芸術工学会誌
Online ISSN : 2433-281X
Print ISSN : 1342-3061
73 巻
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芸術工学会誌 73号
  • 東京、名古屋、大阪を対象として
    中尾 尚世, 伊藤 恭行
    原稿種別: 論文
    2017 年 73 巻 p. 44-51
    発行日: 2017年
    公開日: 2022/03/31
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は、建蔽率と並んで都市における密度の基本的特徴量である棟数密度に着目し、それらの指標を個々の街区の特徴量としての街区棟数密度および街区建蔽率と定義することにより、東京、名古屋、大阪の都心部から周辺部(住宅地等)にかけての都市の様相を把握することである。  まず、街区建蔽率の指標から3都市を分析した。分析を通して、東京、大阪では街区建蔽率が高い(60%以上)街区が過半の領域を占めるのに対し、名古屋においては街区建蔽率が中程度(40%以上60%未満)の街区が過半を占めることが認識できた。  次に、街区棟数密度の指標から3都市を分析した。分析を通して、名古屋、大阪においては街区棟数密度が中程度未満(60棟/ha未満)の街区が過半を占めるが、東京では街区棟数密度が高い(60棟/ha以上)街区が過半を占めており、特に街区棟数密度が非常に高い(80棟/ha以上)街区が他都市と比べ広範囲に渡って分布していることが認識できた。  最後に、街区棟数密度と街区建蔽率を相互に参照して3都市を分析した。街区棟数密度を「L: 40棟/ha未満、M: 40棟/ha以上80棟/ha未満、H: 80棟/ha以上」の3段階に、街区建蔽率を「l: 33%未満、m: 33%以上66%未満、h: 66%以上」の3段階に分け、各々の街区をHh,Hm,Hl,Mh,Mm,Ml,Lh,Lm,Llの9種類に分類し、地図上に表現し分析を行った。分析を通して、いずれの都市においても中心市街地でLh、Mhが集中しているが、それ以外の領域では3都市で全く異なる特徴を示すことが認識できた。東京では中心市街地を除く領域において、Hh、Hmが多くみられるが、名古屋においてはMmが最も多くみられる。一方で大阪においては、中心市街地を中心に、Lmが多い領域、Hh、Hmが多い領域、Mh、Mmが多い領域など、多様な領域が混在することが認識できた。  分析を通して、各都市の都心部から周辺部にかけての様相を通りや交差点などを認識しながら実感に即した形で把握すること、また、各都市が持つ空間的特徴及び差異と類似を把握することができた。さらに、各都市においての街区棟数密度と街区建蔽率の変化が滑らかに推移する部分と、ある境界を境に急激に変化する部分を明確に認識することができた。
  • 開港期から明治中期
    佐野 浩三
    原稿種別: 論文
    2017 年 73 巻 p. 60-67
    発行日: 2017年
    公開日: 2022/03/31
    ジャーナル フリー
    神戸洋家具産業は、慶応3(1868)年の兵庫(神戸)開港にはじまる居留地や雑居地での実用的需要を契機とした日本の洋家具産業として発祥した。同様に安政6(1859)年に開港した横浜も市井にある人々の活動の現場から洋家具産業が生まれた経緯を持っている。一方、開港地での実用的需要を契機とする系譜に対して、「東京芝家具」は明治政府の政治的需要によって成立した洋家具産業の中心的系譜とされるが、黎明期の職人は技術習得のために横浜や神戸、長崎に出向いており、先端の製作技術は開港地に存在していた。  神戸洋家具産業の発祥には、船大工系と道具商系の二つの系統 があり、外国人からの修理依頼や不要品の再生販売を通して製作技術や室内装飾の知識を身につけ西洋家具の事業者に発展した。本論ではこれらの洋家具製造業者が誕生する「発祥期」を研究対象として、今まで公に知られていなかった神戸洋家具産業発祥時の事業者の実態調査を行い、明治初期に先駆者となる人々やそれに続く明治10 年代以降の初期参入者が洋家具を事業とする経緯を調査分析した。  本論では、当時の複数の出版物の照査から、製造を業態に含む先駆者3 件と初期参入者6 件の事業者、非製造業の初期参入者2 件の存在を特定した。「発祥期」の段階では地域産業としての定着に至る過渡期にあるが、製造、請負、小売などの業態が既に生じていることから、産業の基礎的な枠組みが形成されつつあることが確認できる。今回の調査で既知の情報以上の事業者数や業態が判明し、早い時期から多様な動きがあったことが明らかになった。  本論の目的は、先駆者が洋家具を事業化する経緯(事業化経緯:問題の把握から、工夫・展開を経て解決案を形として表す一連の発想の過程を継続的な経済活動とする経緯)を明らかにすることである。その「発祥期」の結論として、(1)外国人の要請に先駆者が手持ちの能力から着想し、(2)試行錯誤による模倣製作や再生販売で解決策となる成果を導き、(3)評価を反映させた能力の高次化を図り信頼を獲得することで、(4)稼業としての職能化に至る流れを「神戸洋家具産業の発祥期における事業化経緯の概念図」にまとめ提示した。  今後の展開は今期以降の事業化経緯の変化を比較検証することを最終のねらいとしている。
  • 明治中期から大正期まで
    佐野 浩三
    原稿種別: 論文
    2017 年 73 巻 p. 68-75
    発行日: 2017年
    公開日: 2022/03/31
    ジャーナル フリー
     本稿は、『神戸洋家具産業の発祥過程と産業化の特徴 ~開港期から明治中期~』 の続論であり、「発祥期」 に続く明治20 年代以降の「成長期」と大正全期の「変革期」を研究対象としている。  神戸洋家具産業は、慶応3(1868)年の兵庫(神戸)開港にはじまる居留地や雑居地での実用的需要を契機として発祥し、西日本の近代化における室内空間の洋風化を支え、創業から現代に至るまで約150 年にわたって家具製作を継承している事業者を有する希有な系譜を持つ。先の論文では「発祥期」を研究対象とし、明治初期に製作所を設け船大工から転業した「眞木製作所」(明治8年に創業)と明治5年創業の道具商「永田良介商店」の代表的な先駆者二系統が、業界を牽引していたことを明らかにし、その事業化経緯*3 をまとめ、模式図として提示した。  本論では、「発祥期」と同様に「成長期」と「変革期」の新規事業者の選出や業態の区分、社会情勢の影響の分析から事業化経緯を考察し、その変化を模式図として提示した。「成長期」においては、先発事業者の世代交代や業態の複合化が進み、「製造」を専門とする事業者と「販売」を専門とする非製造事業者の新たな参入が見られ、「製造/供給」と「販売/需要」の事業連携が進展した。この一連の変化を具体的な事業者の選出から実態を明らかにし、社会情勢の分析を通じて産業が定着する過程を考察した。  次いで、「変革期」においては、神戸洋家具産業が安定した製作技術を保有する一方、市場や顧客の要請は欧州の造形運動や生活改善の流れを反映して多様化し、業界を牽引する事業者が新たな要請に応えるために既存の保有技術に加え、専門知識に立脚した造形技術を吸収し生産領域の再編を進める経緯を社会情勢や事例に沿って考察した。その結果、「変革期」の最大の特徴として、神戸洋家具産業の生産領域が製造(職人)と図案(設計士)の二つの技術(職域)の連携による工程に再編成されたことを明らかにした。  今後の展開は、次期の「成熟期」においても同様に考察を進め、自由市場経済下の序盤に自然発生し、約150 年継続してきた神戸洋家具産業の歴史に内包された事業化経緯の変化を比較検証することを最終のねらいとしている。
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