日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
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発表要旨
  • 田中 圭, 鈴木 康弘, 渡辺 満久, 中田 高
    セッションID: P229
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ.はじめに
     2016年熊本地震では,甚大な被害が地震断層から数百メートル以内の範囲で発生したことが特徴の一つとして挙げられる.特に,益城町市街地が強い地震動に襲われ,倒壊を含む大きな家屋被害が発生した(門馬ほか, 2016など).強い地震動の発生理由として軟弱地盤の効果とする見解(Goto et al.,2016)があるが,建物の全壊率は地震断層から120m以内が特に高く,また120m以内においても断層に近いほど高くなる傾向があることから,地表付近の断層運動と強い関連があることが示唆されている(鈴木ほか,2017).本報告では,益城町市街地における地震断層と建物被害の位置関係をより詳細に検討する.また,家屋被害の大きかったそのほかの地域でも,地震断層の幾何形状と被害の関連について報告する.

    Ⅱ.益城町市街地の地震断層と家屋被害
     熊本地震の地震断層の分布については,大学共同調査チーム(熊原ほか,2016)や産総研(Shirahama et al., 2016)などによってまとめられている.家屋被害は,巨視的には震源域から遠ざかるほど小さくなりなるという一般的な傾向が認められるほか,微視的には地震断層直上と地震断層に沿った狭い範囲に集中している.地震断層直上の建物破壊は主として断層のずれによるものであり,断層直上に位置していた家屋に普遍的に認められる.家屋の倒壊などのような壊滅的な被害は地震断層に沿ってどこにでも認められる訳ではなく,益城町市街地や南阿蘇村黒川地区などの断層が分岐する地震断層の末端部において特に顕著であり,中田ほか(1998)の破壊伝播予測モデルに呼応するように,ディレクティビティ効果による地震動の増幅が影響したと考えられる.

    Ⅲ.地震断層と家屋被害の位置関係の詳細分析
     益城町市街地における地震断層の分布と家屋被害については,鈴木ほか(2017)が報告しているが,発表者らは断層から20mごとに地震断層と家屋被害の位置関係について,さらに詳細な分析を行った。家屋の位置データには国土地理院の基盤地図を用いた.また,家屋の耐震状況を調べるために,昭和50年撮影の空中写真(新耐震基準が導入されたのは昭和56年だが,この時期に撮影された空中写真がないため)を用いてオルソ化し,家屋の存否で建築年代を分類した.家屋の被害状況については,現地調査および発災後の空中写真の判読から認定した.
     分析の結果,地震断層から120m以内で甚大な被害が多く発生しており,特に0~40mで全壊家屋が集中している.なお,全壊家屋は昭和50年以前の建築に被害が多くある一方で昭和50年以降の家屋では全壊した数は少ないことがわかった(図1).

    Ⅳ.地震断層の幾何形状と家屋被害
     既知の布田川断層に沿って出現した地震断層では,直上を除いて,横ずれが卓越した直線的な断層トレースの極近傍でも家屋が倒壊した例は殆どなかった.これは,断層破壊がスムーズに伝播したために,強震動が発生しなかった可能性が考えられる.これに対して,益城町平田周辺などの地震断層がステップするなど破壊の伝播が阻害されるような場所では家屋被害が目立ち,地震動が局地的に大きくなった可能性がある.また,益城町堂園では,右横ずれの顕著な地震断層から西に向かって分岐する逆断層が複数派出しており,断層から離れた場所にあった集落でも家屋被害が少なくなかった.これらの地域の地震断層と家屋被害の関係については,発表の際に提示する予定である.

    Ⅴ.まとめ
     熊本地震の地震断層と家屋被害の関係は,横ずれ断層型の地震断層に沿って強い地震動が発生する場所とそうでないところがあり,その場所を活断層の幾何形状から予測することが可能であることが期待される.また,倒壊などの甚大な家屋被害が地震断層から120メートル以内の幅狭い範囲に集中することから,破壊的な強震動は地震断層に沿って地下の極浅部から発生したことが暗示される.
  • 多田 忠義
    セッションID: 214
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.課題設定
    本報告は,住宅の空き家を対象とし,その対策の地域差に関する考察を,次に挙げる2つの視点から考察する。

    1つ目は,自治体の空き家対策にかかる条例(以下,条例という。)制定および空家等対策の推進に関する特別措置法(以下,空家特措法という。)で規定された空家等対策計画(以下。計画という。)が,どの地域で策定されたかを検討することである。西山(2016)は,条例が制定された自治体は豪雪地帯に多いと指摘したが,本報告は,空家特措法施行という状況変化を踏まえて,条例や関連法令を含む法規の制定や計画策定状況を評価する必要があると考えた。

    2つ目は,空き家の解体ニーズに対応する融資の取扱状況に地域差があるかを検討することである。由井ほか(2016)は,空き家の地域分布や各地の取組み状況を議論したが,空き家対策にかかる融資の地域差は捉えていない。空家特措法は,空家等の所有者に対する空家等の適切な管理義務を規定しており,空き家解体の資金需要が生じると考えられる。一部の金融機関は,この時勢を捉えた融資を取り扱い始めたが,本報告は,融資内容や条件の地域差が何であるかを明らかにする必要があると考えた。

    2.空き家にかかる自治体法規の制定・計画策定状況
    空家特措法が施行される2015年3月以前に空家対策にかかる条例を制定した自治体(西山 2016),および,国土交通省が公表する計画が策定済みの市区町村(2017年10月1日時点)を重ね合わせると,条例が先行する自治体よりも条例の空白地域で同計画の策定が進んでいることがわかる。また,空き家率(2013年の住宅総数に占めるその他住宅に区分される空き家の割合)が高い地域ほど,法規の制定や計画の策定が確認された。

    これらの地域差が生じた原因は2つ考えられる。1つ目は,法規制定・計画策定の自由は自治体にあるためである(北村 2015)。空家特措法よりも独自法規が先行した自治体の場合,先行法規の改正に時間を要している,または先行法規を継続し,計画を策定しないと判断したためである。

    2つ目は,法規の未制定であった自治体の場合,空き家率低減に向けて早期に計画を策定したためである。

    すなわち,空き家にかかる自治体法規の地域差は,豪雪地域であることに加え,自治体の法規制定・計画策定に対する判断も考慮する必要がある。

    3.地方銀行での空き家解体融資の取扱状況
    本報告では,各都道府県で個人向け預金・貸出シェアが概ね一番高い銀行(一般社団法人全国地方銀行協会に所属する64行。以下,地銀という。)を対象に,空き家解体が使途に明示されている融資(以下,空き家解体融資という。)の有無や特徴を分析した。

    なお,当該融資の情報は,各地銀のWebサイトを2018年1月上旬に閲覧して取得した。また,Webサイト「空き家解体サポート」に掲載のある2017年9月時点の空き家解体融資は183金融機関(46地銀,35その他銀行,73信用金庫,11信用組合,26JA,2労金)で,地銀が金融機関の種類別で取扱シェアが最も高い(73.4%)。

    結果,空き家解体融資の取扱が開始された地銀は51行であり,本店所在地別に地域区分すると,中部,近畿,四国では全ての地銀で当該融資が確認された。

    また,空き家解体融資の特徴は,(1)地方創生を受けて2015年度中に新規融資商品として取扱開始した地銀が多いこと,(2)自治体の空き家解体補助を受けた貸出金利の引き下げが東北や九州を中心に確認されること,(3)貸出金利は,使途を制限しない多目的融資等に比べ低いこと,(4)返済完了時の年齢が,東北や九州で高めに設定されていること,(5)2014年以前に取扱開始した地銀は秋田県に本店が立地する2行のみであること,が挙げられる。

    4.今後の課題
    空き家対策の地域差に対する理解を深めるため,空き家対策にかかる自治体の施策と実績,および空き家解体融資の融資実態を分析することが,今後の課題である。



    文  献

    北村喜宣 2015.空家対策特措法の成立と条例進化の方向性.日本都市センター編『都市自治体と空き家-課題・対策・展望-』11-48.日本都市センター.

    由井義通・久保倫子・西山弘泰編 2016.『都市の空き家問題 なぜ?どうする?』古今書院.
    西山弘泰 2016.全国の自治体による空き家対策.由井義通・久保倫子・西山弘泰編『都市の空き家問題 なぜ?どうする?』187-203.古今書院.
  • 中村 康子
    セッションID: S606
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに

     農地および林野は日本の農村における土地利用の基本的構成要素であり,家々とともにある程度まとまりのある農村空間を形づくる。このように捉える農村空間は,農地や林野,それらを保有・利用してきた人々の居住地が景観的に存在しているところであれば,市街地の侵入が進んだ都市郊外の農村でも,農業のさかんな平野部の農村でも,条件不利地といわれる中山間地域の農村でも,過疎問題を抱える都市から遠隔な農村でも,どこにでも見出すことができる。地表上に具体的に農村空間を定めたとき,観察対象となりうるものが農村の土地利用景観である。
     農村を「景観写真で読み解く」にあたってどのように景観写真を提示することができるのか。本報告では,高知県仁淀川中流域の四国山地上に位置する越知町鎌井田桑藪を中心とする一定の範囲において,1995年~1999年にかけて撮影した土地利用の状況を記録した写真を用い,景観写真の提示方法を検討した。景観写真を読み解きにあたっては,ゆるやかなねらいが必要である。ここでは対象農村の特性や土地利用景観の状況をふまえ,山地・山地農村にねざす農業・土地利用の理解をめざすことにした。その成果は以下のとおりである。


    2.景観写真による対象農村の概観

     土地利用景観を詳細に読み取るのに先立って,景観写真の読み取りや提示によって対象農村を概観した。

     1)集落の立地と農地:中心集落の立地を説明するため,集落の背景に映る山々に着目した。また,居住地とそれをとりまく農地を一望した景観写真を提示し,視覚的に居住地と農地が地形との関係性を把握できるようにした。
     2)製紙原料産地の風景要素:四国山地のうち,高知県の仁淀川流域の村々は製紙原料産地であり,かつては楮や三椏の一大産地であった。対象農村では1990年代末に楮の生産が続いていた。景観要素として楮畑は重要であるものの,作物の写真から楮であることを特定したり,製紙原料であることを把握したりすることは難しい。そこで,冬場から春先にかけてみられる楮蒸しの風景要素にも着目した。
     3)1990年代末の林野景観:かつては山の利用が活発であったことを説明するため,地形の説明を兼ね,林野の景観写真を提示した。そのうえで,現在ではみられなくなった林野利用に関わる木炭生産や焼畑を示す要素として,かつて山で焼畑がなされたことの痕跡である山の中の三椏の散在樹,かつて木炭生産をしたことの痕跡である炭焼き窯の遺構を取り上げた。これらに基づいて林野利用の変化,さらには雑木林,植林地,伐採跡地現在の林野景観との関係性に言及した。


    3.農村空間内の土地利用景観の読み取り例

     1)耕作方法:2-1)で示した集落周辺の農地景観の存在を支える人々の営為として,農地景観を説明する観点から農具や耕作方法を取り上げた。
     2)耕地景観:水田の限られるこの集落では過去には米以外の食糧作物が栽培されていた。その中には現在でも少量ではあるが自給的に栽培されるものがある。そのうち,キビジと呼ばれるトウモロコシ畑,イモジと呼ばれるサツマイモ畑を取り上げた。前者については集落の近くに繰り返し現れる点に着目し,後者については耕作地の写真を景観写真とみなして栽培方法の工夫を読み取った。
     3)山地斜面の土地利用:製紙原料作物が栽培される状況,植林によって農地から林野へと切り替わる様子,斜面上が採草地(コエバ)として利用されている状況を説明した。
     4)ウネのコエバ跡:焼畑慣行期には山地斜面は焼畑用地であり,コエバは山稜や山頂に配置されていた。「コエバの管理方法」をよりどころにコエバの植生の状態を読み取り,コエバの放棄後の景観変化を予想した。
     5)サコの田:景観観察は仮説を検討する場ともなりうる。棚田の形態に着目し,間口に奥行が狭く,高さが高いという特徴がある。このような棚田の形態について,地形との関係づけのほか,かつて牛鍬と呼ばれる犂を耕耘していたことと関係づけを試みた。また,耕作放棄地の発生パターンと水利との関係性にも言及した。


    4.現代的な農業景観
     薬草畑は1990年代末には農業的な景観要素として対象農村空間内で目立つ存在であった。これは,薬草生産が町域レベルの地域産業として成立したいことを示すものである。そこで,この地区での薬草生産に関する調査結果をふまえ,条件不利地・過疎地域に成り立つ農業のあり方を説明した。
  • ―長野市門前エリアの事例―
    武者 忠彦
    セッションID: S406
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    なぜリノベーションが都市再生につながるのか
    都市の再生という現象は,これまでもジェントリフィケーションやコンパクトシティの視点から大きな関心が寄せられてきた.国内では商業振興の事例を分析するアプローチが中心であったが,1998年の中心市街地活性化法の施行以降は,行政の活性化計画や開発規制などの制度面に着目した研究も蓄積されてきた.ところが,現実の都市をみると,商業振興中心のまちづくりや行政主導の計画的なまちづくりは,今や全国各地で機能不全に陥っている.これに対して,近年大きな注目を集めているのが,民間主導で中心市街地の既存ストックを次々と利活用して都市を再生する「リノベーションまちづくり」とよばれる取り組みである.こうした必ずしも計画的ではないまちづくりが全国で同時多発的に生じているという現象は,商業振興や制度の分析を中心に展開してきた従来の中心市街地研究とは全く異なるアプローチが必要であることを示唆している.実際,個別建築物のリノベーションという点の動きが,なぜ計画することなく連鎖的に展開し,場所全体の価値が高まる面的な都市の再生につながるのか,その機序については当事者の間でも十分に理解されていない.

    創造的人材と都市再生
    これに対して,報告者は長野市で実施した予備的な調査から,リノベーション建築の入居者にデザイナーなどの創造的職業やU・I・Jターン者の比率が高くなっているという事実に着目し,「リノベーションは単なる建築的価値の再生ではなく,建築を媒介とした創造性に富む外部人材の定着であり,それが都市の再生にもつながる」という仮説的な知見を得ている.こうした創造的人材が都市の再生要因となるという議論は,1960年代に始まるジェントリフィケーション研究のほか,近年ではフロリダらによる創造都市論でも展開されているが,創造都市論は,あくまで創造階級とよばれる人材の数と都市の経済的成長を表す指標との統計的相関に関心があり,そうした人材がなぜ,どのように集積し,都市の成長につながるのかというプロセスは十分に理解されていない.

    「創造都市化」仮説と「都市の文脈化」仮説
    本研究では,リノベーションによる都市再生のプロセスについて,下の表1に整理した2つの仮説をもとに分析を進めている.「創造都市化」仮説とは,空洞化した中心市街地では都市的アメニティが充実している割に低コストで経営・居住可能な建築物が潜在的に多く立地しているため,リノベーションを通じてそれらの空間資源が可視化されることで,都市的環境を好む創造的な職種の人材が連鎖的に流入するというものである.一方,「都市の文脈化」仮説とは,特定の産業集積や歴史的地区など空間的文脈が共有された範囲において,建築のリノベーションによって空間がリデザイン(再創造)されることで空間的文脈が継承・強化され,その価値を共有する地域コミュニティが再構築されるというものである.報告では,アンケート調査で得られたデータをもとに,仮説を検証する.
  • ―総括と展望―
    武者 忠彦, 箸本 健二, 菊池 慶之, 久木元 美琴, 駒木 伸比古, 佐藤 正志
    セッションID: S408
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    中心市街地再生論の転換

    低未利用不動産の増加を実態とする地方都市中心市街地の空洞化に対しては,商業振興や都市基盤整備の名目で,これまでも夥しい額の公共投資がなされてきたが,その成果はきわめて限定的であった.こうした現状に対して,近年は中心市街地再生をめぐる政策を批判的に検討し,空洞化を是認する論調も強まっているが,政府は2014年に策定した「国土のグランドデザイン2050」において「コンパクト+ネットワーク」モデルを提示しているように,人口減少や財政難,低炭素化を背景としたコンパクトシティの文脈から,中心市街地再生の立場を継続している.もっとも,政府が掲げるコンパクトシティ政策は,土地利用と施設立地の効率化を追求した中心市街地への機能と人口の〈再配置論〉であり,どうすればそのような配置が可能になるのか,そのような配置にして生業や生活が成り立つのか,そこで望ましい社会や経済が形成されるのか,といった議論は各地方都市の「マネジメント」に丸投げされているといってよい.

    都市マネジメントの可能性:事例報告からの示唆

    では,地方都市にはどのようなマネジメントの可能性があるのか.これまでの中央主導による補助事業に依存した開発志向型の再生手法が,ほとんど成果を生み出せず,もはや依存すべき財源もないという二重の意味で使えない以上,基礎自治体や民間組織のようなローカルな主体が中心市街地という場所の特性を見極め,未利用不動産を利活用して戦略的に場所の価値を高めることが不可欠となる.その際には,高齢化,人口流出,共働き世帯の増加,公共交通網の縮小など,地方都市固有の文脈をふまえることも必要である.
    本シンポジウムで報告する未利用不動産の活用事例からは,以下の2つの可能性が示唆される.第1に,PPP/PFIや不動産証券化などの市場原理を導入して介護施設や商業施設を開発した事例のように,「低未利用状態でも中心市街地であれば新たな投資スキームを導入することで価値が見出される」という可能性である(菊池報告,佐藤報告).第2に,都市的環境にありながら相対的に地代の安い未利用不動産では,リノベーションによって新規参入者の経営が成立し,賑わいが生まれ,そこに新しい社会関係が構築されるというように,「中心市街地で低未利用状態だからこそ価値が生まれる」という可能性である(久木元報告,武者報告).とはいえ,これによってすべての地方都市が再生にむけて動き出すわけではない.各都市の立地や人口のポテンシャルを考慮すれば,どこかに〈閾値〉はあるはずであり,選択可能な戦略も異なってくる(箸本報告,駒木報告).

    未利用不動産の利活用と新しい幸福論

    本シンポジウムで議論する未利用不動産を切り口とした中心市街地再生論は,同じ再生を目的としながらも,かつてのような国の補助事業に従って計画されたエリア包括的な再生論とは異なる.未利用不動産を利活用を通じて,それぞれの主体が中心市街地という場所の特性をあらためて構想し,商業やオフィスの機能に限らず,居住,福祉,子育てなどの機能を取り込みながら,周辺エリアの価値を高めていく.それは単なる商業振興でもなく,都市基盤整備でもない,個別物件の再生から戦略的に考える都市マネジメントの視点である.こうして再構築される中心市街地での生活風景が,かつての百貨店や商店街が提供した「ハレの場」や郊外における「庭付き一戸建て」に代わる幸福論となり得るのか,コンパクトシティの成否はこの点にかかっているように思われる.
  • 乙幡 正喜, 小寺 浩二, 矢巻 剛, 浅見 和希
    セッションID: P112
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ はじめに
    新河岸川流域は、かつて水質悪化が顕著な地域であったが、近年流域下水道や親水事業で水質が改善しつつある。しかし、狭山丘陵に位置する支流の上流部においては依然水質が改善していない地域も存在し、汚染源の特定や水質改善を図っていくには源流域における調査・研究が重要である。今回は、狭山丘陵周辺において河川を調査した結果をもとに、水質を中心とした水環境の特徴を考察する。

    Ⅱ 対象地域
     狭山丘陵は、東京都と埼玉県の5市1町にまたがる地域である。高度経済成長期から都市化が急速に進む一方、多摩湖や狭山湖の周辺には森林が分布し、里山の環境を残している。河川のほとんどは新河岸川水系に属する。

    Ⅲ 研究方法
     既存研究の整理と検討を行った上で、現地調査は2017年11月から月に1回行っている。現地では、水温、気温、電気伝導度(EC)、比色pHおよびRpH、を計測し、採水して実験室に持ち帰り、全有機炭素の測定と主要溶存成分の分析を行なった。

    Ⅳ 結果・考察
     ECは、100-300μS/cm前後の地点が多かったが、空堀川や不老川の上流でECが高い地点が見られ、下水や生活排水が流れ出ていることが考えられる。一方で、南西部の一部河川・湧水では100μS/cmを下回る良好な水質を示す地点も地点もあった。pHは7前後であり、RpHは8前後まで上昇する地点が多いが、南西部の一部地点では8を超える地点も存在し、滞留時間が比較的長いことが考えられる。
     水質組成は、多くの地点においてCa-HCO₃型を示しているが、北西部の河川を中心に硝酸が多く検出された。北西部においては近郊農業が盛んであり、下水道普及率が比較的低いことで硝酸多く出ていることが考えられる。東部の六ッ家川や南東部の空堀川、野火止用水の地点では極端なNaCl型の水質組成となり、生活排水や下水の処理水が多く流れ込んでいることがわかる。また、南部を中心にアンモニアが出ている地点があり、生活排水の影響が考えられる。

    Ⅴ おわりに
     都市域であるためECが高い地点があり、依然として水質が改善していない地点が見られ、また農業による硝酸の影響が残る地点も多く分布していた。
    今後も継続的に調査を行い、季節変化などを注意深く考察する必要がある。

    参 考 文 献
    森木良太・小寺浩二(2009):大都市近郊の河川環境変化と水循環保全―新河岸川流域を事例として―. 水文地理学研究報告, 13, 1-12.
  • 矢巻 剛, 小寺 浩二, 浅見 和希, 堀内 雅生, 猪狩 彬寛
    セッションID: 517
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ はじめに
     古くから多くの島嶼で水環境変化に関する研究が行われてきたが、長崎県の島嶼に関する調査・研究はほとんどなく、2014年から五島列島の調査を始め、対馬、壱岐、平戸と研究を進めてきた。数年間の調査により、季節変化や海塩の影響をはじめとした各島の特徴が明らかになってきた。今回は、各地域の水環境について、地形・標高との関係や小流域による分析などから明らかにする。
    Ⅱ 対象地域

     壱岐は、最高標高213mながら起伏に富み、島の各地に数多くの溜池が存在している。対馬は、韓国から約50kmと近く、島全体の標高が比較的高く、約89%を山地が占める。五島列島は大小約140の島々が連なり複雑で変化に富んでおり、各島で大きく地質も異なる。平戸諸島は山がちながら田畑も比較的多い。いずれの地域も汚水処理人口普及率は20-40%程度と低く、人口減少が続いている。

    Ⅲ 研究方法

     既存研究の整理と検討を行った上で、現地調査は五島列島で2014年から4回、壱岐で2015年から7回、対馬は2016年から7回、平戸は2017年に4回行った。現地では、水温、気温、電気伝導度(EC)、比色pHおよびRpH、COD(2017年5月壱岐・対馬・平戸のみ)を計測し、採水して全有機炭素の測定と主要溶存成分の分析を行なった。雨水は壱岐・平戸各3か所、対馬4か所、五島列島・島原各1か所で毎月採取し、分析を行っている。

    Ⅳ 結果・考察

     ほぼ全ての島で海塩の影響が見られたが、海塩以外の要因が卓越した地点も少なくない。壱岐では農業の影響がECやTOCに現れているが、硝酸の影響がほぼないのは興味深い。対馬などと比較して上流域でも溶存成分濃度が高いのは、農業用水の地下水の寄与が大きいと考えられる。五島列島では福江島で地質の寄与が強く見られる地点があり、硝酸が多く検出された。壱岐では水田が、五島列島では畑地が卓越していることに要因があると考えられる。対馬は急峻な地形で河川水の流下速度が速く短いためECや溶存成分濃度が比較的低く、流下に伴い濃度が増加していた。下島は特に上流部の地点で風送塩の影響が顕著で、季節変化も大きく現れた。平戸島では特に南部で地質の影響が大きいと考えられる地点が多く、流下に伴い濃度が上昇する傾向であったが、生月島や的山大島では海塩の影響が強くみられた。雨水は3月頃と10月頃にECが上昇しpHが低下する傾向があるが、越境汚染との関係については明確ではない。

    Ⅴ おわりに

     以上から、島嶼の水質の違いは地質や地形、農業形態の相違の影響が大きいと考えられる。今後は、小流域毎の詳細な解析・考察を進めていき、各島における水環境の特徴をより明確にしていく必要がある。
  • 飯塚 遼
    セッションID: S507
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    近年の世界的なクラフトビールブームのなか,ビールの消費量が減少している日本においてもクラフトビールの人気が高まりをみせている。とくにクラフトビールをテーマとしたイベントは全国各地で開催されるようになり,単なるプロモーションだけではなく,地域活性化の手段としても注目され始めている。また、それらはビール離れが進行している若者を集客するイベントとしての様相もみせている。本研究では、フードツーリズムにおけるクラフトビールイベントの位置づけを俯瞰しながら、若者のフードツーリズム対象としてのクラフトビールイベントの発展可能性に関して検討することを目的とする。
  • 大八木 英夫, 濱 侃
    セッションID: 518
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    近年, UAV(Unmanned Aerial Vehicle:無人航空機)の発達により,小型UAVが入手しやすくなり,様々な調査で利用されている。特に,農業・インフラ点検・測量・警備・災害対応の分野で先行して利活用されているといえる。
    また,さらに赤外線サーモグラフィーの小型化により,UAVに搭載して撮影した赤外線画像から,海水面の温度分布や海底湧水の影響範囲を捉える研究が行われている。これらによれば,水面下からの湧水の影響が海水面へは,水深1.5m程度までの浅い場所に限られるが, 顕著に捉えることができている。これらの成果は,より広域的な水面温度分布を観測することができるようになったことが示唆される。そこで,本研究では,熱源が明確な日光湯ノ湖における温泉湧出地点からの水温分布から温泉水流入量の推定を考察する。
  • 及川 幸彦
    セッションID: S202
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1. 新学習指導要領の基盤としてESD
     2017年3月末に,2018年度から順次施行される幼稚園及び小・中学校の新学習指導要領等が公示された。この新たな学習指導要領等の策定過程において発表された中央教育審議会の答申では,「持続可能な開発のための教育(ESD)は次期学習指導要領改訂の全体において基盤となる理念である」と述べている。そして,この答申に基づき策定された新たな小・中学校学習指導要領において,今回初めて創設された理念を謳う前文と全体の内容に係る総則の中に,「持続可能な社会の創り手」の育成が掲げられた。さらに,各教科・領域においても,関連する内容が盛り込まれている。
     新学習指導要領は,ESDの理念とこれまでの実践も踏まえて検討されたものであり,今回の改訂は,「持続可能な社会の創り手」を育成するESDが,新学習指導要領全体において基盤となる理念として組み込まれたものと理解できる。また,ESDが重視する学習内容や方法は,新学習指導要領に示された「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の方向性にも資するものであり,さらに,地域や外部機関,あるいは世界と連携して学際的かつ体系的に学びを構築するESDは,「カリキュラム・マネジメント」の具体的な実践強化にもつながるものである。したがって,ESDを推進することは,新学習指導要領の改訂の趣旨に沿うものであり,各教科・領域のみならず教育課程全体で取り組むべきものである。

    2. 持続可能な開発目標(SDGs)を達成するESD
     2015年9月の国連総会で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択され,その中で「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げられた。SDGsは,発展途上国のみならず,先進国も取り組む2016年から2030年までの国際的な目標で,持続可能な世界を実現するための17の目標(Goal)と169のターゲットから構成されている。このSDGsにおいて,「教育」は目標4に位置付けられ,「すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を保証し,生涯学習の機会を促進する」とされており,さらに,ESDは,ターゲット4.7に「持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能の習得に向けて取り組む」こととされている。しかし,教育及びESDは,目標4(4.7)にとどまるものではなく,「持続可能な社会の創り手の育成」を通じて,SDGsの17の目標すべての達成に貢献するものと考えられる。すなわち,ESDをより一層推進することが,SDGsの達成に直接・間接につながるものである。

    3. ESDの更なる推進のためのジオパークの活用
     ジオパークは,2015年にユネスコの正式事業(ユネスコ世界ジオパーク)と承認されたこともあり,今後,教育分野での活用が期待されている。特に,ユネスコが主管するESDやユネスコスクール等の取組と連携して,ジオパークが有する稀有な地質や自然,文化や防災等の特性を生かした教育資源を提供してESDを展開するような「拠点」としての機能を果たすことが求められている。
     近年,ユネスコスクール等を中心に,学校教育と世界遺産やユネスコエコパークといった他のユネスコ活動とが連携し,その理念や活動を,ESDの様々な学習に取り入れている例が増えてきている。この枠組みは,ユネスコの理念の実現とともに,ESDの推進においても重要である。また,ジオパークは,ユネスコスクールやエコパークと同様に国際的な「ネットワーク」であり,個別の地域に根差しながらも他のジオパークとの交流によりグローバルな視野で学びを共有する仕組みづくりが可能となる。
    このように,ジオパークを活用した教育活動は,ESDの推進にとって有効なアプローチであるとともに,それを基本理念とする新学習指導要領の趣旨を実現することにも寄与するものである。
  • 内国勧業博覧会の関わりから
    洪 明真, 太田 慧, 杉本 興運, 菊地 俊夫
    セッションID: P324
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.研究対象地域

    現在の上野地域の地名は,永禄2(1559)年の記録によれば,「古くは鳥穢野と書いて,松や杉が茂って,人跡が絶えたところなので,飛鳥の糞ばかりであった」と書かれている.台地と水系を持つ地形,鬼門に当たる方位,広い面積にあったことから,上野地域は江戸幕府の権威を示す場所として選定され東叡山寛永寺を建造した後,江戸の代表的な寺社地となった.日本の伝統工芸品や特産品が慶応3(1867)年,フランス政府からパリ博覧会への出品勧誘を受け,万国博覧会に出品されるようになった.それから,明治6(1873)年にオーストリアのウィーンで開かれた万国博覧会と,明治9(1875)年にアメリカのフィラデルフィアで開かれた万国博覧会においても日本の伝統工芸品や特産品などが出品された.これを契機に日本において勧業政策の一環としての展覧行事が盛大に行われるようになったのが「内国勧業博覧会」であった。東京上野公園で明治10(1877)年に「第一回内国勧業博覧会」をはじめ,明治14(1881)年と明治23(1890)年に開催された (図1).

    2.研究背景と目的

    明治10年代の都市計画案や市区改正計画案,明治15(1882)年の鉄道開通,明治22(1889)年3月に立案・公示された市区改正と建築条例案は,明治期における東京の景観形成の営力となる重要な都市政策になった(藤森,1982).明治15(1882)年の鉄道馬車は,新橋―上野―浅草―浅草橋―本石町―日本橋―新橋の循環線で開通しており,この交通政策では,当時東京において中心性が高かった地域が把握できる。明治期の東京景観に関しては,当時に実行された都市計画および建築物の変化から主に論じられてきた(初田,2001).以上の従来研究からは,明治政府の近代化計画が東京の景観形成全体を通じて一貫して基盤的な役割を果たしてきたことを明らかにしている.本研究は,明治期の上野地域における景観変遷とその要因を「内国勧業博覧会」との関わりから検討したものである.
  • ー東京都渋谷区の事例ー
    磯野 巧
    セッションID: S505
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    本発表の目的は,若者による訪日外国人旅行者に対する観光ボランティアガイド活動の展開にみられる特徴を明らかにすることである。研究対象地域は東京都渋谷区を選定した。訪日外国人旅行者に対する観光ボランティアガイド活動は,渋谷区のなかでもインバウンド需要の高い渋谷エリアと原宿エリアを中心に展開していた。渋谷区にはショッピングや食事を目的とする外国人旅行者が多く,案内要望にチェーン店を挙げるなどガイドの依頼内容にもその傾向は反映されていた。また,再開発にともなう渋谷駅構内の複雑化や周辺域の地形条件から目的地に辿り着けない外国人旅行者も多く存在するため,単純な「道案内」もまた重要な意味を有していた。さらに,語学力向上を目指す若者にとって,外国人旅行者への観光ボランティアガイド活動は生きた外国語すなわち英語を学ぶ格好の機会である。この文脈において,英語圏の外国人旅行者の訪問率が高い渋谷区は,観光ボランティアガイド活動を介した国際交流機会を創出するうえで極めて有用な地域であると看取できよう。
  • 榎木 万作, 浅見 和希, 小寺 浩二
    セッションID: P109
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ はじめに
     2017年7月の九州北部の福岡県朝倉市と大分県日田市を中心とした豪雨により、大規模な山体崩壊や河川の洪水・氾濫が起こり、多くの被害が発生した。当研究室は、今回の豪雨の特徴およびその影響を把握するため、同地域で過去に発生した災害と比較しながら降水メカニズムについて考察を行なうとともに、災害発生後に被災地を回り、被害状況の視察、および河川を中心にサンプルを採取し、今回の災害に伴う水環境の変化についても考察を試みた。

    Ⅱ 研究方法
     
    現地へは2017年7月、8月、9月、12月の計4回訪れている。主な調査対象は河川で、現地調査項目はAT, WT, pH, RpH, EC等である。現地で採水したサンプルは研究室にて処理したのち、TOC、主要溶存成分の分析を行なった。

    Ⅲ 結果と考察
     1.今回の豪雨について

     降水は5日正午頃から激しくなり、22時頃まで断続的に激しい降水があった。降水の原因は梅雨前線が南下したことにより対馬海峡付近で大気が非常に不安定となり、線状降水帯が発生した。1990年に発生した同地域における豪雨災害においても、局地前線の発生が指摘されていることから(平野ほか,1991)、この地域では集中豪雨が発生しやすいと言える。
     2.被災地の状況
     被災地を回り確認できた点としては、洪水・氾濫の起こった場所が本流だけでなく、支流の中・上流部でも起きていた点であり、それほど今回の豪雨が強烈であったことがうかがえる。また、河川が氾濫して浸水した場所には、土砂に加えて非常に多くの流木があったことも特徴である。河川の上流部の山地を見ると、各地で崩壊が起きていたことが確認でき、流木は崩壊地の上に生えていた木々からもたらされたと考えられる。時間が経過するにつれて、復興が進んでいる様子が確認できたが、完全に復興するまでは相当な時間を要することが推測されるとともに、山体崩壊した箇所で、崩壊がさらに進んでいる様子が観察されたことから、非常に崩壊が起こりやすい地域であり、ひとたび豪雨があると再び被害が発生することが予想される。
     3.被災地の水環境
     河川の様子を見ると、復旧工事などの関係で濁っている河川とそうでない河川があった。そして濁っている河川で水温が高い傾向があり、特に12月は顕著で、濁りの有無で水温に差が見られた。pHは平均して7.0以上の地点がほとんどで、アルカリ性である。特に日田市の方で値が高い傾向が見られた。ECに関しては平均して100μS/cm前後の地点がほとんどであるが、一部200μS/cmを超える地点もあった。地域による差異は見られないが、日田市にある支流の比較的上流の地点でも100μS/cm以上とEC値が大きい傾向にあり、pH値が高いことと併せて、山体崩壊箇所からより地下水が湧出するようになり、河川の水質に対する地下水の寄与が大きくなっているものと考えられる。

    Ⅳ おわりに
     九州北部豪雨の特徴および被災地の水環境についてある程度把握することができた。今後も調査を継続し、水質がどのように変化していくか確かめていこうと考えている。

    参 考 文 献
    平野宗夫・重点領域研究「自然災害」総合研究班(1991):1990年7月九州中北部豪雨による災害の調査研究, 突発災害調査研究成果, NoB-2-1.
  • 小池 拓矢, 杉本 興運, 太田 慧
    セッションID: S506
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    個人の趣味や嗜好が多様化している現代において,アニメはある限られたコミュニティだけでなく,多くの人が目にするコンテンツになったといえる。アニメと観光との親和性も強く,アニメショップの集積地である秋葉原には国内外問わず多くの人が訪れており,アニメで描写された舞台を訪れる「聖地巡礼」という一種の観光行動がメディアに取りざたされることも少なくない。

     アニメと観光に関する先行研究では,おもに地域側の視点から店舗の立地傾向やホストとゲストとの関係性が考察されることが多かった。来訪者の多い地域に着目し,そこがどのような場所でどのような取り組みが行われているのかに焦点が当てられてきた。一方,アニメに関連する店舗や聖地を訪れる人びとの行動については不明な点も多い。したがって,本稿はアニメショップへの来訪や聖地巡礼などを,アニメに関連した観光・レジャーとして捉え,アニメ文化の中心的な消費者である若者の,アニメに関連した観光・レジャーの行動の実態を明らかにすることを目的とした。その上で,これらの観光およびレジャーにおいて,どのような空間が形成され,利用されているのかについての考察をした。

     上述した目的を達成するために,Webアンケートを実施した。調査期間は2017年の9月8日から9月12日であり,対象者は東京都,神奈川県,埼玉県,茨城県,千葉県に居住する15~35歳の人々である。また,回答者の性別が偏ってしまう可能性を考慮して,男女比を同率に設定した。さらに,アンケートの最初に,「直近3年間に東京大都市圏でアニメに関連した観光・レジャー(聖地巡礼やイベントなど)をしに行きましたか?」という質問を配布し,それに「はい」と回答した人に対してのみ,本調査を実施した。その結果,計545件のサンプルを回収した。

     調査の結果,単にアニメに関連した観光・レジャーといっても,その活動の種類によって参加頻度が大きくことなることや,日常的に顔を合わせる友人だけでなく,オンライン上で知り合った友人とも一緒に観光・レジャーを行う層が一定数いることが明らかになった。さらに,アンケートの結果をもとに,来訪されやすいアニメショップや印象に残りやすいアニメの聖地の空間的特徴を概観した。秋葉原や池袋などのアニメショップが集積する場所として有名な場所だけでなく,新宿にもその集積がみられた。また,都心部にもアニメの聖地が数多くみられ,多くの若者が訪れていることが明らかとなった。
  • 小島 泰雄
    セッションID: 811
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.問題の所在

     深圳は中国南部、珠江デルタの先端に位置し、香港に隣接して国策として建設された都市である。1979年に宝安県から深圳市が析出され、翌年には経済特区として指定をうけ、以後、30年あまりの間に人口1000万の都市に成長するという、類い無き都市化が展開した。

     深圳は中国ではじめて農村が無くなったことでも知られる。ここで農村が無くなったといわれるのは、制度的に“無農村建制”(農村制度が無くなった)、“無農民戸口”(農民戸籍が無くなった)ことを差すが、同時に農村都市化の一般的な過程を経験したことを示す。

     本報告は、2017年夏季に行われたフィールド調査と地方誌に依りつつ、いかに深圳が農村を失っていったのかについて検討し、深圳の地域像を更新することと、珠江デルタの農村の一つの極地の形成過程を確認することを目的とする。


    2.万豊村の経験

     万豊村は深圳市の西北部、宝安区沙井街道に属しており、現在は万豊社区となっている。祠堂の残る旧来の集落を囲んで多様な建築群からなる住宅区と工業地区という2種の景観地域で構成されている。《万豊村史》(2001年)に描かれる万豊村の景観変化は、概略以下のようなものである。

     農地は水田より畑が多く、西の浜で牡蠣の養殖を行っていた万豊村は、1978年の香港への密航ブームに巻き込まれ、村民の半分近くが香港へ行ってしまった。万豊村の改革開放はこうした負の出発点に始まり、生産請負制の導入による専業戸が牽引する農業活性化が進められた。1982年に最初の香港資本の工場として香港フラワーの工場が進出、続いて金属加工、玩具工場の誘致に成功する。経済特区に隣接し、用地と労働力が安く得られることが立地要因となっていた。その後、“三来一補”と称される加工貿易の工場が毎年10近く増えていった。工業化は農地の転用を必要とし、一時的に外来人口の増加(1990年代末には6万人)の需要を満たす養殖業が盛んになったが、農業は急速に後退していった。

     万豊村はこの過程で新たな共有制のシステムを立ち上げ、農村開発の一つのモデルとして全国に知られるものとなった。1984年に設立された万豊股份公司は、農民が共同で投資して工場棟を建て、それを外資企業に貸し出すことで賃貸収入を得るという機構をもつ。当初は投資する村民は一部に限られたが、配当の大きさから多くの村民が参加するようになり、1988年には広東省の優秀企業の一つに数えられるまで成長し、村民は生活、福祉の両面で豊かさを享受することとなった。

    3.坂田村の経験

     坂田村は龍崗区坂田街道に属し、かつて関内と呼ばれた初期の経済特区の北に隣接している。世界有数の情報機器企業に成長したHUAWEIの本部が集落の北にひろがり、丘陵斜面に並ぶ客家集落は旧来の風貌を残すが、二重三重に住宅地区に囲まれ、整備された街路を走っていると、その存在に気づくこともなくなっている。

    《輝煌坂田》(2010年)によると、丘陵地帯に位置する坂田村はかつては交通条件が悪く、近くの市場町の布吉鎮まで自転車で1時間かかっていた。1980年には早くもセーター工場が進出したが、1985年にはすべての工場が撤退し、農民は特区や布吉の工場に流出していった。本格的な開発は1980年代末に始まる都市計画の実施を待つこととなった。1994年には坂田実業股份有限公司が設立され、工場建物の管理を行っていたが、2007年に坂田実業集団に改制される頃には不動産開発と管理が主たる事業となっていた。2004年には、それまでの鎮-村の農村行政制度が街道-社区の都市行政制度に編成替えされ、翌2005年には農地の国有化が終了した。

    4.おわりに

     経済特区の設定は香港企業を中心とする多くの工場を深圳の農村にも進出させ、その結果、農地の転用が進み、農村の都市化が進展していった。近年、住宅建設が都市化の重要な要素となり、さらに行政制度が農村のそれから都市のものへと転換されたことで、深圳は名実ともに農村を失うことになったと整理されよう。
  • 広島県呉市近郊の事例
    清水 克志
    セッションID: 112
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに

     日本におけるキャベツ生産は,明治前期の導入以降,寒冷地である北海道や東北地方で先行し,大正期から昭和戦前期にかけて西南日本へと拡大していった.前者は,キャベツの原産地と風土が類似していたため,春播き秋穫りの作型での栽培が可能であったのに対し,後者は,冬穫りや春穫りの作型の確立とそれに適した国産品種の育成を待たねばならなかったからである.実際に関東地方以西では,アメリカ原産のサクセッション種が導入されて以降,同種をもとにした国産品種が各地で育成され,キャベツ産地が形成された.

     本報告では,大正期以降に西南日本において形成されたキャベツ産地の事例として,広島県呉近郊の広村(現,呉市広地区)を取り上げ,篤農家による品種改良と産地形成の過程を復原するとともに,当時の日本におけるキャベツの普及に果たした役割を明らかにすることを目的とする.

    2.広島県におけるキャベツ生産の推移

     広島県におけるキャベツの作付面積は,1908(明治41)年には僅か2.2haに過ぎなかったが,大正期を通じて漸増し,昭和戦前期に入ると1929年には100ha,1938(昭和13)年には200haへと急増した.作付面積の道府県別順位も1909年の29位から,1938年には17位まで上昇していることから,広島県は,大正期以降に顕著となる西南日本におけるキャベツ生産地域の一つと位置づけることができる.

     明治末の時点でややまとまった形でのキャベツ生産は,広島市とその近郊(安佐郡)に限られていた.ところが,大正期には呉市の東郊にあたる賀茂郡の台頭が著しく,昭和期に入る頃には,賀茂郡が広島市や阿佐郡を凌駕していった.1928年を例にとれば,広村におけるキャベツの作付面積(30.7ha)は,賀茂郡全体の95%,広島県全体の33%を占めており,広村におけるキャベツ生産は,広島県内でも際立った存在となっていった.

    3.賀茂郡広村における広甘藍の産地形成

     賀茂郡広村(1941年に呉市に編入)は,呉市街地の東方約5kmに位置する(図1).同村は黒瀬川の河口部にあたることから,三角州が発達し,江戸時代を通じて複数の「新開」が開かれた.新開地の地味が野菜栽培に適していたことに加え,呉の軍都化の進展よって,サトイモやネギなどの生産を中心に,近郊野菜産地としての性格を強めていった.

     1904(明治37)年頃に,玉木伊之吉(1886-1957)がサクセッション種を取り寄せて自家採種を繰り返し,広村での栽培に適した系統を選抜し,「広甘藍」と名付けた.玉木は呉市場で取引されるキャベツをみて,鎮守府での需要に着目し,広村でも栽培可能な系統の選抜を試みたのである.

     キャベツに対する需要は明治末期には,呉鎮守府に限られていたが,大正期に入った頃から一般需要も創出され始めたことを受け,玉木は,1914(大正3)年には450名からなる広村園芸出荷組合を設立し,安定した生産基盤を確立していった.広甘藍の販路は,呉市場にととまらず,昭和期に入る頃には大阪・神戸市場,1932(昭和7)年以降は,東京市場にまで拡大した.

    4.大都市市場における「広甘藍」

     第二次世界大戦以前の日本の園芸業について,総覧した『日本園芸発達史』には,「大正より昭和年代に至り最も華々しく活躍した」輸送園芸産地が列挙されている.このうちキャベツ産地は,岩手,長野,広島の3つのみであることから,広甘藍は,戦前期の西南日本を代表する輸送園芸キャベツであったと位置づけることができる.

     1935(昭和10)年頃の東京市場でのキャベツ入荷をみると,寒冷地の岩手や長野からの入荷が終了する12月以降,東京近在からの入荷が始まる6月までの間には,明確な端境期が存在した.その端境期を埋めるべく,岩手物の後を受けて東京市場へ出荷する産地が,泉州(大阪府南部),沖縄,広島,愛知などであった.当時すでに一年を通してキャベツに対する需要が存在していたことに対応するため,東京市場側では,西南暖地のキャベツ産地の形成を促したが,そのような動向を受け,広甘藍の産地では東京市場へと販路を拡大させていったとみられる.広甘藍は東京市場での取扱量こそ僅少ながら,その平均価格は一年間で最も高い水準にあったことから,高価格での有利販売を狙っていたことがうかがわれる.
  • 遊佐 順和
    セッションID: 829
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ はじめに

     北海道は食材の宝庫といわれ、海山の幸に恵まれ数多くの食資源を育んでいる。その代表的な食資源の一つとして、北海道の周辺海域で採られる昆布があげられる。昆布は生産地の生育環境の違いにより、形状、食味、主な出荷先やその地域ごとによる調理用途の違いから生まれる食文化など、利用される消費地によりその地域特有の特徴を有する。
     2013年12月、日本人の伝統的な食文化である「和食;自然を尊重する日本人の心を表現した伝統的な社会習慣」は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関 UNESCO)より無形文化遺産として登録された。この無形文化遺産登録により、和食やそのベースとなるだしは、改めてその価値を見直され、国内外で注目を集めている。北海道の昆布は、だしの代表的な一つとしてだしを利かせた調理法や、昆布そのものの食利用により、各地で独自の郷土料理をもたらし、年中行事とも深い関わりを有し、「食」による地域文化を育むための一役を担い、日本の伝統的な食文化を支えている。本発表は、北海道の昆布が日本各地で育む食文化の地理的多様性の背景や日本の伝統文化を育む意義を考察する。

    Ⅱ 問題の所在

     北海道は日本一の昆布生産地であるが、だし利用が主流でその消費量は全国的に見てあまり多くない。昆布の消費が多く見られる地域の中で、富山県、福井県、京都府、大阪府、高知県および沖縄県などにおいては、古くからだしや食利用などにより伝統的な調理法が継承され、それぞれの地域特有の食文化を育んでいる。この背景には、古くは北前船の寄港地である歴史的背景や、各地の食材や地場産業との結びつきにより昆布を用いて豊かな郷土料理を育み、各地域で特有の食文化が形成されていることがあげられる。北海道の昆布は、昆布の採れない日本各地において多様な食文化をもたらし、日本の伝統文化を育むための重要な一役を担っている。しかし、ライフスタイルや食生活の多様化が一般家庭の食卓に大きな影響をもたらし、かつては当たり前であった「食」の形態が大きく様変わりした。現在、各地における昆布の消費量は年々減少傾向にある。
     また、産地の北海道では昆布漁師の高齢化や後継者不足などによる担い手の減少および、天候や生育環境など自然環境の変化などにより、昆布の生産量も年々減少している。北海道内の昆布産地では、漁業後継者の確保や育成に向け、漁業後継者・新規就業者・就業希望者などに対する各種支援制度設置などにより、人材育成に取組み、漁師の減少を食い止めるための諸施策が実施されている。

    Ⅲ 今後の課題

     ユネスコ無形文化遺産の登録により、和食やそのベースとなるだしの魅力や価値が国内外で再認識されつつある今、改めて昆布の価値や昆布を用いた食文化継承の意義を見つめ直し、その意義を発信する必要がある。北海道の昆布は、日本の伝統文化を育むために重要な役割を担っているが、その生産活動や昆布の効能などは十分に理解されていない。北海道の昆布産地において、地域資源としての理解や地域に対する矜持を醸成するとともに、昆布が有する効能や産地および消費地における昆布の食文化の魅力に対する理解を促すため、その価値を広く発信する取組みが必要である。

    付記

     本研究は、日本学術振興会「課題設定による先導的人文学・社会学研究推進事業」実社会対応プログラム(公募型研究テーマ)「日本の昆布文化と道内生産地の経済社会の相互連関に関する研究」(研究代表者:齋藤貴之(北海道武蔵女子短期大学)、研究期間:平成27年10月1日~平成30年9月30日)の成果の一部を使用している。
  • 椿 真智子
    セッションID: S601
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    景観写真で読み解く身近な地域の生活景

    Understanding of Living Landscape in Local Region by Landscape photographs

    椿 真智子(東京学芸大学)

    Machiko TSUBAKI (Tokyo Gakugei Univ.)

    キーワード:景観写真,身近な地域,生活景,関係性,複合性
    Keywords:landscape Photograph, Local region, Living landscape, Relation, Compositeness

    1.身近な地域の理解と景観写真

     地域を構成する諸要素が複合的に関係しあって成立し形成された景観は、地理的見方・考え方の理解・育成に欠かせない素材である。さらに景観は今日、地域資源としての価値、さらには地域社会・人びとのアイデンティティと密接に関わる存在としても重視されている。景観写真は、複合的存在としての景観を意図的に切り取り表現した学習・研究素材である。景観写真を読み解くことは、景観を地理的に理解し意味づけることにほかならない。しかしながら、読み手が景観写真のいかなる要素をどのように抽出し解読するかは、従来、読み手の知識・技能・経験や裁量に多くゆだねられてきたと考えられる。

    身近な地域の景観は日常のありふれた風景であり、そこから何を地理的に理解すべきかを明示することは、教師にとっても難しい課題である。一方、その理解においては、日々の生活行動・体験やフィールドワークを活用・反映させやすい。身近な地域の景観を読み解くことは、生活者の視点から地域を理解すること、すなわち生活景への地理的アプローチでもある。景観をとおした日常に対する新たな発見は、新鮮な驚きや好奇心を喚起し、身近な地域・生活への関心を高める手立てとなる。また景観をとおした地域理解は、地域社会の課題や持続性を考える基礎としての意義を有する。

    そこで本報告では、景観写真を素材とした身近な地域の地理的理解における視点・枠組みを整理し、景観写真の有効性と活用方法とを考察する。さらには、景観写真を用いた東京学芸大学での地理教育的実践をとおして、大学周辺地域を事例に、生活景の地理的理解の方法と意義について提示したい。

    2.景観写真の特性

    景観写真については、石井實・原眞一両氏をはじめとする地理学・地理教育の研究蓄積に加え、建築学・景観工学・メディア研究等さまざまな分野で活用・議論されてきた。とくに地理教育的側面からみた景観写真の特性、すなわち有効性と限界・制約は以下のように整理できる。

    〈景観写真の有効性〉①現場での直接体験の代替、②地域・場所や事象、人びとに対するより高い興味・関心や動機付け、想像力、イメージの明確化や理解、③現実世界・生活世界に対する人の目線・眼差しによる情報の提示・理解、④同じ地域・場所における時間・季節等の変化、生活のリズムの説明・理解、⑤多面的・複合的要素の説明・理解(関係性の論理)、⑥非恒常的・瞬間的事象や一過性を有する情報の提示・理解、⑦比較考察による差異・共通点の提示・理解、⑧資料としての記録・保存、⑨フォト・ランゲージやフォト・コミュニケーションの素材、⑩地理的理解・技能の育成・深化の素材

    〈景観写真の限界・制約〉①直接体験にくらべ情報が制限される、②撮影者(提示者)ならびに読み取る側の主観性や恣意性、意図が含まれる、③撮影者(提示者)ならびに読み取る側の技術や方法、能力・経験・知識により説明・理解可能な内容・量・質が異なる、④撮影範囲の制約、⑤固定的イメージや偏見・先入観を与える可能性、⑥撮影者(提示者)と読み取る側でのズレが生じる可能性

    3.景観写真で読み解く身近な地域の生活景

     身近な地域の特徴を説明するための景観写真を撮影することで、自ら景観を切り取り表現するプロジェクトを実践した。景観写真における個々の景観要素の関係性と複合性とを説明することは、地域の地理的理解に必要な視点や観点の習得を促し、景観をとおして地域を主体的に理解する有効な学習方法となりえる。
  • 泉田 温人, 須貝 俊彦
    セッションID: P208
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     氾濫原内の相対的な地形的高まりである「微高地」は,自然堤防だけではなく,様々な河川作用が形成する微地形の複合体である.自然あるいは人工堤防の破堤を形成要因とするクレバススプレーは,微高地を構成する微地形の一つである.平成27年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤洪水では茨城県常総市上三坂地区にクレバススプレーが形成され,微高地の発達過程におけるその重要性が再認識された.著者らはクレバススプレーが広く分布する(貞方 1971)とされる常総市域を含む鬼怒川下流域の氾濫原において,平成27年9月関東・東北豪雨を受けて形成されたクレバススプレー及び歴史時代に形成されたクレバススプレーに対し地形及び堆積物分析を行ってきた.本発表ではその二つの地形を比較し,調査地域ではクレバススプレーがどのように成長し,微高地発達に寄与してきたのかを検討した.

    2.平成27年9月関東・東北豪雨によるクレバススプレー
     2015年9月10日に発生した鬼怒川の破堤洪水によって,破堤部付近で“おっぽり”の形成などの激しい侵食が生じた一方,その下流側では淘汰の良い中~粗粒砂層からなる最大層厚80 cm程度のサンドスプレーが堆積した(泉田ほか 2016b).破堤部を起点とする堤外地への洪水流向断面において,両者の分布領域の間に侵食・堆積作用がともに小さい長さ100 m程度の区間が存在した(泉田ほか2016b).この区間からサンドスプレーの堆積区間への移行は洪水流向断面内の遷緩点で生じた.サンドスプレー形成区間より下流では洪水堆積物層は薄く,地形変化量は微小だった.洪水前後の数値表層モデルから計算された,破堤部から約500 m以内の範囲における総堆積量及び総侵食量はそれぞれ約3.7万m3及び約8.0万m3であり,本破堤洪水では侵食作用が卓越した(Izumida et al. 2017).

    3.歴史時代に形成されたクレバススプレー
     上三坂から約4.5 km上流に位置する常総市小保川地区は17世紀初期にクレバススプレーの上に拓かれた集落である.小保川のクレバススプレーは鬼怒川左岸に幅広な微高地が一度成立した後に形成を開始し,ある期間に鬼怒川の河床物質が繰り返し遠方に堆積したことで微高地を二次的に拡大したと考えられる(泉田ほか 2017).既存の微高地上では急勾配かつ直線的な長さ約1.5 kmのクレバスチャネルが掘り込まれ,クレバスチャネルの溢流氾濫による自然堤防状の地形であるクレバスレヴィーがその両岸に形成された一方で,チャネル末端では間欠的な大規模洪水によるイベント性砂層及び定常的に堆積する砂質シルト層の互層からなるマウスバーが形成された.両区間は,クレバススプレー形成以前の鬼怒川の微高地と後背湿地の境界域でクレバスチャネルの緩勾配化に伴い遷移したと推定され,マウスバー部分が後背湿地上に舌状に伸長したことで微高地が面的に拡大したと考えられる.小保川のクレバススプレーは厚い流路堆積物からなるクレバスチャネルを含め堆積環境が卓越し,侵食的な要素は鬼怒川本流とクレバスチャネルの分岐点に位置するおっぽり由来と考えられる常光寺沼のみである.

    4.考察
     上三坂と小保川のクレバススプレーの形成時間スケールと地形の分布する空間スケールの差異から,両者の地形はクレバススプレーの発達段階の差を表すと考えられる.しかし,両調査地のクレバススプレーは,ともに破堤洪水により鬼怒川の河床物質が氾濫原地形の遷緩部分に堆積しサンドスプレーあるいはマウスバーが形成されたことで,鬼怒川の微高地発達に寄与したことが明らかになった.調査地域におけるクレバススプレーの発達は(1)クレバスチャネルの形成による河床物質の運搬経路の伸長,(2)その下流に位置する堆積領域の河川遠方への移動,そして(3)侵食環境から堆積環境への転換によって特徴づけられた.上三坂が位置する常総市石下地区の鬼怒川左岸の微高地及び地下地質が複数時期のクレバススプレー堆積物からなることが報告されている(佐藤 2017).クレバススプレーの形成は常総市付近の鬼怒川氾濫原において普遍的な営力である可能性があり,微高地の発達過程で激しい侵食作用を含む地形変動が繰り返されてきたことが示唆される.

    参考文献:泉田温人ほか 2016a. 日本地理学会発表要旨集89, 165. 泉田温人ほか 2016b. 日本地理学会発表要旨集90, 181. 泉田温人ほか 2017. 日本地球惑星科学連合2017年大会, HQR05-P06. Izumida et al. (2017). Natural Hazards and Earth System Sciences, 17, 1505-1519. 貞方 昇 1971. 地理科学 18, 13-22. 佐藤善輝 2017. 日本地理学会講演要旨集 92, 150.
  • 鈴木 厚志
    セッションID: S101
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    このシンポジウムは、2016年9月以来、(公社)日本地理学会理事会において検討してきた「新ビジョン」の内容を、広く会員の皆様へ説明し、意見を伺う場として開催するものである。
  • 山田 育穂, 眞田 佳市郎
    セッションID: 637
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    地域空間の歩きやすさを表すウォーカビリティ(walkability)という概念は、肥満や生活習慣病など深刻な健康問題に直面する欧米諸国で1990年代に登場したものである。ウォーカブルな地域環境は住民の徒歩移動を促進して日常生活における身体活動量を増加させ、住民の健康維持・促進に繋がるという仮説に基づき、地域のウォーカビリティと住民の健康・身体活動量との関連性を扱う様々な研究が行われている。歩行の健康効果は超高齢社会を迎えた我が国においても関心が高く、またコンパクトなまちづくりとも関連が深いことから、日本国内を対象とした研究も徐々に増加している。

    ウォーカビリティ研究では、特定の地域に関して都市空間の物理的な歩きやすさを示す指標と、肥満状態や身体活動量など住民の健康指標との関連性を、地理情報システム(GIS)や統計的手法を用いて解析するという手法が多く用いられている。研究の数が増加している一方で、対象とする地域が多様なため研究間で一貫性のある知見が得られにくい、統一的な歩きやすさの指標が確立されていない、横断的研究が主流で因果関係に関する知見が限られている、等の問題点も指摘されている。さらに、個人の健康状態に関する情報取得の難しさも相まって、限られた地域・被験者数で現地調査等によりミクロな関係性を扱う研究と、広範な地域を対象に政府統計をはじめとしたマクロな指標を活用した研究とに、研究手法が二極化する傾向も見られる。

    本研究では、東京都のほぼ全域を対象とする大規模なアンケート調査を実施し、さまざまな都市空間に住む住民の近隣住環境についての評価や、歩行行動・健康状態について包括的な調査を行うことで、上述の第1の問題点の緩和を目指す。そしてその結果を、地域の建造物環境に関する空間データなどから客観的に算出する歩きやすさの指標と照らし合わせて、都市部対郊外部など地域特性を考慮しながら、両者の関係性についての解析を行う。今回の発表では、2018年1月に実施予定のアンケート調査について報告する。
  • 中村 祐輔, 渡来 靖, 鈴木パーカー 明日香, 中川 清隆, 吉崎 正憲, 榊原 保志, 浜田 崇
    セッションID: 524
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    近年問題視されている都市ヒートアイランドの緩和策の一つとして,相対的に冷涼な気流を都市域に流入させる「風の道」政策が注目されている.長野県長野市市街地の場合は,同市街地に隣接する裾花川からの山風流入による都市気温の低下効果が検討されている.しかしながら,長野市街地に流入する山風の吹走範囲や厚さ等の詳細な立体構造については未だ明らかとなっていない.そこで本研究は,長野市街地に流入する山風の立体構造およびその時間変化の把握を目的として,2017年10月8~9日においてドップラーライダーとGPSゾンデを用いた山風の集中観測を実施した.本稿では,得られた解析結果の中から山風の吹走範囲について報告する.
     裾花川谷口に位置した長野商業高校(以降,長商)における風向風速を,山風の影響が小さい長野地方気象台と比較した.長商の風向は,21時頃から西寄りに限定され3時頃まで継続する.さらに,同期間における両地点の風速を比較すると,長商の方が平均で1ms-1以上大きい.このことより,本事例における山風吹走時間は21~翌3時頃までの約6時間であることが示唆される.
     長商の風速が最大を示した8日22時における,信州大学に設置したドップラーライダーの仰角0°のPPI観測から得られた水平風ベクトルより,山風吹走範囲を議論した.風速が最大を示すベクトルは,観測範囲内の裾花川最上流部に位置し(9.0ms-1),観測範囲内の平均風速は3.3 ms-1である.観測範囲内の風向は概ね北西であり,裾花川谷筋方向と一致する.このことより,長商付近を吹走する風は山風であることが示唆される.しかしながら,長商から市街地方向に900m以上離れた位置では,平均風速が1.0 ms-1と非常に小さく.風向も概ね北東を示したため,山風の吹走範囲外であることが示唆される.以上の結果より,本事例で観測した山風の吹走範囲は谷の出口から約2kmの範囲内であることが示唆された.
  • 古関 大樹
    セッションID: 821
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    はじめに

    明治4年(1871年)の廃藩置県とその後の府県統廃合を受けて但馬国・丹後国・丹波国(天田郡・氷上郡・多紀郡)を管轄する豊岡県が誕生した。これは,明治9年8月21日に分割され,但馬国と丹波国氷上郡・多紀郡は兵庫県に編入され、丹後国と丹波国天田郡は京都府に編入された。

     このように,僅かな期間しか存在しなかった豊岡県だが,この地域の地券発行と地租改正事業は,同県下の方針で進められた。政府からは調査の方針がある程度示されたが,旧来の土地慣習や年貢の方法が大きく異なっており,丈量の際に用いられた竿の長さも地域ごとで異なっていた。また,農民の反発が大きかった地域もあり,府県が独自の方式で調査を進めることがある程度容認された。

     豊岡県の地券発行と地租改正事業の方法は,のちに編入されることになった旧京都府・旧兵庫県と大きく異なる。現在,法務局や市町村役場に残される明治の地籍図も異なる性格のものが備置されている。豊岡県の時期に行われた地券発行と地租改正事業を知ることは,学術資料の理解を深めるだけでなく,現在の地域の地籍の成り立ちを知る上でも重要である。



    地券の発行と壬申地券地引絵図

     豊岡県は,明治5年8月に検見内見帳の提出を管下に求め,過去の検地帳や割付帳を現地と照合して情報を修正することにした。地券は,全国的に市街地券と郡村地券の2種類が発行され,異なる方法で調査が行われたが,例えば舞鶴では,市街地券発行地の調査が先行したようで,明治5年10月~6年7月の年紀がある。農村部では,6年6月~8月の年紀を持つものがみられる。

     市街地の地引絵図は,舞鶴平野屋町のものだと明治5年10月1日の年季があり,「地券願節調之,壱間六尺五寸,壱間三分縮」などの記述がみられる。一町限を描いており,間口・奥行・道幅が計測され,各筆に地番・反別・所有者が記されている。竿の数値や地図の描かれ方は町ごとで違っており,必ずしも様式は統一されていなかったようである。郡村地は,「丹後国加佐郡第十五大区第六小区小倉村見取之図」のように,大区小区の表記と「見取之図」という語句が大の中に入っている。一村全図形式で,近世絵図のように彩色が豊かで絵画的表現がみられる。農村部の場合は過去の検地帳との比較を基本としたので,「見取之図」と題されたのであろう。舞鶴以外にも,京丹後市や但馬国側でも同じ様式のものが確認されており,豊岡県全域で広く作られたものと考えられる。田・畑・屋敷は彩色が与えられず,文字だけで地目が記されており,寺院と神社は絵画的に描かれるのが特徴的である。



    地租改正事業と豊岡県の分割

     豊岡県の地券発行は全国的にも速やかに進捗し,明治6年末には作業がほぼ終了している。翌7年2月には,地租改正の手続きや心構えを示した『地租改正ニ付人民心得書』が伝達された。『人民心得書』の内容は府県で異なるが,豊岡県では,地租改正着手にあたり,壬申地券地引絵図と反別小前帳を土台にするとある(第2条)。明治9年中頃には,耕宅地の地租改正がほぼ終わったが,同県の範囲では,この時期の年紀がある地図がほとんど発見されていない。『人民心得書』で示されたように,地租改正地引絵図が新しく作られることは基本的になかったようである。

     明治9年8月21日に豊岡県が京都府と兵庫県に分割編入された。京都府全域の耕宅地の調査は明治10年5月に一段落し,翌月から山林の調査が済んでいない地域の調査が本格的に実施された。旧豊岡県で山林調査が未済だった所は,旧京都府の方式に従って調査が行われた。兵庫県側でも,同じように旧兵庫県の方式で作られた資料が確認できる。



    土地台帳の編製と法務局の公図

     明治22年の土地台帳制移行に向けて明治18年には地押調査が実施された。地押調査は,地租改正の成果の修正を目的としたもので,全国的に地租改正地引絵図は,地押調査を受けて修訂が加えられていることが多い。しかし,原則的に地租改正地引絵図がつくられなかった旧豊岡県域では,実用に耐える地図は備えていなかった。そのため,この地域では,明治19年~23年頃の年紀をもつ地籍図が京都府・兵庫県それぞれで広く確認される。土地台帳付属地図を引き継いだのが現在の法務局の公図であるが,この中には,明治11年~13年の山林図が含まれていることがある。山林の地租改正が遅れて実施されたものは,そのまま再利用されることがあったようである。



    〔付記〕公益財団法人民事紛争処理研究基金の研究助成を受けた。



    【主な参考文献】

    京丹後市史編さん委員会編,『京丹後市の古地図』,京丹後市2016年
    古関大樹,「舞鶴の明治の地籍図」,『舞鶴の絵地図』,舞鶴市,2017年
  • 能津 和雄
    セッションID: 836
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに

     黒川温泉は熊本県阿蘇郡南小国町に所在する、熊本県で最も有名な温泉地である。しかし、有名になったのは露天風呂ブームと入湯手形による「露天風呂めぐり」の成功後の1990年代以降である。このため、高度経済成長期に成立した、九州では一般的な観光形態である周遊型観光に取り込まれる時期が遅かったこともあり、現地では受入側の認識と観光客の行動に相違がみられ、過去には対応に苦慮したことも多かった。本研究では、その意識のギャップをどのように具体化できるか、について数値的に証明することを目的とする。

    2.研究手法

     当初、本研究を遂行するにあたっては、広範囲にわたる文献調査に基づく形でアンケートを作成し、現地を訪問する観光客に対して大規模な対面調査を行い、その結果をもとに意識を探ることを計画していた。しかし文献調査が予想以上に難航したためスケジュールが遅れたうえに、熊本地震が発生して現地の状況は一変したことからアンケート調査を行うことが困難となり、代替手段を検討した。

     筆者はかつて黒川温泉観光旅館協同組合の事務局長を務めており、在職中は多くの問い合わせに対応してきた経験を持つ。その中で黒川温泉自体が提供している情報で決定的に不足していたのが、他の観光地との周遊に関するものであることに気が付いた。一般的に公的な観光情報の提供は地元の観光協会等が担っているが、これらの団体は基本的に都道府県単位で活動している。ところが、黒川温泉の場合、問い合わせ内容で多かったのが他県の観光地への交通ルートであり、県の枠を超えた対応が求められる形となった。このため通常の情報提供とは異なる対応を考えた。

     2009年当時はまだSNSはあまり普及していなかった時期でもあったことから、簡易な情報提供サイトのプラットフォームを利用することを検討した。その結果、株式会社アクセルホールディングが提供する道場制投稿系ウェブサイト「まにあ道」において、筆者が「道場主」になる形で「黒川温泉道場」を2009年3月7日に開設した。ここでは旅館組合に寄せられた問合せに基づき周遊以外のトピックも含めた情報を自ら執筆して掲載することで対応してきた。

    そこで、代替手段として「黒川温泉道場」に掲載されたトピックのアクセス数をカウントすることで、黒川温泉への訪問を考えているネットユーザーの意識を探ることとした。この手段では全国規模で訪問見込客の調査が可能であり、おおよそ半年ごとに計測することで、関心の高いトピックへのアクセス数の推移から意識の変化を求めることとした。なお計測は2013年7月から2018年1月まで概ね半年の間隔で行い、上位20位の推移についての記録を分析した。

    3.調査の結果

     5年間にわたり半年ごとに計測した結果、熊本県の黒川温泉の情報提供サイトにも関わらず、圧倒的に多かったのは宮崎県の観光地である高千穂への交通ルートに関する情報であった。厳密にはトピックが「高千穂→黒川温泉」と「黒川温泉→高千穂」の2つに分かれていたが、「高千穂→黒川温泉」の交通ルートに関するトピックは単独でも1位にランクされていたほどである。但し熊本地震の発生後の2016年7月及び2017年1月では、「路線バスでのアクセス」が1位となったが、事態が落ち着いてきた2017年7月以降は再び「高千穂→黒川温泉」が1位に返り咲いている。

     黒川温泉道場に関しては、露天風呂めぐりのルールや温泉の泉質に関する情報、混浴の定義に関する内容、旅館のチェックイン・チェックアウトからバリアフリーに至るまで、黒川温泉そのものに関する情報提供のトピックも多く掲載しているが、全体的には交通手段や周遊ルートに関するトピックにアクセス数が集中する結果となった。5位には「大分空港からの移動」に関するトピックが入っており、黒川温泉が熊本県にあるという意識よりも、「九州の観光地」のひとつとして認識されている実態が明らかになった。

    4.考察と今後の課題

     本研究から判明したのは、少なくともネットユーザーが黒川温泉に関して調べようとしているのは、交通アクセスがメインであることである。しかも、その背景には九州における主たる観光形態が「周遊型観光」であることが改めて裏付けられた。このことは今後の九州における観光情報の提供のあり方を改めて考え直す必要性を示すとともに、誰が主体となってそれを行うべきかが、今後の大きな課題と言えるであろう。

    ※本研究はJSPS科研費26360076(研究代表者:能津和雄)の助成を受けた研究成果の一部である。
  • 大和 広明, 栗林 正俊, 浜田 崇, 田中 博春, 榊原 保志
    セッションID: 523
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1 はじめに
    長野市は人口約38万人の中都市であり,夜間を中心にヒートアイランド現象が見られる(榊原・伊藤,1998など).また,盆地底付近にあるため,晴天静穏日において冷気湖が発達し時間と共にその厚みが増し,夜半には盆地の上端高度に達する(浜田,2001). また,長野市中心部から南に10kmほどのところに,千曲川に注ぐ小河川によって形成された小盆地の中に形成された松代藩の城下町(人口約1万8千人;行政区分は長野市)がある.この小都市でもヒートアイランド現象と冷気湖の形成が確認されている(Sakakibara, et, al, 2012).しかしながら,長野市内におけるヒートアイランド現象の時間変化に関する知見は不十分であり,さらに冷気湖の発達との関係も不明である.そこで,長野盆地内の2つの市街地と盆地(犀川・千曲川以北の長野市内及び長野市松代町内)を対象にヒートアイランド現象の時間変化と冷気湖との関係について発表する.
    2 方法
    2016年10月から2017年3月までの日から,長野地方気象台において16時から翌06時の平均風速が2m/s未満かつ降水量0mm以下(0.0mmを含む)の日の53日間を解析対象とした.観測点の標高が異なるので,気温を0.0098℃/mの割合で温位に変換したあと,長野市中心部(標高366m)と松代中心部(同352m)を都市部の代表地点として,これらの地点から各観測点の温位をひいてヒートアイランド強度(以下,HII)を算出した.長野市街地中心部は中層ビルが密集する地域,松代中心部は低層住宅が密集する地域である.また,冷気湖の構造をみるために,盆地底の郊外地点からの温位差と標高のプロファイルを作成した.盆地底の郊外地点の標高は333mと352mで,松代では都市部と郊外が同じ標高,長野市中心部では盆地底の郊外の方が33m低い.郊外地点の周辺の土地利用は農地が主体であるが,松代の郊外の方は小学校の西方には山地からの斜面が隣接している.HIIおよび温位鉛直プロファイルは対象日の全てを同じ時刻でコンポジットした結果である.
    3 結果
    長野市中心部のHIIの時間変化は,標高371m以下の郊外では2時頃まではHIIの拡大が見られるが,それ以降ではHIIが縮小していた.標高が低いほどHIIが大きく,盆地底ほど気温が低いことから,冷気湖の底ほど気温が低いことと整合的である.図1の都市部の368mおよび395mでは20~22時の間にHIIが縮小または負のHIIが拡大していた.これらの地点は裾花川沿いであり,山風が吹走する日があり(浜田,2001),山風の影響で接地逆転が発達しにくく,都市に比べて気温が低下しにくくなっていると考えられる.ただし,長野市中心部でも山風の影響を受けることがあるので,山風の影響については今後の検討事項である.都市部の407mでは18時から20時にかけて気温差が縮小した後,22時にかけてやや気温差が拡大し,その後はほぼ一定となっているため,都市中心部では40mほど標高が高い地点とほぼ同じ温位となっていることがわかった.温位の鉛直プロファイルを見ると,18時から02時にかけていずれの地点でも盆地底からの温位差が拡大し,その後06時にやや温位差が縮小した.盆地の上端に近い725mとの温位差は06時も拡大したことから,盆地上端との温位差は拡大するものの,標高410m以下の盆地底付近では温位差が縮小することがわかった. 松代中心部でのHIIの時間変化は,夕方から20時までHIIが拡大した後,HIIが縮小し,明け方には0となり,ヒートアイランド現象が見られなくなる.温位の鉛直プロファイルからは,02時以降全高度で温位の傾きが安定になり,冷気湖の構造が見られた. 長野市中心部,松代中心部共に夜半頃からHIIが縮小していることがわかり,それと前後して冷気湖の発達が確認された.今後は冷気湖の発達とHIIの縮小との関係についてさらに調査すると共に,長野盆地で確認された2つの冷気湖の発達とHIIの縮小が相互にどのような関係にあるのかを解析していきたい.
  • 秋山 祐樹, 秋山 千亜紀
    セッションID: 927
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    近年,日本では急速な少子高齢化や都市への人口移動に伴い,中山間地域や離島など,いわゆる僻地において居住者が極めて少ない地域が出現している.特に周辺に他の居住者が存在しない孤立した戸建住宅(以下,本稿では孤立住宅と呼ぶ)の出現は,僻地におけるインフラの維持管理の費用対効果の大幅な低下,近隣住民が存在せず共助力を享受出来ないという災害発生時のリスク,将来的に維持管理が放棄される特定空き家になる可能性など,地域を維持管理していく上での懸案事項となりうる.そのため孤立住宅の空間的分布の実態を継続的に把握し続けることは,特に国,地方自治体にとっては急務といえる.
     地理学分野における僻地における住宅の実態把握は,古くは坂口(1975)による山間地における廃村研究がある.また近年でも作野(2013)の中山間地域における限界集落の実態把握の例がある.ただし既存研究の多くは特定の地域,集落を対象としたものであり,全国的な孤立住宅の実態把握には至っていない.
     一方,岡橋(1986)による既存統計を用いた全国の山村の類型化や,金木(2003)による全国の地形図を用いた集落の分布変遷の把握といった全国を対象とした例も見られるが,何れも集計単位は市区町村や集落といった比較的マクロなものであり,住宅単位で孤立住宅の分布把握に取り組んだ例は皆無である.そこで本稿では住宅地図から整備した建物分布に関するマイクロジオデータを用いて,日本全国の孤立住宅の空間的分布の把握を試みた.
     本稿ではまず2014年の日本全国の住宅地図から,各建物の属性値を抽出し,建物重心座標を与えた建物マイクロジオデータ(全国約1億棟)を整備し,その中から明らかに居住者が分布しているとみられる表札付きの戸建住宅である約2,550万棟を分析対象として抽出した.続いて全ての表札付き戸建住宅からその最近隣の表札付き戸建住宅までのユークリッド距離を計算した.そしてこの値が徒歩圏である500m(永田ほか 2013)を超える表札付き戸建住宅を孤立住宅と定義し,その条件に合致する表札付き戸建住宅を抽出した.すなわち本稿における孤立住宅とは,徒歩圏に他の居住者が1人も存在しない住宅ということになる.
     孤立住宅を抽出した結果,日本全国には8,686棟の孤立住宅が存在することが明らかになった.表1に地域別の結果を示す.特に北海道地方,東北地方,中国地方で孤立住宅率が高かった.なお最近隣の表札付き戸建住宅までの距離が最も遠かった孤立住宅は福井県大野市の山間部に分布しており,その距離は約10.54kmであった.またこの結果にマイクロ人口統計(Akiyama et al. 2013)をを組み合わせて,孤立住宅とそれ以外の住宅の高齢化率(65歳以上人口の割合)と,単身世帯率を分析した結果を表2に示す.孤立住宅では居住者の約3分の1が65歳以上の高齢者であり,前述した災害発生時のリスクや将来特定空き家になる可能性が高くなるものと考えられる.一方,単身世帯率は同程度であった.これは都市部に多く分布する若年単身世帯が非孤立住宅に数多く含まれているためであり,今後は単身高齢者に絞った集計・分析も必要だろう.
     今後は表札付き戸建住宅以外に定常的に居住者が存在する可能性が高い住居兼事業所や宿泊施設の適切な抽出手法の検討や,将来推計人口を用いた将来の孤立住宅の分布推計手法の検討を進めるとともに,本稿手法の信頼性を検証するための現地調査の実施も検討したい.
  • 徳島県上勝町の事例
    田中 健作
    セッションID: 616
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに 本報告では,地域共生社会への関心のもと,山村のボランティア有償運送(ST)の運営のあり方を検討する。その際には,地域社会との接点が多い生活様式や就労形態を「地域志向型ライフスタイル」と定義し,そこに焦点を当てた。研究対象地域にはSTの盛んな徳島県上勝町(面積206.8㎢・2015年国調人口1,545人)を選定し,現地調査を2011年3月より2017年9月にかけて断続的に進めた。STの事務局は,上勝町内の廃棄物回収やシルバー人材事業等の町委託事業を受け持つNPOゼロ・ウェイストアカデミー(ZWA)である。STは利用者登録制であり,高齢者の通院や買物,町内の視察,夜間(飲み会)の帰宅等によって,2016年度の年間利用件数は1,437人(712件)であった。

    2.運転ボランティアの登録と地域志向型ライフスタイル 上勝町では20代から70代の24名が,シルバー人材として74歳定年制の運転ボランティア(VD)に登録している(2017年9月時点)。24名は町内勤務者か定年者であり,登録3年未満のVDは 13 人にのぼる。VDは主にST事務局関係者の声がけによって確保されており,空き時間を有効活用したい商店主や農家(定年者),VDの必要性を現場で実感してきたZWA関係者,利用者の交通確保を必要とする町内の飲食店や商店の経営者,視察対応の担当者も含まれている。彼らは仕事の内容が地域と密接した地域志向型ライフスタイルにある者といえる。また,地縁や職縁,地域社会に対する“貸し借り”の一つとして登録した者もいた。そこからは,住民生活を取り巻く村落社会的な互酬性も登録者の確保に寄与してきたことがうかがえる。日常生活とVD登録との関係性は様々であるものの,VDは,援助や協力をしたい気持ちからSTが住民生活に役立つことに共感し,住民との交流増加や収入の確保等に充実感を得ており,今後も登録を継続したいと考えている。ここにSTは,地域に生活する様々な立場の住民の社会参加の手段として機能しているものと理解される。

    3.運営体制の継続と地域志向型ライフスタイル ST事務局の運営は,ZWAの他業務の合間を縫って行われている。利用者や運転手からの登録料収入は配車等の電話代や講習会費に充てられている。この下で,Iターン者とも関係を持つ20代から50代のST事務局のメンバーは,VDとして信頼できる様々な住民に登録を呼びかけてきた。STの継続には,これら費用の最小化や地域社会内のネットワークや先述の互酬性に加え,事務局による運営の工夫も大きく寄与している。事務局と運転手は,STはあくまでボランティア活動であると認識している。このためST事務局はVDに過度な負担をかけないよう,VDの就業形態やVDと利用者居住地域との近接性,利用者ニーズに配慮し配車を行っている。自営業者など地域志向型ライフスタイルを持ち,時間的融通性や運転意欲を持つ6名が主に運転を担っている。彼らの都合がつかない場合は,残るVDに配車を依頼したり,VDでもある事務局員が対応したりする。VD層の厚さとVDへの配慮は,VD不在や利用者とのトラブルを極力回避し,住民の移動ニーズを充足させている。この工夫された運営は,ST事務局関係者や彼らを取り巻く住民による地域情報や関係性の蓄積によって可能となっている。その基礎は,名(みょう。小字)や各種地域団体における共同作業や住民間の日常会話といった,上勝町に残されている村落社会的な連帯の中にある。加えてZWAの地域志向型業務や住民の上勝町内での職務経験もまた情報や関係性の獲得の場として機能している。

    4.おわりに このように上勝町において,住民の地域志向型ライフスタイルおよび地域の村落社会的特質によって供給される人材や情報は,STの運営資源として機能してきた。この下でST事務局は,運転協力のできるVDや利用者に配慮した登録依頼や配車に心がけ,運営安定化に努めてきた。その結果,様々な立場の住民の地域生活を充足させる社会参加が共時的に達成され,STの運営は継続してきたのであった。
  • 上野 莉紗
    セッションID: S206
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    ジオパーク活動において教育は非常に重要な要素とされるが,三笠ジオパークでは市内の子どもたちへの教育はもちろんのこと,市外の子どもたちへの教育に対しても携わってきている.
     三笠市ではジオパークの考え方を取り入れたことにより,それまで個別に扱われていたさまざまな地域資源を総合的に結びつけて考えることができるようになった.市内の地域学習はこの考え方を取り入れ実施されている.さらに,市内での教育活動での経験を活かしながら市外向けの取り組みを行っている.
     本発表では,三笠ジオパークと学校教育との関わりを紹介する.
  • 組写真を工夫して
    荒井 正剛
    セッションID: S602
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.景観写真の特長と教科書での扱い

    生徒にとって景観写真は目を引きやすい.景観写真は比較的読み取りやすく,地域のようすを具体的にイメージさせてくれる.学習指導要領は,地理的技能として,地図の読図や作図とともに景観写真の読み取りを挙げている.

    教科書では景観写真を,生徒の関心を高める導入教材として大きく載せている場合と,本文の理解を助けるための補助教材として載せている場合に大別できる.前者ではキャラクターが気づいたことや疑問を語ったり,後者では時には景観写真からは読めないことまで記したキャプションが付いていたりしている.これらは景観写真の読み取りを表面的にさせかねない.

    これまで一枚の景観写真を対象とした読み取りの方法についての提案はよくなされてきた.本発表では,地域の多面的・多角的考察を促すため,2枚あるいはそれ以上の景観写真を組み合わせた組写真の活用を提案する.それは比較の視点をはっきりさせ,読み取りやすくする効果が期待できる.

    2.イギリスの地理教育における景観写真の活用

    イギリスでも景観写真が活用されている.テキストブックでは,一枚の景観写真から読み取れることをその周囲にいろいろ書き出した例はよく見られる.大きな特徴は,掲載した景観写真を使ったアクティビティが課されていることである.スケッチを描いて注釈を付けるなど,その内容は多岐にわたるが,景観写真をメディアの一つとして批判的に読み取らせている点に特徴がある.例えば,景観写真を見てどんなイメージを持ったか,そのイメージは何に由来するのか・適切か,写真では読み取れないことや撮影意図は何か考えさせている.景観写真は対象地域や人々についての一般化やステレオタイプを生んだり助長したりすることもあるからである。

     内容面では都市と農村,豊かな地域と貧しい地域といったように,対照的な景観写真を組み合わせて掲載することが多々ある.イギリスの地理教育ではこうしたバランスを重視し,地域的多様性を示して,ステレオタイプ的なイメージ形成を防いでいる.

    3.組写真の提案~その選定と取扱い~

    組写真には以下の三つが考えられる.違いだけでなく共通点をとらえて,地方的特殊性と一般的共通性を考察させるとよい.

    a. 同一場所の異なる時刻・季節・年代の比較(違いの追究)

    例えば郊外の鉄道駅の朝と昼間,地中海地域の夏と冬の景観は対照的でわかりやすい.同一場所の異なる年代の景観写真からは,地域の変化が読み取れる.どのような変化が見られるか,なぜそのような変化が起きたのか,その変化についてどう思うか,変わっていないことは何か,追究させる.

    b. 同一国内・都市内の異なる地域の比較(地域的多様性の把握)

    例えばインドの大都市について,低所得者が多く暮らす地域と中間層が暮らす高層住宅地域の各景観写真から,両者を対照的にとらえるとともに,人口密度の高さなどの共通点を見出せる.また,都市と農村の景観写真を通して,インドの地域的多様性や地域格差をとらえることができる.

    c. 同一事象の異なる視点・地域等からの比較(多角的な考察)

     例えば同じ水上家屋でも,ブルネイの首都バンダルスリブガワンのように,学校や消防署,モスクもあり,電気も上下水道も完備されて,日本の住宅会社が建てた住宅なども見られる地域もあれば,スラム化している地域もある.建物の外観と内部の対比もこの範疇に入る。室内を見て,外観から受けたイメージが変わることはよくある.

    以上のように,同一地域・事象について,複数の写真を提示することで,より豊かなイメージを形成することが期待できる。

    4. グループによる読み取り
    同じ景観写真を見ても,着眼点や受けるイメージは人によって異なる。そこで,読み取りをグループで行うと,様々な読み取りが得られやすく,それらの間の関係を考えれば,読み取りは深まる.また,イメージを出し合うと,自らの先入観に気付かされることもある.例えば4か国のムスリマたちの多様な服装を写した写真を読み取らせたところ,4割強の生徒は肌を隠していることのみ回答した.共通点を答えたとも言えるが,既得知識の確認に止まった回答とも言える.地域的多様性に着目した生徒は女子を中心に1割5分程度に止まった.なかには「笑顔の裏に自爆する人がいると思うと怖い」,「平和そうに見えるが影の指導者がいる」,「貧しい」という回答があった.これらの回答者は皆,イスラームから過激派を連想すると答えている.こうして,景観写真を一見しただけでこの地域はこうだなどと決めつけたり,自分の既得知識・イメージに沿って表面的にとらえたりしてはいけないという態度が育成できると考えられる.
  • 廣内 大助, 松多 信尚
    セッションID: P227
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    神城断層は糸魚川-静岡構造線活断層帯の最北部を構成する活断層であり,地表で確認できる長さは小谷村南部から大町市北部の木崎湖南までの約27kmに及ぶ.東側の丘陵を隆起させる東傾斜の逆断層とされ,上下方向の平均変位速度は2.5m/kyを超える数値も報告されている(松多ほか,2006).神城断層では2014年にM6.7の長野県北部の地震が発生し,白馬村北城~神城の約9 kmに渡って断続的に地表地震断層が出現し,その上下変位量は最大で約1mに達した(廣内ほか,2015など).地表地震断層の北限は,白馬村北城の城山付近であった.発表者らは2014年に出現した地震断層やその延長部において,神城断層の過去の活動履歴を調査し,累積変位を示す完新世の変動地形の情報と合わせて,神城断層が過去にどのような地震を引き起こしてきたのか明らかにすることを目的とした調査を実施している.その中で2014年地震のような規模の地震がいわゆる固有地震とどのような関係にあるのか,また今回活動しなかった区間を含めた活動時期や地震規模を議論することをめざしている.本年度は白馬村北城の白馬駅東方地点において,トレンチ掘削調査を実施した.
  • 鉱山を介した歴史的な地域間結合の観点から
    上野 莉紗, 中三川 洸太
    セッションID: P323
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    日本には8つの世界ジオパークと35の日本ジオパークの合計43のジオパークがあるが(2017年12月現在),現状,それぞれのジオパークは各々境界を設定し相互に独立した団体で運営している.けれども実際の現象はその境界を超えて存在しており,地質,生態系,文化,およびこれらの相互関係を理解するためにはジオパークの境界を超えた調査研究が必要である.
     2017年の日本地理学会秋季学術大会において開催されたシンポジウム「ジオパーク活動における地理学専門員の必要性」では,ジオパーク活動において地理学専門員がどのような役割を果たしていくべきかが議論され,地理学という学問分野に求められるのは,地質,生態系,文化等の相互関係を総合的に論じる「地誌学的視点」にあるということが見いだされた.
     一方,地理学専門員としてそれぞれのジオパークで活動している我々は,折しも日本ジオパークネットワークの初めての取り組みとして,ジオパーク専門員同士で相互に1か月間訪問し合う人事交流研修を行った.研修の主たる目的は相互のジオパークの取り組みの学び合いにあったが,結果として,研修を通じて両地域間の鉱山を通じた歴史的なつながりについても理解を深めることができた.
     以上を踏まえ,既存のジオパークの境界を超え,地質,生態系,文化,およびこれらの相互関係を総合的に論じることがジオパークにおける地理学的研究活用の方策となるだろうと考えた.本発表では,複数地域間の歴史的な結合関係に関する研究の手始めとして,湯沢・三笠両地域の情報の整理を行い,今後の可能性について検討する.
  • 茨城県筑波研究学園都市を事例に
    麻生 紘平, 金子 紗恵, 吉田 真
    セッションID: 631
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.研究の背景

     1960年代中盤,東京都への人口集中を背景として,首都圏外縁部への公的機関の移転による分散が図られた.その一環として茨城県桜村(現つくば市),谷田部町(現つくば市)を中心とする一帯に研究機関の集団移転を行い,筑波研究学園都市が形成された.
     また,土浦市,阿見町などの周辺地域においては筑波研究学園都市と同様に,1960年代より東京都における過度な工業・人口集中を抑制することを目的に郊外都市への工業団地の造成によって関東地方外縁部へと京浜工業地帯の拡大がみられた.これらの高度経済成長期における工業化を背景に,工業団地企業ならびに京浜工業地帯中心部の大規模工場で技能習得をした後.土浦市,阿見町において独立創業を行ったことを背景とした中小規模の製造業事業所が存在する.また,それら事業所の一部には技能集約化を図り,隣接する筑波研究学園都市の研究機関からの受注を主流に据える事業所もみられるほか,一般企業からの受注に加え,研究機関からの受注を行っている事業所がある.しかしながら,そのような研究機関との取引を行う中小製造業事業所の実態は十分に明らかにされていない.本研究においては,研究学園都市周縁部における中小規模製造業事業所と研究機関の取引連関を明らかにする.

    2.分析

    本研究では,筑波研究学園都市ならびにその周辺地域において,研究機関との取引を有する中小規模製造業事業所7社を事例に調査を行った.

    3.結果

    対象とした7社中4社は研究機関との取引を主流に据えており,生産・加工設備や技能水準,設計図のない状態から設計を行う技能など,研究機関との取引に特化しており,対面接触による研究機関との情報共有を行うため近接性を重視している.一方で3社については受注全体に占める研究機関からの受注割合が10%~40%程度と低く,前述した事業所と比較し,研究機関との取引に特化した技能や設備を保有していないことが明らかとなった.これらのことから,研究学園都市外縁部における中小製造業事業所と研究機関との取引連関の重要性によって,事業所の性格が大きく異なることが明らかとなった.
  • 沖縄島に来襲したチリ地震津波の事例
    岩本 廣美, 栗谷 正樹
    セッションID: 626
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1960年5月24日早朝、チリ地震津波が沖縄島にも来襲し、名護市等の海岸部では約4メートルもの津波が甚大な被害をもたらした。沖縄島におけるチリ地震津波の被害や関連事項に関して当該地域では多数の記録が残されている。本研究では名護市と大宜味村を取り上げ、諸記録の内容を把握するとともに、それらが小学校社会科用にどのように教材化されているかについても把握した。その結果、名護市と大宜味村では、来襲した津波の規模に大差はなかったが、記録類の量には大差があり、かつては社会科副読本におけるチリ地震津波に関連する記述の量にも大差があることが明らかとなった。名護市では、津波による死亡者が3名あったことから事態を重く受け止めたことが背景にあると考えられる。また、名護市では、津被による被害の体験談を学校等で積極的に伝承する人物がいることも影響していると考えられる。しかし、現状では名護市の副読本でも、チリ地震津波に関する記述はほとんど見られない。
  • 内藤 健裕, 橋本 雄一
    セッションID: 622
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    本研究は,北海道釧路市を事例に,積雪寒冷地の臨海都市における津波災害時の避難困難人口の変化を明らかにした。東日本大震災の後に多くの自治体が新たな津波防災計画を発表し,避難場所の追加や変更が行われたことが背景にある。その結果,釧路市の新しい津波災害対策はある程度効果を期待できるものの,積雪期には大きなリスクが残されていた。
  • 久保 匠, 白岩 孝行, 大西 健夫, 田代 悠人, 楊 宗興
    セッションID: 423
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1990年代後半、アムール川において溶存鉄フラックスの増加がみられ、この理由として、アムール川中流域に存在する永久凍土の融解が関与している可能性が指摘された。永久凍土の融解によって活動層が厚くなり、地表の湿潤化が促進され、溶存鉄の生成に適した還元的な環境が広く形成されたことが原因であるという仮説である。これを受け、本研究は、永久凍土の存在を示す植生をリモートセンシングによって探査し、永久凍土の分布を把握することを試みた。調査地域は、アムール川の中流域左岸に流入する支流ブレヤ川の更に支流であるティルマ川流域一帯である。Landsat8(マルチスペクトル、分解能30m)を用いた衛星データの解析を実施した。今回は最も鮮明な2015年9月15日のデータを使用した。バンド2(Blue)、バンド3(Green)、バンド4(Red)を用いてのトゥルーカラー合成ののち、バンド8を用いてパンシャープン補正を行い、分解能15mのトゥルーカラー合成画像を作成した。次に、NDVI(Normalized Difference Vegetation Index:正規化植生指数)、NDWI(Normalized Difference Water Index:正規化水指数)、NDSI(Normalized Difference Soil Index:正規化土壌指数)を算出した。現地調査は2016年と2017年に各2回ずつ、合計4回実施した。地形形状および植生分布を現地踏査によって記載する一方、様々な地点で土壌断面を記載して、凍土の有無を調査した。また、4地点に地温センサを設置して、通年にわたって地温プロファイルを計測した。植生分布調査、ならびに土壌プロファイル調査を含む現地調査によって、mariと呼ばれる特異な植生景観が永久凍土の指標になることを突き止めた。ここでは、カラマツの疎林が広がり、地表面はミズゴケや泥炭に覆われている。Mariにおいては、多くの地点で凍土の存在が確認された一方、mari以外の地点では凍土を確認することができなかった。これより、衛星のスペクトルデータからmariを抽出することによって、永久凍土の存在を間接的に把握できることを突き止めた。具体的には、NDVI・NDSI・NDWIをそれぞれR・G・Bにカラー合成し、現地調査でmariと判断した領域との比較を行った。その結果、Mariは水域的要素を持ち、なおかつ中程度の緑色反射率を持っている場所であることが判明した。衛星データで明らかとなったmariの分布をみると、河間地を中心に分布していた。
  • 安 哉宣
    セッションID: P313
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1. はじめに

    日本におけるインバウンド観光は2020年に2000万人という目標値を5年も早く達成し、2020年・4000万人という新たな目標値が示されるほど急成長を遂げてきた。並行して観光の形態や対象は多様化しており、旅行者を取り巻く環境も変わりつつある。日本各地では外国人旅行者への受け入れ環境の整備や体制づくりが課題となっている。訪日韓国人旅行者数は、2016年に過去最高値(約500万人)となり、わずか2年間で約2倍近くの増加を見せた。その際,「沖縄」が新たな訪問先として注目されている。沖縄への韓国人旅行者数は2016年に約43万人となり、これは2011年比約20倍以上の値である。この要因として航空路線の新規就航とLCCの増便が挙げられる。韓国から沖縄への定期便(直行便)は2011年に週8便であったが、2016年には週28便、2017年には週61便となった。本報告では、この急増した沖縄への韓国人旅行者を対象とし、アンケート調査に基づき、沖縄における韓国人旅行者の観光行動および受け入れ環境への評価を把握することを目的とする。アンケート調査は2017年8月に実施し、回答者数は130名(女性79名、男性51名)であった。

    2. 韓国人旅行者の特性による観光行動

     沖縄への韓国人旅行者は、日本旅行の経験者が約74.2%であったが、沖縄旅行を初めて経験する者が92.4%を占めた。沖縄旅行のきっかけは「観光地の魅力(42.7%)」、「家族、友達、知人からのおすすめ(29.0%)」、「LCC航空(8.4%)」であった。恋人・夫婦(30.3%)及び家族旅行者(47.0%)が多く、未就学児同伴の旅行者も約22.7%を占めていた。旅行日程の多くは3泊であり滞在日数はそれほど長くなかった。主な観光スポットは那覇市内の国際通り、美浜アメリカンビレッジ、万座毛周辺、沖縄美ら海水族館,古宇利島などに集中していた。レンタカー利用者が半分以上であるが、公共交通利用も約28%を占めている。海外個人旅行者(FIT)のうち、旅行会社のオプショナルツアーへの参加者は19.7%であった。主なツアー内容は、シュノーケリング(38%)、日帰りバスツアー(35%)、ダイビング(21%)などである。沖縄の魅力として自然景観(21.3%)、海(22.7%)、海水浴(12.3%)、マリンレジャー(8.7%)であった。これらの移動にレンタカーを利用する者が多いものの、沖縄の観光魅力としてドライブが占める割合は3.6%と高くなかった。

    3. 訪沖旅行者の受け入れ環境への評価

     沖縄への韓国人旅行者の約76%は今回の沖縄旅行に対して満足していると答えていた。しかし、21.3%がFIT観光客に向けた環境整備が必要であると指摘した。「良くない」と評価されたものとして、道路標識・案内板の外国語表記(26.2%)、公共交通利用の便利さ(23.1%)、無料Wi-Fi環境(18.1%)、公共交通機関の外国語表記・案内(16.7%)、レストラン及び観光施設での外国語表記・対応(15.8%)がみられた。沖縄におけるインバウンド観光客の受け入れ環境を充実させるために、交通システムの整備や多言語対応の改善・強化が必要となっている。交通面については、自由回答において、北部エリアまでの直行便、バス本数の増便、利便性の高い公共交通フリーパスの設定など、レンタカー利用せず観光できる交通インフラ整備・拡充の改善が求められていた。この背景として、駐車場、交通渋滞による観光時間のロス、韓国とは異なる交通ルールが沖縄観光の不満足の存在が挙げられる。一方の多言語対応に関しては、韓国人観光者はマリンレジャーに対するニーズは高いものの、まだ外国語対応ができる事業所は少ない状況にある。体験観光分野における外国語対応スタッフの拡充は沖縄魅力の分散・拡散、沖縄での長期滞在へのアプローチにもなりうると考えられる。

    4. おわりに

     以上のように、外国人観光客の急増する沖縄では、観光スポット間の周遊を促す公共交通移動面の利便性やアクセス改善、外国語対応といった受け入れ環境の整備が求められている。
  • 橋村 修
    セッションID: S607
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    熱帯から温帯のアジアは,大陸部から島嶼部まで多種多様な自然環境の下で生活が営まれている.本報告では温帯・熱帯モンスーンアジアの自然生態と暮らしを理解することを目的に,日本国内と東南アジアの水辺・海辺の景観写真を提示していく.具体的には,アジアの海辺、干潟、水辺の暮らしについて,潮汐・干満差,風の吹く時季,雨季乾季の違いと漁村集落・漁撈活動との関係のような時間や季節の変化のわかる景観写真から示していく.月齢・潮汐・季節性に左右された暮らし・生業・経済活動を写真から示していきたい.まず,時間景観の事例とし日本の有明海の干潟利用にみる干満差の事例として熊本県宇土市網津の長部田海床路(かいしょうろ)を取り上げる.有明海は最大で約5mの大潮時の干満差があり,漁船での出漁(ノリ漁など)には大きな制約があった.それを解消するために干潮時でも出漁できるように干満差の影響を受けない澪筋や海域まで突堤を延ばしたのが海床路である.この施設は,漁業者,生活者にとっては不可欠のものであり,また観察者,観光客にとっては風光明媚な観光資源にもなっている.季節景観の例として沖縄の風と回遊魚との関わりから培われた干物加工,熱帯モンスーンのラオスにおける雨季と乾季の水辺の利用を取り上げる.沖縄本島最北端に位置する沖縄県国頭郡国頭村宜名真地区のシイラ天日干しの景観は沖縄に秋を告げる風物詩として地元の新聞やテレビで報道されることも多い.毎年10月11月12月のみに,当地の前海においてほぼ通年で集落の前海に回遊するシイラをシイラ漬漁法で漁獲し,三枚におろし,塩をふり,天日に干し加工している. 漁獲から加工販売まで漁家によっておこなわれていた.なぜ3か月しか漁獲しないのか.住人が言うには,北風(ミーニシの風)の吹くこの期間しかシイラを干せないからである.亜熱帯の沖縄では魚の干物文化が多いとはいえない.干物は北風にのってやってくる魚を北風で干すという季節の産物なのである.熱帯モンスーンメコン河流域の雨季と乾季の季節変化について,雨季と乾季のコーンの滝の写真,柴漬け漁の写真などを示しながら,教材活用の可能性について問題提起をおこなう.次にアジア各地の四手網景観写真から(日本,東南アジア,南アジア),文化の共通性,関わり,伝播について説明する.最後に,「イーミック」と「エティック」の視点について景観写真から説明していく.日常のごく当たり前の生活は一度なくなると忘れ去られるのも速い.外部の観察者がそこに意味づけすることで,失われた慣行に関する文化史的な意義も浮かび上がるといえる.その記録媒体として景観写真はとても有効である.撮影目的の違う写真でも,別の人がみると,それとは異なる意味がみえてくる.古い景観写真からその地域の歴史を読み解くこともできる.古写真を地域のお年寄りたちに見ていただくと,普段あまりしゃべらないお年寄りも目を輝かせて語っていた.近年,民俗調査と回想法が注目されているが(鈴木・萩原・須藤2014),地理学の側からも景観写真や古地図などを活用した回想法的な調査も有効であろう.
  • 山元 貴継, 塩谷 香帆, 鈴木 健斗, 蓑 豪輝, 山田 篤志, 山田 真誓
    セッションID: P329
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    報告の背景と目的

     コンビニエンスストア・チェーンをめぐっては,一昨年2016年9月に,店舗数第3位のFチェーンと第4位のCチェーンとが,前社を存続会社として正式に合併するといった大きな動きがみられた。両チェーンは今後,前社へのブランド統合がはかられていくことが報道されている.
     そこで本報告では,この合併の前後に名古屋市内の各コンビニエンスストア・チェーン店への聞き取りなどをもとに,それ以前に同市内で進んでいたコンビニエンスストア・チェーン店舗の再編と,合併から1年間での再編状況について紹介する.

    名古屋市と各コンビニエンスストア・チェーン

     名古屋市は,人口2,295,638名(2015年国勢調査)を擁する名古屋大都市圏の中心都市である(図).同市は16区で構成されており,うち中区,中村区,熱田区,南区,瑞穂区,昭和区,千種区,東区と,北区・西区の庄内川より南側は,古くからの市街地となっている.これに対して,港区・中川区の大部分と,緑区,天白区,名東区,守山区,北区・西区の庄内側より北側といった周辺の区は,1950年代以降名古屋市に合併され,比較的新しい時期に市街地が展開された地域である.
     そして名古屋市内においては以前,同市北側の稲沢市に拠点会社のあるコンビニエンスストアCチェーンが店舗数で圧倒的なシェアを占めていた.しかしながら,国内最大のSチェーンが進出するようになった2002年頃から,FチェーンやLチェーンなども,同市内の中でも特定区に集中して店舗を立地させ,それらの区で大きくシェアを握るようになった(表).そこでは各チェーンが,新規店舗の出店だけでなく,他チェーン店舗を「居抜き」的に自チェーン傘下とすることによる拡大もみせていた.

    2016年10月以降の店舗再編
     
    正式合併からわずか1年でCチェーンは店舗数を1/3近くに減らしたが,その減少は単にFチェーン・ブランドへの店舗転換だけでなく,店舗の整理にもよるものであった。そして,西区,中区,東区,熱田区などでは着々とこの店舗転換が進むとともに,すでに他チェーンも含めて店舗数が飽和状態に近かったこれら都心の区では,Cチェーン店舗の閉店が目立った
     
    今後,報告時までに,こうしたCチェーン店舗の整理の進展と各店舗の諸条件との関係や,Cチェーン以外のコンビニエンスストア店舗の動向についても,分析を進めたい.
  • ー千葉県柏市光ヶ丘団地を事例にー
    呂 曉凱
    セッションID: P306
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    現在日本は、団塊世代が2025年に後期高齢者となり、超高齢社会がもたらす諸問題に直面している。高齢者の身体機能の低下による生活地域への依存が高くなり、日常生活で外出する際に、行方不明や交通事故を避けるための歩行環境の安全性がますます重要となる。
    本研究は、GISを用いて研究地域における目的地への最短経路を、歩道サービスレベルモデルとクラスカル法で得られた最適経路と比較し、歩行環境に存在する問題点を明らかにする。
  • 隠岐の島町を事例に
    舟木 睦
    セッションID: 217
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     山村や離島は外部との物理的、社会的な隔絶性が高いことから人口減少や高齢化が著しく、住民生活に必要な地域機能の喪失が問題視されている。とくに本土から離れた外洋上の離島はその影響が他の地域に比べて増幅されやすく、なかでも食料品アクセスの問題は地域生活の根幹にかかわるものとして位置づけられる。これまでの研究では主に高齢者の買い物行動を中心とした課題が議論されてきたが、本研究では食料品アクセスを購買やその他の手段を用いた食料調達全般を包含するものとして捉えたうえで、移動制約者とされる人々の生活維持や地域社会の持続可能性をめぐる諸課題に言及する。以上を通じ、孤立的性格の強い「課題先進地」としての離島における住民の食料品アクセスの制約とその克服に関わる要素を分析し、住民の生活維持プロセスの多面性や潜在的リスクに言及しつつ、今後なされるべき対応を検討することを目的とする。

    2.対象地域・研究方法
     隠岐の島町は島根県の本土側から北へ約70km離れた洋上に位置し、町の人口は14,608人、高齢化率は38.1%である(2015年国調)。町役場周辺に大型小売店が立地するほか、低次中心地には小規模の食料品店が存在する。主要道路により島内の各地区間は比較的容易に往来できるものの、中心地へのアクセスに時間を要する縁辺部の集落では高齢化率が高く、世帯数が少ない傾向にあるため、中心部の集落よりも日常生活上の制約を受けやすい。その一方、自給的な食料調達などの補完的な手段も備わっており、集落住民の食料品アクセスは複合的なかたちで担保されていることが予想される。そこで、縁辺部の集落を「高齢化率50%以上」、「過去10年間の人口減少率20%以上かつ世帯数20戸未満」の基準から選定し、住民の食料品アクセス(買い物先、買い物頻度、交通手段、購入品、自給、備蓄、「おすそわけ」等)に関するアンケート調査を世帯単位で実施した。あわせて、事業者、行政等の関係各所に対する聞取り調査を行った。

    3.住民の食料品アクセス
     アンケート結果によれば、回答者全体の過半数が高齢者で独居者の割合が最も高い。購買行動を見ると大型店の利用割合が非常に高く、あわせて他の店舗や移動販売、宅配を利用していた。大型店へのアクセスに際して自家用車の運転が可能な者の割合は年齢が高いほど減少し、とくに女性の割合が低かった。自家用車の運転が可能でない者の場合、親族や友人、知人らが運転を含む購買行動の全般をサポートしているケースもみられた。自給については、8割近くの世帯は何らかの食料品を自給しており、品目別では青果、魚介類、米穀類の順に多く、高齢者はとくに青果の自給が中心であった。また、ほとんどの世帯では近隣住民からのおすそわけによる一次産品の調達を行っていた。

     以上のことから、多くの世帯では年齢、性別や居住地域にかかわらず、自力での食料調達行動に加えて周囲の人々のサポート、さらにはおすそわけや備蓄などの補完的な手段を複合して用いることで生活に必要な最低限度の食料品アクセスを確保していることが認められたものの、高齢者、女性、独居といったファクターは食料品へのアクセシビリティ低下のリスクを有する。また、地縁や血縁に依拠した社会的紐帯は住民間の相互扶助に寄与しているが、今後いっそう高齢化、人口減少が進むなかで食料品アクセスの水準が著しく低下することも懸念される。
     本研究は課題先進地のモデルとして離島を扱ったが、今後はさらに地域や分野の幅を広げて住民生活上の諸課題にアプローチする必要がある。

    文献

    薬師寺哲郎編著 2015. 『超高齢社会における食料品アクセス問題――買い物難民、買い物弱者、フードデザート問題の解決に向けて』ハーベスト社.
  • スプレイグ デイビッド
    セッションID: 726
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに
     台地を浸食しながら上流へ向かって枝分かれしていく狭い沢の中で耕作される「谷津田」を地図化するために、その最大の特徴である幅を利用し、一定の幅を基準に水田データから抽出することが可能である。例えば、1980年ごろには幅100 m以内の水田が関東地方の水田の約16%を占めることが環境省現存植生図データの解析から分かった(スプレイグ, 2017)。しかし、幅のみで水田を抽出する上記の手法では、幅が変化する細長いポリゴンの中のどのような部分が抽出されるかについて情報が得られない。
     「谷津田」のイメージとしては、樹枝状に展開する水田の先端部分を想定する場合が多い。また、水田ネットワーク内の位置によって、周辺の土地利用などが異なる可能性がある。生態学者が注目する、生き物にとって都合のよい生息地を提供する環境が水田ネットワークのどの部分に存在するかを確認するには、水田ネットワークにおける狭い水田のどの割合が先端部分にあるか、あるいは中流部分であるかを把握する必要がある。
     本研究では、地理情報システム(GIS)で水田ポリゴンデータを対象に、一定の幅を基準にポリゴンを類型化しつつ、水田ネットワークの先端部分と中流部分を区別して、全水田に対するその割合と周辺の土地利用、特に樹林との関係を明らかにした。
    2.解析データおよび手法
     環境省現存植生図の水田ポリゴンを対象に、幅100 m以内の水田を「狭幅水田」と定義し、ポリゴン幅を検出するGIS解析を実施した。全水田ポリゴンを詳細にTin化し、幅100 m以内とそれ以上の部分に区分けした。次に、狭幅水田の内、一方向のみに水田が連なる先端部分と、2方向以上に水田が連なる中流部分を判別した。そして、それぞれの狭幅水田に対して、隣接するその他の土地利用を、周長距離の割合として表した。
    3.結果
     台地上に展開する水田は先端に向かって徐々に狭くなるので、狭幅水田の多くはその先端部分にあり、樹林と接する水田の高い割合を示した。しかし、狭幅水田は中流部分にも多く存在した。また、低地の広域水田域の中にも幅が狭い箇所や、先端的な形状の小さい水田も多く抽出され、これらは畑地や市街地など、より多様な土地利用と接していた。
    4.討論
     幅による水田のGIS解析の結果、典型的な「谷津田」と見なすことのできる水田も多く抽出でるが、幅の狭い水田は様々な形状の水田域の中に存在し、あらゆる土地利用に囲まれている。狭い水田の多様な景観機能を考慮することも必要であることが指摘できる。
    文献
    D.スプレイグ(2017)地図情報から作成する「谷津田」のGISデータベース.日本地理学会春季学術会議.
    付記
    本研究は平成26~29年度科学研究費補助金(課題番号26560159)の一部を使用して実施した。
  • 森田 匡俊, 岡本 耕平, 石川 慶一郎, 清水 沙耶香
    セッションID: P334
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    東日本大震災をきっかけに,東北沿岸部の小規模工場や水産加工所に多くの外国人研修生が働いていたこと,農村部には,日本人男性の配偶者となった中国人やフィリピン人などの移住女性たち(以下,外国人妻)がいるという現実があらわになった.さらに,こうした外国人は散在して居住していることが注目されるようになり,鈴木編(2012)は,被災地を「外国人散在地域」と命名した.しかし,外国人の散在状況については記述的把握が中心であり,統計データによる客観的な把握を試みた研究事例はほとんど蓄積されていない.また,外国人妻は東北地方を中心とする東日本に多く,西日本には少ないということが知られているものの,全国を対象に外国人女性の空間的分布状況を詳細に示した研究はこれまでに少なく,外国人女性の散在の状況を詳細に把握した上で,地域差を検討するまでには至っていない.
    そこで本研究は外国人の散在の状況を,全国を対象に地域メッシュ統計データにより詳細に把握することを試みる.さらに,客観的尺度を用いて散在の程度がより強い「外国人散居地域」を抽出し,その分布の地域差を明らかにする.
  • 渡来 靖, 中村 祐輔, 鈴木パーカー 明日香, 中川 清隆, 吉崎 正憲, 榊原 保志, 浜田 崇
    セッションID: 525
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     主に晴天夜間に,長野県長野市の裾花川谷口から長野市街地へ吹走する強い山風がしばしば発生する.その詳細な立体構造や時間変化等を理解するため,2017年10月8~9日に2台のドップラーライダー(以降DL)やGPSゾンデ等による集中観測を実施した.本稿では,地上に設置されたDLの観測結果から,谷口ジェット層の厚さや時間変化について調査した結果を報告する.なお,全体の観測概要については中村ほか(2018)を参照されたい.
    2.ドップラーライダー観測
     三菱電機株式会社製の可搬型DL(LR-S1D2GA)を長野商業高校グラウンド(長商;標高390m)に設置した.谷口ジェットの鉛直分布を調べるため,裾花川谷口と観測点を結ぶ線にほぼ沿った北西(方位角306.3°)および南東(126.3°)方向にRHIスキャンを行った.RHIスキャンの走査速度は2.0°/sとした.また,仰角90°の測定により鉛直風を観測した.なお,仰角90°測定は走査速度6.0°/sのPPIスキャンとし,1回のスキャンで得られるドップラー速度計40データを各高度で平均を取り鉛直風とした.全てのスキャンの距離分解能は30 m,最大観測距離は630 mとした.これらのスキャンを1セットとして10分毎に繰り返し観測を行った. 3.結果および考察
     第1図は,RHIによる8日21時台のドップラー速度の平均値を示す.全体として北西側が負,南東側が正となっていることから北西風であり,地上50 m付近では4~6 m/sの山風が吹いていることがわかる.浜田・一ノ瀬(2011)によれば,山風時の平均風速は5 m/s程度であり,本事例では標準的な山風が出現していたと思われる.第1図では,観測できた高度約250 mまで北西風成分であるが,山風成分の厚さは時間変動が見られた.第2図に風向の時間-高度断面を示すが,山風が吹走したと見られる9日3時までの間,北西風成分が卓越する層は最大で地上から250~300 mまでとなっている.しかし時間帯によっては,北西風層が高さ100 m程度まで薄くなっており,およそ1~2時間程度の周期での層厚変動が見られた.第3図は,領域B(地上高50~75 m)で平均したドップラー速度の時系列であるが,観測日の山風は8日21時頃をピークに徐々に風速が減少するものの,9日3時頃まで継続した.また,風速には30分程度の周期の変動成分が見られるが,地上高180 mにおける上昇風(第3図破線)を見ると類似した周期の変動が見られ,両者は逆相関な傾向が見られる.波動や跳ね水等の影響を受けている可能性があるが,さらなる解析が必要である.
  • MBAにおける地理的創造性教育の実践を通して
    原 真志
    セッションID: 211
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに

    国をあげて地方創生の取組みが行われ,個性を活かした地域活性化を主体的に進める必要がある中で,依然として地域の効果的情報発信が課題とされている(田中,2016).一方,映画やアニメに描かれた地域への観光集客,いわゆるコンテンツツーリズム、ロケツーリズムが注目され(臺他,2015;安田2015;山村, 2013;Sims, 2009; Choi, 2017),地域のフィルムコミッションの活動は一定の成果をあげているが(虫明, 2017),プロジェクトの多くは東京で開発され地域側は受け身であり、東京で開発されるストーリーはロサンゼルスで開発されるハリウッド映画に描かれる日本に似て表面的である傾向があるため,地域がプロジェクト初期の開発段階から関与していくことで,より深いストーリーが構築でき、また地域の要素を効果的に発信できるのではないかと考えられる(原,2013).



    2.先行研究と研究目的

    個々の要素の因果関係のシンセシスにつながるため,戦略におけるストーリー性の重要性が組織論で指摘され(楠木,2010;デニング, 2012; ブラウン他, 2007)、また,人間の記憶はストーリーベースであることを基礎にブランドマーケティングにおいてもストーリーテリングを重視した研究が盛んに行われている(Woodside, 2010; Lee and Shin, 2015; Choi, 2017).地理学においても地域の様々な主体を動かす力やジオリテラシーとの関連でストーリーテリングが注目されつつある(Cameron, 2012; Kerski,2015) .原(2013)は,地誌的な視点をクリエイティブな活動に活かし,場所らしさを踏まえたクリエイティビティ、地理的な場所に関するセンシビリティを有したクリエイティビティ=ジオグラフィカル・クリエイティビティ(地理的創造性)の重要性を指摘した。本研究の目的は,地理的創造性の育成を目的としたMBA課程での教育実践について整理し,の成果と課題を検討することである.



    3.ハリウッド映画脚本開発論と地域

    1904年に始まったアメリカの商業映画づくりは観衆に理解できるストーリー映画をいかにつくるかという課題に取り組んで,試行錯誤の結果,1917年までにアメリカの映画作りの標準となるような一つのシステム「古典的ハリウッド映画」を確立したとされる(Bordwell et al.,1985) .

    ハリウッドにおいてはシド・フィールドによる三幕構造やクリストファー・ボグラーによる英雄の旅など脚本開発の方法論が実践的に様々に検討されて来たが(フィールド,2009; フィールド,2012;ボグラー&マッケナ,2013;スナイダー, 2010; McKee, 1997; Alessandra, 2010; Trotter, 2010),ハリウッド映画の主流では様々な人々がリライトするため著者が特定しにくい等の理由から学術的には近年になるまで脚本に関して十分な検討がされて来なかったとされる(Maras, 2009).ボグラー&マッケナ(2013)が環境的事実を重要な要素として論じているものの,ハリウッド映画脚本開発論では伝統的に現地調査の比重が高くなく、地域の要素をクリエイティブなインプットとして脚本開発方法論の中でいかに組み込むことができるかは,学術的にも実践的にも残された重要な課題と言える.



    4.MBAにおける地理的創造性教育の実践

    香川大学大学院地域マネジメント研究科(香川大学ビジネススクール)は2004年に設立され,地域に焦点をあてたユニークな特徴を持つ経営系専門職大学院である.同研究科のMBA課程において,ハリウッドにおける映画脚本開発論と地域研究方法論を融合し,地域の要素を効果的に取り入れた映画の脚本の作成を主眼とした授業として,2014年から「クリエイティビティと地域活性化」を開講,2015年からは「実践型クリエイティブワーク演習」を開講している(表1)。本報告では,両授業の実践内容を整理し、達成事項と今後の課題を検討する.
  • 曽根 敏雄, 渡邊 達也
    セッションID: 427
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    これまで大雪山の永久凍土分布の下限高度付近では、観測はほとんど行われていなかった。そこで、下限高度付近の風衝砂礫地において、地表面温度を観測し、永久凍土の存在の可能性を推定した。その結果、風衝砂礫地での永久凍土の分布下限高度は、永久凍土の存在が確認されている標高2020m地点と同等の地表面温度である1755m付近と推定された。しかし、標高1755m地点において10m以深のボーリングを行い、地温観測を行った結果、この推定に反して、永久凍土は確認できなかった。一方、標高1885m地点では、地表面温度が標高1755m地点におけるよりも高い値を示したが、地温観測の結果、永久凍土の存在が確認できた。
  • 田林 雄, 小室 隆
    セッションID: 519
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    小型水中ロボットを用いて撮影した水中の植生や地形の写真を用いて3Dモデルを作成した。いずれもモデル化に成功したが、水中において動きの少ない地形(礫や砂から構成される)のモデルはより精度が高くできた。
  • 陸軍脚気転地療養地としての軽井沢
    前田 一馬
    セッションID: 824
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    Ⅰ.研究の背景と目的

     本研究は長野県北佐久郡軽井沢を事例として、明治期における陸軍の脚気転地療養地として当該地が利用されたその実態と経緯を明らかにする試みである。
     一般的に転地療養地と見なされてきた場所は、古来温泉地であったが、近代化とともに新たな環境が転地療養に適した場所として見いだされてきた。典型的には、明治期に海水浴場が、大正期に結核サナトリウム治療の適地としての高原が、西洋医学的な環境観の導入とともに、新たな療養地になったものと理解されてきた。
     しかし、陸軍脚気療養地の実態を検討すると、早くも明治10年代には「高原」(高地)が陸軍の脚気転地療養地として見出されていた。日本の医学が漢方医学から西洋医学へと転換していくなかでも、脚気の治療法は、日本で知られていた漢方の療法である転地療養が行われていた。また、その後の陸軍(細菌説)と海軍(栄養欠乏説)の対立(脚気論争)は有名である(山下1988)が、細菌説の導入に先んじて、脚気転地療養が陸軍に導入されている。このように陸軍脚気療養地として、「高原」が加えられた経緯は、どのようなものであっただろうか。
     本研究では陸軍の脚気治療を取り巻く軍医本部の動向・見解および軽井沢の環境を、陸軍関連文書や新聞記事等から検討することで、医学的見解や環境認識が、「高原」を療養地にふさわしいとする契機となったことを考察する。

    Ⅱ.陸軍の脚気転地療養地
     脚気とはビタミンB1の欠乏による栄養障害性の神経疾患である。近世後期には白米の普及と米食偏重により「江戸煩い」等の名をもって都市的な地域で流行した。脚気の流行は明治期には国民病と言われるほど流行し、徴兵制のもとで組織化が進められていた軍隊、とりわけ兵数の規模が大きい陸軍で患者数は増大した。1875(明治8)年から刊行された『陸軍省年報』によると、脚気は、「天行病及土質病」として捉えられており、陸軍各鎮台の治療実施とその経過の報告は他疾病に比べて詳細である。原因は降雨後の溢水による湿気などによって生じる不衛生な空気や土壌が病根を醸成する一種の風土病と推察されており、空気の流れや汚水の滞留を防止する対策が取られている。治療法は「転地療法奇験ヲ奏スル」と転地療養が効果をあげていることがうかがわれる。1870年代の各鎮台の主な転地療養地は多くの場合、温泉地が選択されている。つまり、患者が発生した場所(兵営)を避けることが重視されており、古来療養の場とみなされた温泉地が転地先として選ばれたと考えられる。

    Ⅲ.転地療養地の拡大:軽井沢にみる療養に相応しい場所
     1880年代以降、陸軍の脚気転地療養地には多気山、榛名山、軽井沢といった温泉地ではない「高原」(高地)が加えられていくことになる。1881年8月、「幽僻且清涼ニシテ最モ適当」な転地先として高崎兵営の脚気患者130名が軽井沢に送られた(『陸軍省日誌』『高崎陸軍病院歴史』)。当時の軽井沢には、まだ外国人避暑地は形成されておらず、温泉を持たない衰退した旧宿場町であったが、残存する旅館が患者を受け入れることができた。後年、日清・日露戦争と多くの脚気患者の転地療養地として利用されていく軽井沢で行われていた治療法は『東京陸軍予備病院衛生業務報告(後)』によると、気候療養と記録されている。このように、高原の気候が陸軍において注目されていたことがわかる。
     現代医学からみると脚気の転地療養は対処療法に過ぎず、治療法として正しくなかったかもしれない。しかし、当時の医学的知識が活用され、健康を取り戻すための療養に相応しいとされる「環境」は確かに存在した。この陸軍脚気療養地としての軽井沢は、後年の結核の療養と結びつけられた高原保養地としての軽井沢とは、異なる分脈から見出された療養(癒し)の景観であったと思われる。こうした場所が発見されていく過程に見え隠れする、当時の健康と場所の関係を、転地療養地の実態や近代期の社会的文脈性のなかで考察し、今後検討すべき課題とする。

    〔参考文献〕
    山下政三1988. 明治期における脚気の歴史. 東京大学出版会.
  • 江村 亮平, 松本 淳
    セッションID: P119
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1. はじめに

    日本では台風・熱帯低気圧や停滞前線など様々な理由で大雨が発生する。一口に大雨と言っても、個々の研究における定義は様々であるが、時間スケールや降水量などの大雨の定義の仕方で、季節変化やその空間分布が変化する可能性がある。したがって複数の時間スケールと降水量を用いて、大雨の定義の仕方により、季節変化及びその地理的分布がどう変化するか調べる必要があるが、既往研究においてそのような観点からの検討は十分とは言えない。

    本研究では、暖候期日本における大雨頻度の気候学的な季節変化、特に最大頻度が出現する時期についてとその空間分布を調べた。時間スケールおよび降水量による大雨の定義の仕方で大雨の季節変化がどのように変わるのか、半旬平均降水量によって代表させた雨の合計量との比較を含めて調べた。

    2. データと方法

    1980年~2013年(34年間)の4/1~10/27(第19半旬から第60半旬)における日本全国980地点の気象庁AMeDASの1時間降水量データを用いた。大雨の定義の仕方には、時間スケールについて1時間から1日までの5つのスケールを用い、降水量について閾値に3つの一定値と2つのパーセンタイル値を使用して、多数の指標を比較した。各指標について、各地点各日における34年間の積算発生数に11日間移動平均を2回行って求めた日別平滑値を5日間合計し、半旬ごとの気候値を作成した。

    3. 結果

    平均半旬降水量の最大半旬と大雨の最頻半旬が異なる地点は、地域的にまとまって存在した。日降水量50mmでは関東の内陸部や宮城県から岩手県南部、北海道北部などが挙げられる。大雨の指標を短い時間スケールまたは降水量閾値を大きくするほど、平均半旬降水量の最大半旬と大雨の最頻半旬の一致しない地点が増加した。この傾向は閾値に一定値、パーセンタイル値どちらにも共通して認められた。大雨の指標として時間スケールを短く降水量を多くすると、季節ごとに最頻半旬の地点数に増減が生じ、梅雨期に減少、盛夏期に増加、秋雨期に増加した。この変化の仕方には地域間に違いがあり、九州の大部分ではあまり変化しないが、東北、東海、近畿では変化が大きい。

    最頻半旬の出現緯度の分布図を作成すると、長時間スケールで降水量閾値が小さい指標では、梅雨期と盛夏期、秋雨期の2つに分けられた平均半旬降水量に近い分布であるが、時間スケールが短くかつ降水量閾値が大きい指標にするほど、平均半旬降水量の分布から離れていく。短時間スケールかつ降水量閾値の大きい指標では、盛夏期に単一のピークとなる。
  • 久保田 尚之, Allan Rob, Wilkinson Clive, Brohan Philip, Wood Kevin, Mollan ...
    セッションID: 532
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
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    1.はじめに
    日本の過去の気候を明らかにするには、長期の気象観測データが欠かせない。現在、世界中で過去の気象データを復元する「データレスキュー」が取り組まれている。日本での気象観測は1872年に函館ではじまった。それ以前も気象測器を用いた観測はあるが、個人が短期間実施してきたものが多い(Zaiki et al. 2006)。このため、江戸時代の気候は主に古文書の記録に頼った調査がほとんどであった(山川1993)。

    一方で欧米に目を向けると、17世紀に気圧計が発明され、気象観測が行われていた。江戸時代日本は鎖国をしていたが、欧米各国は大航海時代であり、多くの艦船がアジアに進出していた。19世紀になると気象測器を積んだ艦船が日本近海にも数多く航行するようになった。航海日誌は各国の図書館に保管されており、航海日誌から気象データを復元する試みが行われている(Brohan et al. 2009)。本研究は欧米の艦船が航海日誌に記録した気象観測データに着目し、江戸時代に欧米の艦船が日本周辺で観測した気象データを用いて日本周辺の気候を明らかにすることにある。

    2.  データと解析手法

    18世紀末から19世紀にかけて東アジアを航行した外国船は10か国以上知られている。例えばイギリスだけでも、この期間9000以上の航海日誌が図書館などに保管されている。まずはイギリス海軍とアメリカ海軍の艦船に絞り、18世紀末から日本近海を航行した航海及び、日本に来航した航海の航海日誌を調査対象とした。

    3.  結果
    日本で最も知られた外国船はアメリカのペリー艦隊であろう。東京湾に現れた1853年7月8日の航海日誌を図1に示す。1時間ごとに気象観測を行なわれたことがわかる。ペリー艦隊10隻のアメリカ東海岸からの航海日誌が残されている。アメリカ船はこの他に1837年に来航したMorrison号、1846年のVincennes号の気象データがデジタル化されている。日本に来航した最も古い記録は1796年に室蘭に来航したイギリス海軍のProvidence号がある。サンドウィッチ島(現在のハワイ)から航路を図2に示す。1796年7-11月の気圧データを図3に示す。室蘭に来航した1796年9月は欠測となっている。今後は航海日誌の気象資料をデジタル化し、江戸時代の台風の襲来を中心に調べる予定である。
  • 大城 直樹
    セッションID: 731
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/27
    会議録・要旨集 フリー
    街おこし・地域おこしといったイベント,名産品,民芸品などのモノ,また郷土愛といった精神的な表象にいたるまで,地域と文化の組み合わせは,ツーリズムの発達とも連関する形で,従来の地域的文脈から切り取られたり,違う文脈に接合されたりしながら,編成・再編成されてきた。この「地域」という特定の空間的範域が「文化」と結びつけられることで事実上何が充填/発現されるのか。本研究は,従来自明で所与のものと考えられがちな「地域文化」を,構築的なものと措定することでいったん分解し,各々の概念の問題ならびにこの二つの組み合わせ自体に孕む無意識的な接合の在り方を精査することで,ごく日常的に用いられる「地域文化」表象を本質論から一度解放し,そこで得られた概念的知見を具体的な事例を通して検討することで,地域主義やナショナリズムに結びつくその構造的な枠組みと問題点を析出することを目的とする。

    言い換えると,「地域文化」あるいはそこで措定される「地域なるもの」をめぐって交錯する諸表象と諸実践に焦点を当てて,それがなぜ「分節化(曖昧な状況からはっきりと形をとるようになること)」される必然があったかを問うことがそのねらいである。

    その範囲として19世紀から今日にまで至るモダニティと資本主義の連関の追求を前提とする。その連関の発現であるテクノロジーの発展は,国家形態とも連動しているが,その端的な例が博覧会である。帝国主義ならびに植民地主義と博覧会は切っても切れない関係にある。地理的領土の拡大,地理的知識の蓄積,テクノロジーの発展競争等,スペクタクルな光景を現出させることによって,観客に国家的威信とその野望とを刷り込んでいったのである。また各種メディア・イベントや博覧会,博物館,展示会などが,多様な空間的スケールを表象させるその装置となった。そしてまさにここに地理思想として地域とアイデンティティの関係(愛国心,愛郷心,お国意識など)を問う理由があるものと考える。

    第二次大戦後になると,高度経済成長期を経て,ポストモダニズムとも言われる大衆消費時代を迎える。1970年の大阪万博開催とともに始まった旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンのように,出郷者がノスタルジーを感じるよう「漠然としたローカルな風景」をポスター化し,従来観光地と目されなかった「ローカルな風景」をツーリズムの目的地として行く場合もあったし,アンノン族の発生と連動する形で,ファッショナブルな服装をまとった都会的な女性が「田舎」を旅するシーンをテレビで流すなど,従来の旅行形態とは大幅に異なるツーリズム・コンテンツを開発していった。知られているように,これらと雑誌メディアの関係については既に多くの業績がある。しかし,こうした変容がどういう風にして存立するようになったのか,そしてそれが自明化していったのか,その契機や道具立てないしは仕掛けにまで目配せした研究は少ない。これもまた文化史的問題であると同時に地理思想の問題でもあり,精査の必要がある。

    また近年では「民俗」,「民芸」,「伝統」といった語で表象される観念やモノ,さらには生活様式ですらも,現地の宿屋や土産物屋であれ都市のセレクトショップや展示会であれ,あらたにヴァナキュラーなものを「商品化」し,カタログ化し,デザイン化することで消費の場を構築していく仕組みに包括されている。本研究では,使用価値が交換価値に変換されるという契機の文脈を抑えながら,F.ジェイムソン(1991)がいうところの後期資本主義の文化論理を精査し考察していくこととする。
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