クク人(Kuku)は南スーダン最南端、ウガンダとの国境地帯を故地とし、植民地化や内戦等、さまざまな要因により移住を繰り返してきた。とくにウガンダへの移住は1930年代から行われ、ウガンダ国籍を持つクク人も多い。本稿は2005年の第2次スーダン内戦終結後のウガンダからのスーダン(現南スーダン)人、とくにクク人の移住の実情を示し、彼らの移住史のなかにそれを位置づける。そして彼らにとって、第2次スーダン内戦終結後、国際機関とウガンダ政府の主導によりなされたウガンダから南スーダンへの「帰還」は、いかなる意味を持ったのかについて検討する。さらにそれをとおし、定住を前提として帰還支援を行うこと、ならびに「持続可能な帰還」を提唱することの問題を指摘する。
本稿の目的は、避難先から出身国に帰還した元難民と、避難先に残留した元難民の経験を比較し、難民問題の恒久的解決策のひとつとして難民が帰還を望むことを前提に立案される帰還支援プログラムの妥当性を検討することである。具体的に検討する事例は、1980年代から1990年代にかけてモザンビーク内戦の過程で南アフリカに流入した元難民である。この難民に対する帰還支援プログラムはUNHCRによって1994年から翌年にかけて実施されたが、モザンビーク南部出身者に関してはUNHCRの期待に反して利用者が少なかった。本稿では、その実施からほぼ25年が経過した時点でモザンビークおよび南アフリカで実施した聞き取り調査に基づき、難民が帰還を選択しなかった要因として、対象地域の歴史的な生計活動と帰還支援プログラムが実施された当時の政治環境を挙げる。本稿の事例は、帰還支援プログラムが一様に実施されようとも、難民がそれを利用して帰還するか否かは、地域・時代特有の政治経済環境に大きく影響を受けることを明らかにしている。それは「帰還」を前提とした難民問題への対処に再考の余地があることを示している。
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