アフリカ研究
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2018 巻, 94 号
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研究ノート
  • ─キャッサバのイモの収穫方法に着目して─
    原 将也
    原稿種別: 研究ノート
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 1-8
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿では,ザンビア北西部に暮らすルンダの人びとが実践する「部分どり」と「全どり」というふたつの収穫方法に着目し,農家が地域の生態環境による制約を克服するべく確立してきたキャッサバ栽培の方法を報告する。おもなキャッサバ栽培地域の熱帯雨林帯とは異なり,本稿で取り上げるザンビアでは明瞭な乾季が存在し,キャッサバの生長に時間がかかる。ルンダの女性たちは,キャッサバの種茎を植えつけてから2年が経過した3年目に,肥大したイモのみを選んで掘りとる部分どりを実践する。4年目にはほとんどのイモが肥大し,株ごとすべてのイモを掘りとる全どりがおこなわれる。部分どりと全どりを組みあわせることで,2年にわたってキャッサバのイモを収穫して世帯の食料消費を安定させるとともに,用途に適した大きさや状態のイモを必要量だけ収穫することができている。ふたつの収穫方法はキャッサバの生育段階に応じて実践され,キャッサバの生長に時間のかかる環境だからこそ生まれた収穫技術である。キャッサバはその特性から労力をかけずとも育つとされるが,本稿ではルンダの人びとが環境による制約を克服するように部分どりと全どりという収穫技術を確立していることを明らかにした。

  • John Ngoy KALENGA, Wakako FUJITA, Tetsuhiko TAKAI
    原稿種別: Note
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 9-20
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    This article investigates the development of Musoshi mine to produce copper metal in Katanga. It builds on available primary archives and statements from the memories of managers and miners interviewed during the field works. It aims to analyze the adaptability of the Japanese management, especially the perception of Congolese senior managers of Sodimico. Although the government expected that the Japanese investment would be neutral, the evidence reveals that the Japanese managers refrained from training the local employees in order to take responsibilities in the company's management. Also, the Japanese management style adapted successfully at Musoshi mine, particularly in favor of the blue-collar workers. But, the middle and senior Congolese managers do not perceive positively the fact that Japanese investors send their own managers to Musoshi mine. The interference of government and mismanagement of funds constitute the determinant factors in the collapse of the output. The study of Sodimico shows the general patterns of public companies in developing countries. The dependent government formed after the colonial experience does not possess the productively means to combine meaningfully the endowed resources for economic growth.

特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
  • ─プレザンス・アフリケーヌとは何か─
    佐久間 寛
    原稿種別: 特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 21-33
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本特集は,アフリカの脱植民地化に影響を及ぼしたことで知られる黒人文化総合誌『プレザンス・アフリケーヌ』創刊70周年に前後して同誌の共同研究を進めてきた文学・文化人類学の専門家による研究成果の集成である。

    『プレザンス・アフリケーヌ』誌は,A.セゼールやL.S.サンゴールといったカリブ・アフリカ出身の文化人にとってかけがえのない創作の場であったばかりでなく,政治,経済,歴史,教育等の専門家が集う学術分野を超えた集団討議の場でもあった。主要言語はフランス語であるが,英語圏からの執筆者もおおく,スペイン語やポルトガル語による作品も掲載された。また同誌は黒人のみに開かれていたわけではなく,創刊にはJ.-P.サルトルやA.ジッドといったフランスの白人知識人が参加した。またプレザンス・アフリケーヌは,アフリカ系知識人の作品を送りだしてきた出版社でもあり,第1回黒人作家芸術家会議をはじめとする歴史的イベントを組織した事業体でもある。

    序論である本稿では,言論媒体であると同時に多種多様な人々の交流と混淆を促す運動そのものでもあったプレザンス・アフリケーヌの相貌を概観し,この文化複合体を研究することの今日的意義を明らかにする。

  • 小川 了
    原稿種別: 特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 35-47
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    第一次と第二次の両大戦間期のフランスでは黒人をめぐる動きが激しかった。フランス人一般の黒人に対する視線には蔑み,恐れなどから感謝,同情といったものへの変化があった。他方,アフリカ,及び黒人についての学知は「行政官による民族学」から専門的訓練を受けた民族学者による民族学への変化もあった。1920年代のパリでは黒人による黒人向けの新聞・評論誌が次々に発行された。また,アメリカ合衆国で始まっていた黒人による新しい文学運動を担っていた作家たちの多くがパリに来,パリ在住の黒人知識人たちとの交流を深めてもいた。こういった動きを集約する形で1931年に発行されたのが,マルティニック出身の女性ポーレット・ナルダルによる『黒人世界評論』である。同誌周辺には当時の黒人知識人多くが集まり,アンティーユ,アフリカ,アメリカといった出身地域の違いを乗り越えた「新しい黒人意識」の醸成が見られたのである。

    『黒人世界評論』が創刊されたのと同じ年,フランス植民地主義の栄光を世に示す祭典,国際植民地博覧会が開催され,大成功を博した。この博覧会は広大かつ多様なフランス植民地の人々の文化,生活様式について当時の学知を集結した大イヴェントであった。ポーレット・ナルダルらは植民地博覧会の展示によって黒人文化を再認識し,黒人としての自分たちの創造力,「黒人の魂」を力強く訴えた。やがて,その思想はレオポル・セダール・サンゴールやエメ・セゼールらによる新しい思想としてのネグリチュードを産み,さらには同誌廃刊後,第二次世界大戦を挟んで15年後の1947年に創刊される『プレザンス・アフリケーヌ』へと受け継がれたのである。本稿は日本ではこれまであまり知られてはこなかったポーレット・ナルダルと彼女が創設した『黒人世界評論』に光をあてようとするものである。

  • ─創始者アリウン・ジョップと学生組織─
    佐久間 寛
    原稿種別: 特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 49-59
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    創刊時の『プレザンス・アフリケーヌ』は政治的中立を標榜する文化誌であった。変化をきたすのは,1953年の特集「黒人学生は語るLes étudiants noirs parlent...」においてである。寄稿者である学生たちは,宗主国の同化主義を批判し,全面的独立以外に植民地状況を変える術はないと主張した。この主張は,彼らが属した学生組織FEANFの方針と基本的に合致するものだったが,それだけではなかった。FEANFがややもすれば政治的問題を文化的問題に優先させてきたのに対し,同特集の寄稿者たちは,言語,歴史,宗教,芸術といった文化面の植民地化を脱することなくして真の独立は実現しえないと主張した。同特集の刊行は,文化的脱植民地化の政治的重要性をラディカルに主張した点において,『プレザンス・アフリケーヌ』の歴史ばかりでなく黒人学生運動史においても画期的な出来事だった。この革新的な思想形成の場を生みだしたのは,『プレザンス・アフリケーヌ』を穏健な文化誌として創刊した当の人,アリウン・ジョップだった。こうした両義性をもつ創始者と黒人学生との関係を手掛かりに,本報告では政治と文化の狭間で揺れた20世紀中葉の黒人運動の再考を試みる。

  • 中村 隆之
    原稿種別: 特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 61-72
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本論は,生前に一冊の詩集『杵つき』を遺して33歳で飛行機事故により他界した詩人ダヴィッド・ジョップ(1927-1960)の評伝的研究である。従来の文学研究では彼の詩の主題として,反抗,抵抗,革命,怒り,愛,ヒューマニズムなどが指摘されてきたが,彼の生と詩を相関させるとき,この詩人の中心にあったのが心象の〈アフリカ〉であったと捉えることができる。ダヴィッド・ジョップは,植民地主義や人種差別を仮借なく批判する一方,アフリカ人としての自覚を促す詩を書いた。しかし,その一貫した彼の立場には,彼自身の葛藤を認めることができる。ボルドーで生まれ,少年期・青年期の多くをフランスで過ごしたことや,フランス語で表現する詩人であることの葛藤である。彼が求め続けたものは,フランツ・ファノンのように,宗主国の支配から脱し,新たな「国民」を形成することにあった。教師として独立ギニアに赴くように,詩作だけでなく行動の人であったダヴィッド・ジョップを突き動かしたものは,未だ見ぬ〈アフリカ〉であった。

  • 村田はるせ
    原稿種別: 特集:プレザンス・アフリケーヌ研究
    2018 年 2018 巻 94 号 p. 73-83
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    本稿では,『プレザンス・アフリケーヌ』誌の諸論考と,コートディヴォワール出身の現代女性作家ヴェロニク・タジョ(1955-)の『イマーナの影』(2000)を読解し,1956年に開催された第1回黒人作家芸術家会議で表明された黒人文化人の意思を,タジョがどのように引き継いでいるかを明らかにする。この会議では,黒人の諸問題を解決するため,黒人作家・芸術家は創作によって役割を果たすべきであると表明された。それから約50年後,タジョは2003年に『プレザンス・アフリケーヌ』に寄せた論考のなかで,アフリカ大陸での紛争を防ぐため,作家は今こそ自らの作品でアフリカを書き,書いたものを通して読者と対話するべきであると主張した。1994年のルワンダでのジェノサイドを取り上げた『イマーナの影』は,この主張の実践であったと考えられる。彼女は文学の表現を通してこの出来事を書き,起きたことを,ルワンダを超えた人間全体の問題として提示している。こうしてタジョは,現代のアフリカ人作家として,アフリカの問題に対する役割を果たそうとしているのである。

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