イノシシは古来,住民の食肉源として,また農林産物への害獣として住民の生活との間にきわめて深い関りをもってきた。ところで,先史時代から近世に至る住民とイノシシとの人獣交渉については,すでに考古・家畜史・地理などの各分野からいくつかの研究がなされている。しかし,近代における検討はほとんどなされていない。そこで,本稿では主として戦後における住民とイノシシとの諸関係について,中国地方・京都府北部・南西諸島を事例にあげ考察を加えてみた。主眼は,イノシシの分布変動規制要因としての人為作用とイノシシ肉の商品化においた。その結果は次のようである。(1)中国地万では,戦後,放牧地の縮少や過疎化などにより植生の二次遷移が進み,イノシシの繁殖をみるようになる。そして,そこでは繁殖したイノシシによる被害が過疎化に拍車をかけるといった事態もみられた。一方,イノシシの捕獲数の増加やイノシシ肉への人気の高まりは,イノシシ肉の商品化をうながし,近年ではイノシシの飼育経営も各地に成立している。(2)中国地方に比較して,イノシシの分布中心域の周辺部にあたる京都府北部では,イノシシの分布拡大期はおくれ1970年頃を境とする。当地方におけるイノシシの繁殖の背景には,薪炭林利用の集約度の低下や過疎化などがあげられ,イノシシの繁殖とともに農林産物に対する被害も各地で発生している。なお,当地方でもイノシシ肉の商品化の展開をみているが,イノシシの飼育経営体は現在のところみられない。(3)南西諸島では,他の2地域に比較して恒常的なイノシシの生息をみる。それは,亜熱帯性の気侯のため植生の回復がすみやかに進み,住民による生息環境の攪乱がある程度おさえられてきたことに一因があると考えられる。イノシシによる農林産物への被害に対しては,古くはおとし穴や猪垣,現在ではトタン板や電線による防護柵などが施されている。当地方におけるイノシシ肉の商品化の歴史は古いものがあり,現在も多くのイノシシ肉が地元のみならず大阪や東京などへも出荷されている。また,近年、イノシシの飼育経営もなされるようになっている。
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