日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
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要旨
  • 横浜市立小学校区を事例に
    田邉 走美
    セッションID: 920
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.研究の課題と目的
    2000年代から全国の学校を挙げて「学校・地域連携活動」が推進されている.児童生徒の学びを充実させるだけでなく,活動を通じて地域住民や保護者同士の関係を深めることもそのねらいの一つとされている.しかし,その関係は「つながり」や「連帯」といった抽象的な言葉で語られることが多い.多様な社会層を活動に取り込み,学校を中心としたコミュニティを構築していくために,現在行われている学校・地域連携活動によって形成された社会関係の地域性を明らかにしなければならない.学校と地域社会の関係を語る上で,学校・地域連携活動によって形成される新たな社会集団をとらえることは,今後の学校・地域連携を発展させるために重要である.
    そこで本研究では,学校・地域連携によって形成される地域住民組織に属する人々の社会属性を明らかにし,その地域性および参加者間の関係について考察することを目的とする.
    2.研究の方法
    調査は,2015年5月から12月までに横浜市立の2つ小学校において,教育ボランティアへの聞取りを行なった.
    A小学校のある栄区は,自治会・町内会の加入率が83.3%で横浜市内では最も高く,従来型のコミュニティが維持されている地域である.
    一方,B小学校のある神奈川区は,自治会・町内会の加入率は72.9%であり,横浜市で18区中12番目と下位である.2000年以降,臨海部において高層マンションが建設されたことによって引き起こされた大規模な人口流入がその一因と考えられている.
    3.教育ボランティアの社会属性とその地域性
    A小学校区とB小学校区には4点で地域差が認められた.第1に,人口変化である.最近10年間におけるA小学校区での人口にはあまり変化はみられないが,B小学校区では構想満床の建設によって,大幅に増加している.第2に居住形態と町内会・自治会組織の有無および参加形態である.A小学校区における居住形態は多様であるが,ほとんどの住民が自治会や町内会に加入し,当番制によって何らかのかたちで行事に参加している.一方,B小学校区ではボランティアに参加する住民の大多数が高層マンションに居住している.入居時に自治会組織がつくられ加入するが,具体的な活動はほとんどない.
    第3に,ボランティア組織の形態である.A小学校における花壇整備や読み聞かせ,図書整備では,保護者の自主的な気づきから開始され,後に他の活動とともに学校が一括してボランティアの登録と管理を行うようになった.B小学校では,学校・地域コーディネーターを中心に共育倶楽部が設立され,その運営は地域住民や保護者に一任されている.第4に参加者属性では,どちらの学区においても40代女性のうち専業主婦が最も多い.B小学校では,特に単発でボランティアの募集がある学習サポートにおいて,専業主婦の参加が顕著である.一方,A小学校にみられたように,従来の学校への参加形態であるPTAでは,パートや就業者など職業に多様性がある.しかし,ボランティアではフ花壇整備や読み聞かせ,図書整備といった活動頻度の高い活動への参加は,専業主婦に偏っている.
    以上の結果から,近年人口流入が起こった地域では,町内会や自治会などの従来型組織との関係が薄いため,学校・地域連携活動は新たなコミュニティを再編する上で重要だと結論づけた.
  • 畑中 健一郎, 浜田 崇, 陸 斉
    セッションID: P009
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    長野県内においても、暖地系のチョウの北上が確認されるなど,気候変動による自然環境への影響とみられる現象が指摘されている。こうした自然の変化を記録し、気候変動の影響を分析するためには、県内各地で継年的にモニタリングする必要があり、多くの市民の協力が不可欠である。また、市民が自らモニタリングすることで、気候変動影響への関心を高め、対策への理解も深まるものと期待される。そこで、身近な生きものなどを指標として、気候変動影響把握のためのモニタリングを市民参加で実施するためのシステムの構築を行ったので、その概要を報告する。
    2.システムの内容
    市民からの観察情報を収集・発信する手段としては、防災科研が開発した参加型WebGIS「eコミマップ」を主体としたサイトを構築した。観察情報の登録は、マップ上で地点を指定し、観察日やコメントの入力、写真を添付可能とした。メールやFAX、郵送で寄せられた観察情報は担当者が代行入力することとした。
    2011年12月に「信州・温暖化ウオッチャーズ」と名付けたサイトを試験的に公開し、運用方法や操作性の検証を行いながら、会議室機能の追加や観察対象の解説ページの作成などサイトの充実を図り、2013年3月に本格運用を開始した。
    3.観察対象
    観察対象は、鳥・虫・草木・田畑・雪や氷の5つのカテゴリー別に、季節ごとに数種、合計38種を選定した。選定にあたっては、気候変動に伴って分布を変化させたり、開花時期を早めたりすることが想定される種や、一般の市民でも誤認が少ないと思われる種を中心に選定した。
    また、2014年から夏期の集中調査として、セミの県下一斉分布調査を実施している。観察対象は、比較的多くの地域で観察できる種として、ニイニイゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシの5種を選定し、そこにクマゼミを加えた計6種とした。クマゼミは、西日本に多く生息する種で、長野県内では県の南部で稀に確認されているが、今後気候変動に伴って分布を北に広げるのではないかと考えられている。これら6種について、鳴き声、成虫、抜け殻を観察した場合に報告を求めた。
    4.実施結果
    登録メンバー数は2016年1月現在約130名である。観察情報の報告件数は、2013年度が年間400件、2014年度が461件であった。季節的には春と秋の報告が多い傾向がみられた。
    セミの県下一斉分布調査は「信州まるごとセミ♪探し」と名付けて実施し、2014年度は222件、2015年度は168件の報告があった。両年ともミンミンゼミの報告が約30%を占めるなど、種の割合に大きな違いはみられなかった。観察時期についても、まずニイニイゼミ、次いでヒグラシの報告が多くなり、7月中・下旬からはアブラゼミとミンミンゼミの報告が急増し、6種合計の報告数も最多となり、8月に入るとツクツクボウシの報告が増加するなど、両年とも同じような傾向が見られた。クマゼミは、2014年は計4件の報告があり、うち2件はこれまで生息が確認されていなかった県北部の長野市からであった。2015年は県南部から計4件の報告があった。
    5.今後の課題
    今後の課題として、「データの精度」、「経年的なデータの蓄積と分析」、「参加者数と報告数の拡大」の3点を挙げておく。一般市民から提供された観察情報の中には、信頼性が疑われるデータも含まれる。すべてのデータを専門家が検証することは不可能であるため、観察対象の説明をより詳しくするなどの工夫が必要である。また、気候変動の影響をみるためには、モニタリングを長期間継続し、分布の変化や発生時期の変化を捉え、気候の変化との関係を分析する必要がある。参加者に関心を持ち続けていただくためにも、分析結果を示すことが重要であると考える。報告数に関しては、現状では種別の分布図として示すまでには至っていない。多くのデータを集めることが、データの蓄積と同時に、より精度の高い分析に繋がると考える。PRの方法を工夫するなどして参加者の拡大を図る必要がある。
    今後さらに改善を進め、気候変動影響に関するデータの収集・分析と普及啓発を同時に図っていくためのシステムとして運用していきたい。
  • 陝西省・呉起県呉倉堡郷を例に
    原 裕太, 淺野 悟史, 西前 出
    セッションID: 723
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.  背景と目的  
    中国・黄土高原では,深刻な土壌侵食を緩和するため,斜面耕作地等を植林し,かつ植林実施者への食糧や現金の補助等を支給する「退耕還林」が実施されている。これまで,中国国内外の様々な研究において退耕還林の社会経済的な影響が評価されてきたが,郷鎮内部における地域空間の特徴が不明なまま,任意の対象村の状況を用いて,より上位の空間の説明が試みられており,地域内での社会経済的な均一性が前提となっている。しかし,複雑な地形や,市場経済化の進展による地域ごとの多様性が拡大したことにより,行政村や村落ごとの社会経済的な差異が存在すると推察される。本研究では,郷鎮内部の行政村に着目し,地域間格差の解明を試みる。
     
    2.  対象地域と研究方法
    陝西省呉起県は,退耕還林の先駆的地域で,1998~2010年の間に46.3%の耕作地が消失している。対象地である呉倉堡郷は呉起県を構成する9つの郷鎮の一つで,郷内には17の行政村がある。地形は黄土丘陵が卓越し,標高は1,335~1,728mで乱石頭川が郷の領域を縦断しており,それに沿って地域の主要な幹線道路が通っている。
    分析には,2013年における行政村単位の統計情報を用い,退耕還林の影響が最も直接的に生じてきたと考えられる「常住人口あたり耕地面積」,「一人あたりの収入」,「最低生活保障対象世帯率」の3つの尺度を選抜した。これらを,標準化した後,非階層クラスタ分析(K-means法)により行政村を4群に分類し,その空間分布特性を考察した。  

    3.  結果と考察
    クラスタAは,一人あたりの収入が高く,最低生活保障対象世帯率と常住人口あたり耕地面積が小さい。クラスタBは,一人あたりの収入と最低生活保障対象世帯率がともに低く,常住人口あたり耕地面積は中程度である。クラスタCは,クラスタBと同様に,一人あたりの収入と生活保護受給世帯比率はともに低い水準にあるが,常住人口あたりの耕地面積は他のクラスタに比べて大きい。クラスタDは,一人あたりの収入が低く,かつ最低生活保障対象世帯率が高く,常住人口あたりの耕地面積が小さい。それぞれの行政村の分類結果を地図上でみると(図1),クラスタAは,すべて幹線道路と乱石頭川に沿って分布し,そのほかのクラスタに属する行政村は,いずれも山間部に位置することが明らかになった。
    以上,河岸地域と他の地域との間では,アクセシビリティや地形条件等による社会経済的格差が顕在化していると推察された。そのため,今後は行政村の立地環境を考慮した上で退耕還林を評価していく必要がある。
  • 森脇 広, 田上 善夫, 稲田 道彦
    セッションID: P093
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに: 地形は観光やジオパークの資源として,重要な役割を果たしている.火山地形もその中の重要な一つである.ここで検討するニュージーランド(NZ)北島のタウポ火山帯と南九州の火山地域はきわめてよく似た火山景観を持ち,ともに観光資源として利用されてきた.タウポ火山帯では,世界自然遺産であるトンガリロ火山群,南九州では,日本ジオパークの霧島火山や桜島火山がよく知られているところである.これらは,いずれも美しく,壮大で見栄えのいい「正の火山」であるが,突出した山を持たないカルデラと,これを給原として突出した噴火規模によって形成された広大な火砕流台地は,様々な魅力ある地形を持ち,観光資源として高く評価すべき地形である.
    両地域は,多数の巨大カルデラが分布し,ここを給原とする多数の巨大火砕流噴火が生じ,多数の火砕流堆積物が累積している点と,そのうちの最新の噴火がともに最終氷期最盛期頃で,これが広大な火砕流台地地形を形成しているという点でよく類似する.すなわちNZ北島にはタウポカルデラの2.5万年前のオルアヌイ/カワカワ噴火,南九州には姶良カルデラの3万年前の入戸火砕流噴火による火砕流台地(「シラス台地」)が広く分布する.いずれも,カルデラ周辺数十キロメートルにわたって,厚い火砕流堆積物からなる台地を形成している.
    観光資源,ジオパークなど,地域活用としてのカルデラ・火砕流台地への主要な関心は,こうした地形から知られる噴火の様子と災害などが主であるが,火砕流台地に関わるテーマは,そうした噴火に関わる問題から,地形・地質,人々との関わりなど,多岐に及び,それぞれが観光資源としての可能性をもっている.ここでは,ニュージーランド北島と南九州において,噴火規模・年代の類似したカルデラと火砕流台地でみられる特徴的な地形景観について,特に台地形成前後の地形変化に注目して比較検討し,観光資源としての可能性を考える.
    方法:現地観察に加えて,NZでは,Land
    Information New Zealand (LINZ)による等高線の数値地図データを,南九州では,基本的には2.5万分の1数値地図を主に使用し,その等高線の解析からカルデラ,火砕流台地でみられる特徴的な地形を抽出し,現地観察によって確認した.
    ニュージーランド北島,タウポカルデラとカワカワ/オルアヌイ火砕流台地: タウポカルデラはタウポ火山帯でもっとも活動的なカルデラの一つである.その地形的範囲はカルデラ縁が南九州のカルデラほど明瞭でないために,この火砕流台地の水系は,カルデラの範囲外においても全体として火山帯の地溝の長軸方向,または凹地となっているカルデラ方向に流域を持ち,火山帯の全体の構造に支配されている.この火砕流台地には多数の風隙,河川争奪の特徴的な地形がみられる.これまで,この火砕流流下に伴うワイカト川中流部の大規模な河道変遷が知られている.ここで注目したタウポカルデラ東方のカインガロア台地と東側の山地流域との間には,火砕流台地と関係したいくつかの風隙が認められる.カワカワ/オルアヌイ噴火の前後でいくつかの河道変化が起こったことを示す.
    南九州,姶良カルデラと入戸火砕流台地: 入戸火砕流台地(「シラス台地」)にも多くの風隙,河川争奪地形が存在する.こうした地形は入戸火砕流堆積前と堆積後には河道変化があったことを示し,全体として大規模な地形変化が生じてきたことがわかる.これまでの研究では堆積前と堆積後の河道の位置は同一河谷をとるとされているが,ここでの結果は,こうした先行研究に必ずしも当てはまらない例があることを示す.ここでは,姶良カルデラ南東の火砕流台地などの地形からそうした例を明らかにする.さらに,火砕流噴火前後の河道変化を示す地形とその分布を検討する. 
    まとめ: NZ北島と南九州においてみられる噴火規模・年代のよく似たカルデラと火砕流台地には,風隙,河川争奪地形などの特徴的な地形が存在し,巨大火砕流の噴火・運搬・堆積・侵食過程においていくつかの類似した特徴をもつ.こうした地形は,観光・教育資源として高く評価すべき地形であると考える.
  • 大学教職課程:景観読解力と教材開発力の育成を目的とする授業の実践
    秋本 弘章
    セッションID: S0208
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    地理教育においてフィールドワークは重要であることは言うまでもない.しかし,効果的な実施ができていないというきらいがある.フィールドに出たとしても,どのような事象に着目すべきなのか,なぜその事象を着目すべきかなど明示されているわけではないので,「目に入っていても見ていない」ということが起こるからである.また,見たとしてもその意味や背景などが理解できるわけではない.ARシステムの利用は,実際のフィールドに出て,実際の地理的事象を観察しながら,その地理的背景の探求や理解を助ける情報を提供するものである.このようなAR機能をもつGISが教育現場に提供できれば,野外観察をより効果的に実施することができる.
     本稿は大学,教職課程で設置する地理歴史科教育法で行った授業実践の報告である.ARシステムを使って提示される大学周辺の観察ポイントをめぐり,課題に回答するものである. また,教員が設定した課題のほかに,新たな課題を設定するものとした.  
    ,「教室の外」での学習は興味関心を高める効果があった.特にスマートフォンを使って観察ポイントを探すという方法は「ゲーム感覚があり,楽しかった.また,課題をこなすことで身近な地域の「謎」を解くようで楽しかった.」と好評であった.身近な地域に目を向けるという点で大きな効果があったと思われる.  また,教員があらかじめ設定した課題にはその内容やレベルが様々であったとの指摘があったが,あえてそのままとし,改善点を指摘するように指示した.新たな課題の設定と合わせて,教材開発力の育成を目指した.教材開発力に関しては,一回の実習のみでは十分な効果が上がったとは言えないが,今後に期待を持てる結果となった.
  • 既成市街地での供給を中心に
    熊野 貴文
    セッションID: 202
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.研究の背景と目的 日本の都市地理学研究では,バブル経済崩壊後の1990年代後半以降,都心回帰の議論が盛んになり,都心部・湾岸部でのマンション供給やその居住者属性に対して強い関心が向けられてきた.さらに,都心部でのマンション供給と都心回帰現象に対して,郊外での戸建住宅地の衰退と郊外化の終焉という二分法的理解に関心が固定化され,日本の大都市圏における1990年代後半以降の戸建住宅供給については十分に明らかになっていない.そこで本研究では,バブル経済崩壊後の戸建住宅供給の動向について,都市圏の縮小についての議論もされている大阪大都市圏を対象に,分析する.そして,その時代の社会経済的状況の変化が戸建住宅開発にどのように影響しているのか検討することを目的とする.
    2.研究方法 戸建住宅の供給に関する資料については,ミニ開発も多く,網羅的で信頼できるデータが得難い.このようなデータソースの入手可能性を考慮して,本研究では住宅に関する公的統計として主に住宅着工統計,住宅・土地統計,国勢調査の3統計を利用する.特に小地域単位の分析では,戸建住宅の直接的な供給データではないものの,国勢調査の地域メッシュ統計と町丁字別集計データを利用する.また,土地利用に関しては,細密数値情報(土地利用メッシュ)や住宅地図などを用いて,戸建住宅開発の従前の土地利用について検討するとともに,上記資料からは調査することが困難である,用地の売買から住宅開発に至る経緯について,大阪市周辺で建売住宅を手掛ける不動産業者などにインタビュー調査を行った.
    3.結果と考察 離心的な供給が前提とされてきた戸建住宅供給は,バブル経済の崩壊後,大阪市の周辺区・隣接市へやや回帰的な傾向を示している.そこでは,1990年代後半に建売住宅を中心に戸建住宅の供給が急増したが,2000年代半ば以降は縮小傾向にある.住宅の建て方別人口の推移をみても,1990年代に周辺区と隣接市は戸建住宅に住む人口の増加が共同住宅に住む人口の増加を上回るという大きな変化を経験した.また,住宅開発の地理的分布を検討したところ,戸建住宅に住む世帯が大きく増加した地域の多くは高度経済成長期以前に都市化された既成市街地内に分布し,そこでは人口増加地区と人口減少地区がモザイク状に分布している.特に戸建住宅に住む世帯が集中的に増加している,都心からみて南東セクターの地域は,大阪を対象にした都市地理学の先行研究でインナーシティやスプロール地区としての性格を有することが指摘されている. 大阪市内の住宅開発に着目すると,そのほとんどが10戸未満の比較的小規模な開発である.地理的分布をみると,都心部を取り囲む既成市街地のうち,都心からみた北西セクターの地域を中心に,工業地における事業所の閉鎖・縮小・移転に伴う比較的大規模な開発がみられた.その一方で,南部の密集住宅地と東部の住工混在地域を含む,都心からみた南東セクターにあたる地域では,住宅や中小事業所,駐車場などの低未利用地を従前の土地利用とする小規模な住宅開発がみられた.そこでは,土地所有者の死亡による相続,住宅の老朽化,後継者不在による事業所の廃業,事業所や駐車場の経営悪化などを契機に不動産が売却されている. このように,バブル経済崩壊以降,従来の都市地理学の理解に当てはまらない住宅開発として,インナーシティやスプロール郊外という特徴を持つ既成市街地での再開発的な戸建住宅供給がみられた.しかし,それは人口減少や住宅の老朽化の進む地域における小規模で断片的な更新であり,人口増加には必ずしもつながっていない.そして,そのような戸建住宅開発には,バブル経済の崩壊といった経済的要因のほかに,住民の高齢化や住宅の老朽化といった人口と住宅のライフサイクルが影響している.以上の知見は,これまでの都市地理学における都市圏構造と住宅供給の関係についての二分法的理解が不十分なことを示している.
  • ― 瀬戸内気候度の提唱とその考察を通して ―
    福岡 義隆, 丸本 美紀
    セッションID: P001
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ. はじめに
    気候とは中国古来の農業暦「二十四節気七十二候」の「気」と「候」に由来する(福井)ということ、あるいは和辻(1979)の不朽の名著「風土」がclimateと訳されているなどから、気候は人間生活の環境であると言える。一方、地球とは異なる大気がある火星でも気象現象が発現しているが、生物が生育できない火星には言うまでもなく地理事象である気候現象はない。要するに、気候学が気象学の一部という説は妥当ではない。
    瀬戸内気候はその名のとおり、瀬戸内地方に広がる日本の中でも雨の少ない気候区である。その特有の瀬戸内気候タイプは福井英一郎や関口武、鈴木秀夫ら地理学の気候学者による気候区分法によって設定され、研究のみならず地理教育などでも多用されてきた。ブローデル(1991)の『地中海』に「陸と海の地中海のうえに空の地中海が広がっている」という一節がある。これに肖り「陸と海の瀬戸内海の上に空の瀬戸内海が広がっている」のである。
    瀬戸内気候は夏に少雨であるという定性的な表現だけでなく、瀬戸内気候という気候の強弱を定量化しその地域性を表現することも重要である。本研究では福井(1966)により、瀬戸内気候度の定量化を試みた。
    Ⅱ.瀬戸内気候度の提唱と計算方法
    かつてゴルチンスキーは海洋度を、福井は地中海気候度なるものを提唱し、各々計算式を設定した。瀬戸内気候度は夏季3ケ月中の8月の雨量が少ないという季節性に注目して、8月の降水量をpとし、夏季3ヶ月間の降水量Pに対するpの割合を瀬戸内気候度Scとし次式で表した。 
    Sc=100cos2 ɵ
    Ⅲ. 瀬戸内気候度計算結果とその地理学における気候学的問題
    瀬戸内地方の内沿岸の気象官署の資料から上記のScを計算し、Scが90以上を大S、89~85を中S、84以下を小sとした(図1)。大Sが中四国の中心都市に見られ、また、隣り合った京都盆盆地より奈良盆地の方が瀬戸内気候の影響が強いことなどが注目され、このことは水収支の比較(丸本、2014)によっても明らかにされている。
    Ⅳ. 終わりに 
    瀬戸内気候度の分布からその場所性を論究する気候学は純然たる地理学である。さらに「気候などの自然地理こそ歴史に影響を与え、歴史を支配する決定要素である」(『カントと地理学』松本)。かのフェーブルの『大地と人類の進化』もブラーシュの『人文地理学原理』などでも気候の役割を重視している。内村鑑三の『知人論』でも「地理学は諸学の基なり」とその重要性を述べている。
  • 空間スケールと認知階層
    成瀬 厚
    セッションID: 108
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    地理教育においては、日本国内の47都道府県の名称と位置を覚えることが要求され、その実態把握と状況を改善させる施策などに関して長年議論されている。本稿は、認知心理学における概念の階層構造に関する議論を地名における空間スケールの考察へと応用すると同時に、子どもの発達段階における空間認識の拡大に関する議論を考察に加えることで、こうした地理教育研究を再考しようとするものである。
  • 丹羽 雄一, 須貝 俊彦, 松島 義章
    セッションID: P038
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1. はじめに
    東北地方太平洋岸に位置する三陸海岸のうち,宮古以南は海岸線が著しい屈曲をなす,リアス海岸である.岬と岬に挟まれた各湾入部には中小の河川が流入し,小規模ながら沖積平野が発達している(千田ほか,1984).三陸海岸における沖積層研究は,近年,オールコア堆積物の解析や多数の14C年代測定値に基づいて行われ始めたものの(丹羽ほか,2014など)が,いまだに事例が少ない.  本発表では,三陸海岸南部に位置する津谷平野において、震災復興工事で掘削された1本のコア堆積物(TY1;図1)を使用し、平野を構成する堆積物の特徴や年代について論じる.

    2.調査地域概要
    津谷平野は太平洋に面し,南北約0.5 km,東西約1 kmの小規模な平野である。1969年国土地理院撮影の空中写真を用いた地形判読に基づくと,現海岸線沿いとその内陸側に浜堤が見られる (図1 ).

    3. 試料と方法
    TY1コアに対し,岩相記載,粒度分析,14C年代測定を行った.岩相記載の際,含まれる貝化石の中で可能なものは種の同定を行った.粒度分析はレーザー回折・散乱式粒度分析装置(SALD – 3000S; SHIMADZU)を用いた. 14C年代は合計13試料の木片や貝に対し,株式会社加速器分析研究所に依頼した.

    4. 結果
    4.1 堆積相と年代
    コア試料は堆積物の特徴に基づき,下位から貝化石を含まない砂礫層を主体とする河川堆積物(ユニット1),細粒砂からシルト層へと上方細粒化し後述の海成堆積物(ユニット3)に覆われる,河口~浅海堆積物(ユニット2),海生の貝化石や珪藻化石を含み,シルト層~中粒砂層へと上方粗粒化を示すプロデルタ~デルタフロント堆積物(ユニット3),デルタフロント堆積物を覆い,中礫や細礫を含む砂礫層から細粒砂層から構成され、潮間帯~内湾砂底に生息する貝を含む分流路あるいは河口州堆積物(ユニット4)にそれぞれ区分される.また,ユニット2からは9,000~8,190 cal BP cal BP,ユニット3からは7,760~2,790 cal BP,ユニット4からは4,200 ~1,170 cal BPの較正年代がそれぞれ得られた(図2).
    4.2 堆積曲線
    年代試料の産出層準と年代値との関係をプロットし,堆積曲線を作成した(図2).堆積曲線の傾き(堆積速度)は, 9,000 cal BPから7,100 cal BPにおいて約2~20 mm/yr,7,100 cal BPから2,800 cal BPにおいては約0.5 mm/yr,2,800 cal BP以降では3~5 mm/yrとなる.

    5. 考察
    TY1コアは大局的には完新世の海水準変動に対応した河口~浅海のサクセッションが認められる.堆積速度に着目すると,ユニット3(プロデルタ~デルタフロント堆積物)下部では堆積速度が5 mm/yr程度と大きい。すなわち,本研究対象コアは,多くの沖積平野において完新世初期から中期に,静穏な内湾環境に対応して堆積速度が小さくなり,それが数千年間継続する現象(例えば濃尾平野;大上ほか,2009)は認められない.津谷川の流域規模が小さいことや,津谷平野が太平洋に面していることを踏まえると,完新世初期から中期にかけて静穏な内湾環境が認められないのは,開析谷に海水が侵入し,内湾化した後に外洋からの土砂供給を受けていた可能性を示唆する.また,堆積速度はユニット3上部で小さく(約0.5 mm/yr),ユニット4(分流路あるいは河口州堆積物)で大きい(3 ~5 mm/yr)。これは,相対的海水準が千年オーダーで現在も上昇し続けている地域では,河川からの土砂の多くがデルタプレイン上で堆積する(堀・斎藤,2003)ことを反映している可能性があり,三陸海岸南部の沈降傾向(丹羽ほか,2014など)と整合する.

    文献:千田ほか(1984) 東北地理,36,232 – 239.堀・斎藤(2003)地学雑誌,112,337 – 359.Nakada et al. (1991) Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology, 85, 107 – 122. 丹羽ほか(2014)第四紀研究,53,311 – 312. 大上ほか(2009)地学雑誌,118, 665 – 685. Okuno et al. (2014) QSR, 91, 42 – 61.      
  • 淺野 敏久
    セッションID: S1304
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ラムサール条約は、浅海域を含む湿地保全のための条約で、湿地を国際的に認知する自然保護区とするものである。登録された湿地には、グローバルな観点からの環境管理・自然保護が期待される。しかし、登録を受け入れる地域の側は,上位の条約や思想をあまり意識していないし、各地の事情に応じて制度が運用されている。では、グローバルな自然保護区に登録されることは、地域にどういう意味があるのだろうか。報告者の関心は、自然保護に関わるグローバルな価値観や制度が地域にいかに受容されるのかを示し、地域にとっての意味を考えることにある。この数年、報告者はラムサール条約湿地を調べているので、ここではラムサール条約を例に話題提供したい。シンポジウムとの関連は、保護すべき「自然」の生産と消費を、グローバル・ナチョナル・ローカルという異なるスケールに絡めて論じようとすることである。 ラムサール条約の守りたい湿地には、生物多様性保全の観点から基準が設けられている。ラムサール条約のミッションは、生物多様性条約ができたことにより、それと整合するように作り直された。そのため、ラムサール条約で守りたい自然は、種の保存を強く意識した生物多様性を担保する場としての湿地である。そして、保全への理解と実効的な保全活動を促すために、ワイズユース(賢い利用)が強調される。しかし、条約は各国の湿地保全に具体的な方法を示すことはなく、各国の事情に応じた国内的な対応を求めるにとどまっている。 日本では、当初は一本釣り的な候補地の選定を行っていたが、のちには国際基準に則った候補地のリスト化が行われ、そこから候補地が選ばれるようになっている。また、国際的な基準を満たす湿地が候補となることと並んで、対象湿地が国内法による保護区になっていること、地元が登録に合意していることが条件になっている。 国内法には、自然公園法、鳥獣保護管理法、種の保存法、河川法などがある。これらの法律は対象地を保護する目的が異なり、守るべき自然も必然的に各法律の趣旨に従ったものである。 地方自治体では、担当部署が自然保護関連部署となる場合と、地域振興関連部署になる場合とがある。前者の場合、自然保護施策を進める根拠として条約に期待することが多いが、ラムサール湿地を産業経済的に活用する手段を、縦割り的な行政組織の下ではもちにくい。そのため、湿地の教育的利用に特化しがちである。一方、後者では、登録により、例えば観光振興に弾みがつくと期待する。ただし、積極的に政策展開する自治体もあるが、住民や市民(観光客となる人々)の反応が芳しくないこともある。 住民・市民の立場には、大まかにみて、自然保護の立場、当事者住民、その他の住民・市民がある。自然保護派からすれば、ラムサール条約登録は保護活動への「錦の御旗」と考えられ、湿地の自然保護のための利用の提示や実践を活発にする。当事者住民は、国内ルールが求める「地元合意」の当事者であるが、現状追認的であり、実害がなければ賛同し、それ以上の関心は少ない。また、その他の住民・市民は、多くの場合、湿地に関心ない。 三者がそれぞれ別の方を向いており、現場では特に何も変わらない。それは、グローバルな湿地保護の理念や制度と現地との関わりへの疑問を投げかける。しかし、ここで「つなぎ役」となっているのが、児童生徒を対象とした学内外での環境教育である。日本のラムサール条約湿地て実際に力を入れられているのは、一般への普及啓発を含む環境教育である。ラムサール条約登録はその理念・思想を将来世代に向けて伝えられている。環境教育の地道な取り組みは、将来世代の自然への態度に影響を与えていると考えられる。
  • 額尓 徳尼
    セッションID: P014
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本研究は、モンゴルの草原域における温室効果ガスの時空間分布を把握するために、
    日本の温室効果ガス観測衛星「いぶき」(GOSAT)によるSWIR L2プロダクトデータを
    用いた解析を行い、東アジアにおけるXCO2時空間分布の検討を行った。その結果、東
    アジア広域においては、地域間のXCO2濃度の年間差異が8ppmであり、中では中国内陸
    においては、XCO2濃度が最も高く示され、東アジア地域における温室効果ガスの主な
    排出源地域であることが示された。また、XCO2濃度の年々変動及び季節変化から見る
    と11月~5月間における濃度値が最も高く、6月~9月の期間においては最も低い季節
    性が示された。総じて、2009年4月から2015年8月までのデータ解析から、モンゴルを
    含める東アジア地域においては大気中の二酸化炭素の総量が年平均約2ppmの増加傾向
    が示された。
  • 河川争奪により形成された遷急点(姫ノ滝)の復元
    吉村 光敏, 八木 令子
    セッションID: P027
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    東京都世田谷区を流れる谷沢川の等々力渓谷について、貝塚(1975)は、谷沢川が九品仏川を河川争奪して形成した渓谷であるとした。しかし1930年代の河川改修工事により、河川争奪地点より上流にあった姫ノ滝と呼ばれる遷急点が消滅しており、さらに、全域の人工河川化が激しく、それ以上の地形学的調査は行われてこなかった。最近、高杉(2011)により、姫ノ滝に関する歴史資料が多数発見・紹介された。発表者らは、その資料の再解釈により、姫ノ滝の位置と標高復元が可能なことに着目し、河川改修以前の谷沢川の河床縦断復元を行った。その結果、等々力渓谷から姫ノ滝付近までの峡谷部について、従来不明であった河川争奪以降の地形発達史が明らかとなった。
  • 林 実花, 藁谷 哲也
    セッションID: P052
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    アンコール遺跡は,カンボジア・シェムリアップ周辺に9~15世紀に存在したクメール王朝時代の石造建築遺跡群である.遺跡に使用されているラテライト石材は,遺跡の土台部分や環濠・城壁を中心に多く利用されている.近年,ラテライト石材の劣化は深刻な問題となっており,1952年には,アンコール・ワット西参道が大崩壊した例もある.そこで本研究は,アンコール遺跡群のアンコール・ワット西参道に使用されている建設当時の古いラテライト石材や,近年修復により新たに導入された新しいラテライト石材を対象に,風化プロセスの検討を行なった.アンコール・ワット西参道では,北東部の側壁に近年修復された新しいラテライト石材が,北西部のそれに建設当時の古いラテライト石材がみられる.ラテライト石材の劣化状態を把握するため,北東部3地点,北西部4地点にて,観察およびサンプルの採取を行った.また,石材の風化度および石材表面の水分量を把握するため,エコーチップ硬さ試験機・帯磁率計および赤外線水分計による測定を行った.そして,ラテライトの風化特性を把握するため,室内にて乾湿繰り返し実験を行った.一方サンプリングした石材は,主要構成鉱物を同定するため,X線回折分析を行った.西参道北西部では,側壁基部に顕著な凹みのみられる地点があり,最大で36cmの奥行きを持つ凹みが確認された.そして,北西部の石材表面には,最大直径5cm程の数多くの空隙がみられた.一方北東部では,凹みや空隙はほとんど認められず,稀に最大直径2cm程度の空隙が観察された.環濠の水位変化を基準にすると,側壁上部の石材強度(HLD),帯磁率,含水比(%)の平均値は,それぞれ北西部で312,0.56,14.8,北東部で374,0.82,12.8であった.一方,側壁下部における平均値は,北西部で224,0.48,30.0,北東部で363,0.82,20.2であった.乾湿繰り返し実験により,石材の残留率は17サイクルで90%まで減少した.古いラテライト石材の主な構成鉱物は,ゲータイト・ヘマタイト・石英であった.なお,未風化のラテライト(採石場より採取)からは,カオリナイトも確認されている.西参道の側壁は下部が水に接しており,雨季と乾季の降雨によって最大60cmの水位変化が生じる.測定された含水比は側壁下部で高い値を示していることから,水位変化が石材の風化に影響を与えていることが推定できる.乾湿繰り返し実験からわかるように,湿潤・乾燥が繰り返されると石材に破砕が生じる.西参道北東部と比較して,北西部の石材の強度は約19%低く,帯磁率も約32%低かった.このことから,水位変化に伴う乾湿の繰り返しによって,石材の風化は進行し,強度低下が生じたと考えられる.また,石材表面の空隙の拡大には,水位変化によるカオリナイトの流出が考えられる.
  • 中川 清隆, 宗村 広大, 渡来 靖
    セッションID: 903
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ.はじめに
      我々は,2012年8月1日~2015年9月18日の間,上信越山岳域における気圧,気温,相対湿度の高密度10分間連続観測プロジェクトを実施した.同プロジェクトのバックグランドデータ収集の一環として,極東アジアにおける温帯低気圧の位置および経路追跡のためのデータベースを構築したので,ここにその概要を報告する.

    Ⅱ.温帯低気圧データベースの構築
      近年は格子点データに基づく自動追跡法が主流であるが,本研究は一般財団日本気象協会HP過去の天気図http://www. tenki.jp/guide/chart/past.htmlに公開されている2012年8月3日以降の実況天気図8,006枚における温帯低気圧中心の位置読取によりデータベースを構築した.同天気図は横600ピクセル×縦450ラインからなるjpeg形式画像である.天気図上のピクセルx,ラインyから当該地点の東経λおよび北緯φを求めた(図1,略).東経λを求める場合と北緯φを求める場合とで基準のライン値が異なることが注目される.注目される.天気図上に出現した低と記された964個の温帯低気圧中心のピクセルピクセルx,ラインyを求め,東経λおよび北緯φに換算した.

    Ⅲ.本邦近傍の温帯低気圧の経路・速度
      3時間乃至6時間隔てた直近の1対の温帯低気圧の出現時刻,出現地点緯度・経度および温帯低気圧番号で1行を形成するcsv形式の13,361行のデータベースが作成された.収集された964個総ての温帯低気圧をシーケンシャルに追跡し,移動経路を折線で示した(図2,略).北緯25°以北の海域で温帯低気圧の出現が多いが,日本列島や朝鮮半島,ロシア沿海州およびカムチャツカ半島といった陸域には温帯低気圧の出現が少ない.南岸低気圧の大部分は日本列島と北緯30°緯線の間に出現している.日本海低気圧はロシア沿海州南岸および東北地方や北海道沿岸の日本海北部・東部に多数出現する.
    図2(略)の特徴を定量的に把握するため,東経125°(本邦西方),135°(本邦上),145°(本邦東方),155°線に沿って緯度1°幅で温帯低気圧通過数,移動方向,移動速度を集計した(表1,略).温帯低気圧の東経135°線通過数342の緯度分布には北緯48°,42°および北緯33°に明瞭な3つのピークが存在し,それぞれ大陸山岳風下低気圧,日本海低気圧,南岸低気圧に相当している.東経135°線を横切る温帯低気圧の平均移動方向は73.5°(東北東)で,平均移動速度は60.6km/hである.
      近い将来低気圧中心気圧の品質チェックが完了すれば,低気圧発達速度についても議論可能となる見込みである.
     
  • 津軽・南部地方境界地域の調査から
    小田 匡保, 泉 ゆうき
    セッションID: P080
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    本発表は、津軽・南部地方境界地域での調査をもとに、青森県における方言の地域差の中でも、特に津軽・南部方言区画の境界について再検討し、さらに方言使用・認知および方言意識の世代差についても考察する。津軽方言と南部方言の区画界については、津軽藩と南部藩の境に一致することが従来の研究で指摘されている。過去の調査から20年以上たった現在でも、同じことが再確認できた。ただし、一部の語に関しては、津軽方言が南部地方に浸透しているようにも見える。また、野辺地駅周辺を中心として、多少の漸移地域が存在すると考えられる。方言使用・認知の世代差については、若い世代ほど方言が使われなくなり、逆に方言を知らない人の割合が高くなることが明らかである。ただし、言葉によって、使用・認知率の低下には差があり、若い世代でも比較的よく使われている方言もある。方言意識の世代差については、方言と共通語との使い分けの点から見ると、70代以上と戦後生まれの60代以下との間で大きな違いがあり、中年以下の世代では約4分の3の人が、場面によって方言と共通語を使い分けていることが判明した。

    なお、本研究は、泉の駒澤大学文学部地理学科地域文化研究専攻2012年度卒業論文に、小田が大幅な修正を加えたもので、詳細は泉・小田(2016)として印刷予定である。

    文献

    泉ゆうき・小田匡保 2016. 青森県における方言の地域差と世代差─津軽・南部地方境界地域の調査から―. 地域学研究29 (予定) 。
  • 田林 明, 菊地 俊夫
    セッションID: 504
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー


    研究の課題  現代の日本では、農業の本来の機能である食料生産をいかに存続させ、持続的に発展させるかが重要な課題となっている。この報告では、水稲作が卓越する北陸地方において存続・成長の可能性の高い農業経営事例を取り上げ、その特徴と役割を検討する。北陸地方の農業の担い手に関しては、認定農業者で示される個別の専業的農家あるいは農業生産法人によって特徴づけられる新潟県と石川県、集落営農によって特徴づけられる富山県と福井県に整理することができる。そこで、認定農業者の事例として、新潟県上越市と石川県金沢市の大規模借地型経営を、集落営農の事例として、富山県入善町の法人化された集落営農組織を取り上げる。
    北陸地方における大規模借地型経営の発展  新潟県上越市の有限会社Nファームは、37.31haの経営耕地面積をもつ。経営主と2人の常勤、1人の女性パートがほとんどの農作業を行う。16.2ha分が酒米であり、地元の農業協同組合を通じて酒造会社と契約栽培を行っている。12ha分が生産調整用の飼料米と米粉用で、残りの9.11ha分が食用米として消費者に直接販売される。Nファームは周辺の7つの集落の40戸の農家から借地をして、地域農業を維持している。
       新潟県上越市のH農事組合法人は3戸5人の組合員からなり、8人の常勤と2人のパートによって、100.02haの耕地を経営している。水稲の作付面積が95.12ha(食用米51.6ha、加工用もち米27.54ha、酒米15.98ha)で、そのほかに大豆3.21ha、野菜ほか1.69haがある。米の自主販売をするために子会社として株式会社K商事を設立し(常勤2人)、さらに2013年に買収した有限会社Aフーズ(常勤1人、パート8人)でおしずしを加工・販売している。H農事組合法人は立地するR集落と隣接する3つの集落を中心として65戸から借地をしており、地域の農業と社会の維持のために重要な役割を果たしている。
       金沢市の北部のK農業は、金沢市および輪島市の188haの耕地で水稲30ha、有機大豆155ha、有機小麦・大豆112haを栽培するK農家と、珠洲市と能都町の12.5haの耕地で有機栽培による米、大豆、ジャガイモなどを生産し、民宿も経営する株式会社A農業、そしてそれらの農産物を販売、加工・販売する株式会社K社の3つの組織から構成されている。K農家は河北潟干拓地や輪島市の山間部の耕作放棄地を再開墾して経営規模を広げた。常勤は3組織全体で43人であり、年商5億円におよぶ。K農業は地域農業と社会の維持のみならず耕作放棄地の再開墾、雇用創出、新しいアグリビジネスの魅力を発信するなどの役割を果たしている。
    北陸地方における集落営農の組織化・法人化  富山県入善町F集落のHi農事組合法人は、大正期の耕地整理による耕地を、2005年度から2010年度にかけて圃場整備した際に設立された集落営農組織である。64人の組合員によって57haの耕地が一括して経営されている。専従者はいなく、すべての作業が組合員の出役によって維持されている。水稲と大麦、大豆の栽培によって、組合員は平均で25万円ほどの地代と20万円程度の労賃を得ている。以前はそれぞれの農家が自己完結的に農業を行い、実質的に赤字経営であったが、集落営農によって恒常的勤務を継続しながら少しは収益を得て、農業・農地を維持することができるようになった。
    北陸地方における農業の発展・存続戦略   3つの大規模借地型経営は、利潤を追求するとともに、農地活用・管理のみならず、地域社会の維持、雇用創出といった役割を果たしている。それぞれは、大規模化とともに多角経営化という方向に進んできている。今後、ますます生産物を多様化し、加工・流通部門も加えて、規模拡大を進めるものと考えられる。しかし、すべての地域の農業がこれらの企業的経営によって維持されるのは困難であり、利潤追求というよりも一定水準の農業を継続し、農地を管理し、地域社会を持続させていこうとする集落営農が、大規模借地型経営の隙間を埋めるように機能していくと考えられる。
  • 風土記愛に関する報告(2)
    立岡 裕士
    セッションID: 705
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    風土記愛(「風土記」という語を愛好すること)は現代日本の社会現象の一つである。立岡(印刷中)は図書についてその盛衰を調べた。本発表では宝塚歌劇の演目について報告する。日本近代の演劇史における宝塚歌劇団(以下、宝塚)の位置はさしあたり問題ではなく、「社会」の嗜好を反映するものとしての宝塚歌劇を検討する。宝塚が創業以来一般大衆を志向し敏感であること、その点は演目にも反映していると思われること、年間200万人の入場者があること、からこうした検討は可能であると考えられる。

    宝塚は1~1.5ヶ月を単位として公演を行い、一つの公演では1~2作品を上演する(創業最初期を除く)。2015年までの101年間に本拠劇場で延べ2565作品(実数は2248ほど)を演じた。そのうち、題目に関わる何れかの部分に「風土記」という語が用いられたものは10(ないしは11)作である。4(~5)本がミュージカル、それ以外はレビューに大別できる。ちなみに、記紀・風土記の説話を素材とした演目はほとんどない(日本神話に限らず、神話に取材した演目は少ない)。

    ・続演ないし再演された作品は全体の1割強であるからほとんどの「風土記」作品が続(再)演されていないのは当然としても、東京においてさえ公演されていないものもある。それらは興行的には失敗だったのだろうか。
    ・英語題名のわかっている5作品のなかで風土記に該当する語があるのは「浜千鳥」の初演時のみである。「風土記」が「日本」人に向けた題名であることをうかがわせる。
    ・物語風土記は「民俗舞踊」シリーズの傍系作品の一つである。シリーズ本体同様に「日本」の民話劇を創出することを追究している(同じ様に民話に取材しながら、明確に沖縄を意識している「浜千鳥」とはこの点では異なる)。同シリーズとともに浮沈したのであろう(渡辺, 2007)。1950~60年代には一般向け・児童向けの古風土記訳書が出版されており、説話集としての風土記のイメージがあったのではなかろうか。
    ・「わらべ唄風土記」は民俗舞踊シリーズと直接の関係はないが、当時同様の活動を行っていた花柳徳兵衛を招いて制作されたものであり、物語風土記と同様の性格であろう。
    ・「こども風土記」は柳田国男の同名著作を踏まえたものであり、一般読者に対する柳田の影響の強さを示す。それ以外のレビューの風土記がそれぞれの時期に現れるべき理由は明らかではないが、「わらべ唄風土記」も含めて、宝塚の演目にはほとんど使われていない「子ども」と組み合わされ、また「花」と結び付けられていることは「風土記」に担わされているイメージが郷愁的なものであることを示しているのではなかろうか。
  • 小野 映介, 野中 健一, 竹中 千里, 梅村 光俊, 奥野 正樹
    セッションID: P050
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    アジア・アフリカ各地に分布するキノコシロアリの繁殖虫や働きアリは食用やエサとして,巣の一部(アリ塚)の土は作物肥料や農地として使われている.他にも,アリ塚の土は薬として用いられたり信仰の対象とされたり多様な利用が認められ,重要な資源として位置づけられる.アリ塚上に生育する樹木は,用材として利用されるばかりでなく,小動物の生息場となり,落葉は周辺水田の肥料になる.アリ塚は農地にあると作物生産地としては不合理に思われがちであるが,農漁畜産業,食生活,精神生活において豊かな暮らしを構築する上で持続的に用いられてきた.  本研究は,シロアリおよびその生産物であるアリ塚を用いた持続的な生物資源利用に注目し,農業・生活の持続性にもたらす貢献,再生力と利用可能性を実証的に明らかにするために,アフリカ・アジア・中米地域で現地調査を実施し,その結果をもとに実証的な比較を行い,関わり方と広がりから普遍性を検討することを目指している.それにより,自然と人間の共生関係のユニークかつ新たな持続的土地利用の地域システムとして提示することが大きな目的である.これまで筆者らは,ラオス・タイ・南アフリカ・ジンバブエ・ボツワナ・パプアニューギニア・メキシコで,シロアリとアリ塚の利用およびその関連資源利用について調査を進めてきた.しかし,利用の根本であるアリ塚そのものの構成や形成メカニズムについてはわかっておらず,地道な実証的データの収集と分析が必要である.本発表では,シロアリ・シロアリ塚の活発な利用がみられるラオス中部のヴィエンチャン平野に位置するドンクワーイ村を事例として,シロアリ塚の分布状況と構造に関する調査結果および今後の展望を提示する. ドンクワーイ村では,森林をなるべく残しながら水田の開墾が行われてきたが,近年,森林の急速な伐採が進んだ.筆者らは,かつて村域南部に広がっていた森林(ドン・ソンポー)の北縁の約60 m四方を対象としてインテンシヴな調査を実施した.この範囲に分布するシロアリ塚について,ナンバリングとGPSによる位置の測定を行った.また,各塚の大きさを計測するとともに,構成土のサンプリングを実施した.さらに,典型的な塚を選定し,半裁を行うとともに外縁部にトレンチを設け,構造についての調査を行った.半裁した塚やトレンチ調査によって明らかになった塚の構造および周辺の地質について記載した後,粒度分析や微量元素分析用の試料を採取した.調査範囲では合計28のシロアリ塚を確認した.塚の形状や大きさは,それぞれ異なり,最も高いものは280 ㎝で,低いものは40 ㎝,最大幅は大きいもので600 ㎝,小さいもので50 ㎝であった.各塚を平均すると,高さは約110 ㎝,最大幅は300 ㎝であった.また樹木と塚の関係も多様で,樹木を取り巻くように形成された塚や,塚の上に樹木が繁茂したもの,樹木と関係なく形成された塚も見られた.塚の内部構造を明らかにするために,高さ60 ㎝,最大幅400 ㎝,最小幅340 ㎝の塚を半裁した.また,塚の外縁部(南側)にトレンチを設け,地表面下50 ㎝までの状況を確認した.塚は極細砂混じりのシルトからなり,塚とその周囲の堆積物との境界は不明瞭で区分は不可能であった.なお,塚およびその周辺における土壌の発達状況は貧弱で,A層は10 ㎝程度であった.塚の内部,地表面下50 ㎝から地表面上40 ㎝には,空洞部(巣穴やトンネル)がみられた.巣穴の直径は,10~30㎝で,それらを繋いでいると思われるトンネルの直径は5㎝程度のものが多かった.それらのうち11個の巣穴からは菌園が発見された。菌園から採取したシロアリは,Odontotermes formosanusおよびMacrotermes carbonariusの2種であると推定された.塚の半裁を行った翌日,塚を観察すると巣穴やトンネルの一部は,シロアリによって修復されていた.修復土には団粒構造が認められるのに対し,塚を構成する土に構造は認められない.この点は,塚の形成過程を考察する上で重要なカギとなりそうである.今回の調査によって,シロアリ塚の分布状況や,塚の構造が解明された.また,調査対象とした塚には2種のシロアリが共生している可能性も明らかになった.しかし,「塚を構成する土がどこからきたのか?」,「なぜ肥料や薬として利用されるのか?」という問題が残された.今後,試料の微量元素分析などを通じて,明らかにしていきたい.
  • 岩手県一関市奥玉地区を事例に
    庄子 元
    セッションID: 506
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    日本の農業は、離農の増加や高齢化の進行といった農業労働力の量的減少と質的変化、輸入農産物との競合から規模拡大による効率化が促されている。こうしたなかで、従来は農業機械の共同利用や農作業の共同実施によって農家の農業経営を補完していた集落営農は法人化が求められ、複数の集落にまたがる範囲で農地集積を行っている集落営農も少なくない。しかし、農産物価格、とりわけ米価の下落は著しく、集落営農や農業生産法人はより一層の効率化が求められている。加えて、農業労働力の減少は顕著であり、組織の担い手をいかにして確保するのかが模索されている。以上を踏まえ、本報告は米価が下落しているなかで大規模農業生産法人がどのように農業経営を存続させるとともに、組織の担い手を確保しているのかを検討した。  
    本報告の事例である「おくたま農産」は一関市奥玉地区に属する7集落から成る農事組合法人である。奥玉地区は1996年から2007年にかけて基盤整備事業が行われ、上記の各集落に営農土地組合が設立された。これらの営農土地組合が各集落内農家の農地利用の意見調整を行い、「おくたま農産」は2007年に設立した。2014年現在の構成員は340名であり、役員は5名、役員を含めたオペレーターは12名である。「おくたま農産」の経営耕地面積は165.31ha(2014年)である。その内訳は水稲73.51ha、備蓄米20.03ha、大豆25.39ha、飼料用米28.57haであり、これらは経営耕地面積の89.2%を占める。残る10.8%にはデントコーン(4.52ha)やトマト(4.18ha)、小菊(3.56ha)が作付けされている。これらの作物を生産している主体に注目すると、土地利用型作物は「おくたま農産」のオペレーターによって作付けされている。対して労働集約的作物は個別農家や集落組織によって生産されている。こうした「おくたま農産」の作物生産は農地の再配分が基本となっている。構成員である農家は基盤整備された所有農地をすべて「おくたま農産」へ貸し付ける。そして、オペレーターが担う土地利用型作物の作付け圃場が決まる。その後、労働集約的作物の作付けを希望する個別農家や集落組織に農地が配分される。その際には「おくたま農産」が支払った地代と同額が借入面積に応じて個別農家や集落組織から支払われる。  
    こうした利用農地の再配分は二つの効果を「おくたま農産」にもたらしている。第一は土地利用型作物の農作業の効率化である。平坦部に位置し、比較的面積の大きい圃場に土地利用型作物を集中して作付けすることで大型の農業機械の利用を可能にしている。これによって「おくたま農産」は稲作の生産費を削減している。それに加えて、圃場面積や設備投資などから篤農的な農業経営体でなければ成立しにくい稲作の湛水直播を導入し、稲作の生産費はさらに削減されている。第二は労働集約的作物を生産する個別農家と大規模農業生産法人が併存することである。現在の「おくたま農産」の役員は60代の複合経営農家である。そのため、「おくたま農産」は労働集約的作物を生産する個別農家と大規模農業生産法人が農地の再配分を通じて結びつくことで農業の経営感覚を有する将来的な組織のリーダーの確保を目指している。このように「おくたま農産」では利用農地を再配分することで稲作のコストを削減するとともに、将来的な組織のリーダーを確保しているのである。
  •  沖縄修学旅行の現地研修用教材を例に
    伊藤 智章
    セッションID: P072
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
       報告者は本学会の2015年春季学術大会において、教員が用途に応じて地図を搭載して地図上に写真や新聞記事などの情報を付与できるオフライン稼働型のシステムを「デジタル地図帳」と名付けて提案した。その後、沖縄県那覇市と宮城県多賀城市での実践をまとめた(伊藤:2015)。実践を積む中で明らかになった課題を解決するために、システムの改善を図り修学旅行の事前学習・現地研修用の教材を制作した。 
    前回の報告時に用いたアプリは、メーカーが自治体や観光協会などの公的機関への販売を目的に開発したものを教材に転用したものである。このため、不特定多数の学校、指導者が応用することは困難だった。 フリーソフトを組み合わせることで解決を図った。 また、地図やデータを不特定多数のユーザーに公開することを前提とするアプリでは、地図の版権者(特にハザードマップを管理する自治体)や、新聞社(記事の二次利用権利)の許諾を得る事が難しい場面があった。そこで、指導者と生徒の端末のみで共有できるシステムとし、著作権法35条(学校および教育機関における著作物の二次利用)の範囲に収まるようにした。 
    基幹アプリにフリーソフトの「PDF Map」を用いた。パソコンのフリーGISソフト「QGIS」を使って旧版地形図、地理院地図の画像、観光案内図などを位置情報付き画像ファイル(Geotiff)に変換し、タブレットで読み込んだ。各時代に対応した新聞記事にも位置情報(ジオタグ)を付与して読み込むと、地図上にアイコンとして埋め込まれるので、開いて読むことができる。また、現地で撮影した写真をその場で地図上に埋め込み、回収することもできる。 
       今回のシステムで用いたアプリでOSの選択肢も広がった。また、著作権、二次利用権にも配慮を進めることができた。ただ、前作に比べて教材構築までのプロセスは複雑になった。作業を簡略化させ、ノウハウを公開した上で、「アプリ作り」における生徒と教師の役割分担、日常的に授業で活用するための教材の多様化など、今後も検討を重ねていきたい。
  • 石川 慶一郎
    セッションID: 203
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    問題の所在
    近年日本では,大都市を中心に人口の都心回帰が指摘されるようになっている.その背景として,供給面に着目すると,マンションやアパートに加え,本研究が対象とするシェアハウスなど,様々な形態の住宅が新たに都心部に供給された点が挙げられる.それに伴い多様な人たちが都心部に流入しているが,そうした中で居住分化が生じていることも指摘されている(宮澤・阿部 2005).また,人口の都心回帰をめぐっては,都心部への新住民の流入に伴い,地域に変容がみられるという報告もある(鰺坂ら 2014).
    都心回帰に関する地理学研究をみると,高層マンションに焦点をあてたものに一定の蓄積があり,そこでは供給構造や居住者特性が明らかにされてきた(久保 2010).また,既存研究では,主に大規模な再開発が行われた地域に関心が寄せられてきたといえよう.しかし,居住分化なども内包する都心回帰のメカニズムをより詳細に解明するには,様々な住宅や,多様な地域での人口回復に目を向けるとともに,新住民の流入に伴う地域への影響もみる必要があるだろう.
    そこで本研究は,住商工混合地域として特徴付けられる台東区を対象地域とし,近年,都心部を中心に展開のみられるシェアハウスについて検討する.具体的には,増加の背景を供給構造と居住者の意識の点から明らかにするとともに,居住者の地域との関わりを検討することを目的とする.
    対象地域と研究の手順
    近年,台東区では,人口の回復がみられる.具体的にみると,1960年に約32万人いた人口が,1995年には約15万人にまで減少した.しかし,それ以降人口は増加に転じており,現在約18万人(2010年度国勢調査)となっている.特に20~30代の人口増加率や,単独世帯の増加が顕著である.台東区には,これまで大規模な再開発を経てきた中央区などと異なり,高層マンションの供給戸数は比較的少ない.一方で,人口あたりのシェアハウス物件数は新宿区に次いで多い地域となっている.
    本研究は,以下のように分析をすすめる.まず,シェアハウス物件専用の掲載サイトを運営する,株式会社ひつじインキュベーション・スクエアが保有するデータを使用し,東京大都市圏におけるシェアハウスの分布の空間的特徴を示す.次に,台東区に物件をもつ不動産事業者8社へのインタビュー調査をもとに,供給面から都心部のシェアハウス増加の背景を検討する.続いて,台東区の4つのシェアハウスで配布したアンケートの結果(配布113枚,回収数23枚,回収率20.4%)と,8名へのインタビュー調査をもとに,居住者の特性や地域との関わりについて検討する.アンケート調査は2015年11月に実施し,また,インタビュー調査は2015年9月~2016年1月にかけて実施した.
    東京大都市圏におけるシェアハウスの分布の空間的特徴
    株式会社ひつじインキュベーション・スクエアのデータによると,2015年現在,全国に約2,100件のシェアハウスが存在しており,そのうち約9割が東京大都市圏に立地している.東京大都市圏のシェアハウスの分布をみると,物件の規模や数に関して地域差が認められた.規模については,都心3区ではマンションなどの大規模物件を,杉並区や世田谷区など23区西部では小規模物件を,郊外地域では社員寮などの大規模物件を利用したシェアハウスが多いという特徴がみられた.また,台東区や大田区のような住商工混合地域では多様な規模や形態の物件がシェアハウスに利用されていた.他方,物件数については,23区内に集中しており,特に杉並区や世田谷区など西側に多く分布していた.一方,23区内には,それ以外にも住商工混合地域をはじめ,シェアハウスの多く分布する地域がみられた.
    台東区におけるシェアハウスの展開と居住者の地域との関わり
    続いて,台東区におけるシェアハウスの増加の背景を検討する.台東区で不動産事業者がシェアハウス事業を行う主な理由として,新築よりも供給コストが安価な空き物件の活用が注目される中,台東区には空き物件が多く,物件の借用が比較的容易であった点が挙げられる.一方で,居住者をみると,20~30代の非正規雇用の地方出身者が比較的多い傾向にあった.シェアハウスへの入居理由については,費用の安さや入居手続きの容易さ,共同生活の楽しさが,また,台東区を居住地に選択した理由には,職場へのアクセスや地域の雰囲気が挙げられた.
    また,居住者の地域との関わりについては,祭礼行事への見学者としての参加のほかに,飲食店等での消費活動を通して地域住民と関係を構築しているケースが目立った.中には,担い手として祭礼行事に参加し,地域住民と継続的な関係を構築している居住者もみられた.
  • 中島 芽理
    セッションID: 519
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    Ⅰ.はじめに〈BR〉 断酒会とは,明治期に生じたセツルメント運動の流れを汲む日本禁酒同盟の活動を母体として,アメリカのAA(Alcoholics Anonymous)の手法を取り入れ,そこに「組織化」「実名」「会費制」という三つの要素を導入し, 日本的な組織として1963年に設立されたセルフヘルプ・グループである。セルフヘルプ・グループは医療からも福祉からも独立したヴォランタリーな組織であり,断酒会は,アルコール依存症である当事者同士の自助によって断酒を継続することを目的として活動している。断酒会の最も重要な活動は,例会に集い,自らの酒害体験を語ることである。〈BR〉 断酒会は治療のための組織であるが,他方で,「アルコール依存症」を構築する装置として機能していると考えられる。つまり,断酒会員は断酒会の活動を通して自身が「アルコール依存症」であることを内面化し,それを積極的に自身の主位的地位(ベッカー1993)とすることで,「アルコール依存症」となるのである。そして,断酒会活動を主軸とする生活こそが,支配的な社会規範のなかで生き抜くための戦略となっている。1990年代の文化論的転回以後,地理学においても,「障害」という概念が,社会的,空間的に構築されてきたものであることを解明し,健常者中心主義の社会に対して異議申し立てを行う,ディスアビリティ研究が蓄積されてきた。本発表の目的は,障害者が,いかにして自身固有の経験からアイデンティティや場所を再構築していくのか,というディスアビリティの地理学的研究を踏まえ,断酒会において,社会―空間の弁証法的関係を通じて,「アルコール依存症」が構築されるプロセスを明らかにすることである。はじめに,どこで,どのような理由から断酒会が形成されるのかを考察するために,断酒会の空間的展開過程を,活動の地域的差異や活性化の要因から明らかにする。次に,どのように,断酒会員が主体的に断酒会という「場所」を形成しているのかについて,明らかにする。〈BR〉Ⅱ.断酒会の空間的展開過程〈BR〉 断酒会発足の一次的な要因として,専門病院や保健センターからの働きかけが挙げられる。その理由は,まずは医療者から当事者に対し,当事者のみで断酒会を運営していく意義や手法を教示される必要があったためであると考えられる。現在も,ほとんどの会員が専門病院を経由して入会しており,断酒会の設立には専門病院の立地が大きく関係している。また,都市の大きさや人口規模に比例して会員数が多くなるわけではなく,断酒会の活動には地域的差異がある。例えば,近畿地方の人口は関東地方のおよそ半分であるが,断酒会の会員数は約1.3倍であり,地方別に見ると最も高い割合となっている。中でも,特に早い段階で設立されたのが大阪府の断酒会であり,現在でも,全国最多となる約900名の会員が所属し,盛んに活動が展開されている(図1)。豊山(2013)はその理由として,「大阪方式といわれる医療・行政・断酒会の連携体制」の強さを挙げている。断酒会活動の活性化の背後には,病院などの物的な立地,そして行政や医療の関与など,複数の重要な要因がある。また,人間関係といった,断酒会内部における,会員の個人的な要因から展開する場合もある。〈BR〉Ⅲ.断酒会という「場所」の形成〈BR〉 断酒会の活動を継続していこうとする会員は,断酒例会の時間までには終わる仕事に就く,職場の人間との付き合いを少なくし,会員との交流を深める,余暇時間も断酒会に関連した活動に充てるなど,断酒会を主軸とした生活を送るようになり,それに伴ってアルコール依存症であることを肯定的にアイデンティファイしていく。会員は断酒することを生活の第一義として,断酒会という集団を自己組織し,それによって,断酒会は会員にとって欠かせない「場所」となる。しかし,断酒会に抱く思いは各々の会員により様々である。本発表では,参与観察や聞き取りから,会員がどのように断酒会の活動を行っているか,そして,断酒会をどのような「場所」とみなし,形成しているのかについて,考察する。そこには,Young(1990:167)が提唱する「差異の政治」における,自身の特別な経験の肯定性を発見し,それを強化する目的を持つ独立した組織,という性格が認められる。〈BR〉文献〈BR〉豊山宗洋 2013.大阪方式による断酒会活動の社会運動論的分析.経済社会学年報35:218-220.〈BR〉ベッカー,H.S.著,村上直之訳1993.『アウトサイダーズ―ラベリング理論とは何か―』新泉社.〈BR〉Young,I.M.1990.Justice and the Politics of Difference.Princeton University Press.
  • 阪上 弘彬
    セッションID: 106
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ドイツ地理教育は、PISAショック以降、コンピテンシーに関する議論が展開した(Hemmer und Hemmer 2013)。2006年には、コンピテンシー志向の『ドイツ地理教育スタンダード(Bildungsstandard im Fach Geographie für den Mittleren Schulabschluss)』がドイツ地理学会(DGfG)によって刊行され、服部(2007)によってドイツの地理学力像が明らかにされた。しかしながら、コンピテンシーについては様々な議論や開発研究が展開されている。また州レールプランにおいて、コンピテンシーが設定される(Hemmer 2012)ものの、必ずしも『ドイツ地理教育スタンダード』が設定したコンピテンシーを全面的に反映しているわけではない。その中で、本研究の分析対象であるニーダーザクセン州ギムナジウム用のレールプラン『コアカリキュラム(Kerncurriculum)』では、『ドイツ地理教育スタンダード』の内容の多くが反映されている。この州の地理教育を分析することで、ドイツ地理学会が意図する地理教育・地理学習が、州レベルにおいてどのように具体化されたかを明らかにすることができる。また現代ドイツ地理教育が取り組むESD(持続可能な開発のための教育)に関しても、その具体的な目標、内容、方法を示すことができると考える。 本研究では、ニーダーザクセン州ギムナジウム用の地理レール、地理教科書(『TERRA』)の分析から、同州における地理教育とともに、持続可能な社会/ESDを視野に入れた地理学習の特徴について明らかにすることを目的とする。 『コアカリキュラム』では、「身近な、地域的な、グローバルな空間の全体像の発展、強化を保証すべきである」(2008, S.9)と示すように、地理学習では生徒の多様なスケールにおける地域・世界像の形成が目指されている。事例となる空間スケールに関しては、ドイツ地理教育の伝統である「近くから遠くへ(Nahen zum Fernen)」が採用されている。空間の観察方法に関しても、学年が上がるにつれて、空間を記述(空間をわかる)から議論(空間を説明する)、判断・評価(空間を形成する)へとより高次なものになっている。 また地理教科書『TERRA』は、ほぼ『コアカリキュラム』に対応した内容構成となっている。低学年では系統地理的なアプローチがみられる一方、高学年では地誌やその地域でのグローバル・イシューや持続可能な開発に関する問題に関する内容が多くを占めている。
  • メコンデルタの水田における節水型灌漑技術の事例
    山口 哲由, Luu Minh Tuan, 南川 和則, 横山 繁樹
    セッションID: 623
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    近年,環境保全型の農業技術がアジア諸国でも導入されているが,普及が順調に進まない事例が多く報告されている。本研究では,Alternative Wetting and Drying (AWD)と呼ばれる節水型の水田灌漑技術に着目し,その普及状況から地域と農業技術の結びつきを検討し,普及への課題を明らかにした。AWDは,イネの播種後の活着期と開花期を除いて間断灌漑をおこなう技術であり,これにより収穫量を減ずることなく水使用量を30%減らすことができる。AWDは,国際イネ研究所(IRRI)によって普及が試みられてきたが,ベトナム・メコンデルタ・アンジャン省(A省)を除けば普及は進んでいない。本研究ではA省チャウタン(ChauThanh)県ビンホア(BinhHoa)社の21世帯を対象にAWDの普及状況の調査をおこなった。
    再発明
    予備調査において,A省で実践されるAWDは,IRRIが提唱した標準AWDとは異なることが明らかになったため,分析では「再発明」という概念を導入した。再発明とは,新しい技術が採用と実践の過程で実践者によって修正される度合いのことを指す。A省でのAWDの実践で再発明が生じた背景を探ることを通して,地域と技術の結びつきをめぐる課題を考察した。
    A省の農業とAWD
    コメ輸出大国であるベトナムのなかでもA省は主要な生産地の一つである。温暖なメコンデルタでは水条件さえ整えば一年を通して水稲栽培が可能である。A省の年間降水量は1,300mm程度であるが大部分の降雨は5-10月の雨季に集中する一方で乾季(11-4月)にはほとんど雨が降らない。そのため1950年代以前は雨季に発生する洪水を利用した浮稲の一期作が主体であったが,1960年代からは水路整備と改良品種の導入によって洪水時期を除いた二期作が可能となり,2000年以降は洪水を防ぐ堤防とポンプ(ダイクシステム)の導入が進んで三期作が可能となった。集約化に伴ってコメ生産量は増加したものの,生産コストも増大したために農家の収入はあまり増加しなかった。そこで水利コスト削減を目的として2005年からAWDの普及が進められた。その結果,AWDの普及率は,2009年乾季には18%であったが,2013年乾季には47%にまで拡大した。一方で,実践されるAWDと標準AWDでは以下のような差異(再発明)が生じていた。
    (再発明1)水深計測パイプの不使用
    標準AWDでは,適切な給水時期を知るために穴を開けた塩ビパイプを埋設して地下水位を計測することが推奨されてきた。しかし「煩雑」という理由でパイプの使用しない世帯がほとんどであった。導入初期だけパイプを用いて給水時期を理解し,以降は土壌表面の状態で判断している世帯が多かった。また,水管理に関する聞き取りでは,圃場ごとの給水間隔は,圃場面積が大きくなるごとに短くなる傾向を示していた。圃場が大きくなると地表面の凹凸が生じ,圃場内部の乾燥と湿潤の差異が生じ易くなる。その影響を割けるため,大きな圃場では早めの給水を心がけている可能性が考えられた。その場合,一箇所に設置したパイプよりも圃場全体を直接観察する手法の方が,適切な給水タイミングを知るうえで適していたと考えられる。
    (再発明2)雨季におけるAWDの実施
    AWDは節水技術として開発されたが,A省では乾季と同様に雨季にもAWDが実施されていた。雨季にはダイクシステムのポンプによって定期的な排水がおこなわれており,ダイク内の水路水位が低下する。農家はこの時に水田の水門を開いて過剰な水を排出することでAWDを実施していた。雨季のAWDは灌漑費用の節減にはならない一方で,ほぼ全ての世帯がコメ生産量の増加を指摘した。常時湛水された水田では土壌の酸化還元電位が上昇し,硫酸塩が還元されて硫化水素が発生し,根腐れが生じ易い。特にメコンデルタでは広く酸性硫酸塩土壌が分布しており,顕著な根腐れも報告されてきた。この状況に対して雨季のAWDは,土壌の酸化還元電位を低下させることで根腐れの抑制しているのではないかと考えられた。
    まとめ
    A省ではAWDの順調な普及が報告されてきたが,その実践は標準AWDの手法とは異なっていた。農業技術は,地域の生態条件や社会状況と大きく関連しており,それゆえに普及の過程で再発明を受け易い。一方で近年は,環境親和的な技術の普及を推進するために技術認証制度が注目を集めている。技術認証制度では,実施に応じた補助金が支給されるが,そこでは推奨された技術内容の正確な実施が求められる。今後の農業技術の普及では,技術の再発明と認証制度との接点をどのように見出していくのかが課題になるのではないだろうか?
  • 阿子島 功
    セッションID: 1007
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.ペルー、ナスカ盆地のプキオ・システム
       極乾燥のペルー海岸沙漠のナスカ盆地に特有のプキオ・システムは、涸れ川の伏流水を利用するための [地下水道プキオ・開渠アセキア・溜池コチャのセット]を典型とする。地下水道はわが国のマイマイ井戸に似た縦坑(オホ)で管理され、伏流水は自然流下によって開渠・溜池を経て耕地に導かれる。盆地内の降水は少なく不安定であり、河川の水源は東側約50~80kmに分水界がある高度約4,000mのアンデス山地の西斜面に降る夏季の雨である。
    プキオシステムの形成年代はナスカ時代中期から(紀元後500年頃~)とする説と地下水道方式はスペイン時代とする説がある。 プキオ・システムの成立に関して、従来述べられていない「微地形との関係」を検討し、その成因仮説を得た(阿子島2015東北地理学会春)。その補強材料を述べ、さらに盆地中央のナスカ川にあって盆地北部のインヘニオ川にはないことからその成立条件を考察した結果を述べる。
     2.氾濫原の微地形からみたプキオ・システム
      ナスカ盆地のなかの礫漠の台地面の広がりに対して相対的に狭い開析谷底面(ナスカ川やインヘニオ川の氾濫原面)はriver oasisとなって人々の生活を支えた。 これらの河川では表流する季節が夏季の特に1-3月に限られるので、通年で伏流水を利用するプキオ・システムが作られた。現在は動力汲み上げ井戸が微地形を選ぶことなく点在し、プキオ・システムの管理が放棄されたものもある。
      ナスカ川中流では夏季の表流水を利用するため河岸堤防に取入口が設けられている。その位置は堤内地のなかの旧河道である。プキオ・システムの分布は、Schreiber and Lancho(1995,2002)が30を記載し、1:25,000地形図にナスカ川沿いに13が図示されているが、それらの精度では微地形分類図と重ね合わせができなかったので、プキオの位置を現地調査と人工衛星画像(QuickBird, GoogleEarth画像)によって読み取り、SRTM3(約100m格子)から作成した5~10m間隔等高線図と重ねた。その結果、プキオの多くは(堤内地の)旧河道に沿っていることがわかった。よって、「無堤であったナスカ時代などには、出水後に旧河道にそって一時畑が作られ、渇水時には水を求めて旧河道を掘り下げたことがプキオの始まり」と考えることができよう。渇水年にプキオを掘り下げた例、トレンチの壁からトンネル状に掘り進めようとした例、手指形の取水部の例がある。
    3.   構造からみたプキオ
       プキオ・システムは砂礫層を掘削し、野面石積みで壁が作られている。地下トンネル方式は、スペイン時代になってアラビアなどから移入されたとする考えがあり(Schreiber and Lancho 1995,2002)、小堀(1960)は言葉からイランのカナートなどとの関わりを示唆した。
       地下水位も季節変化がある。ナスカ川中流のOcongalla Puquio(取水部は氾濫原面から深さ約6mの開渠、通常水深0.3-0.5m程度)では、2014年12月には乾いて底がみえ、2015年1月にナスカ川に流水があらわれるとともに地下水位が1m強上がって上部の壁が崩壊した。このことは深い開渠の壁面は不安定であり、安定を図るために埋め戻して地下トンネル方式に改造したことを示唆している(従来は砂や塵を避けるためと説明されてきた)。Orcona puquioでは先頭はオホであるがすぐ多段の長方形の開渠となり、開渠区間を覆って埋めたように見える。
     4プキオの地形学的位置
       ナスカ川中流の氾濫原は扇状地河川の性格を帯びており、通常は伏流区間となっている。プキオ・システムは中流に多いが、下流のカワチ神殿付近にもプキオがあることが新たにわかったので、水不足が神殿の廃絶、中流への移動をもたらしたとう従来の考えはなりたちにくい。断層湧水がプキオを涵養する、さらに地上絵が断層位置を指示する説(Johnson,1988、Johnson et al ,2002)は妥当性を欠く(阿子島2008,2010)。
    5.ナスカ川氾濫原とインヘニオ川氾濫原の比較
     ナスカ盆地北部のインヘニオ川氾濫原には地下水道方式のプキオシステムが無い。河岸に取水門、堤内地に開渠と溜池がある。渇水季でも堤外地に浅い溝を掘って堤内地の開渠に導くことができているところもある。インヘニオ川中流はナスカ川中流に比べれば水を得やすいようである。
       インヘニオ川中流の表流・伏流区間は途中からの取水のためか断続的で複雑である。パンアメリカンハイウエイの橋付近では通年表流(2004-2015の観察)、その下流に伏流区間があり、再び表流する区間(LaBanda)もある。
  • ーーー18世紀後半から20世紀の英国の事例を中心にーーー
    橘 セツ
    セッションID: S1302
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    ガーデニングという行為は、多様な思想が言説や表象として表現される媒体であると同時に、庭園は人間が植物を栽培し審美的にデザインし管理することを通じて自然へ働きかける実践である。ガーデニングは、薬草、野菜、果樹など人間の生活に役立つ薬や食料を生産するという有益な側面をもつ。表題のキッチン・ガーデンとは、基本的には自給(自家消費)のため食料を生産する庭園のことである。本研究では、英国を中心に18世紀から20世紀にわたる庭園の歴史的な変遷のなかで、生産的なガーデニングを審美的な枠組みから考察する。本発表で扱う資料は、同時代の雑誌やガーデニング・マニュアルに描かれる図像や文字資料・文化遺産として近年復元されたキッチン・ガーデンの運用などである。本研究では、次の3つの側面について、時代の変遷に考慮しながらガーデニングの生産性と審美学について考察する:(1)キッチン・ガーデンは自然と人文的景観の結節点であり、温室などの人工的技術の発展を通じて科学技術の実験場であった。(2)キッチン・ガーデンのスケールは、大きなエステートから小さなコテージ・ガーデンまで多様である。貴族や地主の地所のキッチン・ガーデンはおおむね1エーカー以上の規模で、家畜も飼育され、基本的には地主の家族と住み込みで雇用される地所の人びとが消費する食料を賄った。いっぽう、18世紀の末には、労働者の自助による救貧(経済活動・生活向上)のために小規模なコテージ・ガーデンやアロットメントを増産しようという社会思想・運動・政策が試みられた(Bernard, 1797など)。同時にコテージ・ガーデンはピクチャレスクとして美的に描かれる対象ともなった。(3)近代の家庭(ホーム)の主婦が営む家庭菜園は、しばしば幸福の象徴として家庭化された景観(domesticated landscape)として美的に、同時にジェンダー化され、政治的に描かれた(Page and Smith, 2011)。また、この(1)(2)(3)の側面について、20世紀の2つの世界大戦を契機に、とくに第2次世界大戦のDig for Victoryキャンペーンなどを通じて、どのようにガーデニングの生産性と審美学が変容したのかについても注目する。
  • 福田 珠己
    セッションID: S1303
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    日本における棚田保全という社会的現象について、写真媒体に注目することによって、審美性という視点から考察する。
  • 海上から陸上への津波避難行動における船舶着岸場所の影響
    森田 匡俊, 服部 亜由未, 江見 友作, 小池 則満, 中村 栄治
    セッションID: P019
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    本研究では,海上から陸上への津波避難行動時に,港湾内における船舶の着岸場所が,その後の避難行動にどのような影響を及ぼすかを検証し,より良い着岸場所を検討することを目的とする.
    海上において津波発生に遭遇した際,津波の影響を軽減できる水深まで船舶を移動させる「沖出し」が,船舶関係者間で定説となってきた.しかし,東日本大震災時,沖出しにより被災した事例もあった.特に,陸地近くで操業する小型船舶の場合には,地震発生時に海上にいたとしても沖出しではなく,海上から陸上の高台へ避難することを検討しておく必要がある.
    海上から陸上への避難に際しては,船舶を港湾内のどこに着岸するかによって,津波避難場所までの避難行動が異なる.たとえば,避難場所に通じる道の近くに船舶を着岸すれば,短時間で避難場所に辿り着くことが可能である一方,避難場所から遠く離れた場所に着岸すると陸上での避難行動に時間がかかってしまう.船舶での移動速度の方が徒歩での移動速度よりも早いことが一般的であるので,海上から陸上への避難に際しては,港湾内のどこに船舶を着岸させると最も迅速な避難行動が可能であるのか検討しておくことが重要である.
    本研究では,三重県度会郡南伊勢町の港湾を対象とし,複数の想定着岸場所からの調査員による避難行動記録をGPSによって取得し,より良い着岸場所を検討する.
    ◆対象地域
    対象地域は,三重県度会郡南伊勢町とする.南伊勢町は海岸線延長が245.6㎞におよび,南海トラフ巨大地震による甚大な津波被害が想定されている.最大津波高22m,津波到達時間は最短で8分と予測されている(内閣府 2012).
    ◆GPS調査概要
    想定着岸場所から津波避難場所までの避難行動を,愛知工業大学および岐阜聖徳学園大学の調査員(教員と学生)が腕時計型GPSを装着して実施した.事前に実施した同町の漁業者へのアンケート調査では,母港以外であると,避難場所あるいは避難経路が分からないという回答が半数を超えていた.そのため調査員には避難場所および避難経路を知らせずに,想定着岸場所からの避難行動を実施させた.なお調査員のほとんどが担当港湾を初めて訪れた.
    ◆GPSデータ分析結果
    調査員の避難行動のGPSデータを分析した結果,着岸場所によって避難場所までの到達時間に小さくはない差異の生じることが分かった.また,着岸場所の違いによって,避難誘導標識を発見できるかどうかにも影響のあることが分かった.発見できなかった場合,道に迷ったり,避難場所に到着できなかったりする調査員が複数いた.津波避難時には,母港ではなく最寄りの漁港へ着岸する可能性もあり,地元住民であっても本研究の調査員と同様の事態に遭遇することが考えられる.今後,避難場所への移動がスムーズに行えるよう,避難場所に近い港湾内の岸壁を着色しておくといった対応が必要である.
  • AR(拡張現実)技術の導入
    伊藤 悟
    セッションID: S0201
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    【シンポジウム開催の背景と目的】
    高等学校までの学校教育におけるGIS利用をテーマとしたシンポジウムは、日本地理学会学術大会の場で過去三度開催された。最初は、2003年春季大会におけるもので、そのタイトル「学校教育におけるGIS利用の可能性を探る」の通り、GISの教育利用の可能性が議論された。次は2004年秋季の「教育現場におけるGIS活用の課題と方策」と題したシンポジウムで、GISを教育現場に導入する際に、どのような問題があり、それをいかに克服するかがテーマとなった。さらに2006年春季のシンポジウム「小中高の授業でGISをどう使うか」では、GISを授業で実際にどのように活用できたかを、豊富な実践例に基づき検討した。
    これら三度のシンポジウムいずれにも、オーガナイザーとして関わったが、この度10年ぶりに、この種のシンポジウムを企画したのは、主に2つの背景からである。一つは、高等学校の学習指導要領改訂に関わって、必修科目として「地理総合」(仮称)の設置が検討されていることである。そこでは、防災などとともに、GISの活用が重要な柱になると見込まれている。1995年、高校地理Bの教科書に「地理情報システム(GIS)」の用語が登場して以来、学習指導要領の解説そして本文へと、この語が言及されるようになり、その内容も用語紹介から授業者の利用、学習者の使用へと次第に拡大してきた。GIS利用を一つの柱とする「地理総合」が必修科目としてスタートすれば、授業者・学習者ともに従前より増してGIS利用への取り組みが求められるわけである。
    いま一つの背景は、GISに関わる新たな技術・概念の登場である。なかでも、拡張現実や強化現実と邦訳される“Augmented Reality”(略称AR)は、地理教育において景観や地図から背景を探るなどの際、利用価値の高い技術であり、パソコンのみならず、近年広く普及したタブレットやスマートフォンでアプリケーションを容易に稼働できるものでもある。このARを導入すれば、より容易に、かつ魅力的な形でGISを教育現場で活用できよう。
    以上を背景に、新たな時代に対応したGISの教育利用を議論することを本シンポジウムの目的とした。
  • 宮口 とし;廸, 中川 秀一
    セッションID: S0101
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    ここでいう農山村は、大規模化による効率的な農業が可能な平野部の農村を除いた、中山間地域に重なる地域をイメージしており、そのほとんどが過疎地域に指定されている。
    この数年、農山村に対する関心が高まり、多くの著作が刊行されている。さらに、農山村に定住を希望する世代が、50歳代から20~30歳代にシフトしているといわれる。
     農山村のほとんどは人口減少と高齢化が続いているが、宮口は、早くから国レベルでの人口減少時代の到来を見据え、特に過疎地域では、減少を前提とした地域社会の再構築を考えるべきだと主張してきた。そこで基本に置くべきは、成長する都市とは異なる、暮らしの場としての農山村の地域社会の価値である。実際、多くの農山村においては、人口減少・高齢化のきびしい数値にもかかわらず、元気な高齢者の姿が目立つ。

    政策の上での地域認識
    5番目の全総計画21世紀の国土のグランドデザイン(1998)では、拡大成長に濃く彩られたそれまでの計画に対して、多自然居住地域の創造という戦略が盛り込まれた。小都市・農山村地域が、さらなる成長が期待される県都クラスの都市とは異なる戦略を持つべきという趣旨に大きな意味があったと考えている。
    さらに現行過疎法(2000)では、「多様で風格ある国づくりへの寄与」「国民が新しい生活様式を実現できる場」などが過疎地域の役割として記述され、農山村が都市とは別の価値を持つ存在であることが、国の政策にも反映される流れが生まれた。

    地域おこし協力隊の制度化
    その後総務省は2008年に集落支援員、2009年に地域おこし協力隊を制度化した。これは人材不足に悩む地域の、補助金よりも補助人をという要望に応えたものでもある。特に地域おこし協力隊は、都市の比較的若い世代が農山村で暮らすことに強力な道筋をつけ、田園回帰と呼ばれ始めた流れに大きく貢献している。

    社会論的価値と人間論的価値
    ここでいう農山村地域は単純な生産力という点ではかなり低位にあり、高齢化も極度に進んでいるが、集落には地域社会としての支え合いがあり、われわれはこれを社会論的価値と考えたい。また、小規模な農林業には人が自然を巧みに利用するワザが蓄積されており、これを人間論的価値と受けとめたい。そしてこれらは、地域に入る若者にとって農山村の持つ大きな価値と受けとめられている。

    シンポジウムの構成
    シンポジウムは趣旨説明に続いて、近年農山村について積極的に発言している研究者3名から、中條氏の高齢者像の再構築につながる農山村の価値の提唱、筒井氏の新たな都市農村関係ととらえられる「田園回帰」の実態と展望、作野氏の最近の人の移動を踏まえた農山村の暮らしの場としての価値の提示、という報告が続く。そして行政関係者として、限界集落という用語のきっかけとなった大豊町長の岩崎氏から、きびしい過疎山村の中での森林の活用の動きを、地域自治組織の再編の中で積極的に地域おこし協力隊を活用している朝来市の馬袋氏からはその実態を報告してもらう。これらに対する小田切・宮地両氏のコメントの後、意義のある総合討論を期待したい。
  • 加藤 伸弥
    セッションID: 923
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    Ⅰ はじめに
    2013年に愛媛県内の地歴公民科教員を対象として実施されたアンケートによると、GISを実際に授業で利用したことがある人は少ないものの、GISソフト・地図閲覧サイトを用いた授業を「やってみたい」という人は調査対象の60%前後存在している(加藤 2015)。
    本研究では、GISソフトを実際の授業で使用し、生徒への確認テストやアンケートをもとに地理学習におけるGISの活用の有効性について検証し、その汎用性や課題について考察する。
    Ⅱ GISを活用した授業実践
    2014年5月と2015年5月に、愛媛県立松山東高等学校の2年生を対象としてGISを用いた授業実践を行った。授業内容は地理Bの「地図の活用と地域調査」で、主に尾根線・谷線の理解を目的にカシミール3Dを活用した。まず、2万5千分の1と5万分の1地形図における等高線の種類について教員が説明し、次に生徒に単純な小山の等高線から地形断面図を描画させた。その際に教員から尾根線・谷線について説明した。その後、教室から見える景観の地形図を,カシミール3Dを用いて表示した。地形図の画像は真上から見たもの平面のものと,斜め上から見た鳥瞰図の2つを描画し、より立体的に見せることによって理解の定着を試みた。さらに、練習問題として山地(石鎚山系)の地形図をカシミール3Dによって等高線のみの白地形図に加工し、尾根線・谷線の記入およびそれからわかる集水域や視認域を問う問題を作成して実施した。図中には尾根は赤線、谷は青線で加筆し、どこが尾根でどこが谷かを見た目で判断できるようにした。さらに最後には、7~8分程度の時間を使って尾根線・谷線の読み取り、縮尺の判別、比高・面積・集水域等を問う計10問の確認テストを実施した。
    以上のようなGISを用いた授業の効果を検証するため、2クラス(生徒人数70名)ではカシミールで作成した画像を用いずに等高線や尾根線・谷線の説明をして確認テストを行い,その後にカシミールで作成した鳥瞰図を示した解説を行った(パターン①)。一方、2クラス(71名)ではGISを用いた授業のみを行った(パターン②)。確認テストには授業のわかりやすさや理解の深まりを問う簡単なアンケートも付した。パターン①では授業を2回行うため、同一の確認テストを2回行った。アンケート部分もほぼ同一の内容で実施した。
    Ⅲ GIS活用の効果
    本研究の結果として、GISの効果は、読図や空間認識が苦手な生徒により強く表れることが判明した。
    カシミール3Dを用いた授業では、授業を受けた生徒や見学した教員の反応は非常に良く、従来の紙媒体の地図と説明のみの授業では得られなかった手応えを感じることができた。実際にGISを用いない授業と、GISを用いた授業を両方行ったパターン①のクラスでは、半数以上の生徒がGISを用いた方がわかりやすかったという感想を述べている。確認テストの結果からも、GISが生徒の理解の妨げになることはなく、得点の低い生徒の点がより上昇する効果は確実にあると判断できる。
    アンケートの結果からは、尾根線・谷線の理解について、パターン①の生徒は1回目よりも2回目の「よく理解できた」が大きく上昇した。また、パターン②のアンケート結果では、「尾根線・谷線が理解できたか」という質問に対して「まったく理解できなかった」「苦手」「できない」と否定的な回答をする生徒がいずれも極めて少なかった。否定的な回答をする生徒が減ったというのは、地理全体および読図や空間認識の理解がより苦手な生徒にとってGISが有効であったということに他ならない。
    Ⅳ まとめ
    読図や空間認識は感覚的な要素が多く、今までそれが苦手な生徒についての有効な指導は確立されていなかった。しかし、GISを活用することで感覚的な部分を補完して理解を促進できると考えられる。これは、苦手なものはしょうがないと手をこまねいていた現状をGISの利用によって改善できる可能性を示唆するものであり、尾根線・谷線だけでなく、それ以外の分野での利用を開拓していけば、より効果が期待できるものと思われる。また、今回使用したカシミール3Dの基本的な利用方法は短時間で習得でき、教師側の負担は大きくはなく、少ない労力で大きな効果が得られるといえる。
    今までGISを利用するというと、生徒にパソコンで何らかの地図を作らせるということを最終目標にする例が多かった。しかし、設備や授業時間などの現状を考えると教員がGISソフトで作成したものを生徒に見せるということに特化していった方がより現実的である。紙の地図とGISとを組み合わせて、最も効果的に教室で生徒にみせるという発想に転換するべきである。
    なお、本発表は2015年3月に愛媛大学大学院教育学研究科に提出した修士論文の一部である。
  • 佐藤 裕哉, 佐藤 健一, 原 憲行, 布施 博之, 冨田 哲治, 原田 結花, 大瀧 慈
    セッションID: P085
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    原爆被爆による放射線の人体へのリスクは,直接被爆のみでは十分に説明できず,間接被爆も考慮に入れる必要性がある(冨田ほか 2012).間接被爆による健康影響に関する研究としては,広島原爆において入市日の差を取り上げたものがあり(大谷ほか 2012),8月6日から8日にかけての入市者は9日以降の入市者よりもガンによる死亡リスクが高いことが示されている.しかしながら,移動経路の長さや通過した場所は考慮されていない.これらの差異によって放射線曝露の状況と健康への影響は異なると考えられるため,地理学的な研究が必要とされる.そこで,佐藤ほか(2014)では地理情報システムを用いて入市被爆者の移動経路の解析を行った. 次の段階として,本研究では移動経路の差異に注目し広島原爆入市被爆者の放射線による影響の評価を行う.具体的には,総移動距離や移動経路のうち爆心地からの最短距離と死因との関係について分析する.<BR>入市被爆者のデータについては1973~74年に広島市・広島県が実施した「被爆者とその家族の調査」(家族調査)を用いた.この調査では入市被爆者へ移動経路などが質問されており,42,355人が回答している.この調査票から入市日と移動経路,入市した目的などについてデータ化した.次に,「米軍撮影空中写真(1945年7月25日撮影)」を用いて被爆当時の道路網のデータを作成した.また,「米軍撮影空中写真(1945年8月11日撮影)」や被爆証言や市史,新聞記事などを用いて通行不可地点(バリア)のデータを作成した.移動経路(経由地)は1945(昭和20)年の町丁目の重心座標とした.家族調査では,移動経路を当時の町名で記入するように求めているからである.これらのデータをもとにArcGIS Network Analystのネットワーク解析で各人の移動経路を描画し,総移動距離,移動経路のうち爆心地からの最短距離,を計算した.なお,最短距離の計算には,ArcGISの空間結合(Spatial Join)ツールを用いた.そして,その計算結果をもとに,広島大学原爆放射線医科学研究所が管理する「広島原爆被爆者データベース(ABS)」と照合し,各人の移動距離と死因について分析した.死因は「悪性新生物」,「その他」,「未記入」で3分類し分析した.白血病は,放射線障害の代表例であるが,1例のみであったため本研究では「その他」に含めた.<BR>被爆時年齢と総移動距離をみると,性差や年齢差はみられない.5歳以下で10km以上の移動をしているものがみられたが,これは親に背負われて移動したものと考えられる.アンケートの欄外にそのように記載しているものもいた.  被爆時年齢と爆心地からの最短距離をみても,性差,年齢差はみられない.半数以上が残留放射線のリスクが高いと考えられる爆心地から500m以内に立ち入っている.佐藤ほか(2014)で指摘したが,曝露状況に関する詳細な情報(爆心地の情報や残留放射線の情報)がなかったからだと推察される.なお,2km以上が1人みられるが,これは各経由地を最短距離で描画したことの弊害であろう.  総移動距離が長く,最短距離が近いほど悪性新生物が死因となっている場合が多い.特に,最短距離に着目してみると,爆心地から500m以内に多い傾向がみられる.ただし,正確な評価のためには,今後,データ数を増やし,入市者の被爆時年齢や追跡期間の長さ(到達年齢)との関係についての多変量解析を適用した定量的評価が必要であろう.  一方で,爆心地付近での滞在時間についても放射線の暴露状況を考える際には重要だが,データがないため分析できていない.また,入力されている地名が大雑把な場合は移動経路が正確にはならず移動距離の算出精度も落ちる,など問題点も多い.今後は,証言などを用いるなどデータを補いながら実相解明を目指して行くことが重要である.
  • 福井県立武生高校における野外調査の授業実践
    久島 裕, 伊藤 悟, 鵜川 義弘
    セッションID: S0204
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    ARシステムの活用を試みた本授業では、観光ルートの策定をテーマとした。すなわち、生徒自身が市役所の観光課に勤務しているものと仮定し、市外から来た観光客向けの観光マップに記載する観光ルートを考案することとした。当日の参加者は高校生2人1組のペア3組と指導する教師(授業者)1名である。
    授業者が各組共通に指定した3か所の観光スポットを結ぶルートの策定を求める一方で、「安全性(見通しのよさ、交通量、迷いやすさ)を意識したルート」、「商業性(観光客による商店の利用期待)を意識したルート」、「景観性(風情のある小道、歴史的な建物、自然)を意識したルート」のように、組ごとに相異なるテーマを意識しながらルート策定を行なうものとした。
    実施場所は高校から近い武生駅前商店街とその周辺である。上記で指定した3か所の観光スポットを含めて20か所近くのスポットをコンテンツとしてシステムに組み込み、それらの位置がエアタグで表示されるようにした。
    授業は60分の間に、まず、全員が一緒に出発地点からjunaioを使って歩き始め、3つの観光スポットの位置をエアタグでたどり、各地点に到着できたら紙の地形図に場所をチェックした。三つ目の観光スポットの位置を紙地図上でチェックできた後は各組に分かれ、タブレット内のエアタグと、周囲の様子を確認し合いながら観光ルートを思考、議論しながら回った。その際、ルート策定において重要と思われる要素(建物、道路、その他)があれば、タブレットを利用して撮影を行うこととした。 終了5分前までに出発地点に戻り、各組で考えた観光ルートを紙の地形図に赤ペンで書き込んだ。
    ARシステム活用の効果としては、(1) 紙の地図と違い、画面を通して実際の様子を把握できるため、テーマに即した思考・判断が可能、(2) 紙の地図では城下町の街路形態から道に迷いやすいが、目的地の「方向」や「距離」を把握しやすい、(3) 調査時の生徒の楽しそうな様子から、生徒の関心・意欲の向上には大きく寄与した、などが考えられた。
  • 中辻 享
    セッションID: P051
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    <B>Ⅰ.目的と意義</B><BR> この発表では、第二次インドシナ戦争(1964-75年)、社会主義化(1975-86年)、市場開放(1986-現在)というラオスの現代史の中で、山地民の暮らしがどう変化してきたかを、主に土地利用面から考察したい。そのため、1945年から1998年までに撮影された対象地域の9時点の航空写真とCORONA衛星写真(以下、まとめて空中写真と呼ぶ)を解析し、これに住民への聞き取り調査をあわせることで、集落分布、焼畑と水田の分布と面積が時代とともにどう変化したか、そこにはどんな要因があったかを明らかにする。<BR> ラオス山村の土地利用変化を第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)以前までさかのぼって明らかにしようとすることの意義は大きい。なぜなら、この戦争がラオスの山地民に与えた影響はきわめて大きかったからである。戦闘の多くは山地でなされたため、山地民の多くがこの時期、移動を繰り返した。そのため、戦争前後で山地部の集落分布や土地利用は大きく変化したのである。にもかかわらず、この間のラオス山地部の土地利用変化をとらえた既往研究はわずかしかない。また、この発表で扱う9時点の空中写真のうち、7時点は戦争前後の1940-70年代に撮影されたものである。つまり、戦争前後の写真が多いことから、戦争が山地民の土地利用に与えた影響をより詳細に把握できる。<BR> 対象地域はラオス北部ルアンパバーン県シェンヌン郡カン川流域の7ヶ村(116㎢)である。発表者はこの地域でこれまで十数年調査を続けている。今回の発表では、発表者が調査を開始する前に、この地域の土地利用がどう変化してきたのかを明らかにすることになる。<BR><B>Ⅱ.方法<B/><BR><B>(1)対象地域の空中写真の入手と解析<B/> 対象地域の写る1990年代以前のものを入手した。まず、航空写真としては、1945年2月、1959年2月、1982年2月、1998年12月のものが入手できた。<BR> また、米国の初代軍事偵察衛星により撮影されたCORONA衛星写真については、1961年12月、1966年2月、1967年2月、1967年5月、1975年12月のものを入手した。<BR> これら空中写真は、GIS上での重ね合わせが可能となるよう、オルソ補正を行った。さらに、オルソ補正済みの写真について、各時点の集落と焼畑、水田を抽出した。これにより、集落と焼畑の分布の変遷、焼畑面積の変遷、水田開拓の過程が明らかとなった。<BR><B>(2)現地調査<B/> 聞き取り調査では、各対象村で、空中写真の撮影された各時点の人口、生計、土地利用に関してデータを収集した。また、すでに消滅した集落については、その跡地を実際に訪問するとともに、その住民の人口、生計、居住年数、移住理由などに関して、当時の記憶を有する人々から聞き取り調査を行った。<BR><B>Ⅲ.結果<B/><BR> 集落と焼畑の分布の変遷は標高による違いが見られた。集落分布に関しては、戦争前後の<高地での分散・移動型>から1980年代以降の<低地での集住・定住型>への移行が顕著である。すなわち、1940年代から70年代初頭まで、高地には多数の集落が散在し、その形成と消失が頻繁に生じていた。これは戦争の影響で、人口の流入と流出が繰り返されていたためである。人口が一時的に多くなった地域では、1960年代に焼畑面積がピークとなった。一方、低地では、1960年代まで集落が少なく、焼畑面積も小さい。低地では1960年代後半に道路が造成され、1970年代初頭に戦争の避難民が集住して以降、人口が増加した。<BR> 社会主義政権樹立後の1980年代以降は、集落の分布が安定する。ただし、1990年代以降は高地の集落を低地の幹線道路沿いに移転させる事業が行われたため、いくつかの高地集落が消滅した。このため、低地への人口と農地の集中が進んだ。<BR>(本研究はJSPS科研費25580178の助成を受けた。)
  • 宇都宮市を事例として
    阿賀 巧
    セッションID: 612
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    <B>1.はじめに</B><BR> 地方都市の中心商業地では郊外化の進展とともに買回り品の供給機能が縮小する一方で,アニメ・コミック・ゲームに関連する商品を取扱う「オタク」系の店舗の集積地が形成されつつある.本研究はこの地方に新たに成立した「オタク関連商業集積」に注目し,商業集積研究の観点からその形成過程の解明と地理学的な位置づけを図った.<BR>そこで本研究は,全国スケールの商業集積形成の動向とオタク系ショップの出店動向を把握した上で,栃木県宇都宮市を事例として,2015年9月中旬から11月上旬にかけて聴き取り調査およびアンケート調査を実施した.宇都宮では,商業ビル「フェスタ」とその周辺にオタク系ショップが集中している.フェスタは2001年に若者をターゲットとしたファッションビルとして開業したが,2010年前後には売場の大半がオタク系のテナントで固められるようになった.当日の発表では,このフェスタの来店者に対して行ったアンケート調査の結果を中心に報告する.<BR><B>2.オタク関連商業集積の形成過程</B><BR>2000年代を通してオタク文化は若者全体に広く浸透し,新たに参入したライト層がオタク市場の多数派となった(オタクのライト化).「ライト化」に伴う市場の拡大はオタク系ショップに出店の機会をもたらし,特に低価格商品を取扱う全国チェーン店が地方進出を加速させた.その際,多くの全国チェーン店で郊外ではなく中心市街地への立地が志向され,かつ集積の利益を求めて互いに近接立地する傾向が観察された.また,「ライト化」は偏見に晒されがちなオタク文化に対して地域の各主体が持つイメージの改善にも寄与した.<BR>一方で地方都市の中心市街地では,若者をターゲットとしたファッションビルやファッションストリートが相次いで成立したが,次第にそれらファッション関連商業集積同士で競争が激化し,一部の経営者に差別化の誘因をもたらした.その結果,2010年前後からオタク系ショップの集客力を認識した商業施設の経営者によって,オタク系テナントが積極的に誘致されるようになった.この段階において,それまでは個々の店舗の出店戦略に基づいて自然発生的に形成されてきたオタク関連商業集積は,1つの商業施設の内部に「計画的」に形成される傾向が強くなったと考えられる.<BR><B>3.オタク関連商業集積の位置づけ</B><BR>まず,オタク関連商業集積は地方都市の中心市街地にあってなおも、買回り品的な性質を持つ商品によって広域の商圏を維持するということを指摘できる.店舗構成の面では,商業集積における全国チェーン店のウエートが高いという特徴が観察され,この点で個人経営者による小規模店舗が多数存在するとされる大都市圏のオタク街およびファッションストリートと対比される.さらに,商業施設の経営者はオタク系ショップにファッションと同じく広く若者を集客することを期待するため,地方のオタク関連商業集積はファッション関連商業集積に準じる存在と考えることもできる. <BR>また宇都宮の事例から,コアな消費者が商業集積を安定的に支える一方で,来店頻度は高いが支出額の少ないライトな消費者が来店者の多数を占めることが明らかとなった.地方都市の「オタクの街」は「ライト化」した現代のオタク市場の特徴を強く反映し,オタク文化を好む若者の交流の拠点として機能しつつある.
  • 鵜川 義弘, 福地 彩, 伊藤 悟
    セッションID: S0203
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    AR 拡張現実アプリ Junaio
    拡張現実とは現実環境に情報を付加して見せる技術で、カメラ、GPS、コンパス、モーションセンサーを持つスマートフォン(スマホ)の出現により、画面に映し出される生の映像の中にGIS地理情報システムから得た情報を重ね合わせて見せる「位置情報型AR」として利用できるようになった。 スマホARアプリJunaioを使用すると、地理情報を保存する自前UNIXサーバと連携させることにより「自分たちが表示したい情報」を「表示したい緯度経度の位置」に、スマホの画面に浮かぶ「エアタグ/バルーン」として出現させることができる。 Junaioにはコンパスとモーションセンサーを用いてカメラを向けた方向の別画像を見せるパノラマモードが存在し、別の日時に撮影したパノラマ写真を表示して、同じ方向に見える現実の風景と比較することもできる。
    Googleスプレッドシートの利用
    Junaioの地理情報は、自前UNIXサーバにXMLという言語で書いてアップロードしなければならないが、これをUNIXサーバの操作知識を持たない教員が登録/変更するのは難しい。そこでExcelの表と同様だが、インターネットに接続されているWebブラウザから利用できるGoogleスプレッドシートを用いることにした。このシートはユーザを編集者として登録すれば、同じ表を共有して同時に編集することも可能である。自前UNIXサーバ側では、シートの内容をPHP言語のfile_get_contentsという方法で読み取りJunaioに転送する。このことにより、登録・編集が簡単で教員の変更内容もリアルタイムに反映できるようになった。
  • 初澤 敏生
    セッションID: 306
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    東日本大震災にともなう津波と、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質を大量に含んだ汚染水の流出により、いわき市の水産業は大きな打撃を受けている。震災から5年近くが経過した2016年1月においても試験操業が続き、いつ本操業に移れるのか、見通しは立っていない。本報告では福島県いわき市の沿岸漁業を例に、震災後の動向をとらえた上で、それが直面するいくつかの課題について検討を加える。なお、いわき市の沿岸漁業はいわき市漁協が管轄しているため、ここではいわき市漁協の資料に基づき検討を進める。
    東日本大震災によるいわき市の沿岸漁業被害は、人的被害は死者・行方不明12名(正准組合員のみ)、漁船被害は242隻に上る。また、市場などの陸上施設は、そのほとんどが破壊された。
    漁船の被害状況を見ると、2011年3月11日現在、いわき市漁業の登録漁船数は348、そのうち沈没61、行方不明(流出)122、破損34、打ち上げ25の被害を受け、無傷で残ったのは106隻だった。無事な船が多いのは、震災時は操業日で、多くの船が沖合で操業中だったためである。いわき市漁協所属漁船数の推移を見ると2011年中に多数の漁船が復旧している一方で、その後の回復は頭打ちとなっている。いわき市漁協の所属船は小型のものが多く、震災時には1t未満船が45%、1~5t未満船が35%を占めた。このため、復旧は速かった。にもかかわらず、その後の復旧が頭打ちとなっているのは、高齢化が進展しているためである。小型船を所有している漁家は家族による小規模経営であることが多く、跡継ぎも多くはない。そのため、再投資をして船を復旧することをためらう者も少なくない。いわき市漁協の組合員数が震災後、急速に数を減らしているのはこのためである。報告者の行った聞き取り調査によれば、2015年末の段階で4t以上の規模の船はほぼ復旧を終わっており、今後の増加は10~20程度にとどまるのではないかとの見通しが示された。規模の大幅な縮小は避けられない状況である。
    震災後、福島県の漁業は操業できない状態が続いていたが、各種の調査の結果、漁場と魚種を限定することにより、安全性を確保する見通しがついたことから、福島県北部の相馬双葉漁協では2012年6月から、いわき市漁協では2013年10月から開始された。いわき市での再開が遅れたのは、放射性物質による汚染がいわき市側の方がひどく、安全の確認に時間を要したためである。その後の調査によって操業海域と対象魚種は次第に増加し、2015年末の段階で71種の魚介類が対象となっている。しかし、操業は週1回に限定されており、2014年度の水揚げ量は約98tにとどまっている。2010年のいわき市漁協管轄の漁港での水揚げ量は8674tであり、その1.1%にすぎない。
    また、水揚げの大幅な減少は仲買人にも大きな影響を与えている。いわき市では2015年末の段階で30名の仲買人が活動しているが(内1名は避難地域からの避難者)、十分な水揚げが確保できていない。そのため、仲買人が組合を結成し、漁協と仲買人組合での相対取引が行われている。しかし、仲買人側の利益は少なく、流通を維持するためにも操業の拡大が求められている。
    この他にも、市場の復旧や東京電力による賠償問題などさまざまな課題が存在する。発表時には、それらの課題についても検討を加える。

  • 大津市街の壬申地券地引絵図と地籍編製地籍地図に注目して
    古関 大樹, 西村 和洋
    セッションID: 702
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    盛んに研究利用される明治の地籍図だが、これは5つの段階(①壬申地券地引絵図、②地租改正地引絵図、③地籍編製地籍地図、④地押調査に伴う地図、⑤更正地図)があり、地域ごとで作られた種類や地図の性格が大きく異なる。近世から近代の過渡期に作製された資料で、①や②は検地に倣って農民が土地調査や地図作製を行った場合が少なくなかった。地域によっては和算家の参画もみられ、明治の地籍図の地域差は、近世末の豊かな絵図文化を示すものとして注目される。並行して西洋の測量技術が導入された一方で、その進捗には大きな開きがあり、明治22年施行の土地台帳制下でも、大きな地域差は解消しなかった。同制度下の旧公図は、現在の登記情報の基礎となっている。そこにみられる地域的差異や地域固有の慣習は、現在の法制度や土地行政でも大きな障害とみなされている。このように明治の地籍図の基礎研究には、その資料的性格を明らかにするだけでなく現代的な役割も求められている。地方別の基礎研究が増えてきているが、地域固有の性格を帯びた資料であるため、残された課題は多い。
    本発表では、大津市街地の明治の地籍図の成立過程と資料的性格を考察する。地租改正は、徳川時代の町場を対象とした(1)市街地券発行地、一般耕宅地を対象とした(2)郡村地券発行地、(3)山林原野及その他雑種地で土地調査や地価の算定方法などが異なっていた。そのため、 同じ府県内でも(1)~(3)で異なる性格の地図が整備された場合もある。県内では、大津町・彦根町・長浜町・八幡町(近江八幡)が市街地券発行地となり、それ以外は郡村地券発行地とされた。なお、大津町の範囲は、豊臣秀吉が整備した大津百町と呼ばれる空間を指し、膳所城下や坂本門前などを含まない。

    明治
    7年の壬申地券地引絵図
    市街地券発行地は、郡村地券発行地に比べて基礎研究が非常に乏しい。第二次世界大戦の戦災被害が少なかった大津市では、戦後も明治の地籍図が市役所で利用され(現在は大津市歴史博物館に移管)、県立図書館にも対になる資料が残されている(県の重要文化財)。
    滋賀県では、明治6年を中心に郡村地券発行地で壬申地券地引絵図が整備された。大津町は少し遅れて開始されたようで、明治6年7月18日の県庁文書に具体的な指示がある(県政史料室、簿冊番号:明41、編次:52)。この布達は、両側町ごとに一町限ノ図と野帳を作り、旧沽券に拘らず現地の反別を一筆限り取り調べるようにとある。佐藤甚次郎によると、東京など市街地券の調査が先行した地域では、実地丈量を伴わず、旧沽券との比較で進んだ場合があったというが、大津では抜本的に実地調査が行われたようである。この布達によると、一町限ノ図の完成後に各区ノ絵図をまとめ、これらを接合して大津町全図を作るようにとある。それぞれ対応する古地図が大津市歴史博物館などで現存している。
    郡村地券発行地の壬申地券地引絵図の縮尺は約1/600だが、大津町の場合は約1/300と極めて大縮尺である。丈量は十字法を基本としながらも、間口と奥行きが計測されており、道幅や川幅もかなり精巧に計測されている。大津町には元禄期の町図も残されているが、奥行きの数値はかなり異なっており、丁寧に丈量が行われたことがうかがえる。県庁文書に数名の和算家の名前がみえ、専門家によって丈量や地図の作製が進められた事が分かる。大津町では、軒下地の帰属が江戸時代から問題になっていたため、道路や溝渠と分けて、これを詳細に描いている。

    明治17年の地籍編製地籍地図と現在の土地登記制度への影響
    滋賀県内の郡村地券発行地では、明治8年末~14年初頭にかけて地租改正地引絵図が作られたが、市街地券発行地では確認できない。壬申地券地引絵図をもとに地租改正が進められたものと考えられる。明治17年には、県下全域で地籍編製事業が進められた。市街地も対象となり、地図が新しく作られたが、全面的な丈量は行われなかった。基本的な情報は明治7年の壬申地券地引絵図から写され、部分的に変更があった所が修正されている。内務省主導の地籍編製事業は、大蔵省主導の地租改正とは異なり、非課税地も対象としたため、道路や水路に新しく地番が与えられた。軒下地は道路(官地)扱いで地番が降られた。
    法務局で明治22年の旧公図を閲覧すると、地籍編製地籍地図に地押調査の成果を反映させた地図が出てくる。これも新規丈量が行われておらず、明治7年の情報が基礎になっている。和算家によって作られた壬申地券地引絵図が何十年にもわたって利用されたことを学術的に証明できることは、全国的にみても非常に珍しい。近世から近代の地図の連続性と変化を理解できる事例であり論点を整理したい。
  • システム論を用いた適切な河川環境の維持・管理
    町田 尚久
    セッションID: P043
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    1.はじめに
    1997年の河川法改正により全国の主要な河川では,整備に関する基本的な事項をまとめた河川整備基本方針と,自然環境の保全や河川空間の利用の地域連携などをまとめた河川整備計画が策定された。一方,短期間による豪雨の増加など想定していない新たな気象条件下での洪水災害が近年発生し,これらに対応する河川管理が求められている。この対応には,河川の特性である流量や勾配の管理だけではなく,河川の状態を維持するための土砂供給を管理する必要がある。しかし,河川管理の現場において,土砂供給やそれによって発達する地形についてはあまり考慮されていない。また,土砂の動態把握は河川工学分野を中心に研究が進んでいるが,流域全体の河川管理に結びつく結論には到達していない。土砂の動態把握は,流量と同様に流域単位の特徴を示すと考えられる。そこで本研究では,土砂が作り出す地形と氾濫発生地点の変化を土砂供給という視点を基に,河川管理を流域単位で検討した。なお,本研究では流域全体で作用している河川の掃流力を一つのシステムとして捉え,流域環境管理を考えた。

    2.地域概要
    本研究の対象は埼玉県を流れる荒川中流部の扇状地河道区間とした。この区間は国の直轄管理区間の一部であり,2007年に河川整備基本方針が策定され,現在は整備計画を策定中である。また,河川環境としては堤外地段丘がここ数十年で発達し,現在は木本が繁茂して固定化されつつある。この区間では,明治末期から河床が低下する傾向にあり,この河床変動が人為的影響で生じたことが指摘されている(町田,2013)。一方,寛保2(1742)年洪水の頃は荒川上流部で山地が荒廃し,土砂供給が現在よりも多かった可能性も指摘されている(町田,2015)。

    3.流域単位でのシステム論的解釈
    河川作用を用いて河川地形の変化を流域単位で考えると,流量増大・減少とそれに伴う土砂量の変化が,地形形成や維持に影響することがわかる。これをシステム論的に捉えると,インプットは大雨による流量増大や山地荒廃による土砂供給量の増大であり,アウトプットはインプットに応答した地形変化や環境変化が位置づけられる。これを本研究では「河川地形システム」と呼ぶ。河川環境を適切に解釈するためには,定性的資料や定量的資料など現地調査や観測では捉えられない無数の情報を利用しなければならない。そこで河川の動態を捉えやすい掃流力に注目し,システム論的に解釈する。この解釈によって,河川への土砂供給のインパクトとそれを受けることで生じるレスポンスを捉えることができ,インパクトによる空間的な応答と,時間的な応答を明らかにすることができる。さらに,空間的・時間的な整理と河川地形システムで矛盾なく整理することができれば,流域内では人間社会のシステムとの組み合わせが可能になる。

    4.土砂の動態と河床変動との関係
    土砂の動態は,町田(2015)が示したように山林の状況が土砂供給に影響すると考えられ,山林の荒廃が渓岸崩壊や表層崩壊を誘発させ土砂生産量が増えることで,河床変動は上昇に転じる。こうしたメカニズムから町田(2013)が示した河床変動や氾濫発生地点の変遷についてはさらに理解が深まる。土砂供給に起因した河床変動は,地形の周辺にある環境に大きな変化が生じさせる。したがって,定期的な河床観察や土砂供給の変化が生じた事象を記録した史料を用いても,河川地形システムの視点を用いることで矛盾なく河川環境の変化が説明できる。

    5.流域単位での環境変化
    土砂は,河川環境を構成する土台であり,流量と共に河川環境へ影響する。河川を流域全体ではなく,ある地点ごとに調査する場合,時に土砂よりも植生や人為工作物が重要視されるが,流域全体を通してみると,上流部での土砂供給が強く影響して流域の自然環境が形成されていると考えることができる。したがって,上流域における土砂管理は,流域全体の河川地形だけでなく,河川周辺にある環境(たとえば,新たな植物群落の成立など)にも影響する。このことからも人間活動や自然環境の保全にとって土砂の動態把握を河川管理に組み入れることが極めて重要なことが分かる。さらに歴史的視点を加え,過去から現在までの河床変動,地形変化および河川周辺の環境変化も併せて検討する必要がある。本研究の結論は,流域単位で河川環境を土砂などの影響も含めて複合的かつ時空間的に幅広く河川環境を理解した上で,持続的・安定的な河川管理を行う必要があると考える。
  • 中田 高, 後藤 秀昭, 渡辺 満久
    セッションID: P034
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    現在,フィリピン全土の5mDTMを用いて地形解析を進めているが,その過程でルソン島中部のタール火山のカルデラ湖を囲む外輪山の一部に,日本の逆断層性活断層の中で最も活動度が高い断層帯であるとされる富士川河口断層帯が形成する羽鮒丘陵から星山丘陵に類似する高まり地形を発見した.断層帯を構成する断層は,津屋(1940)によって指摘されたもので,富士山を中心として円弧を描く急斜面の崖下に南東側が北西側に対して相対的に低下したものと推定した.発表者らも,駿河トラフの海底活断層に連なるプレート境界断層と考えていたが,上記の理由から断層帯東側の断層列は火山性(重力性)の活断層ある可能性が高いと考えた.本報告では,両者の形態的特徴を比較し,富士川河口断層帯の性格の見直しの手がかりとしたい.
  • 谷口 博香
    セッションID: P079
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    グローバル化の中で、国境を越えた人口移動が盛んに行われ、移民の存在とその処遇はすべての国家において重要な課題となっている。人文地理学の移民研究では、1980年代以降移民のエスニシティとエスニックな空間に注目した研究が数多く行われてきた。しかし、日本においては1990年以降になってようやく研究が進められている段階であり、まだ十分な展開が見られない。 本研究では、1980年代後半以降に「アジア系労働者」として来日した東京都周辺に在住するバングラデシュ人たちの日常生活の一端にアプローチした。1990年代の研究との比較により、現在日本で生活するバングラデシュ人国内の出身地、年齢、家族・友人関係、社会階層といった個人が持つ背景や彼らのネットワークがどのように変化したのか。そして在日バングラデシュ人のエスニック空間が、移民自身の戦略や葛藤、ホスト社会の権力関係等と絡みながらどのような形で生成されているのか、それは移民とホスト社会の双方にとってどのような意味合いを持ちうるのかを検討した。 研究方法は、文献・資料研究のほか、在日バングラデシュ人が多く集まるイベント、ハラールフード店、モスクなどでのフィールドワーク、ならびに当事者である在日バングラデシュ人や関係者、イベントを後援している自治体へのインタビュー調査が中心である。インタビューに際しては、筆者自身がボランティアとして活動に携わっていたNPO団体APFSからご紹介を得たほか、知人からの紹介やフィールドワーク中に出会った方など個人的な伝手を利用し、10名からの協力を得た。 調査の結果、現在の在日バングラデシュ人は東京都北区、中でも滝野川地域や東十条地域周辺に集中していることが明らかとなった。また、ほとんどの者が正規の在留資格を持ち、自らビジネスを行ったり事務職に就いたりと、労働市場の底辺を担う単純労働者としてみなされていた1980年代末とは異なる様相を見せている。そして、彼らのネットワークや生活圏は、彼ら自身の持つ属性(宗教や職業、滞在資格など)の違いによって細分化されており、よりミクロなスケールでの関係性にもとづき構築されている。 一方、彼らの構築するエスニック空間については、大別して2点の特徴が挙げられる。第一に、彼らは上述地域への集住傾向を示すものの、当該地域においては彼らのエスニシティが顕示されず、恒常的なエスニック景観は極めて不可視的である。第二に、彼らが集い、エスニシティを前面に出しうるのは、池袋西口公園で開かれる「ボイシャキメラ(正月祭り)」など、限られた一時的な機会のみである。このイベントは、公園という開かれた空間で行われ、彼ら個々人の存在自体が持つエスニシティ(服装や言語、容姿など)、そしてナショナルな性質を帯びるエスニシティ(国旗や国歌、文字など)が際立って可視化されている。すなわち、本国における彼らの「日常」がホスト社会においては「非日常」となり、ホスト社会である日本の政策と権力の影響を受け、普段の生活において戦略的、あるいは必要性のなさから自分たちのエスニシティや存在を隠していることとは対照的に、それらを示す重要な機会となっている。 以上から、移民によるホスト社会におけるエスニシティの体現は、様々な権利獲得や、観光資源あるいは商業上の必要性による「戦略的」なものであるが、在日バングラデシュ人にとってはこの一時性こそが、日本社会における生存戦略の一環となっていると考えられる。また、在日バングラデシュ人が、ホスト社会における公共物としての性格が強い公園において、その権力性を乗り越え、自らのアイデンティティと差異を誇示しつつも日本社会との良好な関係や友好を示す機会を継続して作り出しているという点は、移民コミュニティとホスト社会が関わり合うことによる多様な空間生成の可能性を示唆している。ある程度の可視性や持続性を前提とした文化的景観に加え、こうした一時的かつ非日常的に構築されるエスニックな空間の持つ意味を検討したこと、そして移民による空間形成の背後にあるホスト社会の権力とアクターを含めた検討ができたことは、エスニック地理学における新たな見方を提示することができたのではないか。
  • 安田 正次
    セッションID: 1013
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    日本の年平均気温は過去100年間で1.15℃上昇しており,植生への影響が懸念されている.筆者らはこれまでに高山・亜高山域での草地の縮小と針葉樹林の拡大を検討してきたが,さらに低標高域の山地帯でも変化が起こっていることが予想される.そこで,暖温帯性の常緑広葉樹林と冷温帯性の落葉広葉樹林が接する筑波山で植生変化の検出を試みた.
    方法
    1961年から2005年にかけて撮影された空中写真をオルソ化して植生の変化を検出した.あわせて,植生変化の原因と予想される気象条件の変化を気象観測記録から検討した.
    結果
    筑波山南斜面全体で常緑広葉樹の個体数の変化を検出したところ約1.3倍に増加していた.南斜面に設定した20ha調査区で樹冠面積の変化を検出したところ約1.6倍に増加していた.樹種別には針葉樹林が低標高域を中心に減少,落葉広葉樹林が高標高域を中心に減少し,常緑広葉樹林は標高600mを中心にすべての標高域で増加していた(図1).常緑広葉樹は高標高域で個体数が増加,低標高域で既存の樹冠が拡大していた.常緑広葉樹が優占となる標高は,593mから644mへ約50m上昇していた.気象観測記録の分析では温度的な常緑広葉樹林の分布限界=寒さの指数:CI=-10が65m上昇,常緑広葉樹林の主要構成種であるアカガシの分布限界=最寒月日最低気温月平均値:TMC=-4.7(中尾ほか 2009)も65m上昇していた.

    結論
    筑波山では常緑広葉樹林が拡大し,落葉広葉樹林や針葉樹林が減少していた.常緑広葉樹の個体数は高標高域で増加しており,常緑広葉樹優占林の分布限界も上昇していた.この分布の上昇と,温度的な常緑広葉樹林の分布限界値の変化が近いことから,筑波山での植生の変化は気候の変化に伴うものであると考えられた.
  • 横山 俊一, 長谷川 直子
    セッションID: P075
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    旅行形態の多様化により、観光バスの稼働数自体は増加傾向であるがバスガイド付の観光旅行は減少傾向である。しかしバスガイドがガイドを行うことによる地理の知識普及効果は大きい。
    そこで演者らは、地理を一般の人に広くアウトリーチする手段の一つとして、研究者自らが執筆・監修したバスガイド教本の作成を行っている。 
    バスガイドが使用する教本の執筆内容に地理学者が加わることで地理的な説明がより詳しくなるとともに、地理学の間接的なアウトリーチが可能であるということから演者らは教本の執筆に取り組んでいる。その過程で「バスガイドの教本の理解」「乗客の学術情報の許容量」など新たな課題も見えてきている。2016年度中に新たな教本の刊行と、教本を利用したツアーの実施を計画している。それをもとにさらなる一般への地理の普及につなげていきたい。
  • 東日本大震災の食事記録の解析と質問紙調査
    白尾 美佳, 水野 いずみ, 岩船 昌起
    セッションID: S0505
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    【はじめに】本稿では、岩手県山田町での東日本大震災発災直後の「避難生活」について、避難所での食生活の栄養学的観点からの評価、現在の食生活や津波前後での心理的変化との関わりも含めて考察する。
    【調査方法】
    1)避難所における津波直後の食事調査 O地区の避難所では、2011年3月11日の夕食から約1か月にわたり、婦人会が中心に食事の準備を行い、食事記録を残した。この食事記録の解析と聞き取り調査から食事状況を評価した。また、O地区以外の山田町他地区の避難所滞在者数名の聞き取り調査も実施した。
    2)質問紙調査 山田町仮設住宅在住の20~90代の男女56名に質問紙による調査を2015年11~12月に行った。一部高齢者には聞き取りにより代理記入した。質問は、震災直後3日間の食事内容や現在の食生活の内容、食嗜好の変化、震災前後での変化、身体状況、心理状況等に及ぶ。集計、解析はIBM SPSS Statistics ver.22を用いた。
    O地区避難所の食事記録の解析】3月11日夕食から13日昼食まではおにぎり2個であり、13日夕食は海上自衛隊から配給された味付けご飯(缶詰)であった。飲料水は山水等であった。14日には、山火事消火作業との係わりで、前日より少し大きめのおにぎりが朝食から夕食に1個ずつ配られ、昼のみにニラ玉スープとキャベツの漬物を食べた。栄養面を解析すると、炭水化物、たんぱく質、脂質の3大栄養素では3月12日から15日までのエネルギー源は、ほとんどが炭水化物のみである。16日には鮭、カキ、肉等のおかずを食べられるようになったため、エネルギーが1700kcal以上、たんぱく質、脂質量も増加してきた。
     一方、他地域の聞き取り調査によると、3月11日夕食は食べられなかった。12日はおにぎりを一人半分ずつしか食べられなかった。生活面では避難所には人が多く、車で睡眠をとるしかなかったという。また、飲み水がないので、タンクに水をしばらく置いて、泥、虫などをしずめて飲んだといった内容を把握できた。
    【質問紙調査結果】
    1)発災直後の食 津波直後の3月11日夜に「食べることができた」と答えた人は62.1%、「食べていない」が34.5%、「覚えていない」が3.4%であり、避難した場所の違いが「食べられる」「食べられない」の違いに直結しているように思われた。食べたものは、「おにぎり」が一番多く、次に「お菓子」「ごはん」「味噌汁」だった。入手経路は「炊き出し」「親戚・知人」の順であった。「飲料水やお茶等を飲むことができたか」では「飲むことができなかった」が51.7%であり、飲めた人は「井戸水や沢の水を飲んだ」と答えている。その他では、「自分でペットボトルを持っていた」、「一緒に逃げた子供さんがリュックにもっていた水をキャップ1杯ずつ5,6人で飲んだ」との自由記述もあり、飲料水に大変困っていた地区の存在がわかる。3月12日には74.1%、13日には77.6%が食べられた。しかし、食べられた状況下でも「食べていない」と回答している人もおり、被災後の心身の状態との関わりで食事すらできる状況ではなかったことが推察される。
    2)仮設住宅における食生活、身体状況、生活環境について 震災前と現在の食べる量の変化に関する質問では、「食べなくなった」割合は肉で22.4%、魚で12.1%であった。
     一方、食料品備蓄は、震災前「備蓄をしていた」27.6%から現在「備蓄している」41.4%に増加しているが、全体の半分以下の割合である。
     「体調」では「震災前に悪かった」割合が8.6%であったが、「現在体調が悪い」割合は31%に増加しており、特に、現在「イライラする」割合が高い。睡眠でも現在「あまり眠れない」割合も多かった。
    3)心理状況 震災前に比べ、現在では「なんでもないことがおっくうだ」と感じる割合が増加していた。「心配事や困り事があるとき心配してくれる人がいるか」という質問では、震災前に比べ、現在では低下していた。「先行き明るいかと感じるか」では、「全く感じない」と「あまり感じない」の割合が震災後増加している。このような割合の震災前後での変化に注目すると、現在「身近な親しい人の相談にのっているか」と「手助けなしに外出できるかどうか」については正の相関がみられた。また、現在「先行き明るいと感じるか」については、「家計のやりくり」との間で有意な正の相関が、「全体的な生活満足度」との間でも有意な正の相関がみられた。
    【おわりに】栄養学的な評価に基づいたこのような「食の震災記録」は、災害での応急対応時の「食に関する備蓄や食材供給」の客観的検討資料としても 活用できる。「災害援助物資」配給の実態も解明しながら調査を進め、発災直後の混乱状態の中での「避難生活」をより総合的に評価したい。
  • 植草 昭教
    セッションID: 206
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー


       日本で最も地価が高い場所と言えば、東京都中央区銀座がすぐに思い浮かぶだろう。銀座は永年地価日本一の座に君臨した土地である。この銀座の価値については考える場合、銀座の空間が有する価値だけでなく、「銀座」の地名に付された価値があるのではないか。有形資産である銀座の土地を使用することによって得られる効用と、無形の資産である「銀座」の名称を使用することによって得られる効用があることが考えられる。そこで「銀座」の名称を有する空間的価値について、考察してみることにする。
       ブランドを形成するために必要な要件として「ストーリー(物語)性」と「歴史」が言われている。ブランドを形成するためには「そこにストーリーがあり、それを展開するための歴史があること」ではないか。そこで銀座に付されたストーリーと歴史とはどのようなものであろうか。
       銀座の歴史とその歴史が有するストーリーについては、まず銀座の地名は、江戸時代に銀貨を鋳造する「銀座」があったことに由来する。銀座は1872年(明治5年)の大火で焼失。そこで銀座は、建物を煉瓦で作ることが計画され、「銀座煉瓦街」は実行された。煉瓦造にすることは、単に燃えにくい街並みを作るだけにとどまらず、銀座を西洋風の街並みにすることで外国から来た人々に、国際的な体面を示す狙いもあったとされる。しかし関東大震災で「銀座煉瓦街」はほとんど倒壊してしまった。だが銀座は復興し、大正モダンを経て昭和初期にはモボ、モガが当時の銀座を彩った。その後第二次世界大戦でも銀座は破壊されたが、またも復興を遂げ、戦後も時代の流行を発信する街となった。 銀座にはこのような歴史があり、それが銀座のストーリーである。そのストーリーは、銀座が有する無形の資産となっているのではないか。
       銀座ブランドは、銀座で事業を行う(行おうとする)者にとって魅力的であり、ステイタスでもあると考えるのではないだろうか。そこに立地したくなるような価値がある空間である。それが、銀座が有するブランド力である。また、銀座はその時代、時代にに流行を発信してきた街である。時代の先端を行く空間を形成していることが、銀座が有する空間的価値であり、銀座ブランドにとっての大きな源泉になっている。銀座が獲得してきたイメージもまた、銀座の価値を向上させる無形の資産ではないか。それに「銀座の地価は日本一高い」との、そのことですら、銀座のブランド価値を上げることになっているのではないだろうか。
  • ―群馬県立前橋商業高校における室内型地域調査の実践―
    須賀 伸一, 堤 純
    セッションID: S0206
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    実践の概要  高等学校の地理A・地理Bには地域調査の単元があり,現地に出かけてフィールドワークを行なうことが促されている。しかし,実際に生徒を校外に連れ出すには学校長の許可や生徒の掌握・安全確保が必要であり,移動するにも時間がかかるなど,課題も多いのが現実である。ところが,ARシステムを利用すれば教室内にいても地域調査ができ,このような課題が解決できると考えた。  2015年1月に,群馬県立前橋商業高等学校2年生4クラス(1クラス約40名)を対象とした地理A「前橋市の地域調査」の授業の中で,ARシステムを援用した地域概観の把握を行った。具体的には,高校最上階7階の教室窓から眺められる高層ビルについて,その名称や用途・高さ・完成年等を位置情報型ARシステムにより調べながら,前橋市の都市構造の理解に努めた。4~5人のグループを作り,それぞれARシステムを備えたタブレット端末を使って課題解決に当たらせ,その後,グループごとに発表させて調査結果を全生徒が共有できるようにした。 この実践内容については,日本地理学会2015年秋季学術大会においてポスター発表を行ったが,2015年12月に授業内容をさらに改良し,今年度の2年生4クラスを対象としてARシステム援用授業を実施した。   生徒へのアンケート結果とその分析 授業後の生徒へのアンケート結果をまとめてみると,タブレットの操作方法については「よくわかった」という人が多い(1月77%,12月58%)。タブレットを使った授業が「おもしろかった」と答えた人も多いが(1月75%,12月61%),「普通」と答えた人も少なからずいた。これは課題内容が難しかったり,タブレットを実際に操作しない人がいたりしたためと考えられる。課題に対する解答が「すぐわかった」と答えた人は少数で,「難しかった」という人が多かった。グループ学習なので,難しめの課題設定としたことは確かである。前橋市の特色についての理解度は,「よくわかった」が約3割と少なく,「少しわかった」が6~7割と多かった。課題が難しく,1時間では時間不足であったためである。グループの人との協力については,約9割の人が「みんなで協力してできた」と答えたが,中には「みんなで協力したわけではない」という人も約1割いた。  1月と12月のアンケート結果を比較すると,授業内容を改良したにも関わらず,12月では全般的に評価が下がっている。その理由は,遠景を眺める場合には天気に左右されやすいこと(1月は晴天3クラス→12月は曇天4クラス),クラスによって生徒の特質が異なること,などが考えられる。しかし最大の原因は,12月では利用できる端末の台数に制限があり,グループ数を減らした結果,1グループ当たりの人数が6~7人と増えたことである。端末台数を十分確保し,端末1台当たり3~4人と少人数にすれば,全生徒が端末を操作して協力を深めることができ,より高い評価を得ることができると思われる。   ARの効果  ARシステムは野外調査で利用する方法が多くとられているが,今回の授業実践を通して,野外に行かなくても(できれば屋上や高層階の教室の窓から)学校の外を眺めることで,地域調査を行うことができることがわかった。野外調査の意義として「現地・現物を見る」ということがあるが,今回の授業でも高層ビルや景観の現物を見ているわけである。しかも前橋市を広い範囲で直接見ることができるため,都市構造を大局的に捉えることができる。そうした中,ARのもつさまざまな特徴(対象までの距離の表示,課題解決に必要な対象の詳細情報の表示など)を活用することで,聞き取り調査はできないにしても,それに代わる地域の情報を集めることができ,比較的短時間で手間をかけずに地域調査の授業を実施することができる。
  • ―群馬県立高校における地域調査および修学旅行の学習内容への応用―
    原澤 亮太, 生澤 英之, 堤 純
    セッションID: S0205
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに 野外実習は,生徒が授業で学んだことを現場で目にすることで,学習内容に対する理解を深める絶好の機会である。しかし,高等学校の授業では時間的な制約や安全管理面の問題等から,通常の授業時間内に実施することが難しい。また,授業時間外を利用した「課題」として,校外で見聞したことをレポートとしてまとめさせるなどは可能であるが,その際に教員側が最低限注目してほしい箇所に,生徒が気付くとは限らないという問題もある。本報告は,これらの問題を克服するため,高等学校の地理授業において課題として野外実習を実施したものである。その際,AR技術を利用することで,生徒は各自が所持するスマートフォンにインストールした専用アプリを通して,教師が注目させたい場所について確認しながら実習を行ったものである。利用シーンとして「身近な地域のバリアフリー調査」「修学旅行での現地学習」の3例を設定した。
    2.身近な地域のバリアフリー調査対象地域:群馬県伊勢崎市対象生徒:群馬県立伊勢崎興陽高等学校 3学年14名教科・単元:現代社会「共に生きる社会を目指して」実施日時:2014年8月29日介護福祉士国家試験受験を目指して福祉を学ぶ生徒を対象に,現代社会の補習授業としてバリアフリーに関する授業を行った。その中で生徒自らバリアフリー・ユニバーサルデザインの観点で身近な地域を踏査し,気付いた点をレポートさせたものである。注目するべきポイントとして次の観点から8か所程度のコンテンツを作成した。・バス停や市役所などで工夫されている点・歩道の幅員や横断歩道における段差・歩行者信号の間隔・避難場所など公共施設の看板における工夫 などコンテンツの中に,現地でなければ知りえない設問を入れ,写真とコメントを提出させる(メールも可)などの工夫を行った。コンテンツは常時閲覧可能なため,生徒は適宜現地に赴き,的確に教員側の意図するポイントを見つけコメントを返すことができていた。
    3.通信制高校のスクーリングにおける活用対象地域:群馬県前橋市対象生徒:群馬県立清陵高等学校通信制教科・単元:日本の地理「群馬県のすがた」実施日時:2015年7月26日 「日本の地理」は群馬県及び日本の各地域についての特徴について学ぶ教養科目である。学校所在地である前橋について、学校周辺の文化施設・商業施設や,かつて盛んであった製糸業の名残や由来する施設など,歴史的な変化がわかるコンテンツを13カ所設定した。 コンテンツに過去との比較ができる写真を載せたことで、変化の様子をつかむことができた。また、建物に隠れてしまうなど、直接見渡せない事象についても、位置を掴むことができた。
    4.修学旅行における現地学習対象地域:沖縄本島対象生徒:群馬県立沼田女子高等学校 2学年39名教  科:地理B実施日時:2015年10月9日~12日多くの生徒にとって数少ない現地学習の機会である修学旅行において,地理的事象に気付かせるためAR技術の援用を試みた。コンテンツとして次の観点から30か所程度を作成した。・見学地や車窓での見どころや地理的事象・広域での位置を把握するため島外諸都市への方向・距離コンテンツには関連Webサイトへのリンクを載せるなど,ガイドブックとしての機能も持たせることができた。天候や見学時間の制約にも左右されるため,全てのポイントを均質には見られないが,米軍の上陸地点など戦跡における過去の状況や,雲に隠れた離島の位置を示すなど,ARらしい利用可能性が確認できた。
  • 明治の地籍図と現在の土地所有に注目して
    西村 和洋
    セッションID: 703
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    はじめに
    土地家屋調査士は、土地境界を確定することが重要な業務であり、明治の地籍図をはじめとする古地図や土地台帳、現在の土地専有状況等を調査し、関係性を整理した上で、公法上の筆界を明らかにすることが求められる。官地と民地の境界(官民境界)については、山林や入会地に関する研究が比較的多くみられるが、最も普遍的な存在である道路や水路については非常に乏しい。本発表では、滋賀県大津市の軒下慣行を事例に、官民境界が抱える歴史的性格と基本的構造、現在に残した影響などについて考察したい。 本発表では明治期作成の地籍図を基本資料とするが、その研究は、佐藤(1986)や桑原(1999)などが基本的整理を進め、近年は研究者による基礎的研究も増えてきている。土地家屋調査士の業界においても各都道府県会の研究が近年大きく進んでいる。 大津は豊臣秀吉によって京都の外港として整備され(「大津百町」)、近世以来の土地慣行である「軒下地」が確認できる。先行研究として岡本(2006)があるが、江戸・大阪・京都・堺で普遍的に存在したことが明らかにされており、軒下地の慣行は歴史的な大都市が抱えた構造的問題として注目される。大津百町でも町全体で通りに沿って軒下地が展開し、その様子が明治期の地籍図に詳細に描かれている。  

    研究で用いる資料と分析方法  
    大津百町と呼ばれた地域では、明治7年の壬申地券地引絵図と明治17年の地籍編製地籍地図が町限図形態で作られており、大津市歴史博物館と滋賀県立図書館で各絵図が良好に現存している。これらに描かれた情報は、明治22年以降の旧公図に引き継がれており、現在の土地登記情報もこれを踏襲している。これらの地図史料には、通りに沿って軒下地が詳細に描かれている。明治期の「大津市街軒下地に係る経緯文書」(県庁文書) によると、「軒下地ノ起源ハ…(中略)…天正年間明智光秀ヨリ地子銭ヲ免セラレ以テ地租改正ニ至リ…(後略)」 とある。その子細はよく分からないが、地租改正を進めるにあたって中世末以来の慣行として認識されていた点は極めて重要な意味を持っている。江戸時代にも同じような検証が公的に行われており、その様子は元禄絵図に詳細に描かれている(県立図書館蔵)。 大津では、平成に入ってから地籍調査が行われたが、官民境界が整理された場所においても、軒下地を由来とする境界が現存している。昭和初期には、その帰属が公的に問題視され、いくつかの行政達類も伝達された(県庁文書)。本発表では、元禄絵図・明治の地籍図・現在の土地所有界を比較分析し、官民境界が抱える歴史的問題について具体的に検証したい。  

    軒下地にみる官民境界の歴史性
    軒下地の存在が江戸時代や明治時代だけでなく、大正・昭和期においても大津百町の重要な景観要素として認識されていた点は、現在の土地境界を検証する上でも重要な問題である。今回の調査では、大津百町の軒下地が公的に注目された画期が大きく分けて二つあることを確認する。 一つは、軒下地の私用を実質的に容認することとなった地券発行や改租作業が行われた明治初期があげられる。もう一つは昭和初期で、この段階ではそれまで慣習として認められていた軒下地の私用が許可制となり、利用を認める一方で、私的占有が公的に否定され、一部は民間への払下げも行われた(県庁文書:官有軒下(道路敷)返還・道路占用取消)。 これらを受けて官民査定等の申請書類の提出が行われるようになり、県庁文書には、住民側から提出された大量の書類が残されている。現在、大津町の軒下地の現存状況を確認すると、市道敷が拡幅された場所については、軒下地の存在がなし崩し的に解消されているが、比較的幅の狭い路地や、歩車道の分化のない通行者が限られた道路などでは、現在も軒下地の存在が認められる。江戸時代以来、道路敷として扱われてきた軒下地であるが、場所によっては民間の土地占有が優越した事例も確認できる。 今回、軒下地由来の境界を分析するために地籍図を使用したが、壬申地券地引絵図における官民境界の表現形態が詳細でかつ非常に高い精度を持つことは興味深い。その詳細な測量成果が年月の経過とともに忘れられ、現代の地籍調査には正しく反映されていないことも大きな問題である。  
  • 平野 淳平, 三上 岳彦, 財城 真寿美, 仁科 淳司
    セッションID: P002
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    長期的な気候変動のメカニズム解明のためには,気象観測記録にもとづく過去の気候変動に関する実証的研究が不可欠である. 日本では, 公式気象観測記録が得られる期間が1870年代以降に限られるが, 近年, 1870年代以前に非公式に行われていた古気象観測資料の発掘と,それにもとづく気候変動解析が進められている. しかし, これまで日本で発掘された古観測記録は気圧や気温の記録が中心であり, 降水量の観測記録はほとんど発掘されていない. このような中,1860年代に横浜でヘボン(J.C.Hepburn)によって観測された月別の降水量観測記録の存在が新たに明らかになった. 本発表では,この降水量観測記録の分析結果について報告する.
  • 南雲 直子, バドリ バクタ シュレスタ, 大原 美保, 澤野 久弥
    セッションID: P012
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/04/08
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    フィリピン共和国ルソン島中部のパンパンガ川流域は、 2015年10月中旬に襲来した台風24号及び12月中旬の台風27号により流域の広い範囲が浸水した。台風27号による降水量は台風24号のものよりも多かったが、観測された河川水位・浸水深、人的・建物被害は台風24号の方が大きかった。また、両台風による降水量・洪水規模は、過去30年間で最大とされる、2011年台風17号を超えることはなかった。フィリピンではNDRRMC(National Disaster Risk Reduction and Management Councilを中心に広域行政区、州、市、バランガイにそれぞれDRRMCが設置され、防災体制は他の東南アジア諸国と比べ進んでいる。しかし、洪水が頻繁に発生し、ある程度の時間差で上流から下流へと洪水が波及するパンパンガ川流域では、ハザードマップ作成やリスク評価とともに、地域レベルでのタイムライン策定など、より良い復興のための対策を今後も充実させていくことが必要であろう。
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