近年,ヒト組織・臓器を構成する個々の細胞について,種類や場所を記す「細胞地図(細胞アトラス)」の作製が進められている.しかしこれらの地図は静的な配置情報に留まり,「いつ・どこで・どの分子が働くか」という動的な生命活動はとらえきれていない.本総説では,この課題を解決する①単一細胞・空間マルチオミクス,②アクティビティベースド・ケモプロテオミクス(ABPP),③AI顕微鏡イメージング,④質量分析イメージングによる空間メタボロミクスの4技術を取り上げ,原理・代表手法・応用・課題を比較整理する.これらの最先端分析技術は細胞の動的な不均一性や酵素の活性状態,代謝物の時空間分布を直接とらえ,創薬や基礎生物学に新たな地平を拓く.今後はデータの標準化やAIの信頼性確保といった横断課題の克服が,動的機能マップの臨床応用,ひいては個別化治療を最適化する「機能オミクス医学」の鍵となる.
タンパク質が形成する複雑な相互作用ネットワークの網羅的解明は,生命科学の核心的課題である.著者らはこの課題に応えるため,コムギ無細胞系で合成した数万種のヒトタンパク質を搭載するプロテインアレイと,高感度なAlphaScreenアッセイを組み合わせたハイスループットスクリーニング系を構築した.本稿ではその原理と応用を紹介する.本技術により,がん関連タンパク質RhoBの相互作用因子を同定し,未知であった機能制御機構の解明に繋げた.さらに創薬応用として,細胞の表現型変化のみを指標に得られたアレルギー治療薬候補化合物の直接の標的分子を同定(ターゲットデコンボリューション)することに成功した.このように,著者らの解析基盤は,生命現象の根源的な問いに答える機能解析と,創薬における作用機序解明の両面を加速させ,次世代の生命科学研究を切り拓く強力なツールとなる.
清酒は,米を原料に複数の微生物が関与する並行複発酵という複雑な発酵形式を含む多段階のプロセスにより製造される.清酒成分は,約80% の水と約15% のエタノール,その他の数% の微量成分で構成されており,その構成はさまざまな製造工程の影響を受ける.微量成分には,多様な糖質やアミノ酸,ペプチド,有機酸,加えてアルコールやエステルといった香気成分など多種多様な成分が含まれ,これらの組合せによって清酒の風味が決定されることになる.つまり,清酒成分は複雑なプロセスから生み出され,その構成と風味は多様である.そのため,清酒の製造や品質を理解するためには数多くの成分を分析する必要があり,これまでにさまざまな手法が用いられている.本稿では,清酒成分の網羅的分析方法についての現状を紹介する.
摂取した薬物の一部は,血流を介して毛髪や爪に取り込まれ,長期間保持される.薬物関連犯罪の科学捜査において,尿や血液の採取が遅れた場合に,毛髪や爪が薬物摂取証明のための代替試料となり得る.また,毛髪や爪内の薬物の存在位置は摂取時期を反映するため,薬物の分布を詳細に測定できれば,薬物取込み経路や薬物摂取時期に関する情報が得られる.著者は1本の毛髪を1日の平均的な成長速度に相当する長さ(0.4 mm間隔)に分画し,高感度なLC-MS/MSを用いて各断片中の薬物濃度を定量することで,単毛髪内の薬物分布を高解像度で表示する方法を開発した.同様に,爪についても0.2 × 1.5 × 0.06 mmに断片化し,爪内薬物の三次元分布測定法を開発した.これらの分析法はマイクロ分画分析と命名された.本稿では,毛髪及び爪のマイクロ分画分析に関する研究と科学捜査における応用例を紹介する.
本研究では,神経変性疾患及びがんの治療・診断に焦点を当て,MRI造影剤であるガドリニウム(Gd)錯体をベースに,二つのMRIプローブを開発した.まず,アルツハイマー病の病原とされるアミロイドβ(Aβ)の凝集阻害活性を有するクルクミン誘導体とGd錯体を結合したGd-Comp.Bを設計・合成した.Gd-Comp.BはAβ線維の凝集阻害能を有することに加え,T1測定によって線維の成長段階や阻害活性を評価できることが示唆された.次に,MRIガイド下ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)への応用を目指し,Gd錯体とホウ素化合物を結合したアルブミン(Gd-MID-BSA)を合成した.担がんマウスモデルにおいて,Gd-MID-BSAは優れた腫瘍集積能を有し,MRIで腫瘍内薬物動態を追跡できた.さらに中性子照射を行うことで,腫瘍増殖の顕著な抑制が確認された.これらのMRIプローブは,治療と診断を両立する薬剤の開発において,新たな設計指針を与えるものである.
頻発する災害や日常の家屋解体の現場では多量の建材が廃棄されている.建材にはアスベストが含まれる可能性が極めて高い.更に,アスベストと類似の繊維状物質が含まれている.災害廃棄物の処理や家屋解体における環境リスクや健康被害を防止するために,現場でのアスベスト検出が必要である.廃棄建材表面を2種の色素(メチレンブルー,エリスロシン(食用赤色3号))で染色し,アスベストと繊維状物質を実体顕微鏡(× 50)で検出し,色調と形からそれらを識別する方法を確立した.そして,その結果を,顕微ラマンスペクトル,X線回折法,走査型電子顕微鏡/エネルギー分散X線分光法(SEM/EDS),偏光顕微鏡法で確認・同定した.本法によって,現場で採取した建材中のアスベスト及び類似の繊維状物質を簡単な操作と低コストで迅速に検出し同定できた.67個の試料の分析結果を公定分析法(JIS A 1481-2, JIS A 1481-3)とXRDの結果と比較した.
本研究は,気泡流による自励スロッシング現象が物質移動に及ぼす影響の解明を目的とした.矩形槽において,ガス分散器の変更や1-butanolの添加により意図的に気泡径を変化させ,液面振動と物質移動係数kLを測定した.実験の結果,気泡径を小さくするとスロッシングは発生しやすくなり振幅も増大した.しかし,1-butanol添加でさらに気泡径を小さくすると,形成された泡沫層が壁面との摩擦でエネルギーを減衰させ,逆に振動は抑制された.物質移動係数kLはガス流量の増加に伴い増加する傾向にあり,スロッシングが物質移動を促進する可能性が示唆された.しかし,振動の振幅とkLの間に単純な相関は見られず,CFDによる予測も含めた詳細な解明が今後の課題である.
超硫黄分子は,硫黄原子が重合・連結したポリスルフィド構造を有する硫黄代謝物であり,多様な生理活性を担うとして近年注目されている.一方で,硫黄化合物は化学反応性が高く,不安定であることから,検出や分析の手法が課題とされている.本論文では,生体内における超硫黄分子の検出と評価を目指し,顕微鏡型ラマン分光装置を用いて硫黄化合物の検出に成功したことを報告する.実験では,市販試薬のS及びSodium polysulfide(Na2Sn, n=2, 3, 4)を使用した.Na2Snは最も単純な構造を有するポリスルフィドである.固体及び水溶液状態のラマンスペクトルを測定したところ,Na2S2, Na2S3, Na2S4それぞれに特有のピークが認められた.酸素条件下ではピークや波形に変化が認められたことから,硫黄が酸素の影響を受けることが示された.複雑な波形変化を解析するために主成分分析を行ったところ,プロットに偏りが認められた.不安定な超硫黄化合物をラマン分光法と統計解析によって解析できることを示唆した.