日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の341件中1~50を表示しています
発表要旨
  • 大八木 英夫, 濱田 浩美
    セッションID: 201
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    湖沼における水質の汚濁を知る指標として,透明度の経年変化が簡便に使用されており,栄養塩類の増加に伴う富士五湖の富栄養化(汚濁)の進展過程を知ることができる。さらには,環境省は,望ましい水環境及び利水障害との関係を整理しつつ透明度を指標とする検討しており(2010年1月報道あり),今後,透明度の変遷についてもより注目する必要があるといえる。透明度に関して全国的に整理されている資料は,『自然環境保全基礎調査』など第4回(1991年)までの調査結果が環境庁(現環境省)によって実施されている。その結果,透明度10m以上の湖沼は全国で13湖沼、圧倒的多数の湖沼は透明度5m以下となっていたと報告されている。本研究では,富士五湖を中心として,多くの湖沼における近年の透明度の変化について考察をする。
  • 乾季と雨季の水質変化
    濱田 浩美, 中村 圭三, 駒井 武, 大岡 健三, 谷口 智雅, 谷地 隆, 松本 太, 戸田 真夏, 松尾 宏
    セッションID: 202
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    本研究では、テライ低地のナワルパラシ郡パラシの東西約6km、南北約10kmの地域で、地域内に散在する全ての集落で各2箇所以上の井戸を調査地点とした。調査は、2012年3月の乾季と8月の雨季に実施し、各井戸では水温・pH・EC・ORP・DO・簡易AS、採水のほか、測定できる井戸では地下水位、井戸深度を測定した。 最高ヒ素濃度は、Khokharpurwa(No.4)における1047ppbに達し、少し距離をおいたKunawar (No.12)では577ppbの井戸があるほか、Mahuwa (No.8) 513ppbの井戸が存在していた。この地域が高濃度ヒ素地帯であることを示している。この地域の地形は平坦で地下水流動は極めて小さく、東西方向に高濃度のヒ素を溶出する地質が存在していると考えられた。
  • -氾濫原湿地と稲作圃場の水質特性と形成機構に関する研究-
    飯泉 佳子, 坂上 潤一, 辻本 泰弘, 八田 珠郎
    セッションID: 203
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに
     アフリカでは、経済発展の遅れや高い人口の増加率により、貧困や食料不足が発生している。近年、同地域では急激に増加するコメの消費量に生産量が追いつかず、アジアや北米等からのコメの輸入量が増加し続けている。このような状況の中、2008年に開催された第4回東京アフリカ開発会議(TICAD IV)では、日本政府の対アフリカ農業セクター協力の1つとして、JICAにより「アフリカ稲作振興のための共同体(CARD)」が設立された。この中では、アフリカのコメ生産量を10年間で倍増することが目標として掲げられている。
     コメ生産量の増加は、特に食糧需給のひっ迫するサブサハラアフリカ地域においては急務である。同地域に分布する約3千万haの氾濫原湿地は比較的肥沃度の高い土壌と季節的な湛水をもつことから、潜在的なイネ可耕地として注目を集めている。
     本研究の目的は、氾濫原の未利用地における稲作の面的拡大のため、白ボルタ川流域の氾濫原湿地と湿地内に設営した水稲栽培圃場の水質特性を明らかにするとともに、水質の形成機構を検討することである。
    2. 調査の概要
     2011年9月9日~10日にかけて現地調査を実施した。湿地7カ所、試験圃場1カ所、白ボルタ川1カ所の計9カ所で表層水をポリ瓶に採取するとともに、現場においてpH、EC、水温を測定した。また、9月中旬~下旬にかけて白ボルタ川よりおよそ50 km離れたタマレ市内のオープンスペースに採水瓶を設置し、雨水(大気沈着)を採取した。これらの試料は実験室に持ち帰り、溶存する主要無機イオン成分の濃度をイオンクロマトグラフィー(日本ダイオネクス, DX-120)を用いて測定した。
    3. 結果および考察
     分析の結果、今回採取した全ての水試料において硫酸イオンの濃度が低かった。特に、湿地の6地点と試験圃場の湛水においては、硫酸イオン濃度が0 mg/L(検出限界値以下)であった。この結果は、本地域で水稲を栽培すると硫黄の欠乏症状が発症するという辻本ら(2013)の研究報告を裏付けるものであった。
     硫酸イオンの起源としては、湿地の水や河川水では地質や生活排水、雨水では自動車の排ガスや工場の排煙に由来するSOxなどが考えられる。雨水や白ボルタ川の河川水に含まれる硫酸イオンの濃度は、湿地や試験圃場の湛水に含まれる濃度よりも高いことから、雨水や河川水が湿地や試験圃場への硫黄の供給源になっている可能性が示唆される。今回測定した雨水の水質組成が平均的であり、本地域の年間降水量が調査地から一番近いイエンディ測候所の平均降水量と同程度の約1,160 mm(気象庁ホームページより)と仮定した場合、雨水により588 g/ha/yearの硫黄が地表に供給されていると試算される。硝酸イオンにおいても硫酸イオンと同様に、湿地の6地点と試験圃場の湛水に含まれる濃度は0 mg/L(検出限界値以下)であり、雨水や河川水が氾濫原への窒素の供給源である可能性が指摘できる。
     湿地と試験圃場の表層水においては、全体的に溶存イオン濃度が低い傾向にあった。このように、人の生活圏に近接しているにも関わらず水中のイオン濃度が低い要因の一つとして、地質から供給されるイオンの量が少ないことが考えられる。氾濫原湿地、試験圃場、白ボルタ川の水質はおおむねCa(HCO3)型に分類された。試験圃場として開墾・使用している面積が小さいため、影響が限定的である可能性はあるが、湿地と試験圃場の間に水質の化学組成に明確な差は認められなかった。
  • -流域水収支・物質収支を考慮して-
    森本 洋一, 小寺 浩二
    セッションID: 204
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    新潟県信濃川支流魚野川は六日町盆地を北流する一級河川である。流域は豪雪地帯であり、冬季には多量の降雪を伴い、春先から初夏にかけて流域に蓄えられた雪が河川に流出し流量の増加が見られる。このような河川では、流域水収支や物質収支検討する場合、融雪量や融雪水質を考慮することが必要である。さらに、本州の比較的暖かな温暖積雪地は1、2月の厳冬期においても積雪層内で頻繁に凍結融解を繰りし、寒冷積雪地に比べてより複雑な水質成分の挙動が見られるため、融雪期の河川に対する影響も大きいと考えられる。本論では魚野川流域の河川水質特性を、年間、暖候期、寒候期のそれぞれの期間ごとに把握した後、積雪・融雪期の河川水質形成について積雪水質成分やその起源を明らかにし、融雪出水時(水質成分が積雪層内に貯蓄され河川に流出する)の河川水質形成について考察を行った。
  • 沼尻 治樹
    セッションID: 205
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     日単位流域流出モデルの入力値としてグリッドデータであるレーダーエコーと地上観測降水量による解析雨量(気象庁)が有効であることは,これまでに示されてきた。本研究では,降雪と降雨を分離し,積雪・融雪モデルを備えた分散型タンクモデルの構築を行い,ダムの水位データからモデルのパラメータを推定することを試みた。
     ここでは積雪・融雪モデルを備えた分散型タンクモデルを常呂川流域に適応して行ったシミュレーション結果と,パラメータとして得られた流域のグリッド型地理情報について報告する。
    2.研究対象流域
     対象流域は,オホーツク海に流入する常呂川流域である。この川の上流部に鹿ノ子ダム流域(流域面積:124k㎡)がある。鹿ノ子ダム流域には,未舗装の林道が整備されているが,人家などの建築物は存在しない。また,鹿ノ子ダムは発電を行っていないことから,人間活動による流出への影響や,揚水発電によるダム湖への流入量データへの影響を考慮せずに流出モデルを構築できる。
    3.使用データとアプリケーション
     流出モデルの入力値として気象庁の解析雨量(2007年・2008年)を使用した。解析雨量の空間解像度は1kmであり,時間雨量が30分毎に記録されていることから,正時のデータを日単位で集計し日雨量分布データを作成した。また,可能蒸発散量の算出は,境野アメダス観測所の日平均気温と稚内の高層気象データ,1km解像度のDEM(国土地理院)を用いた。対象流域内の各グリッドの日平均気温を得るため,対象流域至近のアメダス観測所(境野)の日平均気温を基に,稚内の高層気象データから算出した気温減率を用いてグリッド毎の気温推定を行った。流域の抽出には,250m解像度のDEM(国土地理院)を用いた。流出モデルの最適パラメータ値探索用に必要な実測流域流出量(=ダム流入量)は国土交通省のダム諸量データベースから鹿ノ子ダムのデータをダウンロードして使用した。
     グリッドデータの処理と流出モデルのシミュレーションには,C#によるWindowsフォームアプリケーションを自作し利用した。
    4.流出モデル
     タンクモデルを各グリッドに分散配置し,グリッド毎に計算される流出量を流域で集計するという分散型流出モデルを構築した。タンクモデルは単槽式とし,流出量は,表面流出,中間流出,基底流出の合計である。日平均気温を用いて降雪と降雨に分離し,積雪・融雪モデルでは融雪を融雪係数と日平均気温から求めている。
     最適パラメータ値は,解析期間の流域モデル流出量と,鹿ノ子ダムへの流入量の差の2乗が最小値となるように,多重ループ法で探索した。
    5.結果
     このモデルによって,この流域の冬季の流出をシミュレーションできた。積雪と融雪を再現できたことから,融雪による水資源の評価も可能であろう。
  • -伊豆諸島各島の比較から-
    濱 侃, 小寺 浩二
    セッションID: 206
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    日本は環太平洋造山帯に属する火山活動の激しい列島である。火山が作り出す様々な自然環境が日本中で見られるなか、離島における水環境(特に火山島)は、島の標高、透水性のちがいから特徴的な水環境を示している。伊豆諸島のなかでも八丈島・御蔵島は淡水環境に恵まれており、そこでは雨水の影響を受けた水と、地下水の影響を受けた水の2種類を見ることができた。その他の淡水に恵まれていない島では、地下水の調査を中心に行い、海からの影響が大きい水と、地下水の影響が大きい水を見ることができた。未だに火山活動の盛んな伊豆大島・三宅島では一部の水にSO4が多く含まれるような特殊な水質を見ることができた。これらの淡水に恵まれていない島では、雨の時だけ現れると思われる枯れた沢を多数確認することができた。また、伊豆諸島の水環境に大きな影響を与えている要因は、人的影響よりも火山活動が終わり、島が現在の形になった年代の差であることが示唆された。
  • 元木 理寿, 萩原 豪
    セッションID: 207
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    鹿児島県沖永良部島の小学校では,地域学習として3・4年生を対象に和泊町教育委員会・知名町教育委員会編(2006)「わたしたちの沖永良部島」を利用している。この中では生活用水に関わることとして,湧水地やため池などに関する記述はあるものの,湧水地の位置などの記載は見られない。また小学校への聞き取り調査では,教員の多くが沖永良部島出身者ではないこと,約3年という短い任期の中では,沖永良部島にある湧水地の位置やそれらに関わる歴史については把握しきれないこと,などの問題点が明らかになった。一方,年配の島民の方々からは湧水地の歴史を語り継ぐことの重要性を聞くことが多く,これらの声が地域学習に反映されていないことも明らかになった。
  • 加藤 隆之, 日下 博幸
    セッションID: 208
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに斜面温暖帯の研究は古くから行われ、近年ではKobayasi et al (1994)は夜間の斜面上複数地点の鉛直気温分布を明らかにする実測的研究を行った。また、斜面冷気流、斜面温暖帯、冷気湖が動的相互作用を示すために斜面温暖帯を単独では考えられないことについても明らかにされている(Mori and Kobayasi 1996)。しかしながら、斜面温暖帯の詳細な時系列変化について、上空の風の場を含む観測や高解像度化した数値シミュレーションによる検証は現在まで行われていない。本研究は筑波山を例として、斜面温暖帯と斜面下降流の詳細な構造の時系列変化を観測と数値モデルにより明らかにすることを目的とする。2.斜面温暖帯の観測筑波山での斜面流・温暖帯の実態を明らかにするため2012年12月9日よりウェザーステーション、サーモカメラ、パイバル、係留気球を用いた観測を行っている。本観測は、斜面流・斜面温暖帯の時間変化を気温・風の鉛直分布という双方の視点から捉えることが可能である。12月13日夜~14日の早朝の事例では、筑波山斜面南および北西斜面において顕著な斜面温暖帯が観測された。12月13日21時の筑波山西側斜面のサーモカメラによる表面温度分布(図1左)によれば、標高200~300m付近に上下よりも3℃程温度が高い斜面温暖帯が存在している。一方、14日5時(図1右)のサーモカメラによる観測では、標高400~500mに帯状に高温帯が出現している。この時の斜面温暖帯は、前日21時のものよりも温度差としては小さく、その強度は1.5℃程度である。3.斜面温暖帯の数値実験数値モデルには階段地形を導入した二次元非静力学ブジネスク近似の方程式系を採用した。このような数値モデルは筑波山のような斜面の角度が複数段階となっている地形の斜面温暖帯の時間変化について議論が可能である。計算対象領域を水平20km、上空2500mとし、基本場の温数位勾配を0.004K/m、上空の地衡風を0m/sに設定した数値シミュレーションを行った。実験の結果から、十分に時間が経った山麓(計算開始5時間後)では地上に冷気湖が形成され、基本場の気温逓減率によって冷気湖面上部の斜面上に相対的に気温が高くなる斜面温暖帯が再現された(図2)。この結果は斜面温暖帯が冷気湖面の高度に対応しているという従来の研究結果と合致する。風速分布のシミュレーション結果からは冷気流の流入が活発になる高度と斜面温暖帯が同一であることや、冷気湖の発達により冷気湖面より下部に位置する地点では湖面上部と比較して風速が弱くなる様子が再現された。また、斜面下降流に対する補償流は、主に山地上部の水平方向から供給されており、斜面温暖帯形成要因として鉛直方向からの上空の高温位空気の流入(断熱圧縮による気温上昇)はないものと考えられる。
  • 中口 毅博
    セッションID: 209
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    2011 年は東日本大震災に端を発する原発事故が起こり、電力供給不足を回避するために、節電(特にピークカット)が大きな課題であった。そこで埼玉では夏の節電対策の一環として涼しく過ごせる公共空間として「彩の国クールスポット100 選」を約400 ヶ所選定したが、実際に気温差を測定してその効果を検証したうえで選定されたものではなかった。そこで本研究では、気温差によりクールスポット効果を検証したうえで、その分布と効果の地域的要因を明らかにすることを目的とする。
  • 日下 博幸, 吉倉 智美
    セッションID: 210
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     ヒートアイランド強度の発達に関して、風は重要な役割を持っており、Oke(1976)の観測結果からも、風速が大きくなるにつれ、ヒートアイランド強度が小さくなる傾向が見られる。しかし、風速約2m/sでヒートアイランド強度が最大となる傾向も見られる(榧根,1960; 榊原ほか,1998; 榊原,2000; 野林・林,2009)。ヒートアイランド強度がこのような風速依存性を示す原因として、ヒートアイランド循環による影響(中川,2011)や、力学的混合による影響(榊原ほか,1998; 榊原,2000; 野林・林,2009)が示唆されているが、これらの原因を裏付ける根拠は説明されていない。そこで本研究では、ヒートアイランド強度の風速依存性に影響を与える要因について解析を行った。 茨城県つくば市駅付近を市街地とし、地上とビルの屋上にて気温観測を行った。筑波大学陸域環境研究センターを郊外とし、圃場内の気象観測塔のデータから、気温、正味放射量、地上顕熱フラックス、風速のデータを使用した。解析期間は2010年から2011年の冬季夜間である。市街地と郊外の気温差をヒートアイランド強度、上空30mと地上の気温差を逆転強度とし、以降の解析で使用した。 その結果、ヒートアイランド強度は風速約2m/sで最大となる傾向が見られ、市街地・郊外の逆転強度に関しても同様の傾向が見られた。特に郊外の逆転強度とヒートアイランド強度は相関係数が高く、一対一に近い対応関係であることから、ヒートアイランド強度の風速依存性には、郊外の逆転強度が影響していると考えられる。特に最大ヒートアイランド強度が出現する風速1.5~3.0m/sの風束帯に関して、ヒートアイランド強度がばらつく原因を調べるために、ヒートアイランド強度の増加に対して、郊外の逆転強度や、逆転強度に影響を与える要素がどのように変動するかを調べた。その結果、ヒートアイランド強度の増加に従い、郊外の逆転強度の増加や、郊外の地上風の減少、郊外の地上顕熱フラックスの0への収束が確認できた。この結果から、ヒートアイランド強度が小さい場合は熱交換によって、ヒートアイランド強度が大きい場合は冷気溜りによって郊外の気温が低下しており、郊外での冷却度合がヒートアイランド強度の大小に影響を与えていると考えられる。
  • 西 暁史, 日下 博幸
    セッションID: 211
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    局地風の研究は過去から多く行われている.近年では,数値気象モデルを用いた研究も盛んに行われている.数値モデルを高解像度化することで,局地風と周辺の詳細な地形との関連を調査することができる.しかしながら,数値モデルが高解像度化することで,急峻な斜面を含んだ計算を行わなくてはならない.従来地形に沿った座標系(Z*座標系は)が使われてきたが,この座標系では格子が斜交しているため,急峻な斜面を表す場合は誤差が大きくなってしまう.一方,格子が直交している一般座標系の場合,格子の斜交に伴う誤差を軽減できる. 本研究では,局地風をはじめとする複雑地形上の局地気象を再現することができるような,一般座標系を採用した局地気象モデルを開発することを目的とする. 本研究では,局地気象モデルの基礎方程式系として,非弾性近似方程式系を採用した.座標系は一般曲線座標系を採用し,格子系は反変速度を格子境界に定義するコロケート格子を採用した.数値計算アルゴリズムはSMAC法,時間差分スキームは移流項に省メモリー型3次精度ルンゲクッタ法,その他の項には前進差分を採用した.空間差分スキームは2次精度中央差分法を採用した.現在は力学過程の開発を中心に進めているため,物理モデルはできるだけシンプルなものを選択した.具体的には,地表面フラックスはバルク法,地表面温度の計算は強制復元法を採用した.乱流過程はMellor and Yamada 乱流クロージャーモデルLevel 2を採用した.構築した力学モデル,座標変換,境界条件の検証を行うために山岳波の再現実験を行った.その結果,伝播する山岳波の位相と波長を再現できた.力学モデルと物理モデルの結合の検証には,混合層の発達実験を行った.混合層の日変化をうまく再現できたうえに,混合層高度も理論値とほぼ一致した.力学モデル,座標変換,物理モデルの検証には,谷風循環の再現実験を行った.既存の数値モデルに遜色ない結果が得られた.一般座標系を採用した数値モデルは,格子のとり方によっては谷で格子が小さくなり、計算不安定を起こしやすくなる.また,格子が曲がっているため,雨粒の落下や層間の放射伝達の組み込みは容易ではない.今後は,雲微物理モデル,大気放射モデルの有効な組み込み方法を模索するとともに格子生成法の開発を進めていく予定である.
  • 大久保 さゆり, 菅野 洋光, 小林 隆, 福井 真, 岩崎 俊樹
    セッションID: 212
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    農業において、病害発生の危険を早期に予測できれば、効率よく防除にあたることができる。本研究では、イネ葉いもち病発生予察モデル(BLASTAM)に2週間アンサンブル予測実験結果を適用し、2週間先の葉いもち病の予測計算の精度について検証した。アンサンブル予測実験結果を1.25度格子(約110km間隔)から5kmメッシュに力学的ダウンスケールした気象データをBLASTAMの入力値とし、葉いもち病の2週間先までの予測計算を行なった。実際のアメダス観測値によって計算したBLASTAMの結果との比較や、アンサンブル計算と再解析データとの気圧配置の比較から、葉いもち病の予測精度はアンサンブル予測自体の精度に依存することを確認できた。予測結果の相関場が実際と整合する場合には、力学的ダウンスケールを経たデータによる感染好適条件の分布も精度よく表現されていた。また、BLASTAMについては、アンサンブル平均値を用いるより、確率情報として示すほうが実用的であることがわかった。
  • 2009年3月6日事例
    平田 航, 日下 博幸
    セッションID: 213
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに関東内陸では低気圧接近・通過時に冷気層が形成されることがある.このとき,冷気層と海からの暖気移流との間に気温・風の急変化域(局地前線)が生じ,降水量や降水形態の予測が難しくなる.冷気層がつくられる要因として,関東の北側・西側の山岳による遮蔽,雨滴の蒸発冷却,内陸の放射冷却などが挙げられる.しかし,それぞれの要因がどの程度冷気層形成に寄与しているのかは未だわかっていない.本研究では2009年3月6日の南岸低気圧接近事例について事例解析と数値実験を行い,冷気層が形成される過程と要因の寄与の有無を調査する.2.解析手法はじめに,南岸低気圧の移動や関東地方の風・気温分布等の時間変化をAMeDASや高層気象観測データ,筑波山山頂データを用いて把握する.次に,WRFモデルを用いた再現実験(CTRL)を行い,冷気層の実態を捉える.さらに冷気層の形成要因を調べるため,3つの感度実験(地形除去実験;NOMNT,雲微物理過程の非断熱加熱除去実験;NOMPH,放射冷却除去実験;NORDC)を行う.3.結果と考察2009年3月6日の事例では6日3時(南岸低気圧は九州の南に存在)から,関東内陸の地上で北西の風が吹き始めた.熊谷のウインドプロファイラデータによると,6時頃から関東内陸の高度1000m未満で北西風,それ以上の層で南東風が観測された.6時から15時まで冷気層が存在したと考えられる.15時以降は高度2000mまで北寄りの風が吹き,冷気層が変形,消散したと考えられる.CTRLの結果,3時から冷気層の形成が始まり,9時には厚さ約500mの冷気層が存在したことが確認された(図2上).感度実験を行った結果,NOMPH,NORDCでは冷気層が形成されたが(図省略),NOMNTでは冷気層が形成されなかった(図2下).冷気層形成には山岳の遮蔽の効果が特に大きく寄与しているものと考えられる.謝辞本研究は先端学際計算科学の開拓・推進・展開事業 -計算科学による先導的知の創出-(筑波山プロジェクト)の支援を受けました.
  • 桑門 遼
    セッションID: 214
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに濃霧の発生による視程障害は交通の運休や衝突事故などの陸上・海上の交通障害を引き起こす要因となっている(山本, 2000). 特に航空機は陸路・船舶よりも視程障害による影響が大きい. 霧は地域性が強いので, 個別に実態調査をする必要がある.2. 目的本研究では百里基地で観測されたデータや, ライブカメラのデータなどから, 百里基地周辺地域における霧の気候学的な特徴をまとめる.3. 使用データ・気象庁天気図・百里基地観測データ(気温・風速・雲高・卓越視程等)・アメダス・気象官署の1時間データ・筑波山観測データ・ライブカメラデータ・衛星画像(所得期間はライブカメラが2010~2011年分,他のデータは2005~2011年を使用した.)4. 手法2005年~2011年の期間において百里基地で霧が観測されたデータのうち, 3時間以上連続で観測されたデータを対象に, 霧発生日の気候学的特徴や発生時・消散時の気象要素を調査する. また, 前日21時から当日9時の地上天気図の気圧配置により霧の発生日を気圧配置型毎に分類し, それぞれの特徴的な気象場についてまとめる.2010年~2011年の霧発生日について, ライブカメラ, 気象アメダスのデータ, および衛星画像を用いて霧発生時の百里周辺の風の動きを確かめる. これらの結果から, 発生要因について考察する.5. 結果2005年~2011年の霧発生日を対象とした解析結果から, 霧は夜間に発生することが多く, 5~7頃に消散することが多いということがわかった. 霧発生時は弱い北風もしくは無風であることがわかった. その他発生前に降雨があった事例が多かった.気圧配置に着目して地上天気図を分類した結果, 全316事例のうち, 高気圧影響下の気圧配置164事例では晴天の事例が多く気温低下による霧の発生がみられたが, 低気圧影響下の気圧配置172事例では前線が接近してくるなど降雨を伴った事例が多かった.謝辞本研究は, 環境省の地球環境研究推進費(S-8)の支援により実施されました. また, 百里基地観測データは防衛大学の菅原広史先生にいただきました.
  • 久野 勇太, 日下 博幸
    セッションID: 215
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに
     日本有数の大都市である名古屋が位置する濃尾平野およびその周辺では, 1時間に数十mmにも及ぶ強雨が度々観測されており, 研究が行われてきた. 統計解析を行った研究としては, 以下のようなものがある. 田中ほか(1971)は, 1961~1965年および1968年の計6年間において, 東海地方4県(静岡・愛知・岐阜・三重)の中で日雨量200 mm以上を観測した地点が1か所以上存在した計41日に対して, 名古屋のレーダーによるエコーセルの移動方向と雨量図との関係を調査した. 小花(1977)は, 1975~1976年の計2年間の5~10月に関してアメダスデータを用いて, 東海地方における強雨の発生域と潮岬の下層風向・混合比・不安定度との関係を調査した. 田中ほか(1971)と小花(1977)はともに, 濃尾平野周辺の山地における風上側に強雨域が見られることを示した. このように, これまでの研究の多くでは, 濃尾平野周辺で発生する降水に関して, 風向と降水発生域の関係性に著しい調査がなされてきた. 強雨による災害への対策のためには, さらに空間的・時間的に詳細な降水分布や強雨が発生しやすい時間帯の把握が, 重要であると考えられる.
     本研究では, 空間的・時間的に高密度な観測データを用いて, 夏季の濃尾平野周辺における降水の発生分布・発生時間帯の特性を明らかにすることを目的とする.

    2. 方法
     本解析では, アメダスデータおよび愛知県・岐阜県の川の防災情報の10分間雨量データを使用する. 解析期間は, 2002~2009年の6~9月の全日(計976日)および真夏日(計510日)とする. また, 日界は日射の効果を考慮し, 日の出の時刻として06時(日本時間)と定めた. 解析に際して, 強雨日・短時間強雨日をそれぞれ, 以下の条件を全て満たす日と定義する.
     強雨日:
      1) 10 mm/h以上の1時間降水量(連続する6つの10分間降水量の合計値, 以下P_hour)を記録した日.
     短時間強雨日:
      1) 10 mm/h以上のP_hourを記録した日.
      2) 短時間強雨開始時刻から短時間強雨終了時刻までが3時間以内.
      3) P_hourが10 mm/h以上の期間の前後6時間に, 10 mm/h以上の降水が観測されていない.
    これらの定義において, 濃尾平野周辺における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率を調査する. さらには, 濃尾平野周辺における, 強雨・短時間強雨の発生時間帯, 日最大1時間降水量の降水量別頻度を調査する.

    3. 結果と考察
     2002~2009年の6~9月における濃尾平野周辺の降水分布および降水発生時間帯の特徴として, 以下の点が挙げられる.
    1) 濃尾平野より北~北東側の山地において, 標高の高い地域を除いて, 月平均降水量・強雨日数・短時間強雨日数が多い.
    2) 濃尾平野における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率は, 伊勢湾を囲む他の低標高地域における月平均降水量・強雨日出現確率・短時間強雨日出現確率に比べて値が大きい. さらには, 濃尾平野内でも北部の方がより値が大きい傾向にある.
    3) 濃尾平野より北東の山地では, 解析対象期間・真夏日ともに,10 mm/h以上の強雨・短時間強雨の発生は夕方に顕著なピークを持つ. また, 傾向は小さいものの, 濃尾平野内でも真夏日の夕方に10 mm/h以上の強雨の発生ピークが見られた.

    謝辞
     本研究は,文部科学省の委託事業「気候変動適応研究推進プログラム」において実施したものである.

    参考文献
    田中勝夫・深津林・服部満夫・松野光雄 1971. エコーの移動方向で分類した東海地方の大雨の型. 気象庁研究時報 23:431-443.
    小花隆司 1977. 東海地方の強雨と地形(Ⅰ). 天気 24:37-43.
  • 一ノ瀬 俊明
    セッションID: 216
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    前報(2010年秋季大会)では、アジアの7大都市を対象に、20世紀における都市の拡大がもたらした都市の温暖化について数値シミュレーションをおこなった結果(地上気温)について報告した。本研究は、総合地球環境学研究所プロジェクト「都市の地下環境に残る人間活動の影響」(代表・谷口真人)の一部であり、当該プロジェクトでは、これら7大都市における20世紀3時点のデジタル土地被覆データセットを作成している。このデータセットを地表面境界条件として気象モデルに入力し、数値シミュレーションで得られる地表面温度の変化傾向と、過去の地表面温度を記録していると考えられる地下温度の鉛直プロファイル(Taniguchi et al., 2009)との比較を行った。各対象都市における都市の発展ステージや地下温度の鉛直プロファイルには多様性が見られるものの、通年で最も気温の高くなる季節の静穏晴天条件のみを計算した場合、いずれの都市の中心市街地においても1.1 K/Century前後の値が得られた。20世紀初頭にはいずれの対象都市においても、中心部がすでに都市化していたためである。地上気温や雨天出現率などの気象要素の通年変化(図1)は対象都市によって大きく異なるため、簡便な手法でこの影響を取り込むべく、暖候期(もしくは乾季)・寒候期(もしくは雨季)、晴天日・雨天日の組み合わせで得られる4つのケースで計算を行い、天候の出現率を重みとした加重平均値(擬似的な年平均値)を求めた(図2)。表1に計算値と観測値(Taniguchi et al., 2009)の比較を示す。結果は、バンコク(0.9 K/Century)と東京(1.9 K/Century)についての合理的な差異を示している。よって、気象要素の通年変化の多様性は、都市の地下温度上昇を決める重要な要素といえる。とりわけ、比較的高緯度の都市における寒候期の地表面温度の寄与が大きいものと思われる。
  • 青野 靖之
    セッションID: 217
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    17世紀以降に江戸(東京)で書かれた古記録類から得られたサクラの植物季節データを用いて、3月平均気温の復元を試みた。西暦1636年から1905年までで判明した合計207年分のヤマザクラの満開日により、17世紀中盤以降の3月平均気温の推移が明らかになった。解析の結果、17世紀後半と19世紀初頭に寒冷な時代のあることがわかった。これらの低温期は、京都における3月の気温の復元推移にも共通して現れており、太陽活動のマウンダー極小期(17世紀後半)とドルトン極小期(19世紀初頭)に対応したものである。マウンダー極小期とドルトン極小期における江戸の3月平均気温はそれぞれ、およそ4℃、5℃とみられる。
  • 三上 岳彦, 平野 淳平, 財城 真寿美
    セッションID: 218
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    江戸幕末期の1850-1860年代は,小氷期の終了期に相当するが,日本では公式の気象観測記録が無いために気温変動の詳細は不明であった。一方,演者らの研究グループでは日記天候記録に基づく18世紀以降の気候復元や19世紀前中期の古気象観測記録の発掘とデータベース化を行っている。そうした一連の研究によって,江戸幕末期に相当する1850-1860年代の夏季気温が一時的にかなり高温化していたことが明らかになった。本研究の目的は、日本の小氷期末に出現した夏季の一時的高温化の実態を明らかにし、気象観測データの得られるヨーロッパや北アメリカにおける同年代の気温変動と比較しながら、高温化が半球的な大気循環場の変動とどのように関連していたのかを考察することである。
  • 田宮 兵衞
    セッションID: 219
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    中緯度における季節は、太陽放射量の緯度分布の変化の結果である。この事実を年単位で明らかにするため、以下の作業を2005年と2010年について行った。1.日本付近の気圧分布を気象庁速報天気図に基づいて分類する。2.前世紀最後の10年の平均による基準に従い、半旬単位で季節を区分する。
  • (多彩な季節感を育む日本の気候環境の学際教育へのベースとして)
    加藤 内藏進, 光畑 俊輝, 森塚 望, 大谷 和男, 飯野 直子, 高橋 信人, 加藤 晴子, 赤木 里香子
    セッションID: 220
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに 日本列島付近の気候系は,梅雨と秋雨(秋霖)を加えた『六季』で特徴づけられ,しかも,それら六季間の遷移としての『中間的な季節』も独特な特徴を示す。例えば,秋から冬への遷移の過程において,11月頃の北陸等での「時雨」に関連した独特な季節感にも注目される(加藤・佐藤他 (2011,環境制御,33号)の学際的授業の取り組みも参照)。一方,日本付近は,年間を通じて前線帯に対応し,日々,低気圧や前線の影響を受けやすい。しかし,大気場の大きな季節遷移に伴い,梅雨に関連した季節進行だけでなく,暖候期を通して,比較的細かいステージの違いに伴い,降水量や降水特性にも多彩な違いが見られる。 ところで,地球温暖化等に伴う日本付近の地域規模の気候変化への応答に関しては,このような季節サイクルをベースとしたものであり,その的確な予測や知見の普及のためには,上述の季節サイクルに関する詳細な気候学的研究としての理解が不可欠である(なお,それをベースとする学際的な取り組みにより,文化理解教育へも繋げうる)。 そこで,本発表では,上述の日本付近の多彩な季節サイクルを詳細に理解して教材化するための学際的知見の統合の一環として,まずは気候学的側面から,梅雨以外の時期に関する本研究グループで行った解析結果(光畑他,森塚他(それぞれ気象学会2012年春の全国大会で口頭発表。前者は4月頃,後者は9月頃の現象に注目)等)も踏まえ,多降水日(ここでは50mm/日以上の日を指す)やその中での対流性降水にも注目して,降水の特徴の暖候期の中での季節的違いに関する体系化を行った。 2.降水の季節サイクル(多降水日の出現状況に注目して) 梅雨最盛期には,よく知られているように,西日本側では組織化された積乱雲群に伴う集中豪雨も頻出し,降水量も大変多い。但し,東日本側では,そのような降水イベントによる寄与が大きくなく,総降水量も西日本側に比べて小さい。しかし,東日本では,総降水量や多降水日の降水の総降水量に占める寄与が,梅雨期よりもむしろ9月頃が大きかった(1991〜2009年の日降水量データの統計。それぞれ,関東付近での平均,関東北部〜東北中南部付近での平均)。しかも興味深いことに,東日本における9〜10月頃には,時間降水量2〜10mmの『普通の雨』が主に寄与する多降水日も,全多降水日の半分程度も見られた。しかも,これらの多降水日だけでなく,10mm/h以上の降水の寄与がメインの多降水日でも,成層が安定な場合は多かった(ここでは,θe500 - θe地>3K)。以上のように,東日本の9〜10月頃には,多降水日でも,西日本の梅雨前線付近と違って,地雨性の要素も少なくないことになる。 また,東日本の成層が安定な(θe500-θe地上≦3Kとして抽出)多降水日の場合,台風もしくは温帯低気圧が中部日本〜関東付近に見られることが多かった。しかもその時,発達中の傾圧不安定波的な鉛直構造を示し,上層トラフの東側の南風成分の領域(700〜500hPa面)が,本州南岸沖まで伸びていた。 一方,4月の南九州の鹿児島では,関東の東京や九州北西部の長崎に比べて総降水量が多く,東京の梅雨期と同等な220mmに達していた。それは,『多降水日』の降水の占める寄与が80mmと大きい点を反映していた(『多降水日』の出現頻度は,平均して毎年1回程度の出現頻度ではあるが)。なお,1990〜2009年の事例解析によれば,このような鹿児島での多降水日には,九州を通過する温帯低気圧の暖域や前線付近に鹿児島が位置し,一過性ではあるが,積乱雲に関連した降水によって上述の『多降水日』となった事例が多かった。 3.日本付近の下層水蒸気場や傾圧性の季節サイクル(以下は略。具体的にはpdfで添付する予稿を参照)
  • 松山 洋, 稲村 友彦, 泉 岳樹
    セッションID: 221
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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  • 真田 佳居, 長谷川 直子, 大瀧 雅寛
    セッションID: 222
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに現在,具体的にどの個体を間伐すれば最も間伐効果が高く,林分の成長にプラスの作用をするか否かに関する研究は少ないのが実情である.本研究では,独自に考案した隣接個体指数・成長指数が間伐個体を決定するための有用なデータと成りうる可能性について提案・考察する.神奈川県嵐山のヒノキ林に対する毎木調査・年輪調査を行い,データとして用いた.2.研究方法1)調査地から5枚の円盤を採取し,年輪成長幅を計測.2)樹高3m以上の植栽木を対象に毎木調査 (胸高直径,樹高)を実施.3)円盤採取個体周辺の樹冠投影図・樹冠断面図を作成.4)調査で得た情報をExcel2007に入力し統計処理をし,分析.5)年輪に関する経年変化の分析.分析方法は以下に示す.・年輪成長幅(4方向の平均値)の経年変化分析・年輪成長断面積の経年変化分析・2001年(間伐実施年)を基準として,2001年の年輪幅と各年の年輪幅の偏差の経年変化分析・後述する隣接個体指数と年輪成長幅を元にした個体の成長に関する指数(合計6種類,成長指数と定義)の相関分析.3.結果と考察3.1 結果1991年~2011年の20年間においては, 1999年~2002年の間で複数個体の年輪成長幅の増加が見られた.特にB4個体増加は著しい. 円板採取個体のa~a+1m(0≦a≦5)における隣接個体数をx,重みづけ値をy=6-aとし,x*yの合計値を隣接個体指数と定義した.各成長指数は以下で定義した.a) 年輪成長幅(1991~2010年の20年積算)b) 年輪成長幅(2001~2010年10年積算)c) (年輪成長幅(1991~2010年の20年積算))2d) (年輪成長幅(2001~2010年の10年積算))2e) 年輪成長断面積(1991~2010年の20年積算)f) 年輪成長断面積(2001~2010年の10年積算) 3.2 考察1) 経年変化分析では,年輪成長幅は1950年に最大を示したが,年輪成長断面積(Fig.1参照)は1939~2001年までほぼ横ばいであった.よって1950年に示された年輪成長幅のピークは個体成長量の最大値を示していないと言える.2001年との偏差の経年変化から間伐実施以降の成長量増加が確認された.2) 隣接個体指数は6種類の成長指数と相関係数-0.993 ~ -0.955の非常に強い負の相関を示した(Table1およびFig.2参照).従って,ある個体の隣接個体は近接で数が多いほど個体成長を阻害すると考えられる.4.結論 個体周囲で行う間伐は個体の成長を促し,間伐個体が近接であるほど,その効果は大きい.限られた情報(年輪成長幅・樹高・胸高直径)でも林分の状況を分析し,その後の施業方法を決める手段の一つとして用いることが可能である.その際は隣接個体指数,成長指数が重要な指数として位置づけられる.実用化に向けてさらにヒノキ以外の林分に関する同様の調査研究等の追加研究と間伐個体予測システムの開発等が今後の研究課題となりうる.5. 参考文献1) 正木ら(2011),日本森林学会誌,93(2),48-572) 鈴木ら(2009),日林誌,91,9-14
  • 阿部 直美子, 石川 守, 米延 仁志, TSOGTBAATAR Jamsran, DASHZEVEG Ganbat
    セッションID: 223
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    【背景と目的】モンゴル国土の約8%を占める森林は、半乾燥地域において材木供給や水源涵養などの生態系サービスとして重要な役割を担う一方、過剰利用、火災、虫害などを要因とする大規模な劣化にも晒されている(Tsogtbaatar,2004)。虫害の履歴を復元する有効な手法は年輪年代学で、ここでは1年単位の時間分解能をもつ年輪幅に基づいた研究例が蓄積されてきた。モンゴルのカラマツを対象とした研究でも、年輪幅と地域住民の目視観察記録とを比較することにより、虫害発生の周期性が論じられている(Suran,2009)。言うまでもなく年輪幅は乾燥や低温などにも大きな影響を受けるが、この既存研究では樹木に対するこれら気象動態の影響と虫害の影響との区別が曖昧なまま議論が展開されている。短期間の成長阻害イベントである虫害を詳細に復元するためには、細胞レベルでの年輪構造を詳しく調べる必要がある。特に細胞壁の薄片化として現れるLight ring(以下LR)は光合成産物の減少と関連し、虫害や低気温などの突発的な成長阻害イベントをよく反映する(Liang,1997)。本研究では、多くの年輪試料から年輪クロノロジー(標準年輪曲線)を再検討しつつLRを抽出し、LRの出現年代と当時の気象動態との対応を詳細に調べる。これによりLRに基づく虫害履歴復元の有効性を検討する。【地域と方法】 調査対象地はウランバートル近郊にあるBogd Khan Mountain(N47°46~50'、E107°04~08')であり、ここには目視観察による虫害の発生年記録がある。数地点からシベリアカラマツ(Larix sibirica)の試料を採取した(計95本×2)。解析は次の3段階で行った。①実体顕微鏡によって年輪幅1/100mm精度で測定したのち、目視クロスデーティングと統計的クロスデーティングで年輪クロノロジーを測定した。同時に年輪幅変動を標準化し、既存研究結果も参照しつつ年輪クロノロジーを再構築した。②年輪幅と気象データとの相関関係を検証する。③ LRの出現と気象データを比較し、LR出現の主要因を決定する。【結果と考察】(1) 1889 ~ 2011年の年輪クロノロジーを得ることができた。(2) 年輪幅と夏季(6 ~ 7月)の気温との間には弱い負の相関があり、夏季の気温が高いほど年輪幅は狭くなる傾向があった。年輪幅と降水量では、前年夏・秋の降水量と正の相関が見られた。(3) LRの出現率と虫の活動期(5 ~ 9月)の気温との間には明瞭な相関はなく、LRの出現は気温以外の要因に依存することが示された。これらから、LR出現の主要因は虫害による光合成生産の停止であると結論づけた。一方、LRの出現年と目視記録による虫害発生年とは必ずしも一致せず、後者は必ずしも検証データとはなりえないことが示唆された。以上から、モンゴルのシベリアカラマツにはLRが虫害履歴の指標となりうることが分かり、これに基づく新たな研究の展望が開けた。
  • 田村 賢哉, 海津 正倫
    セッションID: 224
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     インドネシア・ムラピ火山(インドネシア語でGunung Merapi)は,過去200年間で約50回の噴火があり,最近は1~5年おきに噴火している.ムラピ火山の噴火は,成長する溶岩ドームが崩壊して発生した火砕流とラハール(Lahar:土石流・泥流)が,流下地域に著しい被害をもたらしてきた.最近では,2010年10月26日に大規模な噴火が発生し,11月まで大小の噴火が繰り返した.これらの噴火で火砕流が発生し,山頂から南東のゲンドル川(Kali.Gendol)に沿って流れ,火口から約16km,幅700mの火砕流が流下した範囲が裸地となった.この噴火は,死者約400人近くの犠牲者を出す大災害となった. 火山活動は周辺の環境に大きな影響を与え,一度噴火をおこせばその地域の生物の生息環境を大きく変える.とくに,火砕流は高温のガスや流下物によって地表の植生を著しく破壊する.その後,火砕流被害を受けた地表面は回復へとむかうが,初期の回復過程は地形が極めて不安定であり,ラハールなどによって土壌流出が増加する.そのため,植生の初期回復過程における地形の把握が重要であり,本報告では火砕流やラハールによって覆われた地域の地形特徴と植生定着にもとづく植生回復について検討する.
  • 安田 正次, 大丸 裕武
    セッションID: 225
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    はじめに2011年度の春期地理学会において、演者らは黒部川源流部、北ノ俣岳(2662m)周辺での植生変化について報告を行った。その中で、残雪凹地(いわゆる雪田)とその周辺において、ハイマツなどの木本主体の植生の分布が拡大してきていることを報告した。その一方で、この地域の積雪量が増加傾向にある事も報告した。一般的に残雪凹地では、積雪量が増加すると残雪による被覆期間が長くなるために、木本が減少して草本が増加する傾向がある。つまり、北ノ俣岳周辺での植生変化は一般的な植生変化の傾向と矛盾しているのである。そこで演者らは植生変化の原因を明らかにするために、当該地域における植生を再調査すると共に、積雪環境以外の気象要因について再検討を行った。調査方法植生の変化を検出するために、過去から現在にかけて撮影された空中写真の比較を行った。黒部川源流部を撮影していて植生が判別できる空中写真で最も古い1969年のものと最新の2005年のものを比較した. 植生の変化が認められた地点については、2009年8月、及び2012年9月に植生調査を実施した.気象環境の変化を把握するために、黒部川上流部で永年気象観測を行っている黒部ダムの気象観測記録を関西電力より提供を受けた。その観測資料から、植物の生育に影響を及ぼすと考えられる1.気温 2.年積雪被覆日数 3.夏期・冬期の降水量 4.暖かさの指数(WI) 5.亜高山針葉樹林帯の上限に相当WI15の高度(気温低減率0.6℃/100mで計算)を抽出してその経年変化を検討した。結果 空中写真から、残雪凹地の砂礫地において植生が拡大し、裸地が減少している事が判明した。植生調査の結果、チングルマやミヤマキンパイ、イワノガリヤスからなる草本主体のパッチ状群落の面積の拡大と、ハイマツを主体とする木本主体のパッチ状群落の数の増加が認められた。特にハイマツのパッチは2009年と2012年の比較においても、パッチの高さと専有面積共に拡大している事が明らかとなった。 次に、気象要素の変化を検討したところ、降水量と積雪量は、積雪日数と夏期降水量は横這いだが、冬期降水量が増加傾向にあった(図1)。気温は夏期・冬期共に上昇傾向にあった(図2)。気温の上昇を受けてWIとWI15の高度は共に上昇傾向にあった(図3)。 考察図1から冬期降水量が増加しているものの積雪日数は横這いである事が明らかとなった。これに気温が上昇傾向にある事(図2)をあわせて考えると、積雪量が増加しているにも関わらず、気温の上昇によって融雪速度が上昇したために消雪時期が以前と変わらないということが考えられた。植生変化の要因については、融雪時期は変化していない事から、別の所にあると考えられる。図3から、WIが上昇している事が示され、WI15の高度も約50年で300m程度上昇していることが示された。1990年代以降は北ノ俣岳頂上も亜高山針葉樹林帯に含まれることから、ハイマツが充分に生育可能な環境になってきていると考えられる。以上から、北ノ俣岳の雪田周辺の植生変化は、近年の気温の上昇による立地環境の変化によるものであると推測された。今後は、土壌の水分量や土壌成分の変化などの詳しい立地変化の検討が必要であると考えられる。本研究の一部は環境省地球環境研究総合推進費(S-8-1)の支援を受けて行われた
  • 2011年開花時期の観察事例
    飯田 義彦, 今西 純一, 森本 幸裕
    セッションID: 226
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    【はじめに】山地における生物季節は山地地域の生態系を把握する上で重要である。これまで山地の小気候学的な現象として斜面温暖帯や冷気流などが明らかになっているが,小気候学的な特性を反映すると考えられる生物季節の実態について把握した事例は少ない。本研究では,山地斜面に生育するヤマザクラ群落の開花日に着目し,地形条件による生物季節の差異を検討することを目的とする。【方法】 奈良県吉野町に所在する吉野山のヤマザクラ植栽地にて,地形条件の異なる6プロット合計171個体の開花日を把握した。観察期間は2011年3月29日(DOY88)~4月23日(DOY113)で,連日各個体を目視により開花状況を判定した。開花日は樹冠全体のうち花弁が開いた花が数輪以上ある状態の日とした。なお,統計解析にはR version 2.11.2を使用した。【結果と考察】「高城山」(標高680m付近:斜面上部),「大曲り」(標高520m付近:斜面上部),「五郎兵衛茶屋」(標高340m付近斜面中腹),「塔の尾」(標高340m付近:斜面中腹~上部),「ほおずき尾上」(標高310m付近:斜面上部),「ほおずき尾下」(標高230m付近:谷底)でそれぞれの群落の平均開花日(DOY:1月1日からの起算日)は,107.9 ,103.5 ,101.5 ,99.7 ,99.7 ,100.5であった。プロットごとの開花日の差異を検討するため統計的な検定を実施した。Bartlett検定により分散性の確認をしたところp値 = 0.058となった。等分散ではないことからKruskal-Wallis検定(ノンパラメトリック)を実施し,p値 < 0.001 を得た。続いて,TukeyHSDによって各プロットの差について多重比較を行った。その結果,有意水準0.05よりも大きいプロットの組み合わせは,「五郎兵衛茶屋‐ほおずき尾下」,「塔の尾‐ほおずき尾上」,「塔の尾‐ほおずき尾下」,「ほおずき尾上‐ほおずき尾下」であり,これらのプロット間では開花日の平均値に統計的に差がないことがわかった。開花日は標高が上がるにつれて全体的に遅くなる関係がみられる一方で,開花日のピークは「五郎兵衛茶屋」~「ほおずき尾下」にかけて出現日に差異がないと考えられる。
  • 小川 知美, 藤本 潔, 羽佐田 紘大
    セッションID: 227
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    マングローブ林は、熱帯から亜熱帯の海岸線や河口部にみられる森林である。マングローブ林は潮間帯上部という限られた環境に生育する森林生態系であるため、河川の侵食・堆積、海水準変動に対して敏感に反応し、その立地を変動させる。また、日本におけるマングローブ林は八重山諸島をはじめ、琉球列島、奄美諸島などに分布し、台風の主要経路に位置することから、しばしばそれによる撹乱が生じる。これらの外的影響が加わることで、マングローブ林では短期間での立地変動や林分構造の変化が起こっている可能性がある。本研究では、石垣島宮良川河口において固定プロットを設置し、10年間の植生動態について検討した。石垣島宮良川河口に形成された中州上に、2002年に5×65 mの固定プロットを設置し、2002年および2012年にプロット内に生育する樹高1.3 m以上の全樹木に対して毎木調査を行った。調査項目は、樹種、立木位置、樹高、樹幹直径、生死の別であり、死亡している樹木についてはその状態も観察した。012年には、10 cm程度の起伏を把握するために精密地盤高測量を実施した。各年の毎木調査で得られたデータから、中須賀(1979)の相対成長関係式を用いて地上部バイオマスを推算した。2002年と2012年の調査では、プロット内でヤエヤマヒルギ(Rhizophora stylosa:以後Rsと標記)とオヒルギ(Bruguiera gymnorrhiza: 以後Bgと標記)の2種のマングローブが確認された。立木本数は2002年には計101本みられた樹木が、2012年には64本へ減少した。また樹幹断面積は、2002年の34.1 m2/haから2012年には15.8 m2/haへ減少した。地上部バイオマスは2002年の131.4 t/haから、2012年には56.3 t/haと57%の減少がみられた。樹種別にみると、Rsの本数は2002年の40本から2012年には27本に減少した。2012年の調査では、2002年に確認されたRsの40本中39本が死亡していることが確認され、2012年にみられたRsの96%は新規加入木であった。このRsの樹木の入れ替わりに伴い、2002年には樹幹直径6 cm~12 cmのサイズで多くみられたRsが、2012年には直径6 cm 未満の小径木に限られた。これに伴い、Rsの樹幹断面積は2002年の10.9 m2/haから2012年には1.3 m2/haに減少し、地上部バイオマスは41.2 t/haから2.6 t/haに94%減少した。Rsの死亡個体は39本中34本がプロット海側縁辺から20 m~30 m地点の海側林縁部に集中してみられ、その52%が根返りの状態であったことから、原因は風倒の可能性が高い。2002年以降、石垣島では最大風速30 m/sを超える台風が7回あり、特に2006年台風13号は最大風速48.2 m/s(南西)、最大瞬間風速67.0 m/s(西南西)を記録した。これら7回の台風の最大風速の風向は南方向からの風が卓越していた。死亡個体が多かった20 m~30 m地点はプロットを設置した中洲の南端に生育することから、ここでのRsの死亡要因は、台風による南からの強風の影響と考えられる。一方、Bgは2002年の61本から2012年には37本に減少した。2012年の調査では、死亡個体42本に対し、新規加入木は18本みられた。これに伴い、Bgの樹幹断面積は2002年の23.2 m2/haから2012年には14.4 m2/haに減少し、地上部バイオマスは90.6 t/haから53.7 t/haに41%減少した。Bgの死亡個体は25 m~65 m地点にかけて広く分布するが、特に50 m~65 m地点に多くみられる。2012年の調査では、40 m~65 m地点で、幅1.9 m、高さ7 cm程度の帯状の地形的高まりがみられ、そこに生育するBgの呼吸根が埋積されていることが確認された。マングローブは呼吸根が埋積されると、枯死に至ることがある。この地点のBgの死亡個体は、その69%が消失しているため明確な原因はわからないものの、土砂の堆積に伴い呼吸根が埋積され、樹勢が弱まった可能性が指摘でき、そのことが枯損と関係している可能性がある。また、土砂の堆積が確認された地点では、RsおよびBgの実生の定着がみられなかった。2012年の50 m~65 m地点の地盤高(標高)は、+80 ~90 ㎝であり、この地盤高は最高高潮位+119 ㎝(標高)は下回るものの、平均高潮位である+65 ㎝(標高)は上回る。これはこの地点の地盤高が、マングローブ林の生育可能な潮間帯上部の中では、比較的高い位置にあたることを意味し、2012年には実生の定着に適した地盤高ではなくなっていた可能性が指摘できる。
  • 小川 滋之
    セッションID: 228
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    研究の背景と目的: セイロンベンケイ(kalanchoe pinnata)は,ベンケイソウ科リュウキュウベンケイ属の多年草である.原産地はマダガスカル島といわれているが,現在では熱帯地域や亜熱帯地域に広くみられる.園芸植物として導入されたものが,各地域で帰化して分布を拡大した.特にハワイ諸島や小笠原諸島などの海洋島では,在来種の生育を阻害することが懸念されている(図1).しかし南西諸島では,こうした外来種の問題は現時点で起こっておらず,セイロンベンケイの分布や生態についても不明な点が多い.本報告では,南西諸島におけるセイロンベンケイの生育地の分布特性を検討した.調査地と方法: 調査地は,南西諸島の中でもセイロンベンケイが多くみられる沖縄島の本部半島を選定した.広域的な生育地の分布調査と,生育地の日照条件と土壌条件の立地環境調査,生育地内におけるセイロンベンケイの優占度の調査を行った.結果と考察: 本部半島におけるセイロンベンケイの生育地の分布は,琉球石灰岩(第四紀)地域と古期石灰岩(中・古生代)地域で二つのタイプに分けられた.琉球石灰岩地域では,海岸付近の岩礁や道路法面の開放地に分布していた.生育地内の優占度は44.0%~96.3%であり,その中でも道路法面にみられる生育地の優占度が高かった(図2).道路法面では土層がほとんどなく,日照時間600分/day以上の環境下で生育地が多く分布していた.地質ごとにみると,琉球石灰岩地域の方が生育地内の優占度が高い.古期石灰岩地域でも,自然の露岩地や道路法面の開放地に分布していた.生育地内の優占度は12.1%~63.2%であり,比較的日照時間が長い道路法面で優占度が高かった. このように本部半島におけるセイロンベンケイの生育地の分布は,人為的に改変された道路法面で最も多く,自然の中では少なかった.そのため,全体的に森林で覆われている本部半島においては,人為的改変が無かったとしたなら,セイロンベンケイの分布は非常に少ない.自然の状態でも裸地が多いハワイ諸島や小笠原諸島などの海洋島とは異なるため,それほど分布が拡大していない.今後としても,セイロンベンケイの分布が拡大する可能性は低いと考えられる.
  • 飯島 慈裕, フェドロフ アレクサンダー, 阿部 このみ, 伊勢 紀, 増澤 直
    セッションID: 229
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1. はじめに永久凍土が広く分布する東シベリアでは、2004年冬以降、冬季の積雪と夏季の降雨が例年に無く増加した湿潤的な気候が3年間継続した。その結果、永久凍土表層の融解を伴って活動層(地表面直下の凍結融解土壌層)が厚くなると共に、活動層内の土壌水分量が大幅に増加した。この土壌の過剰な湿潤化によって、谷や平坦地、アラス周辺といった水が集まりやすい地形では、長期的に湛水状態が継続する事態となった。その結果、湛水した地表面上では、その上に成立する北方林(タイガ:カラマツ(Larix cajanderi, Mayr.)を優占種とする)の生育環境を悪化させ、森林の荒廃が進行した(Iijima et al. 2013)。これら一連の現象の連鎖は、気候湿潤化に伴ってレナ川中流域に広域的に生じていると考えられる。すなわち、過湿な地表面と森林が枯死・荒廃した地域を特定することによって、この湿潤気候の期間に進行した永久凍土荒廃現象の空間的広がりが示されることになる。以上の背景に基づき、本研究では、ヤクーツク近郊のレナ川右岸・左岸での衛星データ解析と現地調査結果に基づき、湿潤化による水域の拡大状況と、それによる永久凍土・活動層変化を伴う北方林変化域の抽出を試みた。 2. データならびに方法本研究では、レナ川中流域で活動層内土壌水分の過剰な湿潤化が進行した2006~2009年の夏季のALOS- PALSARおよびAVNIR2画像を利用した。研究対象地域は、レナ川左岸のスパスカヤパッド地域と、右岸のユケチ地域である(図1)。PALSAR画像データは、ジオコーディングとノイズ軽減の平滑化処理を行った後、マイクロ波の後方散乱係数の閾値に基づく水域(地表面の湛水地域を含む)の教師付分類を行い、複数年度の水域分布の変化を抽出した。また、同期間のAVNIR2画像から、土地被覆状態として、草原と北方林の教師付分類を行い、同様に複数年度の分類図から、北方林が草原に変化した領域を抽出した。 3. 結果レナ川左岸スパスカヤパッド地域は、地下氷が少ない砂質ロームからなる河岸段丘上に北方林が広がっており、永久凍土融解に伴うアラス湖沼は少ない。この地域では、2006~2009年にかけて段丘を刻む谷筋に沿って水域が拡大し、その谷筋に森林の変化域が抽出された(図省略)。これは、左岸では谷や地形的に平坦になった地域の土壌水分飽和度が高く、カラマツが選択的に枯死していた現地観測結果(Iwasaki et al. 2011)とよく一致する。一方、レナ川右岸ユケチ地域は、凍土氷を多く含む平地が広がり、アラス湖沼の密度が非常に高い。そこでは、同期間にアラス湖沼の面積が拡大し、湖沼の周囲を囲むように、森林の変化域が広がる様子が抽出された(図2)。右岸では閉鎖水域のアラス湖沼に多くの融雪水と降水が流入し、水域面積が拡大すると共に縁辺部の永久凍土が融解して崩壊した斜面でカラマツが倒伏、枯死しており、この解析結果もこれらの現地の観察状況とよく一致する。以上から、ALOS衛星データによる、水域・森林変化域を抽出し複合させる手法によって、湿潤化が永久凍土、森林荒廃をもたらす一連の現象を広域的に捉えることができ、地形や凍土状態の異なる地域で特徴的な荒廃状況を示すことが確認された。
  • 吉田 圭一郎, 廣田 充, 水野 一晴
    セッションID: 230
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    I はじめに
    近年,様々な生態系において地球温暖化の影響が顕在化している.熱帯の高山植生も例外ではなく,気温や降水量の変化やそれに伴う氷河の後退,消滅により,多大な影響が及んでいる.そのため,熱帯における高山植生の成立過程を明らかにし,現在進行中の気候変化による影響を予測することが急務である(Herzog et al. 2011).
    氷河後退域では,一次遷移などの植生発達に関する研究が数多く蓄積されてきた(例えば,Mizuno 1998やCannone et al. 2008など).最近では,遷移だけでなく微地形や表層物質などといった環境条件と植生発達過程との関連も指摘されつつある(例えば,Raffl & Erschbamer 2004など).大きな標高差を内包する山岳氷河の後退域では,植生発達が成立年代だけでなく,標高に沿って変化する環境条件によっても影響を受けることが予想されるが,これまでほとんど研究が行われてこなかった.
    そこで,本研究では,南米アンデス山系の氷河後退域における植生発達を明らかにし,遷移によるプロセスだけでなく,標高による影響について検討した.

    II 調査地と方法
    本研究の調査対象地はボリビアアンデス,チャルキニ峰(5329m)西カールである.このカールの氷河後退域における植生発達過程を明らかにするため,成立年代の異なるモレーン上に計88カ所の調査プロットを設け,植生調査を行った.ターミナル・モレーンでは,40mのラインに沿って,2m間隔で2×2mの調査プロットを10個設置し,ラテラル・モレーンでは標高10m毎に1個の調査プロットを設置した.調査プロットでは,植被率,出現種,裸地の比率,最大礫のサイズ,イネ科草本(Deyeuxia nitidula)の株数,草丈および穂の有無などを記載した.

    III 結果と考察
    チャルキニ峰西カール氷河後退域のモレーン上には,主にイネ科とキク科からなる草本40種が出現した.イネ科のD. nitidulaが優占しており,一番新しい時代のモレーンにも出現することから,この氷河後退域におけるパイオニア種であると考えられた.
    モレーン年代が古いものほど,植被率が増加していた(図1).植被率を目的変数とした一般化線形モデル(GLM)においても,モレーン年代が最も重要な説明変数であった.これは,モレーン年代が古くなるにつれてモレーン上の土壌発達が進み,一次遷移が進行していることを示している.一方で,出現種数はモレーン年代との対応関係は不明瞭で,標高にしたがって変化していた(図2).出現種数を目的変数とした一般化線形モデル(GLM)においても,標高が最も重要な説明変数であったのに対し,モレーン年代は統計上有意な変数として抽出されなかった.このことは,山岳氷河の後退に伴う遷移過程においては,種の侵入や定着に,標高に沿った環境条件(例えば,温度条件やシードソースからの距離など)が関わっていることを強く示唆している.本研究の結果から,熱帯高山の氷河後退域における植生発達には,その成立年代だけでなく,標高に沿った環境条件も関与することが明らかとなった.今後,山岳氷河の後退域など,地球温暖化による熱帯の高山植生への影響を理解するためには,その成立年代だけでなく,遷移プロセスに関わる標高に沿った環境条件の差異についても考慮していく必要があろう.
  • 福地 慶大
    セッションID: 231
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに 鬼押出し溶岩は,1783年の天明噴火の際,噴火活動の末期に流出した溶岩流で,浅間火山の北斜面に分布した(荒牧1968).一般に火山植生の研究では,植生遷移という時系列で理解されることが多かった.近年では,有珠山,三宅島,桜島などで,特定の環境条件(溶岩のタイプなど)と火山植生との対応に関する研究が行われている.浅間火山でも,噴火後の植生分布,遷移系列などの研究はみられるが,噴火によって形成された地形・地質などと植生分布の関係について議論した研究はあまりみられない.浅間火山天明噴火の火山噴出物は溶岩流の他に,降下軽石,火砕流,土石なだれがある.これまで,これらの噴出物の違いにより,植生が異なることが報告されている(Yoshioka 1974,小泉2007).さらに詳しく見ると,同一の溶岩上でも植生が異なることが認められる.今までこのような細かな違いは,研究されてこなかった.そこで,本研究では,異なる噴出物による植生の差異ではなく,鬼押出し溶岩の同一の溶岩上の植生の違いについて議論する.2.研究方法 浅間火山の天明噴火で流出した鬼押出し溶岩上の植生分布の違いに着目し,分布の規定要因を地形・地質・土壌など複合的な視点から,明らかにした.まず2010年撮影(国土地理院撮影,縮尺1万分の1)の空中写真を用いて,相観植生図と地表面区分図を作成し,さらに現地調査により修正を加えた.また,植生区分ごとに植生調査,溶岩の表面形態区分,表層土壌の水分含有率,土壌断面,土壌粒径の調査を行った.3.結果 植生調査の結果から,同一溶岩上でも6つの植生区分がみられ,さらに同じ高度帯であっても植生が異なるところがありモザイク状の構造をしていることが明らかになった. 鬼押出し溶岩上の地表面は,砂礫に覆われた砂礫地,溶岩が露出した溶岩地の2つに区分された.溶岩流の上~中流域では中央部に砂礫地,両端に溶岩地がみられ,下流域に,ブロック状の溶岩と溶岩の亀裂・しわがみられた. 砂礫地の表層堆積物は主に岩片や火山砂からなり,厚く堆積していることがわかった.また,土壌の粒径分布には偏りがあった.そのため表層は不安定で乾燥傾向になっているため,コメススキやミネヤナギなどが生育していた.溶岩地では,表層には火山砂が薄く堆積し,溶岩地の起伏の影響を受けて,堆積物の厚さに差が見られた.ここでは土壌粒径分布が良い場所が多い.そのため,表層が安定する湿潤な環境が形成されている.4.考察 鬼押出し溶岩上の微地形や表層構造は,場所によって異なり,地表面の性質に違いがみられる.表層堆積物は,砂礫地上では表層が不安定で乾燥傾向であるため,これらに耐性のある植物が生育すると考えられる.一方,溶岩地では表層が安定し湿潤であるため,植物の出現数が多くなると考えられる.よって,砂礫地に比べ溶岩地の出現数が多いのは,表層堆積物の違いが原因の一つであると考えられる. 以上ことから,鬼押出し溶岩上の植生分布を規定する要因は,微地形,表層構造,表層堆積物の違いである.
  • 李 彬彬
    セッションID: 301
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに1990年代から、政策上の整備とともに農村女性による起業数は伸びている。特に近年、社会的に都市と農村との交流が重視されている中、農村女性が活躍する場はますます増えており、地域の活性化と農業振興へと期待される。従来の研究では、農村女性起業の半数以上を占めている「食品加工」と「流通・販売」活動をしている女性及びそのグループが研究されていることが多い。本稿では、熊本県南小国町を事例とし、農村女性グループ「農花の会」が農家民宿の経営主体となる展開過程を考察する。2.研究対象地域の概要 南小国町は熊本県阿蘇郡の北部に位置する農山村である。人口は4,429人(2010年)で、年々減少しており、少子高齢化が進んでいる。第一次産業は主に農業で、その特徴は肉用牛の生産を中心とした畜産を基調に、野菜、米と花き生産の組合せである。黒川温泉を中心とした観光サービス業の成長とともに、町全体の農業生産規模が減少しており、産業の中心が農業からサービス業へと移った。2010年の産業構造において、第一次産業の生産額は4.9%を占めているのに対して、第三次産業の割合は85%であった。3.農村女性グループによる農家民宿経営の展開 南小国町の「農花の会」は、50~60代の地元女性7人により、2003年に結成された。結成する前に、メンバーの女性たちは自主的に始めた農業簿記講座に参加していた。講座終了時、経済意識が高まった女性たちはグループを結成し、農家の暮らしをベースにした都市住民との交流や経済効果がもたらされる活動を模索した。最初に試みたのは、自宅を開放した「立ち寄り農家」であり、都市住民を対象にして芋煮会や稲刈り体験などを行った。そして、1ヶ月1回のグループ勉強会で時々調理の経験を交換しているメンバーたちは、自家産の野菜で作った郷土料理を黒川温泉の女将たちにすすめた。それらの料理に対して女将たちから好評を博し、メンバーの女性は自分の調理の技術に自信をつけた。2004年に、自宅で農家レストランをしているメンバーが先に農家民宿を開業した。それは牛舎を改造した建物全体を客に提供するものであった。(本稿では貸別荘式農家民宿と呼ぶ。)2005年、熊本県における農家民宿開業の規制緩和を契機に、グループ内の他の5人も「農林漁業体験民宿業者」として登録し、農家民宿の経営を始めた。この5軒の場合は、住む家に空き部屋を客に提供する形をとった。(本稿では貸部屋式農家民宿と呼ぶ。)貸別荘式農家民宿は、南小国町の観光シーズンに合わせ、5月から11月まで一般の観光客に利用され、経営状況が安定しているといえる。一方、貸部屋式農家民宿では、部屋の利用形態から受入れ側と利用側の両方にとってプライバシー問題が発生するため、利用者のほとんどが農村体験をする研修旅行生になった。貸部屋式農家民宿の受入れはメンバー女性のいる農家家庭の都合で不定期となっている。4.おわりに 南小国町では、「農花の会」は農業簿記講座から始まり、調理技術を手段としてグループ内外で交流活動を行い、その延長として農家民宿を開業したという過程で、農村女性グループが農家民宿経営の主体となった。部屋の利用形態は農家民宿の経営安定性に影響した。そして、農家民宿の経営によってメンバー女性の家庭的・社会的地位が向上したことがうかがえる。
  • 徳島県東祖谷地域における観光のまなざしの行方
    朝倉 槙人
    セッションID: 302
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ 問題の所在観光がホスト社会に与える文化的な影響に関して、多くの研究が蓄積されているが、それらに大きな影響を与えてきた枠組みとして、アーリの「観光のまなざし」と太田好信の「文化の客体化」が挙げられる。近年、とりわけ「新しい観光」において、地域住民の日常生活に根差したありふれたものが観光振興の拠り所として評価されつつあり、従来住民生活の一部と目されていたものや住民自身を観光資源とする動きがみられるようになった。こういった生活空間の観光化において、地域住民にとって生活空間は日常生活の場でもあるため、彼らは必ずしも「観光のまなざし」に迎合したり、意識的に文化を「客体化」するとは限らない。すなわち、従来の研究で重要であったこれらの枠組みは、「新しい観光」下で観光資源として評価され、ますます重要かつ不可欠なアクターとなってきた地域住民に、必ずしも単純に適用することができない。したがって、生活者としての側面を保持したままの観光実践を求められた地域住民のあり方を、観光振興に伴う今日的な現象として検討する必要があろう。このような観点から、本報告では徳島県三好市東祖谷地域を研究対象地として、地域住民が「観光のまなざし」をいかに理解し、生活空間のなかでいかに観光実践を行っているのかを、観光実践に対する意味付けや思惑に注目して考察する。Ⅱ 観光のまなざしと住民実践の断絶東祖谷地域における観光のまなざしと地域住民の関係は、観光のまなざしを積極的に受け止めるケース、反発するケース、ほとんど関心を払わないケースに大別できる。しかし、すべてのケースに共通して観光のまなざしに対する一定の留保がみられることが特色であり、観光実践に際しては、彼らの多くが生活感覚に基づき真摯さを大切にした実践を行っている。すなわち、観光振興や観光実践に意欲的なホストも含めて、ホストは必ずしも観光のまなざしに直接的に迎合しているわけではない。本報告で「沈潜」と呼ぶこうした関係性は、コンサルタントが重視する「素朴で真正な山村」という東祖谷地域の魅力的な特徴に結び付くものであると同時に、地域住民による観光実践の自由度の高さを保障するものである。しかし「沈潜」の地理的背景を検討することで、この一見すると双方にとって有益な関係がはらむ矛盾がみえてくる。Ⅲ 「沈潜」の地理的背景と地域の今後東祖谷地域における「沈潜」は、都市部からの遠隔性、基幹産業と観光業の関係あるいは過疎化といった地域的要因が相互に絡み合うことで生じている。とりわけ隣接する西祖谷地域と比較して、観光入込客数の増加が難しく、観光収入が低く不安定であるため、東祖谷地域の多くの住民が観光振興に対して消極的であり、これが「沈潜」を生む大きな要因となっている。一方で、「沈潜」は観光実践を行う地域住民と観光振興の効果的な協働を阻害する側面があり、将来にわたる持続的な観光振興の障害となるおそれがある。ホスト社会に対する観光のまなざしの影響やその受容のあり方は地域性と密接にかかわっている。したがって、東祖谷地域にみられるような観光実践のあり方や観光のまなざしとの関係性は、他の農村地域、なかでも観光業をめぐる状況が厳しいなかで「新しい観光」による観光振興を模索する地域においても観察されうると考えられる。
  • 福井 一喜
    セッションID: 303
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 日本における観光形態は個人旅行を中心としたものに変化し,観光先の選定は個々の観光客に委ねられるようになってきた.これは宿泊先選定においても同様であり,宿泊業者にとっては宿泊客とのダイレクトな需給チャネル構築が重要となっている.一方でインターネットの利用も一般化し,個々の宿泊業者は自社のWebサイト(自社サイト)を所有しダイレクトマーケティングを行なうようになってきた.さらにオンライン宿泊予約サービスも浸透し,これを運営する「ネットエージェント」と呼ばれる新たな中間業者が台頭してきている.今日ではインターネットが宿泊業者の経営形態に大きな影響を与えうる状況にある. そこで,本研究では,伝統的な温泉観光地を事例にして,宿泊業者のインターネット利用による温泉観光地の構造変化を明らかにすることを目的とする. 研究対象地域は群馬県の草津温泉であり,これは16世紀以前より続く,日本を代表する温泉観光地である.草津温泉には現在187軒の宿泊業者が存在する.このうち部屋数30以上の大規模宿泊業者は22軒であり,残りの165軒は部屋数29以下の小規模宿泊業者である.2.草津温泉における宿泊業経営の階層性 草津温泉の中心部には最も代表的な観光スポットである「湯畑」が存在する.草津温泉は湯畑周辺の伝統的な「温泉街地区」と,その周囲をとりまく戦後に開発された「高原地区」とに分けられる. 1869年の大火以降,温泉街地区の中でも湯畑のごく近隣に用地を獲得した老舗大規模宿泊業者が草津温泉の観光発展を牽引してきた.この一部の老舗大規模宿泊業者が集客上のイニシアティブを有し,戦後においても旅行代理店を介して大量の団体旅行客を広域から吸収していた.一方で大多数を占める小規模宿泊業者は,1970年代までは長期滞在の湯治客を中心とした近代的な経営形態が中心であり,その集客は草津温泉旅館協同組合が運営する宿泊客の公平な分配システムである旅館案内所によるものが中心であった. 草津温泉では,宿泊業者がその規模により経営の在り方を大きく決定されることや,旅行代理店と旅館案内所を中心とした集客形態の存在により,温泉観光地として長期的に形成された成熟した構造が存在していたのである.3.草津温泉における宿泊業者のインターネット利用 現在の草津温泉では,宿泊業者のうち,自社サイトを76.4%が所有,ネットエージェントを74.3%が利用しており,インターネット利用が一般化している. 大規模宿泊業者では,インターネット経由の予約の多寡は旅行代理店経由の予約の占める割合から2つに大別される.すなわち従来より旅行代理店経由の予約を重視し続け,インターネットによる予約を補佐的なものとして位置づけるものと,インターネット経由の予約が大きくなっており,旅行代理店経由の予約が相対的に小さくなっているものである. 小規模宿泊業者では全体としてインターネット経由の予約が大きな割合を占める.とりわけ導入時の技術的障壁が低いネットエージェントを経由した予約は多くの宿泊業者で主要な地位にある.他に自社サイト経由予約が増加した宿泊業者も存在し,これらの宿泊業者では手数料負担の軽減や個性的な情報発信を可能としているが,そのためには専門知識や技術,宿泊業者内の担当者のインターネットに対する高い意識などが求められる.これらの一方で宿泊客との直接対話を重視し電話による予約に重点を置く宿泊業者も存在する. 宿泊業者の中には,インターネットの利用にともなって経営形態を変化させてきたものが見られる.こうした宿泊業者のうち,大規模宿泊業者では経営体内にインターネットを利用したマーケティングを専門に行なう部署を設立し宿泊予約チャネルを旅行代理店経由から自社サイト経由へと転換させ,手数料負担を軽減させようとする戦略がとられてきた.一方で小規模宿泊業者ではサービスを差異化するとともに,インターネットを担当とする従業員個人の努力による自社サイトの充実化が図られて,直接予約やリピーターを多く獲得している.4.まとめ 草津温泉における宿泊業者のインターネット利用は宿泊客獲得の個別化・経営形態の多様化を促進した.大規模プラットフォームの存在,宿泊業者へインターネット関連スキルを付与する主体,インターネットという他産業への各宿泊業者の担当者個人の意識といった要素により,各宿泊業者の集客力が底上げされ,経営体としての姿勢が能動的・費用対効果を追求するものに変化し,地域的な宿泊客分配システムの地位が低下した.草津温泉では伝統的に形成されてきた宿泊業経営上の格差の崩壊が進行し,立地の優位性や社会的位置,経営規模といった宿泊業経営上の諸制約が解消されてきている.
  • 中山 穂孝
    セッションID: 304
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    現在まで様々なメディアによって別府は語られ、観光客は画一的な「温泉観光地」という言説が生産されてきた。しかし、こうした画一的な言説のみで別府が構成されているとは言えないのではないだろうか。以上のことから、本研究の目的は、明治期以降に近代的温泉観光地として発展を遂げ、現在も年間1000万の観光客が訪れている国際温泉観光都市別府を事例に、戦前から現代までの温泉観光地としての別府の言説が旅行雑誌や新聞記事などのメディアによってどのように創られ、どのような変遷を辿ったのか、その社会的・政治的背景について明らかにすることである。 本研究の研究方法は、バトラーの「観光地ライフサイクル理論」を援用し、別府の観光地発展過程を探検期から衰退期に時期区分していく。そして、時期区分に従って言説の変遷を明らかにしていく。別府の言説の変遷とその政治的・社会的背景を明らかにするためには、大分新聞や大分合同新聞、雑誌『旅』などのメディアを用いて、その言説を読み解く。「観光地ライフサイクル理論」を援用した結果、別府の観光地発展過程は次のように時期区分ができ、言説の変遷が生じたことがわかった。探検期は明治期以前で、海岸部に僅かに宿泊施設が立地し、訪れる人も僅かであった。関与期は明治期で、近代的温泉観光地としての土台となる交通・観光インフラの整備が実施された。各メディアによっても、近代的観光地として繁盛している別府が語られていた。発達期は大正期から終戦までで、関与期から引き続き交通・観光インフラが整備され、好景気の影響で宿泊客が増加すると共に、木賃宿から旅籠宿への転換が進んだ。この時期、宿泊客の増加や観光施設の整備により市内南部の浜脇や流川を「歓楽地」とする言説が、市内北部の鉄輪を「湯治場」とする言説がそれぞれ語られ始めた。確立期は終戦から高度経済成長期までで、別府国際観光温泉文化都市建設法が制定され、別府国際観光港や九州横断道路が整備された。その結果、別府を訪れる観光客は団体観光客を中心に増加を続けた。確立期では、発達期同様に鉄輪は「湯治場」として、流川は「歓楽地」として語られていた。流川を「歓楽地」とする言説は団体観光客と供に語られていた。停滞期は高度経済成長期後からバブル経済崩壊までで、それまで増加を続けていた観光客数が初めて減少に転じた。特に、宿泊客の減少が大きく、確立期に整備された大型旅館やホテルが撤退を始めた。特に、浜脇などの市内南部地域の衰退は激しかった。その影響から停滞期では、新たなに浜脇や竹瓦温泉周辺を「レトロ」な雰囲気が漂う場所とする言説が語られた。衰退期は、バブル経済崩壊後から現在までで、宿泊客数の減少は続いていたが、外国人観光客の積極的な誘致により、韓国や中国からの外国人観光客が増加し、別府観光の国際化が進んだ。衰退期では、それまで「歓楽地」として語られていた地域が衰退していき「レトロ」で情緒ある場所として語られている。 別府市内で言説の変遷に地域差があることが明らかになった。別府市北部の鉄輪温泉や亀川温泉では、関与期から湯治場として、地獄地帯は発達期から観光地としてそれぞれ語られていた。一方、別府市南部の浜脇温泉や松原では確立期から歓楽街として語られていたが、浜脇温泉は停滞期から、松原は衰退期から歓楽地としてではなく、レトロで情緒ある地区として語られ始め、現在でも続いている。
  • 岡部 遊志
    セッションID: 305
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1,はじめに
     フランスの国土政策は,長きにわたりフランスの首都圏地域,すなわちパリ地域からの富の分散を,主要な政策の要素としてきた.しかし近年,フランスの競争力の低下が懸念されるに伴って,パリ周辺地域も国土政策や地域政策の対象となっている.
     本発表では,現地調査などに基づき,パリを擁するイル・ド・フランス地域圏におけるクラスター政策を中心とした地域政策の新展開と,それに関連する政府間関係について発表する.

    2,イル・ド・フランス地域圏の概要と課題
     フランスの国土政策には,国土の均衡ある発展を目指すという思想が根底にはあり,1960年代に工場の立地規制や研究機関の域外移転が行われるなど,イル・ド・フランス地域圏は常に分散政策の対象となってきた.しかし2000年代,グローバル化の進展に伴い,イル・ド・フランス地域圏はフランスにおいて国際的な競争力を発揮できる唯一の地域としてみなされている.
     イル・ド・フランス地域圏は人口や経済活動がフランスの他の都市に比べ大きく卓越し,競争力に関して高いポテンシャルを持った地域である.現在,工場の閉鎖や海外移転などの影響で,競争力は低下しているといわれているが,パリの南西部に企業の本社や研究開発機能,大学,研究機関などが集積し,R&D拠点としての重要性が増加している.
     しかし,首都圏地域としての問題点も挙げられる.1つは過大さの弊害であり,情報の多さゆえに人とのネットワークの構築や情報への適切なアクセスが難しくなっている.2つ目は交通体系,居住空間などインフラ面の問題で,競争力が十分に発揮されていないとされる.そして,こうした問題に対応するために各主体が地域政策を行っている.なお,フランスで地域政策を担うのは,制度上は地域圏であるが,イル・ド・フランス地域圏では,首都圏地域の整備を行うために中央政府がグラン・パリという新たな枠組みを作るなど,中央政府が積極的に関わってきている.

    3,イル・ド・フランス地域圏におけるクラスター政策
     近年注目される地域政策はフランス版クラスター政策の「競争力の極」政策である.イル・ド・フランス地域圏には「競争力の極」が複数(表)ありフランスにおいても最大である.
     その中でもシステマティックSystem@ticはフランスにおいて代表的なクラスターである.この極はICT分野の「競争力の極」であり,フランスを代表する大企業が参加している.この極の予算では,中央政府が負担する割合が大きくなっているが,自治体も重要な割合を占め,そうした多様な主体からの予算負担により,特許や研究においてもフランスの中でも大きな地位を占める.
     イル・ド・フランス地域圏,特にパリ周辺地域では主体同士のネットワーキングが情報の過剰と首都地域における過密により困難であったが,中央政府と地方自治体が共同で行う「競争力の極」政策によって,主体同士のネットワーキングがコーディネートされ,競争力を発揮する基盤の強化が行われてきている.
  • 山梨県を事例として
    久井 情在
    セッションID: 306
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     地方分権改革や平成の大合併によって,都道府県の役割が問い直されている.法律上,都道府県と市町村の関係は対等となり,合併により市町村の性格が変われば都道府県との間の役割分担も変わると考えられる.しかし,実際にどのような変化が生じているのかに関しては,十分に把握されているとは言い難い.都道府県そのものの変化は見えにくいが,都道府県の出先機関については,分権改革や平成の大合併の時期に多くの都道府県で制度改革が行われている.本発表では,山梨県における出先機関の再編を分析する作業を通して,市町村に対する都道府県の役割の変化を考察する.
     なお,都道府県の出先機関とは,税務事務所,保健所,農務事務所,土木事務所など,都道府県の事務を地域的に分掌する機関を指すが,本発表では,これらを本庁の各部・課それぞれが主管している体制を個別出先機関体制,これら分野の異なる出先事務所を地域ごとに束ねる機関が置かれている体制を総合出先機関体制と呼ぶことにする.
    2.山梨県出先機関の再編
     山梨県では,「地域の課題の地域における解決」と「地域行政の総合調整機能の強化」を主な目的として, 2001年に個別出先機関を地域ごとに統合する総合出先機関「地域振興局」が設置された.それまでの個別出先機関は地域振興局の「部」として位置づけられた.しかし市町村合併の進展に対応するなどの理由により,2006年をもって地域振興局は廃止され,個別出先機関体制へと戻った.企画・県民生活部門の出先機関については総合窓口機能のみとなり,市町村支援機能をはじめとする企画調整機能は本庁に集約された.
    3.研究方法
     市町村が山梨県出先機関の再編に対してどのような期待を持ち,どのように評価をしているのかを明らかにするために,2012年10月から11月にかけて山梨県全27市町村の首長および総務担当者を対象にアンケートを実施し,首長から14,総務担当者から20の有効回答を得た.またアンケート回答者の一部に対してインタビュー調査を行った.
    4.結果と考察
     山梨県は地域振興局設置の主目的として,「広域行政への対応」と「地域の総合調整機能の強化」を挙げていたにもかかわらず,アンケートでは,こうした点で地域振興局に期待する回答はわずかしか見られなかった.地域振興局に期待されていた役割は,町村にとっては,行政運営に対する指導や支援であり,県の支援をあまり必要としていない市にとっては,許認可や補助金関係の手続きにかかる時間コストの短縮であった.このことから,山梨県が地域振興局を廃止した主な原因は,市町村合併が広域行政における県の役割を低下させたことにあるのではなく,合併によって県の支援を必要とする町村が減ったことにある,と言える.
     したがって,山梨県出先機関の再編から読み取れる,市町村に対する都道府県の役割の最大の変化は,行政運営に対して指導・支援を行う役割が縮小していることであると結論付けられる.そのため,都道府県が今後その存在意義を主張し続けるとすれば,市町村に対してより高度な指導・支援ができるよう組織の専門性を強化するか,あるいは別の役割に自身の存在意義を見出す必要があるだろう.
  • 上杉 昌也, 浅見 泰司
    セッションID: 307
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    I 背景と目的 様々な年齢層や所得階層の住民が混住するミクスト・コミュニティは、地域活動の維持や活力の面でプラスの効果が主張される反面、ライフスタイルや価値観の差異による摩擦や人間関係の希薄化による居住満足度の低下も懸念される。多様化が進む個人・世帯が共存していくためには、どのような空間単位でのミックス化が望ましいのか、またどういう点に配慮すべきかを具体的に検討する必要がある。この点を踏まえ本研究では、近隣満足度に着目し、小地域における居住者の多様性や偏りがその評価に与える影響について検証することを目的とする。II 方法とデータ 初めに、国勢調査結果と住宅地図を用いて街区単位での居住者属性分布を次の通り推計した。例えば世帯類型別世帯数は、①IPF法を用いて、町丁目単位における3元クロス表(住宅の建て方×延べ床面積×世帯類型別世帯数)を推計する1)。②国勢調査基本単位区座標データと住宅地図街区データをマッチングし、街区単位で住宅の建て方×延べ床面積別世帯数を集計する。③このデータに①で作成したクロス表から住宅の建て方×延べ床面積別に配分し、街区単位での世帯類型別世帯数の分布を得た。同様の方法で、街区ごとの世帯収入別世帯数や年齢別人口等の分布も推定した。続いて、上記作成データと住生活総合調査(2008)の個票データ(東京都区部、サンプル数2,320)を用いて、「近隣の人たちやコミュニティとの関わり」に関する居住満足度(満足、まあ満足、多少不満足、非常に不満足の4段階)について、順序ロジスティック回帰分析を行った2)。ここで説明変数として世帯変数(住宅所有関係、世帯人数、世帯年収、世帯主年齢、世帯主女性ダミー、共同住宅ダミー、住宅床面積など)および地域変数(単身世帯割合、高齢人口割合、低所得世帯割合など)を用いた。なお地域変数の集計単位は町丁目と街区レベルの複数種類を用意し、近隣効果の影響範囲についても考察した。III 結果と考察 街区単位での居住者属性の推計については、国勢調査基本単位区集計から得られる街区別の総人口、総世帯数と比較したところ本推計により妥当な結果が得られることが分かった。近隣居住者が満足度に与える影響の分析では、次のような結果が得られた。まず、近隣の世帯類型構成の影響について、その多様性は満足度に大きな影響を与えなかった。ただし、近隣の単身世帯割合は、単身居住者にとっては有意な影響は見られなかったが、ファミリー世帯にとっては対象者の世帯属性を考慮しても近隣の単身世帯割合が増えるにつれて満足度は有意に低下し、とくに調査区単位よりも町丁目単位でその傾向が強かった。想定される理由として、ファミリー世帯では近隣をより広くとらえ、単身者が周囲に増えることにより、例えば近所付合いの希薄化、地域活動への非協力、無関心のような不満度を高める要素を感じやすくなる可能性がある。また、近隣の年齢階層の多様性も満足度には大きな影響を与えていないものの、近隣の子供の割合が高くなるにつれて満足度が高まる傾向がみられた。小さな空間単位での居住者属性の偏りは特定の居住者層にとっては近隣に対する満足度を下げていることもあり、その背後のメカニズムや許容できる偏りの範囲を明らかにしていくことも重要である。1) IPF法では、周辺分布として国勢調査町丁・字集計(2010)、初期値として住宅・土地統計調査個票データ(2008)を用いた。2)国土交通省国土交通政策研究所(2010)も同じデータを用いた分析を行い、公営住宅や借家割合の高い地域で満足度が低いことを示しているが、クロス分析にとどまっており世帯要因の考慮や近隣レベルでの検討はなされていない。
  • 中村 努
    セッションID: 308
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに
     高齢化による医療需要の高まりと医師不足を背景として,効率的で公平な医療供給体制の構築が急務になっている。こうした課題への対応の一つとして,ICTを活用することによって,市町村,二次医療圏などといった地理的境界,医療,介護といった職種の境界を超えて診療情報を共有する地域医療連携があげられる。しかし,日本における地域医療連携システムは,システムごとにデータの共有方式や参加者の範囲などに相違がみられるとともに,一部の地域に偏在している。その原因として,①診療所の参加率の低さ,②診療情報を統合するために必要な標準規格の不在,③費用対効果などインセンティブの欠如の3点を指摘できる。結果として,基幹病院やNPO等による地域医療連携システムが自発的に構築され,加入率や利用頻度が地域によって異なるために医療アクセスに地域差が生じる可能性がある。本発表は,地域医療連携システムが先駆的に普及した事例として評価される長崎県を対象に,その成功要因を明らかにするとともに,ICTの普及に地域差が生じるメカニズムを考察する。

    Ⅱ.長崎県の医療供給体制の概要
     長崎県は,五島,上五島,壱岐,対馬の4つの離島の医療圏を抱える日本でもっとも離島数の多い県である。長崎県における医療供給体制の特徴は,①一般病床は全県を通じて多い一方,離島では療養・回復期病床が少ないこと,②長崎,佐世保県北,県央と,県南,離島地域の医療供給体制の格差である。
     患者住所の圏域内の病院に入院している割合は,長崎,佐世保県北圏域では90%を超えるが,県南,上五島圏域は50~60%台と低くなっている。他圏域への入院割合は,県南圏域が県央圏域に35.0%,上五島圏域は長崎圏域に20.9%と高くなっている(図)。このように,長崎県では医療資源の相対的に少ない離島から,豊富な本土へと入院患者が流出している。居住地域内の圏域で医療を完結させるために離島における医療アクセスの改善が求められる。

     Ⅲ.地域医療連携システムの普及メカニズム
     「あじさいネットワーク」は2004年10月に運用を開始し,長崎県内の主要な医療関係機関への普及を実現した地域医療連携システムである。中核病院で必要な治療を終えた患者は,最寄りの医療機関や自宅で医療を継続して受けることができる。
     地域医療連携システムが普及した要因として,①医師会単位で参加できる団体割引料金を設定したことによって,診療所の加入率を高めたこと,②マルチベンダー方式を採用することによって,他社の電子カルテシステムと互換性をもたせたこと,③医師への事前アンケート調査によって把握したニーズを踏まえて,費用対効果が認められるような工夫をしたことである。
     地域医療連携システムが普及していくメカニズムを検討すると,参加率と地理的範囲によって3段階に分けることができる。第1に長崎医療センターと大村市民病院,大村市医師会との協働によって,大村市を地理的範囲とした構築段階である。第2に長崎市医師会との協働によって,大村市における取組みを長崎市に拡大した段階である。第3に,長崎県の全医療関係機関を対象にシステム加入率を高めた普及段階である。それぞれの段階において,目的を実現するうえでのボトルネックが存在した。長崎県は西洋医学教育が最初に展開されたこと,被ばく医療のために病院が多いこと,隔絶性の高い離島を多く抱えていることなどを背景として,医師会の会員医師と病院医師との人的関係が良好であった。あじさいネットワークでは,運営主体が人的ネットワークを利用した既存の連携の仕組みを生かすことでボトルネックを解消した。
  • 島根県松江市を事例に
    川久保 篤志
    セッションID: 309
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに 2011年3月の東日本大震災に端を発する福島第一原発の未曾有の大事故は、現在でも事故原因の究明が完全には進んでおらず、避難を余儀なくされている原発周辺住民の帰還の目途も立っていない。にもかかわらず、政府は将来における原発廃止を決定できずにいる。この背景には、国家レベルでのエネルギーの安定供給の問題に加えて、原発の立地に伴う電源三法交付金による地域振興効果に期待する立地自治体等の思惑がある。 では、原発の立地地域では交付金をもとにどのような地域振興が図られてきたのか。本発表では、これまでの研究蓄積に乏しい島根原子力発電所(以下、島根原発)を事例に検討する。島根原発が地元にもたらしてきた交付金は1980年代に入って急増し、2010年までに累計720億円に達しており、その使途について検証する意義は大きいと思われる。 なお、島根原発が立地する松江市鹿島町は、松江市と合併する2005年までは八束郡鹿島町であったため、合併前に建設された1号機・2号機に関する地域振興効果の分析は旧鹿島町域で行い、現在建設中の3号機に関する分析は新松江市域で行うことにする。2.1号機・2号機の建設に伴う旧鹿島町の交付金事業の実態 旧鹿島町は、島根県東部の日本海に面した人口約9000人、面積約29km2の小さな町で、県東部有数の漁業の町として発展してきた。島根原発計画は1966年に持ち上がり、当時は原子力の危険性より用地買収や漁業補償に焦点が当たりながら、1974年には1号機、1989年には2号機が稼働した。 これにより多額の交付金や固定資産税が入ってきたため、特に1980年代と2000年代に積極的に地域振興事業が行われた。旧鹿島町役場と住民へのヒアリングによると、その主な使途は1980年代半ばまでは学校や運動公園、保健・福祉関係等の箱モノ建設が中心だったが、次第に、歴史民俗資料館(1987年)、プレジャー鹿島(1991年)、野外音楽堂(1998年)、鹿島マリーナ(2002年)、温泉施設(2003年)、海・山・里のふれあい広場(2005年)など、娯楽・観光的要素の強い事業が増加してきたという。これらの事業の中で住民から評価が高いのは、小・中学校校舎の新増設や公民館・町民会館の建設で、次代を担う世代の教育と地域住民のコミュニティ活動を活発化させる上で大きな役割を果たしたという。また、1992年の下水道施設の整備も高齢者の多い地元では高く評価されている。 一方、産業振興という観点では農業と漁業の振興が重要だが、農業については水田の圃場整備事業やカントリーエレベーターの新設を行い、生産の効率化・省力化を進めた。また、プレジャー鹿島や海・山・里のふれあい広場では地元の農水産物等の直売が行われた。漁業についても、町内4漁港の整備改修が進められ、恵曇地区に水産加工団地が整備されたた。しかし、これらの事業は一定期間、農業・漁業の維持に貢献したものの、1990年代後半以降には担い手不足から衰退傾向が著しくなった。 また、都市住民との交流促進の観点からは、総合体育館(1998年)・鹿島マリーナ・温泉施設が一定の成果をあげている。例えば、総合体育館は1999年以降毎年、バレーボールVリーグの招待試合を開催しており、2010年以降には松江市に本拠を置くバスケットボールbjリーグの公式戦や練習場として利用されている。鹿島マリーナは贅沢施設に思えるが、町中央部を貫流する佐陀川に無造作に係留していた船舶がなくなることで浄化が進み、かつ、山陽地方の釣りを趣味とする船主が係留料を支払うことで多額の黒字経営を続けているという。また、温泉施設は年間20万人の利用者がおり、夕方以降は常に満員という状況にある。3.3号機の建設に伴う松江市の交付金事業の展開と問題点 2005年に建設着工した島根原発3号機は、出力が137万kwと1号機・2号機を大きく上回っており、その交付金事業は桁違いの規模になった。図1は、これをハード事業(施設の建設が中心)とソフト事業(施設の運営が中心)とに分けて、示したものである。これによると、交付金は着工後に急増して2007年にピークの75億円に達した後、稼働年(2012年予定)に向けて減額されていることがわかる。また、交付金の使途は減額が進む中でソフト事業を中心としたものに変化していることがわかる。なお、発表当日はこの資料をもとに、交付金事業の内容を批判的に検討する。
  • キーナー ヨハネス
    セッションID: 401
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    研究背景と課題1990年代に、我が国で路上生活のホームレス問題が顕在化した。その政策的理念として、90年代後半には野宿生活者に向けて、地域での自立した生活を目的とした「自立支援」の概念が導入された。2002年の「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」の施行によって、この流れは強化され、ホームレスの自立を支援する為に居住の場の確保が必要となるので、自立支援を行う施設が開設されるようになった。その自立支援の中心になった施設がホームレス自立支援センターであった。一般的にホームレス支援に関連する施設は、地域社会に反対されがちであり、立地はスムースにはいかない。その立地は、そもそもホームレスの人々の就労機会の多いところに近接する立地が望まれるが、運営することになった組織が有する施設敷地内や、新規の場合には、もともと立地する迷惑施設のある縁辺地区になる場合が多い。研究目的と方法本研究の目的は、自立支援センターの立地が支援の目的と支援の効果にどういう影響を与えるか明らかにすることである。研究対象は全国の25ヶ所の自立支援センターとなっている。それらの立地の特徴を把握しながら、自立支援センター別の支援目的と支援効果の分析を通じて、立地の影響を明らかにする。分析のために自立支援センターが作成した退所者に関するデータを利用しており、立地の特徴は地図と文献及びフィルドワークをもとに把握した。概要ホームレス自立支援センターの中で利便性の高い地域に位置していると、就労自立率という傾向は大阪市と名古屋市で見られる。例えば、大阪市1は市街地の真ん中に位置し、就労自立率は40%と高い。同じ傾向は大阪市の中心に位置している大阪市2でもある。それに対して最寄り駅から遠く位置している大阪市3の就労自立率が33%と低い。そして、都心から離れている埋立地の舞洲に位置している大阪4の就労自立率は6%と最も低い。しかし、こういう傾向はすべてホームレス自立支援センターに当てはまるわけではない。東京の場合は明瞭な関係を見出しにくい。利便性が高い都心に位置している東京都2の就労退所率は53%であることに対して、河川敷に近くて不便な東京都4の就労自立率は30%と低いのは大阪市と同様である。しかし、最寄り駅から離れた東京都5の就労自立率も52%と高くて、利便性の高い東京都2とほとんど同様である。結果としてホームレス自立支援センターの立地は、原則的には就労自立率に影響を及ぼすと考えられる。しかしそれは立地の至便さの高低が生み出す要因に特定できるだけではなく、ホームレス自立支援センターの支援方針にも関連している。
  • 函館市陣川地区あさひ町会バスを事例として
    井上 学, 今井 理雄, 山田 淳一
    セッションID: 402
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ 問題の所在と研究の目的 民間バス事業者が撤退した地域や交通空白地域などに当該自治体が中心となってバスを運行する、いわゆる「コミュニティバス」は日本の多くの自治体で運行されている。 コミュニティバスは運賃収入のみでは運行の継続性が困難なため、補助金の支出を前提として自治体が運営している。しかし、行政域が広い自治体や交通空白地位が多く存在する自治体では、ある特定の地域でコミュニティバスを運行すると、他の地域からもバスの運行が求められ、自治体としては行政サービスの公平性の観点から要望を断りにくいケースが想定される。そこで、沿線住民が中心となって構成された住民組織や、企業団体がコミュニティバスの運営主体となってバスを運行する事例がいくつか存在する。ただし、住民組織が運行するバスの場合、ボランティアベースでの運営の関わりとなるため、これが住民組織によるバスが増加しない要因のひとつといえる。 そこで、本研究は住民組織が運営するバスがどのような経緯で運行に至ったのか明らかにする。また、運行後の経路や本数などのサービスの変化を明らかにすることで、行政が運営する既存のコミュニティバスや民間事業者が運行するバス路線との差異を検討する。対象としたのは函館市陣川地区で運行されているあさひ町会バス(以下、Jバス)である。Ⅱ 研究対象地域の特徴と研究方法 研究対象地域である、函館市陣川町は函館市の北東部に位置し、人口は1,452世帯、3,454人(2012年12月現在)である。函館市内の他地域と比較すると高齢者の割合が低く、30~40代の割合が高い地域である。1980年代後半より宅地の造成が始まり、戸建て住宅がほとんどである。 路線バスは、町内と函館市の中心部である五稜郭や函館駅を結ぶ便がおおむね1~2時間に1本の頻度で運行され市中心部への通勤、高校への通学や買い物等に利用されている。また、この地域の近隣には小中学校がないため、地域で独自に運行される通学バスもある。 しかし、近年増加しているロードサイド型・郊外型の商業施設にアクセスすることのできるバス路線がないため、陣川町では新たなバス路線が望まれていた。本研究は、そのような需要にバス事業者や行政がどのように対応し、結果として住民組織が補助金に頼らないバス路線を運営することとなったのか、その経緯を函館バス、函館市、陣川町あさひ町会の担当による聞き取り調査を中心に明らかにする。そして、バスの利用状況をふまえて、バス路線のサービスがどのように変化しきたのか明らかにする。くわえて、バス路線のサービスを変更する際に、地域内でどのように検討されてきたのかについても言及する。Ⅲ 調査結果と考察 Jバスの運行計画や定期券・回数券の売上金の管理(現金での乗車はできない)は陣川町あさひ町会の会員から構成される協議会が担当している。バスの運行に関しては、函館バスが受託している。行政はまちづくりの一環として、町会と函館バスの調整の役割や定期券・回数券の印刷などの業務に留まっている。Jバス運行後の利用者数は採算ライン前後で推移している。そこで、町会では利用結果をふまえて3ヶ月ごとに路線の変更やバスの時刻変更、減便、停留所の廃止・新設を行ってきた。特に廃止される区間や停留所に若干の利用者がいた場合、その利用者を説得して路線変更後も継続的な利用を呼びかけている。 路線バスは鉄軌道に比べて利用動向をふまえた柔軟な路線変更やダイヤ設定が行える点にある。住民組織が運営することで、迅速にバスのサービスを変更できる点が大きいといえる。また、住民組織がバスを運営することで、バスの利用者という立場にくわえてバスの経営者という認識が芽生えた。それによって、1人でも利用者がいればサービスを維持するという考えから、利用者が少なければサービスの廃止はやむを得ない、サービスを維持するためにはどのようにしたらよいか考える積極的な利用者に変化したといえる。その背景には、従来から町会で通学バスを運営してきており、バスの運行にある程度のノウハウがあった点が指摘できる。しかし、それ以上に、①入居開始時には公共施設や商業施設が乏しく、何事も自分たちで実行するしかなかった、②地域住民が比較的若い世代であり、町会の業務に積極的に関わることができるという地域の特性が指摘できる。また、それゆえに行政や民間事業者に頼る前に自分たちでできることを考えてみるというコミュニティの特徴が要因といえる。 すなわち、行政や民間事業者に請願するのみではなく、ある程度コミュニティが責任と実務を担うことでサービスの導入や変更は容易になると考えられる。
  • 富山市と青森市を事例として
    秋元 菜摘
    セッションID: 403
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    Ⅰ 高齢社会と生活環境の変化
    高齢化の進展とともに単身高齢世帯や高齢夫婦世帯が増加するなか,高齢者の日常生活がどのように維持されるのかについては社会的関心が高い.たとえば,2011年には経済産業省が「買い物弱者応援マニュアル」を策定し,日用生活品を入手しにくい住民への支援策に着手している.特に地方都市では,日常生活は自動車を必要とする生活関連施設の配置や公共交通サービス水準が実現している.そのような環境では,自家用車を運転できなくなる割合が高い高齢者が日常生活を営むことは困難であると考えられる.しかしながら,実際にどのように生活環境が変化し,どの程度の影響があるのかについて分析する必要がある.本研究では,富山市と青森市を事例に,生活関連施設や公共交通サービス水準のデータを利用し,高齢者の日常生活アクセシビリティの変化を明らかにすることを目的とする.両市はコンパクトシティ政策で有名であり,都心部の再開発などにより都心機能や生活関連施設の維持に努めている.
    Ⅱ 日常生活アクセシビリティ
    国勢調査1/2地域メッシュを用いて人口分布を可視化すると,2000~2010年の間に,65歳以上の高齢者人口割合の高い地区は郊外でも多く見られるようになっている.市の人口総数における高齢者割合の増加だけでなく,高齢化が市域全体で生じていることから,高齢化に関わる問題を考える際には面的な広がりを考慮する必要がある.なお,両市とも5%以上の人口減少はない.生活関連施設は2000年以降,特に商業関連施設で減少が大きく,その減少の仕方は一部地域の施設が減少するのではなく,市域全体で施設密度が低下していた.一方,鉄道交通のサービス水準には大きな変化は見られなかったが,運行頻度は若干減少していた.アクセシビリティの面から変化を明らかにするため,国勢調査1/2地域メッシュの中心点を基準として,最寄駅まで歩いて都心(市の中心駅)へ鉄道でアクセスした場合の所要時間を求めた.所要時間とアクセス可能人口割合の関係をみると,高齢者が活動しやすい午後早めの時刻(14時台)では,2005年では1995年よりアクセシビリティが低下している.
    Ⅲ 結論
    市域全体で高齢化が進展しているなか,生活関連施設の減少や公共交通サービス水準の低下によって,特に郊外における高齢者の日常生活環境の維持は悪化する傾向にあるといえる.本研究は,それぞれの市全域を対象として,客観的に住民のアクセシビリティの状態を明らかにすることが主な目的であったが,今後はより詳細にアクセシビリティを計測するほか,高齢者の個人属性や取り巻く環境,住民の評価に基づく主観的な生活環境についても研究されることが求められる.
  • 坪本 裕之
    セッションID: 404
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     都市内部構造を説明する時、経済立地の立場からは新古典派主義的アプローチ、とりわけチューネンの農業地代論をもとにした地代論が用いられる。しかし、現代大都市の、特に土地の需要が高い中心地域では不動産資本の役割が増大し、土地・空間の供給者と利用者が明確に分離しているが、両者は不可分のまま扱われているという問題がある。 郊外に地代負担力のある高所得者層が居住する、付け値地代では説明できない現象を説明する枠組みとしてトレードオフモデルが存在し、住宅面積と通勤費の均衡を分布のメカニズムとして位置づけている。しかしその検討は住宅の間に留まり、機能の異なる立地主体の間で必然的に発生する活動の違いについては考慮していない点も問題である。本研究では、昨今の大都市内部の構造変化を説明するために、不動産資本が用意する空間を最終的に利用する立地主体:エンドユーザーの視点に立脚することが肝要と考え、既往の地代論モデルに対して、利用者の視点に立脚した都市内部の機能分布とその変化を説明する枠組み:「エンドユーザーモデル」の提示を試みたい。
  • 大阪府八尾市を事例に
    安倉 良二
    セッションID: 405
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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     1990年代から2000年代半ばに至る大型店の出店規制緩和は,売場面積の大型化と複合化を伴いながら大型店の出店をめぐる都市間競争を加速させた。他方,都市内部の小売活動をみると大型店の隆盛とは対照的に,中心商店街の衰退が不可逆的に進んでいる。こうした中,全国の中心商店街では,観光やイベントの開催ならびにコミュニティ活動の拠点づくりなどを通じて,多くの人々に商店街の存在をアピールする試みが行われている。しかし,その効果が十分であるとは言い難い。
     大型店の立地変化が都市の小売活動に与えた影響に関する研究の多くはモータリゼーションが進み,公共交通機関が未整備な地方都市を対象に,郊外地域の成長と中心市街地の衰退を結びつける形で進められた。しかし,大型店の隆盛と中心商店街の衰退は公共交通機関の便が良い大都市圏近郊都市においても確認できる。とりわけ,中心商店街に近い工場跡地における大型店の立地は,中心市街地の内部というミクロなスケールで大型店の隆盛と中心商店街の衰退という小売活動の二極化を促していると思われる。その実態を明らかにしながら,小売活動の衰退が進む中心商店街におけるまちづくりの動向を論じることは,商業からみた都市空間のあり方を考える上でも見逃せない。
     そこで,本報告では,大都市圏近郊都市の中心市街地における小売活動の変化について,大阪市の東隣に位置する八尾市を事例に選び,大型店の立地動向と衰退する中心商店街におけるまちづくりの取り組みの2点から検討することを目的とする。
     八尾市の中心市街地は,江戸時代に建立された大信寺(八尾御坊)の寺内町として形成された。1924年の大阪電気軌道(現在の近鉄大阪線)開通後,八尾市は大阪市の近郊都市としての性格を強めた。中心商店街は1960年代前半まで周辺市町から多くの買い物客を集めていた。
     中心市街地の小売活動が大きく変化する契機となったのは,1960年代後半以降の大型店の相次ぐ立地である。それは以下の2つの時期に分かれる。ひとつは,1960年代後半~1970年代であり,当時の近鉄八尾駅北側にある住宅地に総合スーパーによる単独店舗が相次いで出店した。もうひとつは,1980年代以降である。1981年西武百貨店(現在はそごう・西武)が,「八尾西武」の名称で区画整理事業の完成(1978年)に伴って移転した近鉄八尾新駅前に出店した。区画整理事業区域には,2006年コクヨ八尾工場の跡地を利用して,イトーヨーカ堂の大型ショッピングセンター「Ario」の関西第1号店も開業した。八尾新駅における一大商業集積の形成は,中心商店街における空き店舗の発生ならびに旧駅北側にあった既存大型店の閉店を導いた。
     中心商店街におけるまちづくりの取り組みとして,商業振興面では,毎月11日と27日に大信寺前で開催される露店市「お逮夜市」にちなんだ販促活動が継続的に行われている。また,商業振興以外では2000年代以降,近隣住民に対するファミリーコンサートや歴史散策のイベント開催ならびに空き店舗における子育て支援活動が行われた。しかし,これらの取り組みは市役所からの補助金に依存しており,単発的なものになっている。
     小売活動において大型店との格差が極めて明瞭な八尾市の中心商店街がまちづくりを進めるに際しては,商店街関係者以外の人的資源を活用しながら,寺内町という歴史資源を活用した観光面でのPRに力を入れるなど,いかにして大型店との差別化を図ることができるのかが大きく問われるであろう。
  • 東京都区部の事例
    上村 博昭
    セッションID: 406
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    1.はじめに
     高度経済成長期には,人口や諸機能の東京一極集中が生じた一方で,その他の地域においては,人口の過疎化,高齢化など地域的課題が生じた.グローバル化の影響によって産業基盤が変化するなかで.農林漁業やその関連産業,観光など,域内資源を活用する方向性が打ち出されてきた.こうした社会的変化に伴い,1990年代以降に自治体がアンテナショップ(AS)を設置する動きが目立っている.ASは,民間事業者がマーケティング活動の一環として,市場ニーズの探索等を目的に設置する店舗であるが,近年では行政が公的に設置する事例が増加している.しかし,雑誌記事や一部の経営学における研究を除けば,十分に学術的検討はなされておらず,特に立地・運営の態様は明らかとなっていない.
     そこで本研究では,東京都区部の事例に対する検討を通じて,都道府県ASの立地・運営方式について明らかにしたい.調査方法は,本研究では各都道府県のアンテナショップ設置状況を把握し,各施設の概要や設置方針を検討することを目的に,2012年6月から12月にかけて,47都道府県を母集団としたアンケート調査を行った.その結果,回答のあった41道府県(87.2%)のうち,東京都区部へASを設置するものが31道府県であった.さらに,30道府県に対してはヒアリング調査を実施し,立地選定の経緯や現在の運営状況,今後の方針に関する調査・分析を行った.なお,本研究では都道府県ASを,行政施策の一環で設置される施設と捉えているため,実質的に行政の関与が存在しない施設については,本研究の調査対象から除いた.

    2.都道府県アンテナショップの立地・運営状況
     1つの都道府県が2~5カ所のASを設置している場合があるので,都道府県数と件数は一致しない.件数ベースでみると,2012年8月時点では,全国に48件の都道府県ASが存在する.都市別にみると,大阪や名古屋などの大都市圏,各道府県の県庁所在地への分布がみられるが,件数で最多の地域は東京都区部(32件)である.都区部では,千代田区7件,中央区13件,港区5件という分布を示し,銀座・有楽町周辺部への集中傾向がみられるほか,少数ながら新宿や池袋など副都心部への展開がみられる.設置目的は,地元のPR,観光誘客,域内経済の振興,そして都区部での情報収集(都市住民のニーズを把握)にある.ヒアリング調査によれば,都区部のASを通じて域内の魅力を発信し,物産販売や観光誘客を促進するとの回答が目立った.これは,都道府県ASの大半を商工観光系の部署が所管していることに関係している.
     上記目的のもとで,各都道府県ASには食品中心の物産販売,観光案内,軽食提供やレストランなどの機能が置かれ,商談会の開催など事業者向け支援機能を持つ事例がみられた.ASの運営に際しては,都道府県が事業の統括と予算措置を行い,物産販売や飲食などの営利部門の管理・運営を,社団法人や民間企業へ委託する方式が採られている.都道府県ASには,行政の設置目的,運営方式に共通性がみられる一方で,いくつかの点で多様性がある.第1に,ASの施設総面積は1,658㎡から33㎡までと幅広く,施設規模では50倍の差がある.第2に,年間販売額では8億円から860万円までと,運営実績でみた場合にも,約100倍の差が生じている.第3に,施設形態では,一般にみられる物産販売,観光案内,喫茶・レストランを併設する型だけではなく,大分県のレストラン特化型,埼玉県や徳島県のコンビニエンスストア併設型など,設置方針によって施設形態に差異が生じている.

    3.本研究の知見
     本研究で得られた知見は,以下の諸点である.第一に,都道府県ASの立地方針は,コンセプトへの適合度や人通りの多さなど,事業内容に基づく明確な立地方針を持った事例と,他の道府県の分布状況を見て,大勢に追随した事例に分かれる.近年では,銀座,日本橋地区への集中化傾向が強まっており,立地選択の方針として後者タイプの増加を指摘できる.第二に,設置目的には共通性がある一方で,各都道府県ASの運営方式に多様性がみられた点である.都道府県ASは,百貨店における物産展と比べて常設である点が特徴的であり,都道府県ASの運営方式,および相対的な事業規模には,各道府県の方針が色濃く反映されている.第三に,既存研究においては,都道府県ASの課題として費用対効果が指摘されてきたが,本研究においても同様の課題が裏付けられる.AS不設置の府県には,費用対効果を懸念する回答があるほか,都区部に設置する道府県のなかには,コンビニエンスストア併設型を選択する事例もみられる.地元のPRや観光誘客などの目的に対し,明確な経済的効果を求められる一方で,行政活動であるために営利追求に対する制約があるという点に,都道府県ASの課題が存在する.
  • 根田 克彦
    セッションID: 407
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    イギリスは1990年代以降センターと呼称される小売商業地を核とする地区を設定して,それらを保護し,それ以外の場所,すなわちセンター外における大型店の立地を規制してきた.しかし,小都市のシティセンター,中規模以上の都市でもインナーシティの中小センターの衰退は止まることはなかった.本発表で対象とするノッティンガム市のハイソングリーン・タウンセンターは,ノッティンガム市のインナーシティに位置する小規模な周辺商業地のひとつである.ハイソングリーン・タウンセンターは,近年周辺に居住するエスニックマイノリティを対象とする商品とサービスを提供する商店街として注目された.このようなセンターは近隣の住民ばかりではなく,観光客を集めることもできる.本研究では,ハイソングリーン・タウンセンターのエスニック的な特徴と,それを支える周辺環境との関係を分析したい. ノッティンガム市の人口は266.988人(2001年)である.白人が84.9%,アジア人7.1%,黒人4.3%であり,白人人口がイングランドの平均(90.9%)に比べると低い.アジア人のなかで多いのはパキスタン人(全人口の3.6%.以下同様),次いでインド人(2.3%),中国人(0.6%),バングラディッシュ人(0.2%)である.パキスタン・バングラディッシュ人口が多いことからノッティンガム市ではムスリムが4.6%を占める(イングランド平均3.1%).さらに,市全体のムスリムの49.3%がシティセンターとそれに隣接する北部のインナーシティの4地区に集中する(図1).ハイソングリーン・タウンセンターは,それらムスリムが集中する地区の中心に位置する.これらの地区の一部は,1998年にNew Deal for Communities (NDC)政策が対象とする最も貧困な17地区の一つとして選定された. ハイソングリーン・タウンセンターには,バス停と路面電車(NET)の駅がある.核店舗であるAsdaスーパーストアは,1990年に市営住宅の再開発により立地し,広大な無料駐車場を有する.ハイソングリーン・ディストリクトセンター内にはハラル料理販売の食料品店やレストラン,サリーなどの民族衣装販売店,ポーランド・スペインレストランが立地する.
  • 廣野 聡子
    セッションID: 408
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    本論では植民地期において官線と同様の規格を持った唯一の私鉄である台北鉄道を事例に、その特徴と性格について明らかにする。台北鉄道は、台北と台北郊外の新店を結ぶ台車軌道をその前身とし、1921年に官設鉄道と同様の軌間1067mmで敷設された鉄道であり、相対的に旅客輸送のウェイトの大きい鉄道会社であった。鉄道の成立は、当時台湾総督府が民間資本の導入によって縦貫線と接続する地域鉄道網を整備する姿勢を持っており、そうした思惑のもと総督府が台湾の内地人企業家や資本家に働きかけた結果である。台北鉄道は10km程度と路線が短く鉄道収入の飛躍的な伸びは中々期待できない中で、世界的な恐慌や災害など不運も重なって経営は低迷する。1930年代初頭には総督府による買収が議論される厳しい局面を迎えたが1930年代半ばからの経済成長を追い風に鉄道の営業成績は向上し、1941年頃には借入金を完済、そして1945年の日本敗戦により国民政府に接収されて歴史を終えるのである。 ただし旅客数は開業初期から比較的堅調に伸び、その後1930年代後半の大きな成長をみることから、台北鉄道の性格を見るうえで台北の都市発展との関連性に着目する必要があろう。 蔡(1994)は、台北の都市内には台湾人と日本人の間で居住分化が見られたこと、また職業面でも公務員や商業で日本人が多く、台湾人は工業従事者の割合が高いことを指摘しているが、台北鉄道沿線の内地人比率を見ると竜口町87.3%、川端町80.0%、古亭町66.5%と極めて内地人比率の高い地域が存在する。沿線地域全体で見ても相対的に日本人が多く住む地域であった。これら日本人は公務員・商業などホワイトカラー職に就く者が多かった点を踏まえると、台北鉄道沿線は台北市内でも相対的に通勤通学人口を多く抱えていたことがわかる。その上で台北鉄道における旅客一人当たりの平均運賃を見ると、開業当初は15.2銭であったのが、1937年には7.7銭 と、輸送の実態が短距離輸送へと変わっていったことが確認できる。 植民地期の私設鉄道の特徴は貨物輸送の大きさであるが、台北鉄道は相対的に旅客の割合が高く、台北と郊外とを結ぶ鉄道として台北の都市拡大の影響を強く受け、通勤通学輸送が卓越した都市鉄道としての性格を強く持っていた。 ただし、その沿線は日本人が多く居住する地域であったため、地域社会に根ざした鉄道というよりも、日本人利用の多い支配階層のための鉄道という性格は免れなかったものと思われる。
  • 遠藤 幸子
    セッションID: 409
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    世界のコンテナ港において、今後、注目すべきは、グローバルターミナルオペレーターの戦略がどのような形で具現化していくかということである。これまでに報告したHHLAとBLGだけではなく、この業界の全般的な動向について論じ、さらにルアーブル・ハンブルクレインジに属するコンテナ港におけるターミナルオペレーターの実態について調査・分析する。
  • ―1965年~2010年―
    桐村 喬
    セッションID: 410
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
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    I 背景と目的
     2010年の国勢調査結果によれば,単身世帯が夫婦と子供から成る世帯を超えた.一般的に「標準家庭」とされ,代表的な世帯像と考えられてきた夫婦と未婚の子から成る核家族世帯は標準的な世帯ではなくなりつつある.家族社会学的な知見によれば,グローバル経済のもとでの男性だけでなく女性も含めた収入の低下が,戦後長らく続いてきた「戦後家族モデル」の解体をもたらしたとされ(山田2005),近年の単身世帯の増加などの世帯構成の変化は,そうした家族を形成できなくなったことの現れといえよう.
     このような世帯構成の変化は,単身世帯が多く,かつ顕著に増加してきた大都市圏では(藤森2010),数十年スパンの長期的な現象であると考えられる.桐村(2011)が長期的な小地域統計のデータベース構築の成果として示した,東京23区における平均世帯規模の縮小も,単身世帯の増加などの世帯構成の変化がもたらした結果であろう.桐村(2011)は,その縮小が1960年代以降に顕著であり,東西のセクター的な差異を伴うものであったことを示している.若林ほか(2002)が示したような近年の女性の単身世帯の増加も,平均世帯規模の縮小に寄与すると考えられるが,一方で縮小過程の東西のセクター的な差異は,ホワイトカラーとブルーカラーによる伝統的な居住分化との関連も想起させるものであり,様々な要因が複合的に作用しているものと思われる.しかし,桐村(2011)による分析は,人口総数を世帯総数で割った平均世帯規模の検討に留まっており,単身世帯や核家族世帯などから成る世帯構成の変化は十分に考慮されていない.従って,平均世帯規模の縮小過程の地理的背景を詳細に明らかにするには,まず,どのような世帯が増え,減ってきたのかを把握しておく必要がある.
     そこで本発表では,東京23区における1960年代以降の平均世帯規模の縮小過程に注目し,世帯構成の変化に関するその基本的な特徴を明らかにする.分析の期首年次は,詳細な小地域統計が入手可能である点を考慮して1965年とし,直近の国勢調査が実施された2010年を期末とする.分析にあたっては,東京都が独自に集計した町丁別の国勢調査結果および国勢調査町丁・字等別集計を中心に利用する.
    II 分析結果
     単身世帯の割合は,東京23区の西部で高く,特に山手線の西半分の沿線と,中央線沿線で顕著である.この相対的な傾向には,割合の上昇の過程および現在でも大きな変化はない.1975年になると,単身世帯が普通世帯全体の50%を超える町丁がみられるようになり,これ以降,鉄道駅の周辺から順に,相対的に単身世帯の多かった地域で普通(一般)世帯全体の50%を超えるようになっていった.1990年には山手線の内側の地域を中心に,一時的に単身世帯の割合が低下するものの,1995年以降,再び割合は上昇し,山手線の内側の地域を含めて,隅田川以西の大半で単身世帯が50%以上を占めるようになった.
     このような単身世帯の増加に対して,核家族世帯は1975年ではほぼすべての町丁で普通世帯全体の50%以上を占めていたものの,単身世帯の多かった地域から順に,核家族世帯の割合は低下し始めた.1990年には,核家族世帯の割合は一時的に上昇する地域もあったものの,2000年ごろを境にして,港区や中央区などの都心部でも低下が目立ち始め,50%を切る地域が広がっている.
     このように,核家族世帯の減少と単身世帯の増加はほぼ対応しており,単身世帯中心の世帯構成への変化は,1970年代後半から1990年ごろにかけての時期に東京23区西部の山手線・中央線沿線で生じ,1990年以降は都心部でも単身世帯中心の世帯構成への変化が進んだ.一方で,東京23区の東部では,2010年で単身世帯が50%を超える町丁もみられるものの,依然として核家族世帯を中心とする世帯構成を維持している.ただし,核家族世帯の内訳をみれば,東京23区東部を含めた大半の地域において,核家族世帯に占める夫婦のみの世帯の割合が徐々に上昇してきており,核家族世帯についても規模の縮小が続いているものと思われる.
    III まとめと今後の課題
     今回の分析では,単身世帯を中心とする世帯構成をもつ地域が,1970年代半ば以降に東京23区西部から広がり始め,1990年代以降は都心部を占めるようになったことが確認された.また,2010年でも依然として核家族世帯を中心とする世帯構成をもっている東京23区東部でも,夫婦のみの世帯の割合が高まっており,核家族世帯の世帯規模は縮小傾向にあることが示された.これらの結果は,平均世帯規模の縮小過程とある程度一致している.発表では,単身世帯,核家族世帯の実数の増減や,高齢単身世帯の動向など,より詳細な属性を検討の対象に広げ,議論を深めたい.
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