本研究では、理由文・理由表現の分析の一環として、COCA と CSPAE という二種類のコーパスに基づいて、現代英語における that’s why の談話機能を見た。量的分析からは、that’s why によって導かれる文には一人称主語が多いこと、そして発話・伝達動詞が多いことが明らかになった。質的分析からは、これまでの意味論・語用論で言われてきた「理由」の類型とは別のレベル、すなわち談話の相互行為というレベルで独自の「理由づけ」を表すことを明らかにした。すなわち、一連の談話で言われた内容に対する帰結として、話し手がそれまで出てきた主張や情報を(再)提示して、その妥当性・重要性を主張する行為である。that’s why は個別言語におけるやや特殊な接続表現であるが、限定された使用条件をもつために、対照研究においてはこれまで十分に注目されなかった側面が照らし出される可能性もある。
平山久雄曾提出过厦门话“古调值”拟测的方法及由此发展而成的“声调调值变化的环流说”,对此几位学者发表了一些批驳意见。本文对几家的批评分别介绍和商榷。笔者认为这些意见主要出于下面三种原因:(1) 对假设在科学研究上的意义理解不足;(2) 将“变调”一词的共时替换与历时演变两种涵义混为一谈,结果是未能正确把握平山的意思;(3) 把“环流说”误解为企图说明一切调值演变或一切连读变调成因的普遍理论。本文也对一位学者应用“环流说”时产生的问题进行评论。文末指出,“环流说”并不能适用于跳越性或他变性的调值演变。
上海語では、主語+述語、動詞+目的語などのフレーズ内の音節の声調に「窄用式変調」と呼ばれる現象が起きる。従来の研究は窄用式変調に関して 2 つの解釈を提案している。すなわち、【1】音声的な現象と考える解釈と【2】音韻的な水平声調化および中和と考える解釈である。しかし、窄用式変調の客観的なデータは存在しないため、どちらが妥当な解釈であるかを判断するのは困難であった。そこで、本研究は異なる 3 つの発話速度における陰平、陰去、陽去の窄用式変調を音響音声学的に記述した上で、上海語声調音韻論における窄用式変調の地位を考察した。記述の結果、発話速度が早くなるにつれピッチの変動範囲は縮小し、それに伴って陰平と陰去のピッチが接近するが、この 2 つの声調のピッチ間の大半で発話速度の違いに関わることなく有意な差が存在することが判明した。以上の結果は、窄用式変調が音声的な現象であるという解釈を支持する。
山西省の入声保存地域の内、西部から晋中・東南部一帯では陰入と陽入が分かれ、更に次濁入の陰陽調帰属により類型が分かれる。本論は次濁入陰陽調帰属の地理的分布に着目し、山西の声調の変遷を論じる。まず調類分合と調値の分布から、次濁入が相対的に低い調類を選ぶ傾向を示す。その分布は晋中を中心とした ABA 分布を形成するが、他の全ての調類でも同様の ABA 分布が見られる事から、晋中で声調体系が革新され、西部と東南部の連続が分断されたと解釈できる。晋中での声調体系の革新には陰陽入の弁別機能の変化や、西南部の影響が関与したと見られる。次濁入の陰調帰属が陽調帰属より革新的な音韻変化である点も晋中での革新を支持する。次濁入の分布は方言境界上の存古・革新の一例をなすが、晋中の革新に対する西南部の関連の解明は山西のみならず北方方言の声調変遷解明の糸口となることが期待される。
春秋戦国時代の副詞の“其”は「推量」「命令」「意志」「反語」「仮定」などの多義性を有する語であるというのが従来の説である。ところが魏培泉 1999: 261 は“其”を irrealis(非現実)を表すものと見なしている。本稿はこれを是認しうるものと考え、『論語』『左伝』或いは楚簡に見える“其”の各種用例を具体的に検証しつつ、魏培泉 1999 の妥当性を証明し、同時にその多義性の原因を明らかにする。
本稿は、「感嘆」を表す上海語の“覅太 AP 噢”という構造をとり上げ、本来「制止」を表す副詞“覅”がなぜ「感嘆」表現に用いられるようになったのかという点に注目し、従来の諸説を検討した上で、“覅”が「制止」から「推測」という中間段階を経て「感嘆」に用いられるようになったという経路を新たに提案する。“覅太 AP 噢”の意味特徴は、ある性質や属性の程度が自分の想定範囲から逸脱するほど高いという話し手独自の判断を聞き手に強く訴えながら同時に同意の反応を求める、というものであると認定した。「制止」を表す成分が「推測」の表現に転じることは一般に見られる現象であるが、それが「感嘆」に用いられるのは、「推測」を表す“覅”が低い確信度を表すため、“覅”句内に確信度の高い“太”フレーズが埋め込まれると、「推測」の解釈が抑止され、“覅”の元来有する「対人的モダリティ」機能が前景化する作用によるものだと分析した。
本稿では、中国語の条件文において、接続詞が如何なる場合に用いられるのか、或いは用いられないのかを、文が表す事態の特徴に照らして考察する。その上で、接続詞を文法上必要としないタイプの条件文であるにも関わらず、接続詞が用いられている場合、それらはなぜ用いられるのかを談話文法の観点から分析し、それらの機能を明らかにする。分析の結果、接続詞の使用の可否には、話し手の事態の実現可能性に対する認識が関わることが分かる。一般に、反事実など、実現性が低い事態には接続詞が用いられ、逆に、実現前提、パタン化した事態、原理原則など、事態の実現性が高い事態には接続詞が用いられない。ただし、事態の実現性の高い条件文にも接続詞が用いられる場合があるが、それらの接続詞の一部は、「仮定」の意味を表すとともに、聞き手が予測し難い「条件」が談話に導入されることを、聞き手に対して喚起する〈条件導入喚起〉の談話機能を担っている。
現代中国語には数詞の“一”が述詞性の語句の前に置かれる形式が存在する。従来この形式は「小さな量」を表すと考えられ、また、アスペクト標識であると捉えられてきた。しかし、そのような捉え方では広範囲にわたる分布を呈する“一”の意味を統一的に解釈することができず、また、さまざまな言語事実を合理的に説明することもできない。本稿は“一 V”が時に“这”の修飾を受けることに着目し、「“这/那”+量詞+名詞」と「“这”+“一”+動詞」に平行性を見出し、量詞が名詞に対して担う「個体化機能」と類似の文法機能(「個別化機能」)を“一”が動詞に対して担っていると考えられることを述べる。さらに将然相を表す“要”と共起しないことから、“一”が「事柄の生起」という意味を担うことを指摘した。これは事柄をひとまとまりとして捉えるものであり、動詞句に“了”や形容詞句が現れ得ることもうまく説明できる。
本稿はメンタル・スペース理論を用いて、中国語の推論証拠性表現“看来”、“看上去”、“看样子”の相違を明らかにすることを目的とする。推論証拠性表現“看+X”には、推論結果を表す焦点スペースに必ずその根拠を表す上位スペースがあるという特徴がある。“看来”と“看上去”の違いは第一に、“看上去”が基底と視点が同じスペースに融合して、そこから焦点スペースが作られるのに対して、“看来”は基底、視点、焦点がそれぞれ分離しているということ、第二に、“看上去”は視覚による情報のみに使えるが、“看来”はその制限がないという二点にある。“看样子”は“看来”に近く、ほぼ交替可能であるが、視点が重視されれば、“看样子”が用いられ、基底から視点への推論プロセスが重要であれば、“看来”がふさわしい。最後に、従来は証拠性表現とされてきた“好像”と“看+X”には本質的な違いがあり、前者は証拠性表現ではないことを示す。
本研究は、中国語の可能補語形式の中で先行述語に静態形容詞、補語に“-了 (-liao)”を有する形式“静態形容詞+不了”について考察する。本形式は、従来推測の意味を表すとされており、近年では認識的意味(epistemic meaning)というモダリティ論に引き付ける形で捉え直されてきた。しかし実例調査に基づき、その構造及び統語的特徴を明らかにし、詳細な分析を行った結果、次のことが分かった。(i)本形式は述語用法、連体修飾節用法、副詞用法があり、前二者は数量表現の有無という統語的特徴によって、否定を受ける形容詞の意味解釈が異なる。(ii)意味的観点より、数量表現が後続する場合は「様態」に偏り、数量表現が後続しない場合は「論理的推論」に偏る。そこで、当該形式の中核的意味は、何らかの証拠及びその知識に基づいて述べられた、発話者の認識的解釈を有する広義の証拠性の表現であることを論じる。
反復を表す形式“V 来 V 去”は、意味と機能に基づいて、空間移動を表す A 類、移動義を喪失した B 類、談話マーカー化した C 類に分類できるとされるが、従来の研究では、A 類と B 類の意味的な繋がりをどう説明するかという点や、A 類と B 類の機能に違いが生じる理由について、十分に検討が加えられてこなかった。本稿はこれらの点について考察を行ない、A 類を更に 2 つの下位類に分ける事で、両者の連続性を合理的に説明できる事を明らかにした。また、A 類の多くが事物の動きの描写に用いられるのに対し、B 類がしばしば「結果を導く為のプロセス」という背景情報として扱われる原因は、B 類が表す「質と量の十分さ」という意味に求められる事を指摘した。