日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の343件中201~250を表示しています
発表要旨
  • 武蔵野台地とその周辺の変動地形の再検討
    後藤 秀昭
    セッションID: 324
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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     1. はじめに 国土地理院の基盤地図情報など,詳細な地形標高モデル(DEM)が整備・公開され,地形研究での利用が進んでいる。特に,DEMから作成されるステレオ画像(アナグリフ)は空中写真とは異なる特性を持った地形判読素材として注目され,その有効性が検討されつつある(後藤・杉戸,2012;Lin et al., 2013など)。  2013年11月に国土地理院から5m間隔のDEMが広範囲に整備,公開されたのを受け,後藤(2014)は,国土地理院整備の5m間隔および10m間隔のDEMと後藤(2013)で作成した海底のDEM(約1秒間隔:約30m間隔;ここでは,M7000 DEMと呼ぶ)を用いて,日本列島と周辺海域を統合した詳細地形アナグリフを提示した。これらの画像は,現在,公開されている地形データを使った最も詳細な地形アナグリフである。  本研究ではこれらの画像の概要や作成方法について紹介するとともに,変動地形学的な地形判読によって新たに認識された地形のうち,武蔵野台地周辺について報告する。 2.作成方法と概要 本稿で用いた陸上のDEMは,国土地理院整備の5m間隔のDEMすべてであり,その不足地域には10m間隔のDEMを用いた。5m間隔のDEMは国土の約45%が整備されており,平野部のほとんどを含んでいる。一方,海域のDEMは後藤(2013)の作成したM7000 DEMとした。これらの地形データをフリーウエアのSimple DEM Viewerに読み込み,地形アナグリフを作成した。地形表現には傾斜角をモノクロで表現したものに,陰影表現を補助的に加えたものとした。微細な地形を読み解けるよう傾斜角5度以下の小さな起伏が強調されるように設定した。20万分の1地勢図の4図郭を基本として作成し,範囲を重複させて,地形や断層の連続性を捉えやすくした。縦横30,000ピクセル程度の画像ファイルを日本全国で65枚作成した。また,中田・今泉編(2002)の断層線をテクスチャーマップとして重ねて表示したものも作成した。  さらに,定率の縮尺でシームレスに閲覧できるようにするため,webブラウザで閲覧できる画像に変換した(図)。これにより,一般的な地図と重ね合わせて地形アナグリフを表示することもできるようになった。    3.武蔵野台地とその周辺の変動地形 地形アナグリフでは空中写真で判読が困難な都市部や長波長な変形を捉えやすい(後藤・杉戸,2012)。首都周辺の武蔵野台地とその周辺の変動地形の再検討結果について報告する。  地形アナグリフでは武蔵野台地の北部に北西—南東方向に連続する長波長の凸型斜面が認められる(ここでは武蔵野撓曲帯と呼ぶ)。武蔵野撓曲帯は入間川から柳瀬川にかけての武蔵野面群や立川面で最も明瞭で,段丘面を跨いで凸型斜面が連続する。武蔵野撓曲帯の斜面の傾斜角はその上流と下流の地形面のそれに比べて有意に大きい。上流側,下流側ともに北東に傾斜しており,一連の扇状地性の地形面として対比されている(廣内,1999)。なお,武蔵野撓曲帯は貝塚(1957)が断面図や等高線を用いた扇状地面の復元図から推定した変動地形の位置とほぼ一致し,杉山ほか(1999)にある「傾動」の向きと位置が似ている。  一方,これらの南にある海成面の淀橋台,荏原台の東部は南東に傾斜しており,杉山ほか(1999)では「傾動」とされている。地形アナグリフでは,これらの間に分布する河成面である目黒台の南東部で南東に傾斜を強めていることが判読される。一方,本郷台や豊島台では淀橋台の北東延長付近で上流に比べ緩傾斜の区間が認められ,逆傾斜させる地殻変動が示唆される。本郷台から下末吉面にかけて北東—南西方向に延びる背斜状の変形が分布している可能性がある。 ※科学研究費補助金(25350428, 23240121)の一部を使用した。 【文献】後藤・杉戸,2012 E-journalGEO;後藤2013;2014広島大学大学院文学研究科論集;Lin et al.,2013 Geomorphology;中田・今泉編 2002『活断層詳細デジタルマップ』;貝塚1957第四紀研究;杉山ほか1999活構造図「東京」;廣内1999地理学評論
  • 長野西縁断層帯における古地震との関連
    山田 明美
    セッションID: 327
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1 はじめに 長野県北部に位置する長野盆地西縁断層帯の大部分は1847年善光寺地震(M7.4)の際に活動したとされており(粟田ほか,1987),断層帯の活動履歴についてトレンチ調査や変動地形調査が行われている(粟田ほか,1990;宮内・武田,2004;杉戸・岡田,2006)。一方,地震や地殻変動について遺跡の液状化痕(気象庁地震観測所,1991)や生活面の撓曲変形(早津ほか,1999)が報告され,本断層帯との関係が議論されている。  遺跡に見られる液状化痕などは,地震発生時期の特定に有効な手段である。本稿では長野盆地周辺に残された地震痕跡を見出し,その全体像を把握するとともに,1847年善光寺地震の被害分布とも比較しながら,長野盆地西縁断層帯の過去の活動について検討した。  調査範囲は飯山盆地から長野盆地までとし,断層帯の発達形態の違いから,便宜的に飯山盆地以北を北部,長野盆地を南部,その間を中部とした。遺跡の地震痕跡は液状化痕,地割れ・断層,撓曲変形を調査対象とし,既存研究と遺跡の発掘調査報告書から地震痕跡の記録を見出した。 2 遺跡に刻まれた地震痕跡 断層帯北部の遺跡では,明瞭に地震痕跡と判断できるものは重地原断層の延長部に位置する東原遺跡の撓曲変形のみであった。断層帯中部では,弥生時代中期以降に形成された液状化痕を新たに見出した。断層帯南部では,盆地の南東縁に集中する液状化痕が12地点で見出された。液状化痕の形成年代は近世以降か,9世紀ごろの2つの時期に限定できるものが多い。長野盆地東縁の遺跡からは複数の土層を切る地すべり起源の断層が認められる。 3 長野盆地西縁断層帯の活動履歴との関連 考古遺跡における過去4000年間にわたる地震痕跡の形成年代をまとめ,トレンチなど活断層調査からわかる活動履歴と比較した結果,断層帯全域におよぶ複数の地震痕跡が①1847年善光寺地震,②9世紀ごろ,③3000〜3500年前の3つの時期に集中することが判明した。  ①善光寺地震に相当する近世以降に形成された地震痕跡は,北部から南部にかけて認められた。  ②善光寺地震と同様の規模の地震(先善光寺地震)はAD690〜AD1160にあったとされる(粟田ほか,1987;宮内・武田,2004;杉戸・岡田,2006)。その期間にほぼ相当する平安時代以降888年仁和洪水以前に形成された液状化痕の分布が,善光寺地震の痕跡と類似した分布を示していることから,9世紀ごろに断層帯全域が活動した可能性がある。また,その年代は9世紀以降AD888以前に限定でき,従来の研究よりも推定年代の幅が約300年狭まった。  ③3000〜3500年前に形成された地震痕跡は,飯山〜長野盆地で6箇所程度見出され,断層帯全域が活動した可能性がある。最北の東原遺跡は重地原断層の延長部にあたり,遺跡の床面が撓曲変形を受けている。従って重地原断層が北東に約5km延長できる。同様の期間に南部から液状化痕が認められたことから,地震活動が推測される長野盆地西縁断層帯と重地原断層は連動して活動した可能性がある。  変動地形調査によると飯山で過去4000年間に5回の地震が指摘されているが(宮内・武田,2004),本研究で認めた確実な地震活動の痕跡は3回にとどまった。①と②の間隔が約1000年であるのに対し,②と③の間隔が2000年以上であるため,②と③の間に地震活動があった疑いがある。発掘調査報告書の中には写真,スケッチ資料がないものもあり,地震痕跡が見逃されている可能性がある。北部における古地震についてさらに調査する必要がある。 参考文献 粟田ほか(1987)歴史地震 3 166-174. 粟田ほか(1990)日本地震学会予稿集 1 12. 気象庁地震観測所(1991)気象庁地震観測所技術報告 11 47-64. 寒川(1992)『地震考古学 遺跡が語る地震の歴史』中公新書. 早津ほか(1999)地学雑誌 108(1) 76-84. 宮内・武田(2004)活断層研究 24 77-84. 杉戸・岡田(2006)活断層研究 26 95-104. 
  • 澤 祥, 松多 信尚, 渡辺 満久, 鈴木 康弘, 中田 高
    セッションID: P022
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    2014年11月22日の長野県北部の地震(神城断層地震,マグニチュード6.7)時に,長さ約9kmにわたって明瞭な地表地震断層が出現した.本地震はほぼ南北方向に走る活断層:神代断層(東傾斜の逆断層)が活動したものであり,東西圧縮の場を反映して東上がりの逆断層という変位形態として出現した.筆者らは,変動地形学的な手法によって神代断層の詳細活断層図(縮尺2.5万分の1,17断面での変位量計測)を作成していた(松多ほか,2006;糸静変動地形グループ,2007).筆者らは既存の詳細活断層図(松多ほか,2006;糸静変動地形グループ,2007)の改訂作業を行い,地表地震断層出現位置と既存活断層線との関係を考察した.
    マグニチュード7弱の神城断層地震によって,1m未満とはいえ明瞭な地表地震断層が現れ最大震度6弱の強震動が生じ建物被害が発生したことは重要である.変動地形学的なより詳細な研究によって,固有地震とより小さな地震の関係を検討する必要がある.神城断層地震で出現した地表地震断層は,既存の断層変位地形の位置とよく一致する.強震動だけでなく地表変位(ずれ)による建物やライフラインの不同沈下,傾斜そして切断による被害を予測・軽減するために,詳細な変位地形の位置を周知することは重要である.今回の地震では,上盤側の変位(バックスラストや逆断層の短縮変形に伴う増傾斜や膨らみ)に伴う傾斜異常による建物被害がみられた.比高1m程度の小規模な変位地形や微細な傾斜異常を詳細活断層図に示すことは,防災上有効であると考える.
  • 谷口 智雅, 戸田 真夏, 横山 俊一, 大八木 英夫, 山下 琢巳, 元木 理寿, 宮岡 邦任
    セッションID: P052
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    筆者らは2013年春から立ち上げた「水と人の地誌の研究グループ」において、旅行ガイドブックのコンテンツに地理的視点を盛り込んだ書籍、義務教育の教材、水に関するトピックを中心とした巡検ガイドについての研究を行ってきた。2015年春季学術大会(日本大学)においても、『]武蔵野の水と人の地誌』のテーマで巡検を行う。武蔵野は江戸・東京の都市化で地域変容するとともに自然環境と人間活動の関わりを顕著に見ることかできる。このため、本発表では、巡検コースと関連させて、地誌的視点を盛り込んだ巡検ガイドの検討するため、文学作品に登場する武蔵野の舞台にしたスポット、水環境、土地利用を視点にその地理的事象の関連性と時系列変化について整理することを試み、その結果について報告する。
  • 藤森 衣子
    セッションID: 912
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    高度経済成長期にニュータウンを中心に、計画的に大量に供給された集合住宅は、都市における空間密度の高い居住形態の一つとして確立されていった。一つの建物を多様な価値観を持った複数の人によって区分所有されている集合住宅では、施設管理について様々な活動を行う管理組合が設置された。その管理組合活動のうち、修繕・収支から建物のライフサイクル、入居・転居から入居者のライフサイクルについて考察し、それぞれのライフコースを通して、ニュータウンのライフコース、都市のライフコースについて検討することを目的とする。

    高度経済成長の終盤期である1969年から入居が始まった、京阪神圏ニュータウン内に立地する、鉄筋コンクリート造、3階建て、すべて分譲で販売された集合住宅を事例とする。当初入居世帯のほとんどが家族構成・年齢などよく似た核家族であった。この管理組合の特徴は、自主運営であり、集合住宅ごとに独立運営を行っていることである。調査資料としては、管理組合総会資料及び関連資料、聞き取り調査によって得られた資料を用いた。

    建物のライフサイクルについては、同時期に同様の素材・形態で建設され、その後40年以上が経過し、老朽化が進行している。この間大小の修繕を適宜行いながら、建物の老朽化を食い止めてきたが、今後の建物の耐久年数は不透明であり、最終的には建て替え、再生、廃退などの事態が考えられる。また、入居者のライフサイクルについては、似たような年齢や家族構成の世帯が、同時期に一斉に入居し、現在では高齢化が急激に進んでいる。また、入居当初はすべて区分所有者が居住していたが、現在では賃貸契約者や居住者のいない空室がみられる。このため、問題解決の基本的な方針がまとまらず、修繕や建て替えといった重要な決定事項がなされることが困難な現状となっている。建物とその空間に居住する人々のライフコースは、軌を一にしており、老朽化と高齢化が同時におこり、なおかつ主体者である住民だけの力だけではもはや動きのとれない深刻な状況がおこっている。そして、今後この傾向はますます進むことが考えられる。

    建物、入居者のライフコースを考察することによって、ニュータウンのライフサイクルを検討することができ、さらに都市の一部をニュータウンが形成していることを考えると、今後ニュータウンのライフサイクル、都市のライフサイクルについての議論へも展開できると思われる。
  • 寛保2年(1742年)水害を事例として
    町田 尚久
    セッションID: P002
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに
    関東甲信地方では,寛保2年(1742年)7月27,28,29日,8月1,2日(旧暦)に台風の通過に伴う大洪水が発生した。この災害については,丸山(1990)などが被害の状況を千曲川流域でまとめ,町田(2014)が台風の進路を復元した。町田(2013)は,寛保2年洪水時に荒川上流域の斜面で大量の土砂移動が発生したことを指摘し,これ以降,荒川扇状地で河床変動が生じたことを報告した。しかしながら,寛保2年洪水時の土砂移動の状況については明らかにされてこなかった。本発表では土砂移動の発生の可能性を明らかにすることを試みた。

    2.対象地域・対象資料
    対象地域は,土砂移動が発生した荒川流域,利根川流域,千曲川流域とする。資料は,古文書などの一次資料を基にまとめられている県史,市町村誌,郷土史,先行研究等とした(横瀬町,1989;青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。文献には現象,災害記録,景観の変化などの記載があり,当時の土砂移動の有無を知ることができる。

    3.土砂移動発生の記録
    千曲川流域の長野県北佐久郡や南佐久郡,松代周辺では山崩れなど,利根川流域の群馬県嬬恋村,赤城山北部,上武山地および荒川流域の埼玉県長瀞町や横瀬町では斜面崩壊などの記載がある(青木,2013;丸山,1990;河田,1977など)。また,多摩川流域の東京都青梅市では家屋が埋まった記録がある。以上のことから町田(2013)が経路を復元した台風による土砂移動は,浅間山周辺から丹沢山地までと,赤城山の一部で発生したことが認められる。資料の多い千曲川流域では数多くの崩壊や地すべりが発生したことから,資料の少ない荒川流域と利根川流域でも,同様の状況にあったと考えられる。

    4.寛保2年頃の山林状況
    江戸時代の山林については,青木(2013)は山林の状況と当時の御触に基づいて千曲川流域の状況を示し,開発の影響によるものと推定している。秩父山地では17世紀中期以降,現在の秩父市大滝では伐採がすすみ,幕府が集落から離れた地域で樹木の伐採を制限し,さらに秩父市大滝や上州山地南側にある上野国山中領(現 上野村周辺)の一部でも伐採の制限がかかった(三木,1996)。これは樹木の伐採が進み,木材の確保が難しくなることを懸念した江戸幕府が伐採地域を制限したと推定することができる。一方,伐採制限のかかっていない地域や伐採の制限が弱い地域については伐採が行われていたと解釈することができる。このことから伐採が利根川流域でも進み,荒川上流域や利根川流域の一部では山林が荒廃していた可能性がある。さらに新編武蔵国風土記稿(秩父郡)の挿絵(蘆田,1933)から寛保2年の約90年後の植生や土地利用を推定でき,当時の植生は,現在のように高木が主体ではなかったことが読みとれる。

    5.土砂移動が人為的影響により引き起こされた可能性
    千曲川流域では人為介入の影響を受けた土砂移動の発生が指摘され(青木,2013),群馬県上野村周辺では正徳3年(1713年)に一部で伐採の制限をかけたが,寛保2年洪水時には幕府の伐採制限がかかっていた流域と隣接する南牧川では数多くの土砂移動が発生した。荒川流域,利根川流域の一部では,木材自給の増大した1700年代と寛保2年(1742年)洪水時の大雨が一致することから,木材の伐採が進み荒廃した斜面で崩壊や地すべりなどの土砂移動が発生しやすい状況にあったと推定できる。さらに蘆田(1933)の挿絵から秩父山地で高木が少ない環境があったと推定でき,降雨量によっては土砂移動を誘発する可能性は高い。さらに町田(2013)が示した寛保2年から安政6年までの荒川扇状地での河床上昇は,17世紀後半から伐採が増加する時期と一致することから山林の荒廃が示唆される。このことは当時,土砂移動が頻発したことを強く支持するものと考えられる。

    6.おわりに
    過去の地すべり,崩壊および土石流といったマスムーブメントの発生には,自然環境だけではなく,発生当時の社会状況,生活状況,産業(林業),御触(法令)などが強く結びついている可能性がある。このことから土砂移動は自然環境を背景として,さらに人為的影響を受けて発生することがあることが示された。歴史災害についても自然の影響と人為の影響を確認する必要がある。一方,植生分布,土砂生産など自然環境で結びつく現象については,流域単位で自然環境の変化とその動態を明らかにする必要がある。

  • - 阿蘇山周辺の表層崩壊を対象として -
    齋藤 仁, 内山 庄一郎, 小花和 宏之, 早川 裕弌, 泉 岳樹, 山本 遼介, 松山 洋
    セッションID: P009
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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     1.はじめに

    阿蘇山中央火口丘や外輪山の草地は,豪雨による集団発生的な表層崩壊が頻繁に起こり(例えば,2012年7月,2001年6月,1990年7月など),地形変化の速い地域である.表層崩壊発生場所の特徴や,その後の地形変化を明らかにすることは,今後の土砂災害対策や,阿蘇を特徴づける草地景観の保全の観点から重要である.しかしながら,表層崩壊は深さ1 m程度であり,一般的な衛星画像や空中写真では,その空間分解能,撮影頻度およびコストの面で,表層崩壊地やその周辺での時空間的スケールの小さな変化を捉えることは容易でない.一方で近年,小型UAV(無人航空機)やStructure
    from Motion(SfM)多視点写真測量の技術により,比較的簡易かつ安価に,高精細のオルソ画像や,ポイントクラウド,DSMの取得が可能となった.

    そこで本研究では,これらの技術を用いて,阿蘇山周辺の表層崩壊地で高精細な地形データ・オルソ画像を取得した.また,異なる時期のデータを用いて表層崩壊地の地形的特徴と地形変化に関する解析をおこなった.

    2.対象地域と手法

    対象としたのは,2012年7月に多数の表層崩壊が発生した,阿蘇外輪山の妻子ヶ鼻周辺の小流域(0.06 km2,図1)と,仙酔峡(1.2 km2)である.2012年8~9月,2014年8~12月に現地調査,およびUAV,GNSSによる測量をおこなった.取得した低空空撮画像からSfM多視点写真測量を用いて,オルソ画像,ポイントクラウド,DSMを取得した.また表層崩壊発生前の地形情報として,航空LiDAR(空間解像度2 m,2004年4月取得)を用いた.

    3.結果と考察

    空間解像度4.0 cmのオルソ画像と10.0 cmのDSM(妻子ヶ鼻),および空間解像度5.0 cmのオルソ画像と10.0 cmのDSM(仙酔峡)が得られた.妻子ヶ鼻の小流域内では表層崩壊が26箇所(19.9 ~
    4,593.9 m2)発生し,全崩壊面積は流域内の約30 %に達した.2004年(斜面崩壊発生前)と2014年の地形を比較したところ(図1),斜面崩壊は平均傾斜約40°の斜面で多数発生していた.また斜面崩壊の平均深は0.5~1.0 m程度であり,流域内での推定される土砂生産量は0.9~1.7×104 m3であった.

    仙酔峡では,約300箇所で表層崩壊(8.4 ~10,532.4 m2)が発生した.推定される土砂生産量は,1.1~1.5 ×105 m3/km2であり,2001年の災害時(宮縁ほか,2004,地形)と比較すると,一桁大きいことが示された。また表層崩壊の発生密度の分布には違いがみられ,地形条件が影響した可能性が示唆された.

    今後も継続的にUAVによる画像を取得し,多時期のデータを用いて地形変化と植生変化を定量化することが課題である.
  • 齋藤 仁
    セッションID: S1203
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに
    地理情報システム(GIS)やリモートセンシングの発達により,1980年代頃から日本列島スケールでの地すべりデータ,数値標高モデル(DEM),地質データ,降水量データ等の空間情報の整備が始まり,広域的を対象とした定量的な地すべりの解析を可能とした.今日,土砂災害のリスク評価や防災の分野においてもGISは不可欠なツールである.本発表では,主に日本アルプス(JA)における広域を対象とした地すべりの分布,地形解析に関する研究例を紹介・概説するとともに,地すべりの広域的解析におけるGISの役割について考察する.  

    2.地すべりマッピング
    地すべりが地形発達に与える影響の解析や,リスク評価の際に,まず重要となるのは地すべりのマッピングである.広域を対象としたものでは,1987年に日本第四紀地図(日本第四紀学会,1987)が出版された.日本第四紀地図では面積106m2以上,または体積108m3以上の大規模な地すべり(山体崩壊)が記載され,主に火山地域で発生することが認識された.1982年からは防災科学技術研究所による地すべり地形分布図(主に幅150m以上の地すべり地形)の整備が始まり,2015年3月に日本全国の刊行が完了する予定である.地すべり地形分布図からは,日本の山地には大小の地すべり地形が多く分布することが明らかになった.JAにおいては,北アルプス(NJA,例えば,佐藤・苅谷,2005),南アルプス(SJA,例えば,須貝, 1990;Yamada and Matsuoka, 2001;目代,2013)において,詳細な地すべりの分布図が作成されてきた.

    3.日本アルプスにおける地すべりの分布と地形解析
    地すべり地形分布図によれば,JAにおける大規模な地すべり地形(投影面積 > 105m2)の分布箇所とその面積割合は,SJAに1621箇所(10.3 %),中央アルプス(CJA)に191箇所(4.6 %),NJAに1438箇所(11.6 %)である.また空間分布には偏りが見られ,付加帯や変成岩類の特定の地質に地すべりが多いことが指摘されてきた(Sugai et al., 1994;Kawabata et al., 2001).SJAにおいては,地すべり地形の分布や地形的特徴が解析され,地質と起伏が地すべりの規模-頻度分布に影響することが示された(例えば,Sugai et al., 1994).またJA全域で,DEMを用いて地すべりや崩壊と地形との関係が解析され,JAの多くの斜面の傾斜角は約35°からなることが示された(Katsube and Oguchi, 1999;Oguchi et al., 2011).先行研究では,地すべりと関連する指標として,標高,傾斜,曲率,斜面方位,地質,気候値などが用いられてきた.
    JA全域で地すべりの規模-頻度分布を解析すると,SJA,CJA,NJAにおいて大きな違いは見られなかったが,地質間において規模-頻度分布の違いがみられた.またSJAとCJAでは,105~106 m2規模の地すべりが比較的標高の高い場所に分布し,より大規模な地すべりは標高1000m付近に分布していた.一方で,NJAでは大規模な地すべりほど標高の高いところに分布する傾向が見られた.このような分布の違いを検討するために,decision-tree model(Saito et al., 2009)と呼ばれる手法を用いて解析した.結果,地すべりと関連する因子は,SJAでは地質と傾斜,CJAでは曲率と年間降水量,北アルプスでは年間降水量,平均標高・地質であり,違いがみられた.これらの結果は,SJA,CJA,NJAでの地すべりの発生条件と地形発達に与える影響が異なっている可能性を示唆している.

    4.地すべりのリスク評価と今後の課題
    2004年新潟県中越地震や2011年台風12号による紀伊半島の土砂災害などにより,広域を対象とした地すべり・崩壊のリスク評価の重要性が認識されてきた.土木研究所では,明治期以降に降雨で発生した188箇所の深層崩壊をリスト化し,深層崩壊推定頻度マップが作成されている.また近年,LiDARによる高解像度DEMが利用可能となり,リスク評価に微地形の重要性が示された(Chigira et al., 2013).さらに,無人航空機とSfM多視点写真測量により,簡易に高精細なDEMが取得可能となった(例えば,小花和ほか,2014).加えて,JAのいくつかの地すべりではその年代や誘因が明らかになってきた(例えば,Kariya et al., 2013).空間的・時間的に高精細な空間情報は整備・蓄積され続けており,GISを用いた地すべりの地形解析やリスク評価は,研究成果の社会還元の観点からも,今後より重要な役割を果たしていくと言える.

    謝辞:本研究は,科研費基盤研究(B)24300321(代表:苅谷愛彦)の共同研究によるものである.
  • 庄子 元, 小金澤 孝昭
    セッションID: 710
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    東日本大震災による水産業の被災実態と復旧にむけた取り組みは様々な研究領域から検討されている。その中でも東京水産振興会(2011,2012,2013)は水産業の被災実態を産業連関から精緻な検討を行っているが,その検討は同一の自治体を対象としたものではなく,連関段階によって異なる自治体を対象に検討されている。しかし,被災地といっても各地域によって被災の状況は様々であり,なおかつ水揚げ魚種や漁法,水産加工の形態などの違いによって各地域は特色ある水産業を形成してきた。こうした背景を踏まえれば,同一の自治体において水産業の産業連関を念頭に各関連段階の復旧と復興の課題を整理することは,一刻も早く復興を成し遂げる上で重要である。そのため本報告は産業連関を念頭に気仙沼市における水産業の復旧段階と復興への課題を明らかにする。
    気仙沼市に位置する気仙沼漁港は特定第3種漁港に指定されており,わが国の漁業振興において特に重要な漁港の一つである。特定第3種漁港ということもあり,震災以前の同港における水揚げの過半数は県外の船籍である。また,水揚げされる魚種はカツオとサンマが中心であり,この2種で全水揚げ数量の63。7%を占める。カツオとサンマが気仙沼漁港における水揚げの中心であるが,流通形態は異なる。カツオは水揚げ金額のうち鮮出荷が53。3%,冷凍出荷が35。9%であるのに対して,サンマは76。9%が冷凍出荷される。このように他地域船籍による水揚げが主であり,鮮出荷だけではなくサンマを中心とする冷凍出荷やその後の水産加工業が存在し,地域内において水産業が密接に関連していることが気仙沼市における水産業の特徴である。
     気仙沼漁港の船籍別水揚げ金額において震災直前を100としたときに2013年時点で東北地域外の船籍の指数は75。27であるのに対して,気仙沼船籍の指数は61。49であり,気仙沼船籍による水揚げの回復が遅れている現状にある。これと同様に製氷や冷蔵などに関する能力値も指数でみれば製氷や貯氷,凍結の能力は震災以前と同等まで回復しているが,冷蔵能力の指数は51。85にとどまる。そして,水産加工品の生産に関する指数は生産額の指数が53。0,生産数量の指数が38。3となっている。これらの指数から気仙沼市における水産業の復旧は気仙沼船籍による水揚げおよび冷蔵施設,そして水産加工業において未回復であると指摘できる。
     最後に気仙沼市における水産業の復興にむけた課題を震災以降,各年にわたって行った行政や水産関連団体に対する聞き取り調査より整理すれば,①排水設備の未復旧,②就業者確保の困難,③販路の喪失の3点があげられる。震災以前より気仙沼市は水産加工場と住居が混在しており,水産加工の排水は生活排水と同様に市が管理していたため,水産加工業者の復旧にあわせた排水設備の復旧は困難であった。また,多くの水産業事業者は就業者を確保できない現状にあり,その背景には震災によって生産年齢人口が減少したことだけでなく,復興事業の土木業が非常に高賃金であることが指摘できる。そして,気仙沼市における水産加工品の主な販売先は関東圏であったが,2013年時点で3割程度しか回復していない。こうした現状を踏まえれば,水産業に関する排水の共同管理,労働力の効率的利用, 気仙沼市の水産業としての競争力向上という3点から組織的対応の重要性が指摘できる。
  • 長谷川 均
    セッションID: 419
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    近接リモートセンシングの応用例を示す.近年地理学の分野でもさかんに利用されるUAVで,サンゴ礁域,岩石海岸,内陸部の地震断層の撮影を行い,地形の図化を試みた.UAVで撮影し,トータルステーションやTLS(Three Line Scanner),GNSS(Global Navigation Satellite System),ハンディ型GPSレシーバーを使ってGCPの測定を行えば,短時間で地形図を作成することができる. 本発表では,このうちトータルステーションまたはハンディGPSを使ってGCPを測定し,簡易的な手法で作成した比較的狭い範囲の大縮尺地形図の作成について発表する.なお,発表当日までに作業が完了した場合は,TLS,GNSSの結果と比較し,精度についても検証結果を報告する.
  • フンク カロリン
    セッションID: 125
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.研究の背景  
    ドイツの広域自然保護地区は国立公園(Nationalpark、2014年現在15ヵ所、全国面積の0.54%)、自然公園(Naturpark、2015年現在104ヵ所、全国面積の27%)と生物圏保存地域(Biosphärenreservat、2014年現在16ヵ所、全国面積の3.5%)の3種類が存在し、重なって指定されている地区も少なくない。内容や枠組みは連邦法に基づいているが、指定や運営実態は各州が担当し、ドイツの地方分権の強い連邦製が反映されている。ドイツの広域自然保護地区にはもう一つ特徴が見られ、それは市民環境団体とそのボランティアの役割である。全国または一部の地域において活動する市民環境団体はボランティアの管理者、施設の運営者、そして自然保護の監視者として欠かせない存在であり、その重要性は法律的も裏付けられている。本研究はドイツ北海沿岸で3つの州に跨がって広がり、そのため3つの国立公園からなっているワッデン海を例に、このような地方分権と市民環境団体の活動に基づく国立公園の運営制度を確認し、その課題を明らかにする。研究方法は文献と資料の分析、またはワッデン海国立公園内ビジター施設2ヵ所、市民団体1ヵ所のヒアリング(2014年夏実施)からなっている。  
    2.対象地域の概要
    ワッデン海は世界で最も広い干潟として2009年にドイツとオランダの共同申請により世界自然遺産に登録され、さらに2014年にデンマークまで拡大されたが、3ヶ国の干潟保護協力は1970年代まで遡っている。ドイツ側の地区を見ると、シュレスヴィッヒホルシュタイン州(SH)(1985年)、ニーダーザクセン州(NS)(1986年)、ハムブルク州(HH)(1990年)の3つの国立公園からなり、全面積80万haの90%以上が海面または干潟で、陸部分は数パーセントに留まっている。38のビジター施設で訪問者に情報提供し、そのうち3ヵ所は世界遺産ビジターセンターとして位置付けられている。  
    3.地方分権  
    3つの州で国立公園の制動と位置付けは様々な点で異なっている。例えば、SHの場合、国立公園管理局は公園の中心となるビジターセンターに事務所を構え、管理、モニとリング、研究と情報提供が一環として行われている。それに対し、NSの場合、規制、土地管理やモニとリングが主な役割であり、研究やビジター施設には直接関わっていない。レンジャーやその他のスタッフの人数も異なっている。HHはハムブルク市を中心とした都市州であり、都市計画や政策の中には自然保護の位置付けが弱く、特に北海の干潟に繋がるエルベ川の利用を巡ってコンフリクトが起こることが珍しくない。このように、世界遺産3ヶ国の調整以前に、ドイツ国内の調整は大きいな課題となる。  
    4.市民環境団体とボランティア
    市民環境団体が自然保護に関わり、渡り鳥のモニとリングなどを行う伝統は長く、20世紀始めまで遡る。戦後は徴兵制の一部として福祉奉仕制が導入され、1970年代から自然保護もその対象となり、自然保護施設でコストが少ない、長期的に活動するスタッフを確保できた。しかし、徴兵制の廃止に伴い、現在、制度化された長期ボランティア(1年、または半年)が利用されている。自然保護施設での活動は人気が高く、応募者が多いため、市民環境団体での経験やある程度の専門知識が前提となる。ワッデン海ではこのようなボランティアが鳥のモニとリングや修学旅行の案内など、専門性の高い活動を行っている。多くの若者はこの制度を通じて仕事の経験が得られる一方、安い労働力として利用されていることも否定できない。運営側にとっては1年ごとに入れ替わるスタッフの確保、選択と育成が課題となる。
  • 齋藤 圭
    セッションID: 311
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    塩湖は、淡水湖よりも比較的数が少なく、また乾燥地域という過酷な環境の下に存在している故に、淡水湖よりも比較的研究の数が少ないと言われている。集水域諸河川から運搬される物質がどのようにイシククルへ影響を与え、水位の低下に伴い、湖の水循環がどのように変化していくのかという議論が極めて少ない。また、極地における水質機構の解明は、地球システムの解明、淡水湖との比較研究をする上で意義があると言える。  そこで本研究では、イシククル湖とその集水域の物質収支を明らかにすべく、湖への流入河川の溶存物質について研究を行った。世界各地の塩湖の水質組成と比較すると、イシククル湖の水質組成はNa-Mg-Cl-SO₄型であり、比較的溶存している塩類のバランスが良い。これは、集水域河川や地下水を通じて、炭酸が集水域から多く供給されているためであると考えられる。また、湖南部では火成岩系の地質が多くみられ、SO₄2-の供給が多いのも原因の一つであると考えられる。Ca2+とHCO₃-に関しては、CaCO₃とCaSO₄として析出していることが示唆された。これらの溶解度積を調べてみると、過飽和状態であったが、天然水中であることを考慮すれば、妥当であると考えられるが、より一層の検証が必要である。
  • 八木 浩司, 佐藤 剛, 檜垣 大助, アマチャヤ シャンムケシュ, ダンゴル ヴィシュヌ
    セッションID: 308
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    2014年8月ネパール中部ジュレ村付近でスン・コシ右岸が最大幅750m,斜面長1000m,最大厚さ200mですべり落ちた.この地すべりは2回にわたって発生し,2回目のものがMl4程度の振動を伴った大規模なもので,移動体の総量は6百万m3に及んだ.なお地すべり冠頂部の海抜高度は,約1600mである.
      移動物質は,スン・コシ谷底(海抜約780m)になだれ落ち,70軒の民家とカトマンドゥとチベットを結ぶ道路を塞ぐと共に,幅350m,長さ680m,深さ50mの地すべりダムを形成した.ダム湖からの溢流は11時間半後に始まった.そして,約1ヶ月間後の9月11日地すべりダムの崩壊が起こり,ダム湖の水位が一気に20m低下するとともに土石流が発生した.
      演者らは,2014年11月に現地で調査を行うと共に,1990年代撮影空中写真の判読,およびGoogle Earth上で2000年以降の衛星画像による周辺斜面の変位の状況を観察した.
      今回地すべりが発生した斜面は,唯一凸型の尾根型斜面が残された場所で,その周辺斜面はすべて凹型の地すべり地形を呈していた.地質構造は全般に北傾斜であるが発生源冠頂部では南傾斜を示した.発生源に接した位置では破砕・風化層が約120m残されていた.これらから,本地すべりは,重力性山体変形に伴う深層風化帯が発達しながらも,すべり残っていたV字型の河谷斜面がモンスーン期の降水に誘発されすべり落ちたものと考えられた.
  • ―山陰海岸ジオパークとレスボス島ジオパークを事例に―
    新名 阿津子
    セッションID: S0105
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本報告の背景と目的 誰が,誰のために,どこで、どのような教育活動を行うのか.教育活動は時間・場所が限定される活動の一つである.ジオパークが提供する教育が持続的なものとなるためには,学習者にとっての利便性が確保され,質の高いものになるようなプログラムを開発し,継続的に提供する必要がある.  日本の場合,管理運営において推進協議会事務局(行政サイド)が主導的役割を担うケースが多く,教育プログラム開発でも,ジオガイドとの共同事業が見られるものの,その多くは行政職員や専門員が企画立案から実践までを担っているのが実情である.しかしながら,行政主導での教育プログラムの開発と実践は,その手法や対象者,期間に限界があり,継続した教育活動が提供されているとは言い難い.  そこで重要となるのが大学や博物館である.もちろんこれらは継続的な教育機会の提供という点で重要であり,そこには調査研究,教育の専門スタッフが存在する.そこで,本報告では山陰海岸とレスボス島を事例に,それぞれの教育実践例を紹介しながら,ジオパークの中で大学や博物館が果たす教育的役割とその課題について議論する.   事例1:山陰海岸ジオパーク 山陰海岸ジオパークでは,推進協議会内に教育部会が組織され,学校関係者や「学識経験者」らが参加しており,子ども向けパンフレットの作成や教育旅行支援などを行っている.一方,山陰海岸ジオパークには3つの大学・大学院が立地しており,大学・大学院の枠を超えて,ジオパークに関わる研究者間のコミュニケーションが比較的スムーズにできているのが特徴である.  兵庫県立大学大学院地域資源マネジメント学科は2014年4月にコウノトリの郷公園内に開設された大学院である。ここではコウノトリやジオパークといった地域資源に焦点を当て,「ジオ(地球科学)・エコ(生態学)・ソシオ(人文社会科学)」の三つの学問領域から調査研究が進められている.鳥取環境大では,2014年4月にジオ部を創設した.これは大学生の「フィールドに出たい」というニーズと,地域からの「大学と連携した活動をしたい」というニーズを合致させたものである.現在は,地域振興支援,イベント参加,調査研究など幅広いテーマで活動している.  この兵庫県立大学大学院と鳥取環境大の教員,NPO団体が中心となってジオパークや地域の最新トピックを共有する「ジオ談話会」が組織されている.数ヶ月に一度,拠点施設や公民館で研究報告会を行い,時に巡検に出かけ,新たなジオサイトの発掘やジオストーリーの構築を行っている.   事例2:レスボス島ジオパーク レスボス島ジオパークはシグリにあるレスボス自然史博物館とミティリニにあるエーゲ大学が中心となってジオパークを運営している.教育に関しては「科学的な知識を子どもたちへ」をスローガンに,幼児から高校生・大学生向けの教育プログラムを開発している.教育プログラムの開発には,地質学や環境学の大学教員と博物館のスタッフが携わる.毎年同じプログラムでは学習者が来なくなってしまうため,内容や教材,アクティビティに変化を持たせている.  レスボス島ジオパークの教育プログラムには年間約5,000人が参加している.2014年度は21のプログラムが用意され,教育旅行目的の来島を促すため,国内で博物館の巡回展を行うほか,ユネスコスクールのネットワークを活用して小中学校の教員との関係構築を図っている.また,EUのファンドを活用した国際プロジェクトRACCE(Raising earthquake Awareness and Coping Children’s Emotion)に参加し,学校用の地震学習キットの開発を行った.本プロジェクトにはギリシャのほか,イタリア,ブルガリア,フランスが参加している.
  • 民泊・域学連携事業・国内移住の可能性と課題
    助重 雄久
    セッションID: S1506
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ はじめに
    高度経済成長期以降、多くの島々では進学や就職を契機に島を離れる若年層が増加し、人口の再生産が困難となった。この結果、幼年人口が減少して小・中学校が統廃合され、産業の担い手がいなくなり、島の経済がしだいに脆弱化する、という道のりを歩んできた。
    このような状況のなかで、いくつかの島々では児童・生徒の民泊受け入れや、地域住民と大学生との交流促進、若年層の国内移住(UIJターン)等の事業を積極的に推進し、島外から来た「若い力」を活かして活性化を図ろうとする動きがみられるようになった。こうした取り組みは、全国の農山漁村でも実施されており横並び感もあるが、島特有の地域性を活かした特色ある取り組みを進めた結果、島に来た若者たちが活性化に関与するようになった事例も見られる。本報告ではこうした事例の考察を交えながら、「若い力」を活かした島の活性化とその課題について論じる。
    Ⅱ 体験交流型民泊による将来の「若い力」の養成
    山口県周防大島町では2008年に体験交流型観光推進協議会を立ち上げ、体験型修学旅行の受け入れを始めた。協議会では、瀬戸内海における漁業体験やみかん畑での農業体験等の体験交流プログラムを多数用意したが、主眼は体験よりも島民との交流に置き、体験者を「また島の人たちに会いたい」という気持ちにさせるよう気を配っている。
    実際、民泊体験者が後日、民泊先の家族を慕って再訪するケースが増えており、中学生のなかには、山口県立大島高校への進学を希望する者も現れた。体験交流型の民泊は高校生以下が対象であるため、体験者がすぐに地域再生の担い手にはならないが、短期的には体験者が再訪することで交流人口の拡大につながる。また、長期的にみれば、島に移住し島を支える人材が育つ可能性を秘めている。
    Ⅲ 大学生・大学院生の学びの場としての島づくり
    長崎県対馬市では、韓国人観光客の増加とは裏腹に、少子高齢化や人口減少が加速し、集落機能や相互扶助による地域行事や作業等の継続が困難になってきた。こうした状況下で、対馬市は島外から住民とともに意欲的に活動してくれる人材を集めて、「人口の量」よりも「人口の質」を高める方向性を打ち出した。   
    2010年には総務省が制度化した「地域おこし協力隊制度」を利用して専門知識をもつ若者を募り、2013年までに8名の隊員が着任した。隊員はそれぞれの専門知識を活かして、ツシマヤマネコをはじめとする生物多様性の保全、デザイン力による島の魅力創出、ネットやイベントを通したファンづくり等の社会活動に従事している。
    また、対馬は九学会連合や宮本常一の研究フィールドにもなり、多くの学問分野にとって学術的価値が高い島である。このため、学生や若い研究者に研究環境を提供すると同時に、島づくりにも参画してもらうことを目指している。2012年には「島おこし実践塾」が上県町志多留集落で開設され、全国から集まった学生や社会人が住民とともに地域再生活動に従事しはじめた。2013年からは「総務省域学連携地域活力創出モデル実証事業」の採択を受け、インターンシップや学術研究で滞在する学生や研究者の受け入れを行っている。
    Ⅳ 島への移住者の役割と「定住」に向けた課題
    対馬の域学連携事業で学生たちのリーダー的役割を果たしている一般社団法人MITのメンバーは、移住してきた若手の生態学者や環境コンサルタント、国土交通省元職員等であり、島外からきた「若い力」が、さらに「若い力」を育てながら活性化に取り組むしくみが着実に根付きつつある。また、助重(2014)で報告した周防大島への移住者の多くも、前述の体験交流プログラムにも参画しており、ここでも「若い力」が「若い力」を育てる役割を果たしている。
    ここにあげた移住者の多くはモラトリアム的な移住ではなく「定住」を目指している。島に来てから結婚した人や、安心・安全な環境下で子育てがしたくて家族ぐるみで移住した人も少なくない。また、島内で起業したり地域産業の再生に取り組んだりして、生計を立てようと努力している。
    しかし、都市部から転入した若い移住者のほとんどは、都市での生活への未練もあり、極端に生活水準が低下すると島での生活にストレスを感じるようになる。 移住者が真の定住者として島の活性化の一翼を担うようになるためには、ここにあげた交流事業への参画を促すだけでなく、子どもの教育環境の整備や、物品購入のためのインターネット環境整備等、生活インフラの整備も進めて、ある程度の生活水準を確保することも重要といえよう。
  • キルギス共和国における温泉施設「オーロラ」を中心に
    アコマトベコワ グリザット
    セッションID: 127
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1. 目的
     キルギス国有財産管理局の所有である温泉施設オーロラは, 一年中営業し温泉や泥治療を提供している. 夏季にはイシク・クル湖で湖水浴をすることもできる. オーロラのソ連時代の正式名称は,「ソ連共産党中央委員会管理部門所属サナトリウム-イシク・クル湖」であった. 一般人はオーロラの敷地内に入ることすらできなかった. しかし, 1991年のソ連からの独立と国家の体制転換に伴い, オーロラの利用者も変化していった. 本研究は, 社会主義時代と資本主義化以降のオーロラの利用や利用者の属性(集客圏,年齢,性別,職業)および温泉施設での利用形態や利用時期を明らかにすることを目的とする.
    2. 研究の手続き 
     まず, オーロラ滞在者のソ連時代1989年12月~1990年12月末(1543人)および独立以降の2011年(342人)の「診療・処方カルテ」の分析を行う. 次に, 利用者と温泉施設スタッフへのインタービュー調査や参与観察を分析する. そして, オーロラの過去と現在を照らしわせ,キルギスの観光への影響を考えたい.
     3. 結果 
     ソ連時代オーロラリゾートの最多滞在者は, ロシアからの滞在者691人(44.8%)であり, オーロラへのバウチャー配給は, モスクワにおいて決定されたが, 原則として全ソ連の地域別面積に比例して配布されていた.
     オーロラリゾートでは, ソ連時代, 共産党員が温泉や泥治療等を受けていた.しかし, 党員の党内階級レベルにより訪問時期が異なっていた. オーロラに滞在した共産党の書記官115人を所属階級別に分けた結果, 中央の書記官は100%が多客期の夏に滞在しており, 「特権」を利用していたことが伺われる. 一方, 地方レベルの書記官とソフホーズとコルホーズの書記官の多くは, 冬に滞在するという傾向があった.
     ソ連からの独立後は, オーロラは一般解放されたため, 職業・地位に関係なく利用者が訪れている. しかし, 料金設定が高いため, 滞在できるのは高所得者に限定されている. しかし, 高所得者以外も外来診療で「オーロラ」の温泉治療・泥治療や理学治療を受けることができ, さらにオーロラの湖畔も利用可能である. 
     以上のように, 社会体制の転換は, 温泉施設利用の変化にも影響を与えている. 具体的には, 旧ソ連時代, オーロラは社会主義エリート限定の健康管理施設であったが, 資本主義化に伴って富裕層を中心に国民一般のためのリゾート施設になった. このように社会体制の転換が, それまでの健康管理施設をリゾート施設に変化させることが, ポスト社会主義国の観光の特徴と考えてよいであろう.  
  • 水木 千春, 谷口 智雅, 朴 恵淑
    セッションID: P081
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    三重県津市に位置する三重大学は伊勢湾に面した場所に立地しており,研究室や講義室の窓から海が臨める場所も少なくない.三重県は東海地震,南海地震などによる大地震の被害が想定されており,防災意識の向上など対策を講じていくことが重要である.三重大学でも,巨大地震や津波に備えて対策や防災訓練を行っているが,学生や教職員に対しては防災意識の向上を繰り返し図っていくとともに,災害に対する危機認識を把握しておくことも重要である.そこで,平成26年6月に教養科目の講義の中で,災害・防災に関して,どのような意識や自分なりの避難計画,対策を講じているのかについて意識調査を実施した.調査方法は,全18問の質問を1問ずつスクリーンに映し,回答票にその都度適切と思う回答を選択もしくは記入してもらった.その結果,182名から回答を得られた.回答者の属性は,学年は1年生が9割以上の166名,住まいについては自宅通学が半数を超える99名で下宿の学生が78名,出身地は三重県出身がもっとも多い78名でその次が愛知県出身の51名だった.調査によると,日頃生活している場所に対して危険との意識は高いと見られるが寝室などの転倒防止対策の実施状況や浸水予測等について情報を得ておくなどはされておらず,学生自らが自分のこととして津波や地震災害などのことを捉える「わがこと感」を持っていないことが明らかとなった.今後,さらに結果の分析を進めていきたいと考える.
  • 吉田 圭一郎, 若松 伸彦, 石田 祐子, 深町 篤子, 比嘉 基紀, 菊池 多賀夫
    セッションID: 103
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
    宮城県から岩手県南部にかけての東北地方太平洋側は常緑広葉樹林帯(暖温帯)と落葉広葉樹林帯(冷温帯)の植生境界にあたり,中間温帯林とも呼ばれるモミ−イヌブナ林が成立する(吉岡 1952).これまでモミ―イヌブナ林では,モミとイヌブナを含む林冠落葉広葉樹種がそれぞれ断続的に更新して共存すると考えられてきた(菅原 1978).
    混交林における主要樹種の共存には,土地的条件の違いだけでなく,更新パターンや生活史の差異が重要な役割を果たしていることが指摘されている(Nakashizuka 2001).しかし,これまでの研究では,異なる場所にある林分を時系列上に並べて更新パターンや生活史を予測するものがほとんどで(西村・真鍋 2006),森林の維持機構を実証的に明らかにするためには,同一の場所での長期的な調査が必要とされる.
    そこで本研究では宮城県仙台市のモミ―イヌブナ林内に1961年に設置した永久方形区の再調査を1981年と2011年に行い,50年間におよぶモミ―イヌブナ林の動態を実証的に明らかにした.また,モミ―イヌブナ林を構成する樹種の長期的な更新パターンを明らかにし,この森林の維持機構を考察することを目的とした.
    II 調査地と方法
    調査地は,仙台平野の西縁に位置する青葉山丘陵の鈎取山国有林(佐保山保護林)である.調査地周辺にはモミとイヌブナやコナラなどの落葉広葉樹種による針広混交林が広く分布しており,鈎取山国有林は約100年前より学術的に重要な森林として保護され,自然状態を保持している.
    1961年に鈎取山国有林内の南向き斜面に20 m×150 mの調査区を設置し,高さ2m以上の樹木を対象に立木位置を記録するとともに毎木調査を実施した.また,1981年と2011年に立木位置に基づき生存個体の胸高直径を再測するとともに,新規加入個体については毎木調査と同様の記載を行い,立木位置を記録した.調査区内の樹木の分布特性およびその変化を明らかにするため,RipleyのL関数による空間的ランダム性分析を行った.
    III 結果と考察
    過去50年間で,鈎取山国有林のモミ―イヌブナ林の主要な林冠構成種の組成や相対優占度には変化が見られなかった.その一方で,林分構造には特徴的な変化が認められ,過去50年間で小径木を中心に樹木個体数が減少し,BAが増加していた.また,種毎に個体数の推移は異なっており,モミなどの常緑針葉樹種の個体数は増加していたが,主要な落葉広葉樹種は新規加入率が死亡率を下回って,個体数は減少していた.これらのことは,鈎取山のモミ―イヌブナ林が異なる更新パターンを持った樹種により構成されていることを示唆している.
    モミの直径階分布は逆J型を長期間維持しており,プロット内において集中分布を示していた.これらのことは,耐陰性の高いモミは断続的に加入し,林冠下に多数の更新個体を待機させることで,小規模な林冠ギャップに対応して更新してきたことを強く示唆している.その一方,主要な落葉広葉樹種の直径階分布は50年間で逆J字型から一山型に変化し,さらに分布型も集中型からランダム型に変化したことから,これらの樹種が過去の大規模攪乱により一斉更新したと推察された.
    このように鈎取山国有林のモミ―イヌブナ林では主要構成種間でその更新パターンが異なっており,このことで常緑針葉樹種と落葉広葉樹種が同所的に生育できると考えられた.また,更新パターンの異なる樹種が共存することで,樹種毎の個体数や胸高断面積合計といった林分構造は変化しつつあるものの,モミ―イヌブナ林の種組成が長期間維持されてきたと考えられた.
  • 1953(S28)年9月と2011(H23)年9月の水害の比較から
    渡邊 三津子, 古澤 文, 遠藤 仁
    セッションID: P082
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.研究目的
    ある地域で起り得る災害を予測し備えておくためには、当該地域における災害履歴だけでなく、災害発生時の被害や前後の実態を知ることも不可欠である。また、被害状況は自然環境だけでなく社会環境によっても異なってくるため、包括的な観点からの事例のとりまとめや検討が必要となる。本研究は、歴史的にも多くの水害に見舞われてきたにも関わらず、過去の水害をめぐる人文・社会的観点からの研究はなされていない紀伊半島の熊野川流域に点在する小規模集落を対象として、当該地域の水害を取り巻く社会環境に焦点を当てる。流域内に大きな被害を出した1953(昭和28)年9月の台風13号水害(以下、S28年水害)及び、2011年(平成23)年9月の台風12号水害(以下、H23年水害)時の状況に関する比較を行い、地域社会の変化が災害対応に与えた影響や、当該地域における度重なる過去の災害の経験や知識がいかに活かされているか、という点についても着目する。

    2.対象地域と方法
    本発表では、熊野川流域内でも特に、S28年水害とH23年水害で被害を受けた和歌山県新宮市熊野川町能城山本地区、同西敷屋地区の事例を紹介する。文献調査やインタビュー調査を主な手法とし、過去の水害時の状況や災害後の対応を探るために地方新聞(熊野新聞、紀南新聞)を収集したほか、S28年、H23年両水害前後の状況や、被災後の対応状況、災害に対する「伝統知」の有無などについてインタビューを行った。

    3.結果

    (1) 被災時の状況:過疎・高齢化がもたらす災害リスク
    国勢調査(H22)によると、西敷屋地区の年齢別人口は、総人口53名のうち60歳以上の人口の占める割合が約8割、さらに全体の4割を80歳以上が占める。さらに、平成7年時に比べ平成22年の地区人口は3割減となっており、全体として人口減少と高齢化が進行している。地域の過疎・高齢化について、地域住民は「(平時においては)生活に支障はない」と口をそろえる。一方で、S28年とH23年を比較すると、S28年水害時には若い人が多く住んでいたので避難も片づけもスムーズに行われたが、H23年水害時には、高齢者がほとんどであったため、避難に時間がかかった他、途絶環境において外との連絡が取れなかったこと、洪水後の片づけも時間がかかったこと、など、地域の高齢化がもたらした新たな災害リスクが浮き彫りになった。また、S28年時に比べ電子機器の普及が進んだ現代では、家具・電化製品の水没にともなう経済的な負担が増大していることなど、現代化が与える影響なども改めて浮き彫りとなった。

    (2) 被災後の対応
    ①浸水禍を避ける農業暦の工夫
    現在、当該地域では、5月1日ごろに田植えを実施し、8月下旬に刈り取りを済ませる農業暦となっているが、新聞記事などにより、昭和28年水害を契機として、熊野川町を含む東牟婁地域一帯では、しばしば本地域に水害をもたらす台風シーズンを前に刈り取りが終了するよう、水稲の早植が奨励されたことなどが明らかになった。
    ②H23年水害後自主防災組織の再結成
    H23年水害時の反省をもとに、地域住民たちによる「自主防災組織」の再結成など、新たな取り組みもなされるようになった。これに関して、行政サイドからは「共助」「自助」の重要性が指摘されているものの、都市防災における「自助」・「共助」と、人口の減少や高齢化が進む本対象地域における「自助」・「共助」は、当然分けて考える必要がある。本地域の実情に合わせた減災システムの構築が今後の課題である。

    (3) 災害の「経験」「記憶」の伝承について
    本研究では、水害常襲地域において蓄積された「伝統知」の発掘を試みている。その中で、水害時の経験に関しては、次世代に語り継がれている一方で、水害時に避難するために高台に建てられた「上り家」が使われなくなっている現状や、水神信仰に関わる祠が廃れてしまっている現状も浮かび上がった。

    本研究は、平成25年度奈良女子大学研究推進プロジェクト「熊野川流域における災害の備えと対応の地域誌―災害に備える知恵・技術、対応の仕組みの体系的整理とデータベースの作成-」(代表者:渡邊三津子)の研究成果の一部である。
  • 松井 圭介, 堤 純, 吉田 道代, 葉 倩瑋, 筒井 由起乃
    セッションID: 504
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本報告は,オーストラリア・ノーザンテリトリー統計局(以下,NTG)資料,現地調査および先行研究を基に,現代におけるウルル観光の特性を,先住民文化の資源化と宗教ツーリズムの視点から考察するものである。
  • 黒田 圭介, 黒木 貴一, Burtron Guillen Jorge Alejandro, 磯 望
    セッションID: P058
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    Ⅰ.はじめに 衛星画像を用いた教師付最尤法分類による斜面崩壊地の抽出の試みは多く行われているが,崩壊地と低平部の土壌が露出する箇所は色調が似ているので誤分類が発生しやすい。そこで,黒木(2014)1)は複数の地理情報を組み合わせた衛星画像を用いてこれを解消し,特に傾斜データを含む情報を組み合わせて最尤法分類すると,現実的な斜面崩壊地の範囲を抽出できることが分かった。本稿では,低平地,斜面地両方を含むような地形条件の地域での最尤法分類結果の分類精度の大幅な向上を目指して,分類に用いる衛星画像を2つの方法を用いてトリミングした。これに複数の地理情報(斜面データおよびデジタル化空中写真)を組み合わせ,複数種(主として斜面崩壊地と河川氾濫)災害範囲を包括的に最尤法分類し,その精度検証を行った。

    Ⅱ.研究方法
    1.研究対象地域:解析範囲としたのは,2012年九州北部豪雨にて,斜面崩壊と氾濫被害が生じた阿蘇カルデラ内に位置する阿蘇市の沖積低地とカルデラ壁斜面である。
    2.使用データとその処理:解析に用いた衛星データは2012年10月8日観測のTHEOS(Tahiland Earth Observation Satellite)である。この画像をふるい分け法(Jorge Alejandro Burtron Guillenほか,2015)2)を用いて衛星画像をトリミングした。この方法を端的に説明すると,ある範囲におけるセルの極値を取り除き(ふるい分けし),画像を単純化する方法である。また,GISを用いて同じような処理(フォーカル統計処理,隣り合うセルの値を合計し平均化する処理)を行い,画像をトリミングした。これらに,デジタル化空中写真(2011年10月9日撮影)と傾斜量図を組み合わせた。土地被覆分類に用いたデータは,未処理THEOS画像,ふるい分け処理THEOS画像,フォーカル統計処理THEOS画像3画像と,これらそれぞれに,空中写真,傾斜,空中写真と傾斜,を組み合わせた計9画像である。これをGIS(ArcView9.2)で最尤法分類した。分類精度検証は最尤法分類に使用したポリゴン形式の教師データと使用していない追加教師データをそれぞれ重ねあわせ,その教師データ内の分類結果面積をGISで抽出することで評価した。

    Ⅲ.分類精度 各画像の平均分類精度を表1に,最尤法分類画像の一部を図1に示す。表1を見てみると,THEOS画像をトリミングするほど,追加地理情報を組み合わせるほど精度が向上する傾向が見られる。特に,GISでフォーカル統計処理したTHEOS画像の分類精度は総じて高く,傾斜を組み合わせたものは追加教師内精度90.7%と最も高い。図1を見てみると,傾斜を組み合わせた図1-c,d)ではb)に比べて低地での斜面崩壊誤分類が解消されているように見える。未処理THEOS画像土地被覆分類図の追加教師範囲内精度は13.8%であったが,フォーカル統計されたTHEOS画像に傾斜を組み合わせたものでは97.6%と大幅に誤分類が解消された。よって,急傾斜の斜面崩壊地と緩斜面の沖積低地を包括的に最尤法分類する場合,衛星データとともに,傾斜図を組み合わせると,精度よく斜面崩壊地を抽出できる。次に,図1を見てみると,b)と比べてc,d)は土地被覆分類図というより,土地利用区分図に近い見た目となる。これは,分類前処理により,BAND1~4の反射率の値が地物に応じてほぼ均一化されるためであり,衛星データから目視判読で作成される土地利用区分図がGISにより簡便に自動作成できる新たな手法となる可能性をはらんでいると考えられる。

    参考文献:1) 黒木貴一(2014):白川流域の衛星データによる被害地域の区分.平成23年度~平成25年度科学研究費補助金(基盤研究(c)一般)研究成果報告書「都市域における時空間地理情報を用いた氾濫原の特性評価」,p78-88.2) Jorge Alejandro Burtron Guillenほか3名(2015):Region Classification of Geographic Information Systems Images by Sieve Filter and Principal Component Analysis.自然災害研究協議会西部地区部会報・論文集,第39号(印刷中).
  • 田中 圭, 近藤 昭彦
    セッションID: 418
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに
    近年,解像度の高い空中写真(斜め・垂直写真)を容易に取得することができる小型UAV(Unmanned Aerial Vehicle)が登場し,非熟練者でも近接リモートセンシングが実施できるようになった.小型UAVは低空(対地高度150mまで)から撮影できるため,曇天でも対象との間に霧や雲がなければデータを得ることができる.そのため,時間および空間解像度が高い情報を取得することが可能となった.UAVは既に,地図作成(小笠原諸島西之島),災害現場(広島土砂災害,御嶽山降灰調査など),空間線量率計測といった様々な分野で運用されている.
    本研究は小型UAVによる高品質な地理空間情報を用いて,詳細な水稲の生育モニタリングを試みた.既往研究では,衛星・航空機を用いた農作物のモニタリング手法が実用化されている.しかし,衛星・航空機の場合は頻繁に生育状況の情報を取得することは難しく,また,天候にも左右されやすい.一方,小型UAVはこれらに比べて,頻繁に情報取得ができる上に運用費用が安価である.このことから,今後その需要性が高まると考えられる.
    2.手法
    1)対象場所・期間
    埼玉県坂戸市の水田(3.2反:36m×88m)を対象に,2014年5月中旬~9月中旬にかけて,週1回の頻度で水稲(コシヒカリ)のモニタリングを実施した.
    2)撮影
    生育状況の把握のために,可視画像(AW1:Nikon社)と近赤外画像(GoPro3:Woodman Labs社)の空撮を行った.GoPro3に使用されているイメージセンサは,近赤外域にも感度を持っているため,近赤外線透過フィルター(富士フィルム社)を通すことで,簡易型近赤外カメラとして撮影できる.これらのカメラを搭載し,撮影画像の品質保持および操縦者の負担を軽減するため,事前に飛行ルートを設定し,自律飛行を実施した.
    撮影した画像は, SfM ソフト(PhotoScan)を用いて,オルソ画像(可視画像,近赤外画像)・DSMを作成した.
    3.結果
    水稲のNDVIは,移植期~分げつ期で上昇し,その後の幼穂形成期~出穂期はほぼ一定となり,登熟期に入ってから下降した(図1).期間中に飛来したLandsat8も同様の変化を示した.
    さらに,圃場を5m×5mのメッシュに区切り,詳細なモニタリングを行った.その結果,一枚の圃場でも生育状況は,場所によって違いが生じることを詳細に観測できた(図2).
    4.まとめ
    衛星・航空機は,出穂してから10~20日後の撮影データを使用して,お米のおいしさを決めるたんぱく質含有量を農家へ通知している.いわゆる「お米の成績表」となっている.一方,小型UAVはリアルタイムな測定ができるため,生育状況から追肥等の検討や倒伏の予測ができ,迅速な対応が可能である.農業分野においても小型UAVの活用が大いに期待できる.
  • 三重県松阪市飯南・飯高地区を事例に
    小田 匡保, 柳光 里香
    セッションID: 515
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本発表は、村落社会地理学的な関心から、明治末期の神社合祀を氏子圏の統合ととらえ、それが地域社会にどのような影響を与えたのか(与えなかったのか)を検討する。フィールドは、神社合祀が進展している三重県の中でも神社減少率の高い旧飯南郡の旧飯南町・飯高町(現・松阪市飯南・飯高地区)を対象とする。

    飯南町は明治行政村が2、大字が7、飯高町は明治行政村が4、大字が25である。明治末期の神社合祀により、神社数は飯南町では38社から3社に、飯高町では55社から6社に減少した。神社と明治行政村との対応関係から、一村一社型(3村)と一村二社型(3村)の二つのパターンに分けられ、一村二社型は、大字群を単位として氏子圏が編制されている一村二社A型(2村)と大字を分断して氏子圏が編制されている一村二社B型(1村)に細分される。神社合祀が地域社会に影響を及ぼすと仮定すると、氏子圏と大字界に齟齬のある一村二社B型に変化が表れやすいと考え、当該の大字有間野(現・松阪市飯南町有間野)について詳細に検討する。

    大字有間野は明治末期、3地区(字)に分かれており、2地区(栃川・神原)は同じ行政村内にある別大字の粥見神社氏子圏に組み込まれたが、1地区(有間野)は村社を合祀せず、従来の有間野神社氏子圏を維持した。

    現在、栃川・神原は、粥見神社氏子として財政面の負担はしているが、意識が追いついていない。地理的に近接している有間野神社に対して親近感を持っているが、氏子に入ることができず、中途半端な状態におかれている。集落レベルの祭が行なわれているが、地域をまとめるイベントとしては力が弱い。一方で、有間野区自治会や住民協議会の存在によって、大字有間野としてのまとまりが強固であり、栃川・神原はその一員としての面が強い。地域のまとまりは大字を単位として存在しており、それと齟齬する氏子圏の統合は地域に影響を及ぼしえなかったと言える。むしろ逆に、大字としてのまとまりの強さが、氏子圏の不自然さを浮かび上がらせ、住民にストレスを生じさせている。

    なお、本研究は、柳光の駒澤大学大学院人文科学研究科地理学専攻2013年度修士論文の一部に、小田が大幅な修正を加えたもので、詳細は柳光・小田(2015)として印刷予定である。
  • 「世界の博物館アメリカ」の展示物になりうるか?
    加賀美 雅弘
    セッションID: 622
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    近年ヨーロッパでは,エスニック集団や地域集団の多くが固有の言語をはじめ,伝統的な衣装や楽器演奏,舞踊,食文化に対して強い関心を寄せ,他の集団と異なる自分たちらしさを強調する動きがめだっている。そうした傾向は,東西冷戦の終結とEU拡大と連動した動きとしてとらえることができる。国境を越えた人の移動の自由化や多様な文化集団の接触により,同じ文化を有する人々の間で共通の意識を高め,他の集団と区別しようとする傾向がヨーロッパ各地であらわれている。

    一方,アメリカ合衆国においても,国内に住むさまざまなエスニック集団固有の文化に対して,高い関心を寄せる傾向がみられる。この報告では,アメリカ国内のドイツ的な伝統文化が近年アピールされ,注目されている点に目を向け,ロサンゼルス大都市圏におけるドイツ系住民と伝統文化との関係について論じる。

    なお,この報告は,多文化社会アメリカを「世界の博物館」としてとらえようとする研究プロジェクトの一環であり,そこでは,移民集団の伝統文化の展示の場としての博物館が着目されている。以下,博物館を,当事者および外部者に伝統文化や人間集団の存在を示すために固有の歴史や文化を展示する場としてとらえ,考察を試みる。
  • 松多 信尚, 木股 文昭
    セッションID: 402
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    はじめに:地震は,岩盤に蓄積した歪みが開放される時に岩盤がずれる現象であり,地震災害の原因は「ずれ」と「ゆれ」と分けられる.中央防災会議「東南海・南海地震等に関する専門調査会」資料によると,木造家屋の場合約15軒家が全壊すると1人の犠牲者が出る.ところが,1945年に発生した三河地震では死者1人あたり全壊戸数が3.1戸と家の全壊に対して非常に多くの犠牲者がある(飯田,1978).同様な例として北丹後地震が指摘されている.ともに地震断層が出現した「ずれ」による被害がある地震である.そこで,市町村,字,家々スケールでの自然地理学的条件が犠牲者や家屋の全壊にどのような影響を与えたのかを,三河地震と「ゆれ」だけの地震である昭和東南海地震との被害を比較することで「ゆれ」と「ずれ」の被害の特徴を明らかにすることを試みる.昭和東南海地震と三河地震:1945年1月午前3時に発生した三河地震は,三河湾を震源とするM6.8の内陸直下型地震である.この地震によって,深溝断層が明瞭な地表地震断層として出現し,死者行方不明者は2300人あまりに達した.一方,1944年12月午後1時に発生した昭和東南海地震は紀伊半島熊野灘を震源とするM7.9のプレート境界型地震である.この地震の震源域は紀伊半島串本沖から三河湾沖で,死者行方不明者は1200人以上である.被害分布:昭和東南海地震の被害範囲は沿岸部を中心に愛知県全域におよぶ.特に西三河平野,濃尾平野,半島部での被害が大きい.それに対し,三河地震では西三河の狭い範囲に被害が集中する.西三河平野では昭和東南海地震と類似した被害分布を示し,それ以東では三河地震の被害の方が大きい.字レベルでの人的被害に着目すると,沖積平野内および地震断層近傍で被害が大きい.地震断層近傍である形原町で家レベルの被害に着目すると,全壊家屋は断層上盤の段丘の上で多く,下盤側で少ない.人的被害は複数の犠牲者を出した家は断層上盤側のより断層近傍に集中する傾向がある. 「ゆれ」による被害:昭和東南海地震の愛知県での家屋全壊率は震源域との距離によらない地域性がみられる.この地域性は「ゆれ」による被害の特長である.地質図と照らし合わせてみると,中新統より古い地質の上では被害が小さく,鮮新統が分布の地域は震源域から遠ざかるにつれ被害が小さくなる.更新統が分布する地域では,濃尾平野や豊橋平野では被害が少ないのに対し,西三河平野や渥美半島では被害が大きく,同じ更新世の地形面でも地域差が認められる.完新統では,濃尾平野南部,西三河平野で被害が大きく,豊橋平野では相対的に被害は小さい.以上のことから,「ゆれ」による被害は従来からの指摘どおり,堅い岩盤の上では小さく,沖積層など軟弱な地盤では大きい傾向が認められるものの,沖積層や更新統では地域差がみとめられる.これは,大礫が卓越する沖積層上では被害が小さく,細粒な堆積物の更新統の段丘で被害が大きいため,地質で説明ができる.三河地震における西三河平野での被害を検証する.沖積層の厚さ分布と比較すると,最終氷期の埋没谷沿いで被害が大きく,厚さが10m以下の地域では被害が小さいなど,大局的には沖積層の厚さと被害の大きさが良く一致する.しかし,細かくみると,沖積層が厚くても旧矢作川の自然堤防上での被害が後背湿地上の被害より小さいことや,閉塞的な環境の場所で被害が大きいなど,微地形や表層地質が影響している.「ゆれ」による被害は総合的な地質環境の影響を受ける.「ずれ」による被害:地震断層が出現した地域では,全壊家屋数に対する死亡者の数が1倍を超え,2倍に達する字もある.これは地震断層から離れた地域が概ね0.4以下になることと大きな違いがある.地震断層近傍で人的被害が大きくなる傾向は,形原における家レベルでの被害の傾向でも顕著で,地震断層から離れると複数の死者を出す全壊家屋が減少し,断層近傍で複数の犠牲者がでる全壊家屋が多い.このように地震断層近傍では他地域に対して物的被害に対して人的被害が大きい.「ゆれ」と「ずれ」による人的被害の差の要因:「ずれ」と「ゆれ」の全壊家屋に対する人的被害の差は,地震発生から全壊に至る経過時間によって生ずる.すなわち,「ゆれ」による全壊は,揺れはじめから建物がダメージを受けて壊れるまでの間に,身を守るための行動をする時間的余裕があるのに対し,「ずれ」による全壊は建物の土台が壊れるため瞬時に発生する.この土台が壊れる原因は検討を要するが,「ずれ」が原因の被害であることは間違いない.このことは同じ地震災害であっても「ゆれ」と「ずれ」とが違うメカニズムで災害に発展することを意味しており,「ゆれ」に対する減災対策が「ずれ」に対する減災対策に効果を示さない可能性を示唆している.
  • 安部 真理子
    セッションID: S1106
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.はじめに 沖縄島・名護市東海岸の辺野古・大浦湾にはサンゴ礁、海草藻場、マングローブ、干潟、深場の泥地といったタイプの異なる環境と地形が存在し、生物多様性を支えている。国の天然記念物であり絶滅危惧種絶滅危惧IA類(環境省)であるジュゴンと餌場である海草藻場をはじめとし、2007年にその存在が発見されたチリビシのアオサンゴ群集、長島の洞窟など、この海域全域におよび生物多様性が高く、複数の専門家(黒住ら 2003、藤田ら2009)が述べているように、今後も新種や日本初記録、ユニークな生活史を持つ生物が多発見される可能性が高いことが示唆されている。 2.       環境アセスメント(環境影響評価)の問題 本事業に伴う環境アセスは、2012年2月に仲井真元沖縄県知事が「環境保全は不可能」と断じたほど、科学的に大きな問題があり、住民参加や情報の透明性という観点からも多くの問題が存在した。しかしながら2013年12月に仲井真県知事の手により、正反対の判断が下され、公有水面埋立申請が承認された。 3.       環境アセスメントの対象とならない埋立土砂 環境アセスの段階では埋立土砂の調達先については示されなかったものの、公有水面埋立手続きの段階になり、初めて埋立土砂の具体的な調達先が明らかにされた。160 ヘクタールの埋立てに2,100 万立方メートルの土砂が使用される。この量は10 トントラック300 万台以上の土砂に相当する。以下に、4つの問題について指摘する。a)埋立土砂調達予定先の環境への影響、b)土砂運搬船とジュゴンとの衝突の可能性、c)海砂採取により嘉陽の海草藻場への影響が生じる可能性、d)埋立土砂に伴う埋立地への外来種の移入。    4.       情報の隠ぺい、後出し 環境アセスの期間においても、公有水面埋立申請書の段階においても、環境に大きな影響を与える工事について、情報の隠ぺいおよび後出しが行われている。                         5.       環境アセス後に判明した科学的事実の軽視 昨年5~7月に自然保護団体が行ったジュゴンの食痕調査により、ジュゴンがこれまで以上に高い頻度で埋立予定地内および周辺を餌場として利用していたことが解明された。このようにジュゴンが採餌域を拡大し、大浦湾の埋め立て予定地内および周辺を利用することは、環境影響評価が行われた時点では予測されていなかったことである(日本自然保護協会 2014年7月9日記者会見資料)。しかしながら事業者は事業の中断および変更は行っていない。 4.環境保全措置の問題点 環境影響評価書(補正後)には環境保全措置が書かれているが、公有水面埋立承認が下りてから埋立工事が開始されるまでの「調査期間」には、その保全措置が適用されない。着工前の調査の時点でも、厳重な保全措置が取られるべきである。つまり着工前に影響を与える行為をしながら、事後に保全措置を取っても意味がない。 5.       おわりに 辺野古・大浦湾はIUCNが3度にわたる勧告を出しているほどの貴重な自然であり、沖縄のジュゴン個体群は、世界のジュゴンのなかで最も北限に位置する重要なものである。日本が議長国をつとめた2010年に採択された愛知ターゲット目標10「脆弱な生態系の保全」と目標12 「絶滅危惧種の絶滅・減少を防止する」を守れない事業を進めることは国際的にも許されないことである。
  • 橋田 光太郎
    セッションID: 508
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本研究は「都市地理学の視点から見た八幡の変遷に関する研究」の一部をなすもので,研究の目的は旧八幡市の戦災を概観し,市長・守田道隆が展開した復興内容を明らかにすることである。検討の際には,地域形成者としての公権力や為政者の重要性に着目して考察した。
  • ―宋代易学に着目して―
    益田 理広
    セッションID: 820
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1.研究の背景と目的 地理学という分野に冠された「地理」なる語が,五経の第一である「易経」,詳しく言えば,古代に記された「周易」本文に対する孔子の注釈である「十翼」中の一篇「繋辭上傳」に由来することは,漢字文化圏において著されたいくつもの地理学史や事典にも明記された,周知の事実である.しかし,その「地理」はいかなる意味を持つのか,何故地理学の語源となり得たのか,といった概念上の問題については,余り深く注視されてはこなかった.確かに,「繋辭上傳」の本文には「仰以觀於天文,俯以察於地理」とあるのみで,そこからは「天文」と対置されていること,「俯」して「察」るという認識の対象となっていることが読み取られるばかりである.それ以上の分析は,「地」「理」の二字の意味を知るよりほかはないであろう.「土地ないしは台地のすじめであり,大地における様々な状態つまり「ありよう」を指したもの」(海野,2004:44)「地の理(地上の山川で生み出される大理石や瑪瑙の筋目のような形状)」(『人文地理学事典』,2013:66)といった定義はまさに字義に依っている.辻田(1971:52,55)も「易経でいう地理をただちに今日的意味で理解するのはやや早計」としながらも,「古典ギリシャ時代の造語であるゲオーグラフィアに相当する地理という文字」とする.また,海野は後世における「地理」の使用例から,客観的な地誌的記述と卜占的な風水的記述をあわせ持った,曖昧模糊たる概念とも述べている. それでは,この「地理」なる語は古代より明確に定義されぬままであったのであろうか.実際には,「地理」の語義は「周易」に施された無数の注釈において様々に論じられてきた.そしてその注釈によって「地理」を含む経典中の語が理解されていたのも明らかであり,漢字文化圏においてgeographyが「風土記」ではなく「地理学」と訳された要因もこうした注釈書に求められよう. 中国の研究においてはそれが強く意識されており,胡・江(1995)は「周易」の注釈者は三千を超えるとまで言い,「地理」についても孔頴達の「地有山川原隰,各有條理,故稱理也」という注に従いながら「大地とその上に存在する山河や動植物を支配する法則」を「地理」の語義としている.また,于(1990)や『中国古代地理学史』(1984)もやはり孔頴達に従っている.ただし,孔頴達の注は唐代に集成された古典的なものであり,「地理」に付された限定的な意味を示すものに過ぎない.仮にも現代の「地理学」の語源である「地理」概念を分析するのであれば,その学史的な淵源に遡る必要があろう.そしてその淵源は少なくとも合理的な朱子学的教養を備えた江戸時代の儒学者に求められる(辻田,1971).「地理学」なる語も,西洋地理書の翻訳も,皆このような文化的基礎の上でなされたものなのである.従って,現代に受け継がれた「地理学」の元来の概念範囲は,この朱子学を代表とする思弁的儒学である宋学における「地理」の語義を把握しない限りは分明たりえないであろう.以上より,本研究では,宋学における「地理」概念の闡明を目的として,宋代までに撰された「周易」注釈書の分析を行う. 2.研究方法 主として『景印 文淵閣四庫全書』(1983) 經部易類に収録されたテキストを対象とし,それらの典籍に見出される「地理」に関わる定義を分析する.また,上述のように「地理」は「天文」と対をなす語であるため,この「天文」の定義に関しても同様に分析する.なお,テキストは宋代のものを中心とし,その背景となる漢唐の注釈も対象とする. 3.研究結果  「天文」および「地理」なる語に対する古い注釈としては王充の論衡・自紀篇の「天有日月星辰謂之文,地有山川陵谷謂之理」および班固の漢書・郊祀志の「三光,天文也…山川,地理也」がある.周易注釈書としては上述の孔頴達の疏が最も古く,これは明らかに上記二者や韓康伯の系譜にあり,「天文地理」は天上地上の物体間の秩序を表すに過ぎない.ところが,宋に入ると,蘇軾は『東坡易傳』において,天文地理を「此與形象變化一也」と注し,陰陽が一氣であることであるという唯物論的な解釈を行い,朱熹は「天文則有晝夜上下,地理則有南北高深」と一種の時空間として定義するなど,概念の抽象化が進んでいく. 【文献】 于希賢 1990.『中国古代地理学史略』.河北科学技術出社.海野一隆 2003.『東洋地理学史研究・大陸編』 .清文堂. 胡欣・江小羣 1995.『中國地理學史』. 文津出版. 人文地理学会編 2013.『人文地理学事典』.丸善書店. 中国科学院自然科学史研究所地学史組 主編 1984.『中国古代地理学史』. 科学出版社. 辻田右左男 1971.『日本近世の地理学』.柳原書店.
  • ハーヴェィ、マッシーの近著の検討を軸に
    熊谷 圭知
    セッションID: 511
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    報告者は、「場所論と場所の生成」と題した報告を2012年春の地理学会で行い、「場所論再考――グローバル化時代の他者化を越えた地誌のための覚書」(お茶の水地理52、2013年)を著した。本報告の目的は、その後に翻訳が刊行された場所論をめぐる重要な著作、ハーヴェィ『コスモポリタニズム』(大屋定晴訳、2013年)と、マッシー『空間のために』(森正人訳、2014年)を加えて、場所論を再度検討することである。
  • 手代木 功基
    セッションID: P046
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    はじめに
    モンゴル国南部には草本が卓越する乾燥ステップが広がっている。こうした草本優占景観の一部には、灌木が集中して分布する地域がみられる。世界の乾燥・半乾燥地域の植生と放牧圧の関係を検討したAsner et al. (2004)は、草原中の灌木は,過放牧に起因する草原の劣化にともない優占すると指摘した。一方で、モンゴルにおいては、これらの灌木は家畜の採食資源になっているという報告もある(Fujita et al., 2013)。このように、内陸アジアの乾燥ステップにおける灌木の分布の実態や放牧との関わりについては不明な点が多い。 したがって本研究では、モンゴル国南部、マンダルゴビ地域において、高解像度衛星画像を用いて灌木の分布を明らかにすることを試みる。そしてその結果をもとに、分布の要因や家畜の放牧との関係を定量的に検討する。  

    方法
    調査地はモンゴル国ドンドゴビ県、サインツァガーン郡である。特に県の中心地であるマンダルゴビの南東部を対象とした.降水量は年変動が大きく、干ばつやゾド(寒冷害)もしばしば発生する。対象地域には家畜を飼養する牧民が居住している。牧民は主に移動式の住居に居住しており、季節的に遊動しながら放牧を行っている. 現地調査は2013年9月、2014年1月,及び8月に実施した.灌木の分布を現地で記録して衛星画像解析時の参照情報にするとともに、対象地域における牧民の樹木利用や放牧活動について調査した。放牧活動については、対象地域内で家畜を飼養している牧民のヤギとヒツジにGPS首輪を取り付け、放牧場所を記録した。 灌木の分布は、空間解像度が50cm(パンクロ)、2m(マルチ)と高いWorldView-2(撮影日:2011年7月14日及び10月24日)を利用して抽出した。この解析にはExelis VIS社製ENVI5.1とFeature Extractionモジュールを使用した。  

    結果と考察
    調査地域では、主にCaragana microphyllaCaragana pygmalaが灌木として出現した。これらの灌木の周囲にはしばしば砂が堆積したマウンド(nebkha)が形成されていた。マウンドの高さは平均が約30cmであった。 次に、衛星画像上でオブジェクト分類を行って、灌木の分布密度を算出した。その結果、灌木の分布は地域内において一様ではなく、偏りがみられることが明らかになった。これらの灌木の分布は、マクロスケールにおける地形や土壌の差異と関わりがあると考えられる。 次に、灌木の分布と放牧場所の関係について検討した。その結果、灌木が高密度で分布する場所はヤギ・ヒツジの放牧場所として利用されていることが明らかになった。牧民は季節によって放牧場所を移動させており、特に草本の採食資源が減少する冬から春にかけて灌木の密集地帯を利用していた。 牧民は、草本が不足する時期や、干ばつなどの災害時には灌木が家畜にとって需要な採食資源になると語る。したがって、今後は干ばつやゾド時における灌木の利用状況を定量的に明らかにすることを通して、乾燥ステップにおける樹木の役割を再評価していく必要がある。

    *本研究は,総合地球環境学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト(研究代表者:田中樹)及びJSPS科研費・若手研究(B)「乾燥地域における放牧システムのレジリアンスに関する研究:樹木の役割に着目して」(課題番号:25750118)の成果の一部である。
  • -ルーマニア・ムレシュ県の有機農場を事例に-
    鷹取 泰子, 佐々木 リディア
    セッションID: 813
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    ■はじめに:研究の目的 
    民主化から20年以上が経過したルーマニアの農村地域において、さまざまな担い手による起業家活動が見いだされるようになっている。国内農家の9割以上を占める自給的もしくは半自給的な小規模農家の中から、起業家として活動する事例をとりあげながら、先進的な起業家により変容しつつある農村システムの諸相を明らかにすることを目的とする。

    ■研究の背景と事例地域概観 
    ルーマニアは1989年の革命後、大きな変貌を遂げることとなった。第二次大戦後以降の共産主義時代に国有化された農地の多くは、2000年代初頭までに元の所有者へ返還される等した結果、民有化されている。2007年1月、ブルガリアとともにEUに正式加盟し、農業分野では共通農業政策(CAP)の元、農業施策が進められている。本研究で主な事例地域として取り上げるムレシュ県は国内中央北部に位置しており、県面積の約61%が農地であり、農業は地域経済の重要な地位を占める。また、森林が県全体の約31%を占め、豊かな景観をもたらすとともに、経済的な価値の高い資源として重要である。■グローバル化に伴い現れた様々な起業家活動 トランシルヴァニア地方の農村もまた、小規模農家が大勢を占めてきたが、2000年代半ば以降、自給的で小規模な農業経営を生活の基盤にし、さらに発展・拡大させる形で起業活動を行う起業家が現れてきたことがわかった。2014年8月にトランシルヴァニア地方南部のムレシュ県とブラショフ県で実施した調査により、農家から始まった起業家活動の具体例として、自宅の一室でレストランを運営する60代夫婦、祖父の農地を受け継ぎ、宅内施設で農産加工を始めた30代女性、自宅で畜産経営を行いながら夏場はペンション管理者を兼務する30代女性などが確認できた。

    ■先進的な起業家がもたらす農村システムの変容
    本研究では、環境保全型の農業活動に着目し、ムレシュ県南部の有機農場Tの事例を紹介しながら、変容する農村システムの諸相を検討する。 有機農場Tは40代の夫婦が経営し、2000年代後半に彼らの居住する集落でドイツの環境NGOの主導で始まった有機農場づくりを契機に有機生産に関わることになった。農場の経営は2009年にNGOから夫婦に継承され、先祖から受け継いだ農場と合わせ、若手農業者向けの支援も受けながら経営基盤を整備してきた。有機生産に関する理念に共感し、現在もドイツの団体よりEU認証を取得している。経営は野菜、バラ、飼料作物、果樹、麦類などの生産と畜産を組み合わせ、さらに有機加工食品も製造する。夫婦の他に2つの家族、パート労働者2名、季節労働者、ボランティア(地元の若者及び高齢者・国際NGO等に参加する外国の若者)が農場支える。 ルーマニアの農家の多くは本来的に農薬や肥料を多用する農業経営はあまり行われていないが、有機農場Tの集落でも認証を取得する形での有機生産について十分な共感が得られていない現実がある。理念として有機への共感を生むだけでなく、例えば経済的に有利で魅力があることも重要であると捉えており、夫は地元での啓発・普及活動に従事しながら、有機農業の意義や将来性をアピールすることで、農村に若者や退職者を惹き付け、将来的な農村の持続性に繋げることを目指している。 ムレシュ県やブラショフ県では、起業家らを支援する国際NGOの果たす役割が大きく、また上記に紹介した起業家は国内外の農村志向の人々を惹き付けていた。ライフスタイルの充実を重視する生き方が共感を生んでいること等による、農村の持続性への影響を今後検討する。
  • 埴淵 知哉
    セッションID: P047
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    『地理学評論』は、日本の地理学における主要な学術雑誌の一つであり、同誌を通じて公表された論文は、当該分野の科学的知識生産に重要な貢献をなしていると考えられる。論文の生産は、研究者を取り巻く研究環境や査読体制、学術情報流通のあり方などに規定されており、それらは時代によって大きく変わり得る。本報告では、『地理学評論』掲載論文の書誌情報をもとに、科学計量学的観点から、地理学論文生産の特徴とその変遷を大まかに提示する。

    1980年から2013年の間に掲載された1,079論文を対象にした。論文種別の内訳は「論説」67.0%、「短報」28.5%、「総説」4.4%である。分野別では「自然」が38.6%、「人文」が57.4%であり、複合的/分類困難なものが4%程度あった。著者に着目すると、「単著」が80.1%、「共著」は19.9%(うち二名による共著が10.9%)である。筆頭著者の所属は、「大学」が87.6%と圧倒的に多く、氏名から判断された性別では「男性」が89.0%であった。職位等の記載は必ずしも明確ではないものの、「大学院生」と明記されているものが38.3%を占める。また、「卒業論文」や「修士論文」をベースにしたものが28.5%にのぼることから、同誌が若手の地理学界への登竜門の役割を果たしているという状況(杉浦1999)が今日まで続いている実態がうかがえる。

    過去30年余りの変化に注目すると、「自然」分野における「論説」の減少が顕著である(図)。「人文」の総数に大きな変化はみられないものの、2000年以降はとくに「短報」が増加している。また共著論文の割合が徐々に高まっており、これは従来共著の多い「自然」だけでなく「人文」においても認められる。また、1990年代後半以降は、それ以前に比べて審査期間(投稿日と受理日の差)が長くなり、近年までその状態が続いている。大まかに言えば、1990年代後半を境として、緩やかに、論文生産に関する各種特徴が変化してきたとみることができる。

    論文間の参照関係や影響度を表す被引用数(CJP引用による)をみると、対象論文の平均被引用数は2.6(範囲:0-32)であり、約1/3は0であった。また、Impact Factor算出に通常用いられる2年という期間での引用はきわめて少ない。規定要因を分析すると、「共著」「大学」「論説」「学位論文」「自然」の論文において被引用数が有意に多く、後の研究への影響が大きいことが示唆された。

    杉浦芳夫 1999. 地理学評論Ser.Aの現状と課題. 地學雜誌 108(6): 696-705.
    ※本研究は中京大学特定研究助成費(1310303、1410308)の助成を受けた。
  • 宮城 豊彦
    セッションID: 417
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    様々な画像情報からDSMを発生させる技術が開発大きく進歩し、併せてUAVが簡易に利用できる状況があらわれた。これによって土地自然情報の多角的な利用が促進される。マングローブとその周辺域で検証している。
  • 豊田 哲也
    セッションID: S1407
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    徳島県の人口は吉野川流域と海岸部の平野に集中し、徳島市はそのかなめに当たる位置に立地する。都市としての起源は、16世紀末に吉野川河口に建設された近世城下町にある。1889年の市制施行時、徳島市の人口は四国最大の6.3万人、当時の順位では全国第10位であったが、その後の人口増加は鈍く、1960年代に四国の県庁所在都市中で最下位となった。徳島市は交通体系の幹線から外れ大都市の市場と離れていたため、近代都市への転換の推進力となる大規模な工業の発展から取り残された。その結果、経済基盤に占める商業の比重が相対的に高まり、消費都市としての性格を強く帯びることになった。

    1998年4月の明石海峡大橋開通によって、徳島市は陸路で関西方面と直結し、交通体系は大きく変化した。高速バスの所要時間は神戸市まで1.8時間、大阪市まで2.5時間で、利用者数は年間140万人から200万人へ増加している。輸送の安定化は農業・水産業、製造業などにメリットをもたらした。しかし、時間距離短縮の効果は京阪神地域からの日帰りを容易にし、オフィス立地など業務機能についてはむしろマイナスにはたらく可能性がある。また、徳島市の商業集積は規模や魅力の点で劣位にあり、関西方面への消費流出が進んでいる。

    東日本大震災と津波被害の経験は、沿海部に立地する都市の災害リスクを再認識させた。南海トラフ大地震が発生すると徳島市は7mの津波や地盤液状化を被ると予想される。徳島県では2012年末に津波警戒区域を設けて土地利用の規制に乗り出した。こうしたリスクは地価の下落など不動産市場に深刻な影響を及ぼしており、人口流出の加速や所得の低下、経営環境の悪化と撤退、生活利便性の低下とさらなる地価下落へと負のスパイラルを引き起こすことが懸念される。徳島市の都市計画マスタープランでは集約型都市構造を掲げてきたが、安全な内陸部で土地開発を促進し都市機能の移転を図るべきという意見も強まっている。災害に強い都市づくりとコンパクトシティの理念の間に生じる矛盾をどう克服するかは都市計画の大きな課題である。
  • 久木元 美琴, 箸本 健二
    セッションID: 909
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    研究の背景と目的  2000年代以降,地方都市の中心市街地における遊休不動産(未利用不動産)の跡地・跡施設の利活用問題が浮上してきている.未利用不動産の利活用のなかでも,福祉施設への転用は,中心市街地における住民サービスの充実や生活の質の向上につながりうる.少子高齢化や福祉施策のコミュニティ志向を背景に,多様化した福祉ニーズを担う拠点の整備が必要とされている.同時に,居住地構造の変化から,地方都市中心部に住む高齢者や子育て世帯を含む多様な住民への住環境整備が求められている.こうした状況に対し,地方都市の未利用不動産は拠点としての役割を果たすことが予想されるが,福祉への利活用の全国的な状況は十分に明らかにされてこなかった.  そこで,本研究では,地方都市の中心市街地における未利用不動産の利活用のなかでも,福祉関連施設としての利用・転用の実態を明らかにする.方法として,1995年時点で人口規模2万人を超え,かつ特別区および政令指定都市を除外した地方都市846市町村(2012年調査と同基準)を対象とし,1)事業用ビル(商業施設,オフィス,病院等),2)個人商店(空き店舗),3)公的セクタが所有するビルの3区分について,利活用の状況や阻害要因,影響,等に関するアンケート調査を実施した.調査は2014年7月~8月に郵送留置方式で実施し,553自治体から有効回答を得た(回収率65.4%).このうち,子ども・子育て系福祉施設(以下,「子育て」),デイサービスなどの高齢者施設」(以下,「高齢者」),その他の福祉施設(以下,「その他」)へ利活用した自治体を抽出し分析した. 調査結果  回答の得られた553自治体中,92自治体(16.6%)が,未利用不動産を福祉関連施設へ利活用している.なかでも,「子育て」を含む利活用が,92自治体中70自治体と多い.これは,「高齢者」を含むもの39自治体や「その他」を含むもの27自治体と比較しても高い水準である.福祉関連施設に利活用されている不動産種別は「空き店舗」で,回答全体の54.2%を占める.福祉事業種別では,「空き店舗×子育て」が最も多く,「空き店舗×高齢者」,「大規模商業施設等×子育て」と続く.  福祉関連施設への利活用の理由は,「中心市街地の賑わい・消費創出」(30.4%),「周辺住民・周辺事業者からの要望」(22.2%),「福祉事業者からの提案」(17.0%)の順で多かった.ただし,福祉事業種別にみると,転用理由に違いがある.「子育て」の場合,「中心市街地の賑わい・消費創出」(36.1%)や「周辺住民・周辺事業者からの要望」(27.9%)が突出して高い.一方,「高齢者」や「その他」では,「福祉事業者からの提案」が最も高い比率を占めた(30.4%). 「子育て」に利活用した自治体では「待機者の発生」(保育所待機児童)を理由として挙げるものは少ない.他方,「高齢者」や「その他」へ転用した自治体では,相対的に高い割合で「待機者の発生」が挙げられており,これらの福祉事業で不足しているサービスや施設の受け皿として中心市街地の未利用不動産が利活用されている. 考察  以上のように,特に中心市街地の空き店舗において,子ども・子育て系施設への転用が多くみられることが明らかとなった.こうした転用がさかんに行われる理由は,主に中心市街地に子育て世帯の来訪を促し,賑わいや消費を創出することである.同時に,1990年代後半以降,国の子育て支援政策のなかでも運営主体や設置場所の制約が小さい「ひろば型事業」が拡充されつつあり,空き店舗の活用や行政との連携によって拠点を開設・運営する方法がノウハウとして共有されている.空き店舗の子育て支援としての利活用は,中心市街地活性化を促進したい商店街・行政側と,国による子育て支援の制度や拠点拡充の方向性が合致して生じた現象とみることができよう.その一方で,子ども・子育て系施設を含まない利活用も23.9%あり,こうした自治体では上記と異なった文脈で利活用に至ったことを示している.報告では,地域条件と照合しながら福祉への利活用状況をより詳細に検討する. ※本研究は,科研費基盤B(課題番号25284170, 代表者:箸本健二)の成果の一部である.
  • 哈申 格日楽, 布和 宝音, 近藤 昭彦
    セッションID: P057
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    はじめに

    中国内モンゴル自治区の東南部に位置するホルチン砂地は日本から一番近い砂地であるが、ホルチン地域の砂漠化に関する研究は数多い。例えば、大黒・根本(1997)は過放牧による砂漠化が問題となっているホルチン地域の奈曼旗を事例として検討し、放牧管理による植生・土壌の回復は砂丘中上部では20年程度の期間が要することを指摘した。立入・武内(1998)では旧日本軍が作成した1930年代の地形図と中国科学院が作成した1980年代の砂漠化類型図を比べた結果、ホルチン地域の奈曼旗では約1.8倍の流動砂丘の拡大が見られたとした。衛星データによる砂漠化をモニタリングした厳・宮坂(2004)では、1961年のCORONA画像と1988、1994、2000年のTMデータを用いて土地被覆分類図を作成し、この間に砂漠化が一貫して進行したとした。
    しかし、これらの研究はホルチン地域の一部の対象とした研究であり、ホルチン全域を対象とした研究は少ない。本研究の目的は多時期のランドサットデータおよび統計年鑑データを用いてホルチン地域の土地利用変遷を明らかにすることである。
    対象地域
    本研究でのホルチン地域は内モンゴル自治区に含まれる領域を対象とする。対象地域は赤峰市の五つの県、通遼市の八つの県及び興安盟の二つの県の合計15個の県から構成される。概ね東経117°45′~123°40′、北緯41°30′~46°10′の範囲に位置し、面積は約12.5万㎢である。
    使用データ
    ・ランドサットデータ TM、ETM+、OLI
    本研究では1985年のランドサット5号TM、2000年のランドサット7号ETM+、2014年のランドサット8号OLIの三時期のデータを用いて土地被覆の解析を行った。
    ・内蒙古統計年鑑(1987年~2012年)
    ホルチン地域における耕地面積、灌漑面積、大型家畜、小型家畜などを統計年鑑からデジタル化し、時空間変動について検討した。
    ・世界気象資料 (2003年~2012年)
    ホルチン地域に位置する三つの気象観測地点の月平均気温、月降水量を用いて、ホルチン地域の気温と降水量の変動を解析した。
    手法
    三時期のランドサット画像の分類により土地被覆分類図を作成、また内蒙古統計年鑑から統計データをデジタル化してグラフ化、主題図してホルチン地域の土地利用変遷を明らかにした。
    まとめ
    統計年鑑データからは耕地面積が1986年から2011年まで増減を繰り返しながら増加傾向であることがわかった。一番明瞭な増加は1996年頃の増加である、それは米袋省長責任制によるものと考えられる。また、2000年から2003年までに減少傾向が見られ、退耕還林還草政策の影響が考えられる。ランドサット画像解析結果からも耕地面積が1985年から2000年、2014年にかけて増加傾向であった。統計年鑑による解析結果と画像解析の結果は一致した。
    画像解析の結果からは、ホルチン地域における砂漠化面積が1985年から2000年にかけて大きな増加が見られた。しかし、2000年以降は退耕還林政策が取られているにも関わらず砂漠化地域の減少が見られず、小さな増加であった。
  • 八反地 剛, 竹田 尚史, 松四 雄騎, 寺嶋 智巳
    セッションID: P003
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    火山体のテフラ・レス堆積斜面において水文観測を行い,地中水の挙動を明らかにした研究は少ない.本研究では,2013年台風26号の豪雨により表層崩壊が生じた伊豆大島のテフラ・レス堆積斜面を対象に,土層の物理特性の測定や圧力水頭観測に基づき,雨水浸透過程を検討した. 調査地は御神火スカイラインの道路に沿う斜面(標高 450 m付近)の表層崩壊源頭部に位置する.滑落崖での観察から,土層が黒色のスコリアと黄褐色のレスの互層により構成されることを確認した.この崩壊地のすべり面深度は55~80 cmであり場所により異なるが,いずれもY1.0スコリア層下部に位置していた.スコリア層の透水係数はおよそ 10-3 cm/sであり,砂が約7割を占め,保水性が低かった.レス層の透水係数はおよそ10-5 cm/sであり,シルト・粘土が約5割を占め,保水性が高かった. 滑落崖から斜面上方の非崩壊斜面2地点(nest A・B)にテンシオメーター(深さ25, 55, 85, 115 cm)を2014年2月に設置し圧力水頭を観測した.観測期間中最大となる総降水量255.0 mmの降雨イベント(2014年10月5~6日)において,降雨ピーク直後にnest Aの深さ85 cmの圧力水頭が+0.98 kPa,深さ115 cmの圧力水頭が+3.27 kPaまで上昇し,飽和側方流が発生した.他の降雨イベントでも,すべり面直下のレス層内あるいはレス層上のスコリア層内において正の圧力水頭が観測された. 2013年台風26号の降水量は824 mmに達しており,崩壊時の飽和側方流は観測結果より浅部まで達したと予想される.透水・難透水の互層構造を有する火山体斜面の土層では,難透水層上の飽和側方流が間隙水圧の上昇を引き起こし,表層崩壊の引き金となると考えられる.
  • 学校防災支援からあらためてみえてきた課題
    村山 良之, 笠原 慎一郎
    セッションID: 205
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    東日本大震災の経験を踏まえて,文部科学省は,2012年『学校防災マニュアル(地震・津波災害)作成の手引き』と2013年『「生きる力」を育む防災教育の展開』(1998年度版の改訂版)を学校現場に向けて提示した。これらはそれぞれ,学校の防災管理と防災教育の充実,向上を学校に求めた文書である。  
    学校の防災管理
     大津波による被災や避難所での混乱を経験して,学校の防災管理の改善が急務である。上記の文部科学省(2012)は,これを踏まえたもので,各学校の防災マニュアル改訂の指針となるべきものである。これを基に,複数の教育委員会がマニュアルの「ひな形」を作成,提示している。標準的なマニュアルを基にして(適宜複製,改変して)各校のマニュアルを作るのは,「諸刃の剣」である 。  鶴岡市教育委員会は2012年度から防災教育アドバイザー派遣事業を行い,村山が指名された。その初年度は,鶴岡に関連するハザードと土地条件,および文部科学省(2012)等をテキストにマニュアル作成に関する内容の教員研修会を4回開催した。しかし,年度末に各校の防災マニュアル(相当の文書)を収集したところ,一部の学校で充実した改訂・策定が行われていたものの,多くの学校はまだまだであることが判明した。そこで,現職教員院生を含む発表者らは,宮城県教育委員会の了承を得て,宮城県教育委員会(2012)を下敷きにして,鶴岡市版を作成し,2013年度末に各校に配信した(鶴岡市教育委員会,2014)。これらの最初に,各校がマニュアル作成の前提となるべき事項を確認,整理するための頁を設定した。担当教員がもっとも苦労する頁になるかもしれないが,「自校化」の鍵と思われる項目群である。この頁の作成作業を,少なくともその確認を,校内の全教員でされることを望みたい。「諸刃の剣」であることを少しでも避けるための工夫である。(山形市版作成も進行中)  学校防災マニュアルは,改訂を継続することが必要であるし,実際場面では即興的な逸脱があり得ることも心しておくことが必要である。これらも,東日本大震災の教訓である。
    学校の防災教育
     児童生徒に身近な地域の具体例を示したりこれを導入に用いたりすることは,学校教育においてごく日常的に行われていることである。自然災害は地域的現象であるので,学校の防災教育においては学区内やその周辺で想定すべきハザードや当該地域の土地条件と社会的条件を踏まえることが必要であるし,これによって,災害というまれなことを現実感を持って理解できるという大きな教育的効果も期待できる。すなわち福和(2013)の「わがこと感」,笠原(2015)の「自己防災感」の醸成につながる。たとえば山形県で火山災害を学ぶには,桜島ではなく吾妻山,蔵王山,鳥海山のうち近い火山を事例とすべきであるし,地震災害ならば1964年新潟地震や山形盆地西縁断層帯等を取り上げるべきである 。山形県に限らず最近大きな自然災害を経験していない多くの地域でも,過去の災害事例や将来懸念される災害リスクには事欠かない。ハザードマップも(限界も踏まえて)活用されるべきである。  このように防災教育は,多分に地域教育でもある。ただし防災資源も提示する等して,危険(のみ)に満ちた空間と認識されることは避けるべきである。たとえば小学生の「まちあるき」では,危険箇所とともに,堤防の役割(と限界)の指摘,防災倉庫の見学,消防団や自主防災組織へのインタビュー等,無理なく可能であろう。
    あらためて取り組むべき課題
     当該地域に関わる誘因と素因の理解は,学校の防災管理や防災教育における自校化の土台としても必須であり,さらに,東日本大震災の教訓の1つである児童生徒自ら判断の土台でもある。  ところが,学校防災を担う学校教員にとって,当該地域のハザードや素因(とくに土地条件)を理解することが難しいことが指摘されている。自然災害に対する土地条件をもっともよく示すのは「地形」である。地形は地表面の形状であるから,わかりやすいはずであるが,そうは思われていない。国土地理院のウェブサイトから,容易に複数の地形分類図(土地条件図,治水地形分類図,都市圏活断層図等)にアクセスできるようになった。これと国や自治体が公表している各種ハザードマップを組み合わせることで,より的確な解釈が可能となる(はずである)。  地域と学校の実態に即した学校防災マニュアルの作成や改訂,防災教育の教材やプログラムの開発と実践が求められている。地理学研究者,地理教育学研究者は,学校教員と共同でこれに当たるまたはこれを支援すべきと考える。また,学校現場の教員や教員を目指す学生に,これを可能にするための,地球科学に関する基礎的な内容を含む研修や大学での授業が必要と考える。
  • 森田 匡俊, 落合 鋭充, 奥貫 圭一
    セッションID: 207
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    大規模災害時の帰宅困難者対策の一つに「徒歩帰宅者への支援」が挙げられており(首都直下地震帰宅困難者対策協議会 2012),行政による支援ルートの設定や,各主体による徒歩帰宅支援物資の備蓄といった対策が進みつつある.こうした対策に加え,より安全な徒歩帰宅の実現のためには,単独で帰宅するのではなく,居住地の近くまで複数名(グループ)で帰宅することが望ましい.しかし同時に,グループで帰宅することによって居住地までの距離が大幅に長くなることは望ましくない.複数名で帰宅しつつも,居住地までの遠回りがなるべく少なくなるグループを,各主体があらかじめ準備しておくことが,大規模災害時の安全な徒歩帰宅につながると考えられる. 森田ほか(2014)では,出発地点から居住地点までの最短経路に基づくグループ作成手法を提案し,愛知県に所在するA社データに適用した結果から,手法の有効性や課題の検証を行なった.提案した手法を用いた場合,同一グループとなる居住地点の分布は,道路網に沿った細長い形状となり,複数名で帰ることによる遠回りの少ないグループ作成が可能である事がわかった.しかしその一方で,メンバー数の非常に多いグループが作成されてしまったり,居住地点間は近隣であるにもかかわらず,異なるグループに分けられてしまったりする場合のあることが課題として残された.また,運用面での大きな課題として,居住地点までの最短経路に基づくグループ作成手法では,主体構成員の入れ替わりがあるたびにグループ作成作業が必要になること,加えて,その度にグループメンバーの変更が生じることが挙げられる.そこで,本研究では,以上の課題克服を目的としてグループ作成手法の修正を行なった.また修正した手法をA社データに適用することで,修正した手法の有効性や活用方法について検討した.
  • 青山 一郎
    セッションID: P068
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    本発表では、サーフィンに関する研究と地理学におけるスポーツの研究から、今後サーフィンを扱うための論点を整理する。今後の方向性としては、サーフィンが行われる海岸近くに居住するサーファーとビジターサーファーの関係、それらがサーフィンが行われる地域にどのような影響を及ぼすかについて考察して行きたい。
  • 久保 倫子, 益田 理広
    セッションID: 910
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.研究課題
    近年,都市部の空き家増加に対する社会的関心が高まっている。総務省統計局による平成25年住宅・土地統計調査の速報が発表され,全国の空き家率が13.5%と過去最高になったことの衝撃は大きく,空き家問題を扱う書籍が多数出版された(たとえば牧野2014,浅見2014)。 しかし,これらは,高齢化や相続・世代交代の成否,経済的要因,制度上の問題,地域的課題,さらに高齢者の住宅保有意識の高さなどの心理的・情緒的要因が複雑にからみあって顕在化する空き家問題について,その一面をとらえているに過ぎない(久保2015,久保ほか2014)。大都市圏と地方都市,また都市中心部(都心部)と郊外住宅地(とさらに外縁地域)では,空き家発生のメカニズムが異なっており,さらに空き家は資産価値の高低などを反映して管理や利活用に関わる主体が異なるため,地域特性や空き家の維持管理に関わる地域システムを分析する必要が有る(由井ほか2014,西山2014,西山・久保2015)。 本研究では岐阜市中心部に位置する京町地区を事例として,研究蓄積の少ない地方都市中心部における空き家増加の実態を現地調査により明らかにする。具体的には,空き家増加に関係する住宅市場や制度の問題,地区の地理的特性,住民の社会経済的特性,空き家問題に対する住民の意識や地域と住民の関わり方などを総合的に分析する。なお,本研究は,岐阜大学の地(知)の拠点(COC)事業の地域志向学プロジェクトにおいて実施したものである。

    2.研究対象地域と調査方法
    京町地区は,JR岐阜駅から約2km北に位置し,忠節橋通りと長良橋通りに挟まれ東西に長い形状をしている。2~3代前に転入した世帯が多く,各区画が比較的狭小であることから若年世帯の転入が少なく高齢化が著しい。現地調査では,自治会の協力を得て,空き家所在地などの基礎情報を収集した。その後,空き家となった要因や現在の管理体制などについての実態調査を実施した。さらに,自治会加入の全1638世帯を対象にアンケートを配布し,空き家に対する認識や将来的な住宅の管理方針などを尋ねた。

    3.研究成果の概要
    京町地区では,139件の空き家が確認され, 67%は長期不在の空き家,次いで10%は一時転居中のものであった。54%は十分に管理されており,管理不全と判断されたもののうち危険な状態にあるものは7件であった。郊外住宅地の空き家実態と異なる点は,空き家期間が長いことにあり,10年以上空き家となっているものは20%を占めた。
  • 一ノ瀬 俊明, 林 瞱
    セッションID: 111
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    前報(2014年秋季大会)では、LDV(Laser Doppler Velocimetry)の手法を用い、風洞実験において、実際の建築表面素材や人工太陽光ランプを用いることの可能性に加え、建物表面特殊コーティング(ミクロ材料)による、流れ場等屋内外温熱環境の改善効果を明らかにした(Lin et al., 2015)。この成果を実際の街区に敷衍するため、PIV(Particle image velocimetry)の手法を用い、都市キャニオンにおける卓越風向や加熱条件の違いがもたらす流れ場への影響や、大気汚染物質・熱拡散、人体温熱快適性への影響を明らかにし、屋上緑化や特殊表面素材の適用と街区デザインとの賢い組み合わせの有効性を提示する。ここでは、ストリートキャニオンを模したアルミニウム製のスケールモデルを用い、風上に粗度ブロックをならべて流入風速の鉛直分布を調整している。PIVカメラの使用により、斜め方向から建物に接近する風が流れ場に与える影響を、鉛直分布と水平分布の両方について、より詳細に観測できる。Oke (1988) などを嚆矢とする一連の先行研究事例に対し、今回の実験で新たに明らかにされた主な内容は以下の通りである。・風速が0.5m/sの場合、加熱してもキャノピー内に渦は発生せず、浮力による上昇流が卓越する。一方1.5m/sの場合、ストリートキャニオンの幅が広がるにつれ、加熱の流れ場への影響は見えにくくなる。・深いキャニオンの場合、壁面加熱による気温上昇は大きいが、キャニオンが浅くなるにつれ、道路面加熱による気温上昇が大きくなる。また、風下に向いた面の加熱影響が最も小さい。・街路に対する風向(交角)が90度の場合、いずれの断面においても安定した渦がキャノピー中央に形成される。67.5度と45度の場合、流入部と中間部においてキャノピー中央に単一渦が形成される一方、流出部においては風下に向いた面へ近づき、45度の場合では顕著に弱くなる。22.5度の場合、流入部において2つの相互に逆向きの渦が発生し、下側の渦は風上に向いた面のコーナー部分に小さく発生する。中間部においては、一つの大きな渦のみとなり、流出部では渦が消失する。0度の場合、いずれの断面においても壁面の摩擦によるスパイラル流が見られる。・交角が0度に近づくにつれ、キャノピーを渡る風により、多くの熱が運び去られ、流れ場への熱的な影響は小さくなり、スパイラル流が現れる。・0度の場合にキャノピー内における夏季の温熱環境は最も良好な状態を示すものと考えられるが、屋根面の加熱による影響はより大きなものとなった。90度の場合、キャノピー内の流れ場は主に浮力の影響を受ける。67.5度の場合、中立の条件下では90度の場合に類似するが、加熱により変化する。交角が45度よりも小さくなる場合、流れ場は建物形状に依存するようになるが、それは表面摩擦の影響が浮力に卓越するためである。また、流入風速が0.5m/sの場合のみ、道路面加熱の影響が現れる。これらの研究成果は、アスペクト比や風向、風速の流れ場に与える影響を体系的に描き出しているほか、都市地表面の加熱による都市キャニオン内の大気汚染現象、屋内外温熱環境悪化を避けるための都市計画指針作りに寄与するものであることが確認された。本研究は、林瞱が2015年2月に名古屋大学に提出した博士論文の一部である。風洞実験でお世話になった、(独)国立環境研究所・山尾幸夫主任研究員、気象庁気象研究所・毛利英明室長ほかの皆様に謝意を表します。文献 Lin, Y., T. Ichinose, R.T. Wu, Y. Yamao, H. Mouri, R.V. Virtudazo: (2015) An Experimental Study on Exploring the Possibility of Applying Artificial Light as Radiation in Wind Tunnel. Journal of Heat Island Institute International (Accepted) Oke, T.R.: (1988) Street design and urban canopy layer climate. Energy and Buildings 11(1): 103-113 図 交角22.5度,0.5m/s,中間部における流れ場の可視化事例(加熱部位による差異)
  • 吉田 道代, 堤 純, 松井 圭介, 葉 倩瑋, 筒井 由起乃
    セッションID: 501
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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      本研究の目的は、同国出身の新たな移住者が減少した、いわゆる「オールドカマー」中心のエスニック・コミュニティにおいて、コミュニティとしてのアイデンティティをどのように維持しようとしているのか、またこれと場所との関係はどのようなものかについて、シドニーのイタリア系住民を事例に探究しようとするものである。
      オーストラリアのイタリア系コミュニティ組織のうち、最大規模を持つCo.As.It.のニューサウスウェールズ支部では、1970年代にイタリア系住民の集住地であり、イタリア系経営者によるビジネスの中心地であったライカート市は、シドニーのイタリア系住民にとってコミュニティの歴史のシンボルとしての価値を未だに失っておらず、同市にあるイタリアン・フォーラムのイタリア文化センターは、オーストラリアのイタリア系移民の歴史と文化を伝える上で重要な役割を果たすと考えられている。発表においては、こうした場所と関わるイタリア系コミュニティのアイデンティティの、より詳細な分析について報告することとする。
  • 石川 和樹, 中山 大地
    セッションID: P056
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.   はじめに
    地名とはその地域に付与された名称であるが,その由来は山や川などの自然由来のものから,方位に由来するもの,施設に由来するものなど様々である.また,漢字表記される地名であればその読み方が存在するが,時間経過に伴い読み方が変化する地名の存在や,難読地名の存在などから,地名を漢字のまま分析することでより地名の本質的な分析が可能となる.そこで本研究では,地形図に記述してある地名を漢字のままDPマッチングを行い地名間の類似性を求めたうえで,ある特定の漢字を含む地名の時間的変化を定量的に求めることを目的とした. DPマッチングとは,Dynamic Programming(動的計画法)を用いて2つの対象間の類似性を数値化できるアルゴリズムで,音声認識や画像認識において多用される手法である.
     
    2. 
    研究手法
    1/50,000旧版地形図「菊池(隈府)」,「阿蘇山」,「御船」,「高森」の範囲を対象地域とし,地形図は1902年から1984年のうちなるべく同時期になるように選択した各図郭6枚,計24枚を用いた.同時期の地形図ごとに1枚のレイヤーにまとめ,時代の古いものからlayer1~6 とした.そしてこれらの地形図をデジタルデータ化し,座標(日本測地系・公共測量座標系)を付与した.次にlayer1~6に表記されている全ての文字列についてデジタイズし,そのうち居住地域名のみ(6680地名)を抽出した.これらの居住地域名の表記から,DPマッチングを用いて2つの地名間の類似性(不一致度)を求めた.この際,文字不一致のペナルティを50,1文字ずれのペナルティを1とした.これにより求まった類似性を2地名間の距離とし,全ての地名間の距離行列を作成した.この行列に対して,統計ソフトRを用いてWARD法によるクラスター分析を行った.得られたデンドログラムを非類似度5000で切り,22個のクラスターを得た.これにより,同一クラスターには同じ漢字を含む地名が分類されたことになる. 次に,河川と現在の小地域境界に対してコストを与えて地名の代表点からの加重コスト距離を計算し,これに基づいて空間分割を行って地名のかかる範囲を決定した.この際,河川または小地域境界のある部分をコスト10,それ以外を1とした.このようにして6時期分の地形図に対して地名のかかる範囲を決定し,22個のクラスターのうち減少傾向にあったクラスター3個についてその分布の変化を地図化した.そしてそれらの要素を確認し,減少している地名の特徴を探った.

    3.  結果
    得られた22個のクラスターのうち,含まれる地名の傾向が明確なクラスターは17個あり,傾向が明確ではなかったクラスターは5個であった.17個のクラスターのうち時間経過とともに含まれる地名数が減少するクラスターは3個みられた.一方,地名数が増加するクラスターはみられなかった.以降,減少するクラスター3個の結果について述べる.減少するクラスターは「田」,「尾」,「古閑」のつく地名であった.「田」地名においては「無田」・「牟田」の付く地名の消滅がみられた.「尾」地名はデータの精度の問題から,減少した結果となった.「古閑」地名においては,特に対象地域西部の熊本市街地の拡大にともなう宅地開発による消滅がみられた.「無田」・「牟田」や「古閑」の付く地名は九州に多い地名であることから,本研究ではその地特有の地名の減少傾向が確認された.
  • --ミ-ャンマーのサイクロン・ナルギスを事例として--
    向後 紀代美
    セッションID: 718
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    ミャンマーのエーヤワディデルタは、2008年にサイクロン・ナルギスの被害を受け、14万人以上の人が死亡ないしは行方不明となったといわれている。大災害の後、国連機関や欧米、アセアン、日本などのNGOが多数
    活動をはじめ、良くも悪くも地域に大きな変化をもたらした。そして、現在その多くが去った。私が参加しているNGOは、10年以上にわたってこの地域でマングローブ植林を中心とした社会林業を、住民やミャンマーのNGOと協力しておこなってきた。小さな 日本のNGOの活動をもとに、災害前と後の地域の変貌を述べ、その課題と将来への展望を考察する。
  • ―静岡県熱海温泉を事例に―
    中山 穂孝
    セッションID: 824
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    静岡県熱海温泉(以下、熱海)は現在年間約700万人が訪れる温泉観光地である。熱海の本格的な温泉観光地化は大正14(1925)年の熱海駅開業などがきっかけで、東京などの関東圏からの多くの観光客が訪れた。そして、昭和39(1964)年に東海道新幹線が開業し、関西圏からの観光客も増加した。これらを背景として、熱海は日本を代表する温泉観光地として発展を遂げていった。
    観光地理学における熱海に関する研究は、明治期以降の温泉観光集落熱海の形成過程と経済的機能を明らかにした山村(1970)などの研究が蓄積されている。また、建築学では松田法子と大場修が熱海の近世から近代の温泉所有や近代の温泉旅館の建築類型を明らかにしている。だが、これらの研究は近代期の温泉観光地の形成に影響を及ぼした鉄道事業や温泉掘削の主体などに大きな関心が払われていないという課題を残している。鉄道事業は主な集客源となる都市と観光地または観光地間を結び、温泉掘削の拡大は新規の温泉源を増やし観光客の受け皿となる。この2つを分析することは近代期の温泉観光地形成の過程を明らかにするために必要不可欠なことであろう。
    よって、本研究は、熱海が日本を代表する一大温泉観光地にまで発展した土台として、近代期(明治期~昭和戦前期)の温泉観光地熱海の形成を取り上げる。そして、当該期に計画された鉄道事業と当該期の温泉掘削の主体、空間的分布及びその特徴を明らかにすることを目的とする。
    本研究は近代期の熱海に関する伊東鉄道や豆東鉄道などの鉄道事業の計画主体や計画目的などが確認できる国立公文書館所蔵の鉄道院(省)文書、温泉掘削の主体と空間的分布について確認できる静岡県所蔵の温泉台帳を主な資料として研究を進めていく。また、近代期の新聞記事や雑誌『旅』、旅行案内記なども資料として用いる。
    熱海の本格的な温泉観光地化の1つのきっかけとなった大正14(1925)年の熱海駅開業前後に熱海に立地していた旅館数を見てみると、大正9(1920)年35軒から昭和11(1936)年95軒と旅館数が大きく増加している。そして、この旅館数が増加している時期に熱海―伊東間を結ぶ2つの鉄道事業が相次いで認可された。初めに認可された伊東鉄道株式会社は安立綱之(貴族院議員)など東京在住の政財界人が発起人となり大正2(1913)年に設立されたが、工事遅れのために大正5(1916)年に免許失効した。そして、大正9(1920)年に同じく熱海―伊東間を結ぶ豆東鉄道株式会社が京浜電力監査役渡辺勝三郎など東京在住の政財界人が発起人となり設立されたが、この事業も大正13(1924)に関東大震災の影響を受け、免許を失効している。東京在住の政財界人が中心となり熱海―伊東間の鉄道事業を計画したことは、当時の熱海が彼らから見て、大きな商機がある温泉地として見なされていたと考えられる。
    温泉台帳から、明治末期から大正期の温泉掘削の主体の特徴についてみてみる。温泉掘削が認可されているのは、地元熱海を含む、東京、横浜、埼玉など関東圏の人々であり、約30人以上の複数名で温泉を所有する事例もあった。温泉掘削の目的は来客用と自家用、営業用の3つに分かれており、営業用で認可されている掘削主体のなかには熱海の温泉旅館や企業があった。以上のことから、当時の熱海は関東圏の多くの人々により温泉掘削が実施され、温泉観光地としての発展の土台が作られたといえるだろう。
  • 青山学院周辺を事例として
    政金 裕太, 佐藤 佳穂, 岡村 吉泰, 岡部 篤行, 木村 謙
    セッションID: P083
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    1.背景と目的<BR>
    文科省の公式見解では、首都圏でM7クラスの地震が発生する確率は30年以内に70%といわれている。副都心の一つである渋谷駅周辺は、建物密度も昼間人口密度も極めて高い地区であるので、その防災対策は重要であり、大きな課題である。本研究では、その過密地域を含んだ青山学院大学周辺約1kmを対象地とし、災害発生時の人間の道路から避難施設までの避難行動をシミュレーションする。本研究は、その避難行動シミュレーションによって、いつ起こるかわからない震災に対して、すべての時間帯における人間の混雑した危険な状態がどこに発生するのかをチェックする手法を提案する。以下にそのプロセスを示す。<BR>
    (1)人間が何月何日何時に避難経路(道路)上に何人いるのかを推定する手法を示す。<BR>
    (2)2011年3月11日14時の避難者数の推定結果をシミュレーションに適用する。<BR>
    (3)シミュレーション結果からどこに危険な混雑が生じるのかを示す。<BR>
    <BR>
    2.手法の概略<BR>
    道路ごとの人口数の推定は、「流動人口統計データ」(ゼンリンデータコム提供)、渋谷区、港区の避難施設データ、道路データを用いて行った。「流動人口統計データ」は在宅人口、勤務地人口、流動人口のデータから構成されており、ここでは対象地内に自宅も勤務地もないとされる流動人口を扱う。これらのデータをArcGIS上の空間解析ソフトで分析することで道路上の流動人口数の推定結果が得られる。この推定結果を道路上にいる避難者数として、シミュレーションに適用する。「流動人口統計データ」は時間帯ごとの人口データを含んでいるため、時間帯ごとの避難者数が推定できる。<BR>
    避難シミュレーションにはSimTreadを使用した。SimTreadはCADソフトVectorWorks上で動かす歩行者シミュレーションソフトである。ArcGISで使用したデータをCADデータとしてエクスポートして、VectorWorksへインポートする。分析から得た避難施設ごとの避難者数の推定結果をVectorWorks上の道路にエージェントとして配置する。エージェントは、目的地の避難施設まで最短距離で移動をし、衝突を回避するために減速すると青色で表示され、衝突を回避するために止まってしまうと赤色で表示される。この設定によって赤く表示された箇所が混雑な危険箇所であると判断できる。これを繰り返しすべてのエージェントを道路上に配置したらシミュレーションを実行する。<BR>
    <BR>
    3.シミュレーションの適用<BR>
    以上の手法を震災があった2011年3月11日14時台に適用する。この時間帯では、青山学院大への避難者数は55,111人であるという推定結果が出た。シミュレーションの結果、目的地付近で大混雑が生じ、避難開始30分が経っても約5分の一の10,178人しか避難し終えないことがわかった。<BR>
    <BR>
    4.考察<BR>
    シミュレーション結果から、避難開始数分後は交差点とコーナーに混雑が確認できる。その後、避難行動が進むにつれて、エージェントが通る道路が限定されていき、混雑する道路を特定できる。また、曜日、時間ごとの推定結果を蓄積することで、それぞれの日時の混雑の傾向を推定することが可能になる。時間帯別の危険箇所を指摘することは今後の防災対策として有効に活用できると思われる。この結果から考えられる対策として、避難施設の入り口の拡張、避難者を分散させるような経路の検討、曲がる回数を最小に抑えた直線的な避難誘導などが挙げられる。本研究で提案した手法は、他の地域にも適用可能な汎用的手法である。今後、他の地域にも適用することで、混雑が生じる危険箇所を確認できるシステムとして広範囲に利用できる。<BR>
    本手法は、扱ったデータの正確性から考えて、あくまでひとつの推定手法に過ぎない。また、災害の被害状況によってはすべての道路が安全に通れるという保障はない。しかし、時間帯ごとの避難行動のシミュレーションによって、時間ごとにおおよその混雑箇所、混雑道路が把握できるという点では有効な推定手法と言えよう。今後、より実態に近い避難行動の推定を行うには、過去の避難行動の調査を参考に、各避難施設の収容数も考慮した、より適切な避難行動モデルを設定する必要がある。
  • 梶山 貴弘, 藁谷 哲也
    セッションID: 303
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに<BR>
    1990年代以降,氷河末端の後退速度は,多くの地域で加速している。これは,地球温暖化に伴う気温上昇によるものと考えられている。ところが,カラコラム山脈北西部・中央部における氷河の末端変動は,1990年代後半以降,前進・停滞傾向にある。しかし,これら解析対象氷河は,ほとんどが大規模氷河や岩屑被覆氷河であり,気温変動と対応しにくい氷河と考えられる。一方,気温変動と対応しやすいと考えられる小規模氷河および裸氷氷河の末端変動は,これまで明らかにされていない。そのため氷河の形態的特徴に着目すると,カラコラム山脈における氷河変動と気温変動の関係を,明確化することができると考えられる。<BR>
    そこで本研究は,1990年以降のカラコラム山脈における近年の氷河の末端変動と気温変動の関係を,氷河の形態的特徴を考慮して明らかにすることを目的とする。とくに,標高別の気温から求めた氷河の年間融解量(以下,融解指数)変動との関係について考察する。解析対象とする氷河は,カラコラム山脈北西部フンザ川流域に発達する,位置および形態の異なる30氷河を選定した。<BR>
    2 氷河の末端変動<BR>
    氷河の末端変動は,1990年前後のLandsat TM,2000年前後のLandsat ETM+,2010年前後のALOS AVNIR-2・Terra ASTERを用いて,1990-2000年と2000-2010年の2期間を対象に解析した.各期間の変動傾向は,前進・停滞・後退に分類した。<BR>
    その結果,氷河の末端変動は,1990-2000年において前進8氷河,停滞14氷河,後退8氷河であった。2000-2010年のそれは,前進5氷河,停滞14氷河,後退11氷河であった。<BR>
    3 氷河の融解指数変動<BR>
    氷河の融解指数 (WI, ℃ km2) は,NCEP/NCARの再解析データ1(2.5°グリッドデータ)の月平均気温から変換した100m間隔の高度別の気温と,標高別面積を用いて求めた。なお氷河の融解は,気温が0℃以上の時に発生すると仮定した.そして融解指数の変動傾向は,1965-2010年の長期的な変動傾向をもとに,その偏差(増加,減少)で示した。<BR>
    その結果,氷河の融解指数変動は,1991-2000年において減少30氷河,2001-2010年において増加30氷河であった。<BR>
    4 氷河の末端変動と融解指数変動の関係<BR>
    氷河の末端変動を2期間を通したパターンで見ると,氷河は3つの変動タイプに分類することができる。すなわちタイプ1は,1990-2000年に前進し2000-2010年に後退した氷河(前進-後退)である。タイプ2は,1990-2000年に停滞または後退し2000-2010年に前進または停滞した氷河(後退-前進,後退-停滞,停滞-停滞など),タイプ3は,1990-2000-2010年を通して前進または後退し続けた氷河など(前進-前進,後退-後退など)である。<BR>
    ところで氷河の末端部は,氷河の融解指数変動が増加傾向を示す場合に後退し,それが減少傾向を示す場合に前進すると考えられる。先述したように,対象氷河の融解指数変動は,全30氷河において,1991-2000年に減少し,2001-2010年に増加した。すなわち2期間を通じて,氷河の末端変動と融解指数変動が対応したのはタイプ1の氷河で,両者が対応しなかった氷河はタイプ2および3であった。<BR>
    それら変動タイプに属する氷河の形態的特徴をみると,タイプ1は,最低点高度が低い裸氷氷河で,タイプ2および3は,最低点高度が高い裸氷氷河と岩屑被覆氷河であった。このような氷河の形態的特徴の違いは,氷河が受け取る顕熱量に違いをもたらし,気温変動に伴う氷河の末端変動に影響を与えると考えられる。すなわち,氷河が受け取る顕熱量は,気温の垂直分布や岩屑被覆程度の違いから,最低点高度が低い氷河や裸氷氷河で多く,最低点高度が高い氷河や岩屑被覆氷河で少ない。これらのことから,氷河の末端変動と融解指数変動の関係は,気温変動の影響を受けやすいタイプ1で対応し,気温変動の影響を受けにくいタイプ2および3で対応しなかったと推察される。<BR>
    以上のことから,氷河変動と気温変動の関係に関する議論,とくに地球温暖化の実態とその影響を正しく評価するためには,氷河の形態的特徴を考慮しなければならないと言える。
  • 立岡 裕士
    セッションID: 512
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
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    近現代日本社会ではどのような知識をなぜ地理的知識と見なしたのかという問題を考えるために、まず風土記という書名を取り上げ、近代日本においてこの書名がどのように使われているかを調べた。資料としては国会図書館の蔵書を対象とし、書名に「風土記」を含むものまたは「風土記」を含む題名をもつ文章を収録したもの(以下、風土記類)を検索した。その結果、以下の点が明らかになった。
    ①近代に刊行された風土記類は3200冊以上になる。それらを、古風土記関連・近世風土記関連・それ以外(=近代風土記)の三つに分けると、前2者に属するのは全体のそれぞれ14%程度であり、近代刊行の風土記類の7割以上が近代風土記であった。②風土記類の刊行は1920年代に増加しはじめ、戦後に多くなる。特に1980年代が顕著である(ただし古風土記関連の図書は1990年代以降に刊行数の山がある)。③近代風土記には多様なものが含まれる。まず何らかの事実的な報告・叙述を目的とするものと、それ以外のものとに分けられる。後者は小説・戯曲・詩歌(紀行詩歌を除く)などである。前者は、地名を冠するものと冠しないものとに分けられ、さらに内容により、古典地誌的なもの、特定のテーマを扱ったもの、ある場所にかかわる話題を雑然と集めたもの、に区別できる。
    近代風土記の相当部分は局所的な文献として作成・流布されている。それに対して文学作品として作られた風土記はある程度広域に流布することで、「風土記」のイメージを形成するのに影響があるのではなかろうか。また子どもの風土記(子どもを作者または読者とするもの)は教育にかかわることが多いので、やはり同じように強く影響するのではないかと考えられる。
  • 池谷 和信
    セッションID: 708
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに

    日本の東北地方の三陸海岸の海は、その沖合にて南からの暖流と北からの寒流とが接する地域であるために多様な海洋資源に恵まれている。このため、古代から現在まで漁業が集落の経済基盤の一つになってきた。しかしながら、2011年3月の東日本大震災の津波によって、多くの家屋や漁船が流され、彼らの生活基盤を失ったといわれる。震災後、ほぼ4年が経過して、どのように地域の漁業は復興してきたのであろうか。
    本研究は、三陸海岸の中部に位置する岩手県山田町の一漁村を調査地とする。そこでの漁業の現状とその変化を把握することを通して、小規模社会における海洋資源利用の長期的持続可能性について論議する。ここでは、調査地の多様な漁業のなかで天然昆布とアワビの採取活動に焦点を当てる。筆者は、①2014年10月18日から21日、②12月10日から15日の間、山田町での漁業に関する現地調査を行った。

    2.結果と考察
    1)採取活動の季節性: 採取者は、漁協のメンバーである。それ以外の人の採取は禁じられている。彼らは、4-8月はウニや天然ワカメ、9-10月は天然昆布、11-12月はアワビ、1-3月はナマコ、マツモ、イワノリ、ヒジキ、テングサなどの採取を行っている。その一方で、これらの採取とカキ、ホタテ、ワカメの養殖を組み合わせている人もみられる。

    2)採取活動の実際:調査地には、三石コンブ(Laminaria
    angustata Kjellman
    )とマコンブ(Laminaria
    japonica Areschoug)
    という2種類の天然昆布、およびエゾアワビ(Haliotis
    discus hannai)
    が分布している。漁協の規定によって、採取の開始時期(「口開け」)や開始時刻は決められている。また、住民は、2つの漁場で漁業権を持っており、箱メガネと数メートルの竿を採取には使用する。

    3)採取活動の持続可能性:1日当たりの採取量は、個人による差が大きいのみならず、日によっても異なっている。採取量の年次変化をみると、震災直後には採取量が減少したが、その後、採取量は増加している。しかし、その変動の傾向は、昆布とアワビでは異なっている。昆布の場合は、干場が少なくなったこともあり、採取量はもとの状態にもどってはいない。本報告では、震災前後の数年間における海洋資源の持続可能性について論議する(図1参照)。
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