アメリカ合衆国では,1986年以降,「地理学連合ネットワーク(Geographic Alliance Network)」が,ワシントンに本部をおく全米地理学協会を核に全国的に組織され,地理教育の一大復興運動が始まっている。この運動の目標年度は1995年とされ,この問に約60億円が用意されるという,極めて大規模なプロジェクトである。翻って,我が国では,戦後アメリカ型カリキュラムをモデルに導入された社会科が,今,大きく再編され,高等学校レベルでの地歴科の1994年度からの施行に向けプログラムが動きはじめた。このような状況の中で,我が国の地理教育の発展に関心を寄せる人々にとって,合衆国の地理教育,とりわけ教師の地理教育観を理解することは,我が国の地理教育の改革を考える上で,ヒントを得るところが少なからずあるように見える。本稿の目的は,アメリカ合衆国ミネソタ州の社会科教師のうち,主として公立の中・高等学校において地理を担当する教師が,現行の地理教育をどのように見ているかを明らかにすると共に,合衆国における地理教育の低迷現象の問題点を明らかにすることである。本研究のデータは,筆者が合衆国の地理教育の現状を研究テーマに,ミネソタ大学グローバル教育センターに滞在(1987年10月-88年8月)中の1988年2-4月に,郵送法により実施したアンケート調査に基づいている。調査対象者は,ミネソタ州教育委員会に1986年度地理担当と登録された教師の全員734名であり,回収率は32.4%であった。アンケートに対する回答を分析した結果,地理教育の低迷現象は,かなりのところ合衆国社会の特質に係わる構造的な,次の3点に起因するものであることが明らかにできた。その第1は,我が国と比較して自然・人文景観の単調さとスケールの大きさが,地域の地理的学習への関心を減じていること。第2に1960年代以降に,世界最高の生活水準に近づくにしたがい,外国に対する関心が急速に弱まったこと。第3は1960年初頭以降,黒人を中心とする公民権運動を引き金として多価値社会化への転向を迫られ,国民の関心は外国よりも国内の地域社会再編成問題へと向かった。この状況変化は,社会科の中でますます自国史,自国の政治・経済,国内の異文化等の学習の緊急性を高め,その部分のカリキュラムを強化した。従って,合衆国の地理教育関係者がその総力を挙げて取り組んでいる地理教育改革の成否は,地理教育の活性化にとっての社会構造的マイナス要因に,どのように対処できるかにかかっていると考えることができる。なお,本稿は日本地理学会1989年度春季学術大会における報告に,補筆・訂正を行ったものである。
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