日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の295件中1~50を表示しています
  • 中三川 浩介
    セッションID: 301
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題意識  長期的に続く児童生徒数減少の結果、多くの自治体で公立小中学校の統廃合が進むと同時に、余裕教室等の大量の未利用空間を他の施設に転用する「学校の複合利用」が増加している。文部科学省も、「学校施設の複合化について」(1991年)を皮切りに、「複合化及び高層化に伴う学校施設の計画・設計上の配慮について」(1997年)、「高齢者との連携を進める学校施設の整備について」(1999年)などを相次いで作成し、高齢者施設や社会教育施設など「地域コミュニティー機能」を持たせる形での学校複合施設化を推進してきた。ただし、施設の選択に際しては「地域住民のニーズに応える」ことが重要であるとされており(前出,1997年)、この方針が複合施設に一定の幅を与えてきた。したがって、複合する施設の選択は地域ニーズを反映する形で自治体ごとに異なり、またその実施状況も各自治体の財政基盤の強弱に影響されると考えられる。  以上の問題意識をふまえ、本研究では学校複合利用の実施状況を自治体別に精査し、複合化の現状に関する自治体間での差異を明らかにするとともに、差異を生み出す要因について検討する。 2.研究方法  本研究は、東京23区を対象地域とする。その理由は、1)公立小中学校の絶対数が多く、2)都心からの距離に基づく地域区分、財政基盤の強弱、児童生徒数の増減状況などの点で多様な自治体(区)を比較できるためである。このうち地域区分に関しては、村井(2010)の区分方法をふまえて東京23区を都心部と都心周辺部に区分し、両者の比較を行う。財政基盤に関しては、東京23区の財政力指数の平均値を基準として、これより高い区と低い区との比較検討を行う。また児童生徒数の増減については、「学校基本調査報告」を用いて年次別の推移を把握した。  東京23区には、区立小中学校が1,236校あり(2010年9月現在)、その基本情報については、各区がウェブサイト上に公開している各種データ等を整理した。とりわけ学校に複合する施設に関しては、利用者別に児童関係施設、行政・社会教育施設、高齢者施設、地域関係施設という4分類を行い、複合化した年次を用いて集計した。以上のデータをもとに、10区を事例区として選択した。その上で、事例区については、各区の担当者へのヒアリングを行い、学校複合利用に至る経緯や目的、課題等を調査した。 3.学校複合利用の状況  学校複合利用は、2010年9月現在、区立小中学校1,236校中631校(約51.1%)で実施されているが、地域区分別では、都心部が221校中138校(約62.4%)であるのに対し、都心周辺部では1,015校中493校(約48.6%)であり、都心部の比率が相対的に高い。また財政力指数では、高い区が350校中220校(約62.9%)で実施している一方、低い区では886校中411校(約46.4%)に留まっている。また複合化される施設を見ると、児童関係施設と行政・社会教育施設は多くの区で見られるが、高齢者施設は財政力指数の高い区に、また地域関係施設は特定の区に偏在している。現今、高齢者施設や地域関係施設のニーズは総じて高く、これらの複合化に関しては、旧文部省の指針通りには進んでいないと判断できる。 4.学校複合利用に関する自治体間の差異  複合化の方針に関して10区すべてに共通する点は、行政財産である学校を有効活用し、地域の問題に対処したいとする意識である。その方法として、余裕教室を活用する場合と、校舎の改築時に複合化を行う場合とに大別できる。  都心部で財政力指数の高い区では、既存施設を学校に複合化させ、退去元の施設の改築や転用を図る例も見られた。このような動向は、地価が高いという都心部特有の地理的条件に加えて、財政的にも新規の公共事業が容認されるという条件に基づくものと考えられる。一方、都心部でも財政力指数の低い区では、既存の施設を学校に複合化する事例は見られない。これらの区は、財政的に乏しく、施設の大規模な改築や転用が困難であるため、学校施設を小規模に改修する程度の複合化が主流とならざるを得ない。  他方、都心周辺部では、財政力指数の高低にかかわらず、既存施設を学校に複合化する例は見られない。都心部に比べ多くの公共施設を持つ都心周辺部は、施設の維持・更新かかるコストは高く、施設の新設や大規模な改築には消極的にならざるを得ない。また、都心部に比べて学校統廃合も進んでいないため、相対的に余裕教室等の未利用空間が多く、それらを多用途利用することで、施設設置に要するコストを抑制していると考えられる。
  • 新潟県関川村と和歌山県由良町の事例から
    畠山 輝雄
    セッションID: 302
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     2006年4月の介護保険制度改正に伴い,住み慣れた地域での高齢者の生活を支えるために新設された地域密着型サービスは,これまで都道府県にあった事業者の指定権限が市町村に移譲された結果,市町村の考えのもとにサービス展開が可能となったことで注目されている.しかし,従来の介護保険サービスに比べて地域差が大きく,特に人口1万人未満の小規模市町村において事業者の参入がみられずに,サービスが提供されないことが問題となっている.この要因は,地域人口の規模が小さく,そのうえ地域密着型サービスの介護報酬が低いことから,事業の採算確保が困難であるゆえに事業者の参入が消極的になったこと,またその場合に財政的問題から市町村独自に事業所を整備できなかったことがあげられる.
     そこで本発表では,小規模市町村における地域密着型サービスの特徴を把握した上で事例市町村を選定し,市町村での地域密着型サービスの運用の取り組みを考察することで,今後の地域密着型サービスの運用のあり方を明らかにする.なお,本発表における小規模市町村とは人口1万人未満の市町村を指す.
    2.小規模市町村におけるサービスの実態と事例市町村の選定
     地域密着型サービスには,小規模多機能型居宅介護(以下,小規模多機能),認知症対応型共同生活介護(以下,GH),認知症対応型通所介護(以下,認知症デイ),夜間対応型訪問介護,地域密着型特定施設入居者生活介護,地域密着型介護老人福祉施設(以下,小規模特養)の6サービスが設定されているが,小規模市町村においては,いずれのサービスにおいても大・中規模市町村に比べてサービス未設置の市町村がきわめて多い.また,全6サービスを未設置の市町村も40.4%みられた.
     このような中で,小規模市町村にもかかわらず,多くの地域密着型サービスが設置されている新潟県関川村と,市町村内に地域密着型サービスが設置されていないことから周辺の市町村との共同指定により広域的なサービスが設置された和歌山県由良町を事例に,サービスの実態を明らかにする.
    3.新潟県関川村における地域密着型サービスの運用
     関川村は,人口6,856人(09年住基台帳),財政力指数0.27(2008年度)の小規模村である.しかし,関川村にはGHと小規模多機能が1事業所,認知症デイが2事業所立地している.
     村では,人口高齢化および単身世帯の増加から,小規模多機能型の必要性を感じ,村主導で公募をした結果,新潟県内(村外)の株式会社2社から応募があった.その結果,もともと建設会社であったA社が参入することとなった.しかし,A社は社長が村に縁があったという理由で参入しており,人口等のマーケティングリサーチを実施して参入したわけではない.また,村社会福祉協議会が認知症デイの必要性を感じ,以前より運営していた住民運動によって開設された通所介護に併設させる形で,認知症デイを2事業所開設した.GHは,新潟市に本体があり新潟県内に強い地盤を持つ社会福祉法人が法人の地域福祉戦略の中で参入した.
    4.和歌山県由良町における広域的なサービスの運用
     由良町は,人口7,102人(同上),財政力指数0.43(同上)の小規模町である.同町では,利用ニーズの少なさ,介護保険料負担の増大,事業者参入の困難さから,第3期介護保険事業計画において,地域密着型サービスの整備目標を立てておらず,実際に事業所も立地していない.
     しかし,実際にはサービスの必要性を感じており,周辺の町から許可を得て事業所の指定することにより,周辺の町のサービスの利用を可能にした.現在は,3町6事業所(GH,認知症デイ,小規模特養,小規模多機能)の利用が可能である.参入事業者についても,1町からの指定では利用者が集まらず採算確保が困難であることから,複数市町村での指定を希望していた.
    5.おわりに
     地域密着型サービスの参入が困難である小規模市町村において,関川村の事例からみると,行政の意向と努力も多くのサービスが存在する要因にはなっているが,事業者参入については偶然性も高い要素となっている.このため,他の小規模市町村では同様の参入は見込めないといえる.むしろ,由良町の事例でみられたような,周辺市町村との共同指定により広域的なサービスが建設的である.しかし,そうであるならば,サービス創設時の「地域密着型」の理念は,小規模市町村には合致しないものと考えられる.
  • 東京都世田谷区の精神障害者対象の作業所の事例から
    三浦 尚子
    セッションID: 303
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     障害者自立支援法が施行され,今年で4年が経過する.
     社会福祉基礎構造改革の一環で成立した支援費制度は,障害者福祉等の領域に「措置から契約へ」と市場原理を導入した初めての制度だったが,在宅サービス利用者が急増し社会保障費が膨らんだ.社会保障費抑制のため,障害者に就労自立や自助を求めた言説が出始め,障害者に就労に適切な訓練を施し,生産領域に(再)参加させるための支援の構築,すなわち「ワークフェア」への政策転換が求められた結果,障害者自立支援法が成立した.
     障害者自立支援法は,「障害者が地域で暮らせる社会,あるいは自立と共生の社会の実現」を目指すために「利用者本位のサービス体系の再編」と「就労支援の抜本的強化」を挙げている.利用者本位と謳っているのに就労支援の抜本的強化を図るという,制度の矛盾が,従来の「ケア空間」にどのような影響を及ぼしているのか,調査方法 1 地域ケアの重要な担い手である事業者に,ケア実践の内容と新体系移行の影響を非構造的インタビュー調査(2010年),2 ケア空間を利用する精神障害者の経験を参与観察(2010年5月~10月)によって,ケア空間の変化を明らかにする.
     東京都世田谷区は,1919年公営の精神病院が開院し,関係者の熱心な地域精神保健活動によって精神保健福祉サービスが充実している自治体である.22か所の事業所は,東京都・世田谷区の潤沢な運営補助金をもとに私鉄沿線に点在している.新体系に移行している事業所(15カ所)のうち,就労支援の「中核」とされ,原則2年間の利用期間が設定され一般就労を目指す就労移行支援に移行した事業所は5カ所で,そのうち3カ所が就労継続支援B型の事業も提供する多機能型である.事業者と利用者が雇用関係を結ぶ就労継続支援A型は1カ所のみで,就労継続支援B型を単独で運営する事業者は16カ所(移行済11,移行前5),と最もこの事業に集中している.また就労継続支援B型の事業者でも,内職,清掃,喫茶店の接客といった作業内容で高工賃を目指す事業者と,積極的な就労支援を実践せず,居場所的な空間役割を果たす共同作業所の支援内容のまま(これを事業者間では「なんちゃってB」と呼ぶ)の事業者があることがわかった.「なんちゃってB」でも,利用人数が1日定員の7割前後の実績があれば,経営は安定し,利用制限がないため利用者も安心して利用できる点,一方で中~重度の障害の程度で生産性の低い利用者を想定する地域活動支援センターに移行すれば,自治体からの運営補助金が500万円削減されることがすでに決定していた点,この2点をふまえて,移行前の事業者は,移行後も積極的な就労支援は実践しない「なんちゃってB」を自称することにした.地方自治体も,財政負担が軽減されるため,「なんちゃってB」を容認している.
     「通常の就労継続支援B型を利用する利用者からも, 「精神障害者の雇用が広がったのはいいことだが,それは30歳代の若い人たちだけだ.40歳以上であれば生活の安定という点ですっと同じところで働いていたい」という意見が出て,ケア空間の利用制限を事前に設定し,利用者の不安を増長させるような制度は望まれていない点,また参与観察を通じて,利用者は誇りをもってケア空間で就労していることがわかった.
    ワークフェアを前提とする新体系に対応するため,「なんちゃってB」で運営する事業者,容認する地方自治体,継続利用する利用者,3つの抵抗的主体が構築され,制度の内側に入り込んで生権力に抵抗していることが明らかになった.
  • 広島県三次市の事例
    田中 健作
    セッションID: 304
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
    本報告では,山村地域の公共交通運営の在り方を探るため,広島県三次市を事例として,市町村合併後の公共交通再編成の特徴を明らかにする.そのために,自治体の対応を軸に,各路線の配置形態や利用状況に加え,サービス生産に必要な各経営資源の存立形態等について検討する.
    2.広島県内の公共交通政策の動向
    規制緩和等により,シビルミニマムとしての公共交通を確保していくうえで,三次市をはじめ各自治体の役割はより重要になっている.広島県内の各市町の政策動向をみると,市町村合併後に,公共交通ネットワークの効率化と交通空白地域解消を目指し,国や県の公共交通再編支援策を活用しながら,各市町は山間部等の低需要地域を中心にデマンド型交通を,市街地への循環バス等を導入している.
    この結果,広島県内の過疎地域を多く抱える各地域では,公共交通への需要が低迷する中で,乗合バス事業者が主に広域的な輸送を,事業者の撤退した路線や市町内の輸送を自治体バス等が担っている.
    3.広島県三次市における公共交通の再編成
    このような下で三次市は,市町村合併後,旧町村間にあったバス運行形態のバラつきの解消や交通空白地域の解消を目指した公共交通再編成を進めている.
    はじめに,公共交通政策の変遷をみると,市は2005年3月の「三次市生活交通体系実施計画」の策定以降,2007年3月,2010年3月に相次いで公共交通再編計画を打ち出してきた.公共交通の全体的な利用者数が減少する中で,市は,広域的幹線であるJR線に加え,乗合輸送に関して,再編計画に基づき_丸1_事業者による広域生活路線(主に旧三次市を発着する地域間バス)を基幹部分に据え,旧町村部の無料福祉バス等を統合する輸送手段として新設した_丸2_市の自主運行する域内生活路線(市民バス),_丸3_市が商工会に運行を依頼する域内生活路線(デマンド),_丸4_住民組織により運営される市民タクシーを重層的に配置してきた.
    これらにより市は交通空白地域の解消を含むサービス平準化を目指した.その際に市は,高齢者の生活利用を前提に既往の無料福祉バス等の運行ダイヤを基本的に踏襲したが,一方で新たに利用者負担の原則を導入し,全路線を有償運行化した.なお,_丸2_~_丸4_の運行内容は輸送状況により継続的に見直されている.
    次いで,公共交通の利用者状況をみると,_丸1_事業者路線の利用者数が減少する中で,_丸2_~_丸4_の利用者数は小規模ながらも横ばいで推移しており固定客が中心であると考えられる.なお,_丸2_の市民バスの場合,通学利用を除くと,週に1~2回から月数回ほど利用する高齢者の利用が主となっている.
    さらに以下,経営資源の存立形態を各主体の役割や諸関係に着目してみていく.市は,赤字負担と企画立案部門に徹しており,さらに運行部門の主体を以下にみるように複数組み合わせることで,市は財政面や事務面での自らの負担を軽減しようとしている.市が主体的に設置する_丸2_~_丸4_をみると,_丸2_の場合,市は委託先である地元貸切バス事業者との間に長期的な業務関係が築けるよう,複数年契約を結び,他方では事業者路線(_丸1_)と遜色ない輸送単価に基づく契約金額を設定している._丸3_の場合,運営主体に据えられた地域社会側の主体である商工会が無償で運行管理や事業者間の調整を行っている.市はこの体制を長期的に維持するため,商工会側の要望した経営インセンティブを後に設けた._丸4_の場合,経営資源として自治機能が位置づけられ,インセンティブの設定のない住民参加の運営体制を制度化している.しかし,住民組織の高齢化等,継続的に事業を進めるための課題も残されている.
    4.まとめ
    以上より三次市の公共交通再編成の特徴には,各路線が重層的に配置されていること,市が運行部門との間に長期的に安定した協働的契約ともいうべき業務関係を結ぶとともに,部分的には地域の社会的基盤も活用していることが挙げられる.しかし,運行部門に関する課題が一部に残されていることも確認される.
    これらを踏まえると,山村地域における自治体の公共交通運営において,行政の企画立案能力や財政負担とともに,各運行部門が継続的に事業に取り組めるような枠組み作りが重要になっていると考えられる.
  • 今井 理雄
    セッションID: 305
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.市民によるバスマップの作成とその背景
    近年,市民団体による地域のバスルートマップ(以下,バスマップ)作成の例が,全国的にみられるようになった.独立採算の営利事業として位置付けられる日本の公共交通を取り巻く環境下では,その広告や利用促進策の一環と認識されるバスマップの作成は,事業者やその業界団体が独自に行うものであり,あるいは地域の公共交通ネットワークを維持,活性化するため,行政などの公的機関が作成,配布する例が一般的であった.一方で地域によっては案内,配布用バスマップそのものが存在しない例も少なくない.さらにバス交通をはじめとする地域公共交通の利用者が漸減していることは周知の事実であり,とくに規制緩和以降,地域の公共交通ネットワークが寸断され,持続可能な交通システムの確保が不確実になってきている.このなかで,公共交通利用者である市民が,自らの手で情報ツールを作成し,活用する動きがみられることは,いわば“新しい公共”の一端となりうる現象である. そもそもバスマップは,公共交通が独立採算の営利事業として認識される日本の場合,前述のようにバス事業者の営業促進ツールのひとつであると考えることができる.同様なものとして,時刻表や広報紙などがあげられるが,鉄道交通や航空交通に比べバス交通は,ネットワークの複雑さと一般的な地図上での記載が不明確な点から,情報の取得を独自の路線図に頼らざるを得ない.小規模な地域で限られた利用者を対象に事業を展開する地域の乗合バス事業者の場合,外部への情報提供を鉄道時刻表のような出版社による公刊に頼ることは不可能である.この結果バス事業者は,利用者に対して提供するサービスの情報を,自ら何らかの方法で発信せざるを得ないはずであるが,必ずしもそれが満足に達成されていないのが現状である.またバスマップ,路線図といった事業者による紙媒体での情報提供ツールの作成,配布は,地域によってその有無や方法等に大きな差異があり,事業の慣行ともいえるものである. 市民団体が中心となって作成されるバスマップの多くは,このような事業者によって作成されるバスマップが存在しないケースや,地域内に複数事業者が存在することで,情報の一貫性が欠如していることを補うことを目的にしている.団体の存立基盤やバスマップ作成の背景,有償,無償の差異など,条件は異なるものの,乗合バスを利用する際の情報の捕捉と公共交通利用促進を目的としていることは,概ね一致している. ところで交通地理学においては,これまでバスマップの作成やその活動について,殆ど関心を払ってこなかった.一部でその成果がみられるものの,実証的な分析や具体的な提言等は,極めて不足していると言わざるを得ない.
    2.市民活動のネットワーク
    市民団体によるバスマップの作成は,岡山市における事例が嚆矢であるが,これを契機に各地で同様のバスマップが作成されるようになった.このようなバスマップ作成団体が中心となって,2003年,岡山市において「バスマップサミット」が開催され,以降,毎年各地で開催されている.これまでの開催地は,幹事団体として位置付けられる主要なバスマップ作成地域であり,ノウハウをはじめとした情報交換のネットワークを形成し,“市民による交通まちづくり”を目指し,公共交通利用促進策を模索している.一方で,交通を取り巻く環境は政治力と行政の強い監督権限に影響を受け,市民団体として可能な活動には限りがあり,とくにバスマップ作成の資金確保をめぐって共通の課題を抱えている.
    3.札幌市におけるバスマップ作成の事例
    たとえば札幌市においては2006年から,NPO法人によって『なまら便利なバスマップ』が作成,無料配布される.札幌市ではバス事業者が複数存在するとともに,市内バス交通のなかで最大のシェアを有した市営バス事業の全面民営移譲もあって,情報提供の一貫性が失われていた.主要3社はそれぞれ独自のバスマップを作成,配布していたが,市営バスの路線が分割,移譲されたこともあり,従来交通局による情報提供で大部分が網羅されていたネットワークを,利用者が把握することさえ困難になりつつあった.さらに市営バス事業の民営移譲は,市内におけるバスネットワークの脆弱な体質をも露呈させる結果となり,そのような不便の解消と,公共交通の利用促進を目的に,バスマップの作成に至った.当初,行政との協働に重点を置いた発行体制が取られたが,その後,NPO法人が各方面からの助成金等を活用し,独自に発行を継続している.またNPO法人の運営にあたり,交通分野のみならず,環境,福祉,土木工学といった様々な団体との連携,協力体制を有しており,広範な人的ネットワークを活用している.しかし全国的にみてもバスマップ作成範囲の規模が大きいなど,課題は少なくない.
  • 土'谷 敏治, 安藤 圭佑, 石井 智也, 花井 優太, 八剱 直樹
    セッションID: 306
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     _I_.はじめに
     2002年の乗合バス事業に対する規制緩和以前から,多くの自治体がコミュニティバスの運行を始めた.鈴木(2007)は,コミュニティバスとは,「既存の交通機関のサービスが技術的または経営的理由で行き届かない地域の住民の交通手段を確保するため,既存のバスよりも小型の車両をもって,市町村が何らかの形で関わり,何らかの財政支援を背景として運行される乗合バス」としている.また,1995年に運行を開始した武蔵野市のムーバスの模造品が続出したため,「循環ルート」で「ワンコイン運賃」が常識との認識も生まれていると指摘している.
     茨城県ひたちなか市は,市内の公共交通機関の維持に積極的に取り組んでいる地方自治体の1つである.茨城交通の湊線鉄道事業からの撤退表明を受けて,2008年にひたちなか海浜鉄道として第三セクター化し,2009年と2010年には乗合タクシーの実証運行も行った.さらに,2006年10月から「スマイルあおぞらバス」というコミュニティバスを運行している.2系統で始まったこのコミュニティバスは,運行経路の変更や増設を経て,2011年1月現在5系統となっている.ただし,上記の鈴木(2007)の指摘のように,運賃100円の循環ルートを運行し,もっも長い系統では,循環ルートを1周するのに1時間50分程度を要する.運行経路などに対する市民の評価も,賛否両論が聞かれる.
     2010年10月,このひたちなか市コミュニティバスについての調査の機会がえられた.本報告では,上記の点を踏まえ,ひたちなか市のコミュニティバスが,市民にどのように利用され・評価されているのかを明らかにするため,利用者数や利用のパターン,利用者の属性や利用の特色,利用者の評価について調査するとともに,今後の課題について検討することを目的とする.
     _II_.調査方法
     利用者数については,ひたちなか市も停留所ごとの乗降数を調査している.ただし,個々の乗客の乗車・降車停留所までは明らかではない.今回は利用パターンを明らかにすることを目指し,乗降停留所を特定して,旅客流動調査を行った.これによって,OD表レベルでの利用者数の把握が可能となる.利用者の属性や利用の特色,評価については,車内で調査票を配布し,利用者自身が記入する方式を基本としたアンケート調査を実施した.ただし,記入が困難な場合については,調査票をもとに調査員が聞き取りを行った場合もある.主な調査項目は,居住地・性別・年齢・職業の利用者の属性,利用目的,利用頻度,コミュニティバスに対する評価などである.
     調査は,5系統のコミュニティバス全便に調査員が乗車し,旅客流動調査と配布・聞き取り調査を行った.旅客流動調査は基本的には悉皆調査である.配布・聞き取り調査については,できるだけ多くの利用者に対する調査を心がけたが,車内空間が狭く,1名の調査員では混雑時や短区間の利用者については調査に限界があるため,悉皆調査とはなっていない.調査日は,平日と土・日曜日の違いを考慮して,2010年10月15日(金),16日(土)の2日間実施した.
     _III_.調査結果の概要
     旅客流動調査の結果,10月15日(金)438人,10月16日(土)478人,2日間の合計で延べ914人の利用者があった.もちろん系統によって利用者の多寡があり,都心部系統の利用者が多い.また,都心部系統や那珂湊系統では金曜日より土曜日の利用者が多いが,他の系統は逆になる.旅客流動は,JR勝田駅の乗降が卓越し,各停留所・勝田駅間の利用が主要なパターンであるが,勝田駅以外では,ショッピングセンターや公共施設,病院,一部の住宅団地での利用者が多い.しかし,その他の多くの停留所では,ほとんど乗降がみられなかった.
     利用者に対するアンケート調査では,2日間で401人から回答がえらた.各系統とも女性の利用者比率が高く,60歳代以上の高齢者の利用が卓越する.利用目的も買い物目的が最も多く,高齢者の利用を反映して通院目的の利用も多い,しかし,都心部の路線を中心に通勤目的の利用がみられ,土曜日には,10歳代を含む若年層の利用や,那珂湊コースのように観光目的の利用も増加する.
     このような点から,極端に長い循環ルートの再編とともに,通勤利用・土休日の買い物利用・観光利用など,いわゆるコミュニティバスの枠にとらわれない路線の設定や対象利用者の拡大を検討していく必要がある.
  • -ハッピーロード大山商店街「とれたて村」を事例として-
    上村 博昭
    セッションID: 307
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.東京都心におけるアンテナショップの現状  1990年以降,東京都心部においてアンテナショップ(以下AS)が急増している(畠田:2010).ASとは本来,企業が市場のニーズを調査するための店舗を意味するが,派生して地方自治体が大都市圏等に設ける物販・情報発信施設にも用いられる.その設置目的は,物販・情報提供を通じた地元の魅力発信のほか,都市部での情報収集にある.  このうち地方自治体が関係するASは,自治体や関連団体が直接運営に携わる「自主運営型」と,商店街など消費地の団体や個人が運営する店舗に、複数の地方自治体が相乗りする形で商品のみを供給する「共同参加型」とに大別できる.前者は都道府県のASに多く見られ,後者は財政規模や商品供給能力の面で制約が多い市町村単位での出店に多く用いられる.一方斯学において,ASを取り上げた既存研究は「自主運営型」を対象とするものが大半を占め,「共同参加型」を検討したものは非常に少ない.  本報告では,以上のような目的意識の下に,板橋区ハッピーロード大山商店街が運営する「全国ふる里ふれあいショップ とれたて村」を事例として,「共同参加型」ASの設立経緯,運営状況,ならびにアクターの意識や動向を検討する.なお報告は,「とれたて村」を運営する商店街ならびに「とれたて村」に商品を供給する12市町村へのヒアリング調査に基づくものである. 2.「とれたて村」の概要とアクターの利害  「とれたて村」は,ハッピーロード大山商店街が2005年に板橋区の補助を受けて設立した一次産品及び加工品の販売所であり,店舗面積56_m2_,商品数1,000アイテム,年間売上高5,100万円の規模を有する.2010年秋現在,参加自治体は北日本を中心とする12市町村であり,店舗の運営理念は「産直」と「食の安心・安全」である.  同店の設立契機は,商店街が百貨店の物産展を模したイベントを実施したことに始まる.イベントの集客力に注目した商店街は,区の空き店舗対策事業を利用し,常設店舗化に踏み切った.開店3年目に板橋区の補助が終了した後も,商店街が地方自治体に働きかけ,商店街自身の運営で黒字を確保している.  商店街にとって「とれたて村」は,集客装置,空き店舗対策,補助金の受け皿としてのメリットを持つ一方,店舗運営リスク,事務経費,組合員への配慮等のデメリットを抱える.他方,参加市町村は,低リスク,低コストで都内の販売・PR拠点を確保し,消費者の情報を得られるメリットを持つ一方で,収益性やPR効果が低い,店舗のコントロールが難しい,競争が激しい等の課題を抱える.その結果,参加市町村の入れ替わりや,運営コンセプトの揺らぎ等の課題も顕在化している. 3.結論  「とれたて村」に代表される「共同参加型」ASと「自主運営型」ASとの相違点を地方自治体の立場から捉えると,安く手軽に都市部の拠点を設けることが出来る半面,参加市町村が複数のために競合(産地間競争)が生じる,運営主体の意向で店舗の性質が変わり易い,詳細な消費者情報が得にくい等の欠点があると言える.  こうした課題を抱えつつも,「共同参加型」ASは,地方の市町村にとって重要な販路拡大の手段であり,地域間交流や新たな公民協働(PPP)としての可能性を有する.しかし,「共同参加型」ASが根付くためには,地元消費者を含む全てのアクターが,メリットを享受できる仕組みを構築することが重要である.
  • 千葉県内の公営ガス事業の事例
    佐藤 正志
    セッションID: 308
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.本発表の目的
    公共運営に対して,近年では政府だけでなく,市場や住民といった多様なアクターの相互交渉と合意を通じたローカル・ガバナンスへの転換が目指されている.地理学でも,ローカル・ガバナンスに関して,主体間での連携を対象とした考察も見られる.
     従来の日本の地理学の研究では,行財政運営の再編を考える際に,自治体内部での主体間関係が中心にして検討されてきた.一方で自治体間での関係は,近隣効果に関する議論を除けば,政策形成に対する影響力を考察したものは少ない.他分野では,自治体での政策形成や運営では相互に関係を持つことが示されてきた.しかし,自治体が参照する際に,地域条件や近接性をどのように判断に入れているのか,考察されていないのが課題として残る.
     以上の点を踏まえて,本報告では自治体における公共サービス供給において,自治体間での水平的関係が公共サービス運営や事業再編にもたらす影響を考察する.特に,従来の研究では研究とされてこなかった,国による政策決定がなされた後の自治体間関係を考察するため,千葉県内の公営都市ガス事業に対象にした.

    2.都市ガス事業の概要と公営事業者の動向
     本報告で対象とする都市ガス事業は,国による規制が強い産業であった.ガス事業は,大規模な資本投資が必要であり,地域独占が働く産業である.大都市圏の大手4社を中心とした民間企業が供給の中心を担う反面,公営事業者は小規模であり,契約数は数千程度のものが大半である.
     1990年代以降ガス事業をめぐる動向は大幅に変化している.1995年以降の段階的な規制緩和進展,1990年の資源エネルギー庁IGF21計画による高熱量化の推進,2007年に北見市で発生したガス漏れ事故に伴う経年管の交換促進といった,エネルギー間競争への対応や事業改善に向けた大規模な投資の必要性に迫られている.
     都市ガス事業全般をめぐる動向や公営企業再編を受けて,公営ガス事業者の中には民営化を進める自治体も相次いだ.全国で最大75あった公営事業者は,市町村合併の影響もあり2010年末には30まで減った.
     千葉県では,東部で採掘される天然ガスを利用した,公営ガス事業者が多く存在しており,各事業者とも経営は黒字で安定していた.しかし,行財政改革の進展等に伴い,1990年に旭市が,1995年に成東町が,2006年に四街道市が近隣の事業者に随意契約で譲渡している.

    3.事業運営における自治体間での参照関係
     千葉県内の事業者に対して,調査票および聞き取りにより自治体間での関係を確認したところ,_丸1_日常的な需要家への対応,_丸2_ガス供給に関する技術導入や,条例の制定にかかる情報の導入,_丸3_民営化の検討や事業再編の決定の3点で,自治体間での参照関係が異なることが示される.
     日常的な需要家の対応の点では,同一郡市内でガス事業を運営する自治体に問い合わせを行うことが中心である.この相互関係では,議会や管理者レベルよりも,担当者レベルでの関係が中心であり,電話や電子メールを通じて頻繁に参照している.こうした活発な参照が行われるのは,郡市内での連絡協議会を通じて,職員同士の交流があること,近接しているためお互いのガス事業運営状況をよく認知していることが大きい.
     技術や条例制定の際の参照は,どの自治体でも習志野市を対照としている.これは,千葉県内の都市ガス事業者で形成される「房総ガス協議会」の公営部会が習志野市に置かれている点,習志野市が技術部門を自前で保持しており,職員や技術情報を保有している点が大きい.参照は,年に数度の事業部会や研修の際に情報を得ている.技術面や条例作成の際には,各事業者が直接習志野市を参照にするが,習志野市以外の自治体を対象とすることはほとんどない.
     民営化の検討においては,近接した自治体を参照にするとは言えない.同一の県内の例として,四街道市への参照を行うことはあるが,多くは最近民営化を進めた事例への問い合わせや視察が中心である.類似した自治体や近隣の自治体を参照にするよりも,民営化を直近に行ったかが参照の決定においては重要になる.これは,民営化の対応にあたって事業者の選定,安全性の確保,需要家への対応,職員配置といった多岐にわたる課題解決のための情報入手が重要になるためと考えられる.
  • 荒井 良雄, 長沼 佐枝, 佐竹 泰和
    セッションID: 309
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.背景と目的  情報技術が社会経済の基盤的存在としてその意味を増大させていく中で、それに即応できる人々と取り残されていく人々とが二極に分かれていくデジタル・デバイドの問題が危惧されている.地理学的視点に立てば,デジタル・デバイドの存在がとりわけ注目されるのは,中山間地や離島などの条件不利地域である.通信事業者にユニバーサルサービスが事実上義務づけられている電話回線網を利用するナローバンドが中心であった90 年代までは,条件不利地域のデジタル・デバイドは徐々に解消されてきた.しかし,2000 年頃から一般に普及し始めたブロードバンドでは,サービス対象の範囲が通信事業者の選択に委ねられているために,地形が急峻であったり,人口が希薄であったりして事業採算が難しい条件不利地域ではネットワーク・インフラの整備が進みにくい.こうした事態は国政レベルでも認識されており,地理的デジタル・デバイド解消のための政策がとられ,結果的に,ブロードバンド整備は急速に進んでいる.もちろん,これらの政策は自治体レベルでの整備を促進するための補助事業であり,ある程度の事業費を自己負担してでも,地域の情報化を進めるという自治体の政策的判断を前提としている.  本研究では、条件不利地域を抱える自治体における,ブロードバンドの普及期以降の情報インフラ整備政策の内容とその背景を把握・検討しようとした. 2.方法  本研究では,全国の市町村に対するアンケート調査とヒアリング調査を併用しているが,本発表ではそのうちアンケート調査の結果を中心に報告する.アンケートは2009年11月よび2010年6月に,三大都市圏(2005年国勢調査における 関東・中京・京阪神大都市圏)内および政令指定市を除く,全国の1,326市町村の「IT担当者」宛に調査票を郵送し,郵送ないしは電子メールでの回答を求めた.最終的な回収数は453市町村,回収率は34.2_%_であった. 3.結果の概要 (1) ブロードバンド・ゼロ地区  回答市町村のうち,ブロードバンドがまったく利用できない(ブロードバンド・ゼロ)地区は存在しないとしたものは53.3_%_,ブローバンド・ゼロ地区が1_%_以下(住民数ベース)としたものは18.9_%_であり,ブロードバンド環境の整備が大多数の市町村で進んでいることは事実である.ただし,8.9_%_の市町村が,3割以上の地区でブロードバンドが利用できないと回答しており,地域によってはブロードバンド未整備の地区が相当残存していると見られる.これを地方別に見ると,北海道・東北,四国西部,南九州でブロードバンド・ゼロ地区が比較的多く残存する傾向が見られる.また,過疎法によって過疎地域市町村に指定されている中で,ブロードバンド・ゼロ地区が存在しない市町村は0.5_%_に過ぎない一方,同地区が3割以上の市町村は34.4_%_もあり,過疎地域におけるブロードバンド整備の遅れは明瞭である.当然予想されるように,ブロードバンド・ゼロ地区は山間地が80.0_%_で多数を占めるが,離島も6.2_%_ある. (2) ブロードバンド整備事業  回答市町村の67.1_%_が,何らかの形のブロードバンド整備事業を実施しているが,それらの事業のうち36.6_%_が地域情報通信基盤整備推進交付金事業,16.7_%_が新世代地域ケーブルテレビ施設整備事業の制度を利用している.その他の補助制度を含めると,全体の82.7_%_が何らかの国庫補助を利用しており,ブロードバンド整備において国の政策が大きな位置を占めていることは明らかである.こうしたブロードバンド整備事業では,光ケーブルを,インターネットでの利用だけではなく,デジタル・ケーブルテレビと共用することで,効率的なインフラ整備を目指すものも多く,回答された整備事業の37.3_%_はケーブルテレビの整備事業と認識されている.ブロードバンド整備事業を完成年度別に見ると,2001~03年にひとつのピークが見られるが,これは新世代地域ケーブルテレビ施設整備事業によるケーブルテレビ整備が相次いだことを反映している.ケーブルテレビ整備事業が行われた市町村では,ブロードバンド・ゼロ地区が残存しないものが多いことも,地上デジタルテレビ難視聴地区の解消のため,市町村がケーブルテレビ網敷設を徹底的に進めたことの影響であると考えられる.
  • 鎌倉 夏来
    セッションID: 310
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I はじめに
     グローバル化や知識経済化の中で,首都圏近郊に古くから立地していた工場は,近年新たな変化を見せている.本報告の目的は,東海道線沿線地域を対象とし,大規模工場用地の利用変化,存続工場の「現在地での変化」,とりわけ研究開発機能の変化を明らかにし,首都圏近郊の研究開発拠点の位置づけの変化が意味するところを検討することである.
    II 対象地域と分析方法
    対象地域は,神奈川県川崎市から平塚市までの東海道線沿線地域で,軌道の両側各1km以内を範囲とした.
     まず,1974年時点の従業員数100人以上の工場を抽出し,2010年時点の土地利用と比較して,変化の有無・内容を調べた.続いて,従業員1,000人以上の大規模工場26工場を対象に,「社史」,「有価証券報告書」,「日経全文記事データベース」をもとに,立地経緯,製品内容や従業員数の変化,他の事業所との関係など,工場履歴を明らかにした.そのうちの13事業所については,研究開発機能を中心に,変化の要因や立地戦略上の位置づけなどに関する聞き取り調査を行った.
    III 分析結果と考察
     1974年時点から存続している工場は,165工場中81工場であった.このうち23工場が横浜市戸塚区にあり,存続工場の8割が戸塚以西の地域に立地していた.これに対し,都心により近い川崎市から横浜市保土ヶ谷区までの沿線地域では,マンションやオフィスビルに転用されたケースが多くなっていた.
     存続している大規模工場の内部では,研究開発機能を強化する動きが顕著であった.製造機能と研究開発機能が併存する「開発一体型拠点」が依然として多いものの,「開発一体型」から,研究開発活動のみを行う「開発特化型拠点」へと変化している事例も見られた.また注目すべき変化として,国内に分散していた企業内の研究開発機能を,新たな拠点に集約する動きがある.これは,他分野・他事業の研究員と共に研究活動を行うことで,研究活動の効率化やシナジー効果をねらったものとされている.
    こうした変化の具体的な内容と考察については、当日報告することにしたい.
  • 謝 陽
    セッションID: 311
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     1980年代以降木曽漆器の生産体制は座卓など大物の製造から消費者ニーズに対応する小物の生産などへ移行する傾向にあった。それと同時に日本の漆器産地は中国への委託生産を始めた。中国産製品との競争の中で現在の産地はどのように維持されているかを明らかにしたいと考える。アンケート及び聞き取り調査を通して、家具製造中心の木曽漆器は小物の大量工業生産の波に乗り遅れたが、他産地の小物製造の供給によって消費者ニーズに対応してきたといえる。一方、家具製造においては、中国での委託生産を率先して始め、大手問屋としては大きな成功を収めた。産地自体は伝統的漆器の製造を堅持して樹脂製品などの製造に移行していないが、他産地への委託生産と発注によって安価な漆器製造部門が補完されている。工賃仕事が減少している中で、職人は自ら販売に関わらなければならなくなり、作家活動の性格を強めていく。生産構造のなかに外部に委託する部分が大きく産地を支えているが、木曽漆器というブランドを保持していくにはどのように再構築していくかは重要な課題となっている。
  • 塚本 僚平
    セッションID: 312
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     近年の地場産業研究においては,伝統的地場産業や都市型地場産業に関する蓄積がみられた。しかし,その一方で,地方部において日用消費財(伝統性が強調されない製品)を生産する産地(地方型・現代型の産地)が研究対象としてとり上げられることは少なかった。こうした産地は,労賃の高騰や輸入品との競合といった各種の環境変化の影響を受けやすいため,そうした問題に関する様々な対策が講じられている。本報告では,地方型・現代型の産地である今治タオル産地をとり上げ,主に1980年代以降に起こった産地の変化を捉え,分析する。
    2.タオル製造業の動向と今治タオル産地
     日本国内には,今治(愛媛県)と泉州(大阪府)の二大タオル産地があり,国内生産額の約8割が両産地によって占められている。このうち,今治タオル産地では,先染先晒と呼ばれる製法によって,細かな模様が施された高級タオル(それらの多くは,高級ファッションブランドのOEM製品)やタオルケットが多く生産されてきた。また,泉州タオル産地では,後染後晒と呼ばれる製法によって,白タオルや企業の名入れタオルが多く生産されてきた。
     今治では,1984年からタオル生産がはじめられ,その後,度重なる機器の革新を背景に,高級タオルを生産する産地へと成長していった。1955年に生産額が国内1位になった後も成長を続け,1985年にピーク(816億円)を迎えた。また,その後も,1991年まで700億円以上の生産額を維持し続けるなど,国内最大の産地として今日まで維持されてきた。
    3.産地の縮小と産地の対応
     国内のタオル産地は,1990年代前半までは,順調な成長を遂げてきたが,近年では,新興国からの輸入品に押され,苦戦を強いられている。今治タオル産地も例外ではなく,2009年時点での企業数は135社(対ピーク時,73%減),2,652人(同,76%減),生産量9,381t(同,81%減),生産額133億円(同,84%減)となっている。
     こうした事態を受け,産地内では生産工程の海外移転や一貫化,産地ブランド化・自社ブランド化といった動きが起こった。このうち,生産工程の海外移転・一貫化については,一部の有力企業に限ってみられる現象である。これは,ブランドのOEM委託先が,海外へとシフトし始めたことへの対応策として採られたものであり,コスト低減のほか,リードタイムの短縮,品質向上等も目的としている。
     一方の産地ブランド化・自社ブランド化は,従来のOEM生産を主体とした問屋依存型の生産構造からの脱却を狙うものである。産地ブランド化については,四国タオル工業組合が主体となって事業を推進し,ブランドマーク・ロゴの制定から品質基準の作成,新製品開発,メディアプロモーション等が行われてきた。結果,産地の知名度の高まりや,流通経路の多様化といった効果がみられ,そうした流れのなかで,自社ブランドを展開する企業も増加してきた。
    4.おわりに
     近年の今治タオル産地では,従来からの産地内分業が維持される一方で,一部の企業においては,生産工程の海外移転や一貫化といった変化が確認された。このうち,海外生産については,逆輸入品の流入による市場の圧迫や産地ブランドへの影響を懸念する声が聞かれた。また,当該産地における産地ブランド化事業は,成功事例の一つといえるが,産地ブランドに対する認識には企業間での温度差がみられた。
  • 遠藤 貴美子
    セッションID: 313
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1. 研究目的
       1980年代後半以降日本経済はグローバル化を迎え,国際分業の進展によって生産拠点の海外移転が進み,産業の空洞化が懸念されてきた。このように,グローバリゼーションが国内の産業集積へ与える影響が問題視される一方で,新産業空間論などによって先進国の大都市における集積に伴う外部経済も注目されている。
     本発表で取り上げるカバン・ハンドバッグ産業も国際分業の形成に伴う再編に直面しつつも集積が維持されている産業である。本発表では東京城東地域のカバン・ハンドバッグ産業集積を対象に,生産の中核である「メーカー」に着目して,同産業の関連事業所間の連関構造を分析する。それを通して,生産活動のなかで外部経済がより強く発揮される場面を明らかにし,国際分業の進展後における大都市工業集積の存立基盤について検討することを研究目的とする。
    2.研究対象地域と研究方法
     東京の城東地域は,問屋,裁断業・皮漉き業・職人(縫製やサンプル製作を行う)といった部分加工業,材料屋,メーカーが立地している。基本的に問屋が企画・デザインを行い,海外ブランドのライセンスも有している。しかし,問屋をはじめとする受注先から注文を受けて,部分加工業と結びついて生産を実現する製造の中心はメーカー業である。メーカーは外注先の職人から回収した製品を検品・箱詰めして問屋へ納品し,問屋が百貨店や小売へ卸を行う。
     徹底した分業形態のなか,メーカーがそれぞれの業態とどのような地理的配置にあり,打ち合わせや外注・回収の際にいかにして円滑に情報伝達・モノの移動を行っているかについて,東日本ハンドバッグ工業会へ加盟しているメーカーを中心に聞き取り調査を実施した。
    3.調査結果
     メーカーと受注先,メーカーと部分加工業それぞれの連関において,高い割合で対面接触による暗黙知の共有が行われている。受注先との連関においてデザインを決定する際の打ち合わせはほぼ100%を対面接触によるものという企業が多く見受けられた。外注先への発注もまた企業間の地理的近接性にもとづいた対面接触による暗黙知の伝達が多く行われている。
     回収の際は対面接触への依存度がやや下がるものの,ファッション産業特有の製品の短納期の影響で企業活動の即時性が求められていることから,一日の宅配期間を惜しんでメーカーが回収に出向く事も少なくない。工程別にみると,対裁断業および対皮漉き業の部面で対面での加工指示を出す割合が特に高く,企業間の地理的近接性もとりわけ高い。しかも,均一化されていない皮革素材で生産を行うことから知識や技術を平準化することが難しく,試作を経た量産段階においてもメーカーとの対面接触への依存度が高いことが特徴である。皮革は,色,厚さ,柔らかさなどの点で均一でないため,材料選定の際にも直接見る事が望まれ見本帳の機能が小さい。そのため,材料供給地との近接性も,同産業にとって重要な基盤となっている。そして,縫製およびサンプルを請け負う職人は,量産時には対面による受注は減少するが,暗黙知を多分に要するサンプル製作時には高い割合でメーカーが直接出向いて指示を出している。
     東京城東地域におけるカバン・ハンドバッグ産業は,ファッション製品特有の性質と使用素材の特性から,メーカーを中核に企画・デザインから製造の末端まで,企業間の連関において外部経済の役割が発揮されており,材量供給をふくむ多種にわたる関連業種の集積が維持されている.
  • 山本 健兒
    セッションID: 315
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに 本報告の目的は,1990年代初め以降,長期的衰退傾向にあるわが国陶磁器地場産業の中で,有数の産地である有田においてどのような取り組みがなされてきたかを描き,その取り組みが結果としてより小規模な産地の自己主張を,したがって有田焼産地の分解傾向を明らかにすることにある.そのための主たる研究方法は,産地にある各種組合の理事長または専務理事,有力企業の経営者またはマネージャ,公的機関の陶磁器産業支援担当者への詳細インタビューである.これは2008年9月以降,特に2009年8月から2010年7月にかけて行った.その数は,12企業,8つの産地組合(卸団地,工業,商工,直売,波佐見,大川内,三川内,大有田),2つの公設試,1つの教育機関,佐賀県庁を含む4つの自治体である. 2.有田産地の地理的構成 有田焼産地は佐賀県有田町よりも広い範囲の分業関係から構成されている.これは例えば下平尾(1973)を初めとする成長時代の有田焼産地に関する諸研究から明らかである.これら先行研究に基づいてその概要を描けば次のようになる. 豊臣秀吉の朝鮮侵略を契機として,九州北西部の諸大名は陶工たちを朝鮮半島から連れてきて,陶磁器業を各領内に移植した.その結果,日本の産業近代化以前に,佐賀県有田町に相当する範囲だけでなく,長崎県波佐見町,佐世保市三川内地区にも陶磁器産地が形成された.佐賀県内でも伊万里市大川内地区、武雄市山内町や嬉野市吉田地区に小産地が形成されていた. これらの産地はもともと独自の産地名をもつ製品を生産していたが,第二次世界大戦以降の有田焼の隆盛に伴って,その製造販売に関わる分業関係に組み込まれるようになった.特に生地成形は波佐見町の零細企業が担当し,これを各産地の窯元が焼成するという分業が発達したし,絵付けに特化する零細企業も有田町や波佐見町に多数立地した.旅館や割烹に有田焼を販売する商社は有田町に多数存在するようになったが,デパートなどに卸す比較的大規模な商社は波佐見町で発達した.また近代化以降,すべての小産地で製造される陶磁器の原料は天草陶石となったが,これを陶土に加工するのは主として塩田町(現嬉野市)の業者である.したがって,有田焼産地は実態として佐賀県と長崎県にまたがって形成されるようになった. 3.衰退時代のイノベーション形成の試み 有田焼生産が1990年代初め以降衰退しつつある理由は,陶磁器への需要低下にある.これをもたらした原因として外国からの安価な陶磁器の輸入もあるが,それ以上に日本人の生活スタイルの変化と旅館や割烹などの低迷による業務用和食器需要の減退が影響している.しかし,日本国内の他の陶磁器産地に比べて有田焼産地には,衰退傾向に対して相対的に踏みとどまる側面もある.それにはイノベーションが寄与している.そのイノベーションには,個別窯元企業あるいは産地問屋をプロモータとする新製品開発もあるが,新製品考案の知的交流の仕組みとこれに関連する流通経路の革新も,産地の維持に貢献している.産地の各種組合の弱体化の一方で,有田焼産地の中にあるより小規模な産地単位でツーリズムと結合しようとする動きもまた,従来の流通経路を破壊し革新するという意味でイノベーションの一つに数えられる. 有田町では陶磁器産業で「肥前は一つ」という運動が成長時代末期に展開した.また衰退時代には有田町だけでの産地ブランド運動が起こるというように紆余曲折があったが,現在は有田焼という名称とは別に,伊万里市大川内地区の鍋島焼,長崎県波佐見町の波佐見焼,佐世保市三川内地区の三川内焼を前面に出す動きが顕著になりつつある.大川内では1960年代の洪水被災の後、1980年前後から開始された長期にわたる景観整備と結びついて,ツーリズムと結合させる産地振興が進んだ.波佐見町では,産地ブランドというよりもむしろ,独自の企業ブランドを確立した窯元による東京の消費者との直接的結びつきや,東京に本拠を置くプレミアム商品等開発企業との提携で従来の有田焼や波佐見焼のイメージとは全く異なる新商品開発生産に従事する企業などが,いずれも波佐見町中尾地区の景観と結びついてツーリズムの振興につながっている.三川内でも,産地組合が従来の機能を停止してツーリズムへと走りつつある. 4.おわりに 上に見た有田焼産地でのイノベーションのための試みは,各小産地の商品を小産地名で再生・復権あるいは普及させようとする動きへとつながっている.したがってかつての有田焼産地は,幕藩時代に形成された小産地へと分解する傾向にあるといえる.今後,有田焼産地は縮小を余儀なくされるであろうが,各小産地でのイノベーションへの努力によって,小産地は,あるいは企業単独でのブランドを確立した企業は存続する可能性が高い.
  • 東京大都市圏を中心として
    中澤 健史, 峰滝 和典
    セッションID: 316
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     情報サービス産業はソフトウェア産業、情報処理産業、インターネット関連産業等から構成される。これらに属する企業(以下、情報サービス関連企業とする)が取り扱う財は主として情報財であるため、地理的に離れた場所にある企業間でも容易に取引できるという性質を持つ。このような性質から、企業が人件費やオフィス賃料などに制約されず、立地が分散するのではないかと考えられていた。しかし、実際には特定地域に情報サービス関連企業が集積している。地理学の分野のおいても、ソフトウェア産業が東京都などの大都市に顕著に集積していることは、いくつかの研究により明らかにされている(矢部 2005)。 筆者らも東京都において情報サービス関連企業が特定の鉄道駅周辺に集積していることや、立地が駅に近い企業ほど企業間取引が活発であることを明らかにしてきた(中澤・峰滝 2009)。しかし、2007年以降の世界金融危機をはじめとする不況などにより、日本の情報サービス産業も急速に変化している。企業数についても、2007年に全国で6,000社を超えていた情報サービス関連企業は、2010年には5,359社に減少している(シィ産業研究所編 2010)。 本報告では、東京大都市圏を事例として、まず収集した情報サービス関連企業の本社、支社の位置情報をもとに、GISを用いて分布状況を把握する。その上で、2007年のデータと比較し、立地にどのような変化が生じているかを明らかにする。その上で、情報サービス関連企業の集積や立地に変化をもたらした要因や近年の立地動向について分析する。
  • ハリウッド映画とモントリオールのFXカルテルを事例に
    原 真志
    セッションID: 317
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は,ハリウッド映画プロジェクトが国境を越えたクラスター間関係でいかに実行されているのかを,カナダのモントリオールをベースとしたCG企業であるFXカルテル社を事例として検討することを目的とする.FXカルテル社は,ロサンゼルスとモントリオールのキーパーソンが中心となって設立され,ハリウッドからの要請に対して,プロジェクト毎にモントリオールを中心に適切な企業や個人を組織して規模や構成メンバーを変えて必要とされるVFXを提供するところに特徴がある.2009年9月にモントリオールで現地調査を実施し,VFXプロデューサーのCarole Bouchard氏、VFXスーパーバイザーのGunnar Hansen氏、さらに参加企業のキーパーソンに対してヒアリング調査を行った。全プロジェクトに参加したコアプレーヤーがある一方,プロジェクト毎によって参加・不参加が異なるプレーヤーがある.モントリオール立地のプレーヤーが中心ではあるが,それ以外の立地の企業も含まれる.ハリウッド映画がロサンゼルスから遠隔立地のCGベンダーを使う場合,中小のブティック企業や個人アーティストを参加させることは煩雑なマネジメント問題が発生し障壁が大きかった.FXカルテルは,そうしたプレーヤーをマネジメントするサービスをハリウッドとカナダのクラスターの間を取り持つ形で提供することで,困難を可能にしている.
  • 岡部 遊志
    セッションID: 318
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1,はじめに
     フランスではクラスター政策として2005年に「競争力の極」政策が開始され,現在71の極が設定され,国と地域圏(他の国での州)により運営されている.この中でも強力だとされているのがフランス南西部に位置する航空宇宙産業クラスター「アエロスパース・ヴァレー」である.ここではその背景にあるトゥールーズの産業と政策の実態について発表を行う.

    2,トゥールーズにおける航空宇宙産業集積
     トゥールーズは人口約40万人(都市圏人口110万人)を有するフランス南西部の都市であり,周辺地域の経済的,行政的な中心都市となっており,エアバスの生産拠点がある都市としても知られている.
     トゥールーズの成長は,航空機産業の発展と政府の地方分散政策によるものとされている.フランス政府はドイツからの侵攻に備え,ドイツ国境から最も離れたトゥールーズに軍用航空機の製造拠点を構築した.また,同じ時期にトゥールーズは航空郵便の拠点として栄えた.第2次世界大戦後は航空機生産の中心地として発展し,1970年代にはエアバスの本拠地がトゥールーズに置かれるなどした.また,1960年代の国土整備においてトゥールーズは地方分散政策の対象になり,ICT関連の工業や航空宇宙産業に関する大学校がパリから移転した.
     このような経緯を経て,現在,トゥールーズは,エアバスの生産拠点を有する航空産業の中心であるほか,国立宇宙センターやICT関連の企業も立地している.これらの地域経済への影響は大きく,トゥールーズが属するミディ・ピレネー地域圏の工業従事者数約15万人のうち,航空宇宙関連産業が約6万人,ICT産業は4万人を占める.
     これらの産業はトゥールーズとその周辺の自治体に多く立地しているが,航空産業は市の北西部,宇宙産業や研究機関は市の南東部に,産業ごとに集積している.

    3,クラスター政策の意義と課題
     アエロスパース・ヴァレーはトゥールーズを中心とし,ミディ・ピレネー,アキテーヌ両地域圏にまたがる航空宇宙産業に関するクラスターであり,300社以上の企業,約65,000人の雇用者を有する.
    この政策は,政府と地域圏が共同で遂行しており地方分権に適したものとされている.また,企業と研究機関が共同でプロジェクトを実行するプラットフォームを作ったこと,都市部だけではなく地域圏全体の発展を想定していることも特徴である.
     しかし,政策遂行における国の影響がいまだに強いこと,既に存在する生産システムをクラスターとして認定しただけであり,政策の効果が不明瞭なこと,中核となる企業が都市部に集中しており不均等な発展を助長する可能性があるといった課題もある.
  • 秦 洋二
    セッションID: 319
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
     近年流通業界においては,インターネットを利用した通信販売(ネット通販)が注目を集めている。総務省の通信利用動向調査によれば,我が国のインターネット人口普及率は1997年末には9.2%に過ぎなかったが,2009年末には78.0%となっており,過去最高に達している。このようなネット人口の増加を背景にますます注目が集まっているネット通販であるが,管見の限りでは,その空間特性に関する考察・研究が十分に蓄積されているとは言い難い。本研究の課題は,出版物ネット通販の流通システムの空間特性を考察することにある。事例としては大手取次会社であるX社が展開するネット通販サービスを取り上げる。日本の出版物流通は取次会社と呼ばれる企業を介して行われる点に特徴がある。一般に日本のネット書店の多くも,取次会社から商品を仕入れていると言われる。本研究では取次業界最大手に当たる企業であるX社が提供するネット通販サービスを事例として扱うことによって,いわゆるネット書店の流通システムが,実際の店舗を有する書店(リアル書店)のそれといかなる違いを持っているかを検討することを研究目的とする。リアル書店の物流システムにおいては,一般に共同配送と呼ばれる輸送方式が取られる。その理由は,荷量をまとめることで輸送効率を高めることや,新刊書籍や雑誌の早売りを規制することなどにある。早売りが規制の対象となるのは,出版物が一般に同一消費者による反復購入を期待しにくい商品であることによる。X社のネット通販サービスでは,商品の受け取り場所として,消費者の最寄り書店を指定することも可能であるが,商品の配送先が書店か消費者自身かに関わらず,既存の共同配送システムは用いられず,全国展開する宅配サービス業者に配送が委託されている。ネット書店はリアル書店と異なり,基本的に全ての商品が客からの注文(客注)後に出荷されることになるため,リアル書店よりも客注に対する即応性が要求される。また,ネット書店の場合,顧客が全国に分布しているという特徴もある。共同配送はシフトが固定化され,輸送範囲が限定されていることなどから,これらの問題を解決することが困難であった。このため,X社の書籍通販サービスでは商品配送に際し,既存の共同配送システムではなく,時間的,空間的によりフレキシブルな対応が可能な宅配業者による配送が選択されたと考えられる。
  • 中村 努
    セッションID: 320
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    _I_.はじめに
     EU諸国の政府は医療費償還額を減らすため、薬価を抑制する政策を採用している。そのため、医薬品の流通マージンは縮小しており、流通業者はより低コストで効率的に医薬品を配送することが求められている。
     EUにおいて、原則としてEU加盟国間の自由な医薬品の流通が認められている。一方、薬価制度をはじめとする医療制度は各国法に委ねられている。したがって、同じ医薬品であっても国によって価格差が生じる。流通業者は工場出荷価格の低い国から販売価格の高い国に医薬品を並行輸入することによって、より多くの流通マージンを得ようとする。しかし、製薬企業にとっては各国の需要の精確な予測ができない、本来得られた利益が喪失する、偽薬が紛れ込むといったリスクが生じる。そこで、製薬企業の中には、取引をする卸売業者の数を減らしたり、卸売業者を経由しない、いわゆる直販事業を開始したりすることで、流通過程を透明化するとともに利益を確保しようとするケースがみられる。一方、医薬品卸をはじめ、流通業者は直販モデルに対応するため、物流体制の再構築を進めている。
    そこで本発表では、欧州における医薬品流通の直販体制がどのように構築されてきたか、その結果として従来の取引関係や医薬品卸など流通業者の行動にどのような影響を与えたのか検討する。

    _II_.製薬企業による医薬品直販体制の構築
     従来、製薬企業が顧客ごとに割当量を指定するための法的根拠は存在しなかった。しかし、欧州裁判所は2004年、顧客ごとに割当量を実施できるとの判決を出した。これを機に、2007年3月のファイザーをはじめ、一部の大手製薬企業はイギリスを中心に取引卸数を制限するモデル(Selective distribution: SD)や、卸に所有権を移転しないままエージェント(Logistics service provider: LSP)として指定し、薬局に直販するモデル(Direct-to-pharmacy: DTP)を導入しつつある。
     たとえば、アストラゼネカは市場調査・コンサルタント会社であるIMS Healthのデータなどをもとに顧客である医薬品卸や薬局ごとに需要量を予測し、それを顧客ごとに割り当てている。これにより、国ごとに需要量や利益額の精確な予測に基づいて、卸・薬局マージンの縮小とともに他国への輸出を制限することに成功している。そして、並行貿易による損失額5.2億ドル/年の一部を縮小した。

    _III_.取引関係の変化と流通業者の行動変容
     直販は製薬企業が主導して流通経路を短絡化し、エージェントとして指定された流通業者が特定の製薬企業の製品を独占的に供給することを意味する。エージェントは配送専門業者であり、製品の所有権をもたないため、在庫リスクを負わない反面、利益率が低く配送効率化がいっそう求められる。医薬品卸は直販事業の契約を請け負うため、費用対効果の面でDHLやUPSなど他の流通業者との競争に勝たなければならない。欧州の医薬品卸は、プリホールセラーというメーカーの物流業務を代行する関連会社を傘下に収めており、医薬品卸による直販はこの会社が請け負っている。イギリスにおいて現在、ファイザー製品を直販しているアライアンス・ヘルスケアは、通常の卸経由品とファイザー製品とで配送体制を区別している。
     一方、直販モデルへの移行によって、これまで流通業者が負担していた在庫リスクを製薬企業と薬局で分担せざるを得なくなっている。製薬企業は利益率を向上すると同時に在庫リスクを軽減すべく、サプライチェーン全体の在庫水準と配送頻度を低下させる傾向がある。その結果、割引率の低下、発注締切時間の短縮、リードタイムの延長、在庫不足といったサービスの低下が一部の薬局においてみられるという。また、薬局の得られる割引率は低下する一方、直販実施の製薬企業から製品を仕入れられずに品揃えが限定される医薬品卸もある。並行輸出国として知られるギリシャでは、医薬品卸7社が直販を実施したアストラゼネカの製品が届かないという理由で同社を提訴した。 競争原理を決めるEU法、価格メカニズムを規定する各国法という複数の制度の混在が、製薬企業の流通政策を多様化させ、流通業者の行動変容を伴いながら複雑な医薬品流通システムを形成している。
  • クリエイターの流動性とネットワークの視点から
    古川 智史
    セッションID: 321
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     広告産業は,デザインやイメージの創造,文化的生産物の経済的な利用などの活動を伴うことから,デザイン集約型,イノベーション集約型産業の1つであるとされる(Asheim et al. 2007).海外の広告産業に関する研究では,労働市場の流動性がイノベーションを拡散させ(Thiel 2005),同業者間での評価(peer regards)が活発に行われ(Pratt 2006),さらに集積内の高密度なネットワークを通じて情報が流通する点(Mould and Joel 2010)などが指摘される.
     そこで,本研究は,東京都23区の広告制作会社とクリエイターを事例に,労働市場の流動性とネットワークの実態から,広告産業の特性を検討する.具体的には,クリエイターの転職履歴,制作会社の雇用に関する経営方針,クリエイター間での結びつきの類型,交流に対する認識などを分析する.
     調査は,社団法人日本広告制作協会東京地区会員企業82社と会員企業に所属するクリエイターを対象に,2010年6月から9月にかけて実施した.まず,企業向けアンケート票を,会員企業82社に送付し,28社(回収率34.1%)から回答を得た.また,クリエイター向けのアンケートに関しては,1社当たり5部ずつ,合計410人分配布し,100名(同24.4%)から回答を得た.さらにアンケート回答者の中から,経営者ないし役員14名,クリエイター18名にヒアリング調査を実施した.
    2.アンケート回答者の属性
     アンケート回答者の年齢は,20代が32.3%,30代が37.4%を占める.就業地は,中央区23人,千代田区25人,港区26人,渋谷区20人であった.雇用形態に関しては,92.0%のクリエイターが正社員として雇用されている.職種については,デザイナー31人,アートディレクター30人,コピーライター17人から回答があり,この3職種の合計は総回答数の78.0%となる.
    3.分析の概要
    (1)クリエイターの転職
     クリエイターは転職を契機として,東京都心部を中心に移動している(図1).アンケートの転職履歴データによれば,20代のクリエイターのうち転職経験者は28.1%であるのに対し,30代は62.2%,40代は81.0%であることから,年齢が上がるにつれ転職経験者の割合が増加する.また,転職回数も増加することが明らかとなった.
     クリエイターが転職をする主な動機は,クリエイター自身のステップアップを目的としたものである.転職に関する情報も,転職情報を提供するサイトだけでなく,知人・友人などを介して入手することも明らかとなった.
     広告制作会社の雇用に関する経営方針は,クリエイターの定着よりも入替という方針が若干上回る.ヒアリング調査によれば,クリエイターを入替えることに関して,新しい発想が期待される一方で,クリエイターが持つクリエイティブな力や社内で培ってきたノウハウの流出,クライアントとの信頼関係の喪失などが危惧された.
    (2)クリエイター間の結びつき
     クリエイター間の結びつきは,取引・仕事を通じた結びつき,前の会社の同僚,会社内の結びつき,大学・専門学校時のつながりの4つに大別される.クリエイター間の結びつきが形成される契機として最も多いのは「同業の知人・友人による紹介」であった.しかし,「クリエイター間の結びつきは活発でない」という指摘もなされている.
     実際に,他のクリエイターと高頻度に接触する回答者がいる一方,接触頻度が低い回答者も存在することから,実際の交流は2極化している.また,クリエイター間の結びつき・交流に対する認識に関しては,「刺激を受ける」「視野を広げる」という理由から同業者同士の交流に積極的な回答者がいる一方で,自ら結びつきを形成する意識が弱く,また同業者間の結びつきを避けるなど,消極的な回答者も存在した.経営者の中にも,情報管理の点から消極的な見解を示す場合がみられた.
     本発表では,より詳細なデータをもとに,広告産業の労働市場における流動性とネットワークの実態を検討する.
  • 小泉 諒
    セッションID: 322
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    バブル経済崩壊以降の長期にわたる不況と地価下落は,東京大都市圏の外延的な拡大を変化させた.とりわけ都心部では,地価下落にと土地供給によって住宅供給がみられ,人口の「都心回帰」として注目された.また,バブル経済崩壊後の東京大都市圏における職業構成の空間的パターンを分析した小泉(2010)では,従来はセクター状とされる分布が都区部と郊外で異なることと,ホワイトカラー人口が都心部での大幅な増加と,区部北西部における減少を指摘した. しかし,それらの要因は明らかにされておらず,職業構成の変化が人口動態からも示される必要がある.
  • -超高層マンションの供給と居住者に着目して-
    久保 倫子, 小泉 諒, 西山 弘泰, 久木元 美琴, 川口 太郎
    セッションID: 323
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1. 研究課題 1990年代後半以降,都市中心部においてマンション供給が増加し,都市の居住地域構造が変化してきた。特に,2000年代には東京都区部を中心に超高層マンションの供給が増加し,単独世帯や夫婦のみ世帯などの小規模世帯だけでなく,夫婦と子からなる核家族世帯による都心周辺部での住宅購入が容易になった。本研究は,1990年代後半以降の東京大都市圏におけるマンション供給の進展過程を,特に超高層マンションの供給に着目して分析する。さらに,超高層マンションの供給が顕著である江東区豊洲地区におけるマンション供給の特性と購入者の比較物件の分析から,東京大都市圏におけるマンション供給構造の変容を議論にする。  江東区豊洲地区におけるアンケート調査は,2009年10月に1934世帯に配布し,306世帯から回答を得た(15.8%)。インタビュー調査は,アンケート回答者のうち32世帯に対して2010年5~6月に実施した。 2.東京大都市圏におけるマンション供給の変遷  不動産経済研究所「全国マンション市場動向」によると,東京大都市圏におけるマンション供給戸数は,1999年から2004年に増加,その後減少している。1998年までは80_m2_以上のマンションは周辺県でのみ確認されたものの,2005年以降(図)は,超高層マンションの供給が増加したことの影響を受けて東京都区部内においても確認できるようになった。同研究所「新規マンション・データ・ニュース(2010.4.7.)」によると,超高層マンションの供給は,2000年以降増加してきた。2010年3月末現在,2010年度以降に完成を予定している超高層マンションは345棟(113,782戸)であり,その約50%を東京23区内の物件が占めている。東京大都市圏における2000年代以降のマンション供給の変遷を明らかにするためには,超高層マンションの開発が著しい豊洲地区における事例を検証する意義は大きいと考える。 3.豊洲地区におけるマンション開発と購入世帯 江東区豊洲地区においては,三井不動産などが商業施設と一体化した超高層マンション群の供給を行ったが,これらには多様な価格帯や間取りの物件が含まれた。居住地選択の過程では,多くの居住者がインターネットを利用し,東京都心部および東京湾岸部において同時期に販売された超高層マンションと比較している例が多くみられた。
  • 東京都江東区豊洲地区を事例として
    久木元 美琴, 西山 弘泰, 小泉 諒, 久保 倫子, 川口 太郎
    セッションID: 324
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    近年,大都市都心部での多様な世帯を対象としたマンション開発にともない,子育て世帯の都心居住や都心部での保育所待機児童問題が注目を集めている.都心居住は職住近接を可能にするため,女性の就業継続における時空間的制約を軽減する一方で,都心部では急増した保育ニーズへの対応が追い付いていない.そこで,本研究は,都心湾岸部に居住する子育て世帯の就業・保育の実態とそれを可能にする地域的条件を明らかにする.発表者はこれまで,豊洲地区における民間保育サービスの参入実態を明らかにしてきた.本発表では,共働き子育て世帯の属性や就業状況,保育サービス利用の実態を検討する.
    調査方法としては,豊洲地区の保育所に子どもを預ける保護者を対象に,2010年11月にアンケート調査を実施した.豊洲地区に立地する13保育所のうち,協力を得た7保育所(認可5施設,認証2施設)において,施設を通じて配布し郵送にて回収した.総配布数659,総回答数207(31.4%),有効回答数203(30.8%)であった.このうち,豊洲1~5丁目在住の170世帯を抽出し分析対象とした.
     結果は以下のとおりである.全体の9割が2005年以降に現住居に入居した集合住宅(持家)の核家族世帯で,親族世帯は4世帯と少ない.世帯年収1000万円以上,夫の勤務先の従業員規模500人以上が7割程度と,世帯階層は総じて高い.また,夫婦ともに企業等の常勤や公務員といった比較的安定した雇用形態で(70.0%),ホワイトカラー職に就く世帯が全体の過半数を占める.さらに,夫婦の勤務先は都心3区が最も多く,それ以外の世帯の多くも山手線沿線の30分圏内と,職住近接を実現している.
     ただし,帰宅時間には夫婦で差がある.普段の妻の帰宅時間は19時以前が147回答中141で,残業時でも20時以前に帰宅する者が多い.他方,夫は残業時に20時以前に帰宅する者は少数で,23時以降が最も多い.残業頻度が週3日以上の妻は約2割である一方で,夫は半数近くが週3日以上の残業をしている.
    また,回答者の約6割が待機期間を経て現在の保育所に入所している.待機中の保育を両親等の親族サポートに頼った者は4世帯に過ぎず,妻の育児休業延長や,地域内外の認可外保育所や認証保育所などの民間サービスによって対応していた.予備的に行った聞き取り調査では「確実に認可保育所に入れるために,民間の保育所に入園した実績を作っておく」という共働き妻の「戦略」も聞かれた.さらに,妻の9割近くが育児休業を,約8割が短時間勤務を利用している.妻の過半数は従業員500人以上の企業に勤務しており,育児休業取得可能期間が長く短時間勤務の利用頻度も高い傾向にあるなど,充実した子育て支援制度の恩恵を享受している.
    以上のように,本調査対象の子育て世帯は,夫婦共に大企業に勤務するホワイトカラー正規職が多く,職住近接を実現している.特に,充実した子育て支援制度や,民間保育所を利用し認可保育所に確実に入所させるといった戦略によって,就業継続を可能にしている.ただし,妻の働き方は必ずしもキャリア志向ではないことが特徴的である.
    また,回答者の過半数が現在の保育所に入所する前に待機期間を経験し,待機期間には妻の育児休業の延期や民間サービスの利用で対応している.この背景には,当該地区における豊富なニーズを見越した民間サービスの参入があると同時に,これらの子育て世帯が認可保育所に比較して一般に高額な民間保育所の保育料を支払うことのできる高階層の世帯であることが示されている.
  • 東京大都市圏を事例として
    佐藤 英人, 中澤 高志, 川口 太郎
    セッションID: 325
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     本発表の目的は裁判所の公示に基づく競売物件情報を手掛かりにして、郊外住宅地をめぐる新たな問題点を提起することである。2007年にアメリカ合衆国を発端としたサブプライムローン問題では、家計の債務不履行(デフォルト)が住宅ローンを不良債権化させ、世界的な金融危機に発展した。住宅ローンの貸し倒れリスクを回避するために、金融機関が滞納者の資産を差し押さえた結果、念願のマイホームを手放さざるを得ないという問題に直面している。
     わが国でも景気回復のカンフル剤として、民間金融機関や住宅金融支援機構などが、低金利ローンや頭金不要の貸し付けを設定し、従来、融資対象外であった所得層に対しても幅広く融資を行った(才田2003)。その結果、長期にわたる構造不況と相まって、住宅ローンの返済が重く圧し掛かる家計は少なくない。一億総中流の中核地であり住宅双六の「あがり」と称されてきた大都市圏の郊外住宅地は、いまや「あがり」ではなく、終の棲家として購入したはずの持家住宅からやむを得ず居を移すという、消極的な転居が惹起されよう。そこで本発表では、これまで着目されてことなかった競売物件の空間的な特性を考察して郊外住宅地の新たな問題点を提起する。

    2.データ
     本発表ではBITシステム(Broadcast Information of Tri-set System)で公開されている物件明細書、現況調査報告書、評価書の概要データを用いる。このデータは全国の裁判所(ただし一部を除く)で公示された競売物件の概要(所在地、用途、土地面積、建蔽率、容積率、家屋面積、築年数、評価額等)を過去3年間にわたって把握することができる。なお、2010年1月から12月までの競売物件数は、戸建住宅が6,035件、集合住宅が4,880件であった。

    3.結果
     全国の新受民事総数に対する競売件数の割合は2003年以降、拡大傾向にあり、金融機関等が住宅ローンの不良債権を競売で処理する動きを強めているとみられる(図1)。
     直近2010年の状況を一都三県の裁判所別に考察すると、戸建住宅では千葉地裁本庁が2,398件(29.3%)、集合住宅では東京地裁本庁が1,611件(33.0%)とそれぞれ最も多い。特に戸建住宅の競売物件は、千葉県八街市や山武市、富里市、埼玉県久喜市、加須市、本庄市など、概ね都心から40Km以遠の外部郊外に集中している。つまり、人口の郊外化が顕著であったバブル経済期前後に開発された外部郊外の住宅地に競売物件が多いという傾向が認められる。
  • 西山 弘泰
    セッションID: 326
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 戦後,我が国の大都市圏の都市化は,農地や山林を無秩序に開発するスプロールによって進められてきた.その主な担い手とされているのは,1955年に創設された日本住宅公団や高度経済成長期後半に急成長を遂げた大手不動産資本で,素地の安価な山林や丘陵地をその資金力をもって造成し,大規模かつ整然とした住宅地を開発していった.しかし,大都市圏の市街地は街路や区画が不整合で,様々な用途から構成された住宅地も多くみられる.これらの割合を数値で示すことは非常に困難ではあるが,都心から10 km以遠では,成熟した市街地の中に農地が混在している光景をみることができ,それはより郊外において顕著である.こうした農地が郊外の各所で散見されるのは,個々の農家やその他の地主がそれぞれの合理的判断の下に土地を少しずつ転用または売却した結果であると考えられる.農家の農地転用に関する研究は,都市化が急激に進んだ1970年代や生産緑地法改正の議論が活発化した1990年前後に多く取り組まれている.しかし,2000年以降,そうした成果は管見の限りでは存在しない.そこで本研究では,首都圏郊外における小規模開発住宅地における農家の土地所有や売却行動から小規模開発住宅地が形成された要因を明らかにする. 2.調査概要  本研究では埼玉県富士見市関沢2丁目(以下,関沢地区)を事例地域とした.関沢地区は富士見市の西端に位置し,東京都心から30km圏である.最寄り駅は東武東上線鶴瀬駅であり,当駅へは徒歩4分から11分の距離にある.関沢地区は1970年前後を中心とした小規模開発によって急速に都市化した地域であるが,現在でも農地や駐車場など利用した虫食い状の開発が続いている.不整合・狭隘な道路に狭小な戸建が並び,その中にアパートや商店,駐車場,農地,林地などが混在していて,無計画な開発によって形成された住宅地の典型ともいえる. 土地所有の変遷を確認するために土地課税台帳を利用した.これは富士見市税務課が固定資産税の徴収のために土地登記簿を転記したものである.よって1930年頃から現在までの関沢地区の全土地所有者を把握することができる.関沢地区には2010年8月時点で2,584筆の登記が確認できた.本研究では関沢地区において都市化がはじまる以前の1960年から2010年8月までのすべての登記情報を対象に分析を行った. 3.結果と考察  1960年の対象地域は都市的土地利用がみられず,関沢地区の総面積約23haのうち9割が農家の所有で,その多くが農地であった.1960年の所有者数は107名で,うち農家であると考えられるのは89名であった.このことからも,対象地域は非常に多くの農家によって所有され,一農家あたりの所有規模は平均2反程度であった.また所有の分布をみてみると,比較的広い農地をまとめて所有している農家はわずかであった.さらに,1960年頃の関沢地区は農家の家屋が数軒程度しかなく,所有者は対象地域の周辺を中心として,東西3kmの間に広く分布していることがわかった.以上のように,対象地域の土地所有から対象地域が耕地として機能していたこと,土地所有者が多かったことなどが,土地の小規模な売却を招き,結果として小規模開発が行われていったと考えられる.  関沢地区の住宅地開発のピークは1960年代後半である.その要因は都市計画法の改正や当地域がこの時期に都市化の最前線であったことなども指摘できる.一方でミクロな要因としては農家の起業,すなわち貸家,貸事務所・店舗,ゴルフ練習場,転職資金など事業用資金の確保が主な目的であった.こうした行動の背景には,起業や事業拡大を積極的に勧め,開発用地の確保を目論む東上線沿線の不動産ブローカーや地元の中小開発業者などの関与が指摘できる.その後,農家の土地売却は減少するものの,固定資産税対策のための駐車場や賃貸共同住宅の建設や相続など,農地転用は個々の農家の判断により継続されていく.  以上のように現在の対象地域の雑然とした景観は,当地域の土地所有形態が素地となったものの,個々の農家の判断,不動産業者の存在,法制度などさまざまな要因がその時々に折り重なった末の結果である.発表当日は,個々の農家のインタビュー結果も合わせて議論を進めたい.
  • 塩崎 大輔, 橋本 雄一
    セッションID: 327
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに  わが国では高度経済成長期以降、都市部への人口流入と経済的発展を背景として、都市とその周辺で多くの宅地開発が行われてきた。特にバブル期には経済的要因から、全国的に都市開発が活発化し、またマクロスケールでは大都市圏から非大都市圏へ、ミクロスケールでは地方中核都市とその周辺に開発が集中する傾向が明らかにされている。しかし、これまでこういった全国的な都市開発の動向と地方における都市開発の詳細な動向が比較・考察されることは少なかった。本研究の目的は、全国の動向を背景に、地方の都市における開発行為の時系列変化を明らかにすることである。 2. 研究方法  まず都市計画法に基づき、開発事業主から札幌市に申請された開発行為が全て記載されてある『開発許可申請登録簿』のデータ(計2285件)を整理する。そのデータを基に(1)札幌市における開発行為の時系列変化を分析し、事業件数と推移から開発行為の動向を把握するとともに、先行研究によって論じられた全国の都市開発の動向と比較・考察を行う。(2)札幌市市街化区域内において、開発行為の分布を分析し、札幌市における都市開発の時系列変化を明らかにする。(3)札幌市において行われた開発行為を事業主別に分類する。そして開発行為を本州資本の企業と、道内資本の企業とに分類し、その分布及び開発規模の時系列変化を分析することによって、本州資本の企業の企業が地方の都市開発に及ぼす影響を明らかにする。 3. 研究結果  本研究の結果は以下の通りである。(1)札幌市における開発行為の件数及び面積は、1980~1986年に減少し、1987~1994年に増加傾向に転じる。そして1995年から再び減少傾向転じ、全国の都市開発の動向と同様の傾向を示した。(2)全国の都市開発は3大都市圏から非大都市圏へ開発が移動するのに数年のタイムラグがあったが、地方中核都市では、3大都市圏とほぼ同時期に開発が集中していた。(3)札幌市市街化区域内ではバブル景気の影響を受け、開発行為が都市域全体に広がっていった。その後バブル経済の崩壊から約5年後に、開発行為が拡大から縮小に転じ、2000年代に入るといわゆる都心部での開発が見られるようになった。(4)本州資本の企業が郊外地域において大規模開発行為を行い、開発が行われた地域の道路区画やインフラの整備が整う。そこに道内企業の中・小規模開発が集中する傾向が見られた。(5)本州資本の企業は好景気時に札幌市において開発行為を行うが、不況期には地方における開発を控えるといった傾向が明らかとなった。またバブル経済の崩壊後、本州資本の企業のうち宅地開発を中心とする企業は継続的に開発行為を行うが、商業ビルなどを手掛ける企業は開発許可申請の間隔が10年以上開くようになった。道内資本の企業はバブル経済の崩壊後も継続的に開発行為を続けており、バブル経済期よりも開発面積を増加させている企業も見られた。  以上のように本研究では、開発許可制度を利用することで、地方における開発行為の詳細な時系列変化を明らかにした。また全国の都市開発の動向と併せて、地方の都市開発を考察した。
  • 富山市婦中地区を事例として
    秋元 菜摘
    セッションID: 328
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     I 研究の背景
     環境問題や高齢社会を背景に,持続可能な都市が求められる中,郊外住宅の高齢化による生活環境水準の低下も懸念されている.持続可能な都市モデルとして1990年代に欧州で提案されたコンパクトシティ構想があるが,現在では日本で地方自治体の都市政策に取り入れられつつある.一般的なコンパクトシティは一極集中型であるが,富山市では郊外を視野に入れたクラスター型の都市構造を提案しており(「富山市都市マスタープラン」 2008),本研究では今後の郊外の生活環境を考察するため,富山市婦中地区で生活関連施設へのアクセシビリティを分析する(関根 1993).
     II 分析方法
     コンパクト化の効果はアクセシビリティの向上をもって確認できると考えられるが,現段階ではコンパクトな状態は実現されておらず,人口移住シナリオ(居住推進地区へ人口の25・50・75・100%を移住)と公共交通シナリオ(バス平均待ち時間を現状の1/2・1/5・1/10に短縮;バスの待ち時間を5分としたシナリオも追加)を設定してシミュレーションを行う.施設は都心,総合病院,大型小売店,スーパーマーケットを取上げ,徒歩・自転車・自動車・バス移動を想定した.
     日常生活のアクセシビリティ測定には道路距離(「数値地図2500」 2006)に基づく時間距離が適するが,さらに「NHK国民生活時間調査」(NHK放送文化研究所 2005)を用いて活動時刻を考慮した.また,アクセシビリティは居住者にとって意味を持つ必要があるため,2005年国勢調査の1/2メッシュを基本の空間単位として施設への時間距離を測定し,さらに人口を勘案して評価を行う.なお,分析にはESRI ArcGIS9.3 Network Analystを用いた.
     III コンパクトシティ構想と生活環境
     施設周辺ではアクセシビリティは良好であり,都心以外の施設にはバスよりも自転車の利便性が高い.交通シナリオを強化しても,バスによる地域内のアクセシビリティ分布に大きな改善はみられず,大部分の地区は施設へのアクセスに30分以上を要する.また,都心部以外には自動車では約10分でアクセスでき,改めて自動車の優位性が示された.
     所要時間について累積人口でみたアクセシビリティは,基本的に両シナリオの強化に伴い上昇する.人口の90・95%がアクセシビリティを享受できる水準でみても時間短縮の効果は確認できたが,その効果は概して人口移住シナリオで大きく,公共交通シナリオでは小さい.シナリオの強化とアクセシビリティの向上の関係は,人口や施設の立地分布に起因すると考えられる.特に,人口移住シナリオにおいて高齢者の大型小売店とスーパーマーケットへのアクセシビリティに顕著な改善が見られたが,それら施設は居住推進地区周辺に立地しており,さらに高齢者はそこから離れた周辺部に比較的多く居住していることが影響しているであろう.
     富山市のクラスター型コンパクトシティ構想を想定したシナリオによる分析から,コンパクトシティ化によって生活関連施設へのアクセシビリティは向上することが確認された.ただし,郊外地域における高齢者の生活利便性を確保するためには有効であるが,人口全体としてはコンパクト化の効果は小さく,環境問題への対応としては十分でない可能性がある.
     参考文献: 関根智子 1993. 生活の質と生活環境に関する地理学的研究―その成果と展望―. 経済地理学年報39(3): 27-44.
  • 藤塚 吉浩
    セッションID: 329
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     本研究では、世界的文献検索ツールであるスコーパスにおいて、題目、または、キーワード、要旨にジェントリフィケーションが含まれる論文数の推移について調べた(図1)。スコーパスでは、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などの欧米系言語の論文だけでなく、『地理学評論』や『人文地理』のように英語の題目・キーワード・要旨のある各国語の論文が収録されている。スコーパスの検索(2011年1月18日閲覧)では、ジェントリフィケーションに関する論文の総数は800本を超えた。景気後退によりジェントリフィケーションの失速した1990年代半ばには論文数は減少したが、21世紀に入りジェントリフィケーション研究は急増している。
     21世紀のジェントリフィケーション研究の増加について、論文の掲載雑誌の学問分野のうち、論文数が10本以上のものを分析した(図2)。ジェントリフィケーション研究は地理学が中心的な学問分野であるが、21世紀になると都市学における研究論文が大きく増加した。都市学の学術雑誌とは、Urban StudiesやInternational Journal of Urban and Regional Research、Urban Affairs Reviewなどである。21世紀の都市学におけるジェントリフィケーション研究の論文数が多いのは、2002年9月にグラスゴー大学都市学部により「近隣上向化の軌跡―新世紀のジェントリフィケーション―」のワークショップが開かれ、16ヶ国の様々な専門分野の研究者によって議論されたが、その一部が2003年にUrban Studiesの特集号として掲載され、都市学における研究をさらに進展させたためである。
     21世紀のジェントリフィケーション研究の論文数は、地理学が119本、都市学が120本と拮抗しているが、題目にジェントリフィケーションの含まれる論文数では、地理学が58本、都市学が77本である。題目にジェントリフィケーションを含まない地理学の論文では、住宅やジェンダー、景観に関するものが多い。これらは、都市地理学の研究動向を分析した阿部(2007)の観点では、「都市で」ジェントリフィケーションに関連して研究したものである。題目にジェントリフィケーションを含まない都市学の論文では、再開発やソシアルミックス、階級など、「都市を」研究するものが大半である。
     題目にジェントリフィケーションを含む地理学の論文では、ジェントリフィケーションの現象の変質や、旧社会主義国や新興工業国の都市といった発現地の世界的拡大、1990年代の景気後退後に積極的に推進された先進資本主義国の都市再生などに関して研究されている。
     現象の変質については、ジェントリフィケーションの循環的発現から分析されるとともに、近年では新建設のジェントリフィケーションが注目される。新建設のジェントリフィケーションは、工場跡地や放棄された土地、住宅以外の建物が取り壊されたところに新たに建設されたものであるため、居住者の立ち退きは伴わず、侵入と遷移の観点には適合しない。新建設のジェントリフィケーションとは、デビットソン・リーズ(2005)によれば、資本の再投資と高所得者による地域の社会的上向化、景観の変化、低所得の周辺住民の直接的・間接的な立ち退きを伴うものである。
     ジェントリフィケーションの発現地は、上記の工場跡地や商業地、郊外、さらには村落にまで拡大している。本報告では、現象の変質とともに拡大してきたジェントリフィケーション研究のフロンティアについて考察する。
  • インナーシティの衰退とアイデンティティ・ポリティクス
    原口 剛
    セッションID: 330
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本研究の対象地域 本研究の対象地域は、大阪のインナーシティの一角、大阪市西成区北東部に位置する簡易宿所街・釜ヶ崎である。釜ヶ崎は簡易宿所街であると同時に日雇労働市場・寄せ場であり、東京の山谷、横浜の寿町、名古屋の笹島と並ぶ「四大寄せ場」として知られてきた。また、釜ヶ崎の簡易宿所に居住する日雇労働者は、港湾運送業や建設業といった国内の基幹産業に従事してきた。しかしながら1990年代以降、釜ヶ崎における日雇労働の求人は急激に減少を始め、恒久的に職を失い簡易宿所の宿賃を支払えなくなった日雇労働者が野宿生活を余儀なくされるという事態が大規模に生じた。こうして釜ヶ崎は、「ホームレス問題」が集中的にあらわれる地域として社会的な注目を集めるようになった。脱工業化や経済のグローバル化によってインナーシティが衰退するという現象は世界各都市でみられるが、釜ヶ崎の労働市場の縮小は、これを典型的に示す事例だといえるだろう。 釜ヶ崎という地名  上記のような地域の衰退という事態を受け、日雇労働者の集住を基盤として形成された社会関係や文化もまた、大きく変容しようとしている。本研究では、このような文化的・社会的変容を明らかにするために、釜ヶ崎という地名に着目する。  釜ヶ崎という地名は、地図に記載されるような公的な地名ではない。元来小字名として存在していた「釜ヶ崎」は、1922年に町名が改正されることによって公的な地図記載からは抹消された。しかしながら、当地に位置する簡易宿所街を名指す通称として、その後も「釜ヶ崎」という名は使用され続けた。  1961年8月に勃発した第1次暴動は、「釜ヶ崎暴動」あるいは「西成暴動」としてマスメディアによって全国的に報じられ、現在までつづくネガティブなイメージ(たとえば「こわいところ」)が「釜ヶ崎」に対して付与された。これを受け、大阪市・府行政はこの地域を「あいりん」という名で再命名し、マスメディアや行政文書では当地域は「あいりん」という名で名指されるようになった。 このような過程の帰結として、当地域には「釜ヶ崎」「あいりん」という二つの通称が付与されたことになった。これら二つの地名のうちどれを使用するかという選択は、主体が置かれたポジショナリティと密接に関連している。すなわち、地域内においては、日雇労働者や労働運動体が「釜ヶ崎」という用語を使用するのに対し、町会や商店会等はそのネガティブなイメージゆえに「釜ヶ崎」を忌避し、「あいりん」を使用する。「釜ヶ崎」という地名は、このような地域内の対立関係のなかで再生産されてきたのである。 本研究の目的  しかしながら、労働市場の縮小が顕著になり地域が衰退するなかで、このような地名の再生産構造は大きく変容しようとしている。本研究では、当地域を再命名し地域アイデンティティを再構築ようとするいくつかの試みを取り上げて、当地域の文化的変容を記述することを試みる。そのことによって、インナーシティの衰退という経済的事象とアイデンティティ・ポリティクスという文化的事象の相互関係を考察する。
  • -河南省鶴壁市の事例-
    殷 冠文
    セッションID: 401
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
    都市化の原動力について,西洋諸国におけるこれまでの研究は,ほとんどが経済的メカニズムの分析を重視したもので,一般的に,工業化と第三次産業の発展が人口の増加と都市の成長をもたらしたと考えられてきた.しかし,西洋と比較すると,中国の都市化の特徴は,中央・地方政府が主導的な役割を果たしている点にある.1970年代までは,中央政府が国家的政策によって中国の都市人口や都市の数・形態・分布を制御していた.1980年代になると,改革開放政策により,沿海地域を中心として,郷鎮企業や外資系企業などが都市化に影響を与え始めたが,中央政府は依然として有力な統治者であった.さらに,1990年代になると,分権化政策によって,地方自治体の都市化に果たす役割の重要性が高まり,今日では特に内陸都市においてそれがより一層顕著に表れている.本研究では中国河南省の鶴壁市を事例として,この「地方自治体主導による都市化」過程において地方自治体が果たす役割を検討した.
    2.対象地域―鶴壁市の都市化過程
    鶴壁市は河南省の北部に位置している内陸都市で,石炭業を中心にしている.1950年代に,中央政府は石炭を採掘するために,鶴壁市を築き,労働者および家族を移動させた.鉱区の拡張によって,都市も拡大し,鶴壁の二つの旧区を形成した.1990年代に,経済発展を促進するために,鶴壁市政府は旧区から20キロ離れた農村部に新区の建設を決定し,地方自治体主導による都市開発を始めた.
    3.地方自治体主導による都市化-そのメカニズム
    新区の建設において,地方自治体は用地取得,インフラ建設,人口移動,企業誘致などの広範囲にわたって主導的役割を果たしている.その過程は次のようであった._丸1_市政府は新区計画を作成し,新区建設担当組織を設立し,河南省政府の許可を申請した._丸2_市政府が土地の賃貸料と融資によって得た資金を財源として,新区のインフラ建設を進めた._丸3_テレビ広告により,都市イメージを宣伝し,役人,市民,企業に対する企業誘致政策を展開した._丸4_新区の建設と人口移動を促進するために,公共機関を新区へ移動させた._丸5_市政府は市職員に対して住宅建設を促進するよう伝達し,資金を融資して建設を支えた.こうして,鉱害で陥没した地区の住民とスラムの住民のための団地が,新区に建設された.
    4.地方自治体主導による都市化-その効果
    以上のように,鶴壁市では,市政府が土地を収用し,インフラを建設して,新たな都市的景観を創出し,さらに諸政策を通じて人口と産業の集積を進めた.このような開発モデルの下で,都市面積が急増し,都市イメージと居住環境が改善された.他方で,旧区の衰退と新区と旧区の居住分化がもたらされた.さらに,新区の非石炭産業がある程度発展したが,その生産額は,旧区に比べると規模が小さい.将来的にこのような開発モデルが持続できるかどうかは,新区の産業発展にかかっている.
    5.おわりに
    鶴壁市の事例は,以前の中央政府主導による工業を主体とした「制限的都市化」政策と比べ,地方自治体が企業誘致と経済成長の促進のために,都市化を直接主導したアクターとして,都市面積を拡大し,都市景観を創出し,都市イメージを改善し,都市化の積極的推進者になった事を示している.
  • 方 大年
    セッションID: 402
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    _I_ 目的 本研究は、中国における都市内部構造の特性を追究するものであるが、特に都市を変貌させる土地制度の転換に着目し、建国以降における土地制度の転換による、都市内部構造の変貌を明らかにすることを目的とする。研究事例として、近年都市変貌の著しい中国東北地方の長春市を取り上げる。 _II_ 研究方法  統計、年鑑などの資料に基づき、中国・長春市における計画経済期と改革開放以降の土地制度の転換による都市内部構造の変貌を明らかにして比較する。 _III_ 結果 1.計画経済の実施に伴う土地制度の転換による都市内部構造の変貌  計画経済の実施に伴う制度の転換は、国家による強制的な制度施行により都市を発展させた。具体的には中国建国後、当時の国際環境により重工業を発展させるという国家戦略が立てられ、これを推し進めるために国家と行政が土地制度、「単位」制度、資源高度集中配置制度、都市計画制度、中華人民共和国戸籍登記条例など様々な政策を駆使し、工業建設のために資金を蓄積し、国家高度集中資源配置体制の下で、長春市は工業都市として大きく発展したのである。  計画経済期における長春市の都市内部構造は、満州時代の都市内部構造を基盤としてさらに発展したものである。都市発展のプロセスの中で、工場建設(第一自動車工場・ディーゼルエンジン工場など)や学校建設(吉林大学・吉林工業大学など)を第一に、その周辺に居住地区が建設され、さらに、交通の利便性が向上した地域に公共施設が集中して建設された。つまり、計画経済期の長春市の都市発展は、企業と高等教育機関が主体となったものであり、都市空間の形成は企業・大学・関連施設の建設経緯と設立の順番により展開された。 2.改革開放に伴う土地制度の転換による都市内部構造の変貌 改革開放以降、土地の使用権は売買可能となった。1990年5月19日、国務院は『城鎮国有地使用権譲渡にかかる暫定条例』を公表し、土地使用と譲渡制度を確立した。この制度は土地売買のマーケットを作り出し、中国の土地制度改革を推進したが、長春市国土資源管理局は、市街地における商業、住宅、工業の三つの地価を、基準地価と最低地価に分けて公表して売買を行ったため、長春市の都市内部構造は大きく変化した。 また、長春市行政当局が地価を公表して売買を行ったため、都市の中心部の地価が上昇し都市周辺部の地価との間に大きな価額差拡大が見られるようになり、大学地域・工業地域などは都市中心部における発展が制限され、都市周辺部の交通利便性の高い場所に移転するようになった。これは、大学及び都市周辺部の開発区が連携して、都市のマスタープランに添って街を発展させようとしたためである。一方、都市の産業構造も第二次産業から第三次産業へと大きく変化し、高い地価を持つ都市中心部は、商業地域と住宅地域が占拠し、商業中心地について単一の中心地から多核心型中心地への変化が見られた。 _IV_ 結論  中国における都市内部構造の変化は、社会・政治・経済状況の変化に伴う国の発展戦略の変更に伴い土地制度の転換が行われ、都市の内部構造に大きく影響を与えている。 改革開放以前は、国際環境により重工業中心の発展戦略が取られ、それに合わせて制度が作られており(国家政策と都市政策)、このような制度は国や行政当局からの命令であり強制的であった。その結果、長春市においては重工業を中心とした産業構造が形成された。 改革開放以降は、市場経済の導入によって市場経済体制が確立したが、従来の制度自体の有効性や適応力が弱まったため、政府は都市地価をコントロールせざるを得なくなり、都市内部構造が大きく変化した。
  • 伝統的住宅と商業の混在に着目して
    香川 貴志
    セッションID: 403
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     上海市の都心3区の一つである芦湾区の田子坊において、区政府の再開発事業によって誕生した住商混在のコミュニティがどのような現況にあり、如何なる課題を抱えているかについて研究した。  調査方法は、1840年代に作成された大縮尺地図を修正しつつ、建物利用現況調査を実施し、事業者と居住者に対するインタビュー調査を並行して行った。  細かな数値は発表当日に譲るが、特に事業者に対するインタビュー結果をみると、次のような事柄が明らかになった。 1)開業から期間が浅い事業者が多く、3分の2は開業來3年を経ていない。 2)小売店や画廊では小規模・零細店舗が卓越している。 3)田子坊の中で居住している店主は少ない。 4)長短所ともに「旧来の住民との混在」を挙げる者がいる。トイレの不備が短所として多く語られている。  観光地としては「トイレの不備」は致命的で、その改善が喫緊の課題である。長短両面で「旧来の住民との混在」が挙げられていることは、店主の多くがコミュニティ外から通勤していることと合わせ、事業者と居住者との間の溝を実感させる。  
  • 伝統的僑郷としての地域的特色
    山下 清海, 張 貴民, 杜 国慶, 小木 裕文
    セッションID: 404
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     中国では,多くの海外出稼ぎ者や移住者を送出した地域を「僑郷」(華僑の故郷という意味)とよんでいる。報告者らは,すでに在日華人の代表的な僑郷の一つである福建省北部の福清市で調査研究を行った(山下ほか 2010)。
     今回の一連の発表(1)~(3)では,現地調査に基づいて,僑郷としての青田県の変容とその背景について考察する。現地調査は,2009年12月および2010年8月において,青田県華僑弁公室,青田県帰国華僑聯合会,青田華僑歴史陳列館,郷・鎮の華人関係団体などを訪問し,聞き取り調査,土地利用調査,資料収集などを実施した。
     本発表(1)では,とくに在日華人の伝統的な僑郷としての青田県の地域的特色について考察するとともに,今日に至るまでの僑郷としての変容をグローバルな視点から概観する。
     研究対象地域の青田県は,浙江省南部の主要都市,温州市の西に隣接する県の一つで,1963年に温州市から麗水市に管轄が変わったが,歴史的にも経済的にも隣接する温州市の影響を強く受け,温州都市圏に属しているといえる。青田県の中心部である鶴城鎮は温州市の中心部から約50km離れており,高速道路を使えば車で1時間あまりである。青田県は,面積2484km2,人口49.9万(2009年末)で,そのうち83.4%は農業人口という農村地域である(青田県人民政府公式HP)。
     本研究の研究対象地域として青田県を選定した理由としては,青田県が在日華人の伝統的な僑郷であったこと,中国の改革開放後,青田県から海外(とくにヨーロッパ)へ移り住む「新華僑」が急増していること,海外在住の青田県出身華人との結びつきにより,青田県の都市部・農村部が大きく変容していることがあげられる。

    2.青田県からヨーロッパ,日本への出国
     青田県出身者の出国は,青田県特産の青田石の彫刻を,海外で売り歩くことから始まった。清朝末期には,すでに陸路シベリアを経由して,ロシア,イタリア,ドイツなどに渡った青田県出身者が,青田石を販売していた。第1次世界大戦中の1917年,イギリスやフランスは不足する軍事労働力を補うために中国人(参戦華工という)を中国で募集し,多くの青田県出身者もこれに応じ,終戦後,多数が現地に残留した。ヨーロッパの伝統的な華人社会においては,浙江省出身者が多いが,その中でも青田県出身の割合は大きく,改革開放後の青田県出身の「新華僑」の増加の基礎は,同県出身の「老華僑」が築いたものといえる。
     一方,日本への渡航をみると,光緒年間(1875~1908)には,出国者はヨーロッパより日本に多く渡っている。初期には日本でも青田石を販売していたが,しだいに工場などで単純労働に従事するようになった。日本の青田県出身者は東京に多く,関東大震災(1923年)および直後の混乱時の日本人による虐殺により,青田県出身者170人が犠牲となった。
     ちなみに福岡ソフトバンクホークス球団会長の王貞治の父,王仕福は,1901年,青田県仁庄鎮で生まれ,1921年に来日した。1923年,関東大震災に遭遇し,一旦帰国したが,1924年に再来日した。

    3.改革開放後の新華僑の動向と僑郷の変容
     今日の青田県は,都市部においても農村部においても,僑郷としての特色が,人びとの生活様式にも景観にも明瞭に反映されている。
     青田県の中心部,鶴城鎮には外国語学校のポスターが各所に貼られている。ポスターに書かれている学校で教えられている外国語は,イタリア語,スペイン語,ドイツ語,英語,ポルトガル語であり,この順番は出国先の人気や出国者の多さを示している。また,最近ではワインを飲んだり,西洋料理を食する習慣が浸透し,ワイン専門店や西洋料理店・カフェなどの開業が続いており,ヨーロッパ在住者が多い僑郷としての特色が強まっている。
     農村部においても,イタリアやスペインから帰国した者や,出国の準備をしている者が多く,帰国者や在外華人の留守家族などによる住宅の建設が各地で見られる。

    〔文献〕
      山下清海 2010. 『池袋チャイナタウン-都内最大の新華僑街の実像に迫る-』洋泉社.
    山下清海・小木裕文・松村公明・張貴民・杜国慶 2010. 福建省福清出身の在日新華僑とその僑郷.地理空間 3(1):1-23.
  • 農村部を事例として
    張 貴民, 山下 清海, 杜 国慶, 小木 裕文
    セッションID: 405
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    調査地の青田県は浙江省南部の山間地域に位置し、総面積2,493k_m2_の内に山地が89.7%、平地が5.3%、水域が5%である。「九山半水半分田」と言われるほど山の多い地域である(『青田華僑史』編写組、2007)。33の郷と鎮によって構成されている。 青田県の歴史は711年(唐代睿宗2年)まで遡ることができるが、1196年になってから県庁所在地に瓦葺の家屋がやって出現したことからその貧困状態を知ることができる。 土地面積の90%近くが山地であるため集落や人口が河谷盆地や山の斜面に偏って分布している。県下著名な僑郷として山口、方山、山炮、孫山、阜山などあるが、地名には山が必ず付いていることからも僑郷の地形条件が伺える。 青田県は亜熱帯季節風気候で、温暖湿潤、四季明瞭である。県気象台の観測によれば年平均気温は海抜が800m以上の山間部では14℃以下、海抜が100m以下の河谷盆地では18℃以上。無霜の期間は年間で279日間、年間降水量は1,400mm~2,100mm。気象条件から見れば豊かな農業地域になりうるが、地形の起伏が大きく、農地面積が狭くて、良質な農地が狭い河谷盆地に限り、山の斜面にある農地の土地生産が低い。農業インフラがかつより整備されているものの、依然として農家が厳しい生業環境に置かれている。また、古くから限られた耕地を有効に利用するために、水田に魚を養殖する「田魚」システムが考案され、今日も盛んに行われている。「田魚」が国連食糧農業機関に2005年5月に「世界農業遺産」として指定されている。 青田県総人口498,648人(2009年末)のうちに83.4%は農業人口である。耕地面積は17万ムー(1ha=15ムー)で、うち水田が14.6万ムー、畑が2.4万ムーである。農業人口1人当たりの耕地面積はわずか0.385ムー(約2.56a)である(青田農業網)。中国全国に1人当たりの耕地面積が相対的に低い浙江省(3.6a/人)においても、青田県のそれがかなり少ないといえよう(浙江省人民政府、2006)。 地形の起伏に起因する気候の垂直変化は多様な農業的土地利用に土台を提供している。特色のある野菜栽培、果物、茶、田魚(水田での魚養殖)などは一定の規模まで成長してきた。楊梅(ヤマモモ)、椪柑(ポンカン)、青田御茶、楊梅酒、青田田魚干などの特産品が有名である(青田農業網)。2009年の主な農作物の作付面積は次の通りである。食糧13,512ha、果樹園9,597ha(うち楊梅4,926ha)、野菜4,249ha、茶園711ha。更に特筆すべきことは、近年、農村観光や農家レストラン(農家楽、漁家楽)の発展は著しく、農家楽の収入は633万元に達した(青田年鑑)。 青田年鑑によれば、2009年の農業総生産額は7.4億元(うち、農業4.92億元、林業0.78億元、牧畜業1.14億元、漁業0.47億元、農林牧漁サービス業0.09億元)で、青田県のGDP(94.17億元)の7.86%にすぎない。農業人口の割合からみれば、農業の地位はきわめて低い。これは海外からの送金に依存する僑郷農村の共通特徴である。僑郷では海外から送金や海外から帰国した人たちによる建築ブームが起こっている。青田県の農村ではほとんどの農家に海外華人がいる。そのため村には年寄りと子供の姿が目立つ。年寄りのお世話や親と離れた子どもの教育は問題となっている。村の小学校では、高学年になると親のいる国へ留学に行く児童は少なくはない。 また、青田県の山中には豊富な地下資源がある。青田石(葉蝋石、pyrophyllite)の埋蔵量は中国の1/4を占めている。多くの青田人を海外に送り出したきっかけともなった青田石は、県内の山口・方山・呉岸・双垟・孫山・小令・北山などの僑郷に多く分布している。 (参考文献については口頭発表の際に紹介する。)
  • ―僑郷の街づくりと都市空間的特色―
    杜 国慶, 山下 清海, 張 貴民, 小木 裕文
    セッションID: 406
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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     海外に移住した華人(華僑)は,それぞれの移住先で経済的な恩恵を受けながら,移住先の文化も受容してきた。華人の故郷となる僑郷は,華人とのつながりまたはネットワークを通して,経済の面でも文化の面でも海外からの影響がもたらされている。そのような影響は,街づくりまたは都市空間にも他の都市とは異なる特色として現れる。特に,近年,中国の経済発展とともに,海外に移住した華人が商機を狙って中国国内で投資するケースが増加することは,僑郷の都市景観を著しく変化させていく。
    1.青田市街地の概況
     唐の時代の睿宗雲2(711)年に県制が設置されて以来,青田県の行政機関所在地は鶴城鎮に置かれてきた。県の中心都市となるこの県内最大の市街地は通常「県城」と呼ばれる。1949年までには11本の細い巷しかなかった街地は,現在,南北11本と東西18本の道路または路地で構成され,甌江に沿って帯状に広がる都市として成長してきた。特に,1990年代に入ってから,甌江に新しい橋が建設され,交通が便利になるとともに,甌江南岸でも開発が進んでおり,鶴城鎮の人口も1949年には0.83万人であったが,2006年にはその約10倍の8.22万人に増加した(青田県建設誌編纂委員会,2003)。
    2.華人のネットワークと僑郷とのつながり
     華人が僑郷にもたらす影響と効果は,華人と僑郷とのつながりによるものと考えられる。近年,中国では華人が重要視され,華人に関する研究も増加しており,僑郷の青田と海外在住の青田出身の華人に関する研究も少なくない。華人が故郷にもたらす最初の効果は,海外で稼いだ資金を故郷にいる親族に送金することである。華人の経済的成功とともに,経済的な還元は送金から寄付へ,さらに投資へと変わっていき,受益する対象も親族から公共事業,さらに地域全体へと拡がる。2001年以来,青田県政府は積極的に「華僑要素回流プロジェクト」を実施し,華人の経済力を青田発展の原動力として位置づけた。
    3.経済的な影響
     華人が僑郷に与える経済的な影響としては,送金,寄付,投資などがあげられる。中国銀行青田支店によると,2000年のからの送金総額が1.2億米ドルである。青田県華僑弁公室の統計では,2001年7月末まで,華人が青田に投資した総額は3.2億元である。華人の寄付金によって建設されたものとしては,華聯大楼,山湯道路,太鶴公園,華人飯店,青田中学校,中山中学校,方山中学校,甌江大橋,青田移民歴史陳列館,夏康体育館など公共またはサービス施設が挙げられる(青田県誌編纂委員会,1990)。
     1990年代に入り,中国では市場経済が発展し,無限の商機が青田華人にさらなる発展の機会を与えた。2002年以来,華人が不動産業に大量の資金を投入した。2001,02年の2年間,青田県の不動産開発投資額は9億元に及ぶ。市街地面積2.1㎢,人口僅か5.8万人の青田県城には11軒の不動産会社がある。以降,商業・住宅複合施設「新世紀大厦」(22階)と「華光大厦」(23階),「聖華商業広場」,「陽光華庭商住楼」,高級住宅「正達豪景山荘」(2.1ha),住宅団地「金鶴苑」,4つ星ホテル「正達開元大酒店も華人の投資によって建設され,都市の景観と空間構成を大きく変化させた(青田華僑史編写組)。
    4.人的リソースによる影響
     2008年上半期,世界金融危機以降,華人が中国に戻って起業するケースが増えてきた。米国ニューヨーク市都市計画局局長を務めたことのある青田籍の建築家,饒及人氏が招聘され,「欧陸風情,山水家園」というテーマの青田都市計画に携わった。
    5.文化的な影響
     華人と故郷の連絡とコミュニケーションが強まるのに伴い,ヨーロッパ文化が華人によって故郷の青田へも伝来した。帰国華人は,地元の住民がヨーロッパの飲食と文化に対する好奇心と憧れを察知し,西洋式の飲食店を開業した結果,地元住民もデザート,パン,ステーキなど洋食を日常生活に取り入れた。この小さな市街地には100軒を超える洋食,カフェー,バーがオープンされ,青田華人が僑郷の生活パターンと生活理念を変化させたことを示す。店が増えると,競争の結果によって価格も抑制され,地元住民の消費できるようになったのも一因である。
    6.僑郷の都市空間:現地調査を踏まえて
     2010年8月に現地で外国文化または出国関係の施設を対象に調査を実施した。45軒の施設のうち,洋食店23軒,出国書類作成7軒,金融・外貨5軒,出国技能学習3軒,ホテル3軒,旅行2軒,サービス・その他2軒との構成である。洋食店はいずれも外国に因む店名を付け,「美食・コーヒー」を掲げるものであった。
  • 田中 耕市
    セッションID: 407
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I. 研究目的
    本研究は,アジアにおける国際LCCs(Low Cost Carriers;低価格航空会社)の拡大戦略について,空間的視点からその特性を考察する.アジア最大のLCCsであるAir Asiaグループを主に対象として,就航路線の拡大戦略と新たな長距離路線展開に特に注目する.

    II. LCCsの発展過程
    LCCsとは,運行形態やサービスを単純化させてコストを抑制することによって,低価格運賃を提供する航空会社である.そのモデルは米国のSouthwest Airlinesによって確立され,1978年の合衆国航空規制緩和を追い風に,多くのLCCsが市場参入した.ヨーロッパにおいては,1990年代のEU域内の航空自由化によってLCCsのシェアが急速に増加した.初期はSouthwest Airlinesを模倣した所謂SouthwestモデルのLCCsが乱立したが,競争が激化するとともに差別化をはかるために,従来とは異なるサービスを提供するLCCsも多く現れている.

    III.アジアにおけるLCCsの展開
    アジアでは2000年以降,東南アジアを中心にLCCsが急速に普及してきた.Air Asia Berhad(Malaysia),Jetstar Airways Asia(Singapore),Tiger Airways (Singapore)などが東南アジア内の短距離国際線ネットワークを密に構築した.なかでも,クアラルンプールに本拠を置くAir Asiaグループはアジア最大のLCCsであり,急成長を遂げてきた(図1).規制緩和によってLCCsの参入余地が出現した欧米とは異なり,航空自由化が進んでいないアジアでは,航空会社が就航するための国籍問題が障害となっていた.しかし,Air Asiaは現地資本との提携や現地航空会社の買収によって,バンコクやジャカルタに拠点を設けて航空路線網を戦略的に拡充させていった.

    IV.長距離路線への展開
    LCCsのビジネスモデルでは,短距離路線への就航に特化されているため,大陸間を跨ぐような長距離国際路線は未だに専ら大手航空会社が占有している.しかし,Air Asiaグループは,新規に長距離路線に特化した航空会社(Air Asia X)を立ち上げて,長距離国際路線市場への参入を開始した. 2008年に,クアラルンプールからロンドン,オーストラリア三都市(メルボルン,パース,ブリスベン)への就航を皮切りに,2010年12月までに東京(羽田)を含む8か国・地域の13都市に就航するに至っている(図2).
  • 山下 博樹
    セッションID: 408
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     地球上の全陸地の約4割を占める乾燥地では,もはやその都市開発は技術的に克服可能となり、先進国や産油国などの富裕国では活発に都市開発が進められ,人口1000万を超えるメガシティも出現した(山下 2010)。その乾燥地の自然環境は,年間降水量や乾燥度,気温などの地域較差が大きく,比較的乾燥度の低い半乾燥などの地域では都市分布も密であるが,砂漠など極乾燥の地域では都市開発の課題も多く,その分布は粗い。
     本報告では,広く乾燥地が卓越し,かつ都市開発も活発なアメリカ合衆国南西部を対象に,そこでの都市開発の動向を人口増減とその要因となった背景などの点から明らかにすることを目的とした。なお本研究で対象としたアメリカ合衆国南西部にはいくつもの定義が存在する。本研究では乾燥地の都市を研究対象としていることから,その範囲をアリゾナ,ネバダ,ユタ,カリフォルニア,コロラド,ニューメキシコの6州とした。

    2.アメリカ南西部の乾燥地と都市の分布
     アメリカ南西部には,モハーベ砂漠,グレートソルトレーク砂漠などいくつもの砂漠とグレートベースンやコロラド高原などの荒涼とした大地が卓越している。カリフォルニア州の太平洋沿岸を除くと全般的に乾燥度が極めて高く,年間降水量250mm以下の乾燥地も広がっている。ここでは,ロサンゼルスやサンフランシスコなど大都市の活発な経済活動を背景に,カリフォルニア州にはこの両都市圏のほかにもそれらをむすぶ州道99号線沿いにサクラメントやフレズノなどの中規模都市圏が形成されている。これに対し他の5州は人口規模も小さく,より厳しい自然環境と脆弱な幹線道路体系などにより都市の形成は極めて限定的である。つまり道路交通の結節地や各種資源の存在などを背景に発展した州都などの都市では人口増加の進展により周囲に多くの郊外都市を発達させ都市圏を形成しているものの,図1に示したように人口10万以上の都市はわすかである。そうした各州の主要都市圏から外れた地域では人口数万かそれ以下の規模の都市や集落が分散的に立地している状況にあり,なかにはその役割を終えゴーストタウン化した街もある。
     このようにカリフォルニア州をのぞく内陸の5州では大都市の分布はわずかであるが,これらの都市圏の近年の人口増加率は全米でも上位を占めている点は注目に値する。例えばラスベガス都市圏は税制優遇策によりかつてのギャンブルや観光などに加え情報通信産業などの企業進出が活発化している。その結果,都市圏の人口は1990年の74.1万人から2009年には190.3万人へと急増している。またフェニックス都市圏も1970年代以後サンベルトの発展と高齢な富裕層の移住先として,1990年代からはロサンゼルスへの近接性と安価な労働力を背景としたエレクトロニクス産業の進出によるシリコン・デザートの発展などを背景に人口が増加し,全米第5位の都市圏に成長した。

    3.砂漠都市の開発とその持続可能性
     上述したようにアメリカ南西部の都市発達は,カリフォルニア州をのぞくと各州の主要都市に限定され,人口増加もそれらの都市に集中し都市圏が形成されている状況が確認された。これらの都市にはラスベガスやフェニックス,アルバカーキなど年間降水量250mm以下の砂漠に発達したものもある。砂漠での都市開発は,従前に農地などの土地利用がされていないことが多いため容易に進展しやすく,市街地の面的な拡大を促しやすい。その結果,例えばフェニックス都市圏では98人/㎢という低密な居住人口密度の市街地が形成され,夏季の高温な気候とも結びついたクルマ依存のライフスタイルが定着しており,公共交通を再編し,持続可能な都市圏の形成を目指す地元自治体にとっても大きな課題となっている。

     本研究は,鳥取大学乾燥地研究センターの平成22年度共同研究「北米乾燥地における都市の発達とその特性」と平成22年度科学研究費補助金基盤研究(B) 「都市圏の構造変化メカニズムと多核的都市整備に関する学際的研究」(研究代表者 藤井 正)の成果の一部である。本テーマでの共同研究を受け入れて頂いた篠田雅人先生に御礼申し上げます。

    文 献 山下博樹(2010)乾燥地における都市開発の動向とその課題,篠田雅人ほか編『乾燥地の資源とその利用・保全』古今書院,pp.161-180
  • 遠藤 幸子
    セッションID: 409
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    Baltic rangeの復活に伴い、バルト海沿岸の港湾都市がどのように変容したかについて考察する。特に旧東ドイツのヴェント都市に焦点を絞った。
  • ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性
    呉羽 正昭, 伊藤 貴啓, 佐々木 リディア, 小林 浩二
    セッションID: 410
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに  ルーマニアの農村空間は,最近20年間,東欧革命やEU加盟といった変革を経験してきた。その過程で,農業形態の変化,人口流出,過度の森林伐採などが生じ,現在では農村の持続的発展の危機にあるといっても過言ではない。こうした状況下,農村空間は都市住民の余暇活動の場として注目され,宿泊施設の開設を中心とした観光業の導入がそこでの地域振興の特効薬としてとらえられている。  ルーマニアにおけるルーラル・ツーリズムについては,すでに呉羽ほか(2010)が報告し,後述するルカルにおいて,フードツーリズムの性格が強いことを強調した。しかし,近年のグローバルスケールでの経済危機がルーマニア経済にも多大な影響を及ぼしている。たとえば,ルーマニア国内では消費税率の上昇や公務員の給与カットなどの財政政策が導入され,その結果,人びとの観光行動が大きく変化している状況にある。こうした傾向下,農村空間に立地する宿泊施設も変化を余儀なくされている。  本研究の目的は,ルーマニアのカルパチア山地に位置する山村であるルカル(人口約6,000)における宿泊施設を対象として,その経営にみられる諸特徴を明らかにし,またルーラル・ツーリズムとの関連を検討することである。ただし,ルカルでは宿泊施設に関する組織や公的な統計は皆無である。また後述するように,全ての宿泊施設が看板を掲げたり,インターネット上で情報を公開しているわけではない。それゆえ,20軒強の宿泊施設,さらには役場で実施した詳細な聞き取り調査に基づいて分析を進める。 2.結果と考察  ルカルでは,2000年頃から農家民宿を中心として宿泊施設が開設されてきた。2010年時点においても建築中の宿泊施設が若干みられる。宿泊施設あたりのベッド数の平均は15前後であるが,なかには80以上のベッドを有する施設もみられる。宿泊施設の立地は,ルカルの中心地区,その北側の河谷であるサティックSatic地区およびルショルRausor地区の谷底でみられる。ルカル中心地区では自家の敷地内に施設を増設する例がほとんどである。一方,サティック地区およびルショル地区では,外部の資本が土地を購入し,比較的大規模な施設を新設する場合もみられた。また両河谷地区では,土地を購入した都市住民による別荘も多く存在し,週末や長期休暇時に利用されている。  2009年と2010年に実施した聞き取り調査の結果,2010年では,経済不況による宿泊施設利用者の減少,宿泊日数の減少という深刻な問題が出現した。それゆえに,節税対策として,宿泊施設の看板を撤去する施設が多くみられるようになった。また,すでに経営を中止した宿泊施設も存在する。さらに,宿泊客の行動変化として,自炊をする人びとが増加した。宿泊客自身が安価な食材を持ち込み,それを自分で料理することによって宿泊費用を節約している。この傾向は,短期的な事象であるかもしれないが,ルカルにおける伝統食の提供によるフードツーリズムの性格を弱めるものであろう。  ルカルにおける宿泊施設の顧客のほとんどはルーマニア人の家族やグループであり,ブカレストを中心とする都市から訪れている。常連客や彼らの紹介による宿泊が多く,夏季休暇,クリスマス,イースター等の時期に1~3泊する。彼らの行動の中心は,自然のなかで,食事(自炊または賄い)を楽しみつつ,休暇をのんびりと過ごすことである。周囲の自然環境で本格的にレクリエーションを楽しむことはそれほど重視されていない。この点では,眺める対象として,ルカルの集落域の周囲に存在する森林景観や草地景観の維持が,当面の重要な課題になると考えられる。また,常連客が多い点は,宿泊施設において利用者と経営者との交流が重要であることを示唆しており,この交流がルカルの持続的発展に貢献できるような仕組みづくりも重要になるのであろう。
  • -ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性-
    伊藤 貴啓, 呉羽 正昭, 佐々木 リディア, 小林 浩二
    セッションID: 411
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     EUは新中期成長戦略「Europe2020」で持続的成長を掲げ,「特に中小企業の事業環境を改善し,国際市場で競争できる強い産業基盤の形成を支援する」ことを重点目標とする。これは中小企業がEU経済で大きな割合を占め(表1),農村の持続的発展においても注目されているからである。東欧諸国の新規加盟国においても,同様のことを指摘できる。
     本研究は,ルーマニアのカルパチア山地に位置するルカルを対象に,中小企業の叢生と地域の持続的発展の関わりを究明しようとするものである。具体的には,ルーマニアの中小企業の展開を概観した後,ルカルにおける中小企業の展開とその経営的特質を現地調査および企業登録情報などから解明し,地域の持続的発展との関わりを考察する。
    2.ルーマニアにおける中小企業の展開
     ルーマニアの中小企業(非金融部門)は2008年現在,44万社を超えて全体の99.6%を占める。その一方で,雇用労働者,さらには付加価値のシェアーはそれぞれ63.6%,42.2%と低くなり,EU27か国平均と比べれば付加価値のシェアーで見劣りする(表1)。その空間的展開ではブカレスト,ヤシ,クルージュナポカ,ティミショアラなどの大都市の立地する地方に多くみられる。このなかで,本研究が対象としたアルジェシ郡は企業数で11番目の郡である。
    3.ルカルの中小企業と地域の持続的発展
     2008年現在,ルカルの企業数は179であった。ルカルの人口は6,307人(2007年)で,人口1,000人当り企業数は28.3とルカルを含む,南ムンテニアの平均を上回る(図1)。
     ルカルの企業はすべて小規模層以下の企業群である。すなわち,従業員規模が9人以下の零細(micro)企業が105(58.7%),10人~49人の小企業が18企業(10%)であり,残りの56企業(31.3%)には従業員がみられなかった。また,これら企業は革命後の1990年代前半と2003年~2007年にかけて起業されてきた(図2)。業種別にみれば,両時期ともに第3次産業が多くみられるが,前期では製造業が,後期では林業と建設業の創業が目立つ。前期に創業した企業の多くが小規模企業層に成長しているものの,後期のそれは零細層に留まっていた。
     とはいえ,ルカルの中小企業は総人口の1割を越える従業員を雇用しており,これに経営者やその家族を加えれば,地域経済の基盤をなすといえよう。それらは林業関連やツーリズム,建設業など,地域資源との関わりを持つ業種で起業が盛んであった。ルカルで起業が盛んなのは地域資源の存在のほか,教育熱心な土地柄であり,大学進学後などにUターンする者がみられ,起業を可能にする人材が供給されていること,地域リーダー層を中心とした人的ネットワークの存在,林地の返還に伴う起業資金の獲得などをあげることができる。そのなかから,EU資金を得て,輸出を行う企業まで現れるようになった。ルカルの持続的発展はこのような中小企業の叢生が繰り返されうるダイナミズムの維持にかかっている。
  • ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性
    佐々木 リディア, 伊藤 貴啓, 呉羽 正明, 小林 浩二
    セッションID: 412
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    Romania’s rural areas (INSSE, 2007) are home to 10 mil. people (45% of national population). Land reform and agricultural sector restructuring post 1989 resulted in the creation of 3.9 mil. family farms (average area 2.3 ha) mainly operating on a subsistence basis. 27.5% of national labor force works in agriculture and forestry, and agriculture remains the backbone of the rural economy. Rural population is affected by aging and out-migration, low human capital levels, unemployment, low incomes, poverty. Rural areas also lag behind in terms of basic infrastructure and social services (education, health care etc.) Since 1997, Romanian government’s EU-inspired rural development strategy promotes rural economic diversification; CAP pre-accession financial instruments (SAPARD) have been used for the creation of alternative employment and sources of income, for more sustainable rural livelihoods (CAP’s second Pillar). As a result, in 2007, about 21% of Romanian farms are diversified (main activities: agricultural products processing, livestock feed, agricultural services, wood processing; agri-tourism lags far behind). Rucar, a rural community in the Romanian Southern Carpathians, is the focus of the present research; in 2007, it had a population of over 6200 and about 2600 households (3.0 ha/average family farm). Since 17th c., traditional pluriactivity in Rucar combined livestock farming with on- and off-farm activities (civil service, crafts, trade, other services). During communism, the farming sector was complemented with employment in industry, forestry, constructions, administration, education and health care sector, either local or within commuting distance. After 1989, economic restructuring and loss of non-farm employment led to a revival of farm diversification strategies, but the most important change is the establishment of new SMEs in various sectors, providing alternative employment and sources of income. Our investigation on the changing patterns of farm diversification and pluriactivity is based on local statistics, interviews with local authorities and key informants; also, structured interviews and questionnaires with 50 sample households. A majority of the 46 pluriactive households (38) rely as their main source of income on salaries, pensions and other social benefits (unemployment etc) or a combination of the three (6 households with 2 salaries, 11 households with 2 pensions, 2 households on social benefit). Most households in the sample are involved in farming. Farming represents the main activity for 3 households but is a secondary activity on 43 households: 3 large scale commercial operations, 12 semi-commercial, 28 subsistence farms; only 4 non-farming households were recorded. The activities preferred for diversification were: wood processing (main activity for 2, second activity for 8 households), agricultural products processing (main for 3, second for 5 households), construction work (main for 2 households, second for 2), rural tourism (second activity for 13 households), retail/trade (main for 2, second for 1 household). Such activities are either farm-based (family associations) or independent businesses (SMEs). Access to financial assets, along with managers’ age, education, skills and social capital play a key role in the establishment of new SMEs. The complex and changing pattern of combinations of farming, on- and off-farm diversification and pluriactivity reflects Rucar’s dynamic rural economy. Since 2010, a new local development strategy is expected to provide the framework for the community’s long term economic and environmental sustainability.
  • ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性
    中台 由佳里, ディロマン ガブリエラ
    セッションID: 413
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     ルーマニアは2007年のEU加盟以降, EU標準への到達を目標に第一次産業を中心とした整備を進めている。それに対しEUでは特に条件不利地域を対象として、「地域振興政策2007-2013」の「条件不利地域の農業援助(LFA)」の基に支援に力を入れている。
     ルーマニア、カルパチア山地集落における生業構造については、すでに中台ほか(2010)が報告した。ルーマニアの中でも、経済や行政の中心から離れたカルパチア山地では早急なインフラ整備を期待することができない。そのため、経済的自立は自助努力に依っている。機械化もままならずマンパワーへの依存も高い。本研究では,ルーマニアのカルパチア山地に位置する集落マグラを対象に,経済的自立と持続的発展との関わりを聞き取り調査や統計データから明らかにし、農村の自立への可能性を考証していく。
    2.マグラの平均的な世帯像
     マグラは,人口約250人が標高900~1150m前後のところに転々と家がある。集落は19世紀後半に、複数の同族集団が寄り集まって形成されていたが、現在では集団が緩やかに散らばってきている。
     平均的な世帯は、1軒に3,4人の中高年の夫婦を中心とした家族が住み、ウシ・ブタ・ヒツジ・ニワトリを飼う牧畜業を営む。狭い畑では自家消費のために多種少量の野菜とジャガイモを作り、夏には一家総出で干し草刈を行う。気候的に野菜の栽培には不適であり、ジャガイモでさえ2009年から不作である。小さな林を持ち果樹を植え、薪に用いている。労働力は人と馬によるものであり、長い冬のためにジャムやピクルス、キノコなどの備蓄用食料も蓄える。燃料は薪であり、最近ではトラックで売りにも来る。
     集落には教会と数軒の雑貨屋、集会所はあるが、医者はいない。そのため集落外に出かけるのは、1,2週間に1回公共料金の支払いに行ったり、病院に行ったり、買い物に行ったりするためである。公共交通の手段がないため、出かけるときは若い子どもたちに車で送ってもらう。集落での一日は、女性が孫や家畜の面倒をみて、家族の世話をし、男性は薪を作り、家畜の世話をすることが中心であるが、中には町に働きに行っている人もいる。その場合、集落に残る女性に家畜の世話の労働が付加される。
    3.社会主義計画経済からの自立
     聞き取りから、1989年以前は国からの指示による計画経済の中での生活だった。近隣の町の工場に働きに行き、ウシの牛乳はミルクの回収車が毎日買い取りにやってきてくれた。家が壊れれば修理してくれる、完全に受動的な生活だったため、中高年の世代では現在の社会変化に対応できず、子ども世代に決断を委ねがちである。その子ども世代は出稼ぎ世代でもあり、外からの情報を得る手段を持っている。そのため、民宿を経営するなど経営の多角化も見られるようになったが、ほとんどの世帯が生産量=自家消費となる現状では、資金の調達が最大の問題である。
    4.考察とまとめ
     マグラはカルパチア山地にありピアトラ・クライルイ国立公園に隣接しているため、自然景観に恵まれている。今後の戦略としては、地の利を活かした自然資源による観光関連産業が一番経済的な負担が少ない。しかし、長期間に及ぶ社会主義体制への依存が強く、精神的な自立が一番の問題である。現在のマグラに住む中高年の世代では急激な変化に対応する体力と資金力が不足しているため、期待は次世代である子ども世代にかかっているといえよう。変化はゆっくりと起こることが予測され、今後の長期調査が必要となろう。
    文献:中台由佳里・ディロマン、ガブリエラ2010. カルパチア山地集落マグラにおける生業構造の変化 -ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性-、日本地理学会発表要旨集 77 : 182
  • ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性
    ディロマン ガブリエラ, 中台 由佳里
    セッションID: 414
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
  • -ブルガリアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性-
    伊藤 徹哉, 飯嶋 曜子, 小原 規宏, 小林 浩二, イリエバ マルガリータ, カザコフ ボリス
    セッションID: 415
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    I. はじめに
     1989年以降のいわゆる「東欧革命」を通じて,中・東欧各国は経済的には市場経済へと移行し,価格の自由化や国営企業の民営化が推し進められた。これに伴って物不足の解消や物価上昇といった経済的変化や失業者の増加などの社会的変化が生じ,また地域的な経済格差も拡大していった。農業経済を中心にする地域,とくに大都市から遠距離の農村では工業やサービス業の大規模な開発が困難であり,これらの地域は後進地域として社会的・経済的課題を抱えていることが指摘されている。
     研究対象のブルガリアでは,現在も就業構造において農業経済への依存がみられる一方,「東欧革命」以降,首都ソフィアとその近郊をはじめとする大都市での経済開発も進展しており,農業地域と大都市との経済格差が拡大しつつある。本研究は農業経済を基盤とするEU新規加盟国のブルガリアを対象として,国内の地域的な経済発展における格差を国内総生産(GDP)と平均年間賃金に基づいて明らかにし,人口分布や人口移動などの社会的特性と,産業別就業者数と海外からの直接投資額などの経済的特性から経済格差の背景を考察することを目的とする。分析に用いた資料は,2008年9月,2009年9月および2010年8~9月の現地調査によって得られたブルガリア国立統計研究所 (National Statistical Institute) が刊行した統計年鑑や統計資料である。

    II. 地域的経済格差
     国内6つの計画地域Planning RegionごとのGDPに基づいて地域経済の変化を分析した。その結果,首都・ソフィアを含む南西部では活発な経済活動が認められる一方,その他の地域,とくに北西部と北中央部が経済的に低迷しており,しかも1999年以降においては南西部とその他の地域との差が拡大していた。
     また,国内に28設置されているDistrict(以下,県)ごとの平均年間賃金(以下,年間賃金)に基づいて経済上の地域的差違を考察する。まず,全国平均の年間賃金は2009年において7,309BGN(レバ)であり,2005年における数値(3,885BGN)と比較すると,4年間で約1.9倍上昇した。県別にみると,南西部の首都・ソフィアの賃金水準が極めて高く,2009年では全国第一位の9,913BGNに達している。この値は全国平均(7,309BGN)の約1.4倍であり,全国第二位(7,696BGN)と第三位(7,602BGN)の県と比較しても突出している。首都・ソフィアの年間賃金は,もともと高水準であったが,近年さらに上昇している。また首都を取り囲むように広がるソフィア県の年間賃金も7,026BGNと全国平均には届かないものの,相対的に高い水準となっている。このように首都・ソフィアとその周辺部の一部では所得水準がもともと高く,それが近年さらに上昇している。一方,北西部と北中央部での年間賃金の水準は低く,2009年における年間賃金の最下位県の値を首都・ソフィアと比較すると,その2分の1の水準にとどまる。また2005年からの変化も小さく,賃金水準が低い状態におかれている。

    III. おわりに-地域的経済格差の社会・経済的背景
     地域的な経済格差の背景を人口分布や人口移動などの社会的特性と,産業別就業者数と海外からの直接投資額などの経済的特性から考察する。ブルガリアにおける地域的な経済格差の背景として,次の3要因との関連を指摘できる。第一に人口集中に起因する首都・ソフィアの消費市場と労働市場としての突出である。人口は首都・ソフィアが含まれる南西部に集中しており,2006年において総人口(769.9万)の27.5%を占める211.8万が南西部に居住する。とくに首都・ソフィアの人口規模は大きく,総人口の16%を占めている。第二に首都・ソフィアへの企業や主要施設集中に起因する資本集中であり,首都・ソフィアでの事業所数や就業者数の多さや,海外からの直接投資の集中傾向などが認められた。第三に農村と都市部での就業構造の差違と関連した農村地域での失業率の高さと首都への人口流出であり,賃金水準の高い業種である専門サービス業をはじめとする部門が首都や一部の大都市に集中しているため,農村からそれら都市への人口流出が著しい。加えて,農村でも耕地面積の拡大や機械化を通じた経営効率の向上が図られており,余剰人口の都市部への移動を加速している。
  • ブルガリアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性
    飯嶋 曜子, 小原 規宏, 小林 浩二, 伊藤 徹哉, イリエバ マルガリータ, カザコフ ボリス
    セッションID: 416
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    I. はじめに 2007年のブルガリア,ルーマニアの新規加盟により,EUは27カ国体制となった.一方で,域内の地域間格差は一層拡大している.EUは,統合の重要な理念として「経済的・社会的結束」を重視してきたが,2009年12月に発効したリスボン条約では,それらに加えて新たに「地域的結束」も明記され,域内の地域間格差の是正が重要な課題であることがより鮮明となった. 農村地域は,一般的にEU域内では後進地域,貧困地域として位置づけられる.そのためEUでは,農村地域の発展を促進する政策がより重視されてきている. 本発表では,1.EUは農村地域の発展のためにいかなる政策を整備しているのか,2.そうしたEUの農村開発政策が,国や地域レベルでいかに実施されているのか,_3.農村や農業経営体にいかなる影響を及ぼしているのか,またどのような問題や障害があるのかという問題を,ブルガリアにおける農村開発を事例として考察する. _II_ EUの農村開発政策 EUは,東方拡大に対応した行動計画『アジェンダ2000』に基づき,共通農業政策(CAP)の改革を実施し,農村開発をCAPの第2の柱とした.従来は地域政策(構造政策)の対象であった農村開発政策が,CAPの第1の柱である価格政策と並ぶことになったのである.それまでも条件不利地域対策などは実施されていたものの,この改革によってCAPに空間的視点,地域的視点がより強く導入されたことを意味する.一方,これを受けて,前期までは地域政策の枠組みの中で実施されていた,欧州農業指導保証基金(EAGGF)の保証部門による農村開発に関する諸政策が,地域政策からCAPへと引き継がれることとなった. 同時に,地域政策で開発されてきた政策手法も,CAPの農村開発政策に引き継がれている.それは,政策プロセスにおいて,補完性原則に依拠した分権的手法の重視や,パートナーシップ原則に基づき多様な地域的主体を包括したローカルなガバナンスの構築などである.これらの政策手法を用いて,加盟国レベル,地域レベルで農村開発政策が実施されていく. _III_ ブルガリアにおける農村開発 ブルガリアでは,CAPの農村開発政策をふまえ「国家農村開発計画」を策定し,農村開発政策を実施している. 農村開発計画は,以下の4つの柱から構成されている.1.農業・林業・食品加工産業を基盤とした競争力とイノベーションの開発,2.自然資源と環境の保護,3.農村地域の生活の質の向上,雇用機会の多様性の向上,4.ローカルキャパシティーとローカルガバナンスの向上.これら4つの柱に沿って,個別の施策が実施される. 農業経営体の近代化(施策121号)は,農業生産機械の導入など設備投資事業を対象とし,農業経営体に当該費用の40~65%がEUから補助される.その額は,1主体最大150万ユーロ(約1億7千万円)にものぼる.農業経営体の非農業活動の多様化(施策311号)では,ルーラルツーリズムや,子どもや高齢者などの地域住民への社会的サービスの提供などが支援の対象事業となる.また,自治体を対象にした観光活動の促進(施策313号)や,自治体に加えNPO,コミュニティセンター等も対象とする,農村の社会インフラ整備(施策321号)などが実施されている.さらに,EU地域政策ですでに実施されてきた,農村の地域住民が主体となりボトムアップ的に農村開発事業を立案し実施するLEADERプログラムも行われている(施策41号). _IV_ 政策現場での実態 こうした施策を申請する際には,詳細な申請書やビジネスプランを提出しなくてはならない.しかし,旧体制下では中央集権型行政システムであったため,自治体はいまだ十分な行政能力を有しておらず,多くの場合は民間のコンサルティング会社を活用しており,小規模自治体にとってはその費用の負担が大きい.同様に,小規模な農業経営体にとっても,申請自体が非常にハードルの高いものとなっている.つまり,行政や農家の立案・実施能力が不十分な場合が多いブルガリアでは,分権的手法やパートナーシップ原則の重視は,一面では,EU農村開発政策が適用される主体が大規模な農業経営体や自治体に偏る状況を導きかねない.こうした状況は,果たしてEUの農村開発政策は経済的・社会的・地域的結束を強めることができるのか,という議論を再検討する必要性を示唆している.それでは,EUの施策を活用できない地域や農業経営体は,こうした状況にいかに対応しているのか.この問いに対する1つの答えとして,発表では協同組合が農村開発において公共的な役割を担い,機能している事例を指摘する.
  • 小林 浩二, 伊藤 徹哉, 飯嶋 曜子, 小原 規宏, イリエバ マルガリータ, カザコフ ボリス
    セッションID: 417
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    ブルガリアにおける農村の生活環境 -ブルガリアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性- Living Environment of Rural Areas in Bulgaria  —Crisis of Rural Areas and their Prospects for Sustainable Development in Bulgaria—  小林浩二(岐阜大学)*、伊藤徹哉(立正大学)、飯嶋曜子(獨協大学)、小原規宏(茨城大学)、マルガリータ、イリエバ・ボリス、カザコフ(ブルガリア国立地球物理学・測地学・地理学研究所) Koji KOBAYASHI (Gifu Univ.), Tetsuya ITO(Rissho Univ.), Yoko IIJIMA (Dokkyo Univ.), Norihiro OBARA(Ibaraki Univ.), Margarita ILIEVA, Boris KAZAKOV(National Institute of Geophysics, Geodesy and Geography, Bulgaria) キーワード:ブルガリア、農村、プロフェソア・イシルコヴォ、生活環境 Keyword: Bulgaria, Rural Areas, Professor Ishirkovo, Living Environment 1.はじめに  体制転換から20年、東ヨーロッパは著しく発展したが、その一方で問題点も顕在化してきた。そのひとつが地域格差の拡大である。都市=winner、農村=loserで象徴されるように、農村は“貧困 Poverty”という代名詞さえ冠されるようになった。しかも注目すべきことは、農村のなかにも格差の拡大が浸透しつつあることである。本発表では、農村の格差を念頭に置きつつ、ブルガリアにおける農村を対象に生活環境の実態とその特色を明らかにしたい。研究対象地域は、ブルガリアの北東部に位置するシリストラSilistraカウンティの若干の集落である。研究方法として、2010年9月に対象集落の役所、農業経営体等で聞き取り調査を行ったほか、住民を対象にアンケート調査を実施した。 2.ブルガリアにおける農村の特色 ブルガリアの農村を具体的にみると、ネガティヴな面として、人口構造が好ましくない、地方行政体にEUの基金を管理・運営する能力がない、基本的なインフラ(水供給、下水処理、道路ネットワーク、廃棄物処理等)が整備されていない等があげられる。一方、ポジティヴな面として、豊富で多様で自然が存在する、電力供給、コミュニケーション、生活インフラが比較的良好であり、集落のネットワークがよい、歴史的、文化的伝統に裏打ちされた農村コミュニティが数多く存在する等が指摘できる。 3.シリストラカウンティ、プロフェソア・イシルコヴォの生活環境  シリストラカウンティは、28あるブルガリアのカウンティのひとつであり、人口は12.9万人(ブルガリア全人口の1.7%)(2008年)、産業別雇用人口の割合をみると、第1次産業9.4%、第2次産業33.0%、第3次産業56.4%、その他1.2%)となっている(ブルガリアのそれは、それぞれ2.7%、38.4%、57.7%、1.2%)(2008年)。シリストラカウンティは、農業の盛んな地域である。 人口数及びその変化からシリストラの集落をみると、90%余りの集落が人口減少を経験しており、また、小集落で人口減少の割合が高い。 アンケート調査を実施したプロフェソア・イシルコヴォProfessor Ishirkovoは、シリストラカウンティの中央北部に位置し、人口1,202人(2008年)である。地域住民の生活環境(雇用場所・雇用機会、商業・サービス施設、医療・保健・高齢福祉サービス、教育など12項目)の満足度をみると、ほとんどの項目でポ゜ジティヴな評価となっている。これは、とりわけ、農業経営体(農業協同組合)と村の行政によるところが大きい。プロフェソア・イシルコヴォでは、農業協同組合であるNIVA93が雇用といった経済面だけでなく、経営によって得た利益を集落内の幼稚園、チタリステ(コミュニティセンター)、インフラ等の整備に投資している。また、農業実習生の受け入れ、個人農への援助(資金や農用機械の貸与)も行っている。加えて、村の評議会が中心となってインフラなどの整備・発展策を立案・実施するとともに、村民のためにさまざまな催し物を開催している。 4.考察 ブルガリアにおける農村の発展状況は、農業協同組合、NPOなどの地域住民及びそのグループ、行政、民間、の3要素から考察することができるだろう。こうした観点から、既述のプロフェソアイシルコヴォとともに、シリストラカウンティの他の若干の集落をとりあげ、集落の発展状況を比較検討してみたい。 参考文献 The European Agricultural Fund for Rural Development 2006.Republic of Bulgaria National Strategy Plan for Rural Development (2007-2013), 13-16. National Statistic Institute (2007): Regions and Districts in the Republic of Bulgaria 2002-2006. The European Agricultural Fund for Rural Development(2009): Republic of Bulgaria Rural Development Programme (2007-2013). 42-50.
  • ―ブルガリア・バンスコの地域研究(その1)―
    飯塚 遼, トゥジャロフ ディミター, 有馬 貴之
    セッションID: 418
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    本研究では,ブルガリア・バンスコにおける旧市街の観光利用とその空間的広がりを都市構造の面から考察し,その地域への影響について明らかにする.
  • ブルガリア・バンスコの地域研究(その2)
    トゥジャロフ ディミター
    セッションID: 419
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は,ブルガリアのバンスコ地域を対象に,観光開発にともなう地域の変化の諸相の分析し,その特徴を明らかにする.
  • 中埜 貴元, 小荒井 衛
    セッションID: 420
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
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    1.はじめに
     地理空間情報に時間情報を付与し、時空間データセット を構築する研究は、これまでにもいくつか成されてきてい る(例えば、畑山ほか、1999;門脇ほか、2001)。演者ら は、交通網や建物等のような任意に発生・消滅する発生・ 消滅型地物データに加えて、土地利用や地形(DEM)のよ うな被覆型データについても時空間化仕様を検討し、近年、 大規模開発が急激に進んでいるつくば市の研究学園駅周辺 において過去10 年間の時空間データセットを構築した(小 荒井・中埜、2010a)。本稿では、この時空間データセット から抽出した各年の土地利用データを用いて、研究学園駅 周辺と研究学園駅を中心とした半径1km の範囲の土地利 用変遷分析の結果について報告する。
    2.研究学園駅周辺の土地利用変遷分析
     まず、つくば市の研究学園駅周辺の約15km2を対象に作 成した時空間データセットから、2000~2009 年の各1 月1 日の土地利用データを抽出し、各年の土地利用面積比を求 めてその変遷過程を分析した。その結果、2003 年から2004 年にかけての変化が最も大きく、造成中地が急増し、商業 業務用地が減少していることが判った(図1)。これは、2005 年のつくばエクスプレス(以下、「TX」という)開通に伴 う開発により、新たな造成が広範で実施されたこと、また、TX 沿線にあった旧自動車研究所(商業業務用地)の敷地が 大幅に削減されたことによる。ただし、各年の変遷過程を 分析した結果、商業業務用地のみが造成中地に変化した訳 ではなく、森林、荒地、水田の1~2 割も造成地に変化して いる。このような傾向は、従来の5 年毎の土地利用データ では確認できないまた、2004 年以降は造成中地、商業業務 用地とも緩やかな増加傾向にあり、造成の継続と商業地の 醸成が伺える。次に各年のデータにおいて、研究学園駅を 中心に100m 間隔で半径1km のバッファを発生させ、各バ ッファの各年の土地利用面積比を求め、バッファごとにそ の変遷過程を分析した。その結果、駅から200m 以遠では、 先述の結果と同様の傾向が見られ、駅から遠いほど開発が 最近まで続いていることが示された。これは、小荒井・中 埜(2010b)のTX 沿線でのバッファ解析結果とも一致する。 駅に近い範囲では、その範囲の大部分が同一の土地利用で 占められており、特筆すべき傾向は見られなかった。
    3.まとめと課題
     つくば市の研究学園駅周辺において、駅の生成と土地利 用変遷について分析した結果、駅周辺(15km2)の土地利 用変遷の傾向は、駅を中心とした半径1km 圏内の土地利用 変遷と同様の傾向であり、駅生成(鉄道開通)に伴う土地 利用変化は半径1km 圏外まで及んでいる可能性がある。今 後、同範囲内に存在する旧村部や新興住宅地等を分類して の変遷分析や、人口、地価等のその他の地理的要素との関 連性解析も実施する予定である。
    引用文献
    畑山ほか(1999): GIS-理論と応用, 7, 2, 25-33.
    門脇ほか(2001): GIS-理論と応用,9,2,61-66.
    小荒井・中埜(2010a):日本地理学会発表要旨集,77, 198p.
    小荒井・中埜(2010b):地理情報システム学会講演論文集, 19(CD-ROM).
  • 佐藤 浩, 笹川 啓, 村上 真幸
    セッションID: 421
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    国土地理院は,平成22年の口蹄疫や平成22~23年の鳥インフルエンザの防疫対策において,地方公共団体が通行止め区間やウィルス蔓延防止のための道路上の消毒ポイント箇所を広報するための電子国土Webシステムの利用を技術的に支援した.その方法や結果を報告する。
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