1993年6月に恩師小谷正雄先生が亡くなられた.その後10月に開かれた小谷研同窓会に出席した折に大野公男先生から本特集の原稿を書くようにとのご依頼を受けた.私は阪大基礎工学部で小谷研最後の助手として3年間先生のご指導を賜った.その前後に出版した論文を調べてみると,先生との共著論文が10報あり,内容はヘム蛋白質の電子状態など,生体物性に関するものである.既にヘモグロビンの機能(特にアロステリック効果)に関する小谷研の仕事については,阪大の森本さんが追悼文(生物物理33(1993)246)の中で触れていることもあり,ここでは生体物性に関する阪大時代の研究に重点を置くことにする.ただし個人的見解なども多少加わることをお許し頂きたい.
私は小谷正雄先生とは実はあまりご縁がない.ただ1977年6月15日に物性研究史の「聞書き」でお話をうかがったことがあり(その記録と補遺が『数理科学』No. 365-369,1993.11-1994.3に掲載されている),その「聞書き」を準備する過程で,先生に手紙を差し上げ,お返事を頂いた.以下に述べることは,その時のお話,および頂いたお手紙に書かれていたことに基づいている.「聞書き」のとき,語り手として犬井鉄郎先生も小谷先生のお誘いで同席された.[上記「聞書き」記録の発言には,すべて番号が振ってある.以下の文章の随所に現れる( )付きの数字および(補遺-n)は,その記録の発言番号,および補遺の番号を示す.なお,以後,敬称を省く.]また,東京理科大学の定期刊行物「SUT Bulletin」に高木佐知夫・目黒謙次郎による「聞書き」記録が8回にわたって連載されている(1990.9-1991.3および1991.5)が,随時この記録も援用する[(B-n)は同誌連載n回目の記事に基づくことを示す].
468ページの写真は,小谷先生の若き日のノートの第2〜3ページである.表紙には量子力学論文輪講原稿第二集と筆で几帳面な楷書で書かれている.高校時代から親友だった犬井鉄郎が「かわいい,小学生が使うようなノート,表紙に赤い屋根がついた…」と語ったのは第一集のことか?この第二集には「赤い屋根」でなく「赤い花」がついている.横14.3cm,縦19.4cmの94ページ.罫線はない.小谷は,勝木のインタヴュー(1977年6月15日)において「大学の2年のころに,かなり量子力学の論文,といってもそう論文があるわけでもないけれど,何か学生の仲間で,論文を読んだりしていた」と言い,同席した犬井は「小谷さんはSchrodingerをやった」と応じて「とにかく,やたらに,めちゃめちゃに読んだ」と言っている.小谷ノートは,そのとき作られたのである.「原稿」とあるから,輪講の準備ということだろう.
教育者・小谷先生のお考えを,先生が遺された万巻のなかから原文で読み返して明日に生かしたい.凡人には難しい仕事ではあるが,物理教育が大きな問題になっている今日,先生が示された教育する研究者の誠実この上ない姿勢は,後に残された私たちの努力の目標でなければならない.永宮健夫先生,高橋秀俊先生の文をおかりして結びとする.[ ]内はつたない想い.紙幅のため引用は断片的で,一,二個所短縮もした.ぜひ原文を御覧いただきたい.