アフリカ研究
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2012 巻, 80 号
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
論文
  • 石川 博樹
    原稿種別: 論文
    2012 年 2012 巻 80 号 p. 1-14
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2014/01/25
    ジャーナル フリー
    エンセーテ(学名Ensete ventricosum)はアフリカおよびアジアの高地に分布するバショウ科の植物である。この植物は現在でもエチオピアの南西部において広く栽培されており,その根茎部や偽茎に蓄えられた澱粉を食用とするという特異な利用が行われていることが知られている。17,18世紀に北部エチオピアを訪れたヨーロッパ人たちは,この植物が青ナイルの源流域近辺において栽培され,食用利用されていたことを報告している。これらの記述については様々な解釈がなされてきたものの,未解明の問題が多々残されている。そこで本稿では,ゲエズ語史料およびエチオピア王国を訪れたヨーロッパ人の報告に見えるエンセーテ関連記述を再検討することにより,北部エチオピアにおけるエンセーテの食用栽培がいかなる歴史的背景を持つものであったのかという点を考察した。その結果,オロモの進出以前には,青ナイルの南に位置するフィンチャ湖周辺地域にエンセーテを食用とする複数の民族集団が居住していたこと,17世紀から18世紀にかけて青ナイル源流域近辺で見られたエンセーテの食用栽培はこれらの集団と関係が深いことが明らかになった。
  • エチオピア西南部の山地農耕民マロの集落放棄に関する考察
    藤本 武
    原稿種別: 論文
    2012 年 2012 巻 80 号 p. 15-26
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2014/01/25
    ジャーナル フリー
    エチオピア西南部の山地農耕民マロは,東隣のゴファから移住してきた人びとを主体に数世紀前に形成され領域を広げてきた元王国(マロ王国)の民である。19世紀末にエチオピア帝国に編入されると人びとは移住を制限され,高地では人口が増え,定住性も高まった一方,低地では周辺から集落が放棄され,人口が流出した。定着農耕民のマロにとって集落の放棄は本来極力回避すべきものだが,実際はその流れは止まることなく今日に至る。本稿は集落放棄がもっとも広範に発生してきたその西部域を対象に分析を行った。時期により要因は異なるものの,集落放棄はほぼ一定のペースで発生していた。長期におよぶ不安定な治安や交易路の変化に伴う経済的な衰退が関係するとみられる。かつて西部域は拡張過程にあったマロ王国が新たに領域としたフロンティアの地だったが,エチオピア編入後,その統治の末端に組み込まれ,治安が不安定になると,多数に分散していたその小集落は次々放棄され,近隣のより高所に形成された集住的な大きな集落に収斂されてきた。同時に相当数の人たちは故地のゴファへ移っていった。国家編入を契機に人びとの移動の流れは反転してきた。
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