中部スウェーデンの農業経営者が達成している労働生産性の空問的差異を解折するためには,経済的合理性という仮定をすべて弛める必要があった。グループ全体としてみれぱ,標本集団は利潤を極大化していないし,ただそれだけを目的とするものでもない。完全な知識は,予測のつかない変化や,コミュニケーション,情報認知のおくれがあるために否定されることになる。決定行動は,選択可能な方法が客観的に存在していることを表わしているだけでなく,その中から,いずれかの方法を選択すると想定した場合,その結呆,どのような影響が生ずるのかを察知したり,危険,不確実性をどのていど回避しょうとしているのか,そして彼自身の価値体系をも反映しているのである。経済人という規範的な概念よりも,空間的な満足化概念のほうが,標本棄団の空間行動をより的確に説明すると恩われる。個人は,すべてのものを合理的に知るというよりも,むしろ,適応とか,その意図するところにおいて合理的である。選択可能な方法は,顕著なもの,(つまり,それについての惜報が得られるもの)として考えられている。彼は不確実性を避けるため,情報のフィード・バックに対して短期間のうちに反応することに力を入れようとし,まえもって段取りのできた環境を準備しようとする。仮に,いま個々の農業経営者の分布が考慮され,伝遣過程の空問的なおくれ,願望水準のバラツキ,そして計画された環境に固有の不安定性,危険性を回避しようとする態度が配慮されるならば,農業活動,生産活動そして所得の空間的差異は,もっと明確に理解できると思われる。中部スウェーデンの農業経営者を経済人に対応させて比較するという準拠枠は,いくつかの目的をもって構想された。まづ,第1の目的は,生産性の差異を説明すを場合,合理性モデルが適当でない,ということを示すことであった。第2の目的は,資源の制約,もしくは,経営組織または技術的なギャップによって,所得パリティーの実現が制限されている「不調和」ないし「不均衡」地域を位置づけることであった。しかし,もっとも強調してきたのは第3の目的であった。つまりそれは,経済合理性や,最適化行動の仮定,そして全知という概念のかわりに,決定行動の範囲と,決定環境における空間倉差異を考慮した,より現実的な行動理論を提起しょうとすることであった。
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