2017 年 49 巻 1 号 p. 249-256
メトロポリタン美術館所蔵の《聖母子と四人の天使》は,ヤン・ファン・エイク晩年の《泉の聖母》(アントウェルペン王立美術館)に基づく現存8点の模作の一つであり,ヘラルト・ダーフィトが16世紀初頭に制作したものと見なされている。同作品は,「創造生産的」(パノフスキー)で擬古主義的なダーフィト熟年期の様式を示しつつ,同じく《泉の聖母》を基に逸名画家が制作した《壁龕の聖母子》(メトロポリタン美術館)との類縁性により,むしろダーフィト以外の画家の介在を想起させる。また,画中の修道士像とブリュッヘの都市景観の描写により同作品の成立におけるブリュッヘ郊外のカルトゥジア会修道院との関係を指摘することができよう。そのうえで,《聖母子と四人の天使》の帰属,図像,成立事情を再考するとともに,同作品とダーフィトを15世紀末から16世紀初頭にかけてのネーデルラントにおける文化的なアルカイズムの文脈をあらためて構成しなおそうとする。