日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の195件中151~195を表示しています
  • 大西 宏治
    セッションID: S1405
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    本研究の目的は,職業高校の卒業学年に行われている課題研究でのGIS活用の事例を紹介するとともに,GIS教育の可能性について検討することである.本研究では富山西高校の土木科でGISを活用して行われた2002年度以降の課題研究を分析することを通じて,初等中等教育でのGIS教育の可能性を検討する.  これまでのGIS教育の研究では主に社会科や地理歴史科などの授業での活用事例の分析や活用の可能性について検討がなされてきた.しかし,工業科や商業科など職業高校の3年次で行われる「課題研究」で地域を調査したりGISを活用する事例がみられる.そこで行われる授業でのGIS活用の詳細を紹介するとともに,普通高校でのGIS教育のあり方を考える. 富山西高等学校の土木科がGIS教育に取り組むことになったきっかけは_丸1_測量士補試験でのGISに関する出題,_丸2_ESRIジャパンの小中高等学校に対する年間20校のArcGISの無償貸与のプログラムの存在である. GISを活用した課題研究は毎年2学期から始まり,4~5名の共同作業で実施する.課題研究は2学期の始めから1月中旬までで,毎週2日,各3コマ(1コマ50分)の週6コマを授業時間として利用するため,GISを活用する時間を十分に確保できる.  2002年度以降,高校のある旧婦中町(現富山市)を事例地域としてバリアフリーや防災をテーマとした課題に取り組んでいる.  2005年度は次のような時間数でGISを活用した地域調査について実践された. 1)GISとは何かを調べる(6コマ)  インターネットでGISについて生徒たちが調査した. 2)課題の設定(15コマ)  自分で取り組みたい研究テーマについてまとめ,その結果をグループで発表し合い,テーマを一つに絞る.2005年度は「婦中町の防災まちづくり」になった. 3)実地調査と地図整理(30コマ)  次のような実地調査を行った.(1)高校生の防災意識調査,(2)高校周辺の防災設備,(3)高校周辺の構造物の種類. 4)GISテキストによる演習(6時間)  ESRIジャパンの発行するGISワークブックを利用し,GISの基本的な使用方法を学習した. 5)GISデータの入力(36コマ)  授業が後半にさしかかり, GISにデータの入力が行われた.(1)婦中町の基図編集(9コマ),(2)建物データ入力(6コマ),(3)ポイントデータ入力(9コマ),4) 道路データ入力(6コマ),(5)レポート作成(6コマ).  初年度の学生たちは旧婦中町の市街地の街区や道路のデータを構築したこともあり,それ以降はその地図を基図として地図を更新することで,様々な分析をおこなうことができた.  踏査調査データのGISへの入力は時間のかかる困難な課題であり,社会科や地歴科の中で行うのは困難である.課題研究という多くの時間数を費やすことのできる授業であるため,この作業を行うことができた. そして,避難所の分布の偏りや避難所空白地の把握,震災時の建物倒壊などが集中する地域を地図に表し,旧婦中町地域の防災に関する提案を行うことができた. これまで「GISは児童・生徒にとって決して難しいツールではない」ということが強調されてきた(谷ほか,2002).確かに,用意されたデータを表示するだけであれば難しくはない.しかし,フィールド調査に基づく,自由度の高い主題図を描き分析しなければならない場合は,社会科や地理では十分に時間を用意することはできない.普通科でのGIS活用は,教師の教材作成や生徒が統計を利用した主題図作成などが時間数から考えると限界のようにも思える. ただ,GISを活用する教育は授業時間数をふんだんに利用してコンピュータの前で行うものだけではない.地理的なものの見方や考え方を養うことがGISの有用性を認識することにつながるので,それもGIS教育と考えることができる.現在の中学社会や高校地理の時間数を考えると,ここで取り上げた課題研究のように綿密な地域調査とGISでのデータの分析を行うのではなく,地域調査の課題の設定や調査や地図を有効に活用したデータの分析方法などの理解を促すことにあるのではないだろうか.GISの操作ができることと,地理的な思考で空間的な問題を考えることは別のことである.このような議論はこれまでも数多くなされてきたが,GISが社会の中で浸透しつつある今,改めてこのことを念頭に置いて,初等中等教育でのGISの活用方法を考える必要があるのではないだろうか.
  • 奥貫 圭一, 佐藤 俊明, 岡部 篤行, 岡部 佳世, 塩出 志乃
    セッションID: S1406
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
     空間分析法は古くから地理学者たちによって追究され研究が蓄積されてきた。そうした蓄積を受けて,近年,その方法を実践するためのソフトウェアを開発す る研究が増えている。そうした動向について,国際的なものについては,Rey and Anselin(2006)らによりGeographical Analysisの特集号で紹介されている。国内のものについても岡部・村山(2006)で動向を知ることができる。本発表では,そうした動きを踏まえ て,とくにネットワーク空間分析のソフトウェアに焦点をあてて,最近の進展と今後の展望について述べる。

    2.空間分析ソフトウェアの普及のための課題
     空間分析のためのソフトウェアに関わる近年の動向の中で注目すべきは,統合型空間分析ソフトウェアとでも呼ぶべき GeoDa(http://geodacenter.asu.edu)の普及であろう。GeoDaのウェブサイトでは,数々の教材が用意されており,普及 を促す大きな力となっているようである。統合型空間分析ソフトウェアについては,国内でも,SDAM:空間データマシン(村山・小野 2003)が開発・提供されているので,普及を促すためにどうするかが今後の課題となる。

    3.ネットワーク空間分析のためのソフトウェアSANET
     GeoDaやSDAMは,空間分析法全般を網羅したソフトウェアである。その一方で,特定の分析対象や分析方法に焦点をあてたソフトウェアも多く開発さ れている。SANET(http://sanet.csis.u-tokyo.ac.jp/)は,そうしたソフトウェアのひとつで,ネットワーク空間分析 に機能を限定して開発され,アカデミック向けに提供されている。2009年秋にVer.4β版がリリースされ,これはESRI社の ArcMap(ArcGIS Ver.9.3)の拡張プログラムとして開発され,空間分析を担うコア部分が(Microsoft社のVisual C++ 2008で).Net Frameworkとしてつくられている。
     SANETの主たる機能は,1)ネットワーク上の勢力圏分析,2)ネットワーク上の点分布パターン分析,の二つであり,道路網などを与えたとき,その上 での施設の最近隣勢力圏(ネットワークボロノイ)を図化したり,交通事故発生分布の密度分布図(カーネル密度)を図化したりすることができる。ただ し,GeoDaと比べて教材が貧弱であり,必ずしも利用ニーズに応えられているとは言えない。今後,有効な教材を検討し,提供していく必要がある。

    4.おわりに
     本発表では,空間分析ソフトウェアに焦点をあてて,教材の充実により普及がはかられているGeoDaを例にあげつつ,ネットワーク空間分析ソフトウェア SANETとその今後について紹介した。

    参考文献
    岡部篤行・村山祐司編 2006. GISで空間分析, 古今書院.
    村山祐司・尾野久二 2003. オープンソースを利用した統合型空間分析システムの開発, 人文地理学研究,27,71‒105.
    Rey, S. and Anselin, L. 2006. Recent Advances in Software for Spatial Analysis in the Social Sciences, Geographical Analysis 38, 1-4.
  • 西村 雄一郎
    セッションID: S1407
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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     インターネットを通じたデジタル地図の利用が急速に拡大し,カーナビや携帯電話による位置情報サービスが普及するなどGISがもたらす社会への影響が増大するにつれて,GISと社会との関わりが重要なテーマとして浮上してきた.英語圏の地理学では,社会理論からみたGISの諸問題が1990年代以降,活発に議論されてきた(矢野2000,若林2001,『空間・社会・思想』特集(第7号, 2002),人文地理学会地理思想研究部会2007).こうした動きは「クリティカルGIS」(Schuurman 1999, 2000, 2006)と呼ばれている.クリティカルGISとは,「社会理論,STS(科学技術社会論Science, Technology and Society),哲学に依拠しながらGISの技術と原理を評価するアプローチ」(Schuurman, 2006: 726)であり,「GISの開発と利用にまつわる社会的・政治的意味合いを扱う地理情報科学の一分野」(Kwan 2008a: 56)として位置づけられる.すなわち,1990年代に行われたGIS派と社会理論派の間の批判・論争を経て,地理情報科学に関心をもつ研究者によってGISの技術や原理を批判的に再考する内在的な運動として捉えられる(Schuurman, 2004: 49)(若林・西村2010).
     クリティカルGISは, 米国NCGIA(国立地理情報分析センター)の Initiative 19(I-19)「GISと社会」で提示された七つのテーマを中心に展開されてきた(Sheppard 2005)が,特に2.コミュニティと草の根の視点と生活世界のためのGISの有効性,4.GISのジェンダー化,5.GIS,環境的公正environmental justice,ポリティカル・エコロジーに関する研究事例は参加型GIS(Participatory GIS (PGIS))として,7.新しいタイプのGIS(GIS/2)はPGISを実践するためのツールとして開発が進展しており,欧米での研究が最も多く蓄積されている(若林・西村2010).
    一方日本では,こうしたクリティカルGISの動向をふまえた具体的な研究や実践は明確でない.このことは,日本のGIS研究において地理情報科学が一面的に理解されてきたことが影響している.  日本における参加型GISの進展においては,政府の影響が大きい.2007年の地理空間情報活用推進基本法の立法化に先だって,2003~2005年度国土交通省によってGIS利用定着化事業が進められた.『GISは,行政,産業活動,国民生活の幅広い分野において,これまでの諸活動を効率化・迅速化するとともに,従来にはない新しい質の高い様々なサービスを生み出しうる技術である』(地理情報システム(GIS)関係省庁連絡会議(2002年2月))との認識の下,「国民生活にかかわる様々な場面において,利用者属性等のタイプ (分野)別に設定したテーマ毎に,多数の一般ユーザーによる利用等を通じて…利便性の向上や国民生活の質の向上を生活感覚で明らかにし,社会と生活へのGIS 利用の定着を図る」(http://nlftp.mlit.go.jp/gis/cyu02jigyou.pdf)ことを目的とするものであった.この事業においては「GISと市民参加」がその中心題目に掲げられ,防災,防犯,環境,バリアフリーといった分野で実証実験が行われた(GIS利用定着化事業局 2007).  専ら政府・行政の側から市民利用のGISの普及と定着に関する振興事業・支援策が行われているというある種の皮肉な状況が,日本における現在の参加型GISの形態を決定づけるものとなっている.英語圏のPGISは周縁化された人々のためのエンパワメントを主要な目的のひとつに掲げ,政府や企業などデータを占有し,自らの利益に向けた計画をGISに基づく『客観的』な地図として表象する動きに対して,ローカルコミュニティ,土着の人々,エスニック・マイノリティが対抗マッピング(counter-mapping)を行うことで,ローカルな課題解決に向けた意思決定過程での合意形成を行う手段として位置づけられているが,このような利用の仕方は日本においては表面化していない.また,こうした利用を下支えするような技術(FOSS4G, open street mapなど)の利用,GIS教育,行政情報の公開など考えるべき課題は多い.

    文献
    若林芳樹・西村雄一郎「『GISと社会』をめぐる諸問題-もう一つの地理情報科学としてのクリティカルGIS-」地理学評論.2010(平成22).83-1,60-79.
  • 森 亮
    セッションID: S1408
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
    地理学分野における地理情報システム(GIS)の活用は従来から進んでいるが、近年では商用の高価なソフトウェアに引けをとらない機能を有した無償で利用制限の少ないオープンソースソフトウェアが普及し始めている。
    本発表では、オープンソースGISソフトウェアに焦点を当て、その意義、歴史と現況、将来性について概説する。

    2.「オープンソース」であること
    プログラムのソースコードが公開されているオープンソースソフトウェアには、利用、再配布、改変の自由や、開発者と利用者からなるコミュニティによる運営など、単にソースコードの公開だけではない様々な特徴があり、これらが重ね合わさって高い価値を提供している。

    3.オープンソースGISソフトウェアの歴史と現況
    オープンソースGISソフトウェア(またの名称をFOSS4G; Free Open Source Software for Geospatial)の源流は、20世紀のUnixワークステーションの時代に遡り、その時代に開発されたツールは今なお第一線で活躍している。
    本格的に普及するようになってきたのは、今世紀に入った2001年以降である。オープンソースソフトウェアの運営がインターネットを介したコミュニティによるものであることから、ちょうどインターネットが世界的に普及するのに符合している。
    今日に至るまでに、オープンソースGISソフトウェアは、クライアントPCで動作するものと、サーバ側で動作するものをあわせて、数百も存在しており、このうち特に性能面で優れている十数種類は世界で広く利用されている。
    また、これらのソフトウェアから利用可能な地理データがインターネット上に無償で提供されるようにもなっており、利用者はソフトウェアだけでなく、地図データも無償で手に入る時代になりつつある。さらに、オープンストリートマップ(Open Street Map)プロジェクトに代表される、無償で利用制限の少ない地理データプロジェクトも急激に成長しており、地理データの「オープンソース化」とでも呼べる現象も進んでいる。

    4.オープンソースGISソフトウェアの将来性
    位置情報を活用したiPhoneアプリなどの普及に見られるように、GeoSpatialなものはIT(情報技術)のホットな領域として認知されるようになり、オープンソースGISソフトウェアの利用者が急速に拡大している。オープンソースGISソフトウェアは、従来の専門性の高い領域にとどまらず、ITの幅広い領域で採用されるようになることが予想され、このことが、新しいタイプの機能を実装した新たなソフトウェアを生み出すことになるだろう。

    5.おわりに
    利用制限の少ないソフトウェアの普及によって、それまで限られた人にしか利用できなかったものが、誰でも(極端な話では、小学生でも)意欲さえあれば利用できる時代になった。オープンソースGISソフトウェアの普及は、地理学分野においても、研究者の裾野を劇的に拡大させるビッグバンになりうると思われる。
  • 平井 松午
    セッションID: S1409
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.研究の目的
     報告者はすでに,洲本城下町成立期の1631年(寛永8)頃から1870年(明治3)頃までの約240年間にわたる8期の洲本城下絵図(表1)をもとに,GISソフト(ArcGIS9.3)を用いて土地利用変遷図を作成するとともに,延べ775家の徳島藩士(うち上級の高取397家,中級の無足321家,不明57家)を確認することができた(平井「城下町のGIS分析」情報処理学会研究報告2009-CH-83(人文科学とコンピュータ),2009)。これらの徳島藩士については,その出自・系譜に関する文書記録「蜂須賀家家臣成立書并系図」(徳島大学附属図書館蔵)等によって,洲本居住時期や役職変遷などを特定することが可能である。
     そこで本報告では,こうした文書史料のデータをGISソフトのデータベース機能に取り込み,近世城下町構造ならびに歴史GISの可能性の一端を探ることにしたい。

    2.洲本城下町における徳島藩士の居住歴
    表2は,各期の城下絵図に記載された徳島藩士(高取・無足)について,居住の継続性を絵図単位にまとめた一覧表である。洲本城下町成立期の城下絵図No.1に記載された藩士46家については,享保11~14年頃の絵図No.3では31家が確認され,明治初年の絵図No.15でも24家が洲本に居住していることから,居住継続率は52.2%となる。絵図No.3以降は無足の家臣名も城下絵図に記載されるが,各絵図面で新規に確認される居住者の定着率は必ずしも高くはない。しかし,絵図No.15に記載された110家のうち,絵図No.1・3・4で確認される享保期以前の居住者が53家を数えることから,洲本城下町における徳島藩士の定着率は相応に高く,居住者は総体的に固定的であったといえる。
    図1は,絵図No.15で確認された合計110家の徳島藩士(高取・無足)を,居住時期別に示したものである。洲本城下にあって高取藩士が集住した内町地区では,城下町成立期(寛永年間)にすでに居住していたものも少なくない。これに対して,無足や無格(足軽・水主など)の中~下級藩士が集住した外町区では享保期以降に居住が確認されるケースが多く,侍身分によって定着率に差があることが想定される。
    ただし,このような城下絵図をベースとした分析では,「時の断面」という制約により不連続な時空間分析を余儀なくされる。そこで,報告時には家譜史料を用いて,近世城下町居住者(侍)について240年間にわたる時空間分析を試みることにしたい。

    付記
    本報告は,平成17~20年科学研究費・基盤研究(B)「GISを用いた城下町に関する歴史情報システムの構築と解析」(研究代表者 平井松午,研究課題番号17320135)の成果によるものである。
  • 塚本 章宏
    セッションID: S1410
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    I はじめに
     近年,多くの分野でGIS利用が進んできている。そのなかのひとつに歴史分野が挙げられる。GISを歴史空間で運用する研究分野は歴史GIS(以下,HGIS)と呼ばれ,特に2000年頃から,多くの成果が蓄積されてきている。海外の歴史GISプロジェクトでは,インターネットを通じて,歴史的な統計データやデジタル化された地図を閲覧・入手することが可能となっているものが多い。こうしたと歴史分野でのGIS利用において,先進的な取り組みを進めている米国ハーバード大学地理解析センター(以下,CGA)が主導したHGISプロジェクトについて紹介したい。また,ハーバード大学における,GIS利用の中心的な役割を果たしているCGAの設備・研究プロジェクトなどについても触れ,日本におけるHGISプロジェクトの方向性について,考えてみたい。
    II 歴史GISとハーバード大学地理解析センター
     HGISプロジェクトの特徴のひとつとして,GISの位置情報を基盤に据えたデータ設計の概念によって,膨大な歴史資料の効率的な検索と情報の公開を実現していることが挙げられる。海外におけるHGISプロジェクトで特に有名なもののひとつとして,ハーバード大学の主導による”China Historical GIS”(以下,CHGIS)がある。このプロジェクトでは,インターネットを通じて,中国の歴史的な地図・資料などを閲覧することや,GISデータをダウンロードすることができる。一方で,GISのデータセットとして,ある程度の完成度を有するCHGISのデータは,教育素材として学部・大学院の授業でも使われている。他にもCGAでは,歴史分野に関わるプロジェクトとして,"Africa Map"や"Digital Atlas of Roman and Medieval Civilization"も推進している。これら2つのプロジェクトは,CHGISのようにGISデータのダウンロードはできないものの,インターネット上で当該地域の歴史地図や地名を検索・表示することが可能なシステムを構築しており,いわばインターネット上の地誌のようなものである。
    III ハーバード大学地理解析センターの概要
     HGISのプロジェクトを日本において進めていくためのひとつの指針を模索するために,様々なGISプロジェクトを管理・運営するCGAの概要を以下にまとめる。
    1) 設立:CGAが設立されたのは,2006年5月である。設立の理念は,GISが多くの学問分野にとって有用な技術であることが認識され始めたことを背景に,これまで個別の研究科・学部で利用されてきたGISのサービスを,ひとつの拠点に統合することがなされたのである。
    2) 設備:拠点はCambridgeキャンパスにあり,専任・客員研究員の個別・共用の部屋や,30台を超える共用のコンピュータを有するラボもある。また,Longwoodキャンパスにもヘルプデスクとワークショップルームがある。
    3) スタッフ:専任7名,客員研究員10名(2010年7月)。
    4) コンサルティング:学生・研究員・研究スタッフに対して,ソフトウェア・アプリケーションの使い方,地図化や空間分析などの研究サポートのみに止まらず,研究助成金申請や研究プロジェクトの構想段階から相談を受け付けている。
    5) 教育・普及:学部・大学院でのGISの授業に加え,授業を履修していない学生を対象とした無料のトレーニングコースや、年2回の院生・ポスドク研究員を対象とした2週間の集中プログラムもある。そして,毎年春には,CGA主催によるカンファレンスが開催され,特定のテーマのもとに,多くのゲストスピーカーが招かれる。
    6) プロジェクト:2006年から,CGAが関わったプロジェクトは,前述のプロジェクトも含めて60以上になる。
    IV まとめと展望
     ハーバード大学は,GIS技術の拠点を形成することで,GISに精通した人員を常時配置して,教育・研究・共同利用の受付窓口をひとつに集約した。これによりGISスペシャリストと歴史研究者との共同を進めやすい環境が整備された。その結果として,GISとは縁が薄かった歴史分野においても,HGISのプロジェクトとして一定の成果を残すことができたと考えられる。今後,こうした共同研究を進めるための基盤・環境整備が日本のHGISの発展にとって,重要な要素になるのではないだろうか。
    付記
     本報告は,日本学術振興会研究者海外派遣基金「優秀若手研究者海外派遣事業(特別研究員)」における成果の一部である。
    参考資料
    1) Guan, W. and Bol, PK. 2009. Harvard Revisited: Geography's Return as GIS. The Geography Teacher. 6(2): 14-18.
    2) Center for Geographic Analysis at Harvard University.
    http://gis.harvard.edu/icb/icb.do(最終閲覧日:2010年7月11日)
  • 川口 洋
    セッションID: S1411
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    人文地理学会・歴史地理研究部会と情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会は,デジタル地名辞書,時空間分析システム,古地図の蓄積・分析,歴史地理(人口),歴史地理(集落)の5セッションからなる「Historical GISの地平」シンポジウムを2009年7月25・26日に帝塚山大学で共催した。シンポジウムを通じて、HGISが歴史地理学に必要な研究法として浸透するには,次の4点が最重要であることが判明した。1.HGISを用いて,新たな地域像,民衆像,歴史像を提案する。2.HGISを用いて,魅力ある研究成果を蓄積・公開・発信する。3.web環境に対応する時空間分析が可能な4DGISアーキテクチャーを開発する。4.アドレス・マッチング機能を持つデジタル地名辞書を構築する。
  • 佐藤 廉也
    セッションID: S1501
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    国家の傘の下にない一夫多妻の生業社会では、人々はどのようなプロセスをへて大人になり、男性あるいは女性はいつ頃結婚し、一生に何人の子供を持ち、何歳でどのような原因で生涯を閉じるのだろうか?また、そうした社会は国家への包摂をへて、あるいは定住化によって、どのようにそのライフコースを変容させるのだろうか?そもそも、ある社会のライフコースと出生力とは、どのような関係を持つのだろうか?
     報告者は上のような疑問を持ち、2002年から、エチオピアの西南部低地熱帯林にすむ焼畑民マジャンギルのライフヒストリーの収集による人口動態の復元の試みを開始した。この報告では、それらの結果のうち、社会変容の前後における出生力変化の問題に焦点をあて、あわせてその要因について考察を加える。
     エチオピアはヨーロッパによる植民統治を経験していないという点で、サハラ以南アフリカでも特異な歴史を持つ。1970年代半ばまでエチオピア高地を拠点に領土を支配した帝政エチオピアは、低地の少数民族に対したびたび徴税などの試みをしたものの、ほとんど実効はなく、低地の諸民族は互いに交易や紛争などを繰り返しながら自律的な社会を保ってきた。ところが社会主義革命政権の樹立の後、1970年代末からマジャンギルにも国家による定住化政策の力がおよび、行政村を形成するに至って、この段階で初めて名実ともに国家の傘下に入った。
     ライフヒストリーの収集は、1910年代以降に生まれた成人男女を対象に、ロングインタビューによって、親族関係や移住の歴史とともに、結婚・離婚・出産の経験とその時期を聞き取ることを中心に行った。情報の抜け落ちをチェックするため、夫婦や兄弟も必ず別個にインタビューを行うことを原則とした。また、マジャンギルは自分の年齢を数える習慣がなかったため、複数の同郷の人々への聞き取りによって相対年齢を明らかにした後、西暦のわかっている出来事とリンクさせることで出生年の推定を行った。そして、出生力を世代別に分類して比較し、定住化の前後での変化をみた。
     その結果、まず定住化前のマジャンギル社会では、TFR(合計特殊出生率)が4に満たず、いわゆる伝統社会のなかではきわめて出生力の低い少産社会であったことがわかった。また、定住化の影響を受けていない世代と受けた世代では、初産年齢や20代・30代の出生率いずれにおいても有意な差を示し、定住化後に出生力が上昇していることがわかった。国家の傘の下にないマジャンギル社会がなぜ低出生力であったのか、そして定住化後に出生力が上昇したのはなぜか。報告ではさらに出産間隔や離婚率、結婚観、夫婦の性をめぐる規制、さらにはライフコースとその変容など、出生力の変化に影響を与えた可能性のあるいくつかの要因を検討しつつ考察する。
  • 中澤 港
    セッションID: S1502
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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     メラネシアの農村部は,一般に,複雑な婚姻規制のために晩婚で,かつ長い授乳期間のために産後無月経期間が長いために出生率が高くなく,増えた人口も都市部へ流出してしまうのが普通であった。しかし,ソロモン諸島ウェスタン州は,例外的に,きわめて急激な人口増加を経験してきた。なかでもクリスチャン・フェローシップ・チャーチ(CFC)の本拠地となったパラダイス村は,1959年の成立当初は200人に満たなかった人口が,1995/96年センサスでは742人に達した。CFCは土着発生的なキリスト教の一宗派であり,開祖サイラス・エトが「ソロモン人によるソロモン人のための教会」の創設を目指して立ち上げた。開祖は子供に恵まれない夫婦に子を授けたり,抗呪の儀式により乳児突然死を調伏したりする神秘的な力をもっていると信じられた一方で,村に診療所を設置してプライマリケアを充実させたり共同労働によって安定した食料生産を確保したりといった現実的な生活改善策をとった。さらにCFCの信者としての生活基盤は村にあり外部社会との接触は好ましくない(そのため,食べ物も伝統的なサツマイモと魚と青菜と果物がほぼ100%である)という理由で,村人の村外への移住を厳しく制限する戒律があり,とくに激しい人口増加が起こる条件が整っていたと考えられる。
     パラダイス村には,成立当初から詳細に記録されてきた出生,死亡,転入,転出についての人口動態記録があり,それをベースにした補完的な聞き取り調査によって過去40年間の人口変化をほぼ完全に復元することができた。このデータから年人口増加率を計算すると,村の成立後20年間は約6%ときわめて高い水準にあり,その主な原因は出生力が高いことであった。人口動態記録に載っているすべての女性から(没後の場合はその兄弟姉妹や子から)詳細な出産歴を聞き取り,既婚女性全員についてのデータを分析した。
     一方,首都ホニアラが位置するガダルカナル島には,比較的早い時期から現金経済が入ってきた。ホニアラへの人口流入源は主に隣のマライタ島であり(それが2000年前後に起こった民族紛争の原因になった),ガダルカナル島北岸に位置する東タシンボコ区にはアブラヤシやココヤシ,カカオのプランテーションが拓かれ,他の農村部とは異なり,増えた人口を吸収できるだけの労働機会があったため,農村部でありながらも他の島からの人口流入がかなりあった。1980年代には,プランテーションの他にも,木材を伐り出して売る,商品作物を作って売る,養鶏場を経営するなど,さまざまな形で現金経済が入ってきており,主食もサツマイモと米またはラーメンがほぼ半々であった。宗教的にはアングリカンというキリスト教の一派の信者が主だが,ほとんど戒律らしい戒律はないので,その影響は少なかった。東タシンボコ区にあるバンバラ村には1995年に約200人が居住しており,そのうち既婚女性全員を対象にした聞き取り調査によって出生力を分析した。
     これら2地区の既婚女性を3グループに分けた。Aグループは1940年以前に生まれた女性であるが,バンバラ村には数名しかいなかったので分析から除いた。再生産は,1980年以前に概ね完了している。平均完結パリティは約9と世界最高水準であり,分散もほぼ等しい値であることからポアソン分布に従っていると考えられ,ほぼ可能性の限界まで子どもを産んでいたと考えられる。Bグループは1940~1960年に生まれた女性であり,主な再生産期間は1960年代から1980年代であった。パラダイス村では平均完結パリティは約7であり,Aグループよりは低いが,それでもメラネシア集団としてはかなり高い水準を保っている。バンバラ村では約6であり,パラダイス村よりやや低く,分散がやや大きい。残りのCグループは1960年以降に生まれた女性であり,再生産はまだ完結していない。パラダイス村に比べ,バンバラ村の方が子供数3~5の女性が少なく,分布が二峰性になっているために分散が極端に大きいように見える。出産間隔の分析結果と合わせて考えると,地域ごとの社会環境条件によって出生力とその変化の様相は異なるけれども,どちらの地区でも平均的には低下傾向にあるようにみえた。
  • 口蔵 幸雄
    セッションID: S1503
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    本発表は,半島マレーシアの狩猟採集民スマッ・ブリ(Semaq Beri)の一集団における政府の定住化政策や開発計画に伴う,居住形態や生業形態の変化が出生数に及ぼした影響について考察する。 また,それらが女性のフォレ-ジングに及ぼす影響についても考察する。
    調査集団は,1970年代中ごろまでパハン州中央部を流れるテンベリン川の上流域の支流Sepia川流域を中心に,クランタン州やトレンガヌ州の際上流域で移動生活を送りながら,狩猟採集に加えてマレー村民との間で森林の産物や労働力と農作物や日用品を交換して生活していた。1976年にトレンガヌ州奥地の森林の周縁部に州が公示したオランアスリ保留地内に先住民局(JHEOA)によって建設されたスンガイ・ブルア村に定着した。雨期(11月―1月)を除く季節には,木材運搬用道路を利用して頻繁に奥地に入り,トウ採集その他の目的のキャンプ生活を送った。森林と村の二重生活であり,乾期には,村は定住地というより奥地のキャンプと町(トウ採集の交渉や買い物)の中継所という役割を果たした。
    1985年にクンニャーダムが完成し,それまでの主なキャンプ生活での活動域であった主要河川の流域38,000ヘクタールが水没した。この大規模な森林喪失は,保留地に入植して以来最大の環境の変化であった。1990年に,保留地の一部を含む周辺地域の広大な土地が,土地統合再開発公社(FELCRA)によってアブラヤシ・プランテーションとして再開発された。同時期の1990年代に入って,イスラムへの改宗の圧力が強まり,1994年には全員が(名目上)改宗した。その前後から,さまざまな経済開発援助や社会サービスが提供されるようになった。
    保留地への入居,クンニャー湖の出現,アブラヤシ・プランテーションの開発という,彼らにとって3大出来事は,とくに女性の定住の強化をもたらした。このことは出生率の上昇に導いた。生殖年齢を過ぎた女性の平均出生数は,保留地入居以前(1979年に調査での推定)において5.00であったのに比べ,ほぼ村に定着した2002年の調査では8.38と上昇した。これに伴い,1979年から,2002年までの23年間の人口の自然増加率(転出者,転入者を除く)は,年平均5.05パーセント,1999年から2002年の3年間の年増加率は10.94パーセントと驚異的に高くなった。社会集団の拡大は,女性の村落周辺域でのフォレージングにおける,グループ構成や収穫物の分配にも影響を与えている。すなわち,特定の親族関係への偏りが強くなった。
  • 高橋 眞一
    セッションID: S1504
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1  はじめに
     現在,開発途上国といわれるほとんどの国ぐにで出生力低下が進展している。この低下は先進国の経験とは多分に異なるし,また地域によっても低下の経過や要因も異なることが多い。本報告では,ラオスを例として,北部焼畑村調査を参考にしながら,主に南部のサバンナケット県農村の出生力低下の推移とその要因について検討し,さらに出生力低下と国際移動との関連にも言及する。

    2 焼畑村の事例
     ラオス農村の出生力低下については,すでに北部のルアンパバン県の農村調査でその実態を明らかにした。調査農村の主要生産物は焼畑による陸稲であった。少なくとも第二次大戦後の死亡率の低下による人口増加は,森林開拓による焼畑地の増加と周辺農村への移動,それに都市への移動によって吸収された。1990年代に森林利用抑制政策が実施され,焼畑面積の増加が困難になり,人口増加は焼畑サイクルの短縮化によって吸収されたが,それも限界に達した。政府は焼畑を制限し,土地の再配分を行い,現金作物の生産を奨励した。一方,市場経済化も進み,義務教育化による子供の教育費の増大など農村でも現金収入を必要とするようになった。これら変化の過程で,政府による緩やかな家族計画プログラムがこの農村に1990年代以降導入され,最近では若い夫婦は子供2人を希望していて,それを実践する割合が高い。

    3 自給的水田村の事例
     一方,今回対象にした天水田による生産力の低い自給的米作を主とした農村で,出生力が低下する過程を示すと,以下のようになるであろう。
    1) 北部農村と同様に,少なくとも第二次世界大戦後にはみられた死亡率低下によって,この村でも人口増加がみられた。
    2) この村では,上述北部農村と違って,増加人口が村外部に出ることはあまり多くなかった。農村間移動では近隣農村や遠方の開拓農村に移動することは少なかった。
    3) 非農業雇用を求めての村外への人口移動も少なかった。40キロ先の人口5万のサバンナケットの人口吸収力は弱かったこと,500キロ先の人口50万の首都ビエンチャンも遠距離であることとやはり人口吸収力は大きくなかった。増加人口の大半は村の中で新しい世帯を形成した。
    4) この村の増加する人口の多くは森林開拓による水田の増加によって吸収された。そのため,この村の水田の新規開拓はおおよそ30年前には終わったが,増加する人口のために,農家当たりの経営耕地は減少した。
    5) 1990年代後半から化学肥料を導入するようになり,面積当たり収量は有機肥料に比べて2-4倍ほどになったが,村に滞留する増加人口が収量の増大を相殺するという性格が強かった。
    6) この村でも化学肥料購入等に示されるように,次第に市場経済が浸透してきたが,主要現金収入は水牛,飼育牛,鶏,アヒル等を村にある森林や水田,それに庭先で養育し,販売することで得られた。一部農家は,チリや,マンゴーなどの果樹栽培を始めた。
    7) 1990年前半以降のラオス政府による緩やかな家族政策がこの村にも導入された。30歳代前半以前の若い夫婦はインジェクション,ピル等による避妊が一般に行われている。しかし北部調査村に比べて,家族計画実施率はむしろ低い傾向にある。現在,若い人々の望む子供数は1-5人程度とまだばらつきが見られる。
    8) 2000年頃から多くなってきたタイへの国際移動は,農業,生活,人口変動に影響を与えた。トラクターや耐久消費財購入を増加させ,市場経済化を進展させた。また,耕地細分化によって農業のみで生活できない零細農家の存続を可能にしている。人口面では,タイへの出稼ぎ国際移動は,移動者の結婚年齢を上昇させ,移動する夫婦の出産を抑制させ,国際移動は出生力をさらに低下させる役割をもつと考えられる。
  • 中川 聡史
    セッションID: S1505
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
     国連のいう後発開発途上国(LDC)であるラオスの農村においても、近年は人口の流動化が進んでいる。農村地域でも貨幣経済が急速に浸透し、テレビや携帯電話、オートバイなどを購入するために、現金収入を求めての出稼ぎが急増している。国土が南北に長く、やや北に位置する首都ビエンチャンの雇用吸収力が十分でないこともあり、国土の南半分では、ビエンチャンに向かう人口移動よりも、隣国タイのバンコクへ向かう国際人口移動が卓越している。本報告では、2006年からラオス中部、サバンナケット県チャムポーン郡のN村における人口動態や農業生産と人口移動の関連についての調査をもとに、一農村からみた国際人口移動について報告する。

    2.調査村について
     N村はラオス第2の都市サバンナケットから東へ約40キロの位置にある。サバンナケットはメコン川を挟んで、タイの都市ムクダハンと向き合い、2006年には両都市間に国際橋が開通した。この橋はベトナムのダナンからミャンマーのモーラメインへと至る「東西回廊」と呼ばれる国際ハイウェイの一部となっている。N村は2006年時点で人口約1,100人、世帯数188、報告者らは2006年から村での聞き取り調査を始めた。本報告は村の166世帯に対しておこなった聞き取り調査の結果と2010年2月にバンコクでおこなったN村出身者29世帯への聞き取り調査に基づいている。

    3.N村からみたタイへの人口移動
     調査をおこなった161世帯中、97世帯で1人以上が人口移動を経験していること、人口移動を経験した(現在移動中の世帯員も含む)世帯員は196人で、ラオス国内の移動者は10人、182人がタイへの移動者(バンコク以外は5人)である。圧倒的にバンコクに向かっていることがわかる。このうち117人は調査時点でタイに滞在中であった。移動理由はほぼ全員が仕事である。移動者を出している世帯と出していない世帯の平均水田面積はいずれも1.5haでほぼ同じである。N村からバンコクへの移動は聞き取りによると1985年が最初であるが、急増したのは2000年以降である。2000年は村に電気が通じた年で、それ以降はテレビやオートバイの購入、タイへの人口移動が増加している。移動時の平均年齢は男女とも18~19歳であり、15歳未満での移動も多い。村のティーンエイジャーの過半数はバンコクへの出稼ぎを検討している。村では、2000年以降、耐久諸費材や携帯電話などは激増したが、若い世代の平均就学年数が先行する世代よりもむしろ短く、手っ取り早く現金収入の得られるバンコクへの出稼ぎが教育への無関心を助長していると考えられる。また、祖父母が孫の世話をして、子ども夫婦がバンコクで出稼ぎという世帯が多く見られた。

    4.バンコクにおけるN村出身者
     バンコクにおけるN村出身者への聞き取り調査から、29世帯のうち、25世帯は夫婦のみ、あるいは夫婦と子ども、4世帯が単身世帯(いずれも10歳代の女性)であった。夫婦世帯は夫婦とも20歳代前半が多く、子どもを村に残し、バンコクでは夫婦で働いている世帯が目立つ。N村出身者の過半数はバンコク大都市圏内の2カ所あるいは3カ所に集住しており、特定の工場(最大数が働いていたのはベッド用のシーツをつくる工場、他に靴工場)でその多くが働いている。それらの工場はバンコク都の周辺地域、あるいは隣接県に位置する。また、今回の調査対象者の多くは正規の労働許可証を持っていた。
  • 溝口 常俊
    セッションID: S1506
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
     本発表の目的は,1970年代後半、徒歩をほとんど唯一の交通手段とするネパール山岳地域において、人々の日常生活の中での移動、あるいは物資の流通は一体どの程度の規模でなされていたのかを、明らかにすることである。そして30年後、その主流がいかに変化したかを示すことである。ただ、後者に関しては2009年12月末に数日滞在した見聞によるもので補足的言及に留まるが、あらたな調査・研究課題を提示したい。
     前者について、発表者は、1977年11月にカトマンドゥの北部のランタン街道を往復し、出会った通行人425名すべてに面接調査を行った。出会った地点と時間をチェックした上で、名前、年齢、性別、出身村、行き先、経由地、持ち物、行動目的、民族名を聞き取った。そして、これらの項目をクロス集計することによって、通行人の年齢、性別、民族を出身村落、行動目的別に分析した。さらに、通行人の流出・流入状況からランタン街道沿い集落の階層性をみつけ、行動目的別に通行人の行動圏を明らかにした。その結果の一部を要約すると次のようになる。
     ランタン街道沿い集落の人々の行動目的地はヌワコット地区の中心地のトリスリバザールおよびラスワ地区の中心地ドンチェを二大目的地とし、首都カトマンドゥへの訪問は、比較的近距離にあるにもかかわらず高級品の購入など、何か特殊な場合に限られていた。
     行動目的として代表的なのはポーター稼ぎであり、これは各村において共通してみられ、運搬稼ぎとしては米・小麦が最も多かった。そして彼らの行程ルートは自村を出てトリスリバザールで仕入れ、ドンチェへ運搬し、販売し、自村へ帰るといった4~6日行程をとるものが大半を占めていた。
     ランタン村(3450m)からは村中総出の36人もの人が往復10日間もかかるのもいとわず、トリスリバザールまで米を買いに来ていた。自村では高所故栽培不可能な米が大量に持ち込まれ重要な食料となっている点でネパール山間僻地村の一つの典型を示しているように思われる。
     同じ地区でその後の変化を同じ調査方法で定期的に確認すべきであるが、未だなしえていなく、数年後に予定している。ただ、2009年に東部山岳地域のルムジュタール村(1800m)でおこなった聞き取りによると、青壮年男性の多くが海外出稼ぎに出かけており、カトマンドゥ空港ではネパール各地から集まった10人前後を1グループとした出稼ぎ集団に多数遭遇した。ランタン街道地区においても同じような状況下に変化していると推測できる。 ネパール山岳地帯住民の外出行動については、本発表で示した日常的な外出行動から、海外出稼ぎにまで視野を広げて調査したい。そうした行動が世帯経済をどの程度潤しているのか、あるいはその一方で、家族生活をいかに犠牲にしているのか、等々、重要な問題を含んでいるので、更なる議論していきたい。
  • 朴 恵淑
    セッションID: S1601
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.趣旨
    愛知・名古屋で10月11日から29日まで、国連生物多様性 条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。COP10 では、 生物多様性の保全、生物資源の持続可能な利用、遺伝資源 の利用から生ずる利益の公正かつ公平な配分をはかるための、 生態系・種・遺伝子の3つのレベルでの多様性保全に関する国 際合意が期待されている。
    産業革命以降の経済優先の制作によって環境破壊が進み、 生態系に深刻な悪影響が生じた。日本の1960-1970 年代の4 大公害問題や、近年の地球温暖化問題、生物多様性保全、砂 漠化防止に至る地球環境問題が最も懸念されている。地球規 模や地域の環境問題を解決するためには、公害や環境問題 の本質を究明し、負の遺産を将来への正の資産とかえるべく、 人間と自然との関係を探る実践的環境教育の役割が期待され ている。
    本公開シンポジウムは、大学・学校、行政、NPO によって行 われている環境教育の内容を把握することで、成果や課題を 考察し、生物多様性の保全と実践的環境地理教育の役割を探 ることを目的とする。
    2.公開シンポジウムのコンテンツと論点
    本公開シンポジウムは4部構成となる。第1部では、生物多 様性と環境地理教育に関する基調講演を行う。第2部では、世 界各国の環境問題に伴う生物多様性への影響、環境政策に ついて探る。第3部では、実践的環境地理教育における生物 多様性保全活動について、研究機関、学校、大学、NPO によ る活動発表を行う。第4部では、総合討論を行い、各々の発表 に対するコメント及び実践的環境地理教育における地理学の 役割と課題を探る。
    第1部:生物多様性と環境地理教育(基調講演)(40 分) 座長;井田仁康(筑波大)
    ・ 趣旨説明. 朴 恵淑(三重大) 生物多様性と実践的環境地理 教育
    ・ 基調講演1. 市原信男(環境省中部地方環境事務所長) 愛 知・名古屋生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の意 義と課題
    ・ 基調講演2. 秋道智彌(総合地球環境学研究所副所長) 生 物資源と生物多様性—有用性と有害性の関係価値を超えて
    第2部:各国における生物多様性(60 分) 座長:梅村松秀(ERIC)
    ・ 森永由紀(明治大) モンゴルの環境問題
    ・ 金玹辰(三重大) 韓国における生物多様性国家戦略と生物 多様性教育
    ・ 谷口智雅(立正大・非) アジアの大都市における生物多様 性
    ・ 宮岡邦任(三重大) ブラジル・バンタナールにおける人間活 動が水文環境及び生態系に与える影響
    第3部:実践的環境地理教育における生物多様性保全活動 (65 分) 座長:谷口智雅(立正大・非)
    ・ 梅村松秀(ERIC) ESD と生物多様性との関わり〜地理教育 における「生物多様性」を考えるために
    ・ 新玉拓也(魚と子どものネットワーク) 小学生を対象とした実 践的環境教育〜亀山市における実践的環境教育を事例に
    ・ 泉 貴久(専大松戸高) 中等地理教育における生物多様性 の実践〜「熱帯林開発の是非」をテーマとした高校地理A の 授業実践プラン
    ・ 中村佳貴(三重大かめっぷり) 大学環境サークルによる生 物多様性の調査〜三重大ウミカメ・スナメリ調査保全サーク ルかめっぷり活動報告
    ・ 伊藤朋江(三重大COP10 学生実行委員会) 三重大COP10 実行委員会の活動〜生物多様性の保全と人材の育成を目 指して
    第4部:総合討論(65 分) 座長:朴 恵淑(三重大):
    ・ コメント1. 吉野正敏(筑波大名誉教授) ・ コメント2. 犬井 正(獨協大) ・ コメント3. 井田仁康(筑波大)
    ・ 総合討論
    3.環境地理教育研究グループの活動内容・課題
    本研究グループは2005年4月から活動しており、主な研究 活動は、_丸1_研究会・シンポジウムの開催、_丸2_参考図書・教育用 教材作製、_丸3_教育手法の開発(実践的な学校教育及び生涯教 育)である。
    日本地理学会において、今回を含め5回のシンポジウムを主 催(うち4回は公開)し、実践的環境地理教育について議論を 重ねている。本研究グループの重点的課題として、1)実践的 環境地理教育の充実化、2)環境問題の本質を見抜き、グラン ドデザインを提示する研究者と人材養成を行う教育者(学校だ けでなく地域社会を含む)との認識共同体の形成、3)実践的 環境地理教育教材の開発が挙げられる。
    http://www.cc.mie-u.ac.jp/~ege/
    *本シンポジウムは、COP10 パートナーシップ事業である。
  • 市原 信男
    セッションID: S1602
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    生物多様性条約及びCOP10
     生物多様性は種内(遺伝子)の多様性、種(種間)の多様性及び生態系の多様性の3つの要素から成り、生命の存立基盤、食糧等有用性の源泉、豊かな文化の根源、安全・安心の基礎となる等、我々の暮らしに身近で必要不可欠なものであるが、人間活動や開発による生息生育地の減少、逆に自然に対する人間の適切な働きかけが減ること等により危機に瀕している。
     そこで、1)生物多様性の保全、2)生物多様性の構成要素の持続可能な利用及び3)遺伝子資源の利用から生ずる利益の公正で衡平な分配を目的とした生物多様性条約が、1992年5月に採択され、1993年12月に発効した。現在、我が国を含む193の国と地域が加盟し、条約の実施等に関する意志決定を行う場として、概ね2年に1度締約国会議(Conference of the Parties: COP)が開催されている。
     そして、今年10月18日~29日の期間、愛知県名古屋市において、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。

    COP10の課題~ポスト2010年目標
     COP10で議論される大きなテーマは、2010年目標の評価と2010年以降の時期目標の採択及び遺伝子資源へのアクセスと利益分配(Access and Benefit Sharing: ABS)に関する国際枠組みの検討完了の他、我が国が提案する里山イニシアティブ等の持続可能な利用、保護地域、資金メカニズム、科学基盤の強化、気候変動と生物多様性、民間参画、普及啓発(Communication, Education and Public Awareness: CEPA)等がある。
     2002年のCOP6で採択された「世界、地域、国レベルにおいて、現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という2010年目標については、条約事務局が作成した地球規模生物多様性概況第3版(GBO3)に基づき、達成に失敗したと評価される見込みである。
     現在、2010年目標は我が国からの提案を踏まえ、自然と共生する世界を2050年までの長期目標(Vision)とし、2020年までの短期目標(Mission)として生物多様性の損失を止めるために効果的かつ緊急な行動を実施することとし、その下に個別目標、達成手法、具体的事例、数値指標を盛り込む案とし、COP10で議論される予定である。
     ポスト2010年目標で、野心的かつ現実可能な目標を採択し、生物多様性の損失を食い止めることができるか、そして、COP10終了後、当該目標を地域でいかに実現していくかが、非常に重要な課題である。

    COP10開催の意義
     我が国におけるCOP10の開催は、生物多様性の分野において我が国が国際社会にイニシアティブを発揮する契機となる。また、地元の愛知・名古屋では2005年に開催された愛・地球博の理念を継承して自然との共生をさらに進めるとともに、環境技術を世界に発信する機会として捉えている。
     そして、中部地方にとっては、COP10に向けた取組及びCOP10で採択される各種決議の実践を通じて、あらゆる分野に生物多様性の保全と持続可能な利用が組み込まれるという「生物多様性の主流化」を果たすとともに、例えば、県境を越えた流域の観点からの生物多様性保全活動の推進や保護地域の検討を行う等、先進的な生物多様性の施策の具体化を図る機会としてCOP10を捉えることができ、中部地方環境事務所としては、こうした取組を進めていくこととしている。
  • 秋道 智彌
    セッションID: S1603
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    生態系サービスと生物多様性
       第10回生物多様性条約締結国会議(CoP10)の今年、生物多様性をめぐるさまざまな議論がなされている。生物の多様性に関する議論を人間の関与や関わりを抜きにして語ることは片手落ちであろう。国連によるミレニアム生態系評価(MA)のなかでいみじくもふれられているように、人間が生態系からさまざまな恩恵、つまり「生態系サービス」を享受していることを包括的に理解すべきであろう。
     生態系サービスは供給、調節、文化、基盤維持、保全と多面的であり、その多様な側面こそが生物多様性の考察には欠かせない。
     人間にとり有用、有害となる生物資源だけを取り上げる発想は人間中心主義といってよく、使用価値と交換価値に依拠したものである。しかし、有用性と有害性だけの論理から排除される「ただの生き物」は無数にあり、むしろただの生き物が生態系を構成していること、人間が関知しないさまざまな機能を担っていることを理解することが肝心ではないか。
     部屋のなかで議論するよりも、野外に出て生物多様性を実感すべきとの意見がある。それはそれとして分かるのだが、具体的な捉まえどころを何に求めれば良いだろうか。

    水がつなぐ生物多様性
     事例として、森、川、湧水、海の連関のなかで生物多様性を考えてみたい。山形県飽海郡遊佐町にある月光川は鳥海山に発し、庄内の遊佐平野を流れて日本海に注ぐ河川である。月光川の1支流である牛渡川では、35種の生息魚類のなかで在来魚が92%を占める。国内移入種のニジマスなどをのぞけば、有害魚はブラックバスだけである。アユやサケなどは有用な食料資源となるが、ウシモツゴ、イトヨ、アユアケなどは「ただの魚」であり、かつては子どもたちの川遊びの対象であった。しかし、農業セクターの近代化、農薬使用などでその生息環境は確実に劣化し、いまでは「ただの魚」の多くが絶滅危惧種としてレッドデータに登録されるようになった。
     牛渡川は鳥海山の湧水に由来し、水温が14℃と安定した貧栄養河川である。この流域では、縄文時代以来、人びとは湧水を生活に使うとともにサケや汽水域・沿岸域の生き物を食料として利用してきた。また、沿岸数km内の海底からは湧水が湧きだし、豊かな藻場を形成している。海底湧水の湧く藻場ではイワガキが繁殖し、ハタハタの産卵場ともなっている。つまり、湧水は人間の暮らしを維持するとともに、多様な生き物をつなぐ重要な媒介物となってきたのである。

    生態系をつなぐ関係性を理解する
     生物多様性に関する教育を現場で考える場合、もともと多様性がもつ意味を伝えることは難しい。なぜなら、生態系を構成する要素は無限にあり、その関係も複雑であり、即座に理解することはできない。こうしたなかで、実体験を踏まえた知識をどのように伝えていけばよいだろうか。第1は、有用性と有害性とは別の価値をもつであろう「ただの生き物」についての議論を喚起することである。第2は、生き物同士がつながっていることを、たとえば水を媒介としたつながりとして考えることである。さらに、生態学的な「つながり」の連鎖が人間の暮らしや文化とも深く関わっていることを伝えること、そして多くの知恵の源泉となる「地域の宝物」を発掘することこそが重要ではないだろうか。
  • 森永 由紀
    セッションID: S1604
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに 
     モンゴル国はユーラシア大陸の東部の内陸の高原上(平均標高1580m)にあり、寒冷・乾燥という厳しい環境のもとで現在も遊牧が基幹産業として営まれている。ペレストロイカの影響で1990年に社会主義体制から民主主義市場経済体制に急速に移行したが、国有企業の崩壊、ネグデルの崩壊、失業者の増加、貧困問題の発生というような社会の混乱に伴い様々な環境問題が起きている。1950年代以降に旧ソ連によって整備された各種設備の老朽化も環境破壊につながる。今後は、鉱山の乱開発の影響が心配される。
    2.モンゴルの環境問題
    2-1草原と土壌の荒廃 
     社会主義体制の崩壊後、家畜所有の自由化により頭数が増加した。ネグデルの崩壊により都市と幹線道路ぞいに人と家畜が集中し、過放牧による土壌荒廃が起きてダストの発生にもつながっているとみられる。耕作放棄地の土壌荒廃も問題である。特に注目すべきは、近年加速する鉱山の乱開発による植生破壊と、土壌・水汚染である。金、銀、銅、鉄、ウラン、モリブデン、石炭をはじめ多種の地下資源が開発されつつある。「忍者」とよばれる素人による小規模な採掘活動も急増し、影響が無視できない。2007年にはダルハンのホンゴル・ソムで違法な精錬が引き起こした水質汚染による家畜の死亡および近隣住民の健康被害が、ニュースで大きく報じられた。
    2-2 森林の荒廃
     燃料や建築資材としての利用が多く、都市周辺部では違法伐採が目立つ。林業の伐採技術の老朽化も資源の浪費を引き起こす。森林火災、害虫の発生も問題である。植林よりも乱伐の防止こそが重要である。
    2-3 水資源の枯渇 
     西側の山岳氷河の縮小、永久凍土の融解、および各地の表層水や地下水の枯渇など、貴重な水資源の将来を憂う報告が相次いでいる。
    2-4 温暖化
     モンゴル全土の60地点の観測所データから求めた地上気温の年平均値は1940年からの62年間で1.66℃上昇しており、他地域よりもはるかに上昇幅が大きい。冬に顕著で、高山での上昇幅が大きい。雪氷の減少、水資源の枯渇やゾド(寒雪害)の原因となる干ばつとの関わりが指摘されている。[文献1]
    2-5 自然災害 
     1999年から3年間続いたゾドで家畜が計770万頭死亡し、世界的にも注目を集めた。今冬の状況はさらに厳しく、5月までに全家畜の17%にあたる780万頭が死亡した。背景に夏場の気温上昇と降水量の減少で、干ばつ傾向が続いていることがある。移行後の牧畜を支える各種サービスの劣化や、経験不足の牧民の技術の未熟さが家畜の健康を損ねているという指摘もある。ゾドが都市部への人口集中および地方(特に国土の西側)の過疎化を加速している。
    2-6 生物多様性の喪失 
    草原の植物の種の多様性はほどほどの放牧圧のもとで最大になるという説もあり単純ではないが[文献2]、前述の問題の多くは生息環境の悪化を通じて多様性の喪失につながる。レッドデータブックにある動植物の数の減少も懸念されている[文献3]。
    2-7 都市環境問題
       首都ウランバートルでは人口集中が起き、都市環境問題は発展途上国に共通した特徴を備えているが、中でも大気汚染が注目を集める。石炭の利用、とくに環境対策の未整備な街の周辺に発達したゲル地区からの煙が主因とされるが、劣悪な交通環境(車の排ガス・渋滞など)も影響する。水質汚染、土壌汚染、ゴミ問題も深刻化しており、最近は住民の健康問題への関心が高まっている。
    3.おわりに 
    モンゴルには環境関連の30の法律と220の規制があり14の国際条約の締約国であるが、運用が十分でないのが問題である。また、国内の環境対策の優先順位は高くない。2007年の自然環境省の予算は省庁の中でもっとも少なく国家予算の6.2%相当であった[文献3]。
    参考文献:
    [1]Batima, P. et al.: Observed climate change in Mongolia. AIACC Working Paper No.12,2003.
    [2]Green Star Project: Mongolian Nature and Environment Assessment, Fall 2006 & Spring 2007 Parliamentary Sessions,2008.
    [3]藤田昇:草原植物の生態と遊牧地の持続的利用.モンゴル:環境立国の行方、科学vol.73,N0.5,岩波書店、2003.
  • 金 ひょんじん
    セッションID: S1605
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.韓国の生物多様性国家戦略
     2002年に開催された生物多様性条約の第6回締約国会議(COP6)において、「締約国は2010年までに、地球、地域、国レベルで、貧困緩和と地球上すべての生物の便益のために、生物多様性の現在の損失速度を顕著に減少させる」という戦略目標(2010年目標)が採択された。この2010年目標に従って韓国では、2009年6月29日に「国家生物多様性戦略及び移行計画」が決定され、_丸生物多様性保全、生物多様性の持続可能な利用、遺伝資源の利用から生じる利益の公平な配分を3大目標とした。その具体化のために、以下の5つの推進戦略を設けた(「国家生物多様性戦略及び移行計画(案)」(2009.6))。

    1)生物多様性の效果的保全
    -生物種保護地域拡大及び絶滅危機種復元;湿地保護地域を 2008年の12ヶ所から2011年までに22ヶ所に拡大、ラムサール湿地登録を 2008年の11ヶ所から2011年までに16ヶ所に拡大。
    -多様な遺伝子材料の確保及び情報ネットワークの構築
    2)生物多様性の脅威要因に対する效果的対応
    -気候変化による生態系変化研究・評価
    -生態系を撹乱する外来種の管理
    -遺伝子組み換え生物体(LMO)の安全管理
    3)生物資源の持続可能な利用
    -生物多様性増進のための支援対策
    -生態保護と地域経済に寄与する生態観光の活性化
    4)生物種遺伝資源の利用権限の確保
    -遺伝資源利用に対する国際規範の事前準備
    -国外搬出承認対象の生物種拡大
    5)生物多様性のための国際協力及び広報
    -生物多様性関連国際条約との協力
    -生物多様性の広報強化:2013年までに生物多様性教育・広報のためのインフラ構築、地域別研究及び教育・広報拠点の確保、2012年までに中高校生2,500人を生物資源保全広報リーダーとして育成。

     以上のような韓国の生物多様性国家戦略では、生物多様性教育の強化にも取組んでいる。次に韓国における生物多様性教育について考察する。

    2.韓国の生物多様性教育
     2010 年は、生物多様性の果たす極めて重要な役割についての理解を深めるために国連が定めた「国際生物多様性年」である。全ての締約国は国家的な委員会を設置し、国際生物多様性年の式典を挙行することが奨励されている。韓国においては、2010年3月31日に国内委員会が設置され、生物多様性への社会の認識を高める事業を行っている。
     韓国における「国際生物多様性年」の記念事業においては、以下4つの学校教育における生物多様性に関する教育が推進されている。
    1)生物多様性教育の資料発行:韓国ユネスコ委員会と韓国科学創意財団によって、理科(特に生物)で活用できるよう開発された生物多様性教材『美しい生命の網(小学校)』、『つばめについて行って見よう(中学校)』、『在来種の豆が消えている!(高校)』などの発行。
    2)国際ワークショップの開催:芸術教育を通じて生物多様性の美的認識を促進するために、ユネスコ世界文化芸術教育大会期間中に「環境と芸術教育」(5.26)、アジア・太平洋の科学教員を対象とした「生物多様性と持続可能発展教育のための科学教育」(7.26-31)を開催。
    3)教員研修:国立中央科学館主催の生物多様性指導者養成プログラム、森・生態自然探求解説士研修プログラムの実施。
    4)その他、児童・生徒を対象とした生物多様性調査野外活動。

     以上のように、韓国における生物多様性教育は科学教育、特に生物教育を中心に行われているが、美術教育での取り組みも見られる。また、地理授業で活用できる教材、地理教員が参加できるプログラムもある。例えば、_丸1_での『つばめについて行って見よう(中学校)』では、地図を利用したつばめの移動経路などの内容が含まれていることを指摘できる。
     韓国の地理教育における生物多様性教育の取り組みは、まだそう多くない。その理由のひとつとして、社会科の一領域で地理教育を行っているため、教育内容における自然地理の軽視が挙げられる。本発表では、韓国における地理教育の内容とともに、生物多様性のための地理教育の課題について提案する。
  • 谷口 智雅
    セッションID: S1606
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
    1992年にケニアのナイロビにて採択された生物多様性条約は、生物の生息環境の悪化・生態系の破壊・野生生物の種の絶滅などの問題に対して、「生物多様性の保全」・「生物多様性の構成要素の持続可能な利用」・「遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分」を目的につくられた。そして、1994年バハマのナッソーにおいて開催された第1回(COP1)から今年開催される名古屋の第10回(COP10)に至るまで約2年毎に締約国会議が開催され、世界の生物多様性を保全するための具体的な取組の議論がなされている。生物の多様性の保全のための基本的な要件である「生態系および自然の生息地の生息域内保全並びに存続可能な種の個体群の自然の生息環境における維持及び回復」に対して、自然豊かである森林・湿原・干潟・マングローブやサンゴ礁、山岳の生物多様性・島嶼の生物多様性・森林の生物多様性・海洋の生物多様性などが対象地域として重要視されてきた。 しかし、世界人口の約3/4が都市地域に生活し、急激な都市化によって拡大した都市が自然の循環システム・生態系に大きな影響を及ぼしていることから、都市における生物多様性に対する役割が大変重要になっている。このため、2007年ブラジルのクリチバにおいて開催されたCOP8において、地方自治体が参加する初めての都市と生物多様性に関する会議が開催され、「生物多様性の保全には、地方自治体の行動が中心的な役割を果たす必要があり、都市の生物多様性保全への参画が必要である」とのクリチバ宣言が採択された。さらに、2008年ドイツのボンで開催されたCOP9の関連会議「都市と生物多様性国際市長会議」では、「都市の役割を認識し、都市の生物多様性保全への取り組みを支援するよう締約国に要請すること」・「COP開催都市は、都市と生物多様性国際市長会議を踏襲して世界の自治体による会議を開催すること」などの宣言が採択され、生物多様性条約実施のために都市や地方自治体が果たす役割について国際的な認識がされた。
    2.都市の水環境
    都市域における河川・湖沼などの水環境は、水資源や交通路など都市の発展に重要な役割を果たしてきたとともに、生活排水や工業排水などによる水質汚濁、土地利用の変化や水利用増大による水量の低下、治水対策による河川改修などその自然環境・生態系に大きな負荷が与えられてきた。しかし、近年、都市の健全な環境を回復するために、都市の自然循環システムと生態系を保全・復元しようとする取り組みが積極的に行われるようになった。その結果、都市域において河川や湖沼などの水辺は貴重な生物多様性を有する自然地としてその存在価値を見出されるようになり、河川・湖沼の水質改善や都市開発とともに、都市域にある水辺の回復や親水化整備が行われている。しかし、うつわとしての生息域が創造されたものの、自然の水循環と自然生態系の回復は必ずしも図られておらず、多くの課題・問題も生じている。特に、人為的な外来種の侵入や処理水などによる人工的な水循環システムにともなう、生態系への影響などが懸念される。
    3.アジアの都市の生物多様性
     アジアの大都市において経済発展と人口増加による環境悪化が問題となっているが、都市の発展過程と現状の差異によって都市の自然や生態系の取り巻く環境は大きく異なっている。地理的景観の観点から捉えると、東京や韓国のソウル・光州では比較的水環境の保全・復元が進んでいるが、その一方で貴重な湿原・干潟の喪失、人工的な水循環システムや人為的な外来種の侵入が見られる。ジャカルタやマニラの東南アジアの都市においては、水環境・生態系への負荷の軽減が十分に図られていないものの、人工的な水循環システムや人為的な外来種の侵入は見られない。しかし、バンコクでは、外来生物の影響が見られつつある。 都市の生物多様性は、都市の地理的特徴と都市化の変遷も含めて取り扱うことが重要であり、このことは地理環境教育教材として、都市の生物多様性を取り扱うことは非常に有効であると言える。
  • 宮岡 邦任
    セッションID: S1607
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
     世界最大の湿地で生物種の宝庫といわれているパンタナールは,1993年にはラムサール条約,2000年にはUNESCOの世界遺産の登録を受けている。しかしこれらの登録を受けた地域は北パンタナールのごく一部に限られており,その他の大部分は農場所有の民間地であるため,農場主による森林の伐採をはじめとした土地改変が頻繁に行われている。従来,北パンタナールを中心に,鳥類,植物など生態系関係の研究が数多くなされている一方で,生物の棲息の場の条件である自然環境やこの地域で営まれている人間活動の状況と環境負荷に関する詳細な研究はほとんど行われていない。
     本発表では,人間活動による生物生息の場の条件である水文環境の変化の事例を挙げるとともに,水文環境変化によってもたらされる水辺における生態系への影響について検討する。

    2.地表面被覆形態からみた水面面積の変化
     パンタナールの気候は雨季と乾季に分かれており,水面面積も大きく異なる。雨季の水面面積は,年々変動が大きい。近年では,雨季には湿地になる地域での湿地面積の縮小が顕著になっている地域もみられ,タクアリ川中流の右岸を決壊させ水を流す対策が講じられている。その結果,本地域における土地被覆状況の変化を,1987年,2001年,2010年のランドサット映像で比較すると,タクアリ川右岸側の水域の拡大の様子が確認できる。流路周辺の水位上昇による植物の枯死や小動物の生息地であった微高地の水没により,この地域における生態環境に大きな影響を及ぼしていることが考えられる。また,放牧地の水没により農場経営に深刻な影響を及ぼすなど,地域の人間生活にも大きな影響を与える状況を招いている。
     また,熱帯林を伐採することによる牧草地の開拓が行われ牧草が根付かずに最終的に裸地となった地域では,湿地への土砂の流出源となっており,乾燥化が進んでいる。
     さらに,集水域における熱帯林の分布をみると,近年の開発による農地への転換の様子が確認でき,集水域からパンタナール周縁部への土砂流入による環境変化の可能性が示唆される。

    3. 地表水-地下水の交流関係の変化に伴う生態系への影響
    浅層地下水の流動形態は,乾季と雨季で大きく異なる。バザンテ(河川流路)を中心とした低地帯とコルジリェイラ(半乾燥の微高地)との間で,局地流動系の流動形態が雨季と乾季で逆転する。また,バザンテ河床やバイア(湖沼),サリナ(高塩分の湖沼)における地下水の湧出形態も,地下水流動系の規模や地形地質条件に規制される形で地域的差異があり,特に地表被覆状況が大きく変化した地域では,水面面積の変化が地表水-地下水の交流関係に強く影響していることが考えられた。本地域の地下水の水質濃度は,雨季における地表水の浸透が地下水水質に強く影響している地域があることを示しており,地表面条件の変化が,地下水への涵養量やその変化に伴う水質変化を引き起こす可能性を示唆している。地表水-地下水の交流関係の変化がもたらす地下水の物理化学的特性の変化は,流域内の植生分布や動物の生息分布に影響を与える可能性がある。

    4.農場における土地改変と水文環境の変化
     ある農場ホテルでは,建物から見渡せるバイア(湖沼)面積の縮小をくい止めるため,北方の河川に繋がるバイアから水路を敷設し導水を行ったところ,水量は確保されている一方で以前にはみられなかった水草の繁茂を招いた。これは,従来バイアの水を涵養していた水が地下水であったのに対し,水質の異なる流域外の地表水を導水することで,バイアの水質が大きく変化したことにより植物の生育環境が変化したことを示している。さらにこの導水により,用水路の流出地点では土砂の堆積も顕著にみられ,将来的には湖沼面積や水深の変化とそれに伴う生態系への影響が懸念される。

    5.おわりに
     現象に対する因果関係の解明のないまま,場当たり的に策を講じている例が多く,その結果生態系への影響に結びつく環境問題を引き起こしている。これは,環境問題に関わる組織や現地住民の環境実態の解明が必要であるという意識の欠如や環境意識の低さに一因があると考えられる。一方で生態系への影響について評価を行うには,短期的な調査では判断が難しく長期的なモニタリングが必要である。今後の環境保全に向けて,現地住民の生活が保障され納得できる形での環境教育を含めたシステム構築が必要である。
  • 梅村 松秀
    セッションID: S1608
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.生物多様性と国連人間環境会議
    生物多様性条約は、10年ごとに開かれる国連人間環境会議に始まるとされる。 ESD(持続可能な開発のための教育)と生物多様性(biodiversity)との関わりを見る上で、国連人間環境会議のテーマから3つのトピックとしてみよう。 最初が1972年、ミナマタを世界に知らしめることになった、ストックホルムでの国連人間環境会議。水俣病の恐ろしさとともに、私たちヒトを含む生物種間の捕食関係を通しての生物間のつながりを認識する機会となり「人間環境宣言」を採択、このあと国連環境会議(UNEP、本部はナイロビ)が設立された。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)から10年後だった。1980年、IUCN(国際自然保護連合)、WWF(世界自然保護基金)とともに刊行した『世界環境保全戦略』において持続可能な開発(SD)の概念を提示。1982年、ナイロビでの同会議は、『西暦2000年の地球』(米国政府特別調査報告)が地球規模での環境対策の必要性を喚起した。
    2.リオ・サミットと生物多様性条約
    ESDと生物多様性との関わりをとらえる第2のエポックが1992年、リオで開かれた環境と開発に関する国連会議である。 1980年代、地球規模での環境問題は、イギリス中等地理教科書のテーマともなった。例えばOxfordとCambridgeの教科書における、系統地理的な扱いをした’A Sense of Place’ (Book1~Book3,Rex Beddis ,Oxford,1983)において熱帯雨林(アマゾニア:密林の暮らし、熱帯雨林の環境、開発それとも破壊?、世界の熱帯雨林)。 地誌的な教科書における扱い、‘Newroute in Geography’(Book1-Book3,Michael Haigh, Cambridge, 1984)では、内陸の開発~ブラジリア、森林の開発、森林の中の道路と農園、と熱帯雨林の資源開発と環境破壊がテーマとなっている。 こうした地球規模での環境問題をうけてのリオ・サミットは、地球温暖化防止を目的とする気候変動枠組み条約と自然と生態系保護を目的とする生物多様性条約の二つの条約を成立させた。 種の多様性、生態系、生物遺伝子の保護という三つの要素からなるという生物多様性条約に関わるテーマをイギリスの地理教育では、ブラジルの熱帯雨林と開発のトピックを通して熱帯雨林の多様性、熱帯雨林という生態システムとして提起していたことに地理におけるこのテーマへの視点が示される。
    3.ESDそして地理教育との関わり
     そして第3に2002年、ヨハネスブルクで開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議」。ここで日本は、リオ・サミットで採択された「アジェンダ21」の第36章に関わってESDの10年を提唱することになる。 生物多様性の関わりについて、持続可能な開発は、「人々の生活の質的改善を、生態系の収容能力限界内で達成すること」(「世界環境保全戦略」)という文脈に関わりが明示される。  本発表時においては、地理学習における多様性の扱いをドイツ、および米国の環境教育プログラムPLTの扱いを参考に提起する。
  • 新玉 拓也
    セッションID: S1609
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    I はじめに
     環境が主要なテーマとしてとらえられている現在、学校 現場においても環境教育がいたるところで取り入れられて いる。しかし、環境教育をいかに進めるかといった共通認 識はなく、環境教育を進める主体も曖昧である。また、環 境教育と言えば、知識やしくみを教えることと捉えられて いることもしばしばであるが、それだけでは不十分である。 環境教育の本質は、身近な環境に自ら触れることにより、 それに付随する多くの物事に興味が広がっていくプロセス である。布谷(2006)の「環境教育は知識からはじめるの ではなく、現場で実際に起きていることを個別に体験する ことを中心とした実践教育、あるいは少なくとも体験を含 んだものでなくてはならない」という考えに共感を覚える。 本稿では、亀山市において実践した体験を重視した環境教 育の事例、あるいはそれを促すようなしかけづくりについ て報告する。

    II 亀山市における実践的環境教育の事例
    1.ホタル調査 -家族でホタルを見に行ってみよう-
    これは亀山市立東小学校(以下.東小)で取り組んだホ タル調査の取り組みである。児童とその家庭に協力を依頼 し、「ホタルを見た場所や時期」、「他の生き物や場所の特徴 について」などの項目を尋ねた。これは、市民参加型調査 という手法であり、滋賀県などで大規模に行われてきた実 績がある(水と文化研究会、2000)。東小では、校区内の大 まかなホタルの分布をとらえることができたほか、?家の 近くにもホタルがいるんだ?という気づきや発見など、児 童やその親にも意識の変化が見られた。その後、市内全域 での調査に向けた青少年のための科学の祭典への出展、東 小の児童によるエコ&みえ地球温暖化防止子ども会議での 発表など、取り組みも広がりを見せた。

    2.里山公園みちくさ-魅力がいっぱいの新しいフィールド-
    里山公園みちくさ(以下.里山)は、亀山市が管理・運 営している自然公園である。里山では、これまでも季節ご とのイベント(木工工作やリースづくりなど)や田植え体 験などが実施されてきたが、まだまだ活用されていない要 素がたくさんあった。そこで、行政や市民団体に協力を呼 びかけ、自然の要素(魚や昆虫、植物など)を発掘し、子 どもたちへ伝える「里山塾」を開催した。里山塾では、里 山の生き物の観察や伝統的なため池の管理手法である池干 し、里山の植物を使った工作などを実施した。子どもたち ができる限り自然に直接触れることができるようプログラ ムについても配慮した。

    III まとめ
    これらの取り組みはスタートしたばかりであるが、取り 組みを進めていく上で気をつけているポイントがいくつか ある。1 つめは、関係主体との連携体制の構築である。各 種環境イベントへの協力や環境教育に関するアンケートの 実施など、共に取り組みを行う中で信頼関係も生まれてい る。2 つめは、里山の魅力を発掘し、発信していくことで ある。研究機関や市民団体との連携を密にし、里山や生き 物の魅力を伝えることができるよう努めている。3 つめは、 教育効果の把握とそのフィードバックである。感想文やア ンケートを書いてもらうことにより、初めて知ったことや 印象に残ったことを把握し、プログラムの構成に反映させ ている。今後、充実した環境教育を実践していくためには、 教育プログラムの改善とともに、それを推進する体制も充 実させていく必要がある。市民団体という第三者的な立場 であるが、その利点を生かし環境教育の推進力となってい ければ幸いである。

    文献
    布谷知夫 2006. 身近な課題から始める環境教育(<特集> 環境教育「生態学会と初等中等教育の連携をめざして」) . 日本生態学会誌 56(2), 158-165. 水と文化研究会編 2000. みんなでホタルダス-琵琶湖 知域のホタルと身近な水環境調査」新曜社.
  • 泉 貴久
    セッションID: S1610
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.地理学・地理教育の意義と役割
     人類はその誕生以来、自らを取り巻く環境と向き合い、その特性を生かしながら環境を改変し、それぞれの空間において独自の文化や社会を創り上げてきた。環境、人口、食料など地球的諸課題の深刻化が叫ばれて久しいが、その原因として、過度なまでの環境改変による生態系バランスが崩壊した結果と判断できる。  こうした事態に対し、「人間と環境との望ましい関わり」を根源的テーマとしている地理学は一体何をなすべきなのか。筆者が考えるに、地球的諸課題を地域のコンテクストの中で分析・考察し、解決策を見いだすとともに、最終的には異文化や環境との共生を目指した持続可能な地域づくりに貢献することが地理学に求められる社会貢献策といえるのではないか。そして、地理学の応用分野である地理教育においても同様、持続可能な社会を形成するための担い手を育成することに力が注がれるべきであると考える。
    2.生物多様性と地理教育
    地球環境問題解決へ向けての手がかりとして、持続可能性という言葉と並んで生物多様性という言葉がクローズアップされている。生物多様性とは「多種多様な動植物種とその生息環境」のことを指すが、人間を含めた地球上の何千種・何万種にも及ぶ多様な動植物が食物連鎖を軸に相互依存しながら生息している一種のコミュニティ空間ともいえ、その空間は地形、大気、土壌、水を基盤に形成された生態系そのものととらえることができる。  生物多様性は、1992年のリオサミットで提唱された考え方で、そこでは「生物多様性の保全」「生物多様性の構成要素の持続可能な利用」「遺伝資源の利用から生ずる利益の公平な配分」の3点が議論され、生物多様性条約が調印されるに至った。生物多様性が重視される理由として、それが全ての生物が存立する基盤となっているとともに、人間の生活を成立させ、豊かな文化を育む土台となっていることによる。言うなれば、環境の悪化によって生物多様性の維持が困難になれば、全ての動植物の生活基盤が破壊され、最終的には私たち自身の生存が危うくなってしまうのである。 このことに関連して、地理教育は人間の生活舞台を学習対象としている。ゆえに、人間生活の土台となる生物多様性は地理教育で扱うことが可能なテーマとなり得るのである。
    3.海外の動向―フィンランドとドイツの場合―
    日本の地理教育は社会科教育の一端を担っており、生物多様性について扱われることはほとんどない。フィンランドでは、5、6学年において地理と生物の融合教科が設定されており、扱うべき内容として「生物と環境とのかかわり」「生物多様性の維持」「自然環境と人間」が設定されており、人間を含めた生物の生息空間として自然環境が位置づけられている。また、7学年以降で地理は独立教科となり、自然科学と社会科学との橋渡しとして位置づけられている。そこでは人間生活あるいは文化的多様性を生み出す基盤として自然環境が扱われるとともに、持続可能なライフスタイルを創造する能力の育成が学習目標として位置づけられている。ドイツでは、地理教育を意図したものではないが、政府の主導で生物多様性をテーマにした実践事例集が多数刊行されている。そこではロールプレイやプランニング、ワークシート作業などが盛り込まれ、学習者の主体的な学びを促すための工夫がなされているとともに、価値判断・意思決定能力を喚起するためのプロセスが重視されており、地理教育の実践を進めていく上で参考となる。
    4.中等地理教育における生物多様性の実践
     本発表では、中等地理教育における生物多様性の実践例として「熱帯林開発の是非」をテーマにした高校地理Aの授業実践プランを提案することとしたい。熱帯林を取り上げた理由と授業実践プランの詳細については当日の発表にて示すこととする。
  • 中村 佳貴
    セッションID: S1611
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
    当サークルは2000年に設立された学生サークルである。三重県北中部において、アカウミガメの上陸、産卵調査およびウミガメ類(アカウミガメ・アオウミガメ他)・スナメリのストランディング(死亡漂着)個体調査を行っている。また、調査結果をもとにシンポジウムでの発表や、地域イベントでの講義、小学校への出前授業などの活動も行っている。
    2.主な調査対象生物
    ・アカウミガメ:Caretta Caretta/Loggerhead Turtle  最大で甲長100_cm_、体重100_kg_になり、本州で産卵する唯一のウミガメである。食性は動物食の強い雑食であり、そのため顎が発達しており頭が大きいのが特徴である。三重県北中部では6月~8月に産卵する。孵化した子ガメは北太平洋海流に乗り1~2年かけてメキシコ湾に渡り、甲長60_cm_ほどまで成長した後に1~2年かけて日本に戻ってくる。なお、太平洋における産卵地は日本のみである。
    ・スナメリ:Neophocaena phocaenoides/ Finless porpoise 沿岸性の小型鯨類で、体色は灰色、体長は約160_cm_~190_cm_である。背びれがなく、代わりにキールと呼ばれる多数の小突起を持つ隆起がある。日本では仙台湾~東京湾、伊勢・三河湾、瀬戸内海~響灘、大村湾、有明海~橘湾の5海域のしか生息していない。なお,それらの海域のスナメリは異なるDNAを持つ個体群であり,別の海域との交流はない。伊勢湾では春先~初夏が出産期で、その時期には多くのストランディングが確認されている。
    3.調査地・調査方法
    調査範囲は(2009年度現在)で鼓ヶ浦海岸・マリーナ海岸・芦原海岸・白塚海岸・町屋海岸・贄崎海岸・阿漕浦海岸・御殿場海岸の8地点であり,総距離は約18kmにもなる。各浜を週1回歩き、ウミガメの上陸跡やストランディング個体を探している。また、地域住民や他の団体から報告を受けることもある。  
    ウミガメの産卵跡を発見した場合、産卵の有無を確認し、産卵があった場合は保護ネットと保護啓発看板を設置する。また、足跡の幅やボディピットの計測も行う。孵化後は産卵巣を掘り返し、孵化率調査を行っている。孵化までの期間に台風の接近などで産卵巣が浸水する危険性があれば、産卵巣から卵を移植することもある。  
    ウミガメ類・スナメリのストランディング個体を発見した場合は各所計側をし、解剖を行い性判別や消化管内容物の観察、サンプル採取などを行っている。ウミガメに関してはNPO日本ウミガメ協議会へ、スナメリに関しては三重大学魚類増殖学研究室を通し水産庁・鯨類研究所に報告している。
    4. さいごに
    当サークルは情報提供や調査を手伝っていただいている、地域の方、行政、大学関係者、各調査研究団体の支援・指導の下成り立っている。今後も調査・保護啓発活動をつづけ、多くの方に自然環境や生物について興味を持っていただけるよう努力したい。
  • 伊藤 朋江
    セッションID: S1612
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    三重大学では、これまで、環境ISO 学生委員会を中心に、学 生主体の様々な生物多様性保全活動を行ってきた。例えば、キ ャンパスパークプロジェクトの一環として行われてきた「落ち 葉コンポスト」や「緑のカーテン」づくり、企業・行政・市民 等様々なセクターと共同して行ってきた「町屋海岸清掃」、「環 境学習」の実施等が挙げられる。こうした学生主体の活動を進 めることで、学生にとって「生物多様性」というテーマがより 身近なるだけでなく、さらに学生一人一人が各々で「気付き」 や「発見」をすることが可能となる。また、こうした活動を通 して、活動を行っていない学生や、周辺地域の住民の意識改革 にも貢献している。
    また、今年の7 月には、名古屋で開催される生物多様性条約 第10 回締約国会議(COP10)にむけて、COP10 学生実行委員会が 発足された。環境ISO 学生委員会の学生と、募集によって集ま った学生によって構成されている。参加者には「国際環境イン ターンシップ」の単位が与えられる。このCOP10 学生実行委員 会では、学外に情報発信を行う「情報発信班」、COP10 の会場に 出展するブースの企画・作成・運営を行う「ブース班」、学外か ら情報を収集し研究を行う「研究・情報収集班」の3つの班に 分かれ、班ごとにCOP10 に向けて活動を行っている。しかし、 それぞれの班が各々に活動しつつも、班同士情報交換を行った り、共に勉強会を開いたりするなど、連携することによって、 全体でのレベルの向上を目指している。また、世代交代や持続 可能性をも視野に入れ、学年間の関係構築や、先輩から後輩へ の知識やノウハウの伝達も重要視し活動を行っている。
    我々、COP10 学生実行委員会のメンバーは、COP10 開催期間中、 世界各国のユースや子供たちとともに「アジア・太平洋こども &ユース生物多様性伊勢湾環境学習」やエクスカーションに参 加したり、COP10 会場にブースを出展したり、実際にオブザーバ ーとしてCOP10 の会議場内の見学を行ったりすることを予定し ている。さらに、三重大学においてアジア・太平洋大学環境コ ンソーシアム国際環境教育シンポジウムも開かれる。
    まず、「アジア・太平洋こども&ユース生物多様性伊勢湾環境 学習」では、世界各国からの参加者と日本の小学生約と共に、 三重大学の所有する実習船“勢水丸”に乗船し、海洋の生物・ 浮遊物の採取や、プランクトン調査を行うことによって、“海洋” の生物多様性について学ぶ。
    一方、エクスカーションでは、海外からの参加者とともに亀 山市にある「里山公園みちくさ公園」に行き、餅つきや工作な ど、実際に里山の生活を体験することによって、日本の誇れる 伝統的な生物多様性保全のモデルといっても過言ではない、“里 山”の生物多様性を感じ、学ぶ。さらに、エクスカーションで はシャープや関宿、鳥羽水族館、ミキモト真珠島への見学にも 行く予定である。
    こうしたエクスカーションや様々な体験を、世界各国の参加 者たちと共に経験することにより、生物多様性を実際に感じ、 学ぶことができる。それによって、より生物多様性への理解が 深まることであろう。さらに、海外からの参加者との交流を通 じて視野が広がり、かつ日本や世界の現状に目を向けるきっか けとなるだろう。
    次に、三重大学で開催される「アジア・太平洋大学環境コン ソーシアム国際環境教育シンポジウム」では、COP10 学生実行委 員会の学生は、アジア・太平洋地域のユースと共に、日本語・ 英語の二ヶ国語で環境宣言文の作成・採択を目指し、話し合い を行う。
    そして、会議場のある白鳥会場では、会期中、三重大学のブ ースの出展を行う。このブースでは、市民や世界各国からの会 議参加者たちにむけて、三重大学で行われている生物多様性に 関する研究や活動についての情報発信を行うとともに、市民や 会議参加者との情報交換も行う。
    こうした生物多様性の保全につながる様々な活動を通して、 COP10 学生実行委員会からは、国際的な視野を持ち、かつ現代の 多様化・複雑化した様々な問題に対応しうる、高いコミュニケ ーション能力や問題処理能力、集団創造力を持った、社会から 必要とされる人材が生まれることを目指している。
  • 小林 聡史
    セッションID: S1701
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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     生物多様性の保全に関連していると考えられる国際環境条約には、ラムサール条約、ワシントン条約、ボン条約、世界遺産条約、そして生物多様性条約がある。そしてこれらの中でもラムサール条約は1971年と一番早い時期に誕生した。そして特定の生態系の保全を目的とした環境条約としては唯一のものである。1970年代は世界的にも環境問題がクローズアップされた時代となったが、古典的な保護区管理に向けての取り組みの中では、トップダウンではなく地域住民の参加が必要と指摘されてきた時期となっている。
  • 長谷川 直子, 北澤 大輔, 熊谷 道夫
    セッションID: S1702
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    近年、日本の気温は上昇傾向にある。この気温の変化は、間接的に湖水にも影響を及ぼしている。2007年には冬の全循環が観測史上初めて3月後半まで割り込んだ。そしてその年の秋にはびわ湖北湖90m以深の深層部で、溶存酸素濃度が2mg/l以下を下回る状態が2ヶ月以上続いた。そのような溶存酸素濃度の低い地域で、2007年12月にイサザ(びわ湖固有種のハゼ科の魚)やスジエビが大量に死んでいることが確認された。  気候は絶えず変化を伴うため、温暖化傾向にあったとしても厳冬の年もあれば暖冬の年もある。問題は暖冬の年が来る確率があるということである。2007年はそのような例にあたる。このような年が今後再び起こる可能性はある。びわ湖はそのような脆弱性を有している(Yoshimizu et al 2010)そのときにびわ湖がどのような状況になるのか、IPCCの温暖化予測シナリオに照らして、将来を予測するプロジェクトが現在進行中である(環境省地球環境研究総合推進費(課題番号Fa-084、代表永田俊)。
    温暖化によるびわ湖の循環と湖内の状態
     鹿児島にある池田湖は、(1950年代の観測開始時からすでに循環がなかった可能性はあるが)、1980年代から深層部が完全に無酸素になり、湖全体の溶存酸素総量は減少の一途をたどっている。びわ湖も、循環が湖底まで達しない、あるいは循環が不十分であるために循環前に深層で酸素が使い尽くされる状況になる可能性がある。このような状況になると、前節で指摘したような湖底に生息する生物が生息できなくなるだけではなく、湖底からリンが回帰する、メタンや硫化水素が発生する可能性がある。
    循環が弱まったときにどのようにびわ湖を救うか  びわ湖の深層の溶存酸素量は循環などによって供給される酸素量と有機物の分解などによって消費される酸素量とのバランスで決定される。循環が弱まり、供給される酸素量が減るのならば、湖水中の酸素量を減らさないためには、消費される酸素量を減らす必要がある。そのためには有機物の量を減らす、つまりは湖に負荷される栄養塩の量を減らすことが重要な検討課題である。  もう一つの方法としては、循環が弱まったとしても湖深層へ積極的に酸素を供給するシステムを作り出すことである。工学的な手法による深層への酸素供給が試みられたこともある(熊谷ら2009)。また、Yoshimizu et al (2010)に指摘されているように、岸から深層へ流入する高酸素水が存在している。深層への酸素供給は必ずしも表層から真下へ起こるのみではない。岸で冷やされた水が深層へ流下する現象は他の湖でも100m程度の深さまで到達していることが報告されており(Fer et al 2002)、このような沿岸密度流を発生させるのは水深の浅い場所である。湿地や沿岸域は生物学的に重要なだけでなく、湖水の物理現象の側面でも非常に重要な役割を持つ。密度流発生地としての内湖の役割を再生するためには、内湖の水が絶えずびわ湖水と行き来できるようなつくりにしておく必要がある
      謝辞:本研究の一部は、環境省の地球環境研究総合推進費(課題番号Fa-084、代表者永田俊)の支援により実施された。
  • 辰己 勝, 東 善広
    セッションID: S1703
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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     湖岸の地形は、湖岸の生態系に影響を与える重要な要因の一つである。琵琶湖では近年、干拓、埋め立て、湖岸堤の整備等によって地形そのものが大きく変化し、新たな地形環境が作られつつある。かつてヨシが繁茂し、クリークで湖辺の水田とつながっていた水郷の景色はごくわずかになった。それに代わって登場したのは、湖岸道路の前面に作られた石積みの湖岸などが目立っている。それらの実態を明らかにするため、2007年から湖岸全域の詳細な地形調査をおこなった。
     湖岸部の地形形態に関しては、1988・1989年の琵琶湖研究所のもとで行われた調査「湖岸における土地条件(滋賀県琵琶湖研究所編、1989、1990)」で、湖岸の類型化が行なわれ、琵琶湖全体の湖岸を13の類型に分けて、それぞれの特徴が記され、各地区での調査結果も明らかにされた。このときは、湖岸をいくつかのゾーンに分けて分類したものであり、自然的湖岸と人工による湖岸との大まかな区分は行った。2007年度の調査では、20年前に使った5000分の1の地図と、新たに同縮尺で作成された地図と、2003年に撮影された航空写真の判読と、現地での調査により、湖岸地形の変化の有無を調べた。
     現在の湖岸地形は自然湖岸と、人工湖岸に大きく分けられる。自然湖岸は砂・砂礫・岩石からなる湖岸と、ヨシ等の植物が繁る湖岸である。人工湖岸は石積みの湖岸、コンクリート湖岸となっている。
     それぞれの分布を見ると、砂浜が卓越するのは、東岸の野洲川、日野川、愛知川、姉川の河口t付近と西岸の安曇川デルタ、砂礫湖岸は犬上川河口、ヨシの多い湖岸は、湖北の姉川河口の北側に多い。
     人工の石積み湖岸は南湖東岸(志那町など)、コンクリート湖岸は大津市街地、 大津港などに多い。人工の埋立地は、大津市街地(1962~,92ha),木浜(1966,124ha)、矢橋帰帆島(1986、67ha)、玉野浦・萱野浦(1963、31ha)、烏丸半島など、2000年までに386haである.
     今回の調査では、地形、ヨシや樹木などの植生、人工的改変状況をもとに類型化した結果、湖岸の形態は44種類に区分できた。それによると、北湖と南湖では、南湖のほうがコンクリート、石積み等で護岸された人工的湖岸の占める割合が大きかった。南湖に注目すると、東岸と西岸では、人工湖岸化の状況に差がみられ、西岸より東岸で人工湖岸化がより顕著で、西岸には、砂地やヨシ帯などが比較的多く残っていることがわかった。人工的湖岸は、コンクリート護岸が最も多いが、石積み護岸も約30%を占め、石積みによる人工護岸化も多用されたことがわかる。また、西岸より東岸のほうで石積み護岸の人工的湖岸に占める割合がやや大きくなっていた。
     1940年代末の米軍航空写真からの抽水植物帯判読結果を見ると、かつては東岸において抽水植物の分布域が大きく位置していたことがわかる。つまり、南湖東岸は、歴史的にはヨシ帯が卓越していた地域であり、近自然工法による石積み護岸だったとしても、異なった構造の湖岸に変わったことに違いはなく、在来魚等の生息環境に大きな影響を与えた可能性がある。
     今後の琵琶湖湖岸の環境再生は、地形特性など、元来、その地域が有していた固有の湖岸環境についても考慮することが必要だと考えられる。 地形、ヨシや樹木などの植生、人工的改変状況をもとに類型化した結果、湖岸の形態は44種類に区分できた。それによると、北湖と南湖では、南湖のほうがコンクリート、石積み等で護岸された人工的湖岸の占める割合が大きかった。南湖に注目すると、東岸と西岸では、人工湖岸化の状況に差がみられ、図1に示すように、西岸より東岸で人工湖岸化がより顕著で、西岸には、砂地やヨシ帯などが比較的多く残っていることがわかった。人工的湖岸は、コンクリート護岸が最も多いが、石積み護岸も約30%を占め、石積みによる人工護岸化も多用されたことがわかる。また、西岸より東岸のほうで石積み護岸の人工的湖岸に占める割合がやや大きくなっていた。
     1940年代末の米軍航空写真からの抽水植物帯判読結果を重ねた図を見ると、かつては東岸において抽水植物の分布域が大きく位置していたことがわかる。つまり、南湖東岸は、歴史的にはヨシ帯が卓越していた地域であり、近自然工法による石積み護岸だったとしても、異なった構造の湖岸に変わったことに違いはなく、在来魚等の生息環境に大きな影響を与えた可能性がある。
     2007年からの琵琶湖湖岸全域にわたる土地条件調査結果は、GIS解析を行なっている。これにより人為的に改変された湖岸の地理的分布とヨシ帯分布の関係が明らかになり、今後の水辺環境修復に役立つことが判明した。
     今後の琵琶湖湖岸の生態系の保全は、地形特性など、元来、その地域が有していた固有の湖岸環境について考慮することが必要だと考えられる。
  • 西野 麻知子
    セッションID: S1704
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.古代湖としての琵琶湖
    琵琶湖は、古琵琶湖から数えて約400万年、現在の湖盆が形成されてからでも40数万年の歴史を有し、日本最大で最古の湖である。現在分かっているだけで61種の固有種が生息する世界有数の古代湖でもある。
    ただ、それぞれ2500万年、1千万年の歴史を有するロシアのバイカル湖やアフリカのタンガニィカ湖と比べると、湖の歴史は浅く、湖盆も小さい。固有属は僅か2属、固有種の大部分は1属1種で、分化の程度は低い。唯一の種群と考えられるのは、15種の固有種を擁する巻貝類のビワカワニナ亜属のみである (Nishino and Watanabe, 2000)。
    一方、琵琶湖の在来種数は極めて豊富で、報告されているだけで千数百種の動植物が生息し、日本の純淡水魚の3分の2、淡水貝類の40%、水草(抽水植物、浮葉植物、沈水植物)の約2分の1が生息する(西野、2009)。また固有種の75%が貝類と魚類で占められている。

    2.湿地としての琵琶湖
     固有種の存在とともに琵琶湖の生物相を特徴づけるのは、周辺内湖や下流の巨椋池(干拓で消失)や淀川の存在である。これら水域の水辺にはヨシ帯が卓越し、水深が浅く、富栄養で生産性が高い。琵琶湖と一部共通しつつも、やや対照的な生物群集がみられる。これらの水域を特徴づけるのが、ヨシ帯を利用する魚類であり、水辺に生育する植物である。
    明治初期の内湖面積は35.13km2で(東、2009)、琵琶湖も含めた当時の水深2m以浅の水面面積は75kmに上ったと推測される。これは現在の琵琶湖面積669.23km2の11%に相当する。その周囲には、一時的水域としての水田が広がり、初夏から夏にかけて在来魚の繁殖場となっていた。
    現在、内湖の85%は干拓で消失し、ほ場整備された農地面積は40km2以上に上る。しかし、今も在来魚種のほぼ半数の種が残存内湖で確認され、貴重な水辺植物が内湖とその周辺の水田などに多数生育している。複数の在来魚類は、琵琶湖と水田を含むこれら周辺湿地の両方を利用しており、生活史の中で多様な環境を利用している。

    3.生物多様性の危機
    琵琶湖では、富栄養化の指標とされる透明度やクロロフィル量は、北湖・南湖とも長期的に減少し、水質は改善傾向にある。一方、2006年に発行された滋賀県版レッドデータブック(以下、RDBとよぶ)では、琵琶湖固有種の62%、固有魚類では73%もの種が絶滅危惧種、絶滅危機増大種、希少種に指定され、これら指定種の割合は2000年版RDBより10ポイント以上も増加した。 滋賀県RDB の上位3カテゴリーの在来魚種では、生存に対する最大の脅威は外来魚のオオクチバス、ブルーギル、次いで多かったのが河川改修や湖岸改変、ほ場整備などの人為的地形改変や湖の水位操作だった。一方、上位3カテゴリーの貝類では、外来魚はゼロで、水位操作が脅威と考えられている種が最も多く、次いで湖岸改変や農薬等の有害物質による水質汚染、さらに河川改修、ほ場整備、乱獲の順だった(西野、2009)。
    河川改修や湖岸改変、ほ場整備は、洪水など自然災害を防ぎ、効率的に土地の生産性を高めてきたが、その多くは大規模な地形改変と土地利用の変更を伴っていた。1992年に制定された瀬田川洗堰操作規則も、湖水位が本来上昇すべき梅雨期に下げることで、氾濫原環境を失わせる方向に働いた。琵琶湖と周辺の湿地環境は、面積が激減するだけでなく、大きな地形改変も伴ってており、今後どのように面的、地形的な回復を図るかが大きな課題といえる。

    4.引用文献
    東善広(2009)明治時代地形図からみた湖岸地形の変化.西野麻知子(編)「とりもどせ!琵琶湖・淀川の原風景」.サンライズ出版.pp.61-66.
    西野麻知子(編)(2009) とりもどせ!琵琶湖・淀川の原風景.サンライズ出版.286pp.
    Nishino, M. and N. C. Watanabe (2000) Evolution and endemism in Lake Biwa, with special reference to its gastropod mollusc fauna. Adv. Ecol. Res., 31: 151-180
  • 香川 雄一
    セッションID: S1705
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    I.はじめに
     1993年に琵琶湖はラムサール条約に登録された。すでに富栄養化対策などの環境保全運動としての盛り上がりを見せていた琵琶湖をめぐる環境問題に,湿地保全や生物多様性の観点からの取り組みが改めて注目されることになった。しかしながらラムサール条約登録湿地としてのイメージとしては,水鳥の保護への関心が強いため,とりわけ琵琶湖における環境保全運動においては,登録の前後を除き,ラムサール条約の話題が頻出する場面はあまりなかったと思われる。
     国内各地で湿地保全の取り組みが進められていく中で,琵琶湖におけるラムサール条約登録湿地として意味づけを問い直すことも必要ではないだろうか。さらに湿地保全を含む,琵琶湖における環境保全運動において,琵琶湖を生業の場とする漁業者の存在も見逃せない。なぜならば,水産業という自然資源に頼った産業であるがゆえに,琵琶湖における水質の変化や沿岸域の改変には敏感にならざるを得ない。そうした琵琶湖と密接な生活を送る人々に焦点を当てることで,ラムサール条約の登録湿地としての環境保全のあり方を再考する機会を提供できると考えられる。

    II.琵琶湖における漁業の現在
     高度経済成長期以降の琵琶湖における漁獲量は,一時的な増減はありながらも減少傾向を示してきた。漁業による生産額の推移を見てみると,1980年代にピークを迎えて,それ以降は急激な低下を含め,減少してきている。ただし漁獲量も生産額も急減するのは1990年前後においてである。ということは,琵琶湖の沿岸を含む滋賀県が高度経済成長期の後半に工業化や都市化を経験してきた中でも,漁業への影響は比較的緩やかであったのではないかということも考えられる。
     1990年前後の琵琶湖に何が起きたのかという理由を考えるにあたって,琵琶湖総合開発事業による沿岸域の改変や,外来魚による在来魚介類の減少が指摘されることもある。当然のことながら漁業者にとって漁業資源の維持は大問題であり,そこに琵琶湖における湿地保全や生物多様性という課題との接点も浮かび上がってくる。
     さらに近年において琵琶湖の漁業者が滋賀県関連の組織をはじめ環境保全活動の団体に積極的に参加するようになってきた。このことは漁業自体にとどまらず,漁業者が琵琶湖の環境へも目を向けるようになってきたことの証左と考えたい。

    III.漁業者による環境保全活動への関与
     2009年に琵琶湖沿岸の漁業者を対象に,漁業環境の変化・外来魚対策・環境問題への関心などをテーマに漁業者へインタビュー調査を実施した。漁業をめぐる経済状況は厳しい中でも,漁業者として働きながら,漁業振興や水産行政,環境計画にも関与している姿が印象的であった。とく琵琶湖の環境保全という問題に対しては,琵琶湖海区の漁業調整委員としての立場の漁業者もいれば,自らが環境NPOを組織し,将来的な琵琶湖の環境保全計画に関するワークショップに参加する漁業者もいた。
     外来魚問題や漁獲量の減少に関しては公的な場で問題点を指摘し,問題の解決に結びつけようとする提言を実施いている漁業者もいる。日常的に琵琶湖において生活し,琵琶湖とともに人生を過ごしてきた漁業者には,環境保全活動においても専門家としての役割を期待できる。
     そもそもラムサール条約登録湿地の保全活動自体が本来は水鳥に限られるものではなく,沿岸域の環境管理を目指すものであるのならば,水産資源の維持や漁業の継続といった観点からも検討されるべきものとなるであろう。

    IV.まとめにかえて
     湿地保全における賢明な利用が世界各地で模索されつつある。行政やNPO等を含む環境ガバナンスにおけるステークホルダーを想定する場合,広大な沿岸域を保有する琵琶湖において,漁業者の存在に注目すべきであると考えた。環境保全において生業の視点からも,将来的な課題への解決策を導き出せるかもしれない。一方で琵琶湖における漁業者は,他の第一次産業同様に急速な高齢化を迎えている。漁業が維持されつつ湿地保全につながるようなラムサール条約登録湿地としての効果を期待したい。
  • 横山 秀司
    セッションID: S1706
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    琵琶湖の北湖東岸域(尾上集落から姉川までを例として)の景観変遷を新旧の地形図および空中写真より判読して景観構造と頸管機能の変化を明らかにする。特に琵琶湖総合開発事業によって大きく変化した事実を明らかにする。そしてラムサール条約に登録されている琵琶湖においては、その水辺環境の保全ないしは自然再生が重要である。湖北地域において自然と人間が共存していた昭和40年頃の景観生態学図を作成し、ドイツなどの自然再生事業を参考にしながら、北湖東岸域の景観の保全と再生に関して提言したい。
  • 秋山 道雄, 吉越 昭久
    セッションID: S1707
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1. 問題の所在
    琵琶湖の環境保全や環境管理に関する研究や政策形成に関しては、これまでかなりのものが蓄積されている。しかし、その多くは水質を中心とした物質循環に関わるものであり、生態系や生物多様性に関わる政策関連の研究は相対的に少なかったというのが実情であろう。
     そこで、本シンポジウムでは、1993年にラムサール条約に登録された琵琶湖について、湿地生態系という面からその環境的特性と保全のあり方を考察していくこととした。
     1971年に成立したラムサール条約は、その正式名称が「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」となっていることから、水鳥の保護を目的とし、その生息地である湿地が対象となっているといった理解をされがちである(安藤、2000)。しかし、この条約の本来のねらいは、幅広く湿地保全をめざしたもので、条約成立後、多くの決議や勧告を通じて湿地保全条約としての性格を顕在化させてきた。ラムサール条約湿地としての琵琶湖という面からアプローチする際には、この点を前提条件としておさえておくことが必要であろう。

    2. 対象としての琵琶湖流域
     ラムサール条約をめぐる理解でいま1つ注意を要するのは、同条約でいう湿地の定義が幅広いことである。条約では、通常湿地として連想される規模の比較的小さい湿地だけでなく、浅い海岸や河川、湖沼、ダム湖から水田までをカバーしている。1993年に琵琶湖が登録された際には、琵琶湖本体だけが対象であった。その後、2008年に琵琶湖沿岸域に位置する内湖の西の湖が拡大して登録されたが、この場合も対象は西の湖本体に限られている。しかし、ラムサール条約では、琵琶湖を取り巻いて集水域に展開している水田が対象候補地となり得るのである。
     ラムサール条約で対象となっているのは、琵琶湖や西の湖本体のみであるとはいえ、これらの環境的特性や保全のあり方を考察する場合には、その沿岸域や集水域の存在を無視し得ない。湖本体と水や土地を介してつながった沿岸域や集水域は、生態的な機能としては連続した部分を多く抱えているからである。それゆえ、ここでは湖、沿岸域、集水域を統合して琵琶湖流域とみなし、その総体的な認識を基礎におきつつ、集水域を代表する土地利用である水田に焦点をあてて、湿地生態系という面からその環境的特性と保全のあり方を考察していく。

    3.農業水利と環境的特性
     国連が主導して、2001年から2005年にかけ専門家による地球規模の生態系に関する評価が行なわれた際、生態系が提供するサービスが人間生活といかに関わっているかを評価した。この評価(ミレニアム生態系評価)のなかで、生態系のサービスを4つに分類した(供給サービス、調整サービス、文化的サービス、基盤サービス)。
     水田に水を供給し、水田本来の機能を発揮させる農業水利には、灌漑用水を供給して米の生産性を高めるという機能のほかに、浄化機能や生態系保全機能、景観形成機能など、調整サービスや文化的サービスに該当する機能を備えていた。ところが、高度経済成長期以降に展開した土地改良事業は、供給サービスの機能をより高度化するという目的を掲げ、高度経済成長の後期にはほぼそれを達成した。米の生産調整が行なわれるようになったのは、それを傍証する事象であろう。
     水田が湿地生態系として果たしてきた機能は、こうした土地改良事業の結果、低下したり、失われることになった。一方、自然生態系や生物多様性に対する関心の高まりの中で、水田が果たすさまざまな機能にも関心が寄せられるようになっている。琵琶湖集水域における水田は、水田それ自体の生態的な価値だけでなく、琵琶湖と関わって流域規模で果たす生態的な価値をも有している。したがって、水田がかつてもっていた機能を復元していくためには、現代化された農業水利のあり方を再考していく必要がある。これは、琵琶湖流域における農業水利のおかれた特性ゆえに帯びることになった新たな課題である。
  • 松本 淳, 小林 茂
    セッションID: S1801
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
     地球環境の変動がグローバル・イシューになりながらも、なお不確定な要素がつきまとうひとつの原因は、本格的な器機による観測の期間が短く、しかも空間的に不均等という点に求められる。とくにアジア地域の場合、各種の観測の体制化が遅れ、長期的な観測記録が少なく、環境変化といっても、検討する時期をさかのぼらせることは容易ではない。
     これに関連してもうひとつ考慮すべきは、アジア地域の環境に関連する観測資料が、必ずしも充分に利用されているわけではない、という点である。たとえば気象観測は、中国においてはイエズス会士によって開始されたが、その資料の本格的集成は、近年になってようやく始められたところである。日本についても、長崎の出島におけるオランダ人の気象観測資料(在オランダ王立気象研究所など)の収集と検討などが開始されたが、さらなる努力が要請されている。このような利用されていない環境変化に関連する資料は、視野を広げてみると、さまざまな方面で認められ、その発掘と整備が各方面で行われつつある。本シンポジウムでは、こうした研究の進行を紹介し経験や知見、問題点を交換するだけでなく、今後のデータ整備に向けて、どのような作業が必要か、考えることを目的としている。発掘から利用まで、この種の資料に関する問題に多面的にアプローチしたい。
  • 小林 茂, 多田 元信, 林 香枝, 波江 彰彦
    セッションID: S1802
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    はじめに
     1945年8月まで、日本がアジア太平洋地域について作製した地図を外邦図と呼んでいる。本来日本軍が作製した同地域の地図をさすが、今日では旧植民地について臨時土地調査局などが作製したものも広義の外邦図と考えられるようになっている。作製以後65年以上が経過し、すでに古地図となっているが、同時にこの地域の景観変化の研究の素材として意義をもつ可能性が大きい。ただしその作製の主体や経過はさまざまであり、仕様や精度も多様で、本格的な景観変化研究に利用するには、一定の配慮が必要である。本発表では、朝鮮半島と台湾における作製時期と仕様のちがう地形図の比較にむけた作業の結果を報告し、その可能性を考えたい。
    使用する地形図 朝鮮半島については、日清戦争期につづく時期(1895-1906年)に測図された5万分の1図(「略図」)および朝鮮総督府臨時土地調査局が1914-1918年に測図した5万分の1地形図を使用する。前者は朝鮮半島の最も早い時期に作製された地形図で、図根点は「図解法」(平板測量)で設定された。後者は同地域でおこなわれた最初の本格的三角測量(三角形の閉塞誤差は、<5秒。経緯度原点は対馬連絡三角網により、日本本土の三角網を延長して設定)によるものである。他方台湾については、台湾総督府臨時台湾土地調査局が三等三角測量(三角形の閉塞誤差は、<10秒。経緯度原点は海軍の天測結果により設定)をもとに、1900-1902年に測図した2万分の1「台湾堡図」ならびに陸地測量部によって、日本本土と同様の三角測量(経緯度原点は1906年に設定された虎仔山一等三角点)をもとに1921-1928年に測図された2万5千分の1地形図を利用した。
    このうち朝鮮半島の「略図」は高麗大学の南縈佑教授、「台湾堡図」は台湾中央研究院の施添福研究員によってそれぞれリプリントが刊行されている。また朝鮮総督府臨時土地調査局の5万分の1地形図および陸地測量部の2万5千分の1地形図(台湾)についても、日本国内で作製されたリプリントがある。
    対応する地図の比較対照 朝鮮については臨時土地調査局の5万分の1地形図の「京城」図幅、台湾については2万5千分の1地形図の「台北西部」図幅をスキャンしてArcMapに読み込み、四隅の経緯度を入力してベースマップとした。投影法は多円錐図法とした。これらに朝鮮「略図」の「漢城」図幅および「台湾堡図」の「台北」図幅をそれぞれ重ね合わせ、対応の明確なコントロール・ポイントを入力し、アフィン変換をおこなったところ、台北については図郭がずれているものの、記入されている地物の位置はかなりよく一致した。しかしソウル(漢城・京城)については、両者ともよく一致しなかった。台湾の場合は経緯度原点にちがいがあるとはいえ、いずれの図も三角測量により図根点が設定されているのに対し、朝鮮の場合は、「略図」と臨時土地調査局作製図の図根点の設定の方法が基本的にちがうことがこの背景としてあることが明らかである。なお、朝鮮の「略図」と臨時土地調査局作製図にみえる同一地点の経緯度を図上で計測し、比較したところ、両者の間にはかなりの差があることが多く、経緯線を基準にすると、大きなものでは図上距離にして数キロメートルもの差がみとめられる。このような点から朝鮮の「略図」と臨時土地調査局作製図を比較して景観変化を検討するには、慎重におこなう必要のあることが判明した。
     以上の成果をもとに、今後は各種外邦図の経緯度原点や測量精度などを順次調査し、比較可能性を確認するとともに、各種土地利用の面積の変化を含む本格的比較作業に着手したい。
  • スリスマンティヨ ヨサファットテトォコ, バユアジ ルフル, 建石 隆太郎
    セッションID: S1803
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    地表環境をより正しく総合的に理解することであり、それは地域の環境変化を地球環境の中に位置づけることである。このための中核となる手段は、地表環境に関連する研究者が全ての既存の地理空間データを蓄積し共有することである。すなわち、本研究では、継続的に国際的に地理空間データを蓄積共有するシステムを構築することである。本研究では、このシステムを利用し、(1)世界で最も精度の高いグローバル土地被覆データの作成、(2)東アジア・東南アジアの既存の地図データ(旧日本陸軍作成の外邦図を含む)による最近100年間の東アジア・東南アジアの地表環境の変化または地表環境の分析を行う。
  • 山本 晴彦
    セッションID: S1804
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.わが国における区内観測所の雨量観測記録のデータベース化とアメダス観測データとの統合・雨量変動解析
    全国各地の主要な都市には、約130ヶ所の気象官署が設置され、観測当初からの気象観測原簿のデータベース化が実施されている。しかし、気象官署以外のアメダス観測所では、アメダス観測が開始される1976年以前の区内観測所の気象観測記録については、気象官署や気象庁図書館に紙媒体の気象観測原簿や気象月報の状態で保存されている。(財)気象業務支援センターでは、気象観測原簿や気象月報をスキャナーで読み取り、紙媒体資料のデジタル化を行い、資料の劣化防止に努めている。しかし、その資料は、デジタル数値データではなくデジタル画像(TIFF形式)として保存されていることから、数値データとして利用することは出来ない。筆者らは、西中国(広島県・山口県)および九州7県の計9県について、1976年以前の区内観測記録を対象にデータベースの構築を行った。
    構築したデータベースを基に、大分県について1976年以前の区内気象観測所と1976年以降のアメダス観測所における移設距離が2km以内の降水データ(9地点)を接続し、長期にわたるデータベースを構築し、年間降水量・年間降水日数(50mm以上、80mm以上、100mm以上、200mm以上の降水日数)の長期トレンドの検証を行った。また、降水の多い6-7月、8-9月における降水日数(50mm以上、80mm以上、100mm以上、200mm以上の降水)の長期トレンドについても検証を行った。線形トレンドについてはt-検定を行い、非線形トレンドについては、Mann-Kendall検定を用いた。
    200mm以上の降水日数は、犬飼で増加傾向、他の地域では減少傾向が認められた。増加傾向が確認された犬飼は、過去80年にわたる日降水量の上位(1位に1993年台風13号、2位に2005年台風14号、次は11位に2003年7月12日梅雨前線豪雨)は最近の観測年である。しかし、3-10位と順位の多くをアメダス以前に観測された降水量が占めた。減少傾向が見られた中津で、アメダス観測期間(1976~2006年)では100mm以上の降水日数トレンドは増加傾向を示している。以上のことから、1976年以降のアメダス観測記録30年間における100mm以上の降水日数トレンドは増加傾向があることから、近年災害につながる豪雨が頻発していることが示唆される。しかし、1976年以前の区内観測記録を接続した長期トレンド(1926~2006年)では、増加・減少傾向は観測所により異なった。

    2.中国における満州気象データのデータベース化と戦後の気象データとの統合・気温変動解析
    戦前期の満州における気象観測業務は、日露戦争に際して軍事上の目的から中央気象台(現在の気象庁)が1904年8月に大連(第6)・營口(第7)、1905年4月に奉天(第8)、5月に旅順(第6・出張所)に臨時観測所を設けたのが始まりで、その後は関東都督府に引き継がれ、1925年以降は、南満州鉄道株式会社に一部を委託された。南満州の観測所では、1904・05年から1945年の終戦までの約40年間にわたる観測業務が実施されている。一方、満州国が建国(1932年3月)され、その翌年11月に中央観象台官制が制定されたため、それ以降に開設された北満の観測所では観測期間はかなり短く、扎蘭屯では観測期間が1939年からの7ヶ年に過ぎない。1942年の満州国地方観象台制では、中央観象台(新京)、地方観象台4ヶ所、観象所46ヶ所、支台46ヶ所と簡易観測所が設置されている。
    筆者らは、東亜気象資料 第五巻 満州編(中央気象台、1942)をデータベースの基礎資料とし、満州気象資料、満州気象月報、満州気象報告、気象要覧(昭和18年10月号において、新京他17ヵ所の記載がある)などに掲載されている気象観測データを収集・整理し、観測開始の1905年から1943年(1941年以降は一部)までの30万データを越える月値について、データベース化を行った。さらに、中華人民共和国の建国(1949年)以降の中国気象局により観測されたデータを統合して1世紀気温データベースを構築し、中国東北部の3大都市(瀋陽、長春、ハルピン)における気温変動の解析を行った。約100年間の1月の月最低気温の推移を見ると、ハルビンでは+6.5℃、長春は+5℃と顕著な高温化が認められている。しかし、瀋陽ではこの40年間で徐々に低温化する傾向が認められており、3大都市における冬季の気温変動に違いがあることが明らかになった。
  • 松本 淳, 赤坂 郁美, 久保田 尚之, 遠藤 伸彦, 高橋 洋, 平野 淳平, 財城 真寿美
    セッションID: S1805
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    近年,地球温暖化に伴う気候変化による農作物収量や水資源への影響を評価し,適応策を講じるために,世界各地の気温や降水量の長期変化傾向が調査されている.しかしながら,東南アジアでは,グローバルなデータセットにおけるデータ地点は十分ではなく,また降水に関する長期変化傾向においては,月降水量データを用いた解析が多い。また1950年以前の植民地時代のデータにさかのぼった解析結果は少ない.そこで本研究では東南アジア地域の中でも,20世紀前半のアジアモンスーンの長期変化を解明することを目的に,従来の研究では使われていない気候の文書資料を発掘しデジタル化した上で研究を進めることにした.特に日降水量データが使用可能であるフィリピンに着目し,20世紀におけるフィリピンの夏季雨季入り・雨季明け時期の年々変動の特徴を明らかにした.
  • 久保田 尚之, 松本 淳, ジン エドウィン
    セッションID: S1806
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    台風の長期変動を知る上で欠かせない台風経路は、 西部北太平洋域では1945年以降は整備されている。 だが、それ以前は台風資料が残されているものの、 現在の台風定義と異なるため、使用されていない。 本研究では、1901-1940年のフィリピン気象月報を 収集し、それに記載された紙資料の台風経路をデジ タル化した。また、現在の台風定義と台風経路と 比較し、当時の地点気圧データを用いて、品質を 検証し、過去100年間の西部北太平洋域の台風の 長期変動を調べた。
  • 財城 真寿美, 赤阪 郁美, 三上 岳彦
    セッションID: S1807
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
     最近の地球規模の急激な気温上昇に関連して,過去の気候変動の正確な把握に基づいた将来予測の重要性が認識されている.近年,全球規模の長期気候データセットの整備が進められるなか,欧米諸国を中心に地域ごとの長期気候データの整備と解析を行うプロジェクトが盛んに行われている.これらの先駆けとなったのは,Manley(1974)の17世紀までさかのぼるCentral Englandを代表する月平均気温(CET:1659~1973年)を算出した試みである.
     長期気候データの整備に必要な古い気象観測記録は世界各地に残されているが,劣化したり,廃棄されたりする可能性がある.そこで,紙史料が劣化してしまう前に,デジタル化を行い,科学的に解析可能な状態に残すことを“Data Rescue(データレスキュー)”と呼び,イギリス気象庁(UKMO)や,米国海洋大気圏局(NOAA)などが作業を進めている.長期気候データは,気候の長期変化の解析だけでなく,これまで行われてきた代替データによる古気候の推定値を検証する際にも,有効である.特に世界的に公式気象観測が始まる以前の19世紀は,小氷期とよばれ寒冷な気候が卓越していた時期と言われている.そのため19世紀の観測データは,小氷期の時期や地域性などの解明にも役立つと考えられる.

    2.19世紀の東南・東アジアにおける気象観測記録
    1)日本(Können et al. 2003; Zaiki et al. 2006)
     日本の9地点における19世紀の気象観測記録の所在を確認し,そのうち7地点(函館・東京・横浜・大阪・神戸・長崎・水戸)の記録のデジタル化や気温・気圧データの補正均質化が完了している.長崎におけるシーボルト(P.F. von Siebold)などのオランダ人による気象観測(1819~1883年)は,シーボルトの手書き文書(ドイツ・ボッフム大学所蔵)やオランダ王立気象研究所(KNMI)の月報に報告されている.また,東京や大阪での観測は蘭学者によって行われ,個人や国立公文書館に所蔵されている.また,開港以降の函館・横浜・神戸での観測は,欧米列強によって実施され,記録は各国の年報などで報告されている.
    2)中国(Zaiki et al. 2008)
     1841-1855年,1868-1883年の北京における毎日の観測記録が,ロシアの地磁気・気象観測年報などに集録されている.University of East Anglia Climatic Research Unit (CRU)やUKMO,NOAAなどで入手可能である.史料の複写と画像ファイルの作成,観測データ(気温・気圧・降水量)のデジタル化および補正均質化が完了している.
    3)インドネシア
     バタビアでの気象観測記録(ジャカルタなどの主要地点は1850年~、多くは1871年~)や降水量記録(1879年~)の紙史料と画像ファイルがKNMIに所蔵され,共同研究でデータレスキューを進めている.
    4)ベトナム・仏領インドシナ
     サイゴンでの観測は1867年~,その他の都市についても1890年から観測記録が残る.紙史料がベトナム気象局,マイクロフィッシュがフランス気象局に保管されており,一部の画像ファイルがNOAAのサイトから入手可能である.
    5)フィリピン(赤坂 2010)
     1866~1889年はマニラのみ,1890年以降はマニラを含む約10地点で観測が行われており,記録はUKMOやKNMI、スペイン・エブロ測候所,気象庁資料室に所蔵されている.紙史料の複写が完了している.

    3.データレスキュー
     史料の追跡調査・複写(撮影)の後,気温・気圧・降水量データの数値化を優先的に進めている.次に,単位の変換→補正→均質化→クオリティチェック(均質性テストを含む)のプロセスを経てデータセットを作成する.

    4.19世紀の日本・北京における気温の変化傾向
     データの整備が完了している日本と北京における19世紀の気温傾向には,1830年代頃までの寒冷期,1840・50年代の比較的温暖な時期,そして1870・80年代に再び寒冷な時期認められた.
  • 磯部 作
    セッションID: S1901
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.沿岸域の環境保全と環境再生の課題
     高度経済成長期以後、沿岸域の環境は埋立てなどによって破壊されており、近年では、環境を保全し再生するために「里海」や「沿岸域総合管理」などが言われている。「里海」は、「人手を加えることによって」、「豊かで美しい海域を創る」と言われ、環境に関心のある市民などが海を理解して環境再生を行うには有効である。ただ、日本経済調査協議会水産業改革高木委員会の提言で、漁業者の漁業権漁業への企業の「参入のオープン化」を企図したため、「人手」と言うだけでは、沿岸海域が企業の営利優先に利用され、環境破壊が起こることも懸念される。また、「沿岸域総合管理」は、海域と陸域などを総合し、行政的にも縦割りでなく行うとするもので重要であるが、「全国総合開発計画」のように「総合」の名で大規模プロジェクトに偏った開発が行われ、環境を破壊してきただけに、環境保全と再生が大切である。また、「管理」は上からの意味合いが強いため、住民などの参加を十分保障することが求められる。

    2.海底ゴミ問題の解決に向けて
     瀬戸内海などの海底には多くのゴミが沈積しているが、海底ゴミの回収責任は明確でなく、その多くは回収されていない。これに対し岡山県の旧日生町や尾道市などでは漁業者が海底ゴミ回収に取り組み、回収した海底ゴミを沿岸市町村が処理している。伊勢湾でも愛知県によって、小型底曳網の漁業者による海底ゴミの回収が始められている。
     海底ゴミの回収は、海底の環境を熟知し、小型底曳網などの回収手段を有する漁業者が主体とならざるを得ない。しかし、海底ゴミの多くは漁業系のゴミでなく、陸上から流入したゴミなどであるため、沿岸市町村とともに、流入する河川流域圏の市町村や都道府県、それに国が責任をもって海底ゴミの運搬処理などを行うことが必要である。とりわけ、海底ゴミは県境を越えて移動するため国の責任は大きい。しかも海底ゴミは漁業に被害を与えることが多いが、海域環境にも影響を与え、回収すれば資源ともなるため、行政においても水産だけでなく環境や国土関係の省庁部局も責任をもつべきである。また、海底ゴミはプラスチック製品などの石油化学系のゴミが多いため、消費・流通段階でゴミを発生させないこととともに、製造段階でも分解しやすい物の製造やゴミになる物を回収することが求められる。さらに研究者が海底ゴミの実態や回収処理について研究し、問題の状況や解決策などを提起していくことが必要である。
     瀬戸内海においては、水島地域環境再生財団の提言を基に、環境省中国四国環境事務所が瀬戸内海沿岸の県や市などが参加した「瀬戸内海海ゴミ対策検討会」を立ち上げ、海底ゴミの実態調査、回収処理、発生抑制について調査検討した。

    3.沿岸域の環境保全と再生のあり方
     沿岸海域などの沿岸域の環境保全と再生のためには、海に日常的に関わり海の環境を熟知している漁業者などの地域の住民が主体となり、管理責任のある行政、とりわけ沿岸市町村とともに漁業権許可や海岸管理を行う都道府県や国が費用負担も含めて取り組むことが重要である。それに流入する河川流域圏の住民や、環境保護団体、専門家、利用者などが連携していくことが求められる。ただ「平成の大合併」で市町村の区域が広域化し、沿岸市町村でも海をあまり知らない住民も多い。これは沿岸域の環境保全と再生の決定などにとってはデメリットでもあるが、より広範囲に沿岸域を理解する機会でもある。瀬戸内海では、海の環境を守る団体などを組織した「瀬戸内の環境を守る連絡会」などが活動を続けており、伊勢・三河湾では「伊勢・三河湾流域ネットワーク」を結成している。沿岸域は横に長く、河川の影響も大きいため、沿岸域の横の連携や、河川流域圏も含めた全体での総合的な連携が求められる。
  • 山室 真澄, 石飛 裕
    セッションID: S1902
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     2010年春の地理学会公開シンポジウム「環境市民活動は何を目指すのか?」では、「環境共生社会における理工系専門家の役割と目標について考える」と題して以下を指摘した。
    (1)市民運動では、支持する専門家が科学に基づいて発言する内容は合理的とされる事が多い。特にそれが行政の施策と反する場合、反対運動の根拠とされる例もある。しかし専門家は、環境に関わる全てに専門知識を有するわけではない。あくまで水質の専門家であり、水理の専門家であり、水生植物や水生動物の専門家である。従って、市民運動と関係している専門家が当該案件について適切な専門知識を常に有しているとは限らず、誤った見解を示す可能性が皆無ではない。
    (2)人為的な影響を減らす事が、市民運動が望ましいとしている状況を必ずもたらすとは限らない。特に当該水域が高度経済成長期に計画・施工された大規模公共工事によって自然環境が悪化したとされる場合、その工事以前の状態に戻すことが自然再生にとって不可欠と主張されがちである。これは一般市民にとって非常にわかりやすい論理であるが、当該工事から数十年経る間に、それ以外の要素(例えば富栄養化や人と水域との関係)も変わってしまっていることの影響が議論されていない。むしろ人工的に改変された状況の方が、地域にとって豊かな自然環境をもたらしている可能性もある。 ここでは中海本庄水域(図1)の堤防撤去と開削を巡る科学者間の見解の相違と、堤防撤去と開削によって環境はどうなったのかを紹介し、上記問題点の事例として検討する。

    2.中海および本庄水域の特性
     中海は境水道を介して日本海と連なる平均水深5.4 m、表面積約 71 km2(本庄水域を除く)の潟湖である。水深4m 付近に安定した塩分成層が存在し、上層水の塩分は海水の約 1/3、下層水の塩分は海水に近い。下層水は通常5月から 10 月まで貧酸素化する。本庄水域は表面積約 17 km2で、昭和38年に開始された国営中海土地改良事業の干拓予定地として、1981年に森山堤防、北部承水路、大海崎堤防、西部承水路堤防からなる干拓堤防で中海から切り離された(図1)。工区西側にある幅約 100 m の西部承水路を2km 入った堤防開削部で中海本湖とつながっていたが、この水路の水深が2~ 3.5 m と浅いために、本庄水域には中海の上層水しか入らない。このため、本庄水域の水塊は比較的均一で塩分成層が生じにくく(神谷ら、1996)、中海本体と比べると下層の貧酸素水塊は強風によって容易に消滅する。酸素が多い為に、中海本湖では水深2~3m以深には生息しないホトトギスガイが本庄水域では水深5m近くまで生息し (Yamamuro et a1.,1998)、動物プランクトン生息密度も年間を通して中海本体より高かった(山室、1997)。これらの結果から、下層水の流入を引きおこす堤防撤去と開削は塩分成層の強化を招き、本庄工区の貧酸素化をもたらすと指摘されていた(例えば石飛ほか、2003)。一方、堤防の開削により本庄工区の溶存酸素濃度は増 加するとの数値シミュレーション結果や、現場の独自調査をもとに開削を求める自然科学者集団も存在した。その主張は、昔の地形に戻せば昔の中海がよみがえるとする市民感情に合致し、結果として西部承水路堤防が2008年に撤去され、森山堤防では2009年に開削が完了した。
  • 沼田 篤
    セッションID: S1903
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    江戸後期、佐原の名主を隠居した伊能忠敬が幕府天文方高橋至時に師事し、測量隊を組織して作成した「大日本沿海興地全図」では、霞ヶ浦は空白である。霞ヶ浦沿岸湿地帯は測量隊が入れず、利根川洪水の影響を受けて、砂洲の出現と流出が繰り返され、著しい水位変化によって、湖岸線が確定できなかったからではないか。明治中期、陸軍参謀本部による「第一軍管地方二万分一迅速測図」によって、初めて霞ヶ浦・利根川最下流水系の全貌が明らかになった。人工化による管理を受ける以前の低湿地帯地形は瞠目すべき複雑さであり、水郷と共生する住民の生活風景は文人墨客の目には素朴な南画的理想郷として映ったかもしれないが、特に農漁民の暮らしは過酷であり、不安定で僅かな収入に頼る状況であった。現代の地図に描かれた湖岸線の位置そのものが、水域と陸域を明確に分離する開発によって人工化された結果であることを銘記すべきであろう。 霞ヶ浦のように平野部に位置する広く浅い湖沼では、沿岸湿地帯が広大で、砂浜に続く葦原(アシ-カサスゲ群落)が本来の景観である。砂浜の奥部には高い波浪時に打ち上げられた粗砂と有機物から構成される浜堤(ひんてい)が形成される。浜堤の背後には柳まじりの葦原が続く。広大な湿地帯は増水時に湖水が冠水するが、減水時には大量の有機懸濁物(富栄養化した湖沼で量的に多いのはプランクトン類)を置き去りにすることで湖水の水質が改善される。有機物は湿地帯で分解され、アシの養分となる。湿地植生は、分解(異化)と合成(同化)の結果として成立する。その豊かな植生に依存して、消費者である昆虫や鳥類が生息する。死と再生の厳粛なドラマとしての物質循環の場が湿地帯である。さらに湖沼の水質保全にとって沿岸湿地帯は、人体における心臓、肺、肝臓、腎臓、生殖巣の機能同様、必須の場である。沿岸湿地帯や流域を含めた湖沼生態系は小宇宙(フォーブス・西条八束)であり、構成要素は不可欠で、一部に加えられた打撃はやがて全体に及ぶのである。 戦後日本では、帰農する引揚者や次三男への農地供給、高度経済成長における工場用地確保の要請において法整備がなされ、広く浅い湖沼や内湾の干拓・埋め立て・土地改良が促進された。八郎潟、手賀沼、印旛沼、霞ヶ浦、東京湾、大阪湾、神戸沖、児島湾、宍道湖、中海、有明海などで、ほとんど全てまたは一部が陸地化した。霞ヶ浦では、湖面積の約1割にあたる湿地や浅い水域が干拓・埋め立てされ、水田、ハス田、牧場、宅地などに土地利用されている。これらの開発地は、霞ヶ浦開発事業(1996年概成)による築堤で水域から仕切られ、水害は絶えた。沿岸各地には多数の用排水機場が整備され、50km遠方の農地まで農業用水(霞ヶ浦用水事業)として、常陸川水門(1963年設置)の開閉によって淡水化された湖水が供給されている。 海跡湖としての霞ヶ浦は、江戸時代以後汽水性が弱まり、流出河川の常陸川下流域は利根川の洪水の影響を受けて陸地化が進んだ。霞ヶ浦本体においても開発(森林の開墾等)に惹起された表土流出によって流入河川河口部は広いデルタ地形となり、水深が浅くなった。江戸時代後半から昭和初期までに、既に淡水化が進んでいた。堆積速度によると、霞ヶ浦は自然遷移下では約1000年で陸地化する宿命だった。戦後の治水事業としての放水路事業によって生じた塩害と利根川本流からの逆流対策のための常陸川水門建設を緒に進捗した開発事業のうち特に「沖出し堤」による囲い込みによって、「低地のダム」として高度に利用する方向を地域は選択したことになる。その恩恵は、沿岸と遠隔農地の安定的な生産性を担保し、筑波研究学園都市はじめ東京通勤圏として人口増加著しい牛久市、龍ヶ崎市など周辺都市への都市用水供給、鹿島臨海工業地帯への工業用水供給など多方面に及び、茨城県民のみならず首都圏発展への貢献度が大きいことを客観的に認めなければならない。他方で霞ヶ浦開発は、水質悪化、漁業不振、生態系の単純化、景観の悪化をもたらした。特に浅く広い湖沼の沿岸湿地帯の構造と機能についての認識は、農家をふくむ一般住民や行政職員のみならず、生態学、陸水学、堆積学、地形学、地理学など関連分野の専門家さえ希薄だったのではないか。開発行為は両刃の剣であることを客観的に認めつつ、問題点を抽出し、現実を無視した観念論とは無縁の、自然科学的かつ現実的認識が根付き、市民意識をもって地道に一歩ずつ対策を講じていくことが今後肝要であろう。
  • 作野 広和
    セッションID: S1904
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     2002年12月に成立した自然再生推進法の特徴は,「汗をかく法律」という点と,「多様な主体が合意形成を図る」の2点に集約される(佐藤,2005)。この2点は,現代における水環境保全活動を行う際の重要なポイントである。「汗をかく」とは具体的な行動が求められるという主旨であり,その行動は多主体が連携し,協働で行うことを意味している。
     水環境保全活動は公共事業の是非をめぐる「対立の時代」からスタートした。その後,「協議の時代」を経て,現在では「協働の時代」と位置づけることができる。協働の主体は行政や住民をはじめ,各種組織・団体,企業,研究機関など多岐にわたる。だが,協働の実態は多様であるとともに,様々な問題を抱えている。とりわけ,河川上流域においてはあらゆる活動に関して地域との合意形成が必要であるため,地縁組織との調整に大きな時間と労力を割かれることになる。具体的には,水環境全活動を行おうとする場合,地域住民の参加が不可欠であるとともに,地域住民の同意を得ることが必須条件となる。そのため,活動自体に地縁組織を含めることが多く,結果的に水環境保全活動は地域づくりそのものと不可分となる。
     その際,問題となるのが合意形成の場づくりであり,そのために必要な組織形態のあり方である。本報告では河川上流域における地域づくりにおいて,多主体がいかに連携組織を構築していくのか,そのプロセスを整理するとともに,その際の課題について考察する。これにより,水環境保全活動を含めた地域づくり活動における多主体連携の重要性と困難性を提示できると考える。

    2.斐伊川流域の概要と環境保全活動
     斐伊川は島根県奥出雲町の船通山を源流に出雲地方の大半を流域とする一級河川である。斐伊川は下流部で宍道湖と中海という2つの汽水湖を含み,鳥取県との境界を成す境水道を経て日本海に注いでいる。高度経済成長期には中海の5カ所を干拓するとともに,水門を設けて淡水化する事業が進められていた。干拓については4カ所が完工し営農が行われているが,淡水化は松江市を中心に反対運動が巻き起こり,1988年に延期となった。その後,国の公共事業見直しの動きなどを受けて2002年に中止が正式に決定され,現在は事業終結のための工事が続けられている。
     このように,斐伊川流域では中海干拓・淡水化事業への反対運動を契機として,宍道湖・中海の環境保全に対する市民の意識が高まった。そのため,流域では水環境保全活動も熱心に行われている。とりわけ,宍道湖に「ヨシ」を植える運動を展開しているNPO法人斐伊川くらぶの活動は多くの賞を受賞するなど注目を集めてきた。また,宍道湖・中海はラムサール条約に基づく登録湿地に指定されるとともに,中海では自然再生協議会が設置されるなど,多くの活動が展開している。
     このように,下流域では水環境保全活動が熱心に行われている。一方,中・上流域では学校教育による取り組みや森林保全活動が行われているものの,下流域との連携は必ずしも十分なものとはいえない。

    3.尾原ダムの建設と地域づくり組織の構築
     斐伊川流域では治水事業の一環として,上流域に尾原ダムの建設が行われている。斐伊川ではじめてとなる治水ダムは2010年度末に完成が予定されている。ダム周辺地域では水環境の保全と,尾原ダム周辺地域の一体的な地域づくりを行うために,尾原ダム地域づくり推進連絡協議会が設立された。この協議会は,地域住民が中心的に活動を行うものの,行政機関,環境・地域づくり系NPO,研究者など多様な主体が参画して運営されている。
     しかし,同協議会と地縁組織との関係は必ずしも明確になっていない。多主体が連携する場として,地縁組織とは切り離した組織づくりが不可欠である。だが,それゆえに地域住民主体の組織になりきれておらず,主体的な活動が行えない状況にある。
     同協議会には専任スタッフ1名が常駐しているが,その経費は地元自治体が捻出した経費でまかなわれており,組織が極めて不安定な状況にあるなど,課題も多い。
  • 伊藤 達也
    セッションID: S1905
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1.はじめに
     長良川河口堰は,1994年に堰が完成し,1995年から本格運用が始まった.2010年現在,既に15年が過ぎている.長良川河口堰の建設目的は水資源開発と治水であるが,現在に至っても,水資源開発においてはほとんどその目的を果たしていない.こうした状況は堰建設をめぐって全国規模の反対運動が発生し,激しい論争が交わされた当時の,反対運動の主張の正しさを見事に証明している.現在,改めて堰の開放を求める声が大きくなってきており,今後の展開が注目されている.
     長良川河口堰をめぐる反対運動について考えていく場合,1)長良川河口堰をめぐって展開された反対運動そのものの展開と,2)長良川河口堰反対運動が他地域の環境保護運動に及ぼした影響の2点に分けて考察していくことが重要である.特に後者の視点は,長良川河口堰反対運動前と運動後の全国の環境保護運動を考えていく際,現実に運動が成功した事例を想定すれば,その重要性がより大きくなっていくと思われる.ただ,本報告ではそうした後者の具体的内容について検討するのではなく,前者の長良川河口堰をめぐって展開された反対運動について考察することにより,長良川河口堰反対運動が後者の視点を有するに至った根拠について,政府側の対応と関連させながら検討することを目的とする.

    2.漁民と市民による反対運動
     長良川河口堰をめぐってはこれまで大きな反対運動が2度にわたり発生した。1960年代から70年代にかけての地元漁民や市民らによる運動と,1980年代末から1990年代にかけて発生した全国的な反対運動である。両者の運動にはそれぞれ特徴があり,分けて考えていくことができる.
     前者の反対運動は,当時全国的に展開していたダム水没地域の住民が中心となって激しい運動を繰り広げていたダム反対運動と大きな共通性を有していた.長良川河口堰の場合,水没住民はいなかったものの,長良川や伊勢湾奥で漁業を営む漁民たちが中心となり,さらには長良川流域に住む岐阜市を中心とした地域住民らが河口堰建設に伴う環境影響の発生を懸念して,大きな反対運動のネットワークを形成していった.彼らの運動は岐阜県知事の河口堰をめぐる発言に大きな影響を与えることとなり,河口堰建設に対して大きな制約条件となっていった.
     しかしながら,1976年に発生した長良川水害を契機に反対運動は急速に沈静化していく.特に漁民を中心とした反対運動は一部の漁協を除いてほぼ消滅した.その後,岐阜市民を中心とした反対運動が続くものの,争点を再焦点化するには至らず,1980年代末の長良川河口堰起工式を迎えることとなる.

    3.新しい環境運動による反対運動
     一方,1980年代末に発生し,全国的な反対運動となった新たな河口堰反対運動は,運動の焦点を環境に置き,運動主体も流域といった地域制約を越え,関係者にアウトドアグループを加える等,これまでにないユニークな運動となっていった.運動は1990年代半ばにピークを迎えるが,最盛期には国会議員のほとんどが賛否を問われるレベルの問題であった.
     最終的には1995年に運用開始を迎えることになるものの,上述したように,そこに至るまでの運動目的,組織形態,活動内容等がマスコミの圧倒的な関心を呼び,運動を長期にわたってわが国有数の政治イシューにしたのである.そしてこの運動の影響として,1995年ダム等見直し委員会の発足,1997年河川法改正が現れるとともに,全国的に環境保護運動が高まりを見せていくのである.

    文献)伊藤達也(2005)『水資源開発の論理』成文堂
    伊藤達也(2006)『木曽川水系の水資源問題』成文堂
  • 山本 佳世子
    セッションID: S1906
    発行日: 2010年
    公開日: 2010/11/22
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    1992年6月に地球サミットで採択された行動計画「アジェンダ21」では,人間活動と生態系における水辺域の重要性に着目し,2020年には世界人口の約3/4が沿岸に住むとして,「沿岸国は,自国の管轄下にある沿岸域および海洋環境の総合管理と持続可能な開発を自らの義務とする」 と記載された.しかし水辺空間は,人々が遊ぶ場所,憩いの場所としてだけではなく,その近隣地域は居住地域やオフィス街としても人気が集まっており,人間の諸活動と水環境保全のバランスを考慮する必要があるといえる.これらを踏まえ,本報告では,米国サンフランシスコのミッションベイ地区における多主体連携による地域活動の展開について紹介する.
    サンフランシスコ湾に面したダウンタウンに隣接するミッションベイ地区において,総面積303エーカー(約127ha)に住宅6,000戸,カリフォルニア大学サンフランシスコ校,バイオテクノロジー等の業務・商業施設,ホテル等の整備が予定されている再開発事業計画(事業費約20億ドル)があった.1981年にデベロッパーであるカテラス社は,この地区における低密度の郊外型住宅と商業施設の構成案を提案したが,サンフランシスコ市に却下された(ワーナケ案). 1983年にも同社は,イタリア・ベニスのような運河を造ってその周りに42階の超高層オフィスを建設する計画を企画し,アーバンデザイン賞を受賞したが(ペイ案),周辺住民はサンフランシスコ湾の眺望を遮るなどの理由から猛反発した.このことによりカテラス社は,またもや計画を取り下げることになった.また当時のダイアン市長は,1984年10月に,「超高層建築は好ましくない.アフォーダブル住宅(低所得者向け住宅)を含める必要がある.」とカテラス社に書簡を送り,このことが新たな市民,デベロッパー,市の三者の開発計画の策定の出発点となった.
    その後は市民参加の下で計画策定が進められ,住民参加第1案(1987年),住民参加第2案(1990年)が提案された.そして1991年に市とデベロッパー間で開発協定が結ばれたものの,経済情勢の変化から計画は凍結されたままであった. 1996年には開発協定が破棄され,1998年にカリフォルニア大学サンフランシスコ校のキャンパスを立地させる再開発地区の決定がなされた.
    この間,市民側は,アフォーダブル住宅の確保や環境保護の目標を掲げて,住民投票で制度化されたプロポジションMに則って都市開発の総量抑制を行い,再開発計画の策定に参加して市民の意向を取り入れた計画策定に取り組んできた.またこの地区の開発では市および郡は税金を支出しないことになっているが,この理由は,これらの近隣地域では開発が行われることにより,さらに多くの不動産税をもたらすようになるためである.このようにして生じた不動産税の追加税は,この地区のアフォーダブル住宅供給・近隣地域の改善(街路・下水整備)や市の全市的事業に使われることになっている.ミッションベイ地区の不動産所有者は,特別税地区契約を通じてすべてのオープンスペース(公園・道路等)の維持管理費用を負担しなければならない.このようにミッションベイ再開発計画は市民が主体となって策定し,まちの管理も地域が負担することになっているため,いわゆる独立採算制の方式が採られているものといえる.そしてデベロッパーの負担のほかには,NPOが事業主体となって住宅整備を行うこともある.
    今後は,たとえ都市地域であっても,有効な水環境保全・管理を行うためには,森林・河川・海という水の流れに沿った流域管理の取り組みや,多様な生物の生息空間としての水と緑のネットワークの構築を行うことが必要である.また専門家・研究者,行政,開発業者だけで水辺域の再生・整備を行うのではなく,市民意見の反映をどのように行っていくのかも大きな課題となる.
    そして以上で述べたことを実現していくためには,行政,市民,NPO,事業者,研究者・専門家などによるパートナーシップが重要であり,さらに市民参加を進めるためには一般社会に向けての環境教育や普及開発活動が必要であるといえる.そのためにはまず,いかに上記のような多主体連携を構築し,これに基づく活動を推進していくことができるのかが重要な課題となる.
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