日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の156件中51~100を表示しています
  • 赤坂 郁美, 森島 済, 三上 岳彦
    セッションID: 427
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1. はじめに
     フィリピンは西部北太平洋夏季モンスーン地域に属しており,平均的にフィリピン周辺で南西モンスーンが開始する5月中旬頃に雨季入りすることがわかっている一方で(Wang and Lin 2002; Akasaka et al., 2007),雨季入りの年々変動に関する研究はあまり行われてこなかった.フィリピンでは雨季の降水が重要な水資源となっており,雨季入りの年々変動は農業への影響も大きいため,その詳細な調査が必要とされている.そこで赤坂ほか(2005)は,1961-2000年までの39地点の半旬降水量データにEOF(Empirical Orthogonal Function)解析を行い,各年の雨季入りを定義した.この結果,1970年代後半以降に雨季入りの遅れが目立つようになり,その年々変動も大きくなっていることがわかった.しかし,雨季入りの年々変動に関連する循環場の特徴については調査されていないため,本研究ではこれを明らかにすることを目的とする.
    2. 使用データ及び解析方法
     赤坂ほか(2005)で定義された1961-2000年の雨季入り半旬の結果と41地点の半旬降水量データを使用する.雨季入りの年々変動と循環場との関係を考察するために,NCEP/NCAR (National Centers for Environmental Prediction / National Center for Atmospheric Research)の2.5ºグリッドの再解析データ(Kalnay et al. 1996)から850hPa面の高度と風系のデータを半旬平均値にして使用した.解析対象期間は1961-2000年である(ただし赤坂(2005)で雨季入りが定義されなかった1999年を除く).
     まず雨季入り前後の循環場の変化に関して,その時空間的特徴を明らかにするために雨季入り前1半旬と雨季入り半旬の等圧面高度の空間偏差データにEOF解析を行った.次に各EOFモードに関連する循環場のパターンを調べるために,時係数が±1を越える年の等圧面高度と風系,地点降水量についてコンポジット解析を行った.
    3. 結果と考察
     EOF解析の結果,上位3成分で累積寄与率が60%以上となり,これらが雨季入り前後の循環場の特徴を表す主要なモードであると判断した.第1EOFモード(EOF1)の因子負荷量分布は雨季入り時にインドシナ半島~南シナ海北部にかけて等値線が密になっており,海洋大陸とインドシナ半島付近では符号の南北コントラストがみられる(図1).コンポジット解析の結果から,EOF1が正の年はインドシナ半島~南シナ海北部にかけて発達するモンスーントラフの深まりが, 負の年は亜熱帯高気圧南の偏東風波動が雨季入りに関連していることがわかった(図略).平均的な雨季入り前後の循環場では亜熱帯高気圧の北東へのシフトと南西モンスーンの開始が雨季入りに関連する作用中心であることがわかっているが,年々変動の観点からみると偏東風波動もその一つであることが明らかになった.また雨季入りが最も早い(遅い)年にはEOF1モードの時係数が-1以下(+1以上)の年が対応しており,EOF1は雨季入りの早さを既定するモードであると考えられる.今後はEOF2,EOF3モードも含め各モードに関連する循環場のパターンと雨季入りの年々変動との関係を調べると共に,雨季入りに関連する循環場の形成要因を調べるために海面水温変動などについても解析を行う必要がある.

    参考文献
    赤坂郁美・森島済・三上岳彦(2005) フィリピンにおける雨季入り・雨季明けの経年的特徴. 2005年地理学会春季学術大会予稿集: 78.
    Akasaka, I., Morishima, W. and Mikami, T.. 2007. Seasonal march and its spatial difference of rainfall in the Philippines: Int. J. Climatol 27: 715-725.
    Kalnay,E. et al. 1996. The NCEP/NCAR 40-year reanalysis project. Bull. Amer. Meteor. Soc.77: 437-471.
    Wang, B. and Lin, H. 2002. Rainy season of the Asian Pacific summer monsoon. J. Climate 15 :386-398.

    図1 1961-2000年における上) 雨季入り前,下) 雨季入り時の850hPa面高度に対するEOF1の因子負荷量分布.実線(破線)が正(負)を示す.等値線間隔は0.1.
  • 今野 絵奈
    セッションID: 501
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1. はじめに
     農業の持続的発展において重要なことは、有機廃棄物を再利用し、環境へ過度に負荷をかけないことである。都市近郊では、混住化に伴い、地域住民から、悪臭や騒音などの苦情が発生し、畜産農家は、経営を維持していくために、排せつ物処理を適正に行い、悪臭や衛生害虫などの公害発生の予防措置を行う必要があった。本報告ではどのように排せつ物が処理されているのか、また副産物である堆肥がどのように流通しているのかを明らかにして、都市近郊における環境保全に配慮した地域内循環型養豚業の課題を考察することを目的とする。この課題を考察するために、報告では養豚農家の飼養、環境に関する苦情などの現状を統計より把握した上で、環境保全に対する行政や農家の対応を聞き取り調査に基づき明らかにしていく。調査対象として、全国に先駆けて畜産の環境対策に力を入れてきた神奈川県の養豚農家を設定した。

    2. 堆肥化と公共下水処理の比較
     排せつ物を処理するために、浄化槽と密閉縦型強制発酵装置が利用されている。初期投資に1,500~6,000万円かかり、その30%にあたる450~1,800万円の補助が市町村によって行われている。また、排せつ物を処理するために、電気代や燃料代として、約10万円/月かかる。副産物としての堆肥を販売することで、1ヶ月のランニングコストとほぼ同じ金額の収入を得ている。しかし、装置の修繕費は1回に200~500万円かかり、農家の負担は大きい。
     公共下水の初期投資は、10~100万円で、従来の処理施設より安価である。処理費用は約6円/頭であり、1ヶ月あたり約4万円/18t(7,800頭分)である。堆肥化処理に比べると初期投資、処理費用、労働力における農家負担は小さい。しかしながら、畜産公害の改善を図るため、経費・労働力削減のために、多くの農家が公共下水を導入したら、堆肥の生産量が減少する。その結果、耕種農家は、多量の化学肥料を投入し、地力低下の進行、作物育成障害が生じ、環境に負荷を与えかねないことになる。
     市街化区域外の畜産農家は市街化区域内の畜産農家と比べて、排せつ物処理費用の負担が重く、環境に配慮した養豚業を営むために、公共下水の利用を検討している。農家は排せつ物処理費用を国民の税金に頼ることとなり、汚染者負担の原則に反することと考えられる。また、経費・労働力削減のために、多くの農家が公共下水を導入したら、堆肥の生産量が減少する。その結果、耕種農家は、多量の化学肥料を投入し、地力低下の進行、作物育成障害が生じ、環境に負荷を与えかねないことになる。そのため、公共下水の処理費用を1頭あたり6円から10円に値上げし、従来の処理費用と同じような金額にする必要があると考えられる。

    3. 堆肥の価格と流通範囲
     堆肥を利用する農家は、牛・豚・鶏ふん堆肥を用途によって使い分けている。養豚農家は、密閉縦型強制発酵装置で生産した堆肥を利用量に応じて、袋詰めとバラ売りに分けている。生産した堆肥はほぼすべて消費されている。
     耕種農家は軽トラやダンプで養豚農家に出向き、1m3あたり1,300~3,000円で購入している。一方、家庭菜園のように少量の堆肥使用のための袋詰め堆肥は、1袋10~16kgで300~500円で取引されている。袋詰め堆肥は袋の印刷代や作業コストも含まれるため、多少割高の価格設定になっている。
     畜産農家では、毎日同量の堆肥が生産されるため、堆肥舎に保管できる量は限られている。そのため、販売することで収益を上げることよりも堆肥の残量を増やさないために、継続的な購入者に、同じ価格でも量を増やして販売するなどの工夫を行っている。
     堆肥の流通範囲は、養豚農家のある厚木市、藤沢市、横浜市、綾瀬市の野菜農家や家庭菜園や近隣の海老名市、津久井町、箱根の宿舎と契約している小田原市の農家、大根やキャベツで有名な三浦市や横須賀市の耕種農家にも販売している。堆肥は養豚農家の近隣にある耕種農家や家庭菜園を中心に、小規模な範囲で流通している。

    4. まとめ
     神奈川県では、堆肥化施設をいち早く取り入れたため、臭気発生は激減し、苦情も減少した。さらに、2004年から家畜排せつ物の適正な管理及び処理が法律により義務づけられ、生産者は、従来以上に、環境負荷を軽減する取り組みが求められるようになり、飼育環境や制限保守などに、より一層神経を遣うようになった。
     家畜排せつ物の再利用法として、堆肥化を促進させるためには、公共下水処理の価格引き上げや散布しやすいペレット堆肥の開発が必要である。また、宅地転用のため、1990年代以降、耕地が減少している。今後、堆肥を還元する農地を保全することも重要である。
  • JAあしきたたまねぎ部会の取り組みを事例として
    宮地 忠幸
    セッションID: 502
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    I.はじめに
     「有機農業推進法」(2006年12月施行),「農地・水・環境保全向上対策」事業の開始(2007年4月)など,食の安全・安心,生産環境の保全を通した地域活性化へ向けた法律や政策が始まった.相次ぐ食品の安全性問題の表面化や国民の健康志向の高まりは,上記の法制度の実施と相まって,今後の国内産地の振興方向として,有機農業の普及に連なってくる可能性もある.しかし,現状において有機農業の面的拡大には,生産過程における新たなコスト負担の問題や労働強化,販路開拓の問題など,全国的に認められる共通の課題がある(宮地,2007)ことから,「理念」と「現実」にはギャップがある.その一方で,環境保全型農業の普及の実態をみると,そこには地域的な差異を伴いながらも,確実に取り組みが拡大してきていることがわかる.「エコファーマー制度」の認定を受ける農家数の推移はこのことを示しており,近年ではJAの部会単位で取り組みを進めている事例も多くなっている.
     本報告では,熊本県南部に位置する芦北地方において(JAあしきた管内)取り組まれているたまねぎの環境保全型農業(減農薬・減化学肥料栽培)が生産者の経営と地域農業振興にどのような意義をもちえているのかを考察する.

    II.地域農業の概要とJAあしきたたまねぎ部会の取り組み
     事例対象であるJAあしきたは,熊本県南部に位置する田浦町,芦北町,津奈木町,水俣市を管轄している.管内は,年間平均気温16.3度,年間降水量2,145mmの温暖多雨を特徴した地域である.農業生産では柑橘生産が盛んであり,甘夏みかん(495ha:2005年),不知火(297ha:同)は全国有数の生産規模を有している.果実の農業粗生産額は,上記4町の総額の41.4%(2000年)を占めており,それに畜産(20.7%),野菜(16.8%)が続く.果実,畜産の生産額が1990年以降,漸減傾向にあるなかで,野菜のそれは漸増傾向にあり,地域農業のなかで一つの柱へと成長してきている.
     芦北地方におけるたまねぎ生産は,1961年に水俣市で水田裏作として栽培が始まったことに起源がある.現在,芦北地方で生産されるたまねぎは「サラダたまねぎ」として出荷されている.温暖な気候条件を活かして極早生,早生品種を中心に栽培され,3月上旬から出荷されることから全国で最も早く「新たま」を出荷する産地として成長してきた.極早生品種,早生品種は水分含量が多く甘みがある(辛味が少ない)ことから,「(生で食べる)サラダ用たまねぎ」として売り出してきた.生食ゆえにたまねぎ部会では,1988年より減農薬・減化学肥料栽培の取り組みを開始した.ここでの減農薬・減化学肥料栽培の特徴は,(1)土づくり:堆肥2~4t/10aによる土づくり,元肥にサラたまちゃん専用肥料(有機率50%,JAで開発)を使用,(2)雑草・病害虫防除対策:除草剤を禁止し,黒マルチによる雑草対策,殺菌剤は2回まで使用可能(月1回以内),(3)その他:育苗床において太陽熱消毒を実施(30~45日),に集約される.芦北地方において生産されるたまねぎは,全量JA系統出荷によって商品化されており,上記の取り組みも部会内で徹底されている(2006年産の生産者は139名).組織的な取り組みが継続されている背景には,「水俣」が抱えてきた「歴史」や後述するように個々の生産者がこの取り組みに経営的な利点を実感しているからである.たまねぎ部会の取り組みは,地域農業振興の面からも注目されており,1997年度の環境保全型農業推進コンクールで農林水産大臣賞を受賞するなど,高い評価を得ている.

    III.環境保全型農業の経営的・地域的意義と課題
     たまねぎの生産農家は,環境保全型農業を継続する上で,(1)太陽熱消毒と黒マルチによる雑草対策によって,除草作業が省力化されたこと,(2)たまねぎ選果場の完成(1995年)や集荷コンテナの利用によって,収穫・調整,出荷作業が大幅に省力化されたこと,(3)規格外品の加工向け出荷等を評価している.2006年産のたまねぎ生産者の平均年齢は62.6歳(JAあしきた調べ)であるが,定年帰農によって担い手が現状では確保されている点も注目される.消費者交流会,小中学生の体験学習,試食販売会等の取り組みは,安全・安心な「サラダたまねぎ」ブランドの形成に役割を果たしている.
     一方で,市場出荷を基本としたたまねぎの販路は,4月中下旬以降,佐賀県産をはじめ各産地との市場競争に直面する.量産型の産地とは異なるマーケティングの構築や,産地内でのリレー出荷による実需者への安定供給の実現などが課題となっている.

    【参考文献】
    宮地忠幸 2007.日本における有機農業の展開と地域農業振興.経済地理学年報53:41-60.
  • 棚田オーナー制度の現状と課題
    高木 美彩, 大山 勇作, 角田 裕介, 皆越 由紀, 大平 明夫
    セッションID: 503
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     近年、全国各地で棚田保全の取り組みが活発に行われている。それらの取り組みの中で、都市住民に農業体験の場を提供する棚田オーナー制は、棚田保全と共に、地域の活性化にも結びつくことから注目されている(たとえば、中島,2003)。今回、宮崎県日南市酒谷地区における坂元棚田を対象に、棚田の保全とオーナー制度の現状について調査を行った。

    2.坂元棚田の概要
     宮崎県日南市西部に位置する坂元棚田は、昭和初期の耕地整理事業(面積約5.3 ha)によって、小松山(標高989m)の南西斜面の標高約330~250mに開発された。1枚あたり5アールの長方形に区画された棚田は、設計段階から馬耕が可能となるように道路や畦道の幅が決められ、総延長約1,500mに及ぶ灌漑用水路も開削された。平成11年7月の「棚田百選」選定を契機に、棚田保全整備事業が始まり、用水路・道路等の整備が進んだ。さらに、平成18年10月の第12回全国棚田(千枚田)サミット開催に伴い、周辺道路・展望台も整備された。現在、棚田の総面積は9.4 ha(日南市農林水産課資料)となっている。
     平成19年7月現在、坂元集落の全16戸のうち12戸が棚田で稲作を行っている。坂元集落を含む日南市酒谷地区は、人口1,384人、世帯数626、高齢化率45.3%であり、人口減少と高齢化が進行した地域である。

    3.棚田の保全と地域活性化の取り組み
     坂元棚田を保全し、地域活性化に生かすという試みは、坂元集落の住民7名の活動から始まる。平成7年に彼らが組織した坂元棚田れんげの里づくり協議会は、棚田でれんげを栽培し、れんげ祭りというイベントを開催するという村おこしの活動を始めた。このイベントの参加者が増大したため、その後、酒谷地区むらおこし推進協議会(平成5年発足)に引き継がれ、棚田祭りとして酒谷地区全体の観光資源として利用されるようになった。

    4.棚田オーナー制度の現状と課題
     坂元棚田のオーナー制度は、酒谷グリーンツーリズム協議会(平成13年発足)による主催で平成14年から始まった。この協議会は、酒谷地区むらおこし推進協議会の支援組織である「やっちみろかい酒谷」が立ち上げた組織で、農村地域の活性化を目指して、オーナー制度の他にも農作業ボランティア、収穫祭等のイベントの開催、農家民宿の提供などを行っている。こうした活動には、地元住民のリーダーの存在が大きく、各イベントの企画・運営に貢献している。
     オーナー制度の運営に関わる事務的業務(オーナー募集、地元農家との調整、イベント準備など)は、制度開始当初から、行政(日南市農林水産課)が担当している。年数回行われるイベント(田植え、石垣清掃、収穫祭)は、地元住民、オーナー、ボランティアが協力して行っている。オーナーは、年会費35,000円(うち5,000円は棚田保全協力金)を支払い、年4回の農作業を地元農家の指導の下で行い、特典として、白米約25kg、年2回送付される地元農産物を受け取れる。平成19年度のオーナー制度には、32組の参加(募集35組)があり、前年度からのオーナーの継続率は約6割である。オーナーの居住地は、宮崎市や都城市など県内が29組、県外が3組となっている。
     オーナー制度の今後の課題としては、事務的業務を担う人材の確保、若い世代の村おこしのリーダーの育成、地権者以外の地元農家の収入の確保などが考えられる。
  • 安藤 誠也
    セッションID: 504
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     高度経済成長期以降、全国の里地里山は人々の社会活動の変化の中で大きく変貌し、このことがイノシシなど野生動物による深刻な農業被害を出す要因となっている。都市部への人口流出や減反政策によって、里地では耕作放棄された田畑がササやクズ・ススキなどの藪地に変化した。里地と里山の間に植栽されて、タケノコ畑や竹材林として管理されてきた、モウソウチク・ハチク・マダケ林の多くが、石油製品の普及や安価な海外産タケノコの大量輸入を受けて各地で放置されている。
     このような藪地と化した耕作放棄地、管理されなくなり下栄えが生じた薪炭林・植林、放置された竹林がイノシシの潜伏場所・移動経路・餌場となっている問題が指摘されている。筆者が03-04年に行ったイノシシのラジオテレメトリー調査では、調査個体がタケノコの季節に活動時間の多くを放置竹林内で過ごしているのを捉えた。また同時に行った複数個所の放置竹林の踏査では、多数のイノシシによるタケノコ食痕を確認したことから、放置竹林に生じるタケノコがイノシシにとっての主要な食料のひとつと思われる。本研究ではモウソウチク・ハチク・マダケの放置竹林内に調査区を設置し、年間を通じたタケノコ食痕カウントを行い両者の関係を定量的に分析していく。
    2.対象地域と調査方法
     対象地域である滋賀県大津市北部は琵琶湖西岸に位置し、比良山地の麓に広がる丘陵地に立地している。高度経済成長期までは谷の末端に至るまで棚田が広がり、尾根には人手によって管理された薪炭林や小規模な竹林が分布していた。しかし1970年代以降、多くの棚田が耕作放棄地され藪地に変化し、管理されなくなった竹林が分布を大きく拡大させ、現存する耕作地と隣りあわせで存在している。近年イノシシによる農業被害が深刻な問題となっており、滋賀県内でも対象地域付近が最も被害金額が大きくなっている。
     調査方法は放置竹林に設置した調査区を、約2週間置きに年間を通じて踏査し、数取器を用いてタケノコ食痕に残る残渣を正確にカウントした。カウント後のタケノコの残渣は、カウントの重複を防ぐため全て回収した。この際、イノシシによる食痕と、それ以外の動物による食痕では違いが認められたため、別々に記載した。イノシシによるタケノコ食痕がどの時期にどれくらいの量発生するのかを測定するため、総食痕数を前回調査日から今回の調査日までの日数で除した日平均食痕数を算出した。
     調査区内において目視で発筍を確認した全てのタケノコには、割り箸に調査日ごとに色の違う油性ペンを用いて、1番から始まる番号札を添えた。発筍がどの時期にどれくらいの量で発生するのかを測定するために、総発筍数を前回調査日から今回の調査日までの日数で除した日平均発筍数を算出した。
    3.結果と考察
     年間を通じた調査の結果、タケの種類によってタケノコが摂食される期間の長さや時期、タケノコの状態が違うことが明らかとなった(図)。モウソウチクは10月下旬より地中のタケノコが掘り起こされ摂食を受け、最も食痕が多くなるのは3月中旬であった。4月に入り発筍期になると食痕が減少し、発筍が終了した6月には食痕がみられなくなった。ハチクは発筍期以外の季節では食痕は殆どみられず、5月中旬に発筍を確認した後の5月下旬から6月上旬にかけて最も食痕がみられた。マダケもハチクと同様に発筍期以外の季節では食痕は殆どみられず、5月下旬に発筍を確認した後の6月から7月にかけて食痕がみられた。モウソウチク・ハチク・マダケの放置竹林が近接して存在する地域では、年間の多くの時期でタケノコの摂食が可能であり、イノシシが引き寄せられている。これらが現存する耕作地に近接していることから、農業被害が発生する要因になっていると思われる。
  • 広島県廿日市市(旧吉和村)、安芸太田町(旧戸河内町)を事例として
    姜 淑敬
    セッションID: 505
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに

       近来、中山間地域では過疎・高齢化、地域経済の沈滞といった社会経済的な問題のみならず、イノシシ、クマのような野生動物が中山間地域の集落に出没するなど、野生動物による被害が深刻になっている。
     中山間地域の多くの森林生態空間には、生態環境を考慮しない開発行為、すなわち、経済性の低い原生林からスギ、ヒノキといった人工林への代替造林、レジャー施設の建設とその施設への接近性(accessibility)を高めるための道路建設などの人為的な要因や台風、豪雨、豪雪などの自然的な要因、さらには倒木の放置や間伐の未履行などの森林管理に関わる要因によって、森林生態系の破壊が進んでいる。生態系が破壊され、生息地を失った野生動物が食材を得るためやむを得ず人間の居住地にまで出没することは人間が自らもたらした必然の帰結とも言えよう。
     本研究では、ツキノワグマを研究対象種として選定して、西中国山地のツキノワグマ生息地における生態環境の変化を時系列に評価するとともに、最近、ツキノワグマが人家周辺への出没頻度が高くなる原因を究明することを目的にする。

    2.研究対象種および地域の選定

     広島、島根、山口の3県にまたがる西中国山地には、個体数約300~700頭と推定されるツキノワグマが生息しているが、最近、頻繁に農耕地や人家周辺へ出没し、農作物の被害とともに地域住民に恐怖感を与えることによって、多くのツキノワグマが有害獣として駆除されている。
     しかしながら、ツキノワグマは国際自然保護連合(IUCN)のレッドデータブックの危急種(Vulnerable)に指定されている種で、国際的にも絶滅の危険性が高い個体群として保護されている。韓国の場合、野生ツキノワグマはほぼ絶滅したと推定されており、野生ツキノワグマを復元するため国を挙げてのプロジェクトが施行されている。
     研究対象地域である旧吉和村や旧戸河内町は、ツキノワグマの生息地でおり、まだ豊かな渓畔林が残っている地域である。しかし、スキー場やゴルフ場などの施設が数多く建設され野生動物の生態通路が断絶されている。近年では原生林が残っている渓畔林周辺まで大規模林道の建設が進められている。

    3.研究方法および概要

     1960年代から最近まで、土地利用パターンの変化がツキノワグマ生息環境に及んだ影響を把握するため、航空写真や現存植生図、各種統計データなどの分析を行なう。また、GPSを用いてツキノワグマの痕跡や捕獲檻などの位置を正確に把握し、ArcInfo9.1を用いてキノワグマの生息環境を解析する。さらに、ツキノワグマが生息するために必ず保護すべき地域を選定・提示する。 
     近来、野生動物の人家周辺への出没は大きな話題になっている。野生動物が自分の生息地から離れた場所まで食材を探して出没するのは、既存の生息環境が崩れたことを意味する。現在の生態環境を正確に診断・分析し、人間と自然が共存できる持続可能な生態環境を造成するための努力が切実に必要であろう。
  • 則藤 孝志
    セッションID: 506
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     農業のグローバル化によって,国内の農産物産地は衰退・再編を余儀なくされている.そのなかで,加工用農産物産地では,加工部門のグローバル化が産地の衰退・再編に影響し,ときにドラスティックな変化を引き起こすことが明らかになっている(後藤,1998;2006).こうした成果は,加工部門を介してマクロスケールから農産物産地の変化に迫ったものであるが,地域農業としての産地変化の解明には,農業部門からのミクロスケールでの研究も必要である.以上の問題意識のもと,本研究では,和歌山県みなべ町のウメ産地を対象地域として,産地がダイナミックに変化しはじめた1980年代以降,農業経営がどのように変化したかを明らかにすることを目的とする.

    2.1980年代以降における産地の動向
     ここでは,梅干加工業者(以下,加工業者)や農協関係者などへの聞き取りと先行研究を踏まえ,80年代以降における産地の動向を概観する.80年代以降,健康志向の高まりや,外食産業の発展から梅干の需要が増加した.これに対応するため,加工業者は生産ラインを拡大させた.これに伴い,原料であるウメの需要が増大し,農家は活発に園地を拡大させ,生産量は増大した.また,原料の引き合いが強い中で価格が高騰し,産地はウメバブルを経験した.しかし,90年代後半以降,梅干の消費停滞や加工業者による中国産ウメの輸入拡大などにより,産地は生産過剰に陥っている.

    3.農家経営の変化に関する調査と結果
     みなべ町のウメ生産地域は,町内全域に広がるが,ウメ生産の歴史的経緯から,早くからウメ生産が存在した歴史的地域と戦後に生産を本格化させた新興地域に分けられる.そこで本研究では,新旧2つの地域から調査集落を選定し,農家に現在と過去2時点(20年前,10年前)における農業経営を構成する各要素と今後の経営方針を調査した.なお,調査は2006年9月に実施した.調査結果の分析は以下の通りである.まず,園地の変化において,歴史的地域では転作,新興地域ではパイロット園地や山林開墾など園地造成によりウメ園地を拡大させた.労働面では,新興地域においてウメ生産が拡大する中で,林業や製炭業,季節労働など伝統的職業が姿を消した.出荷においては,両集落で青ウメから白干出荷への転換が行われた.また,出荷先との関係が希薄な新興地域において,出荷先の多チャンネル化が確認できた.生産過剰に苦しむ現在,歴史的地域では,雇用労働の節約や野菜生産の拡大など経営再編の動きがみられた.一方で新興地域では,以前としてウメを拡大する志向が強い.

    4.価格交渉力からみる加工部門と農家の関係
     原料の引き合いが強かったウメバブル期は,農家において価格交渉力が強かった.これが,加工業者にとって一層の中国産輸入を促す契機となったと考えられる.しかし,生産過剰となっている現在は,価格交渉力は加工業者が強く,出荷先が多チャンネル化している新興地域において,農家は買い渋りにあう危険性がある.

    5.おわりに
     80年代以降,歴史的地域,新興地域の双方において農家経営がダイナミックに変化した.園地の拡大や出荷先の変化など,新興地域においてより大きな変化がみられた.また,このような農家経営における変化のダイナミズムは,この産地が加工部門と関わって変化する中で生じたものである.なお,現在,生産過剰の中,規模拡大を志向する新興地域において農家経営に強い不安要素を抱えていることが指摘できる.

    参考文献
    後藤拓也(1998):輸入自由化と生産過剰にともなう加工トマト契約栽培地域の再編成.人文地理,50(2),pp.46-67.
    後藤拓也(2006):輸入畳表急増下における熊本県い草栽培地域の再編成.人文地理,58(4),pp.1-21.
  • 石原 大地, 今野 絵奈, 下田 未央, 高柳 長直, 増井 好男
    セッションID: 507
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.問題意識と課題
     わが国の果樹農業をめぐる近年の情勢は大きく変化している。消費面では、食生活の多様化が進む中で、輸入品を中心とする果汁需要の増加はみられるが、生果需要は若年層を中心に減少している。生産面においては、樹園地の整備や作業の機械化が立ち遅れている中、中山間地域を中心に果樹農家の減少、担い手の高齢化、後継者不足等の問題が深刻化している。このような消費・生産の変化により、2004年の果実の国内自給率は40%と低下した。一方、消費者の健康・環境意識の高まりの中で、より環境や安全性に配慮した果実の生産・供給が求められている。以上のことから、果実の需要を安定させ、消費者ニーズに対応した高品質果実生産や、国際競争にも耐えうる足腰の強い果樹生産の育成が課題となっている。
     このように、多くの果樹の栽培面積が伸び悩み、あるいは減少しているが、生産が拡大している品目もみられる。その一つとして西洋なしがあげられる。西洋なしには、ラ・フランス、バートレット、オーロラ、ル・レクチェ、越さやかなど早生から晩生まで、特徴ある品種がある。2005年の西洋なし全国出荷量は28,400tであり、西洋なしの中でもラ・フランスは、出荷量の約70%を占めており、しかも栽培面積が増加傾向にあって、最も人気の高い品種といえる。
     そこで本研究では、果樹農業の構造再編が迫られる中でラ・フランスの産地形成の展開過程を解明し、産地のあり方について考察する。研究対象地域としては、山形県天童市をとりあげた。ラ・フランスの主要産地は山形県であり、全国出荷の約77%を占めている。また、山形県の中で天童市は、ラ・フランスの栽培面積、収穫量、出荷量がいずれも上位を占めている。2006年8月末に、JAてんどう、天童市役所、農家への聞き取り調査により、課題への接近を試みる。
    2.産地形成の過程
     天童市は、山形盆地に位置し、昼夜間の気温の日較差があるので、果樹栽培に適しており、米と果樹が農業経営の中心であった。 しかし、米の生産調整政策が施行され、水稲からの品目転換を余儀なくされた。そこで、天童市ではラ・フランス生産が着目された。ラ・フランスは他の果樹と比較して栽培が容易であり、単価も高い。また、天童市はさくらんぼの日本で有数な産地であったが、ラ・フランスの栽培時期はさくらんぼとは栽培時期が異なることもあり、多くの農家が導入した。つまり、複合経営農家にとってラ・フランスは、最適な果樹である。
    3.多様性を特徴とした産地
    i).多品目複合経営
     天童市の農家は多様な品目の栽培を行なっている。米をはじめとして、さくらんぼ、りんご、ぶどう、ももなどを栽培している。多品目複合経営の利点として、労働力とリスクの分散があげられる。果樹栽培は1つの作物に対しての労働力量が少なく、多品目複合経営を行い、労働力の分散に努めている。
    ii).栽培技術
     栽培技術は、剪定作業方法など各農家で異なる。ラ・フランスは糖度で価格が決定されるので、各農家が独自の栽培技術を保有している。使用する肥料においても、化学肥料から有機肥料、アミノ酸系肥料など多岐にわたる。また、接木においても、品種や回数は農家により異なる。このような栽培技術の多様性が、栽培技術の向上につながっていると考えられる。
    iii).販売方法
     販売方法(ルート)が多様であることは、市場の拡大と、生産者の栽培意欲の向上につながると考えられる。調査農家の中には、スーパー大手のイオンと提携し販売を行なっている事例もある。また、直接販売を行なっている農家も多く存在した。販売方法が多様化していることに起因して、天童市のラ・フランス販売は、共販率が低いことも特徴の一つである。
    4.範囲の経済と産地の課題
     産地の形成は、集積の利益追求の結果だと考えられてきた。できる限り生産品目をしぼるともに、規模の拡大による平均生産費の逓減を図ろうとしてきた。しかしながら、果樹の場合、投下資本の回収に時間がかかる上、永年性作物であるため、市場構造の変動に容易には対応できないという問題がある。そのことが、多様性を生じさせてきたともいえる。しかしながら、多額の費用を要したラ・フランスセンター(選果場)は、ラ・フランスしか利用できず、稼働率が著しく低い。日本農業の効率性をより高めるためには、範囲の経済の追求といったことも課題として求められている。
  • 河北省高陽県を事例に
    王 岱
    セッションID: 508
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    I 研究の目的
     1999年以降,中国では,農民所得の向上を目指すとともに,WTOの加盟に対応するための農業構造調整が実施されてきた.農業構造調整下での農業生産部門において,主に穀物を中心とした食糧作物から,より高い収益をもたらす商品作物への転換調整が急速に展開されてきた.さらに,2002年以降,土地利用権の合法的な有償移転も条件つきで可能となったことで,一層の土地の集積,機械化による農業の大規模化・集約化が進行している.
     本研究は,華北地方に位置する河北省高陽県をとりあげ,1978年の改革開放政策の実施以来,特に,1999年以降の農業構造調整下における綿花生産の変容と現状の解明を目的とする.

    II 高陽県の概要
     高陽県は北京市の南約200kmに位置し,北京・天津大都市圏の外縁地域における農村地域である.高陽県は古来より綿紡織産業の発達で知られ,華北地域における綿花の主産地でもある.高陽県の人口は約31.2万(そのうち農村戸籍人口は約24.8万)で,農家戸数は約8.5万である(2006年).綿紡織産業は高陽県の基幹産業である.高陽県において,5,000社以上の綿紡織企業が存在し,綿紡織業に携わる人々の数は約16万と,県内総人口の半分以上を占める(2005年).高陽県における綿花の作付面積(約6,800ha)は農作物の作付総面積(約37,187ha)の約18.3%を占め,耕種農業の産出額に占める綿花の割合は20%以上である(2006年).

    III 高陽県における綿花生産の変容と農家経営の現状
     1954~1998年までは,綿花の専売制(1985年に強制的買い付け方式から,契約買い付け方式へ転換した)が実施されていた.中央政府による買い付け価格の引き上げや生産資材の供給などの奨励策が実施され,高陽県においては,農家による小規模な綿花栽培は維持・拡大していた.1990年代初期以降,殺虫剤に対する薬剤耐性の強い綿鈴虫(Helicoverpa armigera Hubner)が毎年大量に発生し,農家による綿花生産に深刻な打撃を与えた.また,都市産業への就農者流失によって生じた労働力の不足が顕在化した結果,2000年まで,高陽県における綿花の作付面積は縮小した.
     1999年以降,綿花生産・流通の市場化体制は確立された.WTOの加盟に伴う紡織製品の原料である綿花の需要増加は,市場価格の高騰につながった.しかし,高陽県においては,労働力の不足や綿鈴虫発生などの原因で,大部分の農家は綿花栽培を放棄した.ごく少数の農家においては,雇用労働力の利用や他農家から農地の賃借など,綿花の栽培面積は拡大してきた.さらに,品種改良や加工業経営など,収益の向上につながった.

    IV まとめ
     農業構造調整下における高陽県では,ごく少数の大規模農家は企業型農業経営を実施し,経営規模の拡大を図ってきた.一方,一般農家による綿花栽培は減少している.高陽県の綿花生産は大規模集約化が進行している.
  • 日本の輸入商社によるい製品開発輸入を事例に
    後藤 拓也
    セッションID: 509
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     本報告の目的は,日本のアグリビジネスが農産物の開発輸入をどのように進め,中国における対日輸出産地の形成にいかに関わってきたのかを,地理学的視点から解明することである。具体的事例として,日本の輸入商社によるい製品(畳表,ゴザ類)の開発輸入を取り上げ,以下の知見を得た。
     日本のい製品輸入量は1980年代半ばから急増し,輸入先の中国ではい製品の開発輸入が活発化するようになった。日本のい製品輸入において重要な役割を果たしてきたのが,い草の旧産地に所在する一部の特定商社である。なかでも,(株)トクラを始めとする岡山県資本は輸入商社の組織化を主導するなど,い製品の輸入拡大に主導的な役割を果たしてきた。実際,岡山県資本は日本のい製品輸入シェアで上位を独占しており,輸入主体としてこれら特定商社に着目する重要性が確認された。
     そこで,い製品輸入の大手3社((株)トクラ,(株)イケヒコ,萩原(株))に着目し,各社がどのようなプロセスで中国へ進出したのかを検討した。各社とも戦前期からアジア市場との関係を有しており,そのことが1980年代以降の中国進出に少なからぬ影響を与えたことが判明した。また,各社ともい草栽培適地である浙江省に拠点を集約化するなど,調達戦略に共通点が多く認められる。さらに,各社の調達先所在地とい製品輸出産地の分布は空間的に一致しており,各社の中国進出が輸出産地の形成に大きく寄与していることが確認できた。
     さらに,日本の輸入商社がどのようなメカニズムで中国の現地調達先を育成したのかを検討した。中国では生産資材の確保が困難であるため,各社とも日本から織機を持ち込み,補償貿易の形で現地調達先との取引を開始したことが判明した。また,各社とも現地調達先に対して技術指導を定期的に行うなど,日本から資材と技術を移転させることで産地形成を進めたといえる。さらに,各社とも産地の技術的水準に応じて調達先を使い分けており,そのことが品目による輸出産地の分化を招いている。
     以上の分析結果から,本報告の結論として次の2点を指摘できる。まず第1に,日本のアグリビジネスが進出先を選定する場合,経済的要因だけでなく,歴史的関係,自然的要因,技術的水準など,複合的な要素が考慮されているという点である。そして第2に,日本のアグリビジネスが開発輸入を進める上で,国内調達や国内産地との関係が非常に重要な意味を持っているという点である。
  • 伊賀 聖屋
    セッションID: 510
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     食料生産・流通の匿名性が高まるなか,日本では新たな食料供給のあり方としてショートフードサプライチェーン(以下,SFSC)が注目されるようになっている.SFSCは,2つの点で従来型の食料供給体系と性格を異にする.1つは取引される食品のオルタナティヴな属性,もう1つはチェーンを構成する主体間のオルタナティヴな関係性である.とりわけ後者は,ショートという言葉に表されるように,生産部門と消費部門との社会的・空間的距離を短縮することに眼目が置かれている.
     SFSCは地場食品企業の差別化戦略や地域農業振興策にかかわり,新たな地域活性化モデルとして政策的・学問的に期待されている.ここで重要なのは,SFSCの特徴である「近接を軸とした主体間関係」の意味を明らかにし,それが現代の食の生産と供給においてもつ意義と課題を検討することであろう.そこで本研究では清酒製造業を事例に,ローカルな場面で酒造業者が酒米生産者と結ぶ提携関係をSFSCと位置づけ,そこで主体間関係がどのように形成され,いったん形成された主体間の関係が個々の主体の解釈・行為にどのような影響を及ぼすのかを考察する.

    2.研究の対象
     具体的事例として取り上げるのは,兵庫県丹波市A社と広島県竹原市B社が取り組む地域密着型の「顔のみえる」酒米生産・加工である.現在,A社は丹波市周辺の,B社は竹原市近在の複数の農家・生産者集団からそれぞれ酒米の調達を行っている.清酒の年間製成数量からみる限り,両社とも地場零細企業としての性格をもつ.

    3.提携関係の形成と実態
     A・B社は1996年以降段階的に酒米生産者との提携関係に入った.その経緯は様々であるが,1つの提携パターンとして「自然食品系業者・団体による仲介」が共通してみられる.これは,A・B社や農家の多くが自然食品系業者との人脈を蓄積していたためである.また「提携農家による近隣農家の紹介」も共通してみられる.一方,A社事例では生産者がA社に直接働きかけるパターンが多くみられるのに対し,B社事例では同社が生産者に働きかけるパターンが多い.なお,ほとんどの主体が相手方との「人的つながり」を重視して提携関係を結んでいた.
     現在のA・B社と酒米生産者の取引形態は,「全量買取り保証」,「生産費保証」により特徴づけられる.契約は口約束によるもので,毎年ほぼ自動的に更新される.酒米の栽培方法に指定はないものの,有機農法やアイガモ農法を実施する生産者が存在する.各社と酒米生産者の定期的な接触は,田植え・稲刈り・仕込み・搾りにおける共同作業や,消費者・取引先との交流会においてみられる.また不定期のものとしては,相互訪問や食事会,旅行などが挙げられる.ほとんどの接触が対面によるもので,「清酒製造業者と酒米生産者の関係」を超えた付き合いがみられることもしばしばである.

    4.提携関係が主体に及ぼす影響
     提携関係に対する各主体の評価を踏まえると,二者間関係がA・B社と酒米生産者の解釈・行為に与える影響は以下のように整理される.
     1)信頼関係の醸成: 地域に根ざした酒米生産体制は,A・B社と酒米生産者との接触頻度・手段の向上をもたらし,社会的近接を高める.結果,両者間の情報偏在は緩和され相互に信頼関係が醸成される.またそれは,各主体の生産意欲・責任感の向上へとつながる.
     2)ネットワークの進化: 提携関係は,A・B社と酒米生産者の二者間関係であると同時に,双方がそれぞれ有するネットワークの構成要素を相互に結びつける役割を有する.そこではA・B社と酒米生産者が,二者間関係で入手しえなかった情報・機会・資源に接近できる可能性がある.
     3)有利な生産条件の保証: 酒米生産者は,A・B社が提示する自己に有利な取引価格・方式を提携における利点の1つとして高く評価する一方,A・B社はそれらに経済的なメリットを期待していない.このように提携関係の構築・維持に向けては,清酒製造業者側の酒米生産者に対する一程程度の経済的フォローが必要とされる.
     4)不測時におけるリスクの問題: 提携関係は,A・B社と生産者個人の個別取引で成り立っているがゆえ,たとえば取引停止や台風などの自然災害発生時に出荷・調達先の代えがきかない.それゆえ,A・B社と酒米生産者には常に原料生産・調達の安定性,継続性についての課題がつきまとう.
  • 光武 昌作
    セッションID: 511
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     「食」の安全性や「食」と「農」の乖離など,現代日本を取り巻く,農業や食料に関する問題は今や重要な課題である。このような状況の中で報告者は,環境保全型農業の一形態としても位置づけられている有機農業に注目し,「有機農業を取り巻く地域の状況がどうなっているのか」ということに問題意識を持っている。有機農業と地域との関わりを問う地理学的研究は,産業・産地形成・農産物流通の視点などからのアプローチが見られるが,現状の有機農業が生産量・額において,全農業に占める比重がごくわずかであるため,数も少なく,これまで十分に議論が深められてきたとはいえない状況にある。そこで報告者は,ある地域圏における有機農産物の流通の実態を,生産から消費までの流れを意識しつつ明らかにしたいという認識のもとに,研究を行っている。事例としては,地方都市の一例として広島市を取り上げており,「広島市における有機農産物の流通の実態を明らかにすること」を研究の目的としている。
     調査は,聞き取り調査を中心に行っている。主な聞き取り内容は「広島市において販売または購入されている有機農産物の流通ルートおよび量」である。その際,対象となる農産物がどこで生産され,どのように流通して,消費者に届いているのかということを意識して調査を行っている。調査対象については,一般の市場流通のみに限らず,できるだけ様々なレベルの流通形態に関わる対象を含めて調査するよう努めた。広島市において,消費者が有機農産物を如何にして手に入れているのか,を念頭におきながら調査を進めている。
     広島市における有機農産物流通には,多様な流通ルートやネットワークが存在している。これは一般の農産物の卸売市場経由率が約8割であるのに対し,有機農産物等の卸売市場経由率は著しく低いという,全国的な動向とも重なるが,広島市においても卸売市場経由の有機農産物の流通量はごくわずかに限られ,卸売市場経由以外の多様な流通ルートやネットワークがあるといえる。また,有機農産物の集荷圏は消費圏である広島市に近い傾向がある。有機農家が個人提携にて宅配等を行っているなどの場合はいうまでもないが,小売店等においても中四国・九州など西日本を中心とする集荷圏がみられた。これは収穫時期の地域差を利用し,全国の契約農家から専門流通業者のもとに集められて量販店へと出荷されるような形態に比べて,量が少なく比較的狭い範囲のネットワークが形成されているといえる。それから,地場野菜や減農薬野菜など全ての商品の安全・安心・低価格競争がある中で,消費者の有機農産物に対する認識や購買行動が不安定であり,小売店等の売る側が,苦戦を強いられている状況も確認された。このような状況も含め,有機農産物の絶対量の少なさという課題をどう克服していくかもこれからの重要な点であるといえる。
  • 農村内部における商品連鎖への接続と非接続
    荒木 一視
    セッションID: 512
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     近年のインドの急速な経済成長は論を待たない。また,それにともなう都市と農村の格差についても多くが指摘している。しかしながら,都市部を中心としたインドの経済成長と取り残される農村という二項対立的な理解は決して正確ではないと考える。都市の経済成長は何らかのかたちで農村部にも影響を及ぼしていると考えるのが妥当ではないか。実際に大都市の消費の拡大,とくに農産物消費の変化はインドの農業生産にも少なからぬ影響を与えている。実際にインドでも大都市を中心にして青果物需要が増加し,それをまかなうためにインド各地の青果物産地と大消費地である都市とを結ぶ供給体系が構築されている(荒木,1999,2004,2005,)。本発表では,以上のような観点から,実際に大都市向けの出荷を行う地方の農村・農家調査を通して,遠隔の大都市向けの生鮮野菜出荷を行う農家の実態とそれにともなう農村の変化,問題点などを検討したい。

    2.遠隔地大都市への野菜出荷
     事例対象農村はMP州インドール市郊外に位置するC村である。MP州は近年野菜産地として成長しており,インド全国的にみても,カリフラワーの一大産地である。また,タマネギやジャガイモ,ナスなどでも有力な産地であり,インドール市やボパール市は有力なタマネギやジャガイモの集荷地となっている。インドール市場では取り扱われるジャガイモの7割をムンバイへ,タマネギは6割がデリーや南インド方面へと送られるほか,ニンニクやカリフラワー等もデリーやその他の遠隔大消費地へと出荷されている。
     C村はこうしたインドール市の郊外に立地し,近くにはピータンプル工業団地が開発されている。2006年及び2007年におこなった調査からは,少なからぬ農家がムンバイやアーメダバード,あるいはデリーに向けての野菜の出荷を行っていることが確認された。10年前の1996年に調査した時にはこうした農家は2件しか確認できなかったことに比べれば,確実にその数が増えている。なお,当村からこうした州外の大都市の市場に出荷される品目はジャガイモ,タマネギ,カリフラワー,ニンニクなどであった。
     最も積極的にこうした経営をおこなっている農家は大都市市場の業者から市況情報を手に入れ,その価格に応じて自らが所有するトラックに野菜を積載し,数百キロの行程を運転を交替しつつ一気に走破し,市場へ搬入するという。しかしこうした経営を行えるのは自家用のトラックを持つ農家のみで,それ以外では多少の中間マージンを差し引かれて,大都市市場からの買い付け人に売りさばくという形態も多く見られた。
     また,こうした農家は経営規模の上では決して大規模な農家ではなく,総じて中規模の自作農であった。一方,大規模農家の中にはこのような遠隔の市場への出荷を目指した野菜経営に転換せず,従来的な換金作物である大豆経営を続ける農家が認められたが,農機具や自家用車などの所有状況から判断する限り,積極的な野菜経営を行っている中規模農家の方が高い収益を得ていることがうかがえた。
     その一方で,こうした野菜栽培は農業用水の使用量を増加させ,水資源の枯渇に対する懸念も少なからず提起されている。

    3.考察
     本発表では新興の大都市向け長距離野菜出荷地域を取り上げて,農家がどのような環境のもとで長距離出荷を行っているのかをミクロレベルの農村調査を通じて検討した。これまで,多くがインドの経済成長にともなう都市と農村の格差についての言及を行ってきた。たしかにそれは事実ではあるが,単純に都市と農村を2項対立的にとらえるのは正しい把握ではない。経済成長の影響は農業生産を生業とするような農村部においても少なからず認められ,そこでは農村内部の格差を引き起こし始めているといえる。
  • インド・ピータンプルを事例として
    由井 義通
    セッションID: 513
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     ピータンプル工業成長センターは,MP州のプロジェクトでとして計画され,自動車産業とその間連産業,食品加工業などの進出した巨大な工業団地となっている。筆者を含む調査グループは,当該地域の工業発展と農村の変化などに関して,1996年に現地調査を行い,研究成果を岡橋(2002)において発表した。
     本研究の目的は,1996年に調査したピータンプル・ハウジング・コロニーを研究対象として,その後の約10年間の変化を明らかにすることにより,インドにおける住宅開発実態について定点観測を試みたものである。
     ピータンプル・ハウジング・コロニーは工業地区の南西部に隣接する土地に造成され,既存集落であるピータンプル村からも離れて位置する.工業団地北部にもハウジング・コロニーの建設が予定されているが,現在でも工業団地開発に伴って流入する世帯の大きい受け皿としては当該ハウジング・コロニーがピータンプル村内で唯一の存在である.しかし,ハウジング・コロニーの上水道の問題やコロニーの住宅ストックと住宅の質の問題から,工業に従事する労働者のうち,オフィス部門や管理部門に従事するスタッフクラスの労働者などの高所得層や中所得階層のかなりの部分が,カンパニー・バスや運転手付きの社用車を利用してインドール市から通勤している.そのため,コロニーには,開発地域内の工場で生産工程に就業する労働者や,急成長するピータンプル地区で商業に就く者などが多く入居し,必ずしも工業労働者とその家族に偏った入居者となっていなかった.
     ピータンプル・ハウジング・コロニーの開発は, 1986年に建設が始まった。当ハウジング・コロニーは計画面積22.34ha(net land area:20.73ha, A sector=9.55ha, B & C sector=11.18ha)で,土地利用計画の詳細は表1に示すようになっている.AセクターとB・Cセクターの土地利用の詳細はほとんど同じで,住宅が計画面積のおよそ半分を占め,残りを道路が32.96%,オープンスペースが9.20%,学校などの公共施設が7.46%となっている.住宅の区画をAセクターの一部を例として詳細にみると,MIG,LIG,EWSの3種類の住宅があり,MIGはメインストリートに面して,LIGはその内側に,EWSはもっとも奥の場所に配置されている.全体として供給される住宅はMIGが377戸,LIGが808戸,EWSが739戸であるが,セクターによって供給される住宅の種類には大きな違いがあり,AセクターではMIGが46戸,LIGが397戸,EWSが739戸となっており,供給される1182戸のうち62.5%が低所得向けのEWSである.一方,B・CセクターではMIGが331戸,LIGが411戸でEWSの供給はない.
     2007年2月の現地調査では,入居世帯の入れ替わりについて調べた結果,単身入居者や賃貸住宅世帯の転出がみられ,持ち家世帯ではあまり入居者の入れ替わりがみられなかった。
  • 日野 正輝
    セッションID: 514
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     インドでは,1991年以降の経済自由化のなかで多くの産業分野で生産の集中が進み,外資系企業を含めた大企業間では全国規模の販売網を形成して,シェアを競う状況が出現している.日本の経験からすると,こうした全国規模の販売網の形成が大企業の間で一般化するとき,都市の階層分化が進むと考えられる.すなわち,販売活動の拠点に選定される都市はその種の機能の集積により中心性を高め,主要な販売拠点に選定されない都市は中心性を相対的に低下させる.
     そこで,卓越した中心都市を欠く州において,どのような性格をもった都市が州全域の拠点都市に選定される傾向にあるかを見るために,インド中央部に位置するマディヤ・プラデーシュ州(MP)を調査地域に選び,大手洗剤・石鹸メーカーの販売網を調査した.MP州では,州都ボーパルと西部の中心都市インドールが類似規模になる.したがって,どちらの都市が近年の経済発展のなかで州レベルの中心都市としての性格を獲得する傾向にあるかを確かめることは興味深い課題である.
     まず当該産業の大手メーカー7社の本社に対して販売機関の配置状況に関するアンケート票を送付した.インド系企業2社から回答を得た.併せて,2007年3月にMPのインドールおよびボーパルに所在する上記2社の販売担当者,配送を請け負う現地運輸会社,特約店,小売店にて,取引および販売活動について聞取り調査した. 以下,主な調査結果を列記する.
    1)当該産業の大手企業も,販売網の形成に当たっては,国土を階層的に区分して,販売責任を割り当てるテリトリー制を採用している.
    2)全国は北部,西部,東部,南部の4大地域に区分され,それぞれの中心都市に支店が配置されている.
    3)MP州はムンバイに配置された支店の管轄に属する.
    4)州単位に地域販売管理者(ASM)が配置されるが,MP州の場合,州に1人のASMが配置される場合には,インドールもしくはボーパル,2人のAMSが配置される場合にはインドールとジャバルプルが選ばれる傾向にある.
    5)AMSの下に,インドール,ボーパル,ジャバルプル,グワリオールなどの州内各地域の主要都市にメーカーの営業員(FO)が配置されている.
    6)物流においても,Carrying & Fowarding Agent(CFA)と呼ばれる物流業者が州単位に配置されている.
    7)MPの州都であるボーパルは人口規模,州内の地理的位置から判断するとASMの配置およびCFAの立地に適していると考えられるが,それらの人員および機関は現実にはインドールを指向する傾向にある.その理由として,インドールは北のデリー,南のムンバイを結ぶ国道3号線上に立地しているのに対して,ボーパルは国道3号から外れた位置にある.したがって,インドの工業製品の多くは国道3号を経由してMPに輸送されることを考慮するとき,インドールはMP州の西部に偏して立地しているが,州のGatewayとして機能することで,拠点性を高めていると推察される.

    参考文献
    日野正輝(2003):インドにおける大手消費財メーカーの販売網の空間形態.地誌研年報,13,1-25.
  • 山田 淳一
    セッションID: 515
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.問題の所在
     わが国においては、第7・8次港湾整備五カ年計画(1986~95年度)における外貿コンテナ港の地方分散政策により地方港の外貿コンテナ港化が進展した。しかし、取扱量の伸び悩む地方コンテナ港もみられ、地方港の外貿コンテナ港化は過剰であるとの論調も強まったことなどから、第9次港湾整備五カ年計画(1996~2003年度)以降は主要港を重点的に整備するものとなり、新規に整備された地方コンテナ港は減少した。
     このような地方港の外貿コンテナ港化は必ずしも全国で画一的に推進されたのではない。地方コンテナ港に関連した従来の研究には、物流動向の変化や港湾機能と後背地の変容との関連で論じたものが多い。しかし、地方コンテナ港の利活用あるいは存廃をめぐる議論に資するためには、コンテナ港湾としての港湾機能の形成過程を地域的視点から分析し、それぞれの地方港の港湾管理者が外貿コンテナ港化を推進した地域的背景の差異についても明らかにする必要がある。
     本研究では、わが国において外貿コンテナ港化が遅れていた東北地方の港湾の中で、最も早く外貿コンテナ港化した八戸港を事例とする。八戸港への外貿コンテナ航路の開設過程における航路誘致活動(ポートセールス)と港湾整備に着目し、外貿コンテナ港化の過程における地域の動向を考察する。資料には港湾管理者や地元港湾関連団体の資料、地元紙である東奥日報、デーリー東北を用いた。

    2.八戸港におけるコンテナ航路誘致活動と港湾整備
     八戸港の港湾計画において初めてコンテナ関連施設の整備方針が盛り込まれたのは1986年の改訂で、河原木1号埠頭において内貿コンテナ船対応の水深7.5m岸壁2バースを整備する計画であった。一方、八戸港への外内貿コンテナ航路の誘致は、塩釜港や苫小牧港との競合もあり、地元の講演会やシンポジウム等でもその必要性を指摘され、地元の行政および経済界において長らく課題となっていた。コンテナ貨物の輸出には魚粉、イカ肝粉、紙、ステンレス鋼など、輸入には飼料副原料、家具、雑貨などが見込まれ、東南アジア航路の誘致が有力視されていた。従来の輸出入には京浜港との陸送の他、苫小牧港とのフェリー航路経由で、既に同港に就航していたPacific International Lines(以下PIL)が利用されていた。
     1992年2月、八戸港振興協会会員の地元物流業者4社(八戸通運、八戸港湾運送、新丸港運、八戸運輸倉庫)は八戸港コンテナ関係者懇談会(後に八戸港コンテナ定期船誘致準備会)を設置した。同年11月に誘致候補船社を加盟会社との取引実績があったPILに絞り込み、誘致運動に入った。
     1993年5月、青森県、八戸市、八戸商工会議所、八戸港振興協会、八戸港コンテナ定期船誘致準備会で構成され、八戸市長を団長とする使節団がシンガポールのPIL本社を訪問し、定期航路の開設が決定した。就航内定に伴い、青森県は八太郎4号埠頭P岸壁(水深12m)へのコンテナ埠頭整備予算の一部を10月補正予算案に計上した。
     1993年10月、PILの配船計画変更によりギアなし本船が就航することとなり、11月の就航正式決定において、ガントリークレーン設置後にコンテナ航路を開設することとなった。ところが、1994年1月、 P岸壁へのクレーン設置は八戸飛行場の進入区域高度制限のため不可能と判明した。就航予定船には水深10m以上の岸壁が必要とされたため、鉱石荷役に優先利用されていた八太郎1号埠頭E岸壁(水深13m)へクレーンを設置することとなり、同岸璧利用者との調整がなされた。E岸壁へのクレーン設置工事と八太郎1・2号埠頭間へのコンテナヤード整備工事は1994年3月から開始され、8月1日に供用開始となった。
     八戸港にPILの東南アジア航路第一船Trade Fast号が入港したのは1994年8月7日、本格就航となるKota Cahaya号の入港は同月26日であった。

    3.まとめ
     八戸港の外貿コンテナ航路開設は、地元物流業者が八戸市や青森県などと連携して航路誘致活動を展開したことで達成された。PILの就航決定を受けて、八戸港の港湾管理者である青森県によって、コンテナに対応する港湾施設の整備が時間的制約の中で進められることとなった。
  • モノレール開通に伴う土地利用の変化を中心に
    上江洲 朝彦
    セッションID: 516
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     沖縄県は第二次大戦以降、長く軌道交通を持たずに都市交通ネットワークを道路を軸に展開してきた。これは島内に分布する米軍施設を結ぶように南北に幹線道路が整備され、それらを補完する形で東西の道路網が形成されてきたことに起因している。軌道よりも先に道路が整備されたことにより、沖縄の公共交通は路線バスが台頭し市民生活を支えるようになった。しかし、本土復帰を境に沖縄にも訪れたモータリゼーションの影響は、軌道交通を持たずかつ自動車による移動が前提となっていた沖縄社会に一気に浸透していった。結果、那覇市内を中心に慢性的な交通渋滞が発生し、バス交通の利便性は低下しそれが更なる自家用車利用を拡大させるという悪循環を招く結果となった。現在、沖縄県は全国的にみても渋滞による経済損失が大きい地域となっている。1)
     この深刻な都市交通問題を解消するために2003年8月に導入されたのが沖縄都市モノレール(以下、ゆいレール)である。ゆいレールは全長12.9kmで那覇空港から那覇市の北東部に位置する首里地区までの15駅を27分で走行する(図1参照)。一日の平均利用客数は31,350人(開業時)で観光客の利用者も多くみられるものの(12.0%)、通勤通学利用が全体の約30%を占めている。2)
     図2は那覇市内における居住地と就業地の密度の変遷を示したものである。これをみると居住地は近隣市町村へ拡散傾向にあるが、就業地は県庁や市役所が立地する中心業務地区に限定的である。つまり、那覇市の就業者は年々通勤距離が拡大しており、拡大した都市圏において自家用車による移動がさらに卓越することが予想される。そこで更なるモータリゼーションの拡大を抑制するためにも今後、沖縄本島の交通計画上ゆいレールの果たす役割は大きい。特に、ゆいレールが沖縄の都市交通においてどのような機能を果たしているのかを精査することは地域研究の面からみても重要な課題といえる。ただその分析は都市交通が地域構造や生活行動と複雑に結びついているが故に困難を極め、精緻な考察にはある一定の軸を持って臨むことが有効であると本研究では考える。
     そこで本論ではモノレール沿線の土地利用変化の分析を中心にして研究を進める。ゆいレール開通以降の土地利用変化を駅勢圏の土地利用調査を元に分析する。加えて住宅地、事業所、行政ならびにモノレール利用者への聞き取り調査、通勤者へのアンケート調査を土地利用変化との関連において考察し、その結果を元に定性的に分析を行う。これにより沖縄が抱えている交通問題の特性と沖縄社会が車に依存するシステムの中で、モノレールがどのような形でモータリゼーションの抑制に寄与できるのかについて検討することが可能であると考える。

    1) 国土交通省の調べによると、1km当たりの渋滞損失時間をみると沖縄県は、東京、大阪、神奈川、埼玉、愛知に次いで全国で6番目にその値が大きい地域である。
    2)平成16年度 沖縄都市モノレール整備効果等調査報告書より
  • 公衆衛生、都市政治、社会的無秩序
    山崎 孝史
    セッションID: 517
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     発表者は、過去数ヵ年の間、復帰前の沖縄を事実上統治した琉球米国民政府(以下USCAR)に関係する文書を、沖縄県および米国で収集し、沖縄における米軍統治が、どのように沖縄の地方政治に影響し、それを形成してきたかを検討してきた。本報告では、USCAR文書をもとに、戦後沖縄における米軍統治の実態と地方政治の形成、とりわけ、嘉手納空軍基地が立地する沖縄県旧コザ市(現沖縄市)における、公衆衛生、都市政治、社会的無秩序といった諸問題について、その背景と内的相互関係を検討する。
     米軍は基地周辺で拡大する売春(性病感染源)の管理を、沖縄側に実施させるために、売春を媒介する飲食店・風俗店、ないしその集積地区に「オフ・リミッツ」(米軍要員立ち入り禁止措置)を適用した。米軍基地に経済的に依存する店舗や地区は、オフ・リミッツの解除を求め、また適用を恐れて、店舗や地区の衛生状態を改善し、売春を管理下におくようにした。1960年代に入ると、より広義の公衆衛生管理措置として「Aサイン」(米軍要員相手の営業許可)制度が整備される。沖縄側の業者が、米軍要員相手の営業を行うためには、Aサインの交付を受ける必要があった。Aサイン制度を担った全軍風紀取締委員会は、性病感染源として報告された店舗や地区にAサインの取り消し、すなわちオフ・リミッツを適用し、個別業者、地区別の業者組合、さらには市町村に公衆衛生条件の改善を事実上強制した。
     飲食店・風俗店など基地経済に依存する業者は、当初は上述のような米軍の強制措置に対して不満を持っており、1950年代から高まっていく反米世論とともに、社会大衆党など革新政党の地盤を支えた。コザ市でも、1958年から16年にわたり、大山朝常による革新市政が続いた。大山市政に関するUSCAR文書は、大きく三つに区分できる。第一は、革新地盤であるコザ市への米軍物資の払い下げや、USCARによる財政支援の是非を検討した文書である。第二は、大山市長の「反米的」言動を報告する文書である。そして、第三は、コザ市選出の桑江朝幸琉球政府立法院議員(親米保守派) とUSCARとの関係を示す文書群である。これら文書から確認できるのは、USCARが、基地所在市町村における親米勢力と協調し、反米勢力を牽制していた事実である。コザ市においては、米軍に対して沖縄側が親米(保守)と反米(革新)に分裂し、錯綜した(しかし、米軍駐留には有利な)政治的対立構造を形成したのである。
     外国軍隊の存在はそれを受け入れる地域社会を、主権(人権)の空隙ともいうべき、一種の例外的状況に置く。そうした状況がもたらす一つの局面が、先にも述べた、米軍要員を対象とする沖縄女性による売春の存在である。USCAR文書には、オフ・リミッツ関係文書以外にも、基地周辺に形成された「特飲街」における売春摘発に関する文書が散見され、軍事占領・統治下での性労働がどう空間的に編成され、管理されていたかを確認できる。米軍が駐留する例外空間では、米軍要員間の人種(白人対黒人)関係も、「特飲街」における人種・空間的セグリゲーションに反映した。こうした米軍統治に対する沖縄住民の抵抗は、多くの場合、組織的・非暴力的であったが、1971年ごろ、コザ市をはじめとする沖縄島内でしばしば社会問題化したのは、タクシー運転手と米軍要員との衝突であった。やがてそれは同年12月の「コザ騒動」の勃発へとつながる。USCAR文書は、支配者の視点からとはいえ、これら一連の歴史・空間的過程を詳述している。
     このように、USCAR文書を読み取ることによって、旧コザ市をめぐる米軍統治の本質には、コザ市の従属化、分割支配、例外化という三つの局面があったことがわかる。もっとも、これら局面は、現在においてもなお、沖縄県に米軍を集中駐留させる因子であり、今日の沖縄問題を解く鍵も、これら局面の打開にあるといえる。
  • 佐藤 英人
    セッションID: 520
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     2000年以降,本格的な人口減少社会の到来を目前に控え,就業意欲が旺盛な既婚の女性労働力をいかに労働市場に取り込むのか,大きな課題となっている.家事や育児のために家庭外での就業が困難な彼女らにとって,通勤時間が実質的に皆無となる在宅勤務は,そうした問題を克服できる有効な勤務形態として注目される.
     在宅勤務に関する学術的研究では,新しい情報技術を利用したテレワークの導入可能性が検討されてきた.これらの研究では,電子メールやインターネットなどの情報技術が普及するならば,定型的業務が対面接触からテレコミュニケーションに代替され,テレワークが新たな就業形態として発達すると予見された.また,在宅勤務は,職住一致の職住関係を創出するため,通勤時におけるラッシュを伴う長時間(長距離)通勤の是正策としても注目された.
     しかしながら,既存研究では,在宅勤務をいかに導入すべきかを論じた経営学的な検討が多く,在宅勤務者の基本的な属性や分布,在宅勤務を開始するまでの職歴・居住経歴など,地域事例に即した地理学的研究は極めて少ない.
     そこで本報告では,東京大都市圏郊外を事例として,既婚女性の在宅勤務者に対するアンケート調査を実施し,彼女らの職歴や居住経歴などから,在宅勤務の拡大可能性を検討する.
  • 松井 綾子
    セッションID: 518
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     日本における保育需要は産業構造の変化や都市化といった要因により生じている。現在では、核家族化による仕事と子育ての両立の負担感や子育てそのものの負担感の増大、大都市における待機児童の問題(若林2006)、仕事を持つ有配偶女性の都市と農村の間の格差の存在(神谷1996)、認可保育所と認可外保育施設の二重・三重保育の存在などの問題が生じている。都市化は今後ますます進むものと考えられる。よって、都市においてどのような保育サービスに関する需要と供給があり、今後どうなっていくのかを分析することは重要である。
     本研究では、平成14年から平成18年にかけての福岡市における保育サービスの需給関係について地域的差異を分析することで、その現状を把握し、ミクロ・スケールでの多様化する保育ニーズへの対応について考察を行う。

    2.研究方法
     研究は、研究対象地域の選定、供給・ニーズの定義、GIS等による分析、アンケート・フィールドワーク等の順で行う。 研究対象地域としては、三大都市圏以外の政令指定都市である福岡市とする。
     供給の定義は、量的供給=認可保育所の通常保育の定員、待 機児童数=現時点での供給不足分、質的供給=認可保育所の延長保育、夜間保育、病児保育、休日保育とする。ニーズの定義は、実際に利用を申し出た「表明されたニーズ(expressed needs)」(ピンチ1990,p53) で行う。量的ニーズは認可保育所入所児童数+待機児童=量的ニーズ、認可外保育施設月極契約者数(昼間)=量的潜在ニーズ、質的ニーズは認可保育所(延長、夜間、休日、病児保育)利用者数=質的ニーズ、認可外保育施設(延長(18時以降)、夜間、休日)利用者=質的潜在ニーズで把握する。 供給、ニーズともに福岡市役所によるデータを用いた。潜在的ニーズに関しては認可外保育施設に対して電話による聞き取りで確認を行う。
     GIS等による分析は、供給とニーズの指標について、ArcGIS9.0とSPSSを用いて分析した。

    3.結果・考察
     これまでの分析により、量的供給に関しては、施設数は市内全域にほぼくまなく及んでいるが、保育所の定員数は都心から約3kmから9kmが比較的多くなっていることがわかった(図1)。また、供給不足としての待機児童の分布は、鉄道沿線地域や新興住宅地域により多く発生していた。質的供給は都心部、鉄道沿線に多く、特に都心部において多くなっている。質的サービスに関しては、供給が少ない空白地帯も存在している。夜間保育、病時保育といった特定の地域に存在しているサービスは、立地の都合で利用できない人が多くいるものと推測される。延長保育(20時までの場合)行っている保育所は鉄道沿線に多いこともわかった。尚、福岡市においては、質的サービスに関する延長時間の長さと定員充足率及び待機児童の間に相関関係はみられなかった。
     ニーズに関しては、量的ニーズは都心部で低く、都心部周辺で高くなっている。都心部においては認可外保育施設が多数存在しているため、潜在的ニーズは多いことが推測される。量的ニーズは年度ごとに変化しており、定員割れの保育所が多く存在している地域もある。保育ニーズは都市内部における人口変動の影響を受けやすいためと考えられる。
  • 横浜市を事例として
    倉賀野 清子, 後藤 寛
    セッションID: 519
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.問題の所在
     共働き育児世帯にとって、育児支援の中心的な役割を担うのが保育所である。とりわけ、核家族化が進む都市部においてはこの傾向が強い。近年では、人々のライフスタイルが多様化するとともに、就業形態や就業時間・従業地等、働く上での選択肢も広がりつつあり、それに伴って保育に対しても様々なニーズが寄せられている。
     利用者の保育所選択にあたっては、保育所の立地や保育時間・受け入れ年齢等の条件が自分たちの生活スタイルと適合するかが、重要な決定要因となる。つまり、幼児を通わせられるような狭い地域において、保育需要数が単に保育所の定員として満たされているだけではなく、それぞれの利用者がどのような生活をしていて保育サービスに何を求めているか、というニーズまで満たさなければ、有効な育児支援として機能し得ないのである。
     神谷(1996)は、時間地理学の観点から保育所配置や保育時間等の問題点を明らかにした。また、若林(2006)は、保育所待機児童数を主な指標とし、東京大都市圏における保育サービスの需給バランスの地域差についての検討を行っている。宮澤(2005)では、認可保育所への時間的・空間的アクセス可能性の分析から、提供サービスの非柔軟性が、母親の生活を規定していることが指摘されている。しかしながら、保育所利用行動を決定する共働き育児世帯のライフスタイルといった、利用者側の視点での言及は不十分である。
     ライフスタイルを浮き彫りにするにあたっては、居住地域の分析が有効な指標となり得る。地価からは所得階層の推測、通勤アクセスや地元での就業機会の豊富さといった面からは、働き方の傾向性が見えてくると考えられる。一般的に、保育所は自宅に近い方が利便性が高いと言われているので、利用者はその地域に存在する複数の保育施設の中から、条件の合うところを選択することになる。その結果として、地域全体での需給関係を把握することが重要である。また、そもそもその地域では子ども達は就学するまでにどのような育児パス(年齢に応じた保育施設の利用)をたどるのか、という地域全体の背景をつかむことも必要であろう。
     そこで本研究では、居住地域特性から居住者のライフスタイルをイメージしつつ、それぞれの地域における保育所利用者のニーズを探るとともに、既存施設がどのようにニーズを吸収しているか、地域的差異を明らかにすることを目指す。

    2.研究方法
     従来の保育サービスに関する議論においては、首都圏全体としての傾向を把握し、事例として東京特別区を扱ったものが多く見られる。しかしながら、保育所選択にあたっては、居住地だけでなく職場との関係も重要であり、近隣まで含めて検討する必要がある。本研究では、これまで具体的な事例としてほとんど取り上げられていない横浜市全域(18区)を対象とし、区ごとの動向の比較も試みた。横浜市は、東京都に近接していることもあって、都内への通勤者・横浜市中心部での従業者・郊外への通勤者等が混在しているため、様々なライフスタイルと保育サービス利用方、そして地域差の比較検討が可能と考えられる。また、待機児童解消を目的として準認可型の「横浜保育室」制度を全国に先駆けて導入しており、利用者にとっては幅広い保育施設の選択肢が与えられている。
     まずは、各区内における幼稚園・認可保育所・横浜保育室・認可外保育所の入園者数を調べ、就学前(0歳~5歳)の年齢ごとの子どもの動向を把握した。そこで似たようなパターンを描く区同士をグループ化した上で、保育ニーズの地域的差異を検討した。

    3.考察
     横浜市における就学前の子どもは、全ての区で幼稚園入園者が保育施設(認可保育所・横浜保育室・認可外保育所)のそれを上回り、幼稚園志向が強いことが明らかとなった。
     保育施設においては、利用者の割合や利用施設の種類等で、地域による違いが認められた。これは、地域ごとの働き方や住み方といったライフスタイルと密接に関連していると考えられる。
     また、幼稚園と保育施設入園者の合計が、その区の就学前子ども人口を上回る地域も複数認められた。このことは、単に自宅近くの施設を利用しているのではなく、通勤先等の関係で居住区を超えた育児サービスの利用が行われていることを示唆すると思われ、保育サービス利用モデルの再考につながる現象と思われる。
  • Toblerの地理学第一法則の再考
    貞広 幸雄
    セッションID: 521
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     空間的自己相関は,地理学,特に計量地理学における最も基本的な概念の一つである.空間的自己相関を定量化する方法としては,Moran's Iや近年の局所的統計量,geostatisticsにおけるcovariogramとその派生形,点パターン分析におけるK関数などが提案され,広く地理学において用いられてきている.これらの手法は,それぞれ適した分析対象や目的,場面が異なり,あらゆる対象についてその分析手法が存在するわけではない.また反対に,複数の手法が適用可能な対象も存在し,そのような場合には各手法を比較して適切なものを選択する必要がある.
     このような状況を鑑み,本研究では,より広範な空間的自己相関の分析枠組み(但しモデルはここでは取り扱わない)を提案し,その実際の適用を行う.ここでは特に,手法の前提となる条件を整理し,それに従う枠組みを提示する.
     空間的自己相関を数理的に分析する手法は,一般的に,以下のような手順から成る.
    1) 分析対象対の特定
    2) 各分析対象対について,位置に関する類似性の評価
    3) 各分析対象対について,性質に関する類似性の評価
    4) 2)と3)の関係を評価する分析対象対の集合の特定
    5) 4)について2)と3)の関係の評価
    6) 4)の結果の集約
     例えばMoran's Iを用いて市区町村単位の人口データを分析する場合, 一般的には1)では全ての市区町村対を対象とし,Local Moran's Iでは所与の地点から一定距離内にある全ての市区町村対を対象とする.2)は重み行列という形で空間的近接性を表現し,3)は市区町村対の人口密度の積が類似性の高さを表す.4)は,全ての市区町村対が対象であり,それらについて2)と3)の積という形で5)の評価が行われる.最後に市区町村対についての和を取ることで6)が行われ,Moran's Iの値が求められる.
     covariogramの場合,1)と4)の分析対象対はある地域内の全ての地点における連続分布の値の対である.2)はユークリッド距離が,3)は連続分布の差の二乗が用いられ,5)については2)と3)のグラフプロットという形で表現する.6)については,全ての地点対について積分するほかに,地域ごとあるいは方向別の集約も行われる.
     上記6段階のうち,2)や3)については既に議論の蓄積があり,1)については局所的統計量において明示的に扱われつつある.また6)についても,既に様々な形での集約方法がある.これらの段階での具体的な手法は,いずれも異なる分析手法間で交換可能であり,ここに新たな分析手法の開発可能性を見いだすことができる.
     一方4)と5)については,未だ多くの議論が行われているとは言い難い.これらについてToblerによる地理学の第一法則の記述に基づいて考えてみると,4)については分析対象対同士の類似性が比較可能であること,5)については必ずしも間隔・比率尺度である必要はないことに気づく.前者は従来,あまり議論されてこなかった点であり,局所的統計量は自ずと条件を満たす可能性があるものの,一般的には注意を要する点である.一方後者は,類似性が順序尺度で表現できれば十分であり,性質の表現はこの条件さえ満たせば良いということを示している.これらをふまえ,本研究では4)について,各地点とそこから一定距離内にある他の全ての地点との対を対象とし,5)は地点ごとに類似性が正の相関を示す対の割合を指標として用いることを提案する.具体的な適用例は発表において示す.
  • グエン・ホウ ヌ-, 金 枓哲
    セッションID: P601
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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  • 芦田川流域の事例
    清水 裕太, 小寺 浩二, 徳原 知靖, 中山 祐介
    セッションID: P602
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1 はじめに
     今後環境問題がますます多様化し広域化していくことが予想されることから,効果的な環境保全や管理は,陸域から流域,海域を統括した一連の物質循環系の中で捉えていくという視点が求められる(星加,2003)。そのような研究のためには,流量や水質などのデータが即座に利用できる環境,すなわちデータベースの構築が効果的である(小寺ほか,2000)。これまでの日本地理学会の発表では主に本州,四国,九州を対象にしてきたが今回は,瀬戸内海に注ぐ一級河川である芦田川流域を対象に公共データ及び現地水文観測のデータベース構築を試みた。

    2 対象地域概要
     芦田川は,広島県三原市大和町に源を発し,途中で御調川等の支流を合わせ府中市に流れ,瀬戸内海へと注ぐ幹川流路延長86 km,流域面積860km2の一級河川である。中国山地南側を北西から南東に流下するため,その流路は断層構造によって直角に曲げられることが多く,屈曲が大きいことが特徴である。また,芦田川は広島県と岡山県にまたがる流域で,その下流域では鉄鋼業を中心とする重化学工業主体の産業都市として発展してきた。昭和56年に工業用水確保と洪水防止のため,河口部に国が芦田川河口堰を建設したが,ヘドロ堆積や赤潮の発生等の問題が生じている。

    3 研究方法
     芦田川流域における水環境の状況把握のため,基礎となる水系網図を50万分の1地方図,20万分の1地勢図,5万分の1地形図の異なるスケールの地図から水線記号を抽出して作成した。それと合わせて50mメッシュDEMより落水線を作成し小流域界を作成し,水系網解析によって算出した物理特性値を付与した。さらに,作成した小流域をベースに表層地質,地形分類,土壌,植生等の自然環境,土地利用,人口分布等人為環境を流域特性値として属性データに入力した。河川の流量,水質等のデータは実観測の他に,環境省水環境総合情報サイトの公共用水域水質調査データ,国土交通省水文水質データベースより入手した月例調査およびテレメータによる連続観測の値を使用し,小流域の特性と流出する観測値を比較することで流域ごと,あるいは地域ごとの問題の抽出を試みた。

    4 結果・考察
     芦田川流域では,流域内に大都市福山市を抱えることや,上中流域に残る農地の影響から栄養塩類の流出が減少傾向にあるものの,絶対量としては未だ大きい。閉鎖性水域である瀬戸内海に注ぐ河川の負荷量を観測,あるいは算定することは海域も含めた水環境保全の観点からは必要である。今後はテレメータ観測を利用した大雨出水時の栄養塩類の流出形態を把握することが重要である。

    参考文献
    星加章(2003):陸域・流域を意識した瀬戸内海の環境,陸水学雑誌,64,pp219-224.
    澤野美沙・小野寺真一・吉岡藍子・萱原宏昭(2007):芦田川流域の水環境に関するデータベース化,公開シンポジウム「芦田川流域―福山海域の水環境」資料,pp36.
  • GISを活用した小流域汚濁負荷量解析
    中山 祐介, 小寺 浩二, 清水 裕太
    セッションID: P603
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     第一報では、一級河川阿武隈川、上流域の主要支流である釈迦堂川、さらにその支流で須賀川市の市街地を流れる下の川と、スケールの異なった3河川を対象に、様々な水文環境情報をデータベース化し、比較検討を行った。
     続く第二報では、阿武隈川の水文環境を把握するために支流域の詳細な負荷量解析を行った。解析は釈迦堂川流域を対象に行い、字単位で発生要因により畜産、生活、農地の3種に分類して計算した。また、現地水文観測の結果から、下水道施設からの排水による点的負荷がかかっている地域や、人為的な流量変化により汚濁濃度が高まっている地域が存在し、本流へ与える影響も大きいことが示された。
     本研究では、阿武隈川流域を対象にDEMを活用して小流域を抜き出し、各主題図と重ね合わせ、汚濁負荷量を算定し、今後の流域水質管理上の問題点を検討した。

    2.対象地域概要
     阿武隈川本流は那須連峰旭岳に源を発し、福島県中通り地方の田園地帯やいくつかの市域を北流後、阿武隈渓谷の狭窄部を経て宮城県岩沼で太平洋に注ぐ、幹川流路延長239km、流域面積5,400km2の一級河川である。また、阿武隈川支流の代表的な様相を示し、現地水文観測地点が多い釈迦堂川流域を対象に小流域原単位法を検討した。

    3.研究方法
     3.1.現地水文観測  阿武隈川流域全域にて、月一度の頻度で2005年6月から2007年7月まで、水質の年間変動を把握するために現地水文観測を行った。現地水文観測は現在も継続中である。
     3.2.小流域原単位法  釈迦堂川流域を対象に、大流域内の小流域の流域特性を考慮し、負荷量を算定する小流域原単位法を実践した。負荷の算定の対象はCODに限定し、汚濁負荷の発生要因を畜産、生活、農地に分類して汚濁負荷量を解析した。なお、水系網の抽出や小流域界の判断には50mグリッドDEMによるラスタ解析を用いた。

    4.結果・考察
     季節変動を追った現地調査結果から、5月の代掻き期後に水質が悪化する傾向が見られた。閾値の妥当性が高いconditional-300から小流域を作成し、それぞれに畜産、生活、農地の3種に分類して汚濁負荷量を算出した結果から、農業由来の負荷だけでなく、畜産由来の負荷の比率も高いことが分かった。

    5.おわりに
     本研究から、釈迦堂川流域の小流域ごとの地域特性が明確となり、今後の流域水質管理上の問題点が明らかとなった。今後は、土地利用図からさらに詳細な流域汚濁負荷量を解析していきたい。

    参考文献
    黒澤幸二・高橋幸彦・佐藤洋一・中村玄正・牧瀬統・松本順一郎(1999):阿武隈川上流域の汚濁発生と水質特性、用水と廃水、41-11、pp.1024-1032.
    中山大地(1999a):DEMからシミュレートした流路網と手作業により抽出した流路網の対比,法政地理,29,pp.28-37.
  • 風通しを中心として
    松本 太, 岡田 信行, 安永 紳也, 一ノ瀬 俊明, 片岡 久美, 白木 洋平, 原田 一平
    セッションID: P604
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     都心の大規模緑地によるクールスポットの形成に加え、密集市街地における海風の減衰、オープンスペースにおける風通しを評価する目的で、東京の芝公園を海風卓越方向に横断するパスに沿った周辺数地点において2006年の夏季に集中野外観測を実施した。主として8月19日~21日に、気温、湿度、放射温度、風向、風速、放射収支の観測を行った。
     観測期間中、気温は公園内樹林地が常に最も低くなっており、市街地より最高で5℃、公園内裸地より2℃ほど低い。これらは海風の進入以前と思われる14時以前においてより顕著であった。また、公園の風上側市街地および風下側市街地においては水蒸気圧が低く、公園部では高いという傾向があり、特に日中において顕著であった。放射温度は風下側市街地で特に高く、公園内樹林地で最も低い値となり、その差は日中10℃近くに達した。
     観測期間中、港区役所屋上では南東の風が卓越しており、風速の平均は約2.0m/sであった。13時~15時の間、風は相対的に弱く風向も安定していなかったが、15時以降南東の風が強まり、海風の影響はこの時点からと思われる。風上側市街地では風速の平均は約0.7m/sとやや小さいが、公園内では南から南西よりの風が吹き、風速の平均は約1.2m/sであった。一方風下側市街地では約1.0m/sであり、東から南東方向の風が卓越していた。水蒸気圧は15時頃から上昇に転じ、海風の進入を裏づけていた。
     また7月26日~27日に、芝公園周辺を見渡すことのできる東京プリンスホテルパークタワー屋上からのサーモカメラによる熱画像撮影を実施した。日中は建造物の屋上が高温となっているが、建造物の側面については冷房のためか比較的低温となっている。夜間は逆に屋上で温度が低く、側面がより高温となっている。夜間は日中に比べて地表面被覆間の温度差は小さく、日の出とともに温度差は大きくなっていく。
  • 松本 太, 白木 洋平, 一ノ瀬 俊明
    セッションID: P605
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     近年の成長が著しい重慶市は中国の南西部に位置し、「中国3大火炉」の1つとされる夏の暑さで有名な都市である。また、盆地状の周辺地形と発生源の集中により、大気汚染も深刻となっている。本研究では、中国の巨大都市である重慶において2004年8月の典型的暑熱問題日に観測された暑熱環境指標関連のデータを解析し、当該都市内の景観の異なる複数地点における体感温熱指標を計算し、都市計画への提言を念頭に、その空間的時間的特徴についての検討を行った。その過程で用いられたRayMan Model (Matzarakis et al., 2006) は任意の地点において、その地点における放射環境にかかわる範囲の周辺地物(建築物)の形状などを入力することにより、その地点の温熱環境を計算するツールである。一般に中国の都市では、都市計画GISデータなど高解像度の地図情報は保密(機密情報)とされ、アクセスすることが不可能である。つまり、都市内の建物分布に関する電子空間情報基盤へのアクセスが不可能であるため、放射環境を計算するためには、周辺地物(建築物)の形状を簡便な手法で取得する必要がある。そこで本研究では魚眼レンズを用いた天空写真をもとに必要な情報を作成し、RayMan Modelに入力することで、観測で求められた体感温熱指標の数値計算による検証を行った。精緻な電子空間情報基盤が存在しないフィールドにあっても、簡便な手法により一定の精度で体感温熱指標の算出が可能となれば、この手法は都市空間情報基盤不足地域における熱環境評価にとって有益と考えられる。
     各観測地点では一日数回約1時間ほど、気温、湿度、風速、平均放射温度を1分間隔で計測・記録した。また、各回の観測の中央の時間帯には2次元放射温度計による周辺地物表面温度の観測および魚眼レンズを接続したデジタルカメラによる天空写真の撮影を行った。体感温熱指標としては、clo値0.5(夏服に相当)、met値1.5(屋外歩行時に相当)におけるPMV(予測温冷感申告;Fanger, 1972)およびSET*(標準新有効温度;Gagge et al., 1986)を採用した。PMVとSET*は、九州大学によって開発されたフリーソフトウェアET_AEEを用い、各回の観測における平均値(気温、湿度、風速、平均放射温度)、clo値、met値を入力して求められる。
     ドイツ・フライブルク大学気象学科のMatzarakisらにより開発されたRayMan Modelは、都市の地表面形状を構成する建物や樹木といった放射にとっての障害物の空間配置、あるいは雲の影響といった放射環境を評価するものであり、任意の地点において、その地点における放射環境にかかわる範囲の周辺地物(建築物)の形状などを入力することにより、その地点の温熱環境を計算するツールである。このモデルの主たるアウトプットは、PMV、PET、SET*のような様々な体感温熱指標であり、都市空間の生気象学的な評価が可能である。本研究では、現地で撮影された魚眼レンズによる天空写真の画像データについて、建物のあるなしで2値化したものを天空率の情報として使用し、評価対象地点における周辺地物の分布情報については、現地調査(レーザーレンジファインダーによる評価対象地点から建物壁面までの距離の測定)および写真判読から作成した。また、気温、湿度、風速については今回の実測により得られたデータを使用し、clo値、met値についても今回の解析で仮定した値を用いた。実測値より計算された体感温熱指標とRayMan Modelによって計算された体感温熱指標を比較した結果によると、SET*あるいはPMVにおいて実測値との間に良好な相関関係が見られる。特にPMVとの間には決定係数で0.87という高い相関が見られた。
  • マイケル グロスマン, 財城 真寿美, 小口 高
    セッションID: P606
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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  • 石坂 雅昭
    セッションID: P607
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     南北に長い日本列島の気候の多様性を反映して、国土の半分以上を占める積雪地域の堆積環境は多様である。したがって、その影響を受ける積雪には、量はもちろんのこと質にも違いがあり、それに応じて冬の生活様式や災害の形態、そして防雪への取り組み方も違う。しかし、一般に積雪の気候図と言えば年最深積雪の分布図(気象庁, 日本気候図2000年版)という量に関するものであり質を表すものはない。そこで筆者は、1995年に積雪の質に着目した日本の積雪地域の気候区分を提案し、雪質気候図を作成した。ただ、その際に利用したのが旧メッシュ気候値であったために、日本の積雪地域のうち雪の少ない関東平野や紀伊半島、四国、九州などの積雪情報が入っていなかった。しかし、その後新たに整備された「メッシュ気候値2000」(気象庁, 2002)においては、南の島嶼を除きほぼ日本全土をカバーする積雪の情報が整備されたので、その情報を入れ、かつ一部気候区分の条件を再検討した新しい雪質の気候図を作成した。それに基づき日本の積雪地域の特徴について述べる。
  • 片岡 久美, 田宮 兵衞
    セッションID: P608
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     近年,地球温暖化の影響によって台風の発生数や強さに変化が起こる可能性が指摘されている.しかしながら台風の長期変化を扱った研究結果に統一見解はなく,地球温暖化との関係は明らかになっていない.その理由のひとつに,分析に使用できるデータの統計期間の短さが挙げられよう.日本は古くから台風の影響を受けてきているものの,風速によって台風を定義し始めたのは比較的新しい.現在の定義(最大風速17.2m/s以上)に従って擾乱が同定できるのは1951年以降であり,気象庁によりデジタル化された台風の統計データが公開されているのもこの年からである.そこで本研究では,1900年の発刊時から台風と考えられる擾乱の経路図とその説明が掲載されている『気象要覧』を対象として,1950年までの期間について現在の台風と比較可能な情報を抽出し,過去100年余りの期間について,台風の長期変化を分析することを目的とする.
  • 田畑 弾
    セッションID: P609
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     富山県砺波平野の南側は「井波風」「庄川あらし」の常襲地域である。これらの局地強風、および冬季の雪を伴う西風と屋敷林所有・植栽とのかかわりや、民間伝承である不吹堂(ふかんどう)と風穴の位置の関連を考察した。
     屋敷林の所有率は、調査地域の南の山沿いのメッシュ、とくに庄川の市街地近く、井口、城端の中心部近くに多いほか、北西にあたるメッシュ、とくに砺波市の出町から西側、小矢部方面にも所有率の高い領域が存在する。
     東西南北の方向別に詳細な建物の数を計数した。基本的に南と西の方向に屋敷林を植えている場合が多く、これに加えて東側か北側に植えている場合が多い。南と西の各方向には、ある一定の規則性があり、これの比率を図3に示した。井口・城端では南方向が、砺波市の出町から西側に西方向の強い領域がみられる。また、南部の山沿いでは、東方向の屋敷林も多い。
     北方向の屋敷林が多い地域は、出町の北側と井口周辺である。出町の北側に小島集落が存在するが、この周辺でも2004年の0423号台風で被害があり、新藤(2005)でも北方向の屋敷林への被害も報告されている。また、北方向の屋敷林は、防風目的で植えるスギよりも、作物や地盤を固めるための樹種、例えばクリやタケの木が多く植樹されていたということが考えられる。空中写真では表面のみ見える状態であるため、聞き取りなどでの樹種の調査が必要と思われる。
  • 岡本 透, 片倉 正行, 富樫 均, 清水 靖久, 北原 曜, 落合 博貴, 河崎 則秋, 久米 義輝
    セッションID: P610
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     平成18年7月豪雨によって諏訪地方周辺では土砂災害が多発した。岡谷市南部に位置する湖南山地周辺の災害発生地では、埋没腐植層が地表に露出したため、その年代を測定した。試料を採取した5地点の埋没腐植層の14C年代は、小野では約1200年前、下町では約1300~1500年前、本沢では約4500~7700年前、ボーリング調査で複数の埋没腐植層が確認された志平沢では約800年前および約7600~10000年前、小田井沢では約8000年前であった。また、本沢川では埋没腐植層を覆う褐色土層中から得られた炭片の年代値は約150年前であった。今回得られた埋没腐植層の年代値は過去に生じた土石流の発生年代を示している。また、複数の埋没腐植層が確認されたことは、土石流が繰り返し生じていたことを示している。一方、湖南山地は第二次世界大戦以前には入会地や養蚕用の桑畑として利用され、森林の発達程度は非常に悪かった。さらに、尾根部には小規模な崩壊地や裸地が多数分布していたことが確認された。このため、本沢の褐色土中の炭片の存在とその年代は、江戸時代後半以降に小規模な土砂移動が生じていたことを示していると考えられる。
  • 4事例の比較より
    村山 良之
    セッションID: P611
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     地震による建物被災の有無・程度には,建物の堅牢度とともに土地条件(地盤条件)が重要であることは,多くの既存研究が指摘するところである。しかし,近年日本の都市圏の丘陵地等に拡大する地形改変地(多くは住宅地)の土地条件に関する研究は少ない。釜井氏らの研究グループは,谷埋め盛土(全体)の滑動・崩落発生の有無を統計的に判別するモデルを提示している。本発表は,発表者がよりミクロな視点で行ってきた,建物の被害程度と地形改変関連の土地条件との関係を統計的に分析した事例研究を,再解析結果を含めてまとめて提示し,これらを比較検討するものである。 対象として,釧路市の2地区,神戸市垂水区,福岡市東区の各1地区を取り上げた。それぞれ,1993年釧路沖地震,1995年兵庫県南部地震,2005年福岡県西方沖の地震により,地形改変地の建物(住家)が被災した事例である。地形改変前後の大縮尺地形図または改変前の空中写真から5mDEMを生成し(図1),これらから地形改変に関する土地条件指標群を導出して(図2),これらと建物被害との関連を,地図およびクロス集計とロジスティック回帰分析によって検討した。土地条件指標群として最終的に選択されたのは,切土・盛土・境界部(または切盛境界推定線からの距離),盛土厚,現傾斜,盛土下の原地形の傾斜,凸指標(25m半径平均標高との差)である。
     釧路市緑ヶ岡地区の分析からは,盛土厚が厚いほど,盛土下傾斜が大きいほど,そして凸指標が大きいほどつまり崖上等であるほど,全半壊といった激しい建物被害が発生しやすいこと,また同市桜ヶ岡地区では,盛土下傾斜が大きいほど,同様に激しい建物被害が発生しやすいことがわかった。神戸市垂水区では,中程度以上の激しい建物被害が,切盛境界からの距離が近いほど,盛土厚が厚いほど発生しやすいことが明らかになった。福岡市東区においては,瓦屋根の被害のみに注目して,盛土厚が厚いほど,切盛境界からの距離が近いほど,現在の傾斜が大きいほど,瓦屋根が被災しやすいことを,統計的・定量的に明らかにした(表1)。
     観測値と予測値との整合性をみると,各対象地区の被災率を分割値とした場合,全体として70%程度以上の的中率が得られた。建物の条件や地質条件等をまったく考慮することなく,地形改変および地形関連の指標のみでこれだけ判別可能ということは,地形とその改変が地震に対する土地条件としてきわめて重要であることを示したといえる。
     一方,これらの事例分析結果間の差異の原因として,地盤破壊の様式やもとの地形や地質および建物の新旧との関連を指摘できるが,現段階では未解決である(表2)。建物や地質等を含む新たな変数を導入する等してこれらの差違や共通性への定量的説明の見通しがたてば,いまだ被災していない事例地域での被災予測も可能となると考える。
  • 宇根 寛, 佐藤 浩, 矢来 博司
    セッションID: P612
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     干渉合成開口レーダー(干渉SAR)は、地表面の変位を面的に把握する技術として、すでに多くの実績がある。2006年1月に打ち上げられた陸域観測技術衛星「だいち」に搭載されたPALSARは、干渉度が極めて高く、これまでになく高い分解能で変位を捉えることができる。国土地理院は、平成19年3月に発生した能登半島地震に伴う地殻変動を「だいち」のSAR干渉画像により解析し、精度の高い震源断層モデルの推定を行ったが、SAR干渉画像には、断層運動による広域の弾性的変形に加えて、局所的な地表の変位を反映した微小な変化パターンが多数みられた。既存の地すべり地形との関係や現地での観察と照らし合わせて検討した結果、これらは、地震動に伴う数cm~数10cmのわずかな地すべり性の変形が捉えられていることがわかった。このため、異なる軌道からの2組のSAR画像を用いて、衛星視線方向の変位を、上下方向と東西方向の成分に分離して移動量の分布を求めたところ、地すべりの内部構造から想定される変動パターンと整合する詳細な地表変動が明らかになった。SAR干渉画像は、現地調査や空中写真判読では捉えることが難しい微小な地すべり性の変位を網羅的に捕捉していると考えられ、防災対策上きわめて有効な情報を提供することができると考えている。
  • 堤 浩之, ジェフリー ペレス
    セッションID: P613
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     フィリピン断層帯は,海洋プレートの斜め沈み込みに起因する長さ1200km以上の島弧中央横ずれ断層である.断層帯の全域にわたって明瞭な変位地形を伴い,20mm/yrを超える横ずれ変位速度が得られている.この断層帯に沿っては,前世紀にM7以上の地震が10程度発生しており,1990年のルソン地震(Mw7.7)では3000名を超える犠牲者が出た.
     しかしながら,既存の活断層図(PHIVOLCS,2000)は衛星画像の判読により作成されており,縮尺も1/50万である.そこで本研究では,フィリピン断層帯全域の空中写真判読により,縮尺1/5万の詳細活断層分布図を作成した.また,今後の調査・研究の基礎資料として広く活用されることを意図して,データを地理情報システム上でコンパイルした.

    2.空中写真判読およびデジタル化作業
     判読に使用した空中写真の縮尺は,約1/2.5万である.ルソン島南部やレイテ島北部など一部の地域の空中写真を判読できなかったが,断層帯が陸域を通過する区間の約8割については,今回の判読でカバーできた.
     活断層の判読基準は,中田・今泉編(2002)「活断層詳細デジタルマップ」や国土地理院都市圏活断層図の判読基準に準拠した.基図として,フィリピン国家地図資源情報局発行の縮尺1/5万の地形図を使用し,その上に断層線や変位地形(断層崖・河谷の横ずれ・風隙地形など)の情報を書き込んだ.
     作成した活断層判読図を,今後の利活用を考慮して,Windows PC上で稼働するGISソフトウェアであるMapInfo Professionalを使ってデジタル化した.基図は,判読図と同じ縮尺1/5万地形図をスキャンしたものを使用した.この基図の等高線間隔は20mであり,断層トレースの位置についてはかなりの精度で読図が可能である.これらのデータは,MapInfo社のホームページから無料でダウンロードできるMapInfo ProViewerというソフトウェアで表示が可能である.また,ArcGISで利用可能なシェイプファイルや汎用的な作図プログラムであるGeneric Mapping Tool(GMT)などでも利用可能なファイル形式のものも作成した.図1は,GMTを使って,これらの活断層データをフィリピン全土の地形陰影図に重ねたものである.このように陰影図上に活断層データを重ねることで,断層線と地形との対応が容易に把握可能となった.

    3.作成した活断層図の意義
     本研究によって,フィリピン断層帯の断層トレースの詳細な位置がはじめて明らかとなった.既存の活断層図の縮尺が1/50万であったのに対して,本研究で作成した活断層図は縮尺1/5万であり,断層トレースの位置の精度が格段に向上した.今回の判読によって,既存の活断層図で活断層とされていたものの中には,古い地質構造に沿った差別削剥地形であるものが含まれていたことが明らかとなった.また逆に,今回活断層であると認定されたものの中には,明瞭な線状構造をなさないものも多い.
     歴史地震に対応する可能性のある非常に新鮮な変位地形も多くの地点で見いだされた.例えば,ミンダナオ島北部には,沖積面上に比高数mの低断層崖と河谷の系統的な数mオーダーの左屈曲が残されている.この地域を襲った最近の大地震は1879年に発生しており,これらの変位地形はその地震に伴う地表変位である可能性が高い.  本研究で作成した活断層図は,断層トレースと変位地形を地形図上に示しただけの最も基本的なものである.今後,断層パラメータに関する資料を順次追加していく予定である.
  • ピナトゥボ火山からのラハールの制御
    青木 賢人, 森島 済, 片岡 香子, 小口 高
    セッションID: P614
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     ピナトゥボ火山は1991年6月15日に大規模火砕流の噴出を伴う大噴火を起こした.この火砕流堆積物は,その後の降雨に伴ってLahar(ラハール)となって移動し,下流域のPampanga州,Tarlac州などに大きな被害をもたらした.日本のODAなどによる巨大堤防の設置などにより,その被害は減少しつつあるが,現在でも雨期には洪水によって小規模なラハールが発生し,場合によってはラハールが河岸の農地などに溢流している状況が確認できる.経済的基盤が弱いフィリピンにおいて,これらの小規模な土砂移動に対しては,大規模な土木工事以外の対策を取ることも必要となろう.
     著者等は,ピナトゥボ火山周辺においてラハール堆積物の堆積構造などの調査を行っているが,その調査過程において,河畔に成立しているタケを中心とする河畔林がラハール堆積物を捕捉(スクリーニング)することによって自然堤防を発達させ,背後の耕作地への土砂の侵入を阻止している状況を確認した.本発表では,この河畔林によるラハール堆積物の補足状況について報告し,フィリピンにおける今後の砂防対策立案の一助にしたい.

    2.河畔林による土砂補足状況
     今回,観察を行った河畔林は,タルラック(Tarlac)州パニキ(Panique)地区のタルラック川沿いに成立している,叢生するタケを中心に,一部にエンジュなどが混生しており,樹高はおよそ12~15mに達している.地元住民が周囲にいなかったため充分な聞き取り調査は行えなかったが,カウンターパートのフィリピン人研究者の弁では,自然に成立した森林であろうとのことであった.
     この河畔林の横断方向に測線を設定し,ハンドレベルとレーザー測距儀を用いて地形断面図を作成した.河畔林の部分は後背地の農地に比べ,約1m程度高い.この高くなった部分でピット(写真)を掘削すると,層厚数mmに成層した砂層が確認され,層内には円磨されたパミス粒が見られる.このことから,高くなった部分は河畔林がラハール堆積物を捕捉しつつ上方に発達させた自然堤防であると判断される.一方,河畔林前面では,河道からの側方浸食が河畔林の直前面まで及んでいることも確認される.これは,河畔林の根茎が河川の側方浸食を防いでいることを予測させる.また,表土部分の粒度は,河畔林前面で粗砂が主体であるのに対し,自然堤防上では中~細砂画分が多くなり,河畔林背面ではシルト画分が多くなる.これは,粗度が高い河畔林を洪水流が通過することによって流速が低下し,後背地には粗い土砂が運搬されないことを示す.このように,河畔林は洪水流とそれに含まれる土砂を制御していると判断される.

    3.まとめ
     河畔林が洪水流や浸食を制御し,土砂を捕捉して自然堤防の発達を促す効果を,日本では伝統的に「水害防備林」として利用してきた.今回調査した河畔林は自然林とのことであるが,同様の河畔林は数カ所で観察できた.こうした森林の効果を積極的に治水に活用することが,フィリピンのような土木工事予算が限られた国では効果的であるし,日本の知識や経験が有効に利用できるであろう.
  • 中村 洋介
    セッションID: P615
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     本研究では,山形盆地西縁断層帯における第四紀後期の活動性を算出することを目的に,活断層の良好な変位基準である河成段丘面の編年調査ならびに断面測量調査を実施した.河成段丘面の分類・対比は,空中写真(縮尺約1/40,000,および約1/20,000)の判読と段丘構成層および段丘被覆土壌層の現地調査に基づく.編年の基準となる火山灰は,自然露頭試料および掘削試料を洗浄した後に,顕微鏡で鉱物組成や火山ガラスの有無およびその形状を詳しく調べた.その後,火山ガラス及び重鉱物を立正大学地球環境科学部所有の温度変化型屈折率測定装置を用いて屈折率を測定し,広域火山灰の同定を行った.
     一般に山形盆地では,段丘構成層および被覆土壌層中に火山灰層を肉眼で認めることが非常に困難である.また,露頭の数も非常に限られて圃場整備によって地形が大幅に改変されていることから,本研究では被覆土壌層の採取をボーリング掘削により行った. 本研究では山形市柏倉にて2本(試料(1),(2)),同市長岡において1本(試料(3))の掘削調査を実施した.試料(1)の掘削は柏倉南部の河成段丘面(I面)上で実施した.I面は本地域で最も高位に位置する段丘面である.試料(1)は水成の砂層までの1.5mの掘削を実施した.試料(1)は上位より盛り土層,褐色ローム層,シルト層,ならびに砂層からなる.なお,試料中から火山灰層を肉眼で確認することは不可能であった. 試料(1)からは火山起源と考えられる鉱物の濃集層準が2層(深度30cm付近:AT,深度65cm付近:K-Tz)準検出された.
     試料(2)の掘削は柏倉北部の河成段丘面(II面)上で実施した.II面はI面より1段低い段丘面である.試料(2)も試料(1)と同様に水成の砂層までの1.5mの掘削を実施した.層相は上位より,盛り土,黒ボク層,褐色ローム層,シルト層,ならびに砂層からなる.試料(2)では試料(1)と同様に火山起源の鉱物が2層準(深度25cm付近:AT,深度60cm付近:K-Tz)検出された.ただし,試料(1)ではK-Tzが風成層(ローム層)から検出されたのに対し,試料(2)ではK-Tzは水成のシルト層中から確認された.
     試料(3)の掘削は長岡の河成段丘面(III面)上で実施した.III面は今回試料を採取した中では最低位の段丘面である.試料(3)では水成のシルト層までの1.0mの掘削を実施した.層相は上位より,盛り土,黒ボク層,褐色ローム層,シルト層,ならびに砂層からなり,深度25cm付近にATが確認された.
     これらの結果より,各段丘面の離水時期はそれぞれ,K-Tz降下直前(I面),K-Tz降下直後(II面),K-Tz降下以降AT降下以前(III面),すなわち10-11万年前(I面),8-9万年前(II面),5-6万年前(III面)であると考えられる.
     本研究では掘削調査後にI~III面の累積変位量を明らかにするための断面測量調査を実施した.各段丘面の累積変位量はそれぞれ約25m以上(I面),20m以上(II面),14m以上(III面)であり,段丘面の年代が古くなるほど変位が累積していることが判明した.ここで,累積変位量が「以上」となっているのは,本研究における断面総量では断層の両側で河成段丘面の形成年代が異なるためである.
     各段丘面の累積上下変位量をそれぞれの段丘面の形成年代で除したところ0.23-0.25mm/yr(I面),0.22-0.25mm/yr(II面), 0.23-0.28mm/yr(III面)の平均上下変位速度が算出された.また,各段丘面の累積変位量を産業技術総合研究所(2006)によって報告されている地震1回辺りの単位変位量(2~3m)で除すと,I面は8~12回以上,II面は7~10回以上,III面は5~7回以上,地震によって上下変位を被っていると考えられる.
     よって,山形盆地西縁断層帯南部における地震の再来間隔は8300年~13800年以下(I面),8000年~12900年(II面)以下,7100年~12000年(III面)以下であると見積もられる. なおこの値は,沖積面におけるトレンチ調査によって求められている地震の再来間隔(産業技術総合研究所,2006)とほぼ同等の値である.山形盆地西縁断層帯南部における地震の最新活動は4300年前~5000年前であると考えられていることから(産業技術総合研究所,2006),今回の調査で得られた中~長期的な平均変位速度を加味しても,山形盆地西縁断層帯南部を震源とする巨大地震が近い将来に発生する確率は極めて低いものと考えられる.
  • 長尾 朋子, 青木 賢人
    セッションID: P616
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
    会議録・要旨集 フリー

     霞堤・水害防備林に関して,その地形的立地条件および水制の相互関係から類型化を行うと共に,福井豪雨災害時の足羽川の氾濫に際して水害防備林の機能の検証を行ったことを踏まえ,調査範囲を北陸地域の諸河川に展開し,伝統的治水工法の現況調査を行うと共に,維持管理に関わる流域住民との関連を調査した.本研究では,新河川法で伝統的治水工法を採用した治水計画が認められたことを踏まえ,同工法の水制効果を確認・検証することに加え,住民に対する聞き取り調査によって,同工法に対する評価を明らかにし,施設維持に対する住民の関与を検討することで,住民と同工法との関連性を明らかにすることを通じて,住民参加・住民協力型の治水対策に関して提言を行なうことを目的とした.
  • 山内 竜司, 藁谷 哲也
    セッションID: P617
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
    会議録・要旨集 フリー

    1.はじめに
     風化殻の分帯を行うことによって,風化殻の発達過程を段階的に示すことができる.山内・藁谷(2006)は,黒石山の斑れい岩体を対象として,旧地表面からの深度(D,m)による節理密度(Dj,n/φ1m)やおもな物性値の変化から風化殻の分帯を行った.その結果,Dが約-35m以浅で風化殻が急激に発達することが明らかになった.本研究では,山内・藁谷(2006)が対象とした黒石山(864.5m)の東北東約16kmに位置し,花こう岩からなる桧山(標高992.5m)の南西側山腹の採石場を対象として,DによるDjや一軸圧縮強度(Sc,N/mm2)(シュミットハンマー反発強度(R,%)からの換算値),超音波伝播速度(Vp,km/s)の変化から風化殻の分帯を行う.また,黒石山斑れい岩体の風化殻発達過程との比較を行う.

    2.研究対象地域の地形・地質概要
     桧山は,花こう岩類が広く分布する阿武隈山地の中央部に位置する.桧山の南西側山腹の採石場(標高約860~910m)は東西に広く(幅約210m),最大比高約40mの大露頭が見られる.ここでは,ほとんど風化を受けていない基盤から,マサのなかに長径数10cm~数mの核岩がとり残された風化殻上部までの花こう岩の風化殻を連続観察できる.桧山は,周囲にくらべて凸の地形を呈し,斜面は急斜面になっている.ただし,西側斜面は,山腹から山頂にいたる標高810m~992.5mでは緩斜面になっている.

    3.測定方法
     現地では,Dが異なる7地点において,Dj,およびRを測定した.また,5地点から採取した試料について,Vpを測定した.Djの測定は,鉛直・水平の方向に関らず,直径1mの円周に接するすべての節理の本数を数えた.測定箇所数は,調査地点によって異なる(2~13箇所)が,測定総本数を測定箇所数で割って,その調査地点での平均本数(n/φ1m)を求めた.Rは,連打法(松倉・青木,2004)で行い,各調査地点において2~5箇所で打撃した.各箇所では,10回以上打撃し,上位3回の平均値をその箇所でのR値とした.Vpは,各試料について1~2箇所で測定を行った.ただし,試料表面のトランスデューサーが接する部分は,平滑になるように整形した.なお,Dは,山内・藁谷(2006)にしたがって,デジタル写真測量で求めた.

    4.結果と考察
     Djは,Dが約-15~-30mでは0~8本/φ1mであるのに対し,約-15m以浅では4~15本/φ1mであった.Scは,Dが約-15~-30mでは336.5~658.2N/mm2であるのに対し,約-15m以浅では10.6~361.1N/mm2であった.Vpは,Dが約-25~-30mでは5.1~5.5km/sであるのに対し,約-15m以浅では1.0~3.3km/sであった.
     Djは,Dが約-30mから0mに向かうにつれて徐々に増加するのに対し,Sc,およびVpは,Dが約-15m以浅で急激に低下することがわかった.ここで,桧山花こう岩の風化殻の特徴を黒石山斑れい岩体のそれと比較する.桧山花こう岩の風化殻は,これまで述べたように,深度約-15mを境にしてDjやSc,およびVpを大きく変化させる.これに対し,黒石山斑れい岩体の風化殻は深度約-35mを境にして大きく変化する(山内・藁谷,2006).したがって,桧山を形成する花こう岩は,深層まで風化は及んでおらず,黒石山斑れい岩体にくらべておよそ半分の厚さの風化殻を発達させていることが明らかになった.
  • 石黒 敬介
    セッションID: P618
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     房総半島大房岬の海成段丘上において,段丘面毎に降雨後のトベラの葉に付着した塩分濃度を測定した.海水飛沫の飛来条件による付着塩分の違いを明らかにするため,トベラの葉の採取日は,風向風速の異なる日を選定した.その結果,海水飛沫の付着濃度は,高度と風速によって左右されていることがわかった.
  • 羽田 麻美
    セッションID: P619
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     噴霧装置を用いて石膏ブロックに水と温水を噴霧し,リレンカレンの形成実験をおこなった.本報告では,実験において,微細なリレンカレンの形態の数量化に用いた写真計測の手法を紹介する.
  • 黒木 貴一, 磯 望, 後藤 健介
    セッションID: P620
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
    会議録・要旨集 フリー

     人工衛星の波長帯別反射率データを画像化し、あるいは土地被覆区分を実施し様々な環境解析が実施される。たとえばLANDSATの波長帯別反射率データのRGB画像を地表の土地利用あるいは水分条件に読み替え、沖積平野を中心に地形区分がなされる(大倉ほか,1989)。しかし土地利用や水分条件の違いが比較的少ない斜面に対する地形区分の試みはない。小川ほか(2006)では1時期の人工衛星データよりも、2時期のデータ差分を用いてより詳細な土地被覆区分が可能なことを示した。地形は植生に影響を与える(小泉,1998など)ため、そのデータ差分は、土地被覆状況の相違を拡大し斜面の地形区分を容易にする可能性がある。
     雲仙噴火活動(1990-1995年)により周辺の森林や農地は破壊され山は荒廃した。噴火活動によるその影響範囲は20km2以上に及ぶ。本研究では雲仙を事例にGISを用いてLANDSAT/TMの差分データと斜面の地形など土地条件との対応関係を詳しく検討した。
  • オアフ島のタフリング地形を例にして
    黒田 圭介, 宗 建郎, 磯 望, 黒木 貴一
    セッションID: P621
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    I.はじめに 接峰面図は古くから地形の概略をつかむ手段として広く用いられてきた.この接峰面図は,紙地図上に描かれる作業仮説図であったが,最近ではパソコンの普及とDEMデータの充実により,DEMから接峰面図を作成し,それを用いた研究成果が見られるようになった.例えば中山(1998)は,DEMで作成した接峰面図の接峰面高度と現地表面の差を侵食量の近似値とみなした.しかしながら,パソコンでDEMを計算し接峰面図を作成する作業は,専門的な知識が必要であるため一般的に普及しているとは言い難い.そこで本研究では,オアフ島南東部に分布するタフリングを例に,画像処理ソフトを用いて接峰面図から侵食量を簡単に算出する方法を提案する.また,これと平行して,DEMをGISで操作して接峰面図を描き,侵食量を算出する方法ついても検討した.なお,本研究では侵食の尺度を量ではなく割合で示す.
    II.解析方法
    1.画像処理ソフト(PhotoShop)による解析方法
     まず,クレーターごとに谷埋め接峰面図を描いた.今回谷埋めの間隔は100mと1000mとした.なお,等高線の間隔は地形図の制約上40フィート毎とした.このクレーターごとの接峰面図と地形図をスキャンし,Illustratorで等高線ごとにトレースした.トレースした等高線の輪は,ピクセル数を数えるため塗りつぶした.このデータをPhotoshopで開き,等高線毎にピクセル数を数えた.図1を見てみると,接峰面(B)から現地形(A)のピクセル数を引いた数(C)が,侵食割合ということになり, パンチボウルの200ftでは,7.4%が侵食されたことになる.
    図1:接峰面図を用いた侵食割合の算出方法モデル
    2.GIS(ArcView)による解析方法
     DEMデータはNASA発行のSRTMを用いた.これをTIFFに変換し,ArcViewでポイントデータに変換可能なように,標高データを100倍したのち小数点以下を四捨五入したものを基本データ(1グリッド約30×30m)とした.まず,現在の地形面はこの基本データにサーフェス解析をかけて40フィート毎のコンターを作成した.このコンターと基本データのラスタからTINを作成し,5×5mグリッドのラスタに変換する事で,基本データよりもそこから作成されたコンターにより近いラスタを作成し,現在の地形面のデータとした.接峰面は,基本データのグリッドを3×3グリッド毎の領域に分け,その中の最大高度を接峰面高度とした.これによって約90×90mメッシュ内の最高標高点をそのメッシュの接峰面高度とした事になる.この接峰面高度のメッシュからコンターを作成し,現在の地形面のデータと同様にメッシュとコンターからTINを作成,5×5mグリッドのラスタに変換して接峰面のデータとした.現在の地形面データと接峰面データをそれぞれポイントデータに変換し,分析対象となる火山の範囲毎にポイントデータを切り出し,そのポイント数を,標高毎に表計算ソフトで計数した.侵食割合の算出方法は,図1のピクセル数がポイント数に変わっただけである.図2に,ArcViewで描画したダイアモンドヘッドの現地形(コンター)と接峰面(段彩)を示す.
    図2:ArcViewによる現地形と接峰面
    III.結果 侵食を受けていればいるほど形成年代が古いと考えるならば,接峰面のピクセル数(ポイント数)と比べて現地形面のそれはより少なくなっているタフリングほど古いと考えられる.
     図3はPhotoShopとArcViewで算出した侵食割合のグラフと各タフリングの形成年代を示したグラフである.なお,本要旨ではPhotoShopで算出したデータは100m谷埋め接峰面のものを示す.形成年代が分かっているタフリングについては,PhotoShop,ArcViewで算出した侵食割合いずれも形成年代とある程度相関関係が見られた.また,ウルパウとマナナに差異が見られたが,その理由として考えられるのが,前者は形状がリングではなく半月状であり,後者はタフリング自身が火山島であるため波食の影響が大きいということが挙げられる.
     図3:各タフリングの侵食割合と形成年代
    IV.まとめ PhotoShopとArcViewのいずれで侵食割合を算出しても,ある程度同等の結果が得られ,接峰面図から具体的な数値による侵食割合を算出できた.これらは複雑な操作や専門技術を必要としないので,一般に普及が見込まれる.しかしながら,現段階でのArcViewで描く接峰面図は,方眼法の要素が強いため一概に谷埋め接峰面の結果とは比較はできない.試験的に方眼法(90mメッシュ)で接峰面を描いてPhotoShopで解析した結果,ダイアモンドヘッドの侵食割合は約7.9%という結果が得られており,今回の谷埋め法よりも値が近接している(図3).今後は,方眼法との解析結果の違いを検討する必要がある.
    参考文献:中山大地(1998):DEMを用いた地形計測による山地の流域分類の試み-阿武隈山地を例として-.地理学評論,71A-3,p.169-186.
  • 久保 純子
    セッションID: P622
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    ■研究目的・方法
     メコン川下流部(カンボジア平野)の微地形区分を行うとともに、洪水水位、土地利用、水利用特性などの地域性をとらえ、微地形区分を基本とした土地の統合的理解をめざした。
     対象地域はプノンペン付近を中心に、空中写真判読とフィールド調査をもとに、ききとり等も一部で行った。
    ■水位変化と稲作システム
     メコン川下流(カンボジア)平野ではモンスーン気候下にあり、メコン川の水位は雨季と乾季で10 m近く変動する。
     カンボジアにおける伝統的な稲作システムは、1)天水陸稲、2)天水水田稲作、3)減水期(乾季)稲作、4)浮稲の4つに区分されるが、メコン川平野では2)3)4)がみられる。灌漑施設は少なく天水田が卓越し、収穫は通常年1回である。メコン川氾濫原やトンレサップ湖周辺ではしばしば稲刈りと田植えが隣接して見られるが、二期作はほとんど行われておらず、水位の微小な変化に従って減水期稲作が行われている。
    ■対象地域の微地形
     プノンペン付近ではメコン川、トンレサップ川、バサック川が交差して「チャトムック(四面)」と呼ばれている。
     氾濫原部分は支川の緩勾配扇状地と台地に囲まれる。北西からトンレサップ川がメコン川に流入し(雨季はメコン川から逆流する)、平野北東からメコン川が流下し、チャトムックジャンクションを形成する。下流側はメコンの派川バサック川が南へ、メコン川は南東へ流下する。メコン川本流沿いには小規模な自然堤防がみられる。
     氾濫原は河川沿いの低湿な部分と、やや高燥な「高位沖積面」に区分される。
    ■緩扇状地、台地上の土地利用・水利用
     雨季に天水水田稲作が行われる。小規模なため池が数多く作られる。水が得にくいため、「ポルポト水路」が現在も各地で利用されている。
    ■メコン川などに沿う自然堤防地帯
     自然堤防上は道路や集落が立地する。メコン川派川のバサック川沿いには「コルマタージュ」と呼ばれる流水客土のための水路が放射状につくられ、水路の周囲はシルトが堆積して人工の微高地が拡大し、畑作が行われている。
    ■高位沖積面とメコン川沿い氾濫原
     川沿いの氾濫原では雨季は湛水のため一部の浮稲のほかは耕作が行われない。高位沖積面との境界部では、微高地を縁取るように「トンノップ」と呼ばれる小規模な堤防を作り水をため、減水期稲作に利用される。
    高位沖積面は大規模洪水時には浸水する。
    ■微地形、洪水、土地利用
     メコン川下流平野では、雨季と乾季の水位変動が大きく、川沿いの氾濫原では雨季のあいだ広い範囲が湛水する。このため、氾濫原の微地形条件に対応して湛水の状況が異なり、それぞれに対応した稲作システムが採用されている。
     台地や扇状地上では夏季の天水に依存した稲作が行われる。バサック川沿いは流水客土(コルマタージュ)による耕地造成が明瞭である。氾濫原低地をとりまくように減水期稲作が行われ、これは雨季終了時の水位低下に従って移動する。氾濫原低地はもっとも長く湛水し、多くが湿地である。この部分は雨季の洪水流路でもある。これらは微地形ごとの水位変化に対応した持続的システムといえる。
  • 小野 映介, 横山 智, 野中 健一
    セッションID: P623
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
    会議録・要旨集 フリー

     本研究の目的は,世界各地で生きる人々が形成する自然環境と社会との関わりを解明する新しい研究分野として「ネイチャー・アンド・ソサエティ研究」を構築することである。従来の「自然環境と社会との関わり」の研究は,社会と自然環境との関係はいかに複雑であるかを事例として描いていた。しかし本研究で構築する「ネイチャー・アンド・ソサエティ研究」は,世界各地で共通してみられる問題を普遍化し単純化することによって顕在化させることを目指すものである。そして現在,われわれが生活する地球上で生じているさまざまな問題に対して,より具体的な解決策を提示することを目指す。
     今後、(1)先行研究を確認し,また批判しつつ新たな理論構築を目的とした調査を実施する「理論研究」,(2)現実世界をよりビビッドに描きだすため,特定地域や特定テーマを取り上げて可能な限り現地に密着したフィールドワークを実施する「実証研究」,そして(3)現実の社会に極めて近い位置から自然環境の変化と社会の対応を丹念に調査する「実践研究」の3本の柱を建て,有機的に関連づけて「ネイチャー・アンド・ソサエティ研究」を構築する。
     その方向は次の3点である。
    1)主体である住民が自然環境をどのように捉えるのか,文化というフィルターによって,同じ自然環境でも異なった意味が与えられる。そのような自然環境の認知はいかなるものか実証する。
    2)「主体性」や「環境性」によって生じる文化変化と生態系変化は必ず連関的に発生する。それは社会変化もしくは自然環境変化が主要因となっている点に注目し、動態の分析とともに世界各地でその異なり方の程度を検証する。
    3)自然環境の変化が社会に与えた影響,また反対に社会の対応が自然環境へ与えた影響をとくに社会の反応と対応(受容・調整・妥協・拒否)を検証する。
     このような指向性をもつことによって、途上国と先進国,民族,自然系学問分野と人文社会系学問分野,理論研究と実践研究など,従来の研究では当然のように存在していたさまざまな区別を取り払ってつなぐという独創的な研究手法を提示していくことも可能である。
     このような視座に立ち、わたしたちは、諸現象の起こる現場に立ってきた経験から、その問題を提案し、自然分野の研究視点と人文社会分野の研究視点と方法を融合させる試みを、それぞれの事例を紹介して論じたい。
  • 横山 智, 落合 雪野
    セッションID: P624
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
    会議録・要旨集 フリー

    はじめに
     ラオスの山地民は,焼畑耕作をいとなむ農耕民であると同時に,集落周囲の自然環境から野生動物を捕獲し,また野生植物を 採集する狩猟採集民でもある。このような二つの側面をあわせもつ生業の実態を具体的に把握するための手段として,本研究で は「有用植物村落地図」を作成した。「有用植物村落地図」とは,ある村落で利用される植物についてそのすべてを対象とし, その植物が村落周辺のどのような空間的,生態的位置から得られるのか,また利用形態(自家消費か,換金用か)や種類(野生 植物か栽培植物か,分類群,生活型),利用される頻度や量,目的はどのようになっているかを,一枚の地図に表すものである 。これにより本研究では,空間認識と植物利用の両方に研究の焦点をあてることを試みる。

    調査村落および研究方法
     調査村落のフエイペー村(図)は,ラオス北部ポンサリー県コア郡に位置し,住民は37世帯,41家族からなり,全員がアカ・ ニャウーを自称する人々である。
     フエイペー村の住民が現在の集落で生活を始めたのは,2003年2月のことである。この年,約50年間住んでいた山の上から移 ってきた。旧集落と新集落は徒歩20分程度の距離である。フエイペー村の周囲には,森林のあいだに焼畑耕地が点在する景観が 広がる。焼畑耕地は,主食となる陸稲や換金用のトウモロコシをおもに栽培する場となっている。また,ウシ,ブタ,ヤギ,ニ ワトリなどの家畜が飼養されている。さらに,森林とその周辺からは,後述するようにさまざまな植物が採集されるほか,げっ 歯類などの小型哺乳類や鳥類,昆虫が集められている。
     調査村周辺の「有用植物村落地図」を作成するにあたり,2005年は,多様な森林をかたよりなく歩くことができるよう,村人 が通常,集落と焼畑のあいだの移動に利用している4ルートの小道をインフォーマントと共に歩き,実際に使用したことのある 植物がみつかれば,その1)アカ・ニャウー語名,2)ラオ語名,3)用途,4)利用部位,5)採集を開始あるいは中断した時期 を聞き取った。また同時に,生育地の位置をGPSで記録し,植物のサンプルを収集した。調査終了後,GPSで取得したデータに, 植物に関する情報の属性を付し,GISデータを構築した。また,保管と同定のため,植物サンプルから腊葉標本を作成した。そ して2006年は,より多くの住民の植物利用の実践と認識を反映させた結果を得るため,村落の全43世帯を対象に各世帯から1名 ずつインフォーマントを出してもらい,9つに区分した生態環境(焼畑耕地,休閑1年目,休閑2~4年目,休閑5~6年目,休閑7 ~20年目,休閑20年以上,幹線道路沿い,小道,小川とその周辺)からどのような植物を利用しているのか聞き取った。

    結果および考察
     2005年に実施した「有用植物村落地図」の作成では,134標本の生育地点を把握した。注目すべき点は,焼畑休閑地で生育す る多くの種類の植物が利用されていることである(表)。また,2006年の全住民に対する聞き取り調査の結果では,住民は生活 にかかわる植物とその生育環境との相関を熟知していることが明らかになった。すなわち,焼畑耕地から,二次林に至るまでの 植生遷移の各段階において,その生態環境から採集できる有用植物を利用していた。
     山地住民にとって,焼畑休閑地や道路のような人の手によって攪乱された環境が,有用植物の生育地として重要である。また ,特定の空間が内包する有用植物の種類や成長段階が時間と共に変化するため,彼らの生活空間の構造を把握するには特定の時 間と場所だけを考えるのではなく,生業と空間の関係を動態的に理解する必要がある。

    本研究は,総合地球環境学研究所「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究」プロジェクトの調査成果の 一部である。
  • 大山 修一
    セッションID: P625
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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     発表者は2000年より、西アフリカ・サヘル帯に位置するニジェール共和国の中南部・農耕民ハウサの村(D村)に住み込み、人びとの暮らし-農耕や牧畜の生業形態、人びとの環境利用、鍛冶屋や肉屋などの職能集団の技術史、調理や料理など生産から消費にいたる生活全般に関する調査を実施している。また、生活者の視点からみた砂漠化の原因、土地荒廃に対する住民の環境認識を調査してきた。
     D村の住人はトウジンビエとササゲの混作を基本とする農耕を営む一方で、ウシやヤギ、ヒツジを飼養している。村びとは「近年、村の周辺に荒廃地が拡大し、農業生産が低下してしまった結果、食糧自給が難しくなっている」と語る。調査を進めていくうちに、農業生産のうえでの問題点は「takiの不足が土地の生産力を低下させ、トウジンビエの収量が悪化している」ということが分かってきた。
     ハウサ語のtakiという言葉に肥やしという訳語をあてるが、takiには脱穀や調理で出てくる作物の非食部分やワラ、残飯、家畜の糞や食べ残しの枝葉などの有機物だけではなく、着古された衣類や布きれ、使い古されたゴム製のサンダル、鉄製の鍋や皿、買い物でもらうビニール袋が含まれている。人びとは、固結化した荒廃地に肥やしを積み上げることによって、トウジンビエ栽培に必要な作土層を構成する砂質土壌を作り出せることを知っており、毎日、屋敷内に蓄積する肥やしを集め、自分の所有畑に投入している。
     肥やしの積み上げは、地形面に微妙な高まりを作り、風食や侵食による固結土壌の露出を防ぐとともに、風で飛ばされてくる砂画分を受け止めるトラップ効果、シロアリの活動によって固結土壌を孔隙の多い状態にし、透水性を高める効果、そして土壌の化学性を改善する効果があることが明らかとなった。つまり、農耕民は家畜の糞や家庭ゴミなどの有機物をトウジンビエ畑に投入し、シロアリの生物的な機能を利用することによって、荒廃地に作物の生育環境を作り出していたのである。
     このように、村の屋敷を中核として、有機物が「屋敷(人間・家畜)」→「耕作地」→「作物・草本」→「屋敷(人間・家畜)」という流れで循環し、そこには人間の営みとともにシロアリの生物活動が介在していた。
     1960年代以降、ニジェール国内では道路網が整備され、各地に定期市が整備された。古老によると、1950年代まではロバの背に荷物を載せ、ナイジェリア北部の都市ソコトまで片道4日かけて旅し、農・畜産物を販売していたという。しかし現在では、現金獲得の必要性から、村びとは近隣の定期市で作物や家畜、燃料材、飼料などを販売する。各定期市には10台以上のトラックが集結し、首都ニアメや北部ナイジェリアの都市に向けて農・畜産物が運搬されている。
     首都ニアメの人口は1905年には1,800人だったのが、1945年には7,000人、1970年には7万人、1988年には40万人、2001年には68万人に増加しつづけている。都市の食糧需要は増加し、地方から運ばれてくる農・畜産物を大量に消費している。近年、アフリカの各都市でゴミが散乱している光景をよく目にする。ゴミや屎尿の集積は、都市の内部を不衛生な状態にし、ニアメではコレラやチフスなどの感染症が雨季に発生し、死者が出ることもある。都市においてはゴミ処理の問題が深刻となっているが、ゴミには植物生育に必要な養分が豊富に含まれていることが明らかになっている。
     サヘルにおいて農村における耕作地の砂漠化と、都市のゴミ問題が同時に進行しているのではないかという着想のもと、「都市―農村」間における物質循環を構築し、都市の衛生問題と農村における土地荒廃の防止、食糧自給の達成をめざしたいと考えている。このような問題意識と目標を設定し、2006年6月には、ニジェール国の認可NGO “OLDCS-shara (Organisation pour la Lutte contre la Désertification et l’Amélioration des Conditions Sanitaires” [砂漠化防止と都市の衛生改善プロジェクト]を創設し、活動を開始している。現在、実験段階であるが、都市の生ゴミを農村の荒廃地にまき、シロアリの生物活動と飛砂の受け止めによって緑化を進める計画を立てている。2007年3月より、ゴミに含まれる重金属や環境ホルモンなどの危険性、ゴミの分別方法、住民への協力依頼の内容などを吟味しながら、ニジェール共和国の大統領府や環境省、ゴミ収集を管轄する住区の区長など行政関係者と折衝をはじめている。
  • 横山 秀司, 中村 直史
    セッションID: P626
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     本研究は,福岡県の御笠川流域を例として,高度経済成長期以前の都市から山地までの景観構造を景観生態学的に明らかにし,現在との比較を試みたものである。まず,大正期に測図された1:25,000旧判地形図の土地利用をデジタル化し,それにデジタル化されたゲオトープ図(地形と地質)上に重ね合わせて,大正期の景観生態学図を作製した。そこで出現したポリゴンをエコトープとして判断した。それを,同様に平成10年測図の地形図から作製したエコトープと比較・検討する。

    2.景観変遷
    2-1 大正時代の景観生態学図
     まず,前回作製した「福岡圏域の景観生態学図」から御笠川流域の地形・地質分類図を抜き出した。これをベースにして,大正時代の土地利用図をオーバーレイした。ただし,地形・地質分類図は平成時代のものであるので,人工改変地はすべて周囲の地形に合わせて,山地・丘陵,ないしは台地・段丘に修正した。「大正時代の景観生態学図」とも称すべきこの図では,11のエコトープに分類することができる。
     エコトープ1:流域の花崗岩からなる山地・丘陵部であり,森林で被われている。御笠川最上流部の宝満山周辺,牛頸川上流部の牛頸山地などに分布する。
     エコトープ2:花崗岩からなる山地・丘陵部であり,草地(茅場)として利用されていた。四王寺山地,三郡山地,高尾丘陵などでかなり広い面積を占めていた。
     エコトープ3:Aso-4火砕流堆積物に被われ山地・丘陵で,森林であるもの。二日市市街地から石崎付近までの西鉄大牟田線東側の丘陵部分に典型的に現れている。
     エコトープ4:Aso-4火砕流堆積物や段丘堆積物で形成された台地・丘陵上に立地した集落がのる。御笠川上流部の北谷集落,太宰府天満宮とその周辺,中流部の白木原,筒井,雑餉隈,井相田,上麦野・下麦野,諸岡,板付などの集落がこれに該当する。
    エコトープ5:Aso-4火砕流堆積物や段丘堆積物で形成された台地・丘陵上を森林が被う。御笠川上流部の北谷,水城の近くに位置する国分集落南に広がる緩斜面,二日市市街地の西などに見られていた。
    エコトープ6:台地・丘陵上の畑・桑畑である。エコトープ4の周辺や混在して島状に分布する。
    エコトープ7:台地・丘陵上の森林。春日原から雑餉隈付近,諸岡・牟田付近に島状に分布していた。
     エコトープ8:沖積平野上の集落域であり,御笠川の下流域に点在していた。特に,現在は福岡空港の敷地になっている地域に見られた。
     エコトープ9: 沖積平野の水田。御笠川とその支流の沖積低地および谷底平野に広く分布していた。
     エコトープ10:沖積平野の畑・桑畑。下流部の野入付近などに若干分布していた。
     エコトープ11:海浜・砂丘上の集落・市街地であり,博多の旧市街地はここに形成されていた。
      2-2 現在の景観生態学図
     大正時代のエコトープは現在どのように変化したであろうか。平成10年の景観生態学図からエコトープ毎に見てみたい。
     エコトープ1:御笠川最上流部の宝満山周辺,牛頸川上流部の牛頸山地などに残存する。
     エコトープ2,3,4,6,7,10:消滅ないしはほとんど消滅した。
    エコトープ5:御笠川上流部の北谷,水城の近くに位置する国分集落南に広がる緩斜面,二日市市街地の西などにわずかに残存。
     エコトープ8:大規模に拡大。
     エコトープ9: わずかに点在するのみとなった。
     エコトープ11:ほとんど変化なし。
     以上のように,農業的土地利用はわずかに残存するのみとなり,森林も半減した。減少した部分は市街地に変化した。また,大正期にはなかったエコトープとして次のエコトープが新たに生じた。
     エコトープ12:火成岩地の人工改変地の市街地。春日市や大野城市の牛頸川上流山地・丘陵地のうち標高約150mまでの地域,および太宰府南の高尾山付近はほとんどが人工改変され市街地となった。
     エコトープ13火成岩地の人工改変地のゴルフ場・その他。12とほぼ同じ山地・丘陵域が人工改変され,ゴルフ場や霊園として造成されたエコトープである。
     その他,山地地域にはダム湖が造られ,河口には埋立地に市街地・工場等ができた。

     今後は,この景観生態学図の精度を高めることと,現地での景観生態学的調査を実施して,景観の構造と機能を詳細に明らかにしていきたい。
  • 2007年能登半島地震での津波対応状況を踏まえて
    林 紀代美, 青木 賢人
    セッションID: P627
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.活動の位置づけ
     2007年3月25日に発生した能登半島地震では,輪島市を中心に家屋やインフラ,生活などに様々な被害,影響が確認された(詳細は,青木・林,2007a).一方,同地震は海底で発生したものの地震の規模が小さかったこともあり,大規模な津波が発生しなかった.青木・林(2007b)で報告するように,輪島市・志賀町の中学校の生徒・保護者を対象としたアンケート調査によると,海岸線を抱える地域での強振動をともなう地震であったが,地震発生時に津波の想起や避難の実施に至らなかった住民が少なからず存在していた.同地域では過去にも,日本海中部地震などによる津波を経験していたにもかかわらず,住民の津波に対する警戒意識や避難行動に課題がみられた.
     今後,津波が発生した際に,迅速かつ適切に避難行動が取られ,人的被害を最小限に食い止めるには,地域住民が日頃から地域の環境特徴やそれにともない負うことになるリスクを把握し,避難場所・経路や避難方法などを認知,確認しておくが重要である.そこで本研究では,地域住民の津波や避難行動への関心醸成や避難場所・経路の理解を支援する活動に取り組むことを目的とする.

    2.活動内容と今後の取り組み
     本研究では,アンケート調査に対し協力を得た中学校のうち,輪島市東部に位置する南志見中学校校区を事例に取り上げる.支援活動ではまず,現地調査により津波被害の危険性が考えられる場所・範囲や,避難に利用し得る場所・経路を確認,記録した.それを元に,県・市の地域防災計画の情報や,発生時間帯・季節等の条件変化にも考慮しながら,警戒すべき範囲や利用可能な避難場所・経路を地図化した.
     南志見中学校校区では,海岸線と丘陵にはさまれた狭い低地部や,丘陵に刻まれた谷沿い,南志見川河口付近の標高の低い谷底平野に居住する住民が多い.「津波避難マップ」では,避難場所・経路を提示する際に,上述の地域特徴や負うことになるリスクにも触れながら取るべき行動等を解説し,視覚的に認知・記憶できるように関係地点の写真を添付した.今後の取り組みとして,中学校や地域にマップを贈呈し,これを用いて実際に歩いて避難経路・場所を確認するワークショップの実施や,津波や避難行動についての授業提供を検討,準備している.
  • 梶原 宏之
    セッションID: P628
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/11/16
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    1.はじめに
     阿蘇山という名の山はなく、阿蘇山とは噴煙を上げる中岳を中心とした中央火口丘から周囲128kmにおよぶ世界最大級のカルデラ(東西約18km、南北25km)と、これをとりまく外輪山全体の総称である。阿蘇地域には壮大な草原生態系が広がることからそこに生息する稀少な草原性動植物のジーンバンクともなっており、昭和9年にはわが国初の国立公園にも選ばれている。合併前の旧阿蘇郡12町村の面積は約1,200平方キロメートル、人口は約8万人であり、主な産業は農林牧畜業と観光業である。
     年間およそ2,000万人の観光客を魅了する阿蘇の大草原だが、しかしそれが人間の営みによる二次的生態系だということはあまり知られていない。阿蘇の草原は、阿蘇で畜産農業を営む地元農民とその牛馬たちが、長い年月をかけて阿蘇の自然環境と関わり続けたことにより生成された文化生態系である。それが昨今、牛肉自由化やBSE問題、農畜産業の構造変化などにより、畜産農業のフィールドとしての牧野(草原)の需要が変化し、今後この草原を 維持保全すべきかどうかが大きな社会的問題となっている。これが阿蘇地域における草原問題である。
     本論では、阿蘇地域が人間の手が入らない自然ではなく、人間の手が入ったことにより生成された稀少な自然であるという地理的情報を、如何に社会に普及教育することが効果的であり、また可能なのかを、フランスで考案されたエコミュージアム(エコミュゼ)の理論を用いて実践検証することを目的とする。

    2.方法と成果
     阿蘇地域の草原問題に関する地理的情報を収集保存し、調査研究し、普及教育するためのシステムとして、阿蘇地域全体を博物館とするエコミュージアムを立ち上げ、学芸員をおく。学芸員は地域社会の中で参与観察にあたり、地域の人びとと共に草原を維持管理するための作業(野焼き・放牧・採草)を担いながら調査研究を進め、地域にとって必要な地理的情報の普及教育をはかる。
     具体的には博物館法にのっとり、博物館の主要な機能として常設展・企画展・特別展をおく。常設展では、阿蘇地域を訪れる人びとにフィールドで直接案内することにより、阿蘇の草原がおかれている社会的・環境的状況について普及教育する。企画展では、阿蘇の草原に関する企画展示を実施。人形ジオラマを用いた草原物語のストーリー展示を作成し、物産館など公的な場所で公開してその普及をはかる。特別展では、全国から阿蘇地域を訪れる修学旅行生たちに、実際に牛馬を飼育する畜産農家を直接紹介することにより、その交流を通して生きた地理的情報を子どもたちに普及教育すると共に、学校教育と社会教育の融合(いわゆる学社融合)を模索した。いずれも学校教育関係者には好評を得、その効果が期待されたが、なかでも特別展の取り組みはこれを始めた2001年度には岐阜県からの1校のみだったものが、2003年度には7校、2004年度には9校、2005年度には10校、2006年度には12校と年を経るにつれて増加している。また、博物館の活動を応援する友の会会員の数も年々増加傾向にある。

    3.考察と課題
     本論における問題点を整理すれば、次の2点があげられる。1つは、草原保全という思想そのものの是非に関する議論で、阿蘇地域の草原をこのまま維持保全すべきか否かについて、伝える側の地理学者がその哲学を明確にしなければ如何なる普及教育も効果は望めない。次に、その普及教育の手段としてのエコミュージアムが果たして妥当かどうかの判断がある。日本ではエコミュージアムは博物館ではなく地域づくりの目的として捉えられることが一般的であるため、この看板に固執して社会的環境問題を解決しようとすることは 得策ではないとも感じられた。いずれにせよ、自然および文化の総体に関する地理的情報を今後社会にどう還元していくかは、これからも大きな地理学上の課題であろうと思われる。
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