19世紀初頭のチュニジアでは, 対外貿易の変容によって経済危機が生じ, さらにこの危機は増幅効果を伴いながら進行した。本稿の目的は, チュニジア対外貿易の変容と経済危機のメカニズムについて明らかにすることである。
チュニジアの対外貿易は, 18世紀後半にフランスへのオリーブ油輸出が活発になり, 全体として貿易黒字傾向となった。しかし, 19世紀初頭になると, 輸入総額が急増し, また, オリーブ生産の不安定性もあり, 貿易赤字傾向に転換した。オリーブが不作の年には大幅な貿易赤字となり, ヨーロッパ商人への巨額の債務が発生するなど, オリーブ油輸出がチュニジア経済を左右する大きな要素となっていった。一方, チュニジア内では, ペストの被害などにより農業が停滞して支配者層の収入が減少しているにもかかわらず, 支配者層の過剰な消費は続いたため, 支配者層に慢性的な収支赤字状態が発生していた。オリーブ油輸出に依存するモノカルチャー経済とも呼べる状態にチュニジア経済が陥っていったのは, 支配者層がみずからの収支赤字をオリーブ油の輸出利益によって穴埋めしたためである。さらに, 支配者層の収支赤字が慢性的であったため, 破綻と穴埋めの構図は繰り返され, チュニジアのオリーブ油輸出依存, すなわちモノカルチャー経済化はますます深化していった。19世紀初頭のチュニジア経済危機は, 破綻と穴埋めの不断のサイクルを通じて, 経済危機が増幅していくメカニズムを内包していた。
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