°C to 650°C at 1°C/s. (Online version in color.)

高温加熱時のFe23(C,B)6の析出温度挙動を推定するために,M7B20鋼を用いて1150°Cでγ化し,連続冷却後の急冷開始温度(TQ)を変化させた試料においてTEM観察を実施した。Table 4およびFig.7に示す通り,TQ=1150°C(γ化直後急冷材)の場合でもFe23(C,B)6が析出していた。また,TQ=850°C,TQ=650°CとTQの低温化に伴ってFe23(C,B)6の粗大化が認められた。これは1150°Cでγ化した場合,1150°Cからの冷却開始直後の高温域からベイナイト変態開始の直上温度である650°Cの広い温度域でFe23(C,B)6が生成し,成長していることを意味する。

Table 4. Observation results of borides in M7B20 steel austenitized at 1150°C.
Quenching temperature(°C), TQ Cooling rate
from 1150°C to TQ (°C/s)
Precipitated borides
1150 Fe23(C,B)6
Size: 100 nm
850 10 Fe23(C,B)6
Size: 100 nm -1 µm
650 10 Fe23(C,B)6
Size: 200 nm -1.8 µm
Fig. 7.

Extraction replica TEM photograph of borides in M7B20 steel quenched from various temperature TQ after austenitized at 1150°C. Arrows indicate Fe23(C,B)6. Cooling rate from 1150°C to TQ was 10°C/s in (b) and (c).

4. 考察

4・1 焼入性とBの析出状態の関係

本研究で確認された1150°Cでγ化した場合の焼入性に影響するBの析出物状態を,950°Cでγ化した前報15)の結果と比較するために,各γ化温度の実験結果を以下のように整理した。Fig.8Vc-90に対するB量の影響と実験的に確認されたBの析出物状態をMo添加量毎に示す。析出物状態の調査はすべての鋼で実施しているわけではないため,析出物調査を実施した鋼種については図中に矢印で示し,Bの析出が生じるB添加量を推定するためにVc-90の値が極小値をとるB添加量も図中に白抜きのシンボルとして図示した。Fig.9には,各Mo添加量におけるBの析出状態に与える加熱温度の影響の模式図も合わせて示した。なお,模式図ではB添加量が15 ppmの鋼におけるVc-90近傍の冷却速度における析出状態を想定している。Fig.8(a)に示したM5Bx鋼の場合は,950°C材ではB添加量が9 ppmの鋼ではBの析出が認められず,B添加量が20 ppmの鋼ではFe23(C,B)6の析出が認められた。これに加え,Vc-90の値が極小値となったのはB添加量が11 ppmの鋼であったため,B添加量が11 ppmよりも多い領域でFe23(C,B)6が生成していると推定される。同様に1150°C材においてはB添加量が11 ppmの鋼でFe23(C,B)6の析出が認められ,B添加量が5 ppm付近にVc-90の極小値があるため,B添加量が5 ppmよりも大きい領域でFe23(C,B)6が生成していると推定される。Fig.8(b)に示したM10Bx鋼,Fig.8(c)に示したM15Bx鋼についても析出物観察の結果とVc-90の値が極小値となるB添加量をもとに同様の推定を実施した。Fig.9中の模式図に示す通り,M10Bx鋼のB添加量が10 ppm以上の領域では,焼入れ温度の高温化によってVc-90近傍の冷却速度で冷却した場合に認められる析出物種がMo2FeB2からFe23(C,B)6に変化していると推定される。また,M15Bx鋼では1150°C材においても加熱温度域でMo2FeB2が析出することでこのような焼入れ温度による析出物種の変化は生じないと考えられる。なお,Fig.8(b)(c)に示す通り,Mo添加量が1%と1.5%を含む鋼ではBの析出が認められない領域であっても加熱温度の高温化によって焼入性がわずかに低下していた。これは,析出物調査用の試料が650°Cで急冷したものであったため650°C以下で析出物が生成している可能性も考えられるが,詳細は不明であるため今後の課題としたい。

Fig. 8.

Relationship between Vc-90 and B content taking into account precipitation state in Mo-B combined added steels. Schematic image of effect of reheating temperature on precipitation behavior of Mo2FeB2 and Fe23(C,B)6 is shown at each Mo contents. (a) 0.5%Mo, (b) 1.0%Mo and (c) 1.5%Mo. (Online version in color.)

Fig. 9.

Precipitation map of borides in Mo–B combined added steels at cooling rates corresponding to the Vc-90, austenitized at (a) 950 °C15) and (b) 1150°C. (Online version in color.)

以上のように整理した結果を各B,Mo添加量のマップとして整理したものがFig.9である。MoによるFe23(C,B)6の析出抑制効果が発現する領域(図中「No Boride」の領域)はγ化温度の高温化に伴って低B添加量側に縮小する。しかし,1150°Cでγ化した場合であってもB添加量が10 ppm程度の添加量の場合にはMo添加量が1.5%の鋼でFe23(C,B)6の析出が抑制されていたため,Mo添加の影響が消失するわけではなく,高温でγ化した場合にもMoとBの相互作用は存在することがわかる。また,Table 3Fig.7の結果および前報15)で調査したMo2FeB2の析出領域を踏まえると,950°Cでγ化した場合にMo-B複合添加効果の飽和要因となっていたMo2FeB2は,Mo添加量が0.75~1%でB添加量が20 ppm程度を含む鋼の場合には1150°C加熱で溶体化可能であるが,Mo2FeB2を溶体化しても冷却中にFe23(C,B)6が優先して析出して析出すると考えられる。これはFig.9のマップ上では,950°Cγ化温度の図の中でMo2FeB2として図示していた領域が,1150°Cγ化温度の場合には一部Fe23(C,B)6に置き換わるとして表現されている。なお,本研究の1150°Cのγ化温度ではMoを1.5%を含む鋼であってもB添加量が14 ppm以上の場合にMo2FeB2の析出が認められたが,γ化温度をさらに高温化してMo2FeB2を溶体化した場合にはこの領域もFe23(C,B)6に置き換わるものと推定される。以下では上記のようなγ化温度の高温化に伴うB析出挙動の変化を熱力学的,速度論的観点から考察する。

4・2 高温でγ化した場合のBとMoの相互作用

4・2・1 熱力学的影響

Fe23(C,B)6とMo2FeB2の析出の競合,および高温でのγ化によるFe23(C,B)6の析出促進現象に与えるMoの影響を考察するために,Ohtaniらの検討24,25)のようにBの析出物に対する熱力学計算を実施した。Fig.10Fig.11にThermo-Calc.によって計算したM3B2相(Mo2FeB2に相当)とM23C6相(Fe23(C,B)6に相当)のFCC相中での析出領域に与える温度,Mo量,B量の影響を示す。なお,本計算ではFe-0.15%C-B-Moの四元系とし,相はFCCとM3B2,M23C6のみとし,データベースはTCFE10を用いた。Fig.10は950°Cと1150°CにおけるM23C6とM3B2の析出領域に与えるB量とMo量の影響である。Fig.10(a)は950°Cでの計算結果である。定量的には完全に一致しないものの,実験で確認された析出挙動と同様に,Mo量が少なくBの添加量の多い領域ではM23C6相,MoとBがともに多い領域ではM3B2相が生成することが状態図上でも確認できる。Fig.10(b)は1150°Cの計算結果である。M3B2相の生成領域は950°Cでの計算結果よりもより高いMo,B添加量の領域に狭まり,こちらも実験の傾向を再現している。一方で,M23C6相については1150°Cでは平衡相として存在せず,高温でのγ化に伴うM23C6相の析出促進については,平衡状態図だけでは説明できず,高温でのγ化時に生じるBの高速拡散,すなわち前述の非平衡偏析のような機構を考慮する必要があるといえる。

Fig. 10.

Effect of B and Mo contents on calculated phase diagram. (Online version in color.)

Fig. 11.

Effect of B and Mo contents on equilibrium precipitation starting temperature of (a)M3B2 and (b)M23C6 phases. (Online version in color.)

Fig.11は,冷却中にBの粒界偏析量が増加した際のM3B2相とM23C6相の析出開始温度に与えるB,Mo量の影響である。B,Mo量の増加に伴って,M3B2の析出開始温度が高温化し,1150°CではMo添加量が1%の場合はB添加量が30 ppm以下の領域ではM3B2が溶体化可能であるのに対し,Mo添加量が1.5%の場合にはB添加量が23 ppm以下の領域で溶体化可能であることがわかる。本実験では既に述べたように1150°C加熱の場合のMo添加量が1.0%の場合にB添加量が25 ppm以下の範囲ではMo2FeB2の析出が認められず,Mo添加量が1.5%の場合にはB添加量が14 ppm,23 ppmの鋼でMo2FeB2が析出しており,B添加量4 ppm,9 ppmの鋼ではBの析出は認められなかった。完全に一致はしないものの,Fig.11(a)の計算は上記の実験結果の傾向を再現しており,高温でγ化したB鋼であっても熱力学計算によってMo2FeB2の析出領域を予測できるといえる。Fig.11(b)は,M23C6相の析出開始温度に与えるB量とMo量の影響を示す。B量の増加に伴ってM23C6の析出開始温度は上昇するが,M3B2とは異なり,Mo添加量の増加によってM23C6の析出開始温度はほとんど変化しない。1150°CでB量が60 ppmでのM23C6相の組成(モル分率)の計算値を確認すると,Fe:C:B:Mo=0.79:0.02:0.19:4×10-8であり,本条件下では実質的にM23C6中にMoは固溶しないことがわかる。実験で確認されたFe23(C,B)6のEDS測定(Fig.5)でもMoの含有は認められなかったため,熱力学計算は実験結果と符号するといえる。このようなM23C6とMoの関係はM23C6相ではFe23C6の組成からFeをMoに置換する場合に斥力的な相互作用が働いて自由エネルギーが上昇すると解釈され,これによりMo添加量の増加によってM23C6の析出開始温度はほとんど変化しない結果が得られたと考えられる。以上より,Mo2FeB2が溶体化され,B添加量が10 ppmよりも多く,高温からの冷却中にBの粒界偏析が進行する場合には,Mo添加鋼であってもFe23(C,B)6の析出開始温度に対してMoの熱力学的な影響ほとんどないため,FCC構造に近いFe23(C,B)6の析出速度は速く,粒界に優先的に析出すると考えられる。ここで,Fig.11(b)においてM23C6の析出が生じるB濃度に着目し,これを粒界上でFe23(C,B)6が析出する臨界粒界偏析固溶B量と解釈すると,1150°Cから950°Cの温度範囲では冷却中に粒界偏析固溶B量がおよそ20 ppmから60 ppm程度に達するだけでM23C6が析出しうると推定される。これはB添加量が10 ppmの場合では母相濃度に対して高々数倍程度の濃化である。このような1150°Cから950°Cの温度域での粒界偏析固溶B量の増加には前述の非平衡偏析の影響があると考えられるため,その寄与度については4・2・2でさらに考察する。

4・2・2 Bの非平衡偏析挙動に与えるMoの影響

Fig.9に示したようにB添加量が10 ppm以下の領域では1150°Cでγ化した場合であってもMo量の増加に伴ってFe23(C,B)6の析出が抑制された。これは従来報告がない現象である。高温からの冷却中に生じるBの高速拡散に対してMoが寄与していることを示唆していると考えられる。以下では従来高温でγ化した場合のBの高速拡散を説明するために用いられてきた非平衡偏析のモデルを基にした場合のMoの影響について考察する。非平衡偏析の取り扱いとしては,Karlssonのモデル10)が知られている。これは各温度での平衡空孔濃度を式(1)とし,Bの非平衡偏析に寄与するのは空孔(V)とBが対になったB-V複合体と考え,その濃度は式(2)のように記述できるとしている。

  
C V = K V 0 exp ( E V F k T ) (1)
  
C V B C V C B = K V B 0 exp ( B V B k T ) (2)

ここで,CVは各温度での平衡空孔濃度,CBがB添加量,CVBがB-V複合体の濃度である。また,KV0KVB0は配置のエントロピーに起因した定数項,EVFは空孔の生成エネルギー,BVBはBとVの結合エネルギーである。Moの影響については,Al-Cu合金におけるSnの影響としてKimura and Hashiguchi26)が提案した方法と同様の取り扱いを試みる。彼らはAl-Cu合金でのGPゾーンの形成速度がSn添加によって遅延する現象を,SnがVをトラップすることでCuの拡散を遅延しているためと考えた。Kimura and Hashiguchiの定式化を用いると原子空孔と第三元素M(本研究の場合はM=Mo)との結合エネルギーBVMoがBとVの結合エネルギーBVBよりもΔBだけ大きく,かつ自由な原子空孔はないという仮定(CV=C1V+C2V,ここでC1VはBと結合しているV濃度,C2VはMoと結合しているV濃度)のもとで,C1V式(3)のように表現できる。

  
C 1 V = C B C M o C V exp ( Δ B k T s ) 1 + C B C M o C V exp ( Δ B k T s ) (3)

ここで,CVはγ化温度での平衡空孔濃度であり,γ化温度から温度TSに焼入れて,γ化温度での過剰空孔が温度TSで存在するときのC1Vを評価することができる式となっている。以上の式(1)~(3)で求まるCVCvBおよびC1Vを,Table 5のパラメータの下で計算した結果をFig.12に示す。Fig.12(a),(b)はそれぞれ平衡空孔濃度CVとB-V複合体の平衡濃度CVBである。従来知見通りγ化温度の高温化に伴って空孔濃度およびB-V複合体の平衡濃度CVBが増加することがわかる。例えば1150°Cから冷却した場合,2 ppm程度のB-V複合体が非平衡偏析に寄与しうるといえる。B添加量が10 ppmの場合の950°C付近でのBの偏析係数は数十~数百倍16)のオーダーであるため,2 ppm程度のBが高速拡散し,粒界偏析固溶B量の上昇に寄与するだけで,Fig.11(b)に示したようなM23C6相の析出開始線を越えてFe23(C,B)6が析出しうると考えられる。Fig.12(c)は,Bに束縛されているVの濃度C1Vである。式(3)CVとして1150°Cでの値を使用しており,1150°Cでの空孔濃度が温度TSに存在した時のC1Vを評価している。Moが1%,1.5%と増加するにつれ,各温度でのC1Vは減少した。これはMo添加量の増加によって,Mo-Vの複合体濃度C2Vが増加し,それにより温度TSで非平衡偏析に寄与するB-V複合体の濃度が減少することを意味している。すなわち,Fig.9で1150°Cのγ化温度においてもMo添加量の増加によって冷却中のFe23(C,B)6の析出が抑制されたのは,Mo添加によって高温でγ化した場合に生成するB-V複合体濃度が減少し,冷却中の非平衡偏析による粒界偏析量の増加が抑制されたためと考えられる。一方で,上記の考察は高温からの冷却中にBの偏析量が増加する現象に対して,B-V複合体によるBの高速拡散機構を前提としたものであるが,このようなBの高速拡散の存在自体もいまだ実験的,理論的な検証が十分とは言えず,その検証自体も今後の検討課題といえる。B-V複合体による高速拡散以外にも,例えばTakahashiら24)は析出物の形成を考慮した粒界相モデル28)を用いたBの平衡偏析量の計算からも高温からの冷却中にBの偏析量が増加する現象を説明しうる可能性を指摘している。加えて,このような偏析の挙動はたとえ明瞭な析出物が形成されていなくとも溶質元素のクラスタリングによって生じうるため,本報で検証したようなTEMレプリカによる析出物観察のみならず3DAP等を用いた微細組織分析と偏析量の定量化の観点からのより詳細な議論の必要性を指摘している。また,その他にもγ鉄中のBの存在位置は置換型であるという報告29),さらにα鉄中ではあるがBはエネルギー的には侵入型も置換型もとりうるという報告30)があることを踏まえると,高温焼入れ時には一部のBのγ鉄中の安定な存在位置が置換型から侵入型へ変化しており,偏析に寄与している可能性も考えられる。この点は今後γ鉄中のBを対象とした存在位置の実験的や計算による検証が必要である。また,その他の検討課題として,Moによる析出抑制機構の解明が挙げられる。従来950°Cγ化材におけるMoの効果としては,MoがCの粒界への拡散を遅延することでFe23(C,B)6の析出を抑制するモデルが提唱されてきた31)。950°Cのγ化材ではB-V対の生成量は1150°Cのγ化材よりも少ないが,本報告で考察したMoがBの拡散を抑制する効果がFe23(C,B)6の析出抑制に寄与しうる可能性もあると考えられるため,焼入れ温度や元素添加量の影響について包括的に説明しうるモデルの提案を目指して検討を進めていきたい。

Table 5. Thermodynamic parameter values used in the calculation of CV, CVB, C1V.
CB (mass ppm) CMo (mass ppm) KV0 KVB0 EVF10) BVB10) BVMo27)
10 1, 1.5 12 12 1.4 0.5 3.44
Fig. 12.

Calculated contents of (a) equilibrium vacancy (CV), (b) equilibrium boron-vacancy pair (CBV) as a function of temperature, (c) vacancy trapped as B-V pair (C1V) in Mo added steels as a function of Ts. (Online version in color.)

5. 結論

本研究では,Fe-0.15C-1.3Mn(%)を基本成分とし,BとMoの添加量を種々変化させたB添加鋼,Mo-B添加鋼を用いて,焼入性とBの析出状態に与えるγ化温度の影響について従来知見よりも広い添加量領域について調査した。主な結果は以下の通りである。

(1)10 ppm程度のBを含むMo-B鋼では,加熱温度の高温化に伴うMo-B複合添加効果の低下はMo添加量の増加によって抑制される。Mo添加量0.5%のMo-B鋼を1150°Cでγ化した場合にはFe23(C,B)6の析出が認められた。しかし,Mo添加量が1.5%のMo-B鋼を1150°Cでγ化した場合にはFe23(C,B)6の析出が認められず,高温でのγ化の場合でもMoとBの複合添加効果が得られるB添加量領域が存在することが明らかになった。

(2)20 ppm程度のBを含むMo-B鋼において,950°Cでγ化した場合にMoとBの複合添加効果が飽和する原因となっていたMo2FeB2は,Mo添加量が0.75%のMo-B鋼では1150°Cのγ化によって溶体化が可能であることがわかった。一方で,1150°CでMo2FeB2を溶体化しても冷却開始直後の温度域でFe23(C,B)6が析出するため,焼入性は950°Cでのγ化した場合よりも低下する。また,Mo添加量が1.5%のMo-B鋼においては1150°CでもMo2FeB2の溶体化はできず,20 ppm程度のBを含むMo-B鋼においてB析出を完全に抑制するMo添加量範囲は存在しないことが明らかとなった。

(3)BとMoがそれぞれ空孔を束縛するという前提の計算から,Mo添加の増加によって,Bの非平衡偏析に寄与するB-V複合体の濃度が低下することが示された。これがγ化温度が高い場合であってもMo添加量の増加によってMo-B複合添加効果が確認された機構であると推定される。

文献
 
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