日本物理学会誌
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74 巻, 9 号
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巻頭言
目次
シリーズ「人工知能と物理学」
  • 御手洗 光祐, 藤井 啓祐
    原稿種別: 解説
    2019 年 74 巻 9 号 p. 604-611
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    ファインマンが指摘したように,量子系は粒子数に対して指数的に自由度が増えるため,従来コンピュータでのシミュレーションは難しくなる.量子力学の原理によって計算を行う量子コンピュータは,このような問題を根本的に解決することができると期待されている.今では,原子や電子,そして量子化された電気回路など,個々の量子系を精密に制御する量子エレクトロニクス技術の進展に伴って,量子コンピュータの実現が現実味を帯びつつある.現在,Google,IBM,Microsoftなどの巨大IT企業に加え,ベンチャー企業であるRigetti computingなどが量子コンピュータの実現に向けた基礎研究開発を行っており,すでに数十量子ビット程度の規模の量子コンピュータが実現している.さらに,ここ数年で数百量子ビット規模の量子コンピュータが実現されると期待されている.十分に精度の高い操作が可能な100量子ビット程度の系ができれば,スーパーコンピュータを用いても完全にシミュレーションすることは難しく,このような規模でも大きな潜在能力を秘めている.一方で,量子誤り訂正を実装できるほどの規模がないため,複雑な量子アルゴリズムを実装することはできない.このようなデバイスは,Noisy Intermediate Scale Quantum(device)を略しNISQデバイスと呼ばれている.

    NISQデバイスはノイズの影響から,多くのステップを要するような複雑な量子計算を実行することができない.できるだけ,量子計算をコンパクトに設計し有効活用する方法が求められており,物理分野でも古くから行われてきた,変分法による量子系の解析が注目を集めている.従来のコンピュータ上で実行する変分法では,量子状態を効率のよい試行関数によって表現する必要がある.密度行列繰り込み群やテンソルネットワークなど,計算コストをできるだけ抑えて量子相関を取り込む方法が検討されてきた.それに対して,量子コンピュータ上の量子状態を試行関数として利用すれば,複雑な量子相関を取り込んだとしても,その状態の生成からエネルギーや観測量の評価は,物理法則を用いて効率よく実行することができる.まさに,ファインマンが指摘したように,量子力学で動作する量子コンピュータを用いて変分法の試行関数を表現するのである.このようなアプローチで,量子多体系の基底状態を求める変分法が変分量子固有値法(Variational Quantum Eigensolver, VQE)である.

    試行関数によるモデル化は,物理分野だけでなく,ニューラルネットワークなどの機械学習においてもよく行われている.最近では,量子多体系をニューラルネットワークで表現したり,物質相を機械学習で分類する,といったアプローチの研究も進んでいる.我々の最近の研究では,教師あり機械学習に量子回路を用いた変分的なアプローチを利用することを提案している.量子ビットに対して指数的に大きな次元となるヒルベルト空間を機械学習のための特徴量空間として利用しようという試みである.また,このような量子コンピュータを用いた機械学習を基底状態などの量子系を学習するために応用する研究も行っている.

    このように,変分アプローチによる量子古典ハイブリッドアルゴリズムは,NISQデバイスでの利用が期待されており,発展が期待される分野である.

解説
  • 細川 伸也, 乾 雅祝
    原稿種別: 最近の研究から
    2019 年 74 巻 9 号 p. 612-620
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    液体は固体とほぼ同密度であるが,並進対称性が失われたランダムな原子配列をとる.例えば液体金属に対しては,原子サイズを反映させた剛体球のランダム充填がよい近似となって,原子配列や電子構造の理解が進んできた.また,「水は方円の器に従う」という故事にあるように液体は自由に形を変える.「ずれ」方向の復元力がはたらかないことが液体が柔軟である理由であり,このため横波音波は液体を伝播しない.例えば,どの高校物理の教科書をみても,「横波は固体中しか伝わらない.これは液体や気体では,媒質を少しずらしたとき,もとにもどそうとする力がはたらかないからである.」(数研出版『総合物理2』より引用)のような明瞭な記述がある.実際,地震波のS波(横波)は地球中心部に伝播しない領域を有し,震源の反対側にある地表の観測点にはS波が到達しない影が現れる.しかしながら,液体論の専門教科書には横波音波に関する説明がある.この差異が現れる理由は,液体論では数nm,数psというミクロで瞬間的な性質を対象としているからである.このような空間・時間における液体は粒子描像で記述され,横波音波が存在できる.X線や中性子を用いた非弾性散乱実験は,まさにそのような空間・時間の原子・分子ダイナミクスを明らかにしてきた.液体の非弾性散乱スペクトルと,これから導かれる動的構造因子には,X線や中性子とエネルギーをやり取りしない準弾性散乱ピークの両側に,10 meV前後のエネルギーをやり取りした非弾性散乱成分が現れる.この非弾性散乱成分には,液体中の原子の粗密波などの集団運動を励起するエネルギーと運動量に関する情報が含まれている.1990年代後半にSPring-8などの大型放射光施設で強力な高輝度X線が利用できるようになり,20 keV程度のエネルギーをもつX線に対し1 meV程度のエネルギー変化を検出できる高分解能X線非弾性散乱(IXS)測定が実現した.

    液体GaやSnを始めとして数多くの液体金属を対象にIXS実験が行われ,これらの動的構造因子には,液体中の粗密波(縦波音響モード)の励起を表す非弾性散乱ピークと準弾性散乱ピークの間に非弾性散乱成分が存在することが見出された.コンピューター・シミュレーションが予言する動的構造因子と比較して,この低エネルギーの非弾性成分の起源は横波音波(横波音響モード)であると結論された.また,BiやGeTeなどがとるA7型結晶構造は単純立方構造を歪ませたもので,立方体の辺に沿って眺めると短い結合と長い結合が交互に並んだものである.この構造は,ブリルアン・ゾーン境界で電子エネルギーにギャップが現れエネルギーが利得する,JonesやPeierlsが指摘したメカニズム(パイエルスの不安定性)が作用することで安定化している.液体Biや液体GeTeのIXS実験が行われ,縦波音響モードの励起エネルギー(ħω)が極大値付近で平坦な形状になる特異な運動量(Q)依存性(分散関係)を示すことが見出された.このω –Q分散関係は,これらの液体が結晶同様,単純立方構造を歪ませた局所原子配列をとることと強い関連があると考えられる.このような結果は,液体のナノ・スケールの3次元構造がその物性に深く関わっていることを示している.

最近の研究から
  • 大村 訓史, 下條 冬樹, 土屋 卓久
    原稿種別: 最近の研究から
    2019 年 74 巻 9 号 p. 621-626
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    液体中の原子は活発に動いている.「共有結合性液体」の興味深い点は,原子同士が共有結合という非常に強い結合で結ばれているにも関わらず,原子が拡散するという点である.実はこの「拡散するためには強い結合を切らなければならない」という原子拡散に関する制約が,共有結合性液体が液体ナトリウムなどの液体金属とは全く異なる高圧物性を示す要因となっている.では,どのようにして結合を切って,原子は拡散しているのだろうか.そして,その原子の動きが共有結合性液体の特異な高圧物性にどのように関係しているのであろうか.このような原子スケールの動きを追うにあたって,原子配置の時間発展とそれに伴う電子状態の変化を同時に追うことができる第一原理分子動力学シミュレーションが大いに力を発揮する.

    まず,第一原理分子動力学シミュレーションによって明らかとなった液体B2O3の高圧下における原子の動きを紹介したい.液体B2O3はB–O間が強い共有結合で結ばれた典型的な共有結合性液体である.液体B2O3の拡散係数は液体金属とは異なり,加圧とともに増加する.原子が拡散する際,結合が簡単に切れないため,まず新しい結合を作り,あえて不安定な超過配位の状態を作る.その後,元々あった結合の一つを切って拡散する.このため,超過配位の状態を作りやすい高圧環境下の方が原子の拡散が起きやすくなる.しかし,その拡散係数はどこまでも増加するわけではなく,ある圧力で最大値を持ち,その後は液体金属と同様,加圧とともに減少する.しかし,この拡散係数が減少する圧力領域においても注目すべき特異な現象が起こる.減少の度合いがB原子とO原子では異なり,B原子は容易に拡散できるのに対し,O原子は拡散しにくいという「動的非対称性」が現れるのである.この原因は,超高圧下における,B原子とO原子の拡散機構の違いによって説明することができる.

    また,拡散以外の共有結合性液体の特徴として,加圧に伴う半導体–金属転移という現象が挙げられる.このような性質変化を示す液体として液体Seが知られている.液体Seは常圧で強い共有結合を反映した鎖構造をとるが,圧力増加に伴い鎖が切れ,金属化が起こる.我々の研究から,金属化が起こったとしても,共有結合が完全に消失するのではなく,局所的には共有結合が存在していることが明らかとなった.この共有結合がピコ秒,サブピコ秒のオーダーで頻繁に組み変わるため,金属化したあとの液体Seは液体Naなどの典型的な液体金属とは全く異なる特異な構造を持つ.

    このような共有結合性液体の高圧物性の解明は,物性物理学の範疇を越えて,地球科学の分野においても重要なテーマである.例えば,地球内部の地震波速度異常を説明することができる可能性の一つとして液体の存在が考えられている.通常,地球内部を伝搬する地震波の速度は地表からの深さが深くなればなるほど速くなる.しかし,地表からの深さが100~200 kmの領域においては地震波が異常に遅くなる.もしこの地震波速度異常の原因が液体の存在だったとしたら,なぜその深さに液体が蓄積されているのであろうか.その蓄積メカニズム解明には,まさに高圧下における液体物性に関する知見が必要となる.

  • 小谷野 由紀, 北畑 裕之, Alexander S. Mikhailov
    原稿種別: 最近の研究から
    2019 年 74 巻 9 号 p. 627-632
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    生体内には様々な機能を担うタンパク質が多数存在する.それらタンパク質はアデノシン三リン酸などの化学エネルギーを消費して活性化し,その形状を変化させることで機能を発現する.近年,タンパク質の活性化によって生体内の拡散が促進されることを示唆する実験結果が報告された.生体内に限らず,人工のマイクロ流路内での酵素・基質反応系においても拡散の促進を示唆する実験結果が得られた.そのため,ミクロな素子の形状変化が,直接的に拡散の促進を引き起こしている可能性が高いことがわかってきた.

    タンパク質の活性による拡散促進現象を説明するため,タンパク質のような形状が変化する素子と拡散現象を結びつける数理的な枠組みが,MikhailovとKapralによって提案された.彼らは,生体膜や細胞質をそれぞれ2次元・3次元ストークス流体,活性タンパク質の形状変化を流れを引き起こす力の双極子とみなし,流れに乗って動くトレーサー粒子の拡散挙動を記述する数理モデルを構築した.この数理的な枠組みにおいては,活性タンパク質の形状変化に対応する力の双極子の大きさや配向方向を確率的に与えているため,生じる流体場も確率的であり,さらに流体場に従って動くトレーサー粒子の時間発展も確率的である.トレーサー粒子の統計的な振る舞いを調べるために,トレーサー粒子の位置の時間発展についてフォッカー・プランク方程式,すなわち,トレーサー粒子の確率分布の時間発展方程式が導出された.フォッカー・プランク方程式にはトレーサー粒子の拡散挙動を表す項(拡散項)が含まれているため,拡散項の係数(拡散係数)を調べることにより,拡散の促進が起きうるのか議論することが可能となる.実際に,活性タンパク質が一様に分布している場合について拡散係数を調べると,通常の熱拡散に加え,活性タンパク質による実効的な拡散の促進が起きることが確認できた.

    フォッカー・プランク方程式には拡散項の他に,トレーサー粒子の一方向的な移動を表す移流項が含まれる.この移流項は,活性タンパク質の分布が一様でないときに現れる.生体内には細胞膜上の脂質ラフトといった,タンパク質が空間的に局在する構造の存在が知られている.そのようなタンパク質の局在構造によって引き起こされる移流について,提案されている数理モデルを用いて考察すると,トレーサー粒子はタンパク質の局在した領域に集まりやすい,という非自明な傾向があることもわかってきた.活性タンパク質の形状変化に対応する力の双極子の大きさや配向方向は,長時間平均がゼロ,かつ,時間的な相関を持たないよう確率的に与えているため,一見,流体中の流れに従って動くトレーサー粒子は方向性のある移動をし得ないように思える.今回のモデルで移流現象が見られる理由は,多数の活性タンパク質の協同現象を考えているためである.

    最後に,今回紹介したモデルは,拡散の促進現象を表すことができるという点で実験と整合が取れている.しかし,移流によってトレーサー粒子が活性タンパク質の局在した領域に集まる現象は実験的に未確認であり,今後の実験結果が期待される.

  • 櫻井 敬博, 肘井 敬吾, 太田 仁
    原稿種別: 最近の研究から
    2019 年 74 巻 9 号 p. 633-638
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    近年,代表的な量子磁性体の一つであるSrCu2(BO32という物質において,長らく期待されていたプラケット一重項と呼ばれる量子状態への相転移の観測が相次いでなされた.本系は磁性イオンのCu2+S=1/2)がダイマーを組み,そのダイマーが2次元平面上で互いに直交して配置するという,いわゆる直交ダイマー系物質として大変よく知られている物質である.その特異な構造に起因して種々の興味深い物性を示すが,その一つがプラケット一重項状態である.

    本系のスピン格子は,正方格子に更に対角の相互作用を直交するように入れたものと等価になる.対角線で結ばれる二つのスピンがダイマーに対応する.従って,この格子の基底状態は,ダイマー内の反強磁性相互作用Jの強い極限,即ち孤立ダイマーではダイマー一重項状態,そしてこれにダイマー間の反強磁性相互作用J′を加えていったその極限,即ち正方格子ではネール状態になる.ところがJとJ′が拮抗する中間の領域では,スピン間にフラストレーションが強く働き,基底状態は自明ではなくなる.理論研究によれば,ダイマー一重項状態やネール状態とは異なる特殊な状態,即ち4つのスピンで一重項を形成するプラケット一重項状態が基底状態になる.

    さて本物質は,プラケット一重項との相境界近傍のダイマー一重項側にいることから,圧力の印加によってプラケット状態が実現できるのではないかと期待されていた.しかしこの転移は,いわば非磁性から非磁性への転移であるため,観測が難しいことが予想される.この転移を明瞭に観測する一つの有力な方法は,励起状態を観測することである.理論的には本相転移は1次転移で,励起エネルギーに不連続な変化があることが予言されていた.一方で圧力実験には付き物の,圧力による相互作用パラメータの変化をどう評価するか,という問題がある.本系に対してはこれまでいくつかの圧力実験が行われてきたが,この問題に関しては正しく取り組んだ研究はほとんど無かった.

    これらの問題を解決し得る有力な実験手法の一つが,我々が開発したTHz領域における強磁場高圧下電子スピン共鳴(ESR)である.我々は従来より行っていた単純な透過型ESRのノウハウを活かし,通常金属が用いられるピストンシリンダー型圧力セルの内部部品を,THz波が透過するセラミクスに全て置き換えるという方法で,0.05–0.8 THzの周波数領域と2.5 GPaまでの高圧下でのESR測定を可能にした.これにより本系の低励起状態を圧力下において直接観測し,基底状態から第一励起状態までのエネルギーギャップの圧力依存性に不連続な飛びを観測することに成功した.転移圧力は1.85±0.05 GPaである.また我々は,観測されたエネルギーギャップに対し,モデル格子の厳密対角化による計算結果を用いて解析することで,相互作用パラメータの圧力依存性を曖昧さなく決定することにも成功した.転移点はJ′/J=0.660±0.003と求められた.エネルギーギャップのJ′/J依存性が既存の理論と大変よく一致し,転移点も理論と矛盾無いことから本系のプラケット一重項への量子相転移を観測していると結論付けられる.

    このように本手法は,磁性体の圧力効果を,その低励起状態を通して直接的に観測し得る非常に有効な手法である.

  • 笠原 裕一, 水上 雄太, 芝内 孝禎, 松田 祐司
    原稿種別: 最近の研究から
    2019 年 74 巻 9 号 p. 639-645
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    電子は電荷-eとスピン1/ 2を持ち,フェルミ統計に従う素粒子である.マクロな数の電子の集団が示す劇的な現象に,磁場中の2次元電子ガスで観測される整数および分数量子ホール効果がある.前者は電子状態のトポロジーという基本的な概念を生み出した.後者では電子間の多体効果により分数電荷の粒子やフェルミ統計ともボース統計とも異なる分数統計に従う粒子,エニオンなどの奇妙な準粒子が現れる.

    近年,量子スピン液体と呼ばれる状態を持つ絶縁体が注目を集めている.量子スピン液体では,量子ゆらぎの効果のために絶対零度までスピンは凍結しない.このスピン系においてキタエフ模型と呼ばれる興味深い量子多体模型が提案されている.スピン1/ 2が2次元ハニカム格子を形成し,キタエフ相互作用と呼ばれるボンドに依存したイジング型の交換相互作用が存在したとき,基底状態は厳密解を持った非磁性の量子スピン液体状態となるというものである.この量子スピン液体では,一個の局在スピンが量子力学的多体効果により他のスピンと強くエンタングルした結果,二種類のマヨラナ・フェルミオンが低エネルギー素励起に現れる.

    最近の研究で,ハニカム格子2次元磁性体α-RuCl3は,キタエフ相互作用を持ち磁場中で量子スピン液体の基底状態を持つ候補物質であることが明らかになってきた.我々はα-RuCl3の熱ホール効果を測定し,熱ホール伝導度が磁場に対して一定値(プラトー)をとり,その値が電子系の量子ホール効果状態で観測される値の半分の値に量子化されていることを示した.絶縁体スピン系における半整数熱量子ホール効果の観測は,系がトポロジーにより保護された状態にあり,通常のフェルミオンの半分の自由度を持つ中性の粒子,すなわちマヨラナ・フェルミオンが存在していることの決定的証拠となる.

    電子系の量子ホール効果では,電流および熱流は試料の端に形成されるエッジ状態の1次元伝導チャンネルによって運ばれる.エッジ流は,整数量子ホール効果では電子流であり,分数量子ホール効果では電子相関によって分数に量子化されたホール流である.これに対し半整数熱量子ホール効果状態では,遍歴するマヨラナ・フェルミオンのエッジ流により熱が運ばれる.つまりエッジ流が分数量子ホール効果では電荷の分割(分数電荷)に深く関係しているのに対し,半整数熱量子ホール効果ではスピンの分割(マヨラナ・フェルミオン)に由来している.さらにα-RuCl3では,高磁場で量子化は消失し,熱ホール伝導度は急速にゼロになる.これはマヨラナ・エッジモードを持つ状態と持たない状態の間のトポロジカル量子相転移の可能性を示唆している.

    半整数熱量子ホール効果は,試料のエッジから離れたバルクの状態において,非可換エニオンとよばれる特異な統計性を持つ準粒子の存在も示している.この準粒子は,量子情報を安定した形で保つことができると考えられているため,将来のトポロジカル量子コンピューターへの応用の可能性が注目されている.

    本記事は規定の長さを超過しておりますが,編集委員会の判断によりこのまま掲載しております.

実験技術
  • 久保田 雄也, 赤井 久純, 平田 靖透, 松田 巌
    原稿種別: 実験技術
    2019 年 74 巻 9 号 p. 646-651
    発行日: 2019/09/05
    公開日: 2020/03/10
    ジャーナル フリー

    磁性は自然科学で長年注目されてきた研究分野であり,さらにその技術応用は現代社会においてなくてはならないものとなっている.実験研究においては光をプローブとし,磁気光学効果を介して固体の磁性を調べる手法が19世紀より広く用いられている.さらに,多種元素を組み合わせた接合界面や超格子薄膜などがスピントロニクスの研究分野で近年注目を集めている背景を受け,吸収端での元素選択性と共鳴現象を利用した軟X線領域の磁気光学効果が,それら埋もれた磁性層を調べる有用な手法として期待されている.しかし,これまで軟X線領域で行われてきた研究では,磁気光学効果の一部である磁気円二色性(magnetic circular dichroism, MCD)にしか着目できておらず,もう一つの磁性パラメータである磁気旋光性も観測できる新しい測定手法と包括的な議論が求められている.

    別の磁気光学効果として,可視光領域で発展してきた磁気光学カー効果(magneto-optical Kerr effect, MOKE)がある.MOKEとは右図にあるように,直線偏光の光を磁性体に照射したとき,反射光がMCDにより楕円偏光となり,さらに偏光角が磁気旋光性により変化する現象である.このときの偏光角の変化分をカー回転角といい,楕円偏光の楕円率とともに磁性情報を持つ.これら二つの物理量を測定するため,入射光の偏光を連続的に変調させる光学遅延変調法が利用されてきた.このMOKEにおいて入射光の波長を軟X線領域の磁性元素の吸収端に合わせることで,元素選択性を付加できるとともに,共鳴効果により可視光を用いるよりも巨大なカー回転角を観測でき,高精度な測定が可能であることが最近わかってきた.しかし,これまでの共鳴MOKE測定では偏光変調が可能な軟X線光源が存在しなかったため,主にカー回転角にのみ注目し,楕円率は比較的測定が困難であった.

    以上の背景を受け,両者が測定可能な軟X線領域の手法として,分割型クロスアンジュレータの特性を活かした連続型偏光変調軟X線磁気分光法の開発を目指し,世界で初めてその実現に至った.分割型クロスアンジュレータに含まれる電磁石移相器へ周波数νの交流電流を加えると,左右の円偏光がνで連続的に切り換わるような偏光変調光源を実現できる.その光源を磁性体に入射すると,楕円率がν成分として,カー回転角が2ν成分として得られ,ロックイン手法と組み合わせることでカー回転角と楕円率を同時にかつ精密に測定できる.この光学遅延変調法共鳴MOKEをFeナノ薄膜に対して実施し,高効率なカー回転角と楕円率の同時測定が軟X線領域において成功した.さらに,カー回転角と楕円率が同時測定可能ということは物質固有の誘電率テンソルの非対角項を完全に決定でき,物質中の電子構造や光学遷移を考察できる.実際にこのFeナノ薄膜に対するMOKE測定で得られた結果から,磁性情報を持つ誘電率テンソルの非対角項を実部虚部ともに完全に決定でき,第一原理計算による理論値と良い一致を示すことができた.

    本研究において,元素選択性,バルク敏感,高感度,誘電率の決定というメリットを持ち,物質評価や理論計算に非常に有用な測定手法の開発に成功したと言える.今後,希薄磁性体や埋もれた磁性体を対象としたさらなる研究展開が期待できる.

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