地理科学
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43 巻, 1 号
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  • 原稿種別: 表紙
    1988 年 43 巻 1 号 p. Cover1-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    1988 年 43 巻 1 号 p. Cover2-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1988 年 43 巻 1 号 p. App1-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 内田 和子
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 1-17
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
    横浜市を主流域とする鶴見川の流域諸村は,頻発する洪水に悩まされてきた。近世においても,鶴見川流域は洪水常習地であったことが,多くの資料によって示される。しかし,近世,特に近世後期における治水工事費用負担は,幕府や諸藩の財政逼迫によりほとんどが流域住民の直接的な費用負担に依存していた。そこで筆者は,近世後期における鶴見川流域住民の治水工事の費用負担について研究し,住民の洪水への対応の一形態を明らかにしようとした。このことは,総合的かつ高額な費用負担を伴う現在及び将来の治水計画の策定にあたり,一つの重要な示唆を与えることが出来ると思われる。鶴見川流域住民は,定浚基金制という積金制度を設け,その利息によって定期的な治水工事を行ってきた。基金は全額が村高割で出資され,水害の多い下郷諸村の負担金が大きくなる受益者負担方式がとられていた。なお,金の取扱いは幕府役所であった。しかし,大規模工事は村々からの出金の他,幕府からの借入金に頼った。借入金の返済には上記の定浚基金の利息を当てた。したがって,利息がすべて借金の返済に当てられた時期の治水工事は新たに村々から費用を徴収して実施される完全な自普請となった。この場合の費用負担方式は,受益者負担であったり,均等割であったり,様々である。1843年に,幕府は定浚基金の事実上の廃止を申し渡したが(仕方替),諸村は反対し,従来からの利息を減じて新たな基金制度を発足させた。新基金の元金は,明治維新時に約2000両に達し,この基金元金の全額を使用した大規模な治水工事計画がおこったものの実現できなかった。その後の基金についての使用は,筆者の管見に入らない。
  • JINADASA KATUPOTHA
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 18-36
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
    スリランカ島西岸の海岸低地は,主に完新世に形成された砂州浜,バリアー島,砂丘,沈水あるいは隆起珊瑚礁,ラグーンや湿地,マングローブ沼沢地,ビーチロックより成る。その中でも,珊瑚礁やビーチロック,マングローブ沼沢地は,特に,熱帯海岸を特徴づける地形となっている。気候条件,砂の色調や組成,バリアーリッジの高度,ビーチロックや低湿地の分類(図1)および,西海岸ならびに南西海岸で行ったサンゴ化石,貝化石などの^<14>C年代測定結果(Katupotha and Fujiwara, 1987; Katupotha, 1983)から,西海岸における地域発達過程は,以下のように4つの時期に分けられることが明らかとなった。(1)Stage I. 後期更新世〜完新世前期:本地域に見られる低い丘やリッジ(5mから10mあるいはそれ以上の高度)は,主に風成砂に覆われ,古いバリアーリッジが形成された。(2)Stage II. 完新世中期〜完新世後期(6600-3700y. B. P):6170±70から5350±80y. B. P. (Katupotha and Fujiwara, 1987)にかけて,後氷期海進は急速に進行した。そして,その後も小さな振幅があったことが推測できる。すなわち,完新世中期において,海水準は現海水準おりも1mもしくはそれ以上高く,当時,旧流域は沈水してheadland bay beachesを形成したと思われる。バリアーリッジは3-5mの高度を有し,リッジの上層部は主に風起原と思われる細〜中砂に覆われていた。(3)Stage III. 完新世後期(約3700年前頃):西海岸において平均高潮位面と潮間帯よりわずかに高い位置に存在するビーチロックは,この時期に形成されたことが推測される。しかしながら,完新世中期から後期にかけて,海水準は現海水準より低くはならなかった。(4)Stage IV. 現在:現成の海浜,砂嘴,などの形成が行われた。各々の時期における海岸地形の多様性は,海,河川,生物といった営力が結び付いた形成過程や,準平原最下部の基底構造に関連している。そして,これらの地形の大半は,国内における主要な気候帯に対比できる。
  • CLEM TISDELL, 高橋 春成
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 37-50
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
    有袋類,単孔類の世界であるオーストラリアへも,過去外部からの人間の渡来により有胎盤類が2度にわたり持ち込まれている。古くにはアボリジニによってイヌ(Canis familiaris dingo)が,また1788年以降のヨーロッパ人による入植・開拓ではブタ(Sus scrofa),ヤギ(Capris hircus),スイギュウ(Bubalus bubalis),ロバ(Equus asinus),ラクダ(Camelus dromedarius),ウシ(Bos taurus, Bos indicus),ウマ(Equus caballus),ヒツジ(Ovis aries),ネコ(Felis catus),イヌ(Canis familiaris)などがそれぞれ持ち込まれた。これらの有胎盤類はその後間もなく再野生化し,オーストラリアの農業や生態系に軽視できない影響をもたらしている。再野生化へのいきさつとしては,粗放的飼養による離脱,飼育価値の低下や居住地移動に伴う遺棄,逃亡といったものや,将来の食料源としての意図をもった解き放ちなどが抽出される。再野生化動物の分布パターンには乾燥地 / 半乾燥地-ラクダやロバ,湿潤地-スイギュウやブタといったそれぞれの適応性に応じた特徴がみうけられ,それらは生息環境となる植生タイプとも密接に関連している。各地で再野生化をとげた動物達は特に農業面に被害をもたらしている。農作物に対しては再野生化したブタやヤギなどによる食害,ふみつけ,ほりおこしなどが深刻である。家畜に対してはブタ,ヤギ,スイギュウ,ラクダ,ロバなどと放牧家畜の間に生じる食物や水をめぐっての競合,ブタによる子ヒツジの補食などが特に粗放的な放牧地帯で問題となっている。さらには,ブタ,ヤギ,スイギュウなどが病原菌や寄生虫の保菌者や媒介者となる点も懸念されている。その他,柵や水飲み場の破損なども各地で発生している。従来の生態系に対しても,これら再野生化動物の与えるマイナス面が指摘される。植物相にはブタ,ヤギ,スイギュウ,ラクダなどによる食害,ふみつけ,ほりおこしといった被害がみられ,また,スイギュウ,ロバ,ヤギなどの活動による土壌浸食も生じている。動物相にも補食,競合,生息地の破壊による影響がみうけられる。たとえば,従来の両棲類,爬虫類,鳥類などはブタの補食による影響を受けている。逆に再野生化動物が有効に活用されている例としては次のようなものがあげられる。まず,ブタ,ヤギ,スイギュウなどはリクリェーションハンティングの好対象となり,ハンターに狩猟の醍醐味を提供している。また,捕獲されたブタ,ヤギ,スイギュウ,ラクダなどの肉は国内で自家用食肉,地方の食堂用食肉,ペットフードなどとして消費されるとともに海外へも輸出されている。たとえば,ブタ肉の年間輸出量は1000万オーストラリア・ドル(1984年)にもおよんでいる。その他,ヤギはオーストラリアのカシミア工業に,またスイギュウはノーザンテリトリーの観光業にそれぞれ寄与している。スイギュウやロバなどは捕獲されペットや家畜としての再利用もなされている。このように再野生化動物は有害面と有益面の2面性をそなえているといえるが,これまでオーストラリアにおいては有害面,特に農業に与える被害にのみ関心が集中してきたきらいがある。そして,行政的,資金的なバックアップのもとに農業被害の実態とその除去に関する情報分析が進められ,その最終目標には再野生化動物の根絶がかかげられてきた。しかしながら,今後は分析の十分でない生態系への影響に対しても分析をすすめる必要があり,また,生物資源としての効果的な活用といった点をふまえた新たな管理のあり方について検討を加えていく必要がある。
  • 八百 俊介
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 51-62
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper is to clarify the changing aspects of rural community and the present significance of common forest in Japanese suburban village. Before the Second World War, Common forest played an important role in producing firewood and manure, and functioned as a tie of the Japanese village community. Although Central Government has tried to abolish the common forest since the Meiji era, the common forest survived in no small quantities. But today villages don't rely on the common forest for getting fuel and fertilizer, so most of common forest has become valueless. But some remain valuable as a result of the recorgnization of the ownership and use. Rural community in Suburban area has been changed rapidly under the effect of urbanization, especially by the coming of non farming household and the increase of part-time farm-household. Such compositional changes of residents in rural community have brought decrease of "Michibusin" (cooperative maintenance works of village roads) and "Yoriai" (the villagers' periodical meetings on the community matters). Hisayama-cho is a suburban village which is located in Fukuoka metropolitan area. Although part time farm household has increased, "Michibusin" and "Yoriai" continue and are hold more frequently than other nearby villages. In 1970 the authority of Hisayama established City Planning Area all over the town and 96. 7% of its area was designated as Urbanization Control Zone. So urban land use has been restricted strictly and only two housing estates have been developed untill now. There are a small number of non-farm family newly coming to Hisayama-cho. City planning Area controls the number of new comers which is supposed to weaken the tie of village community. Therefore it can be said that City Planning Area keeps unity of the village community in Hisayama. The Author made a questionnaire survey to residents in two communities which have common forest. He analysed the attitude of residents toward the village community. The results are as follows; 1. In Hisayama, native residents voluntarilly follow the traditions and customs of the village community. On the other hand, the longer the newcomers live, the more cooperatively they come to follow the customs of the village community, if they remain as minority in the community. 2. Most of residents are concerned with the common forest when the benefits from it are spent for the community. Those who realize the significance of the common forest keep a strong sense of belonging to the community. So it can be said that the common forest still functions, in part, as a tie of the village. 3. On the other hand, the unity of the village community influences the continuance of the common forests and the use of benefits from them. We can find an interaction between the common forest and the village community.
  • 戸祭 由美夫
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 63-69
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 岡崎 秀典
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 70-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 小笠原 節夫
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 71-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 松本 繁樹
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 72-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 青木 伸好
    原稿種別: 本文
    1988 年 43 巻 1 号 p. 73-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1988 年 43 巻 1 号 p. 74-75
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1988 年 43 巻 1 号 p. 76-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    1988 年 43 巻 1 号 p. Cover3-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    1988 年 43 巻 1 号 p. Cover4-
    発行日: 1988/01/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
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