奴隷貿易と植民地支配以前, 西アフリカは繁栄を謳歌し, ガーナ, マリ, ガオ等の大国家が成立した。しかしその実態は, 歴史資料が乏しいこともあり十分に明らかにされてはいない。その空隙を埋めるべく, マリ共和国東部のガオ地区で発掘をおこなってきたので, その成果を報告する。
ガオ-サネ遺跡での発掘からは, 長方形の日干しレンガ製建造物が出土した他, 400点を越えるビーズ, 北アフリカと同型のランプ, 鉄や銅の製品, 紡錘車が出土した。小型坩堝の他, 大小2種類の鎌形の銅の板が存在したが, これは貨幣として流通し, 必要に応じて製品に加工されたと考えられる。放射性炭素分析から遺跡はAD8Cから10Cと考えられる。製法と種類の異なる多様な土器の存在, 土製ランプの出土, 長方形の日干しレンガの使用, 西アフリカ最古の紡錘車の出現など, 西アフリカの他の遺跡との相違は顕著である。以上から, この遺跡は南方の黒人系だけでなく, 北アフリカの交易者・工人が居住していたと考えられる。
古ガオ遺跡での発掘からは, 片翼36mの総石造りの建造物の他, 浴室を備えた小型建造物が出土した。出土品には, 約1万点のビーズ, 1千点以上の銅製品と鉄製品, 北アフリカ・中東産のガラス製小型容器片や磁器片などの貴重品がある。放射性炭素分析から建造物は10Cを通じて利用されていたと考えられる。使用された石は付近に存在しないので, 遠方から運ばれていたはずである。他に類を見ない石造りの大規模建造物であること, 建造用の石を遠方から運ぶほどの権力の集中が存在したこと, ガラス製容器等の貴重品がサハラを越えて運ばれていたことから, 建造物は王宮ないし権力者の居宅であったと考えられる。
アラビア語史料によれば, 10Cのガオは王都と交易都市からなる双子都市であり, 私たちの発掘はそれを裏付けている。その他, 西アフリカで発見された最初の「王宮」であること, サハラ交易の開始が従来より少なくとも2世紀早められたこと, 西アフリカを東西に結ぶ交易路の存在が確認されたことなど,「中世」前期 (8-10C) の西アフリカ史を解明する上で多くの成果がもたらされている。
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