日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の319件中151~200を表示しています
発表要旨
  • 熊原 康博, 中田 高, 梅原 始
    セッションID: P051
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. はじめに  長さ2500kmに及ぶヒマラヤ前縁には,インドプレートとユーラシアプレートのプレート境界に沿って活断層が発達する.これまで,パキスタン,インド北西部,ネパールにおいては,多くの先行研究によって,その分布および変位様式が明らかになっている.しかしながら,東西長さ350kmのブータンとインドとの国境域は,過去にはNakata (1972)の先駆的な研究やYagi et al. (2002)があるものの断片的な情報にとどまっていた.近年,断層地形が明瞭な地域での変動地形調査(Theo Berthet et al. 2014),トレンチ断層調査(Le Roux-Mallouf et al., 2016)が行われ,Tobias Diehl et al (2017)によりブータン周辺のサイスモテクトニクスが議論されるなど,ブータンのアクティブテクトニクスに注目が集まりつつある.しかし,その基本的な情報といえる,ブータンヒマラヤ全体の活断層のトレースは明らかになっておらず,他のヒマラヤ周辺地域と比べて活断層に関する情報が乏しい地域のままである.

     本発表では,空中写真判読及びALOS 30 DSMアナグリフ画像判読をおこない,ブータン南部の活断層の分布について明らかにした結果を報告する.また得られた結果をもとに,地質構造,ネパールの活断層分布との比較をおこない,ブータン南部の活断層の特徴について検討する.

    2. 使用したデータ  空中写真は,ブータン政府貿易工業省地質鉱山局及び内務省測量局が保有しているものを利用した.空中写真の縮尺は1:12,500〜1:25,000で,撮影年は1988年,1990年のものである.またインドとの国境付近は空中写真が撮影されていない範囲もある.

     空中写真判読を補完するデータとして,ALOS 30 Digital Surface Model (DSM) を用いた.これはJAXA が2006-2011 年にかけて「だいち」で取得されたデータをもとに作成された水平解像度30m 相当のDEM データセットで,1度×1 度単位を1タイルとして提供されている.このデータをMac 用のフリーソフト(Simple DEM Viewer)を用いてアナグリフ画像に変換した.地形をグレースケールの傾斜角で表現し,低断層崖などの細かな変位地形が認識できるように設定した.これをQGIS上で断層線をマッピングするとともに,あわせて写真判読の結果も反映させた.

    3. 断層分布の特徴  1)ブータン全体にわたり東西走向の山地と平野の境界に沿って,ほぼ連続的に逆断層性の活断層が認められる.断層地形は南落ちの断層崖や撓曲崖で特徴付けられ,段丘面を変形させ,もしくは段丘面を切断している.

    2)ブータン中央部から東端にかけては,過去のプレート境界であるMBT(Main Boundary Thrust)に沿って,活断層が連続的に認められる.多くの地点で,山地斜面や段丘面を逆向きに変形させる北落ちの断層崖が認められるが,一部では南落ちの撓曲崖や断層崖も認められる.一方,中央部から西端までは,既存の地質図(Long et al., 2011)で示されたMBTの位置と活断層はほとんど一致しない.

    3)MBTより北の低ヒマラヤでは,東西走向の北落ちの断層や北東-南西走向の左横ずれ断層,北西-南東走向の右横ずれ断層が多数発達する.場所によっては,南落ちの逆断層性のトレースも見られるなど複雑な特徴をもつ.いずれの断層も長さ20kmより短い断層からなり,場所によっては6条以上にわたりほぼ平行に分布する.

    4.ブータン南部の東西で異なる断層発達  ブータンヒマラヤ南部の地質構造は,ブータン中部を境に東西で異なる.ブータン東部は第三紀堆積岩からなるシワリク山地の発達が認められるものの,西部ではシワリク山地は極めて薄いか,一部では欠落する.そのため,ブータン西部ではMBTが平野と山地の境界沿いに位置する.

     断層発達は上記の地質の特徴を反映する.ブータン東部では,シワリク山地北縁と南縁に沿って活断層が連続的に分布し,この特徴はネパールヒマラヤ前縁の断層発達に類似する.一方,ブータン西部では,HFTもしくはMBTにあたる山麓沿いの南落ちの逆断層は連続的に発達し,それより内部の低ヒマラヤでも比較的短い断層トレースが認められる.これはネパールヒマラヤでは認められない特徴である.断層発達がブータンの東西で異なる原因として,ブータンの南にあるシロン丘陵の隆起に伴うヒマラヤ前弧堆積盆の構造の違いが想定される.

    附記:科学研究費補助金・基盤研究(B)18H00766(研究代表者:中田 高)及び,国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))18KK0027(研究代表者:熊原康博)の一部を用いた.
  • 浅見 和希, 小寺 浩二, 猪狩 彬寛, 堀内 雅生
    セッションID: 606
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに
     2014年に発生した御嶽山の水蒸気爆発噴火は火山噴出物を放出し、この噴出物が山体周辺河川や山頂域湖沼群の水質に影響を与えることが予想された。噴火前後での水質の比較に加え、噴火後の水質の経過を継続調査した研究は少ないことから、御嶽山を対象にして噴火前の水質や1979年の噴火時の水質と比較し、今回の噴火による水質変化の状況や1979年噴火時との差異を把握するとともに、調査を継続して時間の経過に伴う水質の変動を追うことを試みた。

    Ⅱ 研究方法
     現地では山体周辺河川の調査に加え、入山規制緩和後には毎年夏期に山頂域湖沼群の調査を実施し、また雨水の採取も行なった。現地調査項目はAT, WT, pH, RpH, EC等である。現地での採水試料は研究室にてろ過処理をしたのち、TOC、主要溶存成分の分析を行なった。このほか火山灰の溶出実験も行なっている。

    Ⅲ 結果と考察
     1.御嶽山周辺河川の状況

     山体南麓を流下する濁川と濁川合流後の王滝川は白濁し、pHが低く電気伝導度(EC)の値が高かった。同様に東麓の一部河川のpHやEC値にも噴火の影響が見られたが、影響範囲は局所的であった。融雪期には融雪水により山体に堆積した火山噴出物から成分が溶出して河川へと流入し、pHが低下しEC値が上昇することが予想されたが、pHとEC値がともに低下したため融雪水による希釈効果が卓越したと考えられる。一方、降雨期になると濁川を中心に降雨後にpHが低下しEC値が上昇したことから、堆積した火山噴出物から成分が溶出してpHやECに寄与したと考えられる。
     2.山頂域湖沼群の状況
     山頂域湖沼は火口からの距離に応じてpHやEC値に差が見られ、最も火口に近い二ノ池が低pHかつ高ECで噴火の影響を強く受けていた。また火口から少し距離がある三ノ池、五丿池も噴火前よりpHが低下しEC値が上昇していた。一方、火口から最も遠い四ノ池は噴火前とpHやEC値がほぼ変わらなかったが、これは火口からの距離に加えて常に水が流出していることが影響したと思われる。
     3.河川及び湖沼の主要成分
     山体周辺河川の水質は基本的に低濃度の重炭酸カルシウム(Ca-HCO3)型であるが、噴出物の影響が見られた河川は硫酸カルシウム(Ca-SO4)型で若干濃度が高かった。また、濁川はCa2+とSO42⁻に加えてNa+とCl⁻も高濃度であった。山頂域湖沼群の水質は主にCa-SO4型で二ノ池は特に高濃度であった。
     4.火山灰溶出実験の結果
     実験の結果、火山灰を溶出させた水はCa-SO4型であったことから、山体周辺河川や山頂域湖沼のCa-SO4型の水質には火山灰が寄与したと考えられる。
     5.1979年噴火時の水質との比較
     噴火から約一月後の山体周辺河川の水質は1979年噴火時と今回とで非常に似ていて、その分布も一致した。しかし噴火直後の濁川に着目すると、1979年時はCa-SO4型なのに対し今回は塩化ナトリウム(Na-Cl)型で、濃度も異なっていた。また山頂の二ノ池はCa-SO4型で共通しているが、濃度は今回の方が高いことがわかった。
     6.噴火前後での水質の比較とその後の経過
     濁川の主要成分は1992年時と比較すると、噴火後にHCO3⁻とNO3⁻を除く成分が高濃度になり、その後噴火から時間が経つと徐々に濃度が低下した。Cl⁻/ SO42⁻の値も低下傾向にあることから、火山活動の減衰とともに濁川の成分濃度が減少したと考えられる。山頂域湖沼群の主要成分は噴火前の2014年8月と比較すると、HCO3⁻とNO3⁻を除く成分濃度が増加傾向にあり、その後は時間の経過に伴い濃度が減少しているが、二ノ池は依然として高濃度で特にSO42⁻の濃度が高い状態が維持されている。これは火山灰からSO42⁻が引き続き溶出していることを示唆しており、二ノ池の水質に対し火山灰が長期に渡って影響することが予測された。

    Ⅳ おわりに
     地点ごとの詳細な解析、並びに流量データを交えた成分の負荷量の検討が今後の課題である。

    参 考 文 献
    浅見和希・小寺浩二・猪狩彬寛・堀内雅生(2018):御嶽山噴火(140927)後の周辺水環境に関する研究(7), 日本地理学会2018年秋季学術大会講演要旨集.
  • 高村 岳, 小寺 浩二
    セッションID: P080
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに
     中学校校歌は、地域を象徴する「山」「川」「海」などの視覚的にイメージしやすい環境要素を盛り込んで作詞されているものが多い。校歌詞でうたわれる「山」に注目した研究や、研究対象を各行政区における学校の校歌を考察した研究が多くみられるなかで、河川流域界を対象地域とする研究は極めて少ない。本研究では、北上川水系流域に所在する中学校を対象に、校歌に出現する環境要素を抽出したうえで、流域内の地域ごとに歌詞表現のうたわれかたの差異を明らかにした。

    Ⅱ 研究方法
     北上川水系流域に所在する中学校の校歌(134校分)を網羅的に収集し、校歌詞に出現する環境要素に関する語句を抽出したうえで、各環境要素の出現数と出現率を算出した。中学校の所在地を北上川本流域・支流域別および上流部・中流部・下流部に分割し、各地域の中学校校歌でうたわれる「川」「湖沼」「海」「山」「動物」「色」「自然」などの歌詞について、各要素の出現数と出現率の地域差を検討した。

    Ⅲ 結果・考察
     1.校歌でうたわれる環境要素の出現傾向

     対象の中学校校歌に出現する「川」「海」「山」を示す語句の出現頻度は、「山」の出現率が最も高く、「山」が地域の象徴的な視覚に訴えやすい自然景観であるという先行研究の指摘と同様の結果となった。雄物川流域に所在する中学校の校歌では、上流部へいくほど「川」がうたわれる割合が高くなることを指摘した(佐々木:2007)ことに対して、北上川本流域に所在する中学校の校歌は、上流部よりも中流部や下流部に所在する中学校校歌のほうが高い割合で「川」がうたわれており、雄物川流域と北上川流域では、上流部に所在する中学校校歌でうたわれる「川」の出現率に差異が認められた。
     2.北上川流域の中学校校歌と「川」
     「川」に関する歌詞は、18の河川名が抽出され、一番多くうたわれている「北上川」の50例をはじめとして、「迫川」「磐井川」「和賀川」「猿ヶ石川」「江合川」などの北上川水系の支流が抽出された。 校歌でうたわれている「川」の出現数(出現率)は、北上川本流域の中学校校歌で111校中77例(69.3%)、北上川支流域の中学校校歌で23校中15例(65.2%)であり、北上川本流域と北上川支流域の中学校校歌でうたわれる「川」の出現数には差異があるものの、出現率は大きな差異がみられない。「北上川」がうたわれている校歌は、北上川本川流域に所在する中学校だけに限定されており、北上川支流域に所在する中学校の校歌では「北上川」がうたわれる例が一例もみられず、北上川支流や北上川水系以外の河川名がうたわれている。学校の所在地から身近にある本流および支流が、校歌にうたわれる傾向があることが明らかとなった。
     3.北上川流域の中学校校歌と「山」
     校歌に「山」がうたわれている校数は119校(88.8%)、「山」に関する歌詞の出現数が134校中136例(101.55%)であり、一校の校歌詞のなかに複数の「山」がうたわれている例もみられる。学校から見た岩手山山頂の角度は、仰角4.0°~5.9°に位置する中学校が12校、仰角6.0°~7.9°に位置する中学校が10校であり、主に仰角5.5°~6.5°に位置する中学校が多く分布している。
     4.廃校の校歌との比較
     北上川水系流域圏の岩手県内の廃校となった50校の中学校校歌でうたわれている「山」「川」を抽出したところ、現在の中学校校歌ではうたわれていない環境要素は、「山」の歌詞表現が12種類(12校中)、「川」の歌詞表現が6種類(9校中)を数える。

    Ⅳ おわりに
     北上川流域における中学校の校歌に出現する環境要素は、本流域と支流域別、上・中・下流部別で比較した場合に、出現傾向の差異が明らかとなった。今後は、廃校となった小・中学校の校歌を網羅的に収集・分析し、廃校となった校歌詞と現在うたわれている校歌詞に出現する環境要素について比較検討することを研究課題としたい。

    参 考 文 献
    朝倉隆太郎(1999):「山と校歌―中学校校歌でうたわれている山地」二宮書店,pp41-60.
    佐々木力(2007):秋田県雄物川本流域における小中高等学校歌詞に表現されている環境要素, 秋大地理, 54, pp11--14.
  • 漁撈者に注目して
    柳田 健一郎
    セッションID: 201
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    2014年に「ニホンウナギ」がレッドリストで絶滅危惧種ⅠB種に指定され,メディアにおいても大きく取り上げられた.また,内水面における資源の減少や環境の悪化といった現状を踏まえ,同年に「内水面漁業の振興に関する法律」が成立した.この法律は,内水面における水産資源と漁場環境の回復や再生,漁業者の育成,内水面の多面的機能の発揮などの目標を掲げ,内水面漁業の発展を図ろうとするものである.このように内水面漁業めぐる状況は近年変容しており,社会的関心も高まりつつある.
    内水面漁業とは一般的に河川や湖沼などの内水面で営まれる漁業や養殖業のことを指す.そのうち河川において営まれる漁業活動や漁撈活動に関する研究は,人文諸科学の中では民俗学分野を中心に古くから行われてきた.戦前に始まった初期の河川漁撈研究は日本各地の河川における,漁撈活動の実態の把握を目指し,漁具や漁法といった漁撈技術の記録に尽力してきた.また近年では,漁撈者の環境観の把握を行う研究が多くなりつつある(伊藤2018).一方で地理学において河川での漁業や漁撈活動を扱った研究の蓄積は十分とは言い難く,沿岸漁業を中心とする海面での研究が主であった.これは河川漁業の生産力の低さや近年の環境悪化に起因すると考えられる.長良川の淡水魚介類の食用と漁撈の空間的差異について論じた野中(1991)は生業や社会的・文化的条件の違いから他流域との比較の必要性を述べており,また阿武隈川の河川漁業の実態と放流事業による資源管理の意義を論じた高野(2004)は,①地域性,②社会性,③環境文化という地理学研究の視点を提示している.このように地域性の把握や,自然と人間の関わりから生じる文化・社会的現象の空間的な把握に特化する地理学からのアプローチも必要不可欠であることがうかがえる.以上を踏まえ,本研究では現在も河川漁撈が行われている地域において担い手,漁撈活動,社会的基盤の側面から河川漁撈が存続する要因を明らかにすることを目的とする.
    対象地域は高知県の四万十川中下流域に位置する四万十市である. 対象地域選定の際には先行研究を元に完全にレジャー化しておらず,伝統的な漁撈活動が存続している地域として,遊漁者以外にも多様な漁撈者が見られることを条件とした.四万十市役所,四万十町役場,四万十川漁業協同組合連合会,四万十川の5つの漁業協同組合,漁業者24名への聞き取り調査の結果に基づき考察を行った.現地調査は2017年9月から12月にかけて14日間行った.
    担い手は生業の形態によって専業的漁撈者6人,兼業的漁撈者8人,退職後漁撈者10人の3つのグループに大別された.専業的漁業者は6人中4人が他県からの移住者であった. 漁撈活動は多くの漁撈者がアユを中心に漁獲する一方で,専業漁業者の中には経済的価値の高いウナギやテナガエビ,スジアオノリを中心に漁獲を行なっている者も存在した.選択される漁法は漁獲対象によって異なってくるが,多くの人がアユを漁獲するための投網を行なっていた.ウナギの漁法については多少ながら漁撈者ごとに違いが見られた.漁撈を可能にするための社会的基盤の一つとして流通網の確立が考えられる.確認された流通網は自家消費,公設市場,漁協市場,ツテを通じた自家販売であった.ブランドを生かし関東圏への自家販売を行なっている専業的漁業者も存在した.漁撈の存続を可能にする要因としては漁撈技術の継承,漁獲物に経済的価値を付与する流通網の保持などが挙げられた.
  • 小原 丈明
    セッションID: P076
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ.研究背景・目的

     1990年代後半以降,歴史的建造物を再評価し,歴史資源や文化資源としてまちづくりに活用する動きが世界的に活発となっている。台湾においても日本統治時代の建造物(例えば,当時の行政施設や工場,住宅など)やその街並みを修景して,商業施設や観光資源としての活用が図られており,その取り組みについては都市計画学分野を中心に多くの研究蓄積がある。

     一方,日本統治時代以前の中国の清代において,多くの中国人が大陸から台湾に渡ってきたため,清代に由来する歴史的建造物も残存しているが,それらの歴史資源について,とりわけ住宅(伝統民居)についての研究は少ない。そこで,本研究では,①清代の様式の伝統民居の保存状況および活用状況を整理するとともに,②まちづくりにおけるそれら歴史資源・文化資源に対する政策的な位置づけを明らかにすることを目的とする。なお,本発表では①の伝統民居の保存状況・活用状況の現状について概観する。



    Ⅱ.研究方法・資料

     本研究では,発表者による現地調査の基礎資料として,1999年当時の伝統民居の保存状況等を調査した公的な資料(楊仁江 2000.『臺北市民宅(傳統民居)調査』臺北市文獻委員會)の伝統民居のリストを用いる。本資料では台北市全体で265件の伝統民居が記載されており,各民居の住所や写真,建築様式,建物の保存状況,活用状況等の情報が記されている。発表者はそのリストを基に,各民居の建物の保存状況や活用状況,用途転用等に関する現地調査(2018年2・3月および9月に実施)を行った。



    Ⅲ.伝統民居の立地および現存状況

     台北市の伝統民居の多くは市街地の外縁部,とりわけ台北市北部(士林区や北投区)の陽明山の山麓部に立地している。現在の市街地にあたる地域に立地していた伝統民居は,1999年時点において既に多くが消失していたと考えられる。また,2018年時の調査では1999年時点の4分の3ほどの現存が確認できた。



    Ⅳ.伝統民居の保存・活用状況

     1999年時点では,265棟のうちの6割弱が改築・増築されていた。また,50棟が荒廃・空き家となっており,この時点で伝統民居の多くの保存状況に問題が生じていたことが伺える。

     2018年時点においては,現存の205棟のほとんどにおいて修繕・改築・増築がなされており,1999年時点よりも保存状況は悪化している。ただし,多くが継続して住宅として活用されており,空き家の数はそれほど増加してはいない。住宅以外では商業施設や倉庫としての活用が僅かに見られるに過ぎず,用途転用は進んでいない。また,取り壊された伝統民居の跡地の多くはマンション敷地となっており,2000年代後半以降に急増していた。



    Ⅴ.おわりに
    現地調査により,台北市における伝統民居の保存状況は良好とはいえず,各民居の利用者によって個別に維持されている状況が伺える。本調査結果と行政の対応・取り組みに関する調査を踏まえ,同市における伝統民居の歴史資源・文化資源としての位置づけを明らかにすることが今後の課題である。
  • 田嶋 玲
    セッションID: 615
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに
     いわゆる「民俗芸能」についての研究は、1990年代以降その様式や内容に着目した研究に代わって、現代における村落社会の変化に伴う文化変容や観光資源化プロセスなどが主要なテーマとなった。特に、演劇に分類される民俗芸能については、芸能の担い手である演者の実践に注目した研究がなされてきた。一方、上演を成立させるもう一つの「担い手」である観客や上演の主催者については、まだ議論の余地があるといえる。また、地理学ではこれまで特に神楽が議論の対象となってきたが、同じく演劇性をもった民俗芸能である地芝居(農村歌舞伎)に触れているものは少ない。
     そこで、本研究では著名な地芝居の一つである「檜枝岐歌舞伎」を例に、上演を支える構造とその変遷を公演記録をもとに分析し、地芝居の上演をめぐる環境の変化を明らかにする。

    2.研究対象の概要と方法
     檜枝岐歌舞伎は、福島県檜枝岐村で江戸時代から現在まで伝承・上演が続けられてきた地芝居の一つである。上演は村民による一座「千葉屋花駒座」がボランティアで運営しており、出演者もほとんどが村民である。現在では観光化が進み、村の重要な観光資源ともなっている。
     檜枝岐歌舞伎は村内での上演が活動の中心となっているが、村外での上演も過去から現在まで幅広く行われている。本研究では特に村外で上演を行った場所と、上演の開催名目や主催者に注目する。一座関係者から提供を受けた公演記録帳3冊からこれらの点を分析し、その対象期間は提供資料に記載された範囲の1967年11月から1996年9月までとした。

    3.上演場所の変化とその要因
     1960年代終盤から1980年代までの村外上演は、旧伊南村や旧南郷村、石川町など同じ福島県内や、新潟県旧入広瀬村や旧守門村、群馬県片品村や栃木県栗山村など、比較的檜枝岐村に近接した町村部での開催が中心となっていた。その開催名目や主催者を見ていくと、1970年代初頭までは祭礼に招かれての上演がいくつか見られた。しかしそれ以降は、敬老会や高齢者福祉施設での上演が増加していった。これは、会津地方周辺における地芝居を取り巻く社会的状況の変化が要因と考えられる。高度経済成長期以降、それまで村落地域の一般的な娯楽であった地芝居は、テレビなどの新しい娯楽の登場や担い手となる若者の流出で、幅広い世代が楽しめる娯楽としての地位を急速に失っていった。その結果、次第に観客は高齢者層中心となっており、その状況が反映されたものと推察される。
     その後、1980年代後半以降の村外上演は、県内の都市部や他の都県での開催が増加していった。その名目も、フェスティバルや民俗芸能の上演を目的とした大会が中心であり、「伝統文化」としての扱いを受けることが一般的となった。これは檜枝岐歌舞伎が観光化し、外部に広く知られる民俗芸能となったことが要因と考えられる。檜枝岐歌舞伎は1960年代後半から徐々に観光資源として扱われはじめ、村内での上演に多くの観光客が集まるようになった。そして1980年代には村内での上演に800人以上を集客するまでになり、福島県を代表する伝統文化として注目が集まっていたことが窺える。
     こうして檜枝岐歌舞伎の外部公演を支える観客や主催者は、娯楽や祭礼の一要素としての上演を期待する村落地域の住民から、「伝統文化」の上演を期待する都市住民へと変化していったといえる。
  • 過剰な利用はなぜ起こるのか?
    伊藤 千尋
    セッションID: 714
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1 はじめに
     ザンビアージンバブウェ国境に位置するカリバ湖は、1950年代にダム建設にともない誕生した人造湖である。カリバ湖では、カペンタ (Limnothrissa miodon)と呼ばれるニシン科の淡水魚を捕る漁が行われている。アフリカの内水面漁業が概して小規模で、労働集約的であるという認識とは異なり、カリバ湖のカペンタ漁は企業的・産業的で、資本集約的に営まれてきたことに特徴がある。これには、入植型植民地支配を経験した南部アフリカの地域性が関わっている。
     近年、ザンビアにおけるカペンタ漁については、漁船数の大幅な増加、漁獲量の減少といった問題が指摘されている。本発表では、カペンタ漁に関わるアクターの特徴や彼らを取り巻く社会・経済環境を明らかにし、漁船数の増加を引き起こしている背景を考察する。

    2 方法
     発表者はザンビア南部州シアボンガ、シナゾングウェを対象として、2010年から断続的に現地調査を行なってきた。シアボンガおよびシナゾングウェは、カペンタ漁の拠点となっている地方都市である。シアボンガは南部州シアボンガ県の中心であり、首都ルサカから約200キロ南に位置している。南部州シナゾングウェ県シナゾングウェは、ルサカから約330キロ南西に位置している。
     カペンタ漁が開始された初期の動向について明らかにするため、文献調査にくわえてシアボンガおよびシナゾングウェにて1980年代から漁を行っている事業者や造船業者に対する聞き取り調査を行なった。また、現在のカペンタ漁の特徴を明らかにするために、カペンタ漁に携わる事業者、漁師、造船業者に対する聞き取り調査を行なった。

    3 結果と考察
     ザンビアにおけるカぺンタ漁は、1980年代に白人移住者によって開始された。カペンタ漁はエンジン付きの双胴船、集魚灯を用いた敷網漁により行われる。そのため、初期費用が高く、黒人住民にとっては参入が難しく、漁師や溶接工として雇われるという関わりが主であった。しかしながら、2000年以降は、黒人によるカペンタ漁への参入が増加し、特に2000年代の後半以降、爆発的に事業者・漁船数が増加していることが明らかになった。
     この背景には、様々なレベルの社会・経済的状況が絡み合っていた。まず、都市・農村住民による副業の展開、生計多様化といった個人レベルの生計戦略が挙げられる。事業者らの多くは、その他の経済活動にも携わっており、カペンタ漁のみに従事している者は稀であった。
     また、彼らの参入を促進しているのは、造船費用が低下したことである。白人の造船業者のもとで雇用されていた黒人たちが、近年では次々と独立している。さらには、中国との貿易が増加するなか、ザンビアには安価な中国製のエンジンや部品が流入しており、造船はこれまでより低価格で行えるようになった。また、ローンが比較的容易に組めるようになったことも関係していた。
     爆発的に事業者数や漁船数が増加するなか、「盗み」や「許可証の不保持」が重大な問題として表出している。このような状況は、政府による管理・モニタリングの不十分さが主要因として働いていることは明らかである。それに加えて、本発表では、アフリカ農村・都市の生存戦略として肯定的に評価されてきたブリコラージュ性や多就業性といった個々の主体の流動的な経済活動の選択、その背景にある政治・経済環境の変化が、資源の過剰な利用に結びついている点について議論したい。
  • スコットランド・ブラックアイルを事例として
    飯塚 遼
    セッションID: 831
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    近年、ルーラル・ジェントリフィケーションの発生地域は、農村部におけるモビリティの増大に伴い大都市近郊から遠隔地にまで広がりをみせている。農村部におけるモビリティの増大は、道路や橋などのインフラ整備や、鉄道やバスなどの公共交通機関の充実、情報・通信技術の発達などが背景にあり、地域間の近接性が高まることにより生じる。本来はモビリティの増大が生じにくい遠隔地であっても、特徴的な景観や農村文化などのルーラリティを有する地域は人々を惹きつけモビリティが増大している。そのように、人々を農村へと向かわせるモビリティが地域の質的変容をもたらし、結果としてルーラル・ジェントリフィケーションを発生させることもある。そこで、本研究ではイギリスにおける遠隔地であるスコットランド・ハイランド地方のブラックアイル地域を事例として、モビリティの観点からルーラル・ジェントリフィケーションを捉えることを試みる。
  • 久保田 尚之, 松本 淳, 三上 岳彦, 財城 真寿美
    セッションID: S303
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに
    台風の長期変動を明らかにするには、台風経路や強度に関するデータが欠かせない。西部北太平洋地域では現在、気象庁、アメリカ海軍統合センター(JTWC)、香港気象局、上海台風研究所が台風の位置や強度に関する情報を1945年以降提供している。

    過去の気象データを復元する「データレスキュー」の取り組みで、それぞれの気象局が1945年以前についても台風の位置や被害に関する記録を残していた(Kubota 2012)。過去の台風に関する情報を復元することで、100年スケールの台風の長期変動の解明に向けた研究を報告する。

    2.  台風経路データの整備

    現在台風は最大風速から定義されている。台風の正確な位置や強度を特定するには、航空機の直接観測や気象衛星からの推定が必要である。このため現在と同精度で利用可能な台風データは1945年以降に限られている。一方でデータレスキューにより、各気象局から台風情報を入手し、これまで台風の位置情報をデジタル化してきた(Kubota 2012)。香港気象局と徐家匯(上海)気象局の資料は1884年まで遡ることができる(Gao and Zeng 1957, Chin 1958)。ただし、当時は台風の定義がなく、船舶や地上の気象台のデータから台風の位置を推定しており、精度の面で現在の台風データと同等に扱うのが難しいという点があった。
     台風の最大風速と中心気圧には関係がある(Atkinson and Holiday 1977)ことを用いて、台風の中心気圧を用いて台風を再定義する品質検証を行った(Kubota and Chan 2009)。気圧データは陸上に観測点が多く入手が容易なため、日本に上陸した台風に着目し、解析を進めた。北海道、本州、四国、九州に上陸した台風を対象とする。現在の台風の定義である最大風速35ktは中心気圧1000hPaに対応しており、陸上で1000hPa以下を観測した場合を台風上陸と定義し、全期間統一した定義を適応して台風データを復元した(熊澤他 2016)。気圧値だけでなく、上陸時両側の観測点の風向変化が逆になる力学的特徴も考慮した。
    日本の気象台は1872年に函館ではじまり、全国に展開し、1907年には100地点を超えた。ただ、19世紀は地点数が少なく、地域的な均質性に問題があった。一方で、日本には1869年以降灯台が建設され、気象観測も行われるようになった(財城他 2018)。1880年には全国で35か所の灯台で気象観測が行われ、1877-1886年の灯台の気象データが収集できており、台風データの復元に利用した。

    3.  結果
    図に日本に上陸した1881-2018年の年間台風数を示す。年間平均3個上陸し、1950年は10個、2004年は9個上陸した。1970年代から2000年代は上陸数が少なく、上陸数なしの年も見られた。それに対して、1880年代から1960年代は上陸数が多い傾向が見られ、19世紀においても毎年2個以上の台風が上陸した。19世紀の台風データの復元には1883年から気象庁の前身の天気図が、1884年から台風経路データが利用できたが、それ以前は利用できる気象資料が少ない。最近、江戸時代末期からの外国船が気象測器を搭載しながら日本近海を往来した資料が見つかっている。より長期の台風データの復元には、外国船の航海日誌に記録された気象データの活用が期待される。
  • 漁業者・系統団体・研究機関・行政
    田和 正孝
    セッションID: S504
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    兵庫県の漁業は5トン未満の小型船による底曳網、船曳網、釣りなどの多様な漁船漁業とノリおよびカキに代表される養殖業からなる。2016年の県内漁業生産量約12.6万トンのうち、日本海側の漁業生産量は約1.4万トンであり、残りの約11.2万トンが瀬戸内海側の漁業生産量である。瀬戸内海側の漁業生産量のうち漁船漁業によるものが約4.3万トン、養殖生産量が約7万トンとなっている。このうち瀬戸内海側でおこなわれる冬季のノリ養殖業は基幹漁業へと成長している。しかし近年、色落ち問題が生じており、栄養塩類の多い豊かな海の再生に向けた取り組みが重視されるようになっている。2015年に改正された瀬戸内海環境保全特別措置法(いわゆる瀬戸内法)の第2条の2に、「瀬戸内海を豊かな海とするための取組を推進するための措置を講ずる」ことも明記された。県内の代表的な魚種であるイカナゴ、シラス(カタクチイワシの幼魚)、マダコなどの漁獲量も激減している。

     こうしたなかで、地域の漁業環境について多くの在来(土着)の知識を有している漁業者自らが、漁場利用や資源管理に対して科学的知見を含めながら検討を開始している。

     家島諸島坊勢島における船曳網漁業者の中には、「獲りながら増やす」という漁業の可能性について考える者がいる。近年、主要な漁獲対象であるチリメンの漁獲量も減少しており、そのことがイカナゴへの漁獲圧の上昇にもつながっているという。そこで、イカナゴ漁に対して休漁日を増やす措置を考えている。さらに特定の場所を禁漁にするいわばローテーション方式による漁場利用を試みようとする提言もなされている。なお、豊かな海を取り戻すために「漁師でしか見ることができない海の光景や、操業時に体験した海の変化、獲れる魚の変化といった話をするだけでも、海の現状や海にとって何が大事なのかを伝えることができると考えている」という漁業者の発言を理解するために漁業地理学研究者は時間を惜しんではならないであろう。

     2018年、マダコの「付き場」で漁獲量の急落を経験した明石市林崎の底曳網漁業者は、夏場の休漁日を増やすことが、「資源を、残しながら有効活用する方法」と考えてきた。マダコは周年漁獲されるが、盛漁期は5月から9月にかけてである。秋産卵型と春産卵型があり、これまでの漁業の経験から、秋産卵型のマダコが盆明け頃から産卵準備に入ると考えられるため、この時期に休漁することが産卵親魚を多く残すことにつながると仮定した。そこでマダコの成長状況を知るために、所属漁協の販売データ(2015年から17年にかけての5~7月のデータ)を入手し、マダコのサイズごとの販売数量、販売金額を集計し、分析を試みた。その結果、①盛漁期の初め頃には前年の秋生まれを漁獲し、7月頃から春生まれを混獲すると考えられること、②春生まれの小型のタコがでてくる7月以降はこれらに急激な成長がみられることが確認された。以上のことから、①小型のタコがでてきた後には、現在以上に休漁日を増やすことが資源の効率的な利用になると考えられる、②秋生まれのタコは5月頃から長期にわたって漁獲対象となっているが、8月下旬から産卵行動に徐々に入る状況が読み取れるため、この時期に休漁日を設けることが秋に産卵する親ダコを残すことになり、資源の持続的な利用につながる可能性がある、の2点が提言された。漁業者自身が「夏場の休みを増やすことが資源の維持と効率的利用につながる」と考えていたことが、統計データからも裏付けられたのである。本事例でも漁業者が、在来知と科学的根拠をもとに漁場利用と資源管理を分析している。そのことは漁業地理学者に対して、従来おこなってきた調査研究がいかなるポジションに定位できるのか、新たな調査方法論を展開する必要はないのかなど、多くの課題を提示していることも付言しておきたい。

     兵庫県においてこのような漁業者自身による資源に対する分析が積極的に提示されるようになった背景には、浜のリーダーを育成するために2005年に開設された教育機関「大輪田塾」の存在が大きい。報告ではこの大輪田塾を取り上げ、塾の内容や活動を通じて形成されてきた、漁業者と漁業関係諸団体、行政との関係の拡大、および大輪田塾を通じて生みだされる「兵庫瀬戸内」における漁業の維持機能について考察したい。
  • 古田 昇, 布川 舞衣, 細岡 祥晃, 新見 知之, 戸川 祐樹, 黒田 收, 豊田 聖司
    セッションID: P013
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    文部科学省の補助金を得た徳島県教育委員会、実証実験指定高校の担当者との協働により、遠隔地かつ小規模校におけるICTを活用した、またアクティブ・ラーニングを併用した授業の実施とその成果確認の実証実験に、徳島文理大学として参加した。具体的には、県立海部高校、県立辻高校と徳島県教育委員会総合教育センターとの連携で、講演者である古田が、テレビ会議システムを利活用した高校地理Bの授業を実施するとともに、その効果検証と、現地での授業とを組み合わせることで、生徒達の身近な地域における、自然環境と生活環境から、来たるべき自然災害にどのように対処したらよいかを理解させることを目的として実施した。平成二七年度は、海部高校単独と、海部高校・辻高校と教育センターの3箇所を結んでの授業、平成三〇年度は、海部高校において、過年度の経験を踏まえて、さらにアクティブ・ラーニングと課外学習を組み合わせた授業を実施している。
  • 宮本 真二, 岩国市 産業振興部
    セッションID: 407
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    岩国平野の地形環境変遷は下記のように要約される.その結果,①岩国平野の基本層序は他の臨海平野部とほぼ同じであることがまず明らかとなり,同様の地形発達過程であった.イベント発生の要因は,現段階では不明だが,②地形環境変化期は,他の内陸の沖積平野の発達史との同時代性が指摘された.また,③平野の中世段階での陸化が推定され,城下町形成に代表される以後の土地開発が急速に進展したことが推定された.
  • ~THIS IS GEOGRAPHYの場合~
    伊藤 直之
    セッションID: P093
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.問題意識:地理における主体的・対話的で深い学び

     主体的・対話的で深い学びを実現するための学習指導要領改訂を受けて,授業改善はもとより,地理教科書改革に対する注目が集まっている。そこで,筆者は2018年8月4日(土)に,鳴門教育大学において英国地理教科書THIS IS GEOGRAPHYの著者ジョン・ウィドウソン氏を招き,自身の教科書を例にして,いわゆる「探究学習(Enquiry Learning)」をどのように作っているかについて講演を頂戴した。本発表では,同氏のプレゼン内容をもとにして,探究学習の原理,教科書における単元展開のパターン,日本の地理教育への示唆について報告する。



    2.ジョン・ウィドウソン氏の探究学習論と教科書像

    (1)英国地理教育の動向

     かつて記述的な地誌が中心であった英国地理教育は,1980年代以降,探究志向(enquiry-based)となり,問いを投げかけるようになった。しかし,2014年のナショナルカリキュラム改訂によって知識が強調されるようになり,探究は軽視されているという。今後,探究学習の実現のために,教科書の役割が高まる可能性がある。

    (2)探究学習

    氏は,地理教育における探究学習の定義について以下のように述べている。

    ① 生徒が地理的な質問を問い,それに答えることに能動的な関与(active involvement)をしていること。

    ② 生徒が世界について抱く自然な関心(natural curiosity) にもとづいていること。

    ③ 教室の中や外でできること―フィールドワークを通して。

    ④ フィールドワークは生徒に現実の世界における地理的な質問を調査させるものであること。

    次に,地理においてより良い探究の問いを生み出すために必要なこととして,次の点を指摘している。

    ① 生徒の関心や想像をかきたてる目標。

    ② 生徒の意識の中心に地理的な概念を置くこと。

    ③ 体感的で,活発なアクティビティーに導くこと。

    (3)教科書のあり方

    そして,氏は,探究学習を行う際の教科書の役割について,次のように指摘している。

    ① 教科書と探求学習の関係に矛盾や衝突がないこと。

    ② 教科書は,生徒の意識に地理的な概念を置くために,興味深い問いを投げかけるものであること。

    ③ 生徒が問いについて調査するために,必要な情報や資料を提供するものであること。

    ④ 最終のアクティビティーは,問いに答えるために,生徒の考えを統合させるものであること。



    3.THIS IS GEOGRAPHYの単元展開

     氏のプレゼンは,単元「危機における暮らし(Living on the Edge)」を例にして行われた。この単元は,地殻活動の内容を基礎に,「なぜインドネシアが住むのに危険な場所なのか」というテーマの事例研究が中心となっており,最終的に,英国の新聞記事をモデルにした,インドネシアの危険性に関する新聞記事の執筆・編集アクティビティーで締めくくられている(具体的には,ポスター掲示を参照)。



    4.日本の地理教育に示唆するもの

     探究学習では,生徒は正解のないようなことに取り組んでいく。その際,探究させる問いが必要であり,探究の過程で地理的な概念を意識させることが望まれる。氏の教科書は,その過程を50分の授業ではなく,単元を通して実現しようとしている。

     単元を通した探究は,たしかに資質・能力の育成に寄与するが,単元における知識の網羅あるいは体系化を阻むことになる。従来の地理教育内容の欠落・選択が課題となる。
     そして,日本の地理教科書は,教師の主体性とどのように関係を結ぶか。探究学習の採用は,授業力の乏しい教師にとって有益な指針となるが,異なる授業展開を開拓しようとする教師の主体性の芽を摘む恐れがある。地理総合の新設と関わって,教育の質保証が課題となる。
  • 国立療養所松丘保養園の歴史環境の地域における社会的価値の予備的評価を例として
    廣瀬 俊介, 川西 健登, 石川 勝夫, 逢坂 淳, 奥脇 嵩大, 西村 慎太郎
    セッションID: 806
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」前文の冒頭には、国の隔離政策がハンセン病の患者であった人々等に対して人権上の制限を行い、地域社会で平穏に生活することを妨げ、差別を生じさせてきたことへの反省、陳謝の念に基づき同法が制定されたことが明記される。同法の基本理念に関した第三条では入所者の「生活環境が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるように配慮されなければならない」とし、第十二条 (良好な生活環境の確保のための措置等) では「国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供する等必要な措置を講ずることができる」と規定している。
     国立療養所松丘保養園は、2018年に社会交流会館を開設し、同法第十八条 (第四章 名誉の回復及び死没者の追悼) 「国は (中略) ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずる」の重視の上に入所者と地域住民の交流を図っている。発表者は、同園の歴史環境とその形成史 (ハンセン病経験者の生活史が大きな割合を占める) もまたこの社会交流事業の継続と展開に生かし得る可能性があると考え、本研究において検討、考察を行う。
  • 連 曉
    セッションID: 531
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに

     日本では水害による人的被害の比率が増加し,有効な防災対策の構築が必要になっている(牛山2017).大規模水害が頻発する状況にあって,「逃げ遅れゼロ」と「社会経済被害の最小化」を実現のための地域における共助・公助等の水害への対応の能力の認識・評価が減災対策の課題になっている.
     本研究では,東京都葛飾区(図1)を研究対象地域として,200年に1回程度起こる大雨により荒川下流域堤防が決壊した場合に想定される浸水への対応の能力の空間分布をGISを活用し小地域レベルで明らかにする.これにより大規模な水害が発生した場合において地域の特性に応じた被害を低減するための対策に参考となる知見を得ることができる.
    Ⅱ 研究方法

     国土交通省荒川上流河川事務所の作成した平成28年荒川水系荒川下流域における洪水浸水想定区域図(25mメッシュ)を基礎データとして,浸水深及び浸水継続時を階級区分し,それらの分布図を作成する.地域の対応の能力を示すデータとして,国勢調査による世帯数および年齢段階級別人口,国土交通省による避難施設, 医療機関, 民間サイトにより作成した動物病院などのデータをもとに,世帯当たりの人数,15-59歳男性の比率,規模を考慮した避難施設のカーネル密度,医療機関の科目数のカーネル密度,動物病院のカーネル密度を作成する。その後,GIS,階層分析法,情報エントロピー法を活用し,水害による対応の能力の空間分析を明らかにする.

    Ⅲ 結果

    世帯当たり人口の分布についてみると,東北部,小菅1丁目付近,南部における中川・新中川付近に世帯当たりの人口が多いメッシュが分布する.
    15-59歳男性の比率は全地域に平均的に分布し、ある特定の場所に集中している特徴がある.
    規模を考慮した避難施設のカーネル密度について見てみると,西部地域は東部地域より相対的に密度が高い.東北部の水元公園付近と東南部の新柴又付近も密度が高い特徴がある.
    医療施設診療科目数のカーネル密度は東北部の金町駅付近,西北部の葛飾区役所付近,西南部の新小岩付近などに高い.
    動物病院のカーネル密度は西北部と西南部に相対的に高い.
    これらを総合した対応の能力の地域における分布について見てみると,東北部の水元公園,西北部の区役所,東南部の新柴又駅付近には対応の能力が高いことがわかる.この背景には人口と土地利用の特徴,すなわち医療機関、男性人口の多さがあると考えられる.
  • 木庭 元晴, 川口 昇, 古池 鋼, 芹沢 真澄
    セッションID: 405
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    はじめに 沖永良部島はサンゴ礁起源の(更新世)琉球層群からなる。沿岸には幅150〜300mほどの礁原が見られ,その後背にはサンゴ礁起源の生砕屑物からなるビーチが分布している。このような海岸の連続性は,礁原を持たず岬状に突出した海岸カレン台地によって分断される。この言わば岬状海岸線付近には略最高高潮位付近またはそれを越える高度に幅数メートルの平坦面が分布している。この成因を明らかにしてこそ,高海水準評価が可能となる筈である。 

    潮間帯高位プラットフォームの提案 現成サンゴ礁をもつ琉球列島の島々の礁原とその後背のビーチとの境界は,琉球列島の隆起傾向を反映し,およそ平均海面水位にある。つまり,礁原とは言ってもそのほとんどは溶食起源であり,潮間帯プラットフォームと言った方が適切ではある。上述の「岬状海岸線付近には略最高高潮位付近またはそれを越える高度に幅数メートルの平坦面」を木庭(1974, 東北地理26(1))は沖永良部島で確認しストームベンチながら現在生成中のものとした。これが潮間帯プラットフォーム同様,低い縁取りをもったタイドプール群に緑藻が生育する表面を持つことから,木庭(1974)は,これが現在の海岸環境で形成されているものと考えた。この測量は一人での測量用ポールとハンドレベルによるものであった。川口昇とともに,沖永良部島南西部の宇和美崎付近で,2018年春の大潮時にレーザー測距儀による詳細な測量を実施した。潮間帯高位プラットフォーム intertidal superior platformは新たな造語である。その分布高度から,ストームベンチ,潮上帯プラットフォームなどと称されてきたものである。この度の研究成果からすると,いずれも不適切な用語となった。ストームベンチは平常の海況の営力では形成されないという意味合いがあり,潮上帯ベンチは潮上帯に位置しているものを意味している。後述のようにこのプラットフォームはいずれにも当たらない。 

    成因とシミュレーション 和泊では,略最高高潮面と略最低低潮面(DL)の高度差は2.16mで平均潮位MSLは,1.08m a.DLとなる。さて,Mar. 31, 2018には,宇和美崎の潮間帯高位プラットフォーム分布域でプラットフォームの沈水時時刻を観測した。ほぼ無風で波高は1フィート以内であった。そして,16:10にはこのプラットフォーム面は水没と干出を繰り返した。この時刻に対応する和泊港の潮位は109 cm a.DLであり,これは平均潮位にあたる。この時刻には近傍の大津勘ビーチでは,潮間帯プラットフォームとその後背のビーチの間の屈曲点境界に海面が達している。潮間帯プラットフォームと潮間帯高位プラットフォームは,その分布高度に違いがあるにも関わらず,いずれも和泊港の平均潮位の時刻に水没したことになる。この宇和美崎では,潮間帯高位プラットフォームは潮間帯プラットフォームから離れるに従って高くなり,最高位は1.5m a.MSLほどになっている。こういったプラットフォーム高度はその場の潮位との間に高い相関が予想されるのである。古池と芹沢によるシミュレーション結果も報告したい。そして,隆起サンゴ礁海岸に広く見られる石灰岩に刻まれたノッチなどから高位海水準を求めるには,潮間帯高位プラットフォームの理解が欠かせず,その視点に立った高位海水準も報告する予定である。
  • 国および自治体による政策の影響に着目して
    久木元 美琴
    セッションID: S807
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    本研究では,高齢者・子ども・障害児(者)といった対象領域を横断したケアのあり方として注目される「共生型ケア」の現状と課題を検討した。共生型ケアは,1980年代以降,民間主体によって草の根的に開始された「宅老所」運動から出発し,都道府県など自治体の独自事業の支援を経て,国事業として政策化された。佐賀県でも自治体独自事業として共生型ケアを推進してきたが,多様な対象を同じ空間でケアするという理念を現場レベルで広く実践することには課題が残されている。特に,介護保険事業で運営基盤を安定化させてきた事業者にとっては,共生型ケアの導入により介護保険の基準に抵触するのではないかという「漠然とした不安」のほか,対象ごとに異なるケアが求められるケア従事者の負担,対象別の制度をまたぐ特例などの知識や推進へのスタンスには自治体や担当部署で差があり,事業所側の心理的・手続き的負担が大きい。これらの問題は,国事業の進展による担当部署の明確化や理念共有を通じ一部改善される可能性がある一方,共生型ケアの理念に沿った指導・監督の在り方やソフト面での支援が求められる。
  • 中岡 裕章, 町田 知未, 中山 京子, 櫻井 琢也, 佐野 充
    セッションID: P087
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに

     日本では,多くの自治体が基幹産業の衰退や人口減少,高齢化といった問題に直面している。特に,大都市から遠く離れた地域では,地域の存続を目的とした地域振興策が求められており,官民協働による地域資源を活用した地域づくりに関心が寄せられている。中でも,地域ごとに特徴の異なる自然・人文環境や地域産業,地場産品などの地域資源を活かし,地域の魅力として地域外に発信することで地域内外の交流促進を目指す取り組みが増加している。ただし,地域特性は地域ごとに異なり,それを考慮せずに他地域の取り組みを真似るだけの地域づくりは成功しないことも指摘されており,地域の特性に適合した戦略や取り組みのあり方が求められる。一方,地域内外の交流促進を目指すのであれば,地域外の人々が,地域のどのような資源に魅力を感じているのかを把握し,適切なマーケティングを行うことも肝要となる。
     以上より本報告では,北海道中川町で実践される地域づくりについて,特に,化石を活用した取り組みに着目し,その経緯や内容を把握し,地域外の人々の地域への関心も踏まえて,地域資源を活用した地域づくりの可能性を検証する。

    2.調査方法

     調査は,化石を活用した取り組みの経緯と取組の内容を把握するために,中川町エコミュージアムセンターの職員,中川長役場,中川町商工会に対し,2017~2018年にかけて聞き取り調査を実施した。また同期間において,地域外の人々の中川町への関心を把握するために,同センターへの来館者と,同町で開催される「なかがわ秋味まつり」および「中川神社祭」の参加者に対し,アンケートを実施した。

    3.結果

     中川町では基幹産業の衰退に伴う人口減少や高齢化が進行してきた。一方,同町には,白亜紀の地層が広く分布し,アンモナイトをはじめとする化石が多く産出されるため,「アンモナイトの町」として広く認知されている。このため,町内で産出される化石をはじめ,自然や文化などを地域の魅力として捉え,町全体を博物館とみなした「エコミュージアム構想」が提唱された。この構想を推進するための中核施設が中川町エコミュージアムセンターである。
     中川町エコミュージアムセンターは,1999年に廃校となった佐久中学校の校舎を改修したものであり,自然誌博物館と宿泊研修棟からなる複合施設である。館内には,1991年に発見された化石をもとに復元されたクビナガリュウの骨格標本をはじめ,白亜紀の貴重な化石が約300点展示されているほか,「中川の森の自然誌」や「天塩川と人びとの歩み」をテーマにした展示もあり,中川の自然誌が体験できる。来館者は年間3,000人程度で推移しており,宿泊を伴う者も少なくない。
     アンケート結果によると,来館者には北海道内の旭川市や札幌市のほか,東京都などの都市住民が多かった。また,来館者の多くが中川町への来訪が初めてであった。したがって,中川町エコミュージアムセンターへの来館が,中川町に来訪する一つの契機となっている可能性がある。一方,中川町エコミュージアムセンターに来館する者の多くは,5日間以上の長期旅行者であり,中川町で宿泊する者の割合は低かった。すなわち,来館者にとって中川町は長期旅行の通過点のひとつになっていることも考えられる。
  • 岡橋 秀典
    セッションID: S215
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ.はじめに
     「地理総合」には、三つの大項目が設けられている。A地図や地理情報システムと現代世界、B国際理解と国際協力、C持続可能な地域づくりと私たち、であるが、このうちBについては、2017年の日本地理学会秋季学術大会の地理教育公開講座の成果があるものの、他項目に比べて十分検討されていないように思われる。こうした中で、日本学術会議の地理教育分科会地誌・国際理解小委員会では遅まきながら議論を進めてきた。本報告では、その成果をふまえ、さらに筆者が関わる海外地域研究の知見も加えて、「地理総合」における国際理解とはどういうことなのかを論ずることにしたい。地理教育のプロパーではないので初歩的な考え違いがあることを恐れるが、寄与するところがあれば幸いである。
    Ⅱ.「地理総合」で大きく変わったこと
     現行の「地理A」と「地理総合」が大きく異なることはこれまでも指摘されてきたが、学習指導要領解説が公にされて、より明瞭となった。まず、科目の目標として、「社会的事象の地理的な見方・考え方を働かせ、課題を追究したり解決したりする活動を通して、広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を育成すること」を掲げ、そのために、「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」を身につけることが要請されている。特に、地理教育国際憲章の地理学研究の中心概念をその基礎として取り入れていることは大きな特徴である。
     問題は、現行「地理A」で大きな位置を占める世界地誌がどのように扱われるかである。この点は、「ここでの学習は国際理解を主なねらいとしており、学習対象はあくまで「世界の人々の特色ある生活文化」であって、すでに中学校社会科地理的分野において州ごとに「世界の諸地域」を学習していることを踏まえれば、ここでの学習がその繰り返しとならないよう、また「地理探究」における「現代世界の諸地域」の学習とも重複することのないよう、厳に留意する必要がある」と明記されているので、この項目を、地誌を軸として構成するのはありえないことになる。
    Ⅲ.生活・文化と生活文化 の違い
     地誌が地域の多様性を重視するのに対して、「地理総合」は生活文化の多様性に焦点を当てる。ここで重要なのは、生活文化の概念である。「「生活文化」とは、地理的環境との関わりにおいて育まれる人間の生活の営み。衣食住を中心とする暮らし、慣習や規範、宗教などの主に生活様式に関わる事柄」であるとされている。これは現行地理Aの生活・文化が、「衣食住を中心とした生活様式だけでなく、生産様式に関わる内容も含み、広く人間の諸活動から生みされるもの」としているのと大きな違いがある。「地理総合」の生活文化では経済活動などが含まれず、文化の概念がより狭くなっている。松井(2017)が指摘するように、「文化の多様性(差異)に注目するばかりでなく、文化のもつ普遍的性格を地理的に理解させること」が要請されているのである。このことからすれば、地理学だけでなく、文化人類学からの寄与も重要となる。
    Ⅳ.説明の枠組み
     この項目では、「世界の人々の生活文化を多面的・多角的に考察し、表現する力を育成するとともに、世界の人々の生活文化の多様性や変容、自他の文化を尊重し、国際理解を図ることの重要性などを理解することができるようにすることが求められている」。生活文化の説明変数としては、地理Aでみられた「民族性」に代わり、それが所在する場所の「地理的環境」と歴史的背景が提示されている。「地理的環境」は自然環境と社会環境からなり、前者では地形、気候などの主な要素が相互に関係しながら生活文化に影響し、後者では、世界の人々の生活文化は歴史的背景や産業の営みなどを反映していると考える。社会環境を導入していることは評価できるが、自然環境に比べその内容は不明瞭である。グローバル化の進む今日、社会環境をどう構成するかに大きな課題が存するといえよう。それゆえ、場所の人間活動と自然環境との関わりから捉えることが先行し、環境決定論的な説明に傾くことが懸念される。それを回避するには、様々な地域スケールのシステムを検討することが有効であろう。
    Ⅳ.おわりに
     グローバルな視座から国際理解や国際協力の在り方を考察する「地理総合」では、生活文化概念にもとづいて一般性を志向する中で主題の寄せ集めになり、地域や全体が見えなくなる可能性がある。部分の寄せ集めにならないよう、俯瞰的な視野や体系性(システム)を併せ持つことが大きな課題となる。また、ここで言う国際理解とは何かについても検討の要があろう。それは異文化理解と同義ではないと考えるからである。
  • 池田 和子
    セッションID: 208
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    日本の農業および農業地域の活性化が議論されて久しい.農業地理学においても多くの蓄積がなされてきた.研究成果の多くは実証研究であり,先進的な取組みの成功事例として位置づけられているのではないだろうか.

    個々の実証研究からは,日本国内で地域の実情に合わせた多くの取組みが行われていることがわかる.しかし同時に,実証研究を統合するような研究も必要である.どのような要素が取組みを成功させているのか,あるいは成功事例と言われるような取組みであっても克服すべき課題を抱えているか,それはどのような課題かを,蓄積された事例から学ぶ必要がある.

    そこで本研究では,国内の主要な地理学雑誌で過去10年程度に発表された,農業に関する実証研究を分析していく.どのような課題に対する取組みが行われ,成功要因や残されている課題には何が認識されているかを抽出する.抽出された要素を整理し,今後の実証研究のための初動としたい.
  • 鈴木 修斗
    セッションID: 833
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.研究の背景と目的

    先進国では,生活の質の向上を目的とした「ライフスタイル移住」が注目されている.近年その主役となっているのは,30~40代の現役世代である.日本でもオルタナティブなライフスタイルを志向する移住者が増加しており,移住先として地方農村や遠隔地域が選ばれてきた.しかし,大都市圏超郊外のリゾート・退職移住者地域にも現役世代が移住するようになり,独自のライフスタイルを構築していることが報告されている.既往研究で扱われてきた地方の事例とは移住の目的や経緯が異なると考えられるため,そこでみられるライフスタイル移住のあり方についても検討を加える必要がある.

    本研究では,移住世帯の移住プロセスを捉えることによって,大都市圏超郊外のリゾート・退職移住者地域への現役世代のライフスタイル移住にみられる特質の解明を目的とする.対象として,新幹線通勤や独自のライフスタイルの実現を目的とした移住者の増加が明らかとなっている長野県軽井沢における現役世代の移住者をとりあげる.なお軽井沢では,1997年の北陸新幹線軽井沢駅開業以降,現役世代の間で東京方面への通勤可能な居住地としての評価が高まった.近年では地価下落や住宅ローンの借りやすさもあり,大都市圏に居住する現役世代の移住が広がっている.

     まず,移住者の社会経済的特性を把握するために,国勢調査を用いて軽井沢に移住した現役世代都市住民の全体像を示す.次に,東京大都市圏から軽井沢へと移住した現役世代の移住過程を明らかにするために,おもに新幹線開通後に移住した移住世帯22世帯にインタビュー調査を行った.最後に,軽井沢への移住とライフスタイルとの関連性について,移住世帯の出現過程,軽井沢の選択理由,移住後のライフスタイル変化の3点について考察を加えた.



    2.結果

    結果は以下の通りである.移住前の居住地は都心ならびにその近郊地域が卓越しており,2015年国勢調査では軽井沢町への30~40代転入者数974名のうち42%が東京・埼玉・千葉・神奈川の4都県からの転入であった(長野県内からは27%).移住世帯の社会経済的属性をみると,世帯主は自宅ないし他県で就業するホワイトカラー職,配偶者は軽井沢周辺でグレーカラー職に就く場合が多い.移住世帯の多くが,軽井沢で庭付きの戸建住宅を購入している.  

    インタビューを行った移住世帯の前住地は,初期移住者は大都市圏郊外が多かったが,近年では通勤利便性などを考慮し都心に居住していた世帯も多い.移住の契機は,都心における子育て環境,職住近接の働き方,住まい方への疑問などが挙げられた.移住先として探索した地域は,軽井沢の他に,那須,熱海,逗子,秩父など,超郊外のリゾート的性格をもつ地域が多い.この理由として,自然に囲まれた静かな環境での生活や,広い家での暮らし,快適な通勤を挙げる世帯が目立った.その中で軽井沢を選択した理由には,軽井沢のもつ自然や文化への嗜好に加えて,東京へのアクセス利便性や,近隣都市の存在による生活利便性が高く評価された.移住後は自身や家族の理想とするライフスタイルを試行錯誤しながら構築しており,軽井沢のもつ自然や文化,別荘地域のゆるやかな時間の流れ,東京との距離感などを評価し,仕事や余暇の充実につながっていると感じていた.



    3. 考察

    以上の結果を踏まえると,軽井沢へと移住する現役世代は,都心での職住ライフスタイルに懐疑的視点をもった,比較的社会階層の高い人々であるといえる.こうした層は都心回帰の進行や,郊外の衰退などの大都市圏の居住環境の変化に呼応して出現したと考えられる.彼らの就業基盤は東京にあり大都市圏出身者も多いことから,大都市圏との関係性を切り離せない.そこで,大都市圏に近接しながらも,高いアメニティをもち,ライフスタイルを変えることのできる移住先として超郊外地域を探索する.移住世帯は,東京には存在しない軽井沢独自の「自然」「文化」「ゆるやかな時間の流れ」「東京との距離」といったアメニティを利用した習慣を構築し,日常的なライフスタイルの一部とすることによって,生活の質の向上が達成されていた.

     このことは,大都市圏超郊外のリゾート・退職移住者地域では,地方におけるオルタナティブなライフスタイルを求めた現役世代の移住とは異なり,大都市圏的なライフスタイルの再構築を求めた現役世代の移住がみられることを示している.
  • 川又 基人, 菅沼 悠介, 土井 浩一郎, 澤柿 教伸
    セッションID: P041
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    近年では, 航空レーザー測量を基にした高解像度の数値標高モデル(Digital Elevation Model: DEM)により微地形の特徴の抽出が容易になり,これまで以上に詳細な地形判読が可能となってきた。しかし,南極などの人為的アクセスが極めて厳しい地域では, 日本国内で用いられているような航空レーザー測量は難しく,衛星データによって得られるDEMは解像度約30−10 m程度のものである。このようなDEMは数kmスケールの地形は判読可能だが,それよりも小ス ケールの判読は難しい。
     そこで本研究では,微細な氷河地形の判読を目的に,SfM 多視点ステレオ写真測量(SfM/MVS)技術を南極地域観測隊によって撮影された空中写真に適用することで,高解像度のDEM およびオルソ画像を作成した。 SfM/MVS処理の結果,1.4 m メッシュの DEM と地上画素寸法 70 cm のオルソ画像 の作成に成功した。新たに作成したDEMは,国土地理院作成の既存DEMで確認された急傾斜地点でのデータの抜けなども確認されず,詳細な起伏が表現されている。新たに作成したDEMの精度に関して,現地でのGNSS測量結果4点との較差(平均平方二乗誤差)を調べた結果,高さ方向に2.77 mとなった。しかし,今回作成したDEMの端では海水面に±10 m 程度の誤差が確認された。これは SfM/MVSに特徴的なドーム状の歪みに起因するものと考えられる。
     今後は海岸線での高さの整合性の取り方といった絶対精度向上のための工夫する必要があるものの,今回作成したDEMは既存のDEM からは判読できなかった解像度 (数 10 m スケール)の氷河地形を読み取ることができ,地形判読や地形解析をはじめ,極域における地形発達史に関する教育・アウトリーチ面でも有効に活用できるだろう。
  • 宮町 良広
    セッションID: 811
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに

     自動車産業は「100年に一度」といわれる技術上の大転換期を迎えつつある。独自動車大手ダイムラーの前会長、ディーター・ツェッチェは、こうした技術変化をCASEと表現した。Cはconnected、すなわち自動車の常時ネット接続を意味する。以下、Aはautonomous(自動運転)、Sはshared(車の共有サービス)、Eはelectric(電気駆動)を意味する。これら4つの変化に加えて、自動車生産に関わるもう一つの大きな変化、すなわち部品のモジュール化が進行している。以上の変化によって、自動車の生産システムが大きく変わることが予想される。本報告では、電動化とモジュール化の2つの変化に焦点を絞り、九州地方を事例として自動車生産ネットワークの変動を議論したい。

    2.九州地方における自動車産業

     1970年代以降、九州地方において自動車産業の集積が進行している。生産台数は136万台、国内シェアは15%に達した(2016年)。九州地方では3メーカーが4つの完成車工場を操業しているが、全工場が北部九州に立地する。日産自動車は1976年、福岡県苅田町で生産を開始し、2009年には子会社の日産車体が続いた。1992年、トヨタ自動車九州が福岡県の旧産炭地の宮若市に、2004年、ダイハツ自動車九州が大分県北部の中津市に立地した。4工場を合計した直接雇用数は1万7千人近くに達し、間接雇用を含めると北部九州で最大の雇用力を有する産業となっている。

    3.モジュール化とメガ・サプライヤーの進出

     自動車産業では、部品のモジュール化(セット化)の進展に伴い企業の拡大や統合が進んでいる。独ボッシュや米デルファイなどの大手部品メーカーは、モジュール部品の生産技術を精緻化し、地球規模で納品するようになったことから、グローバル・メガ・サプライヤーと呼ばれるようになった。九州には5社が進出しているが、親企業の国籍で見ると、ドイツ系2社(ボッシュ、マーレ)、フランス系3社(フォルシア、ヴァレオ、プラスチック・オムニウム)である。親企業の世界売上順位では、1位のボッシュを筆頭に、その他の企業も10〜37位に位置する。九州進出年は2001〜11年の間であるが、これは1999年、ルノーの傘下に入った日産自動車が従来の部品取引を大幅に見直したことに伴い、ルノーと取引のあった欧州サプライヤーがやってきたためである。従業員数ではいずれも50人以下と小規模であるが、これは情報収集や研究開発を行っている段階であるためと推測される。これら5社の中でもっとも野心的なのは、ヴァレオである。かつて日産系列の部品メーカーであった市光工業の九州会社を買収し、製造を本格化している。メガ・サプライヤーの取引先については日産が多く、トヨタやダイハツとの取引は限定的であると考えられる。

    4.電動化と生産ネットワーク

     環境配慮型自動車は、ハイブリッド車、プラグイン・ハイブリッド車、電動車、燃料電池車の4つに大別されるが、それらの動向に強い影響を与えるのは、政府の環境規制である。EUや中国では、日本メーカーが強いハイブリッド車を環境配慮型の範疇から除外する意向だが、それは次世代自動車生産における覇権の獲得に自国メーカーが有利になるようするためといわれる。アメリカはシェール石油資源に恵まれていることから、ガソリンを使用するハイブリッド車も重視している。電動車は、エンジンやトランスミッション、排気装置等の部品を必要としないことから、それら部品メーカーが大きな打撃を被ると、品目転換や企業統合などが進むことが予想される。さらに完成車メーカーと部品メーカーの関係にも変化が出そうである。日系メーカーは従来、同一部品を複数メーカーに発注し競争させることで、コスト削減や品質向上を図ってきたが、部品のモジュール化と相まって少数メーカーへの集中発注が進むとの予測がある。こうした動向は九州地方の自動車生産ネットワークに強い影響を及ぼすと考えられる。

    ※本研究はJSPS科研費 17H02429の助成を受けたものです。
  • 池口 明子, 横山 貴史, 橋爪 孝介
    セッションID: S506
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    磯焼けへの対応には藻場造成と漁業のシフトがあり,漁家は後者を迫られることが多い.日本では各種補助金による漁場整備,資源増殖のほか,代替魚種の資源化,観光化など多岐にわたる事業が実施されている.

    気候変動への順応をテーマとするコモンズ論では共時的制度の記述から,通時的な制度変化の分析を重視するようになっている.分析概念として,漁業者の生態知を核とした生態-社会関係が用いられる点で,生態地理学と接合しうる.ガバナンス論はより広い政治的文脈や行政の再編に制度変化を位置付けることを可能にすると考える.

    本報告では,磯焼けによる資源の減少や魚種交替に対応した資源管理制度の変化をガバナンスの視点から明らかにし,地理学的課題を考察する.2017年7月,10月に長崎県小値賀町,2018年9月に北海道積丹町,寿都町において漁協・自治体水産課に聞き取り,および事業報告書等の資料収集をおこなった.また小値賀町では漁業者12名に漁法選択を中心に聞き取りをおこなった.

    2.磯焼けへの順応と漁村・漁場

    磯焼け,およびその認知の時期は地域によって異なる.積丹町では1930年頃,小値賀町では1990年頃に漁業者が認識している.したがって漁法選択や生業選択のあり方は,その時期の地域社会が置かれた状況に依存する.

    磯焼けで起こる資源変動も海域によって異なる.積丹町ではウニとコンブは共同漁業権漁場の水揚げの主力である.磯根資源の減少に対し,資源増殖のほか観光との結びつきを強めるなど多次元化が図られている.一方,温暖海域に位置する小値賀町では180種以上の魚種が利用されてきた.資源シフトとブランド化が磯焼けで減少した磯根資源に代わって漁家経営を支えている.

    3.漁法選択とガバナンスの変化:小値賀島の事例

     小値賀島におけるアワビ資源管理は古くは1899年に記録があり,以来多くの取り組みがなされてきた.1966年のウェットスーツの導入で乱獲が危惧されるようになると,1976年に総量規制によるアワビの資源管理が開始された.しかし,1987年の台風被害からの復興資金として過剰な漁獲が起こった上,磯焼けで餌料不足,成熟不良となり資源減少が加速した(戸澤・渡邉2012).1996年には漁業集団・漁協・町役場・県水産センターからなる「小値賀町資源管理委員会」が発足した.

     アワビに代わって漁家経営を支えるようになった魚種がイサキである.1977年に夜間の疑似餌釣りが導入され,1999年にブランド化された.漁業者集団によって「アジロ」(縄張り)ルールが形成され,漁協-漁業者集団によって選別ルールが形成された.

    4.資源ネットワークと地域的条件

     小値賀島では沖合のヒラマサ・ブリといった回遊魚が生計に重要な位置を占めるなど資源の選択肢が多い.漁協は市場との取引経験が長く,これらの資源ネットワークが柔軟性を支え,漁場と市場の学習を可能にしてきた.この背景として,共同出荷への切り替え,小値賀町の単独自治など,流通と行政の再編経験が考えられる.市場との関係を軸としたガバナンス形成は一方で,よりローカルなスケールの調整,すなわち村落組織を基盤とする紐帯や仲間関係を必要とし,新規参入という点で工夫が必要と考えられる.
  • (第2部趣旨説明)
    久保 純子
    セッションID: S203
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    新指導要領における「自然環境と防災」
     次期『高等学校学習指導要領解説 地理歴史編』(文部科学省2018)では、「地理総合」の大項目は
    A「地図や地理情報システムで捉える現代世界」、
    B「国際理解と国際協力」、
    C「持続可能な地域づくりと私たち」
    からなり、「自然環境と防災」はCの(1)に位置づけられている。また、内容は
    ア「知識・技能を身につける」、
    イ「思考力,判断力,表現力等を身に付ける」
    という目標順に示されている。
     具体的には、ア「知識・技能」として、
    () 我が国をはじめ世界で見られる自然災害や生徒の生活圏で見られる自然災害を基に,(中略)自然災害の規模や頻度,地域性を踏まえた備えや対応の重要性などについて理解すること。
    () 様々な自然災害に対応したハザードマップや新旧地形図をはじめとする各種の地理情報について,その情報を収集し,読み取り,まとめる地理的技能を身に付けること。
    とある。(ア)では世界と日本で見られる自然災害の事例を学び、変動帯としての特色やモンスーンの影響などから、世界の中でも日本は自然災害に遭いやすい条件にあることを学べばいいだろう。「生徒の生活圏」で見られる自然災害の事例では、小地形など身近な自然条件だけでなく、土地利用や開発の歴史と災害の関係を学ぶことが必要であろう。
     このように、自然災害は人間活動と自然との関わりから発生するということや、世界・日本・生徒の生活圏で、地域の自然環境や社会の特色と災害の関係を学ぶことが重要であり、また、「自然災害への備えや対応」には、過去にもこのような地域の自然条件や社会条件を踏まえてきた事例(伝統的な対策など)を学ぶことや、今後の対策においても地域の特色をふまえることが重要であろう。
     そして、(イ)の地理的技能として、ハザードマップと新旧地形図をはじめとする各種地理情報を比較することが求められている。
     また、イ「思考力、判断力、表現力等」として、
    ()地域性を踏まえた防災について,(中略)主題を設定し,自然災害への備えや対応などを多面的・多角的に考察し,表現すること。
    とある。これは、身近な地域などを例に、自然環境だけではなく社会的条件や開発の歴史なども考慮して、その地域で想定される災害とその対策を考察し、自分たちの住む地域をどうすればいいかを考えよう、ということであろう。

    シンポジウム第2部の趣旨
     日本地理学会災害対応委員会では、これまで地理学の立場から防災に貢献するため活動してきた。本シンポジウム第2部では、災害対応委員会メンバーがそれぞれの立場から「自然環境と防災」に関して講演し、それをもとに議論を行う。
     南雲直子会員(土木研究所)は国内・海外での地形分類図作成と災害調査の経験から、ハザードマップについて取り上げる。
     岡谷隆基会員(国土地理院)は、文部科学省での経験もふまえ、国土地理院の高校地理教育への取り組みを紹介する。
     須貝俊彦会員(東京大)は、自然地理学の研究・教育の立場から、「自然環境と防災」の教育について講演する。
     村山良之会員(山形大)は、教員養成系学部における防災教育の実践や課題を講演する。
     長尾朋子会員(東京女学館)は、地形や災害調査の経験もふまえ、高校教員の立場から「自然環境と防災」について講演する。
  • 滋賀県・田上山地における定量的評価
    太田 凌嘉, 松四 雄騎, 小杉 賢一朗, 松崎 浩之
    セッションID: 411
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    はじめに
     人間の居住地域近傍に位置する山地の流域環境は,斜面を覆う植生に対する人間の関与を前提として,その恒常性が維持されている.ところが,流域内の森林資源を過度に収奪すると,降水の樹冠遮断および樹木根系の土粒子保持効果が失われることにより,表面侵食が加速し,土砂が流出して斜面が裸地へと遷移する.いわゆる「ハゲ山」の出現である.この状態遷移を定量的にモデル化するためには,斜面から流亡した物質の量に関する情報が必要である.本研究では,過度な森林資源の収奪を受けた山地を対象に,土層および植の被覆状態が異なる複数の流域を選定し,その出口で採取した渓流堆砂中の宇宙線生成核種を分析して,流域斜面の削剥量を定量化した.

    地域・方法
     調査地域は,琵琶湖南方に位置する滋賀県・田上山地で,後期白亜紀の中-粗粒黒雲母花崗岩を基盤とする標高200~600 mの小起伏丘陵である.流域には断層や節理に沿って谷が発達しており,上流部には小起伏平坦面が残存する.田上山地には,人為的な影響により土層が流亡し植生が貧弱になった流域と自然状態を維持した流域が隣接して存在する.流域の土層および植被の状態に基づき,自然-森林被覆流域,荒廃-森林再生流域,荒廃-裸地流域の3つに区分できる.
     これら3種の流域の出口において0.25-2 mm粒径の渓流堆砂を採取し,物理・化学処理によって石英粒子を抽出して溶解し,元素を単離したのち,加速器質量分析により10Beを定量した.流域の地形は,地理情報システム上で1 m メッシュの数値標高モデルを用いて解析した.

    結果・考察
     自然状態を維持した流域の堆砂中の10Be濃度は,4.9×104-1.2×105 atoms g-1であり,流域の空間平均削剥速度は,9.7×102-2.5×103 g-1 m-2 yr-1と算出される.一方,人為影響を受けて荒廃状態にある流域では,2.1×104-2.8×104 atoms g-110Be濃度が得られた.この小さな核種量は,土層が流亡したのち,風化岩盤の上面が削剥されつつある状態を反映したものと推定された.
     自然状態を維持した流域の核種量は,流域の開析度と対応していた.この対応関係に基づき,荒廃状態にある流域において人的影響を受ける以前の削剥速度を復元することができる.この速度から推定される本来の核種量と,測定された現在の核種量の差分から,流域が荒廃状態へと遷移する過程で削剥された物質の厚みは,0.3-1.2 m程度と推定され,流域ごとに差異がみられた.今後は,山麓低地の堆積物を掘削・分析し,流域の状態遷移過程の確からしさを検証する.
  • Lidia Lazarova Vitanova, Hiroyuki Kusaka
    セッションID: P023
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    This study investigated the impact of urbanization and urban heat islands on the surface air temperatures of the major Bulgarian cities using the Weather Research and Forecasting (WRF) model with 1-km horizontal resolution. We simulated three separated months of July between 2011 and 2013. First, the results show that the WRF model reproduced reasonably the diurnal temperature distributions for both of urban and rural areas. The model mean biases ranged from −0.76 to 0.19 °C. Second, the impacts of the urbanization on the surface air temperatures are evaluated. The results showed significant nocturnal temperatures increase by 2.2 - 3.0 °C in the urban areas compared to those in rural areas.
  • 大内 俊二
    セッションID: 412
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    経過を詳しく観察・計測できる地形発達実験は、断片的証拠しか残されていない実際の侵食地形発達を解明していくための大きな手掛かりとなると考えられるが、相似則の適用が難しいことや実行に手間がかかることから、近年までそれほど行われてこなかった。しかし、コンピューター技術の発達やDEMの普及などによって地形発達の数値モデルが盛んに構築されるようになってくると、その実証手段として地形実験が注目されるようになった。ただし、これらの実験の多くは実験地形を実際の地形をスケールダウンしたモデルととらえており、その解釈にどこか違和感を覚える。実際の地形発達と実験地形の発達では時間・空間のスケールが大きく異なるため、同列に考えることには注意が必要である。実際の地形発達はスケールを大きくしていくと、どんどん異なる要素との関係が現れてくる“創発現象”であり、後件肯定の論理的誤りに陥る可能性が高いからである。地形発達実験を実際の地形発達の解釈に利用するためには、いろいろな条件下での実験を重ね、どのような実験地形がどのように発達していくのか、全体像を理解することがまず必要であろう。このような観点から、ここでこれまでに行った実験の結果を整理して、実験地形がどのように発達するかを説明しておきたい。
    隆起速度は実験地形の成長を規定する最大の要因である。侵食速度との兼ね合いによってその値は異なるが、地形発達にかかわる閾値となる隆起速度が2つあることが想定できた。隆起速度が下方閾値より小さな場合は流水による侵食が卓越し、崩壊を起こすような斜面は発達しない、ある程度の起伏が発達した後は隆起と流水侵食がほぼ釣り合って、地形はほとんど変化しなくなり、砂山の構成物質と降雨強度を反映した地形となる(Characteristic relief phase)。隆起速度が上方閾値より大きい場合は、隆起が卓越するために尾根部が上昇を続け、高い山脈ないしは山塊が発達する(Mountain building phase)。
    地形実験で最も一般的なのが、隆起速度が下方と上方の閾値の間にある場合である(Steady state phase)。実験開始後間もなくから、隆起する平坦な始原面の縁に流水による細かい溝が形成され、次第にまとまって谷となっていく。この間、隆起域の平均高度はほぼ隆起分だけ上昇する(Stage I)が、表面流による谷(流域)の発達とともに、平均高度の上昇が隆起より小さくなっていく(Stage II)。谷が発達し斜面が成長すると斜面崩壊が起こるようになり、侵食速度が大きくなる。谷系が十分発達し、流路勾配が安定するころには、斜面崩壊によって生産された物質を水流が域外に搬出するプロセスで侵食が進むようになる。大規模な斜面崩壊は周期的に集中して起こる傾向見せ、隆起域全体の地形は斜面崩壊による低下と隆起による上昇を繰り返すようになる(Stage III)。斜面崩壊による地形変化が顕著であるが、長時間を想定すればこの状態を隆起と侵食の“平衡状態”と考えることは可能であろう。
    Steady state phase内において、隆起速度が同じで降雨強度の異なるrunを比較すると、降雨量の少ない方が(Stage III)に至るまでの侵食量が少なく、結果として山体高度も流路勾配も大きくなった。流水による侵食・運搬作用が山地の高度や険しさを基本的に決定していると考えられる。また、堆積域の幅を変えたことで隆起域(侵食域)の地形発達に大きな差は見られなかった。隆起域 周りに発達する扇状地の勾配は主に運搬物質の粒度と水流の水深に規定されると考えられ、一連の実験における違いは小さい。堆積域の幅の違いは扇頂高度の差となって表れるが、扇状地の勾配が小さいため有意な差にならなかったのではないだろうか。
    実験材料の締固めを強くすると透水性が低くなり、剪断強度が増す。透水性が低ければ、表面流の流出が多くなって流水侵食の力が増すし、剪断強度が高くて斜面崩壊が起こりにくく、山地の起伏・高度は上昇すると考えられる。実験でも、降雨量が同じであれば透水性の低い方が平均高度も起伏も高くなった。しかし透水性を基準にしてみると、透水係数が低い実験では降雨量の少ない方が平均高度も起伏も大きくなったが、透水性を高めた実験では、降雨量の少ない方が侵食が速く、平均高度も起伏も小さくなった。透水性が高く剪断強度が小さい場合は、浸透する水の働きによって小規模な崩壊が起こりやすく、侵食の進行が速かったのではないだろうか。透水性が高い場合に、侵食プロセスにおいて表面流による谷の発達より斜面の後退の方が重要であったことが、この実験地形発達の違いを生み出す原因となったのではないかと考えられる。
  • ―建築物のエネルギー効率を事例として―
    山下 潤
    セッションID: 218
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    本稿では,OECD加盟国を対象として,技術革新が持続可能な社会へ与える影響を明らかにすることを目的とした.結果として,技術革新が持続可能な社会へ正の影響を及ぼしていることを明らかにした.
  • 早川 裕弌, 小倉 拓郎, 小口 高, 山内 啓之, 小花和 宏之
    セッションID: 314
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに

     幼少期における自然現象の理解において,理論的・実証的な考察を促すことは重要であるが,教科書にある知識の教え込みが必ずしもすべて受け入れられるとは限らず,初歩的な理解から深い理解まで児童を誘導するための工夫が必要である。一方,野外における実習といった体験は,児童の感性や記憶に強く影響を与えるため,環境教育の手法として重要視されている。しかし,日常の教育課程の範疇で,野外実習といったかたちで機会を設けることは容易でないことも多い。一方,UAV(無人航空機)やSfM多視点ステレオ写真測量,レーザ測量など,3次元地形情報を取得するさまざまな方法が広く普及してきているが,これらの機器を児童が直接操作しデータ取得を行うといったことにはまだ困難をともなう。

     そこで本研究では,自然地理学的な理解を室内活動において促す手段として,野外で取得された3次元地形情報の活用方法を提案し,児童の感性に訴える教材としての効果を検証する。

    2.方法

     自然地形の高精細3次元地形情報(点群データやメッシュモデル)は,デジタルデータとしてコンピュータ上で表示することができるが,アナログな立体モデルとして出力することも,3Dプリンタの普及により容易となってきた。さらに,いったん3次元情報を等高線のように等間隔に分割し,それらを2次元の紙面に印刷したのちに,ダンボールなどで厚みをもたせて重ね合わせることで,3次元の立体モデルを手製することが可能である。

     本研究では,海食崖の侵食が進行している陸繋島について,研究者により取得された3次元点群データから,ダンボール立体モデルを作製できる教材を開発した。これを用いて,夏休み中の特別イベント(「ひらめきときめきサイエンス」の一環)として,島の立体モデルを工作する1日ワークショプを実施した。対象は小学5・6年生約20名である。立体モデルは2回の異なる時期に取得されたデータを用いて2つ作製し,侵食による島の形状の変化をみられるようにした。また,工作実習に先立って,データ取得の様子や,同様の調査に基づく自然地理学的な自然現象理解へのアプローチについて解説する講義を行った。ワークショップの終了後には受講者とその保護者を対象としたアンケートを実施した。

    3.結果と考察

     アンケート結果から以下のような傾向が読み取れた。受講者は,始めの講義では「なんとなく難しい」と感じていた。しかし,立体モデルを自らの手で作製し,さらに完成した2時期の異なるモデルを見て,触って比較することで,より強い興味とともに自然現象の理解を深めることができた。また,本ワークショプを通じて,視覚だけでなく触覚も刺激する立体モデルの利点が示されたといえる。
  • 甲斐 憲次
    セッションID: 518
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    ひまわり8号DustRGB等のデータを用いて、2017年5月のダスト現象を調べると、ゴビ砂漠・タクラマカン沙漠以外に新しいダスト発生源・ホルチン砂地を発見(認識)することができた。ホルチン砂地のダスト発生と環境変遷の関係を調べた。ホルチン砂地は、北京の北東に位置し、風下の韓国や日本に最も近い砂漠であり、アジアダストの発生源としては重要である。
  • 秋本 弘章, 鈴木 瑛莉
    セッションID: S202
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    新学習指導要領において必履修科目となる「地理総合」においては、「地図・GIS」、ESD、防災が柱となっている。ここ「地図・GIS」に焦点を当てて、その意義と課題、企業等による支援について具体例を提示して検討する。
  • 舟津 太郎, 須貝 俊彦, 遠藤 邦彦
    セッションID: P057
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. はじめに

     最終間氷期から最終氷期における気候・海水準変動に対する河川の応答様式を研究した例は数多く存在するが(平川ほか, 1975 ; 吉永ほか, 1986など)、海洋酸素同位体ステージ(Marine Isotope Stage : MIS)のサブステージの時間精度で河川の応答様式を研究した例は少ない(久保, 1997など)。とくにMIS 5.5 の高海水準期から海面が低下していく段階における河川の詳細な応答様式は、千年~万年スケールでの地形変化の将来予測にも重要な知見となる。本研究では、MISのサブステージレベルでの地形変化の様子を検証するために、多量のボーリング柱状図データがあり詳細な地形面区分が行われている武蔵野台地を対象にして、ボーリング柱状図データを用いた地形縦断面の数式近似解析を行い、MIS 6以降における武蔵野台地の形成過程を検討した。

    2. 方法

    ボーリング柱状図解析システム(産総研)を用いて、東京都から借用したボーリング柱状図データから地形地質断面図を作成した。遠藤ほか(2018)の地形面分類図に基づいて、武蔵野1面・武蔵野2面・立川1面にて、8本の測線を設定した(Fig. 1)。測線は、できる限りボーリング柱状図を多く含み、かつ地形面の最大傾斜方向に一致するように設定した。各縦断面図において、最上位礫層の頂面標高を1本ずつ認定した。その際、最上位礫層の上位を盛土で覆われている柱状図、および最上位礫層の上面が地表面になっている柱状図については、礫層上部が削剥されている可能性があるため除外した。各縦断面で認定した標高点をプロットし、直線・指数関数・累乗関数(べき関数)・多項式関数(2次~6次)の8種類の数式で縦断形全域を近似し、決定係数R2を参考に適合する関数を調べた。

    3. 結果

     武蔵野面の縦断面形は単調減少の3次多項式関数近似、立川面の縦断面形は単調減少の2次多項式関数近似がよく適合した。武蔵野面の3次関数について変曲点を求めると、L-M1~L-M6では下流部に変曲点がみられた。L-M7のみ、3次多項式関数近似と直線近似がほぼ同じ決定係数R2を示す。

    4. 考察

     上流区間に下に凸の曲線、下流区間に勾配一定の直線区間をもつ縦断形の近似曲線は、2次関数より3次関数の方が決定係数R2が大きくなることから、L-M1~L-M6では変曲点付近に勾配がほぼ一定の直線区間をもつ可能性がある。この直線区間の成因としては、①動的平衡状態(Ohmori, 1991)、②前地形の存在(中野, 1967)が考えられる。武蔵野台地東部は侵食段丘面群の性格をもつこと(舟津ほか, 2018b)や、前地形として下末吉海進途中に堆積した礫層が存在すること(舟津ほか, 2018a)とも整合的である。また、縦断形の下流側では武蔵野1面(M1面 : MIS 5c)よりも武蔵野2面(M2面 : MIS 5a)の縦断形の標高が低い。これは、MIS 5aの海水準高度がMIS 5cよりもわずかに低いため(Siddall at al., 2006)と考えられる。

    謝辞: 東京都土木技術支援・人材育成センターの中山俊雄様、大澤健二様、ボーリングデータの利用において大変便宜をはかっていただいたここに記して厚く御礼を申し上げます。
    参考文献: 遠藤ほか(2018)第四紀学会発表 ; 舟津ほか(2018a)2018JpGUポスター ; 舟津ほか(2018b)2018第四紀学会ポスター ; 平川ほか(1974)地理学評論, 47-10, 607-632 ; 久保(1997)第四紀研究, 36(3), 147-163 ; 中野(1967)築地書館, 362p ; Ohmori(1991)The Journal of Geology, Vo.99, No.1, 97-110 ; Siddall et al.(2006)Geology-October, v. 34, no. 10, 817-820 ; 吉永ほか(1986)第四紀研究, 25(3), 187-201
  • 千葉県南房総地域を事例に
    住吉 康大
    セッションID: 832
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに
    日本では2014年に発表された『国土のグランドデザイン2050』で「地方への人の流れの創出」が目標とされ,地方創生政策の中で都市部から農村部への人口流動,いわゆる田園回帰が注目されるようになっている.一方で,全国的に人口減少が進む中,全国の農村部で一律に定住人口を増やすことは現実的でないとして,2005年以降,国土交通省を中心に,都市住民が農山漁村部にも生活拠点を設けて生活する二地域居住が地方振興策として推進されてきた.しかし,関心の高まりと共に研究も蓄積されている田園回帰と異なり,多様な暮らし方を内包した二地域居住という概念については十分な検討がなされていない.
    そこで本研究では,まず政府による定義の変遷と,関連する既往研究を整理することによって,二地域居住という概念の検討を行った.さらに,この検討結果を踏まえて,先進的な事例として千葉県南房総地域を取り上げ,二地域居住の実態と背景,受容地域の対応と二地域居住者から受ける影響を調査した.

    Ⅱ 事例地域の概要と調査内容
    本研究での南房総地域とは,千葉県安房地域振興事務所が所管する館山市,鴨川市,南房総市,鋸南町の4市町を指す.南房総市を中心に,二地域居住を行いながら情報を発信したり独自の事業を展開したりしている個人や団体が存在し,行政も支援しているほか,国土交通省のモデル事業に採択され,河内ほか(2017)でも取り上げられるなど,注目を集めている地域である.本研究では,先駆的な実践者を足掛かりとしたスノーボール・サンプリングによって二地域居住者を発掘し,二地域居住に至る背景や生活の実態についてヒアリングを行った.また,南房総市役所や南房総市の地域団体などにヒアリングを行い,受容地域の対応や影響についても把握を試みた.

    Ⅲ 結果と考察
    二地域居住は,一過性の観光と永続的な移住の間に位置する様々な暮らし方を包含する概念として,多様な形で解釈され,利用されてきた.それゆえに,実態の異なる暮らし方を一括りにすることで,認識の違いが生じ,効果的な推進策を講じる妨げになったり,受容地域と二地域居住者の間で軋轢を生んだりする危険性を孕んでいる.
    ヒアリング調査から,二地域居住は主として「生活拠点の所有の有無」「地域との関係性」「活動内容」「二拠点のどちらに生活の重点を置くか」の4項目で整理することができ,形態によって必要な対策が異なることが明らかになった.二地域居住を推進するためには,これらの項目によって実態を把握した上で,実践者と受容地域住民双方の意識を近づけることが必要であろう.
    また,二地域居住者は,地域への愛着や交友関係が深まるにつれて,移住へと移行するなど,自身の暮らし方を柔軟に変化させている.当初は南房総地域で二地域居住を行おうと考えていなくても,偶然訪れたり知人から紹介されたりしたことで地域の魅力を発見した事例が多く,先駆的な二地域居住者による事業や情報発信によって新たな都市住民が流入したり,関係が深化したりする事例が見られたことから,情報発信も重要であると考えられる.
    受容地域の行政は,公共サービスへのフリーライドの問題から,直接的に二地域居住を推進せず,民間主導での推進事業を後援するにとどめ,移住支援策の拡充に注力するという対応をとっていた.地元住民の間ではまだ二地域居住という暮らし方への理解が浸透しているとは言えないが,二地域居住者を介して都市住民と協働することで地域の活性化を目指す事業が開始されるなど,好影響が生じていることも確認された.
    南房総地域では,①魅力的な自然環境を有している,②大規模な都市住民のストックに近接している,③高速道路などによるアクセスが整っている,という3点に加え,情報発信力の高い民間主体の活動が行われていることによって,都市住民による往復を前提とした二地域居住が活発化していた.他の特性を持つ地域での展開などについての検討は,今後の課題としたい.

    参考文献
    河内 健・森永良丙 ・中嶋美一 2017. 南房総地域における二地域居住を促す滞在拠点に関する研究. 日本建築学会技術報告集. 23(53). 235-340
  • 原 雄一
    セッションID: 320
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    近年、海外からロングトレイル(アメリカ)、フットパス(イギリス)、オルレ(韓国)などの新しい歩く文化が紹介され、各地に広まってきている。本稿では、イギリス発祥のフットパスを取り上げる。スマートフォンにダウンロードした地図アプリによって手軽に旅先でフットパスを歩くことができる仕組みに関して紹介する。フットパスが急速に拡大してきた背景としては、地域の過疎が深刻化し、自分たちの地域の隠れた資源に着眼することで地域振興や地域再発見によるまちづくりなどに役立たせる手法が認識されてきたことがあげられる。
  • 森下 瑞貴, 川東 正幸
    セッションID: P030
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. 背景

    泥炭土は湿地植生が優占する環境下で植物残渣が集積することにより形成される有機質土壌である。日本では泥炭土の大部分が沖積または沿岸低地に分布しており、その多くが農地利用されてきた。農地排水は泥炭の酸化分解を促すため、低地における泥炭土の分布域では分解度の高い“腐朽質泥炭土”が多く確認される。一方で、日本の低地に分布する泥炭土には、無機鉱物の混入量が多いという特徴がある。阪口(1974)は、泥炭の分解を促す因子として、地下水位の低下以外に、“無機物質の混入に伴う泥炭中への養分供給や通気性の上昇”を挙げている。したがって、低地における腐朽質泥炭土の生成論は、農地排水だけでなく無機鉱物堆積に影響する地形条件も考慮すべき点で非常に複雑である。そこで本研究では、農耕地における腐朽質泥炭土の生成因子に関する知見を得るため、土壌、地下水状況、地形条件の空間分布に関するGISデータに数量化Ⅱ類を適用することで、腐朽質泥炭土の分布環境を判別するモデルの構築を試みた。



    2. 手法

    (国研)農研機構が提供する『5万分の1農耕地包括土壌図』のうち、全国の有機質土壌大群の分布域を“腐朽質泥炭土(Sapric)”と“その他の泥炭土(non-Sapric)”に区分した。さらに、それぞれの分布環境を地下水位、排水状況、地形分類、堆積物の粒度の組み合わせに応じて細分化した(表1)。これにより、解析範囲の環境条件は96通りに区分された。そして、各組み合わせについて分布頻度に応じた標本数を設定し、数量化Ⅱ類を用いてSapricとnon-Sapricの分布域の判別モデルを算出した。なお、解析対象は使用したGISデータ(表1)の提供範囲が全て重なる地域について行った。また、解析は対象地域が無機質表層を持たない場合(111.8 km2)と持つ場合(945.9 km2)に分けて実施した。



    3. 腐朽質泥炭土の分布条件

     本研究の結果、泥炭土が無機質表層を持たない場合、腐朽質泥炭土は、後背湿地を除く氾濫平野上にあり、粗粒な堆積物と良好な排水状況に特徴づけられる地域に分布しやすいことが示された。また、表層条件間の比較により、鉱質土壌による表層被覆によって埋没泥炭の分解が抑制されている可能性が示唆された。以上のように、判別モデルを構築することにより、オープンソース化されたGISデータから腐朽質泥炭土の生成および分布に対する各環境因子の寄与率を表現することに成功した。本手法は各種データベースを利用して他の土壌群にも適用できる可能性がある。



    文 献
    阪口豊1974.『泥炭地の地学―環境の変化を探る』東京大学出版会
  • ~知床世界遺産登録におけるアイヌ民族の事例から~
    小野 有五
    セッションID: S103
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    ジオパークなどにおいて、これまで十分に考慮されてこなかったジオエシックスの問題について、とくに先住民族との関わりに
    焦点を絞って論じる。2005年の知床世界自然遺産の認定・登録過程において、アイヌ民族が日本政府や環境省から当初、全く無視されていたこと、それに対して筆者がアイヌ民族とともに行った行動を具体的な事例として紹介し、ジオエシックスにおける先住民族の権利について論じる。とくに、ジオサイトが先住民族にとっては「聖地」にあたる場合が多いことから、アボリジニにおけるウルルの事例などを紹介する。先住民族の権利に関しては、国連による「先住民族の権利宣言」を紹介し、またジオエシックスの問題においては、つねに先住民族の視点にたって考えることの重要性を、アボリジニのオーラル・ヒストリーを重視した保苅(2004)の研究に言及しつつ指摘する。
  • 後藤 寛
    セッションID: 222
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    大規模小売店の質的な比較を目指してその売場の多くを占める構成単位としてファッション分野ブランドショップの集積および構成の比較を行った。ナショナルブランドが多数を占めるファッション分野のショップの、大規模小売店内に限らない立地分布から消費の場面での都市体系および現時点での中心商業地の存在感を量的に把握する。従来ファッション産業や大規模小売店については大都市・大型店の個性への着目がほとんどであり中小店に対しては「どこにでもある」存在としてネガティブな語られ方をされる場面が多い。だがマスプロダクションによるナショナルブランドとしてはマジョリティ層への商品供給体制こそ重要でありその舞台は全国の都市に出店する支店群であろう。それらの立地特性を通して現在の中心商業地の集積状況および買い回り購買環境の実態、また地方・郊外商業集積におけるブランド集積の量的な分布体系と同時に品揃えの稀少性の評価指標を作成して消費の場面での都市システムの体系を明らかにすることを目指す。
    ここでは規模・品揃えは捨象してショップの有無のみを分析対象とする。 平成30年の5月~7月にかけて主要アパレルメーカーのサイトの店舗リストをもとに作成した婦人ファッションショップ370ブランド14859店(ラグジュアリーブランド53,1628店,百貨店系アパレル99,4637店,SC系アパレル228,8594店)を用いる。ショップの96.5%は大規模小売店内に出店している実態を踏まえ、13店舗以上が半径500m以内に連担する地域を定義として全国215の商業集積(うち97は単独大規模小売店)を抽出した。集積内出店率は76.2%(百貨店系では92.6%,SC系63.8%)である。
    全体的傾向は集積量でかなりの部分を説明することができるが質的な特徴を見出すためにクラスター分析の他、総店舗数の少ないショップの存在を評価する指数を考案して評価を試みたが個性的な出店傾向がみられるのはほとんどが大都市の大集積という結果になった。
    百貨店は大半が中心商業地に立地し、百貨店系ショップの89.7%が200店弱の百貨店内に出店し完結性が高いため店舗群/ブランド群としての特徴は追いやすく、百貨店の資本系列と関係なく店舗規模と立地でほぼ説明できる全国的体系が把握できる。百貨店業界自体の衰退が進み人口30万未満の都市への立地や同一集積内での競合は激減し、また県内に1店舗となった県は17にのぼる。
    SC系ショップ(都心型/駅ビルファッションビルおよび郊外モール。ショップ出店傾向で明瞭な差はみられない。)はヤング向け、キャリア向けといったいくつかのターゲット層向けの比較的廉価なブランドを含み、都市によりファッションビルの存否などにより中心商業地出店率が大きく異なる。ここで定義する商業集積に含まれる巨大郊外SCは限られるため(イオンモール148店のうち集積に含むのは40)中心都市の行政区域外に立地する例はさほど多くないが、それらを含め消費の場面での都市としての求心力を評価することができると考えられる。
  • 堀内 雅生, 小寺 浩二, 浅見 和希, 猪狩 彬寛
    セッションID: 605
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    電子付録
    Ⅰ はじめに
    火山地域では水資源が豊富で、保全、利用のためには水環境問題の把握が重要である。噴火による水環境汚染は火山噴出物から溶出した成分により広範囲な汚染が特徴的で、生物や経済への影響は大きい。これを踏まえ、2015年6月29日に箱根山の大涌谷で発生した噴火が周辺水環境へどのような影響を与えているか研究を始めた。これまでの調査で、大涌沢では噴火から時間が経つにつれてECおよびCl-/TAni(陰イオン当量計)が低下する傾向がみられた。
    Ⅱ 研究方法
    調査は毎月1回の間隔で実施している。現地では河川・沢・雨水を中心に、AT,WT,pH,RpH,ECなどを測定した。さらに採水したサンプルを持ち帰り、研究室にて主要溶存成分等の分析を行っている。
    Ⅲ 結果・考察
     1.河川のEC・pH
     大涌沢では噴火直後の調査で6,780μS/cm、pH2.4の高EC・低pHを観測した。長期的には大涌沢のECは低下しており、2016年8月調査(以下、1608のように略)以降は3,000μS/cm前後で安定している。pHに関しては噴火直後と比較して高い値が観測されている。
     早川ではEC、pHが200~400μS/cm、7~8で変動し、目立った変化は見られなていない。噴火による大きな水質変化は見られてはいないが、須沢や蛇骨川では高いECが観測されている。
     2.主要溶存成分
     大涌沢では噴火から時間が経つにつれ、Cl-が低下する傾向がみられている。一方でSO42-は目立った減少はみられていない。大涌沢下湯橋でのCl-と陰イオン総量比率は、1507に0.52であったものが、1806では0.2に低下している。これは、火山活動の高まりにより源流域の湧泉の水質が変化したこと、噴火によって放出された火山噴出物からの成分溶出が要因と考えられる。また、流域で揚湯されている温泉水質と河川水質の組成が似ている地点あり、このような地点では、温泉の影響が大きいと考えられる。
     3.雨水
     雨水は9地点でサンプリングしているが、噴気地帯である大涌谷に近い地点では雨に含まれる溶存成分が多い。成分別にみていくと、SO42-やCl-において距離が離れるにつれて負荷量が少なくなっており、雨水水質に与える火山ガスの影響が考えられる。
    Ⅳ おわりに
     
    噴火によって大涌沢に水質変化が見られたこと、雨水に火山ガスの影響がみられたこと、河川水質は温泉水質に影響を受けていることが分かった。今後は他の火山との比較を行い、火山地域の水環境について知見を集積していきたい。
  • 避難所活動をパーソナル・スケールの時空間情報として整理する
    岩船 昌起
    セッションID: 535
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    【はじめに】東日本大震災で開設された避難所のいくつかでは,発災直後にコミュニティ内の限られた資源を活用して「炊き出し」が実施された。これについては,地域コミュニティやリーダーシップ等の人間関係や,食事の栄養や物資の配給等を対象とする「災害食」等の観点からの研究が行われている。地域住民による炊き出しでは,献立や活動内容についての一次的な「災害記録」があまり残存していない。

    本研究では,炊き出しを地域・地区が被災後に回復するための活動の一つとみなし,稀に残存した記録に基づき,さらに聞き取り調査等を進め,活動者やコミュニティの特性等やその時空間的な実態についてパーソナル・スケールでの復元を試みたい。

    【調査地域】人口15,846人(H30.4.1現在)の岩手県山田町では,東日本大震災で死者行方不明者825人(H30.11.9.15時時点),被災家屋3,362棟(町全体での被災家屋率55.8%)(H24.6.1.時点)と大きく被災した。大浦地区は,船越半島に立地し山田湾に面する大浦亜地区と,外洋の船越湾に面する小谷鳥亜地区からなり,人口1795人である(H30.4.1.現在)。死亡者数は,津波高約10mの大浦亜地区15人,遡上高約25mの小谷鳥亜地区で18人,合計33人(認定死亡者数を含む)であった(H23.12.1.時点)。大浦地区全家屋355棟中被災家屋133棟,被災家屋率37.4%であった。これは,山田町被災6地区中では「船越」の次に低く,地区内人口9割強が集中する大浦亜地区では傾斜5~15°の山麓緩斜面が発達し(田村・瀬戸2017),この緩斜面の標高10m以上に家屋が多く立地して被災を免れたこととも関連する。町指定避難所は,大浦幼稚園,大浦漁村センター,大浦小学校の3カ所に開設された。漁村センターでは,婦人会による炊き出しが行われ,食事毎の献立や日ごとの活動者名等が前会長の指示で記録された。

    【調査方法】白尾ほか(2017)では,この記録の献立一部の栄養学的解析に止まった。本研究では,この一次記録を元に,年齢,住所,被災の有無程度,婦人会での役職等の活動者の特性を,同意を得つつ聞き取り,食材の種類や調達先,炊き出しの手順等についても確認した(2018年12月実施,一部調査中)。また,漁村センター設計図や現地調査に基づき炊き出しでの調理室の空間利用状況,1:2500災害復興計画基図に基づき活動者の自宅等の位置,そこから避難所へのアクセス等の空間情報の復元を試みた。

    【「炊き出し」活動の実態】3月11日~4月15日の炊き出しでは,女性31人(70代1,60代10,50代9,40代6,30代4,20代1)(非被災者23,被災者5,看護師3)が参加した(延べ人数434人)。3/11~22の「前日参加者数/参加者総数」は,3/11「-/10人」,3/12「5/12人」,3/13「9/12人」,3/14「11/12人」,3/15「10/14人」,3/16「12/14人」,3/17「12/12人」,3/18「8/16人」,3/19「6/8人」,3/20「3/8人」,3/21「3/11人」,3/22「8/8人」である。前日参加者数が参加者総数の半数以下となるのは,3/12,3/18,3/20,3/21である。人員が大きく入れ替わった理由として,被災等で継続参加できない人の代理者が3/12から参加したこと,3/17に山火事がほぼ鎮火し消防団員等への食事提供数が減少したこと,3/18頃から地元看護師等の参加者の増加したこと,疲労回復のために連続参加者を休息させる必要があったこと, 3/12から連続参加してきた前会長が膝痛(ドクターストップ)のために3/21以後参加できなくなったこと等が挙げられる。

     活動者の自宅等から大浦漁村センターまでの道のりは,平均約317m(0-100m3人,101-200m7人,201-300m11人,301-400m4人,401-500m2人,501-600m2人,601-700m1人,701m以上1人)であり,徒歩では所要時間平均約4分で到着できる。上記の道のりは正式の道路で計った距離であり,実際には畑を抜ける等の裏道を活用してアクセスしており,これより短い。このため,早朝4時くらいから活動するものの一段落着くと自宅等に一時的に戻って休養できる人が多かった。

    なお,上記のデータは確認中の部分もあり,微変更の可能性が高い。

    【おわりに】一次的な「災害記録」を元に聞き取り調査等を行い,ローカルな地域で展開された「炊き出し」活動について,誰が具体的にどうように動いたか等の実態の解明をパーソナル・スケールで試みた。このような研究は,地区防災計画での避難所運営計画の立案等を考える上で活用できる。
  • 横田 彰宏, 重野 聖之, 西村 智博, 本田 謙一, 向山 栄
    セッションID: P005
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    平成30 年(2018 年)北海道胆振東部地震では,札幌市清田区をはじめ広範囲で地盤変位が発生し,多くの建物被害が発生した.筆者らは,Sentinel-1衛星により取得された地震前後のSARデータを解析して推定された変位について,空中写真判読および現地踏査から,地盤変位による被害状況や旧地形について検討を行い,干渉SAR解析の妥当性について検証した.
     SAR解析の結果,札幌市清田区清田・里塚・美しが丘のほか,豊平区平岸,東区伏古などでも顕著な変位が観測され,大きな地震被害が推定された.これらの地区について,米軍写真等の判読により旧地形を検討し,現地踏査により状況を確認した.東区伏古地区では,豊平川の旧河道に沿って集中的に最大5 cm程度の地盤沈下が生じていた.これらの地盤変位により,建物に亀裂や,躯体が抜け上がるなどの被害が生じていた.また,清田区,豊平区の各地区においても,SAR解析により大きな変位が推定された箇所では,地表部の変位が確認された.地盤変位は,旧河道や旧谷地形を人工的に埋め立てた改変地に集中し,旧地形との相関が強いと考えられる.
     現地調査から,2018年北海道胆振東部地震後の地盤変位に伴う被害について,Sentinel-1衛星によるSARデータを利用することにより,極めて短時間に広域の概略被害状況を把握することが確認できた.
  • 渡辺 悌二, 白坂 蕃, 孫 玉潔, 韓 志昊, 徐 翰林, レグミ ダナンジャイ
    セッションID: 704
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    ネパール・ヒマラヤの核心部クンブ・ヒマールでは,トレッキング観光開発が急速に進んでいる。高所でシェルパ族が行ってきたヤクの牧畜業がトレッキング観光の開発によって変容を遂げてきたことは,すでにいくつかの研究によって指摘されているが,特に2000年前後以降の著しい開発の影響については研究がない。そこで,本研究では,最近のトレッキング観光開発を明らかにしたうえで,それを可能にしている物資輸送システムについて現地調査を行った。

     2016年のエベレスト山の登山隊の人数は860人で,この地域の主要なピークの登山隊の総人数は数千人規模であった。一方,2018年のトレッカー数は5万5千人を超えている。トレッカー数の方が圧倒的に大きいため,観光による地元への影響は,トレッカーを中心に議論されてきた。しかし,必要物資が著しく多い登山隊は,物資輸送に無視できない影響を与える。そこでここでは,トレッカー,登山隊,ロッジ・食堂・商店が必要とする3系統の物資運搬について,ナムチェバザールより高所地域でデータを収集した。ナムチェバザールより低所ではヤクの使用ができず,かつてはゾプキョによる物資輸送が行われてきたが,現在ではミュール(ウマとロバの交配種)がほとんどの物資輸送を担っている。そこで,クンブ・ヒマール地域での玄関口であるルクラでミュール輸送に関する聞き取り調査を行った。

     ナムチェバザールより低所で主として荷物輸送を行っているミュールは,サルレリまでトレックで輸送されたプロパンガス,灯油,米,小麦粉などの物資を,サルレリから2日間かけてルクラまで運ぶ。サルレリには少なくとも27軒の,ルクラには8軒の問屋があり,多くの問屋はミュールを所有している。ルクラには大きな問屋が3軒あり,そのうち2軒について聞き取りを行った。1軒は,12頭のミュールを所有して,サルレリ・ルクラ・ナムチェバザールにそれぞれ倉庫を持ち,サルレリ=ナムチェバザール間で物資輸送を行っている。この家族は,ミュールで年間20万kgのプロパンガス,灯油などを運び,またカトマンズ=ルクラ間を飛ぶ小型飛行機を使って,年間20万kgの壊れやすいもの(ビスケット,インスタントヌードルなど)を輸送している。ヘリコプターも年間10〜20回ほど利用するが,無視できる輸送量に過ぎない。もう1軒は40頭のミュールを所有している。

     ナムチェバザールまでミュールで輸送された物資は,集落内にある数軒の問屋で雄ヤク・ゾプキョに積み替えられ,さらに高所の集落に分散するロッジ食堂・商店に運ばれてゆく(ただし食堂は基本的にロッジ併設,独立商店は小規模で,ロッジに運搬されるものがほとんど)。雄ヤク・ゾプキョの所有者は,ロッジから注文が来るとすぐに問屋に向かう。これを可能にしたのは携帯電話の導入である。従来,遠方の放牧地で飼育されていた雄ヤク・ゾプキョは集落の近くに置かれ,物資輸送の機会を待っている。

     一方,トレッカー・登山隊の必要物資の一部もミュールで低所から運搬され,ナムチェバザールで積み替えられる。トレッカー用の荷物の一部は,カトマンズのトレッキング会社から携帯電話でゾプキョの所有者に連絡が入ったあと,ルクラから高所まで運搬される。同様の依頼はロッジオーナーからも行われる。登山隊はナムチェバザールの上にある小型飛行機用の滑走路にチャーター機でカトマンズから運ばれた物資をヤクがそれぞれの山のベースキャンプまで運搬する。

     ヤクは,本来,所有者が居住する集落の「テリトリー」内でのみ放牧され,その放牧地の分布は,Stevens (1996)らの研究で明らかになっている。そこで,1997年,2017年および2018年に,登山道上で出会った雄ヤク・ゾプキョについて,所有者の居住村落名を聞き取りした。その結果,本来の放牧地とはまったく異なる「村外」の登山道でトレッカーの荷運びをしていることがわかった。一方,1990年代と現在とでは,ヤク・ゾプキョが運搬する物資の内容に違いが認められた。現在では調理に使用するプロパンガスや灯油を運搬するヤク・ゾプキョが多数見られる。

     ヤク所有者への2017・2018年の聞き取り調査の結果,2017年に荷運びに使用された雄ヤク・ゾプキョの延べ頭数・回数は,ロッジ・商店用が700頭・回で最大で,次いで登山隊用が462頭・回,最も少ないのがトレッカー用で90頭・回であった。

     クンブ・ヒマールでは,家畜のほかに人による物資輸送が行われているが,その量の推定は困難である。ロッジ建築のための資材のほとんどは人が運搬している。また,トイレットペーパー等かさばるものやビスケットなどの壊れやすいものも人による運搬が好まれている。
  • 堀 光順
    セッションID: 712
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    ウガンダは近年、周辺諸国に農作物を輸出する農業国として高い経済成長率を持続しているが、人口増加とあいまって土地不足の問題が深刻となっている。本発表では、2018年8月から9月の調査結果から、ウガンダ南西部に位置するニャムリロ湿地(Nyamuriro swamp)の開墾の経緯と現在の土地利用を明らかにしたうえで、土地不足が深刻な地域における国有地の開放政策、そして国有地における換金作物の導入課程と農地利用の実態を報告する。
     ウガンダ南西部ではグレートリフトバレーが南北に走り、その標高は1,220mから2,350mの起伏がある高原地帯となっている。この地域は肥沃な土壌と降水量に恵まれ、農業適地となっており、植民地期以前からこの地域の人口密度は高かった。この地域に居住する農耕民チガ(Kiga)の人びとは丘陵全体を開墾し、農業に不適な急斜面上の畑でも作物を連作する。長期におよぶ連作のため、作物の収量は低く、土地不足は植民地期から深刻な問題となっている。
     ニャムリロ湿地はブウィンディ国立公園に隣接し、ブニョニ湖から流れ出るルフマ川に沿って谷部に広がる湿地である。1980年までカミガヤツリが一面に繁茂し、国有地として残され、ウガンダの国鳥であるホオジロカンムリヅルや国際自然保護連合のレッドリストで近危急種に指定されているアカハラセグロヤブモズなどの貴重な鳥類が生息する。湿地で農地の開墾はされてこなかったが、1970年代のなかば以降、肥沃な土壌を利用してジャガイモが栽培され、隣国のルワンダに輸出されている。雨季には湿地の農地が水没するため、高さ1mほどの大きな畝を造成する必要があり、乾季にのみジャガイモが栽培される。雨季の到来にはばらつきがあり、雨季の到来がはやいと畝が冠水し、イモが腐敗してしまう。もとより、虫害が発生しやすいジャガイモを連作するため、人々は労力をかけて深く切り返して畝をつくり、1作期に複数回にわたり高額な防虫剤を使用している。
     現在この湿地は、政府の許可を得た複数の農民グループにより農地として利用されている。1975年に旧キゲジ県は産業の育成と地域住民の現金稼得機会の創出、土地不足の解消を目的に、湿地の農地化を計画した。この湿地をはじめて開墾したN農業組合は1978年に設立され、50年間の湿地利用の許可を取得した。当時から組合員は30人で、組合の設立時に土地使用料としてひとり300シリングを県に支払った。使用許可を受けた湿地の面積は約50haで、すべて開墾するのに3年を費やした。組合員は農地を均等に分け、くじ引きで耕作する区画を決め、割り当てられた農地を現在まで使用し続けている。組合は湿地の使用料を毎年県に支払う必要がある。この使用料は1990年時点で50万シリング、2017年では300万シリングと上昇している。この支払は組合員によって分担されている。使用料を支払えなかった組合員は組合から除名され、農地の用益権を失う。
     N農業組合の設立時からのメンバーであるA氏は、区画内で3筆の農地を利用している。A氏は75歳と高齢のため、みずからジャガイモ栽培の農作業に従事することはない。A氏は長男に17aの農地を貸す代わりに、義務である組合の共同作業を従事してもらっていた。また、隣村の友人に47aの農地を35万シリング、24aの農地を30万シリングで貸し、友人はジャガイモを栽培していた。
     調査地域を含むカバレ県のジャガイモ生産量はウガンダ国内でもっとも多く、湿地の開墾と栽培面積の拡大により、ジャガイモは重要な換金作物となった。組合員はジャガイモ栽培に従事するだけでなく、みずからの裁量で用益権を非組合員の農家に貸したり、家族内で農地を分配している。組合員は高額な使用料を毎年支払う必要があるため換金作物であるジャガイモの栽培に特化するか、労働力に乏しい世帯の場合、農地を貸して借地料を受け取っていた。
  • -福岡市の特別養護老人ホームを対象として-
    佐藤 彩子
    セッションID: 817
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    現在、高齢者急増に伴い介護サービス需要が高まっているが、この産業の大きな課題として従業者不足の解消がある。2016 年時点で約6 割の事業所が従業者不足を感じ、約半数の事業所が経営課題として「良質な人材の確保が難しい」点を挙げている(『平成28 年度介護労働実態調査』)。したがって、介護サービス産業では量だけでなく質の点でも従業者確保を行うことが重要である。
    加茂・由井(2006)はこの産業が求める労働力として、①家事・育児経験のある既婚女性、②不規則勤務が可能な者、③専門職と非専門職があることを指摘している。①②は加茂・由井(2006)等で議論され、従業者には家計補助目的で就業する短時間勤務の40代以上の既婚女性が多いことが解明された。他方、③に関して、地理学的な視点からその就業実態を論じた研究は存在しない。
    多様な介護サービスがあるが、中でも特別養護老人ホーム(以下、特養)における専門職従事者確保の取組やその就業実態の解明は重要である。特養入所者の多くは専門的な介護を必要とするからである。特養は入所サービスである以上、365日24時間にわたって切れ目なく、しかも夜間や早朝等に必要な専門職従事者を確保することが必要であり、そのためには施設から近接した地域から確保することが求められる。しかしながら、実際には資格手当を含めた給与等の労働条件は施設や地域によって差が生じ、専門職従事者ほど長期的な視点から給与等の労働条件を勘案して、長距離通勤をしてでも希望に沿った施設を就業先にしていると予想される。
    以上を踏まえ、本報告では、福岡市の特養を対象に介護福祉士の就業特性を解明する。また、同じ福岡市内の特養でもその就業特性には区によって違いがあることを指摘し、その要因を仮説として提示する。調査方法について、2018年8~12月に、福岡市内の特養11施設の従業者にアンケートを行った。調査対象期日は同年7月1日、調査票は訪問時に持参し郵送回収した。有効回答数(率)は173人(88.3%)である。アンケートの結果、次のことが判明した。
    第1に、福岡市内特養では大半が正規職員である。第2に、「既婚者」の方が「未婚者」よりも月給200,000円以上の者の比率が高く、「未婚(親と同居)」と「既婚(子あり)」で通勤時間15分以上の者の比率が高い。これには子育て費用の有無や子育て環境、家賃負担の必要性が関係し、既婚者ほど月給が高く、子どものいる既婚者と家賃負担のない未婚者で通勤時間が長くなっていると考えられる。第3に、「主任・ユニットリーダー」職位(以下、リーダー職)にある正規職員介護福祉士の年齢と月給との関係を、データが得られた西区と博多区で比較すると、西区では年齢と月給との間にやや弱い負の相関関係が見られる(R=-0.41)のに対し、博多区では両者の間にやや強い正の相関関係が見られる(R=0.42)。他方、非リーダー職の正規職員介護福祉士について、西区では年齢と月給との間に一定の正の相関関係が見られる(R=0.60)のに対し、博多区では両者の間に非常に弱い正の相関関係(R=0.27)しか見られない。さらに、リーダー職、非リーダー職とも西区では全員が月給240,000円以内であるのに対し、博多区ではこれを超える者が一定数存在した。
    以上から、博多区の正規職員介護福祉士ではリーダー職に就くことで、西区では現場の一職員として長く勤務することで給与アップを目指す傾向にあり、地域によって介護福祉士の就業特性に違いがあることが判明した。この違いは介護福祉士の性別、年齢、婚姻関係・居住形態等の個人属性に規定されると考えられる。他方、聞き取りから、福岡市内特養では入所定員が多い施設ほど介護職員の介護福祉士比率が高い傾向にあり、介護福祉士比率に地域間で違いを生む要因として、施設規模や経営方針等も関係していると考えられる。また、博多区内には介護福祉士養成学校が集積し新卒者としての就職が多いとなると、学校の立地特性も施設の介護福祉士比率や年齢構成等に違いを生んでいると予想され、この点からの研究も必要である。
  • 小林 茂
    セッションID: P022
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    近代日本の気象データのレスキューが進行している現在、そのための観測の実施過程の研究が要請されている。日清・日露戦争期は、日本の海外における気象観測が本格的に拡大し始めた時期であるが、国内中心の観測史ではよくカバーされておらず、能率的なその発掘に向けてとくに電信線網との関係を検討した。

     中国沿岸の気象観測ネットワーク(海関ならびに徐家匯・香港観測所による)のデータへのアクセスは、上海・厦門・香港(上海-長崎電信線完成を機に1871年Geertsが開始、1881年に長崎測候所が継承)、さらにマニラとの交換(1889年開始)をのぞいて進まず、その他では1884年に電信線が達した釜山の郵便電信局からの通報があるだけであった。1889-92年には電信網の拡大をふまえて朝鮮海関による観測データ(とくに仁川・釜山)の提供依頼が行われたが、その総税務司からの回答が得られなかった。

    この不足を補うために日清戦争期(1894-5年)には望楼や灯台の利用が検討されたが、観測の実現が確認できるのは旅順の海軍根拠地と老鉄山灯台に過ぎず、それもまもなく中国側に返還された。他方、中国沿岸気象ネットワークの一環であった台湾の海関の観測データは、日本の領有後も香港や徐家匯との交換が継続されたが、短期間におわり、以後は台湾総督府の観測所との交換に切り替えられた。また台湾とマニラとのデータ交換も開始された。

    そのご朝鮮海関のデータを求める交渉が再度行われたが朝鮮側の観測器具が不充分との理由で不調に終わり、また観測精度が向上した中国各地の海関(天津・牛荘・芝罘・寧波・漢口・福州)のデータへのアクセスも試みられたが、義和団事件(1900-1年)のため進まなかった。

    日露戦争(1904-5年)では海外のデータを求めるよりも自前の観測が推進された。戦線が前進し後方となった地域につぎつぎと「臨時観測所」が設置されるほか、清国内の領事館でも気象観測が開始された。朝鮮国内や盛京省の観測所については開戦前から敷設された軍用電信線が活用されたが、清国内の領事館では既存の電信線が利用されたと考えられる。

    日露戦後、「臨時観測所」のうち朝鮮半島のものは朝鮮総督府、関東州付近のものは関東都督府、さらに樺太のものは樺太庁の測候所へとされた。清国内の領事館の観測所は一時期清国や中国海関への「引継ぎ」が検討されたが、多くはその後も維持されて日中戦争(1937年~)をむかえることになった。
  • 張 伊梦, 白坂 蕃, 渡辺 悌二
    セッションID: 706
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    祁連山脈(チーリェン山脈)は,中国,西部,青海省と甘粛省にまたがる東西方向に伸びる山脈で,広大な草原を有する。そこでは,住民がヒツジ,ヤクなどの放牧を行ってきており,最近では一部で観光開発が進みつつある。

     放牧地として利用されてきた草原は,近年,人間の影響と気候変化によって悪化していると考えられている。2010年には中央政府が祁連山脈を水資源保全地域に指定している。

     本研究では,観光開発の影響が少ない祁連県で,家畜放牧の季節的移動パターンを明らかにし,草地被覆変化と気温・降雨量との関係を議論した。祁連県(138.8万平行キロメートル)は,80%が草地,15%が森林からなる。祁連県では一次産業が重要であるが,その85%以上の収入が牧畜業からもたらされている。

     2017年9〜10月に現地で放牧の様子と草地の観察を行い,祁連山脈南面の八宝河谷にある峨堡鎮(E-Bao村, 標高3410 m,人口3,510人; 310戸/2016年)を中心に家畜所有者から聞き取り調査を行った。また,NASAが開発した可視赤外域の放射計MODISのデータから作成した,植物の活動度をあらわす指標EVIの時系列データの解析を行った。

     調査地域では,1958年に峨堡郷の人民公社4隊が形成され,遊牧から定住した放牧地ができたと考えられる。当時から,家畜の放牧は,夏季に高所の草地斜面で,冬季に谷底の草地で行われてきた。人民公社が1985年に解体され,1985年に冬・春季放牧地(10月中旬〜6月に利用)が,各世帯に分割された。1986年から,冬・春季放牧地では請負牧畜が始まった。これらの放牧地は世帯ごとにフェンスで囲まれている。一方,夏・秋季放牧地(6月から10月中旬に利用)はフェンスで囲まれておらず,現在でも共有地として使用されている。すなわち,冬・春季放牧地が個別世帯で管理されているのに対して,夏・秋季放牧地は複数世帯管理(実際には村の管理)によって維持されている。

     インタビュー調査では,冬・春季放牧地の個別世帯管理に不満を抱く意見が見られた。請負牧畜では各世帯に世帯構成員1人当たり約20ヘクタール(300畝)の放牧地が割り当てられたが,所有家畜頭数が多い世帯では割り当てられた放牧地は狭すぎた。

     峨堡鎮では,2016年には,17.2万頭のヒツジと2.6万頭のヤクが飼われていた。峨堡鎮の冬・春季放牧地面積は51,867ヘクタール,夏・秋季放牧地は56,133ヘクタールであり,放牧が禁止された放牧地が2.2万ヘクタールあり,「退牧還草政策」によって年々禁牧地は増加している。家畜の放牧密度は高く,冬・春季放牧地で5.33ヒツジ相当頭数/ヘクタール,夏・秋季放牧地で4.91ヒツジ相当頭数/ヘクタールであった。

     2000〜2017年には,祁連県では,EVIが増加傾向を示した(Mann-Kendall検定)。すなわち,密な草地(EVI>0.5)が増加した。草が生育する夏季には,月平均気温の方が月降水量よりも月平均EVIに大きな影響を与える。一方,年平均気温と年降水量は,年間のEVI変化とは関係を示さなかった。

     夏季には草地が「良好な」状況になっているものと考えられるが,これは,必ずしもこの地域の放牧地の持続可能性の高さを示しているとは言えない。調査地域では,家畜の放牧密度が高いにも関わらず,全体としては草の活動度が高まっているという結果になった。これは,2016年時点で2.2万ヘクタール(草地全体の17%)が禁牧地になったことと関係しているのかもしれない。

     しかし,禁牧地の増加は,放牧地内での過放牧を促進させる。さらに,2017年には中央政府が祁連山脈を国立公園に制定する宣言をしており,国立公園の整備によって,国立公園内に位置する共有地としての夏・秋季放牧地の利用はできなくなるものと考えられる。そうなると,家畜は一年を通して現在の「冬・春季放牧地」で飼育されることになる。冬・春季放牧地の請負制度化は,その当初予定期間が終了しても「自然と」継続しており,冬・春季放牧地は実質的に個人所有と同様になっている。フェンスに囲まれた冬・春季放牧地が通年の放牧地になれば,過放牧状態にあるこの地域の放牧地は著しく悪化することになる。
  • 志田 清佳, 梶山 貴弘, 藁谷 哲也
    セッションID: P065
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    クーレン山(Phnom Kulen)は,標高300~500mを有するテーブル状の山地である。ここには,9世紀にクメール王朝初期の都が作られたが,王朝崩壊後,熱帯気候の下で密な森林によって覆われることになったと考えられる。クーレン山は,1993年に約37,500haが国立公園に認定された。しかし,認定前から森林伐採が広範に進み,現在その伐採地では農地転用が進んでいるようである。そこで本研究では,村落や遺跡が集中するクーレン山南部を対象に,森林伐採の規模や伐採地の農地転用について分析した。

    森林伐採の規模を把握するため,2018年2月(乾季)に取得された複数の衛星画像(PALSER-2)をもとに,目視による伐採地の判読を行い,その分布,規模および密度などをArcGISで可視化した。また,判読した伐採地を植物被覆の程度をもとにA~Cの3タイプに分類した。ここで,Aタイプは植物被覆が70%以上,Bタイプは70~10%,Cタイプは10%以下である。一方,2018年8月(雨季)には22箇所の伐採地でグランドトゥルースを行うとともに,マリャカット(Virak Kat)村,プレトゥメイ(Pre Thmei)村,およびアンロントム(Anlong Thum)村で聞き取り調査を実施し,画像判読結果との照合や検証を行った。

    衛星画像の分析から,研究対象としたクーレン山には,楕円形の伐採地が3,000箇所以上(2018年1月8日分析時点で3,075)あることがわかった。伐採地の合計面積は5,092haであり,これは研究対象地域の総面積31,371haの16%にあたる。1区画あたりの伐採地面積は平均で約1.67haであり,1.6~2.4haの伐採地が最多(44%)を占めていた。また,伐採地の点密度分布を算出した結果,とくにクーレン山中央部に位置するポペル村(Popel)周辺に伐採地が集中する傾向がみられた。これら伐採地の植物被覆による分類では, Aタイプは1,754箇所(57%),Bタイプは431箇所(14%),Cタイプは890箇所(29%)であった。

    2018年8月のグランドトゥルースでは,伐採地の土地利用が主にカシューナッツ栽培地,イネ栽培地,トウモロコシ栽培地,バナナ栽培地,混合(カシューナッツとバナナ)栽培地,休閑地,新規開墾地などであることを確認した。
    2018年2月の画像判読結果と8月の現地調査を比較してみると,Aタイプとした植生はおもにカシューナッツ栽培地であると考えられる。しかし現地調査では,新規に開墾された場所も存在していたことから,2月以降に伐採地内で植物の伐採が行われたと推測される。また,Bタイプには休閑地が含まれるが,伐採地はおもに生育度の低い作目(カシューナッツ,バナナ)やイネなどの栽培地として利用されていると考えられる。一方,Cタイプはおもにイネ栽培地や休閑地であると考えられる。

    聞き取り調査によると,クーレン山では複数の畑地の輪作が行われていることがわかっている。このため,2月の乾季と8月の雨季における作目の変化や休閑地の存在は,このような輪作形態を反映したものと推測される。また,伐採跡地の多くで見られるカシューナッツの栽培は,2000年頃から導入が進んだとみられ,換金性の高い作目への農地転用が進んでいることがわかった。
  • 船引 彩子, 久保 純子, 南雲 直子, 山形 眞理子, グエン キエン
    セッションID: 408
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    メコンデルタの考古学
    カンボジア~ベトナム南部に広がるメコンデルタには,氾濫原を縦横に結ぶ古代の運河ネットワークが存在していた.ここに誕生したオケオ(Oc Eo)遺跡は,1世紀から7世紀にかけてメコンデルタ(現在のカンボジア,ベトナム南部)から東北タイ南部にかけて栄えた,古代国家である扶南国の港市である.

    オケオはインド等(西方)と中国(東方)の間の長距離交易と,メコン川流域の域内交流を結び付けた重要な遺跡と言われ,1940年代から発掘が進められてきた.ヒンドゥー教・仏教(5世紀以降)の遺物のほか,漢の鏡やローマの金貨なども発見されている.


    完新世におけるメコンデルタの形成について
    メコンデルタ,約3000年前以前は潮汐の影響を強く受けたデルタであったが,その後は波浪と潮汐の影響を強く受けたデルタへと変化し,南東側の平野に浜堤列が発達した(Ta et al., 2005).オケオ遺跡は,浜堤列よりおよそ100㎞内陸に位置し,標高は2-3mである.現在のベトナム領,カンボジア国境近くの地点であり,デルタに孤立する標高190mのバテ山の麓にある.扶南国時代,オケオと周辺をつなぐ運河のひとつは,北北西に約67km離れたカンボジアのアンコール・ボレイ遺跡にまで繋がっていた.また下流側は,メコン川を下って南シナ海へと出るルートではなく,運河によってタイランド湾へとつながっていた.
    オケオ遺跡での調査
    オケオ遺跡は長辺1.5㎞,短辺3.5㎞の長方形の形をした都城遺跡であり,運河によって南北に分断され,更に4つの運河が東西に走っていた.この運河は現在埋め立てられ,主に水田として利用されている.オケオ文化の遺跡発掘を進めてきた平野(2007)は河川や運河に沿って大規模の遺跡群が形成され,低湿地への開拓と水路の利用が活発に行われたこと,特にオケオ文化発展期(3-4世紀以降)に低湿地へと開拓が進んだことを指摘している.

    2017年,筆者らはかつての運河の位置で掘削を行い,深度約3mの堆積物中からオケオ文化発展期の年代値を得た.都城外側では更新世を示す年代値が得られ,オケオ港市が形成されたころの地形が少しずつ明らかになってきた. 本発表では,オケオの地形的な特徴について概観するとともに,運河の果たした役割について現地調査の結果をもとに報告する.
  • 活断層防災教育に求められているもの
    澤 祥
    セッションID: P011
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    2011年東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)以降,防災教育の重要性が広く認識されるようになった.防災教育のうち地震災害・活断層防災に関連する事項は,地震発生のメカニズムの様に地球科学的内容の理解が求められるため,教員や学生生徒には難しいと感じられ敬遠されることがある(たとえば,村山・八木,2017).この様な傾向は,市民を対象にした地震防災講話でも見受けられる(澤,2017).筆者は2015年度以降,酒田市教育委員会の防災アドバイザーとして学校防災に直接関わる機会を得た.本発表は,活断層研究に携わる筆者の視点で学校防災関係者と市民が活断層防災教育に求めているものを指摘する.
     酒田市立学校で防災講話を行った際に,講話の映像を見ることによって酒田市学校防災マニュアル作成ハンドブックの地形条件と注意すべき災害のイメージが初めて掴めたとの感想を3校の学校防災担当教諭から筆者は同じ様に聞かされた.ハンドブックのリンク集から情報を得たとしても,受け手はそれを自分の地域と具体的に結び付けられないのである.ハンドブックのマニュアル化の限界である.鈴木編(2015)は「丁寧なリスクコミュニケーター(なぜ危ないかを説明することができ,どうしたら良いかについて住民と対話できる人)」の必要性を指摘し,それは「地形の成り立ちや地理に関する基礎知識を持ち(中略)疑問や悩みを理解して捕らえる」ことのできる人としている.鈴木編(2015)の主張は,筆者の経験からも同意できる.住民がイメージできる身近な場所を例示しながら具体的かつ平明な解説が,地理学研究者・活断層研究者には求められている.
  • 赤坂 郁美, 財城 真寿美, 久保田 尚之, 松本 淳
    セッションID: P016
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. はじめに

    マニラでは、1865年からスペインのイエズス会士により気象観測が開始され(Udias, 2003)、戦時中を除き現在まで150年近くの気象観測データを得ることができる。20世紀前半以前の気象観測データを時間的・空間的に充分に得ることができない西部北太平洋モンスーン地域において、降水量とモンスーンの関係とその長期変化を明らかにする上で、貴重な観測データであるといえる。そのため、著者らはこれまで19世紀後半~20世紀前半の気象観測資料を収集し、データレスキューを進めてきた(赤坂,2014)。また、データの品質チェックも兼ねて、19世紀後半~20世紀前半の降水量の季節進行とその年々変動に関する解析を行っている(赤坂ほか,2017など)。そこで、本調査では風向の季節変化に関する調査を追加し、マニラにおける19世紀後半の降水量と風向の季節変化及びそれらの年々変動を明らかにすることを目的とした。



    2. 使用データ及び解析方法

     19世紀後半のマニラ観測所では、多くの気象要素の観測を時間単位で行っていた。そのため、降水量は日単位であるものの、風向・風速や気圧に関しては時間単位のデータを得ることが出来る。本調査では、日本の気象庁図書室やイギリス気象庁等で収集した気象観測資料(Observatorio Meteorologico de Manila)から、1890年1月~1900年12月の日降水量と風向・風速の1時間値を電子化して使用した。1870年代のデータも入手済みであるが、1870年代は風向・風速が3時間値のため、本稿では風の1時間値が得られる1890年代を対象とした。欠損期間は1891年10月、1893年6月である。

     まず、降水と風向の季節変化を示すために、風向の半旬最多風向、半旬降水量を算出した。また、赤坂ほか(2017)と同様に雨季入りと雨季明けを定義し、半旬最多風向の季節変化との関係を考察した。



    3. 結果と考察

     1890~1900年の平均半旬降水量と半旬最多風向を図1に示す。大まかにみると、乾季における最多風向は北よりもしくは東よりの風で、雨季には南西風が持続している。乾季である1~4月(1~23半旬頃)の最多風向をみると、1月は北風であるが、2~4月には貿易風に対応する東~南東の風がみられる。この時期の降水量は特に少ない。5月中旬頃(27半旬)になると、降水量が年平均半旬降水量を超え、雨季に入る。最多風向は5月初旬(26半旬)に南西に変わり、5月下旬(29半旬頃)以降、南西風が持続するようになる。これは南西モンスーンの発達に対応すると考えられる。降水量は、6月中旬(34半旬)に一気に増加し、9月中旬(53半旬)にかけて最も多くなる。この期間の最多風向は南西のままほぼ変化しない。降水量は9月下旬(54半旬)に急激に減少し、その後、変動しながら年末にかけて徐々に減少していく。最多風向は9月下旬にはまだ南西であるが、10月初旬(56半旬)になると急激に北よりに変化し、1月まで北よりの風が持続する。この時期が北東モンスーン期に対応すると考えられる。

     最多風向の季節変化はかなり明瞭であるが、雨季と乾季の交替時期との間には2~3半旬の遅れがみられる。この時期に関しては最多風向だけでなく、風向の日変化も含めてどのように風向が変化していくのかを把握する必要がある。

     本稿では1890年代の半旬最多風向と降水量の季節変化について気候学的特徴のみを示したが、発表では19世紀後半の風向と降水量の季節変化における年々変動についても議論する。
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