東洋音楽研究
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近世初期における当道座の実態
上野 曉子
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2007 年 2007 巻 72 号 p. 47-65

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抄録

当道座とは近世以前における盲人集団の社会的な相互扶助団体である。中世期には「平家」を語ることを、その主要な職能としていた。近年、兵藤裕己氏により中世期の「平家」には源氏政権を寿ぐ側面のあったこと、室町幕府の方針として「平家」が幕府の式楽に位置づけられていたことが指摘されるなど、中世期における「平家」および当道座の実態については優れた研究が出ている。一方、近世期における当道座の実態や当道座が担った「平家」やその他の音曲芸能に関しては研究が進んでいない。そこで本稿では、近世初期の当道座の実態について解明を試みたい。
近世初期における当道座の主要な職能は、なによりも中世期の「平家」を継承することであり、当道座による「平家」は、公家や武家のみならず、町人など貴賎を問わず聴聞され続けているものであった。また、『徳川実紀』の記述から「平家」は中世期と同じく、当道座の検校により御前演奏が数多く行われ、徳川幕府の式楽と位置づけられている、と考えられる。
『古式目』や『当道要集 (要抄)』には「二季の塔」が当道座の最重要な行事に位置づけられ、その「二季の塔」において検校が「平家」を語ることは、「勅定」とされていた。その際、「平家」を語る当道座の最高位である検校には、社会的な権威づけがなされている。「二季の塔」は当道座の座衆としてのアイデンティティを強化し、当道座の結束を固める側面がある最重要な年中行事だと考えられる。また、「二季の塔」は当道座の最重要な年中行事であるばかりでなく、京都における年中行事として定着するほど、社会的にもよく知られた行事であった。
近世初期、当道座と九州地方の盲僧との争諍が激化する。当道座の究極の狙いは盲僧を当道座内へ取り込み、盲僧組織を潰すことであったと考えられる。争諍の結果、幕府から下された「御裁許」は当道座と盲僧を峻別する厳しい内容のもので、当道座は「平家」を語る系譜的な正統性を保持し続け、新たな音曲芸能である箏や三味線、浄瑠璃、胡弓などをも独占的に獲得するに至る。

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