日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会春季学術大会
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発表要旨
  • 東広島市豊栄町におけるオオサンショウウオ保護活動を事例として
    淺野 敏久, 菊地 直樹, 清水 則雄
    セッションID: 204
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    狭義の自然再生事業に限らず,里山や里海の再生や,野生生物の生息環境づくりなど,自然再生に関わる活動が全国で行われている。ただし,これらは必ずしもどこでもうまくいっているわけではない。自然再生に向けた科学的手法として発展してきたのは,生態学的なモニタリングによるフィードバックをもとに,試行錯誤して自然環境の管理を行う順応的管理である(菊地ほか2017)。順応的に対応するためには,活動の各段階で活動の自己評価を行い,次の段階を考える必要がある。また,活動には,思惑を異にする複数の地域の主体が関わるので,自己評価は特定の誰かの自己評価ではなく,関係者間で共有される自己評価であることも望まれる。このような認識から,筆者等は菊地を中心にして,活動を社会的に評価するための方法を検討してきた。具体的には,自然再生プロセスの社会的評価ツールの開発を試みた(菊地ほか2017)。豊岡のコウノトリや新潟でのトキの野生復帰と地域再生の経験をもとに,叩き台となるツール(チェックすべき社会的評価指標)をつくり,協力を得られる地域での実施を試みている。2015年に中海の自然再生事業を最初の事例とし,調査地を増やしているところで,今回報告する東広島市豊栄でのオオサンショウウオの保護活動は2例目の実践となる。
    なお,本研究で対象とする自然再生について,多くの事例地では,自然再生を軸に地域の多様な活動を再統合した創造的な地域再生が目指されており,再生対象は自然と人の生活の相互作用にまで及ぶ。自然再生と地域再生を統合的に実現することを,桑子(2009)の「包括的管理」にならって「包括的地域再生」とよぶことにする。
    本報告では,この包括的地域再生に向けた順応的ガバナンスを社会的に評価するモデルを考案する試みの一環として実施した東広島市豊栄町でのワークショップの報告をする。事例地の活動紹介をした上で,ワークショップの内容を示し,実践の成果と反省を論じる予定である。
    豊栄町では昭和40年代頃から地元有志によってオオサンショウウオの保護活動が行われてきたが,メンバーの高齢化や死亡により活動の継続が危ぶまれていた。広域合併により東広島市に編入されると,ますます周辺的な話題になってしまった。そのようなおり,2011年の偶然的な出会いから,東広島自然研究会や広島大学総合博物館,安佐動物園などのつながりが構築され,オオサンショウウオの科学的な調査を基礎としつつ,保護活動が再起動された。調査を通じて,オオサンショウウオの幼生の存在を確認し,県内唯一の自然巣穴を発見するなど成果をあげる一方,幼生はいてもそれは育っていけないこと,それがなぜかなどの理由も明らかになってきた。オオサンショウウオ保全には,農業施設の改修や流域環境対策など,地域の環境管理の仕方を変える必要があることが認識されている。
    ワークショップは3つの行程で行われる。まず,事前の相談と研究者側と地域の側との意見交換を行い,2回目の集まりでは,2011年から2015年までの5年間の活動の振り返りを,関係者を集めて行った。振り返りに際しては,社会的評価指標と称する活動のチェック項目(問題,人,技術と行動,知識と評価の4つの大項目)に基づき,関係者の話を聞くことに努めた。その結果を整理した上で,再度報告会を開き,活動の次なる課題発見に向けてのディスカッションにつなげる。この実践を通じて,研究者側は,地域の活動への還元とともに,ワークショップの進め方の検討(方法論的検討)を試みる。 その成果と反省については,発表申込時にはまだ2行程目までしか行っておらず,発表時までに行う予定の3工程目の集まりをふまえて,当日に報告したい。
  • 浅見 和希, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛, 堀内 雅生
    セッションID: P053
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ はじめに
       長野県と岐阜県の境に位置する御嶽山が、2014年9月27日午前11時53分頃に水蒸気爆発噴火し、この時発生した火山噴出物が、山頂付近の湖沼や周辺河川に影響を与えたことが考えられる。そこで、以前の噴火時を含む過去の御嶽山周辺の水質との比較をし、今回の噴火による水質の変化を把握することを試みた。
       2016年秋季大会では2016年8月までの結果を報告したが、今回は、2014年10月~2016年10月のデータを中心に、2017年2月までの結果について報告する。

    Ⅱ 研究方法
       調査は月1回の間隔で実施し、現地調査項目はAT, WT,
    pH, RpH, EC等で、同時に採水も行い、雨水採取を16箇所で実施している。持ち帰ったサンプルは研究室にて処理したのち、TOC、主要溶存成分の分析を行なった。

    Ⅲ 結果と考察
    11979年噴火との比較
       1979年に発生した噴火の約一月後の水質調査結果と、今回の噴火の約一月後の結果を比較すると、降灰地域がほとんど同じであることも影響して、非常に似通った水質の空間分布を示し、水質組成もほぼ一致した。

    2噴火直後~冬季積雪期
       火山噴出物の影響を強く受けた濁川と濁川合流後の王滝川では、電気伝導度の値が次第に下がり、pHは上がって、1月末には安定した値を示した。しかし、御岳湖では、全循環期の影響を受け湖水全体に濁水が広がり、放水により下流でECが上がりpHが下がる現象が観測された。

    3.融雪期
       融雪の影響は2月から現れ始め、4月末にピークに達した。基本的には、ECの値が下がり融雪による希釈傾向を示したが、pHでも同様の傾向を示したのは、火山噴出物よりも融雪水の低pHが影響したものと考えられる。

    4.融雪期後~梅雨期
       5月末には融雪の影響がほとんどなくなり、6月は梅雨の影響で、改めて火山噴出物が流入してECが上昇し、pHが低下する地点が多かった。

    5.夏期~秋期
       台風の影響で、堆積した火山灰が流出し周辺河川の水質に大きな影響を与えたが、10月末には安定した。11月には、河川水の水質への地下水の性質の影響が観測された。

    6.冬季積雪期~秋期(2年目)
       噴火から2度目の冬季を迎えたが、積雪量が少なく、融雪のピークは2月末であった。水質への影響は1度目の融雪期と同様、融雪による希釈傾向が表れていた。6月は梅雨の影響で、特に濁川に火山噴出物の影響が表れていた。
       夏期~秋期には1年目と同様、台風による降雨で火山噴出物の影響が見られたが、やはり10月末には安定した。

    Ⅳ おわりに
       御嶽山周辺地域の水環境に対する今回の噴火の影響について、2年間を超える調査結果を示すことができた。調査を継続するとともに、今後の変化予測を行いたい。

    参 考 文 献
       小寺浩二・浅見和希・齋藤圭・濱侃(2016):御嶽山噴火(140927)後の周辺水環境に関する研究(4), 日本地理学会2016年度秋季学術大会講演要旨集.
  • 小寺 浩二, 浅見 和希, 諸星 幸子
    セッションID: 738
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ はじめに
       日本列島には数多くの火山が存在しているが、その形成要因や構成するマグマの成分などは火山によって異なる。こうした特徴の違いにより、火山周辺の河川や湧水の水質にも違いが表れることが予想される。当研究室では御嶽山、浅間山、箱根山、十勝岳の4つの火山地域において河川調査を実施していることから、この4地域の水質を比較し、火山の特徴と水質との関連性を把握することを試みた。

    Ⅱ 地域概要
       御嶽山は中部地方、浅間山、箱根山は関東地方、十勝岳は北海道に位置する活火山で、御嶽山では2014年に、浅間山、箱根山は2015年に噴火が発生している。十勝岳も2004年に小規模噴火があり、火山活動が活発である。

    Ⅲ 研究方法
       御嶽山では2014年から、浅間山と箱根山は2015年から、それぞれ継続調査をしているほか、十勝岳は2016年11月に調査を実施した。現地調査項目はAT,WT,pH,RpH,EC等である。現地では採水も行ない、持ち帰ったサンプルは、研究室にてTOC, 主要溶存成分の分析を行なっている。

    Ⅳ 結果と考察
    1.pHの比較
       pHを比較すると、御嶽山、箱根山、十勝岳では、山体から流れ出る河川の中に酸性を示すものがある一方、浅間山ではアルカリ性を示す河川が多く存在する。

    2.電気伝導度の比較
       電気伝導度(EC)は、御嶽山の周辺河川で全体的に値が小さく、浅間山、箱根山の周辺河川で全体的に値が大きい傾向が見られた。また、箱根山、十勝岳には1000μS/cm以上の値の河川が存在し、特に箱根山には3000μS/cmを超える河川が存在する。

    3.溶存成分の比較
       4地域とも、EC値の小さい地点はCa-(HCO3)2型の水質組成を示す傾向が見られるが、値が大きい地点では地域によって組成に差が見られ、御嶽山や十勝岳ではCa-SO4型の水質が多い。箱根山は温泉地ということもあり、Ca-SO4型のほか、Na-Cl型やCa-Cl型の水質組成も見られる。浅間山は上記3地域と比べると、組成に対するMg2+の比率が高い地点が多い傾向にあり、Mg-(HCO3)2型やMg-SO4型の水質組成が見られる。

    Ⅴ おわりに
       活火山地域の水質の特性がある程度見えてきた。今後は条件を絞りつつ東北地方や九州地方にある火山地域についても調査を進め、さらに特性を明確にしたい。

    参 考 文 献
       小寺浩二・浅見和希・齋藤圭・濱侃(2016):御嶽山噴火(140927)後の周辺水環境に関する研究(4), 日本地理学会2016年度秋季学術大会講演要旨集.
       猪狩彬寛・小寺浩二・浅見和希(2016):浅間山周辺地域の水環境における水文地理学的研究, 日本地理学会2016年度秋季学術大会講演要旨集.
  • 岩船 昌起, 田村 俊和, 瀬戸 真之
    セッションID: 103
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    【はじめに】本発表では,津波からの避難行動としての「立ち退き避難」および集落移転先での日常生活行動を対象として,「設置された道路」の移動行動環境と避難者・生活者の体力との関係等の総合的な考察を行い,山麓緩斜面を中心とした地形単位について,「地形資源論」的に評価する。
    【「立ち退き避難」と地形単位】「避難のしやすさ」の検証のために筆者は,山田町各地区で「立ち退き避難」実験を実施した(岩手県山田町編,2017)。この成果の中から,対象道路の縦断面を「立地する地形単位」を付記していくつか例示した(図)。「海食崖」⑰では,平均傾斜約15°で道路表面が階段となる。「山麓緩斜面」⑩⑫⑭では,平均傾斜3~6°で車通行可能な滑らかな平面となる。「平野」④⑤⑧では,平均傾斜3°未満で滑らかな平面であるが,避難所等の避難完了地点直前の区間では,「山地」「丘陵地」等となり,平均傾斜5°を超えて階段が出現する。
    健常な若者等の高体力者は,いずれの地形に設置された道路も通行できるが,低体力者になる程より急傾斜な地形に設置された道路を上り難くなる。特に車いす利用者の場合には,「車いす移動屋外基準1/20(2.86°)」および「段差70 cm以下を上がる場合の屋内基準1/15(3.81°)」を考慮すると,「山麓緩斜面」では補助者がいても極めて上り難く,傾斜3°未満の「平野」では移動できるが,避難所に辿り着く終盤での「山地」「丘陵地」等の急傾斜な地形では階段も出現することから上ることができなくなる。一方,急傾斜な地形では一般に移動時に「浸水高/秒」が大きくより良い時間効率で高さを得られる。「山麓緩斜面」では,健常な高齢者の体力でも移動可能であり,かつ効率よく高さを得られることから,山田湾内に面する大浦では,後期高齢者が津波の浸水に迫られながらも「立ち退き避難」を完了させた事例も報告されている。
    【移転先での日常生活】津波災害後に集団移転が行われた事例として,山田町の船越と田の浜に注目する。両地区をほぼ最大傾斜方向で貫く道路の縦断面から(図),船越⑱と田の浜⑬の両者で,下部が「平野」で上部が「山麓緩斜面」の構成となっており,平均傾斜約3°で、船越⑱の方が若干急であるが,ほぼ同じ地形環境とみなせる。また,移転先の場所も船越が標高12m以高,田の浜が標高14m以高である。
     両者の大きな違いは,物流を担う交通の違いにある。地形的に複数の山麓緩斜面が南北に配置し,末端では海食崖となっている船越では,南北方向に標高をあまり変えずにほぼ水平移動できる道路をより「高い位置」に設置することができる。この地形的特性によって,少なくとも近世より現在の国道45号線付近(縦断面上で標高約20m)に街道が存在し,1936年に国鉄岩手船越駅も標高約13mの位置に開業した。この「高い位置」にある陸路中心に他地域との交流が強化されていく過程で,集落移転も行われていった。特に,1933年の昭和三陸大津波以後,津波で船を失った漁民の多くが国鉄岩手船越駅開業にともない流通やサービス業等の他の生業に就いたものと思われる。漁業を行う必要がない場合,日常生活で住民は海に下る必要がなく,船越駅周辺の中心地までの移動が日々の主となることから,高低差10m弱,距離約300m内での移動ですみ,多大な身体活動を強いられなかったものと考えられる。
    一方,田の浜では,地形的に山地および山麓緩斜面に囲まれた平野(!?)に集落が立地している。船越に至る海岸では山地や山麓緩斜面が海にせまりその末端が侵食されて海食崖となっており、道路は、海食崖直下の狭い低地等の海岸付近に敷設されている。このような地形的特性を持つ田の浜では,漁業が生業の中心であり,かつ陸路が未発達な時代から船舶で物資を運搬した歴史を有することから,港(標高1m弱)が物流の中心地であり続けた。そのため,津波被災後に集落移転地が標高14m以高の山麓緩斜面に造成され,当初引っ越した人々も居たが,日常生活において標高差約14m,距離500mの“無用な移動”をほぼ毎日強いられ,特に荷車での運搬作業等では不可能でないものの比較的高強度の負荷が与えられたことから,恐らく月日の移行による「災害の記憶の薄れ」と住民の高齢化による体力の低下に伴い,オープンスペースがある港周辺に作業小屋ができ,さらに母屋も建設されていったものと思われる。
    【おわりに】集落移転の成否には,移転先での人の動き,移動手段と交通網の配置,これを規定する地形等を予め想定できるかが大いに係る。
    <参考文献>・岩手県山田町編2017『3・11 残し、語り、伝える 岩手県山田町東日本大震災の記録』.p270(印刷中),岩手県山田町発行.
    図 「立ち退き避難」実験の対象道路の縦断面(一部)
  • 宇根 寛, 中埜 貴元, 田中 海晴, 安藤 竜介, 米川 直志
    セッションID: 833
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    近年さまざまなハザードマップの整備が進み、多くの自治体がハザードマップを住民に配布するとともに、インターネットに公開している。このうち、洪水や土砂災害などのハザードマップは、水防法、土砂災害防止法等の個別法により、市町村長に作成が義務付けられ、作成のための詳細なマニュアルが国から提供されている。しかし、液状化等の地震災害に関するハザードマップについては、「地震防災対策特別措置法」に努力義務の規定はあるものの、具体的な内容については定められておらず、自治体の判断に任されている。このため、これまで、その整備、公表の実態は包括的には明らかにされていなかった。2011年東北地方太平洋沖地震に伴い、広範な地域で液状化被害が発生した。宇根ほか(2015)は、既存のハザードマップが液状化の発生を適切に予測できていなかったこと、その原因としてハザードマップの作成過程でのマニュアルの解釈に問題があったことを指摘した。本発表では、全国の自治体がインターネットに公表している地震災害に関するハザードマップを収集し、表示項目や評価の根拠とした情報などを抽出、類型化して、その特徴を明らかにするとともに、土地条件図等と照合して液状化等の評価に問題がある可能性のある事例を抽出し、液状化ハザードマップの整備に関する課題を提示する。
  • - ルーマニア・カルパチア山地における自立の可能性 -
    中台 由佳里
    セッションID: 236
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    ルーマニアでは2007年のEU加盟以降,経済対策を中心に社会安定化を図り、 EU標準への到達を目標にした第一次産業では整備を進めてはいるが、地域までは波及していないというのが現状である。それに対しEUでは特に条件不利地域を対象として「条件不利地域の農業援助(LFA)」の基に支援に力を入れている。<BR> ルーマニア、カルパチア山地集落における生業構造については、すでに中台ほか(2010)が報告しているが、ルーマニアの周辺地域での経済的自立は自助努力に依るところが大きい。マンパワーへの依存も高い。しかしその中にも、起業の兆しをみることができた。本研究では,ルーマニアのカルパチア山地に位置するM村を対象に,単純再生産に近い農牧業とそれを補う出稼ぎの状況を、聞き取り調査や統計データから明らかにし、農村住民の自営的自立への可能性を考証する。<BR> 山村は標高900~1150m前後のところに点在し、零細な農牧業を中心とした生業が中心である。M村は19世紀後半に複数の同族集団が寄り集まって形成されたが、現在では集団が緩やかに散らばってきている。近世以前には移動していた牧畜民が夏に出作り小屋で滞在していた地域であった。現在では、羊飼いが夏期に村の羊を放牧しながら山を移動させて飼育している。<BR> 平均的な世帯は、1軒に3,4人の中高年の夫婦を中心に構成され、ウシ・ブタ・ヒツジ・ニワトリを飼う牧畜業を営む。気候的に野菜の栽培には不適であり、ジャガイモでさえ2009年から3年続けて不作であった。農作業は機械化の余裕がなく、労働力は人と馬によるものである。<BR> 1989年以前は国の計画経済のもとで、近隣の町の工場に働きに行き、副業としての牧畜業でもウシの牛乳を回収車が毎日買い取りにやってきた。しかし資本主義化により国営企業の大半は崩壊し、村全体が収入源を失った。そのため子ども世代が出稼ぎ世代となり、外からの情報入手手段も格段に広がった。<BR> M村はピアトラ・クライルイ国立公園に隣接し、自然景観に恵まれている。村内で観光業を営むのは社会変化以前から住むドイツ人であり、村で唯一のホテルを構えている。海外からの山歩きを目的とした来客を対象にしたエコツーリズムといえる。調査中に滞在した民宿も滞在客数を伸ばしており、2件目を新築している最中だった。バンガローを建設した住民は、大学で学んだ息子の勧めで観光業に着手したという。今後の戦略としては、地の利を活かした自然資源による観光関連産業が最も身近な産業である。トラックで薪を売りに来たり、パンを毎週定期的に販売に来るニッチ起業が見られた。このような変化はすでにポーランドのカルパチア山地でも、2014年に観察することができた。公営バス路線で、乗客が見込まれる部分のみを小型ワゴン車で運営していた。しかも車種による乗り心地や本数の多さなどの競争も拡大していた。農作物の販売者が訪問販売をしたり、人も物も流通経路が確立していない地域では、都市部よりも変化は急激である。<BR> 親の世代では急激な変化に対応する適応力と資金力が不足しているため、期待は次世代である子ども世代にかかっている。成熟度の高い都市部よりも、地域には新たな起業の可能性があることが示唆される。このような変化は、都市と地方との格差が縮小せず、集落の消滅も2000年農業センサスですでに指摘されている日本の地域でも、応用できるのではないかと期待される。<BR>文献:中台由佳里・ディロマン、ガブリエラ2010. カルパチア山地集落マグラにおける生業構造の変化 -ルーマニアにおける農村の持続的発展の危機とその再生の可能性-、日本地理学会発表要旨集 77 : 182.<BR>本発表を岐阜大学の故小林浩二教授に捧げる。
  • 浅田 晴久
    セッションID: 232
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに
    インド北東地方のアッサム州の特徴として、①インド国内平均と比べて経済発展が遅れている(いわゆる条件不利地域)、②歴史的にアーリア系、モンゴロイド系(チベット=ビルマ語族、タイ語族など)の住民が移住してきて多民族社会を構成している、の2点が挙げられる。
    既往研究および住民の間でも受け入れられている言説では、アッサム州は低開発で農業以外の目立った産業が育たないせいで、人々は貧しく民族間の対立が絶えないのだという説明がなされてきた。しかし、このような地域観はアッサム州の複雑な社会をはたして正当に評価したものであろうか。筆者は逆の視点に立脚し、アッサム州では社会の多様度が高いからこそ、数字上の経済発展に結びつかない、もしくは経済発展が必要とされない、という仮説を立てて検討したい。ネガティブに捉えられていた地域経済の停滞をニュートラルに捉え直そうという試みである。
    地域固有の社会が経済を規定しているという視座はインド研究では特に目新しいものではない。柳澤・水島(2014)では、インドの農業発展の国内格差について、州によって大きく異なる社会構造が重要な意義をもつと指摘している。たとえば、比較的農業が発展している南インドのタミル・ナドゥ州はバラモンなどの有力階層の脱農業化の結果、下層階層の自立化が進んでいる。北インドのビハール州では農業経営に関心のない高位カーストが土地を所有し続けているため、技術革新が実現されていない。インド本土から離れたアッサム州の場合は、ヒンドゥー教社会の特殊性も分析の対象になりうるが、まずは多民族社会の構造を明らかにする必要があると考える。
    これまで筆者はアッサム州に居住する複数の民族(ないしはグループ)の関係性に着目して調査を進めてきた(浅田2014, 浅田2017)。その結果、ローカルな自然環境とそれを基盤にした生業活動によって、お互いが緩やかに紐帯しつつも空間的に棲み分けがみられることが明らかになってきた。本研究では、これまでと同様に生業活動に着目しつつも、各民族が空間的だけではなく社会的にどのような関係性を有しているのかを明らかにしたい。
    2.調査地および調査手法
    調査地域はアッサム州西部旧カムルプ県(バクサ県として2004年に分割した北側地域を含む)のブラマプトラ川北岸部である。この地域に居住する民族の中から、アホミヤ(在来のアーリア系ヒンドゥー教徒)、ボド(在来のチベットビルマ系民族)、ネパリ(外来のヒンドゥー教徒)、ベンガリ(外来のムスリム)を対象として、それぞれの民族が多数を占める村落において、世帯情報と生業活動に関するアンケート調査および聞き取り調査を実施した。調査は2015年8月から2017年3月までの期間に実施した。  
    3.結果と考察
    4つの民族は、世帯収入源と活動範囲が大きく異なっていることが明らかになった。アホミヤは州内の都市でフォーマル部門に就職する者が比較的多く、ネパリはフォーマル部門に就職する者もいるが、州外へ出かける者も多い。一方でボドは日雇い仕事、ベンガリは大工などを主な収入源とするが収入は低く、その活動範囲も限られている。また民族によって、学歴や世帯の土地所有面積にも差がみられる。
    アッサム州に暮らす民族は移住してきた当初から、異なる生業を営むことで空間的だけでなく社会的にも住み分け術を身につけてきたと考えられる。そして現在も互いの収入源や活動範囲をずらすことで衝突を回避するという戦略をとっている。都市部のフォーマル部門だけでなく、数字には表れないインフォーマルな経済が民族の数だけ何重にも存在しているのがアッサム州社会の実態であると考えられる。
  • 浅田 晴久
    セッションID: P082
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに
    地域資源を利用する技術としてマンボが再び注目を集めている(春山2014, 古関2015など)。マンボの定義は一様ではないが、横井戸の一種で渠壁にコンクリート等の覆工を施すことなく素掘りの穴の中を地下水による自然勾配で地下水を集める技術、と括ることができよう。西アジアのカナート・カレーズにも通ずるこの灌漑技術は、国内では三重県や岐阜県をはじめとして、滋賀県や奈良県にも分布するとされる。しかし奈良県のマンボについて体系的に調べたものは必ずしも多くはなく、古くは堀内(1958)の報告があるが、近年はほとんど報告が見られない。比較的最近の報告としては川ノ上(1990)があり、奈良盆地南西部において当時で55箇所のマンボが利用されていたことが確認されている。その後25年以上経過した現在もマンボは利用されているのだろうか。そこで筆者は奈良盆地南西部の金剛山東麓地帯において、マンボの分布を確認するとともにその利用法についても聞き取り調査を行った。  
    2.調査地および調査手法
    調査地域は奈良県御所市南部である。この地域は奈良県と大阪府の府県境を成す金剛山(1125m)の東麓に当たり、扇状地性の段丘が発達している。川ノ上(1990)が作成した小縮尺の横井戸分布図を参考にして、2015年2月から2017年3月まで現地調査を重ねた。  
    3.結果と考察
    調査を重ねていくうちに、現在も利用されているマンボは非常に少ないことが判明した。筆者の調査で確認されたマンボの数はわずか8箇所であり、うち現在も利用されているものは4箇所のみであった。その中でも水田の灌漑に利用されているものは1箇所にすぎない。残りのうち、2箇所は庭に水を引いて季節的に生活用として利用しており、1箇所は耕地の横に水が引かれているものの直接農業用水には利用していない。その他の地点では、かつてはマンボが存在したが、もはやなくなってしまったという回答がほとんどであった。
    過去25年あまりの間になぜこのような急激な変化が生じたのであろうか。最大の要因は吉野川分水の開通である。吉野川分水とは長年水不足に悩まされていた奈良盆地の農業用水をまかなうために、県南部の多雨地域を流域にもつ吉野川の水を引いてくるという大事業であり、戦後間もない1947年に計画が開始された。1950年代から吉野川と奈良盆地各地を結ぶ導水幹線水路が着工されたが、調査地域に当たる金剛工区が竣工したのは1980年代末のことであった(森瀧2003)。吉野川分水を通すにあたり、調査地域では大規模な圃場整備事業が行われ、従来は自然斜面に沿う形で広がっていた狭小な棚田が、水路を備えた直線的な田に転換されることになった。棚田の斜面につくられていたマンボも、その多くは90年代までに圃場整備と同時に姿を消すことになったのである。  
    現在もマンボが残されている地点は、吉野川分水の通水が及んでいない地域、ないしは吉野川分水の受益域の中でも標高が比較的高い地域になる。これは吉野川分水の灌漑期間が6月から9月までに限られているため、灌漑の不足分を補うためにマンボの湧水が必要とされているからである。吉野川分水がまったく届かない上位段丘面上の水田では、金剛山からの湧水を配分するために番水制がとられている。標高に応じた水の使い分けがみられる傾斜地域で、マンボは役割を変えつつも細々と生き延びているのである。
  • レーザー測量図を利用した詳細地形分類図
    阿子島 功
    セッションID: P011
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1) 検討目的  国指定史跡などで行われる史跡保存管理計画に直接関わる機能をもつような地形分類図の作成意義について、本学会2016秋季大会で述べた(地理予90,p.111)。傾斜地の史跡は、丘陵頂部と斜面を改変した中世山城、山地・丘陵地の開析谷の斜面や谷底面を利用した寺院境内地などであり、史跡によって要求される地形分類要素・表現縮尺・地形変化予測・入手できる基図が異なっているが、経験的に基図縮尺が少なくとも1/10,000以上、できれば1/2,000(等高線間隔1m)であれば有効である。表現すべき地形分類要素は、集水型斜面範囲、崖錐、谷底面、水路、盛土造成地、変状微地形(地すべり割れ目、断層小崖)などである。その上で、史跡保全において最も頻度の高い災害である風水害の危険箇所を付記するのがよいと思われる。
      基図として国土基盤情報の5m格子標高から作成した等高線間隔2~0.5m等高線図は、写真・レーザー測量の1/2,000程度の実測図に比べて谷型斜面の表現が甘いが、一応の目的にはかなう。
       山形県大江町(国史跡)左沢楯山城を例に、レーザー測量図に基づいて大縮尺の地形分類図を作成して効用を検討した。

    2) 中世の山城遺跡  史跡左沢楯山城跡の地形は、丘陵地を切り盛り整形してつくられた約400年前の人工地形である。天然の要害となる深い谷斜面に囲まれた丘陵頂を選んで、陣の配置を構想し、さらに切り盛り造成によって防御機能を強めている。尾根や山腹を削り、削った土を盛り立てて平坦面を広げて兵の溜まりと移動の場とし、段々の平坦面の間の斜面の勾配を増やして防御に役立てている。史跡左沢楯山城跡の地形のほとんどの部分が人工地形といえる。全山にわたって帯曲輪の平坦面、切岸の急斜面、堀切、あるいは土橋(?)などの施設がある。城が放棄された後、山林や耕地となっていたが、約400年前の造成地がほぼ残っているといえよう。

    3) 縄張り検出   レーザー測量によって樹林被覆を透かして測定された約0.5m格子標高点から合成して等高線間隔1mおよび0.5mで描かれた地形図(大江町教委2016年作成)を適宜縮小して、平坦部・急傾斜部の傾斜の違いを強調すると、そのまま縄張図としてこれら人工地形を良く表現できる。

    4) 想定する災害種    史跡範囲に分布している地質は、第三紀鮮新世の海成砂岩層で、半固結で、地表で風化をうけるともろく、特に水分を含むと容易に崩れる。植被を欠くと融雪期に霜の作用で壁面が崩れる。2013年7月の大雨(7/18の日降水量は132mm)では、表土崩壊、大規模地すべり・流土を生じた。表土崩壊は集水型斜面で起きていた。大規模地すべり(幅30m,長さ40mの地すべり。これから生じた土石流の延長80m)の発災箇所は昭和中期の谷埋め盛り土であった。
      約400年前の造成地がその姿をとどめている理由は、帯曲輪の平坦面は切り盛り造成ではあるが、原形の丘陵地形に沿って尾根の縦断方向・横断方向とも切り盛り土量の規模が小さく、地下水が集まるような深い谷を埋める造成はされていないこと、平坦面が集水型斜面となっていないためと考えられる。

    5) 表流水の経路の把握    この史跡の造成地形を将来にわたって保全するためには、集水型(凹型)斜面と平坦面を横切る水の経路を把握しておく必要がある。

    6) 等高線間隔1m基図による地形分類図・等高線間隔0.5m基図による地形分類図・等高線間隔0.2m基図による地形分類図・陰陽図の比較    当史跡全体にわたって空中レーザー測量によって0.5m格子標高点から間隔1mおよび0.5m等高線図が作成された。一部地区のみ地上レーザー測量で0.2m間隔等高線図が作成された。これらを基に集水型(凹型)斜面や変形地形を読図し、縮尺1/750~1/400の地形分類図を手作業で作成した。
       間隔1m等高線図から描くことができる谷型斜面は総描的、間隔0.5m等高線図から描く谷型斜面は線的である。
       陰陽図(朝日航洋㈱特許方式)に重ね合わせたところ、1/1,000陰陽図は集水型斜面を総描しているが、0.5m間隔等高線図の手作業による地形分類図のほうが流水の想定経路を詳しく表現できる(図1)。
        0.2m間隔等高線図による地形読図を、斜面の修復工事に伴う発掘調査によって検証すると、風化土と基岩との境、崩れはじめた土塊のちぎれ微地形を表すことが確かめられた。この精度の地上レーザー測量を急傾斜地の史跡全体に適用することはできないから、上述の史跡保全目的には0.5m格子標高点から発生させた0.5m間隔等高線図を基図とするのがよいことがわかった。
  • 宮城県石巻市を事例にして
    山田 浩久
    セッションID: 507
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    都市計画とは,パレート効率的な都市形成を実現するために,土地利用の整備,誘導,規制を行うことであるが,施策者が将来を見誤ったり,予想していたパレート改善がなされなかったりする場合もありうる。また,都市は意思を持った個々人の集合体であり,総体的思考から生まれる都市計画に必ずしも個々人の意思が一致するわけではない。特に,突発的な大規模災害等によって,都市もそれを構成する個人も混乱状態にある場合は,計画の理論的な再考を含め,平常時よりも短いスパンで土地利用の変化を把握し,細やかに軌道を修正していかなければならない。土地利用転換に関わる詳細な空間データの構築は不可欠であるが,それに先立つ迅速な事実認定がまずは必要であると考える。
    人口規模や市街地面積が大きくなるほど土地利用の現況を捉えるために要する時間は長くなるが,本研究では,その時間を短縮するための方策の一つとして衛星画像解析の有用性に着目し,宮城県石巻市を事例にして東日本大震災に伴う土地利用転換の特徴を同市の都市計画に絡めて試論的に報告する。
    宮城県石巻市は16万人の人口規模を有しており(2010年国勢調査),東北地方太平洋沿岸域の中心地として機能してきたが,東日本大地震による津波によって中心市街地を含む約73km2が浸水し,全家屋数の約7割に達する53,742棟が被災した(石巻市発表資料)。震災後の最大避難者数は約50,000人,避難箇所は250個所にのぼり,2017年に至っても仮説住宅で避難生活を続けざるをえない避難者が存在する。
    本研究で使用した衛星画像解析ソフトは米国Exelis Visual Information Solutions社のENVIであり,使用データは,RapidEyeの衛星画像である(リサンプリング後の解像度5m)。用意した範囲は,石巻市の市街地を中心とする約500km2であるが,市街地の連続性を考慮して,旧北上町,旧雄勝町,旧牡鹿町を外し,東松島市を含めて分析を行った。
    NDVI(Normalized Difference Vegetation Index:正規化植生指標)を用いて,2010,2011,2015年(いずれも8月)に撮影された画像の差分抽出を行ったところ,旧市街地縁辺に大規模な土地利用改変が観察された。これは震災復興基本計画に基づく新市街地建設によるものと考えられるが,人工物の新設は新計画区域に隣接する旧市街地内部にも及ぶ。市担当者によれば,震災前に造成されていた土地にも住宅建設が進んだということである。同市の土地市場が低供給高需要の状況に陥ったことは,震災前には下落し続けていた市街地の地価が震災後に上昇に転じたことからも確認できる。復興事業の進展も加わり,2015年の時点で地価上昇は継続中であり,その範囲も面的な広がりを持つようになっているが,このような地価上昇は土地需要者の探索行動を郊外に向ける要因となると考えられる。
    郊外農村域に対する大規模な土地利用転換は,県が事業主体となる農村整備事業(基盤整備事業)によるものが多い。震災との直接的な関連はない地区もあるが,震災による浸水や地盤沈下の被害を復旧するために一気に事業が進行した地区もある。また,未線引きの都市計画区域内や都市計画区域外に1~数戸程度の住宅建設が散見され,土地探索の郊外化を確認できた。
  • 北千里地域交流会を事例として
    久 隆浩
    セッションID: 619
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本研究では、地域における交流の場の意義と効果について、吹田市北千里地域交流研究会を事例に調査・分析した。ネットワーク形成には呼びかけの場や機会が必要であるが、地域における呼びかけの場として筆者らが各地で設置しているのが「まちづくり井戸端会議」である。人々が集まるプラットフォームからさまざまなネットワーク活動が展開されていく、そうした経緯を参加者の意見からあきらかにできた。より具体的には、以下の点があきらかとなった。 ①交流の場は、気づきの場、連携の場、として機能していた。 ②交流の場を契機とした活動は気づきによる自発的なものとなっている。交流の場は、参加者の気づきを促し、主体性を高める場となっていることがわかる。すなわち、活動をfacilitate(促進)する場ということができる。 ③立場や価値観、意見の異なる多様な参加者が参加するほうが、気づきを高めることができる。また、厳格な合意形成や全員による意思決定を行なわない場であるからこそ、違いを認め合い、気づきにつなげる心のゆとりが持てる。 ④気づきを楽しむ参加者は、自らが発言することがなくても、人の話を聞いているだけで満足感、充実感を感じている。また、主体性の高い人々の参加が多いことによって、話の内容も質が高くなっており、それが聞き手の満足感にむすびついている。 ⑤連携の場としての交流の場は、従来個々に活動を展開してきたメンバーをつなげる役割を果たしたり、補完しあうことで活動を実現させること、地域のネットワークを持てなかった人々のつながりづくりを促進させること、に役立っていた。 ⑦交流の場を活性化させる条件としては、参加者の主体性の高さと強制されない自由な雰囲気、が大事であることがわかった。
  • 山本 健兒
    セッションID: 305
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本報告の目的は,低い知名度でありながら特定商品の国内市場や世界市場で高いシェアを持つ「隠れたチャンピオン」のうち、周辺的地域に立地する企業が何ゆえにそうなりえたのか,その成長にとって地域的環境が意味を持ったのか,といった論点を考察することにある.そのために事例企業の代表者への詳細インタビュー,同社提供資料,各種のメディア情報を活用した.

    事例企業は佐賀県南西部に立地する A社である。同社の主力商品は「ファインブランキングプレス機」(FBプレス機)である.通常のプレス機での金属加工であれば,加工対象金属の切断面が平滑にならないので,バリトリ等の二次加工が必要になる.しかしFBプレス機であればそれが不要となる.しかも,鍛造・半抜き・曲げ・絞りといった各工程を組み合わせなければできなかった金属加工をプレスで可能にする機械である.三次元形状の複合成型プレス機ということもできる.それゆえ,精密加工でありながら量産が可能となる.

    FBプレス機が開発されたのは1922年,スイス人によってである.当初,薄い金属板の加工しかできず,ミシン部品などの生産に使われた.しかし1970年代半ば以降に自動車部品の加工にも用いられるような改良がなされ,厚さ20mm程度の金属板を複合加工できるまでになっている.トランスミッションや空調機などの自動車複合部品を構成する金属部品を加工する機械に,それはなっている.実際,FBプレス機を導入しているのは,自動車部品生産企業に多い。

    A社は日本国内のFBプレス機市場で70%のシェアを獲得してきたし,世界シェア30%以上を獲得している.2006年時点でFBプレス機製造企業は全世界で8社しかなく,そのうち5社が日本企業だった.それゆえ,A社は世界市場でも有力と言える。

    A社は1922年に佐賀県南西部の藤津郡塩田町で,地域農家への肥料販売を営むために森共同肥料(株)として,現社長の曽祖父母によって創業された.1944年に久保田鉄工の農機を販売するようになり,農機修理も手がけるようになった.戦後,佐賀県農林部の依頼によって釜入り茶製造機を開発し,販売するようになった.これが可能だったのは,佐世保の海軍工廠での機械製造と何らかの関わりをもつ人が従業員のなかにいたからだとのことである.1948年に鹿島に移転し,1956年に三菱電機長崎製作所の下請でモーター部品を生産するようになった.その主要技術は製缶だった.

    油圧プレス機生産を開始したのは1971年である.これは,単なる下請からの脱却を目指す先代社長の経営方針と,機械加工・機械組立,設計,電気制御の各技術分野で能力を持つ従業員が中途入社していたので可能になった.

    油圧プレス機の販売先は北日本の板金加工企業が多かったが,佐賀県内に立地する企業からの大量受注もあった.しかし,後発のA社にとって,その市場で優位性を発揮するのは困難だった.そこで,先代社長が東京にある自動車部品メーカー役員と知己になった際に,「FBプレス機を日本企業が開発すれば使いたい」と話されたことを契機に,両社で1981年にその開発に取り組んだ.FBプレス機に装備する金型は,その自動車部品メーカーが開発生産した.その後,A社は,FBプレス機の顧客を関西でも獲得したが,故障が頻発し,修理やメンテナンスのために毎週末,技術者がその顧客工場に通うほどだった.しかし,顧客工場現場で各顧客独自のニーズを把握して開発・生産・保守をすべきという経営方針とその実践の積み重ねにより,A社のFBプレス機は次第に自動車部品金属加工に携わる国内諸企業の信頼を勝ち取っていった.

    A社の進化を可能にしたのは,機械製造に関する知識形成である.たとえ,顧客が近隣にいなくとも,基盤知識を持つ技術者が顧客工場現場を訪問し,各顧客独自のニーズを把握することによって,その知識を向上させうるのである.

    A社の主要顧客は,今や九州北西部ではなく,自動車部品金属加工メーカーが多数ある関東,東海,関西などに広がっている.顧客との繋がりも生産ネットワークの構成要素と考えるならば,日本国内のみならず,東・南アジアへの輸出比率も約30%に達しているので,その生産ネットワークは世界規模に広がっている.

    しかし,地域とのつながりが意味を失っているわけではない.従業員の多くは地元出身者だからである.また,機械製造企業への進化過程において,三菱電機の下請,ここからの脱却,油圧プレス機の生産継続を可能にする大量受注の発注者が佐賀県内に立地する企業によるものだったことなどを考えると,地域はA社の進化にとって意味を持っていたと言える.しかしFBプレス機の開発と改良にとって地域は意味を持っていないと言わざるを得ない.
  • 岡 暁子, 高橋 日出男, 中島 虹, 鈴木 博人
    セッションID: P046
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    稠密な雨量観測データを用いて, 東京都と埼玉県周辺について降水の局地性・広域性に注目し, 事例を分類し1994年から2010年の夏季(6-9月)のうち1997年と2006年を除いた15年間を対象に, 以下の品質管理を経た全290地点の1時間値を用いて強雨発生の地域的な特徴を明らかにした. 品質管理では水平距離が5 km以上, 標高差50 m 以上移設された地点を解析対象から除外し, さらに時間降水量140 mmを超える場合, 1地点のみ孤立して観測値が大きい場合, 半径5 km以内に10 mm/h以上が3地点以上観測されたにもかかわらず0 mmとなっている場合, 雨量計データから求めた夏季15年間平均値の当該地点を含むメッシュ気候値に対する割合が, 他の地点と比べ大きく異なる地点を解析対象から除外した.  
    事例の分類は5 mm/h以上の地点数が日最大で全観測地点の60 %以下を局地的事例日, 60 %を超える日を広域的事例日とした.  
    15年間の夏季平均降水量は局地的事例日では関東山地の東斜面や都区部北部で多く, 広域的事例日では神奈川県西部から関東山地の山麓で多かった. 15年間の20 mm/h以上の年平均強雨頻度は局地的事例日では関東山地山麓と都区部西部・北部で高く, 広域的事例日では関東山地の東側斜面で高かった. 全強雨事例に占める局地的事例日の強雨頻度割合は, 埼玉県北部や都区部北部で高かった.
  • 池田 和子
    セッションID: 819
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は愛媛県八幡浜市真穴地区における季節労働者獲得の取り組みの事例研究である。当該地域は季節労働者を農家宅に宿泊させる点でユニークであり,この独自性と地域文化の関連性を検討する.
  • 堀内 雅生, 小寺 浩二, 浅見 和希, 猪狩 彬寛
    セッションID: P054
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
       火山地域では水資源が豊富で、保全、利用のためには水環境問題の把握が重要となってくる。特に、噴火による水環境汚染は火山噴出物から溶出した成分により周辺の生活や農業に大きな影響を与えると考えられる。これを踏まえ、2015年6月29日に箱根山の大涌谷で発生した噴火が周辺水環境へどのような影響を与えているか研究を進めている。また、箱根の河川水質は温泉排水流入の影響を受けていると考えられており(箱根水質調査団,1975)、それに関しても検討をしていきたい。

    研究方法
       調査は毎月1回実施しており、2015年7月から河川・沢・雨水を中心に、現地でAT,WT,pH,RpH,ECなどを測定した。さらに採水したサンプルを持ち帰り、研究室にて主要溶存成分等の分析を行っている。

    結果・考察
     1.河川の濁り
      大涌谷から流れる大涌沢が白濁し、大涌沢合流後の早川も濁りがみられ、下流まで続いていた。長期的に濁りは薄くなっているが、降雨の度に強くなる。

    2.河川のEC・pH
       早川ではEC、pHが基本的に200~400μS/cm、7~8で変動している。一方、大涌谷直下を流れる大涌沢では高EC、低pHを観測しており、特に噴火後は6,780μS/cm、pH2.4であった。長期的には大涌沢のECは低下し、pHは上昇する傾向にある。高EC低pHはこの他に須沢等で観測されている。箱根では温泉排水の影響を受けた地点が存在する。

    3.主要溶存成分
       大涌沢は陰イオンにCa2+、陰イオンにCl-、SO42-を多く含んでいる。早雲橋や湖尻橋では陰イオンのほとんどを硫酸イオンが占めている。須沢や蛇骨川では流下するにしたがってNaClの割合が多くなっていることが分かった。また、早川では強羅周辺を流下した後にNaClの占める割合が大きくなっている。一方、中筋五号橋や大畑沢中橋ではNa-HCO3型がみられ、ECも比較的低い。

       4.雨水
       雨水は大涌沢に最も近い地点で、ECが最大で210μS/cm、pHが最小で3.3を観測し、陰イオンには硫酸イオンが多かった。大涌谷周辺から離れるに従い高EC、低pHがみられなくなる。

    おわりに
       今後も引き続き溶存成分の分析や火山ガス濃度、風向きとECの関係、温泉排水が河川の水質に与える影響の検討などを行っていきたい。

    参 考 文 献
       箱根水質調査団(1975):箱根カルデラ河川流出水の溶存成分に関する温泉の影響について,神奈川県温泉研究所報告,6(2),87-116
  • 渡邊 三津子, 遠藤 仁, 小磯 学
    セッションID: 231
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.  はじめに  
    インド北東部とミャンマー北部に跨る峻険な山岳地帯(ナガ丘陵)に、ナガと総称される民族集団がいる。彼らは相互に理解できないほど異なる複数の言語集団を内包しているが、男系首長制社会や首狩り、裸での生活等の文化的な特徴が類似しているため、外部からは一括りに見られている。  ナガの人々は、山の尾根に集落を築き、焼畑による畑作や陸稲、水稲農耕を営み、狩猟や採集の比重も高い。家禽や家畜(ブタ)も飼育しており、半家畜といえるミタンニ牛を森林で放し飼いにしているという点も彼らの特徴となっている。  ナガの人々の生活や文化が広く知られるようになったのは、Fürer-Haimendorf (1939、1976)によるところが大きいであろう。しかし、Fürer-Haimendorfの調査時には「伝統」を残していたその生活ぶりも、急速なキリスト教化にともない大きく変化した。  各集落の一番目立つ場所(首長の家が建つ場合が多い)には教会が建てられ、伝統的な文化を後進的なものとするキリスト教の教育が驚くほど浸透している。また、キリスト教化に伴う、医療の充実や物質的な豊かさの享受により人口が急速に増加し、それに伴う土地利用の過密化により斜面崩壊や地滑りが多発して社会問題となっている。  本研究では、インド北東部のナガ丘陵の集落を対象として、1960年代撮影のCorona、2014年観測されたPleiades衛星画像などの比較判読や現地での観察を行い、1960年代以降急速に変化するナガ丘陵の土地利用や生業空間がどのように変化してきたのかを明らかにしようとしている。本報告では、Mimi、Khonoma村を取り上げ、集落周辺の土地利用の変化に影響を及ぼす地形的な要因について紹介する。
    2.結果
    図1、図2は、Mimi村、Khonoma村のCoronaとPleiades衛星画像を比較したものである。これを見るとMimi村とKhonoma村の双方において居住地域の増加がみられるが、その形態は異なっていることがわかる。図1にみられるように、Mimi村の場合には、小規模な集落を増やすことによって、居住域を拡大しているのに対し、Khonoma村の場合には、もともとあった集落が拡張し、隣接する集落と結合しながら居住域を拡大してきていることがわかる。  この要因として、急峻な地形が制約となり、集落が面的に拡大できないMimiに対して、起伏が緩やかで段丘面(平坦面)が発達しているKhonomaの差が、集落分布の変化のしかたに地域差を生み出していると考えられる。
  • 山中 勤
    セッションID: S0402
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    環境省による昭和と平成の名水百選によって、全国に計200の名水が誕生した。そのうちの68%が湧水(湧水と河川などの複合型を含む)であり、さらにその93%が山麓部(火山30%、非火山63%)に存在する。海外の地理学者・山岳研究者の間では、山を「天然の給水塔(natural water tower)」にたとえ、ライン川流域における山国スイスの河川流出寄与率(=45%)が面積割合(=22%)を大きく上回ることなどを強調している。こうした例を引くまでもなく、山岳の水供給機能は一般にもよく知られた事実であり、重要な生態系サービスの一つに数えられている。しかし、いわゆる「緑のダム論争」でも議論されたように、森林が必ずしも水供給量を増やすとは限らない。森林土壌が形成されることで渇水期の水供給量を増やす効果は期待されるが、火山体や扇状地には生態系の種類や状態に関わらず流出量の安定化をもたらす機能が備わっている。したがって、山岳の水供給機能を考えるとき、エコシステムだけでなく、ジオシステムとしての機能も併せて考える必要がある。本稿では、そのような機能を「地生態系サービス」として定義しなおし、水供給機能に焦点を当てた分析事例を紹介する。水供給を人間社会へのサービスとして考えれば、その最大化と安定化という2つの視点が有り得る。これらの機能は、豊水量と低水量という流況指標を用いて数値化できる。演者らは、中部地方170地点における延べ3178年分の河川流量・ダム流入量データを収集・編纂し、国土数値情報等を用いた多変量解析によって、豊水量・渇水量を規定する自然・人為因子の特定とその影響力の評価を試みた。豊水量を目的変数とした重回帰分析では、年降水量・年平均気温・年最大積雪深・台地面積・火山面積・第四期堆積岩類面積などが有意な変数として選択された。一方、低水流量を目的変数とした重回帰分析では、最大積雪深を除く気候因子は有意でなかった。このことは、低水流量が雪氷や地下水としての水貯留機能の良い指標となっていることを示唆する。重回帰式の偏回帰係数として評価された低水流量への影響力はゴルフ場・スキー場・荒地(森林限界以上の高地が主)で大きく、これらの面積が大きいほど低水流量が減少するという結果が得られた。これに対し、台地(扇状地)・水田は面積が大きいほど低水流量が増加する傾向が認められ、森林も弱いながら正の影響を有していた。以上の結果から、ゴルフ場やスキー場の建設といった山林伐採・斜面造成を伴う開発行為は流域の保水機能を低下させた可能性が強い。一方で、流域の保水機能を維持するためには扇状地や水田を適切に管理することが重要と言える。今後、こうした機能を地生態系サービスとして再認識し、流域圏管理や国土政策に活かすことが望まれる。
  • 手代木 功基
    セッションID: S1202
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    淀川水系の安曇川上流域,滋賀県高島市朽木地域における山林には,数個体以上のトチノキ巨木がまとまって生育する「巨木林」が存在することが報告されてきた.しかし,これらの分布の特徴と巨木林の成立要因については十分に明らかになっていない.本報告では,朽木地域におけるトチノキ巨木の分布状況とその傾向を示すとともに,一集水域を事例として巨木林の成立要因を検討する.

    2.方法 
    広域調査は2011年から2015年にかけて実施され,安曇川上流域の約60ヶ所の集水域データを用いた.これらの谷に出現した,胸高周囲長300cm以上の木本の位置情報,胸高周囲長等を記録した.この情報をもとに,トチノキを含めた巨木の分布をGIS上で表示した.次に,国土地理院提供の基盤地図情報・10mメッシュDEMを用いて,標高・傾斜角・斜面方位・谷の次数などと巨木の対応関係を明らかにした.また,環境省自然環境保全基礎調査・植生調査情報提供の1/25,000植生図「古屋」「饗庭野」「北小松」「久多」GISデータ(環境省生物多様性センター)を巨木の位置情報と結びつけ,トチノキ巨木が生育する場所の植生の特徴を把握した.
    さらに,巨木林の成立要因について一集水域を対象とした植生調査・地形調査・聞取り調査を実施した(手代木他, 2015).

    3.結果と考察
    朽木地域における約60の集水域には,トチノキの巨木は399個体出現した.また,トチノキ以外のカツラやブナ等の巨木も66個体が確認された.最大のトチノキ巨木は,単木では胸高周囲長が807cmの個体が存在した(複幹の個体では3本の周囲長合計が1053cmの個体が最大).トチノキの巨木は,斜面傾斜が平均32°の斜面に分布しており,40°以上の急斜面に分布する個体も多く存在した.また,トチノキ巨木と近接する谷の次数を算出すると,69%が一次谷,21%が二次谷であり,約90%の個体が谷の最上流部に生育しており,複数箇所に巨木がまとまって生育する巨木林がみられた.
    次に,GIS上で植生との関係を検討すると,トチノキ巨木が生育している場所は,34%が落葉広葉樹林二次林,33%が渓畔林,25%が植林地,8%が自然林(日本海型落葉広葉樹林)だった.すなわち,二次林や植林地といった人為の影響を受けた環境には約60%のトチノキ巨木が生育しており,これらの植生に囲まれる渓畔林も含めるとほとんどの個体が人為の影響を受けた地域に生育していると考えられる.以上の結果より,朽木地域におけるトチノキの巨木林は,人の手が入らない奥山ではなく,歴史的に利用されてきた里山地域に存在しているといえる.  
    一集水域の調査からは,より詳細な自然環境条件との関係性が明らかになった.すなわち,トチノキの巨木は,下部谷壁斜面と上部谷壁斜面の境界をなす遷急線の直上,及び谷頭凹地の上部斜面に多く分布し,小・中径木と比べて谷の上流側に分布が偏って樹林を形成していた.また,トチノキは伐採が制限され選択的に保全されてきたが,炭焼き等の山林利用の違いに依拠する形で谷によって巨木林の有無に違いがみられた.したがって朽木地域のトチノキ巨木林が成立する背景として,地形面の安定性と選択的な保全,他樹種に対する定期的撹乱が維持される環境が重要であることが示唆された.
  • 2014年長野県北部の地震を例にして
    石村 大輔, 遠田 晋次, 向山 栄, 本間 信一, 山口 恭子
    セッションID: 435
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに  近年の衛星を用いた計測によって地震時変位が広域に,かつ面的に捉えられるようになってきた.特に干渉SARが面的な変位を捉えるには効果的であり,数多くの地震に対して適用されてきた(Massonnet et al., 1993など).最近では,国内で内陸地震が発生した際には早急に干渉SARの成果が国土地理院によって公表され,地震断層の分布や変位量分布を把握するのに役立っている(2014年長野県北部の地震,2016年熊本地震など).ただし,それら衛星を用いた計測では,断層近傍や変位量の大きな部分の詳細な変位量の把握は難しく,現在でも現地計測のデータが持つ価値は大きい.一方,現地計測で断層変位を計測する際には,狭い範囲の計測になるため,長波長の変形(撓曲変形など)は過小評価につながる.そのような中で,LiDAR差分解析は衛星による計測と現地計測の間を埋める空間スケールの情報が高精度に得られ,近年の内陸地震に伴う変位を捉えることに成功している(品川ほか,2013;Nissen et al., 2014).
    2.手法  本研究では,LiDAR差分解析(Mukoyama et al., 2011;品川ほか,2013)を2014年長野県北部の地震に適用した.本研究では2013年11月と2015年10月に計測された2時期のLiDARデータを用いて解析を行い,約2年間に生じた変位の3成分(上下・東西・南北)を明らかにした.既存の現地調査結果(Okada et al., 2015)に解析結果を加えて,詳細な断層位置と変位量分布の把握を行い,断層のセグメントおよび浅部地下構造に関する考察を行った.
    3.神城断層と2014年長野県北部の地震  対象地域に分布する神城断層は,全長26 kmの東傾斜の逆断層であり,2014年にはその一部が活動した.地表地震断層(以下,地震断層)は,いずれの報告(勝部ほか,2014;Okada et al., 2015; Lin et al., 2015など)でも9 km程度であり,主に既存の活断層線沿いに現れた.現地調査に基づく変位量は,いずれの研究でも最大で1 m前後の上下変位が塩島付近で認められており,南部にかけて変位量が減少する傾向を示す.
    4.解析結果および考察  本解析結果から,地表に現れた地震断層は複雑に分布し,その分布形態と変位量分布から少なくとも2つのセグメントに分けられることが明らかとなった.地震断層分布は,Okada et al.(2015)の報告とほぼ同様であった.また,地震直後の調査で地震断層が不明瞭であった部分では,本解析結果を用いて地震断層出現地点を推定し,現地にて確認した.それらついて以下に述べる.北端部に位置する城山では,地震断層の通過位置が不明であったが,明瞭な上下変位が城山の西部を取り巻くように解析結果に現れ,この位置に地震断層が推定される.蕨平〜飯森の間では,姫川右岸の丘陵部と段丘の境界付近に大きな水平短縮が生じており,この部分に地震断層が出現したと考えられる.この地点は大塚(2014)などで報告されている地点であり,筆者らも現地にて地震断層を確認した.飯森と飯田の間では,姫川右岸の丘陵部と低地の境界に1 m弱の上下変位が解析結果から得られ,現地にて地震断層を確認した.  上下変位量は,城山〜蕨平と蕨平の南部〜堀之内にかけて2つの山型の分布を示すことが新たにわかった.北部で最大1.3 m,南部で最大約1.0 mの上下変位量を示す.これらは地震断層の平面分布形態とも対応し,地下浅部では少なくとも北部と南部で異なる断層を利用し,地表に変位が達したと考えられる.水平成分については,地震断層に直交成分と平行成分に分離した結果,地震断層を挟んだ短縮は最大1.4〜1.6 m,左横ずれは最大0.6〜0.8 mという値が得られた.また,これらの変位量分布は,地球物理学的に求められた断層モデルのすべり分布との対応が良く,すべり量の大きな部分を捉えることにも成功したと言える.
  • 今村 友則
    セッションID: 417
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに 多雪山地の自然斜面には,積雪グライドや雪崩などの雪食作用で植生が剥ぎ取られた裸地が存在する。本稿では,これらの裸地を雪食裸地と呼ぶ。雪食裸地は,多雪山地の景観を特徴づけるだけでなく,斜面侵食の影響評価を行う上でも重要である。雪食裸地の侵食プロセスについては,土砂災害防止や森林保全を目的に研究が行われてきた。侵食量を定量化する方法として,雪崩堆積物や流出水に含まれる土砂量を測定するのが一般的であるが,侵食量の直接的な算出は困難であった。本研究では,三国山脈平標山の雪食裸地について,SfMを用いて作成したDSMの標高変化値を調査し,雪食裸地に働く夏季の侵食プロセスを考察する。 2. 調査地域と研究方法 調査地域は,上越県境に位置する三国山脈平標山 (1983.3 m) の南西斜面である。対象とした雪食裸地は,地表面の粒度組成や傾斜が異なる4つの裸地 (A1, A2, B1, B2) であり,2016年の夏季に2~4回の調査を行った。 調査には,多数のステレオペア写真から被写体の3次元構造を復元するSfM (Structure from Motion) という方法を用いた。自撮り棒を用いて裸地を多方向から撮影し,高解像度DSM (Digital Surface Model) を作成した。この方法での,実際の地形とDSMの標高誤差は1 cm未満である。異なる撮影日から得たDSM同士の差分をとり,裸地の標高変化値とした。解析結果を,裸地に設置した定点カメラデータや,付近の気象データ等と比較し,雪食裸地の夏季における侵食量と,その要因について考察した。 3. 裸地A1の標高変化 裸地A1 (7月, 8月, 9月, 10月に撮影) は,全体が茶褐色の風化土層に覆われ,3~10 cmほどの亜角礫が散在する。裸地上部の傾斜は20 °以上,下部は10 °未満で,明瞭な傾斜変化がある。差分解析の結果,7~8月にかけて,裸地上部で2~3 cmの侵食,下部で2.5~3.5 cmの堆積が生じていた。侵食域と堆積域は,傾 斜20°の線で区分される。一方,8~9月,9~10月の差分値は1 cm未満であった。山麓の新潟県湯沢町 (340 m) では,7月28日に日最大1時間降水量42.5 mmが記録されていた。定点カメラには,7月28日前後で,礫に被さっていた土壌が削り取られる様子が確認された。また,Google Earthによる2010年と2015年の空中写真を比較すると,裸地面積が2倍以上に拡大していた。 4. 裸地A2, B1, B2の標高変化  裸地A2 (6月, 10月) は,風化土層の上を3~15 cmの亜角礫が覆い,傾斜25 °以上の直線型斜面を呈す。差分解析の結果,1 cm以上の侵食・堆積は見られず,礫移動による3~10 cmの断片的な標高変化が多数確認された。また,Google Earthの2010年と2015年の空中写真を比較すると,裸地面積が縮小していた。 B1 (7月, 8月, 10月) ,B2 (6月,10月) は,全体が5~20 cmの亜角礫で密に覆われる。B1は傾斜30 °以上の直線型斜面である。B2は裸地上部の傾斜が25 °以上,下部が5 °未満であり,明瞭な遷緩線が見られる。差分解析の結果,B1, B2とも1 cm以上の侵食・堆積は見られず,礫移動による断片的な標高変化も数地点で確認されるに過ぎなかった。 5. 考察  以上の結果より,雪食裸地は夏季において,主に短時間豪雨による雨水ウォッシュで侵食されるが,その量は,地表面の粒度組成と傾斜に規定されると考えられる。裸地A1のように,雨水で削られやすい風化土層に覆われている場合,急斜面での土壌侵食と緩斜面での土砂堆積が行われ,裸地面積は拡大傾向にある。一方,裸地B1, B2のように,地表面が礫で密に覆われる場合,雨水で削られにくいため,わずかに生じる礫移動以外では,ほとんど地形変化が起きない。裸地A2では,風化土層に覆われているものの,雨水ウォッシュによる侵食は見られず,裸地面積は縮小傾向である。この要因については,礫の被覆割合や,裸地発生後の経過時間が関係すると考えられるが,現時点では不明である。
  • 矢ケ崎 典隆
    セッションID: S1304
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    カナダ西部のブリティッシュコロンビア州の内陸に位置するオカナガンバレーは、この国有数のワイン生産地域として知られる。20世紀末から新しいワイン生産地域が急速に形成された。こうした地域の変化を読み解くためには、20世紀末以降のグローバル化の進展、新しいライフスタイルの登場、そして政府による産業振興政策を背景として、ルーラルツーリズムの一つの形態であるワインツーリズムに着目することが必要になる。すなわち、ワイン産業の発展は、農村空間の商品化の視点を導入することによって説明することができる。
    オカナガンバレーは、アメリカ国境の北側に、南北方向に150kmにわたって延びる谷であり、北からオカナガンレーク、スカハレーク、オソユースレークという湖が連なる。気候は比較的温暖で乾燥しており、19世紀後半にヨーロッパ系の入植者が植民を開始した。大陸横断鉄道の開通は地域の発展を促進し、リンゴやモモなどの果樹栽培が盛んになった。20世紀後半には、アメニティ産業の発展、別荘地開発、退職者コミュニティ、観光化、ワインツーリズムが進展し、人口増加と経済発展が実現された。
    ワイン産業は、地域外から資本、技術、経営者が流入することによって展開した。コロンビア州ワインインスティテュートのワイナリツアーガイドによると、2015年現在で136のワイナリーが立地する。地域的にみると、北部のケローナ地域、中部のペンティクトン・ナラマタ地域、南部のオリバー・オソユース地域にワイナリーが集中する。ケローナは内陸における経済と文化の中心地であり、多様な都市機能とワイナリーが混在する。ペンティクトン・ナラマタ地域では、果樹園からブドウ園への転換が進み、風光明媚な農村景観がワインツーリズムの基盤をなす。オリバー・オソユース地域では、西側の果樹地帯においてはブドウ園への転換が進んだし、東側では牧場に大規模なブドウ園が形成された。
    いずれの地域においても、ワインツーリズムの重要性は共通した特徴である。趣向を凝らしたワイナリー建物、試飲直売所、ワインツアー、併設レストラン、リゾート型宿泊施設は、多様なワインツーリズムを提供する。ワインフェスティバルも人々を引き付ける。
    新興ワイン生産地域の発展とワインツーリズムを読み解くカギとなるのは、カナダ人の生活文化である。ワインは人々の日常生活の一部であり、気に入ったワインをまとめて購入するのが一般的であるようにみえる。各ワイナリーがワインクラブをもち、固定客から注文を受ける仕組みも確立されている。地元の食材と地元のワインを楽しむという地産地消の発想が一般的であるように見える。これは日本におけるワインツーリズムとは異なる点である。すなわち、ワインツーリズムの基盤をなす人々の生活文化について、理解を深めることが重要である。
  • 飯田 義彦
    セッションID: S1206
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    朽木地域の山林は、奈良時代から森林資源の供給地として古くから他地域にも知られてきた。一方で、集落の人びとにとって、山林は燃料源、肥料源として集落の生活を維持する上で欠かせない役割を果たしてきた。とくに大正時代からは、京都や大阪などの大都市の消費地に近いこともあり、薪炭林施業が盛んに行われた。また、戦後は広葉樹がパルプ材として伐採される一方で、1980年代頃まで造林公社による針葉樹の植栽が進められた。
    そのような山林利用の歴史の中で、トチノキ(Aesculus turbinata)は、トチノミが食用として活用されてきたこともあり、代々伐採されずに選択的に残されてきた。ところが、2008年〜2009年頃にかけて、トチノキ巨木が数十本単位で一斉に伐採される事態が生じ、新聞報道が盛んにされるなど滋賀県内では大きな問題に発展した。2010年秋頃には地元関係者などにより保全団体が立ち上げられ、トチノキの保全活動が行われている。
    近年、集落の過疎化や高齢化、獣害が深刻化する中、山林の資源管理を適切に行う担い手の不足とともに、手入れの行き届かない山林が目立つようになってきている。本発表では、トチノキ巨木の「伐採問題」を契機として始まった外部アクターを巻き込んだトチノキ保全活動がどのように進められ、従来からのトチノキ利用にいかなる変化をもたらしているかを明らかにし、里山の自然資源管理に果たす市民活動の役割を考察することを目的とする。

    2.方法
    調査は2011年から「巨木と水源の郷を守る会」(以下、「守る会」という。)の活動に参加し、参与観察ならびに非構造的インタビューを不定期に実施した。また、2015年、2016年に実施された「トチノキ祭り」にて、巨木見学ツアーの参加者に対してトチノキ保全活動に関するアンケート調査を実施した。

    3.結果と考察
    2010年10月に設立された「守る会」は、当初はトチノキ所有者を中心に業者による伐採を差し止める活動が基盤であった。2011年度以降、滋賀県の森林環境税を活用したトチノキ巨木の保全と巡視活動に加えて、現状把握のための巨木調査、巨木見学会の開催と山林整備、県外からの参加者もみられるトチノキ祭りやトチノキ発表会といった普及啓発活動、トチノミ採集イベントの開催など、会の中心的な活動が構築された。また、トチノキの実生づくりやシカによるトチノミ食害の低減といった生態技術の開発に市民レベルながら挑戦している。
    一方で、同じ高島市内であり、安曇川流域の下流側にある針江地区の交流が図られるとともに、トチノキを生かした地域づくりを行なっている長浜市木之本の住民団体や京都府綾部市古屋地区の住民との相互交流も行われてきた。「守る会」が、同じような境遇にある地区同士の相互交流のプラットフォームとなり、獣害対策や特産品づくりなどの里山の自然資源管理の経験を潜在的に共有する機会を提供してきたといえる。
    朽木地域の巨木を含むトチノキ林は、琵琶湖の水源地保全の文脈のもと、伐採問題を契機とした市民活動の高まりや行政による働きかけにより、それまで世帯の所有物であった「私的財」から「公共財」へと期待される役割が変化している。また、実や材といったいわゆる供給サービスの提供から、環境教育、エコツーリズム、地域間交流のツールとして、トチノキ林の所有者ではない人びとに対する文化的サービスの提供に価値が置かれつつあると考えられる。
  • 兼子 純, 菊地 俊夫, 田林 明, 仁平 尊明, ワルデチュック トム
    セッションID: S1303
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    ローカルレベルでの小規模な流通,もしくは生産者と消費者間のダイレクト・マーケティングの重要性が,その土地の自然条件や位置関係,歴史的・文化的背景,産業構造などの地域の文脈で議論されることが必要であり,こうした動きに食料の生産の場として機能してきた農村地域や農業者がどのように対応しているのか明らかにする必要がある。本研究は,カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC州)バンクーバー島のカウチンバレー地区を対象として,地域資源を活かしたアグリツーリズムの事例分析から,農村観光の特徴を明らかにする。
    バンクーバー島は,BC州の南西端に位置する。島全体の人口は約76万であるが,2000年以降一貫して増加を続けている。主要都市は島の南東部に集中しており,BC州の州都であるビクトリア(人口:約34万)は島の南東端に位置する。島の主要産業は元々林業であったが,近年では豊かな自然環境を活かしたアウトドア観光のほか,植民地時代の遺産を活かした都市観光に加えて,農村観光が盛んになっている。  研究対象地域であるカウチンバレー地区は,バンクーバー島の南東部,州都ビクトリアの北に位置する。カウチンバレー地区はカナダで唯一地中海性気候帯に属する温暖な地域である。このような気候条件に加えて,山や海,湖が地区内に近接して存在するという自然環境,島の主要都市から車でおよそ1時間という立地条件から,近年観光業に力を入れている。 
    カウチンバレー地区では恵まれた自然条件の下,多様な農業が展開され,それらを観光に結びつける動きが盛んである。当地区では西部が山間地で農業不適である一方,中央部の丘陵地では畜産関係,東部を南北に走る主要道路沿いには果樹・野菜生産など高付加価値で比較的集約的な農場が分布するとともに,菊地ほか(2016)で示されたワイナリーも分布する。  農業生産者はいくつかの形態でアグリツーリズムの場を提供する。一つは主要都市ダンカンで毎週土曜日に開催されるファーマーズ・マーケットである。このマーケットは通年開催で,出店登録者は177(2016年)である。地元農業者を中心に出店があり,直売としての機能のほか,出店者の農場と消費者を結びつける役割を果たしている。  ワイナリーはカウチンバレー地区を特徴づける重要なアグリツーリズムの場であるが,ここでは地区で唯一のアップルサイダー農場の事例を紹介する。地区南部の丘陵地コブヒルに立地するこの農場では,自園地で生産したリンゴからアップルサイダーを生産・販売している。整備された園地ではリンゴの生産,商品の直売のほか,ビストロが併設されるとともに,結婚式場としても使用される。その他に発表では,地域密着型農業に取り組む農家レストランの事例,ファームツアーを開催する水牛農家の事例を紹介する予定である。
    対象地区の海岸部に位置するカワチンベイ(図1)は,2009年に北アメリカで最初のスローシティ組織である“Citta Slow(チッタスロウ)”コミュニティに認定された。カワチンベイは夏季には大変賑わいを見せる観光地になっているが,同組織の活動趣旨は経済的な観光地化ではなく,農村地域のコミュニティ形成にあるという。本発表では,このスローシティの実態を紹介したい。
  • 水中戦争遺跡とサンゴ礁地形を例として
    菅 浩伸, 長尾 正之, 片桐 千亜紀, 吉崎 伸, 中西 裕見子, 小野 林太郎
    セッションID: 736
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    陸上の地形や遺跡では,従来の航空写真や大縮尺地形図を用いたマッピングに加えて,小型無人航空機(UAV)とSfM多視点ステレオ写真測量(SfM)ソフトウェアの発達によって,高精密な地図の作成や三次元モデル化が可能になってきた。また,衛星を用いた高精度測量(RTK測量など)も可能である。しかし,水中では衛星を用いた測位を直接用いることができない。水中遺跡では,あらかじめダイバーによって海底に格子状に基線を張った上で写真を撮影し,SfMソフトウェアを用いて三次元モデルを作成する例が報告されている。しかし,これらは一般には正確な地理座標をもたず,より大深度の地形や遺物ではダイバーによる基線の設置作業が難しくなることが難点である。
    我々は高解像度のマルチビーム測深によってきわめて高精度で地形を可視化し地形研究を行っている。しかし, SfMはより精緻な地形を構築することができ,テクスチャーも表現することが可能である。本研究では高解像度マルチビーム測深とSfMによる三次元モデル構築をあわせて,水中の微地形および文化遺産を高精度で可視化することを試みた。

     2.調査方法と調査地域
    本研究では,水中で撮影した写真を基にSfMソフトウェアで構築した三次元モデルに,マルチビーム測深によって得られた座標を参照点として与え,地理座標を持った三次元モデルを作成した。
    第一の調査対象は,沖縄・古宇利島の北東海域の水深40mに沈む全長100mの米国軍艦エモンズ(USS Emmons)である。エモンズは第二次大戦末期の沖縄戦において、日本軍特攻機の攻撃によって航行不能となり沈められた。船体の近くには日本軍機の残骸も認められる。特攻によって攻撃され沈められた軍艦が,そのままの姿で海底に沈んでいる遺跡は,現在のところエモンズしか報告されていない。まず,マルチビーム測深を用いて船体周辺部及び周辺海域の地形を高精度で測量した。これとともに,SCUBA潜水にて全長約100mの船体を撮影した1716枚の高解像度写真(7360×4912ピクセル)を用いてSfMソフトPhotoScanを用いた三次元モデルを作成した。三次元モデルにはマルチビームデータを基に位置と深度の基準点(Ground Control Point)を与え,120 m × 30 m の範囲について約0.1mの高精密DEMデータを作成することに成功した。
    第二の調査対象は,沖縄・八重山諸島の嘉弥真島北方のサンゴ礁礁縁部の縁脚と周辺の縁溝地形(水深14~18m,約20m×30mのエリア)である。SCUBA潜水にて撮影した約1600枚の写真を用いて,同様の作業を行った。

    3.本研究の成果とその波及効果
    本研究では,世界ではじめてSfMにマルチビーム測深を組み合わせて三次元モデルを作成することに成功した。今後の海底地形研究や水中遺跡研究に応用可能である。
    なお,本研究では激戦地の沈没戦艦の可視化に成功したが,これによって当事者の証言や戦争記録で構築されてきた戦艦の破損状況や特攻に関する歴史的事実について,物的証拠から検証することが可能となった。今後は戦艦の保存状況についての詳細なモニタリングや国際的な情報共有を行うことが可能となる。本研究の成果は水中文化遺産保護条約によって2045年前後に正式に文化遺産となる第二次世界大戦の水中戦争遺跡の保存・活用方法を検討する上でも,重要な事例を提供するであろう。
  • (シンポジウム趣旨説明)
    松本 淳, 財城 真寿美, 三上 岳彦, 小林 茂
    セッションID: S1501
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに

    地球温暖化をはじめとする気候変動の問題は,地球の将来環境に大きな変化をもたらす懸念もあって,社会的にも大きく注目されている。気候変動の科学的認識には,気象観測データが必須で,人類の気候変動に関する知識は,正確な気候資料の有無に依存しているといっても過言ではない。

    正確な気候データの基礎となる近代的な気象観測は,17世紀にヨーロッパで始められ,300年以上の歴史がある(吉野, 2007)。一方アジアでは,主に欧米諸国の植民地化の過程の中で,19世紀後半から気象観測が継続的に行われるようになり,百数十年程度の気候データの蓄積がある。日本では1875年に気象庁の前身である東京気象台で気象観測が始まった。観測データは多くの国の気象機関で月報や年報などの印刷物として刊行・公開され,特に月別の統計値は,World Weather Records, Monthly Climatic
    Data for the Worldなど世界中のデータを網羅したデータとして刊行され,気候変動研究に活用されてきた。1980年代以降は,電子媒体での利用が一般的となり,CRU, GPCCなどでグリッド化されたデータが主に利用されるようになっている。

    しかし,アジア諸国では,1950年以前は多くの国が植民地だったこともあって,インドなど一部の国を除くと植民地時代の気象観測データは,ディジタル化が進んでおらず,気候変動研究に活用されていない。旧英領インドでも,現在のインド以外の領土(バングラデシュ,ミャンマーなど)の日データはディジタル化されていない。日本では,気象庁の区内観測所での稠密な気象観測データ日別値等はディジタル化されておらず,科研費等による日降水量のディジタル化が進められている(藤部他2008)。気象台とは別に,江戸時代に来日した外国人らによる気象観測が行われており,それらを活用した気候復元もなされている(Zaiki ,2006: 三上他,2013等)。明治時代には,灯台において気象観測が行われていたことも近年になって判明した。さらには戦前・戦中には日本の海外統治域のデータが多く存在する。そかしこれらのデータの多くはディジタル化されておらず,実態さえもよくわかっていない。小林・山本(2013)は戦時中のデータの実態を解明し,山本(2014, 2015)は戦前・戦中の大陸における気象観測の実態を明らかにした。このような古い気象観測データを掘り起こし,気候研究に利用できるようにする活動は,データレスキューといわれ(財城, 2011),国際的にも精力的に取り組まれている(Page et al. 2004等)。世界気象機構WMOのプロジェクトとして,Atmospheric Circulation Reconstructions
    over the Earth (ACRE: http://www. met-acre.org/, Allan
    et al. 2011)が実施され,世界各地でデータレスキュー活動が進められている。

    このような状況を踏まえ,本シンポジウムでは世界各地に散在するアジア各国の戦前・戦中を中心とした気象観測データのデータレスキューの国内外での現状を整理し,今後の気候変動研究への活用について議論したい。

    2. シンポジウムの構成

    本シンポジウムでは本発表に続き,まず東南アジアや南アジアにおける状況を2発表で概観する。続く5つの発表では,日本における様々の状況について明らかにする。最後にデータレスキューされた資料を活用した長期再解析の現状と課題を示す。別途,関連する発表を,グループポスター発表としている。これらを踏まえ,最後に科学史の立場から気候データレスキュー全般についてコメントを頂戴した後,総合討論を行う。参加者による活発な討論をお願いしたい。

    なお,本シンポジウムは,科学研究費補助金(基盤研究(S),課題番号26220202, 代表:松本淳及び基盤研究(B), 課題番号????????, 代表:財城真寿美)による成果の一部を活用して開催するものである。
  • 久保田 尚之, 松本 淳, 三上 岳彦, 財城 真寿美, 塚原 東吾, 赤坂 郁美, 遠藤 伸彦, 濱田 純一, 井上 知栄, Allan ...
    セッションID: S1502
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.      はじめに 近年発生する極端気象が、10年に一度の現象なのか、それとも100年に一度なのか、その違いで地球温暖化や気候変動の議論が大きく変わる。これは過去の気象データの蓄積により明らかにすることができ、世界中で過去の気象データを復元する「データレスキュー」が取り組まれている。東アジアや東南アジアの国々では、独立前の1950年代以前の気象データは、散逸している場合が多い。本研究では、1950年代以前の東アジア(日本を除く)と東南アジアに着目して、旧宗主国によって行われた気象観測データを収集・復元し、100年スケールの気候の長期変化の解明に向けた研究を報告する。 2.  東アジア、東南アジアでの気象観測開始 東アジアや東南アジアの気象台を建設した継続的な気象観測は、1860-1870年代に開始された(図1)。マニラや上海はイエズス会の功績が大きく(Udias 1996)、香港やジャカルタは旧宗主国のイギリスやオランダによるものである。他にもフランス、ポルトガル、スペイン、ドイツ、アメリカ、日本が19世紀後半から20世紀前半にアジアで気象観測を行ってきた。これ以前の1830-1840年代にも、数地点での気象データが新聞や雑誌などに記録が見つかっている(Zaiki 2008, 塚原2013)。 3.  データレスキューの国内外の取り組み これらの気象データは戦争や独立の混乱で世界中に散逸しており、各国を回り収集してきた。気象資料は、紙媒体に記録されており、解析するには、データのデジタル化と品質管理が欠かせない。データレスキューの取り組みは、国際的にはAtmospheric Circulation Reconstructions over the Earth (ACRE)(Allan et al. 2011)がリードしており、東アジアや東南アジア域では、ACRE China, ACRE Southeast Asiaが役割を果たしている (Williamson et al. 2016, Williamson 2016)。国内では科研費基盤S「過去120年間におけるアジアモンスーン変動の解明」(代表松本淳)を中心に、取り組んでいる。復元した気象データは、気候の長期データセット(Compo et al. 2011, Cram et al. 2015)の作成や、長期変化(Villafuerte et al. 2014)、数十年変動(Kubota et al. 2016)の研究に利用されている。 4.  データレスキューの今後の展開 復元対象の気象データは、地上気象データだけに留まらない。上空の風を測定するパイロットバルーン観測が1920年代にアジアでも行われるようになり(Stickler et al. 2014)、日本がアジアで観測した多くの高層気象観測データが見つかっている。また、西部北太平洋域で発生した19世紀後半からの台風経路データが、日本、マニラ、香港、上海の気象局で独自に記録され(Kubota 2012)、台風の長期変化研究に利用されている(Kubota and Chan 2009, 熊澤他2016)。さらに、陸上で気象観測が展開される以前の19世紀前半に、欧米の船舶がアジア周辺に往来し、海上や港で気象観測した航海日誌が多く見つかり、今後の研究対象として注目されている。
  • ―世界金融危機後の灌漑果樹生産地域の変容―
    羽田 司, 山下 亜紀郎, 宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, Marcelo Eduardo Alves Olinda, Armando Hid ...
    セッションID: 234
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
      ブラジル北東部(ノルデステ)の熱帯半乾燥地域(セルトン)を流れるサンフランシスコ川中流域には,20世紀後半以降の大規模灌漑プロジェクトにより灌漑農業地域が形成され,1990年代以降は多品目の果樹が生産されている.ここで生産されるマンゴーおよびブドウはブラジルの他の産地に比べ輸出志向が強いのが特徴である(山下・羽田2016).しかし,2007年に始まる世界金融危機による国際的な不況の煽りを受け,地域の農園をはじめとする農業関連主体では経営転換が要求されることとなった.そこで本研究では,世界金融危機に対し農園や流通主体がいかなる対策を講じたのかを検討することで,サンフランシスコ川中流域に発展した灌漑果樹生産地域の変容を明らかにする.
    2.サンフランシスコ川中流域における灌漑果樹農業の発展
      1966年に「サンフランシスコ川中流域灌漑基本計画」が策定されるとペトロリーナおよびジュアゼイロには国家主導で灌漑農業地域が形成された.灌漑事業が進行するに伴い完成した農地ではマメやトウモロコシ,トマトなどの単年性作物が積極的に導入されてきた.しかし,1980年代末になると激しい連作障害に見舞われたことを受けて,連作障害が発生しにくい永年性の果樹類,とくにマンゴーとブドウへの転換が進んだ.こうした果樹を中心とした農業は現在まで継続しており,マンゴーとブドウのほかグァバ,バナナ,ココヤシ,アセロラなどの熱帯性の果樹も多くみられる.中・大規模な農園ではマンゴーまたはブドウに特化した農業経営もみられるが,小規模な農園では複数の果樹作物が栽培されており,果樹複合経営となっている.
    3.世界金融危機への対応と果樹農業の現在
      世界金融危機により大きく経営転換が図られたのはブドウの輸出実績のある農園や流通主体であった.輸出用果樹を生産する農園は中・大規模な農園が多く,輸出方法としては①農園が直接海外の取引先に出荷する場合と,②産地内の集出荷組合や輸出業者を介して出荷する場合がある.世界金融危機に対する基本的な対応として,輸出割合を減少させる一方,国内流通割合を高めている.加えて,ブラジル国内市場では稀少な海外新品種を,ロイヤリティを払ってでも栽培することで収益を高める工夫がみられる.こうした新品種の導入は輸出方法が①のような農園において迅速に実施された.これは主に園主による意思決定のみで新品種の導入が決まるためである.一方,②のような農園では,産地内の集出荷組合や輸出業者といった組織による意思決定と,自農園による意思決定が必要となるため①よりも対応が遅れている.
    4.おわりに
      本地域の果樹農業は世界金融危機を契機にブドウを中心に輸出割合を減じながら国内市場で有利に販売できる海外新品種が導入されている.しかし,こうした新品種は小規模な農園では採用されておらず,今後いかに地域に普及していくのか注視する必要がある.また,導入が進むブドウ新品種は収穫が年2回の品種が多く水使用量が増加している.少雨による深刻な水不足の中,現在のような農業経営の持続可能性について今後検討していく必要があろう.
  • 矢巻 剛, 小寺 浩二, 阿部 日向子, 池上 文香
    セッションID: P055
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
       日本には数多くの島嶼が存在し、その独立した環境のためそれぞれ独特の環境を呈する。過去の研究結果から、四方を海に囲まれた離島の陸水は一般的に海塩の影響を受けやすいと考えられている他(後藤ほか1989)、その多くが比較的小規模で限られた空間であるため、農業などの人間活動のみならず雨水などの降下物の影響が大きく反映される傾向にあると考えられている。しかし、対馬・壱岐・五島列島に関するものは比較的少ない。また、日本海沿岸でも越境汚染の影響が見られる(尾関ほか2004)ので、大陸と日本列島の間に位置するこれらの島々も大陸由来の降下物の影響を反映している可能性が高い。本研究では、それぞれの島の陸水や雨水の水質の特性を比較しながら水環境の現状を明らかにすることを目的とする。

    対象地域
    1 壱岐島・対馬
       壱岐島は九州北部の玄界灘に位置する面積 136.69km²の島である。なだらかな地形が特徴で島の各地に数多くの溜池が存在している。一方対馬は九州北部の玄界灘に位置する面積約708 km²の島で壱岐島と比較して島全体の標高が高く、島土の約89%を山地が占める。地質は大部分が堆積岩で、表土も薄く岩石が露出する景観が見られる。

    五島列島
     
      
    五島列島は長崎港から西に100kmに位置する総面積約690 km²の島である。北東側から南西側に80kmに渡り、約140の島々が連なる。自然海浜や海蝕崖、火山景観など複雑で変化に富んだ地形で、各島ごとに大きく地質条件が異なる。

    研究方法
      
    2014~2016年の春季と秋季に水文観測を行った。現地で気温、水温、EC、pH、RpHを測定し、サンプルを持ち帰りTOCの測定、イオンクロマトグラフィーによる主要溶存成分の分析を行った。雨水については毎月採取したサンプルを同様に分析した。

    結果・考察
       
    調査・分析の結果、ほぼ全ての島の陸水には海塩の影響が見られ、壱岐島における陸水の全体的な特徴として海塩よりも地質による寄与が大きい点、対馬については上島と下島で水質組成が異なり下島は風送塩の影響が顕著であるという点、五島列島は地域によって地質の寄与が見られ、壱岐島や対馬と比較して硝酸が多く検出された点が明らかとなった。これらは地質や地形、農業形態の相違によるものと考えられる。

    おわりに
       
    今後は小流域での解析を進めてゆくほか、より各島における陸水の特徴を明確にしてゆく必要がある。

    参 考 文 献
       尾関徹,井原聡博, 岡田年史,菊池良栄, 小川信明(2004):降水中の汚染物質の越境汚染に関する日本海側広域調査(2000~2001)と主成分分析によるイオン種の分類
  • 古田 昇, 都郷 雅司
    セッションID: 135
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    徳島県つるぎ町立半田中学校で開講している中学一年生の総合学習の時間に行われた、中学校校区における中学生が現地調査し、総合討論し、判断した危険箇所のマップ製作と、つるぎ町で行われる防災訓練時にj地域住民に披露するためのプレゼンマップ作成に、徳島文理大学の大学教員が参画し、具体的な出張講義を毎月実施すると共に、GIS(地理情報システム)を用いたマップ制作の指導助言を行った。中学生目線での危険箇所判断は、成人が気付かない視点からの危険箇所を指摘すると共に、自宅で家族とともに会話を交わすことで、中学生のみならず、家庭・地域を挙げて危険箇所の日頃からの注意喚起と、発災時の避難対応に有益である。また、GISによる作成を通じて、地理情報システムの長所や有効性に気づくとともに、トレーニングともなり、スマホに頼りがちな彼らに、パソコンの利点を意識づけることができた。さらに、地域を現地調査することによって、地域の自然環境理解と、地域特性を深く知ることにつながり、地域の特産や生業が地域の自然環境と密接に関連し合って、今日まで数百年の時を超えて、伝統的に受け継がれていることに、彼らの視座が広がり、地域への愛着心や両親を含めた人生の先輩方への深い尊敬の念が芽生えたことは教育上大変有意義なこととなった。いうまでもなく、大学と中学校との協働教育は、信頼関係が前提ではあるが、毎月の中学校訪問でお互いにフレッシュな気持ちと共に、マップを共に作り上げていくという目標を彼らに与えることができ、モチベーションの持続という意味でも有意義な取り組みであった。
  • 猪狩 彬寛, 小寺 浩二, 浅見 和希
    セッションID: P051
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ はじめに
       当研究室では高山湖沼や活火山周辺域における水環境の研究を行っている。特に2014年に噴火した御嶽山を中心に、2015年6月16日午前に小規模噴火が観測された浅間山でも継続調査を行っている。浅間山周辺の水質を把握し、地域特性を明らかにすることで、水環境形成の要因を考察することを試みた。調査は2015年6月から2016年10月までの毎月と同年12月及び2017年2月の計19回行っており、現在も継続中であるが、約2年間の結果を整理し、報告する。

    Ⅱ 研究方法
       2015年6月から2016年10月までの毎月と同年12月および2017年2月の計19回の調査を実施した。調査対象は浅間山周辺の河川や雨水の全47地点である。現地調査項目はAT, WT, pH, RpH, EC等である。また水のサンプルを研究室に持ち帰り、ろ過を済ませたのちTOCおよび主要溶存成分の分析を実施した。

    Ⅲ 結果と考察
    1.河川(北麓)
       湯尻川や泉沢周辺では重炭酸カルシウム(Ca-HCO3)型の水質が分布し、水温・EC値共に周辺に比べ低いことが確認された。pHは7.0~7.5前後の地点が多いが、その変動は泉沢周辺で大きく、季節ごとの人為的影響が強く出ている。ECは湯尻川や泉沢で100µS/cm前後だが、東の地域では地点間の変動が激しく、高羽根沢と地蔵川で200µS/cm、小滝沢と濁沢で300µS/cmを超え、特に片蓋川では平均値が500µS/cmを超えている。

    2.河川(南麓)
       地点による水質の差が北麓に比べ顕著であった。EC値の大きい地点では、ナトリウムイオン、マグネシウムイオンなどの陽イオン、重炭酸イオンや硫酸イオンなどの陰イオンの比率が大きくなり、濃度も高く、pH・EC値共に高い傾向にある。湯川や蛇堀川では同一水系でも地点によって各測定結果に大きな差が表れた。

    3.降水
       山体の東側に位置する六里ヶ原および鬼押出し園の降水は、西側に位置する降水と比べpHが低くEC値が大きくなる傾向が見られた。東西でこの傾向が入れ替わる場合もあり、風向および風速の影響が示唆された。

    Ⅳ おわりに
       規模が小さかったこともあり、噴火による水環境の変化はほとんど現れなかったが、浅間山南斜面を流下する濁水や北麓の夏季に異常に低い水温を示す地点など、浅間山周辺河川の特色がつかめてきたと同時に、2年間の水質の変動についてもある程度把握することができた。今後も調査を継続するとともに、今まで調査できていない上流域の調査を行ないたい。

    参 考 文 献
       鈴木秀和・田瀬則雄(2007):浅間山北麓における湧水温の形成機構と地域特性, 日本水文科学会誌, 37(1), 9-20
       鈴木秀和・田瀬則雄(2010):浅間火山の湧水の水質形成における火山ガスの影響と地下水流動特性-硫黄同位体比を用いた検討-, 日本水文科学会誌, 40(4), 149-162
  • 水利事情からみた灌漑果樹農業の持続性
    山下 亜紀郎, 羽田 司, 宮岡 邦任, 吉田 圭一郎, オーリンダ マルセーロ エデュアルド アウベス, シノハラ アルマンド ヒデキ, ...
    セッションID: 235
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    本研究が対象とするブラジル・ペルナンブコ州ペトロリーナは,ブラジル北東部(ノルデステ)の内陸にひろがるセルトンと呼ばれる熱帯乾燥・半乾燥地域に位置している.1960年代以降,当地域を流れる大河であるサンフランシスコ川を水源とする大規模灌漑プロジェクトが各地で実施された.その中流域にあたるペトロリーナおよび周辺地域でも,1978年にソブラディーニョダムが建設され,広大な灌漑耕地が新たに開発された.そして1990年代以降には,マンゴーやブドウなどの果樹生産が飛躍的に普及し,その結果,現在のペトロリーナおよび周辺地域は,ブラジルでも有数の灌漑果樹生産地域となっている.
    本発表では,そのような大規模灌漑プロジェクトが実施されたサンフランシスコ川中流域のペトロリーナを対象に,近年の干ばつが毎年続いている状況下における,水供給側の取水・給水の実態と水需要側(農家)の灌漑の実態に関する現地調査の結果を報告し,灌漑果樹農業の持続性について考察する.

    2.ペトロリーナ周辺地域の水利事情

    セルトンは干ばつの常襲地域であり,ペトロリーナの降水量データをみても数年に一度の周期で少雨の年があるが,2011年以降は毎年,年降水量400mm以下の少雨年が続いている(山下・羽田2016).それはソブラディーニョダムの集水域としての上流部も同様で,そのため同ダムの貯水率も非常に低下しており,2015年8月には12%,そして同年12月には6%まで下がった.その後再び回復したとはいえ,10~20%程度で推移している.
    サンフランシスコ川中流域で実施された灌漑プロジェクトのうち最大のものは,プロジェクト・セナドール・ニーロコエーリョ/マリア・テレザであり,ペトロリーナ市街の北側に広がる灌漑耕地面積は20,000haを超える.その耕地にソブラディーニョダムを水源とする用水を供給しているのが,DINCと呼ばれる組織である.DINCによる取水量の変遷をみると,干ばつが続く2011年以降においてむしろ取水量が増えており,月別データをみても雨季より乾季において取水量がより多い.一方で水需要側(農家)がDINCに支払う水使用料は値上げ傾向にある.

    3.果樹農家の灌漑方式の変遷と現状
    当地域に多くの農家が入植した1980年代には,灌漑プロジェクトのインフラとして整備されたaspersãoと呼ばれるスプリンクラーによる灌漑方式が主流であった.1990年代になると,micro aspersãoやgotejo(点滴)などといった節水灌漑が急速に普及した.しかしながらその理由は,水を節約するためというよりも,労働力や水使用料も含めてより少ないコストでより多くの収量・収益を得るためという経済的側面が強い.したがって干ばつが続く近年にあっても,作物の収量や品質を維持することが最優先され,水使用料が値上げしているとはいえ,農家による用水量の削減というのはほとんど行われていない.

    4.おわりに
    本発表の内容をまとめると以下の通りである.
    降水量やダム貯水率の現状からは,当地域では干ばつが続いているといえる.しかしながらDINCも農家も,水を節約することよりも作物に必要な水を与え続けることを優先している.とはいえ当地域では従前から節水灌漑が広く普及していたため,今のところこのことが問題化するには至っていない.むしろすでに節水灌漑が広く導入されているからこそ,干ばつであっても容易にこれ以上用水量を減らすことができないといえる.

  • 田中 博春, 馬場 健司, 田中 充
    セッションID: S1601
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    I.  気候変動への適応に関する動向
    2014年3月に公表された「IPCC第5次評価報告書第2作業部会報告書」では、気候変動への適応に関する記述が大幅に増加した。2015年11月には、政府が「気候変動の影響への適応計画」を閣議決定した。気候変動対策は、これまで温室効果ガスの排出削減策(緩和策)が主体であったが、それに追加して、変化する気候に適応する対策(適応策)が求められるようになってきた。具体的には、農産物の栽培適地の変化、集中豪雨の増加に伴う災害発生数や規模の増大、熱中症発送者数の増加に対応する対策などである。国の適応計画の閣議決定を受け、独自の適応計画や基本方針などを策定する地方自治体も増えている。

    II.  気候変動適応技術の社会実装プロジェクト
    2010年に、気候変動の影響評価と適応策、または影響評価に資する気候シナリオの作成などを目的に、文部科学省、農林水産省、国土交通省、環境省で省庁レベルのプロジェクトが開始された。このうち、文部科学省RECCAと環境省推進費S-8の流れを受け、2015年12月に文部科学省のあらたな気候変動適応プロジェクト、「気候変動適応技術社会実装プログラム(SI-CAT)」が開始された(図1)。 本プロジェクトの特色として以下が挙げられる。
    1) 2030年頃の近未来を対象とした気候変動予測技術の開発、2) 空間分解能の高い気候シナリオの開発、3) 気候変動の影響を評価する技術の開発、4) これら気候変動適応技術のモデル自治体等への社会実装。

    III.  暑熱分野の社会実装
    モデル自治体等を対象とした社会実装の内容は、農業、防災、生態系、暑熱対策など多岐に渡り、SI-CAT内のワーキンググループなどで検討が行われている。暑熱分野では、埼玉県で予定されるラグビーワールドカップ、オリンピックの会場予定地で予定されている暑熱対策の超高解像度暑熱シミュレーション(2mメッシュ)と、実測による効果測定などが行われている。
    また、日本全国を対象とした社会実装を目指すためのツールとして「SI-CATアプリ」を開発する。その中で、多分野の気候変動影響評価と適応策実施による影響低減の効果を示す。暑熱分野からは熱中症などに関連する全国暑熱影響マップなどが盛り込まれる予定である。
    今回のシンポジウムでは、これらの暑熱分野における社会実装に向けた取り組み事例が紹介される予定である。

    IV.  気候変動適応に対する地理学の貢献
    地域の適応計画の策定支援や、地域で適応技術の普及に取り組むにあたっては、行政の仕組み、研究の詳細、地域特性の十分な把握が望まれる。気候変動適応の社会実装に関しては、自然科学と社会科学の両面を併せ持つ学問分野として、地理学が大きく貢献可能であると考える。総合討論の場では、本内容に対する地理学の貢献を含め、暑熱分野を中心に気候変動適応に対する様々な議論を行いたい。

    本研究は、文部科学省気候変動適応技術社会実装プログラム(SI-CAT)の支援により実施された。
  • -兵庫県川西市黒川里山エリアを事例とする-
    田中 晃代
    セッションID: 622
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    本研究で事例として取り上げている兵庫県川西市黒川は、川西市の北部・北地域に位置しており、大阪府能勢町と豊能町に挟まれた地域である。また、猪名川渓谷県立自然公園普通地域及び北摂連山近郊緑地保全区域に指定されており、茶席の高級炭「菊炭」の生産地として「日本一の里山」と称されている。その菊炭の原材料は台場クヌギであり、この山のクヌギの木を切り出して炭を焼くといった室町時代から続いている菊炭産業や、生息する生物の多様性からそのように言われてきたのである。しかし、その菊炭の生産者は、既に1軒となり、人の手が必要な里山の景観を保全することが困難となってきた。そこで、本研究では、古写真の収集を契機に地域住民とのコミュニケーションを通じて、黒川エリアのまち活性の機運を高めることが可能かどうかを考察する。
  • 海津 正倫
    セッションID: 832
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    平野の微地形分類は自然災害の被災状況の予測や対策に有効であるが,一方で,各地において自然災害は未だ繰り返して発生しており,住民が自分たちの生活の場の場所的特性や脆弱性を把握する上で地形分類図を有効活用することが望まれる.このような点から,本報告では一般社会に向けての地形分類図について問題点と課題を考える.  従来,地形分類図の作成にあたっては主として空中写真の実体視による判読が行われてきたが,地表面の微妙な傾斜の違いや絶対高度の違いなどを把握する点では十分でない面もある.近年,航空レーザー測量にもとづいて作成された数値標高モデル(DEM)が広く使われる様になり,より精度の高い地形分類を行うとともに,地形の特徴を一般社会に視覚的に示し,普及する上でもDEMの活用が重要である.  また,防災という側面から,土地の特性を理解し,災害時の想定される状況をしっかり把握することが必要である.一般社会にわかりやすく伝えるためには人々の生活の場所と地形分類図に示された場所との対応が容易に理解されるようにするとともに,それぞれの地形において想定される災害状況と地形との関係をわかりやすく伝えることが必要である.その点において多様な地形を示す地形用語の正しい認識と理解も必要である.とくに,低地の微地形を示す用語はさまざまあり,社会への普及という点では各種地形分類図における地形名称の整理・統一も必要である.  さらに,社会への普及という点では,各種地形分類図の存在さえほとんど知られていない点も大きな課題である.地理院地図が整備され,各種地形分類図や都市圏活断層図などが比較的容易にアクセスできるようになってきたが,まだ,各自治体や住民達が自分たちの地域における防災という点から積極的にそれらを利用するという状況にはなっていない.その意味でも学校教育において活用され,生徒達を通じて各家庭へ普及されることも必要であろう.
  • -中国の天津市を事例に-
    王 汝慈
    セッションID: 707
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    マルコフモデルとセルラーオートマトンを用いた土地利用変化のモデリング
    -中国の天津市を事例に-

    ⒈ はじめに
    近年、発展途上国では都市化が急速に進行している。都市の拡大に伴い、環境問題や社会問題が数多く発生している。都市の土地利用と土地被覆(LULC)の変化を分析することは、都市の特徴を捉え、LULCの将来予測を行う上で重要な意味を持つ。  

    ⒉ 方法
    本研究では、中国の天津市を対象に、LULCの変化とその要因を明らかにする。MarkovモデルとCellular Automata(CA)モデルを用いて将来の都市発展を予測し、都市計画の策定に寄与することが目的である。  都市化は、景観を複雑かつダイナミックに変化させる。リモートセンシングおよび地理情報システムは、位置情報を持つ地物やその変化を明らかにするための有用なツールである。本研究は分析データとして、ランドサット画像を使用した。また、要約統計量、マルコフ確立、セルオートマトンシュミレーションの分析では、IDRISIソフトウェアを使用した。将来予測を行うために、本研究ではマルコフモデルとCAモデルを使用した。  

    ⒊ 結果
    その結果、天津市の都市地域は都市化と工業化の影響によって、1995年から2015年まで急速に拡大していた。2025年から2035年までのシュミレーションマップを作製したところ、ほとんどの農地が人工的な土地利用へと変化していた。マルコフモデルとCAモデルは都市システムの複雑な変容をシュミレーションすることが可能であり、精度の高い予測ができる。シミュレーションでは、人口統計、経済的および社会的制約を考慮している。CAを用いたモデリングは、LULCを管理するための地域的対策を支援することが可能である。つまり、天津市の都市計画がもたらす空間的な影響を予測し、異なる地域の将来像を模索する上で有効なツールであるといえる。
  • 戸建住宅とマンションの居住者の差異に着目して
    竹下 和希
    セッションID: 901
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
  • 小松原 琢
    セッションID: 421
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに 吉川虎雄は1985年に記した著書「湿潤変動帯の地形学」の中で,「『地形は地殻変動と削剥作用との歴史的所産である』という地形学の根本的命題に立ち戻って,日本の地形を徹底的に見直し,その実態に即した地形理論を確立することが,今日ほど強く要請される時はない.」と喝破している.この指摘から30年経た現在,果たしてこの問題提起に私たちは対応してきたのか? 2. 吉川が問題提起した時代の背景 吉川が湿潤変動帯の地形学を著した1980年代中期は日本の地形学が頂点を極めた時代であったのではなかろうか.斜面地形学においては波田野誠一らにより傾斜変換線を重視した地形分類体系が完成し,丘陵の微地形学においては田村俊和らにより地形プロセスと対応付けた地形分類が成立した.また,平野に関する井関弘太郎らによる地質と地形を結び付けた研究は,堆積平野の成立過程に関する先駆的な研究の一つとなった.変動地形学にいては松田時彦・岡田篤正ら多くの研究者の手により「日本の活断層」が出版され,日本列島は変動地形の基礎データの点で最も充実した地域となった.テフロクロノロジーに関する町田洋らの研究は,地形編年において日本を最も進んだ地域へと押し上げた.日本第四紀学会は,それらを総括して1987年に「日本第四紀地図」を発行している.端的に言って,要素還元主義的な地形学が花開き,世界的にも注目を集めた時代.それが1980年代の日本地形学の姿だったのではなかろうか.  吉川(1985)は,このような時代にあって次の警鐘を発している.「(20世紀後半における地形研究を回顧し)その後の地形研究が,侵食地形に偏るか,変動地形に傾くか,のいずれかの途を歩み,同時に作用する地殻変動と削剥とを枠組みとした地形理論の追及に向かわなかった・・・」すなわち,変動帯で生まれたペンク父子の地形理論を引用して,内的営力と外的営力が共に働く場における現象としての地形変化の解明に向かっていない当時の地形研究の状況を,自戒を込めて批判していたのである. 3. 海外における現代の地形研究 過去30年間に海外の変動地形学の一部は,日本で行われている「狭義の」変動地形学から離れて,外的営力を含めた地形変化の解明に向かっているように見える.私は海外事情に疎く,偏読癖があるため客観的な見方はできないが,少なくとも最近出版された変動地形学の教科書(Burbank and Anderson, 2012)は,内的営力と外的営力の総和による地形変化の解明に関する研究を高く評価したものとなっている.北米では1980年代末期以降,活断層運動(地震性地殻変動)とその後における堆積盆地における堆積物流入に伴う荷重による沈降と地殻規模の粘性流動による沈降(地震間地殻変動)の総和によって地形と地質構造の変化過程を議論する研究が進められている(たとえばKing et al., 1988).さらに,地殻変動に伴う流域界の移動や氷期-間氷期の気候変化に伴う氷河等の荷重の増加・減少を含めた地殻変動など変動する地球環境場で実際に生じているLandscapeの変化を定量的・具体的に見積もる研究が行われている.これらの研究は,吉川(1985)が予見した変動帯の地形研究の課題と一致する. 4. 日本における地形研究の現状と問題 ここで内的営力と外的営力の相互作用と複合作用について定義したい.相互作用とは地形営力どうしが影響しあう現象であり,たとえば山脈の隆起に伴う海流や気象の変化や地殻変動による盆地形成と堆積物荷重による沈下をこれに該当すると考えたい.また複合作用とは複数の営力が同時にあるいは密接に関連して生じる現象であり,たとえば地震に伴う土砂移動や,山地の隆起に伴う斜面地形の変化がこれに該当すると考えたい.しかし,地形学を対象とする6小規模学会が乱立し,互いの意思疎通がうまくできていない日本の現状では,こうした研究領域に関して深い議論をする場が少ない.専門分化の弊害が目立っているように私には思える.いかがなものだろうか? 引用文献 吉川虎雄(1985)湿潤変動帯の地形学.東京大学出版会UP Earth Science, 132p. Burbank, D. W. and Anderson, R. S. (2012) Tectonic Geomorphology, second edition. Wiley-Blackwell, 454p. King, G. C. P., Stein, R. S. and Rundle, J. B. (1988) The growth of geological structures by repeated earthquakes: 1. Conceptual framework: Journal of Geophysical Research, 93, B11, 13307-13318.
  • 横山 俊一
    セッションID: P085
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに
    発表者は地理学を一般に普及させるための活動にこの数年間取り組んでいるが、当初ターゲットとした層はテレビの旅番組やB級グルメに興味はあるが「自ら学ぶことがあまり好きではない人たち」であった。これまで地理学の一般普及においてターゲットとされていた層は「自ら学びを求める人たち」であり、その多くは専門性に特化した内容を求める人たちで、研究者も非常にアウトリーチしやすい層であった。しかしその母数を考えると対象数は少ないのが実情である。そのようななか筆者は「自ら学ぶことがあまり好きではない人たち」を対象とすることは母数の多さも相まって地理学を普及させるのに非常に有効であると考えた。しかし、その方法について様々な試行錯誤を行っているが途方に暮れる状況である。同じように多くの先学研究者も厳しさを感じて途方に暮れたのではないだろうか。そのようななか2016年5月より信州大学地域総合戦略推進本部において信州の未来を担う人材育成講座である『地域戦略プロフェッショナル・ゼミ』のコーディネートを行うこととなった。これは先述した「自ら学ぶことがあまり好きではない人たち」を対象としたものではなく、自ら学び地域を変えていきたいというやる気のある人たちをターゲットとしたものである。参加者の多くは「自ら学びを求める人」だけでなく、広く繋がりを構築し地域活動を積極的に進めていこうというバイタリティを持つ人たちである。そのような人たちとの交流はこれまでとは異なった視点を得ることができ、「自ら学ぶことがあまり好きではない人たち」へのアウトリーチの方法のヒントにもなっている。そこで本発表では信州大学で実施している『地域戦略プロフェッショナル・ゼミ』の取り組みについて紹介する。

    2. 地域戦略プロフェッショナル・ゼミについて
    『地域戦略プロフェッショナル・ゼミ(以下プロゼミとする)』は、2014年度から開始したもので、信州の地域再生や活性化に関心を持つ市民を対象として、地域を未来へと繋ぐための「課題解決知」を学ぶ場である。初年度より3コースのカリキュラムがあり(表1)、北信地域は「中山間地域」、中・東信地域は「芸術 文化」、南信地域は「環境共生」をキーワードとした講座が開催されている。これらは地域総合戦略推進本部が実施した県民アンケート・行政インタビュー・地域対話ワークショップなどをもとに、現在の地域課題や未来の地域づくりに対するニーズを分析して創りあげた学習プログラムである。大学の「研究知」と地域の「実践知」の融合による新たな課題解決アプローチを目指している。第一線で活躍する研究者や地域の実践家を講師として、知識獲得だけでなく現場での実践演習を交えたプログラムを実施している。各コースとも講座回数は15回となっており、開講式と修了式、全コース共通講座が別建てで設定されている。2016年度は10月1日に3コース合同の開講式が開催され、その後の講座の日程は各コースによって異なる。今年度は過去の受講生からの要望が多かった合宿も取り入れている実施している。発表者は南信地域の「環境共生」をテーマとしたプログラムのコーディネートを2016年度から担当している。講座は南箕輪村にある農学部伊那キャンパスを拠点に行っていることもあり、これまでは植生や昆虫、鳥獣害などを中心とした講座が開催されてきた。しかし環境という冠がついていることもあり、これまでの動植物に特化した講座だけでなく、地理学的視点を取り入れた人や産業との関わりを前面に打出した講座も必要であることを強く意識していた(図1)。そこで複数の地理学研究者に講師を依頼し実施した。複数年受講している受講生からはこれまでの内容とは異なり、地域の課題を考える際に広い視点で見ることができたと好評であった。

    3.今後の課題
    コース修了後も「信州大学地域総合戦略推進本部」とプロゼミ修了生が連携しながら、 継続的に地域活動を展開している。加えて、修了生には、本学学生や地域人材を教育する地域講師として活動してもらうことを目指している。 修了生は長野県下を中心に200名弱となっているが、今後は修了生に対するケアと財政面が大きな課題となる。

  • 徳島県海部郡美波町の場合
    小田 宏信, 遠藤 貴美子, 藤田 和史
    セッションID: 621
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    「とくしま集落再生プロジェクト」の一つの柱をなすサテライトオフィス・プロジェクトは,CATV整備に基づく恵まれた高速ブロードバンド環境を活用して2011年度より本格的に着手されたものである。先行して事業が進行された神山町では2013年までに12社の事業所を誘致し,58世帯105名の若年移住者を迎えている。2016年12月末現在では,42社のサテライトオフィス誘致が実現し,うち16社が神山町への進出,15社が美波町への進出である(業務休止中を含む)。本報告では,徳島県下でも神山町と並ぶ実績をあげている美波町を事例にして,誘致政策の仕組み,サテライトオフィス展開の実際,集落再生への含意について,現地調査を踏まえて検討した。

  • 仙台地区の事例
    中埜 貴元, 川又 基人
    セッションID: P010
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    大規模盛土造成地の滑動崩落対策に資する盛土の位置と規模の把握に必要な造成前の地形データ(旧地形データ)を効率的に作成することを目標に,SfM多視点ステレオ写真測量(SfM/MVS)技術を活用し,造成前の空中写真(米軍空中写真)から旧地形データを作成する手法を検討しており,中埜(2016)では阪神地区での事例を報告した.本発表では仙台地区で検討した事例を報告する.本研究は,科学研究費補助金若手研究(B)(課題番号:15K16288)を使用.
    3パターンでの解析・検証の結果,いずれのパターンも数mレベルの大きなRMSEで,精度としては不十分であった.これは,米軍空中写真のボケ等でGCPの取得精度が低いことや重複率が低いことが影響していると考えられる.また,撮影セッションが異なる空中写真でも,それらを併用して多数の空中写真を用いた方が,良好なモデルが作成できることが示された.
  • 松本 穂高, 小林 詢
    セッションID: P029
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    目的
    本研究の目的は,ソリフラクションのプロセスを知ることである。ソリフラクションは,寒冷な山地斜面で起こる緩慢な砂礫の移動現象である。砂礫の移動がいつ,どこで,どのくらい起こっているかを把握すれば,斜面形の成り立ちの議論に役立つ。今回,6年間にわたる礫移動と地温の連続観測を実施し,結果を得ることができたので,このデータをもとにソリフラクションのプロセスを論じる。

    方法
    調査対象地は,長野県乗鞍岳の標高2540mにある残雪砂礫地とした。残雪砂礫地は裸地となっていて砂礫の移動がみられ,そのために中心部がわずかにくぼむ形態を示す。この窪みの中心部から縁辺部にかけての3地点(地点A~C)で礫の移動及び地面温度を観測した(図1)。観測は2010年10月から2016年8月まで,1時間おきに自動計測し,データロガーに記録した。礫移動の計測には,ターゲット礫につないだワイヤーの伸縮を検出する変位変換器を用いた。

    結果と考察
    各地点の地温データから,1年間をア~エの4期間に分けた。アは季節凍土の融解開始直後の7日間,イは地面の凍結が起こらない夏の期間,ウは1日~数日周期の凍結融解サイクルが発生する秋の期間,エは根雪に覆われ温度変化のほとんどない冬の期間である。地点Cにおける各期間の開始日時と礫移動を示した表1から,次の結果を得た。

    ①アの期間及びウの期間に顕著な移動が発生した。これはそれぞれジェリフクラション,及び短周期フロストクリープである。

    ②イの期間は,移動は少ないが,まとまった降雨時に顕著な移動が発生した地点があった。これは降雨による流出である。

    ③エの期間にも移動がみられた。これは積雪グライドによる引きずりである。

    以上を図3にまとめた。礫移動は残雪砂礫地の縁辺部ほど大きい。これは縁辺部ほど傾斜が大きいことを反映する。移動様式の割合は,いずれの地点でも短周期フロストクリープが最大だが,ジェリフラクションも一定の割合で見られる。1日当たりの移動はアの期間で最大となることからも,ジェリフラクションの重要性を指摘できる。6年間のデータをみることで,年による特殊要因を取り除いた移動プロセスを明らかにできた。
  • 石井 正好, 釜堀 弘隆
    セッションID: S1509
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    地球温暖化スケールでの過去の気候変動についての理解を進めるための新しい研究への取り組みが世界的に始まっている。過去に遡った観測データの発掘・収集 (データレスキュー) の活動はその実現のために最も重要である。加えて100年スケールでの過去の気候変動を再現する気候再解析プロダクト開発が進められてきている。再解析データは、気候変動メカニズムの理解の進展や気候物理モデルによる予測の精度向上に結びつくと期待されるばかりでなく、気象・海洋学以外の科学研究分野でも活用できるものと期待できる。本研究グループでは、気象・海洋データの整備を行い、日本版気候再解析を実施するための準備を進めてきた。当面の最大の課題は、電子化が行われていない国内で実施された地上および高層気象観測を整備することである。現状について報告する。
  • 地域の店舗分布や買い物補助事業の実施状況に着目して
    関口 達也
    セッションID: 501
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    近年,買い物弱者が社会的な問題として着目されており,買い物環境の改善が必要な地域では,様々な買い物補助施策も実施されている.また,各地域の買い物環境の良否は,店舗数や多様性,利用しやすさ等により規定され,さらに個人の買い物への主観的な評価や不満の有無は,その客観的な買い物環境に影響を受けると考えられる.以上を踏まえ本研究では,全国を対象に地域差を考慮しつつ,買い物環境を表す客観的状況と人々の主観的評価の関係を定量的に分析する.そして,個人の詳細な買い物に関する情報や評価が得られない場合でも,地域の客観的な買い物環境から住民の主観的評価を推定する一助となる知見を得ることを目的とする.
    本研究では,買い物環境に対する1)個人の属性・主観的評価と2)客観的な買い物環境を示すデータを用いる.1)にはウェブアンケート(2016年1月15~19日実施)の結果を用いる.現住地の生活環境に対する評価(20項目)のうち「日常の買い物環境の充実性」への回答を人々の主観的評価のデータとした.全国の18~79歳の男女を対象に各都道府県から均等に1056件の回答を得た. 図1:決定木分析のイメージ また,2)については,回答者の居住地周辺における店舗の分布・業種に関するデータからの買物環境を示す客観指標を作成する.具体的には,座標付き電話帳DBテレポイントデータ(ゼンリン 2014年),商業集積統計7) (2013年版),大型小売店データ(東洋経済 2014)を用いた.さらに,各市町村の買い物補助施策の実施状況として経済産業省(2014)をデータ化・分類した.
    まず,アンケート回答者における買い物環境の重要性を分析する.被説明変数を現住地の生活環境の総合評価,説明変数をその下位項目20種類として,全項目の回答が有効な649人についてステップワイズ法による重回帰分析を行った.全体の自由度調整済み 値は0.559で,9つの生活環境項目が有意な変数として採択された.買い物環境の利便性も有意(p<0.001)で含まれ,標準化回帰係数は0.160で3番目に大きかった.また,同様の下位項目について回答者のうち「日常の買い物環境の充実性」を居住地選択の際に重視すると回答した人は75.6%と全項目中で最高であった.  次に,回答者の買い物環境に対する主観的評価を「高評価(高い,やや高い)」,「普通(どちらともいえない)」,「低評価(低い,やや低い)」に3分類(有効回答数1038)すると,各評価の比率は高評価52.5%,普通28.6%,低評価18.9%であった(図2).いずれも全国に分布するが,高評価,普通と回答した人は回答者が密集する地域,低評価である人は回答者の密度が粗である地域に多い.  発表当日には,さらに2章で述べたデータから,買い物環境の主観的評価を被説明変数,店舗分布状況や,買い物補助施策の実施状況の客観的状況を説明変数とした決定木分析により,両者の関係を定量的にモデル化した結果を報告する.
  • 訪問者のブログ記事を素材にした分析
    伊藤 悟, 掛上 麻衣
    セッションID: P078
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    2015年3月14日、北陸新幹線が長野から金沢まで延伸開業した後、金沢を含め北陸を観光や旅行で訪れる人が大幅に増加したなか、本発表は、金沢を訪れた人々の脳裏に金沢の姿がどのように刻まれたか―すなわち金沢の心象風景―について、新幹線開業前後の差異を検討する。

    分析素材は、訪問者が事後に作成・公開したブログ記事である。開業前後の各1年間に関わるブログ記事を、「旅行」「旅」「観光」のいずれかと「金沢」をキーワードにネット検索し(その際、横浜市など他地域の金沢は除外するように設定)、それぞれ237件と263件収集した。さらに、それらの記事についてテキストマイニングを行い、開業前後のいずれかで10%以上の記事に出現する名詞の語句を、金沢の心象風景をあらわすものとして着目することとした。ちなみに、この条件に該当する語句数は270余りに達したため、それらを幾つかの範疇に分けて考察することとし、そのうち開業前後の差異が明瞭な場所と飲食に関わる語句について本発表では詳述する。

    場所 金沢市内の地名や施設など場所に関わり、その位置が明確に特定できる13の語句について、出現率(%)の増減量を地図化したものが図1である。同図のように金沢駅に関連する語句の出現率増加が著しく、加えて近江町市場や金沢観光の定番ともいえる金沢城、兼六園、ひがし茶屋街も増加した。他方、香林坊や片町などでは出現率低下が集中する。場所による出現率増減の偏在が明瞭である。

    飲食 飲食に関わる語句で先の条件に当てはまったものは27個であった。それらを新幹線開業後の出現率増加の大きいものから減少の大きいものへ順に並べたのが図2である。のどぐろやソフトクリーム(具体的には金箔ソフトクリームの場合が多い)、寿司、海鮮丼、回転ずしなどの出現率が増加した一方で、酒や料理、カフェなどの一般的な語句に加えて、加賀野菜や和菓子など金沢の伝統的な食べ物の出現率が相対的に減少している。

    以上、北陸新幹線開業後に金沢を訪れた人々の心象風景は従前と比べて、特定の場所や飲食に偏る傾向がうかがわれた。発表当日は、場所や飲食関係以外の語句や、富山市と福井市についても同様の調査分析を行っているので、それらも交えて報告したい。
  • 水田 良幸
    セッションID: S0304
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー
    1.要旨
      国土地理院では ,これまで ,国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として 国の地図作成機関として ,地名を図 に表記することで多くの地名を扱ってきた に表記することで多くの地名を扱ってきた .また ,国際的な枠組みで ある国連地名標準化 会議 に 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するともに 参加するとも,地名のローマ字表記や 英語表記などの地名 の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる の地図表記に関わる 基準 ,地 名集の作成など名表記の標準化に資する取り組みを行ってきた 表記の標準化に資する取り組みを行ってきた .本稿では ,これら の 地名に関する 国土理院の取り組みついて報告地名に関する 国土理院の取り組みついて報告する.

    2.国土地理院の取り組みの概要
    2.1地名の図表
    国土地理院では,2万5千分1地形図をはじめとした国の基本図を整備しており,基本図の重要な構成要素として行政名,居住地名,自然地名等の地名を地図に表記している.行政名,居住地名については,地方自治法や住居表示に関する法律などの法律に基づき定められた名称を地図に記載する.一方,多くの自然地名については,地名そのものを決定する仕組みや基づく法律が基本的にはないため,地元で呼び習わされている名称を地元自治体に調査・確認して地図に記載している.山名などで複数の地域,自治体に跨る場合には,関連する自治体に調査,確認をし,場合によっては自治体間での調整を経て地図に表記している.なお,複数の名称が存在する場合には,地図上で併記するなどの対応をとる.また,自然地名については,国土地理院が作成する地図(陸図)と海上保安庁が作成する地図(海図)で統一した地名表記を行うための協議会を昭和37年に設置し,両図の地名表記の統一を図っている.現在,国土地理院の地図において居住地名と自然地名をあわせて約42万件の地名が記載されている.

    2.2国連地名標準化会議
    地名の標準化に関する国際的な枠組みとして,1967年から国連地名標準化会議が開催され,国土地理院は1971年の第2回会議から参加している.5年ごとに開催される国連地名標準化会議の他,2年に一度開催される国連地名専門家会合にも参加しており,日本の地名の現状や国土地理院の地名に関する取り組みを報告している.

    2.3 地図に記載する地名表記に関する基準の作成
    国際化の進展や訪日外国人の増加に伴い,国土地理院では地図に記載する地名表記の基準の作成に取り組んでいる.具体的には,地名等のローマ字表記や英語表記ルールの作成である.地名の英語表記ルールは,2020年の東京オリンピック・パラリンピックの円滑な開催,観光先進国実現のため,訪日外国人にわかりやすい地図作成ルール化の一環として,有識者を交えて検討した結果を踏まえて作成したものであり,平成27年3月に公表している.地名等の英語表記ルールは,今後国土地理院が作成する英語版地図に適用するとともに,公共測量作業規程の準則に組み込み,地方公共団体,民間の地図会社等にも普及を図っている.また,ローマ字表記の原則,地名等の英語表記ルールについては,国連地名標準化会議において,地名表記の標準化に関する取り組みとして報告している.

    3.まとめ
    国土地理院では,国の地図作成機関として,多くの地名を地図に表記している.特に自然地名については,地元で使われている地名,呼称を関係する地元自治体に調査・確認・調整を行い,地図に表記している.地図の表記に関しては,海上保安庁と連携し,地名表記の標準化にも取り組んできた.また,国際化の流れの中で,ローマ字表記,英語表記の基準の作成など,外国人や海外に向けた取り組みを行っている.特に近年急増する訪日外国人に対して,外国人にわかりやすい地名表記を普及させることは喫緊の課題である.



  • 田村 俊和, 瀬戸 真之, 岩船 昌起
    セッションID: 101
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1.山麓緩斜面の形成 三陸海岸の中・南部では,高位海成段丘が広い北部(宮古付近以北)とは対照的に,湾岸に小さな段丘状地形が点在するとされてきた.しかし,現実には段丘堆積物や旧汀線を確認できないものが多く,とくに花崗岩類から成る地域では,むしろ山麓緩斜面的な形状を示すところが少なくない.北上山地南半部の山麓緩斜面地形については,Wako(1963),赤木(1964),三浦(1968),菅原・高橋(1974),西村・宮城・桧垣(1980),田村・宮城(1992),吉木(2014)等の報告がある.それらも参考に,船越半島とその周辺の山麓緩斜面を調査し,次のようなことが判明した(概要は田村・瀬戸 2016): (1) 縦断勾配3~15度の緩斜面が,海抜70~90m付近で背後の急斜面から画然と区別される.なだらかな尾根状を呈する高位緩斜面と,その間から前面にかけて広がる,あまり開析されていない谷状の低位緩斜面とに分けられ,前者はさらに細分可能とみられる.(2) 高位緩斜面の地表下には,ほとんどの場合赤色土を発達させた深層風化花崗岩があり,風化角礫を含む層も一部に認められるのに対して,低位緩斜面は比較的新鮮な花崗岩角礫を主とする厚さ数m以下の堆積物で構成され,その基底は赤色風化断面を切っている.背後山地から続く開析谷の一部は土石流危険渓流に指定されている.(3) 低位面は,前面を完新世の海食崖に切られていることが多いが,延長が沖積層下底面に連続しているとみることができる.一方,上流山地内へは,多少開析された皿状の谷底面に連なる.  これらの特徴から,高位(尾根状)緩斜面は最終間氷期までに おそらく何回かに分かれて形成され,その後の温暖期と寒冷期に風化・開析と従順化を受けたと推定される.また,低位(谷状)緩斜面は,最終氷期に活発化した岩屑生産・移動の影響を強く受け,高位緩斜面を削って形成されたと考えられる.低位緩斜面の形成にあたり,深層風化を蒙った高位緩斜面の存在が好条件を用意したに違いない.高位緩斜面の形成過程はさらに検討を要する.   2.集落に用いるための地形改変 この種の緩斜面地形は,段丘地形の発達が悪い三陸海岸中・南部で,半農半漁集落の立地や,津波被災後の集団移転先として,利用されてきた.なだらかとは言っても 未開析の段丘面と異な り上記のような傾斜・曲率をもつ緩斜面を宅地や畑地に利用するには,ある程度の人工平坦化を要する.その様相を旧船越村の三集落について比較検討してみる.  大浦では明治津波(1896年)以前から緩斜面に小段を切って宅地・畑地が作られ,切り取った土砂を前面波食台に盛って狭い人工海岸低地を作っていた.船越では,地峡南端の浜にあった集落が明治津波で壊滅した後,西側山麓緩斜面上に低い段をもつ方形地割を設け,集団移転した.その東方の浜と背後の低地に立地していた田の浜では,明治津波で大きく被災した後に,船越との統合移転案の頓挫を経て,背後緩斜面末端の切土と隣接する沖積低地への盛土で一体となる平坦地を造成した.しかし,そこに集落が移転するのは昭和津波(1933)の後になった.また三地区とも,今回の津波被災後の集落一部移転・災害公営住宅建設がすべて山麓緩斜面で進められている.   3.地形改変対象としてみた山麓緩斜面 山麓緩斜面では,に示した形状と構成物質の特性から,に示した小規模な宅地や畑地を作る地形改変が人力でも行えた.現在進行中の災害復興事業では,この地区の山麓緩斜面で発生した花崗岩風化土が,中古生界から成り細粒土に乏しい大槌・釜石方面に運ばれ,盛土材に用いられている.各集落の移転行動の詳細は「その2」で紹介するが,とくに明治津波後の田の浜「新宅地」造成とそれが畑地であった実態は,1933年6月撮影の空中写真(内務省都市計画課(1934)掲載,撮影機関が日本空中写真作業合資会社であることを江川良武・金窪敏知氏からご教示)からよくわかる.
  • 淺野 敏久
    セッションID: S0205
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    ラムサール条約湿地に登録されることは,当該湿地の保全を世界に約束することであると同時に,国際的に重要な湿地であるという「お墨付き」を得ることでもある。この点では,世界遺産,ジオパーク,ユネスコエコパークなども同じような制度とみることができ,近年,数を増やしているという共通点もある。しかし,これらユネスコ関連の制度と違って,日本国内では,ラムサール条約湿地は登録後に観光客が急増するようなことはあまりなく,地域に「静かに」受け入れられている印象がある。登録を受け入れる地域の側は、条約やその理念をあまり意識していないし、制度の運用は各地の事情に応じた不統一なものになっている。日本の場合、ラムサール条約に登録されても、保護・利用の状況はあまり変わらない。では、ラムサール条約湿地として登録されることは、地域にとってどういう意味があるのだろうか。
    ラムサール条約(特に水鳥の生息地として重要な湿地に関する条約)は,1971年に制定され,日本は1980年に加盟した。条約では,各国は動植物の生息地などとして重要な湿地を選定し,それをラムサール条約事務局の登録簿に登録することになっている。日本では2016年末現在,50の湿地が登録されている。
    各国は登録湿地の適正な保全と利用に計画的に取り組むことが求められる。登録湿地をどのように保全・利用するかは,各国の国内法や計画によるものとされ,日本では湿地を国指定鳥獣保護区の特別保護地区や国立公園・国定公園の特別地域,種の保存法の生息地等保護区などとして管理することになっている。また,ラムサール条約では,湿地をただ保全するのではなく,湿地を「賢く」利用すること(ワイズユース)も重視しており,保全とワイズユースは条約の二大ミッションとされる。
    ワイズユースについては,伝統的に受け継がれてきた漁業や流域での環境保全型農業など一次産業が重視されるとともに,エコツーリズムの実践という観点から,湿地の観光利用にも注目が集まっている。
    当日の報告では,報告者等がこれまで行ってきた調査の成果(淺野ほか,2012,2013,2015など)に触れつつ,ラムサール条約登録を受け入れた地域の視点からみたラムサール条約の意味とワイズユースの現状と課題を述べる。もともとグローバルな文脈では,住民等の自然保護に配慮しない資源利用が進むことや,地域開発圧が強く湿地が大規模に失われる危機的な状況を抑えることが前提になっており,日本のような国でのラムサール条約登録は,その効果が曖昧である。日本の場合,保護する対象になっている湿地を登録している(開発可能性のある場所を外している)ので,なおのこと条約の役割がよく見えなくなっている。それでも自然利用をめぐるコンフリクトは発生するし,あるいはそれを活かした地域づくりが議論のネタになりもする。しかし,多くのところは無風で無関心だという現実がある。そのような中で,消極的な位置づけにすぎるかもしれないけれども,環境教育や普及啓発を通じた「自然の意味」の創出にこそ,ラムサール条約の日本における本質があると考えられる。長期的なガバナンスを考える上で,住民参加やボトムアップの環境ガバナンスを方向づける「思想としてラムサール条約」ととらえるのが現実的な理解ではないだろうか。
  • 山内 啓之, 小口 高, 早川 裕弌, 川又 麻央
    セッションID: 720
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    これまでにGIS教育の充実のために、科学研究費を用いた複数のプロジェクトが行われ、基本となるコアカリキュラムと講義用の教材が整備された。しかし、実習に関する検討は少なかった。GISを活用できる人材の育成には、大学の学部や大学院等における実習を通じた教育が重要である。
    そこで、GISの実習用教材を開発し、公開するプロジェクトを平成27年度より開始した(科学研究費基盤研究A「GISの標準コアカリキュラムと知識体系を踏まえた実習用オープン教材の開発」、平成27~31年度、代表者:小口 高)。本プロジェクトでは、日本独自の地理情報科学の知識体系を教科書として編集した『地理情報科学 GISスタンダード』(浅見ほか編, 2015)の章構成を参考に、実習用のWEB教材を開発してきた。教材はGitHubで試験運用を行い、一般公開に向けて改良を重ねている。その一環として行った大学の実習授業における本教材の試用とその後の教材の改良について、本発表で報告する。
    実習の授業は、東京大学理学部地球惑星環境学科において、2016年9月22日から11月10日の期間に7回実施した。このうち第1回から第6回の実習で、本プロジェクトで開発した教材を試用した。ソフトウェアはおもにオープンソースのGISであるQGIS(LTR版、バージョン2.8)を利用した。受講者の大半は学部3年生であった。
    実習では、冒頭で概要と課題の簡単な説明をし、次に学習者が教材を参考に学習を進めた。各学習者から操作に関する質問があった場合にのみ、教員やTAが該当箇所の解説を行った。課題は実習内容と対応した地図の作成と設問への回答とした。実習ごとに課題の量は異なるものの、平均して各課題で3~4枚程度の地図の作成を必要とした。
    各実習の終了後、教材の検証と改良を目的としたアンケートを実施した。主なアンケート項目として、「本実習および教材の難易度」、「教材と関連する処理におけるQGISの使用感」、「閲覧やリンクなどに関する教材の利用性」、「教材における解説の適切性」を設けた。また、教材の改善に関する自由記述や、学習者の個人属性等を把握する質問も適宜加えた。各回の実習でのアンケートの結果をもとに、次回の実習で利用する教材を改良し、その効果を調べた。第6回目の実習の終了時には、総合評価として「これまでの実習を総合した実習と教材の難易度」、「実習中に難しいと感じた項目」、「これまでの教材改善について」、「実習を通して感じた本教材の改善点や要望」の項目についてアンケートを行った。これらの結果から、6回の実習を通じた教材の改良が、実習の難易度を下げ、教材の利用性を高める効果があったものの、教材の解説や設計にまだ不足の部分があることが明らかになった。
    そこで、全実習の終了後に、アンケート結果に基づいた教材全体の修正や機能の追加などを行った。主な改良点には、1)教材の解説に関する修正、2)振り返り学習用のリンクの整備、3)まとめページの追加がある。1)では、アンケートで指摘された箇所を中心に、テキストや画像の追加と変更を行った。2)では、空間座標の変換といった利用頻度は高いが一度の実習では覚えにくい項目について、どの教材からもスムーズに解説を参照できるようにリンクを追加した。3)では、実習を円滑に進めることや理解度の向上を目的として、実習ごとに教材と対応した課題とその解説のまとめのページを追加した。このページに課題とした地図の完成例、作成手順、基本用語の解説、実習時の注意事項といった多様の情報を含め、GISの初学者でも躓かずに学習ができるようにした。さらに、閲覧に優れたGitBook形式での教材運用、実習用サンプルデータの整備、用語集の作成といった改良も現在進めつつある。
    今後も、大学等における実習の授業や個人の自主学習等の機会を通じて、本教材の改良を適宜行っていき、教材の一般公開を目指す予定である。
  • 大西 領, 焼野 藍子, 松田 景吾, 杉山 徹, 原 政之, 嶋田 知英
    セッションID: S1606
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    地球温暖化とヒートアイランド現象の複合的な影響で,日本の夏季の熱環境は年々悪化している.このため,人々の多く集まる都市街区内や公共施設周辺での熱環境改善に対する社会的要請が高まっている.本発表では,文部科学省公募課題「気候変動適応技術社会実装プログラム(SI-CAT)」の枠組みとして,埼玉県熊谷市にある熊谷スポーツ文化公園を対象とした暑熱適応策の定量評価を目的とした街区ダウンスケールシミュレーションの紹介を行う.
  • 坂本 優紀, 竹下 和希, 小林 愛
    セッションID: P080
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
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    1. 研究背景と目的
      日本の煙火の歴史は古く,戦国時代に伝わったと言われている.その後,江戸時代に入ると,神社の祭礼に奉納する風習が奨励され,全国的に煙火の技術が広まった.当時,煙火の製造を担っていたのは氏子である,農民や町民であった.
      本発表の対象地である長野県北信地方でも,19世紀には製造されていた記録があり,当時は神社ごとの奉納煙火として住民らによって作られていた.明治期に入ると,爆発物に関する法律が施行され,製造業者の専業化が起こった.1916年時点で23社存在した業者であるが,現在は5社となっている.神社の祭礼は時代とともに変化しており,それに伴い煙火産業の需要も変化してきた.しかし,現在も産業が存立しているということは,地域的な消費の特徴と形態の多様化が考えられる.
      そこで本発表では,長野県北信地方において奉納物として広がった煙火の現在的な利用形態を明らかにし,煙火産業から地域的特徴を議論することを目的とする.

    2.対象地域
      本発表の対象とする長野県北信地方は,長野市をはじめとする15市町村で構成されている.煙火産業に関する統計データをみると,生産額は新潟県に次いで全国2位,製造業者数は12社で全国1位である.生産額,業者数ともに長野県は日本有数の生産地である.そして,その中でも北信地方は5社の製造業者が立地しており,県内でも煙火産業の盛んな地域である.

    3.結果と考察
      2014年に打揚げられた北信地方内の煙火723件に対し,打揚場所,目的,日時,打揚煙火業者,号数,玉数のデータを得た.目的別では,祭りが419件と半数以上を占めており,現在も祭りでの需要が高いことがわかる.打上日時も9月が166件,10月が119件と秋祭りの時期にピークを迎えている.打揚玉数では,8月,11月の順で多く,これは煙火大会の影響が大きい.このことから,北信地方の煙火消費は,小規模な集落の祭りと大規模な煙火大会がメインであることがわかる.
      また,北信地方の地域性として挙げられるのがメッセージ煙火の多さである.これは,個人が各煙火の出資者となり,メッセージを煙火に付して打揚げるものである.このメッセージは個人的な祝福であるとともに,それを見る観客は出資者の近況を知る機会となっていることがわかった.
      一方,煙火業者の存続要因は,大規模な煙火大会だけではなく,小規模な大会や祭り等,様々なスケールでの煙火消費があるためである.また,業者間の営業範囲が地域毎に決まっており,そのことが小規模な業者の存続を可能にしていることも明らかとなった.
      以上のことから,北信地方における煙火産業は,地域の歴史や文化と密接に関係して発展しており,現在までそれらが引き継がれるとともに,新しく始まるイベントの煙火需要により存続してきた.  
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