本稿の目的は、コイサン向け土地政策の立案・協議過程に関する考察を通じて、1990年代後半に南アフリカのカラード・コミュニティの間で生じたコイサン復興運動が主張する土地要求の内容とそれに対する政府の政策的対応について明らかにすることである。つい最近まで、コイサンの土地要求が重要な政策課題として取り上げられることはなかったが、2013年2月のズマ大統領による施政方針演説をきっかけにこの状況は大きく変化した。農村開発・土地改革省(DRDLR)とコイサンの代表者との間で「1913年を期限とする土地返還の例外」について協議をするための場が新設され、2014年4月にはDRDLRが具体的な政策提案を行うことになった。本稿では、この提案が果たしてコイサン復興運動の要求を満たすものなのかどうか、この提案の実行にはどのような課題が存在するのかについて論じる。
アフリカの乾燥・半乾燥地域では近年、干ばつや集中豪雨といった自然災害の発生頻度が高くなっている。そのため、30年以上にわたって食料援助に頼ってきた干ばつ対策の限界が指摘され、この地域に暮らす牧畜民の食料安全保障の確立が重要課題となった。本稿は、北ケニアのレンディーレ社会における食料確保をめぐる地域セーフティネットの分析をとおして牧畜社会の食料安全保障を考察した。その結果、牧畜民は唯一の生計維持手段である家畜飼養を高い移動性をもつ放牧キャンプで行なう一方、町の商人との信頼関係にもとづくつけ買いで農産物を確保し、さらに集落における相互扶助を重視した食料分配によって食料の安定確保を実現していることが明らかになった。自然災害に対応できる食料安全保障を確立するためには、このような地域セーフティネットに災害の予防・対応能力をもたせ、地域全体の食料生産・流通・利用を強化していくことが重要である。
本稿は1990年代以降続いてきたコートジボワールの不安定な状態が、2011年5月に正式発足したワタラ政権のもとで解消されたかどうかを検討する。着眼点はワタラ政権期の武装勢力の動向と、ワタラ政権の軍事的基盤をなすコートジボワール共和国軍(FRCI)とワタラの関係である。武装勢力の動向については、ワタラ政権の正式発足の時点で内戦期の軍事的対立の構図が基本的には解消され、その後もFRCI優位の軍事状況が継続していることがわかる。ワタラとFRCIの関係については、FRCI幹部の重要ポストへの登用が続いており、堅固な同盟関係が維持されていることが確認できる。しかし同時に、事態を不安定化に向かわせうる要因が今なお存在することも指摘できる。このためコートジボワールは一時期の不安定な状況をたしかに脱してはいるものの、安定化が十分に確立・制度化されるうえでは、軍の改革をはじめとする課題が解消される必要がある。
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