智山学報
Online ISSN : 2424-130X
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39 巻
選択された号の論文の21件中1~21を表示しています
  • 原稿種別: 表紙
    1990 年 39 巻 p. Cover1-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1990 年 39 巻 p. App1-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    1990 年 39 巻 p. Toc1-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1990 年 39 巻 p. App2-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 宮坂 宥勝
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 1-27
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    サプタマートリカー(Saptamatrka=Sm. 七母天、七女神)は、密教では胎蔵(界)曼茶羅最外院に配する。諸種の胎蔵曼茶羅において、その名称、方位などは必ずしも一定せず、またそれらを比定した従来の諸研究には多くの問題がある。『理趣経』(百五十頌般若)には七母天段(第十三段)があり、七母天集会曼茶羅が伝えられる。また、七巻本『理趣経』外金剛部儀軌十二分には八母天集会曼茶羅を説く。Sm.の起源は『リグ・ヴェーダ』に求められ、大叙事詩『マハーバーラタ』などの叙事詩、さらにはヒンドゥー教プラーナ文学にも、しばしば登場する。さらに母神信仰として遙か遠く、最古代インドのインダス文明時代まで遡り得る。Sm.の他に、四女神、八女神、十六女神、三十二女神、六十四女神、百八女神などがあり、Matrgana(女神群、母衆)は雑密経典、ヒンドゥー教諸文献などに通じてみられる。これらの思想史的背景と母神信仰の流れを考察してみたい。なお、ヒンドゥー教におけるSm.に関する二、三のサンスクリット文献・参考書の披見は立川武蔵博士のご援助を頂いたことを記して、謝意を表する。
  • 福田 亮成
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 29-44
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 苫米地 誠一
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 45-66
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    弘法大師空海の戒律観に就ては、既に諸先学による多大な研究の成果が在るが、最近そこで依用されている資料の幾つかに就て、偽撰の疑いが指摘されている。それに伴ない、大師の戒律観についても再検討の必要が生じて来ているものと思われる。そこで本論考に於ては、それら偽撰の疑いのある文献を除いた上で、大師の著作中に見られる戒に関する記述を分析検討しようとするものである。その中で問題となるのは顕戒と密戒との問題、特に顕戒を受持すべきであるか否かという点、或いは三昧耶戒観の問題、四種心思想との関連などが考究されなければならないであろう。
  • 高橋 純佑
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 67-77
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    我々の宗旨が、真言宗としてその教法を広く宣揚する限りにおいて、文字・言葉は真言密教の本質に関わるものであろう。弘法大師が『声字実相義』、『吽字義』等の著作を我々末徒に示されているのも、このことの裏付けである。日々の行法にても文字・言葉は重要な意義を有しており、一座の修法の際には必ず"字輪観"が組まれて、本尊真言の字相字義を観想する経緯がある。現在、日本密教における字相字義の根拠は五十字門を主流としているが、字門道の成立は四十二字門を本初とする。拙論は、文殊菩薩の五字咒をもとに四十二字門の密教的意義を求めるためのささやかな考察である。
  • 小林 慶昭
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 79-93
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    弘法大師によって完成された即身成仏思想は、真言密教の教理における最重要点のひとつであり、また顕密対弁思想における論点のひとつであった。この即身成仏思想は、『菩提心論』に「唯真言法中、即身成仏故。是故説三摩地於諸教中。闕而不書。」と説かれるように、真言独自の思想であると思われがちであるが、伝教大師もまた即身成仏を説いておられた。今回は、金胎両部の経典等を典拠とする弘法大師の即身成仏思想と、『法華経』『無量義経』を典拠とする竜女成仏を基礎とした伝教大師の即身成仏思想とを比較考察し、両者の相違点を明らかにすることによって、弘法大師の成仏思想の理解のための一手段としようと思う。
  • 小川 宏
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 95-110
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    仏教において輪廻転生を如何に理解するかは重要な問題である。この問題を原始仏教時代には業力の面から解釈していたが、部派仏教時代になると中有説が主張されて、輪廻転生論はより深く研究される事となった。然し中有説の本来的淵源は修行論の上での五種不還の中に説かれる中般涅槃に存するのである。この中般涅槃説に印度古来のガンダルバ神話が結びついて、仏教思想の上で独自の発展を遂げたものである。仏教以外の数論派等の微細身とも比較を行いつつ、仏教思想における中有説の独自性を追求し、中有説の宗教的意義にも説き及ぶ事とする。
  • 鈴木 佐内
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 111-125
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    『梁塵秘抄』二句神歌、「石清水五首」(実数六首)中の、「若宮のおはせんよには貴御前、錦を延へて床と踏ません」(五〇〇)の一首に於ける「若宮」は、諸説、仁徳天皇をあてるが、往時の若宮についての伝承からすると、主神の大菩薩(応神天皇)と比〓大神(沙竭羅龍王の女)との子とするのが適切と思われる。また「貴御前」については、この一首の伝承歌謡的性格からすると、仮想された若宮妃であって、具体的に求めるべきものではないと思われる。「若宮の」の一首を含めて、石清水歌六首の中には、この宮寺の臨時祭、放生会等の祭事の場の東遊びの求子歌として用いられたものもあったのではないかと推測される。
  • 岡野 忠正
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 127-138
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    -風水思想は、中国古代人が多くの生活経験から感知した生態系(自然観)に基づいて成した生態学的要素をもつ神秘思想である-という仮説の証明を目的として考察を試みた。所謂『風水』は、中国民族の「長生」と「富裕」と「繁栄」(子孫の持続)への憧憬と熱望を満足させ裏付けるものとして、近代まで中国人の生活習慣(特に宅地や埋葬地また日取りなど)を規定してきた神秘的な術である。そして、その術のかなりの部分は、科学的裏付けのしようがなく、また方法論は、風水師の個人的見解の強い非体系的なものが多い。而しながらその背景には、陰陽・五行や十干十二支といった自然の営みから感知され体系化された思想と、磁石(羅経)という偉大な発明品がある。それらを応用した方位学と、「守護神性」や「竜脈」などの自然(宇宙)エネルギー獲得を目的とする方法論によって構成される風水思想の中には、現在の科学と符合しないからといって、安易に排斥してしまうには惜しい部分が包含されている。これを仮に準科学的なものと呼ぶならば、また現在の我々の自然科学が至っていない世界の構成者となる可能性を予想するならば、中国古代の思想を現代の自然科学の視点から考察をすることに、多少の意義はあろうかと考えている。
  • 大塚 秀見
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 139-146
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    宗教現象の一形態として、呪術が考えられるときに、呪術は負の性格(マイナス・イメージ)を付与されることが多い。そのことを裏付けるように、近年の人類学の調査研究の結果から、今までの「呪術」研究に対して疑問が投げかけられている。それは、「呪術」としてあきらかと思われていた現象も、当事者の意識から判断するなら、呪術の範疇にいれることが必ずしも妥当な結論とは言えない場合が多いという点である。呪術概念は、そもそも定義のさまざまになされているテーマだけに、多くの問題点を含んでいる。本稿では、特に今までに行われてきた「科学」や「宗教」との対比を通して「呪術」を明らかにしていこうとする方法を批判的に取り上げる。それゆえ、中心課題となるのは、呪術を類型化する前段階としての方法論の検討である。結論的には、「呪術」または「呪術性を有した宗教現象」を、独立の宗教現象として捉えることが、類型化において最重要点課題になるであろうことを論究する。それは、価値判断の中止(エポケー)によって、はじめて可能になるであろう。
  • 鈴木 晋怜
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 147-160
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    急速に変化し、発展する現代社会の中で、我々は物質的、或は経済的な豊かさを享受しながら、その一方で内面的な危機に晒されている。それは、現代において我々が、どうしたら一貫した自分というものを保持していけるのか、或は、社会との関わりのなかで、どこに自分というものを見いだすことができ、そしてその自分とは何かという問いに対して明確な解答を持ちにくい状況のなかに生きているということであろう。これは、まさにエリクソンの言うアイデンティティ形成の問題である。それでは宗教はそうしたアイデンティティの形成にどれ程の影響を及ぼし得るのであろうか。この問題を実証的に考察するため、アイデンティティ形成の最も重要な時期である青年期に位置する若者を対象に質問紙法による調査を実施した。その結果、「ある宗教に対する信仰は、その人のアイデンティティの形成に貢献的に作用するという意味で影響を与える。但し、各人が自分の信仰というものに真剣に関与せず、それが慣習的・形式的なものである場合には、アイデンティティの形成上、彼らは無信仰者と何ら変わるところはない。」という結論が導き出された。
  • 牧尾 良海
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. 161-176
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1990 年 39 巻 p. 179-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    1990 年 39 巻 p. App3-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 小山 典勇
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. A1-A13
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    世間では,ホスピスが話題になり,また脳死,臓器移植,あるいは安楽死など生命倫理の問題に多方面から関心が集中している。自分が死ぬことをま正面から考え,あるいはホスピス関係や死を主題とする文献を読みあさるのは,正直いって些か気が重いものである。しかし,我々がこの種のテーマを論じる時,すぐ引き合いに出されるのが浄土教であり,また覚ばん上人のものである。そして,かわりばえのしないまとめに当惑し,落胆をしてきたものである。何故死の一瞬が重要視されるのか,死の一瞬は我々にどんな意味があると教えているのか,これらの点については論じられていないようである。それ故そこで行われる臨終作法,あるいは葬儀についても,所作や方法は懇切丁寧に説明されても,それはどのような意味を持っているのか,問われないのである。本論はヒンドゥー教の聖典・バーバヴァタ・プラーナにおける,老バラモンの物語りを検討材料とする。それは老バラモンの臨終の場面で,しかも本人が無意識の状況でおきた出来事である。結果としては,臨終に,しかも無意識の中で最高神の名を唱えた功徳が高く評価される。そして,その効能によって生前の悪業が取り消され,蘇生する。夢中の出来事のように思い起こして反省して,バーガヴァタ派の信仰者となっていくという筋書きである。 考察のポイント 1)臨終に何が現れたのか,それにはどのような理由,背景があるのか。2)それはどのようにして形成されたのか。このテーマを解く鍵の一つに,蘇生した人の意識状況をたどることも必要であろう。3)この間題を我々はどのように受け止めていけばよいのか。死を巡っての諸問題にも目を向けながら,上記の課題について考察を進めよう。なお今回のテーマもまた,般舟三昧経から出発した「三昧と生活」シリーズ・3である。
  • 桜井 宗信
    原稿種別: 本文
    1990 年 39 巻 p. A15-A44
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    本稿は,瑜伽タントラ階梯を代表する学僧Anandagarbhaの主著Tattvaloka, Sarvavajrodayaを資料として彼の設定した灌頂次第の構造を明らかにし,もってインド密教儀礼の解明の一助とすることを目的とする。彼は灌頂に与かることの出来る者を仏教徒に限定し,更に受者が受持している戒に応じて2種の次第を設ける。即ち五戒のみを守り世間的な悉地の獲得を求める者には「弟子の灌頂(論文中ではBu stonに従い明灌頂という術語を用いる)」を,<五部族の三昧耶>など密教に特有の戒を得た者には更に「阿闍梨灌頂」を各々授けるとする。また阿闍梨灌頂としては,含まれる所作に広略のある「略・中・広・最広」の4次第を別立している。
  • 原稿種別: 表紙
    1990 年 39 巻 p. Cover2-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    1990 年 39 巻 p. Cover3-
    発行日: 1990/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
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