アフリカ研究
Online ISSN : 1884-5533
Print ISSN : 0065-4140
ISSN-L : 0065-4140
2005 巻 , 66 号
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • 小山 直樹, 相馬 貴代, 市野 進一郎, 高畑 由起夫
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 1-12
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    マダガスカルのべレンティ保護区において, 1989年から2000年までの11年間, ワキツネザルの人口動態の研究をおこなうために, 我々は14.2ヘクタールの主調査域設定した。環境変化を研究するために, 主調査域を含む30.4ヘクタールの広い調査域も設定した。主調査域においては, 群れの分裂や追い出しなどの社会変動によって, 群れの数は3から6に増加した。その結果, 一つの群れの行動域の大きさは縮小した。広域の調査域には9科14種に属する大木が475本あった。最も豊富な樹種はキリー (Tamarindus indica) (n=289) で, 2番目がベヌヌ (Acacia rovumae) (n=74), 3番目がヴォレリ (Nestina isoneura) (n=66) であった。これら3種は全大木の90.3%を占めていた。大木の個体群密度は1ヘクタール当たり15.6本で, キリーのそれは10.3本であった。1989年, 14.2ヘクタールの主調査域内には, 1ヘクタール当たり12.7本のキリーが生えていた。
    2000年に我々はキリーの大きさを再測定した。14.2ヘクタールの主調査域内のキリーの密度は, 1ヘクタール当たり11.2本に減少した。この減少は死亡したキリーの数が新規参入数より多かったためである。対照的に, 1才以上のワオキツネザルの数は1989年の63頭から2000年の89頭へと増加した。その結果, 1個体当たりのキリーの数は2.8本から1.8本に減少した。群れによって1個体当たりのキリーの数には大きな変異があった。CX群は最も豊かな地域を占めていて (1個体当たりのキリーの数は4.7本), T2群は最も貧しい地域を占めていた (1個体当たりのキリーの数は0.6本)。一方, キリーの果実の量は一本一本の木, 地域, 年により変動するだろう。たとえば,キリーの果実の収量は2000年は非常に少なく, CX群のキリーの果実の豊富さの得点は, 主調査域の平均得点より低かった。チャイロキツネザル (Eulemur fulvus) の数も増加している。チャイロキツネザルの採食習慣はワオキツネザルのそれと非常に類似しているので, ワオキツネザルにとって食物をめぐる種内と種間の両方の競争が激しくなってきているようだ。
  • 宮脇 幸生
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 13-30
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    本稿は, エチオピア西南部クシ系農牧民ホールにおける, 戦いのイデオロギーについて検討する。ホールにおいては, 戦いとは, 敵を殲滅するというよりも, 敵を殺してその豊饒性を獲得する行為であると考えられている。敵を殺す行為には, 多くのタブーと儀礼が必要とされる。豊穣を獲得する儀礼の中心は, 切除した敵の性器と仔牛の交換から成っている。殺人者はその友人に敵の性器を切ってもらい, それを仔牛によって買う。ついで第三者が殺人者から, 儀礼的な戦闘で彼を殺すことで,その性器を仔牛によって買い取る。その性器は, 購入した第三者の母方オジに, 仔牛と交換に与えられる。こうした交換の連鎖を検討すると, 最初の敵対的関係と最後の親族間の関係は連続的であり, 敵と殺人者の間にも, 強い絆が存在するというホールの考え方が浮かび上がる。敵とホールの間にある敵対的な絆は, ホールのリネージ間における女性の交換である婚姻の儀礼を検討すると, よりはっきりとする。婚姻の儀礼は, 殺人の儀礼と構造的な対応関係を示している。このイデオロギーは, 民族間の境界が相互浸透的なこの地域の社会で, 秩序ある共同体の境界を形成する機能を持ち, 国家支配の後は, 民族的アイデンティティを維持する機能を果たしていたのではないかと考えられる。
  • 竹沢 尚一郎, シセ ママドゥ, 小田 寛貴
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 31-46
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/07/01
    ジャーナル フリー
    メマは, 旧ガーナ王国の首都とされるクンビ・サレーと, ニジェール川中流域のあいだにはさまれた乾燥した地域である。現在では農業が困難な土地だが, 過去にはニジェール川の支流が流れていたこともあり, 150を超える遺跡が現存するほど人口の稠密な土地であった。本研究は, 私たちが1998年以来おこなってきた考古学調査の最初の成果のひとつであり, メマにおける農業の起源と製鉄等の産業の興隆が, 西アフリカの歴史的発展にいかなる寄与をはたしたかを明らかにするものである。
    コリマ遺跡群での私たちの発掘が明らかにしたことは, BC 850年ごろにはじまる新石器後期の遺跡から大量のフォニオが出土したこと, しかも小型牛の供犠の横に供物として捧げられていたことである。フォニオは西アフリカ原産の穀物であり, この時代にフォニオの栽培化が開始されていたとする私たちの解釈が正しいとすれば, これまでに西アフリカのサバンナでみつかった栽培作物のうち3番目に古い数字である。また, メマ全体に製鉄遺構が存在し, 工業的と呼べるほどの規模にまで達していたことも確認された。
    メマにおけるフォニオの栽培と牛および羊/山羊の牧畜, それに大量の鉄の製造は, 西アフリカ史上最古の王国のひとつであるガーナ王国の成立を準備した。それにとどまらず, それは西アフリカ史上もっとも著名なマリ帝国の成立にも大きく寄与したのである。
  • 藤岡 悠一郎
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 47-62
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    南部アフリカの乾燥地域では, 伐採による疎開林の減少やブッシュ・エンクローチメント (Bush encroachment) の進行などの急速な植生変化に伴い, 住民の樹木利用が変化しつつある。本稿では, ナミビア共和国北部における植生環境とその地域に暮らす農牧民オヴァンボによる建材利用の相互的な変化を明らかにし, 現代における建材利用の新たな展開について考察することを目的とする。
    オヴァンボは樹木を切りだした未加工の丸太を多量に用いて住居を建造するが, その建材には居住地周辺に優占する半落葉樹木のモパネ (Colophospermum mopane) の幹が主に用いられてきた。しかし, 建材に適した直径の太いモパネが減少するとともに, 法律によって伐採が制限されたため, 近年はモパネの幹を建材として利用することが困難になっている。しかし, モパネが減少する一方で, 本地域では人々が食料として利用してきた野生のヤシ (Hyphaene petersiana) が次第に増加し, 本来の分布域であった洪水の流路周辺から村全体に拡散していった。そして, 近年ではそのヤシの葉柄を建材として利用する世帯が増加し, 新しい住居様式として定着しつつある。このような住居は多量のヤシの葉柄が必要となるが, ヤシの個体数の増加によって葉柄を十分に調達することが可能となり, また葉柄は樹木の「利子」の部分に相当するため, 持続的な資源利用が可能となっている。
  • 永原 陽子, シェリフ=ヌル ファティマ, 千田 有紀, 若杉 なおみ, 小森 淳子
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 63-68
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 重田 眞義
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 69-71
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 池谷 和信
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 71-73
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 末原 達郎
    2005 年 2005 巻 66 号 p. 73-74
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
feedback
Top