コロナの時代を迎えて、文学史はいかに読み替えられるだろうか。そして、コロナを受容した文学のみならず、これまでの文学史的古典のうちに何らかの人文学的処方箋を見いだすことは可能だろうか。本論考では、1973年、全世界がオイルショックに見舞われた時代に発表された遠藤周作の二重小説『死海のほとり』を読み直し、スーザン・ソンタグの言う「隠喩としての病」やリチャード・ホフスタッターの言う「陰謀妄想(パラノイド・スタイル)」がいかに現在も、それこそ病のごとく世界に蔓延しているかを検討する。そして、最終的に、日本を代表するSF作家・小松左京が1964年に発表したパニック小説『復活の日』と1980年に深作欣二監督が完成させたその映画版、さらには小松=深作のヴィジョンに取り憑かれたドミニカ系アメリカ人作家ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(2007年)を再評価することで、病が潜在的に孕む逆説的意義を確認する。