学術の動向
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第I部 戦争と戦後の日中韓三国関係と地域共同の枠組み
1930年前後の日中学術交流
──民国北京の大学人と日本人留学生
稲森 雅子
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2022 年 27 巻 8 号 p. 8_15-8_18

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抄録

 1920~30年代、中国学の若手研究者たちが北京へ留学した。当時、政治の中心は南京に移り、北京には静かな環境が残されていた。目加田誠の留学記録『北平日記』及び新発見の資料から日中の学術交流の一斑に迫る。

 1910年代後半に起こった文学革命により白話古典の価値が見直され、新分野の研究が始まっていた。

 馬廉は、長澤規矩也と競い白話古典版本を研究した。他方、倉石武四郎と共同で挿絵写真集も作成、鄭振鐸『挿図本中国文学史』に転載され高い効果をあげた。

 孫楷第は、1930年に文献調査のため来日した。直後に満州事変が勃発したが、日中の支援者を得て調査を完遂し、白話小説書目を編んだ。これらは、現在も活用され続けている。

 少年期に日本で教育を受けた銭稲孫は、日本人留学生を親身に世話した。1930年元旦、日中の学術交流拠点を目指して自宅に日本語図書室を開設し、わずか1年で北京随一の日本語図書数となったが、残念なことに満洲事変により閉鎖に追い込まれていた。

 周知のとおり、この時の日本人留学生たちは戦後の中国学界を牽引した。

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