文化資源学
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選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
研究報告
  • 市川 寛也
    原稿種別: 研究報告
    2024 年 21 巻 p. 1-14
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/07/08
    ジャーナル フリー

    本研究は、居住という観点から地域と芸術との関係について考察することを目的とするものである。主たるフィールドとして「池袋」を取り上げる。なお、ここで「池袋」と称する際、現在の豊島区池袋の範囲にとらわれず、かつて雑司ヶ谷と呼ばれたエリアをも念頭に置く。この一帯は近世には江戸近郊の農村であったが、近代以降に鉄道の延伸によって郊外化が進み、人口も増えていった。それに伴い、地方から上京した若い芸術家たちがこの地に集い、新たな芸術の発信地としての側面を見せていく。1920年代から30年代にかけて建設されたアトリエ村には多くの芸術家が居住し、いわゆる「池袋モンパルナス」と呼ばれる環境が形成された。こうした時代に先行するように、明治時代後半から大正時代にかけて、既にこの地域には多くの芸術家が居住していた。本稿では、先行研究の蓄積のある美術に加えて文学も射程に入れつつ、日記や書簡、雑誌等から居住の事実および地域をめぐる言説を積み重ねていく。これらの資料の集積から、ある地域における芸術家の居住そのものを文化資源として位置づける可能性を提示する。

  • 太田 由紀
    原稿種別: 研究報告
    2024 年 21 巻 p. 15-29
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/07/08
    ジャーナル フリー

    1950年に成立した文化財保護法は、その成立の直接の契機を1949年1月の法隆寺金堂壁画の焼損にもつ。同法の成立史については、主に国立国会図書館憲政資料室所蔵のGHQ/SCAP文書を用いて草案・法案の変遷過程を論じた先行研究がある。これら先行研究では、保護対象の厳選化・等級化により重点的保護を進める、という考えが1949年以降に提案されたと指摘されている。

    本稿では、日本側資料を参照することにより、すでに1947年11月以降には厳選化・等級化による保存の重点主義が提案されていることを明らかにした。

    1947年11月には厳選保存が参議院文化委員会で提唱され、1948年1月から4月にかけて開催された文部省と国立博物館による国宝保存法等の改正検討では、重点的保存のために、重要美術品法を廃止した上での等級の設定が目指された。同時期に、教育刷新委員会においても同様の議論がなされていた。1949年にこれらの先行議論を踏まえた案が参議院常任委員会専門員よりCIE美術記念物課に提出されたと考えられる。

  • 川村 笑子
    原稿種別: 研究報告
    2024 年 21 巻 p. 31-44
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/07/08
    ジャーナル フリー

    本稿は、終戦直後から始まった占領期における美術館の接収と解除の経緯を考察することにより、戦後の国内美術館とそこにかかわる美術家たちがどのように活動を再開させ、復興していったのか、その様相を明らかにしようとするものである。ここでは、接収されていた美術館の一つである大阪市立美術館(1936年開館)を取り上げる。同館は他施設に比べ約2年間という速さで接収を解除されたが、GHQ接収後にどのようにして解除へと至ったのか、詳細については不明のままであった。本稿では、接収解除に関する一連のGHQ文書(国立国会図書館蔵)を手がかりに、これまで触れられることのなかった接収解除に際する美術館とGHQ側との交渉、GHQ内における検討の過程を明らかにする。美術館職員とGHQ関係者との個人的な交友、GHQの政策理念などさまざまな理由を背景として実現へと至った可能性を指摘したい。

  • 下道 郁子
    原稿種別: 研究報告
    2024 年 21 巻 p. 45-58
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/07/08
    ジャーナル フリー

    寮歌など旧制高等学校で作られうたい継がれた歌は、『歌集』という形で編纂され保存されている。『歌集』には寮歌の他、校歌、部歌、応援歌、愛唱歌など様々な種類の歌が掲載されているが、旧制第二高等学校の『歌集』は部歌と応援歌の数が多く、またその大半が端艇部の歌という特徴がある。旧制第二高等学校では競技としての体育活動が重視され、特に端艇は対校試合だけではなく、校内で部対抗、クラス対抗のレースが毎年開催された。競技は勝敗よりも生徒同士の融和団結を目的とし、応援のために多くの歌が作られ、教育の要となっていた。しかし勝敗が重視されるようになると応援合戦は過熱し、批判の的となった。

    本報告では旧制第二高等学校の『歌集』から端艇部の部歌・応援歌に着目し、対抗試合や部活動が応援という音楽文化活動の原動力となった過程を明らかにした。部歌・応援歌の歌詞と音楽を分析し、うたわれた試合や応援の様子に関する記述を考察し、特徴や意義を検討した。また、これらの歌が現在、変容されながらうたわれている例をあげ、今日の音楽活動へと再生される文化資源としての可能性を示した。

  • 脇園 大史, 伊藤 弘
    原稿種別: 研究報告
    2024 年 21 巻 p. 59-73
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/07/08
    ジャーナル フリー

    日本では、遺跡の往時の様相を伝達する取組として遺構復元が行われてきた。一方で、遺構復元に対しては、歴史像の固定化を招くなどの批判もあり、現代の遺跡における復元の有用性とその適切な方向性を検討する必要がある。

    三内丸山遺跡(青森県青森市)では、大型掘立柱跡の復元にあたって専門家による遺構解釈が分かれ、①大型高床建物案、②大型高床建物漆着色案、③非建物(木柱)案の3種の復元案が提示された。復元にあたった青森県は、複数提示された復元案のいずれの解釈も採用せず、科学的根拠から確実性が高いと判断される要素のみを優先的に復元した。こうして復元された大型掘立柱建物は、復元実施時点での科学的知見に限界があることを踏まえ、将来の知見の反映による更新を見込み議論の余地を残していた。

    更新を前提とした「順応的復元」の実現には、不動産である復元建物を基盤とし、可変が容易なデジタルコンテンツの付加や市民との協働を通じた、情報の共有および蓄積を欠かすことはできない。議論の余地を残す「順応的復元」により、遺跡空間は人々の想像力を促進させる存在となり、その想像力の促進こそが現代の遺跡空間における復元の有用性であると考えた。

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