人類學雜誌
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78 巻, 3 号
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  • 三沢 章吾, 林田 良子
    1970 年 78 巻 3 号 p. 177-186
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    北海道新冠地方のアイヌ108名(純血に近いアイヌ40名,1/2,1/4程度の混血アイヌ68名,日本人との平均混血度1/2)について,ABO式, MNSs式, Rh式, Q式, Lewis (Lea)式, Kell式, Duffy(Fya)式, Kidd (Jka)式の8種類の血液型を検査し,次のような遺伝子あるいは染色体頻度を得た.
    1) ABO式血液型純血アイヌ:p=0.1963±0.0470, q=0.0929±0.0333, r=0.7107±0.0481,混血アイヌ:p=0.2514±0.0401,q=0.1768±0.0344,r=0.5718±0.0463.
    2) MNSs式血液型,純血アイヌ:m=0.4500,n=0.5500,混血アイヌ:m=0.4780,n=0.5220,比較的純血に近いアイヌ50名について, M, N, S, s抗原を調べると, MSMs 2名, MsMs 9名, MNSs 5名, MsNs 19名, NSNS 1名, NSNs 5名, NsNs 9名であった.
    3) Rh式血液型アイヌ全体として頻度を計算すると, R1(CDe)=0.5479, R2(cDE)=0.2291, Rz(CDE)=0, R0(cDe)=0, r(cde)=0.0458, r'(Cde)=0.0482, r"(cdE)=0.1282であった.
    4) Q式, Lewis 式血液型,純血アイヌ:Q=0.0382±0.0214, Lea=0.5244±0.0499,混血アイヌ:Q=0.1340±0.0292, Lea=0.6184±0.0416.
    5) Kell式, Dully 式, Kidd 式血液型.純血アイヌ:K=0.0000, Fya=1.0000,混血アイヌ:K=0.0000,Fya=0.8788.純血アイヌ28名について Kidd 式血液型を調べると Jk(a+)型22名,Jk (a-)型6名であった.
  • 第一報
    平井 百樹
    1970 年 78 巻 3 号 p. 187-199
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    近年,末梢白血球培養による染色体検索の結果,加齢に伴い異数性細胞が増加することが, JACOBS et al.(1961,1963,1964); HAMERTON et al.(1965); COURT BROWN et al.(1966);SANDBERG et al.(1967)らによって報告されている.そこで,日本人についても同様の結果が得られるかどうかを調べるための予備的研究として,65才以上および20才前後の健康な女性計17名について,染色体検索を行った.その結果,高二倍性細胞については,老年グループで1.9%,若年グループで0.1%,低二倍性細胞については,老年グループで6.4%,若年グループで3.3%の出現率を示し,ともにグループ間の出現率に有意差が見出された.なお,低二倍性細胞については,標本作製時の細胞破壊により生じたものが多いと推定される.
  • 埴原 和郎, 玉田 瑞穂, 田中 武史
    1970 年 78 巻 3 号 p. 200-207
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    上顎大臼歯の遠心舌側咬頭(hypocone)は,人類の進化の過程で徐々にその相対的大きさを減じてきた.その程度は歯により,または人種によって多少ともことなっており,人類学上重要視されている.
    この咬頭は,強く発達したものからまったく消失しているものまでの強い変異を示すが,DAHLBERG (1949)はその退化の程度を4段階に分類し,4,4-,3+および3という記号によって表現することを提唱した.その後埴原(1961)は上顎第2乳臼歯の分類を試み,DAHLBERG の方法を改変して4,4-,3+A および3+B の4段階に分類する方法を紹介した.
    しかしこれらの方法はいずれも研究者の主観が入りやすく,また連続量を非連続量としてとり扱うという非合理性を含んでいる.これとは別に,埴原(1956)は歯冠と hypocone の近遠心径による示数(hypoconeindex)を算出する方法を試みたが,これも,本来3次元的な hypocone の大きさを1次元的に表現するという不備な点をもつ.
    今回紹介するのは,これを平面(2次元)に拡張して,hypocone の歯冠に対する相対的な大きさ(hypoconeの相対面積,relative hypocone area)を求めようとするもので,具体的には写真計測による方法である.撮影法ならびに計測法については本文を参照されたい.この結果,hypocone の退化に関してかなり合理的な研究が可能となり,より詳細な集団内,および集団間の比較を期待できる.結果を要約すると次の通りである.
    1)標本として現代日本人の正常な上顎大臼歯(dm2, M1および M2)を用いた.
    2)各歯とも,hypocone の相対面積は正規分布をするものと考えられる.
    3)一般に hypocone の相対面積は M1でもっとも大きく,ついで dm2, M2の順に小さくなり,各歯の平均値の間には有意差が認められる(女性の dm2-M1間は例外).
    4)dm2および M1では性差が認められず,また M2の性差は有意ではあるが比較的小さい.
    5)双生児で計測した結果,この値は強い遺伝子支配をうけるものと思われる,その程度はI1のシャベル型(埴原•田中•玉田,1970)よりやや強い.
    6)従来の分類法と本法との間には強い平行関係がみられ,根本的に矛盾する点はない.
    7)Australopithecinae, Homo erectus などの化石人類では, hypocone の相対面積は現代人より大きく退化の程度の低いことがわかる.とくに前者では M2の値の大きいことが注目される.一方, Homo erectusはこの点でかなり現代人に近く,M2における hypocone の退化も進んでいたと考えられる.
    8)Hypocone の大きさはすでにのべた通り,本来3次元空間によって表現されるべきものである.今回紹介した方法は平面上の計測であったが,われわれは第3次元,つまり hypocone の高さの計測について,現在検討中である.
    以上のように,この方法は従来の分類法より客観的,合理的であり,これによってより正確な比較と,より詳細な分析が可能になると考えられる.
  • 渡辺 仁
    1970 年 78 巻 3 号 p. 208-212
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    石斧は分布の一汎性と出土頻度からみて本邦石器時代(特に縄文時代)の重要遺物である.ところがその用途,生活上の役割は不明である.考古学の常識としては磨石斧は木工用,打製石斧は土掘りを含めて雑用とされているが,それほど根拠があるわけではない.本報告では縄文石斧(特に代表的なものとして磨製では定角式と乳棒状,打製では分銅型をえらんだ)の刃にみられる重度の磨耗と破損の性状を問題として取あげた.一方北方狩猟採集民のデータにもとついて上記の常識は改める必要があることを指適する.結論として縄文石斧は用途の広い道具で,磨石斧でさえ木工と狭く限って考えることはできない.ここに取あげたような例は台所道具特に調理用具としての可能性を考えなければならない.また石槌や石杵等とともに石皿との密接な関係(石皿とセットの関係)を考えなければならない.
  • 馬場 悠男
    1970 年 78 巻 3 号 p. 213-234
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    踵鋸その他の坐法の影響による形態的特徴であると従来考えられた Cervical Fossa of ALLEN(femur),Squatting Number(femur), CHARLES'Facet(femur), Squatting Facet(talus), Inferior Fossa and Facet(tibia)について,縄文時代,江戸時代,現代日本人下肢骨を資料として検討した.その結果,それぞれの形態的特徴が各時代や人種等の集団により特有の変異をすることがわかった.又そのような形態的特徴は遺伝的に固定されたものではなく,生活様式等の環境の影響を反映していると思われる.さらに,縄文時代には樽鋸の習慣が著しいこと,そして江戸時代以降に正坐の影響が現われていること等が推測された.
  • 森本 岩太郎, 小片 丘彦, 小片 保, 江坂 輝弥
    1970 年 78 巻 3 号 p. 235-244
    発行日: 1970年
    公開日: 2008/02/26
    ジャーナル フリー
    1969年8月の愛媛県上黒岩岩陰遺跡第4次発掘調査において,押捺文土器に伴う縄文早期中葉人骨少なくとも7体分が発見された.このうち,壮年男性2体と幼児1体は,岩陰最奥部に一括して二次埋葬されていた.二次埋葬様式は,小さな類円形ピットの底にまず頭蓋3個を横たえ,頭蓋のすきまに短小な骨を詰め,扁平骨でおおい,その上に成人長骨をほぼ平行に並べ,最後に土器片と平石でこれをおおっていた.二次埋葬された3体のうち,男性1体の右腸骨翼には,おそらく槍先として使用されたと思われる長さ約10cm,幅約2cmの有孔ヘラ状骨器が右外側後方やや上方から刺入してとどまっていた.この骨器による損傷は,致命傷であったと推定された.二次埋葬に際し,その下にあった屈葬女性人骨の下肢骨の一部は折り取られて二次埋葬ピット内に重葬されたが,頭蓋だけは岩陰のさらに奥へ移し埋あられていた.
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