2024 年 2024 巻 51 号 p. 180-198
序
カントによる「啓蒙」に関する著述,特に「啓蒙とは何か」におけるそれは「古典的定義」(Hinske [1980] S. 14)とも言われ,啓蒙主義を総括したかのような評価を受けている.また,「啓蒙の完成者であると同時に,その克服者」(宇都宮 [2006] 5頁)というように言われることもある.
しかし,そのような評価は果たして妥当だろうか.「啓蒙」に含まれる概念があまりに多いためにその意味内容の一義的確定が困難である,という現代における歴史学的見解(Robertson [2015] pp. 10-14)があるが,そのような懸念は啓蒙主義時代当時から見られた.ラインホルトは,1784年の論文「啓蒙についての考え」の中で,啓蒙に関する賛意や敵意,慎重な意見などが存在することを確認し,次のように述べている.
「啓蒙に関する今日の意見を概観すると,啓蒙という概念のより正確な定義が決して無駄な仕事ではないことがわかる.しかしその試みは啓蒙の理論にはなりえず,なってはならない.啓蒙の概念について,疑いなくその分析は無限であり,[…]私が啓蒙という言葉に対する概念を分析するとすれば,それは啓蒙を非常に簡単なプロセスと考える人や不可能なプロセスと考える人,危険なプロセスと考える人の間にある真理で満足するだろう.」(Reinhold [1784] S. 22)
この見方を踏まえ,啓蒙の定義が困難であることを認めると,カントの啓蒙が「完成者」であるとか「克服者」であると断言することも同じく困難なのではないか.カント啓蒙を分析し現代的意義を取り出すためには,同時にその限界をも認識する必要があるのではないか.そのような相対化を施した上で初めて,多様な思想状況である啓蒙主義の諸探究が有意義なものとなるはずである.
そこで本論文では,1784年の論文「啓蒙とは何か」を中心に分析し,カント啓蒙の内実と特徴を明らかにした上で,『教育学』の記述から啓蒙と教育の関連を論じる.本論文が主張するテーゼは,「カントの啓蒙はある種の教育,すなわち世界市民的教育を前提としている」ということである.
行論は以下のように進む.第1節および第2節では,カントの啓蒙概念を再構成する.それを通して,「自立的思考」,「理性の公的使用」そして「世界市民主義」が地続きとなって考えられていることを示す.また第2節においては,カントのいう「成年」が複数の意味を持つことから,それに基づく後見人の区別を導入する.それによって,啓蒙に対する教育の合法的位置が確保されることが示される.第3節では,啓蒙と教育がどのように関係するかについて,『教育学』における教育思想を参照して明らかにする.そこでは啓蒙が教育を前提としているだけでなく,カントが提示する教育計画が啓蒙の実現を射程に入れて考えられているものであること,つまりそれが啓蒙の理念に適った「世界市民的教育」であることが示される.第4節では前節までの議論を踏まえて,カント啓蒙に関する諸解釈を批判する.第一に,啓蒙が後見人からの解放を目指すにもかかわらず,教育は後見的性格を持つために,教育の存在そのものが啓蒙と調和しないのではないか,という懸念を示す解釈がある.これはカント教育学に関連してよく言及されるものであるが,カントにおいてそのような問題は存在しないことを示したい.そして第二に,カント啓蒙にとって,「自分の悟性を用いる決意と勇気」という内的心情こそが本質的契機であるとする解釈である.筆者の見解に従えば,カントは確かに「自分自身の悟性を用いる勇気をもて!」(Ⅷ, 35)と述べているにもかかわらず,このような内的心情は全く消極的に解釈されるべきものである.諸個人がある種の心情を抱いたからといって,それが啓蒙に対する決定的役割を果たすなどということはあり得ず,そのような解釈はカント啓蒙のポテンシャルを狭めるものである.
第1節.カントにおける啓蒙とは何か(1)――自立的思考と理性の公的使用
カントは「啓蒙とは何か」の中で啓蒙の定義を簡潔に示しているものの,それを参照するだけで直ちにカント啓蒙の全体像が浮かび上がるわけではない.他の著作や論文においても「啓蒙」が言及されている箇所は少なくないため,それらを拾い集めて検討することが理解のために肝要である.先行研究においては,そのようなカント啓蒙論の再構成に加え,その哲学体系において一見「啓蒙」とは直接関連しないと思われる箇所(例えばヒンスケの場合であればカントの「誤謬論」(Hinske [1980] S. 44ff.))と結びつけて解釈する試みもなされてきたが,以下では改めて,「啓蒙とは何か」の内容を基軸にカントの構想する啓蒙のプログラムが如何なるものであるのかを周辺の論文も参照しつつ検討する.
カントによれば,「啓蒙とは人間がみずからに責めのある未成年状態(Unmündigkeit)から脱出することである.未成年状態とは,他人の指導なしにみずからの悟性を使用する能力のないことである」(Ⅷ, 35).そして未成年状態の原因とは,「他人の指導なしにみずからの悟性を使用する決意と勇気との欠如にある場合のこと」(ebd.)である.未成年状態にある人間は,自分で考えることができない.その例として,「私の代わりに悟性を持つ書物,私の代わりに良心をもっている牧師,私の代わりに養生の仕方を判断してくれる医者」(ebd.)に頼ることが挙げられている.これらは,「私」に対する「後見人」としての役割を果たし,その指導(導き,Leitung)なしにみずからの悟性を使用することを困難にしてしまう.その上この気楽な状況は,被後見人の「怠惰と怯懦」に起因するものであるから,未成年状態から脱しようとする「決意と勇気」がなければ,個人の啓蒙が達成されることは難しい.
カントが啓蒙に関して特に強調するのが,自分で考えること,「自立的思考(Selbstdenken)」である.一方で,『百科全書』に代表されるような,啓示宗教を含む迷信から解放されるための合理的・科学的な知識体系を身につける営みを決して啓蒙のうちに数えていないという点において,カントの啓蒙は特徴的である.
「自分で考えることは,真理の最上の試金石を自分自身の中に(つまり自分自身の理性の中に)求めることである.そして常に自分で考えるという格率が啓蒙である.ところで人が啓蒙を知識のうえでの啓蒙だと思い込んでいるかぎり,そのようなものは啓蒙には含まれない.なぜならば啓蒙とはむしろ,認識能力の使用においては否定的な原則であり,知識に非常に恵まれている人ほど,時として知識の使用においてまったく啓蒙されていないからである.」(Ⅷ, 146, Anm.)
しかし,「自分で考えること」もカント独自の概念であるというわけではない.それは,当時の啓蒙主義において中心となるキーワードであった.ヘーゲルは,「Selbstdenken」という言葉自体が冗長句であると述べて批判しているが,それは裏を返せば,「Selbstdenken」が標語として啓蒙時代に浸透していたことの証言である(宇都宮 [2006] 34頁).だが一方,トマジウスやヴォルフ以降の啓蒙主義の中でこの言葉が一人歩きするのみで,実質的内容が伴わないままスローガンとして使われるようになったという背景も抱えている.
「根拠づけ連関(Begründungszusammenhang)に対する自己の洞察,その中にドイツ啓蒙主義における自立的思考という理念の元来的な,純粋な哲学的意味があるのだが,それが哲学的知識の基準そして保証となる.この伝統は,カントに至るまでの啓蒙主義の思想を本質的部分において決定している.しかし一方,全く別の展開が生ずる.後期啓蒙に生じた哲学の通俗化への転換により,自立的思考のプログラムも変化を余儀なくされる.その[=自立的思考の]概念は,その以前の意味を徐々に失い,18世紀末にはただの決まり文句(Schlagwort)へと堕し,新たな正当化を必要とするようになる.」(Nehren [1986] S. 87f.)
以上を鑑みると,カントのいう「自立的思考」を正当に吟味するためには,「成年状態」あるいはそれに対置される「未成年状態」と常に結び付けて考えなければならない.自立的思考の意義をすくい出そうとするあまりに,それに過度に注目しながら啓蒙を論じると,空虚な「決まり文句」を繰り返すことになってしまう.その場合(,宇都宮芳明がその批判を「いわば為にする啓蒙批判と言える」(宇都宮 [2006] 34頁)として退けるのに反して),ヘーゲルの批判は全く当たっていないわけではないことになるだろう.それゆえ,「未成年状態からの脱出」という条件は,18世紀末に実質的意味を失いつつあった「Selbstdenken」へのカントによる「新たな正当化」だった,と解釈することが適切である.
ところで,カントは「人間内部の革命」である個人の啓蒙に困難を認めていたが,個人ではなく公衆(Publikum)が自らを啓蒙することの方が可能であることを説明している.
「しかし個人でなく公衆が自分自身を啓蒙することは,それ以上に可能であり,じっさい,そのことは,公衆に自由さえ許されているならば殆んど不可避であるといってよい.まことに,この場合には大衆の後見人に任ぜられている人々のうちにも,自分で考える人がいつでも若干はいるのであり[…]自己自身の価値と,自身で考えることという各人の使命との理性的尊重という精神を普及させるからである.」(Ⅷ, 36)
ここで注意しておきたいのは,後見人は必ずしも成年状態(自分で考えることができる状態)にあるのではないこと,それどころか後見人の中に啓蒙された人は「若干」しかいないということである.未成年状態にあっても,他者の後見を引き受けることは可能である.しかし,その中に「若干はいる」と期待される啓蒙された人々が,公衆に啓蒙精神を普及させる役割を果たす.この状況を実現させる唯一の条件としてカントが提示するものこそ,「自己の理性をあらゆる点で公的に使用する自由」(ebd.)である.
カントは,理性使用のあり方を公的使用と私的使用の二つに区別し,前者を「或る人が学者として読者界の全公衆を前にして彼自身の理性についてなす使用」(Ⅷ, 37),後者を「或る人が彼に委託されている市民的地位あるいは公職において彼の理性についてなすことを許されている使用」(ebd.)と説明する.そして,「自己の理性の公的な使用はいつでも自由でなくてはならず,この使用のみが人間のあいだに啓蒙を成就しうるのであり,これに対して自己の理性の私的使用はしばしば非常に狭く制限されてよいのであり,このことによって特に啓蒙の進歩が格別に妨げられることはない」(ebd.)として,理性の公的使用の自由の必要性を訴える.
理性の私的使用と公的使用は,具体的にどのような理性使用を指すのか.カントは次のような例を以て説明する.上官から命令された将校が勤務中に命令の是非を議論することは許されず,ただ服従して命令通りに職務を遂行する(私的に理性を使用する)ことしかできない.しかし,「学者として」その命令の妥当性を論議し,公衆に訴えかける(公的に理性を使用する)ことは許されるべきである.市民は課せられた納税の義務を拒否することはできず,税務署の通知に従わなければならないが,「学者として」租税の適正性を吟味し,公衆にむけて発表することは許されるべきである.同じく聖職者は,教会の信条に従って信者に説教することが義務付けられており,そのようにしなければならないが,「学者として」教会の信条や制度について自説を述べることは許されるべきである(Ⅷ, 37f.).
このように公衆に向かって自らの考えを伝達する自由は,カントにとって「思考の自由」と内的に関わるものである.啓蒙の本質的要素である自立的思考が成り立つためは,当然思考の自由が保障されなければならない.1786年の論文『思考の方向を定めるとはどういうことか』の中で,この連関について次のように述べられている.
「確かに人の言うように,話したり書いたりする自由は,上部の権力によって奪われることがあっても,思考の自由はそれによって奪われることは決してないかも知れない.しかしながらわれわれが,他人に自分の思想を伝達しまた他人が彼らの思想をわれわれに伝達するというようにして,いわば他人と共同して考えることがなければ,われわれはどれだけのことを,どれほどの正しさをもって考えるであろうか! それゆえ人はたぶん次のように言うことができるであろう.自分の思想を公に伝達する自由を人間から奪い去るような外的権力は,思考の自由をも人間から奪ってしまうのだ,と.」(Ⅷ, 144)
また,1793年の論文『理論と実践』の中では言論の自由の保障が論じられているが,カントは「国民が公然と自分自身で考える(Selbst- und Lautdenken)」(Ⅷ, 304)こと,つまり「声(Laut)に出して考える(denken)」ことについて述べている.他者と論議する自由がなければ,そこに思考の自由はない.つまり,「自分で考える」という自由はすでに論議の自由を必要としており,論議の自由がなければ我々は正しく思考することができなくなる.これら二つの自由は,啓蒙のために同時に要請されなければならないのである.
第2節.カントにおける啓蒙とは何か(2)――世界市民主義
理性の公的使用と私的使用の区別を見るとき,一見逆説的に思われるのが,理性の私的使用がむしろ(日常的に使う意味での)「公的」な場面に関わっているということである.前節で引用した箇所にも,「市民的地位あるいは公職」についての理性使用が私的なものだと説明されている.本来であれば不特定多数に関わるがゆえに「公職」である職務が,なぜ私的なものと見做されるのか.カントは,国家や教会の教区内においては「集まりがどんなに多数であっても常にただ家族的(häuslich)な集まりにすぎない」(Ⅷ, 38)ためであるとしている.すなわち,家族的な「われわれ」の一員として,共同体に資する職務に勤しむという意味において,その理性使用は「私的」なのである.しかし,そのような共同体の利害に突き動かされながら「機械の受動的部分」(Ⅷ, 37)として服従する者であっても,自己を「世界市民社会の構成員」(ebd.),すなわち「本来の意味での公衆に著作を通して語りかける学者の資格のある者」(ebd.)と見做すやいなや,理性を公的に使用することができる.こうしてこの「公的/私的」の区分は,「世界市民的見地/国家市民的見地」という区分として読み替えられる(斎藤 [2006] 43頁).
確認しておかなければならないのは,この二つの区分は決して曖昧なものではなく,独自の論理において厳密な境界を作り出しているということである.石川によれば,カントによる公/私の区別は,単に無媒介に定立されているわけではない(石川 [2018] 162-166頁).学者が理性を公的に使用するとき,その人は国家市民としての「われわれ」を超えて,真の公衆としての〈「われわれ」の他者〉に出会う.同時に,他者にとっては同じく学者自身も他者であることが知られる.こうして,「公的世界とは,このような(複数の)他者と他者とが「われわれ」の外部で形づくる世界である」(前掲書 164頁)ことが明らかとなる.〈私ならぬもの〉というそれ自体非決定的な,それでいて(私的世界に対し)先立って存在する公的世界によって制約され限界づけられるものとして,「私的な」世界は存在するのである.
前節の議論を振り返ろう.「理性の私的使用はしばしば非常に狭く制限されてもよい」一方で,「理性の公的な使用はいつでも自由でなくてはならず,この使用のみが人間の間に啓蒙を成就しうる」のであった(Ⅷ, 37).上の議論を踏まえてこれを換言すると,「国家市民的見地に立った理性使用」は啓蒙に寄与せず,「世界市民的見地に立った理性使用」のみが啓蒙の実現可能性を握っている,ということになる.
世界市民主義的に公衆と論議するためには,世界市民的見地に立ちながら「自分の思想を公に伝達する自由」が要請される.そしてこの論議の自由の要請は,自らの「思考の自由」も同時に要請していた.つまり,世界市民として論議することは,同時に世界市民として「考える」ことであり,また逆も然りなのである.この時,成年状態にある人間は,既に世界市民として自立的に思考することを期待されていると言ってよい.
さて,ここで一つの疑問が浮かんでくる.自立的思考を可能にする理性は,どのように公的に使用されうるのか.カントは,「自然的成年」でありながら啓蒙されていない未成年状態の者に向かって,「汝自身の悟性を使う勇気を持て!」と警告していた.これは,自然的成年に達しているのであれば,自らの悟性を使用する能力があるはずだということを前提している(舟場 [1994] 195頁).しかし,カントの記述から明白なのは,「未成年状態」から脱出して啓蒙された「成年状態」と,「自然的」な意味での「成年」とは異なる意味を持つ,ということである.もしこれらが同一なのであれば,年齢的(=自然的)に成年になったばかりの者に対して世界市民主義的な自立的思考が要求されることになるが,それは大変酷な話となるだろう.にもかかわらず,啓蒙されていない自然的成年は「自らに責めのある」ものとされるのである.これを整合的に解釈するためには,二つの「成年」概念を区別し,「自然的成年」に至るまでに,啓蒙への橋渡し,先取りして言えばある種の教育,を構想していると前提する必要がある.それを論証するために,まずカントにおける「成年」および「未成年」の意味合いを分析しよう.
ヒンスケは,カントが成年あるいは未成年という概念を用いる際に,3種類の形態が念頭に置かれていることを指摘する(Hinske [1980] S. 72ff.).まず,日常的な場面で用いられる「成年」という言葉は,法律的意味を持っており,それは「市民としての仕事をするとき」の成年である.そのような意味での未成年は2種類に区分され,①単なる年齢の未熟・年月の不足による「自然的未成年(natürliche Unmündigkeit)」と,②(自分の仕事を遂行できなくなった者が)国家から獲得した成人としての権利を失う場合の「法律的ないし市民的未成年(gesetzliche oder bürgerliche Unmündigkeit)」である.この2種類は,「両者とも法律的な領域に属すものであり,その限りで同じレベルにある」(ebd. S. 72f.).カントが「自然によって成年となっている人たち(naturaliter maiorennes)」(Ⅷ, 35)と述べる時,明らかにこれは「自然的成年」を指している.
一方,啓蒙に関わる第3の成年概念は,異なる領域に属する.すなわち,③個人の内面的態度や考え方,人生に対する根本姿勢が問題となる場合の,自分自身によって獲得され,他人が引き受けることのできない「人間学的あるいは道徳的成年(anthropologische oder moralische Mündigkeit)」(Hinske [1980] S. 73)である.そしてカントが「みずからに責めのある未成年状態」と言う時,それは①や②に関わる法的な未成年を意味しているのではなく,③の道徳的成年に到達していない状態を意味している.
ヒンスケによる区別に対応して,後見人についての区別が考えられる.法的な次元における未成年(①②)の後見人を「法的後見人」と呼ぶとすれば,道徳的次元における未成年(③)の後見人は「道徳的後見人」と呼ぶことができる.ただ,以上の3つの未成年を区別した上で対応する3つの後見人を考えながら議論を進めると煩雑になる恐れがあり(特に②をどのように扱うかという問題がある),本論文の趣旨からも外れてしまうため,以下では被教育者としての子どもを念頭においた「自然的未成年」と,「道徳的未成年」,およびそれらに対応する「法的後見人」と「道徳的後見人」を軸に論じる.
「法的後見人」としては,子ども(自然的未成年)の保護者や,公教育における教師などが考えられる.これらの人々は未成年者に対する法的な責任を負う.未成年者はただ未成年であるがゆえに,啓蒙された人格であることを期待される必要がなく,またされてはならない.そして,カントが啓蒙のために批判し,決別を宣言する対象として当てはまるのは,「道徳的後見人」であって,「法的後見人」ではない.
この議論に基づけば,成年が「自分で考える」ことを妨げるような「道徳的後見人」は啓蒙の阻害要因として批判されるべきであるが,「法的後見人」は必ずしも啓蒙の阻害要因とはならない.それどころか,カントが啓蒙と教育の関係について述べている内容からして,「法的後見人」は明らかに啓蒙に対して肯定的位置価を持つのである.
「[…]教育によって啓蒙を個々の主観のうちに根づかせることは非常にたやすいことである.ただし早いうちから若い人たちの頭脳をこの反省に慣れさせることを始めなければならない.ところが,ある時代を啓蒙するには非常に時間がかかる.なぜならば,教育方法をある時は禁じたりある時は困難にしたりするような多くの外的障害が生じてくるからである.」(Ⅷ, 147, Anm.)
「啓蒙とは何か」では,(自然的)未成年への教育について全く語られておらず,『思考方向』においても上の注釈で言及する程度にとどまっている.しかしそれとは対照的に,カントが考える啓蒙のプログラムにおいては教育が自明なものとして捉えられているのではないか.またそれゆえに,啓蒙への契機として教育が占める位置は非常に大きいものなのではないか.次節では,これらの問題を明らかにする.
第3節.啓蒙と教育の関係
前々節および前節において,カントが啓蒙をどのように捉えていたかを再構成し,そこでは「自立的思考」,理性の公的使用,そして世界市民主義が地続きとなって考えられているということが明らかとなった.一方そこで語られていたのは,「自然的成年」であるにもかかわらず「道徳的未成年」であり続けようとする者に対する警告としての啓蒙であった.これを踏まえれば,「自然的成年」は本来であれば既に啓蒙された「道徳的成年」であるはずである.カントの警告を単に理不尽なものと捉えるのでなければ,「(道徳的)未成年状態からの脱出」へ向かう助走が「自然的未成年」の期間において前提されていると考える必要がある.そしてこの助走にあたるものこそが,「教育」である.
カントは教育学についての体系的な著作を残さなかったが,大学の講義内容を編集した『教育学(Immanuel Kant über Pädagogik)』においてその教育思想が語られている.ケーニヒスベルク大学において,カントは教育学の講義を4回(1776年〜77年の冬学期,1780年の夏学期,1783〜84年の冬学期,1786〜87年の冬学期)担当していた.ここには,フリードリヒ2世による啓蒙主義的教育政策によって(エリート)教育の担い手が教会から国家へと移行した結果,新しい教育を理解した教員を育てることが要請され,大学において「教育学」が開講されることになったという背景がある(加藤 [2001] 422-423頁).この教育学講義は,国家によって指定された教科書を用いて哲学部の教授が輪番で受け持つことになっていたが,カントは単に国家に課された義務として講義を行なったのではない.1778年のフリードリヒ2世による閣令は,大学の授業の自由な形態を禁じ,特定の教科書に厳密に従うよう教授らに命じるものであったが,(当時の司法大臣であったツェードリッツの支持のもと(前掲 426頁))カントのみはその例外とされた(Cassirer [1921] S. 18).他の教授たちとは異なり,カントは自身の教育に関する構想を自由に講義することができたのである.それゆえ,講義が特定の教科書に基づいていたとしても,『教育学』にカント独自の教育学を読み込むことは可能であるだろう.
『教育学』の内容に入る前に,本著作の文献学的問題を無視することはできない.上に見たように,カントは1776年から1787年にかけて講義を行なった.この10年余りの期間というのは,いわゆる「前批判期(1781年発表の『純粋理性批判』以前)」と「批判期(『純粋理性批判』以降)」を丁度架橋する時期であった.『教育学』の元となるカント自身の覚え書きがどの年の講義のものかが判然としないということから,その内容と「批判哲学」との間にどれほどの整合性を認めるのか,という問題が出てくる.このテクスト問題は,カントの弟子であるリンクのきわめて投げやりな編集態度によって引き起こされたものだった.編集段階でどのような作業がなされたかが不明なため,この文献学的不確定性は容易に解消されるものではない(加藤 [2001] 428-429頁).このような不確定性を引き受けたカント教育学研究は,『教育学』を前批判期的思想として消極的に解釈するか,反対に批判哲学として積極的に再構成するかという2つの立場に分かれていた.しかし現代は,「学問論的・方法論的問題意識」に基づき,「「教育学講義」を前批判期からむしろ批判期に位置づけ直そうとする大きな潮流の中にある」(前掲 430-431頁).
結局のところ,我々がカント教育学を論ずる場合,リンク編集の『教育学』に依存する他ない.しかし,その文献学的な不信から著作において述べられている実質的内容をも破棄してしまうことは望ましくないであろう.そこから批判哲学と連関した学としての教育学の現代的意義を取り出すためには,『教育学』単体に依拠してその内容の細部の是非を考えたり,内在的な矛盾や問題点を指摘したりするということよりも,批判期の哲学的著作から照らして適切と思われる言説を検討するという道筋をとる方が有効たりうるはずである.
以下では『教育学』で述べられている教育理念の素描を試みるが,あえてその実用的・具体的方法について詳細に検討しない.それは,その種の教育法が重要性を持たないからではなく(現代教育学の観点から見て今や妥当しない主張が含まれていることは言うまでもないが),本論文における問題が,カントの啓蒙概念が『教育学』における教育と如何に関わっているのかという形式的問いに限られるからである.
(1)教育計画とその理念
『教育学』は,「人間とは教育されなければならない唯一の被造物である」(Ⅸ, 441)という一文から始まる.カントの解する理性的存在者としての人間が教育を前提としたものであることがこの文からだけでもわかるように,カントは教育の内容と同程度かあるいはそれ以上に,教育がなされるということ自体や教育が人類に対して果たす役割を重要視している.
「教育はこれからますます改善されて,後に続くどの世代も人間性の完成に近づいてゆくであろう.なぜなら,教育の背後には人間性の完成という偉大な秘密が潜んでいるからである.[…]教育によって人間性がますます発展してゆくであろうし,また教育も人間性にふさわしい形式に改善されることになるだろうと想像するのはとてもすばらしいことである.こうした教育こそわれわれに将来のさらに幸福な人類についての展望を示してくれるわけである.」(Ⅸ, 444)
このような記述は,啓蒙主義に特徴的な進歩史観的歴史哲学によって支えられていると言えるが,そのような歴史的進歩が教育によってこそ担われるとカントが考えていたことは特筆に値する.この希望に満ちた態度は,教育理論の意義が語られる際にも表れる.
「教育理論を構築しようとする構想はすばらしい理想であって,たとえわれわれがその理想を直ちに実現することができなくても,それは問題ではない.この構想を実行してゆく場合にさまざまな障害にぶつかるにせよ,ただすぐにその理念を幻想的なものとみなして,それを美しい夢と誹謗してはならない. […]第一にわれわれの理念はまさに正しくなければならず,そうでありさえすれば,それを実行する過程にいかなる障害が立ちはだかっていようとも,そうした理念は決して不可能ではない.[…]そして,人間に備わっているすべての自然素質を発展させるという教育の理念は,言うまでもなく真実なのである.」(Ⅸ, 444f.)
ある教育方法がその時代の「障害にぶつかる」という箇所は,『思考方向』において示唆された,啓蒙と教育の関係についての記述を思い起こさせる(「ある時代を啓蒙するには非常に時間がかかる.なぜならば,教育方法をある時は禁じたりある時は困難にしたりするような多くの外的障害が生じてくるからである」(Ⅷ, 146f. Anm.)).ここでは,教育理論が外的障害によって実践困難になるとしても,経験に見出されない「理念」として捉えることによって,その理論としての正しさが主張できると考えられている.しかし,そのような「障害」を全て排することによって直ちに教育が完成に至るということを意味するわけではない.
「個人としての人間では,その子どもをいかにうまく教育して人間的に形成し完成させるにしても,子どもがその使命を達成するところまで持ってゆくことはできないということだけはたしかである.そのところまで到達するためには,個人[の仕事]ではなくて,むしろ人類[全体の仕事]が必要なのである.教育とは,それを完全に遂行するためには多くの世代をへなければならないような一つの技法である.それに先行する世代がさまざまな知識を受け継いでゆくので,人間のあらゆる自然素質を調和的で合目的的に発展させ,またそうした仕方で人類全体をその使命に導くような教育を完成に向かって次第に仕上げてゆくことができるわけである.」(Ⅸ, 446 []内は訳者)
完全な教育は個人ではなく人類規模でしか実現され得ないということは,まさに「啓蒙とは何か」で語られていた啓蒙のあり方にほかならない.つまり,教育も啓蒙と同じく一つの動的なプロセスであり,常に改善され,完成へと近づいていくものなのである.啓蒙は世界市民主義を含んでいた.カントが語る人類全体の教育も,必然的に世界市民主義的なものである.
「教育計画のための構想は世界市民主義的に立てられなければならない.」(Ⅸ, 448)
ヘッフェは,この「カント自身のものといってさしつかえない」一文を,「私たちが親しんでいる教育学を疑いなく挑発的なものにしてみせており,グローバル化している私たちの時代には歓迎すべきものにしてみせている根本的テーゼ」(ヘッフェ [2020] 478頁)として評価している.現代において通常考えられる「教育」は,国家の枠組みを前提とした内容を教えるものであり,教育の主体が国家そのものである限りその内容を超えることはない.しかし,世界市民的教育はそのような国家的教育ではなく,子どもが一人の世界市民となるように行われる.国家的教育は理性の私的使用を教えるだろうが,世界市民的教育は理性の公的使用を教えることになるだろう.理性の公的使用を教わるということは,自立的思考の格率をも同時に教わるということである.カントはこのような,壮大な教育構想を練っていたといえる.そしてこの観点にたてば,具体的な教育方法は,ある国家や文化の背景を前提としたものでなく,それらをなるべく排除しようとしたものとして考えられようとしていることが想定される.
(2)教育の3段階
カントは教育(Erziehung)を3つの段階に分ける.①「養育(Wartung)(養護・保育(Verpflegung, Unterhaltung))」②「訓練(Disziplin)(訓育(Zucht))」③「人間形成をともなった知育(Unterweisung nebst der Bildung)」(IX, 441)である.①「養育」は,「子どもがその能力を誤って使用しないように,両親があらかじめ配慮すること」(ebd.)を意味する.②「訓練(訓育)」は「動物性を人間性に転換」するためのものであり,「その動物的衝動によってみずからの本分である人間性から逸脱しないように予防すること」を指す.これは「人間から野生的な粗暴さを取り除く行為にすぎない」ため,消極的なものである(Ⅸ, 441f.).最後の③「人間形成をともなった知育」における「知育」は,後に見る「教化」と言い換えることもできるが,3段階の中で唯一積極的役割を果たす.「人間形成(Bildung)」1という言葉で意味しているのは,文字通り「人間を形成すること」である.「人間は教育によってはじめて人間になることができる.人間とは,教育が人間[という素材]からつくり出したものにほかならない」(Ⅸ, 443 []内は訳者).人間は養護と人間形成を必要とし,人間形成には訓育と知育(教化)が含まれる.一方,人間以外の動物がこれらを必要とすることはなく,動物に必要なのは養護のみである(ebd.).
3番目の「人間形成」を終えることによって子どもは初めて「人間」となる.言い換えれば,それまでは子どもは「人間」と見なされない.ここから,「自然的未成年」に「自分で考えること」が要求されない所以が明らかとなる.理性を教育によって引き出す(erziehen)2ことがなされていないために,子どもが自らの理性を使用することはそもそも不可能なのである.
教育によって初めて人間理性が成立すること,そして自由に思考・論議することができるようになることは,次の引用において明白に示されている.「教育学ないし教育論は,自然的であるか実践的であるかのどちらかである.[…]実践的教育ないしは道徳的教育とは,それを通して人間形成が行われて人間が自由に行為する存在者として生活できるようにするための教育にほかならない(自由にかかわる事柄はすべて実践的と呼ばれる」(Ⅸ, 455 強調は引用者).実践的教育がなされて初めて,人は自由に行為できるようになる.カントにおいて自由概念は道徳と結びついているが,それを発達の観点から見れば,道徳的教育の遂行によって人は自由になりうるのである.教育を受けなければ,その人は「野生的な粗暴さ」にコントロールされる可能性が高く,自由な行為者となることはできないだろう.それゆえカントの考える啓蒙は,教育,特に「自由に行為する存在者」を形成する道徳的教育を人間形成の段階に据えることを前提としているのである.また翻って見れば,教育によって実現された道徳的で自由な存在者こそが,啓蒙された個人として理性の公的使用を遂行し,啓蒙の拡散を担いうるのである.「自分で考える」理性的存在者は生まれながらにしてそうなるのではないし,また「自分で考える」能力が教育なしに発揮されることもない.それゆえ,「自分自身の悟性を使用」して未成年状態から脱出するためには,「世界市民的教育」を受けていることが前提されなければならないのである.
(3)教育の4つの目的
カントは教育において人間が何を達成しなければならないかを4つ述べている.この4つは並列的に考えられるものではなく,上の3段階とある程度対応するようにして提示されている.
まず人間は①「訓練(disziplinieren)」されなければならない.上に見た訓練(訓育)の段階において,「野生的な粗暴さを抑制する」ことが求められる(Ⅸ, 449).
人間は②「教化(kultivieren)」されなければならない.「教化(Kultur[=文化])」は,「教授(Belehrung)及び知育(Unterweisung)を含意」し,「熟達した技能を獲得すること」(ebd.)を意味する.あらゆる場合に有効な技能として「読み書き」が,いくつかの目的にとって有効に過ぎないような,快を実現する技能として「音楽」が例に挙げられている(Ⅸ, 449f.).我々は任意の目的をみずから設定し,それに適った技能を熟達させることによって教化され,陶冶される.
人間は③「怜悧(klug)」となり,社会に適応し影響を与えるようにならなければならない.この際,教化の一種である「文明化(Zivilisierung)」が必要となる.「文明化」の様式(どのように振る舞えば適応していることになるのか)は,「それぞれの時代の趣味」,すなわちその時の「行儀作法と礼儀正しさ」によって決定される(Ⅸ, 450).
最後に,④「道徳化(Moralisierung)」が達成されなければならない.人間は教化されているだけでなく,「真に善い目的だけを選択するような心術」を獲得する必要がある(Ⅸ, 450).
以上の4つの目的は同時に人間の達成すべき諸段階でもあるが,この流れは「教化」以降をテーマに『世界市民的見地における普遍史の理念』第4命題において述べられているものとしても理解することができる.
「粗野な状態から抜け出て,人間の社会的価値を本質とする文化的状態への本当の第一歩が生じ,またこのとき,あらゆる才能が少しずつ伸ばされ,趣味が形成され,また絶えざる啓蒙によって思考様式の構築が始まる.この思惟様式というのは,道徳的善悪を見分けるのにまだがさつな自然素質を次第に明確な実践的原理へと変え,これによって,社会との生理的心理的に強制された一致状態を最終的には道徳的全体へと変えうるもののことである.」(Ⅷ, 21)
カントは最後の④「道徳化」の目的は未だ達成されていないと考えていた.「われわれは訓練と教化[文化]と文明化の時代に生きているが,しかし道徳化の時代に生きるのはまだ先のことである」(Ⅸ, 451 []は訳者).しかし,それは未だ誰も「道徳化」されていないということを意味するものではない.「文明化」と「道徳化」の間に「絶えざる啓蒙」,すなわち自分で考えるという格率に従って道徳的な実践的原理を洞察するというプロセスが横たわっており,その遂行こそが「啓蒙の時代」(Ⅷ, 40)においてなされるべきものなのである.「自分で考える人がいつでも若干はいる」(Ⅷ, 36)とされていた状態から,教育によって自立的思考の格率を「根付かせ」,そしてその格率に則って理性を使用することができる人々による「理性の公的使用」を通じて,人々が未成年状態から脱出するという啓蒙のプロセスが描かれているのである.
第4節.カント啓蒙に関する諸解釈についての批判的考察
(1)カントの啓蒙と教育に矛盾を見出す解釈について
前節において,啓蒙を目指す教育,そして教育を前提する啓蒙という関係を見出したが,カント教育学研究で度々取り上げられてきた問題として,「啓蒙と教育(後見人)のパラドックス」,「カントの啓蒙は自律をめざしながら,啓蒙すること自体が自律を妨げることになるという,教育をめぐるパラドックス」(広瀬 [2017] 339頁)がある.つまり,教育は次世代にとって必要であるにもかかわらず,教育の後見的性格が啓蒙を阻害しうるという逆説である.例えば,山名は次のように指摘して,カントが「パラドックス」に陥っていたと主張する.
「『教育学』においても,「成人性」と後見人との緊張関係については,真摯に取り扱われているとは必ずしもいえない.カントは,『教育学』において,習歩ひもや習歩車などの「人為的な道具」を「使用することが多ければ多いほど,ますます人間は道具に依存するようになる」ということを指摘しているが,計画化された教育という大枠自体あるいはそれを支える体系的教育学自体が,そのような「人為的な道具」となりうることまでは(原理的にはそうであるにもかかわらず)指摘しえていないのである.」(山名 [1989] 97頁)
山名はそれに加え,このパラドックスによって『教育学』における体系的不整合が生じたとする.つまり,自立的思考を格率とする啓蒙と,「「導く」ことに関する理論を体系化・計画化することへのカントの困惑」(前掲 97頁)が葛藤し,それが教育理論の不整合性の原因であったと(リンクの編集に係る文献学的諸問題を踏まえているにもかかわらず)主張するのである.
しかし,今までの議論から,この「パラドックス」はそもそも存在しえないと言わなければならない.なぜなら,ここにパラドックスを見出す解釈者は,「自然的・法的成年」と「道徳的成年」の区別に依拠する「法的後見人」と「道徳的後見人」の区別(本論文第2節参照)を考慮していないからである.
自然的成年かつ道徳的未成年である者に対する教育は,啓蒙を妨げる後見そのものであるために当然批判される.しかし,自然的未成年を対象とする教育は確かに後見人の役割を果たすものの,その後見性は否定されてはならない.世界市民的教育の必要性を否定することになれば,それはカントにおいて将来の啓蒙が実現され得ないという帰結を導くことを意味する.
パラドックスは,道徳的未成年(自分で考えない大人+すべての子ども)に自然的未成年(子ども)が内包されているということによって起こる.教育は専ら自然的未成年を対象にしており,道徳的未成年に直接関わるものではない.それを考慮せずに「自分で考える」という標語に照らし合わせ,「未成年が自ら理性を使用する成年状態へと足を踏み入れる」という啓蒙の図式が重視された結果,本来「道徳的未成年」に限定されているはずであった未成年概念の範囲に,そもそも使用する理性が教育によって十分引き出されていない「自然的未成年=子ども」を混入させてしまい,教育が啓蒙とは反対の方向を向いているのではないかという疑念が生じてしまうのである.
自律を重んずるカントが教育に伴う後見性を考慮していなかったなどということは考えにくい.世界市民的教育は,「啓蒙とは何か」で論じられるようなプロセスとは異なる次元,つまりそこでは全く語られなかった場面において為されることが前提されているものなのである.「自然はこれほど多くの人間を他人の指導からとっくに解放しているのに(naturaliter maiorennes 自然によって成年となっている人たち)」(Ⅷ, 35)とわざわざカントが啓蒙の対象を限定しているにもかかわらず,自然的未成年である被教育者をそこに数え入れれば文意が通らなくなるのは当然のことである.だからこそ,カントは「未成年状態の責任は本人にある」(ebd.)と断言することができるのである.
(2)「決意と勇気」を啓蒙の本質的契機と捉える解釈について
カントが定義した啓蒙,すなわち「未成年状態からの脱出」について,従来の研究においては「みずからの悟性を使用する決意と勇気」や,それを脅かす「怠惰と怯懦」(Ⅷ, 35)に理解の重点が置かれていた.そして,自分で考えようとする「決意と勇気」がそれ以上の原因を持たない心情であるが故,結果的にミクロな観点からの啓蒙は個人の人格的・性格的問題として考えられてきた.
例えば,ヒンスケは啓蒙された成年になるということについて「決断とか自己責任,冒険心や勇気が必要とされ,これらは,単に知性によって成し遂げられるわけではな」い(Hinske [1980] S. 76 強調は引用者)と述べている.同じように,ヘッフェは「啓蒙の本質が知的な営みではなく,性格に関わる営みにある以上,鍵を握っているのは鋭敏やきらめく才能や創造性や独創性ではなく,精神の緊張と勇気である」(ヘッフェ [2020] 14頁 強調は引用者)としている.また『教育学』の検討においても,「自分で考えるという決定的に大事なことを可能にする,各人の精神的な努力と精神的な勇気こそが重要なのである.ここから教育学講義は導き出されている」(前掲書 484頁 強調は引用者)と述べている.ヘッフェはその直後で『教育学』から,「とりわけ重要なことは,考えることを子どもが学ぶことである」(Ⅸ, 450)という一文を引用しているが,なぜ「精神的な努力と精神的な勇気」の重要性から教育学が導き出されているのか読み取ることは困難を極める.
ここで,果たして啓蒙の本質が「決意」「努力」「勇気」という一定の心情へと還元されて良いのか,ということが問題となる.「勇気」や適切な人格3さえあれば,その人は啓蒙されているのか.道徳的未成年は,心情あるいは人格に問題があるが故に啓蒙されていないのだろうか.
カントの自然地理学を教育学と結びつけて論じている広瀬も,ヒンスケやヘッフェの見方を踏襲している.
「他者の指導なしに自らの悟性を使用することができるかどうかは,「自らの固有の悟性を用いる勇気をもて!」という表現からも見て取れるように,その行為の実現を決断する勇気といった内的な心情をもてるかどうかにもかかっている.このように啓蒙が掲げる標語が意味しているのは,思考と行為の結合であるとともに,思考を促す行為とその内的な心情の重視である.」(広瀬 [2017] 345頁 強調は引用者)
しかし,ヒンスケおよびヘッフェの解釈と異なる点は,「勇気」が教育によって身につけられるという主張である.広瀬はこの「勇気」を,道徳的悪を克服する一つの徳であるとする.教育という人間形成の過程において,この徳を身につけることによって成年状態への道が開かれると解釈するのである.「他者の指導なしに自ら思考するということは,認識とともに,内的な心情にも同時に依拠しているのであり,根本的には道徳的な悪の克服と広義の認識能力としての悟性の十分な形成によってなされると言える.これら二つは,[…]地理教育によって現実的には行われるようになるのである」(前掲書 346頁).
この解釈は,上に見た「啓蒙と教育のパラドックス」の解決を目的として提示されたものである.確かに,「パラドックス」の存在を認めながら,それでもなお教育の意義を語るのであれば,説得力のある見解かもしれない.しかし,解釈上「パラドックス」は読み取られ得ないことは既に明らかになった.その上,この解釈はさらなる矛盾を含んでいる.なぜなら,勇気という徳を教育によって身につけさせるとすれば,教育を受けたあらゆる人は既に内的心情として「自分で考える勇気」を持っていることになるからである.その場合,勇気という徳を既に持っているはずの人に対する「勇気をもて!」という命令は無意味なものとなる.つまり,カントが何を警告していたのかが分からなくなってしまうのである.さらに,啓蒙は人に徳を教える教育をなすことによって,それだけで達成されるということになるが,そうであれば「啓蒙とは何か」において教育が全くと言っていいほど触れられないことが説明できない.
ここまで「決意と勇気」といった内的心情と啓蒙の関わりを巡る議論を見てきたが,以下では「決意と勇気」に関する消極的解釈を提示したい.
カントにおいて,教育は人間形成を担う段階であり,教育されることによって人間は悟性を使用することができる.また世界市民的教育によって,人は究極的に世界市民として理性を公的に使用することができるはずである.しかし,現実はそうではない.すなわち,教育を受け,それにより自ら考え,世界市民として理性を公的に使用することができる「はず」の人々が,実際は制度や慣習に従うだけの理性の私的使用にとどまっているのである.この実質的な差異は,決意や心情といった内面的な心情ではなく,「世界市民として自らの考えを述べているか否か」という外部から観察可能な点に求められる.だからこそ,「理性の公的使用」の自由,すなわち言論の自由が啓蒙の唯一の条件なのである.
しかし,理性の私的使用にとどまる国家市民が,理性の公的使用へ踏み出し世界市民となる論理的手順があるかといえば,それは存在しない.また,仮にあったとしても,それを道徳的未成年に対して述べるということ自体がまさに後見的行為となってしまうため,後見人を批判する立場としては教えることができない.それゆえ,理性の私的使用から公的使用へ,あるいは国家市民から世界市民へ,という移行については,あくまでも自律的な動機が要請されざるを得ないのである.そして,その動機を単に促す原因となるものとして,啓蒙された人々による理性の公的使用が考えられるのである.この場合,「勇気をもて!」という言葉は,道徳的未成年の者の自律を最大限に配慮した結果選び出された,主観的心情を喚起する呼びかけにすぎず,それ以上のものではない.そして,「決意と勇気」は未成年状態から成年状態へ踏み出す原因の説明として用いられているだけなのである.
未成年状態から成年状態への移行をただ説明するだけのものとして「決意と勇気」を消極的に解釈することで,そこに啓蒙の本質を求めるのは不適切であると言うことができる.加えて,これらが自然的未成年においてなされる教育とも無関係であるとすることで,広瀬の解釈に見られる矛盾も避けることができるのである.そして,カント啓蒙の可能性は内的心情などではなく,上に述べたような「世界市民として自らの考えを述べる」という点にこそ求められるべきである.これが外的に観察可能な理性の公的使用であり,言論空間を作動させる世界市民であることを示す唯一の契機なのである.
以上のように解釈することによって,カントが「自立的思考(Selbstdenken)」という「決まり文句(Schlagwort)」をただ繰り返しているのではなく,独自性を含んだ啓蒙概念を構築している,と主張することができる.
結語
本論文では,カントの啓蒙概念を「啓蒙とは何か」を基軸として再構成し,啓蒙の実現が世界市民的教育を前提としていることを明らかにした.ただこれは,教育が啓蒙を実現するということを主張するものではない.カントの考える啓蒙において,世界市民的教育が暗黙のうちに前提されているということ,世界市民的教育がなされても啓蒙の促進が確証されるわけではないが,世界市民的教育がなければそもそも啓蒙の可能性はあり得ないということである.
最後に,啓蒙の鍵を握るカント教育学の問題について言及しておこう.それは,教育から排除される人々(特に女性)の存在である.教育を受けた者のみが啓蒙の担い手となりうるということは,教育を受けることのできない人々は理性を公的に使用する場,つまり「世界市民社会」の空間に参入できないということを意味する.『教育学』で語られる教育対象は男子を前提としており,女性教育に関する提言も見られない.ハーバーマスが『公共性の構造転換』で指摘した時代的制約は,公共圏に入って「政治的に論議する公衆に参加することのできるものは,私有財産の所有者たちだけ」(Habermas [1985] S. 186)だったということである.4カントはそのような市民の資格について「(子どもや女でないという)自然的な性質」(Ⅵ, 378)によって説明している.『教育学』においても,被教育者について念頭に置かれているのは経済的に余裕のある家の男子のみであると言わざるを得ない.
これらの問題が克服されたとしても,カントの啓蒙に果たして希望を見出すことができるのだろうか.それを継承するならば,世界市民的教育の実践を推し進めることによって,その条件を実現することができるだろう.確かに,これについてはカント自身も語っていたように,「教育方法をある時は禁じたりある時は困難にしたりするような多くの外的障害」があるために「非常に時間がかかる」(Ⅷ, 147, Anm.).またグローバル化に対する反動としての国家主義的運動が各地で見られるという現代において,この言葉は虚しく響いてくる.カントが語る世界市民的教育の内実も,時代を超えた普遍妥当性を持つとは考えにくく,その場合どのような教育を行うべきかは至って不透明であり続けるし,その基準も義務教育のレベルで満たすことができるものであるかは疑わしい.そうであっても,(教育計画が世代毎に改善されていくという)歴史哲学的な楽観性を携えて,教育に何かしらの可能性を見出すということは十分考えられうる.
しかしそれも,「カントの啓蒙を継承するならば」という場合である.啓蒙の定義をカントにおいて絶対化するのではなく,啓蒙主義の多様性を踏まえ,カント以外における啓蒙思想を検討するという道筋もまた開かれている.その研究の中で,カントによる定義は「啓蒙の克服者」とまではいかなくとも,常に参照される地点として機能し続けるだろう.
註
参考文献
カントからの引用は,慣例に従いアカデミー版全集の巻数をローマ数字で記し,ページ番号をアラビア数字で表記する.また訳出の際は岩波書店版『カント全集』を参考にした.
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