山梨英和大学紀要
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東ドイツ紀行—宗教改革と音楽・美術の旅—
(宗教改革500年の旅-わたしたちは何処からきて、何処へ向かっているのか?-「県民コミュニティーカレッジ2017」レポート)
井上 征剛
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2017 年 16 巻 p. 87-95

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抄録


 現在の日本の私たちがルターという人物を身近に感じる機会は、意外に多い。たとえば、ドイツ東部を旅行するとしばしば、ルターの足跡に行き会う。また、現在私たちが好んで鑑賞するドイツの芸術作品の中には、ルターの影響を強く受けているものが少なからず含まれている。そこでここでは、ルターとかかわりのあるドイツの東部諸都市について触れながら、J・S・バッハ、クラーナハ父、メンデルスゾーンといった芸術家たちの、時代を超えたルターとの結びつきについてみていく。
 ルターが芸術、中でも音楽に通じていたことは、よく知られている。彼は「美しさと柔らかさを併せ持つテノール」歌手であり、フルートやリュートの演奏にも長じていた。一方で、音楽理論にも明るく、数多くのコラールの作詞・作曲に取り組んだほか、同時代のドイツ人作曲家とも議論を交わしていた。ルター自身も、「私は音楽を神学に次ぐものとし、それに最高の称賛を与える」という言葉を残している。彼のこのような姿勢は、後のドイツの音楽家と宗教家の両方に引き継がれた。ルターの時代以降、18世紀までは、音楽家は神学を学び、他方、牧師を目指す者は音楽を学び、実践することがルター派教会の慣例であった。ルター亡き後も、17〜18世紀のドイツ音楽界においてルター派が大きな影響力を保持し続けたことを考えると、ルターはいわば、ドイツ語によるキリスト教音楽発展の礎を作った存在ということになる。

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