智山学報
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68 巻
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • ―自受用身を中心に―
    大久保 良峻
    2019 年 68 巻 p. 1-34
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー
  • 中村 本然
    2019 年 68 巻 p. 35-58
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
    ジャーナル フリー

     『大乗起信論』は流通分即ち廻向頌で締めくくる。『釈摩訶衍論』は廻向頌中の「諸佛」を不二摩訶衍法、「甚深」を前後両重の十六所入摩訶衍法、「広大義」を前後両重の十六能入門とし、立義分で建立した三十三種の法門に配する解釈を展開する。通法などの末師は、「諸仏」を因分の仏とするが、これは『釈論』が論じる「諸仏=不二摩訶衍法」を否定する要因となっている。空海は果分なる不二摩訶衍法の諸佛とする。「圓圓海徳の諸佛」には『釈論』の意向を反映した空海による改変の可能性が考えられる。真言教学の変遷の中で、普観などの所覧本を「圓圓海得諸佛勝」と熟知しながらも「圓圓海徳諸佛勝」と捉えて、圓圓海と諸佛とを別とする末師と、圓圓海と諸佛を同一視する空海との相違を明らかにしている。

     「圓圓海」については、慈行などは上の圓を因分、下の圓は果分とする説などの三説を提案する。空海は胎蔵生・金剛界の両部理智の輪圓具足の意と捉えるなど、真言密教との思想的融会を試みている。また「摂不摂」に関しては、末師は盧舎那佛は三世間を摂するが、因分を摂するのみにして、果分である圓圓海は摂しないとする。空海は摂不摂を性徳圓満海と修行種因海に置き換える論証を試みている。ともあれ『釈摩訶衍論』は「総持説」中の「総」の一字を立義分の「摩訶衍とは総なり」と関連させるなど、『大乗起信論』の本旨が立義分にあるとする論述を行っている。

  • 我妻 龍聲
    2019 年 68 巻 p. 59-104
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     本稿では現行の智山声明の中曲の旋律構造の考察を試みた。智山声明の中曲には「アクセント系の中曲」と「半呂半律、半律半呂の中曲」がある。『大典』「理趣経」に記載する中曲音階は羽調の律と徴調の律を合わせた音階である。この音階の特徴は角と徴が主音に働く音階であり「アクセント系」の中曲に反映されていると考える。一方、「半呂半律、半律半呂の中曲」とは四度音程の呂律の主音の交代(反音)の旋律であると考える。以上の視点から智山声明の中曲の旋律構造について考察してみたい。

  • ―中世聖教を中心として―
    伊藤 尚徳
    2019 年 68 巻 p. 105-125
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     本稿は長野県上田市の真言宗智山派獨股山前山寺所蔵の聖教についての調査研究の成果の一部を報告するものである。

     前山寺は近世に信州四箇檀林の一つとして数えられ、多くの学僧が研鑽した歴史を有していることから、前山寺に所蔵される聖教・文書(以下、史料)の調査から、地方檀林としての活動や、当時における本山智積院との関わり、そして地域における役割など、近世地方寺院の様相を明らかにしたいと考えている。

     前山寺史料の整理分類の結果、その数量は文書箱にして五十箱、点数にして約二千五百点を数えることが判明した。文書箱の第一箱には前山寺史に関わる貴重と思われる写本(十部四十八点)を収めており、その中には中世史料も含まれている。本稿では、この第一箱の史料について紹介しつつ、奥書から窺われる前山寺史を明らかにする上で興味深い情報について示した。また、史料紹介の便宜上、前山寺の開基縁起を記した巻子本『起立書』を翻刻し掲載している。

  • 鈴木 雄太
    2019 年 68 巻 p. 127-144
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     『大乗起信論』の注釈書でありながら、『大乗起信論』には説かれない独自の思想を展開させる『釈摩訶衍論』は、空海が大いに依用したことによって、真言宗にとって極めて重要な文献となった。また、『釈摩訶衍論』の思想は、法身説法をはじめ教主義と密接に関わるため、後の新義教学・古義教学にとっても核心となる問題である。本稿は、「不二摩訶衍法」や「如義言説」を中心として、新義真言学派における『釈摩訶衍論』解釈を検討したものである。

     本稿において、新義真言学派は、『釈摩訶衍論』における不二摩訶衍法や真如門の位置づけを、四重秘釈と多分に関わらせ、無相至極や加持身説法といった新義独自の教理に相当させていることがわかった。また最後には、新義真言学僧における『釈摩訶衍論』に関する著作の著述態度についても言及した。

  • 小宮 俊海
    2019 年 68 巻 p. 145-167
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     現在、京都府右京区に位置する栂尾山高山寺を中興開山したとされる明恵房高弁(一一七三〜一二三二)は鎌倉初期を代表する学僧であり、主に華厳教学を学び、真言密教を修行の実践に用いたとされる。本稿では、明恵と真言密教との関わりを考察する一端として、真言密教事相における明恵相伝の口決を取り上げる。特には霊供作法を取り上げ、霊供作法の相伝になぜ明恵が関わることになったのかについて考える。そして、明恵相伝としての成立を考察する前段階として、明恵自身の言説としての著作や後世伝承された明恵像を描く伝記資料を扱う。さらに、霊供作法に欠かせない「食物」、とくには「米」を中心に明恵との関わりを読み解きたい。そして、それらが明恵の修行においてどのような意味を持ったのかについて考察し、霊供作法の明恵相伝とされる蓋然性についてアプローチしたい。

  • 関 悠倫
    2019 年 68 巻 p. 169-189
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     『釈論』のわが国への請来時におこった真偽論争を考察した。淡海三船と最澄の論難を中心に、当時の論争内容の妥当性を二、三の問題を設定して論じ、以下の三つの結論を導き出した。①『釈論』を最初に偽撰と判定したのは賢と考えられ、従来支持されてきた、三船の論難は資料に不明な部分が確認できるため再考の余地がある。②天台側が『釈論』作者を新羅の月智あるいは月忠とするが、経録や僧録に基づく説ではなく、信憑性に足るものとは言えない。③『釈論』の真偽論争の規模は、真言内部から勃発したものではく、戒明が『釈論』を請来した直後より起り、当時の主要な仏教者を巻き込んだ広範囲な論争であった。

  • ―― A Critical Sanskrit Edition and a Translation of Kambala's Sādhananidhi, Chapter 8 ――
    Tsunehiko SUGIKI
    2019 年 68 巻 p. 001-064
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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    Kambala's Sādhananidhi ("An Ocean of Sādhana Practices") is a commentary on the Herukābhidhānatantra, the oldest tantra (compiled sometime between the 9th and 10th centuries) of the Buddhist Cakrasaṃvara (or -śaṃvara) tradition. Its 8th chapter expounds the four maṇḍalas consisting of deities who are anthropomorphized transformations of the four major mantras of the Cakrasaṃvara tradition. This paper presents the first critical edition of the Sanskrit text of the 8th chapter of the Sādhananidhi and its tentative English translation. The closest texts are the 37th, 51st, 52nd, and 59th chapters of the Abhidhānottaratantra (compiled around the 10th century). The teaching of the four maṇḍalas in the Sādhananidhi was composed earlier than the teaching in the Abhidhānottara.

  • 片野 真省
    2019 年 68 巻 p. 065-083
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/01/29
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     真言宗智山派が教育制度改革や人材養成を宗政の基本方針に置いて実に長い歳月を費やしてきた。「法は人によって弘まる」宗祖大師のお言葉に沿った取り組みではあるが、その内実はいかがだろう。現在の子弟教育と研修制度は何を齎しているのか? どんな人材を養成してきたのか? そしてその人材は宗内寺院でどんな宗教活動を重ねているのか? 人口減少、少子高齢社会を迎え、更には檀信徒の宗教意識が希薄になる中、寺院住職は檀信徒と接して何を弘めているのだろう。

     教相・事相の子弟教育カリキュラムはこの数十年来ほとんど改変することなく踏襲されたままである。社会情勢が大きく転換し、寺院を取り巻く環境もより一層厳しいものとなる中で、檀信徒が寺院に求めることも様変わりしている。寺院を支える檀信徒の宗教意識を呼び覚ますために、寺院の存在を意識させるための取り組みに果敢に挑戦できる人材を養成することは、もう既に何十年も前から宗派の喫緊の課題である。檀信徒と接する寺院の現場に必要な人材を養成するための子弟教育が何より今、必要なのである。これからの寺院が求められる課題とその寺院に必要な人材を養成するこれからの子弟教育のあり方を考察する。

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