日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会秋季学術大会
選択された号の論文の165件中51~100を表示しています
  • -地域の所得格差は健康を損なうか-
    豊田 哲也
    セッションID: 608
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    地域格差を論じるにあたっては、地域間格差と地域内格差の概念を区別することが重要である。前者は平均的水準で比べた「富裕な地域」と「貧困な地域」の差という空間的な関係であり、後者は散布度で測った「富裕な層」と「貧困な層」の差という階層的な関係である。近年の社会疫学では、「豊かな地域ほど健康である」という絶対所得効果だけでなく、「経済格差が大きな地域ほど不健康である」という相対所得仮説が提起され、大きな論争を呼び起こしている。日本社会は経済格差が小さいと考えられてきたが、1990年代以降はジニ係数が継続して上昇傾向を示すことから、所得の地域間格差や地域内格差が健康水準に影響を与えている可能性がある。本研究では都道府県別に世帯所得の分布を推定し、平均寿命との相関を見ることで上記2つの仮説を検証することを目的とする。
    使用するデータは「住宅・土地統計調査」の匿名データである。「世帯の年間収入階級」別の世帯数から、線形補完法により収入額のメディアン(中位値)、第1四分位値(下位値)、第3四分位値(上位値)を推定し、四分位分散係数を求める。今回の分析では以下の点で方法の改良と精緻化を図っている。(1)世帯所得には規模の経済が作用するため、平均世帯人員の平方根を用いて等価所得を求める。(2)高齢化にともなう年金生活世帯の増加など人口構成の変化要因を除くため、「世帯を主に支える者」の年齢階級で標準化をおこなう。(3)物価水準の地域差や時系列変化を考慮し、「地域物価差指数」と「消費者物価指数」をデフレーターとして所得を実質化する。こうして求めた1993年、1998年、2003年の所得分布と、「都道府県生命表」から得られる1995年、2000年、2005年の平均寿命について相関を調べる。
    推定された所得と平均寿命の相関を見ると、女性では有意な相関を見出せないが、男性では地域の所得水準(中位値)が高いほど、また地域内の所得格差(四分位分散係数)が小さいほど平均寿命が長いという関係がある。また、2000年から2005年にかけて所得格差と男性寿命の相関が強まった。ただし、所得水準と所得格差の両変数間には強い逆相関が存在するが、偏相関係数により前者の影響を取り除いた場合でも、後者と平均寿命の間に有意な関係が認められた。この結果から、男性に限り日本においても前記2つの仮説は支持されると考えられる。
  • 森本 洋一, 小寺 浩二
    セッションID: 202
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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     冬期間に降雪を伴う本州の山間部や北日本、日本海側地域では地面に降り積る積雪や春先から溶け出す融雪水が河川水質の組成や形成する特徴的な要素になっている。特に北日本や日本海側地域は降雪量が多いところでは3mを超え、河川の水文環境は降雪・積雪水によるところが大きい。日本海側を流下する魚野川流域は新潟県の中越地方を流れ、冬季の降雪量が多い地域として有名である。春先から初夏にかけて流量の年間最大値を示し、河川水に対する融雪水の割合も大きくなる。また、降雪の絶対量は多いが、冬季の平均気温は平均で0℃前後であり融雪は積雪期にも融雪は多岐にわたる。本稿では積雪水と融雪水の河川水質に対する影響について、既存のデータと水質の定点観測と、質分析結果やGISを用いて解析し、溶存成分の経時変化や季節変化を総合的に考察した。
  • 長野県須坂市を事例に
    齋藤 譲司
    セッションID: P708
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    今日の日本では,近代化に大きく貢献した明治期以降の産業とその遺構に注目が集まっている.日本の近代化を支えた構造物の総体を近代化遺産と捉え,具体的な構造物が遺産として保存されるようになった.しかし,近代化遺産には当時の人々の営みが背景にある.近代化遺産の保存には構造物を保存するだけにとどまらず,構造物を含めた地域や生活の営みを保存し,後世に語り継ぐ必要がある.それには地域の人々が近代化遺産の意義をよく理解し,地域を象徴するものであると自覚しなければならない.つまり,地域の人々が近代化遺産の保存活用を通じて自己のアイデンティティを確立することが必要である.そこで本研究では,長野県須坂市に存在した米子鉱山を事例に,鉱山に対する人々のアイデンティティに注目し,近代化遺産としての米子鉱山の保存の可能性について考察する.
    米子鉱山での生活で経験した楽しい思い出や辛い思い出は,狭い地域の中で個々に共有され,鉱山関係者というアイデンティティを生み出した.鉱山閉山後も鉱山関係者というアイデンティティが消えることはなく,鉱山関係者による同窓組織が結成された.この組織は,鉱山の記憶を現在に残すため積極的な活動を行ってきた.近年,近代化遺産の価値が注目される中,米子鉱山を近代化遺産として保存活用する動きが高まり,保存活用事業が始まった.このような行政の活動は鉱山関係者のアイデンティティをより強固なものにしたが,鉱山にあった施設は取り壊され,鉱山の様子は,写真や鉱山関係者の語りから想像するしかない.また,鉱山関係者の高齢化が進み,同窓組織の会員数が減少するにつれて,語れる者が減少し,積極的な保存活動を行うことは困難になった.行政としては,市民から保存活用の活動が起こらない限り,鉱山の保存活用事業は終了せざるを得ないという.近代化遺産の保存,活用には,行政や地域住民が遺産の意義を理解し,その遺産が地域を象徴するものであることを認識する必要がある.構造物を可視的に保存し,地域の象徴と捉えることも必要だが,その意義を後世が理解し,そこでの人々の営みを語り継ぐ必要がある.米子鉱山においては,可視的に保存できるものは皆無となった.そして,鉱山関係者が減少する中で,いかにして米子鉱山での営みを後世に語り継ぎ,さらに須坂における米子鉱山の意義を後世がアイデンティティとして確立できるかが大きな課題である.
  • 佐々木 史郎
    セッションID: P701
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    朝鮮半島北東部に卓越する複列型間取りの民家は,東海岸沿いの太白山脈やそこから西方ないし南西方に分岐する支脈をたどる形で,かなり南方までその分布が確認されている.しかし,本発表で引用した全羅南道海岸島嶼の事例は,そこからかなり隔たった場所で発見されており,他地域との関連については,まだ検討の余地が大きい.今後,周辺地域での類似間取りの存在や全羅南道山間地域の間取りとの連続性なども確認しながら,続報を試みていきたい.
  • 湯田 ミノリ, 伊藤 悟
    セッションID: 103
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    2011年から本格的に導入された新しい学習指導要領では,小学校3・4年生で,日本の都道府県名を覚える項目が社会科で登場する.また小学校4年で平面図形の理解や認知ができるようになることが目標とされている.そこで,本研究では,図形認知の能力を養いながら,日本列島上における各都道府県の名称と形,位置を理解できるようになること,つまり空間概念や空間表現といった部分の空間的思考の向上を目標とした地図パズルゲームアプリケーションの開発を行い,その効果をみた.
    このアプリケーションは,コンピュータの利用制限の厳しい小学校での利用を考え,Flashを使って作成した.開発したアプリケーションには2種類ある.一つはそれぞれの都道府県の形がピースになっている単純なものであり,もう一つは各ピースをクリックすると,その都道府県名が現れるものである.ゲームはすべてのピースがはまった時点で終了するが,実験用に途中でも5分間で自動的にパズルが終了するようした.
    調査は,滋賀県草津市立老上小学校4年生28人を対象とし,2010年11月に3週間行った. 毎週1回,それぞれのアプリケーションを5分間やってもらい,ゲームの正解数と時間の変化,このゲームの導入前後での,白地図を用いた都道府県名テストの正解数,都道府県を地図上でどのように探すか,空間的思考能力および地図に対する態度の変化を見るために,アンケート調査を行った.なお,1回目は練習としてかたちパズルのみを行ったため,児童たちはかたちパズルを計4回,都道府県パズルを計3回行った.
    週に1度,5分間という短い時間ではあるが,子どもたちは集中してパズルに取り組み,たった3週間でほとんど全員の子どもが全てのパズルを解けるようになった上に,都道府県の名前を見ると,日本列島上の位置をイメージできるようになった.これは,当初,パズルで同じ形を探していた段階から,都道府県という文字で書かれた位置情報とその形と地図上の位置が頭の中で結びついたためと考えられる. 本研究で開発したパズルゲームのアプリケーションは,空間的思考能力を涵養するとともに,地図や日本,世界にも関心が広がっていったという点で,小学校の地理教育の有効な教材となりえるという結果が得られたと言えよう.
  • 東日本大震災を例に
    中村 努
    セッションID: 410
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    本研究は,非常時の医薬品供給体制において,需要と供給のミスマッチが起きたメカニズムを明らかにし,非常時にも対応しうる医薬品供給体制について安全性と効率性の観点から検討する。  平常時の医薬品供給体制において,医薬品卸は激しいシェア争いのなかで,極力在庫を減らしながら医療機関や薬局に対して1日2回の計画的な定期配送を実現している。しかし,東日本大震災では,極度に配送効率化を進めた結果,医薬品供給体制の確立に時間を要するとともに,届けた医薬品がニーズと異なったことが明らかになった。   医薬品の供給は,有償と無償でルートが異なる。すなわち,医薬品卸を経由して医療機関や薬局に配送される平常時のルートと,製薬団体によって避難所に無償で提供される救援物資のルートである。民間企業や業界団体は,必要な医薬品を届けるための配送手段の確保に努めた。 しかし,一連の対応について,製薬企業が出荷した医薬品の配送先や使用実態を把握できなかったり,無償で送った医薬品が被災地のニーズに合わなかったりした。その原因として,関係主体が現地の医薬品ニーズの情報を収集するのに時間を要したこと,2000年代以降,物流業務を専門倉庫会社に委託する製薬企業の動きが広まり,サプライチェーンの管理主体が不在になったことがあげられる。  医薬品卸はこれまで,全国に分散する多数の顧客に情報の提供とともに医薬品を供給してきた。加えて,医薬品卸の中には,阪神大震災を教訓に追加の配送手段を確保したり,免震構造や発電装置を整備したりして安全性の担保に努めるものもある。 しかし,東日本大震災や電力のピークカットを受けて,医薬品卸各社において,今後の大震災や停電,節電対策が不可欠である。対策の程度は,各社のこれまでの投資実績や業績を踏まえた,経営幹部の判断によるところが大きい。なぜなら,非常時の医薬品供給体制における安全性の担保と,平常時の医薬品供給体制における効率性の追求との間にはトレードオフが存在するためである。 一方,今後の医薬品供給体制について,被災地沿岸部や原発事故の影響を受けた地域の医療体制は見直さざるを得なくなっている。岩手県では効率性を重視した県立病院の集約化のリスクが沿岸部の病院の被災によって明らかになった(図)。計画の見直しは不可欠で,医薬品卸は平常時の医薬品供給体制においても見直す必要がある。
  • 九州のジオパークを例に
    横山 秀司
    セッションID: S1307
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    九州にある3つのジオパーク(雲仙、阿蘇、霧島)は火山のある国立公園であり、多くの観光客を集めている。しかし、既存の観光地であるため、観光客は何がジオパークか理解できない。そのため、ジオパークのジオサイトと景観の説明にはジオエコロジー的視点の必要性を論じた。また、ジオパークの特徴を明らかにするには、ジオルートとジオ小道の設置が重要であることも強調した。
  • 佐藤 裕哉, 星 正治, 大瀧 慈, 原 憲行, 丸山 博文, Cullings Harry, 田代 聡, 川上 秀史
    セッションID: P717
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    放射線が人体へ及ぼす影響を考える際には,被ばく放射線量を正確に推定する必要がある。その被ばく放射線量の推定には,爆心地からの距離と,遮蔽(放射線を遮るものの有無と材質など)について正確に把握する必要がある。しかしながら,地図や空間解析技術の制約により,これまで爆心距離(地上距離)は100mメッシュ単位での精度であった。そこで本研究では,より正確な評価を行うために地理情報システム(GIS)を用いて1地点(家屋単位)での分析を目指している。なお用いたGISソフトウェアはESRI社のArcGIS9.2である。作業手順の概要は以下の通りである。 1)ベースマップの選定。 2)番地記入作業。3)幾何補正。4)広島原爆被爆者データベース(ABS)被爆地点情報との照合による被爆位置の決定とデジタイジング。5)爆心距離の算出。
    上記の作業により,2011年3月末までに10,647件の被爆位置を特定した。100mメッシュ単位で算出した距離との差は平均25.3mであった。これまでに用いていた地図の精度や手法などに鑑みると,その分だけ精度が改善したと考えられる。今後は今回算出した距離にもとづきDS02方式による被ばく放射線量の推定が求められる。また,1.ベースマップとして地図の精度(地番の記入に用いた地図との整合性を含む),2.被爆建物の減少などによる幾何補正の精度,3.ABSに記載されている被爆地点情報の精度,などについても検討する必要がある。
  • 季 増民
    セッションID: S1204
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    1.研究目的
    改革・開放が実施されてから、開発下の都市周辺部は世界中から注目を集めるようになった。そこでは工業団地やニュータウンをはじめとする大規模な開発が進められ、土地利用や景観、社会構造、生活様式が激変している。都市周辺部には内陸農村からの出稼ぎ労働者、いわゆる農民工が殺到している。
      農民工の「向都」移動によって地面に投影された結果は、「都市縁辺部」の形成である。ここに言う都市縁辺部は、農民工が一つの社会階層を構成したものの、市民が円盤の中心にいるとするなら最も外縁にいる人々であることを意味する。もう一つは、郊外に限定され、実在する農民工を中心とする生活空間を指す。例えば、農民工の多くは市民から敬遠される3Kやインフォーマルセクターと総称される職業に従事し、郊外の簡易宿舎と農家が貸し出す貸家にインフォーマルな形で居住している。すなわち、都市縁辺部という言葉ほど、農民工の社会階層的位置づけ(縁辺の人)、暮らしを営む生活空間(アーバンフリンジ)を的確に表現できる言葉がなかろう。
      本発表は、第3空間という地域概念を提起することにより、従来の二元的な研究の枠組みでは捉えられない、かつ解きにくい課題に新たな視角を提供しようと試みる。また、第3空間の具体的な地域的表現の把握とそのメカニズムの解明に当たっての基本視点について述べる。 
    2.研究視点
      従来の研究では、農民工について労働力や生産者という視点から、その量、属性に着目した考察が中心である。発表者は住居という、農民工の行動・定着過程の軌跡および経済的、社会的地位の変化を映し出す「鏡」に着目し、生活者としての農民工、その暮らし、その家族状況に焦点を正面から当て、「居処の定まらぬ者」から定住者へ変わっていく過程、そのパターンの解明、並びに定着に影響する要因の分析を行う。その際、地付き農民と農民工の双方による利用と所有状況の変化を結びつけながら、その過程で見られた動態的な対応関係(経済や社会地位)に注目する。
    3.今後の課題
      将来に向けての第3空間における自立生活圏の設定とそのための制度支援について提言することも重要である。その際、第3空間における農民工の主人公、主権者としての社会地位の確立、「特区」としての指定が何よりも急ぐべきである。
  • 一 広志
    セッションID: 216
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    本研究は、2011年の梅雨期の愛媛県地方において顕著な降水が生じた事例について、降水の空間的分布とその成因を把握し、これを基に大雨がもたらされる気象学的条件を明らかにすることを目的とする。 

      ?@. 5月29日の事例 多降水域は東予東部で、富郷と四国中央では日雨量が200mmを超えている。東予東部における強い降水は早朝から昼過ぎにかけて続いている。高知・福山間の地上相当温位傾度は正午に最大となり、この時間に四国西部において前線の存在が明瞭になっている。四国中央と新居浜においては降水量は地上風の西風成分・南風成分双方との間に負の相関関係がある。
      ?A. 6月12日の事例 最多日降水量観測地点は大洲で100mmを超えている。南予北部の多降水域は、降水量と西風成分との間の正の相関関係が高い領域とほぼ一致している。この二者の関係は中予平野部の松山においても認められる。松山および西条、新居浜では、南風成分との間の負の相関関係が強い。南予地方における顕著な降水の始まりと見られる10時の四国とその周辺における地上相当温 位を見ると、前線傾度は日向灘で大きくなっており、南予地方では緩やかである。
      ?B. 6月16日の事例 多降水域は南予北部から中予内陸山間部にかけての地域で、東西方向に帯状に形成されている。降水量と地上風との関係に着目すると、南予北部の多降水域では南風成分との間の負の相関関係が強くなっている。また、伊予灘沿岸の長浜、瀬戸では西風成分との間の負相関が強い。 
       ?C. 6月20日の事例 最多降水量観測地点は南予南部の宇和島で140mmを超えており、7時までの1時間に74.5mmを観測している。この短時間強雨は西風成分の急激な増加と気圧の上昇がほぼ同時に発生することによってもたらされている。多降水域では降水量と南風成分との間に負の相関関係が認められる。
      ?D. 7月4日の事例 最多降水量観測地点は松山で100mmを超えている。松山での短時間強雨は西風成分の増加、気圧の上昇、気温の低下がほぼ一致して出現することによって生じている。降水のピークである21時の地上相当温位の分布状況に着目すると、宮崎県沿岸部と高知県中部に暖湿気塊が流入している一方、松山周辺は低相当温位域となっている。 

     事例解析より見出される大雨発生時の特徴 分析結果に過去の事例を併せると、愛媛県地方の梅雨期の降水は寒冷前線の作用によるものが卓越していることが特徴として挙げられる。 
  • 平野 淳平, 松本 淳
    セッションID: 205
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    ?Tはじめに
    北部ベトナムや中国南部では冬に日照時間が少なく, 曇りがちの天候が卓越する。この原因として, シベリア高気圧からの寒気の影響が指摘されている(中田1991)。しかし,この地域における冬の天候の年々変動と大気循環場との関係についてはほとんど研究されていない。この地域における冬の天候は, 農業など人間活動に対して大きな影響を及ぼしており, その年々変動とメカニズムを解明することは重要である。本研究は北部ベトナムにおける1961~2000年の月平均日照時間データを使用し, 冬の日照時間の年々変動と循環場との関係を明らかにすることを目的としている。 

    ?Uデータと方法
    ベトナム水文気象局より入手した北部ベトナム6地点における1961~2000年の12月、1月、2月の月平均日照時間データを使用した。6地点で平均した各月の日照時間データにもとづいて, 月平均日照時間が+1σ以上の年を多照年,-1σ以下の年を寡照年と定義した。その上で, 多照年と寡少年についてヨーロッパ中期予報センター(ECMWF)のERA40客観解析データを使用し, 海面更正気圧(SLP)のコンポジット図を作成して,多照年と寡照年における循環場の特徴について考察した(図1). 

    ?V結果
     
    図1に示すように, 多照年に共通する特徴として中国南部からインドシナ半島付近で高気圧偏差が強いことが指摘できる。この高気圧偏差は特に12月と1月に明瞭である。多照年には北部ベトナムはこの高気圧偏差域に覆われるため,多照となると考えられる。一方,寡照年についてはユーラシア大陸北部でのシベリア高気圧の発達がみられる。アジア域ではシベリア高気圧から南東方向へ高気圧偏差域が伸びている様子がみられる。特に1月の場合,シベリア高気圧が東方への張り出しが顕著である。この華南付近に伸びる高気圧偏差域の西側には弱い低気圧偏差域が存在している。これらの結果は中国南部から北部インドシナ付近において東西方向の気圧差が増大した際に,北部ベトナムでは寡照となることを示唆している。今後,多照年と寡照年について偏西風の状態や上層の循環場の特徴についても検討を進めてゆく予定である。
  • 新潟県燕・三条地域,長岡地域を事例として
    外枦保 大介
    セッションID: 509
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    1. はじめに
    近年,経済のグローバル化が進む一方で,競争力をもった産業・企業の地理的集積に注目が集まってきた.とりわけ,Porterの「産業クラスター」は高い関心を集め,世界各国で,イノベーションの創出・波及を目指したクラスター政策が積極的に推進されている.わが国でも,地域における科学技術振興・産学官連携は重要政策課題の一つとして位置付けられており,「第3期科学技術基本計画」(2006年閣議決定)では,「地域イノベーション・システムの構築と活力ある地域づくり」が明記され,「新成長戦略」(2010年閣議決定)においても,「産学連携など大学・研究機関における研究成果を地域の活性化につなげる取組を進める」ことが記された.地域イノベーション・システムの構築には,地方自治体・大学・企業等の様々な関係者による,地域の特性を活かし連携を活発化させる取組が重要である.本発表では,古くからの産業集積地域において特色ある産学官連携の取組が行われている新潟県燕・三条地域,長岡地域を事例として,産学官連携がどのように進展したのか,連携の進展に当たって地方自治体・大学がどのような役割を果たしたのかについて考察する. 

    2.燕・三条地域
    燕・三条地域,長岡地域ともに多数の中小企業により産業集積が形成されている地域である.金属加工産地である燕・三条地域は,これまで鉄,ステンレス,アルミニウム,チタンのように時代とともに取り扱う金属を拡大し新たな加工技術を獲得してきた地域であった.燕・三条地域では,従来,地元中小企業の自助努力のほか,公設試「新潟県工業技術総合研究所」や「燕三条地場産業振興センター」が,中小企業の技術力強化に努めてきた.2000 年代以降,新潟県の「地場産業振興アクションプラン」を契機として,新潟県工業技術総合研究所と長岡技術科学大学が開発したマグネシウム合金の技術シーズを活かした産学官連携が進展した.この取組は,新しい金属素材に挑戦することにより,技術力を蓄積してきた産業集積の経路依存性に適合するものであった.

    3. 長岡地域

    長岡地域では,1970 年代に長岡技術科学大学が開学し,1980 年代にテクノポリスに指定され,研究開発施設,インキュベーション施設の整備が進んだ.2000 年代に,新潟県の「地場産業振興アクションプラン」を契機として,地元企業に加え,新潟県・長岡市・長岡商工会議所等の支援を受けながら,NPO 法人長岡産業活性化協会NAZE が,産学連携を軸とした産業活性化の取組を進めた.長岡地域は,工作機械を中心としながらも特定業種への特化が比較的弱く,多様な産業を有する地域であるため,高圧技術関連等を除き目立った公的研究開発プロジェクトに乏しい. 

    4. 地方自治体・大学の役割
    2000年代の新潟県における産学官連携は,地方自治体である新潟県が先導してきた.2000年代前半,新潟県は「地場産業振興アクションプラン」を県内の地域単位で進め,地域の実情にあわせた産学官連携を進展させてきた.また,県の財団「にいがた産業創造機構」は産学連携に特化した組織をもち,公設試「新潟県工業技術総合研究所」は,県内各地域に技術支援センターを有し,特色ある取組を進めた.大学も特色ある活動を実施した.長岡技術科学大学では,一貫したマグネシウム合金の研究開発を進めるため,2005 年に高性能マグネシウム工学研究センターが設置された.また,地元企業の熱意により設立されたという特徴的な建学経緯を有する新潟工科大学では,地元企業への就職率が高く,人材育成機能を担っている.このように,産学官連携の発展に当たって,地域の企業・大学等のポテンシャルを十分に活かす取組が重要であり,地域の経路依存性に対する配慮が求められる.
  • 野積 正吉
    セッションID: S1101
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    1 金沢町往還筋測量 越中国射水郡高木村の和算家・測量家石黒信由(1760~1836)は、文政2年(1819)に加賀藩から越中・加賀・能登の測量を命じられ7年かけて全域の絵図を作製した。このとき金沢町における測量の実測値を記した分間野帳(『金沢町道程しらへ帳』)と、それをもとに信由が作った縮尺百間1寸(1/6000)の「金沢町往還筋分間絵図」が現存している。測量は同3年(1820)10月に2日間かけて行われ、その総距離は5,572間(10,131m)、134区間で1区間当たり平均41間6(76m)である。この測量結果から地図を復元し、往還筋分間絵図や現在の地図と比較することで、信由の測量方法の特徴及び絵図の誤差を確認することができた。なお、金沢町では同5年(1822)から加賀藩士遠藤高?mを中心としたグループが精度の高い城下町の測量を行い「金沢十九枚御絵図」を作製したが、渡辺はすでにこの測量結果から地図の復元を行っており、この復元地図も比較の対象とした。2 地図の復元と測量絵図の比較 分間野帳の実測値から地図を復元する方法としてEXCELで座標ファイルを作成し、それをCADに読み込ませる方法を行った(渡辺誠他2006)。作成した図形はPDFファイルにし、それをTiff画像に変換することにより測量絵図や現在の地図と比較できる。「往還筋分間絵図」と復元地図を比較すると、北西部の宮腰往来へ向かう部分で合致しないところがある。遠藤の「十九枚御絵図」(復元)や現在の地図で比べると、測量結果が正しく分間絵図が誤りであることがわかり、作図過程で誤差が生じていることが確認できる。次に復元地図と「十九枚御絵図」(復元)・現在の地図を比較すると、浅野川左岸や材木町~天神町(南東部)でズレが見られるものの全般的によく一致していることがわかる。坂の多い金沢町の分間野帳には勾配に関する記録はないが、信由は勾配の計算を行っていたと考えられる。また、真北のズレは1.6度で補正したが、これも遠藤が測定した数値と同じである。このように、CAD座標ファイルを用いて石黒信由の実測図の精度を確認したが、今後GISによる分析結果とあわせ、より詳細な検証が必要であろう。付記 本報告は、平成21~24年度科学研究費補助金・基盤研究(B)「近世実測図を活用した古地図GIS解析法の構築」(研究代表者 平井松午、研究課題番号21320158)によるものである。
  • 日本人学生と外国人留学生の比較
    池口 功晃
    セッションID: 302
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    日本の高等教育機関における外国人留学生数は2009年に10万人を突破し、2025年をめどにその目標を100万人とする方針が検討されている。師耀軒ほか(2009)は?@留学生の日本在留中あるいは帰国後の情報発信力、?A国内観光市場における顧客層としての留学生数、の国内観光地へ及ぼす影響が今後大きくなることに着目し、留学生の日本国内における観光動向をアンケート調査に基づき分析している。これにより一定の知見は得られたが、著者自身も認めるように、分析内容が単純集計に留まるなど不十分な点もある。本報告ではこの研究における上記?@、?Aの意義を踏まえ、観光に関する日本人学生と外国人留学生の嗜好の違いを定量的に明らかにするために、一定の仮定を設けた双方へのアンケート調査にコンジョイント分析を行う。
  • 渡辺 一徳
    セッションID: S1303
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    阿蘇ジオパークは,2009年に日本ジオパークに認定され,現在世界ジオパークを目指して整備を進めている.阿蘇ジオパークの大きな特徴は,世界有数の巨大なカルデラと中央火口丘群がつくる壮大な火山の地形・地質,およびそこに暮らす人々が作り出した独特の歴史と文化である.
    多くのすぐれたジオサイトの中でひときわ目立つ要素として,中岳の火口と草原景観があげられる.中岳火口は,火口縁までケーブルカーと有料道路が整備されており,活動が比較的に穏やかな時期には,観光客が火口内を直接覗くことができるきわめて珍しい場所である.草原は,中央火口丘群の地域を始め,カルデラの外輪山の外側にまで広がり,独特の景観をつくっている.これらの草原は,人々が長年放牧,採草,野焼きを行うことで維持してきた半自然景観である.さらに,火の神を祭る阿蘇神社や国の重要無形民俗文化財に指定されている農耕祭事も重要な要素である.
    阿蘇ジオパークでは,各種案内板(サイン)の整備をはじめ,ジオサイトの整備,ジオツアーの開発・実施,ジオガイドの養成などに取り組んでいる.その中で,とくに,昨年度末からは「ジオガイド」の養成に力を入れている.阿蘇地域では従来からエコツアーが実施され,ツーリストの受け入れ態勢も整備されてきている.しかし,阿蘇地域がジオパークとして充実した活動を展開するためには,“ジオ”の要素(地球の営みによる遺産)を十分に理解し,そこから派生する様々なストーリーをジオと絡めながら説明ができる優れたジオガイドが必要である.
    今年3月から開講している「ジオガイド養成講座」では,毎週土曜日に1回につき2時間の座学を13回実施した.また,地形と地質の関係や地層や火山噴出物の見方などについてフィールドワークを2日間(終日)行った.受講者は38名に上り,大変熱心に取り組んでいた.最終的には試験を実施し,一定以上のレベルがあると認めた受講者を「阿蘇ジオガイド」として認定する予定である. 阿蘇ジオパークとして,今後,世界に認められるレベルを目指して,様々な活動を充実させていきたい.
  • ~島原半島世界ジオパークの事例~
    大野 希一
    セッションID: S1304
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    1.はじめに
    ジオパークで推進する観光事業「ジオツーリズム」は、大地や地球の成り立ちと、人々の歴史や文化との間に生まれたドラマを、観光客が楽しく正しく理解・体験できるかどうかが1つのポイントになる。今回は、大地の遺産の価値を活用した地域振興を行う上で必要不可欠な地域住民の役割と、地域住民をジオパークの取り組みに参画させるための取り組み事例を紹介する。

    2.ジオパークの主役は地域住民
    大地の遺産を観光資源化するためには、様々な戦略や働きかけが必要である。たとえば、顧客の発地である大都市の旅行会社への営業活動や、ステージイベントへの参加等を通じて、ジオパークに対する“誤解”を解きほぐす必要がある。一方、発地の誘客に成功し、たくさんの観光客がジオパークに訪れても、着地での受け入れ態勢が不十分では高い顧客満足度は得られない。着地における優れた現地ガイドの養成はもちろんだが、ここで大事なのは、ジオパークを理解し、ジオ的視点で地域の魅力を積極的に外部に発信する地域住民の姿勢である。

    3.役割分担の重要性
    ジオパークの事業は多岐にわたるため、行政機関だけでなく、様々な組織からのサポートが必要となる。観光面でいえば、行政と地元企業の役割分担が事業推進の1つのキーポイントとなる。例えば、ジオパークのロゴマークやキャラクターの選定や、それらを用いた歓迎看板の設置等の整備は行政の役目である。一方、行政が誘客した観光客をもてなし、ジオパークのロゴマークやキャラクターを活用して金もうけをするのが、地元企業の主な役目である。「ジオパークの認定を活かすも殺すも地元次第」という地元企業の理解こそが、ジオパークを活用した持続可能な地域振興の実現に繋がる。

    4.地元企業をジオパークに参画させる方策
    観光地である島原半島は、ジオパークの世界認定に対する地元企業の関心があまり高くない。この課題を克服するために、島原半島ジオパークでは今年の夏に「島原半島サマーキャンペーン」を実施した。これは、半島内の観光施設およびホテル・旅館約80箇所で、観光客を対象としたアンケートを実施したものである。アンケート結果を協力した地元企業にフィードバックすれば、各企業が独自に観光戦略を立てる事が可能となる。今回のキャンペーンの実施が、地元企業をジオパークの活動に巻き込むきっかけになれば、と考えている。
  • 高木 亨, 田村 健太郎, 浜田 大介
    セッションID: 406
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
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    2011年3月11日に発生した東日本大震災を起因とする東京電力福島第一原子力発電所(福島第一原発)の事故では、大量の放射性物質が大気中に放出され、福島県をはじめ関東地方など広い地域が汚染されてしまった。原子力発電所の事故が想定されておらず、土壌汚染をはじめ、水、食料などの汚染問題、低線量長期間被曝の問題など、混乱が続いている。<BR>とくに国・行政により発表される空間放射線量は、測定方法が住民生活と乖離することもあり、信頼されているとは言い難いのが現状である。そうした中、発表者らが地域活性化の活動として交流のあるいわき市川前町高部地区において、全戸の放射線量を測定する機会を得た。測定は堀場製作所PA-1000(γ線測定)でおこなった。あわせて住民生活に与える影響についてヒアリング調査を実施した。その成果の報告をおこなう。<BR>高部地区は福島第一原発から南西方向約32kmにある。いわき市の中では比較的放射線量が高い地域とされる川前町の中央部にある。集会所付近での地上1mの放射線量は約0.5μSv/h、それより北側(原発より30kmに近づく)では高めの値が観測された。<BR>住民の多くは日常的に屋外で過ごす時間が長いため、文部科学省が示す被曝量算定基準への不安を示している。また、個人でガイガーカウンターを借りて測定し、一時避難を決めた住民もいた。その一方で、山での作業に従事している住民からは「気にしても仕方が無い」といった声も聞かれた。<BR>各戸での測定は、日常空間での放射線量が明確になることから好評であった。また日常の行動範囲(家の周囲、畑、飲み水など)の測定を求められることも多かった。日常空間の放射線量を気にしつつも、ある程度割り切ってしまっている住民の姿が明らかになった。<BR>今年度も、学生を交えての集落活性化支援活動を継続している。福島第一原発事故の影響は、この活動にも大きな影響を与えた。学生の行動範囲の制限をするなど、学生の被曝量を抑えながら活動ができるよう模索をしている。
  • 小荒井 衛, 中埜 貴元, 岡谷 隆基, 神谷 泉
    セッションID: P733
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって津波に浸水した範囲の地理的特性を理解するために、宮城県の土地条件図の整備されている範囲について、地形分類データと国土数値情報の土地利用データとを組み合わせて、海岸線からの距離帯に応じた津波浸水域の地理的特質を理解するための基礎データを整備した。海岸線から近い距離帯(2kmまで)は、斜面の森林部以外はほとんど浸水している。低地の微高地には建物用地、森林、田以外の農用地が立地しているが、微高地自体が海岸線から近い距離帯に位置するので、多くが浸水している。浸水面積は、海岸線から距離が大きくなるほど小さくなるが、特に距離4kmでの変化が顕著である。距離4kmより内陸側では、低地の一般面に立地する建物用地の非浸水の面積が増加しているのが特徴である。今後、被災後に航空レーザにより計測されたDEMを組み入れた解析や、低地の一般面を細分した解析、浸水深や建物被害の程度等を考慮した分析を行う予定である。
  • 中川 恵理子
    セッションID: P702
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    日本の生鮮野菜の流通システムは,高度経済成長期を境に,農協および卸売市場を通した広域流通が主流となった.しかし,1970年代ごろから,中小規模産地の維持や,安全で新鮮な野菜を供給するといった役割が見直され,狭域市場型流通が再評価されるようになった.その結果,現在では,多様な生鮮野菜の流通システムが混在している.既存研究には,続出する新しい流通システムや取引手法の内容を調査・記述するものが多く,多様な流通システムが異なる地域の消費者にそれぞれどのような影響を及ぼしているのかをマクロな数値データを用いて検証した研究はほとんどみられない.
    そこで、本研究では,卸売価格の地域差が,流通範囲の違いによってどのように異なるのか,また,産地からの輸送費や市場規模が,価格にどの程度反映されているのかを明らかにすることを目的とし,輸送費を産出するのに適切な広域市場流通型の夏はくさいを取り上げて,2009年の青果物卸売市場調査の数値データを用いて輸送費と市場規模が価格差に与える影響と,季節による地域間価格差の違いを検討する.検証する仮説は,(1)産地から遠く,輸送費のかかる市場ほど卸売価格が高くなる(2)そのため,広域市場型の方が狭域市場型の場合よりも,地域間で価格の分散が大きくなる(3)市場規模が大きいほど,規模の経済が働いて価格は低くなる,の三つである.
    (1)輸送費の影響
    本研究では,それぞれの市場の立地をもとに輸送費を割り当てた上で,長野県からかかる輸送費が同じ地域を同輸送費圏と定義する.分析の結果,輸送費そのものと卸売価格の間には,単純な右上がりの関係が見いだせなかった.そこで,同輸送費圏ごとの算術平均値と輸送費の関係をみてみると,輸送費1円の増加に対して卸売価格は0.7円増加するという関係が見いだされた.
    (2)夏季と冬季の価格のバラつき
    月ごとの市場間の卸売価格の標準偏差の推移は年間を通してほぼ一定である.つまり,卸売市場価格の市場間での分散は,産地が集約される夏季にも,産地が分散する冬季にも,大きく変化しない.
    (3)市場規模と価格の関係
    同輸送費圏内での卸売価格には,市場規模が大きいほど低いという傾向は見られない.むしろ,市場規模の大きい市場は全国平均価格に近い値を実現しており,規模が小さい市場ほど,全国平均から外れる傾向にある.
  • 食品スーパーを事例として
    土屋 純
    セッションID: 409
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災は,現代の流通システムが直面した最大の危機であった.阪神大震災や新潟県中越地震では,スーパーやコンビニが支援物資をいち早く救援物資を供給し,ライフラインとして一定の役割を果たした.しかし,東日本大震災は被災地域が極めて広域であったので,長期にわたって機能不全となってしまった.
    本発表では,第一に,東日本大震災後における東北地方の流通システムはどのように復旧したのか,第二に,食品スーパーなどの流通システムが緊急時にライフラインとしてどのように機能するのか,の2点について報告することとする.
    まず,「日本経済新聞」など全国紙と,宮城県を中心とするローカル紙である「河北新報」を基に,3.11以降に報道された内容を時系列で整理した.また,『食品商業』など流通関連情報誌による東日本大震災に関する特集ページも参考資料とした.そして,東北地方を展開地域とする食品スーパーに対してインタビュー調査をおこない,震災後の復旧過程について検討した.
  • 中埜 貴元, 小荒井 衛, 乙井 康成, 小林 知勝
    セッションID: 421
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    2011年3月12日に長野県と新潟県の県境付近で発生した長野県北部地震(M6.7)では、死者こそ出なかったものの、斜面崩壊や構造物被害等が多発した。しかし、その大局的な分布には偏りがあるように見えるため、現地調査とGIS解析を併用して地形・地質,想定される活断層の位置との関係を検討するとともに、SAR干渉画像との関連を分析した。本発表ではそれらの結果について報告する。
    被害は、信濃川(千曲川)流域とその左岸の山間地域で多発している。長野県と新潟県の調べによると、全壊家屋は栄村で33棟、次いで十日町市で26棟、津南町で6棟となっており、栄村と十日町市に集中している。特に栄村の家屋被害は、千曲川沿いの狭い段丘面上にある3集落に集中しており、すぐ隣の津南町の被害と比べても有意に多い。これは、家屋の構造の違いもひとつの要因として考えられるが、被災家屋の多くは基礎地盤が変状していることから、比較的地形に依存した地盤変状の影響が大きいものと考えられる。これは地すべり地形が発達した十日町市にも当てはまる。ところが、斜面崩壊や道路の変状等の地盤変状の分布を見ると、地形や地質だけでは説明が難しい偏りが見られる。そこで、これらの被害集中域をSAR干渉画像上に重ねると、被害がSAR干渉縞の不連続部分や縁辺部に分布していることがわかる。特に、栄村の家屋被害多発地域は、M6.7の本震とM5.9の余震の干渉縞が重なる部分に当たり、地盤変状を促進させるような地殻変動が生じた可能性がある。また、SAR干渉画像から推定される断層モデルの地表到達地点付近では、黒澤ほか(2011)により地表地震断層の出現が報告さ000れており、より詳細な調査が必要である。なお、松多ほか(2011)が報告している宮野原断層付近の地表地震断層を示唆する地表変状は、我々の調査ではほぼすべて重力性の変状で説明できるものであった。
  • 松本 美予
    セッションID: 319
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    レソト王国は南部アフリカ・ドラケンスバーグ山脈の中心部に位置し、四国の1.4倍程の面積しかない山岳国である。地域の経済大国である南アフリカ共和国に国境線を囲まれるという地理的特徴を持ち、1900年代始めから南アフリカ鉱山への出稼ぎ労働が主要な生業の一つであった。国土の東半分を占める山岳地は人の移住が1890年代より始まり、農村社会の形成初期から出稼ぎ労働は生計の柱であった。現金収入と共に形成された生業形態は1980年代まで続くが、アパルトヘイト政策が撤廃された隣国南アフリカの政治経済変化を受け、大きく変化する。本研究では、レソト山岳地において、出稼ぎ労働による現金収入を中心とした複合的農牧業が、南アフリカの政治経済変化によってどのように変化したのかを明らかにする。
    出稼ぎ労働の最盛期(~1970年代) 現金収入は農耕と牧畜に投資され、出稼ぎ労働を柱とした複合的な生業形態が実施されていた。農耕では、種・農具・留守の男性労働力を補うための人件費などへ現金が投資された。そして牧畜では、多くの家畜(牛・羊・山羊)が購入され、それらは出稼ぎ労働引退後の備えとなった。 
    出稼ぎ労働の減少(1980年代~現在) 80年代以降、反アパルトヘイト運動が激化し、南アフリカ国内の黒人へ労働市場が開放されていった。それに加え、金価格の下落や、出稼ぎ労働者が担っていた単純作業の機械化などの要因が重なり、レソトからの出稼ぎ労働者は鉱山労働より締め出された。新規採用はなくなり、契約の更新もされなくなった。また、同時期に家畜泥棒が増加し、農村における牛や羊の頭数が減少した。つまり、多くの世帯では出稼ぎと家畜という二つの主要な現金収入源を同時に断たれてしまったのである。その結果、残された農耕への依存が高まり、自給レベル以上の労力を投入せざるを得なくなった。栽培作物が換金作物にシフトするなど、現金収入源としての重要な位置づけになったのである。また家畜泥棒による家畜の減少は、燃料の収集にも影響を与えたと考えられる。農村部では牛フンを燃料として利用しているため、牛の減少は燃料の不足を意味する。調査村においても、牛フンに代わる燃料となる潅木の採集場所が拡大していた。現金収入の減少は、地域の自然資源に強く依存した生活を農民に強いることになり、今後、耕作地や植物資源への負荷がますます高まっていくことが危惧される。
  • 丸山 陽央
    セッションID: 417
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    地殻変動の激しい日本列島に分布する平野や盆地の形成には,活断層の運動が大きく影響している場合が多い (たとえば,渡辺,1985;鈴木,1988;廣内,2003など). 本研究対象地域である高田平野は地殻変動が活発な北部フォッサマグナ地域に属しており,周辺の丘陵と平野の境界部は直線的で非常に明瞭であることから活断層の存在が指摘され(池田ほか,2002など),地形形成には断層の活動が大きく影響していると考えられる.高田平野の地形形成の解明は北部フォッサマグナにおけるテクトニクスの解明にもつながると考えられるが,高田平野に分布する断層と地形形成過程について議論が十分でない.そこで,活断層が分布する高田平野の東縁地域について,段丘面の対比・編年と各段丘面の活断層による変位量から平均変位速度を算出し,第四紀後期における活断層の活動について周辺の丘陵と平野の分化にどのように影響を与えてきたかを定量的に求めた上で,高田平野東縁地域の地形形成過程について検討した.空中写真判読と現地の地形・地質調査から段丘面の区分および変位地形の認定を行った.本地域に分布する河成段丘を上位から高位?T面・高位?U面・中位?T面・中位?U面・低位面・沖積面に区分した.地形面の形成年代はそれぞれ,高位?T面は少なくともMIS(Marine Isotope Stage)5c以前,高位?U面はMIS6,中位?T面はMIS5e,中位?U面はMIS5cに対比される.また,低位面は約6000~7000年前に形成されたと考えられる.高田平野東縁地域には北北東―南南西並びに北東―南西走向の活断層(それぞれ水科断層・岡野町断層・菅原断層・日根津断層)が分布する.水科断層は横ずれ変位を伴う可能性がある.算出された平均変位速度は,水科断層が0.3~0.8m/ky以上,岡野町断層が0.1~0.7m/ky以上,菅原断層は0.1m/ky以上,日根津断層は0.7~0.9m/kyである.図1 本調査地域の地形概観と活断層の位置高田平野東縁山本山付近に分布する高位?U面・中位?T面・中位?U面・低位面は日根津断層の活動により撓曲変形を受ける.古い段丘ほど変位量が大きく,第四紀後期以降の変位の累積を示す.このような活断層の活動により第四紀後期以降,高田平野東縁地域は山地と平野の分化が進み,現在のような地形が形成されたと考えられる.
  • 伊予鉄道を事例に
    上崎 貴仁
    セッションID: 508
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    近年、わが国の地方都市においては、公共交通の旅客輸送量減少に歯止めがかからない状況にある。これは、自動車保有の一般化やそれに伴うロードサイドショップの対等などに主因と考えられている。しかしながら、公共交通機関は住民の足として必要不可欠な存在であり、今後の高齢化による移動制約者の増加と言う点を考慮すると、公共交通機関の役割は今後増すものと考えられる。
    本発表では、昨今の公共交通事業全般の動向などを瞥見する。その上で、公共交通利用者数減少に対して早い段階から危機意識を持ち、積極的に利用促進策を展開したことにより利用者減少に歯止めをかけ、利用者の増加に成功している伊予鉄道を事例に調査し、現状と課題を考察する。このような事をふまえて、地方都市における今後の公共交通機関の在り方について考察を行う。
    伊予鉄道は、松山市を拠点として、周辺地域に軌道・鉄道・バスの運輸事業を軸とした多角的経営を行っている事業者である。伊予鉄道は全国の状況に等しく、鉄道が昭和49年、バスが昭和44年、軌道が昭和39年をピークに旅客輸送量が減少に転じており、輸送人員は昭和50年度の約7000万人が、平成12年度には約2380万人にまで減少していた。しかしながら、事業者が主体となって積極的な事業展開を行った結果、平成20年度の輸送人員では、約2760万人にまで回復している。
    調査の結果、鉄道、軌道、バスいずれの交通機関においても、週に2回以上利用する日常的な利用者は全体の1割程度であり、月に2、3回程度利用する周期的な利用者においても半数に満たない結果となった。利用目的においての回答では「買い物」や「遊びに出かける」などが多く、日常的な交通手段として認識されていないことが明らかとなった。これは、通勤などで日常的な利用が見込める属性に絞ったうえでも同様の傾向を示しており、松山市民においての公共交通機関の認識が明らかとなった。 また、新設路線である「電車連絡バス」の沿線エリアでは、施策前と比較して「便利になった」という回答が他のエリアよりも15%ほど高い結果を示しており、電車連絡バス導入による利便性向上効果は高いものと考えられる。
  • 水田 義一, 溝口 常俊
    セッションID: S1104
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1 研究の目的近世初頭に、各地で建設された城下町では、町屋の整備がすすみ幾何学的な街路パターンの町並みが作られたことが知られている。矢守一彦は街路の整備の方法には江戸型(正方形街区)と京型(長方形街区)のあること報告し、正方形街区の建設時期と分布は極めて限られていることを指摘した。正方形街区が見られる城下町は10個所に限られ、城下町内部における正方形街区の配置は城郭の正面に位置している。城下町が発展して町が拡張された地区は長方形街区となり、正方形街区は見られない。また城下町の建設者をみると、豊臣秀吉、徳川家康あるいは両者と関係の深い城下町にのみ正方形街区がみられる町がある。当時の都であった京都の町並みを手本として導入された正方形街区であるが、町通りの維持が難しく、空間的なロスが大きかったために、城下町のプランに採用されなくなったが、報告者は城下町の計画的な建設プランの誕生の経過を知るための鍵が、このプランの解析をすることによって得られるのではないかと考えている。そこで正方形街区の作られた最後の城下町である、名古屋の街区プランを分析して、城下町プランの誕生の一こまを見よう。2 名古屋の正方形街区の特色正方形街区の原型となった京都は、四方の街区に面した町組が作られている。秀吉や家康は。城下町を建設にあたって、京都の街区が有していた2つの欠点を解消するための工夫を凝らしている。1)40丈四方の街区では、町屋の奥行きが60メートルに達し、結果的に街区の中央は空地となってしまう。2)城下町へ入る主街道は、町並みを形成し、道路は町通り(主要道)と筋(副次的な道)がつくられるが、それが出来ない。豊臣秀吉は、大坂では街区のサイズを3分の2の40間に縮小して、奥行20間の屋敷地をつくり、中央の空地をなくし、町通りと筋の構造を持つ町として、2つの欠点を解消した(図1)。徳川家康は江戸においては、方60間の正方形街区を採用した。町通りと副次的な道の区別はつけているが、街区中央の空地は残った(図2)。徳川家康は晩年に築いた、駿府(1606)、名古屋(1610)の城下町でも正方形街区のプランを採用している。水谷盛光は、町屋の史料と地籍図をもとに、名古屋では江戸の街区を改良した方50間の街区と屋敷割プランが名古屋に存在したことを提示した(図3)。3 GISによる街区の分析名古屋の正方形街区は、名古屋城二の丸の南に広がり、東西11区画、南北8区画をしめる町屋である。そのため、町を東西に横切る京町、傳馬町と、大手から熱田神宮に至る南北の御幸本町は大坂のような両側町の形態をとり、その他の街区は、数種類の屋敷割プランがみられる。屋敷割プランのタイプと空間的な配置の関係を報告したい。
  • 流域ごとの線量分布
    尾方 隆幸
    セッションID: 405
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    発表者は2011年5月に東北地方の放射能汚染状況を調査し,結果を日本地理学会災害対応本部HPに投稿した(速報は6月3日,続報は7月15日付けで掲載).本発表では,まず速報・続報で報告したデータを河川流域単位で整理し,流域ごとに阿武隈高地北部の放射能汚染状況を比較する.続いて関係機関による測定値も参考にしながら,放射性プルームの拡散ルートを推定する.
    阿武隈高地北部の流域は,大滝根山(1,192 m),鎌倉岳(967 m),日山(1,057 m)などからなる標高1,000 m前後の分水界を挟んで,大きく二分される.東側は双葉断層を越えて太平洋に東流する流域(太平洋流域区),西側は阿武隈川支流の流域(阿武隈川流域区)で,いずれも上流部に侵食小起伏面が形成されている.太平洋流域区の河川では,畑川破砕帯付近から双葉断層にかけて明瞭な遷急点(標高約30~380 m)がある.

    1. 流域ごとの放射能汚染状況
    熊川・前田川(太平洋流域区):原発から南北それぞれ4 kmに河口がある.流域内では未測定であるが,分水界を越えた木戸川流域の線量率はさほど高くなかった(後述).
    請戸川・高瀬川(太平洋流域区):原発の北7 kmに河口がある(河口の手前約1.5 kmで合流する).いずれの流域でも線量率は高いが,地表の最高値は,請戸川流域で214.0 μSv/h,高瀬川流域で16.3 μSv/hと,大きな違いがあった.
    木戸川・新田川(太平洋流域区):原発からそれぞれ南17 km,北24 kmに河口がある.地表の最高値は,木戸川流域で3.2 μSv/h,新田川流域で126.0 μSv/hと,大きな違いがあった.
    夏井川(太平洋流域区):大滝根川流域との谷中分水界をなす源流からいわき市に位置する河口まで,線量率は高くはなく,地表の最高値で0.9 μSv/hであった.
    大滝根川・移川・口太川・針道川・広瀬川(阿武隈川流域区):太平洋流域区の請戸川・新田川流域のような顕著なホットスポットの形成はないが,盆地ほど,また北に行くほど,線量率が高くなる傾向がみられた.地表の最高値は針道川流域の6.2 μSv/hであった. 

    2. 放射性プルームの拡散ルート
    熊川・前田川は,標高600 m前後の山地に源流があり,侵食盆地や遷急点のない短い河川である.一方,請戸川・高瀬川・木戸川・新田川は,標高1,000 m前後の山地を源流とし,上流に侵食盆地,中流に遷急点のある,この地域では比較的長い河川である.流域ごとのデータは,後者の4河谷が地形的にプルームの抜け道として機能した可能性,またプルームが標高600 m前後の丘陵でブロックされた可能性を示唆する.原発から放出されたプルームは,この地形的な制約により,南西~西方向(熊川・前田川流域)には拡散しにくかったのに対し,北西方向(請戸川・高瀬川流域)には拡散しやすかったと推察される.
    しかし,河床縦断形が近似するにも関わらず,上流の侵食盆地の線量は流域によって大きく異なる.このことは,一義的には気象条件の制約を受け,放射性物質が選択的に流域に流入し,地表面に降下したことを示している.
    新田川流域については,河口付近の線量率が原発からの距離の割には低く,その一方で上流に顕著なホットスポットが形成されていることから,隣接する請戸川流域からプルームが流れ込んだと考えられる.広瀬川流域で線量率がやや高いことも,隣接する請戸川・新田川流域からのプルームの流入によると考えられる.請戸川流域がプルームの供給源になっていることは,請戸川流域と新田川流域との分水界,および請戸川流域と広瀬川流域との分水界で線量率が高いことからも裏づけられる.

    日本地理学会災害対応本部HP
    http://www.ajg.or.jp/disaster/201103_Tohoku-eq.html
  • 土居 晴洋, 柴 彦威
    セッションID: S1203
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    中国の首都として中国だけでなく,グローバルな経済活動の中で成長している北京市における住宅開発の時間的推移と地域的特徴について考察した。北京市は中国の首都であり,上海市と並んで中国を代表する経済都市でもある。したがって,北京市の住宅開発の特徴を考察することは,中国の都市地域における住宅開発に伴う土地利用変化を考察するうえで意義がある。 考察の結果は以下のようにまとめられる。北京市の住宅開発は2000年以降急速に発展したが,北京市の人口は2000年以降も継続して増加しているにもかかわらず,2005年以降は停滞傾向にある。その中にあって,高級住宅の開発はその増加傾向に衰えが見られないため,市政府は高級住宅の新たな開発許可を出していない。北京市内においては既に大量の高級住宅の開発が行われ,市場に登場してきている。この高級住宅の中には,戸建ての別荘住宅が含まれる。自家用車を有する富裕世帯は市街地から離れた別荘住宅の購入を行うため,近年では北京市の行政界に隣接して別荘住宅の開発が行われるようになった。住宅開発は都心から10キロから30キロ程度の範囲で大量に行われている。これらの地域は道路や地下鉄網の整備が進み,都心地域とのアクセスが向上している。一方で,旧市街地である都心地域では,土地価格の高騰の影響もあり,住宅開発面積は減少している。 北京市政府としては高騰した住宅価格に対応できない市民へ住宅を供給するために,相対的に低価格の保障性住宅の供給を進めている。このような低価格の住宅は都心地域では開発されず,市街地から離れた郊外地域で多く建設されている。このように近年の北京市では郊外地域の住宅開発が進行しており,農地から宅地への土地利用変化が卓越している。このような都市地域の空間的拡大に対して,北京市政府はニュータウンを整備することで,多核的な都市地域構造を計画している。そのニュータウンの中に経済技術開発区が含まれ,住宅地域としての役割増大が期待されている。かつての工業化・経済発展の手段として開発された経済技術開発区が都心から郊外地域へと遷移する都市地域構造の中に位置づけられるようになったことは注目すべきである。
  • 小原 丈明
    セッションID: 506
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    これまでに都市再開発に関する研究は多くの蓄積があるが,それらは個別事例を扱ったものが多く,マクロな観点から論じた実証研究は少ない。そこで本研究は,東京都特別区において計画・施行された都市再開発の実施過程や権利者の意向・動向,従前土地利用の変化などに着目し,それら都市再開発がいかなるコンテクストで実施されてきたのか明らかにすることを目的とする。 

    2.研究資料・方法
    ひとくちに都市再開発といっても様々な種類があるが,本研究では,これまでに全国で731地区(2009年3月末時点)において施行され,都市再開発の代表的な手法である「市街地再開発事業」を分析対象とする。研究方法としては,『日本の都市再開発』第1巻~第7巻(全国市街地再開発協会編集・発行)や東京都都市整備局資料,国土交通省資料を用いて,東京都特別区で実施された市街地再開発事業に関するデータベースを構築し,上記で記した項目について分析を行った。 

    3.東京都区部における市街地再開発事業の実施状況
    東京都区部では,これまでに118地区で事業が実施されてきたが(2011年6月末時点),その多くはバブル経済崩壊後に完了したものであり(表1),その動向は全国的に共通する。区別では,都心区・都心周辺区で実施地区数が多いが(図1),それらの中には「都市再生緊急整備地域」に指定されている地区もあり,2002年以降の都市再生プロジェクトと連動して実施されてきている。しかし,それらの地区のでは,2002年以前から都市再開発が企図されていたものの,事業化には至っていなかった地区もあることから,同プロジェクトが都市再開発の事業化に影響を及ぼしてきたといえる。 

    なお,当日の発表では都市再開発の事業化に至る要因や背景を明らかにするために,事業化段階だけでなく,各地区の初動期にも焦点を当てた分析を行う。
  • 辻村 千尋
    セッションID: 107
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災を契機に、これまで原子力発電を中心にすえたエネルギー政策は大きな転換を迫られた。世論も、脱原発を目指し、風力や太陽光などの自然再生エネルギーへの転換を求めている声が多数になってきている。公益財団法人日本自然保護協会では、日本の地形・地質的特徴から適正な立地条件がないこと、廃棄物を処理できないことなどから、原子力発電所に関しては、縮小、廃止し、自然再生エネルギーへ転換し、省エネルギー社会の構築を目指すべきとの立場を公表したところである。一方政府では、こうした一連の流れとは別に、規制緩和仕分けを実施し、結果、風力発電開発や、地熱発電開発が、自然公園法や森林法の規制によりその開発が抑制されているため、規制の緩和や規制内容、許可基準の明確化などを今後進めることを閣議決定した。風力発電開発においては、バードストライクや低周波問題など、自然、社会環境との軋轢が顕在化し、各地での反対運動等で課題が指摘されつつある。しかし、地滅発電開発では、近傍での温泉資源との競合については、これまでも話題に上がってきたが、自然公園に与える影響等については知見は多くない。今後、自然公園の地下部での開発が進むことが予測されることから、本発表では、地熱発電開発が国立公園に与える影響について話題提供を試みることとした。地熱発電の長短所を明らかにした上で、生物多様性の保全上重要な国立公園との関係を考慮し、その課題などについて話題提供を行い、議論を深めていくことを目的とする。
  • ENR誌“Top International Contractors”調査の分析を中心に
    梶田 真
    セッションID: P703
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では,業界誌『 ENR』誌が集計・分析している「Top International Contractors」調査の資料を整理し,国際建設業の動態を描き出すことを試みる.同誌は1978年分以降,世界の代表的な建設業者に海外事業の実態に関するアンケート調査を行い,その回答結果を基にランキング等の資料を作成しているが,?@アンケートへの回答義務がなく,主要な業者の回答結果が欠落していることがある,?A1994年分より集計基準が新規契約額から契約収入額へと変更されている,?B米ドルでの表記となるため,為替レートの変動が結果に大きな影響を与えている,?C1990年分までは上位250社であったのに対して,その後は上位225社のみが掲載されている,といった問題があり,その解釈は慎重に行う必要がある.また,データは連結ベースで集計されている.
    「Top International Contractors」調査の結果より,1978年以降の国際建設業は大きく5期に区分できる.第1期(~1982年)は,石油価格の高騰を背景としたオイルダラーによる中東市場の好況によって,国際建設市場が大きく拡大すると共に,従来のアメリカを中心とした先進国の支配的な状況から,韓国・トルコといった当時の中所得国が労働力コストの低さを武器に,労働集約的な工事において大きなシェアを獲得した時期である.第2期(1983~1987年)は,中東市場の縮小によって,国際建設市場が停滞する.中所得国の国際建設業者は,中東市場の縮小によって苦境に追い込まれる.第3期(1988~1991年)は,アジア地域の好況によって,再び国際建設市場が拡大する.特徴的な動きとして,プラザ合意以降の米ドル安によって価格競争力を得たアメリカの国際建設業者が,大きくシェアを伸ばした点が挙げられる.第4期(1992~2001年)は,集計基準変更の問題もあるが,アジア通貨危機などによって,全体として市場が伸び悩んだ時期である.その一方で,経済のグローバル化,特にEU統合を実現したヨーロッパにおいて国境を越えたM&Aが急増し,巨大な国際建設業者グループが誕生する.第5期(2002年~)は,さらなる建設市場のグローバル化に加えて,BRICs諸国などの経済成長によって国際建設市場は急激な拡大を続けている.
  • 高蔵寺ニュータウンの事例を中心に
    久木元 美琴, 由井 義通, 若林 芳樹
    セッションID: 502
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代以降,共働きの増加や出生率の低下を背景として,子育て支援は政策課題の中心に位置し続けている.国の子育て支援の枠組みは,サービス内容や利用対象,及び運営主体の「多様化」が進んでいる.日本では,戦後の早い段階から認可保育所(基準保育)が整備されてきたが,「保育に欠ける」共働き世帯の子どもを対象とした選別的なサービスであり,教育機関である幼稚園とも運営を分離されてきた.しかし,女性の働き方やニーズの多様化によって,保育年齢や保育時間,利用者層の拡大が求められるようになってきている.こうしたニーズを満たすために,公的部門以外の主体(営利企業やNPO法人等)による参入が注目されている. 本研究では,保育サービスの多様化の一環として,非共働き世帯をも対象とした「地域子育て支援事業」を取り上げ,特に専業主婦率の高い大都市圏郊外におけるサービスの運営と利用の実態を明らかにする.大都市圏郊外は,従来,職住分離の都市空間構造における時空間的制約から「ジェンダー化された空間」として理解されてきた.しかし,近年,女性を中心とした地域形成(影山1998)や起業(木村2008),NPO等のボランタリー組織の活動(前田2008)などが注目されており,子育て支援サービスへのボランタリー・セクターの参入という点でも注目される.
    本研究では,厚生労働省による「地域子育て支援拠点事業」を便宜上「地域子育て支援事業」と呼ぶ.地域子育て支援事業は,主に幼稚園入園以前の3歳未満児を持つ家庭を対象に,育児家庭同士の交流・情報交換の場や子育てに関する相談・援助を提供する事業である.
    高蔵寺ニュータウンの位置する愛知県春日井市では,「センター型」拠点2か所と「ひろば型」拠点2か所で地域子育て支援事業が実施されている.高蔵寺ニュータウンの子育て広場は,スーパーマーケットに隣接するUR所有の事務所棟の空きスペースを利用して実施されている.実施主体であるNPO法人は春日井市からの指定管理を受け,地域子育て支援事業として「ひろば型」拠点の運営及び一時預かり事業を実施している. 「ひろば型」拠点は利用料無料で週6日(10~16時),一時預かり事業は週6日(7時30分~19時),実施されている.本研究では,当施設の利用者を対象にアンケート調査を実施し,116回答を得た.発表当日は,利用実態の分析結果を報告する.
  • 福岡平野を事例として
    黒木 貴一, 宗 建郎
    セッションID: S1202
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    福岡平野における自然災害が生じた背景理解に福岡市史による土地利用情報をどう利用できるかを検討した。福岡平野の自然災害と土地利用情報を重ね検討した結果,1)地震による被害の大小の背景は,土地利用及び土地利用変化の情報との重ね合わせ比較を通じて理解しやすくなること,2)氾濫被害の危険性の背景は,土地利用情報の数量化を通じて空間的に理解しやすくなることが分かった。また3)土地利用情報は,取り扱いの工夫次第で特徴的事象を核とする動態的な地誌学習にも有効活用できると考える。
  • -東北タイおよびラオスでの農学分野の研究経験から-
    宮川 修一, 原田 真里
    セッションID: S1402
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    農村における作物生産を理解するためには,圃場の準備から植え付け,管理,収穫,調製収納までの間の,農家の行動,作物の生育,環境条件の変化を継続的に調査観測する必要がある.タイおよびラオスの稲作農村でこのような研究を行ってきた学生の経験や問題点を紹介すると共に,対策について提案する.
  • 村山 良之, 平野 信一, 佐藤 健, 柴山 明寛, 八木 浩司
    セッションID: 404
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    地震による建物被害の悉皆調査(地区を選定して全ての建物の目視調査)は,近年の大地震の度に行われ,貴重な成果を残してきた。そこでは,短時間で多数の建物について被災を判定する必要があるため,被災状況の絵(パタンチャート)が用いられてきた(たとえば柴山他,2005)。しかし,もっとも標準的に使われてきた岡田他(1999)のパタンチャートは,振動被害のみを想定したものであり,一方で小檜山他(2000)のそれは液状化による沈下と傾斜のみを想定したものである。
    丘陵地等に造成された住宅地では,地盤破壊をともなう特徴的な被害が1978年宮城県沖地震以来,数多く報告されてきた。しかし,上記のパタンチャートでは捉えることが困難で,地盤破壊(地盤変状)と建物被災を一体で捉える必要がある。
    そこで本発表では,2011年東日本大震災やその他の被災事例をふまえて,丘陵地等の造成宅地(地形改変地)における建物被災について,建築学(構造)と地形学を含む地理学の専門家が共同して検討するものである。
    既存報告のとおり,造成宅地では切土部で被害が少ない/小さい一方,盛土部や切盛境界部で被害が多い/大きい傾向が明瞭である。地盤破壊のタイプを6(7)種類に分類すると,土地条件との関連は下の表のようになる。そして,地盤破壊タイプごと,さらに建物強度ごとに,建物被害パタンと被害程度をまとめることができた。ここで建物は木造または軽量鉄骨造を想定し,その強度を2分類としたのは,2003年宮城県北部の地震における丘陵地での被害事例をふまえて(平野他,2004),1971年建築基準前後で大きな差があったことに基づいている。地盤破壊は基礎被害に直接関与するため,同年基準前後の基礎の強度の差が明瞭となる。壁量の多い近年の建物はさらに強度が高いと考えられる。1978年と2011年に同じ場所で地盤破壊を被りながら,建物強度向上によって建物被害が小さい事例が認められた。
    下の表はまだ試案の段階である。表中に含まれる量的要素等についてさらに検討し,建物被災度を直接表現するパタンチャート作成を目指したい。
  • 鄭 玉姫
    セッションID: 320
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    韓国における民泊とは,おもに農漁家が自宅の一部を客室として宿泊客に提供し,経費を受領することである.一般に食事は提供しない.こうした民泊は,「農漁村整備法」によって定められており,民泊経営を希望するものは,各自治体による民泊事業者指定を受ける義務がある. 民泊集落は,海水浴場と景勝地,山岳地帯といった観光地に多く分布しており,民泊は,新たな経済活動として住民側に認識されている.農漁村の民泊集落への変貌を考える際,1970年代に入り韓国政府が農漁村の近代化を目的に推進した「セマウル運動」が重要な役割を果たしていると考えられる.したがって,「セマウル運動」の関連事業の推進から,民泊集落の形成に果たした役割を明らかにすることが本発表の目的である.民泊経営は零細な産業活動に従事する住民にとって新たな経済活動になったため,積極的に取り組まれてきた.夏季の農作業と民泊の労働力とが競合しないことと同時に,食事を提供しないことが,住民の民泊への参入を容易にした.また,尚州集落は2003年まで国立公園の指定地域に含まれていたために,大規模な観光開発が抑制されてきたことも尚州集落の民泊集落への変貌を遂げる要因になった.尚州地域では,1980年代に入り,国の政策としての「セマウル事業」が,集落内道幅拡工事と海水浴場開発に加えて,民家の家屋改造事業として推進された.これは,海水浴場の環境造成とともに,大都市から遠隔な尚州集落において,民泊集落の形成に多いに寄与した.こうした事業に参加した住民による民泊経営の進展は,結果として住民の経済的地位向上につながった.
  • 田代 崇, 渡邊 眞紀子, 森島 済
    セッションID: P732
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では,対象地域におけるコゴン草原卓越期と気候変化との関係解明を目的として,採取したボーリング試料の粒度分析を行い,この結果から推定される過去の降水量変化と吉田ほか(2011)の植物珪酸体分析による植生復元の結果との比較・考察をおこなった.
    分析試料は,2011年3月(乾季)にパイタン湖の南西岸付近(15゜50'05.13"N,120゜43'41.43"E)において採取したボーリング試料(長さ4m)のうち,攪乱や破損した試料を除いた部分より3?p間隔で33点採取し,これらについて粒度分析をおこなった.試料の大部分が粘土・シルト質であることから分析に際してレーザー解析式粒度分析装置(SALD-200V,島津製作所)を用いた.ボーリング試料のうち,地表部の攪乱を除いた0.4~2.32m間は,吉田ほか(2011)における地表~2.4m間の層序との対比関係が確認された為,同一層序における植物珪酸体分析結果との比較をおこなった.粒度分析によれば,堆積物のほとんどが100μm以下のシルト・粘土より構成されている.250μm以上の粗い粒径の割合は,多くの層で19%(平均値)以下であるが,深さ1.28~1.78m付近では78%を示していた.吉田ほか(2011)の0.83~1.2m付近における木本類の卓越層序は,粒度分析試料中における粗い粒子の集積層(1.28~1.78m)と対比関係にある層序とほぼ一致しており,この時期における降雨量の増加に伴い木本類が増加した可能性が考えられる.また,1.8m付近の木本類の増加に関しても粗い粒径の増加する層と対比が可能であり,同様の現象があった可能性が考えられる.以上の考察結果においては,層序と試料深度のみで対比をおこなっていることや,吉田ほか(2011)における未分類の植物珪酸体のポテンシャルを考慮していない等の課題が挙げられる.また,現段階においては絶対年代の情報が不足しているが,試料中に多くの有機物が含まれることから,今後堆積速度も踏まえた解釈を行う予定である.
  • 加藤 幸真
    セッションID: 316
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    近年、環境問題に対する関心は高まっており、エコ運動や自然体験型のイベントやツアーが多く企画されている。このような流れは自然公園にも大きく関わってくる。2010に閣議決定された生物多様性国家戦略においても自然公園、とりわけ国立公園の今後のあり方が記載されていることからも分かるとおり、国立公園をはじめとした自然公園について再考する時期にきていると考える。
    そこで本研究では、その基礎資料として日本とアメリカの国立公園に焦点を当て、その現状を明らかにすることを試みる。
  • 天笠 雅章
    セッションID: 402
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    岩手県下閉伊郡山田町田の浜地区は、三陸地方沿岸特有の津波常襲地帯であり、明治三陸地震津波、昭和三陸地震津波と大きな被害を受けている。そのため、昭和三陸地震津波後、内務大臣による復興計画が示され、被害戸数よりも多い宅地が、高台に建設され、田の浜地区の住民は、津波から生命、財産を守るため高台移転を遂げた。3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波においても、田の浜地区の低地に居住していた住民の家々はほとんどが流出したが、高台を宅地とした地域においては、半壊以上の住宅こそ十数戸あったものの、流出した家屋はなかった。しかしながら、津波が押し流してきた住宅や瓦礫が、高台に建つ住宅にぶつかった影響により、高台に建つ家から出火し、30戸以上の住宅が焼失し、多くの財産が奪われた。地震や津波時においては、消防力は常に低下する。その理由は、停電や断水により消火栓から取水出来ないこと、道路が損壊し目的地までたどり着けないことなどが挙げられる。現に、田の浜地区では、常設消防は応援に来られず、地区の消防団が消火活動を行った。けれども十分な水利は確保できず、火災を抑え込むことは出来なかった。明治三陸地震津波、昭和三陸地震津波、北海道南西沖地震津波の際にも津波に起因する火災が発生しているように、津波に火災は付き物である。また津波後、海岸線の道路は通行不能となり、一時的な対応は集落単位で行わざるを得ない状況となる。そのため、対応の核となる地元の消防団は、津波危険が少ない場所に屯所を設けるとともに、水門閉鎖等の作業を終えた場合は、消防車両をすぐに安全な場所に移動させる必要がある。また、水利については、季節に左右される河川・沢などの自然水利ではなく、長時間放水活動ができる大型の防火水槽を浸水危険が少ない山手に設けることが望ましい。岩手県は山火事も多く、その際この大型防火水槽を水利として活用すれば、決して水利を整備していくことは無駄な事業とはならないはずである。今回の田の浜の火災が最小限に食い止められたのは、消防団や住民の消火活動も然る事ながら、地勢的に標高が高かったことにより、津波の被害が少なかったこと、住宅間に十分な幅員をもった都市計画道路がとおっていたことが功を奏したと言える。新たな住宅の復興計画が考えられる際は、津波被害だけでなく、火災被害の対策も考慮して計画していくべきである。
  • 埼玉県秩父地域を事例として
    久井 情在
    セッションID: 505
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    「平成の大合併」により,日本の市町村区域は大きく変わった.合併推進の理由として政府は,既存の市町村区域では対応しきれない広域的な行政が必要になったことを挙げている.広域的行政課題への対応は,これまで協議会や一部事務組合等の広域連携によってなされてきたが,自市町村優先意識や連携機構の権限の弱さなどの限界が指摘されていた. しかし,実際の市町村合併は財政問題が直接的な動機となったものが多く,必ずしも広域行政への対応を目指して行われたわけではなかった.広域連携の管轄区域と一致する市町村合併が行われたケースはそれほど多くなく,大半は,広域連携より小さな範囲で市町村合併がなされ,合併後も連携機構が存在し続けている.このような地域では,合併で市町村の構成が変わることにより,広域連携が再編を余儀なくされ,その過程で様々な問題が出現している. 本研究では,市町村合併に伴う広域連携再編の意義を明らかにするために,埼玉県の秩父広域市町村圏組合を取り上げ,組合と市町村合併との関係から争点になっている事柄を検討した.秩父圏域では,はじめ全市町村の合併が模索されていたものの,次第にいつくかの町村が離脱するようになり,結局旧秩父市を中心とする合併で成立した秩父市と他4町とに統合されることになった.このような市町村合併に伴う広域連携の再編の中で争点となったのが,組合規約の変更と,火葬場建設をめぐる問題であった.組合規約の変更問題では,組合執行部の変更案に対し,町村側が,秩父市に過度に有利な内容であるとして反対した.次に,火葬場建設問題であるが,秩父市が火葬場の建設・運営を,組合事業から市の単独事業に移行しようと提案したことに端を発する.これも町村側の賛同を得ることはできず,実現されなかった. これらの事例は,合併を機に圏域内でより強い権限を手に入れようとする秩父市と,権限の維持を図る4町村との利害衝突と捉えることができる.もともと圏域全体での合併を計画していた秩父市にとって,広域行政への権限が組合に残ることは当初の構想から見たとき権限の後退と映る.逆に現状維持を図る町村側にとっては,組合の権限を秩父市に移すことが自立性の後退となる.このような,市町村合併後も広域連携が存続することで合併広域市町と小規模町村との間で利害が衝突するという事態は,秩父圏域だけでなく,他地域でも生じていると考えられる.
  • 富山市の試行事業を事例に
    栗島 英明
    セッションID: 504
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    家庭から排出される生ごみは年間1,000万トン以上であり、一般廃棄物の約30~40%を占めている。廃棄物処理の面では、生ごみの分別リサイクルは、処理量の削減や効率的なエネルギー回収が期待される。また、生ごみは近年注目されるバイオマス資源であり、その利活用が期待されている。
    本研究では、富山市における試行事業を事例に、生ごみ分別リサイクルに対する住民意識について、住民アンケート調査を用いて分析した。その際、分別実施地区と未実施地区とを比較し、住民意識の差異についても検討した。
    アンケート調査では、「生ごみ分別の行動意図」「行動理由」のほか、生ごみ分別に関わる様々な質問を行った。また、コンジョイント分析を用いた生ごみ分別リサイクルの効用推定のために、選択型実験も実施した。2010年1月にweb調査を実施し、回収数は分別実施地区が79、未実施地区が228であった。 得られた調査結果を用いて、分別実施地区と未実施地区とで回答結果を比較するとともに、コンジョイント分析を用いて分別リサイクルに対する支払意思額(WTP)を推定した。
    コンジョイント分析の結果は以下のとおりである。 (1)  リサイクルなしの効用を0とした場合に分別の効用はすべてプラスとなった。これはリサイクルの便益が、負担を上回っていると解釈できる。 (2)  「袋分別」から「行政が分別」のWTPを引いた結果がプラスとなった。袋分別の負担を自らが分別することによる便益が上回るという結果となった。また、未実施地区よりも実施地区のほうがWTPが大きいことから、分別を経験したことでより価値を感じていることが示唆された。(3)  一般的にサービス水準が高いとされる「戸別収集」の効用が、「集積所収集」の効用を0とした場合にマイナスとなった。プライバシーに対する懸念が理由の1つと推察できた。
  • 高根 雄也, 大橋 唯太, 日下 博幸, 重田 祥範, 亀卦川 幸浩
    セッションID: 219
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    京阪地域における夏季高温の実態と形成要因を調査した.広域地上観測によって,京阪地域の内陸域に位置する枚方周辺や京都盆地の南部で特に高温となることが分かった.その後,高温要因を分析するために数値実験をおこなった.その結果,(i) 京都盆地の南部の大気境界層の昇温に対して,直下の地表面からの顕熱供給が約55%,(ii) 水平方向・上空からの顕熱輸送が残りの約45%寄与していることが分かった.(iii) 地表面から大気へと供給される顕熱輸送量をゼロにする実験,および後方流跡線解析によって,(ii) の要因として,総観規模での顕熱輸送と,フェーンに類似した顕熱輸送のメカニズムの存在が示唆された.これらのメカニズムはOhashi and Kida (2002a; b) で指摘されてきた熱的局地循環に伴う顕熱輸送のメカニズムとは異なる.
  • 坪本 裕之, 魚住 明伸, 若林 芳樹
    セッションID: P713
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1990年代後半から東京圏では人口の都心回帰が進行し,その受け皿となるマンション開発が活発化した。こうした変化には,都心部の商業・業務機能の変化や,マンション立地とそれを規制・誘導する自治体の政策も影響している可能性がある。そこで本研究は,1990年代後半以降の人口増加に伴って業務機能からの転換が顕著であった中央区日本橋地区を事例として,マンション立地とその背景にある自治体の政策や既存の商業・業務機能の動向と人口変化を分析し,近年の東京都心部の変容過程を地区レベルで詳細に捉えることを目的とする。 1995年から2005年における人口増加率が都区部で最も高かったのは中央区で,とりわけ日本橋地区の高さがきわだっている。日本橋地区は業務機能が卓越していたが,2002年には都市再生緊急整備地域にも指定され,民間主導での都市再生を促すために様々な規制緩和措置や居住人口の誘導策が適用されてきた。そこで本研究は,人口構成,マンション立地,自治体の政策の関連性を検討した。1997~2010年に日本橋地区内で供給されたマンションは180棟あるが,供給のピークは2004年前後で,2006年以降は減少傾向にある。中央区内でも日本橋地区は,中小規模のマンションが数多く立地した点が特徴的である。供給されたマンションを投資用と定住型とに分け,町丁別に年齢別人口構成の変化との関連性をみたところ,投資用マンションの多い地区では20~30歳代の増加が顕著であるのに対し,定住型マンションの多い地区では年少人口や老年人口の増加もみられる。こうした変化の背景となる産業構成に着目し,事業所の業種別構成を2001年と2006年とで比較すると,卸売・小売業の比重が最も大きいものの,問屋機能の衰退などにより,事業所数は減少している。代わって情報通信や事業所サービス業が増え,近年のマンションにも,その従業者が職住近接を求めて流入した可能性がある。また,1990年代に中央区では,用途別容積型地区計画や街並み誘導型地区計画の導入によって,住宅用途への転用が積極的に進められた結果,1998年から人口が増加に転じたものの,ワンルームマンションの建設に伴う苦情や紛争が増加した。そこで,2000年以降は住宅付置義務制度を撤廃するなど,一転して供給抑制策を打ち出した。これらの政策変化は,マンション供給動向にも影響を与えている。
  • 細井 將右
    セッションID: 310
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    国土地理院の前身、陸地測量部発足以前の近代地図作成史の最初の部分にジョルダンのなが出てくるが、詳細は不明であった。フランス陸軍歴史部公文書館で調査したところ、本人の履歴、日本で作成したいくつかの地図などを見ることができた。今回はこれまで紹介されていない豊後水道の地図を中心に紹介する。
  • 石井 久生
    セッションID: 315
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    ナバラ州は西に隣接するバスク州とともにスペイン・バスク地方の一部であり,バスク語話者が存在する。1982年,ナバラ組織法(他州の自治憲章に相当)が制定され,その中でバスク語のスペイン語と並ぶ公用語の地位が明記されたことで,基礎自治体名称のバスク語化が進行した。スペイン国内には固有の言語を公用語とする州は6州あるが,ナバラ州が他と異なるのは,州内を3つの社会言語圏に分け,バスク語の公用語の地位を領域により制限している点である。このように特殊な地理的・社会言語的環境を念頭に,名称変更に関与する主体とその関与方法,主体間に作用する力学を明らかにし,ナバラ州の基礎自治体名称変更の地理を言語景観として描写することが本研究の目的である。
    1980年代の名称変更を経験した自治体は43あるが,その地理的分布はバスク語圏に限られ,多くがバスク語名称への変更である。その原因は,バスク語の公用語としての地位を明記した「バスク語法(1986)」に依拠してナバラ州政府が一括して変更したことにある。バスク語法は3つの社会言語圏ごとの公用語の地位を定義しているが,その8条に「バスク語圏では公式名称をバスク語とするか,スペイン語で異なる名称が存在する場合は両者を使用する」とある。州政府は,この条文を受けてバスク語アカデミーにバスク語名称の検証を諮問し,その回答を受けてバスク語圏の自治体名称を1989年に一括認定した。1990年代は,混合圏や非バスク語圏で二者択一的なバイリンガル名称へと変更する自治体が登場するが,その数は17自治体と少ない。これらの変更の根拠もバスク語法にある。同法8条は混合圏と非バスク語圏の公式名称にも言及しており,「公式名称は現行のものか,バスク語の伝統的名称が存在する場合は両者を使用する」としている。さらに1990年制定の州法「地方自治法」の21条に自治体名称変更の具体的手続き(自治体発議で1カ月以上の公示のうえ州政府の承認を受ける)が示されたうえ,バスク語アカデミーにより州全域のバスク語地名一覧が1990年に公表されたことで,混合圏や非バスク語圏においても名称変更に着手する自治体が登場するようになったのである。2000年代以降名称を変更した自治体は43と急増する。これはバスク語院が名称変更推進キャンペーンを展開したことによる。しかしこの時期,基礎自治体と州政府の間で衝突も顕在化した。例えばバスク語圏のBera(旧Bera/Vera de Bidasoa),混合圏のOrkoien(旧Orcoyen)の自治体からの変更発議は,8条規定を根拠に州政府により否決された。両ケースとも自治体側が州裁判所に提訴し,結局は変更が承認されたが,その間の過程には,バスク語正常化を支援する代議士や弁護士らが関与した。
  • 秋本 祐子, 日下 博幸
    セッションID: 218
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    近年,気象モデルの高解像度計算の一手段として,Large Eddy Simulation(LES)が注目されている.気象分野におけるLES計算は,主に理想計算を対象としてきたので,地形や都市の導入はなく地面は平坦であるものが多い.工学分野で開発されたLESの中には複雑地形や都市街区に対応したものもあるが,雲物理や大気放射などの大気物理のモデルが導入されていないため,気象分野で直接利用することはできない.筑波大の日下研究室では,複雑地形や都市街区を対象とし,大気成層を導入した並列版LESを開発している.本研究では,このモデルに大気物理モデルを導入し,建物解像気象モデルを都市の積雲や霧などに適応する.
  • 観測値と地域気候モデルのデータを用いた結果の比較
    小泉 和也, 加藤 央之
    セッションID: 214
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに
    多変量解析(主成分分析・クラスター分析)を用いて,日本における月平均気温の変動パターンに基づく気候区分を行った.この研究は北海道における加藤(1983)の手法を,月平均気温を用いて日本全域に拡張したものである.気候区分には?@観測データ,?A気象研究所の解像度20kmの地域気候モデル(MRI-RCM20:以下,RCM)のデータの2つを利用した.RCMの将来予測データを観測データと同様の方法で解析することで,モデルに基づく将来の気候区分の変化を推定した.
    2.  データおよび手法
    解析には1979年~2008年(30年間)の日本(北緯29°~46°,東経126°~149°)における気象官署の月平均気温データを用いた.またRCMデータは1981年~2000年,2031年~2050年,2081年~2100年(各20年間)の1.5[m]気温(t2mm)を使用した.本研究では,各年において気温の地域平均値からの偏差データに直し,日本全域での共通した温度変動を除いた. 観測データは各月30年分の月平均気温データに主成分分析を行い,月ごとに第1~第3主成分の因子負荷量を用いて3次元空間内でのクラスター分析(群平均法)を行った.クラスター分析については,クラスター間の距離が急激に増加する直前までのグループを大分類とし,これらのグループを区分地域とした. RCMデータでは,各気象官署の緯度経度をもとに,対応するグリッド地点に対する日データから月平均値を求めた.気象官署とグリッドの標高差から高度補正(0.6℃/100m)を行った後,そのグリッドのデータと観測値との比較を行い,月ごとに観測値との平均値の誤差をバイアスとして補正した.これらの補正済みのデータを観測データと同様の方法で多変量解析に用いた.
    3.  結果
    1月の観測データでの解析では7地域に区分した(図-?@).またRCMデータでは,1981年~2000年では大きく7地域(図-?A),2031年~2050年では大きく6地域(図-?B),2081年~2100年では大きく6地域(図-?C)に区分した. 観測データとRCMの現状(1981年~2000年)のデータでの結果を比較すると,共通して大きく南北に分かれていることがわかる.また,観測データでの?U1と?U2の境界線とRCMでの?U2aと?U2bの境界線の違いはそれぞれの第2主成分のパターンの違いによるものである.観測データの?T2bと?T2cは,?T区分の飛び地として?U1内にある. RCM将来予測データでの結果を見ると,地域区分線が全体的に南方,西方へ移動している傾向が見られた.特に,第1主成分のパターンの影響を強く反映している?T1区分(1981年~2000年では,?T1a区分)の境界線は徐々に南下する傾向が見られた.
  • 田中 誠二, 加藤 央之
    セッションID: 215
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    1.  はじめに
    日本付近は中緯度帯にあたり,一年を通して熱帯地方や極地方を起源とする様々な気団の影響を受けており,これはたとえば西高東低や南高北低などの気圧配置にも現れている.加藤ほか(2009)における気圧配置パターンの分類では再解析データを用いた気圧の客観的な分類を行ったが,再解析データには前線の位置は記載されていないため,前線の出現を考慮した分類をするのは難しい.一方で気候影響・利用研究会(2002)による「気圧配置ごよみ」では,天気図に基づき前線を考慮した分類がなされているが,数値データに基づくものではないため主観が入る可能性がある.
    田中・加藤(2010)では秋季の前線の出現特性を明らかにするため,日本付近における850hPa比湿のパターン分類を用いた検討をしたが,比湿(水蒸気量)のみの結果にとどまっているため,比湿以外の気象場に対しても解析を行い,前線の出現との関連性を明らかにする必要がある.そこで本研究では850hPa比湿に加え新たに850hPaの気温について解析を行い,両者を組み合わせてグループ分けすることにより,前線の出現分布との関連を調べた.
    2.  使用データおよび研究方法
    日本付近を中心とする北緯20~52.5度,東経110~160度を対象に1979年~2008年の30年間における850hPaの比湿および気温データ(NCEP/NCAR再解析データ)を用いた.この空間解像度は2.5度である.なお秋季に注目するために8~11月の4ヶ月間とし,各日00UTCにおけるデータを抽出した.このようにして作成されたデータについて主成分分析を行い,卓越するパターンについての検討を行った.次に,主成分分析によって得られた第6主成分までのパターンを使用し,クラスター解析を行い,比湿および気温についてそれぞれのグループ分けを行った.
    また,気象庁天気図を用い,1986年~2005年の20年間について各日00UTCにおける前線の出現位置を種類別(温暖・寒冷・停滞・閉塞)に集計した.最後にこれらの結果を比較することにより,1986年~2005年の20年間について気温,比湿分布の各グループが出現する日における前線の出現状況を調べた.
    3.  結果
    主成分分析およびクラスター解析を行った結果,比湿では水平分布パターンを19グループ,気温では25グループに分類した.これらのグループの相互対応表を作成し,30日以上出現するグループについて前線の出現特性を調査した.その結果,例えば比湿におけるshum850-B1型と気温におけるair850-B1型との組み合わせでは日本南岸に停滞前線が比較的出現しやすくなる結果が得られる(図1)など特徴的な結果がみられた.
  • 加茂 浩靖
    セッションID: 501
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    本研究の目的は、大都市圏の老人介護サービス業における女性従業者の増加要因を介護サービス産業側と従業者側の両面から検討することである。このため名古屋市を事例として、従業者を確保するために介護事業所がどのような工夫をしているのか、また、仕事と家事の両立をいかに図りながら女性が就業しているのかを、実態調査の結果をもとに検討した。研究資料を得るため、本研究では名古屋市瑞穂区および南区に立地する介護サービス事業所での聞き取り調査、営利法人の女性従業者に対するアンケート調査を実施した。聞き取り調査では38事業所から、またアンケート調査では145人から回答を得た。<BR>介護サービス業における労働力需要の増大にともない、全国の動向と同様に、この地域でも女性の就業者が急増した。事業所・企業統計調査によると、2001~2006年の期間に、社会保険・社会福祉・介護事業の事業所が803から1,618へと増加し、その女性従業者が12,786人から27,057人へと14,271人も増加した。介護事業所での聞き取り調査では、女性の雇用対策として、他の事業所より高い賃金を支給している点、勤務時間の選択ができる点、電動アシスト付き自転車や駐車場を確保し通勤に配慮している点が認められた。他方、女性従業者の回答によると、働く理由として「家計補助」、また「経験や資格をいかせること」、「仕事内容に魅力を感じて」をあげる者が多く、家事や自身の適性を重視しながら就業する者が多いことを示唆している。家庭内役割分業については、「夫が全く家事をしない」と回答する者が約4割を占めており、女性従業者自身が家事の主たる担い手として家事を負担しつつ、介護サービスの仕事に従事していることが判明した。家事の合間に家計補助として働きたい、あるいは資格や経験を生かしたいと考える女性の存在と、介護サービス事業所の雇用面での工夫がマッチして、雇用機会が多様な大都市圏でもこの産業における女性従業者が増加してきたと考えられる。
  • 人口を中心とする比較分析
    山神 達也
    セッションID: S1503
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    鄙びた農村に日本海軍の枢要地たる近代都市が短期間で形成された舞鶴軍港周辺地域では,ワシントン海軍軍縮条約調印後の1923(大正12)年,舞鶴鎮守府の廃止と要港部転換,そして海軍関連諸組織の廃止・縮小の影響を強く受けた。本研究では,中舞鶴町と新舞鶴町を対象として,大正軍縮期前後における人口変化を検討することを通して,両町の性格の違いを考察した。まず,中舞鶴町から整理すると,1920年代前半に大幅な人口減少を記録したが,それは主として舞鶴海兵団所在で準世帯人口に分類される海軍兵員の減少によるものであった。加えて,海軍工廠の人員整理に伴う工業就業者の減少も大きく,家族を形成した世帯の転出を伴った人口減少がみられた。一方,新舞鶴町では,1920年代前半の人口減少は比較的小さかったが,その多くは,海軍工廠の人員整理に伴う青壮年層男性の家族を伴った転出であった。しかし,1920年代後半には増加に転じた。この人口回復も普通世帯人口によるものであった。その中で,商業と公務自由業の就業者は増加が継続した。公務自由業就業者の増加は海軍機関学校の舞鶴移転に伴うもの,商業就業者の増加は,新市街の繁栄地として商業が集積していたこと,全国的な流通部門の拡大,国鉄敦鶴線開通と新舞鶴港開港に応じた商港発展を目指した動きなどによるものと考えられる。ただし,大正軍縮の影響で激減した海軍兵員や工廠職工を主要顧客とする女性飲食店従業者や芸妓・娼妓の数は大きく減少した。両町にこうした差が生じた要因を考えると,1920年,第1次大戦後の海軍拡張やシベリア出兵が継続する中で,舞鶴鎮守府や舞鶴海軍工廠が充実期を迎えていたことが,大正軍縮に伴う中舞鶴町の人口減少を大きなものにしたといえよう。また,開発しやすい土地の広狭という土地条件の差,さらには官設舞鶴線の終着駅が新舞鶴駅となったことで商業繁栄の中心が新舞鶴町に形成されたことも大きな要因であろう。このように,海軍と工廠職工の町である中舞鶴町に対して新市街の商業繁栄地としての性格が強い新舞鶴町という両町の性格の差が,大正軍縮期における人口の動向に大きな差をもたらしたと考えられる。
  • 東郷 正美, 長谷川 均, Tawfiq Al-Yazjeen, Mahmoud Al-Qaryouti, 石山 達也, 岡田 真介, 竹内 ...
    セッションID: 418
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/11/22
    会議録・要旨集 フリー
    ヨルダン・ヴァレー断層帯(JVF)は、アラビア・プレートの西縁を限る死海トランスフォーム断層(DST)に沿って発達する活断層帯の一部で、その中部という意味ある位置を占めて存するにもかかわらず、これまで詳しい活断層調査の対象になることもなく今日に至っていた。発表者らは、JVFがほぼすべて、最終氷期の多雨湖として知られるリサン湖の発達地域内に位置することに注目し、むしろ最近2~3万年以内の活動性およびその場所的違いが定量的に把握できるまたとない好条件下にあるとの認識をもって、2008年度からヨルダン領内において変動地形学的調査研究を進めてきた。これまでに、全域を対象とした空中写真判読調査、主要変位地形についての現地調査を終え、2010年度からは活動履歴調査の段階に入っている。調査研究は今なお継続中であるが、これまでに以下のような成果を得られたので報告する。 1)  JVFは、死海の南~西岸からほぼ南北走向の直線状をなして北上し、ティベリアス湖の東岸に至っている。その総延長は200kmを超える。2)  JVFは、リサン層堆積面やヨルダン川支流がそれを覆うように形成した扇状地面、それらを開析して形成された極新期の河成面群に変位を与え、低断層崖や大小のバルジ・サグポンドなどの変位地形をつくっているが、その比高については、もっとも大きいもので30~40m程度、ただし、それは例外的で多くは10mに満たない。3)  JVFを横切る大小の河谷はほぼいずれも、左ずれの屈曲・食い違いをなす。リサン層堆積面の開析谷の中で、Wadi Al-Arab、 Wadi Al-Ziglab、Wadi Al-Russiefのような大きな河谷の左ずれ屈曲量は、150~160mに達している。以上から、JVFは、左横ずれ変位を主としており、変位に上下成分をほとんど伴わない断層と見なせる。リサン湖の湖面が最高位に達したのは2.5万年前頃とされている(Bartov et al.,2002)ことを念頭に置くと、JVFの最近の平均変位速度は、6m/1000年を上回っている可能性が考えられる。4)  JVFの活動履歴資料を得るために、まず、北部のShaikh Husain地区でトレンチ調査を試みた。トレンチ掘削地は、リサン層堆積面を開析するWadi Abu-Ziadが形成した若い扇状地面上に位置しており、ここに掘削した2つのトレンチの壁面には、リサン層の一部と思われる均質な砂・シルト層(?W層)とそれを不整合に覆う河成堆積物(上位より?T、?U、?V層と呼ぶ)およびそれらを変位させている南北走向で高角の断層帯が露出した。5)  北側のトレンチ(SH-2)の南壁面では、?T層を見かけ上西側を隆起させるように食い違わせている断層が認められ、これは現耕作土層の直下まで追跡できる。さらにここでは?T層、?U層、?V層は、それぞれ?U層、?V層、?W層まで食い違った断層変位構造を削剥してその上に堆積している。以上は、この地区でJVFの断層活動が、?W層堆積後に少なくとも4回、そのうちの3回は?V層堆積後に生じ、最新活動はきわめて近い過去にあったことを示している。6)  各層に関する14C年代測定の結果から、JVFの最新活動は、1650yBP頃以降にあったこと、それより以前では1680-2710(3390)yBP、3390-5130yBPの各時期および7230yBPの前にも活動したことが考えられる。また、最近においては、千数百年に一度の頻度で活動を繰り返していることが示唆される。
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