Anthropological Science (Japanese Series)
Online ISSN : 1348-8813
Print ISSN : 1344-3992
ISSN-L : 1344-3992
112 巻, 1 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
追悼文
原著論文
  • 近藤 信太郎, 名取 真人
    2004 年 112 巻 1 号 p. 9-18
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/14
    ジャーナル フリー
    プロクラステス法と薄板スプライン解析によりニホンザル大臼歯咬合面の形態を分析した。中心窩を原点,中心溝をX軸,頬・舌側溝をY軸とする座標系における標識点の座標値を計測した。プロクラステス法によって大きさの要素を除去すると,座標値の個体変異は小さくなった。形と大きさには有意な性差と歯種差が認められた。形と大きさの性差は発生の遅い大臼歯に強くあらわれ,歯の内部では発生の遅い遠心部ほど強かった。第一・第二大臼歯間の形にはほとんど違いがなかったが,第二大臼歯の方が有意に大きかった。第一・第三大臼歯間の形,大きさには顕著な違いがあった。薄板スプライン解析による第一大臼歯から第三大臼歯への変形は近遠心的な伸張と遠心部の頬舌的な圧縮であった。
  • 平田 和明, 長岡 朋人, 星野 敬吾
    2004 年 112 巻 1 号 p. 19-26
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/14
    ジャーナル フリー
    鎌倉市の由比ヶ浜地域には大量の中世人骨が出土している静養館遺跡,由比ヶ浜南遺跡(単体埋葬墓),中世集団墓地遺跡(No. 372)および材木座遺跡の4遺跡があり,これらの出土人骨の刀創の特徴を比較検討した。刀創受傷率は材木座遺跡が最も高く65.7%であり,次に静養館遺跡が6.6%で,中世集団墓地遺跡は1.4%,由比ヶ浜南単体埋葬人骨は1.3%であった。刀創人骨のうちの斬創が占める割合は,静養館遺跡が100%,由比ヶ浜南遺跡が66.6%,中世集団墓地遺跡が75.0%,材木座遺跡が2.7%であった。一方,掻創が占める割合は材木座遺跡が82.3%で圧倒的に高く,中世集団墓地遺跡は2個体だけで25.0%,静養館遺跡と由比ヶ浜南遺跡の出土人骨には掻創は認められなかった。由比ヶ浜地域(前浜)は主として14世紀に中世都市鎌倉の埋葬地として使用されたと考えられるが,遺跡間および同一遺跡内の各墓抗間においても人骨の埋葬形態に差異があることが明らかであり,今後の広範囲な分野から更なる解析・検討が必要である。
資料研究報告
  • 鈴木 敏彦, 澤田 純明, 百々 幸雄, 小山 卓臣
    2004 年 112 巻 1 号 p. 27-35
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/14
    ジャーナル フリー
    青森県下北半島浜尻屋貝塚の2002年の発掘調査において,中世に属する1体の小児人骨が出土した。本研究では,歯冠の計測値および非計測的形質について日本列島の各時代の集団との比較分析を行うことで,浜尻屋人骨の帰属集団を探った。歯冠サイズに関しては,浜尻屋人骨はアイヌと中世本土日本人の双方にオーバーラップしており,そのどちらに近いかを明らかにすることは難しかった。一方,非計測的形質に関しては,上顎前歯部の弱いシャベル形質や,下顎第二乳臼歯に見られたmiddle trigonid crestは,より縄文人的すなわちアイヌ的な形質特性を意味するものと思われた。以上を踏まえると,浜尻屋人骨は少なくとも渡来的形質を持った本土日本人ではなく,アイヌ,もしくは縄文・アイヌ的形質を備えた本土日本人のどちらかに属する可能性が高いと考えられた。
  • 梶ヶ山 真里, 溝口 優司
    2004 年 112 巻 1 号 p. 37-57
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/14
    ジャーナル フリー
    東京都内とその近郊にある江戸時代遺跡19遺跡からわずかずつ出土した頭蓋・四肢骨の計測値を,将来の比較研究の材料として,まとめて提供する。江戸御府内の遺跡から出土した頭蓋の計測値のみを仮集計した結果,その混合標本は比較した他の御府内出土江戸時代人標本とはあまり似ていなかったが,男女ともに,頬弓幅が非常に狭い,という特徴を持っていた。男性の頬弓幅は牧野家藩主の平均値に最も近く,女性は北陸現代人や徳川将軍正室・側室の平均値に非常に近い値をとる。これは,今回報告した資料の中に富裕階層の人骨が比較的多く含まれていることを示唆するものかもしれない。さらに,マハラノビスの D2距離によれば,全体としては男性混合標本は東北地方現代人に,女性混合標本は中国地方現代人に最もよく似ていた。江戸時代人骨に見られる大きな変異の原因や現代日本人の形成過程を明らかにするには,今後も引き続き,人骨と環境要因に関する遺跡別のデータ収集が必要である。
feedback
Top