日本地理学会発表要旨集
2007年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の232件中151~200を表示しています
  • 白石 喜春
    セッションID: P801
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     本研究は高松市核心部を調査対象とし、低密度拡大型の市街地構造の形成に一役を担っている業務管理機能の立地動向分析を通して,経済的諸機能の流出要因,離心化現象による都市空間への影響を検討した。
     高松の業務系建築物の空室率は他の主要都市と比較しても極めて高い増加率を示しており、中心部の粗放化が深刻化している。その原因として業務管理機能の縮小が挙げられ,独立した圏域が存在していた四国に本土と3架橋で結ばれたことでストロー現象が発生したこと,また業務管理機能の郊外化が挙げられ,中心部のアクセス環境の劣化,道路交通網の郊外における整備により,郊外において近接性が増したことが背景にある。高松は拡大型の都市整備に伴い都市活動そのものが停滞傾向にあり,さらなる衰退を招く恐れがあることから,多様な経済的諸機能が集積した中心性の高い都市構造の構築が求められ,郊外の都市基盤整備に代わって既存の都市中心部への重点的な投資が必要であると考えられる。
  • 水野 惠司
    セッションID: P802
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    【はじめに】 近年,子どもへの犯罪に関して,学校や地域単位で学校安全地図を作ることが急速に全国にひろまっている。ひったくりなど一般的な犯罪に対しては,発生地点の空間的分布を周辺の環境や社会的因子で分析した研究が見られるものの,子どもへの犯罪については,この種の研究がほとんど見られない。そこで本研究では,大阪北部の郊外地域を事例にして,発生地点分布の最近隣分析,町丁単位や学校区単位での発生頻度と社会的諸指標との単相関分析,ラスター地図を用いた発生地点と土地利用との重ね合わせ,距離分析を行った。
    【調査地域および資料】 調査対象は大阪市都心域北部の大阪府と兵庫県にわたる20km四方とした。北端に山林や農地,南端に商工業地を含むが,他の多くは住宅地が分布している。犯罪資料は,両府県警察のホームページにある2006年の子ども犯罪地図から得た。ここには子どもへの犯罪被害のうち,声かけ,公然猥褻,粗暴犯,つきまといなどの犯罪種が番地精度の発生地点でWebGIS上に示される。社会的背景資料は平成12年国勢調査,13年事業所統計,国土地理院数値地図5000(土地利用)(2001),背景地図は国土地理院数値地図2500(空間データ基盤)から得た。
    【分析結果】 山林河川海面を除く実面積300km2の中で,犯罪発生768地点の最近隣平均距離は278mであった。一方地域内にランダムに犯罪が分布していると仮定した場合の平均は312mと計算され,最近隣指標は0.89となり,ランダムではなく,複数箇所に弱く集中する傾向が見られた(図1)。 地域内の町丁数は2950あり,各町丁内の犯罪発生数の最大で5件,平均は0.26件と少なく,大半の町が0~1件である。したがって,町丁目ごとの発生頻度を比較するためにはサンプル数が不足していると判断した。中学校区単位での発生数の平均は6.9件,最大は25件となる。校区間で有意な差異が見られた。総人口と0.52の相関係数が見られ,他15歳未満人口などいくつかの人口指標との相関が見られた。 犯罪発生地点と土地利用との関係を見るために,10m四方を単位とした2000×2000のラスター土地利用図と犯罪地点との重ね合わせ分析を行った。調査地域全域の中で,農地,空地,低層住宅,密集低層住宅,中高層住宅,商業地,工業地,道路,公共施設の土地利用区分が占める面積比と,犯罪地点から25m円内で,これらの土地利用区分が占める面積比を比較した。低層住宅と道路は,全域に占める面積比(25%と19%)と同様に犯罪発生地点でも同様の高い面積比を示した。高層住宅では,全域の7%よりも6ポイント犯罪地点が高い。密集低層住宅(2%)と商業地(9%)でも犯罪地点の2ポイントの増加が見られる。一方農地(6%),工業地(6%),公共施設(19%)では犯罪地点での面積割合が大きく減少する。 犯罪発生分布に空間的な影響の大きい因子と予想される,駅,主要道路,商業施設および小中学校の位置からの距離と犯罪発生地点頻度との間には,相関はほとんど見られなかった。 土地利用の中で大きな割合を占める住宅三種と商・工業地では,互いの隣接部や混在地に犯罪が多発する傾向が見られた。これを定量的に評価するために,ラスター土地利用図を用いて,各セルから300m四方内に含まれる住宅地域と商工業地域との面積比を計算し,住宅地専用地の0から商工業地の占める面積と共に1まで連続的に変化する「住宅地に対する商工業地の卓出度」を図化し,犯罪発生地点とを重ね合わせ,面積頻度分布を算出した(図2)。結果として,調査地域全域の頻度分布では,住宅に対する商工業地の卓出度0の住宅専用地が25%を占め,そこから連続的に減少し,0.8から1.0の商工業専用地の頻度は2%から4%となる。一方,犯罪発生地点の頻度分布では,住宅専用地域の頻度が16%に,商工業専用地がほぼ0%に減少する。替わって住宅地に対する商工業地卓出度0.1~0.4の領域の頻度が高まっている。この領域は住宅地と商工業地との隣接地または混在地に相当する。
    【考察およびまとめ】 子どもへの犯罪研究の場合,犯罪定義の困難,高い暗数,犯罪不安の変動が資料上の問題点である。結果として,明瞭な犯罪集中地点の検出は難しかった。発生頻度の町丁単位での分析は困難であったが,中学校区は被害者の年齢層や行動範囲と対応し,合理的な分析単位となった。環境犯罪学では,目標物の存在,犯行地点への接近性,犯行地点での監視性と領域性とが犯罪発生に関るとされる。今回の結果,中学校校区単位での発生頻度の人口指標との相関や土地利用の住宅地での発生が多いことは,目標物の存在(子どもの数)の要因が大きいことを示している。さらに住宅専用地と商工業専用地との隣接あるいは混在地に犯罪が多いことは,このような場所が、住宅専用地や商工業専用地に比べて、より容易な接近性、弱い領域性、低い監視性をもつことと反映している。
  • 上海市朱家角保全地区を事例として
    李 任官
    セッションID: P803
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I .はじめに
     江南水郷とはその名のとおり、古い町並みを残す水郷である。中国江蘇省南部と浙江省北部に分布し、活発な経済活動を通じて形成された、農村と都市間の集落形態である。「水郷古鎮」の姿、街の構造を今も昔のままに完全な形で残している。まちは川を中心として形成され、橋で結ばれ、川沿いに家々が立ち並ぶ。奥行きのある家、広い庭、通りに突き出た建物、川に臨む水閣などが主なイメージなのである。しかし、歴史文化名城としての朱家角は新しい町の発展とともに保全地区の保護が課題となった。つまり、何をいかに保全し、何を開発するかが重要な課題になったのである。
    II .研究方法
     まず保全対象としては江南水郷の全体的な特徴(古鎮の姿、レイアウト、町並みなど)をはじめ、朱家角の町並みを形成する特徴的な要素(水、建築、街道、橋、空間レイアウト)を明らかにした。また、保全方法としては、具体的な歴史保全建築(文化財)などから古鎮の姿に至るまで、その保全の在り方を考察した。
    III .朱家角の特徴的な要素
     資料と現状調査によって、朱家角保全地区の特徴は以下の要素があることが明らかになった。
     ・水:水は朱家角保全地区の姿にとって一番重要な要素であり、5つの河によって「大」字形の水網空間レイアウトがはっきり見える。
     ・建築:建築の高度、建築の色、建築材料、屋根の形式、建築の体積など、それらの全般的な印象が水郷のイメージを構築する。
     ・「街巷」、道:朱家角の路地は多く、狭く、古く、迂曲しているのが特徴である。
     ・橋:朱家角の橋は重要な交通施設だけでなく、主な景観要素でもある。
     ・空間レイアウト:川沿いに建物が立ち並んだ結果、街道は狭くて、通りの建物は突き出たのが普通である。
    IV .保全方式
     歴史的建築と橋の中で、文化財と指摘された対象に対しては「文物保護法」が適用し、点的な保全が確保されるし、さらに「歴史文化風貌区保護計画―控制性詳細計画」による核心保全範囲の確定と建設抑制範囲も確定され面的な保全策を取られている。また、法律面でも「上海歴史文化風貌区と優秀歴史建築保護条例」により核心保護区範囲内の建設に対しては様々な規則がかかっている。しかし、新町の切迫な建設の需要、建設と保全の矛盾からみると、もっと具体的なもしくは厳しいガイドラインが必要であると思われる。
    <主要参考文献>
    王景慧,阮仪(人+叉)三,王林.(1999) 『歴史文化名城保護理論と計画』.同済大学出版社.
    張松 (2001).『歴史城市保護学導論—文化遺産と歴史環境保護の整体的な方法』.上海科学技術出版社.
  • 松岡 恵悟, 玉田 浩之, 河原 大, 矢野 桂司
    セッションID: P804
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     近年、わが国の生活や産業の近代化を支えた近代化遺産の文化財的価値が認識されるようになった。近代化遺産とは、幕末から昭和の戦前までに西洋の技術や様式を取り入れてつくられた学校、庁舎、教会、住宅、店舗、銀行、工場、倉庫、ダム・発電所、橋梁、鉄道・港湾施設などの建築・土木建造物であり、その多くは現役で使用されているものである。またここ数年、これらは「ヘリテージング」と呼ばれる新たな観光レジャーの対象としても注目されつつある。しかしながら、現在、多くの近代化遺産は撤去の危機にさらされている。とくに都心部の商業用建築の場合は、もともと土地の利用価値が高いことから、再開発を余儀なくされ解体されることも多い。
     京都市では明治以降、目立った震災や戦災がなく、京町家や社寺建築に代表される歴史的建築が多数存続しており、それらが京都の町並みイメージを形成している。それに対し近代化遺産は相対的に数こそ少ないものの、他都市に比して豊富であり、また京都の社会が西洋近代を受容していった過程を知るうえで、重要な要素となっている。報告者らは京都市に現存する近代化遺産を把握し、GISとVRを融合させてデジタル・アーカイブ化を進めてきた(松岡ほか,2006)。この報告では、あらためて京都市が平成16年にまとめた「京都市近代化遺産調査」をベースに、再調査・作成したGISデータベースに基づき、京都市における近代化遺産の空間的分布および滅失等の動向について説明する。
     「京都市近代化遺産調査」の結果は京都市文化財保護課により2005年に『京都市の近代化遺産〈産業遺産編〉』、2006年に『同〈近代建築編〉』として報告書が刊行された。この調査は1997年ころ悉皆調査として行われたもので、「産業遺産編」に409件、「近代建築編」に1704件が収録されている。これらに他の既存刊行物等に記載された33件をあわせ、合計2146件の近代化遺産について報告者らが位置と現況の再調査を行い、GISデータベース化した。その空間分布を右図に示した。
     都心部には煉瓦造やコンクリート造の金融・商業・行政庁舎などの近代建築が多く残っている。大学や小・中学校の校舎も重要な構成要素である。また住宅は最多の859件で、従来から富裕層が多く住む左京区から北区にかけて多い。これらは大正末期から昭和初期にかけて土地区画整理事業が展開され宅地化した地区が多く、当時の進取の気性に富んだ資産家や知識階層が西洋の建築構法やデザインを住宅に取り入れたためであろう。
     なお、これら近代化遺産は所有権の移転や居住者の世代交代、建物の老朽化にともなって建て替えられるケースが多く、急速に減少している。「京都市近代化遺産調査」が行われた1997年ころから報告者らの2006年の調査の間に約400件(不明含む)の近代化遺産が解体・改築された。近代化遺産の継承への社会的関心が高まるなかにあって、文化財指定等の基礎資料ともすべく、今後もデータベースの更新と分析の継続が重要である。
    <文献>
    松岡恵悟・河原大・矢野桂司 2006.京都市内に現存する近代建築の空間的分布.日本地理学会発表要旨集 69: 264.
  • 大坪 浩一
    セッションID: P805
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     医療資源の適正配分を行うには、地域住民の医療需要と医療資源との関係について検討する必要がある。医療資源については、公表された行政資料により、ある程度は把握可能である。一方、地域住民の医療需要については、住民の受療行動を含む生活行動の実態を把握することなく、行政区域ごとの受療率のような統計指標を用いて、単純に議論することは好ましくない。大規模な受療行動調査はこれまでもいくつか行われているが、それらは市町村単位の分析にとどまり、被調査者の細かな属性や、より狭い範囲の様々な生活行動について調査されていないことから、既存の調査資料だけで、医療資源の適正配分に関して議論することは難しい。
     そこで本研究では、これからの日本の高齢社会を反映すると考えられる一つの地域を事例として調査を行い、多様な属性の住民の受療行動について、連続する生活行動(購買、通勤、通学など)の中で把握することにより、医療需要と医療資源との関係を明らかにすることを目的とする。
  • 戸祭 由美夫, 出田 和久, 平井 松午, 小野寺 淳
    セッションID: P806
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    本発表は、戸祭を代表者とする科研共同研究「北海道・東北各地所蔵の幕末蝦夷地陣屋・囲郭に関する絵地図の調査・研究」の成果の中間発表である。2006年8月に弘前市立弘前図書館にて館蔵の貴重な弘前藩による幕末蝦夷地関係の絵地図を閲覧させていただいた。その中で、函館市立函館中央図書館・盛岡市中央公民館・宮城県立図書館のいずれにもなかった弘前藩箱館千代が岱陣屋に関する数枚の絵地図を閲覧・撮影することができた。仙台藩による同名の陣屋から約半世紀を経て再建された、弘前藩の蝦夷地遠征の拠点たる陣屋に関して、その建築プランの変化を極めて具代的に示す内容で、元図の上に貼付された張り紙状況を、表と裏の両面からデジタル写真撮影してお示しする次第である。
  • 「長岡京北・平安京南棊局設計モデル」の畿内盆地への展開
    中塚 良
    セッションID: P807
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     2006年度春季大会ポスターセッションにおいて長岡京・平安京間の連携的設計モデル(「棋局」モデル)構築過程を紹介した。今回は続編として古代宮都群の立地する畿内盆地にモデル域を広げその適否について検討を加える。故中山修一・足利健亮・高橋美久二各先生ほかが推進された宮都地域のグラウンドデザイン研究に後続するテーマとして深化を深めたい。
  • 朝水 宗彦
    セッションID: P808
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     本研究におけるユニバーサル・デザインとは、外国人や身体障害者、高齢者、妊婦、子連れの人々など、一般的な施設や設備では使用が不便である人々と、一般の人々が共に使いやすくするために作られたものを指す。バリアフリーと似ているが、特定の人々を目的として設計されたのではなく、より多くの人々にとって使用が容易になるように開発されていることがユニバーサル・デザインの大きな特徴であろう。日本のように経済が十分発展し、なおかつ少子高齢化と国際化が進行中である場合、観光のように移動を伴う余暇活動はすべての人々にとってその機会が開かれるべきであろう。しかし、現実的には様々な物理的および社会的な改善点が存在する。
     本研究では、車椅子を用いている高齢者やベビーカーを用いている乳児の旅行などに研究者が同行し、実際に施設や設備を使用することによってユニバーサル・デザインの現実的な有効性について調べた。日本だけでなく、国際的に良く知られている国や地域と比較することにより、観光客に対するユニバーサル・デザインの問題点について考察していきたい。
  • 近代の国幣中社大物忌神社に注目して
    筒井 裕
    セッションID: P809
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    ●はじめに
     1871(明治4)年,太政官布告により,政府は国内の神社に社格を付与した.1945年までに,内地には208の官国幣社が成立しており,その約半数が社格を変更させた.この点から,近代の神社の社格は非固定的なものであったことがわかる.多数の官国幣社で社格の変更がなされたにもかかわらず,これらが発行した神社史の多くは,その背景や方法を曖昧に記述するにとどまり,この点を詳細に把握することは困難となっている.だが,一部の神社史には,各神社の神職や氏子が府・県令(知事)を仲介役とし,教部省(内務省)に社格昇格を出願し,これを果たしていたことが記されている.神社側の請願は全て承認された訳ではなく,要望通りに昇格できなかった神社もある.このような神社では,政府に対する請願を幾度も繰り返す傾向にあった.
     本研究の目的は,非固定的な性質をもつ近代の神社の社格が,氏子地区にいかなる影響を及ぼしたかを,国幣中社大物忌神社(山形県飽海郡)の社格昇格活動に注目し,当時の文書の分析を通して解明することにある.
    ●大物忌神社の社格昇格活動
     1871年に国幣中社となった大物忌神社は,秋田・山形の県境に位置する鳥海山(2,236m)を「大物忌神」とみなし,祀る神社である.同社は鳥海山山頂部の本殿とふたつの里宮(吹浦口ノ宮・蕨岡口ノ宮)で構成される.元来,同神は鳥海山山麓に居住する鳥海修験集団により祀られてきたが,1871年以降は,国家が派遣した官吏待遇の宮司と修験世帯出身の神職が運営する大物忌神社がこれを担った.現地調査から,明治初期・中期に同社の神職や氏子が社格昇格活動を行っていたことがわかった.
    (1)明治初期:大物忌神社による最初の社格昇格活動は1873(明治6)年に確認される.これは,同社の神職が教部省に,吹浦口ノ宮境内内の「月山神社」を官国幣社に指定するよう願い出たものであった.同口ノ宮では,鳥海山の神を祀る「大物忌神社」と月山の神を祀る「月山神社」の2座を同格の神社として祀ってきたが,当時,後者には社格が与えられていなかった.この請願は,1874(同7)年に吹浦口ノ宮と同様に月山を祀る「田川郡の月山神社」が国幣中社に昇格したことにより棄却され,同口ノ宮の月山神社は「国幣中社大物忌神社摂社」となる.翌年,大物忌神社の神職は「飽海郡の月山神社」が古い歴史をもつ式内社であることを根拠とし,これを「田川郡の月山神社」と同様に官国幣社に列するよう酒田県に求めるが,これも棄却される.
    (2)明治中期:それ以降も,大物忌神社の神職は山形県に対して社格昇格の請願を継続しており,その氏子は政府からの吉報を心待ちにしていた.だが,1884(明治17)年に昇格を果たしたのは大物忌神社ではなく,「田川郡の月山神社」であった.「田川郡の月山神社」の官幣中社昇格に刺激を受けた鳥海山崇敬者は,署名活動を展開し,大物忌神社の神職に対してその社格を「官幣大社」まで高めるよう強く迫る.この署名活動には,鳥海山山麓の住民-すなわち秋田県由利郡と山形県飽海郡の氏子総代と鳥海修験集団の代表者-が参加した.鳥海山山麓の住民が大物忌神社に最高位の社格「官幣大社」を望んだ理由として,(a)彼らが鳥海山からの流水を利用して生活を営んできたために,鳥海山が「最も重要で身近な神」であったこと,(b)国史の記述が大物忌神社の威信を回復し,最大限に高め得る根拠になると鳥海山崇敬者が認識していたこと,(c)彼らが,最高位の社格が鳥海山の参拝者数を増加させ,山麓周辺地域に経済的効果をもたらす要素になると捉えていたことなどが挙げられる.彼らの「世論」を受け,大物忌神社の宮司ら神職は,1885(明治18)年秋期に東京へ出張し,同地在住の政府の要人に社格昇格の打診を試みる.だが,要人との面会の約束を取り付けること自体が困難であり,この請願活動は結実しなかった.
    ●結論
     近代の神社の社格が氏子地区に与えた影響として次の3点を挙げることができる.(1)「昇格可能な社格」は,これをもつ神社とその氏子地区内において,規模の大小はあるものの,その昇格のための請願活動を幾度も発生させる要因となった.(2)「より上位の社格」は参拝者数を増大させ,神社を中核とする氏子地区に経済的効果をもたらすという「期待感」を氏子間に抱かせるものであった.また,これは「より低い社格」をもつ神社の氏子の間に「嫉妬心」を抱かせる要素ともなった.(3)「社格」は,神職や氏子に神社と主祭神の由来を再確認させる機会を与え,これは彼らに特定の神社や氏子地区に属するという自覚を著しく高めさせる効果をもたらすものとなった.
  • 大山 修一
    セッションID: P810
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     ジャガイモは南米・アンデス山脈を起源地とするが、現在では世界中に伝播し、さまざまな地域で食生活に取り入れられている。ジャガイモを植え付けるまえには、堆肥や厩肥を入れて土をやわらかくし、やや深めに耕し、丁寧に土のかたまりを砕き、透水性と通気性の良い土壌にするのが推奨されている。また、植物の三大元素である窒素やリン酸、カリウムを多く必要とし、収量を上げるためには肥料を多めに投入するのが良いという。ジャガイモは三大元素のなかでも、とくにカリウムを多く吸収することが知られている。このようなジャガイモの特性は、どこから来ているのだろうか。アンデス山脈でフィールドワークをしてきた経験から、ジャガイモの野生種がどこに生育しているのかを紹介し、ジャガイモの特性の謎を解き明かしていきたい。
     発表者は2002年にペルー共和国アヤクーチョ県パンパ・ガレーラスにて、ビクーニャ(Vicugna vicugna)の生態調査を開始した。パンパ・ガレーラスでは6か村がビクーニャを保護・管理し、それぞれの村が政府の許可のもとで年に1度、毛を刈り、販売している。そのうちの1村(ワユワ村)の監視小屋(標高3980m)に住み込み、その周囲において気象観測や植生調査、ビクーニャの生態を調査している。ビクーニャは群れを形成する。群れには、”familia(家族群)”、”tropilla(若オス群)”、”solitario(はぐれオス)”の3種類がある。家族群は単雄単雌あるいは単雄複雌であり、すべてのメスは家族群に属している。オスは1才までの幼少期を母とともに家族群で過ごし、若オス群に移る。若オス群は10-80頭の集団を形成し、離合集散を繰り返す。若オスは群れに属しながら、メスとつがいになる機会をうかがい、7-9才までのあいだに家族群を形成する。そしてオスは10-11才になると、家族群から追い出され、はぐれオスとなる。ビクーニャの寿命は13-15才である。ビクーニャは決まった場所に糞を排泄する習性をもち、複数の糞場を囲むように行動圏をもつ。夜間には、糞場のちかくで寝ることが多い。調査域(6.8km2)には3398カ所の糞場があった。
     パンパ・ガレーラスでは、60種ほどの草本(うち同定種50種)が生育している。ウシノケグサ属、ノガリヤス属、スティパ属などのイネ科草本が優占し、パンパ草原を形成しているが、ビクーニャの糞場周辺には特異な植物群落がみられる。この糞場には1m2あたり7.7-28.7kgの糞が4-13cmの厚さで蓄積し、1カ所に216kgの糞が蓄積することもある。糞場には窒素や炭素、カリウムやマグネシウム、カルシウム、リンなどの土壌養分が大量に集積し、ジャガイモの野生型であるSolanum acauleが群落を形成する。
     S. acauleは4倍体のジャガイモで、ペルー、ボリビア、アルゼンチンに自生する。生育域は4000-5000mの間で、ビクーニャの生息域と一致する。S. acauleが栽培化された交雑種S. juzepczukiiは3倍体で、S.acauleと同様にアルカロイド性の有毒成分ソラニンを含む。人びとはS. juzepczukiiの塊茎を凍結、脱汁、乾燥することで、苦みをとりのぞいている。この加工食品は一般にチューニョと呼ばれる。
     S. acauleは地上部に茎がなく、葉が地面のうえに広がって、漿果を保護している。塊茎は9-14mm、重さ0.2-2.3gと非常に小さく、この大きさは糞に由来する土壌層の厚さと関係がある。また、野生型ジャガイモは人間のゴミ捨て場やトイレの近くに自生するばかりではなく、ジャガイモ畑の雑草としても生育する。しかしS. acauleは、一定の場所に糞をするというビクーニャの生態とむすびつき、人間が南米大陸に到来する以前には、ラクダ科動物の糞場を生育場所としていたのではないかと考えられる。
  • 松井 孝雄, 山元 貴継, 内藤 健一, 太刀掛 俊之
    セッションID: P811
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    目的
     本研究の目的は,これまでに地理学・心理学で行われてきた地図描画による空間表象研究の方法論をめぐって,大規模なサンプルの分析を通じて総合的に再検討することにある。昨年度春季大会の発表(1)においては,分析の指標として用いるべき特性について,過去の研究をもとに検討した。
     今回の発表ではその成果として,主に描画された空間の規模と手描き地図の特性との関係について分析する。分析に用いた手描き地図は、中部大学の教養科目でアンケート形式で描画させたものである。今回用いた分析指標は以下の通りである。
     ・描画領域(学内・町内・市内・隣接市内・県内外)
     ・ランドマーク・エッジ・パスの数
     ・距離表現の有無(なし・あり)・方向表現の有無(なし・あり・誤り)
     ・図の性質(線的・中間的・面的)・図式(絵画・絵画/平面・地図)
     ・図の上方向に相当する方角
     ・図上での自宅-大学の軸、自宅からの出発方向
     ・途中省略記号の有無・分割の有無
    この基準に従って,約2,100人分のデータを数値化した。今回はそのうち,描画領域が明確であった1,787人分のデータを用い,描画領域の規模とその他の特性との関連について述べる。
    分析の結果
    <距離表現と方向表現>
     描画領域ごとに,手描き地図に距離および方向が表現されているかどうか,また,方向表現がある場合、それに誤りが含まれているかどうかを分類した。方向表現の誤りとは,たとえば経路内で右折すべきところで左折するかのように表現されているとか,電車の駅の南口に出るはずなのに北口のように表現されているというようなものである。
     表現のありなしは領域の大きさにはそれほど依存しないが、方向表現の誤りは規模が大きくなるほど増加する傾向のあることがわかる。ただし、その傾向は移動手段(車か電車かなど)にも依存している可能性がある。
    <どの方位を上にするか>
     広い領域を対象にした場合,北を上にした地図を見慣れている可能性が高いため,北を上に描く傾向が強まるのではないかと予想したが、必ずしもそうではなかった。学内・町内・市内など小規模範囲を描いた手描き地図の場合に特定の方位(北と西)が上になる傾向が強いのは,地域的な特性に依存しているのかもしれない。
    <出発方向をどの向きに描くか>
     自宅からの(または大学からの)経路の出発方向が上向きになるとは限らない。単にルートだけを描こうとしているというより,それを含む空間を意識していることのあらわれであると考えられる。
    <出発地-到着地の軸>
     出発地と到着地を結ぶ線が上下になるとは限らない。地図の描画方向(表3)と合わせてみると,北を上にして描画した場合でも描画領域によって性質が異なることが推察される。
    まとめ
     手描き地図の描画範囲の区分については,予想よりも広範囲に被験者が分布していたため,もっとも広範囲として設定した「県内外」のカテゴリに半数以上のデータが入ってしまった。描画領域の分類方法については再考の余地があるが,どの程度の規模ごとに区切るのが適切なのかは自明ではなく,今後の検討としたい。また,表現形式の分類の基準も厳密化する必要がある。
     しかしながら,たとえば描画方向と出発地-到着地軸とをあわせて分析する試みの中で,普遍的ともいえる手描き地図の傾向と,対象地域の地域的特性による傾向とを区別できる可能性が示唆されたのではないかと期待する。今後も,様々な要素どうしをその場でクロス集計できるようにし,新たな発見につながるような手描き地図の定量的データベースシステム作りを模索したい。
  • 居住地と居住年数による認知の差異を中心として
    伊藤 修一
    セッションID: P812
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I.はじめに
     都道府県内スケールでの地名認知に関する既存研究は,主に小中学生を対象とした調査結果から,訪問などの直接的経験や居住年数の長さの重要な役割を示唆している(橋詰ほか 2005,初沢・山本 1988).
     大学生ともなると他県への通学者も少なくない.特に,大学が集中する東京都では都外からの通学者が増加傾向にあり,都内まで認知空間も広がっている者も多いはずである.一方,東京圏外から都内へ進学した者は,大学周辺に転居したと予想される.そのため,彼らの多くは都内に居住しているものの,その認知空間は非常に狭いはずである.
     すなわち,進学などで転入して現住地に居住年数が浅い者のうち,大学周辺へ転居した者と,大学から離れた地域へ転入した者,また進学前から大学周辺に居住する者と,大学から離れた地域に居住する者というように,大学生は居住地と居住年数によって,大きく4つのタイプに分類され,それぞれ異なる認知の傾向が示されるはずである.そのことを明らかにするために,区部に立地する大学の学生を対象として,東京都内の市区町村の名称と位置の認知における,居住地と居住年数による差異を明らかにし,その要因を検討する.
    II.研究方法
     対象地域は東京都であり,ここで扱う市区町村は,島嶼部をのぞいた,2003年7月の調査時点での26市23区2町2村である.調査内容は,主に市区町村の名称とその位置の認知に関するもので,質問紙を用いて50分程度かけて実施された.
     名称認知については,50音順に並べた各市区町村名それぞれを知っているかどうかの2択で回答してもらった.位置認知は,その市区町村を「知っている」と回答した者に対して質問した.回答は,白地図上の各市区町村に付された番号と,回答用紙の市区町村名とを対応させる方法を採用した.さらに,各市区町村への訪問経験(2択)や居住暦のほか,名称や位置をどのようにして認知したかについては自由に回答してもらった.
     対象者は,本学の教養科目の1つである「人文地理学」の履修者の一部の92人である.このうち,埼玉,千葉,神奈川各県に4年以上居住している者(以降,都外4年以上居住者)が40人,都内に4年以上居住する者(以降,都内4年以上居住者)が18人で,これらの大部分は,誕生以来郊外に居住する,いわゆる「郊外第二世代」である.これに対して,大学進学に伴って転入して,都内に4年も居住していない者(以降,都内4年未満居住者)18人と,都外に4年も居住していない者(以降,都外4年未満居住者)が16人含まれる.
    III.市区町村の名称と位置の認知
     居住地と居住年数別に4つのグループに分けて分析を行った結果,名称と位置ともに都内4年以上居住者の認知率が最も高く,都外4年未満居住者が最も低いことが明らかとなった(表1).ただし,どのグループも基本的には居住地からの距離減衰傾向が認められ,それらの分布パターンは調査を実施した大学からの距離によって規定されている.これは訪問などの直接的経験との関係が深いことを示唆しており,各市区町村の名称認知率と各市区町村への訪問経験のある者の割合との間の相関係数は,いずれのグループも0.7台で,1%水準の有意性が認められる.
     都内4年以上居住者に次いで,都内4年未満居住者と都外4年以上居住者の名称と位置の認知率は高く,互いの認知率は近似している.ただし,都外4年以上居住者には,居住地から離れた都内の市区町村への訪問経験がある者が多く,そうした市区町村の名称は,都内4年未満居住者と比べてよく認知されている.また位置認知では,都内4年未満居住者は,居住地からの距離減衰傾向が認められるのに対して,都外4年以上居住者ではそのような傾向は認められず,面積の広さといった地図の読図による視覚的効果がより重要な役割を果たしている.
    IV.おわりに
     本研究では限られたサンプルで検討を行ったが,既存の研究に照らして,おおむね妥当な結果と考えられる.また本研究結果より,直接的経験の有無が居住地と居住年数によって異なり,それが名称認知の明確な差として表れていることを明らかにされた.位置認知においては,地図の読図による視覚的効果も重要な役割を果たしていることを確認した.さらに本研究では,その効果に居住地と居住年数による違いが認められ,それが認知の差として表れていることが明らかにされた.
  • 高野 誠二, 小口 高, ジョシ ヴィーナ, カーリ ヴィシュワス, 柴崎 亮介
    セッションID: P813
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     土地利用図の作成においては、その場所の地理的環境や文化的背景を考慮しつつ、元データは取捨選択され、分類される。それゆえ土地利用図を理解するには、その図がどのような情報を重視し、どのように分類したのかという、作成者の意図や、作成の背景に着目することも重要である。また、土地利用の分類体系やその定義は、図によって異なる。本研究では、インドでの土地利用図の刊行の状況をまとめ、その分類体系についてオントロジー的な視点から検討する。
    2.” National Atlas”刊行から大縮尺土地利用図の作成へ
     インドの国レベルにおいて、土地利用図の刊行を行ってきたのはNATMO (National Atlas and Thematic Mapping Organisation)である。植民地支配からの独立後、中央政府はまず国土の状況の把握を目指した。土地利用をはじめ、森林、土壌などの、国土開発の基礎資料となる小縮尺の各主題図を含んだ”National Atlas of India”の各巻は1980年代に刊行された。
     地域レベルでの開発計画や都市計画などの策定のためには、大縮尺の図が不可欠である。このため、1/50、000で国土をカバーする土地利用図の必要性が、1980年代より指摘されてきた。しかし、隣国との緊張状態が続くインドでは、地形図の使用には大幅な制限が課せられてきた。地形図が利用できないために、土地利用図の作成にあたって、まずベースマップを自作しなければならない場合も多く、大縮尺土地利用図作成の大きな障害となってきた。
    3.土地利用図の分類基準
     ”National Atlas”では、土地利用に関する主要ソースが米国のLANDSATであったため、分類基準も米国のものに少々修正してそのまま使用したとされるが、そのアトラス類には土地利用の分類基準に関する細かい定義などの記載はなく、作成者はあまり関心を払っていなかったと思われる。当時は、まずは国レベルでの土地利用図を早急にまとめることが優先だったので、分類基準の妥当性や互換性を追求する余裕は無かったと考えられる。また、補充データとしての統計類にも不十分、不統一なものが多かったとされ、現地の調査者や作図者の主観的判断に頼った分類を行う必要も大きかったと考えられる。
     大縮尺土地利用図の作成は遅々として進まなかった一方で、各自治体や研究者などが個別に必要な箇所の土地利用図を作成したものも多い。これらは独自の分類体系や様式に従って作成されたものが多く、不統一な様式の個別の土地利用図が多く作成されることになった。また、NATMOは国内都市の地誌を”Urban Studies”として、1987年以降6都市分刊行したが、ここでの土地利用図の様式も不統一で、その中には官公署類の所在まで詳細に記載された、地形図的な特徴の図もみられる。それぞれ9~18設定されている各都市の土地利用分類のうち、全都市に共通した分類はResidential, Commercial, Industrial, Educationalの4つだけで、その他の分類の異同の中には、作成プロセスの違いや、各都市の地理的文化的環境の違いなどに起因すると考えられるものもある。
    4.まとめ
     全般的に言って、インドにおけるこれまでの土地利用図は、分類基準の互換性につあまり関心を払ってこなかった。従来の地形図の利用制限が近年の技術進展で無意味となるにつれ、徐々にではあるが制限は緩和の方向に向かっている。このことは、研究者の労力や関心を、ベースマップ作成から、より充実した土地利用図の作成へと向けることに役立つであろう。また、既存の土地利用図の有効利用のためにも、散発的に作成されてきた土地利用図の分類基準のオントロジー的な整理を一層進めることを通じて、その互換性の無さをカバーしていくことが必要である。
  • フエ県プアン村を事例として
    グェン ホウ ヌー, 金 枓哲
    セッションID: P814
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1. Introduction
     Although Vietnam has achieved significant economic development and poverty reduction since the Doi Moi policy, poverty in Vietnam is still prevailing. Nowadays, poverty is mainly concentrated in rural areas, especially in coastal areas, remote and ethnic minority areas. Besides great achievements that the government and Vietnam people obtained, they have still numerous problems that need to be done in order to continue rapid reduction in rural poverty. It would therefore be very useful to explore the main reasons which lead to the poverty situation and consider the constraints of exiting poverty alleviation programs and to discuss recommendations for more promising options and approaches. Phu An commune is one of 21 communes and towns of Phu Vang district, Thua Thien Hue Province. The total area is 1,128 hectares. A part of the commune’s area is covered by Tam Giang lagoon around 699 hectares for fishing and transportation with diversified biological resources. The residents exploit the lagoon’s resources, while farming on the sandy land at its edges. Administratively, Phu An commune is divided into 4 villages, the population is 8,749 habitants with 1,583 households, 80% of them involved in agricultural production, 15% involved aquaculture and 5% involved handicraft industry and service.

    2. Reasons of Poverty in Phu An commune.
     The survey of poverty in Phu An commune has been constituted of questionnaires for households regarding to the reasons leading to poverty. As a result, main reasons of the poverty as well as those the vicious circle has been extracted as follows; lack of capital, production experience, labour, land; not enough jobs for local people; many children; poor health

    3. Conclusion
     The poor in the rural areas gain their livelihoods in a variety of ways from different types of income and employment. Since the unification, poverty alleviation has been a key objective of the government. In the last 10 years, the People’s Committee of Thua Thien Hue Province as well as Phu An commune has paid a lot of its efforts for poverty alleviation, the initial results are considerable proved that the poverty alleviation strategies has been going on the right way. However, it is far from the final goal due to the poor society is complicated and it requireseffective solutions. This paper has explored an overview of poverty society as a case of Phu An commune, the realities of the poor as well as their difficulties. In addition, the authors also pointed out the constraints of existing poverty alleviation programs such as defining criteria for poverty situation and poverty – escaped household, agricultural extension services, people’s participation in the decision-making process, employment, preserving the environment, health care, land use and water surface use planning.
  • その形式を中心に
    山元 貴継
    セッションID: P815
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    報告の背景と目的
     土地台帳および地籍図といった「地籍資料」に関する研究が,かつて日本の植民地統治下に置かれ,「土地調査事業」などが行われたアジア各地において近年進展しつつある.しかしながらそれらの研究は,報告書などをもとにした「事業」の過程についての説明や,土地収奪の前提となった「事業」の問題点といった制度的な言及にとどまりやすい.そして,実際に調査・作製がなされた土地台帳や地籍図自体については,それらの記載内容だけでなくその現在の所在についても,十分な検討がなされているとはいえない.
     そこで今回は,沖縄・台湾・韓国といったアジア各地における第二次世界大戦以前の地籍資料について,現地においてその実物を確認し,その書式や図式といった記載を比較・検討した.併せて,そこから明らかとなる各地域での「土地調査事業」の過程や同事業などをめぐる基本的な考え方の違いについても紹介する.
    各地域の地籍資料
     アジア各地では,必ずしも現在の土地所有関係などを示すものではない第二次世界大戦以前の地籍資料について,研究を前提に閲覧等が認められることがある.各地域における地籍資料には,以下のような特色が挙げられた.
    ○沖縄(本島) 沖縄戦により焼失したとされる沖縄の地籍資料であるが,土地台帳については,今帰仁村における台帳の書写「土地一筆限帳」の記載項目の順序を見る限り,日本本土の書式に近いものが使われていた可能性がある.また,那覇市宮城では,「沖縄土地整理事業」(1899年~1904年?)当時の地籍図と伝えられるものが発見された.これは実測図ではなく,間切(字レベルに相当)ごとに一枚ずつの不定形用紙が充てられた形となっており,それ以前に作製された絵図等を再活用した可能性がある.この地籍図は,各地筆部分に地番・地目・地積だけでなく,所有者の氏名・住所についても記載があるなど,日本本土の「公図」に似た図式となっている.一方で,那覇から遠いうるま市勝連などでは,同様の地籍図とは別に,「土地整理事務局」の名が記された地籍図が残されている.間切ごとの図となっているものの精度は高く,実測図と思われる.この地籍図は,各地筆部分に地番のほか地目のみが記載されている.
    ○台湾 1898年以降に「土地調査事業」が実施された台湾では,土地台帳の書式は全土で統一されているが,調査時期などに地域差が大きい。台北に近い西海岸ではすでに1907年代前後から台帳記載が始まっているが,東海岸の花蓮縣では,1920年代末になって台帳記載が始まっている地域も存在し,事業の長期化が確認できる.一方で地籍図は実測,地番・地目のみの記載が前提となり,かつグリッドをもとに各図幅の範囲を設定するなど,沖縄と比べて合理的な作製がなされている.ただし,地籍図の作製時期も早い西海岸では,隣接図どうしの接合に若干の難があるなど精度の問題がある.対して東海岸では,急峻な山岳地域および大河の流域に未調査地区が現在まで残り,台帳・地籍図が整備されている地区が飛び地状になっているが,グリッドによって図幅間の位置対応関係が明確に定められ,未測量地を挟んでも地籍図どうしの接合は容易である.
    ○朝鮮半島 朝鮮半島では,市街地や農地を対象とした「土地調査事業」(1912~18年)と,林野部を対象とした「林野調査事業」(1916~24年)とが別に行われた.しかしながら,それぞれの成果としての土地台帳・地籍図と林野台帳・林野図は,面積単位および縮尺が異なるほかは完全に書式などが統一されている.また,精度のほか,台帳の記載開始時期および地籍図・林野図のそれぞれの作製時期についての地域差も少ない.そして,地籍図等は経緯度を基準としたグリッドをもとに図幅一枚一枚の範囲が詳細に設定されており,地籍図と林野図の対応関係も明確である.明らかに,事業に先立って座標系を定めておき,地税に関わる平野部を優先した「土地調査事業」を短期間で終え,追って林野部を調査するという効率化が図られたものと思われる.
    各地籍資料どうしの関係
     以上見てきたように,時間差をもって調査・作製がなされてきた各地域の地籍資料は,その時点での日本本土での土地台帳書式のほか,次第に新たな技術を取り入れて効率的な整備がなされるようになってきたとみられる.とくに1910年前後,地籍図などの作製において本格的に座標系が取り入れられ,あらかじめ隣接図どうしの接合を考慮して各図幅が設定されるようになり,さらには,必要な地区から優先して調査を行うなどの効率化が図られたものと思われる.各地籍資料について,その作製時期などに関する検討が今後も必要であるが,さらなる比較分析を通じて,アジア各地に展開した「土地調査事業」などの具体的な実態が明らかになることが期待される.
  • 立岡 裕士
    セッションID: P816
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     1870年代末から1960年代にかけて(特に20世紀前半)、新聞・雑誌にはしばしば地図が附録としてつけられた。これは、たとえば観光用の鳥瞰図など多彩な地図が一般大衆向けに大量に供給されたことと時期を同じくする、いわば大衆的地図の時代を構成する一つの現象であると考えられる。しかし、中国地図に関する海野(2005)や朝鮮地図に関する桜井(1979)があり、また社会地理学の文脈で事例紹介的に取り上げられてはいるものの、大衆的地図の体系的な研究は十分にはなされてはいない。ここではそのための基礎作業として、特に戦前期の『朝日』・『毎日』・『読売』を中心として、新聞附録として刊行された地図の概要について報告する。
     附録の地図は、そのテーマを基準にすると、おおむね
      a 格別の主題をもたない一般的なもの(日本地図・世界地図など)
      b 鉄道・観光地・名所・名産などを主題とした日本の地図
      c 災害・事変などにかかわる説明的・解説的な地図
      d 戦争などに関係した地域の一般的な地図
    に分類することができる。一方表現としては、「科学的」(ないしはそれに準ずる)地図から、装飾性の強いもの、さらに双六のように地図としては周辺的なもの、までの変化がある。また機能としては、新聞記事の補足として単純に報道的な機能をもつものから、販促的な機能しか考えられないものまでの変化がある(しかしいずれにせよ、時流・時局に敏感に反応することが必要であり、しかも新聞本紙自体が世論を誘導することを多少とも意図していることを考慮する必要がある)。本報告では、ナショナルアイデンティティの形成に対する附録地図の寄与、という観点から地図の記載内容の分析も試みる。
  • 渡邊 眞紀子, アマシャ アンジリニ, 坂上 伸生, 原田 洋
    セッションID: P817
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    Introduction
     The distribution of sclerotium grains, the resting bodies formed by fungal species, and soil fauna diversity was studied in three altitudes of Akita Fagus Forest soils. Both sclerotium grains and soil fauna are considered to play major roles and contribution in soil genesis and soil ecosystem. Thus there is still lack of information of the interaction between the two. This study aims to describe the soil ecosystem structure and interaction between the grains and the fauna among different altitudes.

    Materials and Methods
     Investigated area was located in a fagus forest in Senhoku city, Akita prefecture. Soil samples were collected at the altitudes of 0, 20, and 60 meters, with a triple repeat on each sampling site. The three sites were then named as the B (bottom), S (slope), and T (top) site respectively. L, F, H, and A horizons of each repeat were collected within a 50 x 50 cm plot. Soil fauna found in the L horizon were collected manually, while fauna in the rest of the layers were collected using Berlese-Tullgren method. Collected fauna were further identified, with each individual of each species counted, to obtain the speciess richness and abundance of each site. A description of soil fauna diversity will then be obtained by using the Shannon-Wiener diversity index (H’), whereas the proportion of each species in a community is taken into account. Sclerotium grains in the A horizon were manually collected. Water content, soil pH and Total Nitrogen and Carbon content are also analysed.

    Results and Discussion
     The average moisture content of the B, S, and T sites were 0.452, 0.387, and 0.437v/v respectively. A weight ratio of the L:F:H horizons roughly measured in the field are 1 : 1.42 : 2.46 for the B site, 1 : 2.6 : 2.78 for the S site, and 1 : 2.22 : 2.57 for the T site.
     Soil fauna such as mites (Acari) and springtails (Collembola) are considered to feed on mycorrhiza fungi (Coleman, et al., 2004). Results show that the number of mites and springtail reduce as the number of sclerotium grains found rises. There were no sclerotium grains found at the B1 site, but the most grains were found at the T1. Larger soil fauna found such as nematodes feed on smaller arthropods and are said to fragment plant residues, alter nutrient turnover, promote humification, and stimulate microbial activity in the nutrient cycling (Gobat, et al., 2003). These nematodes were found at the T site and were not found at the B site. There were also less mites and springtails on this site. A food chain of mycorrhizal fungus feeding mites and springtail feeding nematodes is assumed to be responsible for the existing community structure within the sample sites.

    References
    Coleman, DC, DA Crossley, and PF Hendrix. 2004. Fundamentals of Soil Ecology. Second edition. Elsevier Academic Press.
    Gobat, J, M Aragno, and W Matthey. 2003. The Living Soil: Fundamentals of Soil Science and Soil Biology. Science Publishers, Inc.
  • タイ南西部の浜堤列平野の事例
    小岩 直人, 佐藤 麻美, 松本 秀明, タナブド チャルチャイ
    セッションID: P818
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    はじめに
     タイ南西部に位置するナムケム平野とカオラック平野において,2004年インド洋大津波時の津波堆積物の分布・粒度組成と浜堤列内の微地形との対応関係を検討した.また,ナムケム平野の北部において津波時に消失した砂嘴の新たな形成が開始されているのを確認できたので,その地形変化に関する考察を行った.

    調査地域の概観
     ナムケム平野およびカオラック平野は,幅500m~2km程度の平野であり,幅数10mの複数の浜堤とその間の堤間凹地が南北方向に発達する沖積平野である.これらの平野においては,海津(2006),藤野ほか(2006)により,津波の流動や津波堆積物に関する詳細な調査が行われている.しかし,浜堤列平野内の微地形と津波堆積物の粒度組成などの対応関係は明らかにされているとは言い難い.

    浜堤列平野の微地形と津波堆積物
     両平野とも従来の報告と同様,浜堤上では津波堆積物は薄く,堤間凹地では厚いという傾向がみられた.ただし,カオラック平野では堤間凹地では層厚5~10cm前後,浜堤上では津波堆積物が欠損することが多いのに対し,ナムケム平野では堤間凹地で層厚15~30cm,浜堤で層厚5~10cmとカオラック平野に比べて大きくなっている.またこれらの堆積物は内陸部に向かうにつれて,それぞれ層厚を減ずるという特徴を有する.
     浜堤列平野の微地形と堆積物の粒度組成の検討をナムケム平野において行った結果,以下の事実が明らかになった(図1および図2).浜堤と堤間凹地では相対的に浜堤の方が粗粒であるが,浜堤のみで比較した場合,海岸線から500m付近までは2φ前後の中粒~細粒砂サイズの砂が卓越するが,それよりも内陸側ではシルトが主体となり細粒化がみられる.また,堤間凹地では全体的にシルトが卓越し,内陸側にむかって徐々に細粒な堆積物の割合が高くなる.

    Pak Ko川河口部の地形変化
     ナムケム平野の北部に位置するPak Ko川河口部では,津波により砂嘴が消失したことが指摘されているが(海津,2006),2006年8月の現地調査の際には,それ再形成されていることが確認できた.そこで,2003年1月以降の異なる月日の衛星画像(IKONOSおよびQuick Bird画像),および2006年8月(現地測量)により津波襲来前後以降の海浜地形の変化を検討した.
     その結果,Pak Ko川河口部に発達していた砂嘴は,津波時に消失したものの,その後,短期間において再形成を開始していることが確認された.ただし,その形成位置は津波前の砂嘴とは異なり,以前よりも東側(内湾側)に形成され,さらに,砂嘴の発達方向は北西-南東方向(以前は南北方向)に発達していることが明らかになった.また,砂嘴の北側に位置する海岸部では,津波時には侵食を被っていなかったが,津波後から1年6ヶ月で幅50m以上の海岸侵食が進行している.

     本研究は,平成18-21年度科学研究費補助金(基盤A,研究代表者:今村文彦)の一部を使用した.
  • 朝日 克彦, 小松 哲也
    セッションID: P819
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.年次モレーン
     演者らは近年の氷河変動を明らかにする目的でネパール東部,クーンブ・ヒマールを中心に氷河末端位置の観測を行っている.この際,チュクン氷河において連続性の良い"annual moraine(以下,年次モレーン)"様の小規模なモレーンリッジの発達を発見した.そこで本研究では,モレーンリッジの分布を測量により図化するとともに,この地形が年次モレーンであるか検討する.
     年次モレーンはアイスランドやスカンジナビアで発達が知られており,凍結した氷河底ティルが冬季の氷河前進の際に底面氷に貼り付いた状態で衝上して,氷河前縁に小規模なリッジを毎年形成すると考えられている(例えばKrüger,1995).ヒマラヤ山脈においては,ネパール・ヒマラヤ中部のランタン谷のヤラ氷河において年次モレーンの存在が報告されている(Ono,1985)のみであり,特異な地形である.

    2.研究対象と調査方法
     チュクン氷河は岩屑被覆域をほとんど持たないいわゆるC型の氷河で,面積は2.57km2,集水域の最高地点高度は6230m,末端高度は5100mである.涵養域は比高600mの急峻な雪壁に,消耗域は緩やかな傾斜になっており,氷河の規模や形態ともにヤラ氷河に酷似している.過去15年間で氷河末端位置は平均73.6m後退している.
     モレーンリッジは比高2m程度の岩屑から成る高まりであり,現氷河末端から小氷期に形成されたモレーンとの間約1kmの範囲に同心円状に列を成している.このリッジの分布をGPSで測量した.測量はTOPCON社製GP-SX1を用いてキネマティック測位によって行い,観測域の中心に基地局を設置した.移動局は観測者がアンテナを背負ってリッジ上を移動して計測した.観測中に歩測によるルートマップの作成も行い,図化の際の参考とした.2006年8~9月,3週間滞在して観測を行った.

    3.結果
     リッジはチュクン氷河の左岸において現氷河末端直下から下流方向へ連続し,その数は100列近くに及ぶ.右岸については融氷河水流により水掃された可能性が高い.リッジの表面被覆は,現氷河末端直下ではマトリクスをフリーの新鮮な角礫のみから成るが,徐々に遷移して小氷期モレーン直下では草本に覆われるほか,礫の酸化,風化も進んでいる.またリッジ同士の間隔は,氷河付近ではおおよそ10mあるが下流では徐々に狭まり2m程度になる.
     実測にもとづく1989年,2004年の氷河末端とほぼ同じ位置にリッジが存在し,現氷河末端までのリッジの数と2006年までの経年数とは調和的である.これらのことから,チュクン氷河に分布する小規模リッジの連続は年次モレーンであると考えるのが妥当である.
     観測期間中,氷河末端において氷河表面からの落石が頻発し,これが氷河末端の縁に堆積して高まりを形成している様子を目撃した.これらのリッジを形成する礫のファブリックを計測すると,a軸の卓越方向は斜面の最大傾斜線に平行し,傾きは傾斜角に沿う.夏季に氷河の消耗域での融解により取り込まれていた岩屑が解放され,氷河表面を滑動して氷河末端直下に落下し,年次モレーンが形成されるものと考えられる.少なくとも北欧で知られるような,冬季の氷河末端の衝上運動に伴うプロセスとは成因が異なるであろう.
  • 青山 雅史, 天井澤 暁裕, 小山 拓志, 佐々木 明彦, 長谷川 裕彦, 増沢 武弘
    セッションID: P820
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     岩石氷河は山岳永久凍土の存在を示す指標地形であるため,山岳地域の永久凍土環境及びその変遷を明らかにするうえで重要な地形となっている.赤石山脈においては、北部の間ノ岳周辺や仙丈ケ岳などでは岩石氷河に関する研究がおこなわれているが,南部では、岩石氷河の存在が指摘されているものの、岩石氷河に関する現地調査に基づいた研究は皆無である.本発表では,赤石山脈南部の荒川岳周辺に分布する岩石氷河の形態的特徴と,荒川岳周辺における永久凍土環境の変遷に関して報告をおこなう.

    2.調査地域
     調査地である荒川岳は赤石山脈の南部に位置し、悪沢岳(3,141 m)、中岳(3,083 m)、前岳(3,068 m)などの3,000 m以上の山頂高度を持つ三つのピークからなっている。荒川岳周辺にはカールやモレーンなど、過去の寒冷期に存在していた氷河によって形成された氷河地形が多数分布している。この山域には砂岩・頁岩などの四万十帯の堆積岩類が広く分布しているが、悪沢岳山頂付近にはチャート・火山岩類が露出している。

    3.結果および考察
     蛇抜沢源頭部にある悪沢岳北東面のカール内には、カール壁直下の崖錐斜面基部に沿うように岩塊地形が存在している。岩塊地形表層部は,細粒物質を欠いた岩塊層となっている.悪沢岳北東カール内の岩塊地形は、平面形の特徴に基づいて、以下の4つ(WR1~WR4)に分けることができる。(WR1)カール東側の北西向き崖錐斜面の基部に存在し、耳たぶ(ロウブ)状の平面形を呈する。その末端部には多くの部分を植生に覆われた連続性の良いリッジを持つ。地表面は粘板岩または千枚岩の岩塊からなり、偏平な形の岩塊が多い。(WR2)カールの北西から北向き崖錐斜面の基部に存在し、舌状の平面形を呈する。その末端部には、同心円状の丸みを帯びた比高2、3 m程度の複数のリッジが斜面最大傾斜方向に直交する方向に密集して存在している。周縁部は、ほぼ植生に覆われ、切れ目のない丸みを帯びた明瞭なリッジが存在し、その末端部付近の内側(斜面上方)には、閉塞凹地が存在している。前縁斜面は比高19.5 m、傾斜角は34°であり、ほぼ全面的に植生に覆われている。構成礫は粗大な緑色凝灰岩が多く、長径5 m前後の粗大な礫が多く見られる部分もある。(WR3)カール西側の北東向き崖錐斜面基部にあり、ロウブ状の平面形を呈する。末端部にほぼ全面的に植生に覆われた連続性の良いリッジを持つ。表面礫は赤色凝灰岩や赤色チャートが多く見られ、礫の長径は最大4 m程度、平均礫径は30~100 cmである。(WR4)カール西側の北東向き崖錐斜面基部にあり、舌状の平面形を呈する。周縁部には連続性の良い丸みを帯びたリッジが存在し、その内側(斜面上方)には閉塞凹地が存在する。
     それらの岩塊地形には、多くのモレーンに見られる融氷河流の侵食の痕跡は認められず、上記のWR2に見られる同心円状の複数のリッジは、多くの岩石氷河頂面に見られる「畝・溝構造」の形態的特徴と一致している。また、岩石氷河内部の氷が融解すると、含氷率の高い岩石氷河中央部付近は陥没し、周縁部が連続性の良い高まり状の地形として崖錐基部に残存することが知られており,前縁斜面の傾斜は35°以下となることが多い.WR1~WR4は、そのような化石岩石氷河の形態的特徴と合致している。以上のようなことから、悪沢岳北東カール内部に見られるWR1~WR4の岩塊地形は,既に内部の氷が融解した化石岩石氷河と考えられる。
     前岳南東面のカール内部にも化石岩石氷河と判断される岩塊地形が存在する.この岩石氷河は,その表面礫の風化皮膜厚の測定結果から,晩氷期に形成されたものと推定され,最終氷期極相期に形成されたと推定されるモレーンがその岩石氷河と接するよう下流側に存在している(長谷川ほか 印刷中).このことから,荒川岳周辺では,圏谷氷河が形成されていた最終氷期極相期以降氷河の縮小が進行し,晩氷期には岩石氷河の形成・流動が生じるような永久凍土環境下となり,晩氷期以後の気温上昇に伴って永久凍土は融解したものと考えられる.
  • 中村 有吾
    セッションID: P821
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     筆者を中心とするグループは火山ガラスの脱水法(400℃12時間法,Nakamura et al., 2002, JVGR, 114, 499-510.)を考案し,この手法を用いて明らかにした北海道東部地域の完新世テフラの同定・層序について既に報告した(中村・平川,日本地理学会2003春季).その後,知床半島においてテフラ層序の系統的な調査をおこない,その全貌をほぼ明らかにした(中村・丸茂,日本火山学会2006秋季)。本発表では,知床半島での調査結果をふまえ,北海道東部における完新世テフラの詳細な層序を公表する。

    2.主要広域テフラ
     北海道東部地域(北見山地~日高山脈より東側)に分布するテフラを表1に示す。このうち,主要な広域テフラを以下に記す。
    ・駒ヶ岳gテフラ(Ko-g):この地域でのKo-c1は層厚が薄く,比較的保存状態のよい泥炭地でも数mmに満たないことが多いが,分布は広く,釧路,根室,知床の諸地域で認められる。
    ・樽前aテフラ(Ta-a)および駒ヶ岳c2テフラ(Ko-c2):ともに,火山ガラスに富む優白色火山灰である。北海道東部に広く分布し,クロボク土壌や泥炭層中に明瞭に認識できる。 
    ・摩周bテフラ(Ma-b):Ma-bは,摩周火山(カムイヌプリ)から噴出したテフラで,斜里,知床,根室,厚岸付近に広く分布する。Ma-bの直下に,白頭山苫小牧テフラ(B-Tm)が見られる。
    ・樽前cテフラ(Ta-c):Ta-cは,給源から300km以上離れた根室・標津地域においても3~5cmの層厚で観察される。従来「矢臼別層」とよばれていた火山灰(たとえば宮田ほか,1988,1/5万地質図幅)は,Ta-cに同定される。
    ・駒ヶ岳gテフラ(Ko-g):Ko-gは,約6500年前に駒ヶ岳火山から噴出した広域テフラで,厚岸で5cm,弟子屈で0.5cmの層厚で観察される。
    ・摩周火山起源のテフラ:Ma-bのほか,摩周dテフラ(Ma-d),摩周f~jテフラ(Ma-f~j),摩周lテフラ(Ma-l)は,北海道東部地域に広く分布する。Ma-dは標津湿原の泥炭層中で層厚8cm,Ma-g~jは根室半島の段丘面上で層厚15cm,Ma-lは知床半島の南部で層厚15cmである。

    3.知床半島起源のテフラの認定と岩石学的特徴
    ・羅臼1テフラ(Ra-1):羅臼岳山頂から北東820m,羅臼平付近の露頭において,Ra-1は2つのユニットをもつ。上部ユニットは,層厚13cm,粒径40mm前後の降下軽石で,粒径80mm以下の石質岩片を10%程度含む。下部ユニットは層厚1~2cmの薄層で,細砂サイズの火山灰からなる。Ra-1は,スポンジ状火山ガラス,斜長石,斜方輝石,単斜輝石に富む。脱水ガラス屈折率は,n=1.491前後,1.504前後,1.514前後と,多数のモード値を持つ。
    ・羅臼2テフラ(Ra-2):根室海峡にそそぐケンネベツ川の左岸,標高約20m(河口から約230m上流)地点では,Ra-2は,層厚10cm,粒径25mmの降下軽石層である。スポンジ状火山ガラス,斜長石,斜方輝石,単斜輝石に富む。脱水ガラス屈折率のレンジは,n=1.490~1.525と,広く分布する傾向にある。
    ・羅臼3テフラ(Ra-3):同地点においてRa-3は,層厚12cm,粒径20mm以下の降下軽石層である。スポンジ状および繊維状火山ガラス,斜長石,斜方輝石,単斜輝石に富む。脱水ガラス屈折率のレンジは,n=1.489~1.493に集中する。
    ・天頂山aテフラ(Ten-a):Ten-aは,羅臼岳南西約4.5kmにある天頂山火山起原のテフラで,多量の石質岩片のほか,フレーク状火山ガラス,斜長石,斜方輝石などの本質物質を含む。Ten-aの噴出量は約0.02 km3と推定される。

    4.知床半島・羅臼湿原におけるテフラの同定
     北海道の東端に位置する知床半島では,樽前山,駒ヶ岳,摩周カルデラなど遠方の火山に由来するテフラの存在が予想される.そこで,知床半島のほぼ中央にある羅臼湿原(仮称)内の数地点で掘削調査をおこなった。その結果,地表面から1~2m深までの泥炭中にKo-c1,Ta-a,Ko-c2,Ra-1,Ma-b,Ten-a,一の沼火山灰(仮称)の7層を認めた。
  • 瀬戸 真之, 小玉 浩, 立正大学 応用地理測量学研究会, 高村 弘毅
    セッションID: P822
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I.はじめに
     全長数百メートル,幅数メートルから数十メートルの広がりを持ち,山地斜面に分布する岩塊堆積物を岩塊流と呼ぶことがある.瀬戸(2003)この種の堆積物とそれが作る地形について,成因が必ずしも明らかではないことから「岩塊堆積地形」と呼んでいる.本発表でもこの名称を用いる.福島県中央部に位置する安達太良山南麓には「石筵」と呼ばれる地域があり,周辺の斜面には岩塊堆積地形が認められる.本報告ではこの岩塊堆積地形の成因を明らかにし,他の岩塊堆積地形と対比するための基礎資料として,詳細な平面形および縦・横断形状を報告する.

    II.調査地と岩塊堆積地形の概要
     調査地は,安達太良山南麓に広がる斜面の最下部付近の浅い谷の中に位置する.地質及び岩塊堆積地形を構成する岩塊の岩質は安達太良火山の噴出物と考えられる安山岩である.岩塊堆積地形は全長約440mで,その下端は標高約800m,上端は標高約900mに位置し,上端は分水界となっている.幅は30~40mで最大幅は約50mである.岩塊堆積地形を構成する岩塊は径約50cm程度から径約150cm程度で多くは径100cm前後である.岩塊は角が取れて丸まっており,亜角礫と似た形状を示す.この岩塊は風化が進んでいるがハンマーの打撃では金属音がする.岩塊が現位置で割れている様子は認められず,二次的な岩塊生産はないと考えられる.降雨時および降雨直後には岩塊堆積地形の基底と,岩塊堆積地形下端部から斜面下方へ向かって伸びる水路に水が流れる.一部を除き,岩塊はマトリックスフリーに堆積しており,岩塊と岩塊との間の隙間からは木本が生育している.浮き石となっている岩塊も多く認められる.

    III.岩塊堆積地形の形態
     石筵に位置する岩塊堆積地形の平面形および縦・横断形を調査した.本報告では平面形,縦・横断形および地表面の様子から,この岩塊堆積地形を上部からセグメントI~IIIに区分した.
     セグメントIでは岩塊堆積地形の幅が約50mに達し,全体の中で最大である.また,伸長方向の異なる岩塊堆積地形が今回調査した岩塊堆積地形と2カ所で合わさっている.縦断形は全体として上に凸で,概ね滑らかな形状を示すが,部分的には段があり岩塊堆積地形表層部に小崖状の微地形があることが分かる.この小崖状微地形は明瞭で縦断図上のみではなく,岩塊堆積地形を横断するように伸びている様子を現地で視認できる.横断形は全体として凹型で岩塊堆積地形が位置する谷の断面形状を示し,谷底に相当する部分に凹凸が多く認められる.しかしながら,現地観察では,いくつかの断面測線上で谷底部のみならず谷壁に相当する部分にも岩塊が層をなして堆積している様子が認められた.
     セグメントIIの特徴は他の区間ではマトリックスフリーな岩塊がこの区間では埋没していることである.セグメントIIの中央部では幅4mの舗装道路が岩塊堆積地形を横断しており,この道路建設の影響で岩塊が埋没したことも考えられる.岩塊が埋没しているため,正確な平面形状は不明である.平面図には棒で地面を突き刺したり,地表に見えている岩塊の位置などから推定した範囲を示した.岩塊が埋没しているので縦・横断形ともに凹凸は少なく,滑らかな断面である.
     最下流部に位置するセグメントIIIはセグメントIと比べて幅が狭く,岩塊堆積地形の下端が極めて明瞭である.岩塊堆積地形下端からは幅1m程の水路が下流方向に向かって延び,水路の中や周辺には埋没している岩塊が認められる.セグメントIII上半部では縦断面形状が凸型を示し,激しい凹凸が認められる.縦断測線は岩塊堆積地形下端から延びる水路も含めている.縦断径には岩塊堆積地形の下端が遷緩点として現れている.横断形状はセグメントIと同様に凹型を示し,谷底に相当する部分に岩塊を示す凹凸が見られる.しかしながら,セグメントIと異なり,谷壁に相当する部分には岩塊は認められない.

    IV.まとめと考察
     石筵に位置する岩塊堆積地形について,その形態を詳細に調査した.この結果,岩塊堆積地形の形態は全体で一様ではないことが明らかになった.このようにある一連の岩塊堆積地形が部分ごとに異なる特徴を持つ例は瀬戸(2004)が足尾山地の例で報告し,岩塊堆積地形全体が一連の形成プロセスで形成されたものではなく,部分的に異なるプロセスがモザイク状に働き,それらが複合して岩塊堆積地形を形成したと考えた.今後の詳細な調査でデータを蓄積する必要があるが,今回報告した岩塊堆積地形にも同様の事が言えると考えられる.
  • 小松原 琢
    セッションID: P823
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1はじめに
     両白山地の尾根頂部には広く緩斜面が発達する。演者は山地西部で斜面堆積物の大露頭を見出した。

    2調査対象地
     調査対象地域の冠山図幅地域は、美濃帯堆積岩類からなる標高の割に急峻な山地が広がる。ここには標高500~1300mの尾根上に、幅100m以上、傾斜10°未満で、周囲の急斜面とは明瞭な遷急線で境される緩斜面が分布する(図-1)。緩斜面は美濃帯の構造と平行方向の尾根に特に良く発達し、しばしば線状凹地を伴う。

    3斜面堆積物の露頭
     徳山ダム上流・旧徳山村上原集落南の標高500mの緩斜面上に原石採取のために作られた露頭がある。そこでは、地すべり移動ブロックに分割された風化砂岩を覆って、厚さ数10cm~数mの角礫を主とし砂や砂礫を含むシルトを伴う堆積物が分布する。この堆積物は褐色表土に覆われて平坦面を構成する。堆積物は基盤岩上面の起伏を埋めて堆積し、所によっては図-2のように地すべりの滑落崖を埋積するように局所的に厚く分布する。
     このような堆積物から、当地の頂部緩斜面の少なくとも一部は目代・千木良(2004)などに示されているような山体変形によって生じた尾根上の凹地を堆積物が覆って形成されたと考えられる。この露頭周辺の緩斜面は褐色表土に覆われ、線状凹地などは認められないことから、恐らく最終氷期以前に形成されたものと考えられる。
     しかし冠山山頂近くの緩斜面では明瞭な線状凹地と樹木の根曲がりが認められることから、両白山地の山稜の少なからぬ部分で最近まで山体変形が継続している可能性も指摘できる。
     本調査では調査日数の関係上十分な観察を行なっていない。今後さらに調査を行い地形発達史的検討を行いたいと思う。
  • 瀬戸内海中部の平野を例に
    古田 昇
    セッションID: P824
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     木造船の寄港地としての港津の成立する諸要件は、大型鋼鉄船のそれとはまったく異なっている。対象地域としてとりあげるのは、近代初頭まで北前船や朝鮮通信使関係の諸船の往来でにぎわった港津のうち、瀬戸内海中部に位置する諸港である。
     本報告では、これらの港津の立地する沖積低地の地形環境を旧版の地形図や空中写真、大縮尺の精密地形図を利用して地形分類を行うとともに、ボーリング資料とその他の資料から平野の地下地質をあわせて検討して、地形環境と港津全盛期ころの港津及び周辺地域の地形環境を考察する。具体的には、広島県備後地方の主要港湾の一つにあげられる尾道港と、広島県安芸東部に位置する竹原港の地形環境を検討し、尾道および竹原周辺に近隣する沖積低地の地形環境も合わせて検討し、木造船の寄港地としてこれらの諸港が選ばれた意義を、地形環境、後背地の有無、水文環境などから検討したい。  
  • 嶋 俊樹, 山縣 耕太郎
    セッションID: P825
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     湖成堆積物は,湖沼周辺の環境変遷を連続的かつ高精度に記録した媒体として有用である.新潟県上越地域では,中世以前から人間活動が活発に行われてきた歴史があり,各時代において人間活動が様々な形で自然環境に影響を及ぼしてきたと考えられる.この地域の北部に位置する頸城湖沼群には,そうした人間活動の影響が記録されている可能性が考えられる.また,この地域の西部には,歴史時代に活発な活動を行った新潟焼山火山が存在し,そのテフラは,湖成堆積物に年代目盛を入れる上で有用である.本研究では,頸城湖沼群の朝日池および長峰池の湖成堆積物についての詳細な分析に基づき,湖沼周辺の環境変遷史を明らかにすることを目的とした.
    2.調査地域概要
     頸城湖沼群は,高田平野北部,日本海沿岸に形成された潟町砂丘周辺に位置する,潟湖および砂丘湖である.狭い平野をはさんで南には,東頸城丘陵が存在する.潟町砂丘周辺には,縄文時代前期以降の遺跡が数多く分布し,古くから人間活動が活発に行われてきたことを示す.古代から中世にかけてに時期には,この地域に越後国府がおかれていた.また,江戸時代には大規模な干拓工事が行われるなど急速な水田開発が行われたことが知られている.明治以降には,砂丘上に鉄道や国道が施設され,砂丘地の開発が進行した.
    3.研究方法
     頸城湖沼群のうち朝日池および長峰池において,ピストン式コアサンプラーを使用して湖成堆積物を採取した.それぞれのコア試料について以下のような分析を行った:1.岩相観察;2.遠心沈降型光透過式粒度分析装置を用いた粒度分析;3.帯磁率測定システムを使用した帯磁率の測定,4.灼熱損量,5.土色計を用いた色調(L*a*b*表色系)の測定.また,湖沼周辺の環境変化については,明治以前については絵図や史料をもとに検討し,明治以降については地形図をもとに明治43年~平成13年までの5時期の土地利用状況を復元し検討した.
    4.結果と考察
    1)朝日池コアと長峰池コアの帯磁率を比較すると,長峰池コアの帯磁率の方が,全層準を通して顕著に高い値を示す.古砂丘を構成する砂層も同様に高い値を示すことから,長峰池の堆積物は主に砂丘から供給され,朝日池の堆積物は河川から供給されているものと考えられる.
    2)朝日池コアの深度259 cmの層準に白色のテフラ層を確認した.このテフラは,角閃石,斜方輝石,塊状の火山ガラス含む点で,焼山テフラの特徴と一致する.歴史時代の焼山火山噴火のうち,早川火砕流推漬物を噴出した887(仁和3)年の噴火が,最も規模が大きいことから,コア中のテフラ層を焼山887年噴火の噴出物と推定した.
    3)朝日池コアの下部には,白色の薄層が多く挟在する.これは,洪水流の流入を示すものと考えられる.しかし,この白色層は,深度73cmより上位には認められない.この層準を,周囲の水田開発が開始し,朝日池を用水池とするために南岸に堤が設けられた1646年と推定した.
    4)朝日池,長峰池コアの最上部約20cmには,顕著な粗粒化が認められる.いずれの場合も顕著な帯磁率の上昇をともなう.これは砂丘からの物質供給が増大したことを示し,戦後の砂丘地における開発の影響によるものと推定した.とくに隣接地域で1970年からおこなわれたゴルフ場建設の影響が大きかった考えられる.
    5)朝日池コアにおいて,焼山テフラ層(887年),白色層の消失層準(1646年),最上部の粗粒化開始層準(1970年)をもとに堆積速度を計算した.その結果,887-1646年の時期は,0.25cm/yであった.これに対して1646-1970年の時期は,築堤によって河川による物質供給が阻まれ,堆積速度は0.15cm/yに下がった.さらに1970年以降は,砂丘地開発の影響で0.69cm/yに堆積速度が上昇した.
    6)朝日池コアでは,河川からの物質供給があった887-1646年の期間において,白色層の挟在頻度や,明度,粒度組成から,洪水による物質供給が増大したと推定される部分が,深度240~180cmと120~90cmの2層準に認められる.それぞれ10~13世紀にかけての時期と15~16世紀にかけての時期に相当する.前者は荘園の開発や丘陵地における農地の開発が行われた時期,後者は人口が増大して平野部における農地の開発が進行した時期に相当するものと考えられる.
    7)長峰池コアの下部には明瞭な砂層が認められる.焼山テフラのような明確な年代指標が認められなかったため,確実ではないが,1847年の善光寺地震と関係している可能性がある.
  • 磯 望, 黒木 貴一, 黒田 圭介, 後藤 健介, 辻 真弓
    セッションID: P826
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     北西部九州の佐賀県伊万里市から唐津市にかけての一部では,2006年9月16日朝に1時間最大雨量90mm以上,継続時間は4~5時間程度の集中的な豪雨に見舞われた。この豪雨の原因は,台風13号に伴う強い雨雲である。この豪雨で,背振山地南麓を中心に東西約30km,南北約10kmの範囲で集中的に崩壊や地すべりが生じ,土石流や土砂流が発生した。ここでは唐津市相知町田頭地区の被害発生状況と衛星画像解析手法を応用した空中写真の土地被覆区分による被災地域の解析等を中心に,報告する。
     唐津市相知町田頭地区は,松浦川支流厳木川の沿岸にあり,主として厳木川支流の田頭川などの合流扇状地に立地した集落である。田頭川では,中・上流域で土石流および土砂流が発生し,橋などが流失した。押し出された堆積物や流木等は,扇状地の下方で堆積し,これより下流は主として洪水氾濫を生じた。下流部では扇状地面を流下した土砂流が,橋上を通過して道路の下流側に氾濫域を広げる現象も認められた。田頭川中流の扇央部では,農地や道路に土石流や土砂流の被害が広がったものの,住家の被害は生じなかったが,扇端部では,土砂流形式の洪水域が扇状に広がり,床下浸水程度の被害が広がった。
     田頭川西側の山地では崩壊が発生し,小規模な渓流で土石流が生じた。この土石流により4棟が全半壊した。田頭地区から北側の白木木場付近までは数十箇所で崩壊が発生したが,豪雨の継続時間が短かったため,崩壊土砂が水に飽和する時間的余裕がなく,土石流の発生が数は少なかった。衛星データの土地被覆分類に用いられる最尤法による教師付き分類の手法で災害地域を区分できる。作業結果についてはポスターで示す予定である。           
  • 成田 秋義, 沢田 健, 祢津 知広, 石岡 佳高, 春山 成子, 田原 達人, 市川 清次, 松田 明浩, 飛田 祐作, 渡辺 健介
    セッションID: P827
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     「治水地形分類図」は、治水対策を進めることを目的として、国が管理する河川の流域のうち平野部を対象として、昭和51年度から53年度にかけて作成した縮尺1:25,000の地形分類図である。
     雄物川では、昭和52年に国土地理院により河口から西馬音内・十文字地区まで「治水地形分類図」が作成済みであったが、湯沢地区より直轄管理区間最上流端に至る約20km区間は未作成であった。そこで平成17年度~18年度に未作成区間を中心に新たに「治水地形分類図」の作成を行った。
     今回、新たに「治水地形分類図」を作成するに当り、従来の地形分類図が作業時間の制約から凡例や精度が簡略化されていた点の改善を試みた。特に、治水上最も重要な沖積面(氾濫平野)の微地形分類の精度向上に努めた。これまで氾濫平野としてのみ分類されていた沖積面については、洪水状況や形成された営力の違いを考慮し、高位沖積面、低位沖積面、谷底平野に細分した。また、台地は高位と低位の段丘面に細分を行った(図-1)。これら凡例の細分に関しては、対応表を作成し、従来の治水地形分類図との比較もできるように配慮している。
     「治水地形分類図」からは、土地の成り立ちや災害への脆弱性といった土地の地形条件等多くの情報を読み解くことができる。しかしながらこれまでの「治水地形分類図」は、行政関係者や技術者といった専門家の利用を念頭に作成されており、様々な利用者や利用場面を想定していなかった。そこで今回は、印刷図面の作成と合わせて、「治水地形分類図」をGIS化し、パソコン上で立体的に地形を表現できる3次元表示化を行っている。また、凡例区分毎にレイヤを作成し、任意の地形区分と空中写真、地形図との比較を行うことが可能で、地形を立体的に見せながら自由な視点の移動ができるように工夫している。地域住民や学校教育の場など様々な利用場面で、今回作成した「治水地形分類図」が活用されることが望まれる。
  • 廣内 大助, 鈴木 康弘, 石黒 聡士, 杉戸 信彦, 後藤 秀昭, 堤 浩之, ENKHTAIVAN D., BATKHISHIG O., ...
    セッションID: P828
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    はじめに
     ユーラシア大陸の中央に位置するモンゴルにおいては,20世紀にM=8クラスの内陸直下型巨大地震が複数発生している.このうち1957年にモンゴル南西部で発生したGobi-Altay地震(M=8.3)では,ゴビアルタイ山脈北麓に沿った活断層(Bogd断層など)が活動し,長さ約260kmに及ぶ地表地震断層が出現した(Kurushin et al., 1997).この地表地震断層は逆断層成分を持つ左横ずれ断層で,最大変位は5-7mに達するものであった.地震断層の分布や地震時の変位量,変位様式は,Baljinnyam et al(1993)やKurushin et al(1997)に詳しく報告されている.しかし一方で,変動地形から明らかになる既存の活断層との関係や累積的な変位量と地震時変位量との関係などについては,殆ど検討されていない.
     本研究では上述の課題を議論する第一歩として,航空写真とCORONA画像を新たに判読するとともに,現地調査を実施し,Bogd断層を中心としたゴビアルタイ山脈北縁断層とその周辺の詳細活断層図を作成した.今回はその第一報である.
     なお,本研究はモンゴル科学アカデミー地理学研究所と共同で行い,文部科学省科学研究費補助金海外学術調査(研究代表者 鈴木康弘)を用いて実施した.
  • 中村 洋介, 田村 俊和, 高村 弘毅
    セッションID: P829
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     兵庫県南部地震以降,数多くの国の研究機関や大学等によって,多くの活断層調査が行われてきた.こうした成果を踏まえて,政府の地震調査員会から,活断層の活動予測に関する長期評価が逐次発表されてきた.しかしながら,火山灰稀産地域(≒段丘面の形成時期が現段階で判明していない地域)の活断層の長期評価に関しては,平均変位速度の算出が精密に行われていない場合が多いことから,断層の平均変位速度や地震の再来間隔の算出に関する数値の独り歩きが懸念されている.
     発表者らは,以上のような観点からこのような条件を満たす深谷断層によって明瞭な変位を受ける埼玉県の荒川扇状地において河成段丘面の編年調査を実施している.今回は現段階で分析が終了している櫛挽(くしびき)面ならびに御陵威(みいず)ヶ原(がはら)面における関東ローム層の火山灰層序について報告する.

     埼玉県北西部に分布する荒川扇状地は,寄居町を扇頂として北東に広がる標高30~100mの平坦な台地状の地形をなしている.本扇状地は上位から大きく,大里面(江南面),櫛引面,御陵威ヶ原面,花園面,長瀞(ながとろ)面の5面に区分されている(柳田ほか,1982).これらの段丘面のうち,大里面構成層中には御岳Pm-1テフラ(On-Pm1)(渋谷ほか,1970),飯縄西山テフラ(Iz-NY)(中里・中澤,2006)が,櫛引面を覆う土壌層中には浅間板鼻褐色テフラ(As-BP)ならびに姶良-丹沢テフラ(AT)(柳田ほか,1982)が先行研究によって既に報告されている.
     また,荒川扇状地の一部(櫛引面,御陵威ヶ原面)は活断層とされる深谷断層によって変位を受けている.文部科学省地震調査研究推進本部(2005;以下推本と略す)によると深谷断層は全長約82kmにも及ぶ関東平野北西縁断層帯(深谷断層,綾瀬川断層,平井-櫛引断層)の中央部に位置する(最大)全長約25kmの北西-南東走向の活断層である.平均的なずれの速度は0.2-0.4m/1000年程度であり,最新活動時期は約6,200年前以後,約2,500年前以前とされている.また,地震時1回辺りのずれの量は5-6m程度であり,平均活動間隔13,000年-30,000年程度とされる.さらに過去の活動区間は断層帯全体(関東平野北西縁断層帯)で1区間であると推定されている(推本,2005).

     本研究ではボーリング掘削によって櫛引面ならびに御陵威ヶ原面を覆う土壌層のより詳細な火山灰層序を明らかにした.以下が,本研究によって得られた結果である.
    1.荒川扇状地に飛来している広域火山灰
     既存研究で報告されていた4枚のテフラ(As-BP,AT,On-Pm1,Iz-NY)に加えて新たに,浅間板鼻黄色テフラ(As-YP),榛名八崎テフラ(Hr-Hp) の2枚のテフラを確認することができた.また,発表者は立正大学が立地する江南面(大里面)においても鬼界葛原テフラ(K-Tz・・・降下年代95ka)を確認している.よって,荒川扇状地では江南面(酸素同位体ステージ5or6)形成以降に少なくても7枚の火山灰を用いて編年・対比を行うことが可能である.
    2.河成段丘面の形成時期
     御陵威ヶ原面を覆うローム層の下部にAs-BPが挟在することから,御陵威ヶ原面の形成時期はAT降下以降As-BP降下以前,すなわち約20,000~25,000年前である.櫛挽面を覆うローム層中には,柳田ほか(1982)が既に報告しているAs-BPよりも下位にATならびにHr-Hpが挟在する.特に, Hr-Hpは被覆土壌層の最下部付近に挟在することから,櫛挽面の形成時期はHr-Hp降下直前,すなわち約50,000~60,000年前である.
    3.深谷断層の活動性評価
     深谷断層は妻沼低地と本庄台地および櫛挽台地との境界を崖線で区切り,深谷駅南側では約15mの比高をもつ.また南部では低位段丘面を約5.5m変位させ,ゆるい崖地形をつくっている(活断層研究会,1991).これらの変位量とそれぞれの段丘面の形成年代から,深谷断層の上下平均変位速度を算出した結果,それぞれ約0.25~0.30mm/yr(櫛挽面),約0.22~0.28mm/yr(御陵威ヶ原面)の値が得られた.ただし,この変位量は変位量算出の根拠が示されていないため,実測または大縮尺の地形図の読み取りによって再計測する必要がある.
    4.関東平野北西縁断層帯の地震の単位変位量ならびに平均活動間隔の妥当性
     推本(2005)の評価によると,深谷断層を含む関東平野北西縁断層帯の地震の単位変位量ならびに平均活動間隔はそれぞれ,5-6m程度ならびに13,000年-30,000年程度とされている.しかしながら,最低でも100m以上に及ぶ撓曲帯を形成する御陵威ヶ原面の変形が1回の地震によって形成されたとは考えにくい.したがって,御陵威ヶ原面の変形は複数回の地震によって形成されたものと考えられ,その場合には平均活動間隔は既報値よりも短くなる.
  • 黒田 圭介, 安永 典代, 磯 望
    セッションID: P831
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I.はじめに
     Hawaii諸島のOahu島は,Waianae山脈とKoolau山脈の2つの開析された盾状火山から構成されており,ホットスポット上に形成された火山島として知られる.Oahu島西部のWaianae盾状火山は2.2-3.8(Ma),東部のKoolau盾状火山は1.8-2.6(Ma)の放射年代をもつ玄武岩体から構成される(Macdonaldほか,1983).Honolulu火山活動は,これらの大規模盾状火山形成後の浸食期を経て再活動した比較的小規模な火山活動の総称で,Oahu島の景勝地であるDiamond Headなどは,Honolulu火山活動によって形成された火山地形である.本研究では,Honolulu火山活動で形成された火砕丘,特にクレーターの地形を解析した結果を報告し,Honolulu火山活動の特徴等について検討する.本要旨では,クレーターを形成した火山噴火の規模と,クレーターの侵食程度について報告する.
     図1:研究対象地域地形区分図とクレーター分布

    II.クレーター解析方法
     1) U.S GEOLOGICAL SURVEY発行の1/24000地形図を用いて,クレーターの比高,直径等を計測した.この結果から,クレーターの体積を推定した.この結果より,火山爆発指数(VEI)を算出し,オアフ島南東部のクレーターを形成した火山噴火の規模を推定した.
     2)クレーターの接峰面図を描いて,侵食前の地形を推定した.また,この接峰面図をデジタルデータ化して,定量的に侵食の程度を試算した.

    III.火山爆発指数(VEI)
     火山爆発指数(以下,VEI)は,噴火の大きさの尺度として用いられる.これは噴出物の総量が体積でわかれば決められる値で,0から8までの整数で示され,噴出物の量をA×10i㎥とするとき,VEI=i-4で算出される.VEIは0から8までの値で示され,0が非爆発的噴火,1が小規模,2が中規模,3がやや大規模,4が大規模,5が非常に大規模である.
     Oahu島南東部に分布するクレーターのVEIと面積の関係を図2示す.おおむね面積が大きくなるほどVEIも大きくなるという結果が得られた.特にVEIが大規模のクレーターは,いくつかの火口が複合した形状を持つものがほとんどである。

    IV.侵食度合い
     1)解析方法:まず,クレーターごとに接峰面図を描いた.谷埋めの間隔は100mと1000mとした.このクレーターごとの接峰面図と地形図をスキャンし,Illustratorで等高線ごとにトレースした.トレースした等高線の輪は、ピクセル数を数えるため塗りつぶした.このデータをPhotoshopで開き,等高線毎にピクセル数を数えた.図3を見ると,侵食前の地形(B)から現地形(A)のピクセル数を引いた数(C)が,侵食程度ということになる.Diamond Headの560ftでは,7.8%が侵食されたことになる.
     2)結果:クレーターの形成年代と侵食程度を図4に示す.形成年代が古ければ古いほど,侵食が進んでいるという一応の結果は出た.しかしながら,侵食の程度は,立地,地質,気候,風量,風向きなどに左右されると考えられるので,今後はそれらを加味しつつ,クレーターの侵食程度や開析具合を検討したい.

    V.まとめにかえて
     1)Oahu島南東部に分布するクレーターの爆発規模は中~大規模であり,小規模は分布しない.また,面積が大きければ大きいほど,VEIも大きい.
     2)クレーターの侵食程度を定量的に表すことができた.その結果,クレーターは,侵食が進んでいれば進んでいるほど形成年代が古い傾向が見られた.今後は,クレーターの侵食を左右する要因を加味して,Oahu島南東部におけるクレーターの侵食様式を検討したい.
  • 藁谷 哲也
    セッションID: P832
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     アンコール・ワットは,おもに砂岩とラテライトを建築材料として,12世紀に造られた石造寺院である.この第1回廊は,東西約220m,南北約200mの大きさを持ち,大小さまざまな砂岩ブロックからなっている.しかし,第1回廊の外柱やポルチコでは,表面部の浮き上がりや剥離,あるいは層理に平行して発達するクラックなどが見られ自然劣化の進んでいるものが多い.このため,クラックや欠損部分へのモルタル充填,鉄製のタガやコンクリート製側柱の設置工事など,これまで回廊の保存・修復工事が行なわれてきた(例えば,Narasimhaiah 1994).このような自然劣化の原因のひとつに,砂岩ブロックの熱風化が挙げられている(例えば,盛合 1995).アンコール・ワットにおける藁谷(2004, 2005a,b),Waragai(2003), Waragai et al.(2006)などによる一連の微気象観測や予察的な砂岩ブロックの表面温度測定でも,砂岩表面温度は高温となることが確認されている.しかし,砂岩柱では,十分な表面温度測定は行われておらず,これまで砂岩ブロックに与える熱風化の影響について検討されてこなかった.そこで本研究では,放射温度計による測定結果をもとに,砂岩ブロックに対する熱風化環境を検討した.

    2.測定対象と方法
     放射温度の測定は,第1回廊の北・南・東・西に向く回廊から4箇所(GNE, GSE, GEN, GWN)選定して行なった.またポルチコでは,回廊の柱に比べて日射を受けやすい.そこでポルチコでも北・南・東・西に向く柱(PNE, PSE, PEN, PWS)を対象に放射温度を測定した.
     測定に利用したのは,8~14μmの赤外放射を検出できる非接触式の高感度放射温度計(NEC三栄製,TH9100MV)である.測定は各回廊およびポルチコを対象に,2005年8月25日の午前(07:59~10:07)と午後(15:56~17:15)の2回に分けて実施した.測定に際しては,現場で反射補正を行い,周囲温度からの反射成分を補正した.背景放射については,測定対象である回廊と柱の距離をできる限り短く取ることで,水蒸気や外乱交などの環境条件の影響を最小限にとどめるよう配慮した.

    3.測定結果と考察
     放射温度測定当日の天候は,終日晴れであった.回廊のビーム上に設置したデータロガーによると,放射温度測定中の温・湿度は,回廊の向きによる違いがあるものの,おおむね気温32~34℃,湿度63~70%であった.
     回廊の砂岩柱の放射温度は,直達日射を受けたGENで最高51.8℃,GWNで最高46.8℃までそれぞれ上昇した.また,ポルチコでも日射のあたる砂岩柱表面の温度は高く,PENやPWSでそれぞれ最高50.5℃,49.9℃が測定された.これに対して,日射のあたらない北向きの回廊やポルチコでは,最高でそれぞれ約41℃(GNE),38℃(PNE)であった.すなわち,直達日射を受ける砂岩柱表面は約51℃まで上昇し,気温より16℃以上も高くなることがわかった.従来,センサーを用いて野外で測定された最高の岩石表面温度は,風化皮膜の形成された黒褐色砂岩で79.3℃(Peel 1974)である.次いで,野外測定や野外実験などで,砂岩の表面温度が54.0℃(Whalley et al. 1984),54.8℃(Kerr et al. 1984)までそれぞれ達したことが報告されている.このため,Peel(1974)の測定結果を除けば,砂岩柱の表面温度は,従来の報告と大きく違わないということができる.
     午前・午後の測定時刻における温度差を,砂岩柱表面の日較差(ΔT)として,測定時間で除して温度勾配(D)を求めた.その結果,日射を受けたGENではΔT:15~18℃,D:1.7~2.1℃h-1,GWNではΔT:約10℃,D:1.5℃h-1となった.また,ポルチコではPENでΔT:5~13℃,D:0.6~1.5℃h-1,PWSでΔT:13~16.9℃,D:1.9~2.5℃h-1となった.熱衝撃破砕実験(Richter & Simmons 1974)によれば,加熱速度が2℃min-1を超え,最大温度が350℃を超える条件で岩石(花崗岩,斑レイ岩,輝緑岩)表面にクラックが形成され,永久ひずみが残ったと報告されている.測定した砂岩の熱的性質については,今後検討する必要があるが,この実験を考慮すると,砂岩柱で測定された温度勾配は,熱衝撃破砕に結びつくほど大きいものではないということができる.すなわち,アンコール・ワットの第1回廊では,日射を受ける砂岩柱表面部は高温となるが,温度勾配は小さく,日射による破砕効果は大きくないと推察される.
  • 深野 麻美, 春山 茂子
    セッションID: P833
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.背景と目的
     トンレサップ湖はカンボジア中央部のなだらかな傾斜を持った低地上に北西から南東方向に位置し、東南アジア最大の湖である。また、その面積は乾期では約2,500㎢、雨期では約15,000㎢と季節的に大きく変化する(Lamberts et al., 2006)。湖とこれに流入する支流群は、周辺の土壌を肥沃にし、魚類繁殖地帯である浸水林を育成しているため、農業、漁業の生産性に非常に富んでいる。同時に、トンレサップ湖と周囲の河川は人々の往来や物資の運搬として重要な交通手段となっており、古くから人々が集い、地域社会を形成してきた。1991年に内戦が終結したカンボジアでの発展はこれからの状態にあり、今後この地域は開発による自然環境の改変が予想される。
     以上より、今後同地域の将来の自然環境変動を予測することが非常に重要な課題となり、これを予測するには、現在の自然環境を明らかにすることが必要不可欠となる。同湖周辺の水文学的考察については多くの研究がなされているが、地形及び地形形成についての詳細な研究は少ない。
     本研究では、トンレサップ湖の北部及び北岸地域(北緯13°00′-14°00′, 東経103°40′-104°20′の範囲内)における地形分類を行い、形成過程について考察することを目的とした。
    2. 方法
     対象地域全体の地形面を把握するために、陸域および湖底の測線測量とSRTM-DTEDより地形面区分の特徴の把握を行った。また、既存のトンレサップ湖測深図を用いてトンレサップ湖の湖底面図を作成し、湖棚を含む湖底地形の判別を行った。
     航空写真を用いた実体視判読により、予察図の作成を行った。現地調査で各地形面の表層堆積物の層相と地形の確認を行った。 以上の方法により、地形面区分及び形成過程を明らかにした。
    3. トンレサップ湖北岸地域の地形分類
     この地域はトンレサップ湖沿岸より湖成地形が広く分布している(図)。地形測線図を基にして、湖成地形をさらに細かく分類すると、湖岸段丘高位面( I )、中位面( II )、低位面( III )、湖岸低地、浜堤(砂州)に分類され、湖成地形以外の地形は、残丘、ペディメント、谷底平野、自然堤防に分類することができた。
    (1) 湖岸段丘 I : 主にペディメントの前縁部分に分布する。アンコール遺跡群が立地している地域はアンコールワット王朝時代(約802~1431年)に盛土されたと推測することができる。多くは森林、畑地として利用されている。
    (2) 湖岸段丘 II : 湖岸段丘 I の前縁に分布しているが、シェムリアップ東側では湖岸段丘 I と入り組んだ状態で分布している。また、シェムリアップ市街地の南東にある湖岸段丘 II の前縁には浜堤と思われる地形要素が見られる。主に水田として利用されている。
    (3) 湖岸段丘 III : 湖岸段丘 II の前縁に分布し、段丘の前縁部分に浜堤が見られる。水田や浸水した水田として利用されている。
    (4) 湖岸低地: 段丘面 I の前縁に分布している。湖岸低地上には1~2列の浜堤が見られる。ほとんどが湿地で浸水林が自生している。
    (5) 浜堤(砂州): 湖岸低地から湖岸段丘面 II の前縁にかけて2~3列の浜堤が見られ、湖岸側の浜堤列の方が幅は広い。畑地として利用されているが、湖岸段丘 I と II にはさまれた浜堤列は集落として利用されている。

    参考文献
    Dirk Lamberts et al. (2006): Mekong river basin development and Tonle Sap lake productivity: current knowledge and future challenges, Proceedings of the Second International Symposium on Sustainable Development in the Mekong River Basin, pp.187-196
  • 阿子島 功
    セッションID: P834
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     ペルー、ナスカ台地とその周辺の地上絵は、ナスカ文化期(B.C.1C~A.D.8C)に台地礫層の表層の風化部分(沙漠ワニスと呼ばれる暗褐色部分)を深さ数10cm程除去して描かれたもので、線・帯・さまざまの図形・動植物の図像(抽象化された一筆書き)よりなり、規模の大きさ・数の多さ・図形の面白さなどから1994年に世界遺産に指定された。さまざまの図形・動植物の図像は、ナスカ期の土器に描かれた文様と一致している。
     ナスカ地上絵の考古学調査において、人工衛星Quick Bird画像によって地上絵分布図を作成すること、同画像の画像処理によって地形分類図を作成する手法の開発などについて先に述べた(1:阿子島2005.3日本地理学会)。
     さらに、地形分類図によって表現される土地条件が地上絵の作成当時にどの程度考慮された・あるいは・無視されたのかに関して、地上絵の配置と平坦面のひろがり・起伏、地上絵と地表面の安定度・不安定度(台地表面の色の違いでもある)との関係を述べた。これらの要素は、微地形分類によって表現できる。また微地形と地上絵の損傷程度との関係などについて検討してきた(2:阿子島2006.5東北地理学会)。
     今回は、地上絵の損傷(保存)程度をもって、約1,500年間の台地上面の地形変化程度を論ずる。台地上面は乾燥のためほとんど植被がないから、微地形分類図によって一様な評価ができよう。台地上面の地形変化を論ずることは、すなわち、地上絵の保存計画において、将来の地上絵の損傷の見積りなどを述べることでもある。
     現在の地表面に働いている地形変化作用は、日常的な砂嵐と10年に1回程度のエル・ニーニョの際の短期間の降水による表流水の影響である。1998年降雨が顕著な泥流を発生させた。
    【方法】
     Quick Bird画像の判読は、最小分解能が0.7m程度とされ、広い範囲の一様な精度の分布図作成に適している(現在作業中)。また地上絵集中地区にはペルー軍撮影の垂直空中写真がある。しかし、いずれも地上絵個別の損傷などの検討には適していない。さらに世界遺産指定範囲の立ち入りは制限されていて、管理者の許可のもとに旧来道路沿いの観察のみ実現できた。よって専ら軽飛行機による選択的な空撮と既存の報告書にある数多くの斜め写真を利用した。
    【判読上の留意点】
     特徴的な図像の地上絵はマリア・ライヘなどが測量記録する際に箒で清掃して強調しているが、本来の状態は周辺の単純な線などと同じ色調であったのであろう。線の新旧は平面的な切りあい関係、ときには縁に礫を寄せていることで判断できる。自動車の轍が最も新しい線である。台地上面の起伏は数10cm規模のごく浅い表流水跡(QB画像では不明瞭または判読できない:規模1)~深さ数m規模の河流跡(QB画像で判読図化できる:規模2)がある。後者への肩部分にも直線や帯が描かれていることもあり、地上絵が描かれた当時から河道の起伏はあった。ひきつづき更新されている河道部分が明るく写っている。
    【判読例】
     規模1の流水跡:台地北東部(サンホセ平原)のいわゆる集中地区のオウム(PapagayoあるいはLibelura)の翼を切る浅い流水跡。 同じく観察塔直下の木Arbolと手Monasの間に深さ数10cm規模の表流跡(原型は帯の絵?)があり、木の右枝の先に側刻崖がせまっているが平面形はかろうじて損なわれていない。いずれの水流跡の集水域は台地上面の中である。
     規模2の流水跡:台地南東部(ソコス平原)の台形や帯(図1)は地表面安定度区分A・Bの部分に描かれている。地上絵は切りあい関係から1→2→3または4の新しさとなるが、河道Cは地上絵1と4の作成当時からすでにあり、現在まで更新を繰り返している。この河道の集水域は背後丘陵を含んでやや広い。
    【結論】
     地上絵のうち長い線や帯は河道によって切られている部分があるが、図像などは安定型の地表面が選択されていることもあってごく浅い表流水跡に切られるのみである。将来1,500年間を経ても、その深さが2倍になるか、流路密度が2倍になるかのいずれかであり、おそらく流路は固定的で深さが増すことになり、自然的な原因による地上絵の損傷は問題とならないであろう。むしろ、地上絵発見後の約70年間における人為的な改変である自動車の轍による直接の深刻な損傷や道路などの工作物による泥流のせき止めなどが問題である。
  • 城谷 和代, 横山 祐典, 阪本 成一, 松崎 浩之
    セッションID: P835
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     テクトニクスと気候変動は地形発達を支配する主な要因であり、これらの相互関係について多くの研究がなされてきた。これまでは主に、ヒマラヤ・チベット地域で見られるように、インド亜大陸のユーラシアへの衝突に伴う山脈の形成というテクトニックなセッティングの変化が気候変動を引き起こし、内陸部の乾燥化を引き起こしたという事例が報告されてきた。しかし近年、上記の因果関係とは逆に、地域の乾燥化が周辺の山脈の隆起を引き起こしたという可能性が、チリのアタカマ砂漠とアンデス山脈の形成において初めて示唆された。
     アンデス山脈は海洋地殻の沈み込みにより形成された山脈であるにもかかわらず、中央部で最高6000 mという非常に高い高度を有している。このような高度は、単に海洋地殻の沈み込みにより、その海洋地殻の応力を受けて大陸地殻が隆起しただけでは説明がつかない。一方、アンデス山脈の西側(太平洋側)には極度に乾燥したアタカマ砂漠が広がっている。近年の研究によると、アタカマ砂漠の形成が、堆積物の枯渇を引き起こし、直下の沈み込んでいる海洋地殻にかかる応力をより高め、アンデス山脈の隆起速度を高めた可能性が指摘されている。しかし、この仮説を実証するために必要な、アタカマ砂漠の形成時期やその発達に関する定量的な研究はほとんどされていない。そこで本研究では、岩石中の宇宙線照射生成核種量 (Be-10, Al-26) を測定することにより、アタカマ砂漠の乾燥化の開始時期とその発展過程を明らかにすることを目的とする。
     本研究では、宇宙線照射生成核種のうち、Be-10およびAl-26に注目し、その蓄積量を測定することにより、岩石の宇宙線照射履歴を調べる。地表の岩石中では常に宇宙線との相互作用で、宇宙線照射生成核種が生成されている。湿潤環境下では侵食率が大きいため、生成された核種は岩石中に蓄積されにくい。一方、乾燥環境下では侵食率が小さいため、生成された核種の大部分が岩石中に蓄積されると考えられる。したがって岩石中の核種の蓄積量を見積もることで、乾燥環境下に存在した期間を見積もることができると考えられる。
     Be-10、Al-26を用いる利点としては、Be-10、Al-26の双方は半減期が異なるため、岩石の表面露出歴、埋没歴または侵食速度といった情報を得られる点が挙げられる。また、本研究ではBe-10およびAl-26を抽出する鉱物として石英を用いる。これは、石英が、一般に地球表層に広く分布していること、さらに化学組成が単純で、かつ安定であるため、物理的・化学的風化に強く、生成核種の溶脱が少ないためである。
     前処理方法は、まず岩石試料を酸溶解処理し、試料中の石英のみを精製する。精製した石英、1-10 gをフッ酸・硝酸の混酸で溶液にした後、イオン交換によりBe2+およびAl3+を抽出し、それらを酸化物にしターゲットとする。
     そして作成したBeOおよびAl2O3の同位体比を東京大学原子力研究総合センタータンデム加速器質量分析装置(AMS) を用いて測定した。Al-27の定量は原子吸光分析法 (AAS) およびICP発光分光法 (ICP-AES) により行った。
     乾燥化の発達過程を解明するために、東西方向に、山脈側(東側)から太平洋側(西側)の広範囲(南緯22-24度、西経67-70度)にわたって、岩石試料を採取した。この採取地域はアタカマ砂漠の中でも極度に乾燥(年間降水量50mm以下)した地域であり、同緯度の東側には~6000mの山脈が位置している。採取した岩石は、花崗岩、礫岩などの中礫~大礫である。
     1.測定した全ての試料において、高い濃度のBe-10、Al-26が認められた。このことは、採取した岩石試料が全般的に長い照射履歴を有していることを示している。
     2.アタカマ砂漠の西側(太平洋側)は、東側(アンデス山脈側)に比べ、長い照射履歴をもっている。このことは、西側ほど長い照射履歴を持ち、侵食の影響を受けにくかった環境にあった可能性を示す。これらの結果は、アタカマ砂漠における、乾燥化進行の地域性を反映していると考えられる。
  • 永田 玲奈, 財城 真寿美
    セッションID: P836
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     近年世界中の多くの地域で異常高温・強雨の頻度が変化しており,また二酸化炭素の増加に伴い異常高温や強雨が増加することがモデル実験により示されている.本研究では日本における気象官署の100年間の降水量データについて季節ごとに総降水量・日降水変動を示す指数及び降水日数の長期トレンドを算出し,要素間の比較を行った.
     降水データは,日本の気象官署51地点における1901-2000年の日降水量データを使用した.解析は季節ごとに行い,季節合計降水量・最大日降水量(季節別)・50パーセンタイル・75パーセンタイル・90パーセンタイル・降水日数・降水強度の7要素について100年間のトレンドを算出した.トレンドの計算には,Mann-Kendall rank statisticを使用した.
     春季においては,季節最大日降水量と90パーセンタイルにおいて日本海側の地点で有意な上昇傾向が見られ,この地域で強い降水が上昇傾向であることが分かる(第1図).また強い降水が増加している原因は,90パーセンタイル以上の降水において降水強度が強まっていることにあった.夏季は西日本の日本海側で強い降水が増加していた.この原因は春季と同様に降水強度の増加によるものであったが,春季とは異なり夏季では90パーセンタイル以下の降水や降水強度に減少が見られないため季節合計降水量においても西日本の日本海側で増加傾向であった.
     秋季の季節合計降水量では,関東地方で有意な減少を示す地点が見られた. この季節合計降水量減少の原因は,50パーセンタイル及び90パーセンタイルにおける降水減少が原因であると考えられる.50パーセンタイル以下の降水日数・強度はほぼ全国的に減少傾向であるが,90パーセンタイル降水及び90パーセンタイル以上の降水強度では関東地方で減少している.一方,冬季には北海道において季節合計降水量が増加し,東北から中部地方にかけて減少している(第2図).北海道における増加は,50パーセンタイル以下の降水日数の増加が原因であり,また東北から中部にかけて季節合計降水量が減少している理由は,50パーセンタイル以下の降水と90パーセンタイル以上の降水の減少が原因である.東北から中部にかけて50パーセンタイル以下と90パーセンタイル以上の降水において,降水強度・降水日数ともに有意な減少を示している.
  • 田畑 弾
    セッションID: P837
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     砺波平野、富山平野の屋敷林の分布と、気圧配置による特定の気象条件を持った強風を比べて、屋敷林が広域に分布する地域において、屋敷林の分布や形態を、1975年に国土地理院によって撮影されたカラー空中写真の判読から、地形図に転記した1kmメッシュ毎に卓越林帯方向、所有率を計算・図化し、1996~1998年の富山県内のAMeDASと消防署における風向風速の毎時のデータを使用し、11m/s以上の強風時の値を気圧配置によって、各地点ごとに風向別に累積した風速の分布を図に現し、気圧配置によって吹く強風に対した屋敷林の防御の効果を考察した。その結果は、以下の通りである。

     (1)屋敷林の卓越する方向が西の割合が強い地域は、砺波平野北部・富山平野北部(呉羽山の北側)で、富山県で強風が発生するすべての気圧配置との対応が出ている。呉羽山の西側では屋敷林の高所有率メッシュも存在する。

     (2)屋敷林の卓越林帯方向が南の割合が強い地域は、基本的に日本海低気圧型、北海道周辺に低気圧がある型との対応が出ている。これに対応する地域は富山平野南部~東部であり、南成分を持ったおろし風が丘陵の風上から吹き降ろし、これと谷からの「だし風」と合流した所が強風域となることが、屋敷林の高所有率のメッシュが多い地域となる。

     (3)砺波平野南部の井波、城端周辺は、日本海低気圧型のときに吹くおろし風の影響が強い。また、この地域では、北海道付近に低気圧が存在する場合は、南東~南西の、主に谷の方向から吹く風が累積している。
  • 内山 真悟, 森島 済
    セッションID: P838
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     都市内緑地によるヒートアイランド緩和効果に関する研究は東京を中心として数多く行われ、その有効性について明らかにされてきている。これまでの研究では市街地化された地域を対象としてきたが、市街地化に伴うその前後で緑地によるヒートアイランド緩和効果が、どのように変化するのか明らかにされていない。
     流山市ではつくばEX沿線開発に伴い現在まさに開発が進んでおり、市街地化後のヒートアイランド化が懸念されている。本研究では、現在開発が進行中の流山市新市街地を対象とし、開発前後における緑地によるクールアイランド効果の違いについて明らかにすることを目的としている。本報では昨年夏季の観測結果から、緑地内外の平均的日変化の違いと集中観測の結果に関して報告する。
    2.観測方法
    ・気温定点観測:2006年7月26日から流山市内の温度分布を明らかにするため、64台の温度ロガーの設置を始めた。そのうち大規模緑地である市野谷の森内外にはクールアイランド効果の把握のため39台を設置した。温度ロガーは小学校の場合は百葉箱内に取り付け、それ以外は塩ビ管を二重にして断熱シートで覆ったシェルタ内に取り付けた。測定は10分間隔とした。
    ・集中観測:市街地及び大規模緑地周辺の詳細な気温分布を明らかにするために、2回の集中観測を行った。8月19日の集中観測では、市街地を対象として自転車による移動観測を行い、小規模緑地などを含めた日中の詳細な温度分布を調べた。また8月29~30日の夜間集中観測では、市野谷の森周辺の詳細な温度分布を調べた。
    3.晴天日による市野谷の森内外と市街地の気温変化
     森が失われることによる温度環境の変化を調べるため、さら地に近い状態である森周辺と森内部の気温を比較した。使用したデータは、データとして利用できる定点観測の8月19~31日の間で、市野谷の森内部に設置した9台とその周辺の4台(約100m以内:さら地に近い状態)、付近に緑地を持たない市街地の6台である。平均的日変化の天候による違いを調べるため、期間全ての平均(13日間)と晴天日の平均(8日間)を比較した。
     図は晴天日における日変化を示したものである。森とその周辺及び市街地の気温差は、日中の12~14時に最大となり3℃前後となるが、森とその周辺の気温差は明け方にほぼなくなることがわかった。日中の気温差については、従来の都市内緑地の研究(例えば、成田ほか 2004; 浜田・三上 1994)と同等の気温差を生じているが、夜間は従来の都市内緑地の研究に比較して、気温差が小さくなることが確認された。これは輻射熱による影響がいまだ小さいからと考えられる。
    4.文献
    成田健一・三上岳彦・菅原広史・本條 毅・木村圭司・桑田直也2004. 新宿御苑におけるクールアイランドと冷気のにじみ出し現象. 地理学評論 77: 403-420.
    浜田 崇・三上岳彦 1994. 都市内緑地のクールアイランド現象――明治神宮・代々木公園を事例として. 地理学評論 67A: 518-529.

    本調査は環境省「地域の熱環境改善構想」適用第1号として、流山市の委託業務(グリーンチェーン戦略推進方策に関する調査)のもと、江戸川大学(社会学部ライフデザイン学科森島研究室)が実施したものである。
  • 池田 悠, 長谷川(石黒) 直子, 倉茂 好匡, 伏見 碩二
    セッションID: P839
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1. はじめに
     湖陸風とは,湖面と陸地表面の温度差を原動力として吹く局地風のことである.そして琵琶湖沿岸域では,一般風の弱い晴天日には湖陸風が卓越することが知られている.湖陸風卓越日の琵琶湖東岸では,時計回りに風向が日変化することが知られている(枝川・中島 1981).また沿岸地域にある所では,湖陸風が気温形成に大きく影響する.
     彦根市は,彦根城を中心に市街地,郊外には田園地帯が広がっており,両者の間で熱環境は大きく異なっている.その結果,市街地では高温域,郊外では低温域を形成している(寺島 2002).
     そこで本研究では,熱環境の異なる市街地と農地に観測地点を設定し,湖風が両地域の気温形成にどのような影響を与えているのか観測に基づいて考察した.

    2.観測地域・観測方法
     滋賀県中央には県面積の6分の1を占める琵琶湖が存在し,北東部には伊吹山,東部には鈴鹿山系,湖西には比良山系や比叡山が囲むので,盆地地形が形成されている.調査地は,琵琶湖東岸に位置する滋賀県彦根市内の16地点で,観測地点は湖岸線から内陸に向かって垂直になるように市街地(8地点)と農地(8地点)に2測線を取った.
     観測は,2006年7月~10月の晴天で湖岸付近と内陸(湖岸から約5km)に風が吹送する日に行った.6:00,10:00,14:00,18:00,22:00を代表時間とし,それぞれ前後1時間以内に移動観測を行った.観測項目は,風向・風速(大田計器製作所風向計・3杯式風速計),地表面温度(タスコジャパン株式会社放射温度計),気温(佐藤計量器製作所サーミスタ温度計),気温・湿度(吉野計器製作所アスマン乾湿温度計)である.移動観測による気温の時間補正は田宮(1979)に従った.定点の気温値には,彦根気象台の気温値を用いた.

    3.結果・考察
     湖風が卓越したのは,全50回の観測のうち13回であった.湖風卓越時,各地点の風向は,ほとんどが北~西であった.
     図1は,湖風が卓越する時間帯の農地の測線における湖岸から内陸に向けての気温変化を示す.この結果によると,湖岸から内陸に向かうに従い,湖岸での気温と内陸での気温差が大きくなり6 kmの地点で2.5℃以上気温差が生じている.
     いっぽう,北の市街地沿いの観測線では,湖岸から内陸に向かって0.5 km付近までに3.0℃程度昇温していた(図2).それより内陸部3.5 kmまでは気温の上昇はほとんどなく,ほぼ横ばいとなっていた.
     一般風が卓越している日は,湖岸から内陸にかけて気温分布が一様になる傾向がある.それに比べ,湖風が卓越する日は,風速が相対的に弱く,地表面の気温の影響により内陸部では昇温しやすいと考えられる.市街地では湖岸付近から建物が立て込んでいる.湖風が市街地に吹き込んでも湖風の冷気はすぐに暖められ,内陸部への影響は小さいが,南の農地では,琵琶湖の冷気が比較的広範囲に影響を及ぼしていると考えられる.

    4.引用文献
    枝川尚資・中島陽太郎 1981. 琵琶湖流域の湖陸風の研究. 地理学評論54: 545-554.
    田宮兵衛 1979.小気候・局地気象 特に移動観測の方法について. 天気26: 633-640.
    寺島司 2002. 滋賀県彦根市における暖候期のヒートアイランド現象の実態と形成要因. 滋賀県立大学環境科学部生態学科卒業論文.
  • 杉田 幸平, 長谷川(石黒) 直子, 倉茂 好匡, 伏見 碩二
    セッションID: P840
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1. はじめに
     都市内緑地は周辺市街地に比べ明瞭な低温域:クールアイランドを形成する(吉野・福岡, 2003)。例えば明治神宮・代々木公園において行われた夏季の気温連続観測によると、これらの大規模緑地とその周辺市街地とでは昼夜を通じて気温差が認められその差は最大で約-6℃であった(浜田・三上, 1994)。
     ところで、都市内部には、大規模緑地だけでなく比較的小規模な緑地が数多く存在する。このような比較的小規模な緑地を島緑地と呼ぶ(BURGESS・SHARPE, 1981)。クールアイランド現象は前述のような比較的大規模な緑地では観測されているが、これより小規模な島緑地での観測例はほとんどない。しかしながら、島緑地内部にも樹林地や草地が存在し、それらは低温域:クールアイランドを形成する可能性がある。
     そこで本研究では、滋賀県彦根市にある高宮神社(神社面積8845m2、緑地面積3675 m2)においてクールアイランドが見られるかどうかを観測によって検証した。

    2.観測地域・観測方法
     滋賀県彦根市にある高宮神社は国道8号線(高温域を形成)と中山道の間に位置する市内でも比較的規模の大きい社寺林である。
     観測は11/7,11/14,11/21,11/28の14:30-16:30にかけて行った。観測項目は、気温、風向、風速、全天日射量、放射収支、地表面温度である。気温はアスマン通風乾湿計10台を用いて15分毎に同時観測した。さらに、11月7日から28日まで神社内の樹林地6箇所と裸地1箇所にバイメタル式自記温度計を設置し、周辺市街地にデータロガ-付き温度センサーを設置して定点気温観測も行った。アスマン通風乾湿計と同時に四杯型風向風速計(大田計器製作所)10台を用いて風向風速を測定した。全天日射量は日射計(プリード)を用いて下向き、上向きの短波放射量を測った。放射収支は放射収支計(プリード)を用いた。地表面温度は放射温度計(TASKO,CHINO)を用いて測定した。

    3.結果・考察
     14日(ほぼ無風)の観測では、高宮神社からおよそ100m以内の範囲で低温域が形成されていた(図1)。28日の観測では(観測期間中の全観測地点の平均風速1.5 m/s)、高宮神社の東側にのびる県道彦根環状線沿いに高温域が形成されていた。
     神社内の樹林は、14日、28日いずれも観測地域内で最も低い気温を示した。また、周辺市街地との気温差は最大で1.8℃あった(14日14:45)。なお樹林地内では、観測期間中常に地表面温度が気温を下回っていた。樹林内の日射量は14:30を過ぎるとほぼ0になり、放射収支も負の値を示す、つまり顕熱フラックスが負になる。ゆえに樹林内では地表面が暖まらないため、地表面温度が気温より低くなったものと考えられる。
     神社内の平均気温から周辺市街地の平均気温を差し引いた値で示されるクールアイランド強度(7日、14日、28日のデータを使用)は14日の14時45分に最大となり-1.2℃を示した。
     明治神宮・代々木公園における夏季の観測では、クールアイランド強度は最大で-6℃、新宿御苑におけるそれは最大で-3℃程度であったと報告されている(成田ほか, 2004)。緑地面積3675 m2の高宮神社では秋季、クールアイランド強度が最大-1.2℃、風下側市街地へ影響する範囲は(11月14日14:45、観測地域の平均風速0.2 m/sの状態で)100m程度という結果になった。
  • 横塚 広美, 厳 網林
    セッションID: P841
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     近年,都市における熱環境が悪化しヒートアイランド現象が顕著になるなか,都市内緑地がこれを緩和することに貢献するため緑地が持つ冷却能力が注目されている.しかしこれに関する研究は,コストの理由から複数地点における長期同時観測ができないために同質のデータが取得できず複数緑地間での冷却能力の比較が困難であり,そのため多くが定性的な議論に留まっている.また評価手法に3Dデータを用いた緑地の質の把握がなされていないため,冷却能力を支配する要素の把握が十分でない.
     そこで本研究では東京都23区内の複数緑地における長期同時観測によって取得した気温データと3Dデータから把握した緑地およびその周辺環境要素との関係を明確にしたのち,複数緑地間での冷却能力の比較を可能とする指標「冷却ポテンシャル」の構築を目的とする.これは都市再開発において熱環境緩和の視点からの最適な緑地を検討する際に有意義なものである.

    ・観測概要および研究方法
     2005年8月1日から9月31日まで東京都23区内に存在する13緑地とその周辺小学校で地上気温観測を行った.緑地内の観測地点は東京における卓越風,また緑地内の地形を考慮し,北側・南側と静穏晴天な夜間において最低気温を観測すると判断した地点(以下,中央)の計3地点である.佐藤計量器による記憶計SK-L200THを用いて10分間隔で計測し,測器には日射遮蔽シェルタを装着させ,拘束バンドを用いて樹木の1.5mから2.0mの高さに設置した.
     以上の観測から取得した気温データより冷却能力を評価する冷却量の算出を行う.冷却量には周辺小学校と緑地内気温との差を,日変化を考慮するために0:00から23:50において積算し標準化を行った値を用いた.緑地内の気温は風速が1.0m/s未満を無風時,1.0m/s以上を有風時とし,無風時の場合は中央の値を用いた.一方,有風時の場合は緑地に最近隣している株式会社ライフビジネスウェザーによる独自の観測網から取得したLrobo気象データから緑地周辺の風向を把握し,風下側で観測された値を緑地内の気温として用いた.一方,緑地の環境把握には朝日航洋株式会社から提供された1mDSM(Digital Surface Model)データと国土地理院による5mDEM(Digital Elevation Model)との差を緑地ごとに集計し,樹林地の樹冠量を考慮したボリュームの算出を行った(図).これを樹林地における蒸発散量を示す値として蒸散指数とした.また各緑地の面積を算出し,規模指数とした.そして緑地周辺200m以内の道路面積の算出を行った.これを緑地周辺の人工排熱量と相関があると仮定し人工熱指数とした.但し各指数は単位面積当たりに変換し,標準化を行ったものである.
     そして冷却量を従属変数,蒸散指数・規模指数・人工熱指数を独立変数として強制投入法を用いて重回帰分析を行った.この時気象条件により冷却メカニズムが異なるため晴天日・雨天日・雨天翌日に分け,各条件における冷却量の平均値を従属変数とした.

    ・結果および考察
     まず晴天日において算出された重回帰式はXTを樹林地指数,XSを面積指数,XHを人工熱指数としY=aXT+bXS+cXH+dのとき,aは0.567,bは0.426,cは-0.161,dは-0.062であり,この式の決定係数は0.922で有意水準0.05で有意性が認められた.次に雨天日においてはaは0.240,bは0.356,cは-.283,dは-0.249であり,この式の決定係数は0.856であったが有意確率は0.122であった.そして雨天翌日ではaは0.667,bは0.532,cは-0.329,dは-0.270であり,この式の決定係数は0.845であったが有意確率は0.137であった.偏回帰係数より気象別に各指数の冷却量への寄与度を検討すると晴天日と雨天翌日においては樹林地,面積,人工熱指数の順で大きい.つまり樹冠における日傘効果や蒸発散による潜熱輸送量が,緑地の冷却量を大きく支配している.一方,雨天日には面積,人工熱,樹林地指数の順で大きく寄与している.これは雨天日においては日射量が少なく先にあげた樹冠の冷却効果が小さいため,緑地周辺の気温を支配する人工排熱量が蒸発散指数よりも冷却量を支配していると考える.
     以上の重回帰式における各変数の係数に対してそれぞれの天気の発生日数で重み付けし加重平均を行い,算出された値を係数に持つ式Y=0.517XT+0.471XS-0.282XHを緑地が持つ冷却能力を示す指標冷却ポテンシャルの算出式として提案する.
  • 清水 裕太, 小寺 浩二
    セッションID: P842
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I はじめに
     環境省は1999年に水質汚濁に係る環境基準項目に硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素に追加し、さらに排水規制や地下浸透規制等を施したが、全国の地下水の水質測定結果では硝酸性窒素による環境基準の超過率は他の項目と比べて突出している。硝酸性窒素による地下水汚染は、汚染原因が多岐に渡ることから、汚染機構の解明や低減計画の策定に対する取組状況は不十分である地域が多く、産官学民の連携と協働が不可欠である。そこで本研究では、すでに低減計画が発表されている地域を対象に自然環境、社会環境、行政力を指標とし比較、検討した。

    II 研究方法
     環境省に情報提供されている硝酸・亜硝酸性窒素対策推進計画等策定状況に記載されている計8地域を対象とした(表1)。各地域の計画の対策手法などを比較する。地下水の硝酸性窒素汚染は主に農業による施肥や畜産業による家畜排せつ物、工場排水、生活排水の3つの影響が大きい(山本ら,1995)ことから、各地域の汚染の主要因をGISを用いて地下水汚染リスク診断を行い、汚染原因を明確にすると共に、各種統計値から対象地域の社会情勢について問題解決への実行力を定量評価する。また、環境基準超過井戸は計画対象地域外にも多く広がっているため、全国の公共用水域水質調査結果と、実際に現地調査を行った対象地域の一部については水文観測結果も含めて考察を行う。

    III 結果・考察
     現在までに低減化対策等が策定されている地域では、すでに実行段階に移行しているが、その効果を発揮できていないところが多い。さらに、環境省の行っている定期モニタリング調査においては、環境基準を超過している井戸数は計画対象地域外にも多く見られ、特に顕著な岩手県や埼玉県、栃木県、長野県では未だ計画策定まで至っておらず(図1)、現象と計画地域は必ずしもマッチしていないことが明らかとなった。

    IV おわりに
     現在、策定されている計画に対して地理学的なアプローチを試みた。その結果それぞれの地域の硝酸性窒素汚染対策計画についての実効性や策定プロセスの問題などが明らかとなった。策定したことで終わらず、EUなど海外の先駆的な事例を取り込み実際に動く計画へと変える必要がある。そして極論を言えば、計画などいらない制度作りが必要なのではないか。
  • 三浦半島南部における河川水の水質変化を中心に
    高橋 ゆり, 小寺 浩二, 清水 裕太
    セッションID: P843
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I はじめに
     水資源として地下水は重要な役割を担っており、グローバルな観点から問題を解決する必要があるとされている。(谷口,2000等)集約的農業地域において、農作物への施肥に含まれる硝酸性窒素による汚染が顕著に見られている問題は日本だけでなく、諸外国でも認められている。そこでは、負荷の高い硝酸性窒素を含んだ水が地下水や河川水へと流出し、水質形成を大きく変えている。しかしながら、河川水と地下水の流出経路および、時間的・空間的な変化や流出プロセスは十分に明らかにされてると言い難い。(齋藤ほか,2005)本研究は、都市近郊に立地し、生産性の高い集約的農業地域となっている三浦半島を例に挙げ、半島の水循環の中で施肥による負荷がどのような影響を及ぼしているかを、現地水文観測・作付け調査の結果とあわせ考察する。それに加え、季節変化と共に、負荷のプロセスを明確にし、半島における水環境を言及していく。

    II 研究方法
     神奈川県南東部に位置する三浦半島は農業が盛んであり、なおかつ消費量の多い首都圏に近いことから、生産性が高い。冬・春はダイコン、キャベツ、夏は主にスイカ・カボチャで常に高い生産性を保っている。しかしながら、こういった地域においては、農作物に使用する窒素系肥料の影響で地下へ硝酸性窒素の浸透が懸念されている。全国でも多くの地域(各務ヶ原・島原など)に例を挙げられるように、施肥による浅層地下水への汚染は黙止できない事実である。そこで、作付けと硝酸性窒素の季節変動を中心に、河川への負荷を考察、予測していく。

    III 現地水文観測
     2006年6月から毎月、定点44地点(河川19地点・浅井戸13地点・深井戸10地点・湧水2地点)において現地水文観測を行っている。それに加え、4ヶ月に1度の集中観測をにて、季節変化の傾向を観察している。調査項目は、水温・電気伝導度(HORIBA製多項目計)、pH・RpH(比色法・共立化学のパックテストを行い、それに合わせ、イオンクロマトグラフによる水質分析の値を用いて、考察検討する。
             
    IV 結果・考察
     現地水文観測の結果、河川・浅井戸・深井戸の順に硝酸性窒素の値が高い。河川・浅層地下水は、施肥による流出の影響を顕著に受け、応答も速いためであると考える。反対に深層地下水は硝酸性窒素の値が低い。これは深層まで硝酸性窒素による汚染が大きく現れていない為と考えられる。近年、こういった研究においては、深層への硝酸性窒素汚染が危惧されているが、本調査からそういった傾向が推測できた。そういった傾向が見られる点ではシュティフダイヤグラムでも周辺と大きく異なり、浅層地下水が混入している可能性が考えらる。地下水全体においては、水温のピークが10月にきており、河川水に比べ約2ヶ月程度の遅れが生じている。これは地下水の熱伝導が、河川水とは異なることを示している。硝酸性窒素においては、10月から上昇傾向にあり、ピークはまだ確認できていないが、冬作の施肥を考えると、まだ上昇は続くものと考えられる。実際に、硝酸性窒素においては、10月と11月の値の違いは顕著にみられ、先述のような可能性を示唆している。空間分布においては、河川の上流部で涵養域である場所で値が高く、下流において値が下がっている。これは、シュティフダイヤグラムの水質形成から、流下する過程において、深層地下水が混入している希釈効果が生じていると考えられ、硝酸性窒素においても同じ傾向が見られる。

    V おわりに
     夏作から冬作への作付けの変化により、硝酸性窒素の濃度も変化していることが明らかになった。問題点として、集約的農業地域の地下水や河川水に与える負荷の流出経路は地形に準ずるため、負荷源と、実際に汚染が確認されている地域が異なることにある。そのために、汚染源と汚染箇所の特定により、人為的な硝酸性窒素汚染が及ぼす影響を定量的に把握できると考える。今後、春・冬作のキャベツ・ダイコンに与える施肥が及ぼす影響は年間を通して大きいと推測される。

    参 考 文 献
    谷口真人(2000):グローバルな観点からの地下水研究の現状と課題―地下水研究の時空間方向へのスケールアップ―,水文・水資源学会誌,13-6,476-485.
    齋藤光代・小野寺真一・竹井務(2005):沿岸扇状地小流域における硝酸性窒素流出過程,陸水学雑誌,66,1-10.
  • 小流域原単位法による恋瀬川の解析を中心に
    菊地 達郎, 小寺 浩二
    セッションID: P844
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I  はじめに
     霞ヶ浦では1970年代初頭より、湖内水質の悪化が顕著になり、1979年には年平均COD値11を記録したが、その後霞ヶ浦の富栄養化防止条例(1982年)などの施行により水質の悪化には歯止めがかかった。しかし、COD及び全窒素濃度は横ばいもしくは若干の減少傾向にあるが、全リン濃度だけは1985年より再び上昇を続けている。
      本研究では霞ヶ浦流域に属する1級河川恋瀬川において、原単位法を用い小流域単位での汚水処理人口・普及率及び農林地面積を考慮した流域内の窒素・リンの負荷量算定を行った。

    II  研究方法
     1/25000地形図から水系網図を作成し、ストレーラー法により次数区分を行い小流域を設定。農業集落単位で人口・家畜飼養頭数・作付面積等の値を入力した後、面積比により流域単位へと修正した。流域単位へと変換した後、原単位を乗じ小流域ごとの排出負荷量を算定し、公共用水域の水質測定結果の値及びそれを負荷量にした値との比較、行政単位と流域単位での原単位計算による値との比較を行った。また2005年12月~2006年3月及び12月に現地観測を行った。

    III  結果・考察
     恋瀬川の2次流及び3次流の小流域において負荷量算定を行った結果、リンは人口に比例し、窒素は作付面積に比例して排出負荷量が大きくなる傾向がみられた。
     大流域では流域面積に比例して汚濁負荷物質の排出負荷量が増減するが、小流域では流域面積は小さくとも排出負荷は大きいという流域も見受けられた。よって点源が流域の水質に影響を与え易い環境が形成されていると考えられる。また、1970年~2000年までの変化についても各値と負荷量の相関傾向があった。

    IV  おわりに
     小流域単位で負荷量を把握することにより、流域全体での計算では気が付かない負荷発生源を知ることができ、より詳細で効果的な流域管理につながる。本研究の手法は他流域でも適応が容易なため、流域特性を把握する一つの方法となれば幸いである。
  • 史料と古地図から見た東京の井戸と人間活動
    谷口 智雅, 谷口 真人
    セッションID: P845
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     都市における人間活動に関わる「水」は、人為的な影響を非常に受けて変化しており、「自然」と「水」の関係を理解するには歴史的水文環境の復原が重要である。そこで、第一に「過去の土地利用などの人間活動を中心とした都市活動を明らかにする」、第二に「歴史的地下水環境の復原を行う」の2点を中心に研究を行った。
     歴史的地下水環境の復原手法として、史資料・地形図等を用いた分析を行っているが、明治20年に出版された「1/5000東京図測量原図」内の図式にある井戸記号から、明治初頭の東京の井戸分布を復原したので、その結果を報告する。 なお、地図範囲は、東は隅田川右岸沿岸、西は新宿山手線内付近、北は上野・目白まで、南は隅田川河口・麻布の皇居を中心とした約8キロ四方の東京中心部の範囲である。この頃の東京の掘り井戸は約45,000、とも言われ、地形図内に示された井戸分布を見ても東京中心部には多くの井戸がある。分布の特徴として、水利用の観点から住宅密集地・屋敷の敷地内等に分布し、低地・台地、旧河道等地形的な条件とは必ずしも一致していない。
     このため、地形図による過去の井戸分布とあわせて、現在の井戸分布についても把握を行った。ここでは、地形的条件および史資料の比較的整っていることなどを考慮して、東京中心地の北部に位置する文京区について井戸分布を把握したが、地形図による過去の井戸分布復原同様に住宅地の路地、寺社に井戸が分布している。
  • 西城 潔, 岡崎 和也, 中村 美里, 色川 雄峰, 児玉 平, 沢田石 香
    セッションID: P846
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     多雪地域に生育する樹木には、積雪の影響により根曲りを始めとするさまざまな変形が生じる。人工林にとってこのような変形は「雪害」であるが、見方を変えると、多雪地域にみられる林齢・樹種のほぼ揃った人工林は、積雪環境の特徴やその地域性を論じるためのよい研究対象ともいえる。本発表では、多雪地域である山形県南部のスギ植林地における樹木変形の特徴とその地域性、それらに影響を与える要因について検討した結果を報告する。
    2.調査対象地域
     調査を行ったのは、山形県南部の長井盆地西縁から新潟県境に位置する小国盆地にかけての地域であり、北側には朝日山地が、南側には飯豊山地が位置する。また長井・小国両盆地は、西流して日本海へ注ぐ荒川水系と最上川水系とを分ける分水界で隔てられている。この地域に多数分布するスギ植林地のうち、段丘面などほぼ平坦な地形面上に立地するものから62地点を選び、調査地点とした。
    3.調査方法
     調査対象地域内のスギ植林地に認められる樹木変形を、根曲り・幹折れその他6種類の類型に区分した。一調査地点あたり10ないし50本のスギについて樹木変形の種類を判別した。また根曲りしているものについては、根曲り度を調べた。各地点における調査結果を集計し、その地域的特徴について検討した。
    4.結果と考察
    1)根曲り
     各調査地点における根曲り木の割合と平均根曲り度を求めたところ、根曲り木の割合は、朝日・飯豊山地山麓部にあたる小国盆地北部・南部で8割以上、小国盆地中央部で約5割、長井盆地側で3割弱であった。また一定の算出方法で求めた平均根曲り度をみると、小国盆地の北部・南部でともに約27度、盆地中央部で約20度、分水界を挟んだ長井盆地側で8度弱を示す。積雪量の多い地域ほど根曲り木の割合が高く、根曲り度も大きいという傾向を示すことから、積雪量の多寡に応じた雪圧の強度の違いが根曲りの状況の地域差を規定していると考えられる。
    2)根曲り以外の変形 
     根曲り以外の変形のうち、比較的明瞭な地域的傾向を示したのは幹折れで、小国盆地北部に多くみられる傾向が認められた。この結果については、積雪量の多寡のみで説明することは難しい。また幹折れ例外の樹木変形については、特に明瞭な地域的傾向を示さなかったり、積雪量の少ない調査地点でむしろ発生頻度が高いという結果が得られた。調査対象がスギ植林地であることを考慮すると、このように積雪量の多寡と必ずしも対応しない樹木変形の特徴には、間伐・枝打ちなど人間による管理の仕方が影響している可能性がある。
  • 畑中 健一郎, 陸 斉, 富樫 均
    セッションID: P847
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1.はじめに
     近年、里山の環境保全に対する関心が高まっているが、里山という言葉そのものにもさまざまな解釈があり、人により受け止め方にも違いがみられる。里山の環境保全をすすめるにあたっては、地域の人々が、里山に対して現在どういうかかわりをもち、また里山に対してどういう意識をもっているかを把握することが重要である。そこで本研究では、長野県民を対象に実施したアンケート調査をもとに、里山に対する住民の意識を明らかにすることを試みた。
    2.アンケート調査の方法
     アンケート調査は、2004年2月から3月にかけて、長野県内の84市町村(当時)の住民を対象に郵送により実施した。対象者は各市町村の選挙人名簿から層化3段無作為抽出により抽出し、有効回答数は1120人(有効回答率56%)であった。
     調査項目は大きく分けて、(1)長野県の自然と自然保護に対する意識、(2)里山とのかかわり、(3)里山の生き物に対する意識、(4)地域の伝統行事や組織へのかかわり、(5)今後の里山利用と保全への意識、および回答者の属性である。
    3.調査結果の概要
    (1)長野県の自然と自然保護に対する意識
     長野県の自然環境に「満足している」人の割合は66%で、市部よりも郡(町村)部で高い。また年齢別では、50代や60代の高年層よりも20代や30代の若年層で高い割合となっている。県内の自然保護対策については、「もっと推進するべき」が55%、「今のままでよい」が19%、「もっと緩和するべき」が5%であった。
    (2)里山とのかかわり
     里山に「親近感を感じる」人の割合は87%と高く、市・郡部での違いはほとんどないが、里山とのかかわりの頻度が高い人の方が「親近感を感じる」割合が高くなっている。
    (3)里山の生き物に対する意識
     ツキノワグマ、サル、カモシカなどの中・大型動物が、最近、数を回復させはじめていることに対しては、「良いことだと思う」が33%、「困ったことだと思う」が31%、「なんともいえない」が36%と判断が分かれている。市部では「良いことだと思う」、郡部では「困ったことだと思う」の割合が高く、年代別では若年層より高年層で「困ったことだと思う」の割合が高くなっている。
    (4)地域の伝統行事や組織へのかかわり
     最近の1年間に参加した行事としては、「初詣」が75%、「お盆の迎え火・送り火」が73%、「お祭り」が69%であった。また、残しておきたい行事としては、「お祭り」が89%でもっとも高い割合となっている。最近の1年間に日常生活の中で参加した組織や作業としては、「地域の共同作業」が62%、「寄合い」が53%であった。
    (5)今後の里山利用と保全への意識
     里山で暮らすことを「魅力的だと感じる」人の割合は79%と高く、市・郡部での違いはほとんどないが、高年層ほど高い割合となっている。また、里山での活動に「関心がある」人の割合は63%で、女性より男性、若年層より高年層の方が高い割合となっている。関心がある活動としては、市部では「自然観察会等の実施、郡部では「農業に関連した作業」が多い。今後の里山の利用策としては、「地域住民の憩いの場・癒しの場」が69%、「生活物資を得る場」が41%、「野生生物の保護区」が27%と続いている。
    4.おわりに
     里山に対しては多くの人が親近感を感じており、里山で暮らすことも魅力的だと感じている。しかし、市部と郡部、あるいは若年層と高年層での里山に対する認識の違いも明らかとなった。例えば、自然環境への満足度は郡部の方が高いが、中・大型動物の生息に対しては郡部の方が否定的な考えを持っている。また、若年層より高年層の方が里山により高い関心をもっている傾向もわかった。ただし、里山での活動内容としては、これまで営まれてきた農林業に関わる活動ばかりでなく、自然観察や憩いの場・癒しの場としての里山の利用など、関わり方に対するニーズも多様化している状況がうかがわれる。
  • 田上 善夫
    セッションID: P848
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    I はじめに
     山地周辺などに社寺をはじめ多くの信仰施設がおかれるが,その成立は近世の新田開発や寺社政策による寺町の形成以前にさかのぼるものが多い。また西国三十三観音霊場などの伝統的な霊場の札所も,山の中腹や山麓に多くおかれる。それらはさらに樹木,巨岩,滝などの傍らに位置することも多いが,神社にせよ寺院にせよそれのみでなく,境内社や小祠その他多くの施設の複合として存在するものが多い。こうしたものの中には,その影響範囲が山岳とその周辺地域にとどまらず,全国的に広がるものもみられ,また地域にはそれらの影響範囲が重畳している。こうした施設の個々の位置における関係,またそれらの相互間での関係について,若干の検討を試みる。
    II 山岳にかかわる信仰施設
     中央日本のとくに北信越,東海,日本海地方を中心に,立山,朝日,八乙女,戸隠,鹿沢,身延,秋葉,蓬莱,谷汲,横蔵,青葉,中山,大山,清水,美保などにおいて,主要な施設について現地調査を行った。また山岳信仰に通じる施設は,現在もさまざまな神社などとなって伝わっている。このうち神社について,「全国神社祭祀祭礼総合調査(神社本庁,1995)」を利用して,主要なものを抽出した。神社名称またそのよみかたはさまざまであるが,たとえば白山神社は,はくさん,しらやま,しらみね,などとよむものとした。抽出した主要な神社について,全国で集計すると,山について山・嶽・峰にかかわる名を冠するもの,また水について水・滝にかかわる名を冠するものがとくに多い(表)。また固有の山岳名を冠するものも多く,白山,大山などはとくに多い。一般に数が多いほど広域にわたるが,富山の牛嶽や新潟の守門などのように少数のものは地域的な分布にとどまっている。
    III 関連する主要な神社の分布
     前記の山岳にかかわる主要神社は,およそ以下のような範囲に広がる。羽黒神社は,越後と,山形・置賜から中通りを経て関東平野に多くの分布がみられる。日光神社は関東平野北部と越後平野に,赤城神社は群馬と埼玉方面に多い。富士神社は中央日本に多いが,富士山周辺にはみられない。弥彦神社は越後平野と会津に,戸隠神社はとくに安曇野に多く,石動神社は,能登から越後平野に多く,立山神社は立山周辺と石川・福井,剣神社は宝達,上越,福井,濃尾に多い。白山神社は北陸とくに福井,濃尾平野を中心とするが,白山から東方へ広がり関東にも多く,中心は福井市,岐阜市付近にある(図)。分布範囲は平野部に広がる一方,全体での中心は経済・社会的中心から異なる位置にある。
    IV 山岳社寺の変容
     先述の白山の神の本地は十一面観音とされるように,神仏のかかわりは深く,寺社には神宮寺や鎮守社が相伴われるものが多い。神社の名称に山や水を示すものが多いように,もともと多くは山岳においてさまざまに祀られ,さらに中には地方の山岳の神あるいは祖先の神として,有力なものも現れたと考えられる。多くの神社の祭神には大和の神名が含まれ,さらに本地の仏が祀られるとともに,さまざまな信仰施設の複合へと変容した。さらにとくに地方において多様な対象を結んで霊場が開創されているが,広域においても神仏の複合した霊場が開創されている。中世における一国霊場のもつ神官・僧侶と為政者の領国支配の機能が指摘されるが,こうした山岳社寺の複合にも多くの機能が含まれるものと考えられる。
  • 一ノ瀬 俊明, 原田 一平, 余 夢珊, 大坪 國順
    セッションID: P849
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     著者らは、黄河流域(華北平原を含む)における地下水位挙動の数値シミュレーションによる再現に必要な地下水需要の空間分布を、高解像度のグリッドベースで把握すべく、そのための各種手法開発を行ってきた(一ノ瀬ら,2004;2005)。本報告では、農業・工業・生活の3大カテゴリーについて、1996年時点におけるそれらの空間分布の推計結果を示す。
     農業用水については、耕地面積当たりの地下水取水量が一定という仮定のもとに、耕地面積の多寡で取水量(黄河水資源公報および海河流域水資源公報などによる省級行政単位別値)をグリッド(実際は県級行政単位ごとのポリゴン:平均的には20km2グリッドに相当するサイズ)へ配分する。大都市の近郊を中心に、華北平原の半分ほどの地域において1km2当たり年間12~23万tをくみ上げている。これは1120m四方に換算して年間約15~29万tに相当する。また、黄河本流に沿った地域の上流~中流においては、地表水に依存できるためか取水量は少ない。多いところでも1120m四方に換算して年間約4~7万t程度である。
     工業用水および生活用水については、米国軍事気象衛星による地上夜間光画像データDMSP/OLSの輝度値当たりの地下水取水量が一定という仮定のもとに、輝度値の多寡で取水量(同上)をグリッド(約1120m四方)へ配分する。工業用水については、華北平原の大都市や鄭州、洛陽、西安、銀川、蘭州、西寧などにおいてグリッド当たり年間13~67万t(ポリゴンベースではグリッド当たり年間約7~27万t)をくみ上げている。山西省の汾河流域ではその数分の1程度の水準である。衛星画像上のノイズと思われるゾーン(内蒙古地区や黄土高原付近など)もこの水準の値を示している。また、黄河本流に沿った地域の上流~中流においては、地表水に依存できるためか取水量は少ない。さらに、グリッドベースとポリゴンベースとの値に最大2倍程度の開きが存在し、これは高輝度地域の連担状況、つまり、光に埋もれた闇の部分の存在による。生活用水については、華北平原の大都市や鄭州、洛陽、西安などにおいてグリッド当たり年間12~57万t(ポリゴンベースではグリッド当たり年間約6~23万t)をくみ上げている。つまり、工業用水と生活用水はほぼ同じ水準といえる。

    文献
    一ノ瀬ほか(2004):環境システム研究論文発表会講演集,32,551-556
    一ノ瀬ほか(2005):地球環境シンポジウム講演論文集,13,329-334

  • LANDSATデータとQuickBirdデータを用いた太宰府市周辺地域の環境解析
    後藤 健介, 西木 真織, 黒木 貴一, 磯 望
    セッションID: P850
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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    1. はじめに
     広域の環境変化を効率よく捉えるには、衛星データによるリモートセンシング解析が適しているが、分解能が1mを上回る高解像度衛星の出現により、環境変化を捉えるためのリモートセンシングの技術は飛躍的に向上したと言える。本研究では、今まで地球観測によく用いられてきたLANDSAT/TMデータと、高解像度衛星QuickBirdデータを用いて同一対象地(福岡県太宰府市周辺地域)の土地被覆分類を行い、結果を比較することで、高解像度衛星データによって環境変化を捉える際の問題点等について検討する。
     また、2時期のデータを用いて解析することで、経時変化についても解析し、2種類の衛星データによる太宰府市域の環境変化の動向について調べる。

    2. 研究方法
     QuickBirdには、パンクロ(分解能0.61~0.72m)とマルチスペクトル(分解能2.44~2.88m)の2種類のセンサーが搭載されているが、今回は土地被覆分類に必要なマルチスペクトルデータをより高解像度のパンクロマティックデータの解像度に合わせるため、データフュージョンによるスケーリングアップを行った1)。このデータフュージョンを行う際に、可視光線バンドのみを用いたデータフュージョンと、近赤外線バンドを含めたデータフュージョンを行い、2種類のスケーリングアップしたマルチスペクトルデータを作成しするとともに、これらのデータを用いて、最尤分類法による教師付き分類を行った。
     同様にLANDSAT/TMデータを用いた最尤分類法による土地被覆分類を同じ太宰府市域を対象として行い、それぞれの結果を比較した。

    3. 結果
     QuickBirdの使用バンドを変えた土地被覆分類を行った結果、近赤外線バンドを加えない場合は分類精度が低下した。これは、植生をうまく捉えることができなかったためと考えられる。
     次に、同じ場所においてLANDSAT/TMデータを用いて土地被覆分類を行った結果と、QuickBirdデータを用いた結果とを比較すると、これらの図から、QuickBirdデータによるものは詳細に土地被覆分類が行われているが、実際には影の部分が水域と誤分類されたものが多いことが分かる。しかし、LANDSAT/TMデータによるものは影の部分を誤分類したケースは少なかった。 これらのことから、高解像度の衛星データを用いて土地被覆分類を行う場合は、影も精度よく捉えているため、影を分類クラスに含める必要があることが分かった。

    4. おわりに
     今回、LANDSAT/TMとQuickBirdの2種類の違う解像度の衛星データを用いて同一地域の環境変化を調べることで、次のようなことが分かった。
    (1)高解像度衛星データからフュージョンデータを作成することで、より詳細な土地被覆分類を行うことが可能となった。
    (2)データフュージョンによってスケーリングアップを行ったマルチスペクトルデータを作成する場合、近赤外線バンドを含めなければ土地被覆分類を行う際に誤分類が多くなる。
    (3)高解像度のQuickBirdデータを用いて土地被覆分類を行う場合、影の部分も分類クラスとして土地被覆分類を行う必要がある。

    参考文献
    1)後藤健介、谷村 晋、都築 中、VU DINH THIEM、MOHAMMADA ALI、野内英樹:途上国のGISマッピングにおける高解像度衛星データの適用、第47回日本熱帯医学会・第21回日本国際保健医療学会合同大会プログラム抄録集、p114、2006.
  • 長尾 朋子
    セッションID: P851
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/04/29
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     高知県四万十川は、ダムが存在しない「日本最後の清流」との一般的イメージが強い河川である。しかし、四国の西南部に位置し、台風進路に当たる多雨地帯で集中豪雨も多いため洪水が頻発し、地域住民はたびたび被害を被っている。高度経済成長以降の河川改修の影響が比較的少なかったことは否定しないが、築堤・河床掘削・中筋川ダムをはじめとするダム建設など、昭和4年より直轄河川改修がおこなわれてきた。
     一方で、四万十川では数種類の伝統的な洪水対策や治水工法を現在でも見ることができる。四万十川流域の象徴的景観の一つとして知られている沈下橋や水害防備林が残存するとともに、根固床止工の一種の木工沈床も、昭和初期より施工されてきた。また、新河川法が施行された1997年には粗朶沈床や木工沈床などの伝統的治水工法が再現施工された。
     本発表では、自然的景観を維持することが全国的に期待されている四万十川において、残存している伝統的な洪水対策・治水工法である沈水橋・水害防備林などについて現地調査をおこなったので報告する。
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