シカの個体数増大による影響は、深刻な農林業被害にとどまらず、生態系にさまざまな影響をもたらし、自然環境の大きな脅威となっている。その背景には、里地里山の管理不足や狩猟者の高齢化といった人間社会の変化、地球温暖化といった気候変動などがあげられる。この全国的なシカの増加と分布拡大によって、森林や草原の生物多様性の減少が進行しており、時に、斜面崩壊といった災害をも引き起こしている。その対策として、シカの個体数管理や植生保護柵(防鹿柵)設置が行われているが、それらは必ずしも生物多様性の減少を食い止めることに成功しているとはいえない(前迫・高槻, 2015)。
さらには生態系管理の目標となるシカの適正個体数、守るべき自然生態系や生物多様性のありようについて科学的な根拠が十分にあるとはいえず、多くは数十年という短期的な環境変遷に基づき、議論されている。しかし、生態系保全にあたっては、シカの個体数管理のみならず、自然生態系や生物多様性の長期的変動を見据えて、現在および未来に保全すべき生態系について科学的に議論し、環境保全の目標を考える必要があるだろう。
日本の生態系において、もともとシカがどのように生息してきたのか、シカがどのような環境下で進化してきたのかを解明することは環境保全において不可欠であり、生物多様性の保全について、生物群集の挙動に関する科学的根拠に基づく目標設定が必要である。
2030年までに達成すべき社会的ミッションとして「ネイチャーポジティブ」が掲げられている。これを達成するためには、森林、草原、湿地、そして高山植生において、ニホンジカの採食圧によって進行している自然生態系の劣化を食い止め、生物多様性の減少を増加に転じること、未来にわたって豊かな自然を回復・保全することが重要な現代的課題といえよう。
シカの増加によって生じている生態系への影響によって、生物群集はどのように変化し、生物多様性は減少しているのだろうか。なぜシカが増加することが問題なのか。生物多様性の喪失が社会にどのような影響をもたらすのか、といった現代的課題に応えるために、シカの長期的変動をとらえるとともに、生態系の挙動を明らかにする研究の集約が必要である。さらにはそれを社会実装とするために、科学的データに基づいた市民、行政、研究者間でのサイエンスコミュニケーションも不可欠であろう。
本特集では、人間社会がシカの増加をもたらした関係性や生態系の変化について考究するとともに、各地の植生および生物群集の挙動をとらえる研究にフォーカスし、シカの増加と社会の変遷、さらには社会と生物多様性の関係性を解き明かすことを目指した。本特集に掲載された11編の記事はシカが生息する生態系が抱える現代的課題に関する研究成果を集約するとともに、進展段階にある新規性に富む研究も掲載し、シカの影響が生態系や社会に及ぼす影響や課題について探求している。本特集記事から、生態系保全の視座を共有し、生物多様性を回復させる社会実装につながることを期待してやまない。
さいごに、本特集を企画いただいた一般社団法人国際環境研究協会、ご執筆いただいた著者のみなさま、真摯な査読をいただいた匿名レフェリーのみなさまに深謝する。
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