植民地期のケニアでは,アフリカのほかの国々と同様に,ヨーロッパ人宣教師が宣教共同体において医療,保健,教育などをアフリカの人々に提供した。農業支援もそうした活動の一環だったが,当初の目的はあくまで拠点の運営を支えるとともに,改宗者に労働や規律の観念を浸透させることにあった。しかし,脱植民地期になると教会による農業支援の在り方は大きく変化した。本論はケニア南部のカジアド県においてケニア聖公会がどのような論理のもとで農業支援を展開したのかを検討した。
聖公会は人間を霊的にも身体的にもケアするという「全人」の思想に依拠することで,農村開発を促進するというポスト植民地国家の開発理念に沿った活動を展開することができた。聖公会がイシニャ市で運営していたマサイ農村訓練センターでは,おもに牧畜民のマサイの人々を対象とした農業訓練のほかに,普及活動も行われた。聖公会は国家の存在が手薄なこの地域で農村政策を補完することで,マウマウの「更生」に加担するという過去を持ちながらも,共和国政府のもとでみずからの居場所を確保することができた。ただし,その活動がマサイの改宗につながることはなかった。聖公会はマサイランドにおいて一定の成果をあげたものの,それは開発のエージェントとしてであり,キリスト教化には直接寄与することはなかったと考えられる。
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