伝統的な社会における医療衛生の近代化は植民地時代に開始された。明治維新後,帝国主義列強に加わった日本は,周辺のアジア諸国において植民地を獲得し,現地の医事衛生と社会事情に合わせた医療衛生政策を実施し,近代的医療衛生を持ち込んだ。内モンゴル西部地域においては,1930 年代前半から,モンゴル人の自治運動が起きたが,それとほぼ同時に,日本は財団法人善隣協会の診療班を当該地域へ送り込み,近代的医療衛生体制を導入した。一方,日本の植民地主義勢力が強制した近代化と近代思想の影響を受けたモンゴル人側は,みずからもすすんで近代的医療衛生を普及させようと試みていた。本論文では,当時の社会事情と植民地における近代的医療衛生事業の展開を背景に,蒙疆政府の医療衛生政策,モンゴル復興を目指した同政府興蒙委員会の医療衛生事業の展開,当該政府によって設立された中央医学院の実態などの考察を通じて,内モンゴル西部地域における医療衛生の近代化過程を明らかにする。
本論はラテンアメリカにおける大連立政権の成立について問う。大統領制下の政党間協力は軽視されるトピックであったが,近年では「連立大統領制」に対する研究の見直しが進んでいる。本論は,大統領制下の連立パターン研究で十分に議論されていない以下の3点を検討する。まず,数ある政権形態のなかでもこれまであまり関心がもたれてこなかった「①大連立」を分析する。また,政権成立にまつわる条件の効果と比べて問われることが少なかった「②因果の複雑さ・仕組み」について深く検討する。以上の点と連動して「③大統領制下の政党間相互作用のモデル」について検討していく。そして本論では大連立の典型例と位置づけるブラジルの分析を通じて次の仮説を確認する。それは「大統領制・多党制・二院制によって大連立のメカニズムが働く」という仮説である。ただし,ブラジルの事例で確認する大連立の条件は,文脈的なメカニズムにより予測される効果とは異なる作用があるとも提起する。
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