原子力発電所の安全を守りつつ正常に稼働させるのに必要な、科学的知識、技術的知識、それに加えて保存された経験知識の、蓄積と使用に関する状況という視点で考える。筆者は工学の分野にいて、原子力工学は専門ではないが、原子力用ロボットの試作、保全知識の体系化研究、数回の原子力事故に関係する委員会や廃炉関係委員会における議論など、いずれも原子力の安全にかかわる課題につき様々な議論をする機会があり、原子力の安全という目的を支える知識とは何かを常に考えていた。そして福島第一発電所の事故を経験して、そこには学問の世界で検討しなければならない重要な課題を見ることになった。それは人類が産業革命以来、豊かさを人工化によって達成するという方式を確立する中で、学問は新しい豊かさを作り出すために有益な知識を提供するものと位置づけられ、結果として人工物が氾濫する世界を作り出した。人工物の、作られ、使われ、そして廃棄されるという特徴は自然物にはなく、伝統的に自然を対象としてきた学問の世界では、それらに対しわずかな注目しか払わなかった。人工物である原子力発電所の事故が現在の学問領域が作る知識の構造と関連するという理解のもとで、本稿はこれから求められる学問の在り方について触れる。