日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
選択された号の論文の319件中201~250を表示しています
発表要旨
  • 山内 啓之, 小口 高, 早川 裕弌, 瀬戸 寿一, 荻田 玲子
    セッションID: 321
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    演者らは,GIS教育の充実を目的に,大学の実習授業や個人の自主学習等に利活用可能な教材を開発するプロジェクトを行っている(科学研究費基盤研究 A「GIS の標準コアカリキュラムと知識体系を踏まえた実習用オープン教材の開発」,平成 27~31 年度,代表者:小口 高)。本プロジェクトで整備した教材は,GIS Open Educational Resourcesと題して,オンラインで公開している(https://gis-oer.github.io/gitbook/book/index.html)。

    これまで本プロジェクトでは,整備した教材を実際に大学の実習授業や講習会等で利用し,教材の難易度,視認性,利便性等に関するアンケート調査を行ってきた。また,同様の項目で,個人の自主学習者を対象としたアンケート調査も実施してきた。本報は,上記のアンケート調査の結果を踏まえて,現行の本教材が持つ問題点を整理し,教材の改良点について検討したものである。

    本教材の主要な問題点は,教材の解説文の充実度と,操作を解説した図の視認性とに大別できる。その他に,個人が自主学習をする場合には,実習用データの準備が煩雑であるといった点もあげられる。

    解説文の充実度については,GIS初学者が躓きやすいソフトウェアの操作や,GISの用語等に関する解説が充実していないという指摘があった。これまでに演者らが行った実習授業では,ソフトウェアの初期操作や,データ形式の理解のような学習の入門段階で,受講者が難しさを感じる傾向があった。また,比較的GISの操作に慣れた段階でも,空間座標系の変換のようなGIS特有のデータ処理の際には,受講者が難しさを感じる傾向があった。上記のような難しさを感じやすい実習については,教材の解説文の改良を求める意見も数多く収集された。

    操作を解説した図の視認性については,教材に従って学習する際に,図が小さいために処理の選択画面やパラメータの値が,読み取りにくいという指摘があった。GISの基礎操作は,マウスの操作によるものが多いため,操作を解説した図の視認性を高めることは重要といえる。

    実習用データの準備が煩雑という指摘は,自主学習の際に外部のサイトから,データ取得し加工する作業に関連する。実習用データの作成時には,空間座標系の変換や,領域の切り出し等の処理を行う必要がある。これらの手法は各教材で解説されてはいるが,GISの初学者にはやや複雑である。本プロジェクトの当初の計画では,教材に応じて必要なデータを外部から取得し加工することで,より実践的なGISの活用技能が育成できると想定していた。しかし,GISに慣れていない段階では,各教材の主題の学習に集中しづらくなったり,誤ったデータを作成したために学習が混乱したりする事例がみられた。

     以上を踏まえて本プロジェクトでは,教材の解説文の充実,操作を解説した図の視認性の向上,実習用データの新たな整備と提供を行いつつある。教材の解説文の充実では,受講者が躓きやすいソフトウェアの操作や,データ処理を中心に解説文を改良している。特に,誤った操作をしやすい空間座標の変換のような処理は,利用者が理解しやすいように正誤の事例を併記する等の工夫を取り入れている。

    操作を解説した図の視認性の向上では,図を作成する際に,ソフトウェア全体でなく,対象の箇所のみをトリミングし,サイズを大きくするといった工夫を取り入れつつある。実習時に利用するモニタのサイズによっては,画像が小さく表示されることも想定されるため,部分的に画像の拡大ができるような機能の実装も検討している。

    実習用データの整備と提供については,各実習と対応して利用できるデータセットの作成とオープンライセンスでの公開を進めている。データセットは,無償で自由に利活用できるOpenStreetMap,SRTM(Shuttle Radar Topography Mission),地方自治体のオープンデータを活用する。
  • 平野 淳平
    セッションID: S302
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    本発表では、歴史時代(1870年代以前)に日本に上陸した台風の経路を客観的に復元・分類する方法について報告する。関東以西の地域に経緯度2°×2°間隔のメッシュを設定し、台風が上陸したメッシュをもとに、台風経路を分類する方法を考案した。この方法を気象庁による台風経路データが得られる1951年以降に適用した結果、台風上陸数の変化傾向にみられる地域性を把握できることが明らかになった。この方法を歴史時代に適用するためには、関東以西の太平洋沿岸地域を対象として風向や天候の変化を詳細に記した古日記天候記録の収集を進める必要がある。
  • カトリック教会におけるフィリピン人信徒を事例として
    川添 航
    セッションID: 720
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    日本における在留外国人人口は増加を続けており,2019年現在,国内に約264万人が居住している。本研究では,国内に居住する代表的なニューカマー集団である在留フィリピン人の定住過程に着目し,宗教施設がどのような役割を有していたのかについて,カトリック教会における宗教活動と在留フィリピン人信徒の日常生活との関係性から明らかにした。研究対象地域として,近年在留フィリピン人人口が増加傾向にある茨城県南部を選定し,聞取り調査から得たデータから考察を行った。在留フィリピン人は,主に1980年代から現在まで継続してカトリック教会を訪問している。訪問にあたっては,職場のフィリピン人の友人・知人から情報を得た,もしくは,地域のカトリック教会について自ら探索を行い情報を得たという事例が多い。また,ミサや宗教活動に参加するという目的だけでなく,地域におけるフィリピン人共同体と交流することで,社会関係の構築や日常生活に必要な情報収拾を行うという目的も含まれていた。来日当初においては,宗教施設が現地のエスニック・コミュニティとの接触点として認識されているといえる。在留フィリピン人の社会関係に着目すると,地域社会における定住が進んだ現在においても依然としてカトリック教会の存在が大きいことが明らかとなった。このような宗教空間を介して形成された社会関係は,性別,国籍における同質性を有しており,宗教施設外における交流へと拡大することもある。近年ではこれらの社会関係をもとに,母国の慣習を取入れた宗教的イベントを在留フィリピン人自身が企画・運営するようにもなった。フィリピン人の来日後の日常生活においては,日本人男性との国際結婚や頻繁な転職,それらに伴う長期定住化・非集住型定住傾向が指摘できる(高畑 2012)。これらの社会経済的背景は,カトリック教会以外の生活空間で形成される社会関係が断絶されやすく,また深化しにくいことを意味しており,宗教空間を介した社会関係は相対的に持続性の高いものとなっていた。これらの要因からも,来日初期から定住化を経た現在まで,宗教施設が在留フィリピン人社会における社会的な拠点として機能しているといえる。また,独自の宗教的イベントの実施は在留外国人の宗教共同体の自立を象徴しており,これらの実践により,母国の文化やフィリピン人アイデンティティの維持が図られていると考えられる。以上のように,宗教空間は在留外国人自身の社会経済的な文脈により様々な役割が付与されてきた。これらの役割は定住過程において変容し,現在まで日常生活において重要性の高い領域となっていることが明らかとなった。
  • 鍬塚 賢太郎
    セッションID: 813
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    ■目的と方法 インド地方都市において,どのように経営者は起業の機会を見出し,企業として成長を遂げようとしているのかについて,小規模なICTサービス企業に対する現地での聞き取り調査に基づき報告する。通信さえ確保できていれば,どこででも事業展開できそうなICTサービス業について,その成長がいかなる図式の下で可能なのかを,これまでの現地調査から把握した「インドICTサービス産業開発を捉えるための構成要素」(図1)と照らし合わせながら,検討を加えたいからである。
     現地調査は,2016年3月~18年8月までの間に,主にチャンディーガル(連邦直轄地),インドール(マディヤプ・ラデーシュ州の主要都市),ジャイプール(グジャラート州の州都)で行った。それぞれの都市でICTサービス企業を訪問し,それらの創業者・経営者もしくは人事担当者に対して半構造化された質問票に基づく聞き取り調査を行った。また,各州政府のICT担当部門および関連機関でも当該産業開発にかかわる資料を収集するとともに担当者へインタビュー調査を行い,各州におけるICTサービス産業開発への取り組みについて把握した。なおいずれの聞き取り調査も,研究分担者とともに2名で行った。

    ICTサービス産業の地方分散 インドのICTサービス産業は1990年代からの経済自由化のもと,大都市を拠点に成長を遂げてきた。しかし,2000年代後半から人口100万人程度の地方都市にも事業所を分散立地させるようになる。「絶えざる人力投入モデル」のもとで成長してきた大手ICTサービス企業にとって,「優秀な人材」を大量かつ安定的に確保することは,売上を拡大・維持するために欠かせない。こうしたことを背景に,州立大学などの高等教育機関の所在する地方都市は,大手企業による人材確保の拠点として位置づけられていく。
     大企業の立地行動に対して州政府は,ICTサービス産業振興策を定め,それらの誘致に積極的に取り組む。そこには,州の産業振興公社による郊外部での物的インフラ整備だけでなく,課税免除といった優遇措置,制限されてきた女性の夜間労働を認める労働法の改正なども含まれる。州政府の提示した「魅力的な立地条件」を大企業から「評価」された州では,大規模な事業所の立地が「ITパーク」などで進む。その結果,当該州のICTサービス輸出額は飛躍的に拡大する。

    起業の背景と成長機会 こうした動きと並んで,地元出身の起業家がICTサービス企業を興し,従業員数を増加させながら事業を少しずつ拡大していく。起業にあたっては,自宅の一室を利用し,自らの貯金とともに両親や親戚など近しい人々から事業資金を得る者,同級生や元同僚と事業を開始する者,取引先から一定規模の資金を得て事業を拡大する者がいた。
     起業家には,IIT卒業後に大企業で働いた経験を持つ者や,海外の大学に留学し現地で技術者として就業した者もおり,それまでに構築した幅広いネットワークを活用する起業がみられた。当該企業は州政府のインキュベーター施設に入居するだけでなく,国内外のベンチャー・ファンド等の資金を得てインド国内で拡大の見込まれるEコマース事業に参入していた。中央政府主導で2016年から開始された「スタートアップ・インディア」政策の流れに乗り,そこに成長の機会を見出す国内外の諸主体の思惑に後押しされながら,成長を模索する企業がある。
     これに対して地元の大学卒業後にフリーランスとして働き,そこから従業員10~20名程度の規模まで事業を拡大する者もいる。これら企業の多くは,小規模事業者向けのウェブサイトやスマートフォン・アプリ開発をインド国外から安価に請け負う。地方都市でありながら国外の仕事を請け負うことが可能なのは,複数のクラウドソーシング・サイトを利用したからであり,決済もこれで行う。複数のプロジェクトを受注できるようになると,新たに従業員を雇い入れる。しかし,地方都市において豊富な開発経験を持つ人材は乏しく,社内で経験を積ませることを重視するところもある。こうしたビジネスモデルは,グローバルな価格競争にさらされる。そのため,新規顧客獲得を個別に行うとともに,既存顧客に対して保守管理サービスを提供することで長期的な取引先の確保を試みるところもある。
     成長の見込まれる国内市場よりも,参入容易な「グローバルな市場」に起業機会を見出すものの競争は激しく,そうした企業への政府等からの支援は乏しい。当該分野での起業が地方都市でもみられるものの,そこでの成長機会は限定的なようだ。
  • 栗林 梓
    セッションID: P089
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    大学の都心回帰

     「大学の都心回帰」「大学の撤退」,昨今,そのような記事が目に留まる.管見の限りでは,こうした大学の都心回帰,撤退,学部等の機能移転は,撤退地域でネガティヴな問題を惹起する現象として報じられることが多い.やや抽象的ではあるが,換言すると,大学という存在が都市空間にとって重要な構成要素をなしていることに他ならない.

     戦後の大学数の増加と高等教育の量的・空間的な拡大は主に私立セクターによって牽引されてきた(島1996).こうした大学の新設立地や空間的分散は工業(場)等制限法や大学の地方分散化政策と深く関連してきた(牟田1994).しかし,1990年代以降は「自由化」「規制緩和」といった新自由主義的な政策理念が教育政策にも影響するようになり(三和2013),最終的には2002年の工業(場)等制限法の廃止により,大都市圏における大学拡大の抑制政策は終焉を迎えることとなる(小林2009).その後,大学はそれぞれの思惑から郊外の都市空間から都心部へと活路を見出し,大学都心回帰の時代を迎えるのであった.

    都市空間の中の大学

     上述のように大学の動向は社会的にも着目されるようになってきている.学術的には,大学とそこに所在する学生を,都市空間を変容させる一つのアクターとみなす‘studentification’ および‘de-studentification’と呼ばれる現象を扱った一連の研究がある.前者は特定地域の学生増加によって,後者は学生減少によってもたらされる社会的,文化的,経済的,物理的な都市空間の変容である(Smith 2002; Smith et.al. 2014; Kinton 2013; Kinton et.al . 2016; 中澤2017; Nakazawa 2016).特に英語圏では上記の定義に則り,学生の増減に起因する都市空間変容と社会問題について実証研究を蓄積してきた.これらの研究の対象地域は未だにイギリスに偏重しているものの(Yu 2018),これまで都市空間において着目されることの少なかった学生に焦点を当て,都市空間の変容に対する新たな視点をもたらしたことに一定の意義があろう.

     一方で,これらの一連の研究はあくまで街区レベルの「学生の増減」に起因する比較的ミクロスケールの現象に着目したものであり(Smith et.al. 2014; Hubbard 2008),都市空間に存在する大学そのものの機能や役割,意味を問うものではない.またstudentification研究においては都市空間における学生の増加要因を政府主導の高等教育拡大政策に求めているのにも関わらず(Smith and Holt 2007; Smith 2009; Holton and Riley 2013),それらの政策と大学立地や定員増加との関係性に関する記述は不十分である.大学そのものの機能が空間的に移転するという日本の文脈を踏まえ,本報告では都市空間における大学そのものの動向と機能について着目したい.

    報告の目的と内容

     中澤(2017)においても指摘されているように,(1)大学の郊外化が進んだ日本と都市中心部に残存したイギリス(2)親元から大学に通う学生が半数ほどの日本と8割以上が親元を離れて大学に通うイギリス(Prazere2013),という地域的差異を考慮するとstudentification研究の枠組みを直接的に日本で適用することは不可能であろう.

     そこで,本報告では第一に高等教育政策と大学の空間的分散,都心回帰の過程について基礎的な整理をおこなう.さらに大学の都心回帰がみられた2市および1大学からの聞き取り調査の結果を報告する.実際に大学が撤退した都市の行政と,移転を行った大学の両者の側から大学の都心回帰・撤退についてアプローチすることにより,その発生メカニズム,および当該都市空間への影響,その後の行政と大学との関係性について明らかにし,今後の論点について検討したい.なお,聞き取り調査先は報告当日までに追加する予定である.
  • 小森 優勝
    セッションID: 221
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、かつて町工場や倉庫の立ち並んでいた、準工業地域である東京都目黒区の中目黒が、アパレル販売店や雑貨および家具を取り扱うインテリア販売店、カフェやレストラン等の飲食店などが集まる、瀟洒なファッションストリート化していった過程を解き明かすとともに、ファッションストリートとしての中目黒の固有性を示すことを目的とするものである。
     ファッションストリートの定義に関しては、社会学におけるファッションストリートの議論に依拠している。本研究で述べるファッションストリートとは、大手資本や行政主導ではなく、特定の地域の商業的発展を企図しない、洋服やアクセサリー等の「ファション」に関わる物的財を販売する店舗と、カフェやクラブ、レコード販売店等に代表される「ファション」に関連するサービス財や情報財を販売する店舗が集積する街路を指す。
     本研究では、3つの研究手法を用いてファッションストリート化の過程とその固有性を明らかにした。1つめは、住宅地図を用いた土地利用の分析である。ゼンリン社の発行する住宅地図を用いて、中目黒の目黒川沿いの土地利用の変遷を辿ることで、町工場の立ち並ぶ地域から、ファッション関連店舗が立地する、ファッションストリート化していった過程を時系列的に示した。2つめは、雑誌メディアの分析である。住宅地図を用いて明らかにした中目黒のファッションストリート化が、メディア上でどの様な表象をされていたのかを、雑誌記事を分析することで示した。これによって中目黒のマスイメージの把握を行なった。3つめは聞き取り調査を元にして、ファッションストリートとしての中目黒の固有性を記述した。聞き取りの対象としたのは、中目黒にて店舗を展開したオーナーと、現在川沿いに立地する店舗の店長および店員である。これらの手法を元にして、中目黒のファションストリート化を明らかにした。
     中目黒へのファッション関連店舗の集積の契機となったのは、1995年に出店した2店のアパレル販売店であった。それまでの中目黒には、アパレルの販売店はほとんど見られず、目黒川沿いに町工場と倉庫が立ち並び、地元の住民が通う飲食店等が散見される状況であった。
     こうした先駆的な店舗が出店したのち、徐々に中目黒へとファッション関連の店舗が増加していった。この動きはメディア、特に雑誌メディアが目をつけ、中目黒に関した特集記事が組まれるようになっていった。2000年代に入ると、アパレルは勿論のこと、インテリアや飲食店も含めたファションストリートとして言及されていった。
     中目黒のファッションストリート化の礎を築いた人物たちは、各々の文化的な経験や、海外への買い付け等も行う様々な事業展開を行なった経験を経ており、彼らが培ったコンセプトを体現できる場所が中目黒であった。
     中目黒が他地区のファッションストリートと異なるのは、衣・食・住を包括したライフスタイルとしてのファッションストリートという点である。これらを体現した店舗が、目黒川沿いに点在的ながらも集積していったことが、現在の中目黒の固有性を生み出していった。
  • 浜田 純一, 松本 淳, 山中 大学, HASAN Sunaryo, SYAMSUDIN Fadli
    セッションID: P015
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    海大陸と呼ばれるインドネシア域は、複雑地形を持つ大小様々な島嶼が、暖かい海水に囲まれ、熱帯の活発な対流活動域の一つとして、ENSOやアジア・オーストラリアモンスーン域の中心に位置している。

     現地の気象観測は、オランダ統治下の19世紀中盤には始まり、ジャカルタ(当時のバタビア)において、1866年に気象官署が設置され、途中1999年に観測点の移動があったものの、長期間の雨量観測が継続されてきている。得られたデータは、紙媒体からのデジタル化、及び品質管理を通して、データベース化され(例えば、SACA&D:Southeast Asian Climate Assessment & Datasetなど)、近年、これらのデータを基に、降水極端現象の長期変動等について研究が進展しつつある(Siswanto et al., 2015; Marjuki et al., 2016; Supari, 2016など)。

     本研究は、データが最も長期間得られ、沿岸域のメガシティとして広域首都圏を形成するジャカルタに焦点をあて、モンスーンに伴う降水の長期変動の特徴、及びENSO/PDO (Pacific Decadal Oscillation)との関連を明らかにすることを目的とする。

     ジャカルタの過去150年間(1864年~2014年)の降水量変動からは、1970年代前半の極大を含め、数十年規模の変動が確認できる一方、長期的なトレンドは見られなかった。また、雨季(DJF)と乾季(JJA)の降水量差(年降水量較差)は、雨季の降水量により規定され、年降水量と同様な長期変動を示している。

     また、雨季の降水量とENSO(SO Index)の相関は経年変動し、有意な正相関が、PDOの cool phase に当たる1910年代、及び1960年代のみに現われた。一般にジャカルタ周辺では、ENSOと雨季の降水量の相関が低いことが知られているが(Hamada, et al., 2012他)、長期間のデータより、PDOの位相によりENSOの影響の差異が存在することを示した。今後、複数地点で同様の解析を行い、地理的代表性の検討を進める。
  • 王 汝慈
    セッションID: 219
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    急激な都市化がもたらすヒートアイランド現象の深化とその将来予測-中国の南京市を事例にして-
  • 伊藤 恵
    セッションID: P094
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに
     情報通信技術や交通手段の発達、市場の開放等により、人、物材、情報等の国際的移動が活性化する今日において、様々な分野で「国境」の意義が希薄化するとともに、各国が相互に依存し、他国や国際社会の動向を無視できなくなる現象(グローバル化)が生じている。異文化の接触が大規模に広がることにより、摩擦が発生する可能性を孕むことから、教育分野においては、異文化を理解、尊重し、受け入れる寛容さや、共有可能な倫理観や価値観を見出す能力等の育成が重要視されている。
     そのような社会的背景により、次期高等学校学習指導要領の「地理総合」においては、「広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に生きる平和で民主的な国家及び社会の有意な形成者に必要な公民としての資質・能力を身に付けることができる」ことが目標とされている。

    Ⅱ 仮説
     筆者は2014年8月にJICA教師海外研修でルワンダ共和国(以下「ルワンダ」)に団長として派遣された。ルワンダでは、1994年に民族対立を原因とした大規模なジェノサイド(大量虐殺)が発生し、約100日間に約80万人の犠牲者が出たと報道されている。本実践は、ジェノサイドの原因や歴史的背景を題材とすることで、次期学習指導要領で目標とする資質・能力を育成することを目的とし、次の仮説を立てた上で行われたものである。

    仮説①:ルワンダにおけるジェノサイドについての学習を通して、「他人事」から「自分事」への転換ならびに、「国際理解」と「国際協力」の精神を育成することが期待できる。
    仮説②:ジェノサイドの状況や現在のルワンダの様子についてリアリティをもって再現すれば、生徒が主体的かつ自発的に考え行動し、課題を追求し解決する活動が期待できる。

    Ⅲ 実践の内容及び考察
     実践の主な内容については、以下のとおりである。
    (1) 動機づけ
    (2) ルワンダの基礎的知識取得及びワークショップの実施
    (3) ジェノサイドの発生と歴史的背景の学習
    (4) ルワンダの現状とアクションプラン
     上記(1)及び(2)の導入においては、ルワンダ人との交流を通して、ルワンダや他の国々に対する興味及び関心を促進させることで、異文化間における普遍的価値観を見出す姿勢を形成することをねらいとした。これにより、(3)及び(4)における教育効果をより高めることが可能となった。(3)においては、ルワンダにおけるジェノサイドについて認知し、歴史的背景等について学習させることで、原因及び改善策を探るとともに、平和の重要性を強く認識させることをねらいとした。映画「ホテル・ルワンダ」やロールプレイングを利用した実践により、自発的に理解を深めようとする生徒が見受けられ、様々な立場を疑似体験することで「他人事」から「自分事」への転換が図られた。(4)においては、ジェノサイドからの復興を遂げたルワンダの現状を復興までの過程について理解を深めることができた。また、「将来、国際協力関係の職業に就きたい」という生徒も現れ、「国際理解」や「国際協力」に関する価値観形成を図ることができた。

    Ⅳ まとめ
     以上から、仮説①及び仮説②について一定の効果を得ることができたといえる。一方で、本実践は、筆者が海外で得た知識や経験を直接生徒に還元する方式であったが、現地を訪れなくても、情報技術等の進展により、リアリティを追求できる方法があるかもしれない。今後の「地理総合」の在り方を考え、より一般化する方法についても探っていきたい。
  • 三重県いなべ市H地区を事例として
    稲垣 裕也
    セッションID: 204
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    日本の農業の中でも安定的な就業機会のある平場の通勤兼業稲作地帯においては,少なくとも1980年代までは兼業農家が滞留する状況がみられたが,1990年代以降高齢化と兼業農家の離農が進んでいる.兼業農家が再生産されない中で地域の農業が存続していくとすれば,個別の農家や法人が大規模化して集積するか,政策的に誘導された集落営農が地域の農業を引き受けるかのいずれかであると考えられる.本研究で取り上げるのは,兼業農家の離農の中で個人の大規模農家が一旦は現れたが続かなかったために集落営農が設立された事例であり,以下では,集落営農設立前においてどのような社会的・経済的背景を持った農家が農業を継続・あるいは離農していたか,またそうした状況の中で集落営農の担い手農業者が選ばれた論理と地域の農業を構成する農家群がどのようなものであるかについて明らかにする.

     H地区は三重県いなべ市に位置する農家(元農家も含む)50戸の集落であり,うち30戸に聞き取り調査を行った.1980年代までは多数の兼業農家が存在したが,1990年代以降は農家の離農に伴い一部の農家が規模拡大したものの後継者不在で続かず,現在は2013年に設立された集落営農(以下,法人H)が地区の農地(約26ha)のほぼ8割を借り受けて耕作している.その基幹的な農作業を担うのは元農家である10名の理事であり,主には再雇用による農外就業との兼業か兼業先を退職し年金生活をしている60代であるが,大企業に勤めつつ週末に農作業を行う40代もいる.

     法人H設立直前の2012年においては,50戸中17戸は農業を続けていた農家であり,33戸は既に離農して担い手に農地を貸し付けていた非農家であった.農家は,主には大正・昭和一桁生まれ世代の子世代である60代以上のうち親世代から20代から30代の若い頃に代替わりを受けた兼業農家であった.また法人H設立後は,設立前の農家に加え非農家のうち地区の農家組合の役に当たっていた世帯が理事世帯群に,理事ではないが「集落営農が頑張っているから自分も協力したい」と考えた一部の非農家と農家が草刈等の管理作業を担う法人Hへの協力世帯群になった.また,農家のうち,法人Hに農地を預けず「自分の米を自分で作りたい」という農業に対するこだわりの強い農家はそのまま従来型の自営農業を続け(自営農業農家群),一方農作業には従事しない土地持ち非農家群については,自営農業農家の離農等により増加しつつも,一部の世帯は法人Hの管理作業に途中から加わり協力世帯群に移行している.

     H地区においては,法人H設立前は20代から30代の頃に代替わりを受け長年農業を担ってきた農業者によって構成される農家群と,非農家群に二極化していたが,設立後は法人Hで農作業を担う理事世帯群・協力世帯群と,自営農業農家群,農作業に従事しない土地持ち非農家群に分化した.しかし,設立過程においては「農家が法人Hの担い手農業者に,非農家がそのまま農地の出し手に」という単純な図式にはならず,当初から法人Hの農作業に参加したのは設立前の農家群の中でも半数にとどまった一方,非農家群の中でも設立を機に法人Hに参加し農作業に「帰農」した世帯もあった.その背景には,地域の農業を維持することを目的とする集落営農と個人の農家との間の農業経営の方針の違いと,地域の農業組合の持ち回りの役にあたっていたことや地域の社会的繋がりによって法人Hにおける担い手農業者が選ばれるという,いわば「地域の論理」によって農業従事者が確保されている点が挙げられる.このように,個人の大規模経営体が成立しなかった地域における集落営農の担い手農業者の確保には,経済的側面以外の要因が大きく影響し,そこには豊富な就業機会のもと農業の継続には兼業が前提となっているという地域的条件が関わっている.今後は「地域の論理」の中で意欲ある兼業農業労働者が再生産されるかが存続の鍵となるといえる.
  • 小栗 慎之亮
    セッションID: P068
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    衛星画像を用いた植生領域の検出には一般的に正規化植生指数(NDVI:Normalized Difference Vegetation Index)が用いられる. NDVIでは高い精度での検出が可能であるが高解像度の衛星画像の場合, 青色の建物や影領域などが原因で誤検出や未検出が幾つか見られるという問題があった.
    本研究では高解像度の特に都市部で見られる誤検出・未検出を解決するため, 都市部に適した都市植生指数(UAVI:Urban Area Vegetation Index)を提案した.
    誤検出・未検出となる箇所について調査をし原因を特定, NDVIを元に可視光域RGBや近赤外域NIR, 輝度Yなどを用いて原因を排除出来ないか調べた. 調査の結果を元に, 可視光域の波長Bや輝度Yを用いてNDVIを改良することで提案指数UAVIが提案された.
    実験として提案指数とNDVIを用いて植生検出を行い, 正解画像との比較から精度評価を行った. 結果, NDVIの検出率が88.2%,誤検出率が9.1%,未検出率が11.7%なのに対し, 提案指数はそれぞれ90.3%, 8%, 9.7%と改善が見られた.
    まとめとして, 提案指数は高解像度衛星画像において高い精度の植生検出をすることが出来た. 今後の課題として, 植生領域と同じRGB, NIRを持つ屋根への対策があげられる. ピクセルベースでは対策は厳しいため, 領域ベースでの考え方を取り入れる必要があるだろう.
  • -留学生および社会人の生活行動および居住地選択を事例に-
    申 知燕
    セッションID: 717
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

     グローバル化の進展に伴い,国際移住が急速に増加しており,グローバルシティと呼ばれる先進国の大都市は,様々な属性を持つ国際移住者を吸収してきた.初期のグローバルシティが吸収していたのはグローバルエリートおよび低賃金労働者層といった,両極化された集団であった.しかし,近年は両者に限らず,より多様な移住目的や様相を持つ移住者が増加しており,中でも,多方向的な移動や,母国との強い結びつきを特徴とするトランスナショナルな移住者が多く見られるようになった.

     日本においても,少子高齢化の進行や,グローバルな人材への需要を受けて,移住者の受け入れに関する議論が拡大している.しかしながら,移住に関連する議論の多くは,永住目的の労働移民を前提とすることが多く,すでに渡日しているか,今後さらに増加すると考えられるトランスナショナルな移住者については,その実情がつかめていない.そこで,本研究では,東京における近年の韓国系移住者(以下韓人)を事例に,かれらの生活行動および居住地選択の面からトランスナショナルな移住者の特徴を明らかにし,過去の移住者との相違点や関係を把握しようとした.

     本研究にあたっては,2016年4月から2018年11月にかけて移住者を対象としたアンケートおよびインデップス・インタビュー調査を実施し,移住者個人から得た資料を収集・分析した.



    2.事例地域の概要

     本研究では,東京都および神奈川県,埼玉県,千葉県を含む首都圏を事例地域とし,韓人の集住地および市内各地の韓人居住地に注目した.東京においては,20世紀初頭から戦後直後の間に渡日したオールドカマー韓人移住者とその子孫が定住している他,1970年代から1980年代にかけては就労目的で渡日・定住したニューカマー移住者も多数存在しており,当時の韓人は東京における外国人の中で最も高い割合を占めていた.1990年代以降は,高等教育機関への留学や一般企業での就労を目的に移住した韓人若年層移住者の増加が顕著に見られる.首都圏における韓人人口は約15万2,000人であり,東京都および神奈川県の一部地区には集住地も複数カ所形成されている.



    3.知見

     本研究から得た結論は以下の3点である.

     1点目は,1990年代以降に東京に移住した韓人は,主に留学や留学後の就職をきっかけに滞在している移住者層(ニューニューカマー)で,オールドカマーおよびニューカマー移住者とは区別される点である.東京における韓人ニューニューカマーは,キャリアのステップアップを試みて移住を行った層であり,その多くが留学を海外生活の第一段階としているため,日本への定住よりはグローバルスケールでの移動とキャリア形成を念頭に入れている.また,かれらの人生全般における移住経験,アイデンティティ,人的ネットワークなどの面においてもトランスナショナルな側面が多く見られるという点も特徴的である.

     2点目は,東京において韓人ニューニューカマーの居住地分布は完全に分散しており,既存の移住者とは居住地選択や集住地利用の様相が完全に異なる点である.オールドカマーが三河島や枝川,上野などに不可視的な集住地を,ニューカマーが新大久保に可視的な集住地をそれぞれ形成している一方で,ニューニューカマー移住者は,東京都の23区全体に分散しており,23区外の首都圏居住者は少なかった.また,かれらは,飲食店利用や食材購入のために,オールドカマーやニューカマーが形成した集住地に時折訪れる程度であり,集住地への依存度はあまり高くない.東京において,韓人ニューニューカマー移住者の集住地形成や郊外居住が見られない理由としては,移住者個人の高学歴・専門職化した属性,東京における単身者向け住宅・社宅・寮の存在,エスニック集団別のセグリゲーションがあまり起こらない都心部の民族構成などが同時に作用したと考えられる.
  • 深瀬 浩三, 宮地 忠幸
    セッションID: 206
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    日本の青果物流通において,産地側の農産物の集出荷は農協の果たす役割が大きい.その一方で,地域によっては任意組合や集出荷業者,産地市場,生産者組織などが集出荷に果たす役割も大きい.なかでも産地市場は,東京近郊の伝統的な野菜産地の形成において重要な役割を果たしてきた(新井,1996).しかし,近年では生産者の高齢化にともなう市場への入荷量の減少,その起因にもなってきた川下主導による野菜の価格形成動向などから,産地市場の果たす役割も変化してきているように思われる.都市近郊の野菜産地の存続可能性を検討するためにも,産地市場の経営やそこに集まる仲買人の経営動向や新たな取り組みの実態を明らかにする必要がある.
     そこで本研究は,従来から産地市場が野菜産地の形成や新展開に役割を果たしてきた埼玉県北部を研究対象地域として,近年の野菜流通を取り巻く環境変化のなかで,産地市場(とそこに集まる産地仲買人)が果たしている流通上の機能や役割を分析し,産地市場の野菜産地における存在意義について考察することを目的とする.
     本研究は,次の方法で行った.第一に,2018年に6つの産地市場(深谷市が5市場,熊谷市が1市場)に対して,経営実態等について聞き取り調査を行った.第二に,産地市場や埼玉県北部の農業概要について,農林水産省や埼玉県農林部が公表する統計資料を活用した.
     埼玉県北部地域に立地する産地市場は,生産者からの委託集荷を原則としており,主な取扱品目はネギが中心である.出荷者や産地仲買人の所在地は,一部に群馬県を含んでいるものの,その多くが各市場の周辺地域(深谷市や熊谷市の北部)である.ネギの規格は,農協より緩やかであるが,最上級の規格品は高い価格が形成されている.産地市場では出荷手数料率が農協に比べて低く,また,生産者に対しては出荷奨励金を出している.不作による低価格時は,産地市場が設立した子会社が買い支えしている.これらが,現在でも農協が産地市場へ出荷するネギ生産者を共販に取り込めない要因となっている.また,産地市場では産地仲買人が群馬県も含めて複数の市場で調達を行う関係から,セリ時間帯の分散や産地仲買人に対して完納奨励金を支払うなどして取引を確保している.
     ネギを中心とする農作物の出荷先は,産地仲買人を通じて,主に関東地方や冬季に野菜の入荷が減る北海道や東北,北陸の各地方における消費地市場である.その一方で,2000年代から,産地仲買人がカッティングなどの一次加工した上で,埼玉・群馬県内などの量販店や加工業者などへ出荷される割合も高くなっている.また,産地市場の子会社が,量販店や加工業者などへ出荷するなど,業務の多角化もみられた.産地仲買人から量販店などへネギなどが直接出荷される理由は,深谷ネギがブランド力をもっていることと,消費地市場を通して調達するよりも,複数の産地市場から確実に一定量を確保できるからである.これらが産地市場と産地仲買人の経営を維持している要因となっている.また,近年,生産者の高齢化などによるネギなどの出荷量の減少に対して,産地市場の中には,農家らと協力して農業法人を設立するなど新たな試みも行われている.
     以上のように,埼玉県北部の野菜産地は,1980年代から3つの流通団体が野菜の集出荷で競合し,産地の存立基盤が多様な側面で変化している.今回取り上げた深谷市とその周辺の産地市場は,現在もネギを中心に集出荷を行い,産地仲買人を通じて消費地市場へ転送している.この地域に複数の産地市場があることは,生産者の出荷先の選択や産地仲買人の農産物調達にとっても重要である.2000年代から量販店や加工業者などの需要に対して,産地市場が子会社を設立させ,ネギなどの一次加工を行い,対応してきている.しかし,産地内においては生産者や産地仲買人の減少が,産地としての供給力の維持にとって大きな課題になりつつある.こうした事態への対応は模索が続いている.
  • 大阪市西成区における居場所づくり事業を事例に
    稲田 七海
    セッションID: S806
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.高齢者の貧困と社会的孤立
     改正社会福祉法(2017年6月2日公布,2018年4月1日施行)では,複合的な課題をもつ生活困窮者等に対する地域における包括的支援体制の強化が明記され,地域共生社会の観点から支援の土台となる地域力の重要性が強調されている.また,地域包括ケアシステムにおいても,高齢者の貧困と社会的孤立に対応するため,いかにして見守り体制を構築し,切れ目のない円滑な支援を行なっていくかが重要な課題の一つとなっている.
     以上を踏まえ,本研究では大阪市西成区で実施されている生活保護受給高齢者を対象とした居場所づくり事業における調査の結果から,社会的孤立を防止する居場所づくりの機能を整理する.そして複合的な貧困状態にある高齢生活保護受給者の「関係性の貧困」を解消する支援のプロセスを明らかにし,居場所を拠点とした包括的高齢者支援の可能性について検討する.

    2.大阪市西成区での取り組み
     大阪市西成区では2013年に「西成区単身高齢生活保護受給者の社会的つながりづくり事業」が創設され,居場所事業の拠点である「ひと花センター」において高齢単身生活保護受給者への孤立防止の支援が実施されている.この事業の対象者の大半は,あいりん地域周辺で生活している単身高齢生活保護受給者である.利用者の多くが生活困窮状態に陥っても家族・親族からの扶養を受けられず,西成で生活保護を受給するに至っており,あらゆるつながりからの断絶が考えられる.また,介護保険や障害福祉などの対象とならないため,社会福祉支援の対象から漏れ落ちやすく,孤立リスクが高い.
     ひと花センターでは,高齢単身生活保護受給者の社会的孤立の防止と関係性の創出を目的とし,居場所の提供にとどまらない多様な支援プログラムを実施している.具体的なプログラムは,社会参加,表現・レクリエーション,健康教室のほか,金銭管理,悩み事相談,服薬サポートなどの生活支援である.本研究では,ひと花センターの利用状況と利用者の生活実態および,地域住民を対象とした意識調査の結果から,ひと花センターの居場所としての機能を明らかにし,居場所事業としての包括的支援のあり方について検討する.

    3.包括的支援と社会的孤立の防止
     調査の結果,ひと花センターのもつ居場所機能は,新たな関係性の創出の場,プログラム参加による間接的介護予防と生活支援の実施,地域とのつながりのコーディネートの三点で特徴づけられることが明らかとなった.
     第一に,居場所としての物理的な拠点が設けられていることである.プログラムの参加や相談窓口の利用以外にも,「ここに行けば誰かがいる」場所としてセンターが気軽に立ち寄れる場所となっている。単身高齢者にとってこのような居場所があることは、外出機会や他者と交流を持つ動機づけとなり、閉じこもりを防ぐことにもつながる。
     第二に,絵画や音楽,ダンスを行う表現プログラムやレクリエーションへの参加が利用者の心身の健康状態を活性化するために有効である点である.また,健康づくり,共同炊事,悩み相談などのプログラムへの継続的な参加は,利用者の生活や健康維持のスキルを高め,介護予防にもつながる.
     第三に,センターが有する人や地域社会とのつながりをコーディネートする機能である.個人では得られにくいボランティアや清掃活動などの地域活動に関する情報をセンターが取りまとめ,参加の仲介を行っている.また,地域活動による社会貢献は,生活保護受給によってスティグマ化された利用者の自尊感情や自己有用感を高めるための動機づけとなり,孤立と閉じこもりの防止に有効である.
     このように,利用者の孤立防止を目的とした場合には,地域資源との連携や交流が必要不可欠である.センターの開設以降,居場所に関わる各種NPOや市民グループの間に新たな交流が生まれ,居場所をハブとした新たな地域のネットワークが形成されつつある.居場所づくり事業は社会的孤立を防止するだけでなく,地域の共生を促す新たな拠点となる可能性も期待できる.
     しかし,課題も多い.居場所事業が大阪市の補助事業である以上,市の予算配分や地域対策の方向性によっては,居場所事業の継続が困難になる可能性も考えられる.高齢者の孤立を防止するためのコストと孤立を放置することで生じる新たな社会的コストのどちらを選択するのか,支援の公助・共助のバランスと合わせて検討されるべき課題である.
  • -伊豆半島大瀬崎の事例-
    髙瀬 南歩, 青木 久
    セッションID: P060
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに
     静岡県沼津市大瀬崎は,駿河湾に突き出た伊豆半島北西に位置する岬である.礫によって構成された長さ約0.5 kmの鉤状砂嘴が北方に向かって発達しており,南部には連続した海食崖が見られる.海食崖の前面には礫浜が発達しており,この礫浜は砂嘴と連続している.砂嘴は,一般に沿岸流の卓越する海岸で発達することから,大瀬崎では暴浪時に発生する沿岸流によって海浜の礫が北に向かって運搬・堆積することにより,砂嘴が形成・成長していると考えられる.
     礫の大きさや形を示す定量的指標に粒径と円形度がある.大瀬崎における現地観察によると,砂嘴の先端(北端)と,付け根付近における礫浜堆積物の粒径は大きく異なる.北に行くほど,粒径が小さくなるという傾向が見られた.また,海食崖の前面の礫浜上には崖から供給されたと思われる角ばった礫がしばしば観察され,丸みを帯びた礫で構成される砂嘴上の礫浜とは様子が異なっている.
     そこで本研究では,沿岸流が卓越すると考えられる大瀬崎の礫浜において,沿岸流による礫の粒径と円形度の空間的変化を定量的に明らかにすることを目的とする.さらに,礫に見立てたレンガを礫浜上に置き,レンガの移動量と形状の変化を追跡・観察するという野外実験を行ったので,その結果も併せて報告する.

    2.調査方法
     野外調査では,大瀬崎の礫浜において,背後に海食崖がある礫浜(地点1),砂嘴の付け根付近の礫浜(地点2),砂嘴の先端付近の礫浜(地点3)の3地点を調査地点として設定した.各地点の測線上において方形枠を複数設け,礫浜上部から写真撮影し,画像解析によって礫の粒径(D)と円形度(C)を求めた.野外実験では,2018年8月8日に地点2の礫浜上に汀線に対して直交方向に一列に,一定の形状(23 cm×11 cm×6 cm)をもつレンガを複数配置し,9月17日と11月21日に,レンガの移動,およびDCの変化の追跡調査を実施した.

    3.結果・考察
     野外調査より,大瀬崎の礫浜は,砂嘴の先端に近い地点ほど,Dは小さく,Cが大きい(丸い)礫で構成されていることがわかった.また,野外実験より,レンガは沿岸流による移動距離(L)が長いほど,摩耗もしくは破砕により,Dは小さくなり,Cが大きくなることがわかった.これは野外調査で求めた礫の空間的変化の傾向と一致する.すなわち大瀬崎の礫は,沿岸流によって摩耗と破砕が起こり,DCを変化させながら北に移動していると推察される.
  • 竹本 弘幸
    セッションID: S105
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    はじめに 昨今の論文に見られるオリジナルデータと新発見史料の無断使用は,多くの不利益を発生させている.本発表では,演者が体験中の被害事例(科学者の行動規範に抵触)を紹介し,この積み重ねがジオパーク運営においても大きな支障となるこの問題にどう向き合うべきか考えたい.

    新発見史料の被害実態と再発防止の警告文例

    ■下記機関・関係者は,演者が2002年日本火山学会で発表,公開講座限定で協力した「新発見の画像と内容」を無断で転載したものを今も頒布・販売を継続中.提供目的外で流用解析して論文を公表するなど不正行為を続けています.今後の発表を含め,この関係者には2次使用も一切お断り致します.会員各位には,不正排除と再発防止に御協力をお願い致します

    ① 内閣府中央防災会議(2005)1888磐梯山噴火報告書184p.N執筆 p12-15.

     S氏・Ch氏・N氏(2005)磐梯山に強くなる本(福島県火山学習会)28p.磐梯山噴火記念館.【うつくしま基金助成 有償】p12に無断掲載

    ③ 福島県立博物館(2008)会津磐梯山 p48-49,T氏(2009)同紀要23号p13-34.

    繰り返される3つの不正行為の実態とまとめ
    2008年地元研究者の通報により被害を知り内閣府へ通報➡内閣府はNを厳重注意➡Nは,事実を認め2度と無断使用や私の研究に支障を来すことをしないと確約する謝罪書面を提出することで決着.しかし,この報告書はネット閲覧可能となり拡散されていた.2016年N査読で学会誌「火山」に画像を無断掲載した論文が公表されたことで被害が拡大.1年以上内閣府・学会に被害報告をし,画像と関係文書が削除された.Nは学会の聞き取りに,竹本(2013)の発表と警告文の存在を2017年まで知らなかったと証言したが,2013年大会実行委員長・発表プログラム編集委員に加え,有力2紙に3日間報道されていたことから主張は退けられ,公開講座資料・学会誌・J-Stage上からも掲載画像は全て削除された.①同様,Nが流用した画像を掲載,他の個人や機関も同様の被害.奥付に氏名・機関名まで無断掲載され,著作権まで主張.この行為を止めるよう3学会要旨集に警告文を掲載(~2015).2016年時点でも販売していたことから訴訟通告.その後,和解の申入れがあり,合意文書の作成とHP上でお詫び掲載, 配布先へ合意文の添付を確約したので和解.しかし,履行確認のため県立図書館等で検証すると,全文掲載が基本である文書は改ざんされ,一部の隠蔽が判明.2008年会津磐梯山展で噴火画像を展示・解説したいとTより依頼を受け,画像と解説文を提供.図録は届くが掲載なし, 翌年刊行の紀要にも謝辞・引用もなく全てTの研究成果となっていた.2016年,画像を無断使用した「火山」論文執筆者が自説裏付に当該紀要を引用しており,再発防止のため博物館へ厳重抗議と引用不要を火山学会に申し入れることを和解条件とした(音声データ有).その際,提供条件すら守っていなかったことが判明.一方,和解条件である図録と紀要の一部制限は,館側に拒否され被害は拡大中であり,T氏からの謝罪はただ一度もない.また,S磐梯山噴火写真帳の寄託者A氏に無断で複製を作成所持するなど「科学者の行動規範」に抵触する人物であり,彼らが関与する限り当該ジオパークはリセットすべきものと考える.
  • 呉 咏楠
    セッションID: P092
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに:研究背景と目的

    近年,ビザの緩和などの原因により,外国人観光客数と消費額が急増し,インバウンド需要が高まっている.また,国別外国人旅行者行動特性調査によると,新宿周辺は,最も外国人訪問者数が多い場所として挙げられる.この新宿周辺のターミナルである新宿駅に着目し,インバウンド観光の実態調査及び分析をする.

    2.研究対象地域

    本研究では、研究対象地域として新宿東口を中心に周辺地域を設定した.東京の副都心新宿に位置する新宿駅の東口や東南口、新宿三丁目駅周辺を対象とする地域で,大ゲート東交差点、新宿三丁目北交差点、新宿四丁目南交差点と新宿駅南口交差点より,明治通り、靖国通りの道路を堺として研究対象地域を選定した.研究対象地域は、JR線と京王線、小田急線、地下鉄副都心線、丸ノ内線、都営新宿線の多くの路線が含まれる結節点である.この地域は、世界有数の乗降客数と外国人観光客訪問者数が集中している.研究対象地域に設定される理由としてインバウンド観光により街路景観変化が著しく変化されている.

    3.研究方法

    研究方法として以下の方法を用いる.GISを用いて新宿東口周辺地域における業種を調査し,ベースマップを作成する.

    現地調査には,建物1階の業種、建物の外観と外国人観光客向けの標識、決済方法、免税サービスの利用状況等について,現地調査を行い,対象地域におけるインバウンド観光の現状を明らかにする.現時点では,外国人観光客の主体である中国人観光客について調査を行なう.

    4.分析結果

    対象地域内全建物の種類を判明し,建物ごとの業種の分布図は、地面1階の業種を示すものになる.現時点で作成した分布図を判読し,飲食店や洋品店には集中する傾向がある.

    まず,中国人観光客向けのサービスを把握する上で分類する.免税サービスについて,建物外部に設置する免税表示の実態を図に示す.現地調査により,免税看板には中国語、英語や韓国語表記があり,言語数と表記言語の詳細について現状図を作成し,分析を行う.免税の表示は主要街路に沿って分布し,中国語を含む免税表示が多数設置した.免税不可の店舗を除く,新宿通り沿いの商業施設に免税表示が多数分布している.家電製品、衣料品、消耗品などを販売する店舗が免税店であることが分かった.

    次に,決済方法に関するマップは主に中国人観光客が利用する銀聯カード(クレジット機能付もあり)と電子マネー(アリペイやWeChat Payなど)の利用現状を解析した.決済方法を示す看板の有無について分布図を作成し,分析を行った結果銀聯カード利用可能の表示が多く設置され,利用者が多い.一方,電子マネーの利用は普及段階であることが分かった.

    さらに,中国人観光客向けの免税サービスや決済方法などの観光客が利用するサービスと対象地域に立地する店舗の業種について関連性の分析を行う.

    このような実態を踏まえ,新宿駅周辺地域を訪問する外国人観光客を国籍、地域別に団体旅客と個別手配旅客が行い行動によってどのような観光を行っているのかを明らかにする.
  • 邑南町布施地区を対象に
    山﨑 恭平
    セッションID: 203
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1、はじめに

     日本において、中山間地域は国内への食糧供給だけでなく国土保全やレクリエーションの場の提供など様々な機能を果たしており、その維持は非常に重要である。中山間地域は一般に過疎が進んだ地域であることが多く、そうした地域の地域振興策等の議論が盛んである一方、そのような条件不利地域で生活する人々が、どのように生計を立てているかについて、山村集落の各世帯を回り調査したものは見受けられなかった。本研究では、対象地区の約半分の世帯の世帯員の主業とその所得を調査することで、その地区の所得構造と就業基盤を明らかにした。また、国土保全の観点から、中山間地域における農業の継続が重要だが、調査地区3集落のそれぞれの農業に対する取り組み方から、山村での農業の継続において、どのような条件が必要か検討した。



    2、研究手法

     調査地区は、日本の中でも中山間地域を多く抱え、過疎が先進的に進んだ島根県の中でも、中国山地の山間の邑南町内にある布施地区である。邑南町は島根県の中でも人口減少や高齢化が進んだ市町村であるが、近年社会増加を達成した島根県内で数少ない市町村である。布施地区は邑南町の中心地からやや離れた位置にあり、町内でも高齢化が進んでいる地区である。布施地区には農業以外の主な産業はなく、農業も稲作中心で、主な特産物もない。このように、地区内に収入源となる産業のない布施地区において、地区内の就業者のいる世帯を中心に約半分の世帯において、世帯員の現在および過去の主業とその所得、そして、世帯員のライフヒストリーと世帯の農業についてインタビュー調査を行った。



    3、研究結果

     山村における所得構造においては、所得は大きく就業形態と産業によって基底されることが分かった。そして、就業した形態の差から所得の男女差が説明できた。さらに、UIターンした年齢によって所得に差が生じていた。全体として、布施地区の就業基盤は、邑南町内にある3つの事業所の集積地と、そのいずれにも存在する「医療,福祉」の事業所であると結論付けられた。

     布施地区の3つの集落は、かつていずれも基本的に各農家で完結した経営を行っていた。しかし、現在もそうした集落は1集落のみで、他2集落では集落営農法人を立ち上げ、片方は集落住民が主体となって、もう片方は外部企業に委託する形で農業を継続していた。そして、いずれも補助金に大きく支えられながら、それぞれの方法で若い労働力を確保していることが分かった。

     最後に布施地区の世帯の変遷を追うことで、就業基盤があり子育てを含めて生活できる条件がそろっていても、世帯の世代交代が次第に縮小していることが分かった。これは、集落内の労働力だけで農業を継続するのが困難になることを意味する。社会増加を達成した邑南町内の布施地区でさえも、このような状況であることから、集落内に主な収入源のない山村では、より深刻な状況が推測される。
  • 井口 豊
    セッションID: P049
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    2014年11月22日長野県北部で発生したM6.7の地震では,糸魚川-静岡構造線系の活断層「神城断層」に沿って,地表地震断層が確認された。本研究では,地震後に白馬村飯田で,鈴木・渡辺(2014)によって確認された東西方向の断層に注目し, Google Earth Pro を用いて地表変動を分析した,井口(2017)が地震後3年を経ても水田に地形変化が認められることを紹介した断層でもある。地震翌年,2015年10月26日の Google Earth 画像では,北側隆起の断層による地形の切れ込みと東西方向の撓曲が明瞭に示された。実際の隆起は 40 cm であったが(遠田ほか,2016),画像で計測された隆起は約 20 cmであった。熊本地震による地形変位を Google Earth で計測したときも,上下変位の実際との誤差は比較的小さかった(井口,2016)。地震直後2014年11月30日の画像では,前述の撓曲が,東へ蛇行するように続く様子が明らかになった。これは鈴木・渡辺(2014)が推定した撓曲に一致した。地震前の2014年10月11日の画像でも,地震前から,ここに東西方向の撓曲が存在したことが判明した。

    参考文献
    井口豊 (2016) Google Earthを利用した2016年熊本地震の地表変動の解析. 日本活断層学会2016年度秋季学術大会講演予稿集: 80-81.
    井口豊 (2017) 2014年長野県神城断層地震後の地形と植生の変化. 日本活断層学会2017年度秋季学術大会講演予稿集: 102-103.
    鈴木康弘・渡辺満久(2014)堀之内北北西約1kmの地点で水田面に明瞭な変位を確認.緊急調査報告,日本活断層学会災害委員会.
    遠田晋次・奥村晃史・石村大輔・丹羽雄一(2016)3. 2. 2 トレンチ掘削調査.文部科学省研究開発局・国立大学法人東北大学災害科学国際研究所編「糸魚川-静岡構造線 断層帯における重点的な調査観測(追加調査)平成 27 年度成果報告書」.
  • 地図/GISに焦点を当てて
    河合 豊明
    セッションID: S201
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    2018年告示の新学習指導要領によって必履修科目として新たに設置される「地理総合」て゛は,「ESD・国際理解」・「防災・地域調査」と並んて゛「地図・GIS」か゛学習の柱となった。そこて゛本報告は「地図・GIS」に焦点を当て,学校現場て゛高校地理の授業実践を続けている立場からの視点て゛,いかにGISを導入した授業を即座に取り入れるかを検討するものて゛ある。高校て゛の授業にGISを導入することに関しては,取り入 れる際にインターネットやコンヒ゜ュータといったICT環境整備の点て゛様々な障壁か゛これまて゛に数多く指摘されてきた (谷・斎藤,2019なと゛)。そして,学校て゛のICT環境整備の障壁を克服することは自治体こ゛とに大きく事情か゛異なっており,GISソフトを活用した授業の実施か゛2022年から全国て゛一斉に,確実に実施て゛きるとは言い難い状況にある。 そこて゛本報告て゛は,GIS導入の前に必要となる様々な学校て゛のICT環境整備か゛行われないままの状態て゛,GISを理解することと,GISを生徒自らか゛活用て゛きる授業か゛展開て゛きるかを検討するため,2つの授業を実践した。高校地理て゛いかにGISを扱うか。この議論は,2011年に日本学術会議から「地理基礎」開設か゛提言された当時既に行われていた。当初は,GISか゛何かを学ふ゛のか,GISて゛何 かを学ふ゛のかといった議論か゛基本て゛あったか゛,「地理総合」の開設か゛決定してからは,GISをいかに活用するかに議論か゛集中しているように感し゛られる。その一方て゛,上述のよ うに谷・斎藤(2019)によって環境整備の観点から授業への GISの導入か゛依然として途上段階にあることか゛明確になった。このことからも,環境整備を急か゛なけれは゛ならないことと同時に,応急処置的取り組みとしてアナロク゛環境て゛いかにGISを活用した授業を実施するかの検討か゛必要て゛ある。 本発表て゛は,その検討を始める1つのきっかけとして話題を提供する。
  • 愛知県東加茂郡賀茂村『寄留届綴』の分析から
    鈴木 允
    セッションID: P079
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    近代日本の人口移動の実態については,これまでほとんど明らかにされてこなかった.報告者は,こうした研究の空隙を埋めるべく,当時運用されていた寄留制度に基づき作成された寄留届の個票を集計したデータベースを作成し,愛知県東加茂郡賀茂村の『寄留届綴』の分析から,大正期における山村地域からの出寄留者の属性や寄留地などの傾向を明らかにする研究に取り組んできた.これまでの成果として,当時の出寄留の実態は①近隣都市の工場へ住み込みで働きに出る女工を中心とした単身寄留と,②大都市への住所寄留者の両方が主流で,②では世帯単位の随伴寄留者も多く見られることが示された.さらに大正~昭和初期にかけて出寄留者数が増加していった過程が明らかにされ,①の数に大きな変動がないのに対し,②が大きく増加していたことも明らかになった.
    さらに,地域人口の変化をもたらした社会・経済的背景の検討のため,中川清による職業分類の枠組みを援用して職業分類を行い,出寄留者の職業を分析したところ,主に次の6点が観察された.
    (1) 農業の寄留者(近隣の村への寄留が多い)の減少.
    (2) 「力役型」・「雑業型」の就業者が少ないこと.
    (3) 女工の多さが際立っていること.
    (4) 「職人」・「商人」が多いこと.
    (5) 官公吏・学生が比較的多いが,これらは県外への寄留は僅少であること.
    (6) 「無業」の寄留者もかなり多いこと.
    こうした知見を,近代日本の都市化や産業化との関わりにおいて解釈するためには,当時の社会・経済的背景との関係をより詳細に解明していくことが望まれる.本研究はこのような問題意識に基づき,出寄留者の寄留先と職業の関係,職業と世帯との関係などを詳しく明らかにするものである.
  • 河合 豊明, 河原 佳音
    セッションID: 304
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    2018年告示の新学習指導要領によって必履修科目として新たに設置される「地理総合」て゛は,「ESD・国際理解」と並んて゛「地図・GIS」「防災・地域調査」か゛学習の柱と して設定されている。高校て゛の授業にGISを導入することに関しては,インターネットやコンヒ゜ュータといったICT環境整備の点て゛様々な障壁か゛これまて゛に数多く指摘されて いる(谷・斎藤,2019なと゛)。障壁の払拭はまた゛途上段階て゛あるか゛,「地理総合」の開設か゛決定してから地理教育のセッションて゛は,高校授業の中て゛GISをいかに活用するかに議論か゛集中している。一方て゛,高校生ホ゜スターセッションのフ゛ースを見れは゛数多くの高校生か゛GISを活用し,各々か゛暮らす地域を分析し,地域政策の提言になりうる発表を繰り広け゛ている。つまり,ICT環境か゛既に整備されている学校て゛は数多くの授業実践か゛行われ,熱心な高校生による取り組みか゛次々と生まれているということて゛ある。そこて゛本発表て゛は,高校て゛実施している地域分析・地域政策の提言に関する授業を踏まえ,と゛のような形て゛高校生と学校,そして地域住民や行政と関わることか゛て゛きるかを検討する。本報告て゛は,授業実践とその後の生徒による活動の一例を取り上け゛,実際に高校生か゛と゛のような視点て゛地域を分析するか,またと゛のような政策を立案するかを報告する。高校地理は課題解決型学習としての位置付けか゛求められているか゛,GISを用いることて゛地域の課題を発見することか゛容易となっている。また地理総合の開設に伴って,高校て゛の学習を社会に還元することか゛求められていくて゛あろう。そのためにも,学校教育を学校内て゛完結してしまうのて゛はなく,生徒と学校,地域住民,行政か゛いかに連携し関わっていくことか゛求められる。
  • 古関 大樹
    セッションID: 618
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに

     法務局に備え付けられた旧土地台帳附属地図(旧公図)は,その前段階に作られた①壬申地券地引絵図,②地租改正地引絵図,③地籍編製地籍地図,④地押調査,⑤更正地図が基になっている。その成立過程や資料的性格は,府県によって大きく異なっており,明治22年の土地台帳制度移行時に公図として選ばれた種類も異なっている。法務局の旧公図は,全国で普遍的に残る資料であり,これまで盛んに学術利用されている。旧公図が①~⑤の中から選択されていることは,登記関係者の間でも十分には認識されておらず,基礎的研究の進展が求められている。

     京都府は,他府県に比べて先行研究が進んでおり,地租改正事業と地籍編製事業の変遷が整理されている(竹林1989・1997)。『近代京都の絵図・地図』では,市町村伝来の地籍図の事例が示され,鈴木の研究では,洛中における一筆図の変遷が分析された(鈴木2015)。旧豊岡県については古関の2018年の発表がある。これらの研究を参考にしながら,本発表では,法務局備え付けの旧公図の資料的性格を検証したい。

     

    2.旧京都府にあたる地域

     京都府は,旧豊岡県が明治9年8月21日に旧京都府と旧兵庫県に分割編入して成立した。旧豊岡県は明治7年2月,旧京都府は明治8年8月に独自の方式の「地租改正ニ付人民心得書」を伝達し,それぞれ異なる方法で土地調査と地図作成が進められた。郡村地の調査は,明治10年5月に概ね終了したが,山林原野の調査が遅れた村落については明治11年から追加調査が行われた。そのため,京都府内では,耕宅地と山林の簿冊が異なる場合がある。

     旧京都府にあたる地域では,新しい地図に差し替えられていなければ,明治8~9年頃の地租改正地引絵図が旧公図として活用されている。これは,約1/600の縮尺の字限図が基本になっており,各筆には地番・地目・反別が記されている。図の端に字ごとの総反別と地目ごとの内訳があり,奥書では戸長・副戸長・地主総代の署名押印がある(評価人という役職名がみられる場合もある)。一村全図は,字ごとの概略しか描かれておらず,その索引図としての要素が強い。明治18年の地押調査の追加修正などが後から書き加えられている。



    3.旧豊岡県にあたる地域

    旧豊岡県では,明治5~6年に壬申地券地引絵図が作られた。そのため,明治7年2月の「地租改正ニ付人民心得書」では,その反別小前帳を土台にするとあり,地租改正地引絵図は基本的に作られなかった。明治18年の地押調査で地図が新しく作られており,これが旧公図に充当された。山林については,明治11年頃の成果がそのまま基になった事例もある。



    4.京都市街(上京・下京)と周辺地域

     明治17年3月に「地籍編纂心得書」が伝達され,上京・下京の市街地は年内に調査が完了した。これは,道路・水路などの官有地の調査を原則とし,民有地は地租改正の成果が充当された。村図の縮尺は1/6000,字図は1/600と定められた。同年11月には,郡村地域の調査を進めるために「心得書」が改訂され,葛野郡,愛宕郡,乙訓郡,宇治郡の一部で調査が実施されたが,地押調査が本格化した明治19年に中断された。

     上京・下京の市街地の旧公図は,地籍編製地籍地図が基になっている。しかし,府立京都学・歴彩館で公開されているものと比べると,外周に測量値が新しく追記されており,全体的な形が修正された事例が比較的多くみられる。各筆には,地番・地目が記されており,図の端には町ごとの総反別と内訳がある。官有地については,官三(官有地第三種)などと,地種が書き加えられている。周辺の郡村地域でも,地籍編製地籍地図が旧公図の基になった場合がある。

     このように,京都府内の法務局では,3つの地域で旧公図の成り立ちが異なっている。なお,村落によっては,明治30年代に更正地図が新調され,旧図と差し替えられている場合もある。
  • 原 真志
    セッションID: 336
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.背景と研究目的
     インバウンド外国人観光客が増加する中, 食を中心とした観光による地域活性化の取組みが注目を集める一方(観光庁, 2018; 鈴木, 2007; 安田, 2016). 厚生労働省が2013~2014年に「日本人の長寿を支える『健康な食事』のあり方に関する検討会」を開催するなど, 健康によい食のあり方やとフードシステムのあり方が問われている(厚生労働省, 2014; 薬師寺, 2014; 岩間他, 2015; 荒木他, 2007). こうした2つの観点からの先進事例として地中海食があげられる(Campon-Cerro et al., 2014). 本研究は,地中海食に関する関連分野の研究を概観し,食文化に関係する地理学研究や認知文化経済の視点と照合することにより,多面的な地中海食のダイナミクスの特性を分析する視点の抽出を試みることを目的とする.

    2.地中海食に関する研究
     地中海食は2010年ユネスコの世界無形文化遺産に登録されて一般の注目度が高まっているが(Saulle and La Torre, 2010), 元々は米国ミネソタ大学の疫学のAncel Keys教授らが1950年代末から開始した7ヵ国を対象とした疫学調査, いわゆる「7ヵ国調査」が発端であり(Menotti and Puddu, 2015; 横山他,2018), 地中海沿岸の諸国では, 北欧や米国に比べ, 虚血性心疾患の発症が1/3以下であること等が示され, さらにKeys教授が1975年に出版した本“How to Eat Well and Stay Well: The Mediterranean Way”によって健康食としての地中海食が認識されるようになった(横山他,2018).その後, 地中海食の効果に関して疫学, 栄養学, 医学等の領域で数多くの研究がなされている(Castro-Quezana et al., 2014; Gotsis et al., 2015; Menotti and Puddu, 2015; El Bilali et al., 2017; 佐々木, 2013; 横山他,2018).
     また, 世界遺産登録前から地中海食に関して国際的な取組みが組織的に進められており, 2009年には持続可能な食事モデルとしての地中海食に関する国際会議が開催され, 2012年にマルタで開催された第9回CIHEA農業大臣会議では, 地中海食の役割は地中海における持続可能なフードシステムの牽引役であると位置づけられた(Dernini et al., 2016). さらに国際連合食糧農業機関(FAO)と地中海農業先端国際研究センター(CIHEAM)は地中海食文化フォーラム(FMFC)や地中海食国際基金(IFMed)と協力し, 持続可能な食事としての地中海食のポイントを(A)栄養と健康, (B)環境, (C)経済, (D)社会と文化という4つの次元のフレームワークとして示すMed Diet 4.0を2015年に開発している(Dernini et al., 2016; Hachem et al., 2016).
     地中海食は健康食のモデルとして世界に知られ, 地中海食を域外の国に応用しようとする試みがカナダとアメリカや(Abdullah et al., 2015), オーストラリアでも行われているにも関わらず(George et al., 2018), 地中海諸国の現地では若い世代を中心に地中海食離れが進んでいることが報告されており(Saulle et al., 2016; Hachem et al., 2016), 相矛盾した現象が生じている. 地中海食は単純な成功事例ではなく, 成功面と失敗面を含み, 理想と実態が複雑に絡む多面的な特性をもつものとして分析する必要がある.

    3.食文化への認知文化経済的地理学アプローチに向けて
     地中海食のダイナミクスの理解には、近年の経済地理学や食の地理学に影響を与えているアクターネットワークセオリー(Murdoch, 1998; Mueller, 2015; Watts and Scales, 2015; 北崎, 2002; 荒木他, 2007; 野尻, 2015; 野尻, 2016),認知文化経済やコンヴァンシオン経済学が重視するアクターの認知的行動, 現実世界の社会的構成のあり方に注目する視点(荒木他, 2007; Scott, 2014),ならびにイノベーション研究における資源動員の正当化の視点を応用し(軽部他, 2007; 武石他, 2008; 松本, 2011),健康食という価値を付与された概念としての「地中海食」が、どの空間スケールでどんなアクターが関係したいかなるプロセスで正当化され, 社会に浸透していったのか,そのプロセスにおいて地理的概念がどのように機能してきたのかを分析する視点が求められる.
  • 大邑 潤三
    セッションID: 534
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    文政十三年七月二日(グレゴリオ暦1830年8月19日)に発生した文政京都地震はM6.5±0.2とされる内陸地震である,愛宕山付近が震央と考えられ,京都市街地では土蔵や塀が崩れ,建物倒壊も発生した.本地震では震央から10km程度離れた京都盆地北東部で建物倒壊被害が多く発生しており,東山を越えて京都から滋賀に抜ける道では,通行不能となる被害も発生している.また修学院や清水寺,方広寺では石垣の被害も発生した.これらの地域には山麓に複数の活断層が確認されており,被害地点と一致する部分がある.活断層による地下構造の急激な変化により地震動が増幅されるという,マクロな活断層の影響に加え,より局所的なミクロな活断層の影響も考えられる.
  • 加藤 内藏進, 松本 健吾, 槌田 知恭, 大谷 和男
    セッションID: 507
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    100年間を超える長期間についての解析は,過去の気候の長期変動・変化自体の解明に必要なだけでなく,変動のパラメーターレンジの大きさの中での現象の多彩さや比較的稀な現象についても,かなり長い期間でみるからこそ,それなりの例数で把握出来ることに繋がる。つまり,長期変動から,動気候学的な『振れ幅も含めた平均像』が見えてくることになる。そこで今回は,このような観点から,基盤研究(S)(代表者:松本淳,2014〜2018年度)の中で行なって来た本グループの成果の一部を取り纏めて報告する。なお,長期変化を調べるための東アジア独自の注目すべき視点の検討のため,『大雨の質の多様性』,『季節の変わり目』にも注目した解析を行うとともに,1901年以降の長期解析として,東日本と西日本(東京と長崎を代表例として)での梅雨〜盛夏期の降水特性の多様性にも注目して解析を行なって来た(1950年代以降の中国大陸の雨に関する結果は,本大会で別に発表予定)。主な結果は次の通りである。
    ◆1971~2000年と比較して2000年代(2001~2010年)6月の総降水量は,50mm/day以上の大雨日の寄与の減少を反映して,九州北西部を中心にかなり減少。これは,梅雨最盛期に,相対的に大雨域の南北幅の広い事例の出現頻度の減少を反映していた点を指摘(Otani et al. 2015, SOLA)。
    ◆関東(東京を例に)での梅雨最盛期の大雨は,九州と違って,台風が南東側から接近する時も含めて,「基本場の傾圧性が大きく崩れぬ状況での地雨的な降水の持続」による事例も少なくない点が分かった(40年間のデータに基づく)。
    ◆東京と長崎の1901〜2010年の梅雨最盛期の降水の長期解析より,東京(関東)では,「大雨日」の寄与が大変小さくても総降水量が相対的に大きい年,九州と同様に「大雨日の大きな寄与」で総降水量も多くなる年,双方とも出現。前者は時間降水量10mm未満の「普通の雨」で特徴づけられる「非大雨日」の頻出,後者は,関東南西方の低圧部の持続により南風が通常以上に東方まで侵入することを反映。東日本の大雨の「質」や大気場の因子の多様性を提示。なお,長崎の梅雨最盛期に「大雨日」の寄与は少ないが総降水量はそれほど少なくない年につては,「大雨」にはならなくても時間降水量の1日の中での変動は小さくなく,対流的な要素も弱くないようであった。
    その他,○盛夏期における日本列島規模での総降水量が小さくない日の総観的状況の梅雨期との違い。○1985-2015年暖候期の高知と岡山との大きな平均降水量差ΔPRに関わる日々の大きなΔPRの事例(30mm/日以上)について,基本的には高知側での強雨の発生を反映するが,大気場や山の影響の8,9月での大きな違いが示唆。また4月頃には,低気圧接近時の安定成層下での「普通の雨」が風上の高知側で持続する事例の少なからぬ寄与。○台風が日本列島に接近時の台風本体以外での広域の総降水量増大に関わる因子の,盛夏期,秋雨期,秋が深まる時期という季節毎の事例での違い。○1972〜2015年1月における北陸平野部での総降雪量の1987年以降の減少に対する,冬型1日あたりの降雪量の大きな減少の寄与,○日々のシベリア高気圧の季節的形成・衰退の特徴と日々の現象の関わりや,それらの季節進行の非対称性,等々,を明らかにした。
    今回の発表では,以上の中から,主に,梅雨期や盛夏期の降水に関連した長期解析の結果を中心に報告する。
  • 小野 有五
    セッションID: S602
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は、シンポジウム「自然と人間の関わりの地理学: 環境研究と社会連携」の基調講演である。前半では、純粋な自然地理学研究者として出発した筆者が、なぜ環境問題に関わり、自然と人間の関わりの地理学を目指すようになったかについて紹介する。その過程において、地理学が、環境問題や社会的な紛争への介入をつねに回避してきたこと、環境問題に関わること自体が伝統的な地理学では、”政治的”と見なされてきたことを明らかにし、そのために、伝統的な地理学は、環境問題における政策決定の”アリーナ”からは排除されてきたことを示す。このため、たとえば、洪水対策における政策決定の”アリーナ”に割り込もうとすれば、まずそれを支配している河川工学者と「たたかう」ことが必要だったのである。筆者が、四半世紀にわたるこのような環境問題への地理学者としての介入や活動をまとめた本に『たたかう地理学』というタイトルを与えたのはそのためである。後半では、そのような伝統的な地理学を脱構築し、環境問題や社会紛争の解決に役立つ新しい地理学を再構築するための可能性について論じる。1つの可能性は岩田(2018a,b)の提示する「統合自然地理学」であり、そのなかのいくつかの研究は、自然と人文を統合した真の「地理学」になっているといえる。一方、人間や環境を全く無視して、たんに自然地理だけを統合したものは「地理学」の立場からは批判されよう。環境に関わる地理学においては、位置的、空間的な「トポス」ではなく、個別的、実存的な意味をもつ「場所」(プラトンのコーラ)が重要であり、環境問題がますます人類にとって重要となる「人新世」においては、地理教育の中心は不可避的にESDにならざるを得ないこと、ESDは、地理教育者自身の、そのような具体的な「場所」との関わりや、水俣病から人類が学んだ「予防原則」、あるいは広大な「アネクメーネ」をつくりだしたフクシマの原発事故を土台として構築されるべきことを論じる。
  • 久保田 尚之, 松本 淳, 赤坂 郁美, 財城 真寿美, 小林 茂
    セッションID: 505
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    アジアモンスーン研究に欠かせない気象データは、東南アジア域では歴史的な経緯から第2次世界大戦以降の期間に限られた。その中で、フィリピンでの過去150年間の気象資料が海外の図書館などに離散していることを発見し、この13年間でその多くを収集し、デジタルデータに復元してきた。今回は、過去のフィリピンの気象データを復元する「データレスキュー」の取り組みと、作成したフィリピンの過去125年間の降水量データセットを用いた夏季アジアモンスーン変動研究について報告する。

    2.  フィリピン気象資料の復元

     フィリピンは19世紀までスペイン統治下にあり、イエズス会によって1865年にマニラ気象台が設置され、気象観測がはじまった(Udias 1996)。その後1898年の米西戦争を経て、1901年からアメリカ統治下のもと、第2次世界大戦までイエズス会が気象観測を継続した。“Observatorio meteorologico del Ateneo Municipal de Manila”(1866-1882),” “Observatorio meteorologico de Manila”(1883-1900), “Monthly Bulletins of Philippine Weather Bureau”(1901-1940年8月)のフィリピンの気象資料はイギリス、オランダ、スペイン、カナダの気象局及びハワイ大学と気象庁で収集してきた(Kubota and Chan 2009,赤坂2014)。1940年9月から第2次世界大戦開始(1941年12月8日)までは南方気象調査月報に記録されていた(台湾大学で収集)。第2次世界大戦中は日本軍の第22野戦気象隊が観測し、1942年-1944年の一部の気象月報が、アメリカ議会図書館や気象庁、防衛省で見つかった(小林と山本2013)。1945年2月にはアメリカ軍により気象観測が開始し(NOAA )、1947年からはフィリピン気象局(PAGASA)が気象観測を展開した。
     アメリカ統治下の1940年には最大300地点以上で気象観測が行われていたが(赤坂2014)、現在PAGASAが展開している気象台とほぼ同じ地点で戦前も観測していた41点を抽出し、日降水量をデジタルデータに復元し、
    1890-2014年の降水量データセットを作成した。ただし、1900年以前はマニラ以外の地点にデータ均質性の問題があり、使用していない。

    3.  夏季アジアモンスーン変動

    フィリピンはマニラを含む北西側の地域で、夏季に南西の季節風の影響を受けて雨量が増加する明瞭なモンスーンが見られる(Flores and Balagot 1969)。また、夏季モンスーンはエルニーニョ南方振動(ENSO)の影響を受けて年々変動もまた顕著に現れる。エルニーニョが衰退した翌夏に、インド洋の高水温偏差が持続することによる遠隔影響で夏季モンスーンが不活発になる(Xie et al. 2009)。一方で、ENSOは十年規模変動(PDO)の影響を受けてその強度が数十年規模で変動している(Mantua et al. 1997)。このことはENSOに伴ったインド洋からの遠隔影響の強度もまた数十年規模で変動することを意味する。復元したフィリピン降水量データセットを用いると、フィリピンの夏季モンスーンは、インド洋からの遠隔影響が顕著な時期(1970年代以降、1940年代以前)に、ENSOによる年々変動が顕著になることが明らかとなった(Chowdary et al. 2012)。

    フィリピンの夏季モンスーンをもたらす活発な積乱雲域は、その北側に下降気流を強化し太平洋高気圧を発達させ、日本周辺に盛夏をもたらす特徴があり、Pacific-Japan(PJ)パターンと呼ばれる(Nitta 1987)。フィリピンの夏季モンスーンが、数十年規模で変調していることを受けて、PJパターンによる日本の天候への影響もまた、数十年規模で変動していることが明らかとなった(Kubota et al. 2016)。

    さらに、フィリピン降水量データセットから夏季モンスーンの開始時期を定義し、過去120年間を調べ、モンスーン開始が早い時期は台風による影響が大きいことを明らかにした(Kubota et al. 2017)。
  • 後藤 健介
    セッションID: P001
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. はじめに

     全国で自然災害が多発する中、子どもたちが多くの時間を過ごす学校における防災・減災の重要性がさらに高まってきている。しかしながら、教員の自然災害に関して有している知識の現状や、防災教育および防災・減災活動の現状について、全国的にどのようになっているのかあまり調べられていない。

     そこで、本研究では、教員を対象とした自然災害の基礎知識に関するアンケート調査を実施し、教育現場における自然災害の知識保有率を把握すると共に、教育現場の防災教育の現状について全国的に調査することとした。



    2. 研究方法

     全国の教育現場における現状を知ることを目的としたため、全国から多くのサンプル結果が得られるwebによるアンケートを2017年3月に実施した。アンケートの設問については、アンケート実施前に教育現場において聞き取り調査などを行い、どのような設問にすべきか十分な検討をした上で、回答者の所属学校における防災教育(避難訓練は除く)が行われる頻度、防災教育の対象としている災害、災害発生時における児童・生徒を安全に避難させる自信、および自然災害に関する基礎知識など10問作成した。



    3. 結果

     今回のアンケート調査では、全国の小・中・高校(高専を含む)の826人の教員から回答を得ることができた。校種別の内訳は、小学校34.1%、中学校26.3%、高校・高専39.6%であった。

     防災教育(災害時避難訓練は除く)の年間における実施頻度は、半年に1回程度が45.8%と最も多く、次いで年に1回程度が32.3%、2か月に1回程度が10.5%であった。まったく行っていない学校も7.1%あった。また、災害時避難訓練の年間実施頻度は、半年に1回程度が50.3%と最も多く、次いで1年に1回程度が28.6%、次いで2か月に1回程度が14.9%と続き、月に1回程度実施している学校は全体の4.5%にとどまった。防災教育の重要性が叫ばれている中、防災教育や災害時避難訓練に十分な時間が割けていない現状が浮かび上がった。

     災害時避難訓練時に、地域住民が参加するかどうかについては、74.0%の学校で地域住民参加が実施されておらず、1年に1回程度の参加を実施している学校も20.8%となっており、災害時避難訓練における地域との連携の困難さも見受けられた。

     防災教育で主に対象としている自然災害は地震が83.7%と圧倒的に多く、次に津波が6.7%、土砂災害が1.0%であった。東日本大震災、熊本地震と大地震が相次いで発生したことに加え、迫りくる南海トラフ地震に対しての備えとして、地震が主な対象となっている状況が分かる。

     災害発生時の児童・生徒を自信を持って避難させることができるかどうかの問いには、あまり自信がない、まったく自信がないと答えた教員が24.6%、どちらとも言えないが37.8%と合わせて62.4%の教員が自信を持って児童・生徒を避難させることができないと考えていることが分かった。

     自然災害についての23個の基礎知識に関する自信度は、地震に関しては約半数が自信を有している傾向があるが、その他の自然災害に関してはその逆であり、知識の偏りが児童・生徒の避難誘導に関しての自信にも影響していることも考えられる。



    4. おわりに
     今回の調査では、様々な視点から、全国の教育現場における防災教育の現状を把握することができた。防災教育や防災・減災活動にまだ十分な時間が割けていない現状や、教員の防災教育に対しての自信が低いこともわかり、今後の防災教育を含む教育現場の防災・減災活動をどのように展開していくべきなのか、種々の課題を見出すことができた。
  • 乙幡 正喜, 小寺 浩二, 浅見 和希, 矢巻 剛
    セッションID: P032
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに
     新河岸川流域は、かつて水質悪化が顕著な地域であったが、近年流域下水道や親水事業で水質が改善しつつある。しかし、狭山丘陵に位置する支流の上流部においては依然水質が改善していない地域も存在し、汚染源の特定や水質改善を図っていくには源流域における調査・研究が重要である。今回は、狭山丘陵周辺において河川を調査した結果をもとに、水質を中心とした水環境の特徴を考察する。

    Ⅱ 対象地域
     狭山丘陵は、東京都と埼玉県の5市1町にまたがる地域である。高度経済成長期から都市化が急速に進む一方、多摩湖や狭山湖の周辺には森林が分布し、里山の環境を残している。河川のほとんどは新河岸川水系に属する支流で、狭山丘陵はそうした水流の源流部である。

    Ⅲ 研究方法
     既存研究の整理と検討を行った上で、現地調査は2017年11月から月に1回行っており、これまでに15回行なった。現地では、水温、気温、電気伝導度(EC)、比色pHおよびRpH、を計測し、採水して実験室に持ち帰り、全有機炭素の測定と主要溶存成分の分析を行なった。

    Ⅳ 結果・考察
     ECは、100-300μS/cm前後の地点が多かったが、不老川の上流で2,000μS/cm以上、1,000μS/cm以上の大きい値があり下水や生活排水が混入していることが考えられる。一方で、南西部の一部河川・湧水では100μS/cmを下回る良好な水質を示す地点あった。pHは7から7.5前後であり、RpHは8.0から8.5前後まで上昇する地点が多いが、南東部の一部地点では8.8を超える地点も存在し、滞留時間が比較的長いことが考えられる。水質組成は、多くの地点においてCa-HCO₃型を示しているが、北西部の河川を中心に硝酸が多く検出された。北西部においては近郊農業が盛んであり、下水道普及率が比較的低いことで硝酸多く出ていることが考えられる。東部の六ッ家川や南東部の空堀川、野火止用水の地点では極端なNaCl型の水質組成となり、生活排水や下水の処理水が多く流れ込んでいることがわかる。また、南部を中心にアンモニアが出ている地点があり、生活排水の影響が考えられる。

    Ⅴ おわりに
     都市域であるためECが高い地点があり、依然として水質が改善していない地点が見られ、また農業による硝酸の影響が残る地点も多く分布していた。今後も継続的に調査を行ない、季節変化などを注意深く考察する必要がある。

    参 考 文 献
    乙幡正喜・矢巻剛・小寺浩二・浅見和希 (2018):狭山丘陵の水環境に関する水文地理学的研究(1),日本地理学会2018年春季学術大会講演要旨集.
  • 根田 克彦
    セッションID: 212
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    本報告は,大ロンドン庁(Greater London Authority)が,センターの外に建設されたショッピングセンターを,センターにした経緯とその背景を紹介する。紹介する事例は,2012年オリンピックのオリンピックパークに隣接して建設された,ウェストフィールド・ストラトフォード・シティである。

    ストラトフォード・センターは,2004年のロンドンプランでMajor centreと定義された。2004年ロンドンプランは,ロンドンオリンピック開催の決定前に刊行されたが,ストラトフォード駅周辺に建設予定のショッピングセンターを,既存のストラトフォード・センターと統合して, Metropolitan centreとして充分な機能を有する開発とすることが示された。

    2008年のロンドンプランの変更では,ストラトフォード・シティとの用語が用いられたが,ストラトフォード・センターがMetropolitan centreと指定されたのは,ストラトフォード・センターが開業した後に発行された,2016年のロンドンプランの変更においてであった。なお,このロンドンプランの変更で,ストラトフォード・センターは初めてMetropolitan centreの地位を得たが,同時に,International centreに変更する案が示された。
  • ―立地適正化計画の誘導区域の設定に注目して―
    駒木 伸比古
    セッションID: P085
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. 研究の背景と目的
    2014年の都市再生特別措置法の一部改正により創設された立地適正化計画は,コンパクトシティ・プラス・ネットワークの実現に向けた新たな制度として,都市計画をはじめとした諸学問分野からの検討が多くなされている。地理学的視点から作成・運用の問題点を整理した荒木(2017)は,(1)立地適正化計画の区域の範囲,(2)都市機能誘導区域の階層構造に関連する機能設定,(3)土地利用規制とそれにともなう地域差,の3点の存在を指摘している。本発表では,このうち(1)および(2)に関わる,立地適正化計画に基づく誘導区域設定の空間構造について注目したい。
    立地適正化計画は「居住機能や様々な都市機能の誘導により都市全域を見渡した市町村マスタープランの高度化版」とされている。市町村マスタープランにおいても生活圏や都市の拠点となる中心・郊外核などのイメージが示されているが,あくまで概念的なものである。一方,立地適正化計画では,そうした居住・都市機能の誘導区域を具体的に示す,すなわち「線引き」を行う,という特徴を見出すことができる。基本的にこの線引きは,(1)居住誘導区域に指定されない区域,(2)居住誘導区域には指定されたが都市機能誘導区域には指定されない区域,(3)居住誘導区域内において都市機能誘導区域に指定された区域,という3つの層を成している(亘理, 2017)。ここで,立地適正化計画制度の説明に用いられているイメージ図に注目したい。都市計画区域内に市街化区域,そしてその中に誘導区域が描かれている。そして,居住誘導区域については,一定の規模を持つ中心部のものが一か所と飛び地状の郊外部のものが複数描かれている。さらに,そのなかには都市機能誘導区域が設けられているが,中心部の居住誘導区域内には複数描かれる一方,郊外部の居住誘導区域内には1ヵ所のみ描かれている。
    しかしながら,実際の誘導区域の設定は,必ずしもこのようなイメージ通りにはなっていない。市街化区域全体を居住誘導区域に指定している自治体や,居住誘導区域と都市機能誘導区域が一致している自治体もある。また,法には基づかない独自の区域を設定している自治体も見られる。こうした誘導区域の設定の違いの背景には,政策方針だけでなく,自治体本来が有する都市の空間構造があると考えられる。そこで本発表では,階層を含む誘導区域の空間構造に注目してそのパターン化を行うとともに,その要因について検討することを目的とする。

    2. 分析方法
    本発表では,2019年8月現在,立地適正化計画を作成・公表している177自治体のうち,都市機能誘導区域と居住誘導区域をともに設定した141自治体を対象とした。これらの自治体における適正化計画に示された区域図から,(1)各種誘導区域の設定・階層構造と(2)都市計画区域内における区域の空間構造,の2点から分類を行った。

    3. 分析結果
    都市機能誘導区域の階層構造は,都市拠点→生活拠点という2階層が主流であったが,より多層に設定する自治体や,特殊機能による設定を行う自治体もあった。また,都市機能誘導区域が1つのみである自治対数は全体の16.3%に過ぎず,ほとんどの自治体は複数設定していた。
    発表当日は,市街地の形成過程を踏まえた都市構造や市町村合併などとの関係から,誘導区域設定の空間構造における特徴について検討した結果を提示する。

    [付記]本研究は,JSPS科研費(18K01153)によるものである。

    参考文献
    荒木俊之 2017. 地理的な視点からとらえた立地適正化計画に関する問題―コンパクトシティ実現のための都市計画制度. E-journal GEO 12(1): 1-11.
    亘理 格 2017. 誘導的手法としての立地適正化計画─その特徴と課題. 日本不動産学会誌 31(2): 44-48.
  • 木村 圭司
    セッションID: 519
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに

     これまで筆者はモンゴルにおける夏季の降水量の分布とその要因を研究してきた(木村 2015,2017など)。その結果、東経110度より東側は日本海からの水蒸気流入により降水が多いのに対して、それより西側では温帯低気圧がやってきても降水量が少ないことがわかった。本研究では、モンゴルよりもさらに西側に位置するユーラシア大陸中央部の降水と低気圧との関係について明らかにしていく。



    Ⅱ データと解析方法

     月降水量の観測データは、米国National Centers for Environ-mental Information (NCEI)のGSODデータを月合計降水量に編集した。海面校正気圧データ、各層の気温・等高度面気圧・風向風速および面的な降水量のデータは、1985~2018年におけるECMWFのERA-Interim 0.5度グリッドを使用している。

     降水量の地域区分は、やや古いが1970~1990年の気象観測点(20地点)のデータを階層的クラスター分析(Ward法)により分類した。また、北緯45度に沿った低気圧と降水量の時系列変化をアイソプレス図として表示し、東に進む速度を示す。さらに、大気中層のトラフ・リッジ等の移動との関係について示す。



    Ⅲ 降水の季節変化

     降水の季節変化は、月降水量のクラスター分析により、カザフスタン全域を北部、南部、Almatyという3つのクラスターに分けられた(図Ⅰ)。このうちAlmaty(北緯43度16分、東経76度53分)はすぐ南にある天山山脈の影響により降水量が多く、1地点で1つのクラスターを形成している。北部と南部の違いのうち特徴的なの点は、6~9月の雨量であり、南部ではほとんど雨が降らない(図2)。

     カザフスタン南部で夏季に降水がほとんど無い理由としては、温帯低気圧がやってきても、乾燥した大陸の中央部であることから吹き込む風が乾燥しており、雨を降らせるだけの水蒸気が無いためである。



    Ⅳ 低気圧の東進と降水

     解析例として、2018年6~9月における北緯45度における降水量の時系列を図3に示す。東経80度付近は標高が高いために降水が多いが、おおむね低気圧の東進に伴って降水帯が東に移動していることがわかる。また、7月下旬~8月中旬には東経100度付近まで降水がみられている。

     図3のうちカザフスタン領域となる東経52~82度のうち、標高の高い東部以外では、夏季にほとんど降水が見られないが、こえは図2で示された内容と一致している。



    Ⅴ 切離低気圧の形成と降水
    図3で示されている降水帯の東進速度を追っていくと、ほぼすべて同じ速度であるが、1回だけ、8月上旬に速度の速い降水帯が形成されている。これは大気中層の切離低気圧(図4)に伴った現象であり、モンゴルで指摘されている(木村 2017)構造と類似している。この他の年をみると、こうした切離低気圧は毎年発生しているわけではなく、数年に一度の現象であることがわかった。今後、切離低気圧の発生と低気圧の速度に関して、さらに事例を集め、メカニズムに迫りたい。
  • 矢巻 剛, 小寺 浩二, 浅見 和希, 猪狩 彬寛, 堀内 雅生
    セッションID: 603
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに

     長崎県の島嶼に関する水文学的調査・研究はほとんどないことから、2014年より五島列島、対馬、壱岐、平戸と研究を進めており、これまで、数年間の調査により明らかになった季節変化や海塩の影響をはじめとした各島の特徴を発表してきた。今回は、流域解析及び数年間の調査結果の統計解析を行った結果をもとに、形成要因について考察する。

    Ⅱ 対象地域
     壱岐は、最高標高213mでありながら起伏に富み、島の各地に数多くの溜池が存在している。韓国から約50kmのところに位置する対馬は、約89%を山地が占め、島全体の標高が比較的高く急峻な地形である。平戸諸島も山がちな地形をしているが田畑は対馬より多く、各地で棚田が見られる。いずれの島嶼も汚水処理人口普及率は20-40%程度と低く、人口の減少が続いている。


    Ⅲ 研究方法

     既存研究の整理と検討を行った上で、現地調査は五島列島で2014年から4回、壱岐で2015年から8回、対馬は2016年から8回、平戸は2017年に6回行った。現地では、水温、気温、電気伝導度(EC)、比色pHおよびRpH、COD(2017年/2018年5月壱岐・対馬・平戸のみ)を計測し、採水して全有機炭素の測定と主要溶存成分の分析を行なった。雨水は壱岐・平戸各3か所、対馬4か所、五島列島・島原各1か所で毎月採取し、分析を行っている。


    Ⅳ 結果・考察

     壱岐とそれ以外の3島では、河床勾配が異なり、壱岐では、対馬や平戸の河川と比べて上流部から溶存成分濃度が高いことが特徴である。対馬では、下島南部の矢立山周辺を流域に持つ河川で海塩の影響が特に強い。急峻な地形であることから風送塩や海水を多く含んだ降水がとどまったものと考えられる。平戸の生月島や的山大島でも同様の傾向が見られるが、こちらは面積が小さいことも大きい。
     仁田川(対馬上島)、佐須川(対馬下島)、旗鉾川(壱岐)、安満川(平戸島)において流下に伴う水質組成を見ると、佐須川においては上流において濃度が低く、下流の金田橋では濃度が増加し、CaとHCO₃に富んだ水質組成に変化した。仁田川、旗鉾川、安満川も流下に伴い濃度は増加が見られたものの、溶存成分には大きな変化は見られなかった。佐須川上流部は勾配が大きく、流下が早いため海塩を多く含んだ降水の影響が大きく現れている。旗鉾川は上流部より重炭酸イオン濃度が高く、地下水を利用した農業用水の寄与が大きいと言える。
     調査結果の統計解析の結果から、水質と傾斜などの地形要因や植生との関係が示唆されたが、解析に用いる因子をより精査していく必要がある。


    Ⅴ おわりに

     以上から、島によって河床勾配が異なり、小流域における水質組成と流下に伴う変化に違いが見られることが明らかになった。今後も小流域における解析と考察をすすめ、水環境をより詳細かつ定量的に把握する必要がある。
  • 千葉県長生郡白子町を事例として
    三原 昌巳
    セッションID: 205
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    障害者雇用促進法では,民間・行政機関に対し,一定の割合以上の障害者雇用を義務付けている。2018年には,この法定雇用率が引き上げられたが,皮肉にも同年,中央省庁で雇用者の水増しも明らかになるなど,障害者雇用の難しさとニーズの増大が注目されている。これに対し,都道府県別の障害者の就職率では,東京大都市圏において低いことが報告されており,障害者雇用には地域差もみられる。そこで本発表では,雇用の地域差に着目し,東京大都市圏外縁地域における障害者雇用の実態を明らかにすることで,障害者雇用をめぐる現状とその課題を考察することを目的とする。

    研究対象地域は千葉県長生郡白子町で,東京都心から約70㎞の地点に位置する。町の東部は九十九里浜の南部にあたり,町域の大部分が平坦な地形から成る。この地形と温暖な気候を活かし,近郊農業が営まれ,町の基幹産業となっている。また,海岸沿いにはホテルが並び,とくに夏季においてスポーツを目的とした宿泊客がみられる。住民基本台帳によると,町の人口は11,383人(4,934世帯,2019年1月現在)である。このうち,2018年の手帳保持者数によれば,身体障害392名,知的障害77名,精神障害62名が白子町を住所地としている。現地調査では,特別支援学校に対し卒業生の進路や就職活動などについて,雇用提供側として町内の一般企業や行政機関,就労支援サービス事業所などに対し障害者雇用の状況について聞き取りを実施した。

    白子町は県立長生特別支援学校の通学区域である。同学校は,一宮町に位置し,小学部・中学部・高等部があり,肢体不自由教育と知的障害教育が行われている。高等部3年になると,生徒の希望に応じて就職のための実習が行われる。しかし,卒業生の進路状況は,就職はわずか数名にとどまり,障害者技術専門学校への進学や,就労支援サービス事業所の利用などの進路も少ない。

    白子町では,就労支援サービス事業所が少なく,隣接する茂原市などにある事業所が主な受入れ先である。茂原市にある就労移行支援事業所Sは,農業経験のない障害者に対し,就職活動のノウハウや農業の技術に関する指導を行う。職員に農業の経験がなく,農業の技術指導では,近隣農家の協力を得ている。利用者の多くが訓練用の農園での実習後,「ファーム」と呼ばれる農園に勤務する。「ファーム」は事業に参画する企業に貸出されるが,そのほとんどが東京に本社を置く企業で,障害者は各社に勤務する形態となり,利用企業は農園を定期的に見学する。ここで収穫された野菜は,市場に出荷されず,利用企業の社員食堂で消費されたり,社員などに配られたりする。東京大都市圏外縁地域の農業基盤を活用しながら,都内の企業の障害者雇用ニーズに対応した農福連携であるといえる。
    町内には農業用小型機械を製造するN社,行政機関などにおいても障害者の採用がみられた。いずれも身体障害の手帳保持者であり,法定雇用率を満たすためである。大企業が立地していない大都市圏外縁地域の農村部において,このような農福連携が今後も展開されると予想される。
  • -宮城・岩手の事例-
    横山 貴史
    セッションID: S505
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1.はじめに

     2011年3月に発生した東日本大震災から早8年が経過しようとしている.甚大な被害を受けた沿岸地域の漁業の活動は,震災前の状態に復旧しているが,いま、その過程を省みるうえで重要な点は,復旧への対応や,復旧を促進・阻害した地域的条件などを検討することであろう.近年,コモンズ論などの分野では,環境変動に際し地域や人々がいかに対応するかについて,「順応力(Adaptive Capacity)」という概念に注目が集まっている.順応力とは,環境変化に対する地域社会の対応とその潜在力を指し,Cinner et al. (2018) は,順応力の要素として「資産」「柔軟性」「社会組織」「学習」「主体性」の5つを挙げている.本報告では,三陸地域におけるいくつかの漁業地域を事例として,津波災害からの復旧過程にみられた行動を整理するとともに,順応力概念に依拠しながら,その特徴を考察することを目的とする.

    2.漁村の復旧過程:順応力概念に着目して

     順応力概念の要素を考慮しつつ,三陸沿岸漁業地域の復旧過程を省みて重要な点を挙げるとすれば,①柔軟性に富んだ漁業選択,②漁協の自立性とその地域差,③外部主体とのネットワーク構築,の三点が挙げられる.

     まず①であるが,震災直後の「漁種のシフト」や「協業化」が挙げられる.例えば,ワカメはボイル塩蔵などの固定施設を必要とする加工方法をとらなくとも,メカブをとるなど代替的な出荷方法が可能であることから,カキなどの養殖業が軌道に乗るまでの現金収入源として多くの地域で導入された.また,「がんばる漁業」「がんばる養殖業」などの補助金を活用した共同操業や,アワビなどの磯根資源のある地区ではプール制を導入するなどといった協業化がみられた.こうした背景には,地域に多様な漁業オプションがあったことや,漁業者の社会的なつながりの強さがあげられるだろう.

     次に②であるが,例えば岩手県宮古市重茂漁協地区(以下,重茂地区)では,震災後早い段階から,漁協の内部留保を活かして全国から漁船を集めるなど柔軟な対応をとった.重茂地区は,都市部からのアクセスが悪い一方,伝統的に沿岸漁業の付加価値化が進み優良な漁協経営をとる経済的自立性の強い地区として知られていた.震災への対応という局面で,震災前から保持されてきた資産が有力に働いた例といえよう.この背景として,宮城県はほぼ全県で一つの漁協が組織されているのに対し,岩手県は現在も地域ごとの単協が自立しているというように,両県で漁協の組織構造が異なるといった点も挙げられる.また,震災直後の復旧方針も,単協ごとの自立性を尊重する岩手県と,「選択と集中」型(濱田, 2013)で改革の側面の強かった宮城県といったように異なっていた.例えば,宮城県牡鹿半島では小規模な第三種漁港の復旧が2013~2014年頃であったが,対照的に重茂地区では漁港や加工施設などの復旧が2012年には進んでいた.
     また③の,震災後に新しく構築された外部主体とのネットワークも看過できない.沿岸漁業の復旧においても,地区ごとに多くのボランティアが機能した.その多くは震災直後のガレキ撤去作業や養殖施設の準備作業などの労働に従事したが,中には水産物の新たな販路や付加価値化につながった事例もある.例えば,宮城県牡鹿半島の東浜地区では,2011年7月にカキの種苗生産が軌道に乗りつつも,カキ処理場再建が遅れていたため従来の出荷経路である剥き身出荷をとることができなかった.そこで,漁村のリーダー格の漁業者がボランティア団体を通じて知り合った北海道釧路町昆布森地区の漁業者にシングルシードにしたカキを中間育成種苗として出荷するようになった.同地区への出荷は,震災後カキ養殖が復旧した現在でも行われている.
  • 飯沼 健悟
    セッションID: 616
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    はじめに
    岐阜県美濃地方において,明治初期に行われた地租改正事業は明治9年に概ね完了がされた。その後,地押調査として明治18年(1885)2月25日『地籍編纂心得書』,同年5月12日『地籍帳及地圖整理手続』の公布による地租改正成果の再調整は,明治21年(1888)に岐阜県下の概ねの地域で完了させている。
    その成果が引き継がれた,旧土地台帳及びその附属地図は,現在は登記所に備え付けられ,土地境界の確認を行うには,それら資料を基として行っている。
    地租改正事業では,江戸期における城下町や士族屋敷地などの無税地である地子免許地についても公正に地租を徴収するために調査が行われ,それは市街地として区分された。
    土地境界の確認において,市街地となっている地域は,地価が高く,土地境界が抱える問題も複雑な権利関係に起因するものがある。そのため,非常に慎重且つ適正な判断が求められている。
    本報告では,市街宅地として地租改正事業が行われた旧厚見郡加納町について研究をし,市街地における土地境界の確認との関係を考察したい。

    市街地における地租改正事業
    明治政府は,東京府下において明治5年(1872)1月「東京府下地券発行地租収納規則」を定め『沽券』と称して証書を発行し,その実施を基に,各地方の地子免許地に対する地租調査への実施が租税寮より達せられた。岐阜県への達しは,明治5年3月であった。
    佐藤甚次郎は『明治期作成の地籍図』で,「市街地の宅地については,郡村地の耕宅地とは異なって地価が高く,寸地も問題になるだけに,特に綿密な測量が要求された。」(佐藤1986)とあり,それらの地域は『市街宅地』として区分され綿密な調査が行われたことを明確にした。
    岐阜県では,旧厚見郡岐阜町,旧厚見郡加納町そして旧安八郡大垣町の3か所がその対象となり,これらの地域の地租改正事業は明治9年に完了され,順次,沽券の発行が行われた。

    市街宅地の丈量
    市街地における丈量手順は明治9年(1876)3月7日公布の「市街地地租改正調査法細目」で確認ができる。
    同細目第1章第1節において「丈量にあたっては,1カ町の周囲を測量して面積を求めておき,次に各宅地についての実測し,その合計と1カ町総面積との合致を検討するという仕方」(佐藤1986)とある。
    一筆地の調査について,建物同士が密接しているような状態で,どのように行われたのか確認できないが,後述する市街地の地引絵図では,丈量は三斜法により行われている。そして,その許容誤差は「市街地宅地では100坪に対して2坪,即ち2%を土地丈量の許容誤差として認定」(塚田1986)であるとされている。

    市街地の地引絵図
    岐阜市役所には,旧厚見郡加納町にある安良町を丈量した絵図が保管されている。作成年が不明であるが,所有者履歴から明治初期に作成されたものと推測ができ,記載の項目は地租改正地引絵図に類似している。
    この地引絵図には,土地の形状,三斜区分による底辺及び高さ,三斜法による坪数及びその総計,そして所有者名が記載されている。それぞれの距離が寸単位まで記載されていることから,丁寧に丈量がされたことが確認できる。
    また,道路部分についてはのこぎり刃のような形状の箇所もあり,道路境界も丁寧に調査されていることも確認ができる。しかし,記載の総坪数と,旧土地台帳との坪数とが一致しない箇所が多く見受けられる。数勺程度の差ではあるが,原因は定かではない。
    また,加納町にある宅地以外の土地の地租改正地引絵図には,岐阜県美濃地方で一般的に用いられている十字法ではなく,間口,裏(間口)と奥行の寸法が記載され,台形の求積に近い方法が用いられている。宅地以外であっても地価が高いことから,丁寧に丈量がされていた様子がうかがえる。
    更に,明治18年に作成された加納町の開墾による野取絵図には,丈量に三斜法を用いられていることからも,その丁寧な様子は確認できる。

    まとめ
    地価が高く,慎重かつ適正さが求められた市街宅地及びその周辺における地租改正事業は,郡村宅地とは異なった作業により行われたことがこの調査で確認できた。
    地租改正当時から変化のない市街地では,丁寧に調査された成果である明治期の地租改正事業による成果は,土地境界の確認において最も重要な資料の一つであることが確認できた。
    旧来の市街地において土地境界問題を解決するには,これら成果を活用することは効果的であり,これらの研究を深め,各地域で検証していくことは,これからの課題である。

    参考文献
    佐藤甚次郎(1986) 『明治期作成の地籍図』 古今書院
    塚田利和(1986) 『地租改正と地籍調査の研究』 お茶の水書房
    岐阜県(1998) 『岐阜県史』 太洋社
    太田成和(1954) 『加納町史』 加納町史編纂所 (大衆書房復刻)
  • 勝又 悠太朗
    セッションID: 812
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    本報告では,富山県高岡銅器産地を事例に,産地企業の高付加価値戦略の動向を明らかにし,それが産地維持に果たす役割を検討していく。当地域では,2000年代以降,製品の高付加価値戦略を図り,新たな展望を見出す企業群が登場してきている。企業の採る戦略には,大きく2つの方向性が認められる。1つ目は,既存製品のデザイン性を高め,消費者需要の変化にマッチさせようとするものである。2つ目は,鋳物技術をもとに新製品を開発し,新たな市場を創造しようとするものである。特に,企業は,インテリア雑貨やエクステリア製品の生産に活路を見出す傾向にある。また,こうした企業戦略の展開には,産地内の公的機関が重要な役割を果たしていた。加えて,企業による高付加価値戦略の推進により,産地の生産流通構造にも変化が生じてきている。
  • 東京都利島村での実験を例として
    薬師寺 恒紀
    セッションID: P086
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    人材不足が騒がれている現代において、更に役場の定員制度や財政難により増員が難しい中、少人数の職員により運営されている簡易水道事業が今後も事業を継続していくためには、より効率的な運営及び、設備の管理、更新を、より効率的な方法で行う必要がある。よって、更なる機械化、自動化が必要であると考える。その中でも、従前の重機類と比較すると比較的安価で、自動航行が可能であり、多様な使途での利用が可能で、比較的操縦が安易であり、近年、技術進歩、及び、普及が進んでいる、UAV(ドローン)、及び、小型の水中ドローンの水道事業での利活用を検討し、考察することは、今後の永続的な水道(特に簡易水道事業)の運営に資すると考え、東京都利島村において2つの実験を行った。
  • 英領ケイマン諸島を中心とした産業の広域形成
    高木 仁
    セッションID: 715
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    概要
    十九世紀後半より、二十世紀中頃にかけて最盛期を迎えていたケイマン諸島のアオウミガメ産業は、学術雑誌のみならず、一般紙にまでとりあげられるような影響力を誇っていた(Duncan 1943;Parsons 1962)。ケイマンの漁獲技術はその後、モスキート海岸の先住民らへと受け継がれて行くこととなるが(高木 2019)、本稿では現地で調査収集した未報告の資料より、その産業を解明するために更なる検討をくわえていく。

    研究結果
    特にモスキート海岸の研究者らは、英領ケイマン諸島民の漁獲や、諸近代国家との交易がこの近海に及ぼしてきた影響を過小評価する傾向にある(池口 2017;Nietschmann 1997)。しかし、収集した幾つかの公文書資料をつなげてみるだけでも、政治経済の中心であった英領ジャマイカ島における缶詰工場の設立に加え、漁獲は遙かホンジュラス沖のスワン諸島(1858)やコスタリカのタートル・ボーグ(1890)、ニカラグアのモスキート諸島やパール諸島(1895: 1903)、キューバ島の近海(1902)にまで及んでいたことがわかる(図1)。

    結論
    特にアオウミガメだけでなく、モスキート海岸の住民らの生業を考えるには、こうした西欧による広域産業の形成は再評価が必要な可能性が示唆されることとなった。
  • 中山 大地
    セッションID: P034
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
    2013年10月に伊豆大島において台風26号による大雨に伴う大規模な土砂災害が発生した.この災害は三原山西側斜面を中心として発生し,死者・行方不明者39名,建物被害400件の被害が生じた.

    本研究では,レーザー測量によって得られたDEMを用いてメッシュごとの地形量を計測して説明変数を作成し,実際の土砂災害の有無を目的変数とした決定木を作成する.さらに得られた木構造から地形的な土砂災害ポテンシャルを導くことを目的とする.

    2. 使用データと分析方法
    DEMは国土地理院が2017年4月に取得したレーザー測量データを元に1mメッシュのものを作成した.土砂災害発生箇所のデータは,国土地理院が公開している土砂流出箇所のKMLファイルを使用した.

    大島全体に100mメッシュを設定し,メッシュごとに傾斜量と標高の統計量(平均,標準偏差,最大値,最小値,値域)を求めた.また,実際の土砂災害箇所を含むメッシュを土砂災害ありのメッシュ,含まないメッシュを土砂災害なしのメッシュとした.メッシュ総数は10,153メッシュであり,このうち土砂災害ありのメッシュが368メッシュ(全体の約3.6%),土砂災害なしのメッシュが9785メッシュ(全体の約96.4%)だった.

    次にメッシュごとの地形統計量を説明変数,土砂災害の有無を目的変数として,J48アルゴリズムによる決定木を作成した.ただし,土砂災害なしのメッシュが全体の約96.4%であるため,すべてのメッシュを「土砂災害なし」とする判別モデルを作成しても正解率は96.4%になる.このため,土砂災害の有無を表すそれぞれのクラスについて総ウエイト量が同じになるようなウエイトを求め,このウエイトを用いて計算を行った.

    3. 結果
    枝刈り後の決定木はサイズが27,葉の数が14になった.全体の正解率は約74.8%,Kappa係数は0.5であり,結果の信頼性は良好だった.また,TP (True Positive) rateは約0.75,ROCは約0.5であり,得られた決定木の分離性も良好だった.

    4.考察
    実際の土砂災害の有無とモデルにより得られた土砂災害の有無を地図化したところ,両者において土砂災害があると判定されたメッシュは297メッシュ(三宅島全体の約3%)であり,三原山の西斜面を中心として分布していた.また,実際には土砂災害は発生していたがモデルでは発生なしと分類されたメッシュは2334メッシュ(三宅島全体の約23%)だった.これはほぼ全島に渡って三原山の中腹周辺に分布しており,今後土砂災害が発生するポテンシャルが高いメッシュと考えられる.

    また,得られた木構造において土砂災害ありと判定された葉を地図化したところ,土砂災害の発生域,運搬域,堆積域を明確に区別することができた.
  • -岡山県浅口市の事例から-
    小寺 浩二, 浅見 和希
    セッションID: 602
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    Ⅰ はじめに

    近年、地球温暖化の影響から気象災害が増えているといわれているが、その真偽は別として、集中豪雨による災害が連続して発生していることは事実で、災害が起きる度に様々な対策はとられるものの、災害毎に異なった問題点があり、災害の度に新たな課題が見いだされることが続いており、十分な防災ができていない状況である。

     しかしながら、特定の地域に関して災害の履歴を詳細に調べてみると、長い歴史の中では類似した自然災害が繰り返されていることが多く、その間隔が長いことから十分な対策がとられていないが、災害の履歴を整理しておけば、少なくとも減災の役には立つはずである。

     そうした視点から、岡山県浅口市を対象に、市の全面的な協力を得て災害履歴を整理し、近年に関しては、気象庁の降水量データをもとに分布図などを作成して、災害の状況を再現し、その結果から災害危険度について検証を行った。

    Ⅱ 研究方法

     岡山県浅口市の災害履歴について、市の協力を得て、市報など市の記録だけでなく、2006年合併前の鴨方町・金光町・寄島町の町史・町報を整理して、一覧表としてまとめた。

     次に、近年の顕著な災害である1976年、1981年の豪雨災害、2004年の高潮災害について、気象庁アメダスの記録から分布図と累積降水量変動図を作成し、災害の様子を再現した。

     さらに、市の北部に1960年に設置された天文台の降水量記録を入手し、分布図に加えることで、集中豪雨の状況を明確にした。最期に、様々な豪雨記録について整理し、災害危険度について考察した。

    Ⅲ 結果と考察

     1.災害履歴

     鴨方町史には、1600年代から繰り返し風水害の被害があったことが記録されており、1800年代になると寄島町の高潮災害の記録が増える。近年でも繰り返し災害が発生していることがわかる。

     2.1976年豪雨災害

     積算雨量は500mmを超え、記録的な豪雨であった割には、被害に関する記録が少ないのが不思議である。天文台のデータを加えると、さらに集中度が明確となった。  

     3.1981年豪雨災害

     1976年と比較して積算雨量が少ないにもかかわらず、被害が大きい。先行降雨と1時間雨量の強度が強かったことが影響していると考えられるが、土地利用変化など、さらなる検証が必要である。

     4.2004年高潮災害

     降水量はそれ程多くなかったにもかかわらず、大きな高潮災害となったのは、大潮と降水が完全に一致したことが原因であった。

     5.降水量の長期記録と災害危険度

     1976年の記録が傑出しているが近年も記録を更新している。ただし、記録の長い岡山では台風被害が頻発した1950年代や19世紀の記録も残っており、近年豪雨が増えたわけではないことがわかる。

    Ⅳ おわりに

     身近な地域で災害履歴を整理してみると、全国規模で注目されるような災害ではなくとも、一定の規模の災害が繰り返されていることがわかり、減災のための教訓を得ることができる。

    参 考 文 献

    小寺浩二(2017):地理学と水文学から見た防災・減災・災害復興

    支援-東日本大震災・熊本震災・九州北部豪雨災害などからの教訓-.浅口市2017年度自然災害ボランティアセミナー資料.
  • 石巻市復興防災マップづくり
    村山 良之, 佐藤 健
    セッションID: P009
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1 共同研究の目的

     本研究は,「東日本大震災等の経験」と「地域の条件」をふまえた,新たな学校の防災教育モデルの開発を目的とする。東日本大震災の被災経験から得られた学校の防災教育と防災管理の成果と課題を捉え直し,それを全国各地の学校に展開する際に必須なローカライズと自校化の具体的方法を開発する。この目的達成のため,①東北地方の研究者と学校関係者,②学校,学区を含む地域の条件(誘因と素因)把握に優れた各地域の地理学研究者,さらに③各地域の学校関係者(教員や教育委員会)および④地理教育学研究者との共同によって,小・中・高校の学校現場で有効かつ実践可能な教材や教育プログラムおよび学校防災マニュアル案を開発するものである(科研基盤(B),課題番号16H03789,研究代表村山)。

    2 石巻市「復興防災マップづくり」

     発表者らは上記共同研究メンバーの一部であり,ここでは,研究成果の一例として,発表者らが関わっている石巻市の「復興防災マップづくり」について検討する。

     発表者ら,桜井愛子,徳山英理子,北浦早苗,セーブ・ザ・チルドレン ジャパン,石巻市教育委員会は,東日本大震から1年後の2012年度から石巻市立鹿妻小学校の復興マップづくりを支援してきた。同校は,石巻市中心部の東方約4km,海岸線から約1kmの沖積低地上に位置する。学区は津波で全面的に浸水し,とくに南部では家屋流出もあった。現実は厳しいが,子どもたちは復興の目撃者であると位置付け,地域の状況を肯定的に捉えられる取組になるよう「復興マップづくり」とした。大まかな実践の流れは,オリエンテーション,まち歩き ,まち歩きの振り返りを含む情報整理作業,復興マップづくり,成果発表である。徐々に大学関係者の関わりを薄め,年度によってその取組内容は異なるが,鹿妻小ではマップづくりが4年生の総合の時間で継続的に行われている。2017,18年度は,東日本大震災について知ること,避難経路について考える取組が行われた。児童が大震災についてほとんど知らないこと,2016年11月22日朝の福島県沖の地震による津波注意報,警報時の避難行動の課題を学校が独自調査によって把握したからである。肯定的なポイント探しを誘導した復興マップづくりから,大震災を学んで自らの防災に役立てる取組に大きく変化した。

     石巻市教育委員会は,復興・防災マップづくりの全市展開に取り組んでおり,発表者らもそれを支援しまた多くのことを学んでいる。2017年度からはマップコンクールも開催され,発表者らも審査に加わっている。応募マップをみると,それぞれの学区の地理的条件にあわせて多様であり,とくに内陸の低地部では水害や河川改修の歴史を有するためこれを対象とするものが多い。

     中学校の復興・防災マップづくりが大きな課題である。2017年度これに挑戦した桃生中学校では,社会科担当の先生が地理(社会科)の授業として地図の学習2時間分をマップづくり(総合)に挿入するという重要な展開があった。地理,歴史,公民あるいは理科,保健体育,道徳等との連携を視野に入れたカリキュラム・マネジメントの観点は,中学生らしいマップづくり,ひいては防災教育を進めるための,大きなヒントになると期待される。

     2016年度に発表者らを含む大学関係者がまとめた『「復興・防災マップづくり」実践の手引き』は,復興防災マップづくりの標準的な授業計画,別冊に実践事例,ワークシート類などを掲載している。その1節として設定された「地域の地形,土地利用の変遷を理解するための地図とその活用例」では,地理院地図や旧版地形図,ハザードマップの利用法などを紹介している。同冊子は改訂を重ねており,進化を続ける地理院地図のさらに有効な利用法など,内容がより充実している。
  • 中川 聡史, 丹羽 孝仁
    セッションID: 722
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    国際引退移動(International Retirement Migration)は近年、とくに欧米で注目されている研究分野である(King et.at. 2000: Oliver 2012 )。日本人の国際引退移動に関しては久保・石川(2004)以降、研究が重ねられている。しかし、石川(2016)が指摘するように、国内退職移動を含めて、日本の退職移動研究は研究の蓄積という点で欧米との差が大きい状況にある。日本からの国際引退移動については、小野(2007,2010,2012)、稗田他(2012)がマレーシアへ、河原(2010)、Fielding(2016)がタイへ、長友(2013)がオーストラリアへ、篠崎(2007)がニュージーランドへの移動について論じている。これらの研究では国際退職移動を「ロングステイ」(小野2012)、Lifestyle Migration(長友2015)のなかに位置づけ、相対的に豊かで、選択肢のある人々が老後を海外で過ごすことを選択するという文脈で日本の国際引退移動を述べている。また、近年は海外で暮らす日本人高齢者の医療や介護に注目が集まっている(小野2010、2012:真野2012)。ただ、Hall and Hardill(2016)が指摘するように、目的国での医療・介護サービスが不十分であることなどを理由に帰国する人も多い。また、国際引退移動は、通年移動だけでなく、季節移動が多いことも指摘されている(Breuer 2005: Smith and House 2006)。
     タイのチェンマイは日本人の国際退職移動の重要な目的地の一つで、チェンマイ市を含むチェンマイ領事館管轄地域の邦人数3,221人のうち1,441人が60歳以上(海外在留邦人調査統計2017年10月時点)である。在留届を出さずに、とくに冬季の数週間~数か月滞在する人も多く、実際の数については把握が困難であるが。チェンマイには日本人ロングステイヤーの団体があり、河原(2010)はこうした団体のメンバーを調査対象としている。しかく、最大の団体の規模が約135人であり、団体に所属していない日本人のほうがはるかに多い。ロングステイの団体を通じた調査をおこなうと、豊かな高齢者像が浮かび上がることが多いが、退職移動によってチェンマイで暮らす日本人のなかには必ずしも豊かな高齢者ばかりではない。
     報告者らは2010年以降、日本人退職者に対するアンケートを主にチェンマイ市の街頭でおこなった(2010~

    2011年216人、2015~2016年161人で計377人)。街頭で実施したのはロングステイ団体に属さない人、数週間~数か月の短期滞在者(多くは毎年、それを繰り返す)も調査対象となるように意図したからである。調査の結果、チェンマイの日本人退職者は、①同世代のなかでは高学歴者の割合が高いものの、かならずしも豊かではない、②チェンマイ特有の要因からか、男性単身者の割合が高い、③約5年間の変化をみると、定住者(通年で滞在)の割合が低下し、季節滞在者の割合が上昇した、④当初は永住予定と答えていても、健康上の問題から帰国した人がいること、などの特徴をもつことがわかった。定住者については新規に来る数よりも帰国あるいは第3国に行く数のほうが多いと推計される一方、季節滞在者数は増加していると考えられる。その要因としては定住者の高齢化、経済発展によるタイの物価上昇、為替レートの変動による円の価値の低下などが挙げられる。
  • ―山梨県北杜市須玉町を事例として―
    吉田 真
    セッションID: P091
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1序論

     高齢化率は,とりわけ過疎地域において高い.現在,過疎地域を含んでいる自治体数の約半数に当たる817は,面積では国土の6割近くを占めている(総務省,2018).
     過疎地域における住民の生活行動は,世帯構成,居住環境,交通事情等の種々の空間的な制約下に置かれている.このような事情から過疎地域では生活サービスを供給する側が住民側に出向いて支援するケースがみられる.そのため,住民の生活行動は生活サービスを供給する自治体や,企業,商人の対応によって特徴づけられている.
     一方,近年では高齢者の介護予防を目標とした国の施策の一部として生活支援サービスが供給される事例がみられる.生活支援サービスの明確な定義づけはないが,民間企業やNPOといった関係主体が外出支援や食材配達,安否確認,権利擁護,移動販売,家事支援,交流サロン,配食と見守り,声かけ,コミュニティカフェ等の生活支援サービスを供給し,これら活動を行政等が支援する仕組みとなっている.既往研究では個別のサービスを扱ったものや供給側からの視点で多くの研究がなされてきたが,利用者たる住民側からの視点でサービスを横断的に捉えた研究は少ない.本研究では山梨県北杜市須玉町を事例として,過疎地域における生活支援サービスの役割を明らかにする.

    2.北杜市における生活支援サービスの供給体制

     北杜市は2010年度に「日常生活圏域ニーズ調査」のモデル事業に選定され,この事業を活用して高齢者の外出や交流が少ないといった市独自の課題を明らかにした.北杜市はこれらの課題に対して,関係主体と協力しながら,多様な通い場づくりやボランティア団体の活動等を促進してきた.また,介護予防・日常生活支援総合事業(以下,総合事業)においては,全国に先駆けて,2012年度から北杜市の地域包括支援センターが開始しており,高齢者の生活支援や介護予防に取り組んできた.2015年度から国の総合事業が開始されたが,その開始と同時に北杜市は直ちに移行して,移行を義務付けられている他の自治体のための先進事例地として厚生労働省の資料に掲載された(厚生労働省,2016).

    3.須玉町における生活関連施設の分布と生活支援サービスの供給状況

     須玉町で行われている生活支援サービスの供給状況を聞き取り調査及び資料をもとに整理した.その上で次の手順で分析を行った.まず,国勢調査の5次メッシュ人口データ250mを使用して高齢者を含む世帯の分布を地図化した.次に,病院や買い物施設といった生活関連施設の位置をプロットし,道路ネットワーク分析を用いて到達圏を画定した.最後に,生活支援サービスの位置やルートの到達圏を描写して,重ね合わせ分析を行った.

    4.高齢者の生活行動及び生活支援サービスの利用実態

     須玉町に居住する高齢者の生活行動及び生活支援サービスの利用実態について45人の高齢者を対象にアンケート調査を,7人の高齢者を対象に聞き取り調査を行った.

    5.過疎地域における生活支援サービスの利用形態

     分析結果を踏まえて生活支援サービスの類型化した.

    6.結論

     過疎地域では自家用車の有無が生活支援サービスの利用に影響を与えており,特に移動支援関係,また買い物支援関係においては影響が強く見られた.一方,見守り関係や高齢者交流サービスにはその影響はみられなかったが,交流を図り健康寿命を延長することが自家用車を継続して運転する際の下支えとなっていることが挙げられた.
     高齢者が希望する生活支援サービスは年齢が低い層と年齢が高い層で傾向が分かれており,年齢が低い層が利用者同士の交流がないサービスを希望するのに対し,年齢が高い層は利用者同士の交流が可能なサービスを希望していた.近年町内の老人クラブでは新規加入者が減少しており活動停止に至る事例も見られた.こういった近所づきあいの活動を煩わしく思う高齢者の層の表れが,高齢者交流サービスへの意義づけに影響していた.
  • 村山 良之
    セッションID: S207
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1 防災教育-防災基礎教育と手法の重要性-

     一般に防災教育は,実践的な防災のノウハウに関するものを指す。これを防災実践教育として,これとは別に防災基礎教育を位置付け,これら全体を含む広い内容を防災教育として捉えたい(鈴木康弘,2007による)。防災基礎教育とは,災害の発生メカニズムに関するものであり,災害の誘因(ハザード)と素因(土地条件と社会的条件)を含むものである。

     文部科学省は東日本大震災を踏まえて,『「生きる力」を育む防災教育の展開』を2013年に提示した。そこでは,防災教育の目標について,幼稚園から高校まで発達段階に応じて自助から共助へ広がるとともに,防災基礎教育の内容が示されている。

     阪神・淡路大震災後,兵庫県立舞子高校環境防災科の設置と運営を主導した諏訪清二は,『夢みる防災教育』(2007)のなかで,防災教育の内容と目的を,災害の時間軸と空間軸を踏まえて明快に整理した。Survivorとなる防災教育から,Supporterとなる防災教育へ,そして市民性を育む防災教育を主張している。また,災害はめったになくまた社会は変化するので,子どもは災害文化の更新と継承の担い手になるべきとし,そのために,子どもの主体的学習,参加型・体験型学習方法によるべきだ,とも主張している。さらに,子どもを教わる側から早く教える側にすることもこれに寄与し,学習効果も上がるとしている。

     東日本大震災時,釜石東中学校の生徒たちは見事に避難して,片田敏孝による津波避難三原則を体現し,防災基礎教育の重要性を明らかにした。また同校で防災教育を主導した森本晋也は,卒業生の調査結果に基づいて,生徒の主体的学習が効果的だったことを明らかにした(中教審 学校安全部会2016/9/29)。

    2 地理総合に期待される防災教育

     「地形」が自然災害の土地条件として指標性が高いことは,地理学界だけでなく広くたとえば地震工学等でも認められている。地理総合を含む地理教育が担うべき防災教育は,まずは地形(学の基礎)を踏まえたものであるべきだろう。たとえば,ハザードマップについては,以下の3段階の読図を提案したい。①ハザードマップの内容を正確に読み取る:場所や縮尺の確認,凡例に従って特定地点のハザードの種類や程度を読み取る。②ハザードマップと地形との関係を考えて読む:地形(崖,坂道,傾斜等)の記憶や地形分類図等とマップを比較しながら読む。③ハザードマップの想定外も考える:マップの想定の前提(条件)を理解して,それ以上の場合を考えることや,マップにない災害リスクを地形から考える(例えば扇状地で土石流,後背湿地で浸水等)。

     土地条件(地形)の理解に加えて地図のスキル向上も,本授業および防災において重要である。地理院地図はその有効な手段であり,その利用法を丁寧に教えること,また地理院地図の改変が速いので最新のものに対応することが,必要である。以上は,地域の実態に即した防災を考える基盤ともなるであろう。

     また,脆弱論的災害論,すなわち自然のインパクトnatural hazardが災害disasterになるかどうかは個人や集団の脆弱性vulnerabilityとの兼ね合いによって決まるとし,さらに地域~国家~国際社会の社会・経済・政治的要因群が脆弱性に影響するという枠組みは,地理総合の柱の1つ「国際理解と国際協力」に関わることも明らかである。

    3 防災教育を担う教員の養成-山形大学の実践から-

     2017年11月,「教職課程コアカリキュラム」が示された。そこでは,(災害安全を含む)学校安全への対応に関する基礎的知識を身に付けることが目標の1つに挙げられ,大学では教職課程の必修科目の中でこれに対応することとなった。

     具体的には各大学の裁量によるが,山形大学地域教育文化学部では,2015年度から小学校教員養成コースにおいて「教員になるための学校防災の基礎」を開設し,2017年度からは必修科目として本格開講している。さらにそれに先行して,大学院教育実践研究科(教職大学院)では,必修科目「学校の安全と防災教育」を2009年度研究科設置時から開講している。教職大学院の取組については,10年の実績,受講生および修了生によるコメント等から,ある程度の効果があったと考えられる。しかし,地域教育文化学部については,必修科目として2年(選択科目段階を入れて4年)の実績を有するものの,いまだ手探り状態と言わざるを得ない。とくに重視している地球科学的内容(防災基礎教育に相当部分)について,内容と手法の改善が必要である。

     教員養成に関わる地理学者は,防災・学校安全に関する科目の企画と実践を積極的に担い,上記内容や教育手法等を取り込むことが期待される。
  • 寺尾 徹, 村田 文絵, 山根 悠介, 木口 雅司, 福島 あずさ, 田上 雅浩, 上米良 秀行, 林 泰一, 松本 淳
    セッションID: 506
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    インド亜大陸北東部は、アジアモンスーン降水の中心域の一つであり、当該地域の降水プロセスの長期間の変動を明らかにすることは、気候変動影響を明らかにするうえで極めて重要である。長期間の気候変動を記述するためには、降水特性を長期間にわたって記述するデータが不可欠である。われわれの研究グループは、この観点から、インド亜大陸北東部の長年の降水特性の長期変動を明らかにするため、多様なデータレスキューを推進してきた。本報告では、以下に記す多岐にわたる気象データレスキューと、それらのデータを用いた気候変動の解析結果の概要を述べる。具体的には、①旧英領インド日降水量のデータレスキュー、②現地新聞によるシビアローカルストームデータベースの構築、③インドアッサム州の茶園の気温・降水量観測のデータレスキュー、の3点について取り上げる。
  • 佐藤 侑希
    セッションID: 302
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    戦後の学習指導要領は約10年ごとに改訂が行われてきた。1994年度実施の高等学校学習指導要領から世界史が必履修科目となっていることから、歴史を専門とする教員が多く、多くの教員が地理を教えにくいと思っており、その中でも特に自然地理に関する内容を指導することに抵抗を感じていると武者(2000)は指摘している。本来、地形学習は術語本位の勉強ではなく、人々の生活との関係について考えるのが地理で地形学習を行う意義であるはずである。しかしながら、上述の指摘のように本来あるべき地形学習が十分に行われていないという状況が伺える。

    このため本研究は昭和30年代以降の高等学校学習指導要領及び地理の教科書から地形学習の変遷について考察し、地形学習の特徴を捉え、地形学習の今後の充実に向けた考察を行った。

    具体的には、学習指導要領の改訂ごとに、帝国書院及び東京書籍が発行した高等学校地理の教科書から地形学習の内容や分量の比較を行う。また、詳細な分析対象として沖積平野に関する地形学習の内容を選び、索引に掲載されている用語のピックアップおよびカウントを行い、その内容を分析した。

     1963・1972・1982・1994・2003・2013年度実施の各指導要領に基づく教科書分析の結果から、地形学習では、図表や写真などを多く利用して行うという特徴が明らかとなった。その様子が顕著に現れたのは、2003年度実施の学習指導要領に準拠した教科書の導入からである。これ以降、教科書がカラー版になったことも影響しているが、図表や写真などの掲載が大幅に増えたことや、「技能をみがく」という項目において、地形図の読みとりを通して地形学習を行うことが示された。さらに1995年の阪神淡路大震災を経験したことからも、コラムやトピックとして地形と防災についての記述が加わり、大きな変化が見られるようになった。

    教科書分析から沖積平野についての地形の学習の特徴としては、第一に模式図が使用され、模式図を基にして記述がなされているという点である。帝国書院では、1963年度実施の指導要領から一貫してみられる。その後、2003年度実施以降は模式図に合わせて写真が使用されるようになり、さらに「技能をみがく」という項目において、沖積平野に関する地形図の読み取りが導入されるようになった。それに対し、東京書籍の発行した教科書では、地形図が古くから採用されてきた。そして東京書籍の教科書では、帝国書院の教科書に先駆け、地形図と写真を組み合わせた資料が使用されるようになった。2003年度実施に合わせた教科書では、帝国書院、東京書籍ともに模式図、地形図、写真を合わせた地形学習の形態となり、この様式が現在の沖積平野についての学習方法の主流であることが明らかになった。

    ただし、模式図を地形学習で使用する場合、三橋(2018)が指摘しているように、実際の地形との結びつけが生徒のみならず教員もうまくできずに、間違った地形観を生徒が抱きかねないなどの課題もある。

     地形学習方法の特徴である図表や写真などの効果的な利用と、地形学習の在り方である生活舞台としての地形ということを充実させるために、本論文では効果的な学習方法として、地形学習におけるICTの活用、地形学習と防災教育の在り方、地形学習における野外調査の実施、地形図模型の作成などの検討を行った。

    地形学習の分析により明らかとなった内容を通して、地理総合が必履修科目となる次期学習指導要領の実施に向けて、本来あるべき地形と人々との関わりについて地理で学ぶことの意義を考え、地形学習における効果的な指導方法をさらに工夫する必要がある。
  • 小林 基
    セッションID: 815
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
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    1. 問題の所在

     1980年代以降の先進国において、国民経済と地域経済における農業の地位は軒並み低下した。しかし、テクノロジーの発達や価値観の変化が新機軸を生み出していることも事実であり、農業発展を期待する議論も多く存在している。本研究は、イノベーションによる農業変化について進化的アプローチを適用することで、農業における創造的破壊の過程を説明する枠組みを得ることを目的とする。この試みは、農業イノベーション研究における新たな研究課題を提示するだけでなく、従来の進化的アプローチにみられる企業中心的な見方を問い直す上でも意義があると考えられる。

    2. 農業セクターと農業イノベーション研究

     農業におけるイノベーション過程は、農家がしばしば家族経営によって担われるために、企業によってイノベーションが担われるセクターの場合とは異なっている。過去の農業イノベーション研究に依拠すると、まず、家族のメンバーの変化がその知識ベースを変動させることにより、新たな事業への進出や経営存続に影響する。また、事業者における研究開発能力が一般的に高くないため、新しい知識・技術の創出やその拡散過程において、研究員・普及員などといった非産業セクターの諸主体との相互作用が重要となる。さらに、食品産業に代表される他の産業セクターとの連携が新たな商品やビジネスを創出する点で重要であり、その成否にはこれら企業との間のパワーバランスが影響する。最後に、地域イメージをコアとするブランディングは、文化や歴史といったイメージの利用を通じて付加価値を生み出している。こうした諸点から、農業イノベーションはセクターの内部的変化のみに注目した分析によっては十分に捉えきれないことがわかる。

    3. 農業変化への進化的アプローチとその可能性

     シュンペーターの所説を発展的に継承する立場をとるR. ネルソンとS. ウィンターは、ダーウィニズムを応用した進化経済学の展開に先鞭をつけた(『経済変化の進化理論』慶應義塾大学出版会、2007年。原著初版は1982年刊行)。彼らは、市場における企業間競争について各々の企業が保有するルーティンに注目し、それらが複製されたり選択圧を受けることで各企業の浮沈が生じることを論じた。ダーウィニズムは進化経済地理学においても引き継がれ、重要な概念として位置づけられている。

     報告者は、このアプローチが知識の動態を重視している点に注目した。農業セクターが多種多様な知識の集合によって成立していると見なすと、その構成要素が入れ替わり、また、他の産業セクターを成り立たせる知識と接合することにより、知識の次元における「農業セクター」の範囲は絶えず再構成されることになる。こうした見方の採用は、農業から派生する新たなサービスやビジネスの生成過程とメカニズムの説明へと当該分野の対象を拡大する。また、発展か衰退かという見方を超え、農業が新たな産業へ再生を遂げつつ存続する「進化」の過程を追跡することができる。

     こうした見方は以下のような課題に取り組むことで具体的に活用できる。まず、研究方針として、農業から派生したり、農業と他の産業および非産業セクターとの相互作用による新たなサービスやビジネスの生成過程について解明することを目的に据える。その際、農業の関連知識が異なる目的・価値・機能の下に改変され多様化する過程、他のセクターやその知識への貢献、非経済セクターとの相互関係といった諸問題に着目する必要がある。その説明の枠組は、一般ダーウィニズムに依拠した集団学習、すなわち、ある主体が他の主体の行動を模倣するという見方を知識変化のモデルのコアとし、主体の意思決定、ネットワークの動態、集積の経済についての関連分野の知見を補助的な理論として組み合わせることによって得られると考えられる。

     産業セクターを越境する諸主体が知識を交換することを通じて新たなサービスやビジネスを創造し、従来の産業セクターの枠組みが改変されるという本研究の見方は、知識社会化の進展に伴う旧産業の再編を進化的アプローチの射程に組み入れ、イノベーション研究をより豊かにすると考えられる。
  • 山縣 耕太郎, 奈良間 千之
    セッションID: 432
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/03/30
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     東アフリカ赤道直下に位置するケニア山では,近年山頂周辺に分布する氷河が急速に縮小していることが確認されている.こうした氷河の縮小,消滅は,山麓に生活する住民や周辺地域の生態系に多大な影響を及ぼす可能性が指摘されている.本研究では,ケニア山の氷河変動の将来予測に寄与するために,完新世以降の長期的な変動を復元し,その特性を明らかにすることを目的とする.
    2.調査地域
     ケニア山は,ナイロビの北北東約150kmに位置する標高5,199mのアフリカ第二の高峰で,東アフリカ大地溝帯の形成が始まった約300万年前から260万年前を中心に形成された成層火山である.山頂周辺は,氷期に強い氷食を受け,火道を満たした堅い溶岩が削りだされ岩峰を形成している.山腹にはU字谷が放射状に刻まれ,氷河期には標高3000m付近にまで氷河が拡大したと考えられている(Mahaney et al., 1989).
    山頂付近には,現在11の氷河が存在する.特に山稜の南斜面で発達が良い.これは,この方位が日射に対して影となっていること,および日々の局地循環による雲の発達がこの斜面で特に著しいことによる(白岩,1997).山稜南斜面に位置するLewis氷河とTyndall氷河は,ケニア山における1番目と2番目に大きな氷河である.これらの氷河については19世紀の終わり以降の変動がよく記録されている(水野,1994).
    3.ケニア山における氷河地形編年
    ケニア山における過去の氷河作用について,Baker(1967)は,ネオグラシエーションの氷河前進期を認め,ステージⅣとした.さらに,Mahaney(1984)は,このステージⅣを堆積物の地形的位置,風化の状態,土壌断面の特徴等から判断して,古い方からTyndall前進期とLewis前進期に区分した.Tyndall前進期のモレーンは,Tyndall氷河前面のみで認められる.さらに下方のTyndall氷河の谷とLewis氷河の谷が合流する付近には, LikiⅢ前進期のモレーンが認められる.
    それぞれの氷河前進期の年代については,堆積物中に含まれる有機物の14C年代からLikiⅢ前進期については晩氷期の約12,500年前,Tyndall前進期については約1,000年前と推定されている(Mahaney et al., 1989).Lweis期のモレーンについては,小氷期に形成されたものと考えられている.
    4.Tyndall氷河・Lewis氷河前面における完新世氷河地形の再検討
    今回の調査でTyndall期のモレーンは,さらに5つの時期に区分されることが確かめられた.最も下流に位置するTM5は,LikiⅢ期のモレーンに接していることから,ほぼ同じ時期のものと考えられる.したがってTyndall期のモレーンは,約1万年前から1,000年前までの時期に形成されたものと考えられる.それぞれの年代については,さらに検討を必要とする.
    Lewis期のモレーンは,植生の被覆度や,岩礫を覆う地衣類の被覆度から,Tyndall期より明らかに新しいモレーンとして区別できる.Lewis期のモレーンについては,Tyndall氷河前面においてさらに2時期,Lweis氷河前面においてさらに4時期に区分可能である.それぞれの年代については,Lichenmetryによって検討を行う.
    Lweis氷河とTyndall氷河を比較すると,Lweis氷河では,Tyndall期とLweis期の氷河拡大規模がほぼ同程度であるのに対して,Tyndall氷河前面ではLweis 期の拡大規模の方が明らかに小さい.このような挙動の違いは,涵養域および圏谷出口付近の地形の違いによるものと考えられる.
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